2026年8月22日土曜日

「せ」をはさみ~

    瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ (崇徳院)は、百人一首でも落語でも有名だが、近頃は 「せ」をはさみ~ のことの方が有名?になっている。
 8月15日、全国戦没者追悼式で、天皇が「過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍を繰り返さぬことをに切に願い・・」と述べたことに対比して、高市首相は「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない」と「せ」をはさんだことを指している。
 「戦争の惨禍を繰り返さない」の文章は歴代首相も発言してきたものだが、高市首相はそこへ「せ」をはさむと同時に、天皇や歴代首相が使用してきた「反省」という言葉も使わなかった。
 これを、文意はそんなに変わらないのでないか、言葉のアヤではないかと考えるとすれば、中学校ぐらいの国語のテストで「主人公は何を言おうとしているか」という問いに〇はもらえない。
 高市首相は、侵略戦争を進めてきた昭和前期までの政治を「反省しない」、「反省するのは嫌だ」と公言したのだ。
 歴史的常識に属することでも、当事者世代がいなくなるにつれて往々にして修正されるとは、東大史料編纂所編「日本史の森をゆく」でも指摘されているところだ。
 高市首相が、「せ」をはさみ われても末に あはむとぞ思ふのは 戦前の軍国政治である。

2026年8月21日金曜日

酒席の法螺話


    大阪市内の居酒屋で暑気払いを行なった。
 話題は退職者会の秋のレセプションをどう盛り上げるかとなった。
 「バイキング・ロウはどうや」
 サッカーワールドカップでノルウェーのファンや選手が一体となって舟を漕いでいたあれである。ノルウェーの一体感はすごいものだった。
 やるなら中古のドラムを探さなければならないが、後期高齢者が今頃居酒屋で考える前に高校野球の甲子園では、いくつもの高校が既にやっているらしい。
 上の動画はネット上にあった朝日新聞GLOBE+のもの。 

 もっと和様でいえば高校野球つながりではないが天理高校の「わっしょい」という応援がある。
 文字では伝えにくいが、チャーンチャ チャチャチャチャチャ わっしょい ・・というのもちょっと可笑しい。
 バイキング・ロウよりは馴染むし、カズーで対応可能だが、あまりに身近な高校の応援歌のパクリになるのが恥ずかしい。

 いずれにしても結局皆恥ずかしがるだろう。
 この種の企画は小指の先ほども照れやシラケが生じると大滑りに滑る。
 やっぱり無理やろな!
 芸なしオヤジがジョッキを傾けながら法螺話は続いた。

 「わっしょい」は、下の動画の2:55頃から・・・



2026年8月20日木曜日

日日是好日

    孫の夏ちゃんたちとタコスパーティーをしたことは17日にちょっと触れたが、「タコスの生地・トルティーヤは何でできてるの」と夏ちゃんが聞くので、「メキシコ料理はトウモロコシの粉に決まってるやろ」と答えたが、包装紙の印刷を読むと100%小麦粉だった。
 そういえば昔OBP(大阪ビジネスパーク)で食べたときは、口が切れるのではないかと思うほど生地が固かったし、味は飛び切り辛かった。だから先日のはいわばアメリカ経由の日本食のタコスパーティーだった。
 世界中には「これが⁉」という鮨が広がっているし、焼き餃子が日本食として世界に広がろうとしているというから、日日是好日。

 先日は孫の凜ちゃんのリハビリみたいに奈良公園を短時間散歩した。どういうわけかラテン系の雰囲気の観光客が多かった。
 こんなことでもないと8月の奈良公園を歩くこともないだろうから、クーラーの下で息をひそめて暮らしている身にこそリハビリみたいなものだった。
 奈良公園の鹿は昔はもっとおとなしかったように思う。今は積極的に「これという人間」を狙って鹿せんべいを盗りに来る。
 両手を広げて「煎餅はないよ」と防御のポーズを凜ちゃんに教え込んだ。
 日日是好日。

