2026年5月1日金曜日

痛快‼ 日章丸事件

    日本の主要なメディアは4月29日、大型タンカー「出光丸」が28日、ホルムズ海峡を抜けて日本に向かっていると報じた。
出光丸は出光興産所属の船舶で、200万バレルの原油を積載していたが、2月の米国とイスラエルによるイラン攻撃によりホルムズ海峡に足止めされていた。
これまで商船三井所属の船舶3隻がホルムズ海峡を通過したことはあるが、どれも目的地は日本以外だったから、日本に向かう、日本の石油精製大手が完全所有する超大型原油タンカーがペルシャ湾から出たのは初めてだったし意義深いと思う。
 このことに関して28日の夜、駐日イラン大使館はX(旧ツイッター)に、出光興産が1950年代にイランから石油を秘密裏に日本へ運んだ「日章丸事件」について投稿し、「この歴史的な任務は両国間の長きにわたる友情の証で、今日においても極めて大きな意義を持ち続けている」と投稿した。

 そこで、昭和28年(1953)の『日章丸事件』をWikipediaから以下に紹介する。
 🔳 イギリスの影響下にあったイランは、第二次世界大戦の進駐を経て連合国の占領下から脱していたものの、当時世界最大と推定されていたその石油資源は、イギリス資本たる石油メジャーアングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(BPの前身、AIOC)の管理下に置かれ、イラン国民はもとより、政府にもその利益がほとんど分配されない状況にあった。その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、イラン国営石油会社(NIOC)がAIOCの資産を接収する。これに反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させた。これらはアーバーダーン危機と呼ばれ、戦争が近づきつつある情勢となっていた。
  一方、日本は戦後イギリスやアメリカ合衆国などの連合国による占領を受け、占領終了後も両国と同盟関係にあるために独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の足かせとなっていた。イラン国民の貧窮と日本の経済発展の阻害を憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イギリスの経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏にタンカー日章丸(同名の船としては二代目)を派遣することを決意。イギリスとの衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、第三国経由でイランに交渉役として専務の出光計助(佐三の弟)を1952年に極秘派遣。モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行った。
  イラン側は、各国の企業と条件面で合意しても、実際の貿易には全く結びついていない前例と、当時国際的にはほぼ無名の中小企業に過ぎなかった出光を見て、初めは不信感を持っていたとされるが、粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年(昭和28年)323日午前9時、神戸港を極秘裏に出港する。 
 航路を偽装するなどしてイギリス海軍に気付かれないよう航行し、日章丸は410日にアーバーダーン港に到着。この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。日本においても、非武装の一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていたイギリス海軍に「喧嘩を売った」事件として報道され、連日新聞の一面記事で報道された。
  415日、急ぎガソリンと軽油を積んだ日章丸は、国際世論が注目する中アーバーダーンを出港。浅瀬や機雷などを突破、イギリス海軍の裏をかき、海上封鎖を突破してペルシア湾を抜け、599時に川崎港に無事到着した。AIOCは積荷の所有権を主張して出光を東京地裁に提訴し、同時に外交ルートでも出光に対する処分圧力が日本政府にもたらされた。
  しかし、イギリスによる強引な石油独占を快く思っていなかったアメリカ合衆国の黙認や、快哉を叫ぶ世論の後押しもあり、行政処分などには至らなかった。裁判でも出光側の正当性が認められ、仮差押え処分の申し立ては527日に却下された。AIOCは即日控訴するものの、1029日になって控訴を取り下げたため、結果的に出光側の勝訴に終わった。
