2011年10月3日月曜日

銀杏を味わいました

 同じものを食べても自ら採取したものを食べるとどうしてこんなに美味しいのだろう。・・・・偉そうに採取などと言ってみたが、実態は拾ってきただけの銀杏でも・・・・
 昨日のブログの銀杏を、ペンチで殻を破り、ぬるま湯でふやかした薄皮を、ぬるま湯で皺のたった指で剥がして、そして茹でたのが左の写真。
 夕食に少し戴いて、後は冷凍保存をした。
 しばらくの間、ちょっぴり豪華な茶碗蒸やオダマキが楽しめそうだ。オダマキは冬の我が家の人気料理である。
 妻は「おせち料理まで残るやろか」と算盤を弾いているが多分残らないだろう。
 我が家(夫婦)では「クセもなく美味しいなあ」と言っているが、世間では結構「好きでない」という方がおられるのは何故だろう。まあ多様な意見が尊重されるのは好いことだ。

 さて、銀杏は御堂筋もよいけれど、寺社の境内がよく似合う。奈良県御所市の一言主神社の「乳垂れ銀杏」は樹齢1200年と立派であるが、それでもこの銀杏は大和朝廷に先行するその地の葛城王朝を見ていないのが惜しい。
 奈良も斑鳩も明日香もよいけれど、古代史のタイムカプセルのような葛城は一見に値する。住民の皆さまには申し訳ないが、本格的な発掘調査が終了するまでは無謀な開発が強行されないことを祈っている。

2011年10月2日日曜日

銀杏黄葉(いちょうもみじ)

 葉っぱの形から樹木の名前を検索する、保育社が出版した「樹木」①②という本があるが、この本には「銀杏(いちょう)」が載っていない。
 こういうのを問答無用というのだろうか。
 蛇足ながら、主婦と生活社の出版した庭木事典1,2,3にも掲載はない。その理由は判る様で判らない。「判らないという奴が判らない」というのが世間なるものの「常識」とされているのだろう。

 さて、我が家のすぐ近くの幹線道路の街路樹が銀杏であるが、黄葉が進むと他の道路よりもこの道路が別世界のように明るくなる。車で走っていても歩道橋から見渡してみても同様に素晴らしい。御堂筋を持ち出すまでもなく銀杏は街路樹のホームラン王(なんと懐かしい)である。
 その上に、何本かの雌株の木にはギンナンのおまけ付きだが、雌株の木の目の前の家のお方はさぞや閉口していることだろう。

 お察しのとおり、指示待ち人間であることを嫌う私たち夫婦は、よって、町内の公害対策の清掃を兼ねて迅速に行動し、その代わり少しばかりの自然のお恵みを労働の対価として御裾分けして頂いた。

 それを2日間水に浸けておいて果肉を「掃除」したのが右の写真である。
 庭先で「掃除」をしたのだが、ご近所から叱られないかと心配したほどの悪臭だったが、小泉武夫先生や椎名誠氏から教わった「くさいはうまい」という呪文を「くさいはうまい」「くさいはうまい」と唱えながら「掃除」を終えて只今乾燥中である。

2011年9月29日木曜日

大発見か大誤解か クロツグミもどき

 夕方にイオンの本屋に向う途中、ポピヨンピョロピョロと複雑な鳴声が聞こえてきたので顔を巡らせて探しまくったところ、ショッピングモールの外壁に見たことのない黒っぽいツグミを大発見。
 周囲の穏やかに流れる日常風景から一人はみ出して興奮に次ぐ興奮。

 安物の携帯では撮れないので急いで家に引き返して(往復40分)カメラにおさめ、マミジロかクロツグミに違いないが先ずは図鑑で確認・・としたものの、第1に眉(マミ)がないからマミジロでなし、第2に、嘴も目の周りも黄色に見えず、しかも腹が白くないからクロツグミとも言えなくなった。エエ~。
 色合いはヒヨドリの様でもあるが、スタイル、飛び方、鳴声が全く違う??
 全く弱った。解からない。

 数種類の図鑑と照らし合わせて辿りついた結論は、イソヒヨドリ(雌)。
 そして、そして、よくよく読んでみると、先の冬から春のブログで「これまで見たことのない鮮やかなアカハラだ」と信じきって書いていたのも実はイソヒヨドリ(雄)らしいと思い至った。ガ~ン・・・・。
 海なし県である奈良(京奈)のここまでイソヒヨドリがやってくるか?と、頭の一部では今でも疑っているが、比較的権威のある図鑑で見る限りイソヒヨドリらしい。ご存知のお方は是非とも御教示いただきたい。
 望遠レンズのカメラと双眼鏡と鞄を提げて、息を殺して身じろぎもせずにショッピングモールの壁を凝視している姿は異様らしく、丁度自転車で通りかかった妻が「怪しいおっさん発見」と言葉を発して帰って行った。
 『天高く人生なんと恥多き 鈴木真砂女』の句に激しく共感。

2011年9月28日水曜日

上方文化は おもてなし

 26日のブログでお約束のとおり(誰も約束なんかした覚えはないだろうが)「吊るし唐辛子」を玄関に吊るしてみた。秋の陽にキラキラと輝いている。
 心の底では「どうだ」と言わんばかりに飾ったのだが、人に尋ねられたなら「干してますねん」「ちょっとしたお守りで・・・」と答えようと思っている。
 多くの大阪人は、楽しい話題は独り占めにできずにできるだけ多くの皆さんに喜んでいただこうと発想し実行するのである。「おもてなし」を行動で表すのが上方の文化だと思っている。
 言い訳する気はないが、それを「いちびり」だとか「自己顕示欲」だと評論するのは的外れである。

 もてなしの庭先の彼岸花が満開だ。
 去年は無茶苦茶に開花が遅れたが、今年は暦どおり彼岸の中日に開花した。
 通行の方々も100%?注目して歩いていかれる。
 既成観念で「庭にこんな花を植えて・・」と思うか、フレキシブルに季節感や棚田の原風景をイメージするかは通行人の自由である。
 確かなことは、彼岸花を前にすると私と通行の方々との会話が弾むことである。
 「立派なお花ですね」「いやあ変な庭になりまして・・」と言うような遣り取りだが、多くの方はその後ニコニコとして黙って歩いていかれるから、やっぱり、心の中では「変な庭やなあ」と思っているのである。

2011年9月26日月曜日

見た目も鮮やかな鷹の爪

 稔の秋。スノウさんから鷹の爪を戴いた。
 全体としての猿害の中、鷹の爪だけは、さすがのお猿も敬遠したため豊作だったらしい。
 「収穫したてのため乾燥させて・・」とのメモがあり、折角だから一部を「吊るし唐辛子」風に作ってみた。
 近くに浄瑠璃寺や岩船寺で有名な当尾(とおのう)の里があり度々散歩のように出かけるが、ここの無人販売所に吊ってある「吊るし唐辛子」を見て第一村人に「あれは何ですか?」と聴いたところ、「厄除けです」との返事であったことを思い出した。
 乾燥が進むと縄からぽとりと落ちるのを「厄が落ちた」とか「身代わりになった」と考える風習は結構広い地域で知られているようで、韓国、台湾、中国でも「お守り」になっているらしい。
 我ながら(といって99%は妻の作品だが)立派な出来栄えなので、室内装飾でも悪くはないが、乾燥がてら道行く人々に見えるところに飾り直そうかと思っている。
 

