2024年5月17日金曜日

食の保守性

   インバウンドの中国人がラーメン店に行列をなしていることは以前に書いたが、それは名前こそラーメンではあるが全く中華料理を飛び越えた、あえて言えば異国料理なのだろう。
 
 だいたい、もう大昔になるが、アベ地下で古潭のラーメンを初めて食べた日は私も驚いた。いわゆる札幌ラーメンは新ジャンルに思えた(だいぶ昔のことだが)。
 だから、「中国人がラーメン店とは」という言葉遊びはおもしろいが、この現象には納得している。

 ところが今日の本題。・・いわゆる本場風のカレー専門店の店の前に、如何にもインド大陸周辺と想像できる人々が並んでいるのには少し驚いた。
 「わざわざ海外旅行で日本にやってきてカレーですか?」と尋ねて見たかったが、きっと和食などでは物足りないのだろう。
 それにインド大陸は西ヨーロッパよりも広いのだから、インドだとかインド人と一括りにして考える我々の方が間違っているのかもしれない。

 それにしても、それほど食の嗜好というものは保守的なものなのかもしれない。
 私だって、奈良の中心街だからといって茶粥を食べるでなく、海なし県のど真ん中で日本海を売りにしているお鮨を食べて満足したりしている。

 昔フランスとイタリアの労働組合の代表を近畿一円の職場などに案内したことがある。
 夜には毎日その地の当方の組合員との交流会となったが、何日かして、フランスの代表は「ビールでなくワインを飲みたい」と言ったし、イタリアの代表は懇願するように「肉を食べたい」と言ったのを思い出した。

2024年5月16日木曜日

ツバメ

   5月5日の「雛を拾わないで」に書いたとおり、バードウイーク(野鳥の子育て)の真っ最中だ。
 写真は撮れていないが奈良公園にキビタキの美声が響いている。ほぼ毎年この時期に奈良公園に行くのは夏鳥をウオッチするためだ。

 土産物屋の軒先ではツバメが子育てをしていた。
 その写真をスマホで撮っていると、店のおばさんが、「スワロー、ベビー、ノーフラッシュ」と私に注意した。
 元々ノーフラッシュだから何ということはないが、今の奈良市周辺の基本語は英語らしいことに変な気持ちになった。

 そもそも私は中国人か韓国人に見えたのだろうか。それとも、日本人的な東洋人であったとしてもとりあえずは英語なのだろうか。まあ、それほど昨今の奈良の中心街では日本人が少ない(珍しい)ということだろう。
 なお、あえて記しておきたいが、その時のおばさんの目は東洋の外国人を見下したような目に見えた。私の勘違いなら良いが。

 それはさておき、東大寺の戒壇堂に行くと、歳いった職員二人が長い棒のハタキを振り回していた。
 「はて、今日は戒壇堂のお身拭いの日だったか」と思ったが、実は堂内に巣を作りに来た?2羽のツバメを追い出そうと悪戦苦闘中だった。で、私も「あっちへ行った」「こっちへ回った」と声で加勢したが、ツバメは外に出ず、結局二人の職員がヘロヘロになって作業中止となった。
 「ハタキで追うよりも網で捕まえて外に出したらどうですか」と言って外に出たが、こういう場合、自然保護(ツバメの子育て)を優先すべきか、文化財保存(古寺と仏像)を優先すべきか、何が正解かはわからない。
 〽ツバメはSDGsを歌っているというのだが。

2024年5月15日水曜日

近藤勝重さんに学んだ

   近藤勝重さんの訃報が伝えられた。毎日新聞客員編集委員 MBSラジオの「健康川柳(幸せの五七五)」の近藤師範。
 毎日新聞の購読者でもない私にはそれほど近い人ではなかったが、「健康川柳」のラジオで知った著書『60歳からの文章入門』を購入した一読者である。

 その本の文章の技術や文法についてはほとんど頭の中に残っていないが・・
 『当たり前のことに疑問を抱くことが「考える」ことのはじまり』だとか、
 『5W1Hでは足りない。6Wつまり、WOW!(ワオ‼)という、素直に驚き感動することが大事』という示唆は心に響いた。

