2026年5月15日金曜日

忍冬

    道路脇の植え込みに忍冬(にんどう・すいかずら)が咲いていて、毎年この時期には「忍冬唐草紋」(にんどうからくさもん)のことが思われる。
 わが国がようやく文化を取り入れた奈良時代前後、瓦の紋様などに取り入れられた紋様である。
 発祥はギリシャだとか言われるが、中東で発達してシルクロード経由で到着した。
 現代トランプが、「イラン(ペルシャ)を石器時代にしてやる」などと大口を叩いているが、その文化・歴史の重みでいうと議論の以前である。
 同じことはこの日本だってそうで、日本の歴史の黎明期、既に中東では文化が咲き誇っていた。

 傲慢は劣等感の裏返しに思われる。
 戦後のいっとき「ジャパンアズナンバーワン」と言われた国が経済でも、文化でも中国、韓国、台湾などに追い抜かれている現状が、ヘイトスピーチなどになっているのだろう。
 「強い言葉」ほど劣等感の裏返しに思われる。
 歴史を学べば、国力?の変遷は常のこと。素直に国際交流と理解を深めることが「国」の格をあげることになる。

2026年5月14日木曜日

奈良の鹿

 先日、奈良公園の「夢広場の某店」で昼食をとった。ここの外にはオープンカフェというか、屋外にテーブルと椅子がある。
 「ちょっと無防備な!」と見ていると、案の定、食事をしているテーブルの上の料理と飲み物を鹿が食い散らしてしまった。見事な傍若無人振りである。
 再発防止の意味も込めてすぐに私は駆け寄って、鹿を平手で叩いたが、そこだけを切り取れば「鹿を虐めている爺さん」になるかもしれない。
 
 奈良の鹿はペットではない。自分より弱いと思える幼児は突き飛ばすこともけっこうある。まれには大人だって突き飛ばす。
 それに、女性の衣服を咥えると煎餅を落とすという経験も学習して知っている。だから弁当などの横取りも簡単だということも・・・。
 恐れることはないが、あくまでも野生だということを肝に銘じておくことが大切だ。
 そうして奈良の鹿を楽しんでいってほしい。 

   さて、私は奈良と奈良の鹿が好きである。そのことはこれまでのブログ記事を読んでいただければ判るはずだ。
 そういう私には、高市早苗氏の自民党総裁選中のシカ発言が気になって仕方がない。
高市氏は、テレビでも取り上げられている場で、「奈良のシカを足で蹴り上げるとんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、皆さん、何かが行き過ぎている」と訴えたのだった。
 その後、この話は、根拠がまったく不明であり、複数の報道機関が奈良公園を取材したが、現地の関係者も奈良県警もそうした行為を確認していない。
 私は、あれだけの外国人観光客がいるのだから、そういう人間が一人や二人いても不思議でないと思うが、そんなことを言えば明らかに日本人が鹿を虐めている事実も私はいくつも見てきた。
 はっきり言うと、右翼的な排外主義的な支持票を当て込んで、こういう根拠不明の話を針小棒大に語ることは詐欺師、扇動家の特徴である。そういう人物が総理大臣になった。嫌な世の中になったものである。

2026年5月13日水曜日

宗教について思う

    宗教のお経や聖書などについて外からとやかく言うつもりはない。 
 しかしあるお経の本に「前世で悪口を言っていたのでこの世で口に障害が起こった」というような因果応報を説いているものに出逢ったときは、「これでは現実の障碍者はたまらん」と悲しくなった。  
 またある牧師さんがモノの結晶の美しさをあげて「この美しさは神の意思なくしては考えられない」、故に「進化論」はあり得ないと語られたときには、自然科学や医学への悪影響が心配になった。   
 暮らしの上での精神的なよりどころとしての宗教は良い意味での心の鎮痛剤だと私は考えるが、そのためには他の領域の考え方との「兼ね合い」が必要であろう。そこのところをわきまえずに神仏の語録を絶対上位に置く「原理主義」は場合によっては危険なものになる。 
 早い話が、過去の歴史上弾圧を受けた宗派にとっては弾圧に手を貸した宗派は悪魔であり、悪魔との戦いは善になる。その種の最終戦争を予言している書もある。 
 以上に書いたような幾らか整理された話ではないことだが、「日本人は韓国に償うべし」という宗教が、「日本人ファースト」を唱える右翼政治家に献金し選挙運動の手足になるという摩訶不思議なことも現に起こっているし、アメリカでは大統領が35日、ホワイトハウスの執務室でトランプを中心に福音派指導者らが手をかざして祈禱した。(写真:ネットの毎日新聞にあったもの)・・安倍晴明か?? 
 ネタニヤフとトランプによるイラク攻撃の主たる性格が宗教戦争だというような単純な議論をするつもりはないが、多くの日本人の思考回路を大きく超える政教一致の思考があることも事実である。 
 先日古い友人との惜別があったが、「彼はもっと酷くなる社会を見ることなく逝って幸せだったかも」という声を遠くで聞いた。  
 おいおいおい、もうちょっと人間を信じないか。子や孫に対して無責任だぞ。
 自分だけ儲かれば、ほかのことは知らんではねえ!
 日本人だってエラそうなことは言えなくないか!

