2026年4月23日木曜日

上方文化の一端を歩く

    21日の夕刊・22日の朝刊各紙に木津川計氏の訃報が掲載されていた。
 上方芸能の振興に果たした氏の功績は有名だが、近年は講演や執筆を通じて「都市格」の話に力が入っていた。
 人に人格というものがあるように、都市にも都市格と呼んでよいものがある。経済などの統計とは別に非常に大事な概念である。そういう視点から大阪を見ると、橋下徹氏が市長に当選して以降の維新による大阪府市政は、大阪の都市格を乱暴に引き下げたと言える・・というのが木津川計氏の鋭い指摘であり嘆きであった。
 大阪の文化というと昨今の吉本のそれでは決してなく、単なるノスタルジーでいうつもりはないが、笑いの向こうに優しく豊かな上方文化があった。今もあるが、その疲弊は著しい。再興したいものだ。
 22日の退職者会の「大阪のミナミを歩く」は、いうならば木津川計氏追悼ドンピシャの行事であった。

    そんな大上段に振りかぶった話ではないが、その行事の途中で法善寺に寄った。
 昔はミナミでイッパイ飲んでから寄っていたから、それぞれ機嫌のよい人士が水掛不動に水を掛けてお祈りをしていたが、なにせ今回はいまだ昼間、それに来る人来る人ほとんどが外国人だったから、ガイドブックで「ハハン、ここが法善寺ネ!」という感じで通り過ぎていく。
 これではいかんと周りの外国人観光客を「チョッと待って!」と引き留めて、「こうやってお不動さんに水を掛けて祈るのが日本の文化だ!」と、すべてパフォーマンスだけで国際交流を買って出た。
 最初は訝しく思ったような人々も「サンキュー、ありがと」と喜んで帰ってくれた。「ニッポン旅行オオサカでおかしなオッサンに教えてもらって面白かったよ」 と帰国してから話題にしてくれたら嬉しいが。

2026年4月22日水曜日

事実は・・・

    テレビではよくヨーロッパの公園のスズメが人が差し出した手の上のエサを食べたりしているのを観ることがある。
 それを見て「あれは麦の文化と米の文化の違いだ!」という声を聞くことがある。「米の文化の日本ではスズメは長年農家に嫌われてきたから日本のスズメは決して懐かないのだ」と。
 実際、ヨーロッパと日本のスズメは種類も少し異なっている。(写真はスズメではなくヤマガラ)
 乾信一郎著『ちいさな庭のウォッチング』というエッセイ集には著者が幼時を過ごしたアメリカのシアトルの公園では、ピーナッツとパプコーンを抱えて芝生に座り込むとたちまちスズメがやって来て、中には肩に止まったり腕に止まったりしてそれらを食べに来たとあった。

 しかし、以前に書いたことがあるが、私は現職のころ東京出張が多く、日比谷公園の松本楼で昼食を摂ることが多かったが、ここのテラス席でランチを食べると、堂々と《日本の》スズメが食べているテーブルまでやって来て、米粒などを付けて指を出すと指先から米粒などを食べてきた。
 つまり、コメ文化の日本のスズメは人間に馴れることはない!というのは正確ではなく、スズメだって学習するのだということだった。

 相当以前に買った本に『野鳥を呼ぶ庭づくり』というのがあって、そこには、バードテーブルにやるエサが書かれていて、スズメやカワラヒワはヒエやキビ、シジュウカラはヒマワリの種子とあった。実際、以前は、このとおりであった。
 ところが、私がシジュウカラ、ヤマガラをえこひいきしてヒマワリの種だけをやるようになってから、当初はまったくこのテーブルにスズメは来なかったが、そのうちにだんだん、「吾も少し挑戦してみるか」というようにスズメがやって来て、場合によってはシジュウカラよりも一回り大きなスズメがバードテーブルを占拠して、シジュウカラの方が追い出されることも起こってきた。
 
 念のためにいうと、シジュウカラやヤマガラはヒマワリを咥えて近くの木の枝などに行き、そこでコツコツコツコツと、足で種を押さえて器用にクチバシで割るのだが、スズメにはそういった行為はまったくない。嚙み砕いているのかどうかもよくは解らないが、そうなのだろうと思う。重ねて言うが、スズメも学習してヒマワリの種を食べるのだ。

 先日、子ども科学電話相談のことを書いたが、事実は小説よりも奇なり、思い込みは眼を煙らせる。確証バイアスに注意!注意! 本に書いてあった、テレビで言っていた、ネットにたくさん出ていた・・・ ????
 そう思ってみると、国内でも世界でも、危険な確証バイアスのかかったニュースやそれに取り込まれたような出来事のなんと多いことか。怖い怖い!