 退職と同時に親の介護に突入したとき、「このままでは人生が終わってしまう」という感覚をどうにか乗り越えようとブログを始めたが、親の介護(結果として実母と義母の長期間)の日々は単調で、ある意味同じことの繰り返しのため「書くことがない」という気分になったこともあったし、それは介護の終わった今もあるが、そんなとき・・
 「WOW!と感動する心が疲れ切っている」「ほんとうはいっぱいある疑問が見えなくなっている」と自身にイエローカードを振り上げるようにしている。近年のそれは近藤勝重さんのお陰である。

 残念ながら川柳は捻ることができないでいるが、近藤さんからの「ジャンルは何でもいいから、書くことで人生が前向きになる」「書き続けることが、生きた証になる」との言葉を日々噛み締めてブログを更新し続けている。

 享年79歳、若すぎる。

2024年5月14日火曜日

匂蕃茉莉

    庭にニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)が咲いてきた。   
 名前の由来は、匂い(香る)蕃(外国からの)茉莉(ジャスミン)という。その名のとおり芳香がするのが特徴。
 わが庭のこの木の年齢はもう忘れたほど古いのだがそれほど大きくはない。
 その理由は、寒さに弱く特に雪や霜を被ると大打撃を受けるからである。

 「人間には失敗はつきものだが、同じ失敗を繰り返すのは馬鹿だ」と先輩に諭されたことがあるが、毎年毎年「雪が来る前に雪対策をしなければ」と思いつつ先延ばしにしたりしていて、結局、木の大半が凍傷のようになって半ば枯らしてしまってきた。
 「もう完全に枯れてしまった」と何回も思ったが、根の一部が残っていて今日がある。丁寧に対策をしていれば今ごろは大木とまでは言わないがけっこうな木になっていただろう。

 その木が、今年は思いのほか花をつけてくれた。
 この冬わが街ではほとんど積雪がなく、さらに、周りのベニカナメの中に隠すように育てたのがよかったのかもしれない。
 また、かかりつけの医院でも咲いているし、FBでも写真が載っていたから、今年は開花も早いかもしれない。それらをひっくるめると、地球温暖化のせいかもしれないので、ちょっと心は複雑でもある。

 花は紫色から白色に変化していく。それが風情だと書いてある文章も少なくないが、私には色あせていくというマイナスイメージが勝って風情というのはどうかなあとは思っている。
 地球温暖化のことは日を改めて書かねばならないが、今日に限ってはそれを忘れて、久々のニオイバンマツリの満開を楽しもう。

 蛇足ながら、ジャスミンやエゴノキや栗の花などの過ぎたる香りは少しお許し願いたい。

2024年5月13日月曜日

壮大な無駄か

 
   後期高齢の爺さんがここ何十日もああでもないこうでもないと悩んでいたのだ。
 それは、天下国家とは全くと言ってよいほど関係のない問題。ただ「クス玉」をどうするかで悩んでいたのだ。
 こんなことで限られた(人生の)時間を費やしていてもよいものだろうかと気が滅入りそうになるのを我慢して考えてきた。

 課題(問題)は単純で、『壁際にしか支点(吊るす器具)がない会場でどのようにしてクス玉を吊るすか』である。ただし、支点(吊り看板の一部)はかかる力によって歪に前方に動く可能性がある。
 それに、会場自体にフックなどの打ち込みはできない。
 会場に持ち込み、持ち帰りするので仕掛けは組立式かなんかで軽量でコンパクトな仕掛けでなければならない。
 と同時に、中には錘(おもり)も入っているし、何人もの人で下に引っ張るのだから頑丈である必要もある。
 そして費用はかけられない。 

 ということで、今回は別にホームセンターに行くでもなく、ただただ回らない頭の中でいろんなパターンを考えては捨て、考えては捨ててきた。
 木製でいくか、針金の太いヤツでいくか、軽さと強度の兼ね合いは・・などなど。
 それがようやく出来上がった。
 軽量の組み立て式で、費用はわが家の廃材などで済ませて0円で収まった。

