2026年8月27日木曜日

晴耕雨読?

    命に関わりそうな酷暑に息をひそめて家に籠っている。
 
 ただただ穏やかに秋風を待ちたいが、テレビを点けるとICC赤根所長へアメリカが制裁、高市首相がそれにホンキで抗議せずというような益々頭に血が上るようなニュースが続くのでテレビを消す。
 そんなときは、偉い先生の高邁なお説などを静かに読みたいと、直木孝次郎の遺稿などを捲ってみたが、大先生はコラムにしても現実から逃げていないのに大いに反省。

 そのコラム『終戦時の混乱の一つ』の要旨は次のようなものだった。
 終戦から70年余りたった2016年、朝日歌壇永田和宏選、古川利意作、
  睾丸を抜かるる前にと吾を誘う娼婦のありぬ敗戦の夜
 終戦時、直木孝次郎は海軍中尉であった。当時の風説では将校は去勢されてニューギニアで強制労働ということで、まさかと思いつつもそういう不安も事実であった。
 古川氏の歌を讃んで、終戦時の混乱を思い起こし、感無量である・・というコラムだった。
 なお終戦以前には4千名を超える「特攻」の死者がいた。
 
 穏やかな読書の日となるはずだったのに考えさせられることが増えた。
 昨今の内閣の危うさを思いながら、直木孝次郎の歌一首をもって記事を閉じる。
  大国のうしろにつけば安全かおまえ前へ行けといわれたらどうする 
 氏の2015年7月12日の作である。その7月15日には戦争法案が衆院特別委で採択されている。

2026年8月26日水曜日

中国の少数民族

    孫の夏ちゃんがお祖父ちゃん(私)の部屋を見て「本が本棚からあふれて床に積まれている」と驚くというか顔をしかめてあきれ返ったので、「本というのは”買って読んでみんな解った”というものではなく、そういえばそんなことを読んだことがあるなというときに引っ張り出して読むもんなんや」と答えたが、夏ちゃんには共感してもらえなかった。
 
 さて私は、いろんな本を併行して読むものだから、後から買った本を読了しながら何時までも読み終わらず継続中という本もある。そんなひとつが、市川捷護 市橋雄二著『中国55の少数民族を訪ねて』角川文庫で、文庫本で文字が小さいこともあり、何か月もかかってチョビチョビ読んできた。6月7日にはその中のごく一部の事柄を『ホジェン族の老人』として書いたが、それからでも2か月以上が経っている。

 この本は1990年代に中国の少数民族の民俗芸能を現地取材したときの記録であるから、現在の中国にその文化がそのまま残っているかどうかもわからない。
 「失われた30年間」停滞している日本でさえも1990年代は既に「歴史」の彼方であるから、はるかにGDPでも日本を抜いた彼の国ではどうだろう。もう現在の中国を旅行してもこれらの文化には出会えないかもしれない。
 現地取材した少数民族は次のとおりである。
 ラフ族、ジノー族、トールン族、リス族、ヌー族、イ族、ナシ族、ペー族、プミ族、タイ族、プーラン族、ハニ族、ワ族、ドゥー族、ユーグ族、サラ族、ボウナン族、回族、トンシャン族、モンゴル族、エヴェンキ族、ダフール族、満族、オロチョン族、ホシェン族、朝鮮族、ドアン族、アチャン族、チンポー族、リー族、ショオ族、プイ族、スイ族、ミャオ族、トン族、トゥチャ族、コーラオ族、キルギス族、ウイグル族、タジク族、ウズベク族、タタール族、カザフ族、シボ族、オロス族、ヤオ族、ムーラオ族、チワン族、マオナン族、キン族、チベット族、メンバ族、ロッパ族、チャン族、高山族(文庫本には未収録)

 この本の内容のいくつかはテレビでも放映され、それが機会にシーサンパンナなどは有名な観光地にもなっている。
 そして、多民族国家・大国中国はこれからどちらに向かうのか。そのときニッポンは。

2026年8月25日火曜日

カラカラ

    関東の豪雨のニュースを見ながら信じられない気分でいる。関西というか西日本は水不足を心配する毎日だから。
 特に京都最南部のわが家周辺は、京都や大阪や奈良南部などが雨であってもまるで真空地帯のように雲が避けていくことが多いので、台風の一つ二つは来てほしい気持ちになる。

