2023年3月31日金曜日

夜桜カルテット


   29日、太陽が生駒山に沈むころ、満開の佐保川に夜桜お七ならぬ怪しい四人組。
 ピークともいえる花吹雪の中を散策後、メーンテーマである居酒屋にしけこみ、マッコリの夜は更けた。

   話題のひとつはそれぞれの菜園。
 あっちが痛い、こっちが痛いと言いながらも、玉ネギの収穫時期は‥とか、次の夏野菜は‥、一回でいける肥料は‥などなどと、基本的には未来志向で良い。

 都会の老人が見失いがいがちな未来の話が良い。教えてもらった「一発肥料」は是非とも使いたい。

 二人はキャッシュレスを使いこなしていたりして、私のイコカやワオンよりも前を行っている。私は安全面の心配ではなく、購買意欲にブレーキをかける意味で「いつもニコニコ現金決済」でいるが。

 元気が湧く面々とお酒だった。お花見万歳!

2023年3月30日木曜日

春休みのおやつ

   春休みには孫の夏ちゃんがやってくるということで、なにがしかの喜ぶおやつを用意しておくことになったが、夏ちゃんはおやつも含めて食べ物に淡泊なのでこれが難しい。

 そんな折、妻がラジオから得た情報に基づいて、グミッツェルというのを購入しておくことにしたが、これが通常の店には全く見当たらなかった。

 ならば通販でとネットを繰ってみるとそこでも軒並み売り切れなので驚いた。ラジオの情報(話題)に載ってくるはずだ。

 結局、ヒトツブカンロ東京駅店限定グミッツェルというのを購入したが、グミという駄菓子の範疇を超えるものだった。

 結果、春休みということでやってきた夏ちゃんは満足したし、少しおすそ分けしてもらって食べると全く初めての食感だった。プチプチとしたグミなのだった。
 グミというと駄菓子とまでは言わないが普通の「菓子」だが、これは差別化とでもいうのだろうか「洋菓子」扱いで成功しているようだ。

2023年3月29日水曜日

新種発見

   以前に「海なし県」の奈良県で磯ヒヨドリを見つけたときも驚いたが、今度は顔が黄色く光った新種だ。

 急速に身近な野鳥の種類が減っている中で、貴重な新種である。

 ・・・というような戯言は放っておいて、これは普通のヒヨドリが椿の花粉まみれになったところ。
 ちょうど満開の椿の樹を「外遊」している。

 冬季の花は「鳥媒花」が多いと改めて確認した。

 杉から檜へとバトンタッチされる花粉を怖れながら、窓ガラスの内から花粉まみれのヒヨドリを楽しく観察している。
 けっこうアクロバチックな体制(ホバリング)を取りながら、次から次へと渡り歩いている。

 それにしても、迷鳥としてやってきた熱帯あたりの新種って気がしませんか。

2023年3月28日火曜日

マサカとヤッパリの46位

   都道府県幸福度ランキング2020が発表された。都道府県幸福度ランキングにはふたつあって、一つは㈱ブランド総合研究所のアンケート集計によるもので、もう一つは一般社団法人日本総合研究所(寺島実郎会長)が75の指標に基づいて算出し2年ごとに発表しているものである。

 本題は後者によるものであって、その結果の書籍は4万円以上するので手が出ず詳細な分析はできていないが、ダイジェストが発表されている。

 それによると、基本指標は「健康」「文化」「仕事」「生活」「教育」の5分野で、大阪府は「文化」以外は低迷から衰退と言うべきで、「文化」によって全体が引き上げられても、なお総合評価では、この調査が発足以来、2012年が42位、14年が43位、16年が44位、18年が43位と来て、今回2020年調査ではついにワースト2、46位となった。

 ちなみに1位は福井県だが、ここは底なしの原発マネー問題を考慮する必要があるように思う。2位以下は、富山、東京、石川、長野というようになっていて、漠然とだが判る気がする。

 要するに維新の地方自治の典型たる大阪府はかなしいかな最低レベルだというのが、合理的と思われる統計でも明らかになっている。
 大きな報道機関がもう少し内容を詳しく報じてほしいところだが、とりあえずは維新政治には退場してもらうのが喫緊の課題だと考えられる。
 大阪が46位ですよ、46位。それでも「何かしてくれそうだ」で良いのですか。

2023年3月27日月曜日

廊下の奥に立ってゐた

   全く誉められたことではないが、私自身はこの町、京都府精華町の端っこに住い、どちらかというと生活圏も奈良県というような、まるで「はぐれ者」みたいな感覚で暮らしてきたが、それでは急に済まなくなってきた。

 昭和14年、庶民には未だ日中戦争も対岸の火事のように感じられていた頃、俳人渡辺白泉が【戦争が廊下の奥に立ってゐた】と詠んで翌年検挙された頃もかくや・・という不快感を感じている。

 理由は、京都府精華町には祝園(ほうその)弾薬庫があるが、岸田自公政権はここに『敵基地先制攻撃用長射程ミサイルを保管する』と言い出したからである。
 来年度予算で、陸自祝園分屯地(この弾薬庫の基地)、陸自大分分屯地(大分市)、海自大湊地方総監部(青森県むつ市)、海自地方総監部(呉市)で基地の地下化などの調査開始となった。

 余談ながら、このことについて先日『赤旗』が地図を付けて解説したが、祝園弾薬庫が京都府の北の方に印しされていたので即メールで意見を述べたところ、それも即「直ぐに訂正したい」と返事があった。・・ここは余談。
 
 プーチンの暴挙を見て岸田内閣は火事場泥棒的に「脅威だ」「敵基地先制攻撃能力だ」などと言い出したが、その言葉を裏返せば、わが街が相手側からの脅威となり先制攻撃目標になるということだから、弾薬庫から1.5キロほどしか離れていないわが家も他人ごとではなくなったわけである。