 「方法がないならクス玉は中止しよう」という声もあったし、今もほんとうに何人かで引っ張る力に耐えられるかどうかということもあるにはある。そして成功しても皆は「あっ、そうか」できっと終わるだろう。
 そのために費やした時間と気力を「壮大な無駄」と思うかどうかはどうでもよい。
 そんな爺さんも一人ぐらいはいてもよいではないか・・と、自分自身を慰めている。
 (仕掛けは写真のさらに上にある)

2024年5月12日日曜日

祝園弾薬庫

   11日に『祝園(ほうその)ミサイル弾薬庫問題大学習会』があった。 近頃では珍しいほどの大人数だった。
 「世界中がきな臭いからやむを得ないのでないか」という世論?以上に、「世界中がきな臭いからリアルに危険でないか」という「常識」が広がっているようだ。

 祝園弾薬庫は大阪、奈良にも接している。周囲は学術研究都市で国立国会図書館関西館をはじめ各社の研究施設や大学が並んでおり、その間には大規模なニュータウンと呼ばれる住宅街が広がっている。
 ここを国内最大規模の弾薬庫に拡充しようというのだから、岸田内閣の気が知れない。

 「日本列島はアメリカの不沈空母だ」と言ったのは中曽根康弘だったが、ズバリ、アメリカの兵器を爆買いさせ、アメリカ兵に代わって最前戦に日本人を並べようというもののように思う。ウクライナがそうなっている。

 イスラエルの戦争ではロケット弾が目立っている。
 「敵基地攻撃論」は相手側からすれば弾薬庫破壊が有効ということになる。つまり一般住民(非戦闘員)が死ぬということだ。

 こんな政治を日本国憲法は許していないはず。
 先ずは下記の近畿中部防衛局に住民説明会を求めるオンライン署名にご協力を!
 https://chng.it/FBtqhgJkmQ

2024年5月11日土曜日

続地方自治法改定案

   一昨日の続きだが、この改定案の岸田内閣の「言い分」のひとつは、能登半島の地震をあげて「大規模災害に効果的に対処する」 と一見合理的に見えるが、これも実態を分析して語る必要がある。

 正月に書いたとおり、1月1日、息子の家族は石川県にいた。その息子ファミリーの報告では、翌日、クルマで関西に帰る高速道路の反対車線は各県(自治体)の救助隊の車両がひっきりなしに走っていたという。それはテレビのニュースでもご存知のとおりのことだが、私がここで言いたいことは、各自治体間では相互の支援体制が元々議論されており、あえて言えば「お国のご指示」がなくとも、広域体制で迅速に対応されていたというはっきりした事実を指摘しておきたい。

 それでも水道事業等の復旧が遅れているのは、公務員の人員削減を最優先に推し進めてきた国の政策による予算と人員の絶対的不足、疲弊こそが一番の問題であろう。
 内閣自身が「大臣の現地入りは控えろ」と言ったような、あえて言えば「復旧しても採算の取れない田舎は見捨てておけ」とでも理解されるような国の姿勢こそが問われなければならない。

 事実、予算が天井知らずに膨れ上がっている万博や、敵基地攻撃能力のためのミサイル配備など、さらにはアメリカの武器購入の約束など、災害復旧の邪魔をしているのが岸田内閣と言わなければならない。

 そもそもこの政策の議論の元となった第33次地方制度調査会では、「非平時」に着目した地方制度の在り方が議論されていた。
 「非平時」が「戦時」の言いかえだと推測するのは常識に属することだろう。
 この問題をわざわざ2回もブログに書いた問題意識はここにある。
 憲法改正議論の中で自民党など改憲勢力は、「非常事にあっては法律の効力停止」という非常事態宣言条項の新設を声高に主張している。
 「非平時」には地方自治体を上から国が指示するという地方自治法改定案は、実質的にそれの先取りとなる。よって大きな声で反対の声をあげていきたい。