  もっとも、本件におけるイラン側の立役者とも言えるモサッデク首相が、同年819日に発生したクーデター(アジャックス作戦)により失脚したこと、さらに本件を契機として結果的に石油メジャー各社の結束が強化されたことなどから、出光によるイラン産石油の輸入は継続困難になり、わずか3年後の1956年(昭和31年)に終了した(上記のAIOCの控訴取り下げも、クーデターにより自社の権益が事実上復活し、裁判を継続せずともその目的が事実上達成できたことによるものであった)。しかし、これら一連の動きは、世界的に石油の自由な貿易が始まる嚆矢となった。
  時系列
19513月 日章丸起工式。当時世界最大のタンカーであった。
98日 サンフランシスコ平和条約を締結し、主権回復。
1952
615日 イタリア・スイス共同出資のタンカー「ローズマリー」、イギリス海軍にアラビア海で拿捕される。
916日 日章丸、進水式。
1016日 イラン首相、イギリスとの外交関係破綻を宣言。
1022日 イラン、イギリスとの国交断絶を通告。
115日 出光の出光計助専務と手島治雄[2]、日本を出国。
116日 出光一行がパキスタンに到着、入国拒否を受けるも強引に入国。
118日 出光一行がパキスタンからイランに向けて出国。
119日 出光一行がモサッデク首相と会談し、交渉を開始する。
1119日 出光一行が帰国。
1222日 日章丸完成。
1953
110日 外務省、出光のイランとの接触の情報入手。
1月 出光、飯野海運よりチャーターしていたタンカーのキャンセルを受け、同社唯一のタンカー・日章丸の使用を決断。
26日 出光計助ら再度イランに向けて出発。
215日 イランと出光、石油貿易の正式調印。
316日 日章丸がアメリカ合衆国から川崎港に帰着。
318日 日章丸、川崎港から神戸港に荷卸しの為、移動(着翌日)。
323日 日章丸、目的地をサウジアラビアと偽装し神戸港を出港。
325日 フィリピン北のバリンタン海峡を通過。
331日 マラッカ海峡を通過 。
45日 コロンボ沖で暗号電文を受信し、無線封鎖。
47日 オマーン湾に到達。
48日 夜陰に隠れてホルムズ海峡を通過。
49日 シャルル・アル・アラブ河口に到達。
410日 アーバーダーン港(当時の記事ではアバダン港)に到着。AFP、ロイターが報道。
410日 夜・イギリス外務省が駐日大使エスラー・デニングに調査を命じる。出光、外務省に報告。
411日 出光、記者会見を行う。
415日 日章丸、アーバーダーン港を出港。船底部を僅かに擦りながら浅瀬をぎりぎりで突破。
416日 夜陰に紛れてホルムズ海峡を通過。
426日 大きく迂回しスンダ海峡を通過し、イギリス海軍駆逐艦3隻との接触を回避。
426日 夜陰に乗じてジャワ海の危険な暗礁海域を通過し、イギリス海軍を回避。
429日 ガスパル海峡(英語版)を通過。
430日 南シナ海に到達し、無線封鎖を解除、出光本社と連絡を取る。
430日 イギリス、松本俊一駐英大使を呼び出し厳重抗議。
430日 日本政府および外務省は、何も知らず民間の取引に介入できない旨をイギリスに弁明。
4月〜5月 自動車6団体がイラン石油輸入を歓迎する旨発表。同時期、報道が激化し様々な意見が発表される。
54日 日章丸、フィリピン北のバシー海峡を通過。
57日 イギリス、日章丸の日本領海到達を確認。即座にAIOCより仮処分申請を東京地裁に提出。
58日 出光、広島駐留のイギリス海軍が軍用機を飛ばしている情報を受け、記者会見を開き徳山港(山口県)へ入港予定との陽動情報を流す。
58日 日章丸、土佐湾沖にて新聞社に撮影され、陽動情報である事が露見。
59日 川崎港に到着。同日、東京地裁にて第一回の口頭弁論開かれる。
59日 通産事務次官玉置敬三、通産省はこの紛争に巻き込まれたくないとの見解を記者に述べる。
513日 日章丸が陸揚げを完了し、船の差し押さえを逃れる。
514日 日章丸がイランに向けて再度出港し、貿易を既成事実化する。
516日 東京地裁にて第二回口頭弁論開かれる。
527日 東京地裁、仮処分申請を却下。
527日 外務省が政府は何ら関与しない旨を発表。
6月 イラン政府、出光との当初の契約を見直し、石油価格を大幅減額で提供する旨を発表。
67日 日章丸、アーバーダーン港に再度到着。イラン政府高官、および数千人の民衆の出迎えを受ける。🔳