 軍事に関しては秘密主義が大手を振っているから判らないことだらけなのだが、いろんな傍証からは戦前の毒ガスが今もここの地中に埋設されている可能性も指摘されている。ということは、経年劣化で地下水汚染もないことはない。
 それに、1945年~1960年は、米軍管理下で極東米軍の「核兵器処理能力のある基地」と位置付けられていた事実もある。

 そもそもは、戦前、枚方・禁野火薬庫の大爆発事故の代替地として、当時の「田舎」のここに弾薬庫が造られたのだが、その「田舎」が今や学術研究都市になり、そういう都市のど真ん中に弾薬庫が鎮座している。

 私自身はゆっくりと古代史あたりを考えながら暮らしたいと思っているが、実に野暮な現代史も覆いかぶさってきた。ああ。

2023年3月26日日曜日

♪ またも出ました

   ♪ またも出ましたクマンバチ‥ で太平トリオというのは昭和人、外来種というのは平成人。

 気温が上がると見事に昆虫が出てくる。
 ちょっと過ぎてしまったが啓蟄とはよく言ったものである。

 タイワンタケクマバチ(台湾竹熊蜂)。私は去年の5月に初めて見て驚いた。
 真っ黒なクマバチだ。
 国境を跨いで物流が行きかう時代で「外来種」というような言葉がおかしくなってくる。いけない いけない。

 日本の食料はカロリーベースで60%以上を輸入に頼っている。農林水産物の輸入相手国の1位はアメリカ、2位は中国。
 その国が南西諸島にミサイルを配備して「台湾有事に備える」というのは小学生でも「おかしい」と感じないか。
 私が中国ならミサイルを1発も打ち返さず、対日輸出をストップするだけだ。

 理知的な議論がマスコミから消え、やたらに危機意識を煽るのは「いつか来た道」の感じがする。

ウドの香り

   春、山菜の季節がやってきた。といっても今の私は野山に山菜採りに行くでなし、ただスーパーに並んでいるのを見ているだけである。

 何年か前までは近所の全国的に有名な大型スーパーには若ごぼう(葉牛蒡)が出されなかった。店員さんに尋ねると新牛蒡に案内されたものだ。(おいおいおい若ごぼうと新ごぼうは全くの別物だ)
 そこで、「そもそも若ごぼうとは」などと店員さんに講釈を垂れ、「若ごぼうを置くように責任者に伝えてね」と言ったものだが、近年はそれが並ぶようになった。・・私の努力も万分の一かは寄与していないか。

 その若ごぼうの話は後日にして、・・先日は妻がウドとフキノトウを買ってきて、夕食に酢味噌などで美味しく戴いた。
 そのとき、「う~ん、この清々しい香りはどこかの何かと似ているが何だったかなあ」と記憶をぐるぐる探してみて、「そうだ、ベンゼンだ」と思い至った。
 食べ物と少し工業的な香りというのはミスマッチのような気もするが、少し調べてみると、やはり揮発性化合物とあった。
 そうそう、芳香族、ベンゼンなどの香りだ。

 芳香族の名前のとおり、今でこそ排気ガスというと悪玉の代表だが、戦後すぐの頃は自動車が通るとその後ろに跳んで行って、「ああ美味しい」と排気ガスを吸ったものだ。今の子どもたちには想像も及ばないだろう。
 だから「化学」で「芳香族」という名前を習ったときは体感的によく理解できた。

 このブログ記事で山菜を嫌いになってもらったら困るが、ある種の山菜には芳香があると言いたいだけで、私はそういう山菜が好きだというだけのことである。
 別にベンゼンや排気ガスを連想するには及ばない。

 さて友人は血液検査でカリウムの値が非常に高いと「指導入院」を受けたというが、概して山菜にはカリウムが多いようだ。
 今のところわが家では、「摂りすぎ注意」のような各種食材でも「もうこの歳で蓄積注意も何もないやろう」と無視をして食べることにしているが、医師の指導を受けている人には山菜はお勧めできない。

 昨日は腐臭のことを書いたが、今日の芳香で帳消しに・・・・。

2023年3月25日土曜日

大阪カジノにたつ腐臭

   東京オリンピック、パラリンピックでは、電通グループや博報堂をはじめ、法人6社(外にADKもあるが)と大会運営局元次長ら7人が437億円の不正を行ったとして逮捕や起訴をされたが、要するに利権に群がって私腹を肥やしたわけである。
 腐臭がするところには必ず銀バエのような連中が集まるものだと感心する。

 さて、大阪カジノ(IR)だが、ここはオリパラとは違って清廉潔白だろうか。常識力のある人なら「ここもちょっと心配だ」ということになる。
 そういう連想ができないということは常識力が劣ることになる。

 そのカジノ(IR)の用地の賃料だが、不動産鑑定4社のうちの3社が同額だという。 土地の価格も利回りまでもが同一だと。 ありえない。ありえない。オリパラ談合を想起しないか。

 しかも1平米12万円というのも安すぎる。USJ横のホテルは約50万円~60万円、去年3月に売却された南港東の埋め立て地でも約46万円。
 こんな無茶がなぜ起こったのかと聞くと、松井市長は「鑑定事務所からIRを基本とした鑑定額は出せないと話が合ったからだ」と答えたが、実はそれ以前に発注者側の大阪市が「IR考慮外」とした条件設定だったという文書が港湾局から文書開示された。

 言ったことを「知らない」、果ては「公文書は捏造だ」という大嘘付きが国会周辺に居たが、淀屋橋にもいたらしい。
 もう一度言うが、こういう不正のツケは市民が払うことになる。
 この問題を徹底して追及してきた たつみコータローを押し上げて、清潔な大阪の地方自治を取り戻したいものだ。
 大阪市長には、私は北野氏を推す。