2024年5月10日金曜日

ノダフジは右巻き左巻き

   先月、野田ふじ巡りの遠足に行ったことは以前に書いたが、その日、ガイド担当のUさんが立派なテキストを作ってきてくれて、その中で「牧野富太郎は、蔓(つる)が右巻きを「ノダフジ」、左巻きを「ヤマフジ」と決めた」と教えてくれた。
 
 ところが私は、折角の機会にそれを実際に確かめもせずに帰ってきて、後日Uさんと語らうと、牧野説の右巻き、左巻きの言葉の定義には多くの異論があり、最新の文部省の説では左右が反対になっているとのことであった。

 そんなことで、わが家の朝顔(西洋朝顔)を確かめてみた。それは写真のとおり、私の見た正面では左から右に伸び、支柱に対しては左に回り込み、根のほうから見れば時計回り(右巻き)で螺旋状に伸びていき、それを上から見れば反時計回り(左巻き)にも見える。この場合、問題はどこから(視点)見るかであろう。
 そして私は「朝顔は左巻き」と昔から信じていたが・・・。
 同時に、普通のネジは起点(頭)から見て右回りで進むから右巻き、「人は右」の交通ルールも起点から進行方向に向かって右、河川も源流から向かって右岸、左岸、・・で、ならば、これは右巻きではないか。(昔は「朝顔は上から見て左巻き」だった)

 ただ、北半球の台風の風は見えない上空から見たとして左巻き、さらには運動場(トラック)は見ていて左から右に走るのが左回り、・・・え~い、日本語、しっかりせい。これは植物学の問題ではなく国語の問題らしい。

 結論的には、写真の朝顔は、私の正面でいえば左から右へ右肩上がりで成長しているから、普通のネジが下から上へと進むのと同じで答は「右巻き」。あえて言えば「左回り(トラックを想起)の右巻き」だろう。重ねて言うと朝顔は「右巻き」。

 それでいうと牧野説は答が反対になっているからノダフジは「左巻き」となるが、遠足では昼食の準備のことなどを考えて勉強もせず未確認のまま帰ってきた。後で気がつくナントカである。Uさん、これで許してください。

2024年5月9日木曜日

地方自治法改定案

   岸田内閣は、感染症対策や大規模災害対応などを理由として、国が自治体に「必要な指示」ができるよう、地方自治法の一部改定を狙っている。
 
 それを知って私は先ず、コロナ当初の騒動を思い出した。連日テレビが「医療崩壊が起こるから37.5度以上の発熱が4日以上続くまでは医院に行くな」とアナウンスしていたことである。
 そういう報道の結果、重症になった人、自宅で亡くなった人が出てくると、日本医師会釜萢副会長がテレビ番組で「4日も続けば医院に行けという趣旨であって4日以内は行くなとは言っていない」と説明した。
 あの当時のテレビの世論へのリードを客観的に見ると、釜萢氏の発言は事実に反する。もっと言えば自分たちがリードしてきた結果責任を避けるために、言い換え、さらにいえば嘘を言っていると私は感じた。
 もしテレビ局がミスリードしていたというならば、テレビにいくらでも登場可能な専門家として、後に語ったようなことを種々の方法でそれ以前に指摘すべきであった。
 感染症を持ち出しての地方自治法改定の話は、以上の私の記憶からも「非常に胡散臭い」と感じている。

 そもそもの2020年2月のダイヤモンド・プリンセス号にしても、自治労連が編集した「証言」によると、2月4日午後10時ごろ厚労省から自治体へ「陽性患者10名をこれから搬送をお願いしたい」とあり、職員が残業で対応している11時ごろ「下船のリスクが高いことから搬送中止」と連絡があり、職員がいったん帰宅すると、一転して「5日早朝に下船させるので入院先を調整依頼」との連絡があり、職員は一睡もできないまま午前5時に県庁に集合して対応にあたった。
 その結果、横浜市や神奈川県の要請を受けて各自治体も受け入れ、もちろん、対応を拒否した自治体も全くなかった。