 関連する事項などを検索して読むと痛快である。大人としてこの事件に接したかった。
 もし両親が健在であったならば、当時のこのニュースをどのように感じたのかと聞きたかった。
 イランが核武装をするのを是とはしないが、現在の戦争状態を作ったのがネタニヤフとトランプであることは全く間違いない。
 蓄積されたペルシャ文明と人々の人情には敬意を払いたい。

2026年4月30日木曜日

くす玉

     4月26日付朝日新聞16面の『サザエさんをさがして』は「くす玉」で、古来の薬玉ではなく、「ひもを引っ張ってパカッと割るくす玉(のルーツ)は、国立国会図書館などで調べたが判然としなかった」とあった。

 このことはずっと以前に私自身いろいろ考えて書いたことがあるが、自分のブログなのに検索しても出てこないので朧げな記憶でもう一度書いてみる。
 1 薬草による薬玉とは質的変化があるから、薬玉が自然にくす玉になったとは考えられないが、祝い事(予祝行事)の性格は同じである。
 2 「割るくす玉」は江戸時代の書物等に一切見当たらないようだから近代に考え作られたものである。
 3 もし当初から「垂れ幕」が考慮されていたとすれば、それは縦書きの発想であるから、日本、中国、朝鮮、モンゴルあたりで考えられたと思われるが、近代化が進んだ日本はその有力な候補地である。
 4 以上のことから、明治41年(1908)三菱重工長崎で行われた桜丸進水式前後の日本で考案されたものでないだろうか。 (西欧式進水式はワインボトル)
 ・・・要するに、少し陽気な明治の日本の造船現場技術者が考え出したのが「パカッと割るくす玉」だと推測したが如何だろう。

 5月にわが退職者会最大のイベントがあり、実行委員長から私に「くす玉を用意せよ」と命が下っている。
 簡単に割れるように作ると移送中や取り付け中に割れてしまう。そこを頑丈にするとなかなか割れないから取り付け箇所を壊しかねない。だいたい会場には「くす玉取り付け器具」など設備されていない。何よりもゲストをもてなす垂れ幕がいる・・などなどなど、GW中にいろいろ準備作業をすることになる。
 誰か、くす玉制作班に入門しようとする弟子はいないのか・・・

2026年4月29日水曜日

大阪モノレール

    テレビがつまらなくなったので、録画してあった『鉄オタ選手権・大阪モノレール』を見た。
 7年後の2033年には近鉄奈良線とも接続(乗換)できるようだが、私自身は(命が)間に合うだろうか。というか、大阪空港や万博公園などへの旅行という需要があるだろうかと考えるとチト寂しい。ともあれ、この接続がかなうとあれば便利である。
 ともあれ一旦大阪市内に出て環状線なり地下鉄を経て乗り換えていた阪急や京阪へは便利になるだろう。
 このように進んでいるモノレールの延伸事業、これは黒田革新府政の時代に準備されたものだということをご存知の方は多くない。ズバリ大阪の都市計画や経済戦略からいってもそれは「骨太」の企画であった。
 それに比べてその後の大阪府政を見ると、「カジノで経済活性化」とは、あまりにレベルが低すぎると思わざるを得ない。
 大阪維新には事実上よしもとがついているから、何事によらず「やってる感」のパフォーマンスだけは派手だが、冷静に統計数字などを見ると、大阪の地盤沈下は誰であっても否定できない。
 その上に先日書いた木津川計氏指摘の「都市格」の没落である。
 来年春は統一地方選挙。気は早いが「ヒトの身を削って自分の身は肥やす」維新政治は止めさせなければならない。

2026年4月28日火曜日

奈良監獄

    奈良監獄ミュージアムオープンのニュースがテレビ等で話題になっている。
 取り壊しの案もあった刑務所の建物を国の重要文化財に指定させ、ミュージアムやホテルにまで持ってきた力は、古代史などの勉強会のリーダーたちと近隣住民による 運動だった。奈良観光の為にも良い影響を産むだろうと思う。

