2026年8月17日月曜日

送り火

    お盆の行事の仕上げは「燈篭流し」という記憶がある。 
 昭和20年代、堺の中心部では市(いち)小学校近くのお寺でその種の法要があり、お盆に使ったものなどを納めていた。
 それが旧堺市の環濠を造っていた川に流されたので、お盆が過ぎると海水浴場にはその種のゴミ?が流れ着き、台風によるうねりもあり、その結果、ほゞお盆までが海水浴のピークであった。
 余談ながら、その頃の大阪湾には「おわい舟」が出ていて糞尿が投棄されていたが、それでも現代の海よりは綺麗であったというのがおかしい。

 さて、千年の都京都は海から遠かったからか、燈篭流しよりも送り火がお盆の掉尾を飾る一大行事になっている。また送り火はわざわざお寺に出向く必要もない。
 そんなことで、孫の夏ちゃんと送り火を行なった。
 わが家のお盆の行事はこれでお終い。
 折口信夫のいうとおり、お墓参りよりも「みんなが集まって楽しく飲食するのが大事」。
 タコスパーティー バンザイ!

2026年8月16日日曜日

右傾化の底流

    アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムについては8日に書いたが、なんでもやたらにアメリカの真似をしたがる人々が多い昨今、現代米国論の渡辺靖氏の次のような指摘は現代日本論にも通じるような気がする。氏は言う・・

 1990年代以降、アメリカ政治では保守とリベラルが拮抗するようになり、94年の中間選挙では40年ぶりに共和党が上下両院で多数派となり、パイの取り合いになった。
 その結果、相手を貶める中傷攻撃や、人工妊娠中絶やES細胞、あるいは同性婚への賛否といった、価値に関するイシューに絞って絵踏みを迫る形で有権者にアピールする動きが活発になった。
 価値に関するイシューは各自の心の問題でもあるので、そう容易に妥協できない。
 だからこそ、(選挙)コンサルタントたちはそこを狙い、かなり細かいテーマをあえて争点に据えた。
 そこに宗教的保守派である福音派などが政治的に動員され、さらには先鋭的なキリスト教ナショナリストが前面に出てくるようになった。

 ・・日本のことも、以上の、キリスト教のところを神社本庁やカルト教団と読み替えると非常に納得がいくし、これにワンイシュー的なSNS選挙戦術を重ねると納得がいく。
 ただ、韓国至上主義で天皇制も否定する旧統一教会と神社本庁的な右翼が反共の一点で連合する自民党などの右翼の節操のなさには、「日本は野蛮な異教徒の国だ」と、アメリカのキリスト教右派もあきれ返っていることだろう。

2026年8月15日土曜日

「戦争」を選んだ

    今日は8月15日、加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み返している。 
 以前に読んだときは史料としての緻密さに驚いたが、題名のように?著者の立ち位置が解らなかった。つまり、「あの『戦争』は仕方がなかったと?」言うの??とか

 もし自分があの時代に生きていたらという問いかけは大切だ。
 軍部や天皇の非人道的な政治に抗って闘うか。
 地方の官吏や隣組の世話役になって人々を戦場に送り出すか。
 それとも『人間の条件』の梶のように彷徨するか。
 「命令されたのだから」と言って殺戮や凌辱をするのか。
 そういう問いかけを自分自身にせずに、あれこれの数値や史料で「戦争」を分析したかのように語るのは卑怯かもしれない。

2026年8月14日金曜日

拝火教徒になる

    8月は「六日九日十五日」という戦争に係わる月でもあるがお盆の月でもある。特に新盆を迎えられた方々は「思い出」を新たにされていることだろう。
 さて、お盆のルーツは中国で作られた『仏説盂蘭盆経』にあると言われるが、親鸞の教えには追善回向や施餓鬼という概念がないのでその内容は一般解説書以上には知らない。
 ただ山折哲雄説では、お盆の諸行事は仏教以前の素朴な先祖供養の信仰と精霊(たま)まつりの考えがあったのでこのように定着したとか。
 もっと言うと、折口信夫は「お盆は、生みたま、死にみたまを問わず魂の更新の行事だから、お墓参りも大切だがみんなが寄り集まって楽しく食事を共にする年中行事なのだ」(上野誠説)というのも面白い。