2026年4月21日火曜日

えんそく

    どうでもいい話が気になるときがある。
 ほんとうにどうでもいい話だが、今でいうと90歳以上の先輩方は、昔「遠足」のことを「運動会」と言っていた。当時から不思議だったが、そんなどうでもいいことがフト気になった。
 で、妻に、「お父さんは遠足のことを運動会て言っていなかった?」と聞くと、「確かに遠足のことを運動会というので子供心にもおかしかった」と返ってきた。
 学校行事に限らず、職場の社員旅行、社員レクのようなものも「運動会」と言っていた時代がある。と記憶している。

 ネットでは「遠足のことを遠足運動会と言う地方もある」という文章がひとつだけヒットしたが、さすがのAIも含めて全く見つからなかった。もちろん広辞苑も牽いてみた。
 時間は冷酷に過ぎてゆくから、こんな話も世の中になかったことになってゆくだろう。
 そこで、最後に手に取ったのが私の好きな牧村史陽編『大阪ことば事典』で昭和59年第1刷。ここで「運動会」を開けると、ここにはっきりと【遠足・郊外教授のこともいった。ピクニック】とあるから、その頃の大阪周辺では遠足のことを普通に運動会とも言っていたのである。
 なんで?というのは解らないが、そうだったことは解かった。記憶は正しかった。

 妻は「言葉に詳しいABC浦川アナに手紙を出したら?」と私をたきつけたが、これは大阪弁そして大阪周辺の民俗のことだから少しジャンルが合わない気がする。
 それよりも、このブログをお読みの皆さんで、「そやそや、親や兄姉や先輩が言っていた」という方がおられたら教えてほしい。
 アフリカのことわざで、「老人が一人死ぬというのは図書館がひとつなくなるということだ」というのがあるようだが、文字にしておけば少しは残るかも。

2026年4月20日月曜日

確証バイアス

    日曜日にNHK『子ども科学電話相談』という有名な番組を聴いていると、「本に、カラスを飼っていた人が、奥さんのブローチを巣の中に見つけたというのが書いてあったが」「カラスはなぜ光るものが好きですか?」という内容の質問が子どもからあった。

 妻が私に「なんでやと思う?」と被せて尋ねるので、「キラキラ光るカラスの巣は他の鳥(猛禽類)を寄せつけないからだろう」と答えたが、ラジオの先生は「カラスが光るものを咥えていったのを見たことがない」と回答した。ええええ!ハンガーを盗んでいくのは光るからではない?

 先生の「〇〇さんは見たことはありますか?」の答えも「見たことはない」だった。
 先生の話では、ヨーロッパでは昔から「カラスの仲間のカササギが光るものが好きだ」という言い伝えが一部にあったのだが、それが広まったのはオペラ『泥棒カササギ』によるものだ。
 しかし実験してもそういう結果にはならなかった・・・ということだった。
 
 ところでこの番組の白眉はそれからで、「人間は最初に一度思い込むとますますそう思う」「だからたまたまカラスが光るものを咥えているのを見たらそう信じてしまう」「それを『確証バイアス』という」と先生方がリレーで答え、「SNSで調べ物をすると、『スマホの方でこういう答えが好きだろう』という答えや情報を次々に流してくる」「だから自分の思い込みに合ったことには納得し、そうでない情報は『例外だろう』と思ってしまう」
 「だから気をつけてね」と先生は補足したのだった。

 きっと、小学2年生の相談者には難しかっただろうが、「誰かが言っている」というだけの情報に”思い込まないで”というメッセージは伝わっただろうと思う。
 そして私は、「これは大人科学電話相談だ」と感動した。