2011年9月25日日曜日

昴はさざめく

 ようやく秋の空・・・と言っても夜空のことだが、 夜更けの東の空に昴がボンヤリと戻ってきた。(と、とりあえず言っておこう。)

 非常に恥ずかしい話だが、私はこれまで昴星を他の星と誤認していた可能性があることが今夜解って、半分ショックで、半分は遅まきながらの(6人娘の)発見に感激している。・・「今頃何を・・・」とお笑いください。

 正確に語れば、これまではオリオンの肩から伸ばしていって昴らしい星を見ていたが、(それはそれで正しかったのかも知れないが)、今夜は、秋空のためオリオンが出てこず、星座早見盤や星座案内の本と実際の空を何回も見比べて、オリオンに頼らない見つけ方を何回も試みているうちに、「あっ、実はこれか」と、今までの誤解?が一瞬に吹っ飛んだわけである。そして、眺めるうちに「6人娘と言われるだけのことはある」と心の底から納得した。

 何のことかと言うと、私は、先日眼鏡を更新したので乱視が矯正され、昴が星ではなく文字どおりの「プレアデス星団」であることが、はっきりと見えて「少しがっかりで大きな感激」を受けたということ・・・・で、おかげで昴は「6人の怠け者の娘」というアイヌの伝承が納得できるようになった。つまり、今日の感激は昴の6人娘をはっきりと視認したということである。
 ×8~×20の双眼鏡ではさらに「星団」がよく見えて6人娘どころでなくなった。
 (要するに眼鏡の更新と双眼鏡の持ち出しが昴確認の決め手だった。)

 それにしても「星の数ほど」限りない星々の中から「星は昴」と選んだ清少納言は只者ではない。平安京の空が澄んでおり、清少納言が近視でなかったことだけで選べるものではなかろう。この女性はいくら誉めても誉めすぎることがないというのが、今夜の空からも実感させられる。
 
 谷村新司の「昴」は老朗介護施設でも人気の歌だ。
 いつか、入所者の皆さんにアイヌの昔話やギリシャの詩人の話をしてみよう。

2011年9月22日木曜日

foxtail grass

              構音障害という症状がある。
 構音障害の方は、頭の中では正しく「眼鏡」と判断していても口からは「傘」というように声が出てしまうのであり、決して思考が無茶苦茶になったわけではない。
 そういうことについて、相当昔のことになるが、脳外科の先生に研修を受けたときの記憶が、私には比較的鮮やかに残っている。
 そして、的を射ているかどうかは知らないが、これに近い感覚(頭の中では的確に判断されているに違いないという感覚)を老朗介護の現場(というよりも周辺)で実感することが時々ある。
 だから、老朗介護や認知症について私は全くの門外漢ながら、私のポリシーとして、親や保育士が幼児に話すような態度は一切とらず、入所の皆さんとも大人同士の会話、一緒に子供に返って遊ぶような態度を常に心がけている。

 という偉そうな能書きは置いておいて、今日は実母の施設に盗人萩(ぬすびとはぎ)とエノコロ草(猫じゃらし)を山のように持ち込んで、一緒に子供になって(決して先生にはならずに)遊んでみた。
 (介護の施設に綺麗な花束を持参される方は多いが、雑草を持参するのは私だけのよう・・・)(だから高価な花束より元手0円の方がサプライズになって格段に喜ばれるというのも実に可笑しい。)
 そして、ひとしきり盗人萩のくっつけあいをした後に、エノコロ草をニギニギして毛虫のように動かせてみたところ、スタッフも含めこれが意外に新鮮に驚かれ、「本物みたいに怖いわ」と言う方も出てキャーキャーと大いに盛り上がった。(このニギニギ毛虫の好評は想定外・・・だった)
 経験的に言えば、今朝のような天気の悪い日は部屋全体が鬱になる傾向があるので、ひと時ではあるが多くの入所者が子供時代にタイムスリップして、不自由な手で毛虫を出してみたりして喜んでくれたのは嬉しい。
 帰り際、何人かの入所者から「また来てね」とお願いされた。

 蛇足ながら、エノコロとは犬の子のことであり狗尾草と書かれる。そして英語では foxtail grass(狐尾草?) 。ニギニギの毛虫よりも、こういう解説を喜ばれる方もおられるので、老朗介護(実はただの面会)も「だんどり八分」である。

2011年9月19日月曜日

美しくも悩ましい盗人萩

 木偏に春が椿なら、草冠に秋は萩である。
 柳宗民氏の本によると「最近は海外でも日本庭園が大流行だが、萩を植えられているのは見たことがない。」「これは西洋人と日本人の美意識の相違によるものだと思う。」と書かれている。
 海外にだって風情を感じる人士は居るに相違ないが、マスで語れば四季のはっきりしたこの列島(と言っても南北に長過ぎるが・・)に特徴的な美意識なのかも知れない。私にも異存はない。とりわけ古刹に萩はよく似合う。

 しかしながら、花の美しさではそれほど見劣りはしないものの、我が散歩道の盗人萩(ぬすびとはぎ)だけにはホトホト閉口している。
 市役所の草刈り後一番最初に成長してきて、「我が世の秋」を謳歌しているのも憎らしい。
 ところで、増村征夫著の図鑑に「和名は果実の形を盗人の足跡に見立てたもの。」とあるのには驚いた。
 私も妻も、しらばっくれる盗人に「観念しろやい。おめえの裾の萩の実が忍び込んだ証拠でい。」と何故か江戸弁の芝居を想像させるほどしつこい「ひっつき虫」故の語源であると信じていた。
 これって全くの誤解だったの????
 読者の皆さんの感想をお伺いしたい。

2011年9月18日日曜日

日本の祭は盆踊り

 義母の入所している施設の敬老祭が、雨が降ったり止んだりの悩ましい空模様の下、屋外で開催された。
 できるだけ元気よく賑やかにと屋外開催を決意した施設の心意気には拍手。(実際には入所者も家族も大変だったが・・・)
 しかし、進行の手際の悪さ、舞台上のスタッフの中途半端な照れの数々に、見ていてどうも苛々し、もう少しで仕切りたくなってしまった自分が可笑しい。
 そして、私なら大歌声喫茶と盆踊りをメーンに企画するのになあ!と考えているのも又可笑しい。
 
 「家族介護が本人にとって一番幸せだ」と仰られる方もいる。
 しかし、世の中はそれほど単純ではないはずだ。
 プロ=施設の実力を素直に実感するのも悪くはない。
 炭坑節の輪の中で、入所という選択は間違っていなかったとしみじみと再確認した。
 家族介護で介護うつ寸前の方はおられないだろうか。このブログが、施設利用も悪くないなあという気になる一押しになるならそれもよい。

