2026年3月19日木曜日

力=質量✖加速度

    大相撲が千秋楽に近づいてきた。
 大阪で電車に乗るとお相撲さんが居たりして、やはり華やぐ。太っているせいもあるし何しろ若いので、肌も張っていて美しい。
 さてさて力士の最大の相手は対戦力士よりも怪我ではないかと思う。
 もっと丸い土俵を大きくする。その外の四角い部分も大きくする。さらに高さや土俵下の硬さも考える。そうなればもう少し怪我も減って技の掛け合いなどが面白くならないだろうか。昔の栃若時代の映像などを見るとそんなことを思う。
 当時の映像を見ると、近頃の力士のなんと大きいことか・・・

 さて物理でいえば、力は=(質量✖加速度)になるから、このごろ圧倒的に多い押し出しを考えると、絶対的に重い力士が有利になる。
 軽い力士が重い力士と衝突した場合、相手に与えた「力積」と同じ「力積」を自分も受けてしまうから、相手の筋肉や体格と関係なく重い力士が有利というのが物理の法則である(軽自動車とトラックが同じスピードで衝突すると、車体の構造を別にしても、軽自動車の運転者の方が大怪我をする)。
 それでもそれを超える業師が出てくるから相撲は面白いのだが、そもそもはこの無差別級というのは小さい土俵では非常に難しい。
 ガンバレ小兵力士。判官贔屓は潜在的な庶民の気持ちである。
 宇良はすごい!

2026年3月18日水曜日

ほんとうに便利なのは快速じゃないの?

    各地から春のダイヤ改正のニュースが届いているが、その中に「近鉄が平日朝に天理発大阪難波行きの直通特急を新設した」というのがあり、妻が「高市ダイヤやろか」と呟いた。天理は高市氏の選挙区にある。
 乗車料金は830円に特急料金が920円。所要時間は大阪難波まで54分。
 ちなみに現行の普通に使用されるダイヤよりも10分程度短縮される。ただし、現行は大和西大寺の乗り換えが必要だったし、乗換後は座れる保証はなかったしその限りでは便利になったが、そのためには+920円が必要になったし、なにしろ一日に片道これ一本である。
 ほんとうに通勤者の利便を考えるなら、特急料金不要の天理発大阪難波行きの直通快速急行を朝夕に走らせる方が何百倍も便利である。ほんとうに便利なのは快速急行じゃないの?
 つまり、このダイヤは、「天理駅は特急停車駅だ」とカッコづけるためだけのように思えるのだがどうだろう。
 私は鉄ちゃんではないからよくは知らないが、元々奈良発大阪難波行きの特急を振り替えただけということはないか。
 如何にも高市政治駅と思うのは考え過ぎだろうか。
 撮り鉄ちゃんによる天理駅乗車状況のリポートを期待したい。
 また、鉄ちゃんのご意見を乞う。

2026年3月17日火曜日

女子小学校爆撃

    アメリカがイラン南部の女子小学校をミサイル爆撃し175人の児童が亡くなった。 
 当初アメリカは「イラン軍が爆撃した」と公表していたが、ニューヨークタイムスが報じたところでは、アメリカ軍のデータが古くて軍事施設と設定されていたので起こった誤爆だったという。
 入力されたデータで発射されるミサイルという何とも「乾いた」恐怖を覚える。現代の戦争は戦場から遠く離れた指令室のデータが独り歩きする。
 きっと、誤入力に関連した人間たちはそれほど胸を痛めていないことだろう。現代戦争の恐ろしいところである。

 いわゆる西側ながらイランの友好国と言われていた日本では、このニュースは瞬く間に「古いニュース」となり、テレビは「ガソリン代の予想屋」と化している。
 確かに石油は産業の大きな要素だが、私はそれと同時に授業中にミサイルで殺された児童たちの代わりに怒り続けたい。

