2024年4月27日土曜日

リベンジ藤の花

   以前に書いたとおり、福島区役所の「4月中旬が見頃」との助言を信じて、4月16日に「野田ふじ巡り」の遠足に行ったが、結果は満開には少々早すぎた。
 となると誰もが消化不良のようで、その後「どこそこの藤はきれいでした」というような写真がLINEでいくつも送られてきた。
 そういう気分は私も同じで、そこで、キビタキの声を聞くのを兼ねて、例年どおり春日大社に行ってリベンジ(雪辱)を果たしてきた。

 春日大社は藤原氏の氏神で社紋は「下り藤」。
 境内の「砂ずりの藤」は鎌倉時代の『春日権現記』に記載があるから樹齢は800年程度と言われている。


 また、藤棚以外に、森のあちこちにも野生の藤が天をめざしているのも趣きがある。

2024年4月26日金曜日

京阪奈にミサイル基地

   念のためにネットで「戦争ゲーム」というように検索すると驚くほどの数のゲームが出てくる。
 エエカッコ言う訳ではないが私は興味がないので中身は知らないが、一種スポーツの勝ち負け感覚で遊べるのだろう。間違ってもゲームを通じて人権侵害を反省させられたり、詰まるところ他人を殺した罪悪感に悩むことはないだろうと想像する。

 だいぶ以前にテレビで見て考えさせられたのは、いま焦点のイスラエルのミサイルの司令部のようなところであった。
 私の経験でいえば、航空管制官の仕事場のようで、きっとパソコン喫茶などもそんなのではないかと思うが、そこでは、訓練だったかどうかは忘れたが、女性兵士たちが、ただただ大きなモニター画面を見つめていて、標的マークが標的を捉えた瞬間ボタンを押すとミサイルなどの弾頭が標的を爆殺するものだった。

 私は、この兵士たちには人を殺した罪悪感が生じないだろうなあと気が重くなった。そういう時代になった。ドローン攻撃しかり。しかし、その戦場では普通の住民も含めて人々が死んでいっている。

 そういう時代に「敵基地先制攻撃」だとか「台湾有事」などという物騒な話をして、基地や装備を拡充していっているのがこの国だ。

 俗に京阪奈と呼ばれる京都府の南部の精華町には祝園(ほうその)弾薬庫という基地がある。
 岸田内閣は先に述べたようなキャッチフレーズで超射程ミサイルを保管・運用する大型弾薬庫を拡充することを決定し、2024年度予算では全国の建設費222億円のうち102億円を祝園弾薬庫に投じて大型火薬庫8棟などの拡充を決定した。単なる倉庫だと考えるのは甘すぎる。緊急事態となればここから即発射するのは当然だ。

 そこで先に語った話だが、先制攻撃に対応するなら更にその先の先制攻撃だと他国が考えるだろうと想像するのが当然だ。そしてその他国の司令部もまた先のテレビで私が見たように、そこのモニターには弾薬庫兼ミサイル発射場が映っているだけで、周辺の住民の生活などが反映されることはない。

 基地の周辺には国立国会図書館を含むけいはんな学術研究都市の研究所群とニュータウンが広がっている。そこは大阪にも古都奈良にも隣接している。

 そういう下で岸田首相は「70年来の安全保障政策を根底からくつがえした」(駐日米大使)、「米軍の統合防空ミサイル防衛(IAMD)方針とシームレスに統合する」(米基本方針)といわれる約束をアメリカに誓ってきた。
 アメリカが戦争を始めたら自動的にそれに組み込まれるわけである。
 戦争は気がついた時にはすぐ先に立っているのだ。

2024年4月25日木曜日

日本語は異端児?

   奈良の中心街はインバウンドで賑わっているが、中国人と思われる観光客がラーメン店にたくさん並んでいることは珍しくない。
 過日はテレビの COOL JAPAN の「日本の焼肉」で、韓国の女性が「韓国の焼肉とは大変異なっている」と語ったのにも、鶴橋の焼肉を愛してきた身としては大いに驚いた。

 文化の基礎をなす文字は漢字で、それを百済から学んだ国が、換骨奪胎とまでは言わないけれど、(日本語の)語順は変えず、訓読を発展させ、漢字仮名交じり文を基本として日々暮らしている国の面目躍如といったところだろう。