 総務省の強い人員削減の指示でマンパワーが不足していた自治体は、多くの情報不足の下でも懸命に仕事をしてきたわけで、反対に方針そのものが迷走していたのは国である。
 その国が、感染症対策には自治体に強い指示(地方自治法改定)というのは全く正反対で、先に私が感想を述べた釜萢発言の再放送を見る思いでいる。
 結局「敵は本能寺」で、沖縄県の辺野古基地問題のような地方自治を強権で押しつぶしたいのだろうから、この地方自治法改定は許してはならないものだろう。
 ※ 余談ながらネットを見ると、日本医師連盟は釜萢氏を次の参院選に擁立し、自民党に公認申請したそうだ。(この記事は、赤旗の『ゆがめられた立法事実』を参考にした)

2024年5月8日水曜日

わが家は雑木林

   友人のUさんから時々LINEで写真が送られてくる。
 行動派のUさんらしく、近畿一円の野山の花やキノコなどの美しい写真が多く、出不精の私は羨ましく感心して眺めている。そこで、今日は私から1頭の蝶の写真をお返しに掲載する。

 5月6日、珍しいタテハチョウを見つけたのでスマホでパチリとしたもの。名前が解らないので子供用の図鑑を引っ張り出した。
 答はサトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰蝶)。図鑑の説明では、① 都会では見られない ② ササ、タケの多い雑木林でよく見られる ③ 早朝と夕方によく飛ぶ ④ 花の密は吸わず樹木の樹液を吸う ⑤ 樹木の太い幹に羽根を立ててとまる とあった。・・説明文に全く疑問はない。
 ただそれだけで、知らなかった蝶の名前が一つ増えただけの話でおしまい。

告朔の餼羊

   先輩のスノウさんから教わったことを書くと。・・孔子先生は次のようにおっしゃった。「子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊を愛(おし)む。我はその礼を愛む」と。

 これを高橋源一郎訳から摘むと、・・「神様とか祭りとか祈りというのは・・峻厳(しゅんげん)なもので、そのことを理解するためにどうしても犠牲を必要とする。そのことを含めて礼というのだから、私(孔子)はそういう礼の考え方をとても大切に思う」。

 さて、これはきっと正解なのだろうが、どうも現代の課題についてはしっくりこない。
 なので曲解といわれるかも知れないが、これを私(長谷やん)は、「古くから伝えられている行事などは、害が明らかでない限り、できるだけ大切にしよう」と理解している。

   ということから、5月5日の端午の節句では、菖蒲湯からあがる際に菖蒲を1本抜いて鉢巻きをして邪気を払うのがわが家の慣わしである。
 これは商業主義(金儲け)や権力におもねる行事とは思えない。
 もちろん、邪気などというのは科学的ではないが、反対に、歴史を学び理解するためには「慣わし」など年中行事を、現代の常識でばっさり斬って捨ててしまったのではその神髄に迫ることができないとも考える。
 なので私は、菖蒲の鉢巻きをして歴史に思いをはせるのである。

2024年5月7日火曜日

どこか懐かしい

   『物語 江南の歴史』を読み終えた。「江」は「長江・揚子江」。
 
 中国の歴史というと北の中原を巡る攻防が多く、どちらかというと、さらに北や西の遊牧民族と漢民族の対立、あるいは遊牧民族が中原に覇を制して後自身が漢民族化していく歴史が多かったが、・・それはそれで面白かったが、・・今回、もうひとつ主流になり切れなかった江南の歴史も読んでみて面白かった。

 日本列島だって北から南までそれぞれ独特の文化があるが、中国のそれはやはり桁が違う。中国に限らず、それが大陸の国家なのだろう。

 個人の感想だが、中国の政治は北方、文化は南方。「南船北馬」は旅の話では終わらない。
 その南方、江南は日本と同じモンスーン気候の色合いが強いせいか、私にはどこか懐かしい香りがした。

