出光丸は出光興産所属の船舶で、200万バレルの原油を積載していたが、2月の米国とイスラエルによるイラン攻撃によりホルムズ海峡に足止めされていた。
これまで商船三井所属の船舶3隻がホルムズ海峡を通過したことはあるが、どれも目的地は日本以外だったから、日本に向かう、日本の石油精製大手が完全所有する超大型原油タンカーがペルシャ湾から出たのは初めてだったし意義深いと思う。
このことに関して28日の夜、駐日イラン大使館はX(旧ツイッター)に、出光興産が1950年代にイランから石油を秘密裏に日本へ運んだ「日章丸事件」について投稿し、「この歴史的な任務は両国間の長きにわたる友情の証で、今日においても極めて大きな意義を持ち続けている」と投稿した。 そこで、昭和28年(1953)の『日章丸事件』をWikipediaから以下に紹介する。
🔳 イギリスの影響下にあったイランは、第二次世界大戦の進駐を経て連合国の占領下から脱していたものの、当時世界最大と推定されていたその石油資源は、イギリス資本たる石油メジャーアングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(BPの前身、AIOC)の管理下に置かれ、イラン国民はもとより、政府にもその利益がほとんど分配されない状況にあった。その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、イラン国営石油会社(NIOC)がAIOCの資産を接収する。これに反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させた。これらはアーバーダーン危機と呼ばれ、戦争が近づきつつある情勢となっていた。
航路を偽装するなどしてイギリス海軍に気付かれないよう航行し、日章丸は4月10日にアーバーダーン港に到着。この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。日本においても、非武装の一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていたイギリス海軍に「喧嘩を売った」事件として報道され、連日新聞の一面記事で報道された。
1951年3月 日章丸起工式。当時世界最大のタンカーであった。
9月8日 サンフランシスコ平和条約を締結し、主権回復。
1952年
6月15日 イタリア・スイス共同出資のタンカー「ローズマリー」、イギリス海軍にアラビア海で拿捕される。
9月16日 日章丸、進水式。
10月16日 イラン首相、イギリスとの外交関係破綻を宣言。
10月22日 イラン、イギリスとの国交断絶を通告。
11月5日 出光の出光計助専務と手島治雄[2]、日本を出国。
11月6日 出光一行がパキスタンに到着、入国拒否を受けるも強引に入国。
11月8日 出光一行がパキスタンからイランに向けて出国。
11月9日 出光一行がモサッデク首相と会談し、交渉を開始する。
11月19日 出光一行が帰国。
12月22日 日章丸完成。
1953年
1月10日 外務省、出光のイランとの接触の情報入手。
1月 出光、飯野海運よりチャーターしていたタンカーのキャンセルを受け、同社唯一のタンカー・日章丸の使用を決断。
2月6日 出光計助ら再度イランに向けて出発。
2月15日 イランと出光、石油貿易の正式調印。
3月16日 日章丸がアメリカ合衆国から川崎港に帰着。
3月18日 日章丸、川崎港から神戸港に荷卸しの為、移動(着翌日)。
3月23日 日章丸、目的地をサウジアラビアと偽装し神戸港を出港。
3月25日 フィリピン北のバリンタン海峡を通過。
3月31日 マラッカ海峡を通過
。
4月5日 コロンボ沖で暗号電文を受信し、無線封鎖。
4月7日 オマーン湾に到達。
4月8日 夜陰に隠れてホルムズ海峡を通過。
4月9日 シャルル・アル・アラブ河口に到達。
4月10日 アーバーダーン港(当時の記事ではアバダン港)に到着。AFP、ロイターが報道。
4月10日 夜・イギリス外務省が駐日大使エスラー・デニングに調査を命じる。出光、外務省に報告。
4月11日 出光、記者会見を行う。
4月15日 日章丸、アーバーダーン港を出港。船底部を僅かに擦りながら浅瀬をぎりぎりで突破。
4月16日 夜陰に紛れてホルムズ海峡を通過。
4月26日 大きく迂回しスンダ海峡を通過し、イギリス海軍駆逐艦3隻との接触を回避。
4月26日 夜陰に乗じてジャワ海の危険な暗礁海域を通過し、イギリス海軍を回避。
4月29日 ガスパル海峡(英語版)を通過。
4月30日 南シナ海に到達し、無線封鎖を解除、出光本社と連絡を取る。
4月30日 イギリス、松本俊一駐英大使を呼び出し厳重抗議。
4月30日 日本政府および外務省は、何も知らず民間の取引に介入できない旨をイギリスに弁明。
4月〜5月 自動車6団体がイラン石油輸入を歓迎する旨発表。同時期、報道が激化し様々な意見が発表される。
5月4日 日章丸、フィリピン北のバシー海峡を通過。
5月7日 イギリス、日章丸の日本領海到達を確認。即座にAIOCより仮処分申請を東京地裁に提出。
5月8日 出光、広島駐留のイギリス海軍が軍用機を飛ばしている情報を受け、記者会見を開き徳山港(山口県)へ入港予定との陽動情報を流す。
5月8日 日章丸、土佐湾沖にて新聞社に撮影され、陽動情報である事が露見。
5月9日 川崎港に到着。同日、東京地裁にて第一回の口頭弁論開かれる。
5月9日 通産事務次官玉置敬三、通産省はこの紛争に巻き込まれたくないとの見解を記者に述べる。
5月13日 日章丸が陸揚げを完了し、船の差し押さえを逃れる。
5月14日 日章丸がイランに向けて再度出港し、貿易を既成事実化する。
5月16日 東京地裁にて第二回口頭弁論開かれる。
5月27日 東京地裁、仮処分申請を却下。
5月27日 外務省が政府は何ら関与しない旨を発表。
6月 イラン政府、出光との当初の契約を見直し、石油価格を大幅減額で提供する旨を発表。
6月7日 日章丸、アーバーダーン港に再度到着。イラン政府高官、および数千人の民衆の出迎えを受ける。🔳
関連する事項などを検索して読むと痛快である。大人としてこの事件に接したかった。
もし両親が健在であったならば、当時のこのニュースをどのように感じたのかと聞きたかった。
イランが核武装をするのを是とはしないが、現在の戦争状態を作ったのがネタニヤフとトランプであることは全く間違いない。
蓄積されたペルシャ文明と人々の人情には敬意を払いたい。








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