2020年10月31日土曜日

大阪市民の住民サービスは確実に低下する

   大阪市廃止条例に「反対」を!という宣伝行動があった。主に税理士の方々が大阪市廃止・4特別区案が如何に財政的に成り立たない案であるかを訴えられた。財政的に成り立たないとは「住民サービスが低下する」ということである。

 維新はこの問題が余程”痛いところを突かれた”らしく、衆議院本会議で内容に反論もできずに「毎日新聞が大誤報」と攻撃し、松井市長は財政局長に、財政局が出した資料を「ねつ造」だったと記者会見で言わせた。

 ほんとうに大阪市の財政局長が誤報、ねつ造したなら前代未聞の大事件だが、常識的に考えてそんなことはありえない。

 財政局の試算は、総務省が提供している基準財政需要額の政令市用の計算式を活用して、単純に大阪市を4つに分割した場合の試算で、事実そのように述べている。そもそも「特別区」の基準財政需要額を計算する式が存在しない(正しくは存在しているが公表していない)ことをもって、この試算を「ねつ造」と非難することはまったくの筋違いだ。

 市長がみずからに都合の悪い資料を出したからといって、幹部を追い詰め、見解をひっくり返させ、すべての責任を押し付けるなど、森友事件とそっくりのあるまじき行為である。

 問題の核心は、「大阪市を廃止・分割」することによって、どれほどコストが増えるのか。これに対して国から交付されない基準財政需要額の不足分の穴埋めをどうするつもりなのか。法定協議会で何度も資料提出を求められながら、松井市長らが拒み続けてきたことにある。

 松井市長が知事当時、2014年11月7日第30次地方制度調査会の専門小委員会に「大阪府市統合本部」が提出した「取りまとめに向けた考え方」では、「知事・市長案の考え」として、「地方交付税の算定上から導き出せる増加需要額を増加コストとして理論的に算出した結果、24区再編で約200億円~800億円(推計値)」と説明し、その穴埋めは「行政の効率化で財源を生み出す」と述べていた。大阪市廃止・4特別区案が約200億円以上予算が不足するのは常識的な結論である。

 森友問題、赤木さん事件を思うと、自分たちに不都合な情報は隠蔽し、都合が悪くなると「メディアの誤報」「財政局長の責任」と責任を転嫁する今回の異常な手法は、大阪市廃止方針の胡散臭さ、恐ろしさを如実に物語っている。

2020年10月30日金曜日

アホ言うもんがアホやねんで

   「アホ言うもんがアホやねんで」というのを負け惜しみの言葉だというのでは理解が浅い。 

 実際には大阪の母親がアホ!と発した自分の子どもをたしなめる言葉でなかなか核心を突いた深い言葉である。そんなことを『大阪市廃止住民投票』をめぐる維新の言動から連想した。

 大阪市財政局が「大阪市廃止、4分割で毎年218億円不足する」と発表したのを報じた毎日新聞のどこがデマなのか。

 「デマ言うもんがデマやねんで」と諭しても無理でしょうね。

 長谷川義史さんのイラストやないが「大阪市なくなって ほんまに ええんか よーく考えてや」。

 国会と全国放送を使って毎日新聞をデマ呼ばわりする。あまりに節度がないのと違うやろか。大阪市廃止住民投票は市民一人一人の良識を試されているように感じる。


2020年10月29日木曜日

それでも良識は進む

   別掲の内田樹先生の指摘は的を射ている。そしてそれは、維新の「府と市の主張が異なると不幸せ」というキャッチフレーズへの解答でもある。

 在阪のマスコミというかヨシモト所属のコメンテーターなどが盛んに「不幸せが解消されるんやったらええやん」と振りまいているが、市が府と異なった主張をすることはなにもおかしいことではない。それこそ地方自治の精神に沿ったものだ。

 「市が府に従わないのは生意気だ」ということこそ間違っている。近頃やたらに政治の場面でスピード感という言葉が踊っているが、決して会議を「踊」らせているだけでよいとは言わないが、この国は少し「調整する努力」を厭って怠ける精神に流れていないか。

 実際、地方自治の具体的な一つ一つは一筋縄ではいかないことも多い。当りまえである。なけなしの預金と借金でマイホームを建てたら突然隣に公害などを出す施設が建設されるとなると誰でも「ちょっと待ってくれ」となるに違いない。それを「大義名分に反対するエゴだ」と切って捨ててよいものか。内田先生の「調整する能力こそが民主主義」は本当に核心を突いている。

 稲森豊さんのフェースブックに「218億円見解は大阪市財政局のダイイングメッセージ(遺書)だ」という言葉があったが意味深長と理解した。

 松井市長らは「精査したものでない」との記者会見などをして、毎日新聞や朝日新聞を誤報だデマだという宣伝をしているが、それならどうして精査した数字を出さないのか。大阪市廃止・特別区設置案がコスト増、そこを抑えれば行政サービス切り下げになる数字が怖いから隠しているのでないか。大阪市職員は高い競争率をクリアして採用された人たちだ。そういう数字をはじき出すのに何の苦労もないはずだ。その数字が出されないのは出たら困る数字であるからだ。218億円か200億円か300億円かは知らず毎日、朝日の報道は基本的に正しい。

 言葉尻をとらえて卓袱台をひっくり返そうとするのはヤクザの常套手段でないか。

2020年10月28日水曜日

逃げる政令市を捕まえた

   27日付け朝日新聞朝刊(大阪14版)の大見出しは「市4分割 コスト218億円増」で、「大阪市財政局が試算」と袖に付いている。前日の毎日新聞のスクープを追いかけたらしい。

 記事の冒頭で「年度当たり218億円のコスト増」とはっきりと書いてある。つまり、この限りでも毎年218億円の足が出るから、その分住民サービスは低下する。こんなことは小学生でもわかる理屈。

 ひとつの家族(世帯)が進学や就職や転勤(単身赴任)などで4世帯になったら1世帯当時よりも金がかかるのは分かりきったこと。結局、住民サービスを削るか公共料金を上げるかしかないだろう。 

 予想外だったのは、続く記事の世論調査で「大阪都の名称 反対48%」というもので、賛成の29%を大きく上回っている。

 私などは、「大阪都になると東京都みたいに成長する」というイメージがトコーソー賛成の有力な根拠だと思っていたがそうではなかったらしい。とすると、吉村知事当たりのテレビ露出度と東京都のコロナの悪い数字のイメージで「維新が何かしてくれそう」というのが理由だろうか。

 いずれにしても潮目は確実に変わりつつある。

2020年10月27日火曜日

野球の雑談

 先日、聴くともなくラジオの高校野球を聞いていた。秋季近畿高校野球大会準々決勝だった。勝者京都国際高校の校歌が流れたがそれが韓国語なので驚いた。

 ネットで知ったことだが同志社高校の場合は英語らしいから韓国語だからといって驚くことはないのだが、島国根性の私などは少し驚いた。

 近畿大会四強だから選抜の甲子園でこの校歌が流れるかもしれない。そうなればようやく日本が国際水準に達したことになるかもしれない。ちなみに当然のことだが生徒の国籍等は関係なさそうだ。

 昨日のドラフト会議ではオリックスの育成4位で釣寿生選手(京都国際高校)が指名されていた。

 ドラフトついでに、阪神が1位競合の選手佐藤輝明(近大)選手を獲得したのは私的には久々の朗報だ。

2020年10月25日日曜日

心は中央ユーラシア

   先日いつだったか忘れたが、どこかの新聞(これも忘れた)に書評のようなものが載っていた。通常日曜日に掲載されるメジャー?な書評欄ではなかった。結局その書評の内容も含めて細かなことは全く忘れてしまったのだが(だいたい昨今の記憶はこんなもの)、今読んでいる本が終わったらこれは読みたいと”思った”という記憶だけが残っていた。 