2011年9月15日木曜日

薬師寺おそるべし

 奈良の御寺(みてら)の魅力というと、時の移ろいが醸しだした「侘び」や、それ以上にまるで朽ちる寸前であるかのような「寂び」に見る、他所ではなかなか味わい難い美しさというのが多数意見だろうし私にも異存はない。
 しかし、歴史の検証にとってこの感傷は往々にして無意味どころか邪魔であり、実際、ロマンといわれる感情や多くの講談話は数々の歴史を見る眼を曇らせている。・・まあ、私だけかも知れないが・・・・。
 例えば、飛鳥京、藤原京、平城京は必死に大陸に追いつこうとしていた大都市(当時の近代都市)だったので昔から旧都であったり宮趾であったわけではないし、それ故に、都に配された事実上国立の御寺は、心静かに勉学したり国家の安寧を祈念していたというよりは、宗教と技術が不可分であったその時代にあっては、つまり祈祷や呪詛(じゅそ)がある種の暴力として現存していた下では、一面では軍事基地的な暴力装置あるいは最新兵器そのものではなかったかと考えさせられる。
 私が、そういう「目から鱗」のヒントを得たのは、小笠原好彦先生の「本薬師寺の造営と新羅の感恩寺」という論文だった。
 誤解を恐れず荒っぽく言えば、
この御方はご存知である
 薬師寺の伽藍配置が独特なのは何故か。
 それが多くの百済系の伽藍配置でも唐のそれでもなく新羅系のものであるのは何故か。
 それは他の大寺の伽藍配置に比べ、落雷・火災対策としては古臭いものだが、それをあえて採用しているのは何故か。
 この新羅系の伽藍配置は、百済王家の後裔が枚方市に建てた百済寺(注)もそうであるのは何故か。(注:大阪府における二つの国の特別史跡のうちの一つ もう一つは大阪城) 
 
 ・・とすれば問題の所在は新羅にある。
 新羅では、文武王が倭兵の侵攻を鎮めるために、わざわざ海岸に倭を睨んで感恩寺を建てた。(三国遺事)(感恩寺は682年神文王が完成)
 そして、それは663年に白村江で唐・新羅連合軍に完敗していた倭にとっては緊張の糸の張りつめていた時代、・・各地に山城が築城されていた戦争前夜に似た微妙な冷戦の時代であった。
 故に、本薬師寺と移建された薬師寺は、天武天皇が680年に皇后の病気平癒のために発願したものではあったが、喫緊の軍事・外交課題である感恩寺の「暴力」に的確に対抗する意図が重層的に含まれたものであった。
 そのためには、感恩寺と瓜二つでなおかつそれよりも拡大した伽藍配置の御寺でなければならなかったのだ。
 つまり、新羅王の魂魄を込めたビーム光線が感恩寺から発射されているのを受けて、それを相似形で強化して光線返し・呪詛返しをしていたのが薬師寺だったのだ。
 このように考えると、百済王の後裔が万感の「恨」を込めて新羅形式(感恩寺と相似形)で百済寺を建立した謎も氷解する。

 以上は、独断で私がまとめた感想である。
 文献史学だけではここまで言い切れないが、考古学と二重写しにすると目から鱗の歴史が浮かんでくる。
 とすると、往々にして歴史家が馬鹿にしがちな、再建された薬師寺西塔、平城京朱雀門、大極殿等を見ながら彼の時代を振り返るのも悪くはない。
 現代人が、・・・少なくとも私が抱いていた「祈り」のイメージなどを遥かに超えた当時の暴力的な呪詛合戦を理解できないと、南都の御寺の正確な歴史は把握できそうもない。
 柿食えば~  もいいけれど、こんな論文を読んで南都の古代に想像を羽ばたかせる夜も楽しい。

2011年9月13日火曜日

采女さん ありがとう

 
 奈良の観光地のど真ん中にあるのに、仲秋の名月の日を除いて1年364日間はお参りのできない神社。
 鳥居の向こうにお社が後ろ向きに建っている神社。
 こんな不思議な采女神社に、子供達の良縁の御礼に行って来た。
 猿沢池の采女祭。
 身近な地に、こんな天平文化の再演が嬉しい。
 秋の七草の花束と月見団子を購入して帰り、名月の写真を撮った。
 

 なかなかに好いお月見だった。 

2011年9月12日月曜日

月に叢雲 花に風 はは~

 今夜は仲秋の名月ということで、今朝は実母の施設でお月見談義に花が咲いた。(ほとんど筆談)
 兎について、中国では大昔から月に蛙がいると見ていたらしいが、世界中の人々が何を見ているのかシスターに調べてもらおう・・とか、
 十五夜よりも十三夜を好む日本の風習はチョッと素敵じゃないですか・・とか、
 そして、皆さんの「お月見団子」はどんな形ですか・・とか・・・・・
 談義に加われる方は数人だが、私の書いた大阪のお月見団子は予想外に知られていなかった。

白い団子部分が月。
餡子が叢雲。
(画像はネットから)
 すると実母が、これは「月に叢雲」を表し、よいことはそうそう続かないという教訓だとおもむろに訓示した。
 私も聞きはじめのことだったし、「キヌカズキを模したもの」あたりが定説だったように理解していたが、つまり、この説の適否は別にして、なにしろ101歳の訓示であるし内容も人生訓であるものだから、私やスタッフはもちろん、90歳代や80歳代の入所者も一様に「はは~」とひれ伏したのは言うまでもない。
 ただ介護の実習生だけは、今日はお月見ですか、お月見団子ってあるんですか、・・と、月よりも大きな口をあけて不思議がっていた。 ああ~

2011年9月10日土曜日

スパーリング清酒の菊酒

 道教に由来する「奇数こそ陽」の大思想からすると9月9日の重陽の節句ほど大事な日はないのに・・・、今では、元旦、雛祭、端午の節句、七夕に比してすっかり目立たなくなってしまったのは、ひとえに商業(コマーシャル)ベースの素材になりにくかっただけのことであろうか?
 実際にイオンモールでは、「菊の花はありませんか?」と尋ねなければ所在が判らないほど店側には“意識”されていなかった。
 おかげで、我が家では、不老長寿の仙薬でもある菊酒を俗世界の邪念に邪魔されることなく楽しくいただいた。(スパーリング清酒に菊の花を浮かべただけのことであるが)

 そして翌日、「一日遅れのお祝いをしよう!」と言って二つの母の施設に菊酒を持参した。
 義母の施設は施設の方針により義母の部屋で飲んだだけだったが、方針がおおらかな実母の施設では、朝からホンの少しずつだが何人かで乾杯をし、まるで小原庄助さんばりの朝酒宴会が出来上がった。
 御酒の回った実母は、目をつぶって、 ~~ミモザ咲く~老人ホームの二階にて~パンを握りて~菊酒を飲む~~という感じの即興の和歌らしきものを朗々と詠いはじめ、部屋中の人を驚かせた。
 さすが、菊酒の薬効あらたかなり。