2026年5月12日火曜日

朝採れ豌豆

    秋、冬、春と大事に育ててきた・・と言いたいけれど、実際は「自然農法」という美名に隠れて放ったらかしにしていた『ウスイエンドウ』の実が膨らんできた。
 すでに何回か収穫し、夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリーにも分けてきた。今年も上々の出来である。連作障害も深刻ではなかった。

 先日、魚売り場にヒラマサの真子が出ていたので、「鯛の真子とそれほど変わらないだろう」と購入し、写真のとおりエンドウと煮付けた。間違いなく美味しかった。何よりも食卓に五月の風が漂った。もちろん、ご飯も「豆ごはん」である。
 近々凜ちゃんファミリーが病院の帰りに晩ご飯に来る。おかずは何にしてもご飯は「豆ごはん」である。

 「えッ、グリーンピースですか?」という質問もあるようだし、子どもの苦手な野菜の上位にはしばしばグリーンピースが顔を出す。しかし、私に言わせればいわゆるグリーンピースとウスイエンドウは別物と言ってよい。
 ご存知でない方は、この季節、ウスイエンドウの豆ごはん、ぜひともお召し上がられよ。

2026年5月11日月曜日

エゴノキ

    この季節は一日一日と木々の様子が変わる。
 ベランダに出るとムッとするような蜜の香りがしたので、「エゴの花だな」と顔を乗り出すといっぺんに満開になっていた。下を向いた白い花が密集していて美しい。
 同時に、ぶんぶんぶんぶん、黄色クマバチ、タイワンタケクマバチ、オオスズメバチ、ミツバチ、ハナムグリ、等々が飛び回っていた。
 写真はタイワンタケクマバチだと思う。けっこう大きい。
 「エゴノキの花は甘い良い香り」と書かれている本も多いが、正直に言うとクリの木に似た、ムッとしたしつこい香りで、もっと正直に言うと臭い。
 ジャスミンなどもそうだが、芳香と香害は紙一重というか、敏感な者には少々辛い。
 ただそれを言いすぎると社会的には問題もあるから、話はここまで。

2026年5月10日日曜日

石楠花色

    〽石楠花色に たそがれる 
  はるかな尾瀬 遠い空
 江間章子作詞 中田喜直作曲の『夏の思い出』だ。
 この歌を先に覚えてその後尾瀬に行ったりしたものだから、シャクナゲ色というのは霧の中の「ぼやぁ~とした薄いグレー」かと長い間思っていた。
 それに大台ケ原などシャクナゲの自生地にもよく行ったが、それは夏期であって、シャクナゲはシーズンオフだった。
 だから後に花期のシャクナゲを見たときには、尾瀬や、あの歌詞と違っての派手さに少しがっかりした覚えがある。
 特に園芸品種や西洋シャクナゲは『夏の思い出』のムードとは別物だった。

 この冬、小さなシャクナゲを庭に植えた。日当たり、特に西日が強い場所に植えたので猛暑の夏を乗り越えて上手く成長するかどうかは解らないが、この春は順調に咲き始めた。
 白い中に薄紅色が混じっている。あの歌詞の「正解」は、この薄紅色が「たそがれの夕焼け色」なのだろう。

2026年5月9日土曜日

アウェイでも

    5月8日付朝日新聞のトップ記事は、『嫌中動画気軽に下請け』というタイトルで、仕事の仲介サイトの求人募集が「中国批判系など海外の反応YouTube動画のお仕事」で、手順書どおりに簡単に対応できた。それは、見る人の憎悪をあおり、時に思考をゆがめるネット動画であったという内容の記事だった。
 記者が取材した男性は過去には「差別につながる可能性が高い」として広告収入を止められたが、その後新たに「政治系チャンネル」を開設し、高市首相を取り上げつつ、野党や自民党でも一部の政治家を批判。2週間で50万円稼いだと豪語したと書いている。