 そして今読んでいる五来重氏の本が少し難しいので、並行して読みたくなり、ネットで近所の書店グループの在庫状況を調べたが近所には品切れだった。取り寄せなら経験的には土日を挟むと4~5日はかかる。

 そんなもので渋々ながら木曜日の夜遅くに楽天ブックスをポチッとしたら土曜日の朝には届いた。基本的には私は大いに書店を応援したいのだが、この便利さには負けてしまった根性なしである。

 本はまだほとんど読んでいない。私の嗅覚では面白くてあっという間に読んでしまいそうだから、”知って”ゆっくりと読もうと思っている。それにしてもこのタイトルと帯。ウキウキしてくるではないか。

 序文に近いようなところで著者はこう言っている。

 ■古今東西、歴史家は往々にして権力者に奉仕するものであった。・・・民主主義の時代になってようやく、できる限り客観的に叙述し、権力の暴走を監視する役割が歴史家に与えられた。・・・しかしながら、いったんはかなり民主主義化した日本などの国々においても、国家権力に迎合するだけでなく、民族主義(ナショナリズム)的な風潮が強まっている国民大衆に迎合するような歴史書が、次々に出版され、販売部数を伸ばしている■

 私が”読んでみたい”と思った嗅覚は間違ってないようだ。

2020年10月24日土曜日

木犀

   先日当尾の郷を歩いたとき、何処からともなく金木犀の強烈な香りがしてきた。わが家の金木犀は未だほんの蕾であったから、田舎の厠の強烈な芳香剤かと思った。しかし誤解かも知れない。実際は解らない。

 わが家の金木犀は毎年、新聞などで「金木犀の香りが・・」などと書かれた1週間後ぐらいに、少し遅い目に満開を迎える。

 先日までわが家も満開で、街中がムッとするほど香っていたが、一昨日からの雨で木の下にオレンジ色の絨毯を広げたように落花した。

 さて写真は金木犀の前に植わっている銀木犀で、花も香りも少し控えめだが、実はこちらの方が原種らしい。しかも四季咲きなので金木犀ほどのインパクトはない。

 大阪市廃止住民投票をめぐって維新のデマが異常にヒートアップしている。それに比べて「反対」の人びとの主張は基本的に理知的で礼儀正しく好もしい。なんとなく銀木犀の存在に似ている。

2020年10月23日金曜日

誰がなっても同じでない

   欧米ではコロナ禍収束の目途が立っておらず、東京オリンピックの中止もささやかれている。それに比べると東南アジアから東アジアの感染者数及び死亡者数は少なく、山中伸弥教授らはファクターX(エックス)としてその原因究明にあたられている。

 この欧米とアジアの差については暫し専門家に任せるとして、同じ東アジアどうし、もっと言えば日本よりも中国大陸との接触の多い台湾と日本の現状を比較してみたい。

  厚労省と外務省のホームページによると、10月22日現在の日本のコロナ感染者数は94,524人、死者数は1,685人。

 10月22日現在の台湾の感染者数は548人、死者数は7人。

 日本の5月現在の人口は125,895,000人、台湾の2月現在の人口は23,600,000人。

 よって人口100,000人あたりでは、感染者数が日本75.08人、台湾2.32人。つまり比率でいうと日本の感染者数は台湾の32.36倍。

 死者数は日本1.33人、台湾0.02人。同じく比率では日本の死者数は台湾の66.5倍。

 その差の理由は明確に彼我の政権の姿勢と能力、政治の結果だといえる。

 

 よく選挙の時などテレビが『街の声』として、「誰がなっても同じだ」という映像を流すし、今般の『大阪市廃止住民投票』でもそれによく似た声を聴く。

 原因はメディアがファクトチェック(真偽検証)をせず、権力側の宣伝文句を垂れ流すところに一番の問題があるのだが、前述の『街の声』的報道や素人以下の偽コメンテーターの「どっちもどっちや」的な発言にも大きな原因がある。

 ところが、上記のとおり、政権の姿勢と能力によって庶民の生命の危険度すら大いに異なる。「誰がなっても同じ」では決してない。

 先日放送された『ガイアの夜明け』は、台湾が新型コロナの封じ込めに成功した理由について、その1つが「初動の速さ」。キーマンは最前線の指揮官 陳 時中氏。

 封じ込めに成功したもう1つの理由が「正しい情報を絶え間なく国民に伝えること」。台湾では、コロナの対策チームが、毎日時間無制限で会見。国民が知りたい事を、事細かに答えていった。・・・等々と伝え、台湾はどの国よりも早く日常生活を取り戻していたと放送した。見逃しなどはネットで見られるので参考にしてもらいたい。

2020年10月22日木曜日

万願寺がロシアンルーレット

   昨日21日に私の投稿が掲載された。だいぶ以前に投稿していたものだったのでてっきりボツだと思っていたが、紙面構成上丁度適当な「埋め草」だったのだろうか。

   ◆ 狭い畑に万願寺唐辛子をプチトマトや青ジソと一緒に植えています。

 万願寺唐辛子は肉厚で辛くないので毎年重宝しています。ところが今年は、2割ほど飛び切り辛いのができ、夕食時などは「ロシアンルーレット開始」と宣言してから箸をつけています。

   最初はご近所のハバネロと交雑したせいかと考えましたが、これは交雑では起こらないらしく、今夏の高温がストレスになって発生したようです。こんなところにも地球環境のトバッチリが…。

   その万願寺唐辛子、秋空と共に再び大きくたくさん実りつつあって楽しみですが、やっぱり心はロシアンルーレットです。◆

 ・・・菜園や農作業の自慢にもなっていませんが、万願寺の一部が辛くなる原因や対策をどなたかご教示願います。3密みたいな植え方が問題なのでしょうか。

2020年10月21日水曜日

ほんまにええんか

   昨日のブログ記事に難波橋(なにわばし)のライオン像の写真を掲載した。大阪のシンボルのひとつであるから『大阪市廃止反対』の気持ちを込めたつもりだ。

   難波橋は、堺筋の南は北浜から北は西天満まで中之島を挟んでかかっている。中之島の剣先公園で集会・デモがある時などはこの橋の中間の中之島へ降りる階段をよく使ったものだ。

   そうしたところ、フェースブックに長谷川義史さんの作品を見つけた。作品といってもポスターで、広く拡散を希望されていると理解した。

   私のただの写真よりはるかに主張は明快だ。大阪のシンボルが言っている 「大阪市 なくなって ほんまにええんか」。






肴(あて)はカレーパン

   昨日の記事で誰もが発散したい気分でいることを書いたが・・・、

   先週はOB会の世話人会に出かけた。寄り合うのは実に7か月ぶりのことだった。春先からこっち実務はリモートと書面会議で最低限の仕事を些か味気なく処理してきた。お互いにうつされるのもかなわないが、うつしたという加害者になるのがもっと嫌だという意見が多く、会場も天神橋近くの広い会場を確保した。

   それらの気持ちはよく判るが、その気持ちにそうだそうだと言っていただけでは下手をすると際限なく後ろ向きの議論になる可能性もある。そんなもので私は少しギアを入れ替えたくて、会場に向かう前に大阪の大川端を考えながら歩いて行った。その気持ちとは・・、前回も会議後の恒例の懇親会は中止したから、ここは一発3密を避けた上で軽く懇親会をしてから帰ろうと皆に勧めたかったからである。実際、私が言うまでは「今回も懇親会抜きで帰ろう」という気分がなんとなく主流だった。