 ここが刑務所として実際に運用されていた頃、毎年、年に一度のお祭りのような催しがあり、受刑者の授産事業の製品が販売されたりしたので、私もけっこう買い求めたりした。
 そのうちの一つは、大きな縁台だった。もちろん持ち帰れるような大きさではなかった。
 そして数日後、家に年老いた母が一人でいたときに、「もしもし、長谷やんさんですか。こちら奈良刑務所ですが」と電話がかかって来て、母が腰を抜かしたことがあった。遠く懐かしい思い出だ。縁台を持っていくという連絡だったのだが。
 擬木の切り株ベンチは今もわが庭にいくつもある。
 歳をとると、何もかもが懐かしくなる。

2026年4月27日月曜日

成熟した市民

    今週金曜日はメーデー(May Day)で、1986年シカゴの労働者が8時間労働制を求めて大集会を開いたことに由来する。いうならば、労働法、労働行政などの生みの親のようなものだ。
 それが現代、「労働基準監督署の残業規制の指導を緩めよ」と政府与党が合唱しているのだから、「それはおかしい」との声を大きくしたいので、大阪・扇町のメーデーに参加したいと思っている。
 ところが近頃は、若い労働者の中には労働組合に加入しない人が生まれているらしい。労働組合の存在や運動が労働条件の改善につながっているという実感が薄れると同時に、「そんな時間があれば資産運用に費やすわ」という感じだとか。
 その種の発想は地域の自治会でも生じているが、ちょうど内田樹氏が『市民的成熟を育てる学校と職場の条件』という文章の中で、要旨次のように書かれているのが的を射ているように感じたので紹介する。(要旨をまとめた責任は私にある)
 🔳 「市民的成熟」を一言でいえば、「公と私」の間で葛藤する作法を身につけることである。
 公共というのは、全員が私権の一部(自分の割り前)を差し出して、初めて協同体や自治体や政府や国家といった「公共」が成り立つものだ。
 でも、この「公」は、ルールや法律を守れとか税金を納めろとかゴミを捨てるなとかいろいろと市民に要求する。これが「私」にとっての「持ち出し」に相当する。
 問題はこの「持ち出し」における「自分の割り前」をどう算定するかである。
 未熟な市民はこのことの意味がわからない。わかるためには「この社会が自分みたいな人間ばかりだったら」と想定することである。
 例えば、「法律を守らない、税金を払わない・・・」のが「オレ一人」で、あとの全員は「法律を守り税金を払う・・・」善良な市民である時には、この「オレ」の利益は最大化する。
 言い換えればそれは、「オレみたいな人間はこの世にいない方がいい」と切望することである。
 そんな協同体を構成したいとは誰も思わないだろう。市民的成熟とはそういうことである。
 「自分みたいな人間がたくさんいる世界に住みたい」と思うことほどの自己肯定はない。🔳

 これを読んで、「組合費(あるいは自治会費)を払っても払わなくても利益に差はない。だから払うのは損だ」という声を想像したが、内田樹氏の話を聞かせたいものだ。
 年寄りの話はお説教臭くなるが、生き方の基本のようなことを語ることは高齢者の「任務」であろう。
 なので今こそ「歳だから」などと言わずにメーデーに行こうと思っている。
 (内田樹氏の論文は、SB新書の『沈む日本とカオス化する世界』に収録されている)

2026年4月26日日曜日

征平さん がんばれ

    妻がラジコで聴いていたラジオを何げなく背中で聴いていたところ、アナウンサーが「武器輸出全面解禁の閣議決定」を熱っぽく批判していたのでオオオッと少し驚いた。
 言っていることがおかしいので驚いたのではなく、あまりにまともな感想を忖度などなしに語っていたので驚いた。

 フリーアナウンサー桑原征平氏のABCラジオ『粋(すい)も甘いも』の中の、「まったく個人の感想です」というコーナーだったが、征平氏は父親の応召とヒトが変わって帰って来てからの戦争トラウマを赤裸々に語ってくれた。それは肩書の立派なコメンテーターや有識者のその種のご教授ではなく、ほんとうにリスナーの心を揺さぶるものだった。