 この複雑極まりない言語を操って暮らしてきた先人たちによって日本文化の骨格が形成されてきたと思うと、どこか誇らしく思えるが、テレビから流れてくるニュースは表層的だし、お笑いとスポーツが多数を占め、蘊蓄のある話よりも映える話、カワイイ女性が何かを食べて甘~いと言う。
 この国はどこへ向かっているのだろうかと心配になる。

 そんなことを考えながら、書架の奥から『訓読みのはなし』を引っ張り出してきて読み直した。
 実に読みごたえがあり、再発見があったが、日本語の評価は非常に難しい。
 先日妻が「いただきます。ごちそうさま。に該当するフレーズが諸外国にはないらしい」と教えてくれた。
 宗教感の違いもあるかもしれないが、やはり日本文化だ・・と感じている。

 ・・今日の原稿は書き始めた折りは、訓読みその他複雑極まりない母語を操る日本の深い文化や文芸・・と話を展開したいと思いながら書き進めたが、この国の現状に視点が移るにつれ、特に権力に媚びるようなジャーナリズムの筆力の弱さ、「台湾有事」に代表されるような嘘臭い風潮の蔓延、裏金問題があっても嵐のような批判が生まれない正義感の欠如等々を思うと、どこか気力が抜けていってしまったのだった。

2024年4月24日水曜日

カリカンサス

   近所のハウスメーカーの研究所には頻繁に造園業者がショーウィンドーでもある花壇の手入れにやってくるが、ちょうど1年前ぐらいに、見たことのない黒い花の低木を植えていた。

 あまりにその花の色が珍しくて新鮮なので、自転車を停めて「その木は何ですか?」と尋ねたが、それから大阪へ出て夜に帰って来たときには、例によってすっかり名前を忘れてしまっていた。嗚呼!
 それから、記憶の欠片をあっちこっち繋ぎ合わせて、本やネットを探して・・・何日も後に「確かカリカンサス」とたどり着いた。

 そしてこの冬、沈丁花が枯れたので、沈丁花が生えていた後をどうしようかと考えたとき、ご想像のとおりこの木を思いだし、ただ広告の文章を信じてネット通販で手に入れ植えつけた。
 それは落葉した裸木だから、半分賭けみたいな気分でただただ春を待ち、あまり土壌の良くない場所だったので心配もしていたが、4月の声を聞くと小さな芽が出て、さらには蕾らしい膨らみが出て、そうこうするうちに、妻が「花が咲いてるよ」と教えてくれたのが写真の花。これ、ちょっと妖艶ではないですか?

 キラカンサス→誤り 正しくはカリカンサス

2024年4月23日火曜日

コルク抜き

   写真の中の一番右の「ワインのコルク抜き」=「バンザイおじさん」を愛用していたが、変にねじってスクリュ ーを折ってしまったので、今般その左側の単純な「ウィングコルク抜」に買い換えたのだが・・・
 よく考えると、このスペイン製らしい「バンザイおじさん」をどこで買ったのかは忘れたし、この種のものはお洒落な店ではエエ値段であったりするから、とりあえずネットで調べてみた。

 すると、やはり値段はピンからキリで、普通にアマゾンか楽天で安いのを買おうかと思ったが、たまたまヒットしたヨドバシカメラの通販に、「バンザイおじさん」ではないが機能的には同じもので、さらに値段の安いものを見つけたのがこれ。
 経験的には、あまり安いものは中国製か何かで結局注文しても届かないというようなトラブルもあるから回避するが、ヨドバシカメラならそこは問題なかろうと判断した。

 今日の話の本題はこれからで、これをネットで注文したのが21日(日曜日)の午前。そして届いたのが22日(月曜日)の朝の9時過ぎ。しかも書留の「ゆうパック」で、値段は送料無料で434円ポッキリであった。
 
 一消費者としては「安くて速い」ことに文句はないが、実際に手に入れてから、「こんな値段でよいのだろうか」と首を捻っている。
 各段階で働いている労働者もいるわけで、そこの労働条件はどうなっているのだろうかとこれも考え込む。
 一消費者としては今後、会員登録もして愛用しても好いかと思いながら、通販のあまりの便利さに少しビビっている私。

2024年4月22日月曜日

ネモフィラは笑う

   わが街の駅前の小さな花壇にネモフィラが咲き誇っている。
 「ブルータスお前もか」というほどネモフィラが各地で流行っているから驚かないが、「ここまで来たか」という感じもする。

