2021年11月30日火曜日

霜月尽

 入院病棟の看護師さんに「お久しぶり」(正確には数日ぶり)などと挨拶されている様ではいかん。   退院すれば朝顔(グリ-ンカ-テン)の剪定、OB 会会報の編集が待っている。  実は自身の退院祝いを通販に申込んでいたのだが、これは入院中に届いてしまっている。  この自身の退院祝いの「住吉踊り」は後日書く予定だ。

2021年11月29日月曜日

マイムで面会


 デジタルにも嫌悪感がないしリモ-ト面会も否定はしないが、窓の外の道路と3階でパントマイムでする面会は原点の良さがある。 写真は、路上の妻に応答する私。

2021年11月28日日曜日

秋の空

 空よ照れ今週は手術の友のあり  川柳もどきを病院のベッド上でひねっております。治療のほとんどは当人の気力だけではどうにもならないが、テレパシーでエ-ルを送る。虹は吉兆! 27日病室から撮影。


2021年11月27日土曜日

秋の夜

 吾であり吾でなし自律神経    穏やかな空気が欲しい秋の夜  

2021年11月26日金曜日

あっちもこっちも

   住人にガタがきたと思ったら住居のあちこちにもガタがきた。
 とりあえずはインターホンが故障した。
 修理(取り換え)依頼の電話をすると半導体不足で即応できないらしい。

 ならばと孫の遊びのために庭に取り付けてあった鈴(りん)を玄関側に持ってきて、インターホンにはそれを鳴らしてくれと表示した。

 考えればこれで普通には何の支障もない。
 確かに世間は何かと物騒になってきているが、チーンと鳴ってドア越しに対応すれば支障はない。
 電気器具の進歩に反比例して現代人は大いにひ弱になった。
 同じように頭の中までひ弱になっているかもしれぬ。

 この鈴の欠点は、屋内の我われよりも隣近所によく聞こえるところだが、よく考えるとインターホンのピンポーンだって結構近所に聞こえている。ものは考えようだ。町内安全にはマイナスではないかもしれない。

2021年11月25日木曜日

Uタ-ン

 

 Uタ-ンしました。 緊急再入院なり。元気回復中!

夏ちゃんのルリビタキ

   孫の夏ちゃんが「お土産だ」と言って、ルリビタキのバッジを持って見舞いに来てくれた。
 「確か祖父ちゃんがルリビタキが好きだと言っていた」とお母さんに言って選んだというから、日頃は会話にも知らん顔をしていても、どこかで祖父ちゃんの話を覚えてくれていたのだ。

 孫の顔は一番の薬だから、私の持っている帽子の中で一番変わっている探検帽(ピスヘルメット)に取り付けた。
 春になったらこの帽子でバードウォッチングか糞虫探しに出かけよう。

2021年11月24日水曜日

季節の歯車

   冬鳥でもジョウビタキなどはだいぶ以前から来ていたが、本格的な寒気団に乗って月曜日にツグミがやってきた。

 これまでも鳴いていたりはしていたが、今回は写真に撮れるほど近くにやってきた。季節の歯車は確実に刻んでいる。

 世の変化は激しいのに、思うところも少なくはないが、このブログでも評論や論文に似た文章を書くことができず、こんな短文でリハビリ?を図っている。

 いま病気を理由に書くことを止めてしまえば、立ち上がれないかもしれない怖さが心の奥にある。
 気力、気力、 スックと首を上げる凛々しいツグミの姿勢を見習えと陰の声。

2021年11月23日火曜日

照る日曇る日

   同世代や若い世代の入院や手術の話が届いている。
 訃報も続いている。
 正直なところ自分の病状のことなど忘れている。
 
 日曜日、綿虫が盛んに浮いている。飛んでいるというよりも浮いている。(写真は止まったところだが)綿虫は綿虫なりに必死に生きている。

 曇る日もあれば照る日もある。


   手術後5日が経過した。写真は下肢大腿部で、大暴れした私が押さえつけられた故の皮下出血の痕である。だから、症状としては何ということはないのだが、相当な大立ち回りであったらしい記録。パンツより上はもっと酷いが写真はカット。
 お見苦しいので、キラキラの写真加工をしたが、気の弱いお方はパスしてもらいたい。

