2026年11月6日金曜日

戦争は知らない

    11月4日の深夜、枕元でラジオ深夜便をかけながら寝ていたら、フォーク・クルセダーズの『戦争は知らない』が流れてきた。そのラジオで作詞が寺山修司だったというのをおよそ60年を経て初めて知った⁉。恥ずかしい。
 詞の主人公は戦中生まれ、それは父を戦地でなくした寺山修司自身(寺山はもう少し年上だから父親も知っていただろうが)でもあった。フォークルが歌ったのは1968年らしいから私のいろんな記憶と一致する。
 私はというと客観的には「〽戦争を知らない子供たち」の世代だったが、それよりも精神的には「〽戦争は知らない」の方に共鳴する同世代の歌だった。

 昔の歌を「さあ腕を組んで歌おう」などと言うと異星人のアピールのように拒絶されて寂しいが、とまれ!時勢に忖度していては「今だけ、自分だけ」に埋没するだけでないだろうか。・・というのはお説教オヤジ⁉⁉⁉
 でも「反戦歌なんて古い」と言っている間に戦争が着々と背中に迫っていないか。
 ラジオ深夜便を聴きながらそんな風なことを考えた。

  戦争は知らない

作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ

♪野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
 
戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの
 
見ていてください 遙かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦さ知らずに 20歳になって
嫁いで母に 母になるの
 
野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

ララララ ララララ・・・

https://www.youtube.com/watch?v=lnRQllPQwVI

youtubeは後年のカルメンマキ

2026年11月5日木曜日

中間選挙の速報を聞いて

    アメリカの中間選挙でトランプの共和党が大きく後退した。
 日本の解説者などは「物価と経済で敗けた」かのように解説しているが、確かにそういう側面もあるだろうが、トランプの戦争と国内分断そして気に入らない市民への弾圧にアメリカの民主主義の底力が反発した側面も大事ではないだろうか。
 分析は今後深く検討されていくだろうが、イスラム教徒であることや自称社会主義者という候補が当選したアメリカに、ある種の敬意さえ感じる。
 翻って日本はどうだろう。選挙前のテレビからは「民主党が躍進したら日本の株価はどうなる」的なコメントが少なくなかった。なんという視野狭窄だ。 今だけ金だけ自分だけ・・のある種の冷笑主義を感じる。

 さて、写真の件の女史。
 米中会談の直前に会ってもらえたと喜んでいたら、トランプは習近平に「我々は同じ同盟国だ」と言って、習近平の「敵国条項」まで追認した。
 また女史は、G7オンライン会議に麻生等との酒宴の結果すっぽかしたのだが、野党の追及に「イギリス首相も欠席した」と居直った。実はイギリス首相は父親の葬儀であったのだ。よりにもよってこの言い訳はあまりに酷い。
 日本の皆さん、ちょっとはアメリカの市民を見習いませんか。
 
 

2026年11月4日水曜日

憲法発布の日

    11月3日は文化の日だが、私が小さい頃は『憲法発布の日』と言われていた。そう!憲法満80歳の 誕生日だった。
 1946年から80年、直後には朝鮮戦争があり、その後、ベトナム戦争、キューバ危機、イラク侵攻、9.11とアフガン攻撃、そしてイランと、少し離れたウクライナを横に置いても、日本の近くで、日本国内の米軍基地から、そしてエネルギーと食糧危機等々日本国憲法は危機一髪の中を生き抜いてきたが、今ここにきて80年を超えて一番の(憲法改悪の)危機を迎えている。
 世界では、フランスでイタリアで、ドイツで、セルビアで、インドで韓国で東南アジアで民主主義を求める民衆の運動の高揚があり、アメリカでもニューヨークをはじめ「私は社会主義者だ」と公言する首長が躍進している。
    そういう歴史の本流から取り残されたかのように、民主主義の根幹の選挙制度改悪(比例区の削減)という重大な壁をただ口を開けて見過ごしている人々のなんと多いことか。
 しかしチコちゃんでなくても知っている。「見過ごさないぞ」という人々も少なくないことを。
 大阪では11月3日扇町公園に多くの市民が集まった。政党では、社民党、命の党、立憲民主党、共産党の野党四党が腕を組んだ。
 私は会場にいた、たつみコータロー衆議院議員、清水ただし前衆議院議員を激励した。
 近頃は「マルクス主義」という言葉は流行らないし、使用するのも条件がいるが、私は「Kマルクスはジャーナリストでもあった」ということを大きな声で言いたい。
 ニュースを見ていて「けしからん」などと呟いているだけでは不十分だ。持てる条件で、多くの市民が発信することで民主主義は育つのであろう。

