昨日書いたとおり、言語学や文学では「君」はごく普通に二人称の代名詞であるから、天皇の前では天皇になることもあるし、たしかに「君」が天皇を指すこともなくはないが、決して「”必ず”天皇を指す」ことはなかった。私の感覚では、あえて天皇を指す場合は「大君」ではなかっただろうかと思う。
事実、9世紀の光孝天皇が僧正遍昭の長寿を祝って「君が八千代」としていることもあるし、また江戸城大奥の元旦の儀式では、“御台所(正室)のために”「君が代は・・」と吟唱されていたという。
『曽我物語』(南北朝時代〜室町時代初期成立)では宴会の席で朝比奈三郎義秀が「君が代」を謡い舞う例、『義経記』(室町時代前期成立)でも静御前が源頼朝の前で賀歌「君が代」を舞う例がある。
要するに明治憲法下では教育勅語と一緒に「第一義的に天皇の世のことだ」として唱歌をもって教えられたのだが、長い歴史でいえば、そう決めつける解釈こそが仇花であった。
そして1999年(平成11年)8月9日、国旗国歌法が成立。13日に公布され即日施行されたのだが、政府の公式見解は、6月11日の段階では「『君』とは、『大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。』(「君が代」の歌詞は、)『日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である』」としたが、そのおよそ2週間後の6月29日に「(「君」とは)『日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す』『『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」と変更した。
要約すると、「君」は“国民の象徴としての”天皇であり、「代」はこの国のことであるというのだが、およそ「詩」の解釈について政府にぐだぐだと決めていただくことなど必要があるだろうか。
「君はあなた」というラブソングで何が悪い。
昨日の意見を重ねて言うが、古今和歌集の「我が君は」を、高三隆達もしくはそれ以前の某(なにがし)かが「君が」と本歌取りというか良い意味で換骨奪胎したときに、この和歌の「君」は庶民の芸能に十分に包み込める「あなた」に変身したのである。そうでなければ、ボストン美術館の屏風の絵のように誰が遊里の宴席で歌うというのだ。ことは明白でないか。よって先の政府見解は明治復古主義者に忖度した屁理屈である。
「君が代」の歌詞をラブソングだと言って何が悪い。
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