2026年10月3日土曜日

製本作業

    昨日は肉体労働に音を上げたことを書いたが、写真のこれは典型的な事務労働。
 その事務労働になぜトンカチ(金槌)があるかと言えば、そこにある鉄板の上に冊子を置いて、これでホッチキスの丸い膨らみを消すことに使う。
 ここへたどり着くまでにはプリンターの不調があったりして難儀なことが多かったが、曲がりなりにも製本まで到着した。
 「仕事は細部に宿る」との言葉もあるし「ダンドリ八分」との言葉もある。
 手分けした世話人も各ポジションで準備を進めてくれている。
 アヒルの水かきではないが、こうして行事の準備が整っていく。
 みんな、ありがとう!

2026年10月2日金曜日

秋の剪定

    9月30日の午前中は久し振りに秋らしい気温になったので、夏を謳歌して茂っていたシマトネリコなど樹木の剪定を行なった。
 脚立(梯子)に乗って鋸や高枝切り鋏を使うなど、少しハードな肉体労働であったが、一番困ったのは落としたあとの枝葉を拾うために前かがみになることで、剪定後の後始末作業の方がダメージが大きかった。
 最後は何袋かのゴミ袋に細かく折ったりして封入するのだが、その作業は孫のチェアに座って行なった。こういう庭仕事、あと何年出来るだろうか。

2026年10月1日木曜日

村の鍛冶屋

    ラジオだったか新聞だったかで誰かが「好きな歌は何ですか」に答えて「村の鍛冶屋」と言うので、少し新鮮な驚きを感じたことがある。で、

    以下にWikipediaの要約をあげる。

 この歌、元は1912年(大正元年)の尋常小学唱歌。
 だが昭和30年代頃から野鍛冶は各地の農村から消えていき、鍛冶屋が作業場で槌音を立てて働く光景が、児童には想像が難しくなり、昭和52年には文部省の学習指導要領から削除され、昭和60年にはすべての教科書から完全に消滅した。

 🔲以下がオリジナルの歌詞である。
 1 暫時(しばし)も止まずに槌打つ響
 飛び散る火の花 はしる湯玉
 ふゐごの風さへ息をもつがず
 仕事に精出す村の鍛冶屋 
 2 あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)
 早起き早寝の病(やまひ)知らず
 鐵(てつ)より堅しと誇れる腕に
 勝りて堅きは彼が心 
 3 刀はうたねど大鎌小鎌
 馬鍬に作鍬(さくぐは) 鋤よ鉈よ
 平和の打ち物休まずうちて
 日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と
 4 稼ぐにおひつく貧乏なくて
 名物鍛冶屋は日日に繁昌
 あたりに類(るひ)なき仕事のほまれ
 槌うつ響にまして高し 

 🔲歌詞の変遷
 農具など野道具や山道具を製作する職人を「野鍛冶」と呼ぶ。この歌の主人公である老職人も、歴史に名が残るような刀鍛冶ではなく、地域の農民とともに生きる無名の野鍛冶である。しかし彼は武勇のための兵器ではなく、民衆が平和時に生産に励むための農器具を鍛える自己の職業をかえって大いに誇りとし、勤勉に日々の労働に没頭している光景が初出時におけるこの唱歌の描く情景であった。
 だが1942年(昭和17年)3月刊の「初等科音楽(二)」に収録の際には、平和を歌う三番以降の歌詞の後半が戦時下の国策に不適当として教科書から削除され、戦後も復活することがなかった。
 そして戦後の昭和22年には文語調が子供には難しいとの理由から、題名が「村のかじや」と平仮名表記にされるとともに、「刃物」が「鋤鍬(すきくわ)」と変更されるなどさらに手が加えられ、最終的な歌詞は以下のようになった。用語を平易なものに書き換え、特に歌の後半部分が切り落とされたことで、本来の歌の核心であった平和賛歌・労働賛歌としての性格が失われた改変過程には異論もある。 

 🔲昭和17年の改定後の歌詞 
 1 しばしも休まず槌打つ響
 飛び散る火花よ はしる湯玉
 ふゐごの風さへ息をもつがず
 仕事に精出す村の鍛冶屋 
 2 あるじは名高いいっこく者よ
 早起き早寝のやまひ知らず
 鐵より堅いとじまんの腕で
 打ち出す刃物に心こもる
 