   そんなもので、皆も話に乗ってくれて、八軒屋浜のオープンカフェで生ビールで乾杯をした。ただ5時まではカフェのため肴(あて)らしいものがなく、全員カレーパンでビールを飲んだ。私個人はカレーパンで一杯飲むのも悪くないし皆も面白がって賛成してくれた。

   川風にふかれて震えていた者もいたが、少しはギアチェンジがなったと思っている。会報発行のエンジンを入れなおして、来春は今春の花見のリベンジだ。・・・と、ビールの力を借りて五十肩のこぶしを振り上げた。

2020年10月20日火曜日

発散したい

   先日、今年新築のなった奈良県コンベンションセンターに行ってきた。天平広場という大屋根付き屋外広場で雑貨市とマルシェをしていた。

 屋外なので三密もないだろうと思って行ったのだが、結構混雑していて、その人ごみの真ん中で 食事をした。微妙なものだった。

 そんな自分たちのことは放っておいて、この混雑はなんだと驚いた。自粛自粛の巣ごもりで誰もが、近場で屋外でそしてちょっと賑やかなお出かけをして、うっ積していたもやもやを発散したかったのだろう。そう、ホモサピエンスは群れる動物だったと再認識をした。

 しかし現代人は、「そこそこの群れ」の規模を踏み外し、ホモサピエンス以外の動植物の領域に侵出した。パンデミックはその当然の反動だとも言われている。豚やコウモリを恨むのは筋違いだ。

 さて、日本では子供に「人に迷惑をかけないように」と躾けるが、インドでは「人は迷惑をかけあって生きていくものだ」「だから迷惑だ!なんて怒らないことだ」と躾けるということを読んだことがある。

 真面目な日本人はコロナウイルスをうつされることよりも無症状でもうつしてしまって「犯人」にされるのを恐れているようだ。ただ、そのためにわずかなリスクも許せないなら買い物も日常最低限の外出も止めなければならない。

 日本政府も大阪府市政も科学的で的確な対応をしてこななかった。例えば台湾の対応はすばらしい。そして対応してこなかったことの責任転嫁で、やれパチンコ店だ、飲食店だなどと目先の敵を槍玉にあげてきた。

 繰り返すが「リスクゼロ」は幻想で不可能である。可能な限りの対応をしながら社会活動のできる範囲を見定めていくことが必要だ。

2020年10月19日月曜日

姑蘇城外の寒山寺

 若い頃、といっても30代の終わりの頃、近所に詩吟をされている方がいて、軽い同好会のように近隣の仲間と楽しんだことがある。
 その方が転勤に伴って街から転出され自然消滅したから、私にとって詩吟は本当に入口を覗いただけの経験であるが、そんなこともあり漢詩にはちょっぴり親近感がないではない。

 今般、ほんの出来心で寒山寺に建てられている有名な「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)の石碑(詩碑)の拓本を手に入れた。日本中には星の数ほど存在するもののひとつである。かつて息子が中国旅行をした時もお土産に持って帰ってきたが、それは既に廃棄した。

 唐代の詩人長継の七言絶句で、詩吟風に書き下し文にすると、月落ち烏啼いて 霜 天に満つ  江楓 漁火 愁眠に對す  姑蘇城外の寒山寺  夜半の鐘聲 客船に到る である。蛇足ながら意訳を付記すると、『月は水面に映り、夜烏がないて、霜の気配が天に満ちている。川岸の楓(かえで)の間には、いさり火が点々として、旅愁のためにうつらうつらと眠れない私の目に映る。そんな折、蘇州郊外の寒山寺の夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いてきた』というあたりだろうか。 

 次に左側の解説文だが、これがなかなか読めなかったが、ネットで辿り着いた記事によると次のとおりらしい。「寒山寺旧有文待张继枫桥夜泊》久漫漶,光丙午,筱石中承于寺中新葺数楹,属余补书刻石

 その意は、寒山寺に、張继の楓橋夜泊の詩を文待詔(唐代の詩人)が書いた(彫った)石碑があったが歴史を経て壊れたので、清代(光緒)の時(日本の明治時代)、改築した寒山寺で蘇州中承(県長)陳變龍(字筱石)が、俞越(ゆえつ)に新しい石碑を彫刻させた。(ということは、この寒山寺の石碑の拓本の文字は越の文字)。

 何ということはない、今日の記事はそれだけのことである。それだけのことに辿り着くのに何回もため息をついて「高校時分にどうしてもっと勉強しなかったのだろう」と後悔した秋の日だった。

2020年10月18日日曜日

吉村府政の未来を信じますか

  本日も中野雅司氏のフェースブックの記事をご紹介する。

 ◆ 次の表を見てほしい。驚くべきことは、維新は、産業を育成するための投資を大幅に削減し続けてきている。

 自民党の杉本太平議員作成の表だが、2007年度から2017年度の10年間で中小企業の振興予算が40%弱も減額され、新産業育成の予算に至っては93%も減額されており、最早ないに等しい。

 横の愛知県と比べてみれば、その差は一目瞭然であり、このような行政すなわち維新のあり方が、愛知と大阪の地位の逆転につながっている。

 こんな維新がいくらトコーソーで経済成長と言っても経済を成長させる原理がわかっていない政党の言うことを信じることはできない。



2020年10月17日土曜日

大阪市民はインバウンドでも豊かでない

 昨日に続いて中野雅司氏のフェースブックから紹介する。

 ◆ 松井市長は、2025年には、コロナもなくなっているやろ!っていう呑気なことをおっしゃっています。

 しかしながら、実は、インバウンドが伸びて来ていても、大阪市民は、決して豊かになっていないのです。

 これは、下記の表をご覧ください。インバウンドが伸びてきても大阪市民の暮しは決して豊かになっていないということがよくわかります。

 これは、インバウンドというラッキーな事象の恩恵にかまけていて、本来の経済政策をしっかりとやってこなかった結果に他なりません。

 インバウンドによる観光、飲食、薬局の需要は満たせても、モノづくりの町大阪の産業育成を怠っていては、決して大阪全体の幸福は得られないということが見事に明らかになったということです。

 そもそも、きっちりとした経済政策のない維新では、大大阪の経済の舵取りは到底できないということなのでしょう。トコーソーで大阪が成長することはありえないと考えざるを得ません◆



故首相の葬儀に際して

    政府は、「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の当日(17日)、各府省において弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の一定時刻(午後210分)に黙とうすることを指示している。文部科学省は、国立大学法人の長や都道府県教育長、関係共済組合の理事長に同内容の「要請」を行っている。

 弔意の表明を強制することや一政党が共催している行事であることの大問題があるのだが、紙面の関係上、928日にこのブログに書いた『大勲位のお手柄』の骨子を再録して抗議の意思を表明しておきたい。 

   さて、中曽根康弘元首相は戦争中海軍主計中尉で任官、敗戦時には主計少佐であったが、戦後、その戦時中の「手柄話」を得々と語っていた。

 例えば、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978の『終わりなき海軍』)

   おそらく「大勲位」は後に従軍慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いている。 

   防衛省のシンクタンク防衛研究所の戦史研究センターの「海軍航空基地第2設営班資料」(「大勲位」が当時主計長を務めていた海軍設営班矢部班のこと)には次のような記録もある。

   「・・整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる。主計長(中曽根)の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」。資料の中には手書きの地図もあり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し「設営班慰安所」に変えてしまった証拠もある。 

   しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて現地で女性を調達(強制連行?)したとしか考えられない。実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。 

   主計士官が関わった証拠というと、右派メディアの代表格の産経新聞の中興の祖ともいうべき元社長鹿内信隆氏が著作の中で、「そのとき〔慰安所の開設時〕に、調弁(ものを現地調達する軍隊用語)する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの待ち時間が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。」と述べている。 