 ネモフィラブームの出発点は2002年の国営ひたち海浜公園らしいが、SNSで写真映えがするということで7年かけてじわじわと広がり、今では約4.2㏊、約530万本という規模になっているとか。
 ちょうどGWと重なることや首都圏(東京)からほどほどの距離ということもあったのだろうか。
 そういえば、その前はシバザクラのPRがよくあったが、空や海との一体感を醸し出すネモフィラのブルーが当たったのか、あるいは、その種のPRや口コミが当たったのかもしれない。

 ダーウィンの進化論に「種族保存の法則」とあったが、その伝でいえばネモフィラは笑い転げていることだろう。ただし、本人たちには「映え(ばえ)」などというカテゴリーの理解ができないだろうなあ。

 ブームなどというと不正確だが、我々の若い頃はベトナム戦争を指す反戦は「世論」であった。朝ドラの「オードリー」がいま再放送されているが、その中の会話にも登場していた。
 そういう意味で、ウクライナやガザを見て、今再び「戦争反対」「意見の相違は対話で解決」というような世論をネモフィラのように広げたいものだ。

2024年4月21日日曜日

テレビ・ラジオ頁

   クイズ!  俗に「ラテ欄」と呼ばれるテレビ等の番組表を新聞の最終ページに初めて持ってきた新聞はどこ?
 答は、 Wikipediaにも出てくるが、1966年に『しんぶん赤旗』(日刊紙)が読者の利便を図って最終ページに掲載。その後各紙が追随した。‥というのが正解。

 ところが、その元祖『赤旗』がラテ欄を中の方のページに移した。
 私などは長い習慣から最終ページでなくなって寂しいが、妻などはテレビのリモコンで今夜の番組どころか1週間先までの番組を確認し、必要な録画予約などをしているから、1966年に時代の先端を行ったように、きっと現代のニーズに対応したのだろう。

 その代わりというべきか、最終ページは【文化】だとか【テレビ・ラジオ】のページになって、各種文化作品等の良質な紹介や解説などのページになった。
 例えば18日のそのページの一角には『やきそばかおるの ラジオの歩き方 第71歩』が載っていて、『高橋ひかるHighway Runway』(JFN)や『多田しげおの気分爽快‼~朝からP・O・N』(名古屋のCBC)の粋な番組終了について語っている。

 この『ラジオの歩き方』は妻の一押しのコラムである。
 ジャーナリズムやメディアを考えるとき、赤旗の先見性は注目に値する。

2024年4月20日土曜日

G7もおかしくないか

   4月16日の記事の続きでもあるが、報じられているとおりG7外相会議がイランへの制裁を決定した。
 私はイランのイスラエルへのドローン攻撃等を一切許容するものではないが、G7の議論もおかしくないかと思っている。

 イランの主張を肯定するしないに拘わらず(肯定しないが)、13日のイランのドローン攻撃等が、4月1日にあったイスラエルによるシリアにあるイラン大使館空爆による要人7人の殺害に対する「報復」であったことは誰もが認めている。そしてそれは明らかな国際法にも違反する戦争行為である。
 ならば、「法の支配」というような言葉が好きなG7のメンバーは、先に、もしくは同時にイスラエルにも制裁を科すべきではないだろうか。・・・というような話は私が思いついた特殊な議論ではなく、多くの識者も主張されている。

 ところがどういう訳か、イスラエルによる大使館空爆やガザ地区の大量虐殺は不問に付され、イランにだけ制裁という議論はどうも納得がいかない。イランの報復という主張が正当だと言っているのではないが。(写真はガザの子ども達)

 邪推であればよいのだが、結局キリスト教に近いユダヤ教とキリスト教「連合」が反イスラム教ということで感情を統一しているのでなければ良いが。
 それとも、例のイギリス・フランスの二枚舌、三枚舌外交の罪滅ぼし? ナチスの歴史を背負うドイツの罪滅ぼし?
 であれば、日本の外相の信仰は知る由もないが、どうしてそんな風潮に同調するのだろうか。その理由が、所詮は「米国のポチ」ならあまりに悲しい。