  🔲昭和22年改定後の最終的な歌詞 
 1 しばしも休まず槌うつ響き
 飛びちる火花よ はしる湯玉
 ふいごの風さえ息をもつがず  
 仕事にせい出す村のかじ屋 
 2 あるじは名高い働きものよ
 早起き早寝のやまい知らず
 永年きたえたじまんの腕で
 うち出す鋤鍬 心こもる

2026年9月30日水曜日

マニュアルか経験か

    マニュアル人間という言葉がある。臨機応変、柔軟な発想ができない奴というイメージだろうか。 そしてその反対語は何だろう。
 マニュアルをバカにして、経験と勘で対応して失敗する奴である。私である。
 経験的に「どうにかなる」と信じてマニュアルを軽視というか無視をする。

 先日、どういうわけかパソコンとつながったプリンターの動作がおかしくなったので、パソコンの各種設定やプリンター側の設定、そしてWi‐Fiなどを触っているうちに、ほゞ全面的に印刷ができなくなった。何十分も後でプリントされたりしたから、問題はLAN周辺のトラブルかWi-Fiかと触れば触るほどおかしくなった。
 友人は月に数万円の契約でパソコンのトラブルに対応しているらしいが、もちろん私はそんなサポートも契約していない。
 結局「大の大人?」が丸々3日ほどああでもないこうでもないと独り言で愚痴りながらパソコンとプリンターに付き合った。この間全く印刷ができなかった。小冊子を数十部印刷しなければならないのにストップしたままだった。
 要するにトラブル対応のマニュアルどころか、そもそものAI機器の基本の理屈や、否、それ以前のAIの用語さえ十分理解できていないから当然の報いであった。
 もう少しマニュアルと上手く付き合わなければと、何回も反省してきたはずなのに。
 それでもどうにか克服できたから、相変わらずの経験主義がなおらない。

2026年9月29日火曜日

どてかぼちゃ

    去年の春に植えたメロンの接木苗の土台がかぼちゃだった。もちろん、土台から伸びた枝は切り取らねばならなかったが、それを怠ったので「ピーナッツカボチャ」が収穫できた。
 そして料理のあと「わた」を捨てたのだろうからか、今年も知らない間に「ピーナッツカボチャ」が出来てきた(今年も同じ失敗をしたのかもしれない)。まあ、土手かぼちゃである。
    「どてかぼちゃは旨くない」というのが定説だが、去年は普通に美味しかった。
 次の写真はメロンとピーナッツカボチャ。メロンの方は幾つか美味しく戴いた。

2026年9月28日月曜日

まるで敬老の日

    われわれ夫婦がホストになってのパーティーだったのだが、子と孫が楽しく集まってくれて、われわれが、まるで敬老の日のゲストのようだった。
 
 毎年の鏡開きの菰樽は少し小さかったので、今年は少しだけ大きな「宝箱」にした(これ以上大きくすると持ち運びが困難)。二人の孫は祖父ちゃんのためにお世辞も含めて「宝箱発掘」を喜んでくれた。

 宝箱開きに続いて、3家族がそれぞれ乾杯の音頭をとった。
 祖父ちゃんは『乾杯の歌』のさわりの部分を歌って、ヘイ! カンパ~イ! とやった。みんな上手く カンパ~イ!と唱和してくれた。
 この歌は一般的にはドイツ民謡と言われているが実はアメリカの大学の校歌というのが元らしい。
 〽若き春の日のために・・などと早口言葉のような訳詞が面白い。

    孫の夏ちゃんに「この歌どう?」と聞くと、「古臭いところが好い」と言ってくれた。そうだろう、先だっての夏ちゃんの合唱発表会では、聞いたことのない新しい歌ばかりで、しかもテンポの速いものばかりだった。世間的には以前から流行っていた歌というのだが・・
 あの感じでいうと、夏ちゃんの印象は、「戦後」と言われていた時代に、われわれがポップやロックに慣れていた頃、民謡調の歌謡曲に抱いた感覚と同じなのだろう。