 この話は目新しいものではなく、2024年に大手仕事仲介サイト「クラウドサービスの求人の一部に、「中国人の迷惑行為、その後、自業自得になるフィクション動画作成の仕事」というのが出て問題になっている。
 さらに以前には、参議院議員の小西洋之氏と杉尾秀哉氏が提訴した裁判で明らかになったのは、Dappiという名前でウェブコンサルティングを業務とするIT会社が、自民党や維新への賛同の内容や立憲や共産党への誹謗中傷の発信を繰り返していたことが有罪になっている。
 ちなみにこの会社の主要な取引先には、自民党、自民党の元閣僚の資金管理団体、自民党の支部があった。
 そして今年4月29日に文春オンラインが報じたのは、昨年の自民党総裁選挙中に高市陣営がTikTokで、総裁選のライバルであった小泉進次郎氏や林芳正氏に対して「カンペで炎上!」「無能で炎上」「完全にアウト」という投稿をしていたこと、衆議院選挙の公示日前日には、高市氏の動画がアップされ、再生回数は10日足らずに10億回を超えていた。
 なお、高市氏の資金管理団体「新時代政策研究会」から2024年の総裁選関連で約8000万円の広告宣伝費が支出されていたことが毎日新聞で報道されている。

 実際、私のFacebookにもその種のTikTokの動画はあふれている。
 これを「やっぱりネットの世界は歪んでいる」とオールドメディアで批判?しているだけではことは済まない。
 都知事選挙の時の「石丸フィーバー」、総再生回数300万回が革新系候補を上回る得票を得たように、総選挙時の高市10億回動画があって自民党の「歴史的勝利」が起こったように、情報をSNSに頼っている層には、「オールドメディア」でまともに批判してもその声は届きにくい。
 「SNSに依存するのは危険だ!」という情報もSNS上で広げなくては力にならない。
 なので、「これではいかん」という良識を「とりあえずSNSで発信する」「せめて、シェアなりリポストする」ことが自覚的な民主主義者には求められている。
 それでも「SNSは苦手だ」と言いながら拱手傍観を続けますか。
 

2026年5月8日金曜日

クラベス

    クラベス(スペイン語
: claves)は、2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出す打楽器。ラテンのリズムには欠かせない?
日本の拍子木と演奏?の仕方は異なるが、拍子木のように使おうと思えば使えるので、息子がわが家から持って行ったクラベスを返してもらった。
5月に予定しているレセプションで演奏に使ってもよいが、一番効果的なのは「大阪締め」などの手締めに使うといっぺんに華やぐ(はず)。要するに拍子木!
「用意はできている」と実行委員長には言ってある。
ちなみに、楽器として使うばあいは、利き手でない方で、クラベスの先から3分の1ないし4分の1位の所を2本の指で軽く持ち、残りの指を添える。クラベスの逆の端の近くが手のひらの手首の近くに軽く触れる。手のひらを軽く丸め、楽器と手のひらの間に空洞をつくる。その上で利き手のクラベス(ばち)で楽器の先を叩くのである・・とあるが、そんなことはどうでもよい(写真はそんなことはしていない)
大切なことは『ダンドリ八分』である。

昔、現職の頃、仕事に関係する多くの医師の先生方を囲むパーティーがあったとき、私が閉会のあいさつを担当したのでこのクラベスをスーツの内ポケットに持参した。
結果、クラベスは見事に場を盛り上げたが、出席者の多くが大阪締めのリズムを知らず、見事に大スベリした。と、スベリにスベッタが・・・「今年の締めのあいさつは良かった」とお世辞だろうがたくさんの声を戴いた。
『ダンドリ八分』。昨日は『くす玉』のメンテナンスを行った。大改造ではないが、小改良はあちこちに行なった。何ごとも『ダンドリ八分』である。