2023年3月24日金曜日

たつみコータロー挑む


   大阪府知事選挙(4月9日投開票)が23日に告示され、たつみコータロー氏が大阪の良心の代表として立った。

 私は「カジノでなく命・くらし・教育の充実」を実現しようとする氏に是非とも当選してほしいと願っている。

 いろんな課題があるが、私は「大阪にパブリック(公共)を立て直したい」という主張に共鳴している。

 かつて、私が勝手に師と仰いでいる故内山昻氏は「小さい政府は高くつく」と喝破されたが、維新による大阪府政は、マスコミを利用しての美辞麗句とは正反対に、大阪府民に高いツケを押しつけてきた。
 例えば、人口100万人あたり新型コロナ死者数累計NHK3月22日によると、
 🔳大阪府 959.8人
 🔳東京都 573.8人
と、大阪府は全国47都道府県中47位。ワースト1、最悪の府政・最悪の知事となっている。

 沖縄の米軍の出入国問題や、北海道の観光客流入問題、あるいは医療機関が不十分な地方の都道府県でなく、それらを超えて、財政規模や医療資源がトップクラスの大阪府を誰がこんな最低の地獄にした。

 保健所など府民のセーフティーネットを支える機関と公務員を大削減し、公的病院を統廃合し、福祉関係の助成金をバッサリ削った結果がこういうことを招いたのだ。
 よく政治の討論では「結果責任」などという言葉を聞くが、まさに維新政治にこそこの責任があることは明らかだ。

 政治によって救える命が救えない維新政治は、いくら「身を切る」などと美辞麗句を並べても、痛い目のツケは府民にツケ回しされるのだ。「小さな政府は高くつく」のだ。あした、そのツケで泣くのは私や私の家族かも知れない。

2023年3月23日木曜日

バードテーブル

   野鳥観察の教科書には「野の鳥は野に居るままに」を原則として、餌の乏しい季節にはバードテーブル(野鳥の食堂)も許容されるとあるが、足腰の衰えとコロナパンデミックが重なり、バードテーブルに依拠する観察の比重が増えてきた。

 それに慣れると横着度は次第に高まり、ついには、日頃のんびり座っているソファーに座ったままそれらを楽しみたいとなった。それが写真のバードテーブル(餌場)で、もちろん手作りのものである。
 ソファーの座高が高くない分バードテーブルを高くして、上半分の透明ガラス越しに気楽に観察できるようにした。

 人懐っこくて美しいのはヤマガラやシジュウカラなので、このバードテーブルにはハムスター用に売られているヒマワリの種を入れている。

   ヤマガラやシジュウカラはヒマワリの種をくわえて近くの樹木に移り、そこでコツコツコツコツと殻を割って中身を食べる。
 それでも、飛んできたり飛び去るのも楽しいし、しばらくはこのテーブルで実を選んだり叩いたりするのも観ていて飽きない。

 下の写真は家の中からスマホで撮ったもので、ソファでなく立ってのアングルだが、ほぼこんな感じで観察というか観賞している。

 実は吊り下げ型のバードテーブルはこの写真の右奥にあるのだが、それはどちらかというと歩行者の皆さんに鑑賞していただくためのもの。
 そしてこちらは主に屋内専用。

 何羽かのシジュウカラがとっかえひっかえここにきて、そこらの樹上でコツコツコツコツとやり、食べ終わるとまた、スイ~と飛んできたり、庭の中を右から左へ、左から右へと飛び交うのも美しい。
 材料費は百均とホームセンターで選ったので凄く安い。
 バードウォッチングも楽しいが、こういう工作を考えるのも楽しい。

2023年3月22日水曜日

鳥が舞う

   今シーズンは何年ぶりかでインフルエンザが大流行しそうだというアナウンスがあったが、幸いなことに空振りだったようである。
 ただコロナはけっこう波を繰り返していたから危険な冬であったことは間違いない。事実、わが家でも病気とまでは言えないが健康でない、未病という状態のときも度々あった。

 いわゆる風邪になるのははっきりとパターンがある。酒を飲んでうたた寝をしたときと、伊達の薄着が過ぎたときである。
 なので、その二つを避けるよう努力をして今シーズンを乗り切った感がある。

   その伊達の薄着を克服できたのはウルトラライトダウンのベストのお陰だと思っている。このベストはユニクロの独壇場の感があるが、ワークマンのがも一つ安い。そのベストで伊達の薄着を乗り越えた。

 ただこのワークマンの製品は安いのはいいのだけれど、中身の羽根が数ランク落ちている。たくさん入っていて防寒に支障はないのだが、羽根が生地を通り抜けてくる。
 で、室内に羽根が舞っているときがある。もう一度刺し込むわけにはいかないから、羽根の舞う状況を冬の風物詩として眺め過ごしている。

2023年3月21日火曜日

酒器の季語

   2月22日に『追悼』という記事を書き、お開きは君がジョッキを倒しとき と詠んだところ、友人がそれをミニコミ紙に引用掲載してくれた。
 いつもながら、プレバトの先生流にいえば「散文だ」ということにされるだろうが、とりあえず追悼句と言わせていただこう。

 「倒し」が文語の文法上正しいかどうかは大いに悩み調べ返したが、ここは無理でもいいだろうと割り切った。問題は季語である。

 私は、それほど季語にこだわる必要があるのか・・と考えている派に近いのだが、そういう制約の中で言葉を探すのが俳句である。野球になぜ3球で三振なのかと言っても始まらないので、そういうルールの下でどう勝つかと考えるものである・・という反論もある。
 で、ここはそのことに深入りはせず、有季定形を認めて論を進める。

 さて、テーマの現実味からいうと、酔いが回ってテーブル上の酒器を倒す確率でいえば、先ずは「お銚子」である。言葉を選べば、「徳利」がいい。現物よりも言葉の調べでいえば「ちろり」(主にアルミ製の酒燗器)も・・・しかし、これらは季語にない。
 「熱燗」などというよい季語があるが、倒すのは話に興じているうちに冷めたお酒であるから、ちょっとそれは事実と違う。そこで見つけたのが「ジョッキ」で、もちろん夏の季語である。
 それに、お銚子を1本倒したぐらいなら布きんかティッシュで対応可能だが、けっこう残っているジョッキを倒すとテーブルどころか皆のズボンにまで襲いかかってくるから、それはもう皆がワアー!と叫んで先ずは瞬時に逃げることになる。

