2026年3月4日水曜日

天子南面

    先日ラジオで女性漫才師がトークで「雛人形はどう飾るんやったかなあ」「向かって右やったか左やったか」と言っていたが、確かにこれは難しい。 
 第1に、先ずは古代からの思想・宗教を押さえておいて、第2に、明治の脱亜入欧政策を理解しておく必要がある。
 その第1だが、古い思想を語る場合、当然ジェンダー不平等や階層差別があるが、今日のところはそのことは学問的には横に置いておいて、「お内裏」とされているので男雛が天皇、女雛が皇后と考えて大きくは間違いがない。となると当然、男雛を上位に飾るのが正しい。これは男女でなくても左右の大臣と考えてもよい。
 第2に、明治の政権は西欧の王様と王妃の立ち位置を真似て日本の伝統をコロッと投げ捨てて、左右を逆転させたので、以降、雛人形も、いわば平安流と明治以降流が並存して今に至っている。 
 よく自称保守とか右翼と言われる人が日本の伝統を投げ捨てた明治風を「伝統だ」などと言っているのは軽薄な気がするがそれはさておき、本題の左右の問題である。 
 そもそも天皇という言葉は道教にいう北極星を神格化した神(北辰信仰)のことである。 北極星であるから当然顔は南を向く。「天子南面」である。 
 そして道教では左右のうち左を上位としてきたので、飾られた内裏(雛人形)の左(向かって右)が上位になるから男雛は左(向かって右)に飾るのが正しい。 
 重ねて言うが、大河ドラマでも理解が容易いが、右大臣よりも左大臣の方が位は上である。
 古典芸能の舞台の上手、下手もそう。落語の場合も基本は通ずる。左(向かってなら右)が上(かみ)である。
 これらのイメージは京都市の地図を思い浮かべると解りやすい。御所は京の北にあって南を向いている。だから東側に左京区があって西側に右京区がある。歴史を考えない人は京都の玄関口京都駅(七条口)で降りて京都の中心街(北)を向いて「なんで右側に左京区があるの?」と悩む。普通の地図もそうである。と、とりあえず悩むのは正しい。それを考えもせず悩みもしない人は論外であるが・・。
 天子は南面す。左が上位。・・なのである。 
 この種の伝統を知らずに明治以降の流行に流されてヨシとする人は反対に飾るとよい。それも一つの判断だ。ただ、私はそういうのを好まない。

 それはさておき、我が国での「天子南面」の思想は古代史的には新しい思想だった。以降、有名な寺社は基本的に南を向いているので、そうではなく東にある三輪山(西面している三輪大神)を拝む大神神社はそれ以前からの古い神社ということができる。 
 奈良時代の古地図では春日大社も西面していたように見えるが現在は南面になっている。

2026年3月3日火曜日

カニカマの進化

    NHKテレビの『探検ファクトリー』という番組でカニカマボコの工場を紹介していた。
 第一世代のそれはほぼ長方形で、如何にもカニに似せた蒲鉾だったが、
 第二世代は、一転してタラバガニの太い脚の身という進化を遂げていて、
 その第三世代は、ズワイガニに戻って細身であった。
 
 だいたいテレビの料理番組や「あま~い」などというコメントは信じないが、この原点復帰のような解説が耳に残ったので、先日スーパーで買ってみた。そして、幾つか食べてから「これは美味しい」と感じたので、スマホでパチリとした。
 第一世代や第二世代のそれは、如何にもカニという香りがついていたが、第三世代はそれが仄かなものに変わっていたのが私の評価の要因だった。
 つまり、文章で香りのことを書くのは難しいが、例の如何にもカニという香りは、正確に言えばカニの鮮度が落ちていくにしたがって強くなる香りであるから、新鮮で上等なカニはそんなにムッとするほど香らないものである。
 さらにテレビでは、企業秘密ながらカニの身の繊維にどう似せるかに研究を重ねたと言っていたが、それも確かに進歩していた。
 私自身は蒲鉾自体をあまり食べないし、第一世代第二世代のカニカマもそれほど食べては来なかったが、もしかすると、第三世代のカニカマで芙蓉蟹(ふようはい)を作ると、ホンモノと遜色のないものができるのではないかと思った。