 その子どもたちの遺体らしい白布の並んだ写真がフェイスブックにあったのでシェアしたところ、旧フェイスブック社であるMeta(メタ)社から「その写真はAIのファクトチェックで正確でないとなったので貴君(私)のフェイスブック記事の公開の順位を大幅に下げる」と連絡があった。
 もし正確でない写真であったのならと反省もするが、本末転倒のAIにも怒りが湧く。
 慎重になることと委縮することは同じでない。
 物の本質を突いた意見は言い続けなければならない。言い続ける。

   春愁い 児の殺されしは 事実なり

2026年3月16日月曜日

木瓜(ぼけ)の花

    「その花は何ですか?」「ボケです」という会話を通行されている方々とする度になんて可哀相な名前なんだと思ったことが度々だった。 
 日本語は世界一かどうかは知らないが、世界中で同音異義語の多い言語のひとつであるとされている。
 要するに「呆け」や「惚け」に聞こえ、真っ赤でもないオレンジやピンクでもないその朱色が暈けたイメージなのかと勝手に想像したりして・・
 もともと刺があるにもかかわらず茶花とされているという「格式?」に失礼な、下品な想像力にお詫び・・
 木瓜は織田信長の家紋や夏目漱石が好んだ花としても有名。
 いち早く春を告げる花。
 花言葉には、「先駆者」というのもあり、「一目ぼれ」というのもある。

2026年3月15日日曜日

考古学の現代史

    先週、「文化財保存全国協議会(文全協)」の歴史講座に行ってきた。今回の講座は昨年亡くなられた都出比呂志氏追悼と銘打った講座であった。 
 そのためでもあるし私の勉強不足もあり、都出比呂志氏の解き明かした学説の内容よりも、考古学黎明期の先学・都出比呂志氏の生き方、考古学・日本史学の現代史を興味深く聴いた。

 美濃部達吉氏の天皇機関説や津田左右吉氏の一連の古事記及び日本書紀の研究のことはこれまでも書いてきたが、一言でいえば、それらは戦前の天皇制を批判するものでもなかったし、只々学問的に考察しただけのものであったが、戦前の政治体制はそれさえも許さずにいた。
 そういう「天皇は現人神である」として、神話さえ「歴史である」「科学である」と一切の批判を許さなかった政治体制が終わり、日本国憲法下の科学的な観点で日本の歴史を解き明かそうとした人々の現代史として、都出比呂志氏や考古学の実際を聴くのは楽しかった。

    その時代、教条ではなく、フリードリヒ・エンゲルス「家族・私有財産および国家の起源」が学ばれ、議論されていたという事実も新鮮な話だったので、帰宅の後、書架から都出比呂志著「古代国家はいつ成立したか」を引っ張り出してきた。

 世界考古学会議執行委員の岡村勝行氏が紹介された都出比呂志氏の経歴では、氏は、学問として考古学を深められると同時に、京大文学部教職員組合の支部長として鋭く権力批判を行われ、かつ、各種の遺跡保存運動でも奮闘されたとのことだった。
 それ故か、京大当局には昇進差別をされ、氏は滋賀大そして阪大に移られた。その後の華々しいほどの活躍の話は割愛するが、結果、阪大の考古学教室は大きく発展した。

 さて現代は、新聞社や自治体などが多くの歴史講座を開催しているが、それを単なる余暇のための「教養講座」にしていてはならないというか、先輩たちに申し訳ない気持ちを抱いて冬の京都から帰ってきた。

2026年3月14日土曜日

大砲は土の中

     2013713日に【維新と大砲】というタイトルで、大要次のような記事を書いた。
🔳 明治維新のとき大和國鎮府総督が廃仏毀釈の音頭に乗って、大仏殿をブッ飛ばしてやろうと大仏殿の正面に大砲二門を置いたとき、近くに住んでいた中山忠愛朝臣が「我は中山大納言なり、先ず我が身より撃て」と立ちはだかったところ、勤王藩士は公家の名を聞くや恐懼して退散した。
 この逸話に因んで奈良の人吉村長慶が、大砲を踏み押える石灯籠を東大寺に寄進したのだが、太平洋戦争敗戦時、進駐軍基地や施設の設けられた奈良や東大寺において「大砲付きの灯籠は不適切だろう」と東大寺が灯籠の下部を土中に埋めて今に至っている。
 故に灯籠の文字もさらには寄進者の文字も不自然に「吉村長」で切れていて、台座の下部は全く埋められている。🔳