2026年4月19日日曜日

権限剥奪

    「暴走トランプをアメリカ国民は信じているのか?」と不思議に思っていたが、ついにトランプの熱狂支持派・MAGA派内部からも「憲法修正第25条に基づく大統領権限剝奪案が出てきたと、東京新聞が報じている。
 中でも彼らの感情を揺さぶったものは、トランプが自身のSNSにあげた画像で、一枚目は自身をキリストに模したかのような画像。
 これは大きな批判を受けて間もなく削除したものの、今度はキリストらしい人がトランプに寄り添うというか「神が」トランプを守っているかのような画像を投稿した。
    イラン攻撃、それによる殺人を「神聖」な行為のようにイメージさせたいのだろうが、アメリカの宗教的背景からしても良識に反している。
 カトリック、聖公会はもちろん、プロテスタントも含めヨーロッパの常識から逸脱したトランプにはこれ以上ついていけないと各国首脳が「不支持」に回ったのも当然だろう。
 ところが、こういう世界の流れを理解できないで、本来ならアメリカとイランの仲介国となることのできる機会を自ら放棄したのが高市早苗首相である。
 言葉の勇ましさに内容がないのは防衛相同様だが、片やの習近平の積極外交と見比べても情けない。
 日本という国が世界中の笑いものにならないかと心配する。
 そういう政権与党が、憲法改正だ、日本版CIAだと手を打っている。
 そしてテレビはそういうことに警鐘を打つでもなく、野次馬的な視点で京都の事件を延々と報じている。

2026年4月18日土曜日

鷺苔

    知らなかった頃は、座り込んで見るでもなく「タチツボスミレの群生だ」とばかり思っていた。
 「あれはスミレではない」と教えてくれたのは妻だった。
 私の小学校の校区には田圃がなかったほどの都会育ちというか、その頃の空き地というのはみんな《焼け跡》だったから、こんな小さな花はあっても判らなかった。
 そういえば、家の建っていない空き地というと、洋館建てだったのだろうかタイルや瓦礫が散乱していて《戦後》そのものだったが、こんな話(実感)は子や孫には別世界だろうと思う。

    で、スミレでなければ何かというと、鷺苔(サギゴケ)で、スミレという名に比べると数ランク「格落ち」めくが、そんな言葉遊びを別にするとけっこう美しい。
 2枚目の写真は上の写真の一部を拡大しただけ。
 検索すると園芸店の広告が出てくるから堂々たる園芸品種でもあるらしい。
 「名前なんぞに惑わされてはイカン」ということかも。

 検索結果を紹介すると、白花のそれが元らしく、名前の由来は花の形が鷺の飛んでいる形に似ているからとあったが、同じ理由の『鷺草(サギソウ)』に比べると、軍配は圧倒的にサギソウに上がってしまう。
 雌しべの先にある柱頭に触れると閉じる柱頭運動があるというから、ハエトリソウのイメージで送粉者(昆虫)に付着した花粉を積極的に取り込み受粉を促す役割をしていると考えられているらしい。
 この動きを律動にたとえ「ジョロウバナ(女郎ばな)の別称がある」というのだが・・・。

2026年4月17日金曜日

苗代茱萸

    苗代茱萸(ナワシログミ)という名を聞くたびに、その名のバックボーンに日本の田舎を感じる。 
 実のなる時期を言うのに「苗代の頃」というのは、この雑木の実に相応しい。田圃の先の雑木林に実っている様子が伺える。
 木といっても、枝先がビューンと伸びて垂れ下り、まるでツタ類のようにも感じる。
 野鳥によって(糞で)あちこちに広がり、考えようによっては迷惑な「雑草」のようでもあるが、歩道脇に生えていると歩きながらポイっと口に入れたりでき、そう!「日本の田舎」をじわ~っと感じることができる。
 わが家から遠くない道路わきにも生えていて、歩くのには少々迷惑な枝先の伸び具合であったが、この春先街路樹の剪定に伴ってさっぱりと整えられ、せっかくの実は手の届かない高所のみとなった。
 それでもようやく手の届いた何粒かを口に入れ、確かにそういえば苗代の季節だと感じた。新聞のチラシには、夏野菜の苗の広告が入り始めている。