戦時下とはいえ国際法違反、人権蹂躙の従軍慰安婦問題について一切の反省のないまま中曽根氏は死去された。菅内閣は彼の葬儀費用として国の予算から約9643万円支出することを閣議決定し、官庁や大学で弔意を表するよう指示をした。

写真の本の表紙には『若い世代へ 伝えたい 残したい』とある。

2020年10月16日金曜日

大阪市廃止では成長しない

  浪速産業株式会社代表取締役社長で自民党支持を公言されている中野雅司さんがフェースブックで「大阪市廃止反対」を強く訴えられている。データも示してのその主張には説得力があるので、氏のフェースブックの図を転載させていただきながら要旨を紹介する。

 1013 15:05の氏のフェースブック要旨

 ◆ 成長を止めるなと維新は、言うが、その実態は、成長はしていない。次のグラフを見て欲しい。 

 残念ながら、大阪は、全国平均と比べても、他の年と比べても成長をしていないのだ。

 すなわち、維新に成長させる政策や能力はないということ。ということは、トコーソーで成長するというのも全く当てにならないということだ◆

2020年10月15日木曜日

WTCビル二重行政論は誤り

  中野雅司氏のFBより・・

 本当にWTCと臨空タワーゲートは、二重行政だったのか? これは、実は、前の住民投票の時でもそうではないということがハッキリと証明されています。 維新がしつこく言い続けているだけで、嘘も100回言えば本当に聞こえるというサンプルです。 本当のことは、実際に市会議員だった稲森さんがきっちりと書いてくださっています。

 稲森豊氏のFB 

 WTCビルは二重行政ゆえに破たんしたのか?松井市長と維新の会のデマを斬る

 松井市長はテレビ討論会等でWTCビルの破たんを二重行政の無駄の象徴として挙げ大阪市を解体すべきと主張している。これに対して日本共産党大阪市会議員団はWTCビルは無駄な大型開発という政策選択自体の誤りであり今後改めれば済むこと反論している。一般市民はどっちが正しいのか判断に迷っている。

 当時、大阪市議としてこの問題にかかわってきた一人として判断資料を提供したい。 提示した資料は2002年当時、WTCビル等の破たん処理の議論に資するため大阪市会議員団として市の財政当局から提供された数字をまとめたものである。

 この資料で明らかなように大阪市の起債残高(借金)は1990年のバブル崩壊以降1兆円弱から10年間で2兆6千億強と2.6倍へと急激に増えている。そしてその当時WTC以外でも第3セクターによる開発があちこちで行われ、それらのほとんどが破綻し巨額な負債を生み出しているのである。当時、日本共産党は財政を悪化させ、大阪市民を苦しめている原因は大阪市が「不公正乱脈な同和行政、財界中心の巨大開発事業」という2つの濫費の病を抱えているからである。と表現したが、WTCビルは無駄な巨大開発政策の誤りの典型であることは明らかである。松井市長いい加減にレベルの低いデマはやめて下さい

 森裕之氏のコメント

 2000年頃にWTCATCの財務分析をやったことがあります。そこでわかったのは、どちらも建設費にともなう借入額が膨大で、元利償還と減価償却だけで費用が膨らみ、そもそも収益性がありませんでした。これはバブルの関係で当時全国の三セクが陥っていた財務構造であって、二重行政などとは関係がないものです(臨空ゲートと単に高さを競い合った形跡があるというだけで、それで財務構造が悪化するなどということはありません)。

蜂雀

   雀蛾(スズメガ)の中の鳳雀(ホウジャク)と透羽(スカシバ)は理屈抜きで好きな昆虫だ。鳳雀は蜂雀と書かれているものもある。小さな蜂鳥(ハチドリ)と思えば蜂雀(ホウジャク)がいい。ホバリングしながら蜜を吸う。

 スマホなのでパッとしないがヒメクロホウジャクだと思う。

 すばしっこいのでこの程度の写真でご勘弁を。

 百舌鳥がしきりに高鳴きをしている。街中には金木犀の香りが充満している。こんな素晴らしい秋の日の遊歩道を人々はマスクをしながら歩いている。おかしいと思いながらも同調圧力を恐れているかのようだ。

 近くに街路樹がナンキンハゼの道がある。ナンキンハゼの唯一のトリエは紅葉の美しさだと思うのだが、紅葉と落葉は紙一重ということなのだろう、紅葉を目前にして丸坊主にされた道路がある。私が自治体の担当責任者だったらどうしただろうか。悩ましい。市域の街路樹を北から順に剪定する最初のグループかも知れないし。

 複雑で悩ましい事柄を単純に語ることは良くない。どこかに嘘がある。大阪では大阪市廃止派が単純でえげつない虚偽文書をばら撒いている。「憲法改正はナチスに学べ」と言った大臣がいたが、「嘘も百回言えば真実になる」と言ったのはナチスの宣伝相ゲッベルス。廃止派の精神風土はそこにある。

【翌日写真追加】



2020年10月14日水曜日

うそ寒の庭

  台風一過、庭にも秋の風情が漂ってきた。真夏の昆虫が去り常連さんが元気に飛び回っている。

   写真上はヤマトシジミだと思う。ルリシジミかもしれないが。食草のカタバミが増えてきたせいか、近年シジミチョウが多いに増えているように見える。スマホで撮ったせいでパッとしないが実際は開いた翅は瑠璃色に近く美しい。
 シジミチョウはありきたりすぎて見過ごしているが、太陽の陽を受けて輝いているのは標本にしたいくらいだ。

   写真下はオオスズメバチだと思う。これはバードテーブル(野鳥の餌台)に置いた熟しすぎた柿を食べている。この下には野鳥の水飲み場もあり、よくそこで水も飲んでいる。
 スズメバチは危険な昆虫だが、我が家の庭には年がら年中飛んでいるし、私の顏の周りを飛んだりもする。知らん顔をしていると何ということはない。
 文字どおり悪役っぽい顔をしているが、よく見ると可愛いともいえる。
 これもスマホで超接近状態で撮った。

   おまけの写真は、先日当尾の郷で撮ったもので少し見難いが「じゅずだま」だ。個人の感想を言えば、昔はそこら中によくあったもの(雑草)だが近頃は珍しい植物になってしまった。
 もう少し秋も深まってくると実が黒く光沢も出てきてホンに数珠玉となる。
 特に訳もなく「じゅずだま」をポケットにいっぱい入れていた日は遠い。

   おまけのおまけは、姿かたちはキリギリスのように見えるのだが、少し小さい。もっと言えばキリギリスほどの貫禄が感じられない。だいたい私のクルマに飛びついてくるというのがトンマである。子供用図鑑の限りではオナガササキリのように思われるが鳴声は確認できていない。
 可愛らしいキリギリスの仲間であることは間違いない。

2020年10月13日火曜日

橋下発言は馬鹿げていないか

 

   TBS系情報番組「グッとラック!」が学術会議新会員任命拒否問題を12日に特集した中で、橋下徹氏が推薦者リストについて「総理が全部、見られるわけない。部下がやるんです」と言って菅総理を弁護?した。私は番組を見ていないがスポーツ報知、Yahoo!ニュースがそう報じている。

 橋下氏は“世の中のことを知らない庶民”に向かって教え諭してくださったのだろうが、私は橋下氏の方が社会のいろんな組織の中で仕事をする上での常識を欠いていると思った。

 民間であろうが公務であろうが業務は当然組織の中で分担されている。当りまえである。その場合上位の管理者は重要事項は必ず自ら判断し、比較的そうでない事案は適切な人事管理という大枠の指導の下に部下に事実上の判断をゆだねている。