 「君」の「それ」は、そういう大騒ぎが多かった。そしてそういうシーンは幾らも経験した。
 だから誰も「しっかりせい」などと野暮な説教をするでなく、「さあさあお開きお開き」という気分になるのだった。
 実に単純な追悼句だが、作者はそんなあれこれを考えてジョッキにしたのだが・・・

 PS ミニコミ紙に引用してくれた友人の話だが、制限時間いっぱいの新聞編集作業の大詰めで、若干のスペースが生じ頭を抱えたところ、亡き友がスーッと頭に降りてきて文章ができたらしい。早く逝ったお詫びに舞い降りてきたのだろう。

2023年3月20日月曜日

春宵一刻

   浦島太郎だ。 梅田の地下街で一杯やってきた感想だ。
 梅田の地下街へは、大阪中央郵便局が地下に移っていたため導かれるように入って行ったのだが。
 
 そこで見たものは・・・コロナ本番中?でもこうだったのかどうかは知らないが、多くのサラリーマンで飲み屋街が賑わっていたのには少々驚いた。
 ほんとうはそれほど驚くことではなく、郊外に「蟄居」していた自分の方がおかしかったのかもしれないが。

 だからきわめて個人的には、現職時代の遠い思い出の風景がよみがえってきた。
 それは、遠い遠い故郷に帰ってきた浦島太郎の心境だ。
 浦島太郎・・といえば、私自身、もう梅田地下街の主人公の感覚はなく、街の観察者という感覚が拭えなかった。
 余談ながらここには『○○労組太陽分会』という立派な組合もあった。これは余談。

 最後に、帰路は大阪駅か梅田か西梅田か東梅田かで迷い、けっきょく東梅田に向かったのだが、ほんとうの正解は西梅田だった気がする。
 方向感覚や土地勘には自信があったはずだが、もうこれでは全くの「お上りさん」だ。

 帰宅後、妻は「うめきたを見てきたん?」と尋ねたが、全く外れたところの古い古い飲み屋街だけで帰ってきた。うめきたは鉄ちゃんに任せておこう。

 いかんいかん、もっと洒落たお店に行かないと、遠く時代に取り残されていく。
 「コロナ蟄居」ばかりしていられない。

2023年3月19日日曜日

プーチンとダブるひとたち

   放送法を巡る高市早苗氏や礒崎元首相補佐官による圧力の記録が総務省から出てきた。

高市氏は「捏造だ」と言ったが、公務員が捏造文書を残したりはしないだろう。バレれば即クビだし罰せられる。
反対にいえば、実は内心不本意であっても政治の力でこうなったと事実を記録しておきたいものだ。それが公務員だ。いや、サラリーマンだ。

それにしても、一連の圧力はすさまじい脅迫だ。サスペンスドラマのヤクザの恐喝よりもひどいと私は思う。
「総理にお話しされる前に官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思います」と進言した総務省幹部に、礒崎氏は「局長ごときが言う話ではない」「俺と総理が二人で決める話」「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」などと発言している。
高市氏らの主張は、「政治的公平かどうかの判断は政権がする」「ひとつの番組でもおかしければ電波停止も有り得る」というものだったが、これは日本語では『検閲』というのではないか。

哀しいかな、メディア側の忖度も含めて、事実、報道ステーションの古賀茂明コメンテーターの降板に始まり、古舘伊知郎、国谷裕子、岸井成格など比較的良心的なキャスター各氏が止めさされて行った。プーチンの「軍事行動を戦争と言ったら罰する」態度と全く変わらない。
安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を謳ったが、ほんとうに戦後民主主義の危機を私は感じている。

いま、ジャーナリズムの基本に関わるこのような重大問題がマスコミで深く追及されているように思われないのは、高市氏らのフックがボディブローのように現に効いているように思える。
そういう意味で、この統一選挙は重要な気がする。
長いものに巻かれず、民主主義のためには徹底的に闘う、そういう日本共産党を敗けさせるわけにはいかないと思う。

2023年3月18日土曜日

木の芽どき

   徘徊も悪くはなかろう木の芽どき

 目的もなくうろうろするのは×(バツ)だろうか。
 冬を通り抜けた感のある木の芽どきは、用もなく出かけてみたい衝動に駆られる。

 厚労相などの相という字には助けるという意味がある・・というのは半藤一利氏の『歴史と人生』(幻冬舎新書)から学んだ。

   そして、平凡社の白川静常用字解では・・、盛んに生い茂った木の姿を見ることは樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味となる。
 助けるというのは樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから「たがいにする。たがいに。あい」の意味となる。
 また「すがた。かたち」の意味にも用いる。
 見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられたのである。
 (中略) 万葉集にも「見れど飽かぬ」「見れど飽かぬかも」「~見ゆ」という形式の歌が多いが、みな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想うことを想という・・とあった。

 とまれ、木の芽どきの木々は人間に生命力を与えてくれているのだ。
 そんなときに、顔をあげることなく日々を暮らしていると病気になる。
 この頃は寄るとしばしば病の話で盛り上がる?
 検査値や薬の話題でなく木の芽どきの美しさについて語ろうと思う。
 魂振りの観念に酔うのも一興だ。

2023年3月17日金曜日

花は咲く

   障害のある児は世間一般ではごく普通のことでも大変なことがある。
 孫の凜ちゃんは母親付き添いで大学病院へ入院中だ。
 手術は無事終了したと連絡がありホッとしている。

 「時代」の歌詞ではないけれど、いつか笑い話になるときが来るはずだ。
 釈迦の教えの図抜けて素晴らしい真理は「諸行無常」というところだろう。
 凜ちゃんにもそれでも春はやってくる。
 春休みもやってくる。
 今度は何を食べさせてやろうかと嬉しい悩みだ。