2011年9月8日木曜日

旅立ち近い燕たち

 ようやく猛暑も一段落したので、燕たちが南方遥かオーストラリアに帰って(行って?)しまわないうちにと平城宮跡まで出掛けてきた。

 初夏頃まで、子育てのために人家の軒先で過ごしてきたこの地の燕たちは、どういうわけか8月中旬頃からここの葦原を塒(ねぐら)にする。
 同様の葦原で有名なところには淀川がある。
 塒入り(ねぐらいり)という。
 求婚、子育ての次の大事業である大旅行(渡り)の打ち合わせと予行演習のためだろうか。

 平城宮跡を塒にしている燕は約3万羽といわれている。
 この3万羽の燕が、夕刻まではほとんどいなかったにも拘らず、日没直後から続々とやって来て(帰って来て?)、ヒッチコックの映画どころでない集団旋回を演じ、人間の頭の上、顔の横を飛び回り、ヒュヒュヒュという風を切る音までが耳に入ってくる。
 そして一瞬葦原にもぐり込み、あとはチュチュチュチュという声だけがエンディングソングのように届いてくる。
 この“一日に15分間だけのビッグショー”の感動には、テレビや映画やUSJでは絶対に味わえない心の満腹感が付いてくる。
 足下の秋の虫も超一級なのだが、この時ばかりは助演賞だ。

 今年は、ブログにも書いたが、燕の空家を雀が横取りしたので、「燕が帰って来ない年には不吉なことがある」なぞというつまらぬ「ことわざ」が脳裏をかすめたが、こうして素晴らしい「塒入り」と出会えたので十分にチャラだろう。

 この燕たちは、日本の冬をオーストラリアの教会辺りで過ごして、途中インドネシアのモスク辺りで休憩したりして、そして、春には南都のお寺辺りに帰って来て、イマジンではないが、人間たちが口角泡を飛ばして文明の衝突などを論じているのを空の上から見て笑うことだろう。

(写真の上でクリックをすると写真が大きくなり少しは燕が判ります。)

2011年9月6日火曜日

988円のマグカップ

 実母は入れ歯が合わなくなっているのでミキサー食である。
 専門家である施設のスタッフに入れ歯の相談をするのだが、「直ぐに合わなくなって無駄ですよ。」と流石に専門家はクールである。
 食事の困難は体力低下と直結するが、そこを静かに見守るのがターミナルケアなのだろうか。「ターミナルケアって何ですか。」と聞いたとき、「ターミナルは終着駅です。」との回答は名答だった。(まあ、この辺は深刻に読まないでください。)
 
 そんな状況なので、栄養補助のためにほぼ毎日スープを持参しているのだが、これはこれで直ぐに咽(むせ)てしまう嚥下(えんげ)障害に困っていた。
 そこで、飲み口の狭いマグカップではどうしても上向き加減になり咽やすそうなので、口の広い文字どおりカップ型のマグカップを買ってきた。

 買ってから知ったのだがこれがアートマグというもので、カップの周囲に好きなアートを挟み込めるものだった。
 そこで、本人が嫌がるかなあ?と、少し逡巡したが、夏祭りの時の本人の写真を挟み込んで持参したところ、本人も周囲も大笑いで、「この写真を麒麟ビールに買ってもらおう。」というジョークまで飛交った。
 
 ターミナルケアの施設で笑いをとるのは至難であるが、これだけの笑いをとったのだからこのアートマグ988円は安かった。

 調子に乗って義母のところにも「義母がピンクレディーのUFOを踊っているときの写真」を付けて持っていったら大いに喜んでくれた。よかった。

 老朗介護に一番よく利く薬は“歌と笑い”だと・・・今頃になって気がついた己が鈍感さの方に笑ってしまっている。

2011年9月4日日曜日

石のカラト古墳で考える

 よく行く散歩コースの一つに「石のカラト古墳」がある。
 7世紀から8世紀初頭の超一級の終末期古墳で、国の史跡名勝天然記念物だが草刈等の手入れはあまりされていない見映えのしない広場である。
散歩道の石のカラト古墳

 奈良県奈良市と京都府木津川市の境界線の真上のため、北側が草刈されても南側がそうでなかったり、その反対であったりして悩ましい。

 盗掘されているので遺物は少ないが、金銀製の玉、銀装の太刀の金具、金箔片等が見つかっており、豪族の墓というよりも、貴族乃至皇族の墓かとも言われている。
 被葬者の推理をしている分には楽しい古墳である。

 この、全国でも10に満たない珍しい形式である『上円下方墳』を見て連想するのは、明治、大正、昭和各天皇陵である。何れも上円下方墳である。

 これは、明治天皇(桃山陵)の際に、「古式に範を採った」と言われているが、・・・上円下方墳と信じて参考にしたらしい山科の天智天皇陵は、今では実は八角墳だろうとされており、母親の斉明天皇陵(牽牛子塚古墳)が八角墳とほぼ確定した今日から見れば、例の天皇陵の比定問題と併せ、この分野の議論の乱暴さは現下の原発安全神話を思わせる。
 そう言えば、昭和天皇の葬儀の諸々も古式に則ったと喧伝されたが、鎌倉時代の四条天皇から明治天皇の前の孝明天皇まで15代の葬儀は仏式で行なわれ泉涌寺に墓所があるのであるから、常識的に言えば古式とは仏式ではなかろうか。
 それを跳び越えて古代を再演するのも否定はしないが、鎌倉から江戸時代までの宮中が全面的に神式であったかのように歴史的事実を捻じ曲げ、廃仏毀釈の狂気を追認してはいけない。
 私としては、アジアの近隣諸国民や私たちの父母、祖父母に悲惨な戦時体制を強いた大日本帝国下で突如先祖返り(それも正確でない先祖返り)をした上円下方墳は止めてもらいたいと思っている。
 古墳も宮中の諸儀礼も国民的な文化遺産でもある。
 天皇家等の祖先のお祀りと科学的見解の両立を当たり前のこととして議論する姿勢を宮内庁には求めたい。
 権力で科学を封じ込めようとすると、何れ原発問題のような悲劇的結果になるだろう。

 「石のカラト古墳の散歩からそこまで言うか」という声が聞こえてきて、墓穴を掘りそうなので筆を置く。

2011年9月2日金曜日

判り難い道路標識

 数年ぶりで滋賀県までクルマで走ったが、道路事情が一変していることに驚いた浦島太郎だった。
 元々土地勘・地図勘はいいほうだという自惚れもあり、地図の下調べもナビもせずに昔の記憶と勘だけで出発したのが悪いのだが、それにしても、主に高速道路出入口等の道路標識の判り難さにはほとほと閉口した。何回本来の道路に乗り損ねたか知れない。何回であるかは恥ずかしくて言えない。