 現代人が先の戦争を学ぶということでは、高市早苗氏が1995年3月16日 衆議院外務委員会で発言した「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」が有名であるが、それが如何に勉強不足で傲慢な態度であったかということも対比的に浮かび上がった。

 重複するが、征平氏の父君は優しい人であったが、戦場から帰って来てからは全く人が変わった暴力的な男であった。
 母君と征平氏ら子どもたちは限界ギリギリの家庭生活を送ってきた。
 そこで征平氏は、先の戦争では310万人以上が亡くなった。家族でいえば1000万人以上が夫や父を亡くした。さらにその外に、数えきれない戦争トラウマでヒトが変わった人とその家族が生まれた。戦争というものはそういうものなんや。だから戦争だけは絶対したらアカンし、そこへ向けての「集団的自衛権」とか「先制攻撃能力」などもアカン。そして武器輸出も・・
 大相撲でもサッカーの試合でも、外国との関係で君が代が流れたりすると感動して涙が出たりするが、それと自衛官が自民党大会で歌うのとはちょっと違うと思う。・・と征平氏。
 ・・・私が文をまとめたので感動が消えているので、どうか、スマホにラジコかなんかを入れて、貴方が直接聴いてほしい。
 ABC 4月22日(水)『桑原征平の粋も甘いも』の昼の00時33分あたりから聴いてみてほしい。
 そして、この種のことで桑原征平に変な圧力がかからないよう応援してほしい。

2026年4月25日土曜日

新しい革袋

    5月になると、およそ40年間ほど勤めた職場を「卒業」し反対にわが退職者会には「入学」してくれる人々を歓送&歓迎 するレセプションが待っている。
 そのゲストは私などからすると20歳ほど若い人々だから、イメージとして自分から20歳ほど先輩の顔を思い浮かべると色々感じるように、新しい酒は新しい革袋の箴言もあるから、わがホスト側も若返ることにした。したというか「私はもうしないぞ」と駄々をこねたように見られているかもしれない。
 と言いながら、「うん」と言ってくれた人たちのいささか困った顔を思い出すと、夜中にもあれこれ考えて眠れない日もある。
 これまでの長谷やん流はというと、連帯感が希薄になったといわれる時代の風潮には迎合せず、ゲストが”一回りして”驚くような古き良き時代を再興する・・がコンセプトであった。
 そしてそれは、20数年前、現職で送別会などの世話を焼く時からの信念でもあった。
 その具体化のひとつが、替え歌もしながらの『〽思い出のアルバム』の合唱だった。例の子や孫が保育園を卒園したときの歌である。1番と6番を書き出してみると・・・

1:いつのことだか
  思い出してごらん
  あんなこと こんなこと
  あったでしょう
  うれしかったこと
  おもしろかったこと
  いつになっても 忘れない    
     
6:一年中を
  思い出してごらん
  あんなこと こんなこと
  あったでしょう
  桃のお花も
  きれいに咲いて
  もうすぐみんなは 一年生

 さて新しいホストはどんな新機軸を打ち出してくれるだろう。

2026年4月24日金曜日

加藤義明さんの切り絵

    昨日のブログで「大阪ミナミで上方文化を探した遠足(古い大阪弁では運動会とも)」という話を書いたが、ホスト(実行委員長)がいろんな下準備をしてくれていたことが分かって頭が下がった。
 その一つが『浮世小路』への案内で、この私にしても初めての場所だった。
 そのほんとうに狭い小路の中に『一寸法師大明神』があり、実は一寸法師はお椀の舟に箸の櫂で道頓堀を上り、淀川から京の都に至って鬼を退治したからなのだと・・・。
 言うたもん勝!などと嘲笑して終わるのでなく、その話の出どころなどを追求したい気になった。(遠い後日に書けるかも)
 この日は浮世小路の運営者?がお留守であったが、きっと木津川計氏のお悔やみに出かけられたのだろうと勝手に推測。