 だが、ここが大事なところだが、もしその部下の判断に誤り等があった場合は、上司は絶対に「それは部下のしたことだから私は知らない」とは言わずに、問答無用で自分の責任として認めて是正するのである。そうしてこそ民間でも公務でも組織は社会の中で認められ存続できるのである。

 私は橋下氏が匂わしたように学術会議新会員任命拒否というような重大問題が部下の判断に任されていたとは推定しがたいが、百歩譲ってそういう側面があったとしても、「だから総理は知らなかったかもしれない。なので責任はない」という発言をするのは現代社会のリーダーとして必要な常識的理解を欠いていると思う。

 無茶苦茶な論を吐いて庶民を騙すのが橋下氏の常套手段だが、この菅総理弁護論も見苦しい。

 正直に言えば、上述のような組織経営は民主主義といくらか齟齬があるのではないか、未来永劫正しいとも限らないのではないか、民間でいえば社畜と揶揄され公務でいえば昨今の忖度のようなあり方を批判できていないのではないか等心の整理もついていない。

 しかし、民間であれ公務であれ、こんな発言をする橋下氏は上司(リーダー)として失格であることだけははっきりしている。「きっと部下の犯したことだろうから上司を責めるのはお門違い」発言は社会人として言ってはならないことであろう。

2020年10月12日月曜日

インバウンド頼みは虚しい

   「コロナが去ったらインバウンドが復活して大阪の景気は復活する」と思っている人もいる。ホンキで言っているのか、知ったうえで嘘をついているのか知らないが、松井大阪市長などもそう言っている。しかし、ほんとうにそうだろうか。 

 日本政府観光局(JNTO)の統計をみると、2019年になって訪日観光客の伸び率が激減し、韓国、台湾、香港など訪日トップ5の常連がついに飽和状態となり、前年より減少する月が増えている。特に韓国は2017年夏頃から減少傾向にあり、今後もこの傾向は続くと考えられる。一方2桁の勢いで伸びているのは、ベトナムとロシアである。

 さらに、観光庁が2019329日に発表した「訪日外国人消費動向調査」によると、2018年のインバウンドの旅行消費額は45189億円、前年比で微増したものの、費目別でみると、トップは買い物15763億円だ。さらにその内訳で購買率の1位が「お菓子」の68.0%となり、2位、3位の「化粧品・香水」(41.6%)、「医薬品」(36.4%)を抜いて断トツで、韓国は「お菓子」が82.5%である。

 このように、買い物は前年比で減少(201716398億円)している。つまり、消費額の伸び悩みはもとより、訪日客は増えているのに、買い物総額が落ちているのだ。これはただの変調ではなく、今後もこの傾向が続くと考えられている。

 中国からのツアーなどを手がけている会社社長は、「中国から来るお客様は、以前流行った炊飯器など電化製品はほとんど買いません。高額な商品でなく、みやげ用の安価で小さい商品ばかり買います。それも数を大量に買います。たとえば、マスク類(肌にやさしい種類)、ハンドクリーム、スキンケアミルク(特に資生堂)、ステンレス製のボトルやカップ、セラミックナイフ、酒盃、歯ブラシ、各種薬品(龍角散、救心等)などがよく購入されています。人から頼まれて買って来てほしいと具体的な商品名をメモして来る方が多いです」と述べている。

 先日、本町から戎橋まで心斎橋筋を歩いたが、見事にドラッグストア街と化していた。外国人観光客が悪いと言わないが、ベースとして堅実な日本人観光客などが魅力を感じる街にする必要がある。そのカギは文化と食い倒れでも悪くはない。文化に無知というか毛嫌いする維新政治をストップして、上方文化を再興させたいものである。

 水かけ不動も浮かぬ顔に見えていた。

2020年10月11日日曜日

経済の成長とは

   池田清彦著『自粛バカ』(宝島社新書)の中に、国家が国民を支配する話があり、「今なら誰もがもっている劣等感、あるいは国民の間に渦巻く不満なんかを政府が煽ってくる」として、グローバルキャピタリズムによる成長や繁栄から取り残されてしまったトランプ支持者のプアホワイトだとか、安倍支持のネトウヨ を挙げているが、現状の閉塞感の中で理屈抜きで「何か良くなりそう」という維新支持者もそうなんだろう。

 そういう層は池田氏によれば反知性主義というか知識人が嫌いだという特徴があると指摘している。だから阪南大学桜田照雄教授の次のような松井市長批判など真面目に読まないだろうが、大切なことなので転載しておく。

 〇 フェースブックに阪南大学桜田照雄教授が次のように投稿された。

 ◆ 松井氏によれば,「大阪の成長」ってのは,「イベントをやって消費を促すこと」なのだそうだ。一過性のイベントで経済を浮揚させるなんて答案に合格点はやれません。

 経済が成長するってのは・・・、生産された付加価値の量が何%増えたかを示すGDP成長率が代表的な指標となる。

 支出項目を「個人消費」「住宅投資」「民間設備投資」「在庫投資」などに分類し、これらの各項目の伸びを予測して、GDP成長率の予測値が算出される。

 算出された数値をもとにして、企業は経営計画を立案したり、政府や自治体は施策を考える。

 ◆ 松井や吉村のように、「法人市民税が増えた」とか、「イベントの開催で成長」という話しでは決してない。(引用おわり)

 〇 そこで私は、フェースブックのコメントなので少し会話のような感じで次のとおり投稿した。

 ◆ 一時期自治体の「〇〇博」というのが大流行りして最初は少しだけ上手くいきましたが圧倒的には大赤字を残して萎みました。維新の経済政策は悪夢の再現だと思います。

 〇 そうしたら、Tatsumi Yokoi さんから私のコメントへの「返信」のような形で次のような補足的なコメントをいただいた。

 ◆ そもそも愛知万博より狭い敷地に、愛知万博より遥かに多い入場者数という計画が無謀すぎます。狭い敷地にたくさんの入場者を入れたら当然3密です。

 ◆ 少なくとも現段階で、「カジノ業者に地下鉄建設費のうち200億円を負担させる」という目論見が実現不可能となっています。今のままでは市民、府民がこれを負担させられることになります。夢洲は場所的に「行き止まり」ですから、地下鉄は夢洲に用のある人しか利用せず、梅田やなんば、天王寺のような「乗り換え需要」は一切期待できません。

 ◆ 愛知万博は、トヨタという日本一の大企業がバックにいた事、ジブリの「サツキとメイの家」(となりのトトロ)などのユニークなコンテンツがあったことから奇跡的に成功したと言われています。しかし皮肉なことに、そのトヨタは、富士山麓に自前のWovenCityを建設し、ジブリは愛知万博跡地にジブリパークを建設するので、この両者が大阪万博に尽力することはありえません。(引用おわり)

 実は先日から、大阪の経済の実情や、どうしたら暮らしがよくなるかを考えてきたがSNSあたりではコンパクトに書けずにいた。桜田先生の指摘に従えば一部の数字で思いつきのような議論は避けなければならないから、づぼらやの廃業というのも単にインバウンドとコロナだけで論じるのも正確ではないだろう。

 維新や安倍内閣、それを引継ぐという菅内閣の経済政策は一言でいえば新自由主義である。新自由主義を一言でいえば弱肉強食で自助である。この政策が庶民の購買力を奪い大阪をはじめ日本の経済を思い切り劣化させてきたのは間違いない。新自由主義をやめて暮らしを守ろうの声が広がれば社会は変わるだろう。