2026年4月16日木曜日

私利私欲

    そもそもトランプは「アメリカファースト」「他国の困難に金も人も出さないというモンロー主義」でMAGA(トランプの熱狂的支持層の政治運動)の熱狂的支持を集めたのに、なぜ今ネタニヤフの戦争にこうも深入りしたのだろう。
 莫大なユダヤ票と政治献金、そしてそれに親近感を持つ宗教右派(福音派)という票田に目がくらんだからだろうか。
 パレスチナの地はユダヤの地だ!と現代社会の土地所有権を主張するのは、島根県民が現政府に対して「軍事力によってなされた『国譲り』は無効だ」と独立宣言する以上に不当・無法だと思うが、ある種宗教の原理主義ではそうではないようだ。
 それにしてもそれだけがトランプの主義の根拠なのだろうかと首を傾げていたところ、フェイスブックに志葉 玲氏の次の記事を見つけ、私としては大いに理解が進んだので、以下にそのまま引用させていただく。

🔳 1日 志葉 玲 
  原稿執筆中の備忘録。トランプ大統領の異常なまでのイスラエル支持・支援の一つの大きな要因が、娘婿で側近のジャレッド・クシュナー氏の暗躍だ。
 ユダヤ系富豪の御曹司で、ネタニヤフ首相と非常に親しい。クシュナー氏は、彼が子どもの頃からネタニヤフ首相と家族ぐるみの付き合いを長年続けている。
 クシュナー氏はイスラエルによるパレスチナ占領に大きく加担してきた人物だ。一家の財団「クシュナー家財団」の共同理事を2006年から2015年まで務め、その間に財団から、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地に多額の寄付をしてきた。入植地は、パレスチナの人々の土地を奪って建設され国際法上も違法な上、入植者は武装し周囲のパレスチナ人の村を襲うことを繰り返している。さらに、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地で、その帰属が定まっていないエルサレムについて、第一次トランプ政権が2018年に「イスラエルの首都」と認定し、大使館を新たに置いた際にも、クシュナー氏の強い働きかけがあったとされる。このことは、ハマス等のパレスチナ側を大いに刺激し、ガザ攻撃の遠因ともなった。
 イラン攻撃についても、クシュナー氏は何年も前から暗躍。イラン核合意からの米国の離脱(2018年)を強く支持・推進。アブラハム合意(イスラエルとアラブ諸国の正常化)で中東政策を主導し、イラン孤立を戦略の軸にした。攻撃の直前には、イランの核開発に関してトランプ政権の交渉団の中核を担ったが、「歴史的な機会」(イランのアラグチ外相)としてまとまる直前にあった合意を破綻させたのもクシュナー氏。トランプ大統領に「イラン提案は本気ではない」「時間稼ぎ・欺瞞」と報告し、それがトランプ大統領のイラン攻撃開始につながったと複数の海外メディアで報じられている。
 こうしたクシュナー氏のイスラエル寄りの姿勢は利益相反でもある。クシュナー家の企業に対し、イスラエルの銀行が融資しているのだ。トランプ大統領のネポティズム(縁故主義)とクシュナー氏の親イスラエルのスタンスが、グロテスクに国際情勢を混迷させ続けている。🔳

 そういえばイスラエルによるガザ攻撃のときトランプが、「何某かの移転料を払うからパレスチナ人は全員他国へ行け、あとはアメリカがガザを所有してリゾート地にする」と言ったのも全くの冗談ではなく、そういうこともアリだなというトランプ一家のプランのひとつであったのだ。
 これはもうアメリカという国家の皮を被ったギャング一味ではないだろうか。
 その手先になってピョンピョン跳ねてる人もいたが・・・
 (写真 ネタニヤフの向かって右がクシュナー氏、左がエプスタイン氏らしい)

2026年4月15日水曜日

ネモフィラ満開

    ネモフィラは繁殖力が強いから庭に植えては駄目といわれているが、わが家の庭はざっくり言えば自然農法の庭だから、昨秋、庭の空き地にネモフィラの種を蒔いたところ、けっこう綺麗に咲いてくれた。
 あちこちの大きな公園でネモフィラが「ウリ」に宣伝されているが、それにはレベルが違って足下にもその陰にも及ばないが、そこそこ道行く人々を癒してはいる(はず)。
 道行く人々に喜んでもらうというのがわが庭のコンセプト。 

    ところが写真のとおり、一部に白い花や模様の入った花が咲いたので「この種(袋)は不良品だった」と少し不満だったが、妻がスマホを読んで「突然変異らしいで」と教えてくれた。
 よくあることであるらしい。知らなかった。

    「庭に植えてはいけない花」の中には、ピンクの大花のオキザリスがある。
    昔、田舎の叔母が来たときに「うちらが必死になって駆除している雑草を植えている」とあきれていたが、実際、その後駆除に手を焼いている。