2026年11月3日火曜日

発泡酒値上げ

    ひと月前の10月1日から酒税が変った。 
 ビールは350mlあたり約9.1円値下げされたが、これまで、家では主に発泡酒であったわが家ではあまり関係のない話だった。
 と思っていたら、発泡酒は約7.3円値上げされ、税率としてはビールと一緒になった。
 ならば「味で勝負だ」と写真の「金麦」を夫婦で飲み比べをしてみたが、発泡酒のクオリティーの高さを誉めるべきか、貧乏人夫婦の舌を笑うべきか、「違いはワカラン」と二人は言った。
 結局ビール缶のボックス買いに移ってひと月たったわけだが、結論的にはわが家に残った答えは、値上げされたようなものだった。
 秋も深まってきたことだし、こうなりゃぁ「どぶろく」にでも宗旨替えしようかと値段を見たら、ものによると「どぶろく」でもけっこう良い値がついていた。
 そのうえ、ビール缶はいくら持ち帰っても「食料品ではない」と消費税10%のままなのだから、腹が立って益々酒税への貢献度が増している。ノンアルを持ち帰れば軽減税率8%。

2026年11月2日月曜日

ハチドリJr

    ハチドリの赤ちゃんみたいな昆虫、ホシホウジャク。蝶や蛾の一種だが見ているだけで楽しい。
 オオスカシバには一等を譲るが、二等賞はあげてもいい。
 なにしろジェット機のようにすばしっこいので撮影も困難だが、昨今はカメラは持っていなくてもスマホがあるからこのように撮ることができるようになった。
 ハチドリはごく限られた動物園・昆虫館などにしかいなくて日本では野生していない。
 だいぶ以前に「探偵ナイトスクープ」で、「ハチドリがいる」というので探偵が確認に行くとホシホウジャクかオオスカシバであったというのがあった。この勘違いはけっこう多いらしい。
    分類上はスズメガ(雀蛾)の仲間だが、いわゆる蛾のイメージは薄い。掃き溜めの鶴とは褒めすぎか。蝶ではあるがセセリチョウの方がよほど蛾のように思える。
 学術的には蝶と蛾に明確な区別はない。
 2枚目の写真はホバリング中。

2026年11月1日日曜日

二つの国のテレビ局

    バルカン半島の真ん中、セルビアだとかベオグラードなどと聞くと、昔々のユーゴスラビアだとかチトーという言葉を思い出すが、先日セルビアで大統領と議員の選挙があり、学生たちが提示したリストの人々が勝利し、14年間続いた半ば独裁的なヴチッチ政権が倒れた。 
 今後、新政権がどんな政策をとるのか、勉強不足もあり私には解らないが、民主主義が広まるであろう気はする。
 その予兆であってくれればよいが、セルビアの主要なテレビであるRTVのアンカーが「私たちはこれまで沈黙を守り、目を背けていました」と謝罪文を読み上げ、編集長も辞任したらしい。
 日本には「後の祭り」とか、大阪周辺なら「すまんで済んだら警察いらん」という俚言もあるが、ここはひとつ「反省しないよりも反省したことは善いことだ」としておこう。

 この種のジャーナリズムに係わって話をつなぐと、ロシアの国営テレビで20年以上キャスターを努めてきたジャンナ・アガラコワさんが、プーチンのウクライナ侵攻に抗議して辞任し、その後事実上の亡命生活を送りながら、自身の歩みを振り返るドキュメンタリー映画「さよなら、私のロシア」を作ったということがある。
 彼女は今のロシア市民について、勉強不足や無関心ではなく、弾圧への恐怖感、無力感に至っていると指摘している。

 そこで日本だが、日本のメディアはセルビアのこれまでのテレビやロシアのテレビほどではないと信じたいが・・・
 高市氏は総務相の折り(2016年)に国会で、「政治的公平が疑われる放送が行われたと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性」に言及し、表現の自由を保障する憲法に違反する「放送局に対する威嚇・恫喝以外の何者でもない」発言をしたが、この威嚇・恫喝がボディブローのように効いていないかと感じるのは心配性の故だろうか。
 比例定数の削減問題でも、はたまた大阪市廃止問題でも、ただただ垂れ流す報道は、単に無気力だということではなく、結果として、権力のプロパガンダの手先になって、国民に毎日毎日政治への無力感を教え込んでいないだろうか。それが次の恐怖感の入口かどうかは各自が考える必要がある。
 戦争までの言論統制を思うべし。