 その夜、やって来た息子に、そのドジさ加減を妻は面白おかしく報告したが、息子は「複雑な道路標識を一瞬に判断できないのは認知症が始まった証拠や」と言下に託宣した。そして、全面的に反論も出来ず一笑に付す事も出来ない確かな心当たりにぞ~っとした。

ネットから

 だが、名誉のために言っておくが、地図にある「西大津バイパス」。・・京都東インター周辺の道路標識には数種類の異なる表示ばかりでええかげんにしなさい。・・と言いながら、逆走老人の弁護をしたくなったのも事実である。

 私は自分のことを高齢者などと思っていないが、自覚のない老人こそ社会の迷惑なのかもしれない。そう言えば、道路の曲がり間違い、渋滞の回避失敗は数年前から始まっている。

2011年8月31日水曜日

綴刺蟋蟀

 先日、確かにガクンと季節が4分の1回転する音が聞こえた気がする。
 実母の入っている完全空調の施設ではそれが判らないので、「外ではコオロギも鳴き始めました」と入所者にお知らせしたところ、傍で聞いていたスタッフの方々が「それはそうとコオロギって何て鳴くの?」と議論になり、諸説が飛交った。
 そう言えば、ラジオやテレビの中の(パーソナリティーとかコメンテーターとか)立派な大人が、これと全く同じようなことを言い、「ジッジッジやったかな」というように話を纏められているのを嫌と言うほど見聞きしているので、流石に私もこんなことぐらいでは驚かない。

 もちろん入所者の方は、ツヅレサセコオロギを『 肩刺せ 裾刺せ 寒さが来るぞ 』と聞きなすと文句なく一致した。
 『 綴れ刺せ刺せ 綴れ刺せ 』とか、いろんなバージョンがあるようだが、基本形は、秋の深まりと重ね合わせて、冬物の「綴くろい」をコオロギが急かせていると聞きなすようで、何時もながら先人の感性にはただただ感服する。
 
 他人を嗤っている場合ではない。子や孫に正しく伝承できていないのは挙げて親の責任である。
 しかし、私たちが子供の頃に当り前であった「綴くろい」の風景など、考えてみれば私たちの世代が「店じまい」してしまった感がある。
 だとすれば、子や孫に、見たこともない「綴くろい」を聞きなしなさいというのも酷であろう。
 だから、躾という範疇ではなく、「綴くろい」も歴史として伝承する方がさっぱりしていてよいようだ。
 古今の古文ならほんとうの勉強になってしまう。
 パッチワークも脱帽するような「綴くろい」だらけの靴下を履いて小学校に行っていた・・などと幾ら語っても、「また愚にも付かない昔話や・・」と鼻で笑われるのが関の山である。

 秋風に綻びぬらし藤袴 つづりさせてふきりぎりす鳴く (古今集)

2011年8月28日日曜日

エア熱唱(続々音楽療法)

 昨日、実母の入所している老人介護施設に「北国の春」の歌詞と譜面を持参した。
北国の春のイメージ(ネットから)
 びっくりしたことは、スタッフが「この歌、知らんわ!」と言ったことだった。
 昭和52年のミリオンセラーを知らんと、・・そんなあほな!

 私の方は、入所者にはこの歌は新しすぎないかと心配して持って行った歌なのに、スタッフは「まだ生れてないわ」と、・・・・・・(これは、私にとっては確かにちょっとしたコペルニクス的なショックだった。)

 日頃は老朗介護のために、少なくともこの施設内では私はいつも自分を「若手」という意識でいたものが、子供たちと同じぐらいかまだ若いスタッフと話してみると、客観的には私は「準入所者」の位置にいるという真実に直面して少し慌てたが、気を取り直して相対的に元気な方々に歌詞付き譜面をお渡しした。

 予想どおり、皆さんはこの歌をご存知でたいそう喜んでいただいた。
 が、「きたぐに~」と大きな声は出し辛いのだろう。見ていると、あちこちで一様に「エア熱唱」が始まった。それぞれの方が譜面を見ながら心の中で熱唱を始められたのだ。
 顔を見ていると、歌っている歌詞のところも判るし、サビの部分ではうっとりされているのも伝わってくる。
 歌い終わった満足感も表情に出ている。確かに歌われていたのだ。

 音楽療法士の方がこの「エア熱唱」を見たら何んと仰るだろう。
 「音のない音楽」は哲学の領域かもしれない。
 まあ何んと分析されようと、・・・確かにこのとき私は「北国の春」の大合唱を聞いていた。

 歌い終わった母が「故郷に帰りたいなあ」としみじみと呟いたのを聞かないふりをしながら、「エア熱唱」の輪の中に文句なしに参加していた。
 「エア熱唱」は、メロディーもリズムも絶対に外れることのない、究極の完璧な大合唱だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

2011年8月27日土曜日

ヒヨにも可愛いときがある

 声がよくない。衣装もよくない。我が家の野菜や果実を横取りする。シジュウカラやメジロを追い払う。餌台を占領する。糞も汚い。そんな可愛げのないヒヨドリだが、親鳥が雛を育てる健気さはやはり見ていて微笑ましい。

右が雛、左が親
 去年は2階の窓から真正面の街路樹に巣を作っていたが、今年(2回目?3回目?の子育て)はというと我が家の、自転車で出入りする勝手口(ただの出入口)のシマトネリコの、手を伸ばせば届きそうな低いところにスウィートホームを構えた。
 おかげで自転車の出入りのたびに驚かせないようにと此方の方が遠慮する日々だった。もちろん撮影も遠慮してきた。
 まあ、その遠慮の甲斐があって、親鳥が頻繁に餌をくわえて帰ってくるようになったなと思っていたら、二十日鼠のような声が聞こえてき、そのうちに、お世辞にも綺麗とは言えない典型的な雛の泣声が頻繁になり、ほどなく飛翔の練習が我が家周辺で始まった。
 親鳥は飛翔の手本を見せ、あるいは少し離れた場所からそ知らぬ顔で見守り、それでいて火がついたように泣き続ける雛に付かず離れずの必死の親心は、昨今の育児放棄のニュースに出てくる人間様に見せてやりたいほどである。
 子育てが終わると憎たらしくなるヒヨドリだが、本によると、平安貴族のペットでもあったらしく、また外国にはいないため海外のバードウォッチャーには人気の野鳥とあった。へぇ~
 これ(ブログ)って、もしかしたら贅沢極まりない観察日記なのだろうか。

2011年8月25日木曜日

ブラックベリーの反撃

 秋風とともに、長期間楽しませてくれていたブラックベリーの収穫も99%終了した。
 蔓性のブラックベリーのため、木としては風情に欠けるが、花も綺麗だし何よりも実が美味しい。
 難を言えば種が気になるが、私は庭先ではペッペッと下品に吐き出し、そうでないときは噛んで飲み込んでもそれほど困らない。

デザートにいかが

 写真なんか、ちょっとしたデザートに見えません??