 さて先日、大仏殿に行って驚いた。ここ数か月、大仏殿前のこの灯籠周辺を含む広場の整備工事をしているのは知っていたが、その結果、この灯籠には新たなコンクリート製の土台が増強されていた。場所ももしかしたら若干移動したかもしれない。確かに元の灯籠の土台あたりが欠けたりしていたからいろんな「気遣い」があったのかもしれないが、一旦掘り出したのならどうして大砲(横向きの石の円柱?)を元どおり見えるようにしなかったのだろう。
 吉村長慶は新興宗教を唱えたりしたから関係者?はいろんなことを蒸し返されたくないという気持ちがあったのだろうか。そうだったとしたら面白くない。 
 
 吉村長慶については、2019330日【二聖よ起きよ】でも大要次のことを書いた。
🔳 吉村家は、奈良町の徳融寺の檀家総代であったらしいが、ここの山門を入ってすぐの『世界二聖・大日如来像』という大きな石のレリーフは吉村長慶が昭和12年に建立したもので、なんと、釈迦 と十字架を背おったキリストが横臥し、マント姿の吉村長慶が二人の間に割り込んで「あなた方が寝ている時ではない。はやく起き上がってこの世の乱れを救ってください」と胸をゆすっている。讃文は「軍馬の嘶(いなな)きは則ち国を亡ぼす」である。終戦まで寺では、讃文が官憲の目にふれると大変なことになると、レリーフ全体を板で囲って秘仏としていたと。🔳

 現代世界は、釈迦もイエスもマホメットも起きよ!と言いたいほど乱れている。この国もガムシャラな軍拡路線に舵を切った。
 そんなとき思うのは、東大寺の歴史も奈良時代だけが大切なのではない。近現代のこんな歴史の一コマ・・大砲を踏みつけた灯籠もちょっとした歴史だろう。せっかくの工事の機会があったのだから元の形で灯籠を復活させてもよかった気がする。
[以前の写真]


2026年3月13日金曜日

チンチョウゲ(沈丁花)

    沈丁花が咲き始めた。大阪市内あたりではもう満開だろうか。
 日本の三大芳香木である沈丁花は素晴らしい香りだが、開花がちょうど人事異動の内示の頃なので、この香りを嗅ぐと、仕事を無責任に引き継ぐわけにもいかないということと、未知のポジションでの仕事に対する漠とした不安など、複雑な記憶と重なってくる。それも昔話になった。
 
 昨日は会報の発行作業などのために久しぶりに大阪市内に出かけた。
 そしてそのあと、旧友に献杯を重ねた。沈丁花の香りにまた一つ複雑な記憶が重なることとなった。

 旧友は、相当以前に故郷の見晴らしの良いところに墓を立てていて、私などが冷やかすのに「懐かしく美しい景色を眺めながら眠ると考えると落ち着く」と言っていたが、葬儀に参列したときの様子だと、子どもたちの意見とは隔たりがありそうに感じた。まあ「そんなの関係ねえ」とでも言っていることだろう。
 楽しい幻想に罪はない。

2026年3月12日木曜日

箸箱について

    9日の「属人(食)器」の続きで、箸箱(おはしばこ)のことを書く。
 その前に属人器のルーツだが、平城京で発掘された碗(土器)に「これは〇〇のものだ」とか「〇〇の役所のものだから持って帰るな」というのがあるのを属人器のルーツとする説もあるが、私は少し違うと思う。
 それよりも、お水取りの籠りの僧や禅宗寺院の修行僧に見られる箱膳の方がそれではないか。
 箱膳はちゃぶ台登場以前の個人ごとの机であり食器の収納箱である。朝ドラの「ばけばけ」でもそうだから、明治は当然、戦後少しまで基本のスタイルだった。
 ちゃぶ台(卓袱台)後は箱膳そのものはなくなったが、箱膳時代の感覚が属人器として残って今に至っているのだろう。