 モーセの十戒(汝、殺す勿れ)が有名無実になった今、仏教徒は不殺生戒を対峙すべきだろうなどと妄想する。

2024年4月19日金曜日

藤の花

   病棟を背に咲き誇るや藤の花

 先日の 遠足で『野田ふじ』巡りをして詠んだ一句。

 これは少し重いテーマで俳句には似つかわしくないかもしれないが、参加者のお連れ合いさんがその大病院でお亡くなりになったので、その方はその場所が辛いとおっしゃった。

 大病院というものには得てしてそういう一種残酷なところがあり、例えば産科などでは「おめでとう」の言葉に送られて出ていく多くの人々がいる一方、絶望に打ちひしがれた人も同じフロアにいる。
 それは此の世の習いかも知れないが、当事者にとってはそんな言葉で心が収まるはずもない。
 そういう心象は、シチュエーションこそ違え私の中にも残っている。
 それでもなお、ここまで参加してくれたHさんには御礼を言いたい。

2024年4月18日木曜日

花が咲いた場所は

   この春の気候は複雑に経過し、温かい(桜の開花が早い予想)→寒い雨天(開花が足踏み)→暑い(いっぺんに開花)と変化して桜の開花予想も変転し、
スカを食らった方々も多かったようだが、わが退職者会もその一員で、16日の遠足で目指したノダフジは予想外に蕾が堅かった。

 事前に私が福島区役所を訪れて「4月下旬から5月連休あたりでしょうか」と尋ねた際は「4月中旬です」とのことだったので、ドンピシャ中旬に日程を組んだのだが、結果は少し早すぎた。

 それでも、場所や株によっては満開に近い藤棚もあり、そんなところでは蜜の匂い(ハチミツの匂い)がプンプンし、熊ン蜂が大宴会を催していた。ただ都会の方々には熊ン蜂は怖そうらしく、藤棚の下での集合撮影も大変だった。

 先週には「16日は雨」という天気予報であったが、結果は曇り空で終始し、日頃の行いの悪そうな面々にも拘らず万々歳。
 そして、場所を梅田に移しての交流会となり、フジの蕾の堅かった分を取り返すかのように話に花を咲かせた。

 解説資料を持参してガイドをしてくれたUさん、自身は欠席ながら「記念絵葉書」を作成して提供してくれたTさん、交流会会場を押さえてくれたKさんなどなど多くの力で楽しく過ごせた一日だった。
 次は5月23日(木)のパーティーの準備となる。

2024年4月17日水曜日

馬肥し

   14日(日)の朝のEテレのNHK俳句の兼題はクローバーだったが、入選句6句目はそれを「苜蓿(うまごやし)」 として詠んでいた。
 俳句や文芸の世界ではクローバーのことを苜蓿、馬肥しとも呼ぶことはあまりに有名なことなので何の驚きもないが、映された苜蓿の写真には驚いた。それは、わが家のこの花であった。
 写真の左上の方に葉っぱが見えるが、確かに葉っぱはクローバーそっくりだ。

 そして、驚くとともに納得した。
 実はこの花は、緑化週間かなんかで自治体から希望者に配られた種で、その時は「クローバーの種」として配られた。
 しかし実際に開花してみるとこのようなことで、私は「クローバーではない」「カタバミ(オキザリス)やないか」と少しばかり自分の想像との違いに怒っていた。

 だが、広辞苑でも大歳時記でも「苜蓿はクローバーの俗称」とあるし、その苜蓿の定義もざっくりしたものであることがわかったので、自治体の説明も許される気になった。
 シロツメグサのイメージにとらわれ過ぎていたようだ。
 実際、冬の寒い頃にはグリーンカバーとなり、この季節は黄色の絨毯となり、夏以降はその他の草花に土地を譲る「愛(う)い奴」だ。

2024年4月16日火曜日

熱狂は嫌だ

   14日、イラン国民が夜空に花火を打ち上げて熱狂している映像がテレビから流れてきた。
 ニュースの解説では、イランは相当余裕を持って事前に、このこと(報復攻撃)を通告していて、しかも現代でいえばそれは鈍行みたいなドローンなどによるものだった。
 そして参謀総長は「作戦は完了した。続ける意図はない」と発言した。

 ということで、イラン指導者の「報復のメンツが立った」ことでことが終わればよいが、ニュースの中で乱舞していた「イラン国民」はそれを理解できているのだろうか。私の興味というか注目点はそこにある。
 また、イスラエルの指導者も、こんなタテマエとホンネみたいな事態を胸に飲み込むことができるのだろうか。
 