 こんな美味しいブラックベリー。『熟れた実を自由にとってね』と貼り出しているが、近頃の子供は一向に摘まもうとはしないのが寂しい。それを「おかしいなあ」と思う此方がおかしいようだ。
 

ブラックベリーの花

 今日も、いつものようにヒョイと摘まんで口に入れたが、ムムムム。
 しまった。いつものフーフーと虫を吹き飛ばしてから口に入れるという作業を省略していた。

 そうだ、ブラックベリーにはカメムシが付き物だったのだ。

2011年8月23日火曜日

雀の砂風呂

 もう2週間にもなろうか、実母の施設の木の根の砂地で雀たちが楽しそうに砂浴びをしていた。
  携帯で写真を撮ろうとしたが、もちろん異常を感じて直ぐに飛び立った。(写真の一つひとつの穴がその砂浴びの痕である。)

 野鳥は乾いた砂地などに穴を掘り、羽を羽ばたかせ、体中の羽毛を広げ、寄生する虫などの汚れを落とすらしい。よく見る水浴びと同じことであるが、此方の方が季節柄「虫干し」らしくていい。
 そして、本によると煙突の上の煙の中に飛び込んで煙浴びもするらしいが、そういう光景にはお目にかかっていない。
 本には全く書いていないが、この木の根の風呂場は木陰である。雀は、朝方の涼しい砂で「ほっこり」涼んでいるようにも私には見えた。

 よし、これは入所者の皆さんにも教えてあげなくては・・と思って、その後、毎日、カメラを持参したのだが、私がその場を往復する数分間には、役者たちはそんなに上手くは砂浴びをしてくれない。それどころか、雀のいない日も多く、そのうちに雨模様の日も増えてきた。
 このため本日の写真は、結局ギブアップをして、砂浴び痕の砂の穴だけで勘弁願い、彼女らのその楽しそうな温泉風景は読者の皆さんのご想像にお任せすることにした。
 ・・にしては右下の写真は蛇足の極み・・・はい
 シャッターチャンスをモノにできなかった悔しさで、ちょっとパソコンが滑りました。

2011年8月20日土曜日

世界記憶遺産

 今朝の朝刊に「作兵衛の世界(上)」が大きく取り上げられていた。
 提灯をかざしたり太鼓を叩いたりするほどの筆力はないが、購入して損のない本であると推薦したい。
 「あゝ野麦峠」もそうだが、苛烈な歴史をくぐり抜けてきた実話には予想外の明るさや定説とは微妙に異なる事実があるのが面白い。
 「人柄のよい将校もいたからあの戦争の全てが悪かったわけではない。」というような、大局観のない歴史観は全くいただけないが、「かつての民衆はただただ虐げられていた。」で済ますのも正しい歴史の学び方ではないように思う。
 例えば、『昭和初年、女子の坑内労働が禁止されてから職場にみられた濃密な人間関係も薄れていった。男の労働者たちは、炭鉱に潤いがなくなったといってはぼやいた。江戸時代末期から、明治・大正にわたり男たちの支えとなりながら忍苦に満ちた仕事をひきうけてきた女子労働者は、人道の名の下に職を奪いとられたのである。』『長らく坑内で働いた者(女坑夫)には太陽の下の労働はかえって苦痛となるものです。』という件などは学者には書けない文章ではなかろうか。
 余談ながら、ここに登場する炭鉱主の子孫が首相になったことを知っている我々は、この本(絵)をみながら作兵衛よりも気が沈む。
 ♪ 唐津下罪人のスラ曳く姿、江戸の絵かきもかきゃきらぬ
 

2011年8月19日金曜日

チンチロリン

 『虫の音を踏みわけ行や野の小道』は、子規19歳の作品で初めて活字になった句らしい。
 この句について近代文学の浅田隆先生は、「踏みわけ行ったら虫は鳴き止むから、この句は写生とはほど遠い観念的な句である。」と講義されたような記憶がある。
 この指摘が、浅田先生の論であるのか、晩年の子規本人若しくは他の人の論であることを解説されたものであったのか、記憶は定かでない。
 そしてその時、私は些か同意しかねる気持ちになったことを覚えている。
 私が不同意と感じた主旨は、文学論ではもちろんなく、少しの虫の音なら別だが、虫の音の盛りの頃は『踏みわけ行ったぐらいでは鳴き止まないぞ。「踏みわけ行ったら鳴き止むという定説」なるものの方が観念的ではないか。』という感覚だった。
 しかし待てよ。虫たちが鳴き止まなくなったのは子供たちが虫捕りを忘れてしまったからかもしれないし、木の上から騒々しくリーリーリーリーと鳴き続けるアオマツムシの大進出の後のことかも知れない。
ネットから

 秋の虫のいない都会も不自然なら、鳴き止まない郊外も少しおかしくなっているような気がする。各地の様子はどうだろうか。
 夜中に目を覚ますと、松虫のチンチロリンという声が聞こえてきた。アオマツムシとは似ても似つかぬ古から続く雅な声だった。

 「一番好きな秋の虫は?」と尋ねられたなら、「チンチロリン」と答えようかと思っている。ただし、夜中に草叢にさまよい出て倒れ伏してしまわないように気をつけなければならない。
 
 昔よく歩いた大阪市阿倍野区の松虫は、能の松虫の舞台であり小野小町の塚もあるが、当時は何の感慨もなく歩き回っていた。無知は時間泥棒である。

2011年8月17日水曜日

赤ちゃん家守は何んと泣く

 昔、ガラス窓の外側や外灯の下にヤモリを見つけたことがあったが、街の近代化の下で、もう絶滅危惧種になってしまったのではないかと思うほど近頃は見かけなくなっている。

 妻の大声で駆けつけてみると、そのヤモリが我が家のリビングに現れたので、追い出す前に先ずカメラと思って撮ったのが掲載の写真で、珍しい?赤ちゃんヤモリである。
 ところが、捕まえようとすると尻尾を自切してウーハースピーカーの中に逃げ込んでしまった。
 そこで、そもそも家守又は守宮と書かれるほどの益虫(虫ではない)だし、尻尾の自切も健気なので、このまま住まわせておこうということで夫婦の意見が一致した。以後、夜になると壁の上に出てきて挨拶をするようになっている。

 椎名誠の本では、ラオスで『夜は必ずヤモリが沢山やってきてウケケケケと嬉しそうに鳴き、トッケイというトカゲがそのとおり「トッケイトッケイ」と必ず4回続けて最後に「ウゲゲゲ」と止める。』とある。
 椎名誠は「昭和軽薄文体」代表だから鳴き声のオノマトペが写実的かどうか知らないが、他の本でも「トッケイ」の鳴き声はそのようであるし、それを「トッケイヤモリ」と書いてあるものもある。
 私は知らなかったが、世界中では「鳴くヤモリ」は全く珍しくなく、沖縄のヤモリも鳴くし、「本土のニホンヤモリも小さな声で鳴くことがある。」と本にはある。この「赤ちゃん家守の泣き声」も聞いてみたいものである。