 その昔、東の滝平、西の加藤と呼ばれた加藤義明さんの切り絵の絵葉書もホストが準備されていて参加者全員のお土産になった。ホストの説明が少し簡単だったので、貰ったみんなの表情も淡々としていたが、ほんとうは超貴重な絵葉書だった。(写真)
 題材は大阪の天神祭りの催太鼓(もよおしだいこ)で、大阪府無形民俗文化財。渡御行列の先陣を切って「お渡りが来るぞ」と触れる「お触れ太鼓」でもある。
 この絵ハガキ、みんな大事にして、百均ででも小さな額縁を購入して飾るぐらいはしてほしい。(印刷やないかなどと軽蔑しないで!)

2026年4月23日木曜日

上方文化の一端を歩く

    21日の夕刊・22日の朝刊各紙に木津川計氏の訃報が掲載されていた。
 上方芸能の振興に果たした氏の功績は有名だが、近年は講演や執筆を通じて「都市格」の話に力が入っていた。
 人に人格というものがあるように、都市にも都市格と呼んでよいものがある。経済などの統計とは別に非常に大事な概念である。そういう視点から大阪を見ると、橋下徹氏が市長に当選して以降の維新による大阪府市政は、大阪の都市格を乱暴に引き下げたと言える・・というのが木津川計氏の鋭い指摘であり嘆きであった。
 大阪の文化というと昨今の吉本のそれでは決してなく、単なるノスタルジーでいうつもりはないが、笑いの向こうに優しく豊かな上方文化があった。今もあるが、その疲弊は著しい。再興したいものだ。
 22日の退職者会の「大阪のミナミを歩く」は、いうならば木津川計氏追悼ドンピシャの行事であった。

    そんな大上段に振りかぶった話ではないが、その行事の途中で法善寺に寄った。
 昔はミナミでイッパイ飲んでから寄っていたから、それぞれ機嫌のよい人士が水掛不動に水を掛けてお祈りをしていたが、なにせ今回はいまだ昼間、それに来る人来る人ほとんどが外国人だったから、ガイドブックで「ハハン、ここが法善寺ネ!」という感じで通り過ぎていく。
 これではいかんと周りの外国人観光客を「チョッと待って!」と引き留めて、「こうやってお不動さんに水を掛けて祈るのが日本の文化だ!」と、すべてパフォーマンスだけで国際交流を買って出た。
 最初は訝しく思ったような人々も「サンキュー、ありがと」と喜んで帰ってくれた。「ニッポン旅行オオサカでおかしなオッサンに教えてもらって面白かったよ」 と帰国してから話題にしてくれたら嬉しいが。

2026年4月22日水曜日

事実は・・・

    テレビではよくヨーロッパの公園のスズメが人が差し出した手の上のエサを食べたりしているのを観ることがある。
 それを見て「あれは麦の文化と米の文化の違いだ!」という声を聞くことがある。「米の文化の日本ではスズメは長年農家に嫌われてきたから日本のスズメは決して懐かないのだ」と。
 実際、ヨーロッパと日本のスズメは種類も少し異なっている。(写真はスズメではなくヤマガラ)
 乾信一郎著『ちいさな庭のウォッチング』というエッセイ集には著者が幼時を過ごしたアメリカのシアトルの公園では、ピーナッツとパプコーンを抱えて芝生に座り込むとたちまちスズメがやって来て、中には肩に止まったり腕に止まったりしてそれらを食べに来たとあった。

 しかし、以前に書いたことがあるが、私は現職のころ東京出張が多く、日比谷公園の松本楼で昼食を摂ることが多かったが、ここのテラス席でランチを食べると、堂々と《日本の》スズメが食べているテーブルまでやって来て、米粒などを付けて指を出すと指先から米粒などを食べてきた。
 つまり、コメ文化の日本のスズメは人間に馴れることはない!というのは正確ではなく、スズメだって学習するのだということだった。