2026年10月31日土曜日

口座登録について

    「年金振込口座の公金受取口座登録」の「確認書」が、
妻に届いてから相当経過してようやく私に届いた。
 「不同意」のハガキを返送しないと「同意」として登録するというのも、非常に重要な取扱いの割には少し乱暴な気がする。

 個人情報漏洩事件でいうと9月には、政府の共通基盤ネットにサーバー攻撃が加えられ、約24万6000件の個人情報が漏洩したとデジタル庁が発表した。個人の口座は含まれていないというが・・・
 最近のサイバー攻撃はとてつもない件数と、とてつもない「身代金」がニュースで報じられているが、正直なところ個人で対応可能だろうか、「パスワードを時々変更せよ」という「ご指導」も「風邪をひかないように手洗い励行せよ」みたいで安心しきれない。
 ついにデジ大臣は「自分の情報は自分で守って」と言ったと報じられた。
 なので、忠実な私はさっさと「不同意」の返信をした。
 ちなみに、マイナンバーカードも作る作らないは制度上「任意」で強制ではない。
 マイナンバーカードの一番のウリは健康保険証だが、私の見ている病院、医院の受付では「資格証」と診察券を出すのが一番スムーズにいっていて、マイナンバーカードの読み取り機の方がより時間がかかっている。
 自分で考えずにお上の言うことに無批判に従うのは、詐欺師の絶好のカモになる第一歩である。 

 詐欺電話でいうと、以前は「NTTです。この電話はもうすぐ使えなくなります」というのがあったが、近頃は「郵便局ですが、配達できない荷物があります」や「宅配会社ですが・・」というのが多い。
 そんなもので日頃は留守電にしているから、友人からは「いつも留守にしてるんかい」と言われたりする。
 登録していない電話番号に架けるには心配しながら架けることが多くなった。
 スマホやパソコンで突然「ウイルスに感染した。これを解くためには・・・」という画面が仰々しい警告音を伴って現れることもある。えげつないウイルスだ。私は即電源を切っている。もう性善説では生きていけなくなりつつある。

2026年10月30日金曜日

ホークスおめでとう

    タイガースも敗けたことだし!と興味もなかった日本シリーズだったが、結局4戦ともテレビを点けていた。それほどなかなかに良い試合、熱戦続きだった。
 タイガースを蹴とばしたベイスターズも応援したし、因縁深きホークスも応援したから、少し気楽なテレビ観戦だった。実際、ベイスターズも全く見劣りしないものだった。

 ホークスの因縁でいうと、1970年代後半に撮った写真のとおり私は南海ホークスを応援していたが、当時いた東京近辺ではこのユニホームの我が子と歩いていると、「あれ、プロ野球のユニフォームだったっけ」「あんな球団あったかしら」というひそひそ話が聞こえてきたものだ。
 話は寄り道すると、当時の首都圏の酒屋でアサヒビールを注文すると「エッ、キリンでなくていいの」という時代でもあったから、南海ホークスは東日本ではプロ野球の球団として認証されていなかった。
 そういう時代に応援してきたのだから、ホークスの名前がクローズアップされるのはまんざらでもない。

 おまけの話をすると、先日のドラフト会議で立命館大の有馬投手がホークスに指名されたが、彼の父親や祖父母さんとは知らない仲でもなく、ドラフト会議は手を握り締めて注目していた。
 些末な世間話である。

2026年10月29日木曜日

ツルムラサキ

    「放ったらかし菜園」に一株だけ植えておいたツルムラサキがグングン伸びて、何本かに分かれたツルの総延長は優に10ⅿを超えている。臥龍松の趣があるとは褒めすぎか。
 レタスをはじめ今年は葉物野菜が高騰しているから、どれほど「元を取った」かしれない。
 先日スーパーの産直売り場で「オカワカメ」を買ってきたが、けっこうな値段であった。
 ネットなどでは「オカワカメの方がクセが少なく食べやすい」と出てくるが、それは「ツルムラサキのクセの方が味がある」とも読めるわけで、来年はどちらを植えようかと迷うが、妻は「ツルムラサキの方がおいしい」と言っている。
 いわゆる夏野菜が終わってから収穫するのも小さな庭には効率が良い。どういうわけか虫もつかない。
 一般にネバネバしたものは健康によいと言われるし、急速に季節が変ってきているから、弱る前に友人たちにたくさんもらってもらった。