2026年3月2日月曜日

イランが爆撃された

    小泉進次郎防衛相は「イランの核兵器開発は決して許されない」と表明し、米国の行動に一定の理解を示したと報じられている。
 問題は常々「法の支配といった価値や原則を尊重」と強調してきた態度から、当然非難すべきアメリカ・イスラエルの軍事行動に口をつぐんでいることだ。
 イランの政教一致体制や、その下での女性差別、あるいは表現の自由の制約や弾圧には大いに批判はあるが、だからといって外交抜きで他国が戦争を仕掛けてよいことはない。
 そんな当たり前のことを言えない高市内閣は属国根性丸出しだ。
 「アメリカ、イスラエルは戦闘行為を即時停止せよ」「イランは核兵器禁止の原則に立って真摯に外交に臨め」

 こんな時だからこそ、日本国憲法前文を堂々と発信しようと思う。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

2026年3月1日日曜日

ほんとうの中国

    著者近藤大介氏は、1965年生まれ、東大卒後講談社入社、北京大学留学、講談社北京副社長を経て週刊現代編集次長。明治大学国際日本学部講師など。
 この本を読んで共感するところ大であった。
 確かに奈良公園を歩いていると中国人(中国語)の声は大きい。
 もう一つ、アジア大陸の歴史を学んでいると、民族間の侵略、逃亡、虐殺の規模が違い過ぎる。
 それに比べて「安倍晋三政権時代に流行った「嫌中」派の理屈のナントちっぽけなことよ」と感じていたから、私の感じていた感覚と共鳴した。
 それに小さい頃、戦争に行っていた叔父たちが「中国では”標準語”を話せる中国人が少ないから中国人よりも中国語が話せた日本人はいくらでもスパイができた」みたいな武勇伝?を聞いていたこともある。
 先の「声の大きいこと」について私は、口を開いて破裂音を駆使する中国語のせいかと思っていたが、著者はそれ以外に、①暮らしのスケールが大きい、②声の大きい方が勝つ社会、③「鐘の音のように大声で・・」という学校教育、④周囲に無関心・・・と書いている。
 なにしろ面白い。そして日本人は中国を知らいのではなく、日本人は例外的に世界を知らない民族ではないかと思ったりする。
 米艦の上で、宗主国国王におもねてキャピキャピ飛び跳ねている首相とそれをカワイイと推す若者。
 中国古典の前にこの本を寝そべりながらでも読まれよ! 面白い。

2026年2月28日土曜日

お客さまは神さま

 
    転居前も含めて40年以上この街(NT)に住んでいる。
 最初に転入してきたころの駅前の中心商業施設というと近商を核としたショッピングセンタービルであったが、街が充実してきたころ、イオンを核としたさらに大きなショッピングモールが、より駅前に建った。
 いっときのガソリンスタンド競争ではないが、これで近商は競争に敗れて撤退するだろうと予想したが、私の想像に反して近商は生き残った。
 見ていると、高齢者にとっては使い易い広さ(狭さ)で、いつの間にか、高齢者は近商へ、若い層はイオンへという棲み分けができたようだった。
 また、肉や魚の質も近商の値打ちを上げていた。

 その近商が、しばらくの間休業してリニューアルすることになったので、妻と「どのようにリニューアルするのだろう」と予想をしあった。
 「あのコーナーは使い勝手が悪るかった」「あのコーナーとあのコーナーはダブって無駄だった」などなどといいあいながら、「結局、時代の流れでイオンのようにセルフレジを大幅に導入するのだろう」と予想した。
 そしてリニューアルオープンしたところ、全体的に通路が広くなって行き来しやすくなったり、成城石井が入ってバラエティーが豊かになったりしたが、予想の本命であったセルフレジは拡大されていなかった。そして、多くのショーケースが低くなっていた。
 ナルホド、近商の経営戦略の方が私の予想よりも的確な判断をしたようだ。
 つまり、いっそう高齢者が買い物をしやすいスーパーというように、イオンとさらに差別化を図ったように見える。
 シルバー民主主義などとの悪罵に敗けるな高齢者。社会が高齢者に寄り添うべきでよいのだ。