2026年5月7日木曜日

親近感の湧く謎の民

    54日の夜、見るともなくテレビを点けると「秘境中国 謎の民『神秘の森に生きる』」という番組の再放送があった。
 中国の秘境雲南省に広がる高黎貢山(こうれいこうざん)。標高2,500mの世界遺産の森に生きる謎の民・ルーモ人。古代の武器・弩弓(どきゅう)(クロスボウ?)で野生動物を狩り、シャーマンが800年続く不思議な儀式をつかさどる。祖先はモンゴルの皇帝を倒して世界の歴史を変えた最強戦士。流浪の旅の末辺境の地にたどり着いた。今(といっても初回放送は2021年?)、中国政府によって森からの立ち退きを命じられ伝統の暮らしが消滅の危機に・・・という内容だった。

 中国には、漢民族と55の少数民族がいるといわれているが、ルーモ人はその55の少数民族にもカウントされていない。
 伝承では、祖先は長江流域の重慶あたりに住んでいたが、モンゴル第4代皇帝モンケ・ハン10万の大軍に対する南宋1万の軍の下、ルーモ人の放った弩弓でモンケ・ハンを戦死させた(元史類編)という。
 その後、南宋軍はフビライに敗れたが、その際ルーモ人は2,000㎞逃亡し(参考:札幌―福岡で1,500㎞)、標高76mから6,740mという大渓谷の奥地で暮らして現代に至っているといわれている。

 それはさておき、そのテレビを見ていて面白かったのはルーモ人の顔で、日本の田畑で鍬でも使っていたら誰もが日本人と思ってしまうように私には思えた。
 もっと昔、テレビがシベリアの先住民族を紹介していたとき、椎名誠氏がインタビューすると、「どこから来た?」「海の向こうの日本だ」「いやいや冗談だろ。お前は隣村の人間だろ」「ほんとうだ。日本人だ」「またまたまた、隣村の者だ」「いやいやいや・・・」と全く信じなかったシーンがあった。
 先日読んだ『中央アジア紀行』のキルギスのけっこう有名な伝説では、「かつてシベリアで暮らしていた兄弟が、肉好きはキルギスへ、魚好きは日本に行った」と紹介されていた。
 もっと昔、原水爆禁止世界大会国際会議を傍聴した折、スリランカ、タイ、ベトナム、朝鮮、中国、モンゴルなどなどのデレゲーション(代表団)が、わりあい明確にそれぞれの「お国」の顔をされているのに、そのどの「お国」の顔の人も日本人にはいるなあと感心?したことを思い出した。
 ルーモ人を見て、日本人の故郷が長江流域の近辺だったというほど単純な思考はしないが、何か「当たらずと雖も遠からず」のような気分もある。
 稲作、漁労、高床、餅つき、味噌・醤油・納豆・・・
 

2026年5月6日水曜日

子どもの日?

    商業主義というかマスコミの定番ニュースというか、はたまた世間の流れというか、絵に描いたようなお決まりの「子どもの日」であった。
 夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリーと揃ってのBBQパーティーを行った。
    前日の5月4日昼過ぎ、「BBQ組はもう既に買い出しは済んでいるだろう」と高をくくって精肉店に行ったのだが、整理券をとると40分待ちだった。
 やはりというか、世間の小市民は同じように発想するらしい。
    結局、子や孫が祖父ちゃんたちを喜ばせてくれた日、まるで「敬老の日」となった。

    我ながら、なんという俗物だと反省しつつ、これでいい、これでいいと自分に言い聞かせた楽しい楽しい子どもの日であった。


2026年5月5日火曜日

菖蒲の鉢巻き

    日本書紀の事実上最初の大王である「崇神天皇」の記録に大いに疫病に悩んだ記述があるから、何年か前のコロナの記憶と重ねると、見事に「歴史は繰り返す」という感慨を深くしている。歴史をバカにしてはいけない。
 そこを押さえたうえで、端午の節句を眺めると、そこにも「菖蒲イコール尚武」というようなレベルを超えた先人の知恵が感じられる。つまり、そもそも菖蒲の香りには生薬、漢方薬の効能が認められているから、この行事の一部には、経験医学とでも呼べそうな合理性がある。
 こうしてわが家では、毎年、端午の節句には菖蒲湯に入り、菖蒲で鉢巻をすることにしている。すなわち、菖蒲の鉢巻きは邪気を払い健康力を助けてくれるのである。

 ということで、先日スーパーで菖蒲を購入したのだが、それをカートの「傘立て」のところに立てて購入を続け、自宅に帰ってから「アッ、カートに置いたままだ!」と気がついた。
 菖蒲は、一般的な病には効果があるが、認知症は「所管外」であることに気がついた??? それとも去年の鉢巻きの効能が時効???
 電話をすると屋外のカート置き場にそのまま残っていたとのことなのでもう一度出かけた。
 
 年中行事やしきたりの類には非合理的なものが多い。自然科学や論理学が未成熟な時代にはやむを得ないことだった。だからといって、バッサバッサと切り捨ててしまう生活は味気ない。言い換えれば「人間味」が乏しくなる。
 息子や娘のファミリーには、超がつくほどの合理主義、論理主義を標榜している祖父ちゃんが年中行事を大事にするのが不思議なようだが。この気持ち、わかってくれるかな。

    今日は端午の節句、まだの方は菖蒲を買ってきて、菖蒲湯に入って鉢巻をしよう!