 祖父ちゃんの料理はほとんど「ボーノ!」と言ってくれる。・・言ってくれないと「ボーノか?」と催促するから・・ハハハ。


2023年3月16日木曜日

北帰行シロハラ

   北帰行という歌がある。私などは小林旭の歌として知っている。その歌詞は次のとおりである。

1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人ひとり
  涙流れてやまず
 
2 夢はむなしく消えて
  今日も闇をさすろう
  遠き想いはかなき希望(のぞみ)
  恩愛我を去りぬ
 
3 今は黙して行かん
  なにをまた語るべき
  さらば祖国愛しき人よ
  明日はいずこの町か
  明日はいずこの町か

 この歌の原歌は、旧制旅順高等学校の愛唱歌(広義の寮歌)で、戦後うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まり1961年(昭和36年)に歌謡曲としてヒットした。
 原歌の作詞作曲者は宇田博、旅順高等学校 1回生、1922 - 199589日)。
 1940年(昭和15年)、開校したばかりの旧制旅順高等学校には、入学した宇田が望んだようなバンカラで自由な校風は存在せず、1941年(昭和16年)5月、宇田は女の子とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。
 
その際、彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この『北帰行』である。
 故に、単なる流浪の歌ではなく、自由への解放を歌い上げたものとされているが、歌謡曲ではそこまで伝わっては来ないが、ちょうど青春真っ只中の私には共鳴するものがあった。
 
 そうして、冬鳥が北へ帰るこの時期になると、毎年この歌を思い出すのだった。
 写真は北帰行間近の大型ツグミ類のシロハラ。
 鳥インフルエンザなどに負けずに来シーズンもやって来いよ!

2023年3月15日水曜日

春日和

   サンデー毎日とはいうものの日々雑用に追われている。
 ミニコミ紙やOB会の雑用が重なると、職業生活時代に勝る業務量で、パソコンやプリンターにへばりついている。

 昨日も書いたが、人生も社会活動も八割方は雑用である。ダンドリ八分との例えもあるが正に正解。

 で、それだけでは少々寂しいので、昼食は写真のとおり薪ストーブでピザを焼いた。ただそれだけだが生活のスパイス、アクセントだ。

 もうすぐ春休み。ピザはイクジイの予行演習だ。
 妻が夏ちゃんの好きなお菓子をネットで買うてくれというので探すと、軒並みSold Out だったので、ようやくそれに準ずるものを購入した。
 準備と計画は徐々に進んでいる。
 
 そも雑用は、生きている証拠である。

 ピザは相当焦がしてしまったが、妻とビールを飲みながらきっちり反省会を行った。

2023年3月14日火曜日

梅とダンドリ

   このブログの2月11日の『今日は何の日』で書いた和歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の花について、古今和歌集編者の紀貫之は「梅の花と言ふなるべし」としている。
 もっと遡れば万葉の時代は「花といえば」桜・・ではなく梅だった。

 右の写真の、この梅の花を撮ったのは2月の15日。
 それからおよそ一月が経過したがあちこちで少なからず咲いているし、梅前線を見てもまだまだ本州中部をゆっくり上昇中。

 何人かから「見たよ!」と電話やメールがあった。12日の12面。

 退職者会の春の遠足の下見の折にパチッと撮ったもの。
 雨はどれぐらいまで決行すべきか。トイレはどこか。昼食の場所はどのあたりが良いか。シートやクッションの用意はどの程度必要か。弁当はどう調達するか。飲み物とりわけアルコールは?A案B案C案・・頭の中でくるくる回転させながら下見をした。

 『ダンドリ八分』というのは現職時代上司から教えてもらった。「建設業でも製造業でもサービス業でも、目的を達成させるためには八割方の力を準備(ダンドリ)に要せ」「ダンドリがきちんとできれば目的の八割方は達成できたも同じ」という風に理解している。
 ダンドリというのは見方によっては雑務雑用。ある意味黒子。
 先月逝った悪友はそんなときよく片肌を脱いでくれたものだと思い出している。

 『粗忽長屋』ではないが、今度アンタの偲ぶ会をやるから、チョッとダンドリを手伝ってくれへんか。

2023年3月13日月曜日

カーブミラー工事

   何年か前に(私が)建てたカーブミラーが劣化して壊れたので自治会を通じて自治体にカーブミラーの建設を要望してもらったが、会計年度の年度末近くになっても一向に改善されないので、またしても実力行使で自前で取り替えた。(こんなこと、実力行使とは言わないか⁉)
 場所は公道の植え込み帯の端。・・なので実力行使。

 ここは手前の陸橋から自転車がスピードを出して下ってくる場所で、向かって左側の道が家屋の擁壁で全く見通しがきかないため、危険な十字路(特に左)となっている。

 ただ地形上微妙極まりないことは、この十字路と手前側は隣の自治体であること。
 しかし手前方向の駅やショッピングモール等との関係でケガをする可能性の高いのは当方の自治体の人たち。
 カーブミラーを立てている場所から向こう側が我が自治体。手前が隣の自治体。

 もし自治体間の押し付け合いみたいな、そんなことを「建設できない理由」にするなら論争しても良いのだが、答は「限られた予算で順番に建てているのでここまで回らない」という。

 さてさて、この国は「何かあったらどうする病」が蔓延しているから、もし台風の時にこのミラーが倒れて誰かが怪我をしたらどうする」という心配?もあるが、そうなれば裁判が面白くなる。
 昔永六輔さんがカネやクジラ尺の物差しを売って「私を逮捕に来い」と公言したように、勝手に建てたカーブミラーに自治体などからリアクションが欲しいものだと待っている。

 と、いささか文句を言っているが、タイトルは「僕らの工作」で、鏡面が輝いている出来栄えを確認して、内心うきうきしている。ウフフフ。

2023年3月12日日曜日

百葉箱

   気温がいっぺんに上昇して、プレ衣替えに悩む。
 花粉も気になるのでシーツの外干しも悩む。
 スマホにはいろんな天気予報が出てくるが、毎朝の決まったテレビの天気予報が何となくベースになっている。

 その天気予報の前提になる観測だが、昔各学校には百葉箱が設置されていた。ちろん各地の気象庁の測候所にも。
 西日本の大元である大阪管区気象台の百葉箱は大阪市中央区法円坂のNHKの南側にあった。
 「あった」というのは今はもうない。
 その地は写真のとおりであるが、ここで観測しているのは変わらない。全て機器で測定し、写真でいえば右上のビルのもう一つ西の気象台に繋がっている。

