私が「貸して」と頼んでいた『成瀬あかりシリーズ3冊』を持ってきてもらった際、5月8日に書いたクラベス(ラテンなどの拍子木)を息子に渡して、「何らかの閉会のあいさつで手締めをするときに利用したらいいよ」と言うと、「特にコロナ以降そんな機会もほとんどなくなった」と返事があった。
「それはあっさりとしていいね」と半分思いつつ、「無駄もまた有用な側面があるのにな」と首を傾げた。
息子が「だから近頃の若い者は呑み会の運営ができない」と付け加えたのにはもうふき出したが・・・
新聞やネットの論調では「会社の飲み会ほど無駄なものはない」「不本意で参加している」というのが圧倒的主流であり、そういう側面も十二分に理解しているが、「それにしてもそれほどバッサリ否定するか」ともやもやする昔人間である。
昔話になるが、少し大きな仕事を乗り越えたときには「ご苦労さん会」があったりした。そのためには、会費をいくらにして、それを徴収して、酒肴を考えて購入して、本番を少し楽しく運営して、最後は片づけて・・・、
各人の諸条件を大事にしつつも、・・・「まったく古いつまらぬ作業」ではなかったと思う。
そんなことは外国ではありえない非民主的な「会社主義だ」との意見には一理も二理も認めるが、・・・どうなのでしょうかね。
子どもたちが外国で勤務したりしているご同輩も少なくないが、感想を教えてほしい。
なにしろ我が息子が「近頃の若い者は・・」というのには、いささか可哀相にと複雑な感慨を覚えている。
私はしっかり「前世紀の遺物」に仕分けされている。












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