 これまで、少しユーラシア大陸に注目して本を読んだりしてきたが、この読後、少しバランスを正しく振り戻せた感じがした。

2024年5月6日月曜日

5月5日は敬老の日

    2日前に孫の夏ちゃんから「5日にBBQをしてほしい」と注文が入った。
 そのため4日に、近所で評判の精肉店に出かけた。
 連休の中間でもあるからそれほど混んではいないだろうと朝一で出かけたが、BBQ用の精肉を求めるご同輩たちで既に40分待ちという状況だった。
 昔はどういう訳か「BBQは夏」というような雰囲気があって5月の連休にBBQをするのは少数派だったが・・・・・。時代は正しく変化している。

 それからは、半年間ほどほったらかしにしていたBBQテーブルのメンテナンスなどもして、夏ちゃんの期待を裏切らないレベルのBBQ大会と相成った。
 写真の中のカンテキ(七輪)に乗っているのは鞘ごとのソラマメ。これも大好評。

 ということで、5月5日は楽しい敬老の日となった。

2024年5月5日日曜日

雛を拾わないで

 5月5日は立夏。10日からは愛鳥週間で、季節の話題。   
 カラスの子育て中は気をつけろと言われるが、昔、東京に出張したときに、繁華な飯田橋の交差点でカラスが低空飛行をしてきて威嚇されたことがある。近くの電柱に巣を作っていたのに、私が巣に向かう感じで陸橋を登っていたからで、ここのカラスはテレビのニュースにもなった。 

 さて、5月4日は家の近くで朝からカラスが異常にガーガー騒いでいたが気にも留めずに買い物に出かけた。そして帰ってくると、隣家の玄関先に小振りのカラスがいて、アレッと見ると電線に2羽のカラスが異常に騒いでいた。
 ああ、十分飛べない雛にこちらに飛び立つよう促しているのだなと思ったが、見ると親ガラスは明らかに私に向かっていた。
 異常にガーガー鳴くと同時に、電線を、これも異常にドラミングして音を立てて、さらには何回か私の頭上を騒ぎながら旋回し、さらにさらに、私が移動すると追いかけるようにやってきた。
 明らかに、雛に手を出すな! 変なことをすると許さないぞ! と私を威嚇している。カラス天狗の面容だ。あのクチバシで突かれたら大怪我まちがいない。

 私は、怖いからというよりも、愛鳥週間(バードウイーク5/10~5/16)の頃は雛が巣から落ちることがあり、その場合、「雛は拾わないで!」が鉄則だから、私は素知らぬ顔で移動した。
 その内に、大騒ぎの声は他所へ移ったから、雛は少しずつ移動したようだ。

 ヒッチコックの映画「鳥」でもない、たった1羽のカラスの雛騒ぎだが、子を思う母というか、カラスも人間に対して面と向かってくるのはけっこう恐ろしい。
 重ねて言うがこれからバードウイーク前後、「雛は拾わないで!」が正しいらしい。
 万が一拾ってしまうと人間の匂いがついて親鳥は子育てを止めるという。
 「猫に食われたらどうする」という反論もあるかもしれないが、「それも自然だ」というのが野鳥の会などの見解である。 

2024年5月4日土曜日

晴れた5月ながら

   5月3日の朝に、退職者会のパーティー会場に電話をして「設備の確認に寄せてもらいたい」と少々強引にアポをとって大阪市内の会館に出かけて会場に行ってみたが、私の大ポカで、宴会場ではない会議室の方のアポだった。宴会場は全部クローズのため誰もおらず、フロントでは開錠も不可能だった。
 自分のミスでもあったから、精神的にドッと疲れが出た。
 もちろん、私の確認したい設備のことはフロントでは何もわからなかった。・・・で、ココロの疲労回復のため外で小ジョッキを一杯服用した。

 午後からは「総がかり」の憲法集会とパレードに参加した。
 こちらの方はメーデーの悪天候とは打って変わっての快晴で、途中で眼がハレーションをおこして(近頃はしばしばこういうことがある)クラクラして日陰に一時避難したが、パレード(デモ行進)も最後まで完歩した。
 写真の『ポスター』は、地下鉄扇町の後方から会場に来た人には全く配付されなかった。私の周囲でも持っていない人が多数いた。もしかしたら、主催者の見込んでいた人数よりも多数の参加者があったということ? もしそうなら嬉しいことだが。
 集会とパレードは、精神にはダメージはなかったが、体の方は疲労困憊。ヨタヨタとわが家に辿り着いた。