 そのシステムをアメダスというのはよく知られているが、システムの開発者が大阪人であったということの真偽は定かでない。「雨だす」と知らせてくるのだから??。

   ただ季節の変化は天気予報を聞かなくても判ることがある。
 わが家には沈丁花の香りが漂っている。
 個人的には人事異動の内示の時期を教えている。
 だから、沈丁花の芳香は一種の憂いと重なっている。

 サンデー毎日になってからだいぶ経つのにそんな記憶が出てくるのはけっこう「社畜」だったのかもしれない。
 

2023年3月11日土曜日

信じた罪

   2011年3月11日午後2時46分、私は奈良市の古いビルの4階に居た。
 壇上に立って話されていた講師は気付くことなく講義を進められたが、吊り看板はゆっさゆっさと揺れていた。
 閉会時に事務局が「東北で大地震」と言ってくれたが「東北の地震で奈良が揺れた?」とは信じられなかった。

 急いで帰るとテレビが現場をライブ中継していたが、そこへ大津波が現れた。
 それは録画ニュースではなく、そのままのライブだった。
 ヘリコプターからの映像では、本人は津波が差し迫っていることを知らず、動作が緩慢な人や、中には津波の方向に向かって走っていく人もいた。
 もう一度言うが、私の見ていた画面は録画のニュースでなく、人々が死んでいくそのものの実況画面だった。「そっちへ行ったらアブナイ!」「もっと早く逃げろ!」テレビのこっちで声をあげても虚しいだけだった。

 原発は正常だとのアナウンスが度々あったが、そのうちにフクシマ第1原発から白い煙が上がった。テレビは水蒸気だと繰り返したが、実はそのときメルトダウンが起こっていた。
 「身体に影響はない」とのアナウンスを何回聴いただろうか。
 そのうちに住民は強制疎開となった。
 それからのことはみんなと同じことだろうが、あの時の実況画面の記憶は今も忘れない。
 上に掲載した写真は、森住卓写真集『福島第一原発 風下の村』飯館村でお盆の墓参りに来た住民。

 つい先日3月7日このブログの記事の『重信幸彦氏の指摘』で、戦争前夜には単に政府にだまされた、マスコミにだまされたというのでなく、皆が自発的に「空気」を再生産していった責任があるとの氏の主張を紹介したが、その伝でいえば、私だって原爆ではなく原発は安全だと信じていた責任がある。

 そんなに難しい話ではない。ほんとうに原発が安全なモノであれば、電力の大消費地東京、名古屋、大阪の湾岸工業地帯に建設すればいいのである。処分場もしかり。
 危険なモノであるからこそ田舎に押しつけたのは「知らなかった」で済む以前の常識である。悪口でなく未来志向でいうのだが、札束に眼がくらんで原発を受け入れた田舎だって責任がある。
 胡散臭い話に目をつぶって、都会も田舎も、後は野となれ山となれとばかりに口を噤んできて、ここにきて「知らなかった」は通らない。
 少なくとも私には「騙された罪」がある。この謝罪文を語り伝える責任があると思っている。

 以上の話は、筆の勢いで「皆な」と書いたが、徹底して批判し反対してきた人々がいたことも事実として押さえておく。
 たとえば日本共産党の吉井英勝元議員などはその筆頭だし、大津波で外部電源喪失の怖ろしい危険性を国会で追及したが、それを一蹴して手を打たなかった当事者が安倍晋三元首相だった。多くの素晴らしい学者や市井の人々の名前はここでは省略する。

 さて、ウクライナでは、ロシア軍がミサイル攻撃をして、ザポリージャ原発の外部電源が喪失したと報じられている。ディーゼル発電機の燃料は10日分だけだという。うまく復旧できなければ世界的大惨事となる。
 3.11を振り返るなら、この現実にも目を向けなければと思う。「語り継けよう」という言葉だけを繰り返すのでなく、それぞれが自身の言葉でフクシマを発信したいものだ。

2023年3月10日金曜日

春霞

   科学の進歩が幸せにつながるのかどうかと思わないこともない。
 昔は昨日今日のような天候を「春霞」と言って季節の風物詩と捉えていたが、近頃の天気予報は「PM2.5と花粉の飛散だ」と正確なのだろうが情趣がなくはないか。

 気温に誘われて庭の草挽きなど少し土をいじっていると、どこかでそういう私をジッーと観察していただろう冬鳥のジョウビタキが早速降りてきて、まるでお別れの挨拶に来たようだ。冬は終わりだ。

 そしてその翌日、網戸のかかったガラス戸越しに庭を見ていると、・・尾が長い、その尾を早く上下している、逆光で見にくいが雀よりも小さい、・・
 そう、鶯が来た! 水浴びをしている! 水も飲んでいる! ・・で2階へカメラを取りに行って写したのが上の写真。・・だが、この薮の奥で葉が揺れるのだが・・

 鶯は同じところに数秒もおらず、こんな写真になる。
 そして、わが庭の藪のような木々を転々と2週ぐらい回ったのち、チャッチャッチャと笹鳴きをして飛び去っていった。
 けっきょくお姿を写真には1枚も撮れず。
 「ジョウビタキと交代しますのでこれからよろしく」との挨拶だったのだろう。
 早春賦を歌うには気温が上がり過ぎたが、世は春だ早春だ。
 〽 時にあらずと 声も立てず  時にあらずと 声も立てず

2023年3月9日木曜日

早合点

   師走の園芸店にはポインセチア、シクラメン、クリスマスローズなどの植木鉢が並べられる。
 冬には珍しい綺麗な花々なのでつい購入してしまう。 
 そして花が終われば、地植えに戻して、来年以降の師走を楽しみにする。