 〽 飲めや 歌え みそなはす神のために
   飲めや 歌え 愛のために

2026年9月27日日曜日

シートベルト

    3か月前、非常に珍しく妻とプチ遠出をしたとき、自動車専用道路の入口で交通取締りに遭遇したが、どういうわけか大きな旗を目の前で振られた。
 スピードのオーバーもないし無理な車線変更もしていないから「交通安全運動のPRか」と思って「なんですか?」と尋ねると、後部座席の妻がシートベルトをしていないから道交法違反だと・・。いったい何処で見張っていたのか?
 切られた切符(告知票)をあとで見ると、同乗者も含むシートベルト摘発の特別週間のようであった。

 長い経験では数回スピード違反で捕まったことがあったが、それらすべては、車線変更禁止の追い越し車線で煽られて「早く一般区間に戻ろう」と思ってスピードを出したケースばかりだったから、あれは絶対にサクラというか、オトリというか、出来レースにひっかけられたと思っているが、今回のシートベルトにはその種の不思議はない。
 結果、その後は買い物に行くときでもシートベルトを確認するようになったから、客観的に見て「よい指導だった」と思う。
 でも、切符までは切らなくてもいいんじゃないか!
 そして3か月。何の違反もしていないから、罰金も反則金もパーになった。
 まあ今回のは「よい指導だった」としておこう。

 そのときは、行き先のコースがもひとつ判り難かったのでそれを尋ねたら、実に詳しく判りやすく教えてくれた。コースガイド料だと妻と笑いあった。

2026年9月26日土曜日

献花

    25日の『薄月夜』に書いたとおり、旧友の偲ぶ会に参加してきた。
 多くの献辞があった。どれも素晴らしかった。写真の向こうの旧友自身も、そして献辞のスピーカーもみんな立派だった。
 終始目を瞑ってあれこれを思い出した。
 善人薄命なのだろうか。

エアごあいさつ

     
9月22日に内閣広報官の公式Xアカウント《内閣広報官(色々投稿試し中)》が、《高市総理は米国ニューヨークに到着しました》と投稿した。
 「写真は、機内から出てきて右手を高々と上げる高市首相を、背後から撮影したものだ。 
 時刻は深夜のため、出迎えも外務省関係者など5、6名だったようで、そのため、写真にはタラップ下で待機する日本側の関係者はもちろん、空港スタッフさえも写っていない。 
 深夜のことだから、この場で特段の歓迎行事のないことは問題ない。問題は、高市首相のわざとらしいポーズである。
 お抱え?のメディアのカメラマンたちが正面から撮ったものは、きっと、「盛大な?米国関係者に対して挨拶と謝意を表す高市首相」に見えることだろう。
 それを質の悪い誇大広告、つまりはイメージの作為的な誘導と見るのは考え過ぎだろうか。

    以前に京都は岩倉の実相院門跡に行ったことを思い出した。
 広告のポスターは見事な「床もみじ」であった。実際に素晴らしい一枚の絵画であった。
 だから、その庭園は左右に素晴らしい紅葉が広がっているように思われ、せっかくだからと縁側まで進んでみた。すると木々の後ろにはコンクリート製の施設が見えていて、進み出たことを後悔した。
 絵画のような床紅葉も事実であるし、隣の施設も事実である。床紅葉を見てさらに広がる庭園を想像したのが悪いと言えば悪かった。人間の想像力、イマジネーションというのは影響されやすい。つまりは誘導もされやすい。
 この内閣にはどうもそういう不誠実さを感じるのは心配し過ぎだろうか。

2026年9月25日金曜日

薄月夜

    月に叢雲 花に風 / 今年の仲秋はいろいろ考えさせられる。
 漢詩の「花発多雨風 人生足別離」を「花ニ嵐ノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」と訳したのは井伏鱒二。   明日は旧友の偲ぶ会だ。 

 夫婦のみ 月見団子はただふたつ

 もう月見団子は夫婦ひとつずつで満腹だ。
 関西のその形は「衣被(きぬかずき・小芋)を表している」とか「月に叢雲を表している」とか言われるが、さてどうだろう。
 貴重な餡子で小芋を真似るというのも疑問が湧くし、月に叢雲説は買いかぶりのような気もするし、え~い、二択なら後者としておこう。

 

 

一つ二つは旅人のために

    木守柿(こもりがき・きもりがき)。
 柿の実は全部を収穫せず幾つかを残しておく。それを木守柿という。
 辞書などでは、今年度の収穫の感謝と来年度の豊作の祈願とあったりするが、だいぶ以前、大和の先輩は、「一つ二つは旅人のために、さらに一つ二つはカラスのために」と教えてくれた。私は後者を気に入っている。