 相当以前に買った本に『野鳥を呼ぶ庭づくり』というのがあって、そこには、バードテーブルにやるエサが書かれていて、スズメやカワラヒワはヒエやキビ、シジュウカラはヒマワリの種子とあった。実際、以前は、このとおりであった。
 ところが、私がシジュウカラ、ヤマガラをえこひいきしてヒマワリの種だけをやるようになってから、当初はまったくこのテーブルにスズメは来なかったが、そのうちにだんだん、「吾も少し挑戦してみるか」というようにスズメがやって来て、場合によってはシジュウカラよりも一回り大きなスズメがバードテーブルを占拠して、シジュウカラの方が追い出されることも起こってきた。
 
 念のためにいうと、シジュウカラやヤマガラはヒマワリを咥えて近くの木の枝などに行き、そこでコツコツコツコツと、足で種を押さえて器用にクチバシで割るのだが、スズメにはそういった行為はまったくない。嚙み砕いているのかどうかもよくは解らないが、そうなのだろうと思う。重ねて言うが、スズメも学習してヒマワリの種を食べるのだ。

 先日、子ども科学電話相談のことを書いたが、事実は小説よりも奇なり、思い込みは眼を煙らせる。確証バイアスに注意!注意! 本に書いてあった、テレビで言っていた、ネットにたくさん出ていた・・・ ????
 そう思ってみると、国内でも世界でも、危険な確証バイアスのかかったニュースやそれに取り込まれたような出来事のなんと多いことか。怖い怖い!

2026年4月21日火曜日

えんそく

    どうでもいい話が気になるときがある。
 ほんとうにどうでもいい話だが、今でいうと90歳以上の先輩方は、昔「遠足」のことを「運動会」と言っていた。当時から不思議だったが、そんなどうでもいいことがフト気になった。
 で、妻に、「お父さんは遠足のことを運動会て言っていなかった?」と聞くと、「確かに遠足のことを運動会というので子供心にもおかしかった」と返ってきた。
 学校行事に限らず、職場の社員旅行、社員レクのようなものも「運動会」と言っていた時代がある。と記憶している。

 ネットでは「遠足のことを遠足運動会と言う地方もある」という文章がひとつだけヒットしたが、さすがのAIも含めて全く見つからなかった。もちろん広辞苑も牽いてみた。
 時間は冷酷に過ぎてゆくから、こんな話も世の中になかったことになってゆくだろう。
 そこで、最後に手に取ったのが私の好きな牧村史陽編『大阪ことば事典』で昭和59年第1刷。ここで「運動会」を開けると、ここにはっきりと【遠足・郊外教授のこともいった。ピクニック】とあるから、その頃の大阪周辺では遠足のことを普通に運動会とも言っていたのである。
 なんで?というのは解らないが、そうだったことは解かった。記憶は正しかった。

 妻は「言葉に詳しいABC浦川アナに手紙を出したら?」と私をたきつけたが、これは大阪弁そして大阪周辺の民俗のことだから少しジャンルが合わない気がする。
 それよりも、このブログをお読みの皆さんで、「そやそや、親や兄姉や先輩が言っていた」という方がおられたら教えてほしい。
 アフリカのことわざで、「老人が一人死ぬというのは図書館がひとつなくなるということだ」というのがあるようだが、文字にしておけば少しは残るかも。

2026年4月20日月曜日

確証バイアス

    日曜日にNHK『子ども科学電話相談』という有名な番組を聴いていると、「本に、カラスを飼っていた人が、奥さんのブローチを巣の中に見つけたというのが書いてあったが」「カラスはなぜ光るものが好きですか?」という内容の質問が子どもからあった。

 妻が私に「なんでやと思う?」と被せて尋ねるので、「キラキラ光るカラスの巣は他の鳥(猛禽類)を寄せつけないからだろう」と答えたが、ラジオの先生は「カラスが光るものを咥えていったのを見たことがない」と回答した。ええええ!ハンガーを盗んでいくのは光るからではない?