 景色が単調になる季節だが来年からは庭が一変するはずだ。
 と、何年か過ごしてみたが、あの園芸店の店先に並んだような景色は生まれず、だいたいが春になってから咲く。

 電照菊ではないが自然であって自然でない。
 それにクリスマスローズという名前もよくない。
 原種はその頃に咲くものもあるようだが、概していえば耐寒性が強いという程度で、まあ春の花というのが近い。

 写真はわが庭のクリスマスローズ。ようやく蕾が膨らんできたところ。
 毎年師走に咲くものだとは早合点。というか早トチリ。
 これからは春の花々が一斉に開花するから、その中のただのひとつになってしまう。まあ冬中のグリーンカーペットだと思うことにする。

 もう一度言う。クリスマスローズ、名前が良くない。来年もその頃に咲くものだと間違わせる。

2023年3月8日水曜日

ミモザの日

   3月8日は国際女性デー、昔は国際婦人デーと呼ばれていた。
 さらに昔は労働組合でも青年婦人部だった。
 名は体を表すでいえば、それだけ進んできたようにも見えるが、世界銀行が発表したジェンダーギャップ指数では日本は146位中の116位、先進国はおろかOECD加盟国でも最低である。

 その原因を政治と経済の方面から考えると、政治では、旧統一協会の「女は家庭を守れ」という主張を受けてその先兵となって発言してきた主に自民党議員等の責任は重い。
 もう一つ経済では、リストラ、非正規雇用、女性賃金差別を徹底して追求してきた竹中平蔵からアベノミクスの経済政策が決定的に悪影響を与えている。

 国際女性デーにあたって「これではいけない」と考えるなら、ジェンダーギャップでこれほど酷い状況を生んだ、自公(与党)や「ゆ党」を当面する統一地方選挙で当選させてはならない。

 3月8日はミモザデーとも呼ばれ、イタリアでは男性が女性にミモザの花束を贈る日となっている。
 ミモザは春の先頭に立って咲くのでピッタリだが、私は妻にミモザの花束を贈らない。
 丁度花粉の季節と重なるし「見るだけで苦しくなるのでいらない」と妻が言う。
 どう見ても花粉の塊だ。
 事実、庭にあったミモザの樹も伐採した。

 近所のミモザの樹を窓を通して見ているのが一番良い。

2023年3月7日火曜日

重信幸彦氏の指摘

  朝日新聞に『オピニオン』というページがあり、34日のテーマは『戦時の動員 どう考える』であった。
 発言者の中の一人の、北九州市平和のまちミュージアム館・重信幸彦館長の記事に私はハッとした。私なりに骨子を言えば・・・

   🔳
「自分は常に戦争に反対できる」と思っている人が多いが、そんなに甘いものではない。
 先の戦時下、同じ方向を向くよう自らを拘束し、自らも作り出すようになる「空気」に、自発的に戦争に参加する道を人々は選択していった。
 「同調圧力」というよりも、本人も気付かない形で・・・出征兵士の子どもの面倒を見てくれる近所の人、働き手がいなくなって荒れた田畑の手伝いを申し出る人、親に献金を求める子ども――他者への共感や同情、そして善意の動員が起きていた。
 「メディアにあおられた」「教育にだまされた」と受け止めがちだが、善意や共感が生み出す「空気」の中で、人々は自発的に同じ態度を取り、空気を再生産していった。
 コロナ禍で医療従事者に子どもたちが拍手をしたり、「自粛警察」が現れたり・・・
 「もう戦時下のようなことは起こらない」と言い切れるだろうか。🔳

 米英あたりのジェームスボンドがプーチンを殺ってくれたら・・などと頭をかすめる自分がいる。怖い。
 感性豊かに生きたいと思うが、共感や同情に、時に理性のブレーキを掛ける冷静さが必要だ。

2023年3月6日月曜日

QOL

   友人がBNP値が高いというので入院した。
   BNPとは心臓に負担がかかると増えるホルモンで、検査は心不全の早期発見に役立つという。
   基準値が18.4のところ友人は1000超だというので入院となった。

 さて心臓というと私も不整脈、心房細動を抱えているが、ここのところの毎回の血液検査ではBNPの検査をされていないので主治医に聴いたところ、一昨年に2回検査して約300だったが、高齢者の場合三桁はあまり心配が要らないからその後検査はしていないということだった。

 友人の場合は四桁だから問題視されたのかもしれないが、わが主治医はなんとなく呑気なものだった。まあ、毎月心電図と血液検査で追跡されているからそうなのだろう。
 ただ心電図は、私の場合は発作の起こっていないときは問題がないから、緊急受診時以外の定期的受診時の心電図検査にどんな意味があるのかは分からない。
 余談ながら今年は人間ドッグをパスすることにした。

 此の頃は、少々の不整脈では自分自身驚かなくなっていることの方が怖いかもしれない。
 また、知らず知らずのうちに心臓への負担を避ける癖がついてきているから、QOL=Quality Of Life (生活の質)が低下していることに鈍感になっているかもしれない。
 コロナパンデミックと花粉症が出不精にさらにブレーキをかけている。
 何でも横文字にしたらええ訳ではないが、ロコモティブシンドローム、さらにはフレイルがひたひたと近づいてきている。

 病院から帰ってみると、次回受診日がダブルブッキングであることが判明。心臓よりも認知症の方が優先課題かもしれない。

 ※ 天気予報どおり、ICU(集中治療室)に入院したいぐらい花粉症の症状が酷い。我慢しながらもマスクを5枚ほど捨てた。家から一歩も出ていなくてこのありさまだ。QOLどころでない。ああ。

2023年3月5日日曜日

まもなく3.11 (1)

   今の家に転居して来てから20年超になり、少しずつ設備機器等が不調になってきた。
 ガスの空調は製造停止になり、部品も欠け始めたから、徐々に電気に切り替えつつある。
 他愛ないところでは洗面所の水道の締りが悪くなった。昔ならホームセンターでパッキングを買ってきて取り替えればよかったが、今は温水と冷水のコントロールを含めて部分品ごと交換するのがもったいなく感じる。
 そして今度は電子レンジのタイマーのところが不調になってきた。
 そうそう、長い蛍光灯も暗くなってきたからLEDにしようかと思っている。

