若い頃「石は砕けて土や砂になるのであって小石が大きくなって岩になるというのは科学的でない」と「君が代」の歌詞を面白く批判したりしていたが、石灰質角礫岩はいわば天然のコンクリートのように生成されるものであるから、あながち誤りでもないことを後に知った。
「君が代」の歌詞のルーツは広辞苑第五版によると、『江戸時代の隆達節(りゅうたつぶし)の巻頭第一にあるものと同じで、さかのぼれば古今集には初句を〈我が君は〉とした和歌がある』 とあり、 『隆達節とは、江戸初期の流行歌。 泉州堺にある日蓮宗顕本寺の僧隆達が創めた小歌。 1600年(慶長5) ごろに流行、 近世小唄の源流をなした。 隆達小歌』・・ と説明している。 なお顕本寺は加藤弁英師の調御寺の一筋東にある。
私は以前に顕本寺で『君が代』の書かれた屏風の立派なレプリカ(原本はボストン美術館)」を見せていただき、隆達節も生で聴かせてもらったことがあるが、ナルホド小唄の元祖であった。
屏風は六曲一双で、 自由奔放な遊里の風景(絵画)が四面分に描かれ、 両脇に隆達の筆による書があり、 1602 (慶長7) 年、隆達75歳の時のもので、 最初の1首が 「君が代」
の歌詞と”全く同じ”の 「君が世は千代にや千代にさざれ石の岩ほとなりて苔のむすまで」で、他の歌も、
おもひきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち
雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも
月夜のからすはほれて啼く我もからすかそなたにほれてなく
・・など、ほとんどがラブソングであった。
おもひきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち
雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも
月夜のからすはほれて啼く我もからすかそなたにほれてなく
・・など、ほとんどがラブソングであった。
堺の遊里(色町)の宴会で、想像するに「そろそろ主さん!」「それでは、ハッ 〽君が代は~」と唄われていた(であろう)ラブソングであった。
つまり「君が世」の「君」は明らかに親しい人、愛する人の意味で間違いなく、いうならば古今集の歌を本歌取り、換骨奪胎してラブソングにしたものが現代の「君が代」の歌詞である。換骨奪胎とはマイナスイメージのことではない。(「我が君は」を「君が代は」に換骨奪胎したのは隆達以前の民衆にあったかもしれないが)
よって通説とされている「薩摩琵琶唄がルーツであって、君とは天皇(家)のこと」というのは正しくない誤答である。
学校で「君が代」斉唱を強制したり罰したりすることの不当性とは別の次元のことになるが、「実際は『君が代』の歌詞はラブソングである」という正しい認識は拡がれば好い。
私個人的には、世界中に軍歌ルーツの国歌が多い中で、宴会ソングをルーツにしたラブソングを国歌にするのも悪くはないと思ったりするのだがどうだろう。
つまり繰り返すが、「君が代」の歌詞は隆達小歌そのものの歌詞であり「愛しい人」へのラブソングである。
それを明治の天皇制下の支配層やそれらの復古を臨む戦後の右派は薩摩琵琶唄や古今和歌集に結びつけて、天皇(家)の長寿を祝う歌だとあえて曲解してそれを国民に押し付けたのである。こういうそもそもその定義が歴史的に正しくない。。
そのため、民主主義の発展を願う教員や少なくない人々はその「押し付け」に当然反対したのであるが、その際、誤った「天皇制賛歌論」をそのまま受け入れてそれを前提として「全否定」したのは考え直してもよくはないか。
なぜなら、その歌詞はそもそも民主主義国家と馴染まない天皇制賛歌などではなく、遊里の宴会から誕生したという性格(問題)はあるが、丸めていえば民衆文化の一つであるからだ。
そういうニュートラルな発想に立つならば、スポーツの国際大会などで流れる「君が代」も素直に聞いたり歌ったりできるのではないだろうか。
真面目に民主主義を徹底しようと取り組んでこられた運動家の皆さんには反発があるかもしれないが、民主主義の基礎は各自の自由な意見の表明であろうから、思い切って書かせていただいた。
なお次のとおり参考になる資料がある。
https://www.jcp-osaka.jp/_old_site_2014/2007/05/post_237.html
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