2021年11月22日月曜日

ビフォー

 ビフォーアフターのビフォーだけ撮影してもらった。
 人生は、個人の心がけだけではどうにもならないことがある。それもまた人生。
 落ち込んではいない。

2021年11月21日日曜日

月蝕に学ぶ

 


 うろたえない。月蝕は必ず明けるから。

2021年11月16日火曜日

またまた休憩

   当分の間、ブログ記事、休憩します。

2021年11月15日月曜日

PCR検査

   本日はPCR検査。


2021年11月14日日曜日

イソヒヨドリ

   イソヒヨドリの♀。 
磯という名は過去のものとなり、全くの都市鳥となった。これも地球環境の変化だろうか。

 

2021年11月13日土曜日

憲法の三つの顏

   先日の『檻の中のライオン』では楾(はんどう)弁護士が「檻は見物人のルールを定めたものではなくライオンの暴発を防ぐルールだ」と例えられていて理解が進んだが、憲法学者木村草太教授の「日本国憲法には、国内法典以上の意味がある」という指摘も私には非常に新鮮だった。

 氏はそれを「日本国憲法の三つの顏」と述べられたので以下に紹介する。

 第一の顏は「国内の最高法規」である。
 公務員をされていたような方々には釈迦に説法だが、普通の法律は「後法は前法を排する」原則により新しい法律が優先されるが、憲法と矛盾する法律が定められた場合、憲法の効力は失われず、逆に新しい法律が無効となる。先日の例えでいえば、ライオンが大声で「檻は無効だ」と叫んでも通らない。この「最高法規」については大方の理解に大きな隔たりはないだろう。

 第二の顏は「外交宣言」である。
 以下の指摘は私には新鮮だった。
 氏は言う。「憲法前文には、平和を愛する諸国民に公正と信義に信頼して・・と書かれている。この文言を非現実的な理想主義だと非難し削除すべきだと主張する人がいる。確かに、外交は利害得失と権謀術数が渦巻く厳しい世界である。しかし同時に、外交は儀礼・礼節の世界でもある。
 日本国憲法はそのために「外国の皆さんを信頼しています」と挨拶しているわけで、この文言を削除するということは、外国に対して「お前らを信じていない」と宣言するに等しい振る舞いである。
 そういう視野も理解せず、国内のみの狭い視野で考えていたのではいけないという提起はナルホド目から鱗であった。

 第三の顏は「歴史物語の象徴」である。
 この提起も目から鱗であったが、氏は、現在フランス憲法の一部となっているフランス人権宣言や合衆国憲法に連なるアメリカの独立宣言をあげ、日本国憲法もその例外ではないと指摘している。
 これは第二の顏と密接不可分かもしれないが、現憲法は、明治憲法下で行なわれたアジア諸国への侵略、その下での数々の非人道的なふるまい。国内では権力による虐殺を含む人権蹂躙の数々などを反省し繰り返さないという内外への宣誓であり、考えようによっては、忘れてはならない非常に大事な「顔」である。

 本日の本論は以上のとおり。こういう大前提をしっかりと頭の中にしまっておかないと、「教育無償化を書き込むのが良いかどうか」とか「家族で助け合えと言って何が悪い」というような本末転倒の議論に右往左往してしまうかもしれない。

2021年11月12日金曜日

檻の中のライオン

   タイトル『檻の中のライオン』は楾大樹(はんどう たいき)弁護士の著書の名前である。
先日、憲法を復習していきたい旨書いたが、その第一段として、楾弁護士の的確な指摘を確認しておきたい。その内容を乱暴に縮めていえば、次のようになる。

❏ 人類の歴史を振り返れば明らかなように、権力をもった者はそれを濫用したがる。権力者をライオンに例えるなら、単にライオンに任せておいたのでは、ライオンは好き勝手をしかねない。いつ私たちに襲いかかってくるかもわからない。そこで、ライオンをしばるために私たちがつくった「檻」が憲法なのだ。
 