2026年2月27日金曜日

SNS選挙

    25日に自民党のネット戦略に触れて書いたが、ジャーナリスト河野慎二氏によると「1月26日に公開された高市動画は2月7日には再生回数が1億6000万回を超えたが、これが広告として再生された場合、1回につき2円が支払われたとすると、広告料は3億円以上になる」としている。要するに自民党はそれほど支払った。
 他の自民党の動画と併せるとさらに驚くような額になるが、自民党の政党交付金約125億円からすると痛くも痒くもないだろうとデイリー新潮は言っている。
 そしてこれに便乗するユーチューバーが切り抜き動画などでさらに拡散したのだろう。先のデイリー新潮は、主に参政党関連で稼いだユーチューブ・チャンネルの人の話として、「完全にショート動画一本勝負で最高月額400万円稼いだ」と書いている。
 こういう事実が積み重なると、ユーチューブでは自民党の動画が優先的に上位に表示される仕組みなのでネット社会を席巻したようだ。
 ただしAIが反自民には反自民を反映させるという憎らしい小技もあり、ネットの手のひらで庶民悟空は踊ったことになる。
 以上がいわゆる高市旋風の実態だが、デイリー新潮は要旨「自民党広報本部の広報戦略局には大手広告代理店の社員が常駐していて、選挙期間中の会議には広報本部や選対本部、組織運動本部の職員に加え代理店の社員も参加し、実際は彼らに頼りきり(自民党関係者)」と書いている。
 テレビやラジオのCMや、もっと身近なビラについては枚数や配布できる場所まで厳しく制限しているのに、インターネット上の「政党の政治活動」という形にすれば青天井というか底なしというか、自民党のトランプ化を感じる。
 このような大きな問題のあるネット社会だが、オールド民主主義者がその問題点をアウェイで主張することもなく、蚊帳の外から愚痴を言っているだけでは、蚊帳の中の若い人々の共感を呼び起こすことは困難な気がする。

2026年2月26日木曜日

トンビ 2

    トンビ(鳶)のことは2025年12月13日に「もう長い間見た記憶がない」と書いたが、この23日に庭に出ていると、頭の上でピーヒョロヒョロヒョロと間違いなくトンビの声がした。2羽のトンビが上昇気流を捕まえて舞い上がっていた。(写真はスマホで撮ってパソコンで拡大した)
 海や川の近くなら珍しくもない光景だろうが、内陸?のわが家では珍しく、懐かしい日本の原風景を感じた。
 ピーヒョロヒョロヒョロの声もいい、ほとんど羽ばたかず上昇気流だけで舞っているのもいい。

 鳶は残飯や死骸を漁るので現代ではパッとしない鳥という印象があるが、天皇即位の礼では、「霊鵄形大錦旛」(れいしけいだいきんばん)が飾られる。
 それというのも、日本書紀神武紀には鳶(鵄)が出てくるからだろう。
 神武(天皇)が長髄彦と戦っている際に、金色の鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この鵄を指して「金鵄」(きんし)と呼ぶ。
 戦前は武勲をたてた兵に対して金鵄勲章が下賜され、煙草にも金鵄という煙草があったが、金鵄の包装紙が道に捨てられたり踏んづけられたりするのは不敬だというので昭和15年に「ゴールデンバット」に変更された。
 中華文明では目出度いとされている蝙蝠もいらぬとバッチリだった。

2026年2月25日水曜日

犯罪に近い


    ジャーナリスト沢木啓三氏の『メディアをよむ』(222日付赤旗日曜版)によると、今回の選挙ではインターネットの比重がますます高まったとして、10日の読売出口調査では、投票先を決める際に「SNS・動画投稿サイト」を最も参考にしたと答えた人が24%に上ったこと、そのうち35%が比例区の投票先を自民と回答し、昨夏の参院選の7%から大幅に増えたことを紹介している。 
 また14日のTBS「報道特集」では自民党のネット動画が選挙期間中に1億6000万回以上再生されたことについて専門家は、動画に「いいね」が付いた割合が0.02%と非常に低かったことから、「広告によって再生回数を増やした可能性が極めて高い」と分析していると紹介している。 
 確かに、私ならそれほど共感できる動画なら「いいね」を付けるから、0.02%は異常な感じがする。 
 そこで思い出したのは、2020年に発生した愛知県知事リコール署名大量偽造事件である。
 事件の発端は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」企画展の一部内容に河村たかしや高須克弥それに日本維新の会の面々が起こした知事リコール署名だったが、署名活動が伸び悩んだため、事務局長であった維新の元県議田中孝博らが名簿業者から名簿を購入し、アルバイトを使って署名を大量に偽造したものだ。 
 翻って、今般の自民党の動画だが、証拠はつかめていないが、広告会社に発注して、大量のアルバイトに日がな一日特定の動画を再生させ、その結果You Tubeで最上位にお勧めとして紹介されるようにしていたのではないかと想像するがどうだろう。
 自民党には、Dappi事件のように、この種の不正にかかわったと推定される前科?もある。
 *「動画の収益化」の仕組みについて、より具体的にご存知の方はご教示いただきたい。