2026年5月4日月曜日

休む

    近藤勝重さんの本を読み返していて少しウッと思ったことを書く。
 近藤さんの「これからの生き方を文章にする」という文章の中に「文章に行き詰まったら・・・一息入れるということも大切なのではと思っています。『休む』の『休』は人が木にもたれかかっているのが字源だそうですが・・・」とあった箇所である。私のウッは文意・文脈とは関係ない。ただ、引用されたその字源なるものはほんとうだろうかと思った。

 以前に半藤一利さんが「相」という字について、「なぜこの字が首相とか厚労相の意味を持つのか」という問いに、『たすける』という意味があるからだ」と述べていることを書いたが、その意味を白川静『常用字解』で補足すると、・・相は木を目で「見る」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振り(たまふり)の力があると考えられたのである。・・・とあった。

 この記憶があったので、「人が木にもたれかかっているので『休』ですか?と、ウッと思ったわけである。
 そして再び白川静文字学!にあたってみると、「休は木の下に人が休むの意味であるとか、麦畑で人が休むの意味であるという説明をされることがあったが、それは誤った解釈である」とピシャリ。そして・・
 木は古い字形では禾の形で、禾は横木のついている柱、軍営の門の両脇に軍門の標木(目印の木)として禾を立て、両禾軍門といわれた。そこで軍事的な誓いや平和交渉なども行われ、禾の前で講和することを和という。戦争で手柄をたてた人を表彰することを休といい、休は「さいわい、よい、めでたい、よろこび」というのがもとの意味であった。周王朝のとき、戦争以外での功績についても王や上官が表彰し、貴重な貝や馬などを褒美として与えることが行われているが、そのようなときに休暇(やすみ)が与えられることもあって、休は「やすむ」という意味に使われるようになったのであろう。・・・とあった。

 白川静文字学は、深い中国古代思想の探求の上に成り立っていると考えられ、教えられることが多い。「休」の字源はさらに研究されてもよいかもしれないが、大いに納得させられる。
 周辺の木や草は一日単位で目に見えて成長していく。
 それを見て人は生命力を助けてもらうというのを実感している。

2026年5月3日日曜日

憲法記念日

    高市早苗氏は国会議員の時代に、この『憲法前文』が嫌いだと公言している。
 だが、憲法第99条は次のとおり定めている。
 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
    ・・・えらい時代が近づいてきた。「戦前」という時代だ。
 9条、9条というだけでなく、この前文も味がある。
 よって私は本日、『憲法前文の会』を一人で立ち上げた。 
 
 🔳日本国憲法 前文🔳

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 

以下【参考】(TBSnewsDIGから)
 高市議員(20009月 衆院・憲法調査会)
 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と、この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」
 高市氏の論文(2004年)
 「独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて『日本の心と言葉を持った憲法』へと書き直すべきだと思っている」
 「まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。『国家はどうあるべきか』『国民はどうあるべきか』を冒頭に示すのだ」
 「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」
 「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際(中略)私権の一部制限に協力する」
  憲法学者の木村草太氏はこう見る。
 「国防の義務という非常に抽象的な義務を設定してしまうと、国防という名目を立てればあらゆる権利・自由を制限してよいのだという意味合いになるわけですね。それこそ徴兵の義務とかそういうことも言えるかと思います」
 また、高市氏の改憲論文では、大規模テロや自然災害など「非常事態」に対応するための条文を新設し、「『内閣総理大臣への権力集中』や『国民の自由や権利の制限』を書くべきだろう」としている。
 「国家権力は非常に強い力で支えられている。放置すると国民の権利や自由がどんどん奪われていくので、国民の権利・自由を奪ってはならないと規範を設定し、権力を制限するのが憲法」
 「高市さんの文章の中で、自分の憲法では国民の権利をもっと制限しやすくするのだということが書かれていますので、国民の権利を政府が制限しやすいのが理想な国家だとおっしゃっている」