 私たちは、檻の中のライオンが作るルールに従って生活する。その代わり、ライオンには檻の中にいてもらう。そういう関係だ。
 
 憲法を意識しないでいられるのは、憲法のおかげだ。
 動物園に行った時、ライオンを見て「すごいなぁ」と思うことはあっても「檻があってよかった」とは考えない。けれど、動物園で檻のことを意識しないのは、檻がきちんと機能しているからなので、しっかりした檻があってこそ、檻のことを考えないで安心して動物園を楽しめる。❏

私の乱暴な引用以上に的確に短くまとめられたインタビュー記事がネットの『生協パルシステムの情報メディアKOCOCARA』に掲載されているので、次のURL(アドレス)を是非とも一読されることをお勧めする。

 https://kokocara.pal-system.co.jp/2019/04/15/lion-in-a-cage/

2021年11月11日木曜日

道理が引っ込む

   選挙のすぐあとに「良識が非常識に敗れた」とメールして来てくれた友人がいるが、正にそのとおりで「無理が通れば道理が引っ込む」世の中になっている。

 9日、大阪地検特捜部は関電元会長ら9人を不起訴(嫌疑不十分)としたと発表した。
 大阪地検特捜部というと森友事件で財務官僚を全員不起訴にした部署である。当時の山本真千子特捜部長はその後同期の先頭を切って函館の検事正に栄転し、さらに大出世コースである大阪地検次席検事に栄転を重ねている。
 あの、無茶苦茶な8億円値引き、文書の隠蔽・改竄、国会での虚偽答弁、出先職員への責任転嫁とそれによる自死、籠池夫婦の長期拘留。挙句の不起訴処分を行った記憶も新しい。

 さて関電事件では、2億6千万円のヤミ補填問題をとりあえず別にしても、部落解放同盟福井県連書記長兼同高浜支部書記長の経歴もある福井県高浜町森山栄治元助役から関電元役員らが約3億7千万円の金員を受け取っていたのである。
 これが事件でないなら贈収賄事件は世の中に存在しないだろう。
 関電によって約3億7千万円以上の収入が森山氏に生じ、さらにこの状況の継続について「良しなに」という「不正の請託」であったことは状況証拠から明らかではないか。

 総選挙は嘘と利権の安倍・菅政治を引継ぐことの是非が本来の焦点であったのだが、自民党総裁選挙のお祭り報道と、あとはスポーツの勝敗予想のような報道に終始し、結局現状のようなことになった。

 だからといって、落胆や冷笑していてはいけないだろう。良識ある人々がメッセージの伝え方についてさらに工夫するとともに、現状に落胆せず、来年の参議院選挙に向けていろんな良識を発信し続けていくことが大切だろう。
 (5日の記事も参照願います)

2021年11月10日水曜日

子どもの声がした

   用事のついでにサーッと奈良公園を覗いてみた。
 大仏殿には各地から再開された遠足の子どもたちが見られ、子どもたちの声が戻ってきていた。
 緊急事態宣言の頃は静まり返っていたが、少しずつ日常に近づきつつあるようだ。
 しかし9日は、折角の遠足が雨でかわいそうだった。天気予報では朝には止んでいるはずだったのに… 
 でも、園児たちはやっぱり楽しそうだった。日日是好日。

   一方の主人公の鹿たちは、雨のせいかあまりはしゃいでいなかった。

 少し前のことだが、二月堂の廊下の下の鬼子母神のところに「  ミュージアムに行っている」旨の張り紙があったが、東大寺ミュージアムのどこにも置かれていなかった。
 中の人に聞いても知らないという。
 狐につままれた気になってもう一度入口に戻って尋ねると、京都の龍谷ミュージアムということだった。
 注意力散漫というか、イラチというか、早とちりを反省したことだった。

2021年11月9日火曜日

憲法を変える必要なし

   総選挙の結果が出てすぐに友人からメールがあり、「 憲法改悪を日程に載せてくる可能性がありますね。憲法では自衛隊は違憲だと思いますが、こうなれば、憲法改悪阻止の方便として、現憲法でも自衛隊合憲に舵を切るのもありかなと思ったりします。なぜなら、中国がますます軍事力を強化してくる中で自衛隊即時廃止は国民世論でないと思うのです」とあった。卓見だと思われる。