2026年8月19日水曜日

気候変動

    小学生の頃、海から丁度1㎞ぐらいのところに住んでいたから、天気予報も解りやすかった。
 昼は海から海風が吹き、夜は海に向かって陸風が吹き、夕方などはピタッと夕凪が訪れた。
 その感覚からすると、近頃の日本列島の天気の複雑なこと・・
 実際には自分が知らなかっただけで昔から複雑な天気はあったのだろうが、気象学の発展もあり、知らなかった現象が次々に現れ、しかも甚大な被害が生まれている。
 天気に係わる大気の対流圏は約10㎞から16㎞と言われているから、地球の直系約13,000㎞からすると、地上付近の薄い薄い膜でしかないが、それがまるで無尽蔵であるかのように考える、考えの浅い人間どもが無茶苦茶に汚して今日の気候危機がある。
 千葉あたりの豪雨も「なんだなんだ」「台風でもあるまいし、レベル5なんて出したら今後の警報が空回りするのでないか」と変に心配しながらニュースを見ていたが、20代の頃住んでいた松戸周辺もけっこうひどいニュースの画面が度々出た。
 日本列島は、気候以外にも「地震ナマズ」の背に乗っかっているようなものだから、ともすれば未来が暗くなる。
 ただ殺人的な熱波は日本だけでなく、これまでクーラーなど考えもされなかった地域で実際に死亡事故が少なくない。そして山火事だ。
 このように地球規模で協力して立ち向かわなければならない時に、ああ大国は戦争を仕掛けている。
 私は「心配症」なのだろうか。

2026年8月18日火曜日

東海中高生に脱帽


    東海高校生の企画・実行した、石破茂氏、枝野幸男氏、志位和夫氏による鼎談がYOU TUBEに上がっていたので視聴した。
 
 テーマは「有事対応」などが中心だったが、三氏とも実体験なども含めて充実した話に満ちていた。
 石破氏の「私は昔は極右だと言われていたが近頃は左翼だと言われている。まわりの方が大きく変わっちゃった」というのも可笑しかったが、何回も言うようだがまともな「討論」がそこにはあった。
 NHKや民放テレビには高校生の爪の垢でも煎じて飲ませたい気になったほどの内容だった。
 もっと言えば、国会での与党などの発言(討論)もこういう風にあってほしい。
 全体は長いものなので、時間のある時に腰を落ち着けて視聴されることをお勧めする。
 最後の方で、「マルクスの資本論を読もう」という話が出たのも面白い。

2026年8月17日月曜日

送り火

    お盆の行事の仕上げは「燈篭流し?」という記憶がある。 
 昭和20年代、堺の中心部では市(いち)小学校近くのお寺でその種の法要があり、お盆に使った飾りものなどを納めていた。
 それが旧堺市の環濠であった川に流されたので、お盆が過ぎると海水浴場にはその種のゴミ?が流れ着き、台風によるうねりもあり、そんなこともあり、ほゞお盆までが海水浴のピークであった。
 余談ながら、その頃の大阪湾には「おわい舟」が出ていて糞尿が投棄されていたが、それでも現代の海よりは綺麗であったというのがおかしい。

 さて、千年の都京都は海から遠かったからか、燈篭流しよりも送り火がお盆の掉尾を飾る一大行事になっている。また送り火はわざわざお寺に出向く必要もない。
 そんなことで、孫の夏ちゃんと送り火を行なった。
 わが家のお盆の行事はこれでお終い。
 折口信夫のいうとおり、お墓参りよりも「みんなが集まって楽しく飲食するのが大事」。
 タコスパーティー バンザイ!