 もうひとつ、これは定説とはされていないが、「盂蘭盆とはイラン語で霊魂を意味するウルヴァンを音写した」という異説もあるらしい。偉い方々は見向きもされていないが私は無視しえない魅力を感じている。
    というのも、日本に伝わった多くの仏教の教義自身が中国の道教の影響をモロに受けているし、仏像だって、ガンダーラで西洋のギリシャ文化を母体に誕生したものであるから、イラン高原から中央アジアに広がっていた史上最初の世界宗教であるゾロアスター教(拝火教)と仏教が無関係であったと考える方がオカシイと思うからである。
 柴燈護摩供などを見ていると紫雲の向こうにゾロアスター教が見えてくるように思う。
 そんな遠い拝火教のことを「ぼやあ」と考えながら13日、私は孫の凜ちゃんと迎え火を焚いたのだった。
 (下の写真はネットにあったゾロアスター教のもの)

2026年8月13日木曜日

昭和天皇の一撃講和論

      『昭和天皇独白録』(寺崎英成御用掛の記録)は、『文芸春秋』199012月号「掲載にあたって」で次のとおり記されている。

《・・・「独白録」は、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛の五人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである。・・》と。なお寺崎英成御用掛は元々外交官であったが、ワシントンの大使館勤務中に米国人グエンドレン・ハロルドと結婚したので外務省中枢からは遠ざけられていた。

 さて昭和202月、天皇は各重臣と個別の会談を行ったが、そのときのこととして、次のようにある。
 🔳 私に[は]「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(189月)勝利の見込を失った。一度何処で敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先きには和を議し度くない。それで早く独乙が敗れてくれゝばいゝと思った程である。
 その当時木戸と相談して、重臣を一人一人秘密裏に呼んで、前途の見透に付て、意見を求めたが、確たる意見を持ってゐる者は一人もない。岡田と牧野とは比較的穏当な意見であったが、結論は云はぬ。近衛は極端な悲観論で、戦を直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦を止めるのは適当でないと答へた。・・・🔳

 本日言いたいことはここである。この時点で勝利の見込を失っていて、「戦を直ぐ止めたが良い」と言った近衛文麿の意見のとおり「ご聖断」を下しておれば、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、そして本土空襲の大悲劇は避けられたのである。
 それを躊躇させた陸海軍首脳の責任は大きいとはいえ、明らかに『昭和』天皇には戦争責任があった。明後日は8月15日。

2026年8月12日水曜日

ずぼらファーマー

    暑さを理由に全く放任栽培の勝手な感想!
 1 どういうわけか8月のお盆ま近というのに胡瓜の収穫が続いている。 毎年7月下旬を待たず枯らしていたのに「嬉しい疑問」だ。理由は解らない。
 2 数少ない枝豆の実りが悪い。開花の時に受粉が上手くいかなかったのだろうか。
 3 ミョウガは不作と言ってもよい。先日テレビで見たが、工場のような見事な栽培方法が紹介されていて感心した。ところがスーパーの値段は3つで160円ぐらいと高いままだ。妻は「160円ぐらいエエやないの」というが、手を引っ込めている。
 (写真はオクラ)


 【追記】 台風15号が東から西に、少し大げさにいうと北から南に、珍しいコースで近畿の北まで来て熱帯低気圧になったが「台風一過」とはなっていない。
 この面白いコースを作った犯人のひとりが「寒冷渦」らしい。 対流圏の上部にできた文字どおり冷たい空気の渦、といっても直径数百㎞から千㎞を超えるものもあるらしい。
 そもそもは北半球では夏季でも高緯度には冷たい空気が北極周辺を周回しているが、その中の小さい渦が切り離されたものという。 ネットには「偏西風から切り離された」と出ているが、そこのところはよくは知らない。 過ぎ去るまでに2~3日かかるという。
 北の方の太平洋高気圧(渦は時計回り)とその南の寒冷渦(反時計回り)に挟まれてピッチングマシンのように台風15号は通過した。 天気のからくりも複雑だが知れば面白い。

2026年8月11日火曜日

下部構造のナショナリズム

    8月10日付朝日新聞に保坂正康氏が、大要次のように大切な提起をされていた。
 🔳 長らく8月15日の不戦の誓いも「二度とあんなことはごめんだ」という感情の延長にあった。 ただ、体験者が減るほどそういう感情は忘れ去られていく。 いま求められているのは、理性的にあの戦争を分析し、その教訓を社会の共通規範として「思想化」し次世代につないでいくことだ、
 あの戦争では、いわば「上部構造のナショナリズム」である皇国史観が特攻や玉砕といった狂乱を支えてきたが、「下部構造のナショナリズム」ともいうべき郷土愛や先祖崇拝、日常生活の規範、倫理観はそんなものではなかった。 昭和の軍事指導者はそういう意味では日本の文化や伝統を裏切ってきた。
 8月15日の思想とは、人々の暮らしの中に蓄積されてきた不戦の誓いの知恵こそが、国家の暴走に対抗しうるという思想だ。🔳 