2011年8月15日月曜日

原発撤退を祈ってきた

 神社といえば普通は神楽だろうが、春日大社の中元万燈籠は唐楽、高麗楽等の舞楽(14日のみ)も奉納される。
 それも、宮中、天王寺と併せて三方の楽所(がくそ)といわれる南都楽所によるオーソドックスなものであるから・・・と書きたいのだが、今回の曲はあまり派手さのないものであったので、素人にはチョッと物足りないものだった。
 「この歴史の厚さ、ユーラシアの空を越えて来た広さが解からないから素人は困ったものだ。」というお叱りの声が聞こえてきそうである。
 
 大仏殿も開放されていたし、奈良公園の行楽客がものすごかったので驚いたが、夜間徘徊の不良少年みたいな鹿の足下からは秋の虫の音も聞こえ始めて樹上の蝉と競演となり、安上がりで楽しい夕涼みであった。
 春日の神々に彼の地の復興と原発撤退を祈って帰って来た。


2011年8月12日金曜日

煙三題

1 先日、妻の友人(先輩)が妻に「蝙蝠なんか見たことがない。」と言ったそうである。
 このお方は、そもそもが千早赤阪出身で、我が家のご近所に相当昔からお住まいだから、断固として100%そんなことはないのだが・・。
 “興味がないと・・見えてても見えない。”・・・これは昨年11月6日のブログに書いたとおりである。あらためて納得。
 そんな話を、煙もうもうのバーベキューをしながら妻から聞いていたら、頭の上を何十匹(何百匹?)となく蝙蝠が「出勤」していった。この空は先輩のお宅だって同じはずである。

 道行く人々は「お盆で子供さんやお孫さんが帰って来られたのでバーベキュウーやな」という思いで通り過ぎていかれる。誰もシニア夫婦だけでバーベキューをしているとは思いもしていないだろう。
 でも、シニア夫婦だけのバーベキューだっておかしくないですよね?

2 親鸞の教えからは“迎え火、送り火”の必要性は導き出されないはずだが、どういうわけか私の実父母は昔からこれを行なっていた。
 だから私も何となく「これをしないとお盆の感じがしない。」のでしてきたが、今年はチムニーを使って(オガラと茅の輪の茅萱を用いて)迎え火の行事を行なった。
 チムニー使用というこんなアレンジはおかしいですか?

 それにしても、陸前高田の「高田の松原」の薪が京都に送られた。五山の送り火側は不使用を決定。マスコミで批判が続出。五山側が使用に変更。しかしセシュームが検出。やはり不使用・・らしい。
 思うに、出来る限り被災地を応援したい気は皆おんなじだと思う。しかし、チョッとでも危険性のあることはしてはならない・・というのが「本質安全化」の思想でもある。
 「この程度は問題ありません。」という嘘を垂れ流してきたマスコミに裁判官面をして五山側が叱られることもないだろう。こんなことで、被害者たる国民どおしが分断されるのは悲しい。

3 私が実は蚊遣りが好きなことは昨年8月7日のブログに記述した。
 そして、今年新たに手に入れた蚊遣りは陶芸作家手作りの蛙の蚊遣り。
 この種の買い物。通常、妻は「また要らん買い物をして・・。」と臍を曲げるのだが、今回は、偶々いた息子も含めて「ええ作品や」と納得してくれた。
 夏は蚊遣りに使用して、冬はさり気なく何処かに飾ってみたい。 
 蛙キャラ好きの娘に持っていかれるかもしれないのが心配だ。

2011年8月9日火曜日

日本人少姐的記憶

 実母は明治43年(1910年)生れ。それは中国大陸では清のラストエンペラーの時代。翌年が辛亥革命。1世紀と1年前のことになる。
毎日のように蟹釣をしていた横浜橋

  そして、2月28日と6月23日のブログで触れたが、母はその幼少期を蘇州や上海で過ごしている。
 
 近頃の母は、その頃(大正初期)の上海の夢をよく見るという。
    
 住んでいたのは北四川路で、本を読むと日本人の上層部が住んだ高級住宅地と書かれている。

 日本尋常小学校は4階建てで校門にはインド人の守衛が立っていた(こんな立派な小学校は内地にはなかったのでは?)とか、競馬場や新公園(現魯迅公園)には大人は羽織と白足袋で行ったとか(これは遅れてやってきた日本人が一等国になろうと必死になっていた証し)、日曜日には虹口(ほんきゅう)マーケットで上海蟹を買って来てく
れて美味しかった(現在なら贅沢極まりないが当時はごく普通だった)とか、楽しい思い出が去来するらしい。中には、学校の帰りにフランス租界で迷子になり、言葉が判らず悲しかった思い出も少しあるようだ。

外灘(英語でバンド)


 そして何よりも、晩御飯用の豚肉をチョッとだけ持ち出して、近所の横浜橋(わんぱんじょう)周辺で毎日のように小さな蟹釣りをしてバケツ一杯にした夢を度々見るらしい。
 
 そういう話を聞きながら本を読むと、万博後様変わりした上海という都市が何の不思議でもなくなり、映画の宣伝にもあったようだが、この都市は、1世紀前から既に魔都であり、東洋一の大都市であったことが理解できる。

 今夜も、母の想い出はこの魔都の路地や運河を飛び回っていることだろう。願わくは、楽しい夢であって欲しい。 
 

2011年8月8日月曜日

セミセミ

 老人介護施設は当然に完全空調のため、よほど感性を研ぎ澄まさなければ季節感が得られないが、入所者の方はというと総じて反応する能力が低下していて、「刺激の乏しさ→意欲の低下」というような悪循環に陥りやすいように感じている。
 このため、無理やりにギラギラの真夏の庭に実母の車椅子を押し出してみたところ、開口一番「あ~あ 気持ちがいい」「部屋は寒かった」・・・だった。

 7月30日のブログに書いたが、ここの庭の木々の幹には、低い位置に油蝉がいっぱい留まっている。周辺の街路樹などには見られない異常さである。
 これはきっと、ダーウィン的な適者生存(説)などではなく、親ゼミが子ゼミに「マリア像の前では如何な人間でも蝉獲りはしないわ・・」と語り継いでいる結果に違いない。
 そして、それをいいことに今日もヒョイと油蝉を手で獲って建物の中に戻り、思いっきり羽を羽ばたかせるのを他の入所者のお目にかけたり、耳にひっつけるように鳴き声を聞かせたりして、正真正銘の夏をほんの少し感じていただいた。(これらは7月30日のブログの繰り返しである・・・)

 そこへ、中国出身のスタッフが入ってこられ・・・、
 「わ~ 美味しそう」
 「親になる前のを掘り出して揚げて食べるのよ」

 ☆*▽※@$!!! おおっ 刺激の乏しい、日頃ほとんど居眠りばかりの部屋に珍しい会話が飛交ってほんとうによかった。
 こんな雰囲気が続くことを心から望んでいる。だから、どこかにセミセミの玩具はないだろうか。