 その属人器の一つが箸であるから、箱膳がなくなっても即共用器扱いにするのには抵抗があったのだろう。属人の箸は属人の箸箱にしまうという時代が戦後少しまであった。
 弁当箱とセットの箸箱はご存知だろうが、あれのもう少し落ち着いたものである。家庭で毎食時に使用する箸の箸箱だ。
 そしてそれはテレビで見る修行僧の箱膳のしきたりのように、基本的には食事の最後にお湯やお茶と沢庵(たくあん)で清掃?し、布巾のようなもので拭いて即なおすのであった。だから、箸箱の時代は箸も食事の最後に清掃?して、そのまま箸箱に収納した。夫婦の箸を一緒に入れる箸箱もあった。

 その後、衛生上から箸も茶碗も水で洗うのが普通になるとわざわざ入れておく箸箱は、弁当以外では無用の長物となったから、こういう箸箱は「知らない」人も増えたに相違ない。そういえば、わが子たちでさえ「知らない」だろうと思う。
 属人器を書きながら微かに覚えているそういうことを書いておきたくなった。
 箸、飯茶碗、汁椀、湯吞、・・貴家の属人器はどれですか?

2026年3月11日水曜日

林太郎は泣いている

    森鷗外(森林太郎)はいうまでもなく文学界で有名だが、公職では大正6年に陸軍軍医総監、陸軍医務局長という要職を退き、東京・京都・奈良の帝室博物館と正倉院を統括する帝室博物館総長に任じられ、大正11年に61歳で亡くなるまでその職にあり、今日に通じる博物館学の基礎を築いた。
 奈良国立博物館は現代でも毎年の正倉院展で有名だが、その元は正倉院曝涼(虫干し)で、鷗外は毎年秋には奈良に出張して暮らしていた。鷗外滞在中の官舎は現博物館の東北隅にあり今はその門が残っている。鷗外が東京の子どもたちに送った手紙には手書きの地図があり、「パパの居るところ」と注記がある。

    さて文化庁は国立博物館・美術館に対し、4年後の時点で入場料などの「稼ぎ」が費用の4割未満なら「再編」の対象にする。5年後までに65%以上、10年後には100%「稼げ」と「中期目標」に明記した。
 収蔵している資料類を廃棄してスリムにし、一部の図書館のように民営化せよというのだろうか。博物館資料が危機に面している。

    薄っぺらな議論では、保守というのは伝統を大事にし、一方革新というのはそうでもないという大誤解があるが、銭勘定のためには伝統も歴史も投げ捨てて儲けの対象にしようとするのが自民党らの姿勢である。奈良の歴史や文化でいえば、それの保存などに一番積極的なのが日本共産党であるから、事実は小説よりも・・である。
 自民党絶対多数の国会ではあるが、「博物館を守れ」の世論を大きくしていきたい。