 庭の草木には毎日水をやっているが、暑さもあり、草木もへとへとの感がある。
 庭の水撒きにプラスして「打ち水」もするのだが、舗装された道路にその効果は「気休め」でしかない。
 余談ながら、使った上水に応じて下水料金もかかってくるのに違和感がある自分は、実に小人物だとはわかっているが・・。
 ネットを開くと、AIへの質問に「打ち水のしかたを教えて」というのがあったが、そんなことまで教えてもらわなければならないマニュアル社会には暗澹たる気分になる。

 先日、ドナウ川の渇水のことを書いたとおり、ヨーロッパの熱波、水不足は深刻らしい。赤旗の「世界の街角」というコラムのような記事では、ロンドンの某地区では「ホースとスプリンクラーを使用した水撒き禁止令」が施行されている。
 日本でも「官から民へ」などと言って水道事業を民営化しようとする動きがあるが、〇〇の沙汰も金次第となりかねない。気を付けなければ・・・

2026年8月24日月曜日

天瓜粉

天瓜粉(てんかふん)昭和も遠くなりにけり (葛飾区)御堂千里 8月23日朝日俳壇大串章選には何度も頷いた。私も首の周りにたっぷり叩く天瓜粉が好きだった。

    昭和つながりで思い出すと、先日ラジオでリスナーから「小さい頃、自動車の排気ガスを吸ったものだ」という投稿があったのに、ラジオパーソナリティーが「なんでやろ?」と応えていたので、ラジオのこっちで「芳香族という名前を知らんのかい」と突っ込んだ。

 さらにこんなのを昭和つながりというのが良いかどうかはあるが、朝日歌壇永田和宏選に、
天皇が女性であってなぜ悪い居酒屋談義は庶民の本音 (横浜市)島巡陽一と、
あきれてはいられぬ「皇統二千六百年」本気で語る議員に (岡崎市)兼松正直があった。
 こちらはベースにある昭和と言っても大日本帝国憲法下の昭和前期の昭和になる。

 歴史のあるべき進歩の方向を「動」として逆戻りの蠢動などを「反動」というが、近頃はあまり聞いていなかった言葉である。しかし、上記の二首の歌に共鳴して、「高市反動内閣」などと言いたくなった。

女たちの頭をバチで打つように毎日毎日ダンケイダンシ 塚本恭子という短歌も以前の朝日歌壇に掲載され、後日、朝日新聞の有名なコラム『素粒子』にも引用されていた。
38親等ほど離れた南北朝時代に分かれた宮家に養子をとらせてダンシを産ませたい・・という国会の多数派は今でも「女は無能力者(虎に翼の台詞・旧民法)」と本気で信じているのだろうか。
男女雇用機会均等法成立四十有余年。労働行政もバチバチ頭を打たれているような気がしたのでわが会報にその主旨の投稿をしたが残念ながらボツとなった。昭和は遠くなりにけり。

2026年8月23日日曜日

残業指導見直し

    遂にやってきたか‼ と怖さを感じているのは私だけではないと思う。
 高市首相の「働き方改革つぶし」「残業抑制指導つぶし」のことで、この9月から労働基準監督署の指導が「見直される」(事実上野放しにされる)こととなった。
 その問題点の第一は、医学を含めた科学的見解を踏みにじっていることである。
 いうまでもなく、労働者が月100時間の残業をしたらみんなバタバタと倒れて死んでいくかというとそうではない。
 しかし大事なことは人には頑健な人からそうでない人まで色々いて、長時間労働が脳血管疾患や心臓疾患、さらには精神・神経の疾患の有力なリスクファクターであることは医学的常識に属することである。
 よく対論として専門職の話などを出されるケースがあるが、多くの過労死、過労自殺事案はそうではなく、終身雇用制から弾き飛ばされた場合の非正規雇用の劣悪さと相まって、例えば社内のプロジェクトチームの責任を任された真面目な労働者が、一見、志願して???長時間労働に突っ込み、最悪の場合命を落とし家族は路頭に迷うのである。それを止めようと努力していたのが労働基準監督署の「働き方改革」の指導であった。