 「カジノで成長」ほど時代遅れの政策はない。

2020年10月10日土曜日

惜別 Tさん

  昨夜T先輩とお別れをしてきた。

   奥様のお話によると、T先輩は戦中にお生まれになり、父君は先輩が2歳のときに戦死された。ということはあの戦中戦後を文字どおり女手一つで育てられたわけで、私の場合は小学校高学年で母子家庭になったのだが、それよりも何十倍というご苦労があったことだろう。さらに加えてポリオ(脊髄性小児麻痺)で右足の機能を大きくなくされたので、ほんとうは筆舌に尽くしがたい困難があったに違いない。

 それでもと言うべきか、それだからと言うべきか、先輩がそういう辛そうな顔を見せられたことは全くなく、仕事でも趣味でもそして社会運動でも、常に明るく後輩たちの面倒を見てくれた。アドバイスは常に的確で聡明な方だった。

 別れは悲しいけれど、私は最後に「決して、ちっちゃなことで落ち込むなよ」という強いメッセージをもらった気がした。

 楽しそうな写真もいっぱいあった。釣りの本かスポーツ紙の釣り情報の紙面か知らないが、先輩が写真入りで「どこそこでこんな大物を釣った」という記事の写真もあった。

 掲載の写真もそんな楽しい一場面だったのだろう。合掌

2020年10月9日金曜日

俳句の解説の解説

南御堂の「旅に病んで・・」の句碑
   NHKの『英雄たちの選択』で『松尾芭蕉』を取り上げていた。司会は磯田道史、ゲストは嵐山光三郎、長谷川櫂、佐藤勝明という著名人たちで、比較的冒頭部分でかの有名な『古池や蛙飛びこむ水のをと』を取り上げて、全員が「これは芭蕉の心象風景だ」と言って誉めるのだが、心象風景と決めつける理由として「カエルは音を立てて跳び込まない」「カエルはスーッと水に入るものだ」「そうだそうだ」と断定していたのが気になった。そういえば、こういう説は以前にもどこかで聞いたことがある。

 芭蕉研究の結果として大いに芭蕉の心象風景であってもよいのだが、その理由が「カエルは音を立てて跳び込まない」と聞くとちょっと放ってはおけない。・・想像するに、そういうことは大先生の文章にそういう記述があり、それを知っている博識の「文化人」たちが原理原則の定説だとしてエヘンと語っているように私は感じた。この話(説)をどこかで読んだような気もする。

 ちょっと待て!馬鹿も休み休み言え! 人の気配を察したカエルたちがポチャンと水に飛び込むのは何百回と私は見ている聞いている。法廷に立ってもいい。結論として知識人だといって人の話は鵜呑みにするな!がこの番組の教訓だと私は思った。

 俳句の話で同じような話がある。正岡子規の俳句で初めて活字になった句が、『虫の音を踏みわけ行や野の小道』である。これについて先の話同様「作為的だ」という批判がある。野の小道を踏みわけ行けば虫は一斉に鳴き止むから「虫の音を踏みわけ行くというのは嘘である」という解説がある。

 しかし私の経験を言えば、都会の小さな広場の話はいざ知らず、少し鄙の野原に行くと、足下周辺は鳴き止んでも、野原全体では何処知らぬ顔で虫たちは鳴き続ける。虫の音を踏みわけ行くのは嘘とは限らない。

 俳句を論ずる人びとなら自然世界への興味や観察も豊かだと信じたいが、それでも本は読んでもカエルや虫たちと遊んだ経験の薄い人々がいるということだ。重ねて言うが、偉い人々が言っているからといってむやみに信じるな。現実の自然界で感性を磨け。ただ、だから(虫やカエルを知っているから)といって俳句が上手くひねり出せるものでないところが非常に辛い。

2020年10月8日木曜日

アクアパッツァに初挑戦

 イクジイの日は娘ファミリーの夕食も一緒に作ることになっている。

 妻が事前に娘にメニューの注文をとるとアクアパッツァがいいということだったが、わが家では作った経験がない。というよりもそんな料理を私は知らない。外でも注文をしたことがない。女性陣には人気なのかもしれないが外食イコールお酒という親父には縁遠い。

 確か魚介売り場の近くに「アヒージョの素」みたいなものがあったが、それと同じなのか、それともどう違うのかもわからない。ああ。

 それでも時代は変わった。つまり、スマホをちょこちょことイジルとレシピの数々が瞬時に出てくるから、とりあえずイメージは判った。すごい時代である。

 そして、孫の凜ちゃんのために骨のない鱈で作ろうと妻が決定した。後でよくレシピなどを読み返すと「骨付きの方が味が出る」ということと、もっと癖のない白身魚が適しているようだが、ここは「骨なし」を最優先をした。ただ鱈は身がほぐれやすいので注意が必要だ。

 で作ってみると、世の中にこんな簡単な料理があったのかと思えるほど簡単だった。オリーブオイルも白ワインもニンニクも元からあるし、基本の味は魚とキノコとアサリと他のシーフードから出てくるから、トマト、塩コショウで微調整すればすむ。

   なにしろ孫の凜ちゃんがパクパク食べてくれたから基本的には大成功だった。後でWikipediaで読むと「トスカーナの小作人が余り物で作った」とあったのも納得できた。私ができても当たり前だった。

 今回は凜ちゃんのためにアンチョビもあえて加えなかったが、わが家だけで作るときにはもっと大人風にアレンジしようかと今は思っている。

 娘ファミリーも美味しかったと言ってくれたが、ジジババは凜ちゃんが「うま~~い!」と言ってくれただけで大満足している。

2020年10月7日水曜日

吉祥天再訪

   当尾の郷(とおののさと)散策のゴールは浄瑠璃寺にした。

   丁度秘仏『吉祥天女像』が開扉されていたので入堂した。久しぶりに「一度は見たい日本の秘仏五選(の内の1体)」にご対面したが、俗な感想を言えば”ほどほどの古色”が何とも言えずすばらしかった。掲載の写真は撮影したものではなくパンフレットのコピーである。絶世の美女というキャッチコピーも肯ける。

 パンフレットには「平和を授ける幸福の女神」という文章も入っていたが、私はその「平和」の二文字に浄瑠璃寺らしさを感じた。4年前に亡くなった先代の佐伯快勝師は蜷川府政の下で京都府教育委員を務められたり、その後も九条の会や平和と民主主義の運動に力を発揮されていた。私も度々講演などで話を伺った。なお、奈良の西大寺の宗務長もされていた。

 そんなもので本堂入口には『憲法9条にノーベル平和賞を』の署名簿もあったり、そのほかにも現世の種々の困難を支援するカンパや宣伝物もあった。

 そもそも中世の仏教を語るとき、これまでは、旧仏教(顕密仏教)は鎮護国家の仏教、貴族の仏教であり、僧も堕落した状況であったところ、さっそうと民衆を相手にした宗教改革ともいえる鎌倉新仏教が誕生したと言われていたが、今では大きくそれは見直されている。

 ここ浄瑠璃寺の本山は(大和の)西大寺だが、その時代、日蓮上人からは「律国賊」と非難はされたが、興正菩薩叡尊が行なった顕密仏教内部からの宗教改革は実践的で倫理的なものだった。わが家からそれほど遠くない奈良坂に「北山十八間戸」があるが、これも西大寺の忍性が建てたハンセン氏病等患者等の救済施設であった。

 つまり私は、浄瑠璃寺にその途絶えていない心意気を見て感心したのだった。

 また、子安地蔵菩薩像も安置されており、三重塔内には秘仏・薬師如来像も安置されているので、広く子どもたちにコロナ禍が及びませんようにと、ちょっと現世利益的なお願いもして浄瑠璃寺を後にした。