2026年2月24日火曜日

ヒマラヤユキノシタ

    この花の名はヒマラヤユキノシタ。いつ、どういう経過でわが家の庭に咲くようになったのかの記憶はなくなっている。
 買った記憶がないから何方かから分けていただいたのだろう。
 ずいぶん昔から、広がりすぎて随分捨てたが今でもこのように残っている。
 わが家ではほゞ雑草扱いされた可哀そうな花である。
 名前のとおり、ほとんどの草花が縮み上がるような冬季に花を咲かす。
 アフガンから中国東部の西域が原産地らしいから、その名もほゞ同意。
 文章で好きな中央アジア、シルクロードの風景を想像させてくれる。
  

2026年2月22日日曜日

枚方のプール跡

    ABCテレビの「ニュースおかえり」の中の「なんでやねん」というコーナーが面白いということは25年11月3日に書いたが、先日のそのコーナーは「枚方の住宅街のど真ん中にプールがあるのんなんでやねん」であった。 
 枚方には勤務していたこともあるが、当時の私は内勤だったので何も知らない状態でテレビを視たのだが、私の予想は「禁野弾薬庫の工員たちのためのリクリエーション施設ではなかったか」であった。
 というのも、以前にこのコーナーで「玉造に古いビリヤードがあるのんなんでやねん」が放送され、大阪環状線(城東線)がなかった当時、大阪砲兵工廠の工員たちは鶴橋から歩いていたので、その途中の玉造は繁華街であったと放送された記憶があったからである。
 そして枚方のプールの私の答えは、ほゞ及第点のようで、戦前、やはりここには禁野火薬庫と大阪工廠枚方製造所があり、工員の慰労も兼ねた映画館やプールがあったということであった。
 なお陸軍禁野火薬庫は昭和14年(1939年)、死者94人負傷者602人という大爆発事故を起こし、これは危険だということで、もっと田舎の方(東の方、京都府精華町周辺)へ移転となった。それが現在の自衛隊祝園弾薬庫である。
 先日、住民税の申告のために精華町の役場に行って、玄関前駐車場から西の方をスマホで撮影した。
 実に長閑な田園と森の風景であった。
 私は長い間、その森をただの立派な里山だと思っていたが、それが禁野火薬庫の移転してきた祝園弾薬庫の大きな土塁だったと知ったのは住み始めて後のことだった。
 いまその弾薬庫に敵国先制攻撃に使用できるミサイルを保管できるようにする工事が進んでいる。
 先制攻撃の目標は敵国の基地や弾薬庫とされているから、その敵国は同じ発想で「さらに先制」しようとするに違いない。
 外交抜きの軍事力で戦争を抑止するという発想は、果てしない軍拡競争と、ちょっとした行き違いからの戦争勃発の危険を止められない。
 長閑な森は長閑でない。