2026年8月16日日曜日

右傾化の底流

    アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムについては8日に書いたが、なんでもやたらにアメリカの真似をしたがる人々が多い昨今、現代米国論の渡辺靖氏の次のような指摘は現代日本論にも通じるような気がする。氏は言う・・

 1990年代以降、アメリカ政治では保守とリベラルが拮抗するようになり、94年の中間選挙では40年ぶりに共和党が上下両院で多数派となり、パイの取り合いになった。
 その結果、相手を貶める中傷攻撃や、人工妊娠中絶やES細胞、あるいは同性婚への賛否といった、価値に関するイシューに絞って絵踏みを迫る形で有権者にアピールする動きが活発になった。
 価値に関するイシューは各自の心の問題でもあるので、そう容易に妥協できない。
 だからこそ、(選挙)コンサルタントたちはそこを狙い、かなり細かいテーマをあえて争点に据えた。
 そこに宗教的保守派である福音派などが政治的に動員され、さらには先鋭的なキリスト教ナショナリストが前面に出てくるようになった。

 ・・日本のことも、以上の、キリスト教のところを神社本庁やカルト教団と読み替えると非常に納得がいくし、これにワンイシュー的なSNS選挙戦術を重ねると納得がいく。
 ただ、韓国至上主義で天皇制も否定する旧統一教会と神社本庁的な右翼が反共の一点で連合する自民党などの右翼の節操のなさには、「日本は野蛮な異教徒の国だ」と、アメリカのキリスト教右派もあきれ返っていることだろう。

2026年8月15日土曜日

「戦争」を選んだ

    今日は8月15日、加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み返している。 
 以前に読んだときは史料としての緻密さに驚いたが、題名のように?著者の立ち位置が解らなかった。つまり、「あの『戦争』は仕方がなかったと?」言うの??とか

 もし自分があの時代に生きていたらという問いかけは大切だ。
 軍部や天皇の非人道的な政治に抗って闘うか。
 地方の官吏や隣組の世話役になって人々を戦場に送り出すか。
 それとも『人間の条件』の梶のように彷徨するか。
 「命令されたのだから」と言って殺戮や凌辱をするのか。
 そういう問いかけを自分自身にせずに、あれこれの数値や史料で「戦争」を分析したかのように語るのは卑怯かもしれない。

2026年8月14日金曜日

拝火教徒になる

    8月は「六日九日十五日」という戦争に係わる月でもあるがお盆の月でもある。特に新盆を迎えられた方々は「思い出」を新たにされていることだろう。
 さて、お盆のルーツは中国で作られた『仏説盂蘭盆経』にあると言われるが、親鸞の教えには追善回向や施餓鬼という概念がないのでその内容は一般解説書以上には知らない。
 ただ山折哲雄説では、お盆の諸行事は仏教以前の素朴な先祖供養の信仰と精霊(たま)まつりの考えがあったのでこのように定着したとか。
 もっと言うと、折口信夫は「お盆は、生みたま、死にみたまを問わず魂の更新の行事だから、お墓参りも大切だがみんなが寄り集まって楽しく食事を共にする年中行事なのだ」(上野誠説)というのも面白い。

 もうひとつ、これは定説とはされていないが、「盂蘭盆とはイラン語で霊魂を意味するウルヴァンを音写した」という異説もあるらしい。偉い方々は見向きもされていないが私は無視しえない魅力を感じている。
    というのも、日本に伝わった多くの仏教の教義自身が中国の道教の影響をモロに受けているし、仏像だって、ガンダーラで西洋のギリシャ文化を母体に誕生したものであるから、イラン高原から中央アジアに広がっていた史上最初の世界宗教であるゾロアスター教(拝火教)と仏教が無関係であったと考える方がオカシイと思うからである。
 柴燈護摩供などを見ていると紫雲の向こうにゾロアスター教が見えてくるように思う。
 そんな遠い拝火教のことを「ぼやあ」と考えながら13日、私は孫の凜ちゃんと迎え火を焚いたのだった。
 (下の写真はネットにあったゾロアスター教のもの)