 私は次のように返信したのだが、もっと広く皆さんに納得してもらえるような紋切型でない発信が必要だと反省させられる。これから先このブログでも、憲法や憲法9条について、いろいろ考え書いてみたいと思う。

 とりあえず、私の意見 その1 は次のとおり・・・

 憲法9条に照らせば、自衛隊が憲法違反であることは国語的にも明瞭でしょう。アベ政治が言葉を弄んだような「言いかえ」は社会を腐敗させます。なので単純な自衛隊合憲論には俄かには賛成ではありません。 

 9条と自衛隊の矛盾を解決するためには、 憲法9条を改正する。 自衛隊を解散させる。 国民の合意を重ねて、かなりの長期間にわたって一歩一歩段階的にすすめる。 の三択しかなく、でいこうというのが現実的でしょう。

 長期間とは、日本を取り巻く平和環境が成熟し、国民の圧倒的多数が「もう自衛隊がなくても安心だ」という合意が成熟したところで初めて、憲法9条の完全実施に向けての本格的な措置に着手するということです。 

 その場合の(それまでの間の)憲法解釈は、歴代政府さえ何度も表明してきた ①自国の国家秩序に対する「急迫不正の侵害」の実力排除は9条も禁止していない。 そのためには必要最小限の実力の準備、保有は9条に反しない。で、これを厳守していくべきでしょう。(自衛隊の現状はこれを超えていますので、現状そのままを合憲とは言い難いと思います) 

 故に、もしその間に ①急迫不正の主権侵害や ②大規模災害の発生など、必要に迫られた事態が発生した場合には、当然に自衛隊を活用することも含めて、国民の命を守るということになります。事実、共産党はこれまでも大規模災害に自衛隊の出動を政府に要請しています。

 以上の考え方は、ワンフレーズのキャッチコピー時代にはいささかじゃまくさい理屈ですが、しっかり語れば理性的な人々には合意できる内容だと考えるのです。(以上)

 答えは急ぎません。読者の皆さん方の自由な意見や思いの表明を期待します。

2021年11月8日月曜日

ちひさき鳥の

   「常緑樹は落葉しない」などと誤解されている方もおられるが、落葉樹のようにドラスティックでないだけのことである。

 それはさておき、私が落葉樹を好きなのは、冬の裸木、芽吹き、新緑、紅葉(黄葉)、そして落葉というそのドラスティックなところであるが、物事には光と影があるように、落葉の後始末だけは半分ため息をつきながら楽しんで?いる。

 私はこの時期は「レレレのおじさん」になるのだが、5分ほど落ち葉を掃いて振り返ると、すでに次の葉がそこに落ちているから、ある種の潔癖症的に落葉樹に対応するとメンタルヘルスによくない。

 金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり岡の夕日に 与謝野晶子 がある。「夕日の岡に」となっている本も多いが、私の持っている岩波文庫の自選の歌集は「岡の夕日に」となっている。

 紅葉でいうと、近頃の奈良公園の紅葉の代表選手はナンキンハゼであった。そのナンキンハゼを「本来の奈良の姿でない」と伐採を始めているらしい。私は賛成している。美しいことは美しいが、ここはモミジ、カエデにしてもらいたい。

 しかし少し離れた街路樹にはナンキンハゼが多用されている。そしてナンキンハゼは実をつける。野鳥には街路樹も公園も区別がない。きっとイタチゴッコが続くことだろうが、それでよい。 奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき の雰囲気が良い。

2021年11月7日日曜日

コロナ下の福祉

   東大寺福祉事業団のチャリティー作品展・こども作品展に行ってきた。
 コロナのせいで陶器や手作りの小物などの作品が今年もなく、高価な掛け軸や色紙が中心だったので、十分なご協力ができなかった。