 第二の問題は「労働者も同意している」という論である。
 ある見聞きした話になるが、有名大企業で過労死事案があり、どうも退勤の記録もあてにならぬものがあって労働基準監督署が労働組合に話を聞こうとしたが応じてもらえなかった話があった。有名大企業であるから労働組合も有名なものであったがそこでもそうだった。
 これが有名大企業でなければ、例えばいつの間にか職場の親睦会の代表が長時間労働容認の協定を締結していたというのも十分に考えられる。
 この辺りが西欧の民主主義や人権(家庭感)や産業別労働組合の状況と日本の現状との大きな違いでもある。

 高市首相に欠けているのはそういう現実を直視する目、そういう現実を働く庶民の側に立って改善しようとする視角である。
 「疑わしきは被害者救済」の暖かいハートが大事である。
 「自分は元気だから大丈夫」ではなく、強くない人も安心して働ける職場風土が大切なのだ。
 そういう意味では、テレビのコメンテーターやアナウンサーが、「私自身は残業が増えてもいい」などと発言するのは、まったく視野の狭いことだと感じている。

2026年8月22日土曜日

「せ」をはさみ~

    瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ (崇徳院)は、百人一首でも落語でも有名だが、近頃は 「せ」をはさみ~ のことの方が有名?になっている。
 8月15日、全国戦没者追悼式で、天皇が「過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍を繰り返さぬことをに切に願い・・」と述べたことに対比して、高市首相は「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない」と「せ」をはさんだことを指している。
 「戦争の惨禍を繰り返さない」の文章は歴代首相も発言してきたものだが、高市首相はそこへ「せ」をはさむと同時に、天皇や歴代首相が使用してきた「反省」という言葉も使わなかった。
 これを、文意はそんなに変わらないのでないか、言葉のアヤではないかと考えるとすれば、中学校ぐらいの国語のテストで「主人公は何を言おうとしているか」という問いに〇はもらえない。
 高市首相は、侵略戦争を進めてきた昭和前期までの政治を「反省しない」、「反省するのは嫌だ」と公言したのだ。
 歴史的常識に属することでも、当事者世代がいなくなるにつれて往々にして修正されるとは、東大史料編纂所編「日本史の森をゆく」でも指摘されているところだ。
 高市首相が、「せ」をはさみ われても末に あはむとぞ思ふのは 戦前の軍国政治である。

2026年8月21日金曜日

酒席の法螺話


    大阪市内の居酒屋で暑気払いを行なった。
 話題は退職者会の秋のレセプションをどう盛り上げるかとなった。
 「バイキング・ロウはどうや」
 サッカーワールドカップでノルウェーのファンや選手が一体となって舟を漕いでいたあれである。ノルウェーの一体感はすごいものだった。
 やるなら中古のドラムを探さなければならないが、後期高齢者が今頃居酒屋で考える前に高校野球の甲子園では、いくつもの高校が既にやっているらしい。
 上の動画はネット上にあった朝日新聞GLOBE+のもの。 

 もっと和様でいえば高校野球つながりではないが天理高校の「わっしょい」という応援がある。
 文字では伝えにくいが、チャーンチャ チャチャチャチャチャ わっしょい ・・というのもちょっと可笑しい。
 バイキング・ロウよりは馴染むし、カズーで対応可能だが、あまりに身近な高校の応援歌のパクリになるのが恥ずかしい。

 いずれにしても結局皆恥ずかしがるだろう。
 この種の企画は小指の先ほども照れやシラケが生じると大滑りに滑る。
 やっぱり無理やろな!
 芸なしオヤジがジョッキを傾けながら法螺話は続いた。

 「わっしょい」は、下の動画の2:55頃から・・・



2026年8月20日木曜日

日日是好日

    孫の夏ちゃんたちとタコスパーティーをしたことは17日にちょっと触れたが、「タコスの生地・トルティーヤは何でできてるの」と夏ちゃんが聞くので、「メキシコ料理はトウモロコシの粉に決まってるやろ」と答えたが、包装紙の印刷を読むと100%小麦粉だった。
 そういえば昔OBP(大阪ビジネスパーク)で食べたときは、口が切れるのではないかと思うほど生地が固かったし、味は飛び切り辛かった。だから先日のはいわばアメリカ経由の日本食のタコスパーティーだった。
 世界中には「これが⁉」という鮨が広がっているし、焼き餃子が日本食として世界に広がろうとしているというから、日日是好日。