 わが庭は「こんな庭づくりをしてはいけない」という典型だが、当の本人は結構気に入っている。
 人間世界の「つまみ」のような庭でなく、自然の中に生活させていただくのが好くないかとの考えによる。
 精神としては茶庭・露地のつもりだが・・・

2026年4月14日火曜日

かぎかっこ

    先日、私の書いた原稿をみんなで推敲してもらった折、「カギカッコ」と『ニジュウカギカッコ』について「これでいいのか」と指摘があった。
 直接話法の中にさらに直接話法を使う場合などで、私は数学の計算式のイメージで、ニジュウカギカッコの中に普通のカギカッコを使っていたのだが、「それは反対ではないか」と指摘された。
 その種の問題解決は近頃は簡単で、「AIはカギカッコの中にニジュウカギカッコと言うてます」で決着がついたのだが、私自身「いったい何によって反対のことと理解していたのだろう」という不思議さが残ったまま帰路についた。
 そして、ネットではない大小の辞典、国語に関する書籍、公用文のマニュアル等などをあたってみたが、見事にどこにも根拠にできる規定は見つからなかった。
 そんなマニュアルもないような中で皆さんはどうして「正解」を知ったのだろう。どうして私は長長期間日本語を使用しながら「正解」を知らなかったのだろうと少々落ち込んだ。
 確かにAIでなくてもネット上では「答」が書かれていたりするが、あえて言えば「その人の見解」以上の説明にはたどり着けなかった。
 こうしてほとんど探索をあきらめかけたとき、念のため、手持ちの三省堂『ことばの百科事典』を繰ってみたところ、「二重の”かぎかっこ”(『』)は、”かぎかっこ”の中でさらに”かぎかっこ”を使うばあいに使います。書名・新聞名・雑誌名を示すときにも使います」とあったのでひとまず落着という気分に落ち着いた。
 さらには、国立国語研究所編『日本語の大疑問2』の表の中に、ニジュウカギカッコがあり「カギカッコの中の会話」との説明があった、
 ただ、いろんな関連しそうな文書を読んでみたが、いわゆる記号(符号)は多くの例外があり、反対にいえば絶対的な正解は見つけられなかった。
 この歳になってなんと恥ずかしい発見だった。
 でもね、吉田兼好(図)さん、貴男が徒然草第22段で嘆いた「言葉」は、既に外国語ぐらいまで「変身」しているよ。
 実際「現代若者言葉」も日本語なのだから、これからもこんな恥をかき続けていくことだろう。

2026年4月13日月曜日

カンサイタンポポ

    先日ハイキングで甲山(かぶとやま)の山裾を歩いたとき、「わあ、珍しい白いタンポポだ」「ほんとだ、ほんとだ」と喜んでいるグループがいたが、その日私は家を出てすぐに白いタンポポを見ながら甲山に来たのだから、少し可笑しかった。一番目の写真はわが家近くの「白タンポポ」。

 もちろん近くには黄色いタンポポもいっぱい生えている。それ自体は珍しくもなんともない。
    現代のタンポポ事情で一番の問題は、日本固有種のカンサイタンポポやカントウタンポポ(ニホンタンポポ)が急速に外来種のセイヨウタンポポに駆逐されて行っていることである。
 多くの場合植物の外来種は桁違いに繁殖力が強いので、固有種を守れという主張はヘイトスピーチとは次元が違う。

 タンポポでいえば、ニホンタンポポは自家受粉では種ができないから仲間と群生を続けていなければならない。
 その上に種の数がずっと少ない。さらに春に受粉してできた種は秋まで発芽しない。なんというおしとやかさだ。
    その何もかも反対がセイヨウタンポポだからあっという間に日本中を席巻している。

  三枚目の写真は、今年(この間)わが家の庭に突然生えてきたタンポポ。
 矢印の部分が「外総苞片(がいそうほうへん)」と呼ばれる部分。はっきりと下向きに反曲している(そっくり返っている)。
    これがセイヨウタンポポの最大の特徴である。

 そして四枚目、五枚目がわが家周辺の古い遊歩道のタンポポ。
 外総苞片が反り返っていないのは一目瞭然。けなげなカンサイタンポポ(固有種ニホンタンポポ)だ。
    ちなみにこの(ニホンタンポポの)写真をスマホのAIに見せたら『セイヨウタンポポ』と答えたから、皆さん、AIを頭から信じてはいけません。

    なおカンサイタンポポはカントウタンポポに比べて花も花の基部も小ぶりといわれているからこれはカンサイタンポポで間違いないと考えられる。
 あなたの周りのそのタンポポ、固有種?外来種?