 疲労困憊の自分自身を褒めてやりたいと、唯一の「成果」を確認すべく体重計に乗ってみたが、kg単位でいえば全く減量にもなっておらず、再び精神的疲労が湧いてきたので、柏餅をほおばった。24年5月3日。ふ~。

2024年5月3日金曜日

今春も七十五日

   4月30日に我々ファミリーは七十五日寿命が伸びた。「初物七十五日」は真理だと信じている。
 だから、常々旬の初物を大事にしている我々は、もう不老不死に近づいている。

 さて、孫の凜ちゃんに「ご飯は何が好き?」と尋ねると「豆ごはん」と返ってくるので『ウスイエンドウ』は家庭菜園で育て甲斐がある。 
   ほんとうはもう少し待って実らせた方が良いのだが、待ちきれずに一部収穫して、お初の「豆ごはん」を炊いたのが4月30日。もちろん、凜ちゃんが「ボーノー!」と言ったことはいうまでもない。

 このウスイエンドウ、元々は羽曳野市のウスイ地区が原産で、現在の主たる産地は和歌山県であり、東京では馴染みが薄いらしい。
 だから見た目から「グリーンピースの炊き込み」みたいに誤解されていて、こういう「豆ごはん」は美味しい料理として知られていないという。
 こんな美味しいものを不思議なものだが、全国に認知されると値上がりしたりするから、こっそり関西だけで楽しんでおきたい。

 サンマもこっそり日本人だけで楽しんでおけばよかったものを・・というのは穿ちすぎか?

 (話は逸れるが、「サンマが美味しいということを海外にまで知れ渡るようにアナウンスしすぎたから中国や韓国が大量に捕獲して日本の漁獲量が激減した」という上記の私の文章はほんとうのジョークである。そして、こういう風にマイナスイメージの話に「穿ちすぎ」と例えるのは国語の「誤用」で、穿つというのは、深い観点から本質を言い表すという風にプラスイメージで使用すべきだという正しい指摘がある。一方、言葉も日々生きていて、こういう「誤用」が今や「正解」にもなりつつもあるという指摘もあるのがおもしろい。・・これは日本語のはなし) 

2024年5月2日木曜日

5月3日というと

   1946年11月3日に公布された日本国憲法が施行されたのが1947年5月3日。この5月3日は日本国憲法の喜寿のお祝いの日だが主人公は近年満身創痍の感がある。
 それらについては多くの人々が語るだろうから、今年私は少し角度を変えて「赤報隊事件」について書く。
 書くと言っても微妙な問題でもあるので、小林よしのり、有田芳生 共著『統一協会問題の闇』(扶桑社新書)第3章 教団の武装化路線と権力中枢への侵略 で有田氏が語られている(と記述されている)ことの紹介(つまり引用)である。よって、後は各自で考えていただきたい。

 🔳 今から37年前の1987年5月3日憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局が襲われ、小尻記者が散弾銃で殺害され、犬飼記者が重傷を負った。
 5月6日、共同通信と時事通信に「赤報隊一同」と名乗る犯行声明が届き、1月に朝日新聞東京本社を銃撃したことを明らかにするとともに、「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と宣告した。
 9月24日には朝日新聞名古屋本社の単身者寮が散弾銃で銃撃され、「反日朝日は50年前にかえれ」と記されていた。
 その後も、朝日新聞静岡支局に爆発物を仕掛けるなど、赤報隊事件は1990年まで続いたが、犯人は検挙されず2003年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立した。
 
 犯行声明に着目した警察は、犯人を右翼、あるいは新右翼と見て捜査していたが、実は同時に別の「線」も見ていた。それが統一協会と国際勝共連合だった。

 1987年当時、朝日新聞や朝日ジャーナルは霊感商法を追及するキャンペーンを張り、教団側は朝日新聞を批判する大量のビラを駅前で撒いたり、すでに戦争状態に突入していた。