2026年3月10日火曜日

津波てんでんこ

    歳をとると時の流れが速くなる。
 3.11から数か月も経たずに生まれた孫の夏ちゃんも中学生である。その間に私たち大人たちはこの国をどれだけ安全で穏やかな国に「改善」できただろうか。終活だとか〇〇終いだとか言っている暇はない。
 津波について語ると、あのとき勤労者の多くは就業中であったから、現地以外のほとんどの方は夜のニュースで知ったことだろう。そして、海岸べり以外の現地の方々は停電でそれを見ていない方も多かったと思う。
 しかし私は、けっこう揺れた奈良市内から飛んで帰ってテレビでそれをLIVE、つまりヘリコプターからの実況で見ていた。
 人が歩いたり自動車に乗ったりして避難していたが、そのすぐ後ろから津波が襲ってきて、人が津波に飲み込まれて死んでいくのをLIVEで直接放映していた。そのとき、即、人が死んでいくのをテレビは実況していたのである。
 ほんとうに、「あかん。そっちへ行ったらあかん。早く丘へ向かって」とテレビのこっちでほんとうに声を出していた。
 夜のニュースの映像の何千倍、何万倍もの強烈なショックであった。重ねて言うが、海岸から離れた現地の方々は停電で知らなかったのではないだろうか。
 「津波てんでんこ」とは、「津波が来そうだったら、躊躇せず各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」という昔からの大切な教えである。

 福島原発事故についても触れたい。最初に述べたとおり、あの時に生まれていなかった孫が中学生である。15年が経過した。「私から保証します。状況はアンダーコントロール(統御)されています」と安倍晋三氏が言い放った880㌧のデブリは15年で0.9グラム取り出しただけである。
 世間では理系・文系ということがあるが、大切なことは「理系バカ」にならないことだと思う。
 確かに医学や自然科学の進展はめまぐるしいが、そして、「原発は安全だ」というコマーシャルは今も大きいが、樋口裁判官の下した判決文にあるとおり、フク1原発は「あってはならない欠陥があったため流れ込んだ水で冷やされて東日本壊滅が防げられた」のだった。
 もう一つ、ほんとうに「絶対安全だ」というものならば、電力の大消費地近く、東電は東京湾岸に、関電は大阪湾臨海部に原発を建てるべきである。
 それを、過疎に悩む地方の弱みに付け込み、考えられないような札束で頬を叩きまくって今がある。
 最後に気候危機のこともある。原発は、核分裂や核融合のエネルギーを使用すること以外は理屈は単純な釜である。その過程で使用される海水(冷却水)は海に放出されるので、その温排水は海水を7℃上げていると言われている。電力会社側は2℃と主張しているが、要するに、日本列島を取り巻く海水温度を上げている。
 酷暑も豪雪も気候温暖化のせいだという。
 世界は確実に再生可能エネルギーにシフトしている。冷静に立ち止まって議論すべきだろう。(写真は9日の朝日新聞)

2026年3月9日月曜日

ご飯茶碗

    ご飯茶碗が欠けたので新しいものを購入した。こういう属人器はあらかじめ購入しておくものでもないだろうから、いざというときには「とりあえず」ということで手近なところで手軽に購入してしまうことが多い。写真のそれはそういうものである。だいたい私の箸置の5分の1以下だった。

 飯茶碗というと「一膳めしはあかん」と昔から言われてきたが、近頃はそれ(習わし)はそれとしてわが夫婦は健康の為もあるし、何よりも食も細くなってお代わりなしの一膳めしである。
 「一膳めしはあかん」というのはきっと枕飯に通じるからだろうと思って念のため調べてみるとそうではなく、同じ葬儀ではあるが、参列者が一杯きりの飯を食う習俗である「出立(でたち)の膳(別名一膳めし)」であるからというのを知った。ただ、そういう儀礼は実際には出くわしたことがないから意外であった。
 それよりも、同じ言葉の一膳めしというのには、江戸時代から昭和の戦前まで「食べ放題ではない飯屋」を一膳めし屋という意味があって、実際に今でも「一膳めし」と称する食べ物屋があるのを知った。
 私などは、先のとおり「一膳めし」という言葉には不吉な名残(受ける感覚)があると感じていたからこれには驚いた。

 少し関連した話だが、お代わりをするときにはご飯を食べきらずに少し残したお茶碗でお代わりをしたものだ。これも習わし。
 現職の頃にはいわゆる社員旅行があったが、各自がお代わりを仲居さんに頼むのだが、忙しいときにはどうも返ってきた茶碗が変わっているようなときがあり、あまり気分のいいものではなかった。