2026年10月28日水曜日

運動会の季節

    先日、孫の凜ちゃんの運動会があった。
 
 先生からは「練習では”受け”を狙って途中で知って転んでばかりなので・・期待をしないよう」と伝言があったので、どんなにおどけるのかと思っていたが、なんと、まともに走って一着で入ってきた。・・役者である。
 本人は一着であるかどうかなどということは全く問題外のことであるが、ほゞ普通に徒競走ができたことに祖父ちゃんは感心した。サリヴァン先生ではないが、誰も取残さない教育は実に偉大だと思う。感謝!
 
    近頃は教育や福祉というものにまで費用対効果や「儲ける儲けない」の物差しで測る風潮があるが、それの行く先はナチスがユダヤ教徒以前に行なった障碍者抹殺だ。
 だからいろんな局面で軽々に、社会的弱者を指して「奴らは得をしている」「奴らのために損してる」というような主張には同調しないでほしい。
 一般論であるが、底が低ければみんなが下方に引っ張られる。底が上がればみんなが上がる。
 祖父ちゃんは凜ちゃんに金メダルを授与した。(判り難いが下の写真、手に持っている)

 二人の孫の運動会はいずれも暑いぐらいの天気だったが、その後台風30号崩れの温帯低気圧が秋雨前線を刺激し、その後、嘘みたいに西高東低の気圧配置となった。
 そしてその北風に乗ってだろうか、27日の朝に今シーズン初めてジョービタキが庭にやってきた。カチカチカチカチ、冬の準備をせよと知らせている。

2026年10月27日火曜日

活字文化の日

    今さらいうまでもないが「夜長」は秋の季語。そして「夜長」というと読書となる。
 11月3日の文化の日を真ん中に挟んで10月27日から11月9日の2週間が「読書週間」で、初日の10月27日は「文字・活字文化の日」。
 始まりは1947年。「平和な文化国家」の基礎は読書からということだった。だから今年は「第80回読書週間」になるが、「平和な文化国家」からも「文字・活字文化」からも息切れの声が聞こえてくる。

 「解らないことはスマホに聞けば簡単だ」と中学生の孫などは言い、「答えにたどり着くまでの文章を探す無駄の中にこそ知恵が生まれる」という祖父ちゃんの主張は「古い」とバッサリだが、そんな中、先日、実に合理主義、実利主義とは真反対の本を読み終えた。
 著者は明治41年生まれの青森の八甲田神社創立者・宮司小笠原壽久氏で、氏が経験・見聞した心霊的な体験談『神考記』で、きっと親戚にあたられるのであろう歴史学者小笠原好彦先生から「現代の日本霊異記と思って読みなさい」としていただいた本である。

 戦後民主主義をアメリカによる日本人の善き精神への蹂躙ととらえる著者の通奏低音のような主張や個々の「霊的な体験」には少なからず同意はできないが、人知を超える力というか流れに首を垂れるべしとの意見には賛成する。
 少し文学的にいえば、私の慶応生まれであった祖母などは「キツネに騙された」体験を信じて疑っていなかった。
 そういう意味では敗戦までは、圧倒的な日本列島に神霊は生きていたが、いわゆる経済成長とともに神霊は追いやられ、神霊が纏っていたモラルや謙虚さも大いに後退した。著者の義憤も解らないわけではない。
 読みやすい体験談でありながら読み続けるのが「しんどい」本でもあったが、少しは栄養を戴いた気になった。

    【おまけ】10月25日投開票の岩手県遠野市議選での共産党の奥寺候補の当選(空白克服)がFBに上がっていた。
 そのバンザイの写真の背景にはしっかりと「神棚」があった。
 1960年代~1990年代の共産党の副委員長小笠原貞子参議院議員がクリスチャンであったことは有名だし、思想信条の自由を最も大事にしている共産党だからこういうことも当然なのだが、この神棚には少しほっこりするものを感じた。これは「おまけ」の話。
 

2026年10月26日月曜日

本歌取り

    先日私は「君が代」の歌について、高三隆達(たかさぶりゅうたつ)は古今和歌集の詠み人知らずの「我が君は」の一首を本歌取りしたのだろうと書いたが、そもそも私は和歌については全くの門外漢で、私のこの感想が正しいのかどうかは自信がない。
 ということで後先が反対になったが、岩田正著『短歌のたのしさ」を書架の奥から引っ張り出してきたところ、本歌取りについてもいろいろ解説があるのだが、次の文章が私には気に入った。