2026年8月13日木曜日

昭和天皇の一撃講和論

      『昭和天皇独白録』(寺崎英成御用掛の記録)は、『文芸春秋』199012月号「掲載にあたって」で次のとおり記されている。

《・・・「独白録」は、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛の五人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである。・・》と。なお寺崎英成御用掛は元々外交官であったが、ワシントンの大使館勤務中に米国人グエンドレン・ハロルドと結婚したので外務省中枢からは遠ざけられていた。

 さて昭和202月、天皇は各重臣と個別の会談を行ったが、そのときのこととして、次のようにある。
 🔳 私に[は]「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(189月)勝利の見込を失った。一度何処で敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先きには和を議し度くない。それで早く独乙が敗れてくれゝばいゝと思った程である。
 その当時木戸と相談して、重臣を一人一人秘密裏に呼んで、前途の見透に付て、意見を求めたが、確たる意見を持ってゐる者は一人もない。岡田と牧野とは比較的穏当な意見であったが、結論は云はぬ。近衛は極端な悲観論で、戦を直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦を止めるのは適当でないと答へた。・・・🔳

 本日言いたいことはここである。この時点で勝利の見込を失っていて、「戦を直ぐ止めたが良い」と言った近衛文麿の意見のとおり「ご聖断」を下しておれば、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、そして本土空襲の大悲劇は避けられたのである。
 それを躊躇させた陸海軍首脳の責任は大きいとはいえ、明らかに『昭和』天皇には戦争責任があった。明後日は8月15日。

2026年8月12日水曜日

ずぼらファーマー

    暑さを理由に全く放任栽培の勝手な感想!
 1 どういうわけか8月のお盆ま近というのに胡瓜の収穫が続いている。 毎年7月下旬を待たず枯らしていたのに「嬉しい疑問」だ。理由は解らない。
 2 数少ない枝豆の実りが悪い。開花の時に受粉が上手くいかなかったのだろうか。
 3 ミョウガは不作と言ってもよい。先日テレビで見たが、工場のような見事な栽培方法が紹介されていて感心した。ところがスーパーの値段は3つで160円ぐらいと高いままだ。妻は「160円ぐらいエエやないの」というが、手を引っ込めている。
 (写真はオクラ)


 【追記】 台風15号が東から西に、少し大げさにいうと北から南に、珍しいコースで近畿の北まで来て熱帯低気圧になったが「台風一過」とはなっていない。
 この面白いコースを作った犯人のひとりが「寒冷渦」らしい。 対流圏の上部にできた文字どおり冷たい空気の渦、といっても直径数百㎞から千㎞を超えるものもあるらしい。
 そもそもは北半球では夏季でも高緯度には冷たい空気が北極周辺を周回しているが、その中の小さい渦が切り離されたものという。 ネットには「偏西風から切り離された」と出ているが、そこのところはよくは知らない。 過ぎ去るまでに2~3日かかるという。
 北の方の太平洋高気圧(渦は時計回り)とその南の寒冷渦(反時計回り)に挟まれてピッチングマシンのように台風15号は通過した。 天気のからくりも複雑だが知れば面白い。

2026年8月11日火曜日

下部構造のナショナリズム

    8月10日付朝日新聞に保坂正康氏が、大要次のように大切な提起をされていた。
 🔳 長らく8月15日の不戦の誓いも「二度とあんなことはごめんだ」という感情の延長にあった。 ただ、体験者が減るほどそういう感情は忘れ去られていく。 いま求められているのは、理性的にあの戦争を分析し、その教訓を社会の共通規範として「思想化」し次世代につないでいくことだ、
 あの戦争では、いわば「上部構造のナショナリズム」である皇国史観が特攻や玉砕といった狂乱を支えてきたが、「下部構造のナショナリズム」ともいうべき郷土愛や先祖崇拝、日常生活の規範、倫理観はそんなものではなかった。 昭和の軍事指導者はそういう意味では日本の文化や伝統を裏切ってきた。
 8月15日の思想とは、人々の暮らしの中に蓄積されてきた不戦の誓いの知恵こそが、国家の暴走に対抗しうるという思想だ。🔳 