 理屈めいた箇所は、田中修著『雑草のはなし』(中公新書)を参考に記述した。


2026年4月12日日曜日

猿回し

    猿回しの思い出というと、1970年代中頃、部落問題夏期講座での村崎義正氏の講演を思い出す。
 山口県の被差別部落に生まれた氏は、壮絶ともいえる半生の後、部落解放同盟から後に全国部落解放運動連合会(全解連)の役員を務め、同時に光市の市議会議員(日本共産党)として保革を超えて人望があった。
 光市議に初当選と同じ年の1970年、俳優の小沢昭一氏がレコード『日本の放浪芸』シリーズのために光市を訪れたことをきっかけに、1963年に途絶えていた猿まわし芸を復活させることを決意。民俗学者の宮本常一や民俗文化映像研究所の姫田忠義、過去の猿まわし師の実態を調査・研究していた詩人で社会教育家の丸岡忠雄や末弟の村﨑修二の協力を得て、1977122日に周防猿まわしの会を結成して初代の会長に就任した。四男は村崎太郎。
    その芸は、国内外の舞台やイベント、テレビ番組など多方面に活躍。猿のチョロ松は、ソニーウォークマンのCMなど「反省する猿?」でも有名になった。
 で、最初の夏期講座での講演だが、非常に困難な猿の調教の経験から、「子どもの教育には親が絶対的な権威で臨まなければならない」などという話で、民主的な教育論からは相当脱線していたのを今も覚えている。(笑)
 

    つい先日、そんな猿回しの大道芸に久しぶりに出くわした。
 お猿の芸の向こうに、長い差別と大道芸の歴史、そして部落解放運動の変質と分裂の中でそれを復活させた先人のことを思い出しながら楽しく見物した。
私が大きな声で笑ったりしたものだから、外国人観光客もたくさん集まり、私の投げ銭を見て大いに投げ銭が集まった。ふふふ。
(Wikipediaを参考にして記述した
(写真は許可を得て撮影した)

2026年4月11日土曜日

お花見ちらほら

    高市首相肝いりの「労働時間規制の緩和」で自民党が「労働基準監督署の指導を見直すよう」提言をまとめると新聞が報じている(4月10日朝日等)。
 現状は労働基準監督署が、時間外労働を月に45時間以内に抑えるよう指導しているが、それを「厳しすぎる」というのである。
 人間は単発的な労働時間のみによって死亡したりするものではないが、時間は世界共通で絶対的に24時間であるから、長時間労働が脳心臓疾患やさらにはメンタルにかかわる疾患の重大なリスクファクターであることは医学的にも認められている。
 以前にも書いたが日本の勤労者は「企業戦士」どころか「社畜」と呼ばれ、現に西欧では信じられないとされている「カローシ」「カロージサツ」が発生している。
 「労働時間の規制緩和大反対!」「アフター5のパパは家族のもの」と、声を上げよう。

 ウィークデーということはあるにしても、満開の大阪城の桜の下でお花見をしているサラリーマンはゼロだった。歩いているのは外国人ばかりで、キッチンカーのお兄さんは私に「今日初めての日本人」と喜んだ。
 私なんぞは、日本の国も日本人も大きなところで貧しくなったと思ってしまうのはおかしいことだろうか。

2026年4月10日金曜日

見よ、甲山!

    桜の花を顕微鏡的に見てもお花見とは言わないから、甲山(かぶとやま)の桜と新緑を望遠鏡的に見て帰ってきた。・・というのはまっかな言い訳で、甲山軽登山はパスして裾野の森林公園から夙川を歩いてハイキングと称することにした。
 お花ということでは、夙川近くの廣田神社境内のミツバツツジの群生も素晴らしかった。この神社、知らなかった。コースを計画して教えてくれたリーダーの皆さんに感謝。
 どちらかというと大阪の南方で育ったので、有名な甲山も今回が初めてで、裾野からの威容だけでも感激。
 4月8日、積善の人には余慶あり!!見よ、この好天!!