 私はイランの花火を見ながら日本史にあった日露戦争後の提灯行列を連想した。日比谷焼きうち事件を連想した。(「国民」は政府の宣伝した大勝利をホンキで信じ、それがために停戦した政府の「弱腰」を糾弾した)
 天に唾して、国民を煽って戦争をしてきた指導者は、結局国民の「世論」に押されて勝算のない進路を選択するものだ。そういう場合、「強気」以外の真実を語ることは指導者自身の没落を意味することになる。
 怖ろしいのは、イランにしてもイスラエルにしても、指導者が支持率を得んがために国民を煽り、その括弧付きの「世論(熱狂)」に自縄自縛になることで、日本でいえば維新のポピュリズムはその最たるものだろう。

 そんな歴史を思い浮かべながら、21世紀の戦争がどうなるのか、よ~く見つめて各国指導者が賢明な選択をするよう声をあげていきたいものだ。
 報復の連鎖は地獄の釜の蓋を開けることになる。それだけは間違いない。
 現実味のある危険は熱狂とメンツだと思う。
 
 本来、そのことをイラン指導者に説得力を持って語ることができるのは、G7でいえば日本の指導者であったはずなのに、小泉純一郎、安倍晋三以後の日本は世界中からアメリカのポチとみなされるほどに零落している。
 「憲法9条が我々を守ってくれていた」と言ったアフガンの故中村哲医師の言葉を思い起こそう。
 世界のためにも、日本のためにも、自公政権を退場させ、亜流自公政権でない政権交替を実現させねば・・・。真剣に議論すべき時に至っている。

2024年4月15日月曜日

桜の戒壇堂

   今春の思い出写真を記憶のために一つあげておこう。 
 4月9日、東大寺戒壇堂。
 数十メートル先の大仏殿はインバウンドの人々でごった返しているのにここはこのような有様。
 この風景を独り占めしていてエヘン。

 そしてこの桜。お花見に見る一瞬の輝きの裏に「うつろひ」の寂しさがあるように私は思う。
 こんな一週間ほどの「瞬間」に大騒ぎする日本人というものを考えると、例えば大仏殿の大仏様を見ても、東南アジアなら常に金箔で荘厳するであろうところを、返ってそれにはありがたみを感じず、落剝した時の流れと「うつろひ」に感動する。つまりは一瞬に散るからこそに感動するのだろうか。
 それは諸行無常の教えだろう。

2024年4月14日日曜日

君の名は

   人の名前が出てこないなどということは日常茶飯事のことだから驚きもしないが、わが家のすぐ横の歩道縁の小さな花の名前が出てこない。
 それでいて、いつかどこかで、東大寺のお坊さんが「東大寺本坊の庭にこの花が咲いていて見事なものですよ」と語られていたということは思い出す。
 もしかしたら「斑(まだら)呆け」とはこんな感じなのだろうかと想像したりする。

 写真は拡大しているので、ほんとうは小さな花だ。
 近頃はスマホでパチッと撮ればすぐに名前が出てくるというアプリが幾つもあるようだが、容量を食いそうなのでインストールしていない。
 そこで、「春の雑草」「スミレに似た草」「紫色の雑草」などなどと検索項目を微妙に変えていろいろ試してみたが、キランソウ、トキワハゼ、カワセミソウ等々これもいろんな写真が出てくるが、どうも記憶の底とも合致しない。

 そんな話をしていると妻が書架から本を引っ張り出してきて、「ここに付箋までついてるよ」と。・・・答は(ムラサキ)サギゴケ。確かに私の字で「サギゴケ」という付箋までついている。もちろん、そんな付箋までつけた記憶はない。やはり健忘。
 その本は『四季の野草』山と渓谷社・全3巻で昭和55年発行。古い付き合いの本だ。
 それに、昭和55年当時定価1500円×3巻だから、なかなかの本を購入していたことになる。
 「ヨーッ太っ腹」と昔の自分を誉めてみた。