 よく「被爆者の気持ちなどそうでない者には解らない」という声を聞いたことがある。部落差別反対の運動にも「踏まれた者の痛みは踏まれた者にしか解らない」と言われたことがある。水俣でも原発でも沖縄でも、そういう解ったような言い方で運動をちゃかしたり抑圧したりすることがあった。
 そういう意味で、保坂氏が体験を思想化して継承していくことの大切さを指摘されたのは的を射ていると思う。
 同時に、「被爆者の痛みや苦しみを直接肩代わりすることはできなくとも、一緒に歩いて訴えることはできる」という核兵器廃絶国民平和大行進の訴えは尊い。 「共感」は素晴らしい心の働きだ。

2026年8月10日月曜日

最後の審判

    中東のニュースを見ていて何時も思うのだが、油田で常に燃えているあの
煙突の火は何かもったいない気がする。きっとあのガスを回収して売るよりも燃やしておくことの方が安くつくのだろう・・・。(日本のコンビナートでも同様の感想を持つ)

 もうひとつ、石油施設であるかないかに関わらず、戦争ほど環境破壊はないと思うのだが、そんな感情は「幼稚」すぎるのだろうかニュースでは触れられない。

    その結果、人間が生きていけないほどの高温や乾燥、反対に豪雨という気候危機が進行している。大規模な山火事、旱魃と大河川の水位低下。戦争指導者は全人類を危機にさらしている罪で裁かれるべきでないか。

 対する我われ庶民はあまりにも微力な気がするが、微力であっても決して無力ではない。
 ジョークの類ではあるが、平凡な庶民が死後、神の前で冷たく裁かれている絵があり、「神さま、いったい私が何をしたというのですか?」と申し立てているのに神さまは「何もしなかったからじゃよ」というのがある。
 伊丹十三の父伊丹万作が戦後、圧倒的な日本人が「国や軍部や天皇にだまされていた」と「反省??」していたとき、「だまされていた者の罪」を鋭く指摘したことも大切なことだ。そんなことをツラツラと考える。

2026年8月9日日曜日

長崎の鐘

    1945年8月9日、日本の中できっと一番クリスチャンの比率の多かったであろう長崎に原爆が落とされた。
 キリスト教の解釈では、それは神が与えた試練だと聞いたことがあるが、私には理解が及ばない。
 同じように、原爆投下は日本の降伏を早め、その後想定された多くの犠牲者を産まずに済んだという「言い訳」にも納得できない。
 その当時、日本が戦争遂行能力を失い降伏の条件をめぐって各国に打診していたことは周知の事実である。
 だから、それは終戦後の覇権争いのためのアメリカの打ち上げた花火であった。
 あえて言えば、同じ条件下で、西欧人であるドイツやイタリアに向けて同じ判断をしていただろうか。(これは想像だが、ある種の説得力がある)

 かつて訪日したチェ・ゲバラは、原爆慰霊碑に献花をし、資料館を見学し、同行した中国新聞の記者に「君たちはアメリカにこんなひどい目にあわされてなぜ怒らないんだ」と問いかけた。それに対してとまどう記者の姿は、当時から現代までの私たち日本人の姿を象徴するようだと語り継がれている。

 確かに、日本軍の残虐な戦争行為の非人間性の数々は直視すべきであるが、だから原爆の非人間性が許されるものでもない。
 現実世界は核抑止力によって平和が実現などしていない。
 反対に、核の脅威をちらつかせながら戦争が行われている。
 自国内の内政の矛盾や反対派を抑え込むために「屁理屈」を付けて戦争が行われているのが実際だ。
 それでも大国のリーダーの理性、知性は核の使用を止めるだろうと、皆さんはホンキで信じられますか。
 
 こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