 よく「被爆者の気持ちなどそうでない者には解らない」という声を聞いたことがある。部落差別反対の運動にも「踏まれた者の痛みは踏まれた者にしか解らない」と言われたことがある。水俣でも原発でも沖縄でも、そういう解ったような言い方で運動をちゃかしたり抑圧したりすることがあった。
 そういう意味で、保坂氏が体験を思想化して継承していくことの大切さを指摘されたのは的を射ていると思う。
 同時に、「被爆者の痛みや苦しみを直接肩代わりすることはできなくとも、一緒に歩いて訴えることはできる」という核兵器廃絶国民平和大行進の訴えは尊い。 「共感」は素晴らしい心の働きだ。

2026年8月10日月曜日

最後の審判

    中東のニュースを見ていて何時も思うのだが、油田で常に燃えているあの
煙突の火は何かもったいない気がする。きっとあのガスを回収して売るよりも燃やしておくことの方が安くつくのだろう・・・。(日本のコンビナートでも同様の感想を持つ)

 もうひとつ、石油施設であるかないかに関わらず、戦争ほど環境破壊はないと思うのだが、そんな感情は「幼稚」すぎるのだろうかニュースでは触れられない。

    その結果、人間が生きていけないほどの高温や乾燥、反対に豪雨という気候危機が進行している。大規模な山火事、旱魃と大河川の水位低下。戦争指導者は全人類を危機にさらしている罪で裁かれるべきでないか。

 対する我われ庶民はあまりにも微力な気がするが、微力であっても決して無力ではない。
 ジョークの類ではあるが、平凡な庶民が死後、神の前で冷たく裁かれている絵があり、「神さま、いったい私が何をしたというのですか?」と申し立てているのに神さまは「何もしなかったからじゃよ」というのがある。
 伊丹十三の父伊丹万作が戦後、圧倒的な日本人が「国や軍部や天皇にだまされていた」と「反省??」していたとき、「だまされていた者の罪」を鋭く指摘したことも大切なことだ。そんなことをツラツラと考える。

2026年8月9日日曜日

長崎の鐘

    1945年8月9日、日本の中できっと一番クリスチャンの比率の多かったであろう長崎に原爆が落とされた。
 キリスト教の解釈では、それは神が与えた試練だと聞いたことがあるが、私には理解が及ばない。
 同じように、原爆投下は日本の降伏を早め、その後想定された多くの犠牲者を産まずに済んだという「言い訳」にも納得できない。
 その当時、日本が戦争遂行能力を失い降伏の条件をめぐって各国に打診していたことは周知の事実である。
 だから、それは終戦後の覇権争いのためのアメリカの打ち上げた花火であった。
 あえて言えば、同じ条件下で、西欧人であるドイツやイタリアに向けて同じ判断をしていただろうか。(これは想像だが、ある種の説得力がある)

 かつて訪日したチェ・ゲバラは、原爆慰霊碑に献花をし、資料館を見学し、同行した中国新聞の記者に「君たちはアメリカにこんなひどい目にあわされてなぜ怒らないんだ」と問いかけた。それに対してとまどう記者の姿は、当時から現代までの私たち日本人の姿を象徴するようだと語り継がれている。

 確かに、日本軍の残虐な戦争行為の非人間性の数々は直視すべきであるが、だから原爆の非人間性が許されるものでもない。
 現実世界は核抑止力によって平和が実現などしていない。
 反対に、核の脅威をちらつかせながら戦争が行われている。
 自国内の内政の矛盾や反対派を抑え込むために「屁理屈」を付けて戦争が行われているのが実際だ。
 それでも大国のリーダーの理性、知性は核の使用を止めるだろうと、皆さんはホンキで信じられますか。
 
 こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ

2026年8月8日土曜日

キリスト教ナショナリズム

    アメリカの民主党では4日、ミシガン州の上院予備選で、党主流派の下院現職が敗れ、バーニー・サンダース上院議員らの支援を受けた新聞用語でいうところの急進左派アブドゥル・エルサイード氏(41)が当選を果たした。
 この動きが、アメリカ民主主義の再建に向かうのか、トランプの激しい反共攻撃の的になって結局トランプ政治が深まるのか、興味はあるが見通しを語るほどの知識はない。