 ただ、こども作品展の「おかしのいえ」などはすばらしい作品だったが、少し例年より作品も少なかったような気がする。。

 コロナというと、「自粛生活で気が晴れない」「GoTo再開なら旅行ぐらいは」という声があるが、入院している子どもたちは面会さえ制限されていた。そういうことは他の病院でも介護施設でも同様だが、そういう当事者の辛さはあまり報道されていない。

 原因は明白ではないが「感染者数」が減っている。行楽地の賑わいがニュースになっている。それは悪いことでは決してないが、そういう下でもびくびくしているこういう「弱者」のことも少しだけ想像してみてほしい。

 「弱者」ということでいうと、コロナ下で、ドイツや他の欧州の政治家は「芸術家や芸能人は決して不要不急ではない」「見捨てない」というような発言をして、現に手を打っていたが、この国では学校公演などを主にしていた「劇団わらび座」が倒産した。そして選挙で「セーフティーネットは無駄だ」「無駄を省くのだ」という政党が伸長した。毘盧遮那仏様何か間違っていませんか。

2021年11月6日土曜日

表裏のある奴

   表裏のある人間は嫌われるが蝶の場合は褒められる。
 ルリタテハ(瑠璃立羽)の翅の裏、つまり翅を閉じて食事や休憩をしているときは樹の皮や枯葉そっくりだ(上の写真)が、広げた翅の表の帯は瑠璃色に輝いている(下の写真)。
 願わくば上の写真の擬態の妙に感動してもらいたい。
 図鑑に「ルリタテハは腐果に来る」と書いてあったとおり、鳥にやられて落ちたままにしていた熟柿に来た。景観としてはマイナス点の庭だが地球環境には悪くもない選択だったことになる。

   近頃は大阪でもあるまいし、タテハチョウの中でも豹紋(ヒョウモン)蝶ばかりが目立ってうんざりしていたが、同じタテハでもルリタテハは個性的でウエルカムだ(私も勝手なものである)。

   庭のフジバカマを抜き去ってから数年以上経ち、毎年秋のアサギマダラの訪問が途絶えて寂しいが、ちょうど5日の朝のテレビ「こころ旅」でアサギマダラが群舞していたので、それはそれでいい。

 


2021年11月5日金曜日

触らぬ違和感

   4日にNHK BS Pでアナザーストーリーズの再放送を観た。『イトマン事件30年目の告白』という内容で、当然に後半の役者の一人は許永中その人だった。

 言葉は悪いが私には懐かしい名前であった。一度ならず彼の起こしたいくつかの企業と業務上対応した思い出は通常の職業生活の思い出をはるかに超えた忘れられない事案の一つだった。

 それはさておき、本題に入るが、NHKの解説は「在日韓国人二世の彼は表社会と裏社会のつなぎ役だった」的な解説に終始していて、私にはいつもどおりのマスコミのある種の忖度に似た歪みを感じた。

 それは何かというと、許永中の事件のあちこちに登場した裏とも表ともいえない闇、当時の部落解放運動には一切触れないのは、あきらかに異様であった。

 そういえば、関電の高浜町元助役の事件もそうであった。
 「現地の口うるさい顔役」程度に、天下の?関電が呼びつけられたり、不当な金品を返せなかったとメディアはいうのだが、そんな馬鹿なことはない。これほどの無茶苦茶も当時の関西の同和問題の歪みに触れずには真相は解明されない。

 時代は言い続ける人がいないと退化するというのをひしひしと感じる。
 「触らぬ態度」は逆に差別の解消を遅らせる。
 「糾弾」という錦の御旗で「窓口一本化」を通して利権に群がった当時の同和行政。警察も手を出さなかった、出せなかった?当時の同和行政。その歪んだ精神が今なお生きていることをこのテレビ番組は私に思い起こさせた。