 もの忘れのことを書いてきたが忘れてはならないものがある。そのことについて2024年4月13日朝日夕刊の『素粒子』が素晴らしいので引用する。
 🔳素粒子🔳
 ミャクミャク様のお告げかもしれない。くしくも万博開催まで1年という節目に、ギャンブル依存症のおそろしさを知る。
    ◇
 「出禁」発言が「大阪ジョーク」なら、「いのち輝く未来社会」描く万博の隣地にカジノはブラックジョークじゃないの。
    ◇
 「もう1回チャンスをくれ」「これ以上借りないから」と沼にはまった元通訳。「夢よもう一度」は、ときに呪いにもなる。

 ・・・ジャーナリストの常識と良識を見たようで心に染みた。

2024年4月13日土曜日

いずれ菖蒲か

   いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)・・とは美しいもの秀でたものの例えであるが、アヤメ科アヤメ属といってもシャガがそれほど注目されないのは可哀そうである。

 シャガは三倍体植物で種子をつくらないから、森の奥にシャガの群生があるとすると、そこはかつて人家があった、つまり廃村の跡だという。
 にもかかわらず、わが庭の思いもよらない場所で咲いていたのが掲載の写真。

 あちこち土を入れ替えたりしているうちに移動したらしい。
 深くもない根っこだが丈夫な植物で、こんな風に逞しく生存圏を拡大している。
 これからシャガを見つけると、肺いっぱいに息を吸い込んで、その生命力を取り入れたいと思う。

2024年4月12日金曜日

工夫は楽し

   9日に書いた『今日も工作』の続きなり・・・ 
 ゴミステーションの基本のネット(網)を補強していたネットがボロボロになったので、補強していたネットを取り外したのが9日の記事。
 すると、カラスが基本のネットの網目からゴミをつついて引っ張り出すようになった。なんということだ。
 しょうがない。妻と一緒にホームセンターに行き、ネットの下にビニールシートを取り付けることにした。

 以前はいわゆる「タコ糸」で取り付けていたが、それはナイロン製の「結束バンド」にした。これによって相当の省力化になった。
 もう一つ、結束バンドのための穴からビニールシートが破れていかないようハトメで穴を補強しようとしたのだが、この少し大きめのハトメが上手くいかなかった。

 ここで思いついたのが「ハンダコテ」。敵はビニールだから熱には弱いだろうということ。
 実際に実行してみたら、穴は瞬時に開けられるは、穴の周りは熱できれいにコーチングされるはで、見事に大成功。
 それでも、基本ネットの寸法に合わせるのに一苦労、二苦労。
 夫婦でふうふう言いながらも完成させた。
 今回の工作の工夫の自慢はハンダコテ。

 それでも「雨水がたまる」とか「結束バンドの端が痛い」だとか文句が出るかもしれない。
 え~い、そんなマイナス点ばかり考えていると何も前に進まない。
 もう町内の口うるさい爺さんと思われてもいい。

2024年4月11日木曜日

鉄は美味しい?

   ラジオやテレビから流れてくるコマーシャルはというと、紅麹事件などどこ吹く風と言わんばかりのサプリメントの宣伝、宣伝。
 鰯の頭もナントカというプラシーボ効果もあるから全否定する気もないが、その伝でいけば「鉄鍋料理で鉄分補給」というお伽噺に近い話の方がよい。

 ただこのお伽噺、奈良公園を歩くと説得力を感じる。
 ネットやテレビの情報レベルの話だが、鹿が列車にはねられる事故が確かに多く、鉄道会社等が対策をいろいろ検討した結果、鹿の肉は鉄分含有量が多くそれが持久力を高めているのだが、その鉄分補給のためレールを舐めに来るのだろうというのが定説になっている。

 無機の鉄を舐めてどれほどの補給ができるのかは大いに疑問だが、事実として、奈良公園の鹿は鉄の鎖をよく舐める。

 鉄鍋の鉄分補給を語るなら、〇〇コートなどと宣伝されている、焦げ付かないフライパンや鍋の影響を心配しなければならないだろうが、そんなことを思いながらも、あまりに便利なものだから、焦げ付かないアルミ箔を使用しているこの矛盾。

2024年4月10日水曜日

原発は核兵器と同じ

   IAEA(国際原子力機関)が7日に発表したニュースによると、ウクライナ南部でロシア軍が占拠しているヨーロッパ最大規模のザポロジエ原発にドローン攻撃があり、何らかの被害があったという。 
 ロシア軍が占拠しているのだからロシア軍が攻撃したとは考えにくく、私の推測では、正規のウクライナ軍ではない反ロシアのゲリラ攻撃ではないかと想像するが、今のところは解らない。