 先日、書店で見つけて、【朝日新書、森本あんり・渡辺靖の対談集『キリスト教ナショナリズム』】を手に入れた。
 正直なところまだ十分には理解が進んでいないが、合衆国憲法の「政教分離」、一見正反対に見える福音派とリバタリアンの共通?、キリスト教のシオニズム等々「知らないことが多い」ということだけは解った。

 日本の、それも自分の周囲で見聞きしたことと重ねて考えると、新自由主義という名の下に「利権第一主義」が社会や企業内のコミュニティーを破壊し、中間層は確実に没落していったそういう時代の中から、キリスト教に基く倫理観のある社会をとか、自分が没落したのは女が地位を奪ったからだ、いや移民だ、いや福祉が悪い等々と、左右?両方から今までにない政治が求められているのだろうか。
 理解は進んでいないが、友人の皆さんには、大いに勧めたい一冊ではある。
 キリスト教世界のこと、アメリカの政治のこと、ほんとうに知らないことだらけで参考になったことは多い。

2026年8月7日金曜日

クリオネみたい

 (1)8月6日にテレビのキャスターが「不要不急の外出は危険」というので、窓越しにケヤキの木を見ていると、タマムシが飛んでいた。
 まるでクリオネみたい。
 先日友人からミヤマウズラという珍しい花の写真を送ってもらったが、その花もまるでクリオネのようだった。
 熊本の被災者のことを思うとこんな吞気な記事は書いておれないが許してもらおう。
 それよりも、ヒロシマの被爆者のことを書いている途中だったので、きっと「魂虫」だったのだと思うことにする。
 余談ながら孫の凜ちゃんは手術で入院中 祖父ちゃんは何もしてやることができないが、お母さんのスマホにこの写真を送っておく。

 (2)「心配性」かも知れないが、近頃の朝日新聞に、写真のような「彬子さまがどうした」「揺子さまがどうした」という小さな記事が目立つようになった気がする。
 ボルサリーノを被った令和の「道長」への忖度でなければよいが。
 なんとはなく気が晴れない朝日新聞である。

2026年8月6日木曜日

ノーモア ヒバクシャ

    今日は2026年8月6日木曜日。201486日水曜日に書いた『ノー モア ヒロシマ』を以下に再録する。

🔳   8月6日ということで一番思い出すことは、先輩Yさんのことになる。
 Yさんは労働組合の先輩で、中国ブロックのリーダーだったし、仕事上の職責もその地の幹部に近かった。
 恰幅もよく押し出しも効く、一言でいえば親分肌で肯定的な気分を込めて仲間からボスと呼ばれていた。
 当然のように皆に押されて、その年には原水協の国連・ニューヨーク要請団に参加され、米国のテレビでも被爆体験を話されるなど活躍をされた。
 その親分が、「実はな長谷川君、わしゃあ、ピカドンの話をするのは好かんのじゃ」とおっしゃったときにはその意味が解らなかったが、その夜、ホテルの二人部屋で一緒になったとき、私は彼の悲鳴で飛び起きた。
 それは、文字では到底伝えきれない「ウオー ウオー」という悲鳴というか叫び声で、直ぐには心臓病かと思ったが、「今わし大声を出さんかった?」と尋ねられ、また何回か繰り返されたので、うなされていることが理解できるようになった。
 翌朝には、「夕べ大声を出したん違うかな」「迷惑かけたん違うかな」と謝られ、「昼間に原爆の話をした日の夜は必ずうなされるんじゃ」と辛そうに語られた。
 「ああ、また今晩もうなされる」という恐怖が「話すのは好かん」意味だったのだ。

 その後私は、仕事の上でPTSDなど『重度ストレス反応』を取り扱ったりすることとなったが、診断ガイドラインにある『フラッシュバック』や『夢の中で反復して再体験するエピソード』を読む度にあの夜のことを思い出した。

 戦後生まれの私は直接的な体験を語ることはできないけれど、Y先輩は命がけで地獄の様子を私に教えてくれたように思う。
 だから、この話を毎年8月6日に書くのが与えられた宿題だと考えている。

あの日
この子の目の前で
起きたことを
知っていただきたいのです
あなたに
そして
日本の子どもたちに全世界の人びとに

 