2026年2月21日土曜日

黒塚古墳の時代

    日本書紀が第
10代と書いている天皇の名は、ミマキイリビコニエであり、諡号(しごう・おくり名)は御肇国天皇(はつくにしらす天皇)。後に付けられた漢字の名前が崇神天皇である。
 この御肇国天皇という諡号からも、神武天皇の物語と欠史8代の天皇というプレ大王時代を経て、事実上の初代大王(天皇)は崇神天皇であろうと言われており、日本書紀崇神紀には、プレ大王時代を含む大和王権の最初期の征服戦争の記録と記憶が反映しているとみられる。
 日本書紀以前には、現存はしていないが「帝紀」などがあったのは確かであるから、少なくとも歴史の欠片は書紀にはあるはずだ。
 考古学的には、巨大な前方後円墳である箸墓古墳(290m)が大和の東南部に最初に築造されたのち、前方後円墳の時代が始まり、その次の次の巨大前方後円墳である行燈山古墳(242m)が崇神陵だとの意見が多いが、黒塚古墳(全長約134m)は、同時期もしくはそれ以前にが築造されている。
 岸俊男氏による旧豪族分布図によると、以上の古墳は全て三輪山の麓の纏向にあり、北に接して物部、その北に柿本や和珥などの豪族がいたとしている。
 それらの年代であるが、魏志倭人伝では卑弥呼の死は250年ごろ3世紀半ばと考えられ、箸墓古墳は3世紀中盤~後半と考えられている。これらのことから、倭人伝の卑弥呼の死後大いに乱れその後台与が立ったころから権力の集中が始まったのではないか。
 ただ、倭人伝と記紀は合わないので、神聖政治の台与の時代の後、本格的に権力を集中した大王の時代が始まったとも考えられ、その先頭に崇神がいたと考えられる。
 ということで、17日の記事の補足ナリ。
 写真は黒塚古墳石室発掘時のレプリカ。

2026年2月20日金曜日

御一新のリアルから

    物事はリアルに理解する必要がある。
 先日来岩波新書の木村哲也著『宮本常一』を読んでいるが、そこに「ナルホド」と思った記述があった。
 宮本常一が、祖父や外祖父から聞いた御一新(明治維新)の聞き書きなのだが、何故反幕府軍が強かったのかという一側面のことだった。
 普通の歴史書なら世界が産業革命にまい進する中取り残された幕府軍の思考や兵器、もっと言えば貨幣経済の時代に乗り遅れた幕府政治や封建制度などなどいろんな切口があっても・・宮本常一の聞き書きでは、少し違って次のようなものだった。
 場所は宮本の故郷長州の周防大島で、幕長戦争の一つの戦場でもあった。
 その頃長州ではそうだったらしく、百姓であった祖父も、さらには祖母も刀や薙刀の稽古をしていたという。
 そういう百姓たちは、昨日まで威張っていた武士に並んで、否、武士以上の働きができる機会だと、嬉々として戦場に出たと記述している。ナルホド、封建制度の崩壊というのはそういう生き生きとしたものでもあったのか。
 唯物史観の理論もそういうリアルな目と合わさって時代を豊かに捉えることができるのだろうと思った次第。
 翻って現代史そのものだが、悪政は必ず矛盾を拡大する。正しい批判は必ず広範な市民の要求と合致するから反撃できる。そのためにも自覚的な人々が自力をつけることが早急の課題だと聞くが、間違ってはいないがリアルな分析ではない気がしてならない。
 野村克也氏の言葉ではないが「負けに不思議の負けなし」だ。
 どの指摘が正しいかどうかでなく、そういう議論をしようともしないリベラルには不満がある。

2026年2月19日木曜日

別れ

    古い親友との別れがあった。
 文字どおり70年代を走ってきた兄弟だ。
 人情味があり、かつ実は学者肌のところもあった。
 若い頃、私はある意味、知ってイケイケドンドンを担当したが、それをどれだけ補ってくれたことか。
 滋賀の遠くからも駆けつけてくれた友もいた。兵庫の先輩からも思い出のメールがあった。
 あまり馴染みのないスタイルの別れだったので戸惑ったが、出ていくクルマに思いっきり手を振った。思いっきり。

2026年2月18日水曜日

朝蜘蛛は

 
    「朝蜘蛛は殺したらあかん」と親から教わり、そして子どもたちにも伝えてきた。
 そのこころは、蜘蛛は益虫(昆虫ではないが)だからと子どもたちには説明してきたのだが、言い習わしでは「夜の蜘蛛は殺せ」とつながるから、論理的には益虫説は成り立たない。
 蜘蛛は天気の良い日に網を張るから、朝蜘蛛が目についた日は晴天でなんとなく良い日が来るだろうといったところか。
 わが家では基本的に家蜘蛛(ハエトリ蜘蛛)は殺さない。

    そんな日、庭のバードバス(野鳥の水飲み場兼水浴び場)にツグミがやってきたので、ガラス戸越しにスマホで撮影した。
 今シーズンはツグミが少ないなあ、ツグミの世界に鳥インフルエンザのような不幸な出来事が起こったとか、渡りの途中で丸焼きにされたりとか、などと心配していたから、ちょっと嬉しい出来事だった。やはり朝蜘蛛は良いことを運んできてくれた。