 🔳 本歌取りは、なにも短歌から短歌へとはかぎらない。芭蕉の名句、
     時鳥啼くや五尺のあやめ草
は言うまでもなく王朝時代の「古今和歌集」恋歌に載る「詠み人しらず」の名歌、
     郭公(ほととぎす)なくや五月(さつき)のあやめ草あやめも知らぬ恋をするかな
から来ていることは周知の事実である。 この芭蕉の句はまことに驚くべき俳句で、この歌の上三句をただ「月」を「尺」に変えただけで、そっくり借用して俳句にしてしまっている。驚くべきことである。
 ・・・本歌取りは、あくまでも原作の句調や韻律や言葉をとってきても、趣や内容の全く変わった別の世界の作品に仕立てあげねばならない。換骨奪胎という言葉もあるとおり、それはたんなる焼き直しではないのだ。・・・🔳

 「我が君は」を「君が代は」に換骨奪胎したのは、もしかしたら高三隆達以前の、例えば梁塵秘抄の中の名もない歌い手、芸能者であったかもしれないが、「流行歌」に仕上げたのは高三隆達その人だろう。
 「それくらいの言い換え」などと言うなかれ。「月」と「尺」の俳聖を思うべし。
 とすると、「君が代」についての政府見解のなんと非文学的なことよ。

 🔲 Xの「ノジ子@nojiko_muse」さんの投稿に次のようにあった。
 君が代、現代語訳を見た瞬間、印象ひっくり返った。
 りくりゅうの金メダル表彰式で、スクリーンに英語とイタリア語の訳が出てた。
 意味がこれ。
 「あなたの命がどうかいつまでも長く続きますように。
 小石が積もって岩になって、苔が生えるほどに、あなたの命が長く続きますように。
 そして幸せでありますように」🔲

 それでいい・・・・・・・!

2026年10月25日日曜日

君はあなた

    昨日書いたとおり、言語学や文学では「君」はごく普通に二人称の代名詞であるから、天皇の前では天皇になることもあるし、たしかに「君」が天皇を指すこともなくはないが、決して「”必ず”天皇を指す」ことはなかった。私の感覚では、あえて天皇を指す場合は「大君」ではなかっただろうかと思う。
 事実、9世紀の光孝天皇が僧正遍昭の長寿を祝って「君が八千代」としていることもあるし、また江戸城大奥の元旦の儀式では、“御台所(正室)のために”「君が代は・・」と吟唱されていたという。
    実際、昨日書いた隆達節以外にも、福岡県志賀神社の神楽歌や、仏教の延年舞にはそのまま用いられているらしいし、田楽・猿楽・謡曲などでは言葉をかえて引用されている。
『曽我物語』(南北朝時代〜室町時代初期成立)では宴会の席で朝比奈三郎義秀が「君が代」を謡い舞う例、『義経記』(室町時代前期成立)でも静御前が源頼朝の前で賀歌「君が代」を舞う例がある。

要するに明治憲法下では教育勅語と一緒に「第一義的に天皇の世のことだ」として唱歌をもって教えられたのだが、長い歴史でいえば、そう決めつける解釈こそが仇花であった。

そして1999年(平成11年)8月9日、国旗国歌法が成立。13日に公布され即日施行されたのだが、政府の公式見解は、6月11日の段階では「『君』とは、『大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。』(「君が代」の歌詞は、)『日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である』」としたが、そのおよそ2週間後の6月29日に「(「君」とは)『日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す』『『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」と変更した。
要約すると、「君」は“国民の象徴としての”天皇であり、「代」はこの国のことであるというのだが、およそ「詩」の解釈について政府にぐだぐだと決めていただくことなど必要があるだろうか。
「君はあなた」というラブソングで何が悪い。

昨日の意見を重ねて言うが、古今和歌集の「我が君は」を、高三隆達もしくはそれ以前の某(なにがし)かが「君が」と本歌取りというか良い意味で換骨奪胎したときに、この和歌の「君」は庶民の芸能に十分に包み込める「あなた」に変身したのである。そうでなければ、ボストン美術館の屏風の絵のように誰が遊里の宴席で歌うというのだ。ことは明白でないか。よって先の政府見解は明治復古主義者に忖度した屁理屈である。
「君が代」の歌詞をラブソングだと言って何が悪い。