2026年5月2日土曜日

明日は5月3日

    明日は53日。198753日を思い起こそうと思う。
 その日、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害されるという大事件があった。『赤報隊事件』のひとつである。当時、統一協会の霊感商法批判キャンペーンを展開していた朝日新聞が襲撃されたのだった。
 その当時、統一協会はいろんな関連団体を通じて、殺傷能力のある空気散弾銃を大量に輸入し、全国で銃砲店や射撃場を経営し、「特殊部隊」=軍事組織を組織していたといわれている。
 その「教団」が朝日新聞の霊感商法批判キャンペーンに怒り狂っていたといわれている。
そんな中の198753日、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害されたのだが、3日後の56日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済み薬莢2個と脅迫状が届き、そこには「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 薬莢は、凶器の具体的な報道がされていないにもかかわらず、銃撃に使用されたのと同じレミントン社製で、口径も大きさも同じサイズのものだった。
 赤報隊事件はその後も続き、警視庁は国会議員である有田芳生に「オウムの次は統一協会をやる」と明かしていたがそれは実現しなかった。その理由を2005年に引退した幹部は有田に「政治の力ですよ」と答えた。
 「政治の力。それは岸信介からにつながる自民党安倍派や民社党・同盟から連合につながる富士政治大学校などを指すと思われている。
 今日は52日。大型連休もよいけれど、53日といえば、この事件の闇も思い出してほしい。
 
 統一協会というと、想像を絶する北朝鮮との野合もある。
 1992年平壌の巨大競技場は「偉大なる首領様の生誕80年を祝う」民衆で埋め尽くされていたが、スタンドには独立運動の闘士8人の名前が人文字で浮かび、その最後の一人は文鮮明の三文字だった。 
 そのほかにも、霊感商法で日本人信者から巻き上げた莫大な献金を元手にした「金剛山国際グループ」の設立や莫大な資金援助。
 そして訪朝。金日成と「義兄弟」との会談。
 こうして金日成の葬儀に北朝鮮は文鮮明教祖に招待状を送り、文の最側近の韓国「世界日報」朴社長は金日成の死去後初の韓国人訪朝の人となった。
 日本などでは激越な反共演説を繰り返しながらのこの態度は、良識人には到底理解の限度を超えているが、同じように、日本の法律では入国が禁止されている人物(直前までアメリカで収監されていた)の超法規的入国を手伝ったのは自民党の大物たちであった。
 
 超高額の霊感商法による家族崩壊などなどの山上被告問題なども非常に重要だが、統一協会問題の深刻さはそれに止まらない。
 字数の関係で筆を置くが、高市内閣・自民党総裁の下で、統一協会の広告塔になったり、資金を貰ったり、秘書など選挙運動の実働部隊を受け入れていた人物が大量に国会議員になっている。
 こんなことを見過ごしていて良いだろうか。
 ぜひとも、有田芳生著『誰も書かなかった統一教会』を一読されることをお勧めする。
最寄りの書店になければ、アマゾンや楽天ですぐに購入できる。

今日は5月2日

    昨日は大阪労連等のメーデー集会(扇町公園)に参加。雨天なんぞに敗けるものか!
 昔青年は、来年はOBたちを集めてデコレーションコンクールに参加したいものだなんて思ったが、もうそれは”希望というよりも妄想だ!”ぐらいに笑われそうだ。

 ”昔青年”でいうと、就職して何年もたっていない頃は、職場の宴会というと軍歌を歌う先輩たちがいた。そのときは「なんという時代錯誤よ」と思ったが、わが退職者会の現在の企画も若い人たちにはそのように思われているかもしれない。

 軍歌ではないが、テレビでダークダックスがロシア民謡などを歌っていた時代、今から考えると我われはソ連のCMソングのような歌を歌ったりしていた。そしてそれはもう、今では歌うこともなくなったが、自分たちの青春と重なって懐かしい気持ちは今も沸いてくる。この懐かしい感情は理屈ではない。

 〽われらの思いは それはただ一つ
  懐かしき祖国 永久に栄えよ
  雪や風 星も飛べば
  わが思いは はや遠き地に

 今日は、そんな旧友との永久の別れに行く。
 どうして、尽きない昔話もしないうちにさっさと逝くのか。
 もっとたくさんの法螺話もしたかったのに。チャカさんよ!