 先日は孫の凜ちゃんのリハビリみたいに奈良公園を短時間散歩した。どういうわけかラテン系の雰囲気の観光客が多かった。
 こんなことでもないと8月の奈良公園を歩くこともないだろうから、クーラーの下で息をひそめて暮らしている身にこそリハビリみたいなものだった。
 奈良公園の鹿は昔はもっとおとなしかったように思う。今は積極的に「これという人間」を狙って鹿せんべいを盗りに来る。
 両手を広げて「煎餅はないよ」と防御のポーズを凜ちゃんに教え込んだ。
 日日是好日。

2026年8月19日水曜日

気候変動

    小学生の頃、海から丁度1㎞ぐらいのところに住んでいたから、天気予報も解りやすかった。
 昼は海から海風が吹き、夜は海に向かって陸風が吹き、夕方などはピタッと夕凪が訪れた。
 その感覚からすると、近頃の日本列島の天気の複雑なこと・・
 実際には自分が知らなかっただけで昔から複雑な天気はあったのだろうが、気象学の発展もあり、知らなかった現象が次々に現れ、しかも甚大な被害が生まれている。
 天気に係わる大気の対流圏は約10㎞から16㎞と言われているから、地球の直系約13,000㎞からすると、地上付近の薄い薄い膜でしかないが、それがまるで無尽蔵であるかのように考える、考えの浅い人間どもが無茶苦茶に汚して今日の気候危機がある。
 千葉あたりの豪雨も「なんだなんだ」「台風でもあるまいし、レベル5なんて出したら今後の警報が空回りするのでないか」と変に心配しながらニュースを見ていたが、20代の頃住んでいた松戸周辺もけっこうひどいニュースの画面が度々出た。
 日本列島は、気候以外にも「地震ナマズ」の背に乗っかっているようなものだから、ともすれば未来が暗くなる。
 ただ殺人的な熱波は日本だけでなく、これまでクーラーなど考えもされなかった地域で実際に死亡事故が少なくない。そして山火事だ。
 このように地球規模で協力して立ち向かわなければならない時に、ああ大国は戦争を仕掛けている。
 私は「心配症」なのだろうか。

2026年8月18日火曜日

東海中高生に脱帽


    東海高校生の企画・実行した、石破茂氏、枝野幸男氏、志位和夫氏による鼎談がYOU TUBEに上がっていたので視聴した。
 
 テーマは「有事対応」などが中心だったが、三氏とも実体験なども含めて充実した話に満ちていた。
 石破氏の「私は昔は極右だと言われていたが近頃は左翼だと言われている。まわりの方が大きく変わっちゃった」というのも可笑しかったが、何回も言うようだがまともな「討論」がそこにはあった。
 NHKや民放テレビには高校生の爪の垢でも煎じて飲ませたい気になったほどの内容だった。
 もっと言えば、国会での与党などの発言(討論)もこういう風にあってほしい。
 全体は長いものなので、時間のある時に腰を落ち着けて視聴されることをお勧めする。
 最後の方で、「マルクスの資本論を読もう」という話が出たのも面白い。

2026年8月17日月曜日

送り火

    お盆の行事の仕上げは「燈篭流し?」という記憶がある。 
 昭和20年代、堺の中心部では市(いち)小学校近くのお寺でその種の法要があり、お盆に使った飾りものなどを納めていた。
 それが旧堺市の環濠であった川に流されたので、お盆が過ぎると海水浴場にはその種のゴミ?が流れ着き、台風によるうねりもあり、そんなこともあり、ほゞお盆までが海水浴のピークであった。
 余談ながら、その頃の大阪湾には「おわい舟」が出ていて糞尿が投棄されていたが、それでも現代の海よりは綺麗であったというのがおかしい。

 さて、千年の都京都は海から遠かったからか、燈篭流しよりも送り火がお盆の掉尾を飾る一大行事になっている。また送り火はわざわざお寺に出向く必要もない。
 そんなことで、孫の夏ちゃんと送り火を行なった。
 わが家のお盆の行事はこれでお終い。
 折口信夫のいうとおり、お墓参りよりも「みんなが集まって楽しく飲食するのが大事」。
 タコスパーティー バンザイ!

