そのため、出土した木棺や石棺、埴輪や各種焼物からどの古墳が古いとか新しいとか分析するのだが、古墳時代中後期になると、棺の置かれていた石槨の構造の変遷も重要な指針になる。
以前にその種のことで白石太一郎先生に「石のカラト古墳」の講義を受けた際、その緻密な調査と判断について感心した覚えがある。
さて先日、小笠原好彦先生に、石棺、石槨に使用された石材(凝灰岩)、特に家形石棺についていろいろ講義を受け、古い時代のそれは阿蘇のピンク石、次いで二上山屯鶴峯のピンク石、次いで二上山鹿谷寺跡周辺の白石、次いで兵庫県高砂市にある竜山石と変化していることを教えてもらった。
つまり、石棺や石槨の形態や加工の変化とともに、使用されている石材の変化も研究の上では大切らしい。
さて、奈良県奈良市と京都府木津川市の境界上にある「石のカラト古墳」のことは何回か書いてきたことがあるが、この古墳が終末期の古墳で、高松塚古墳と非常によく似た石槨であることは白石先生に詳しく教えてもらったが、石材が何であったかには言及がなかったように思う。
そこで、発掘に係わった奈良市文化財センターにメールで問い合わせているが、返答がないので、白石先生の著書などをめくっていたところ、各種ニュースが白石先生の訃報を報道した。
ただの偶然だろうが、ちょっとした因縁めいた感覚がよぎった。
写真は藤ノ木古墳の石棺のレプリカ。石棺は二上山の白石で内外面に朱が塗られていた。

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