 冒頭に書いた属人器であるが、この器は誰々のものという恒常的属人器である。世界的には共用器のみの国も多く、日本は銘々器(その食事中は個人に属する=一時的属人性)と(恒常的な)属人器の多さが特徴というか特異であって面白い。世界中で日本と朝鮮半島が頭抜けていて、東アジア文化の源泉のような中国にはそれがないというのもさらに面白い。
 わが家でも偶にしか使用しない子や孫の茶碗や箸は決まっている。不合理ではあるが、そうでないと落ち着かないのもおかしなものである。

2026年3月8日日曜日

若ごぼうは早春の味

    三寒四温という言葉は本来は冬の言葉であるが実際には春がよく似合う。
 もうひな祭りも終わったというのにけっこう風が冷たい3月8日である。
 先日、大いに春の季節感を味わおうとして、「八尾の若ごぼう」を食べた。
    持っている山野草の本にはフキやミョウガやシソまで載っているのに若ごぼうはない。山野草からもマイナー扱いされていて、中途半端に可哀相である。
 本では、早春のこの種の野菜はほとんどすべてについて「アクを抜いて・・」と教示されているが、アクがきれいに抜けると面白くもなんともない。まあ、人間といっしょである。
 
 3月6日に書いたが、オルテガのいう否定的な意味での大衆とは、みずからを、特別な理由によって――よいとも悪いとも――評価しようとせず、自分が〈みんなと同じ〉だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持になる、そのような人々全部である。

 そのような人々は若ごぼうを味わう必要はない。

口を噤む前

    『ツグミは春になると北へ渡ってしまうので、昔の人は「あの鳥の声が聞こえなくなったなあ」「きっと口を噤(つぐ)んでしまったのだろう」と思った』と、ツグミという名前の由来を2020年の2月に書いたが、そのツグミという名前の由来については、少し疑問が未解決のままだった。
 その1,北へ帰る冬鳥、つまり春に声を聞かなくなった鳥はいっぱい居るのに、どうしてその中で「口を噤んだ鳥」の代表にツグミがなったのだろう。
 その2,とびっきり美声とも言えない「ケッ ケッ」という声なのにどうして代表になったのだろう‥ということだった。
 確かに人家の近くに来ることは来る、声は小さくはない、それにしても・・・

 先日、歩いていると、少し高い木から聞いたことのない声がした。
 文字にし難いが、ピヨピヨとか、ヒーヒーとか、クチュクチュクチュとか、なんというか、女の子がおしゃべりをしているような声がした。もしかして百の舌を持つという百舌鳥(もず)?
 葉っぱの多い木なので声の正体は特定できないが、飛んでくる様、飛んでいく様は、ツグミの集団だった。・・・で、ふと気がついた。

 春先、農家の庭先で農作業が始まる頃、ツグミのこんな声を聞きながらみんな作業をしていたんだ。頭の上というか、木の上で、女の子たちが楽しくおしゃべりしているような声を楽しく聞きながら作業をしていたのが、あるとき(春が深まり)、フッと声がしなくなったのだ。
 ジャジャジャと鳴いていた鶯(ウグイス)が囀りの練習を始めるように、ツグミも3月になるときっと囀り(そのものは知らないが)の練習を始め、昔の人は楽しくそれを聞いていたのだ。

 これは全て個人の感想だ。しかし、バードウォッチング歴も古いが、ツグミのこんな声を知ったのは初めてで、私的には長年の謎が解けた気分がした。

2026年3月7日土曜日

必読書

    世界平和統一家庭連合(旧統一教会・統一協会)に対して東京高裁は3月4日、宗教法人たる「教団」の解散を命じる決定を行った。
 これを受けて東京地裁は清算人を選任し、清算手続きが始まることとなった。
 メディアは、高額献金の被害者に対する弁済が上手くいくのか、「教団」が財産を隠さないかなどについて注目しているが、何か重大な焦点の二つが欠けているように思えてならない。