2021年11月4日木曜日

蟷螂は堅忍不抜

   柿を収穫すると既に野鳥に食われているのがあり、大人(たいじん)はそれならとバードテーブル(餌場)にそれをおいてさらに供応する。

 その柿はひとしきり野鳥を楽しませると発酵の域に達し、そうなると昆虫もお裾分けに預かることになる。

 そして、自然界のサイクルどおり、小さな虫たちの集まるところにはそれを食する昆虫が来る。

   蟷螂(とうろう・カマキリ)がその一例で、この柿はオレ専属のトラップ(罠)だとばかりに居ついて餌の来るのを待っている。

 その信念たるや見上げたもので、ひたすら動じず葉っぱあたりに成りすまして餌の来るのを待っている。

 人間世界では選挙結果に一喜一憂している話が多いが、蟷螂の方針に対する確信を少しは見習ったらどうか。


2021年11月3日水曜日

木犀の二度咲き

   ブログには書かなかったがちょうど1か月程前の10月頭の頃、金木犀が満開で庭中どころか部屋の中まで香りが漂っていた。それからひと月が経過した現在、一旦散っていた花がまた咲き始めている。

 数日前ラジオで「金木犀の好い香りが・・」などと言っているのが不思議だったが、広い地域で二度目の開花が確認されているようだ。

 ネットで確認すると「二度咲き」は珍しくないようだが、私自身はこの歳まで「二度咲き」は知らなかった。書架の『庭木事典』にもそれはなかった。
 もしかしたら私が花期の終了と同時に樹勢を整えるために剪定していたからかもしれないが、なにしろ今年初めて知って驚いた。写真は手前が銀木犀で後ろが金木犀。

   「二度咲き」の確認のために庭木事典を読んだところ、「幹の肌の色と紋様が犀(サイ)の皮(皮膚)に似ているから」と名前の由来が書いてあった。
 そんな感想は頭の片隅にもなかったから、自分の観察力の弱さを自覚させられた。

   それならと、幹の肌を確認すると、「そういえばそうだ」ともいえるし、「そこまで言うか」とも思われた。
 こんな感じの幹の樹はゴマンとあるようにも思うし・・。
 霊薬「犀角」の印象がそれだけ広がっていたのだろうか???
 「犀の樹だ」と名付けた先人のイマジネーションの豊かさには開いた口が塞がらない。 

 さてさて「二度咲き」を知らずに「木犀は終わった」と信じ込んでしまうと、何処からとも漂ってくる芳香を「近所のトイレの芳香剤」と理解してしまう。皆さんのご近所ではどうでしょう。

2021年11月2日火曜日

本日はイクジイ

   写真はハロウィンの日に送信されてきたもので、まるで赤ちゃんに還ったみたいだ。

 先週は咳、鼻水、倦怠感が酷くてかかりつけ医で薬をもらってきた。ほゞ毎日のように病院をめぐっていた。

 今のところ通常の風邪とされているが、歳がいくとダメージが大きくなる。

 先にかかったこの児の鼻水を拭いたりしているうちに、夫婦で感染したのは明らかだ。今は「うつし返さないよう」必死に養生している。

 その風邪の前にはぎっくり腰でポスティングを外してもらったから、最悪のコンディションで選挙を迎えていた。

 昔読んだメンタルヘルスの本には「明日でもできることは無理して今日しようとするな」というのがあったが、この歳になると、明日はどんなことが起こるかわからないから、今日(今週)できることは今日(今週)中にしておこうと思う。

 社会運動も子育てとよく似ていて、楽しく長所を伸ばすことではないだろうか。そういう観点で反省したいがどうだろう。

 




2021年11月1日月曜日

五風十雨とはいかない

   古く中国では五日を一候といい、一年を二十四気(節気)といった。二十四節気を3等分すると七十二候となる。

 五風十雨は、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降ることで気候が順調なことをいうが、総選挙の開票結果を受けた本日(11月1日)はなかなかそんな気分になれない。

 かつて九ちゃんは「ステキなタイミング」と歌ったし、職場では先輩が「遅い仕事は牛でもするで!」とハッパをかけていたが、選挙の取り組みもよく似たところがある。

 どんな立派な内容の話でもタイミングがずれたら魅力は半減するし、期日前投票が始まってからでは手遅れのことも多い。

 そんなことを考えながら新聞を開くと10月1日に投稿した、もうてっきりボツとばかり思っていた原稿が掲載されていた。オイオイオイ、もう枯れはてて引っこ抜いてしまっているぞ。まあ、来年のお勧めで締めくくっているからこれもいいか。