2020年10月6日火曜日

南山城の秋

 秋の日、当尾(とおの)の郷を散策した。

   道端にフジバカマが普通に生えていて蝶が止まっていた。「ヒョウモンチョウかな」とスマホで撮ったら、翅の裏が木葉そっくりだった。キタテハだと思う。 ヒョウモンチョウは裏も豹紋だしコノハチョウは表が豹紋でないから、キタテハチョウだと思う。

 フジバカマはかつていろんな種類を庭に植えてアサギマダラを呼んでいたが、妻がアレルギーを発症して全株抜いて捨ててしまった。近所の人と「アサギマダラの来る街にしましょうか」などと構想していたがやむを得ない。

 フジバカマは有毒なのだが結構いろんな種類の蝶が蜜を吸いに来る。毒食らわば皿までなどという言葉があるが、毒食う蝶のメカニズムも判ったようで判らない。

 当尾では、昔は無農薬らしいキャベツ畑があってモンシロチョウが群舞していた思い出があるが、今やモンシロチョウは希少種になったようだ。蝶は相当な偏食家(食草が偏っている)なので、モンシロチョウは激減し、パンジーなどスミレ類が好きなヒョウモンチョウが増えている。

   浄瑠璃寺から岩船寺に向かうハイキングコースでルリコガネを見つけた。オオセンチコガネつまり糞虫だが美しい。

 瑠璃色(るりいろ)とは、濃い紫みの鮮やかな青色のことで、瑠璃とは仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山(しゅみさん)で産出される宝石で仏教の七宝の一つ。その宝石の色にちなんだ瑠璃色も至上の色として神聖視されたのだが、その名が糞虫についているのも、ある種仏教的だと私は思っている。瑠璃色のオオセンチコガネは奈良近辺だけらしく、他の地域では緑や赤銅色などが多い(屋久島、大分にはいる)。・・と『ふんコロ昆虫記』という本で読んだことがある。

 当尾は平安京の文化というよりも南都の文化が色濃い地域だから、ルリコガネもいかにも南都の感じがした。

 最後に、写真も音声もないのだが、秋10月の昼間、森の奥からニホンアマガエルの雨鳴き(レインコール)がよく聞こえてきた。ケケケケケケケケ、大きな声である。カジカガエルやヒグラシに似た、ちょっと哀愁を漂わせた声に、少し日常を離れた別世界を感じた。雨鳴きだったが雨は降らなかった。

2020年10月5日月曜日

国家と学問

  昨日一昨日と学術会議会員任命拒否問題に触れ、朝ドラが丁度このタイミングで描いている戦前と重なることを書いた。そんなことで私の趣味である古代史に関わって「天皇機関説」と「津田左右吉事件」のほんの一面について付記させてもらいたい。

   井上光貞著『わたくしの古代史学』という「研究自叙伝」がある 。井上光貞氏は古代史家の間では井上皇帝(光貞)と揶揄される大家である。学問と家柄なんぞは関係ないが井上馨、桂太郎の孫である。

 さて、先の本の中に「美濃部達吉博士の思い出」という小さな章があり、次のように書かれている。

 ◆美濃部先生が、天皇は国家の機関であるとする天皇機関説のために貴族院の右翼議員の槍玉にあがったのは1935(昭和10)年2月中旬で、4月『憲法撮要』以下の三書が発禁になり、9月には貴族院議員を辞した。・・父は貴族院議員(侯爵・陸軍少将)であったので、先生が2月25日に貴族院でなされた「弁明」の演説を聞いたそうである。父は先生が滔々と自説を述べ、学説を一歩も曲げなかったので、議場は粛然として先生の去るのを惜しんだ、とも聞かしてくれた◆

 このとおり、天皇機関説は明治政府が驚くほどの学説でもなく、天皇は国を法人とすればその代表者(職)だというような、貴族院の議場が粛然として先生の去るのを惜しんだような説であった。しかし学問を軽視する右翼は、叛逆、謀反人、学匪、国賊と決めつけ、あげくは右翼暴漢に銃撃されるまでに及んだ。これが学術会議任命拒否とシンクロする戦前の現実だった。

   次の話は津田左右吉事件である。1940(昭和15)年2月、津田博士の主著『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』が政府によって発禁とされ、早大教授も辞職させられ、挙句は皇室の尊厳を冒涜の罪で有罪とされた。これも無知な右翼が悪魔的虚無主義、不敬罪と騒ぎ立て、追認した政府が強行したものであった。

 この四書も天皇機関説同様、驚くような内容のものではなく、あえて簡潔に言えば、記紀等の古典を絶対として歴史を解釈するのでなく、古典の不合理を分析批判し合理的解釈を与えるという学問としては初歩的な常識に類するものであった。さらには片言隻句をとらえるのでなく全体を読めば、当時の帝国と皇室を擁護、敬愛するようなものであった。復刻のなったその著作を読めば、なぜこのようなものが発禁になったのかと信じられないようなものだが、軽薄無知な右翼諸氏は自分の理解の及ばないものは許せなかったのだろう。

 政府の方針に賛成できない公務員はパージする、真相を求めるジャーナリストは意図的に排除する、耳に痛い提言をする学者は任命しない、そういう強権を「見える化」することで公務員やジャーナリストや学者の委縮を狙う。その先には・・・

 私が戦前とシンクロする、この(任命拒否)件の持っている問題は危険極まりないと考える所以は以上のことだけでも明らかだろう。

   【おまけ】古代史から近現代史の専門家に話を移す。任命を拒否されたうちの一人は近現代史の東大加藤陽子教授である。私が氏の有名な『それでも日本人は「戦争」を選んだ』という著作を読んでの印象は”いささか歯切れが悪い”というものだった。非常に実証的だが戦前の「戦時体制」の批判が歯がゆいものだった。だから、政権はこの程度の見解でも許せないと考えたのかと半分信じられないくらいだった。

 ただ思い当たることと言えば、この本の「おわりに」のそれも終わりの方にこうあった。

 ◆本屋さんに行きますと、「大嘘」「二度と謝らないための」云々といった刺激的な言葉を書名に冠した近現代史の読み物が積まれているのを目にします。地理的にも歴史的にも日本と関係の深い中国や韓国と日本の関係を論じたものにこのような刺激的な惹句(じゃっく)のものが少なくありません。しかし、このような本を読み一時的に留飲を下げても、結局のところ「あの戦争はなんだったのか」式の本に手を伸ばし続けることになりそうです。なぜそうなるかといえば、一つには、そのような本では戦争の実態を抉(えぐ)る「問い」が適切に設定されていないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も何度も読むことになるのです。このような時間とお金の無駄遣いは若い人々にはふさわしくありません◆

 私の想像では、こういう控えめでで冷静な指摘が、日本会議に支えられた政権ととりまきの文筆家には許せないと思われたのだろう。

 そういう意味で、今回の学問の自由への介入は、民主主義にとって相当危険な水準に達しているように私は考える。

2020年10月4日日曜日

エールと戦時責任

 昨日の記事で、音楽挺身隊リーダーが「音楽は軍需品」と述べ、納得しない音(おと)を「非国民」と指弾したことを書いた。

   さらに書きはしなかったが、裕一の古い友人たちも戦意高揚一色の音楽界から去るにあたって、例えば木枯は音に「変わんないですね裕一は。まっすぐで純粋で」と伝えた後で「利用されなきゃいいけど…」とつぶやき、音も心の底で何かを察したようだった。

 ところで私は、このドラマから裕一の純粋さというか鈍感さを「正しく」批判し、「みんなで戦時体制の危険性を再認識しよう」と書くには若干の躊躇がある。間違っているわけではない。正しい。「しかし」と残る思いがある。