 その一つは『赤報隊事件疑惑』である。
 統一協会はいろんな関連団体を通じて、殺傷能力のある空気散弾銃を大量に輸入し、全国で銃砲店や射撃場を経営し、「特殊部隊」=軍事組織を組織していたといわれている。
 「教団」が霊感商法批判キャンペーンに怒り狂っていた1987年5月3日、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害されたが、3日後の5月6日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済み薬莢2個と脅迫状が届き、そこには「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。薬莢は、凶器の具体的な報道がされていないにもかかわらず、銃撃に使用されたのと同じレミントン社製で、口径も大きさも同じサイズのものだった。
 赤報隊事件はその後も続き、警視庁は国会議員である著者に「オウムの次は統一協会をやる」と明かしていたがそれは実現しなかった。その理由を2005年に引退した幹部は著者に「政治の力ですよ」と答えた。

 その二は、想像を絶する統一協会の北朝鮮との野合である。
 1992年平壌の巨大競技場は「偉大なる首領様の生誕80年を祝う」民衆で埋め尽くされていたが、スタンドには独立運動の闘士8人の名前が人文字で浮かび、その最後の一人は文鮮明の三文字だった。 
 そのほかにも、霊感商法で日本人信者から巻き上げた莫大な献金を元手にした「金剛山国際グループ」の設立や莫大な資金援助。
 そして訪朝。金日成と「義兄弟」との会談。
 こうして金日成の葬儀に北朝鮮は文鮮明教祖に招待状を送り、文の最側近の韓国「世界日報」朴社長は金日成の死去後初の韓国人訪朝の人となった。
 日本などでは激越な反共演説を繰り返しながらのこの態度は、良識人には到底理解の限度を超えているが、同じように、日本の法律では入国が禁止されている人物(直前までアメリカで収監されていた)の超法規的入国を手伝ったのは自民党の大物たちであった。

 超高額の霊感商法による家族崩壊などなどの山上被告問題なども非常に重要だが、統一協会問題の深刻さはそれに止まらない。
 字数の関係で筆を置くが、こんな機会でもあるので、多くの方々に、この本ぐらいは購入して読まれることをお勧めする。最寄りの書店になければ、アマゾンや楽天ですぐに購入できる。

2026年3月6日金曜日

中島岳志の本

    久しぶりに十分に満腹感を覚える本を読んだ。NHK100分で名著・中島岳志著『大衆の反逆——オルテガ』。
 とりあえずPR調に紹介されている幾つかのコメントを拾うと、 
 ●なぜ「多数派」は暴走するのか
 ●真のリベラルを取り戻せ
 ●少数派の意見を聞き、先達の知恵を重んじる真のリベラルとは何か
 ●「大衆」「リベラル」「死者」「保守」20世紀最高の大衆社会論を4つのキーワードでよみとく
 ●大衆とは、みずからを、特別な理由によって―よいとも悪いとも―評価しようとせず、自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である
 ●自分の利害や欲望をめぐって行動する「大衆」が増殖した20世紀。スペインの哲学者オルテガは、「大衆」の暴走に警鐘を鳴らした。彼はなぜ、利己的な大衆を批判し、他者と共存するための「寛容さ」を説いたのか。「大衆の反逆」は、有権者の半分近くが投票権を放棄する現代日本に、どんな教訓を提示しているのか。オルテガの思想を受容し、現代的にアレンジすることで、自分たちの手で民主主義をはぐくんでいく術を探る
 
 オルテガの時代、西部邁の時代など背景となる政治状況の古さはあるが、著者の主張はいささかも古くはない。 
 非常にリアルな話として、「保守」の立場を公称されている著者が、現実の政治局面で日本共産党と友好的に語り合っていることの理屈が、けっこう理解もできる。
 書評など書けるほど軽いものではない。書き始めればきっと一冊の本になるだろう。それほど内容が濃くて納得する箇所も多かった。
 書店で手に取ってとりあえず立ち読みをお勧めする。