 ところで原発である。
 「原則40年・最長60年」としていた上限を、いとも簡単に「60年超あり」と岸田内閣は強行した。
 わが家の機器を考えてみても、この閣議決定は暴走以外の何ものでもない。

 さて1月30日、高浜原発4号機は原子炉内で中性子が大幅に減ったため自動停止した。
 原発周辺機器の話でなく、原子炉本体、根幹部分でのトラブルで、データが示されないから判らないが、老朽化に伴う脆性劣化による緊急冷却時の圧力容器の破裂も心配されている。

 円安とウクライナショックで物価高騰が問題になっているが、大島堅一龍大教授は「原発で電気代が安くなるわけもない」と明言されている。
 ヨーロッパでは再生可能電力が過半数を超えている。

 金の話などしたくはないが、つまり原発が安くてもアカンものはアカンのだが、原発は全く安くはない。再生可能エネルギーの方が安くつく。それに、使用済み核燃料の最終処分場は日本にない。トータルすれば原発ほど高いものはない。
 3.11を前にして、皆で語り合いたいものだ。


2023年3月4日土曜日

春塵

   3月3日午後7時30分西の空、織姫と彦星のランデブーと言いたいが季節はまだ早春。
 右上が金星でマイナス4等星並、左下が木犀でマイナス2等星並、それがどうしたと言われると何とも言えないが実際には空の中で際立って輝いている。訳もなく感動‼

 その日の朝ショッピングモールに行くと、ちらし寿司やその食材売場が賑わっていた。
 ショッピングモールでは、バレンタインデーなどからすると相当地味な扱いだが、この国古来の行事がそこそこ生きているのが嬉しい。
 わが家は購入しなかったが、あちこちの夕餉が華やいだことだろう。

   わが家では雛祭りはしなかったが神雛の軸は夜早々に降ろした。告朔の餼羊はスノウさんに教えてもらったこと。

 この日の昼、窓の外は晴れていたが、目に見えない春塵が襲ってきていた。昨日から強烈に目が痒い。
 雛人形は元々は形代(かたしろ)、人形(ひとがた)だろうから、この春塵を持っていってもらって流してしまおうか。

 さてこの国では少子化がいま大問題になっていて、「労働力人口よりも扶養人口が膨れ上がり、福祉社会が崩壊する。だから子供を産め」と言われても、その発想がオヤジでないか。
 子育てが楽しい社会(環境)をつくればおのずと解決する課題も多いはず。
 目前の地方自治体選挙はそういう意味でも大切だ。
 知り合いだ、頼まれた、近所だなどと言って自公維などの政治を続けていると、子や孫が「どうしてこんな社会を残したんだ」と泣くことになる。

 子や孫を泣かさぬよう、ここは日本共産党を伸ばすしかないと私は本気で思っている。

2023年3月3日金曜日

ハコベは萌えて

   2~3年前にシルバー人材センターから腐葉土を買って小さな菜園にたっぷり撒いたところ、大量に種が入っていたようでハコベが菜園一面に繁ってきた。
 翌春からケガや病気を種々発症したのでその草挽きを怠ったところ、今やわが庭一面が草原になってしまった。
 野菜類はその種の草よりも背が高いから、地面はハコベなど、その上に野菜類というように二階建ての菜園となっている。
 今年こそは草挽きをと思っているが、連日の花粉予報に気が萎えている。
 そして、引かれ者の小唄ではないが、ハコベもまた情趣でないかと、藤村の詩の一部を口ずさんでいる。
 本日は上巳の節句なり。
 

    千曲川旅情の歌      島 崎  藤 村

 小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
 
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
 
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
 
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ
 
いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る
 
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし
 
千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ

2023年3月2日木曜日

オミクロン株

   かかりつけ医に聴いてみた「五類になれば新型コロナの診療もされるのですか」と。
 この医師の答えは「実際には既に患者は何人も診ている。オミクロン株になってから極端に重症化率は落ちているから問題ない」だった。
 次の患者さんが待っている間の雑談だから深めた話にはならなかったが、きっと医師会あたりの開業医の平均的な感覚なのだろうと想像した。

 私は五類への移行は国の責任逃れ、患者自己責任への転嫁が問題の本質だと思うのだが、「オミクロン株になってから心臓へのダメージが極端に低下した」というこの医師のような見解も率直に聴いておいても良いかもしれない。
 端的に言えば「インフルエンザ並みの注意」ということになる。

 それでも体の弱い孫と接触する身であるから細心の注意は必要だが、4月に予定している退職者会の遠足では楽しく乾杯を交わそうか。

 この話は短時間の雑談のことだから、このブログ記事は居酒屋談義ぐらいに聞き流しておいてもらいたい。

2023年3月1日水曜日

うつりません

   嫌だ 嫌だ 嫌だ! 杉や檜の花粉の季節である。 なお、この原稿は2月27日に書き始めている。

 思い起こせば、若い頃の私は健康に自信(過信)があったから、花粉症の人はきっと偏食だとか生活態度に問題があるのだろうと思っていた。

 そんなもので、雪の春山で遊ぶノルディックスキーを始めたり、林野庁の「森のオーナー」の説明会に参加していた。 そんなある日、沸点に達したように酷い症状に見舞われた。 「嘘でしょ」と言ったときには後の祭りだった。

 どの症状も辛いには辛いが、寝る際に息(鼻)が詰まって眠れないのは一番辛い。それに比べればクシャミや痒みは我慢できなくもない。

 今では、1月早々から薬を飲み始め、空気清浄機を24時間運転し、できるだけ外出を控えるようにしているが、寒波が去って如何にも春という日差しを感じると、ふらふらと外出したくなり、結局毎年外出したことを後悔している。

 学術的にどこまで詰められたかは別にして、花粉症はガンになりにくいというニュースあたりの話題で一杯呑みながら5月連休まで細々と生活しようと思っている。

 本日は3.1ビキニデー。