 今年は数も少なく、小さくて、傷も多い。
 猛暑のせいか、手入れのミスか、どちらでもあるのだろう。
 その不作の上にヒヨドリに相当提供した。先日書いたが、ヒヨドリの突いた後をメジロがやってきた。
 ということで、相当早いが全面的に収穫と剪定を行なった。この無茶が来年の不作を呼ぶかもしれないが・・・しょうがない。
 
 それでも4~5個の木守柿は残しておいた。旅人は来ないだろうから、ヒヨドリとメジロの為である。
 収穫作業中も何羽もメジロがやってきた。
 面白いのは「人間が何か農作業をやっている」「おこぼれがあるかも」とヤマガラまでやって来て、我が収穫作業を見学していたことだ。

 全国的には「クマ対策のために柿の木は伐採」が増えている。わが家では、クマ以前に体力が危うくなっている。
 今年はどうにか収穫を完了したが。
 

2026年9月24日木曜日

論戦と人格攻撃

    雑誌『女性自身』のネット記事が話題になっている。内容は・・
 「共産党の大門実紀史参院議員がXで、『第2次高市内閣の副大臣は27人もいるのに、今井絵理子さんだけが異常なバッシングを受けている。今井さんは障がい児支援に真剣に取り組んで来られたことも知らず(知ろうともせず)、相変わらず元アイドルという職業への偏見とジェンダーバイアスで人をたたく。高市内閣への批判は厳しく行なっても、個人の人格まで全否定するような攻撃はやめるべきです』というもの」。

 これに、自民党の元衆院議員で石破茂内閣時代に法相を務めた牧原秀樹氏が、大門氏の投稿内容を報じた記事を引用リポストし、「今井絵理子議員はご自身のお子様の障がいという明確な目的意識があって議員になって真摯に活動されてます。大門議員も本当に立派な方で多重債務の問題を一緒に取り組んだことがあります」などと綴った。

 そして大門氏が、「自民党政権と正面対決してきた日本共産党ですが、まれに一点で協力することがあります。今井絵理子さんとは聴覚障がい者支援の立法で、牧原秀樹さんとは2006年の貸金業法大改正(サラ金の高金利引き下げ等)で、どちらも意気に感じる取りくみでした。牧さん、ありがとうございます」と引用リポストした。 

 古くは、経済論戦の第一人者として、小泉純一郎元首相と竹中平蔵元経済財政政策担当相が推進した『構造改革』や、故・安倍晋三元首相のアベノミクスなどの新自由主義路線と正面から対決する論戦を展開したのが大門さん。

 潰瘍性大腸炎を患っていた安倍元首相を気遣ったこともあり、2015年3月には自身のSNSに、「2年前の予算委員会中に安倍さんが頻繁にトイレに行くので、理事会で民主党の理事が『安倍さんのトイレの回数を制限する』と言い出したことがありました。当時の参議院は野党が多数で理事会もそうでしたが、わたしが『ひとのトイレを制限するなど人権侵害だ』と反対したので決められませんでした。あとから自民党理事が涙をためてわたしのところにお礼を言いに来ました。激突する相手とはいえ、病を突くのはよくない」などと綴っていた。

 また大門氏は経済分野において、財務相を約8年9カ月務めた麻生太郎副総裁と国会で論戦を重ねたことでも知られるが、2016年5月の参院決算委員会で、『タックスヘイブン』を使った企業の課税逃れの仕組みを解説し、国税庁の対応を迫った大門氏に対して、麻生氏は「簡単な話を難しくしゃべるなら上手な人が多いが、難しい話を簡単にしゃべるというのはなかなか頭がいる。あらためて大門先生って頭がいい人なんだなと感心しながら聞いていました」と答弁している。

 以上、『女性自身』の記事の要旨だった。そして思った。主義主張は一歩も引かないが人格攻撃はしない共産党の参議院議員。
 一方、強い者(トランプ)には尾を振り、国際刑事裁判所赤根所長への不当な攻撃には断固として立ち向かえない首相。そしてそれらに追随するかのようなメディア・・・。
 写真は穂が出てきた紫蘇。今日はカンパチのお刺身を買ってきた。秋の夜長に良心的な『女性自身』のネット記事を見て少し気持ちがよい。