2026年8月16日日曜日

右傾化の底流

    アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムについては8日に書いたが、なんでもやたらにアメリカの真似をしたがる人々が多い昨今、現代米国論の渡辺靖氏の次のような指摘は現代日本論にも通じるような気がする。氏は言う・・

 1990年代以降、アメリカ政治では保守とリベラルが拮抗するようになり、94年の中間選挙では40年ぶりに共和党が上下両院で多数派となり、パイの取り合いになった。
 その結果、相手を貶める中傷攻撃や、人工妊娠中絶やES細胞、あるいは同性婚への賛否といった、価値に関するイシューに絞って絵踏みを迫る形で有権者にアピールする動きが活発になった。
 価値に関するイシューは各自の心の問題でもあるので、そう容易に妥協できない。
 だからこそ、(選挙)コンサルタントたちはそこを狙い、かなり細かいテーマをあえて争点に据えた。
 そこに宗教的保守派である福音派などが政治的に動員され、さらには先鋭的なキリスト教ナショナリストが前面に出てくるようになった。

 ・・日本のことも、以上の、キリスト教のところを神社本庁やカルト教団と読み替えると非常に納得がいくし、これにワンイシュー的なSNS選挙戦術を重ねると納得がいく。
 ただ、韓国至上主義で天皇制も否定する旧統一教会と神社本庁的な右翼が反共の一点で連合する自民党などの右翼の節操のなさには、「日本は野蛮な異教徒の国だ」と、アメリカのキリスト教右派もあきれ返っていることだろう。

2026年8月15日土曜日

「戦争」を選んだ

    今日は8月15日、加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み返している。 
 以前に読んだときは史料としての緻密さに驚いたが、題名のように?著者の立ち位置が解らなかった。つまり、「あの『戦争』は仕方がなかったと?」言うの??とか

 もし自分があの時代に生きていたらという問いかけは大切だ。
 軍部や天皇の非人道的な政治に抗って闘うか。
 地方の官吏や隣組の世話役になって人々を戦場に送り出すか。
 それとも『人間の条件』の梶のように彷徨するか。
 「命令されたのだから」と言って殺戮や凌辱をするのか。
 そういう問いかけを自分自身にせずに、あれこれの数値や史料で「戦争」を分析したかのように語るのは卑怯かもしれない。

2026年8月14日金曜日

拝火教徒になる

    8月は「六日九日十五日」という戦争に係わる月でもあるがお盆の月でもある。特に新盆を迎えられた方々は「思い出」を新たにされていることだろう。
 さて、お盆のルーツは中国で作られた『仏説盂蘭盆経』にあると言われるが、親鸞の教えには追善回向や施餓鬼という概念がないのでその内容は一般解説書以上には知らない。
 ただ山折哲雄説では、お盆の諸行事は仏教以前の素朴な先祖供養の信仰と精霊(たま)まつりの考えがあったのでこのように定着したとか。
 もっと言うと、折口信夫は「お盆は、生みたま、死にみたまを問わず魂の更新の行事だから、お墓参りも大切だがみんなが寄り集まって楽しく食事を共にする年中行事なのだ」(上野誠説)というのも面白い。

 もうひとつ、これは定説とはされていないが、「盂蘭盆とはイラン語で霊魂を意味するウルヴァンを音写した」という異説もあるらしい。偉い方々は見向きもされていないが私は無視しえない魅力を感じている。
    というのも、日本に伝わった多くの仏教の教義自身が中国の道教の影響をモロに受けているし、仏像だって、ガンダーラで西洋のギリシャ文化を母体に誕生したものであるから、イラン高原から中央アジアに広がっていた史上最初の世界宗教であるゾロアスター教(拝火教)と仏教が無関係であったと考える方がオカシイと思うからである。
 柴燈護摩供などを見ていると紫雲の向こうにゾロアスター教が見えてくるように思う。
 そんな遠い拝火教のことを「ぼやあ」と考えながら13日、私は孫の凜ちゃんと迎え火を焚いたのだった。
 (下の写真はネットにあったゾロアスター教のもの)