2026年10月24日土曜日

さざれ石

    先日天満天神繁昌亭に行った折、開場時間前に大阪天満宮に寄ると境内に「さざれ石」が置かれていた。あの「君が代」の「さざれ石」である。
 若い頃「石は砕けて土や砂になるのであって小石が大きくなって岩になるというのは科学的でない」と「君が代」の歌詞を面白く批判したりしていたが、石灰質角礫岩はいわば天然のコンクリートのように生成されるものであるから、あながち誤りでもないことを後に知った。 

 「君が代」の歌詞のルーツは広辞苑第五版によると、『江戸時代の隆達節(りゅうたつぶし)の巻頭第一にあるものと同じで、さかのぼれば古今集には初句を〈我が君は〉とした和歌がある』 とあり、 『隆達節とは、江戸初期の流行歌。 泉州堺にある日蓮宗顕本寺の僧隆達が創めた小歌。 1600年(慶長5) ごろに流行、 近世小唄の源流をなした。 隆達小歌』・・ と説明している。 なお顕本寺は加藤弁英師の調御寺の一筋東にある。

 私は以前に顕本寺で『君が代』の書かれた屏風の立派なレプリカ(原本はボストン美術館)」を見せていただき、隆達節も生で聴かせてもらったことがあるが、ナルホド小唄の元祖であった。

屏風は六曲一双で、 自由奔放な遊里の風景(絵画)が四面分に描かれ、 両脇に隆達の筆による書があり、 1602 (慶長7) 年、隆達75歳の時のもので、 最初の1首が 「君が代」 の歌詞と”全く同じ”の 「君が世は千代にや千代にさざれ石の岩ほとなりて苔のむすまで」で、他の歌も、
 おもひきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち
 雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも
 月夜のからすはほれて啼く我もからすかそなたにほれてなく
・・など、ほとんどがラブソングであった。

堺の遊里(色町)の宴会で、想像するに「そろそろ主さん!」「それでは、ハッ 〽君が代は~」と唄われていた(であろう)ラブソングであった。
 
 つまり「君が世」の「君」は明らかに親しい人、愛する人の意味で間違いなく、いうならば古今集の歌を本歌取り、換骨奪胎してラブソングにしたものが現代の「君が代」の歌詞である。換骨奪胎とはマイナスイメージのことではない。(「我が君は」を「君が代は」に換骨奪胎したのは隆達以前の民衆にあったかもしれないが)
よって通説とされている「薩摩琵琶唄がルーツであって、君とは天皇(家)のこと」というのは正しくない誤答である。
 学校で「君が代」斉唱を強制したり罰したりすることの不当性とは別の次元のことになるが、「実際は『君が代』の歌詞はラブソングである」という正しい認識は拡がれば好い。

私個人的には、世界中に軍歌ルーツの国歌が多い中で、宴会ソングをルーツにしたラブソングを国歌にするのも悪くはないと思ったりするのだがどうだろう。
つまり繰り返すが、「君が代」の歌詞は隆達小歌そのものの歌詞であり「愛しい人」へのラブソングである。
それを明治の天皇制下の支配層やそれらの復古を臨む戦後の右派は薩摩琵琶唄や古今和歌集に結びつけて、天皇(家)の長寿を祝う歌だとあえて曲解してそれを国民に押し付けたのである。こういうそもそもその定義が歴史的に正しくない。。
そのため、民主主義の発展を願う教員や少なくない人々はその「押し付け」に当然反対したのであるが、その際、誤った「天皇制賛歌論」をそのまま受け入れてそれを前提として「全否定」したのは考え直してもよくはないか。
なぜなら、その歌詞はそもそも民主主義国家と馴染まない天皇制賛歌などではなく、遊里の宴会から誕生したという性格(問題)はあるが、丸めていえば民衆文化の一つであるからだ。
そういうニュートラルな発想に立つならば、スポーツの国際大会などで流れる「君が代」も素直に聞いたり歌ったりできるのではないだろうか。
真面目に民主主義を徹底しようと取り組んでこられた運動家の皆さんには反発があるかもしれないが、民主主義の基礎は各自の自由な意見の表明であろうから、思い切って書かせていただいた。
 
なお次のとおり参考になる資料がある。
 https://www.jcp-osaka.jp/_old_site_2014/2007/05/post_237.html