八月や六日九日十五日

    今日は8月6日。 八月や六日九日十五日 という時事俳句がある。
 
 「詠み人知らず」と言われたりしていたが、近頃は「詠み人多し」と言うらしい。良いことだ。八月になれば、みんなが自分事のように 八月や六日九日十五日 と口にして平和の誓いを確認すればよい。
 さてこの国の首相と内閣は、こういう我われのことを「お花畑だ」と軽蔑している。早い話がアメリカの核の傘の下で、敵基地先制攻撃が可能な軍事力こそが平和の保証だと言い、事実、着々と軍備を増強している。
 わが街の祝園弾薬庫にはトマホークを保管し、高速道路を北進して舞鶴の戦艦から先制攻撃するという。
 その論理をひっくり返せばわが街は先制攻撃されることになるが、そのことには一切触れない。日本列島の海岸線に原発を並べているが、安価なドローン戦隊がいとも簡単に電源喪失を招くであろうことも一切触れない。 お花畑は誰だ!
 核大国ロシアの国民(兵隊)も核大国アメリカの国民(兵隊)も現実に戦死している。
 「俺様を怒らせると怖ろしいぞ」「俺様は核兵器を持っているのだぞ」と言えば、相手は「御紋」の前に「ははあ~」とひれ伏すのではなかったか。
 今日は8月6日。そんな「言葉遊び」の前に、81年前のヒロシマで何が起こっていたのかをしっかり見つめなおす日にしたい。

2026年8月5日水曜日

ドナウのかなたで

    その昔、ロシア民謡が流行った時代があった。その中の一つに 〽黒きひとみいずこ わがふるさといずこ ここは遠きブルガリア ドナウのかなた ここは遠きブルガリア ドナウのかなた というのがあった。「バルカンの星の下に」という。

 ドナウ川はドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)に端を発し、ドイツ、オーストリア、   スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ウクライナを通って、最後はルーマニアとウクライナの国境を通って黒海へ注いでる。 「流域」の支流に含まれる国としては、チェコ、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、スイス、ポーランド、北マケドニア、イタリア、アルバニアなどもあるから極東の島国からすると想像も及ばない。

 その中欧、東欧がひどい旱魃でドナウ川の水位が極端に低下していると報じられている。
 その結果、朝日新聞の記事で数えると、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア等々で原発の停止が相次いでいる。冷却に使われる水が確保できないためらしい。
 原発の排水は10度前後水温が高くなるから、その少ない水を各国原発が使うと熱河になりそうだ。事故以前に停止しているのは正しいだろう。
 それにしても、原発は津波だけでなく旱魃にも弱かった。
 あまり科学的な言葉ではないが、人間の身の丈を超えた未完の技術という気がする。
 明日は8月6日。ヒロシマ被爆の日。世界中には人間の身の丈の内の兵器だと信じている人も少なくない。
 唯一の戦争被爆国の日本人は、できる範囲でよいから「核兵器と人間は共存できない」と言い続ける必要があると思う。

2026年8月4日火曜日

手作りは面倒or楽しい

    関西ではお盆といえば8月だろう。全国展開のイオンでは7月早々からお盆用の菓子類が売られていたが、それはさておき、その8月お盆の季節がやってきた。
 親鸞の教えにはお盆のことはないと思うのだが、凡人は、「そういう時期だ」「そういうことをするのだ」とか言われて先祖の恩を思ったりするもので、そうして年中行事に向かい合っている。
 といっても、ほゞ0%に近い関わりあいかただが、孫の凜ちゃんと『うちわ菓子』を食べながら「8月」を迎えている。お盆の菓子では唯一このうちわ菓子だけを購入している。

    さて、先日イオンでは、お盆の『飾り棚』のパーツあれこれが売られていた。私が知らなかっただけでそんなものは以前から売られていたものかもしれないが、「茄子と胡瓜の牛馬ぐらい手作りしないか」と心の中で思った。何から何まで手作りを避けてお金で解決する風潮は?
 現代人の精神は豊かになったのか、貧しくなったのか?
 重ねて言うが、親鸞の教えには『お盆棚』はないがそのことはさておく。

 先日来、手作りの「栞」(ブックマーク)を百数十個×2作った。
 確かにカッターナイフで百数十個×2切り出すのは難儀だが、何人かは喜んでくれるだろうと思うと作業も楽しい。
 「この作業に一丁乗らないか?」と会員向けにLINEに書いたがナシのつぶてだ。そういう時代なのだろうか。