 阪神支局が襲撃された3日後の5月6日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済みの薬莢2個と脅迫状が同封された封筒が届き、脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 同封されていた薬莢は阪神支局銃撃で使われたものと同じレミントン社製で、口径も散弾の大きさも同じものだった。実際の犯行に使用された銃弾は米国製で、脅迫状に同封されていたのは日本国内でライセンス生産されたものだった。

 重要なことは、銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道されるより前にこの脅迫状は投函されていた。また消印は統一協会本部のある場所である渋谷局だった。

 有田氏が持っている警視庁公安部の赤報隊事件の捜査資料には、統一教会の信者52人の名簿があり、本籍、現住所、勤務先などが記載され、何人かには、「勝共」「非合法」「軍事組織」と書いてあった。
 さらには、「元自衛隊員」「統一協会軍事組織」とか、「統一協会軍事組織所属」「山の中で射撃訓練」とまで書いてあった。

 有田氏は、彼らは輸入された空気散弾銃を所持しているか、禁輸後も輸入され続けた単発の空気銃を所持しているのではないかと睨んでいる。🔳

 別のページの空気銃については以下の記述がある。

 🔳 実は、統一協会(韓国?)はオウム真理教と同じように「武器」を製造していた。
 「統一グループ」のなかに「鋭和散弾銃」という製造部門を持ち、後に「統一重工業」に社名を変えた。さらに1968年にはこの会社の製造した「鋭和BBB(ビースリー)」という空気散弾銃を、日本の勝共連合と密接な関係にある「幸世物産」が2500丁輸入していた。🔳

 この件での後藤田正晴警察庁長官の国会答弁(国会議事録)

 🔳 幸世物産と勝共連合というのは極めて密接な関係がございます。・・2500丁の空気散弾銃が輸入をせられた。・・・問題は、こういう銃砲刀剣類所持等取締法の対象になる銃砲というものは、狩猟の用具にするとか、・・競技の用とか、それぞれ目的が決まっているわけですね。その目的に照らしてこの空気銃が果たして適正なものかという点に私どもは疑問を抱いたわけでございます。・・・したがって、第2回目以降は輸入を禁止するということで処置をしたわけでございます。
 ところが今度は、輸入業者のほうは、猟具で駄目なら、それじゃ競技用でどうだ、こういうことを私のほうに言ってきた。・・しかし空気散弾銃の競技というものはどこにもないじゃないかということで、・・この空気散弾銃を認める意思はございません。🔳

 有田氏 🔳 ところが今度は、統一協会の銃器メーカー「鋭和散弾銃」は、単発の空気銃を製造し、名前を「鋭和BBB」から「鋭和3B」に変えて、1970年から1975年にかけて1万5700丁輸入された。幸世物産は統一産業に名前を変えていた。

 これは、一般的な空気銃の3倍以上の威力(殺傷能力)があり、・・全国に直営店をつくり、信者向けに販売されていた。🔳

 本日の記事はこれで終る。
 ニュースが「大量消費」される時代だが、忘れてはならないこと、現在に通じている事柄はいろいろある。
 裏金問題などで統一協会問題が薄れていくようだが、根っこは濃厚に繋がっているように思う。

2024年5月1日水曜日

日曜日の朝

   才能なしの私自身はどうしても理屈っぽい散文になってしまうのだが、まずは4月28日(日曜日)の朝日歌壇でう~んと唸った2首を紹介

 一つ目は永田和宏選・馬場あき子選

 「お」と打てば「お世話になっております」と出てくるあわれ職場パソコン(西条市)村上敏之

 二つ目は高野公彦選

 新人は三月(みつき)経(た)たずに腰痛め急募途切れぬ介護の現場(酒田市)朝岡剛

 次いで同じ日の朝日俳壇で気分が良くなった1句

 大串章選

 山寺に酒豪姉妹や山笑ふ(戸田市)蜂巣厚子

 こういうのを見つけると1週間が嬉しくなる。皆さんの感受性に乾杯!