 誤解のないようにことわるが、例えばドイツに比べてわが国が戦争責任の総括をあいまいにしたために戦後の種々の歪みが生じているとの指摘は正しい。そういう意味で、いろんな階層での人々の反省・総括はドイツがそうであるように不断に繰り返さなければならない。

 事実、私の父は航空機会社の管理職として敗戦を迎えたが、およそ「軍」と名のつく書類や用具は徹底して焼却処分、早い話が証拠隠滅を行ったと語っていた。そういうことは全国、全軍、全産業で行なわれた。お気づきのとおり赤木俊夫氏の自死を含む森友問題の証拠隠滅・証拠改竄の遠因はこんなところにもあった。

 そういう思いと同時に、今は丁度「大阪市廃止」住民投票反対運動の真っ最中である。そのことと重なって思うことは、一旦少数派に追い込まれた第一組合が多数派に返り咲いた某労働組合の教訓を聞くと、「最初は第二組合員が全部裏切り者に見えたが、彼らも同じ被害者だと思えるようになってから職場が変わっていった」という言葉だった。

 戦時歌謡を量産した裕一を現代人が批判することは容易い。批判は正しい。同時に先駆者には原則と同時に度量も必要だと私は思っている。朝ドラと「大阪市廃止問題」がオーバーラップして判りにくい記事になったがご賢察を乞う。

2020年10月3日土曜日

マトリョーシカから飛び出たもの

 先日発行したミニコミ紙の見出しに『菅は安倍のマトリョーシカ』と書いたが訂正したい。何となれば、安倍右翼政権の番頭だった菅は安倍以上に狡猾な男である。

   その証拠は、  赤旗がスクープしたあと大新聞やテレビが後を追ったのでご存知だとして詳細は省くが、菅首相は学術会議会員の任命にあたって、学術会議法に基づいて推薦のあった候補者のうち主に人文系の6人について理由を明らかにせず任命を拒否した。歴史上例のないことである。

 加藤官房長官は「法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能。その範囲内で行っているので、ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べたが、以下のとおりそれは、憲法23条の学問の自由や学術会議法3条が謳う学術の独立を踏みにじるものである。

 任命を拒否された者の一人である立命館大学法科大学院松宮孝明教授(刑事法学)は京都新聞の取材にこう述べている。「(官房長官は)学問を監督しようと言っているが、それが自由の侵害ではないか。もう一つ言うと、ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法61項にある。天皇の国事行為だ。「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とある。日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が「この者は駄目だから任命しない」と言えることになる。同じ理屈だ。つまり任命権があることを、「任命が拒否できる権限もある」というふうに思うのは間違いなのだ」。・・この話はよくわかる。

 近年、防衛省が多額の研究助成予算を使用してきたが、学術会議は「軍事研究はやらない」「普通の研究予算を増額せよ」と言ってきたことに自公政権は「大学の人文系学部は不要だ」などと言ってきたが、これはそのさらなる回答と言える。もっと具体的には、戦争法や共謀罪法に賛成しなかった学者をパージすることで学術分野を恫喝する側面も大きい。これはとてつもなく怖ろしいことである。

 さて皆さん、朝ドラ『エール』では妻の音(おと)が「みんなの心を楽しくさせる音楽」と発言したことに対して音楽挺身隊リーダーの神林は「時節柄音楽は軍需品である」と述べて音を「非国民」と指弾するのだった。そして新聞記者になった裕一の友人の村野は「戦局は報道内容とは大きく異なっているようだ」と裕一に語り、戦意高揚一色の音楽界から去っていった。この朝ドラの昭和18年の場面を、まるで先のニュースの解説のように感じたのは私一人ではないはずだ。学術会議会員任命拒否がエールが描いた時代、全体主義の時代への復古の一里塚であることは間違いない。

 戦前の国家による学問の監督・統制の事例は枚挙にいとまがないが、与党公明党の支持者の皆さんは、朝ドラが描いている昭和18年に同じ文脈の下に、牧口常三郎、戸田城聖両氏が検挙されたこと、牧口氏が翌年獄死した歴史をどう学んでいるのだろうか。

2020年10月2日金曜日

旅人と鴉のために

   右の写真は、ペイント3Dを使って初めて、昨夜の十五夜のお月様と薄(すすき)とお月見団子を合成した。軽くお笑いください。

   さて、「柿の実は全部採ったらあかん。ひとつ二つは旅人のために、あとのひとつ二つは鴉のために残しとくのや」・・昔、大和(奈良)の先輩にそう教わったときには、大和の人はなんて心が優しいのやろうと感激したものだ。木守柿(きもりがき・こもりがき)という。

 広辞苑には、【きまもり】(木守)として「来年もよく実るようにというまじないで木に取り残しておく果実」とあるが、広辞苑に代表される各種事典のこの種解説に比べて大和の言い伝えはなんと奥深いことだろう。

   わが家の柿の木は狭い庭をはみ出しそうだったので、今年は無茶を覚悟で強剪定したので全く不作である。それでも幾つか実がなっているのだが、ちょっと油断している間に数個ヒヨドリや鴉に喰われてしまった。

 私は大和の古老ほど優しくないので、ヒヨや鴉が来たら「こらっ」と追っ払っている。

 さて、近所の緑地(小山)に渋柿の木があり、冬にはメジロやツグミなどが来て私の写真の撮影ポイントになっている。

 鳥たちは基本的にはよく熟してから来るのだが中には早くからやってくるイラチもいる。ものの本には「甘く熟してから食べに来る」と書いてあったりするが事実でない。まだ渋いはずの時期でも啄ばんでいる。

 エゴの実のようにエグイ実も鳥は食べるから、我われとは異なる味蕾を持っているに違いない。あんまり解説書など信じずに、実際に自分の目と耳で観察するのがよい。自然は不思議なことばかりで飽きることがない。

2020年10月1日木曜日

十五夜だけど満月でない

   今日(今夜)10月1日は旧暦の8月15日で十五夜のお月見である。一日早いが娘がお月見団子をくれたので前夜祭をおこなった。大阪のお月見団子はこういうのではないのだがなあと思いつつも、折角の娘からの差し入れなので嬉しく戴いた。

 さて、十五夜は今夜だが満月は明日である。月の公転周期は約27.3日だがその間に地球も公転しているので、月の位相(満ち欠け)は約29.5日で、満月は約14.8日。さらにそれぞれが楕円軌道であることや、月の軌道が地球の黄道面と少しずれていることや、太陰暦の朔日のとり方や、そもそも満月とは黄経180度の瞬間を含む日にちであることなどから、十五夜と満月は1~2日ズレることがママある。それでもテレビあたりでは十五夜を満月満月と言っている。

   今般の満月の瞬間は10月2日6時5分である。まあ、四捨五入すれば10月1日の夜の方が近いから納得かも。

 提案だが、月や星の情報を語る時(日)は日没の”日”をもって語るというような工夫があってもよいと思う。少なくとも少しはズレが解消される。ただ、満月が2日ズレると無理だし、今年のように日の出後まで援用するのは議論の余地があるが、ラジコの深夜放送の番組表には25時だとか28時だとかという表示があるが、これはそれなりに非常に説得力がある。国立天文台の皆さん、検討してもらえませんかねえ。

 先日からショッピングモールの花屋さんで薄(ススキ)が売られていた。ついにここまで来たかとも思うが、わずかな代金で現代人がお月見を演出するのも悪くない。

   満月も1日遅れたが、猛暑と残暑のせいか我が家の彼岸花も今頃満開になっている。こちらは風情というようなレベルでなく、地球環境の悪化が遠因らしい。SDGs (エスディージーズ)”持続可能な開発目標”が世界中で論議されているが、大阪では大阪市を廃止してカジノを作って「成長するのだ」と言っている人がいる。頭の中が化石燃料みたいな感じがする。