昨日の、トランプに媚びを売りまくる高市首相の記事で、『自ら「社畜」などと自嘲するサラリーマンなら「少しおべんちゃらもオーバーな!」で済むかも?しれないが 』と書いたが、ここで「社畜」という言葉をチョイスしたのには理由(わけ)がある。
読売テレビの夕方の番組・tenの中に「ますだ岡田のますだがあなたの町をアポなしノープランロケ!お宝発見・街かどトレジャー」というコーナーが週に1回あるが、先日のそれは特別にタイのバンコクで、さすがにタイではアポなしではロケは上手くいかず、それでも飛び込んだ店にいたアメリカ人二人とようやく話が盛り上がって無事番組の体裁が成り立ったというのがあった。
そこで私が驚いたのは、そのアメリカ人が日本のIT企業で働いているということで番組が上手くできたのだが、最初の自己紹介で彼が「社畜です」と言ったことだった。(ロケ全体はよくできていた)
Wikipediaを牽くと『社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉である。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ』とある。
確か佐高信氏の造語だったと思うが、「会社の家畜」とは言い得て妙である。もう一度Wikipediaを読み返すと、「会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、会社の家畜と化し、馬鹿にされる」存在といえる。
例えば上司の理不尽に対するに、労働組合に団結してモノ申す訳でなく、強いもの長いものに巻かれて保身を図ろうとすることを選択する。
その意識は会社の外のことについても免れることができなくなり、一見強そうな言葉、単純でスピーディーに見える言動に魅かれることとなる。もっと言えば、誠実さや正義感などよりも目先の利益を選択の基準にする。
もし高市首相の媚びを売って売って売って売りまくる言動に、「それも処世の現実」などと了解するなら、もう間違いなく社畜根性に染まりきっている。
一億総社畜の国には未来は開けない。





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