2026年9月23日水曜日

OAに置いてけぼり

    20日に書いたようにスマホ本体を交換した。
 そして我ながら情けないが、データの引継ぎを有料でしてもらった。
 何年か前にパソコンを買い替えたときにはすべて自分自身で行ったものだが、今回は気力が追いつかない。これからはこういうことが増えていくことだろう。
 ところが、引き継がれたデータの操作が微妙に変わっている。
 以前にあったアプリのマークが消えている。本人確認が必要だとの警告が出る。それらの対応が事案ごとに少しずつ異なる・・。
 時間はあるのだからあわてる必要はないのだが、元来がイラチだから上手く進まない。
 スマホで撮ったこんな画像一つをブログに取り込むのさえ難儀をした。
 妻は「無理をせず息子や娘にしてもらい」と言う。それが正解かもしれない。
 だんだん「仕組みは解らないが対処方法だけはわかる」ということが増えてきた。気分の悪いものだ。

2026年9月22日火曜日

彼岸花伸びる

    「彼岸花は何によって季節(彼岸)を知るか」?
 直前(9月初め)まで土の中であったので、多くの植物のような「日照時間」でないことは明らかだが、だとすると土中の温度だろう。
 ものの本では、春先に秋の花の準備をし、25~26度になるとその成長を停止し、秋に最低気温が20~25度ぐらいになると「秋の成長?」を再開するらしいが、私の感覚ではよくは解らない。
 実際、わが家のそれは20日現在、写真のとおりで、さて、23日の彼岸の中日にはどうなっていることだろう。
 今のところはまるでアスパラ。

2026年9月21日月曜日

日曜詩人

    日曜日だけちょっと詩人になる。
 といっても、ただ読んで感心しているだけ。

🔳 赤旗日曜版『読者の文芸』俳句 渡辺おさむ選
 介護バス秋風載せて母乗せて 北海道 伊藤やす (私はここまで達観できなかったなあ)

 生き生きと差配する祖父地蔵盆 京都府 仲野由美 (情景が目に浮かぶ。きっとただの会社人間ではなかっただろう)

🔳 朝日歌壇 川野里子選
 戦争が廊下の奥に立つならばぐっとにらんで教室に入(い)る つくば市 石上徳千代 (渡邊白泉の句への教師の返答)

   同 佐佐木幸綱選
 下の娘(こ)がひとりでミラノへ行くといふこなひだ生まれたばっかりなのに 横浜市 小林瑞枝 (いやはや子や孫の成長の早さよ。それに比べて・・)

   同 高野公彦選
 国際法我関せずと豪語するトラ遥拝し飽かぬ首相なり 一関市 奥山与惣美 (その媚びた姿勢には情けなくなる)

   同 永田和宏選
 父もいればと母言うけれど亡くならねば来られなかったドジャース戦 東京都 吉田尚史 (あまりの正答に礼)

 母にだけ威張っていられた父だから社会的には温厚だった つくば市 小林浦波 (はははは)

 副首都に手など挙げぬと言ひ放つ京都の矜持(きょうじ) ちょっといいなあ 名古屋市 浅井克宏 (それに比べれば大阪維新には品が感じられない)

2026年9月20日日曜日

負うた子に教えられ

    負うた子に教えられている。
 「教えてやらなければ」と思えるほど私が頼りなく見えてきたのだろう。
 「もっとスマホの料金を節約できる」というので息子に教わっているのだが、その前段で「バッテリーが少し膨らんでいる」というので、〇〇センターに電話をすると、交換してくれるということになった。予想外の展開だった。
 その後は、「大手のそれを解約して格安スマホに乗り換える」というのだが、とりあえずは、それは第2弾。
 みんな息子がアドバイスしてくれている。
 今までは、この種のことぐらい苦も無くチャレンジできていたが、この頃は対処する前に気分が億劫になってきた。これを歳というのだろう。
 ショップに「この料金の内訳は?」と尋ねても、もう一つ自分でもわからない。なんで自転車保険まで付いてるの??? 詐欺とは言わないが「年寄りの、絶好のカモ」だったかもしれない。
 ニュースでは、「なんでそんな話に騙されるの」という話をよく聞くが、他人事ではない。