 先生の「〇〇さんは見たことはありますか?」の答えも「見たことはない」だった。
 先生の話では、ヨーロッパでは昔から「カラスの仲間のカササギが光るものが好きだ」という言い伝えが一部にあったのだが、それが広まったのはオペラ『泥棒カササギ』によるものだ。
 しかし実験してもそういう結果にはならなかった・・・ということだった。
 
 ところでこの番組の白眉はそれからで、「人間は最初に一度思い込むとますますそう思う」「だからたまたまカラスが光るものを咥えているのを見たらそう信じてしまう」「それを『確証バイアス』という」と先生方がリレーで答え、「SNSで調べ物をすると、『スマホの方でこういう答えが好きだろう』という答えや情報を次々に流してくる」「だから自分の思い込みに合ったことには納得し、そうでない情報は『例外だろう』と思ってしまう」
 「だから気をつけてね」と先生は補足したのだった。

 きっと、小学2年生の相談者には難しかっただろうが、「誰かが言っている」というだけの情報に”思い込まないで”というメッセージは伝わっただろうと思う。
 そして私は、「これは大人科学電話相談だ」と感動した。

2026年4月19日日曜日

権限剥奪

    「暴走トランプをアメリカ国民は信じているのか?」と不思議に思っていたが、ついにトランプの熱狂支持派・MAGA派内部からも「憲法修正第25条に基づく大統領権限剝奪案が出てきたと、東京新聞が報じている。
 中でも彼らの感情を揺さぶったものは、トランプが自身のSNSにあげた画像で、一枚目は自身をキリストに模したかのような画像。
 これは大きな批判を受けて間もなく削除したものの、今度はキリストらしい人がトランプに寄り添うというか「神が」トランプを守っているかのような画像を投稿した。
    イラン攻撃、それによる殺人を「神聖」な行為のようにイメージさせたいのだろうが、アメリカの宗教的背景からしても良識に反している。
 カトリック、聖公会はもちろん、プロテスタントも含めヨーロッパの常識から逸脱したトランプにはこれ以上ついていけないと各国首脳が「不支持」に回ったのも当然だろう。
 ところが、こういう世界の流れを理解できないで、本来ならアメリカとイランの仲介国となることのできる機会を自ら放棄したのが高市早苗首相である。
 言葉の勇ましさに内容がないのは防衛相同様だが、片やの習近平の積極外交と見比べても情けない。
 日本という国が世界中の笑いものにならないかと心配する。
 そういう政権与党が、憲法改正だ、日本版CIAだと手を打っている。
 そしてテレビはそういうことに警鐘を打つでもなく、野次馬的な視点で京都の事件を延々と報じている。

2026年4月18日土曜日

鷺苔

    知らなかった頃は、座り込んで見るでもなく「タチツボスミレの群生だ」とばかり思っていた。
 「あれはスミレではない」と教えてくれたのは妻だった。
 私の小学校の校区には田圃がなかったほどの都会育ちというか、その頃の空き地というのはみんな《焼け跡》だったから、こんな小さな花はあっても判らなかった。
 そういえば、家の建っていない空き地というと、洋館建てだったのだろうかタイルや瓦礫が散乱していて《戦後》そのものだったが、こんな話(実感)は子や孫には別世界だろうと思う。

    で、スミレでなければ何かというと、鷺苔(サギゴケ)で、スミレという名に比べると数ランク「格落ち」めくが、そんな言葉遊びを別にするとけっこう美しい。
 2枚目の写真は上の写真の一部を拡大しただけ。
 検索すると園芸店の広告が出てくるから堂々たる園芸品種でもあるらしい。
 「名前なんぞに惑わされてはイカン」ということかも。

 検索結果を紹介すると、白花のそれが元らしく、名前の由来は花の形が鷺の飛んでいる形に似ているからとあったが、同じ理由の『鷺草(サギソウ)』に比べると、軍配は圧倒的にサギソウに上がってしまう。
 雌しべの先にある柱頭に触れると閉じる柱頭運動があるというから、ハエトリソウのイメージで送粉者(昆虫)に付着した花粉を積極的に取り込み受粉を促す役割をしていると考えられているらしい。
 この動きを律動にたとえ「ジョロウバナ(女郎ばな)の別称がある」というのだが・・・。