2011年8月6日土曜日

蜂の子ご飯と赤飯

 (社)農山漁村文化協会の著作物に「大和に特有な食べものに『小麦餅』がある。半夏生や『さなぶり』のころ、とりたての小麦を荒挽きし、もち米と一緒に搗いたものです。」とあったので、生駒谷の典型的な農家の娘であった義母の外泊の機会に「記憶の再現」を試みたが、「半夏生や『さなぶり』なんかせんかった。」「小麦餅なんか搗かんかった。」「そんなんは知らんなあ。」と言うばかりである。
 本の限りでは、紀州や河内の一部までも含む相当広範囲な地に共通の習慣であったようであるので、義母の実家だけがしなかったのか?義母の記憶の問題なのかは解からない。
 長男夫婦が土産に持ってきてくれた「さなぶり家のさなぶり餅」を、「知らん言うのは知らんのやからしゃあないな。」と親子で言いながら美味しくいただいた。(仮に調べてみて「生駒谷でもそういう習慣があった」となっても、義母が「知らんものは知らん」のではしようがない。)
 その代わりではないけれど、6月27日のブログに書いたが、アシナガバチの子を食べていたことはよく憶えているようだ。
 「蜂の子をお米に入れて、醤油をちょっと入れて炊きましたんや。」「だいこんなんかは入れへんかった。」「美味しかった。」そうである。話の具合では、お米やおかずに困ってやむを得ず・・というのではなく、楽しい料理の一種のようであった。
 誰か、「蜂の子ご飯」をご存知の方はコメントをお願いしたい。

 今日、孫の“食べ初め”で赤飯を炊いた。古い安物の電気釜だが立派に炊き上がった。「もち米は釜では上手く対流しないので蒸さなければならない。」という言葉を昨日まで信じていたが、日本国家電メーカーの実力には脱帽である。
 その実力を持ってしても制御できない原子力発電所は、「すぐには止められない。」などと麻薬患者のようなことを言わずに早期に撤退すべきではなかろうか。
 孫の食べ初めに当って、青臭いと言われようがひとこと言っておきたい。

2011年8月3日水曜日

今こそ鎮守の森

 大地震と津波から思い出した本がある。
 5年ほど前に一志治夫著「魂の森を行け」という本を読んで、そのノンフィクションの主人公である宮脇昭氏に興味が湧き、続けて宮脇昭著「鎮守の森」(何れも新潮文庫)を読んだ時に、「この人の言っていることは本当だ」と感覚的に思った・・という記憶である。(違和感のある箇所が全くないわけではないが)
 この本は、あえて一言で言えば「その土地本来の森は火事にも地震にも台風にも耐えて人々を守ってくれる」と確信した“行動する学者”の記録である。

 丁度その本を読んだ後、私の通勤路にイオンが建設され、開設前に建物の周囲に植樹が行なわれたので、喜んで参加して正に宮脇方式の混植をこの手で行なった。(具体的内容は本を読んでもらいたい。)

1 素人が植えた森

 そして、時が過ぎた。
 乳幼児が適当に植えた木々を含めその植林帯は、森とまでは言えないまでも、ほとんど全く人手をかけぬまま見事に成長している。(写真1)

 そしてそして、あまりに見事な皮肉であるが、その前の緑地帯を管轄する市は、宮脇氏が否定的に著書で紹介したとおりの芝生とツツジを立派な造園業者に植えさせたのであるが、芝生の雑草は毎年数回にわたる相当な管理維持費の支出を想像させるに余りがあり、そして、ツツジの現状は写真2のとおり貧相なものとなっている。

2 本職が植えたツツジ

 私はほぼ毎日この光景を比較しながら見て歩いており、その度に宮脇理論の正しさを再確認している。
 前著の「中見出し」の「死んだ材料は時間とともにダメになる」や「都市の周りの森林を破壊したとき、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく」は、示唆に富んでいる。

 東北は自然豊かと言われてきたが、よく見れば津波の地域は人工的な田圃やハウスや住宅ではなかったか。復興対策の中から「防災林を造ろう」という声が聞こえてこなくていいのだろうか。
 なお、理性的に考えれば考えるほど、防災林でも防げない原発は早期に撤退すべきだと考える。孫の顔を見るたびにそれは確信になっていく。

2011年8月1日月曜日

香具山は何も語らない

 「朱花(はねず)の月」。2011カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式招待の河瀬直美監督作品。
   遠い昔、大和三山を男女に見立てた歌があった――
   香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき
   神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も然(しか)にあれこそ
   うつせみも 妻を 争ふらしき     『万葉集』より
は、その宣伝パンフの一部である。
 ところで、この中大兄(後の天智)の歌から三山の三角関係を解説するのは、実はそれほど簡単ではないらしい。
 以下は、私の好きな上野誠先生の「大和三山の古代」(講談社現代新書)のつまみ食いであるが・・・
 「雲根火 雄男志等」は「畝傍を惜しと」ではなく「畝傍 雄雄しと」(漢字(万葉仮名)の選択(文字表記)には意味があると考える)との説があり、「畝傍を愛しと」(ほとんど否定されているが)の説もある。
 「嬬乎」の「ツマ」は「男女ともの配偶者」である。
 「かくにあるらし」「然にあれこそ」では、万葉集のツマ争いは二人の男性が一人の女性を争っているのが多い。(ただし、それだけのことである。)
 なお、連想される額田王の天智、天武を巻き込んだ有名な「野守は見ずや君が袖振る」の歌は、現代では“恋歌ではない”というのがほぼ定説である。云々 云々
 このほか、反歌を含めて膨大な検証をされた上で氏は、・・・
   香具山(男性)は畝傍山(女性)を横取りされるのが惜しいと
   耳成山(男性)と争った・・・・
   ――神代からこうなので
   ――いにしえもそうだった
   ――今の世も妻を争うらしい
   ――(まして、自分も)
だと、解されている。

 しかし、その時代の共通の情報、常識的知識がどうであったのかは結局は解からない。そして、歌は、そういう当り前の常識を省略して歌われているのである。(このことも著書の中で解説されている。)
 また、「アブノーマルな三角関係を歌っているからこそおもしろくないか」と考えると、そもそもの各種前提が瓦解する。結局は氏の著書を読んでも100%は解からない。
この山が男性に見えますか、上野先生
(藤原宮側から天香具山をのぞむ)

 ・・・で、妻と一緒に藤原京の故地にいる孫の顔を見に行ったついでに大和三山を眺めなおしてみた。
 その結果、我が夫婦が到達した意見はというと、・・・
   香具山は見た目がずばり女
  性である。
   結果的に畝傍は男性である
  し、見た目もそうである。
   耳成もなかなかスマートな女
  性である。

という、上野誠説とは正反対の全く非論理的なものだったが、この結論に妙に二人とも納得した。
 見た目の方が学者の屁理屈(失礼)より重いのではなかろうか。
 そして、三角関係にノーマルもアブノーマルもありはしない。
 神代も、古も、現在も、・・・ 
 ・・妙に二人とも納得した。・・おおこわ・・・