 だとすると、いうならばチャチなドローンによって核兵器と同じ効果が生まれるということになり、「オッペンハイマー(原爆)が第二次世界大戦を終わらせた」的な発想が現に存在する下では、チャチなドローンによって地球が滅びかねない危険性を教えている。

 日本では、北朝鮮のミサイルの脅威がよく語られるが、日本海沿岸に原発を並べておけば、ドローンやそれに似た小型の兵器で一挙に核兵器と同じ効果が生まれると、なぜ議論にならないのかが不思議である。

 関西人にイメージを持ってもらうためのロジックでいえば、冬の北風の時期に敦賀原発銀座で原発事故が発生した場合、福井市の福井県知事が見ているテレビの画面に映っているのは京阪神の壊滅のニュースになるということだ。

 ザポロジエは、そういうケースが夢物語でも被害妄想でもなく、大いに現実味のある課題だということだろう。

2024年4月9日火曜日

今日も工作

   小学生の頃などあちこちの工事作業を眺めるのが好きだった。そこは
「なるほど」と思うことが実現していく魔法の世界でもあった 
 そんなこともあり、手先は不器用なのだが、今でも「工作」は嫌いではない。

 わが街はゴミ収集がステーション方式だが、カラスは各ステーションごとの「民度」を熟知しているように思われる。で、わがステーションはというと、恥ずかしながらカラスはけっこう狙い目だと考えているようで、ゴミ出しの日はすぐ近くで観察していて、横着な住民がネットのカバーをしっかりしないとゴミ袋を破いて朝食会を始めている。
   そんなこともあり、そんな小さなことで責任追及するのも面白くなく、しばしばブツブツ言いながらも写真のとおり夫婦で対策(工作)をとっている。

 先日はネットの隙間を埋めるための「オモシ」を作ったが、これはけっこう使用してくれている。ただ98%の人が対応してくれても2%の人が隙間を開けたまま帰ってしまうと、カラスは笑って朝食会をする。

 職場でいえば労働組合に入らない、学校ではPTAに入らない、街では自治会に入らない・・人が増えている。それぞれの組織に問題があり、入らない言い分もあるだろうが、約めて言えば「自分だけ」しか考えない常識力の低下でないだろうかと私は思う。

2024年4月8日月曜日

お花見

   7日(日)はグングンと気温が上がり夏日となった。
 
 落葉樹は半日で芽を伸ばしたのが目視でわかり、花畑にはクマバチがブンブン飛び交った。(写真のはキムネクマバチだと思うが、胸があまり黄色くなく違うかも?)
 経験的にはこのクマバチは4月下旬からGWあたりに藤棚で群舞する。

 クマバチはブーンという大きな音を立ててホバリングをし、正面からその顔を見ると如何にも戦闘態勢で威嚇しているように感じるが、人間めがけて刺しに来るようなことはないから「春の風物詩」として味わうに限る。

   桜の満開が週末とぴったり一致したから、有名な名所は花見客でいっぱいだっただろう。
 わが家に近い公園でもお花見の催しがあった。
 
 わが庭も水仙は終わったが、次々に小さな花たちが・・オキザリス、ハナニラ、シバザクラ、ムスカリ、チューリップ等々と咲いており、それらを愛でながら缶ビールをプシュッと開けた。

2024年4月7日日曜日

しつらい

   気温が暦を飛び越えていくかのような此の頃なので「ちょっと待ってくれぇ」と端午(五月五日)を迎えるしつらい(室礼)を四月五日に整えた。 
 とはいっても、五段飾りの五月人形は公共施設に寄贈したし、飾ったのは写真の下の方のミニチュア兜。
 清少納言も、小さきものは皆美しいと言っているわけで、この方が日本文化の王道だと屁理屈を言っている私。

 ただ鯉のぼりだけはあまり小さくないものを庭に立てている。
 時々やって来る孫のためのものだが、孫の来る来ないに関わらず立てている。

 ルーツを遡れば幟であり旗指物だろうが、鯉のぼりはアウフヘーベンを感じさせる。そこには権威や戦の匂いは既になく、平和憲法下の日本を象徴していないだろうかなどと思っている。
 反対に、それを頑なに言うならば、革新民主陣営の政党、労働組合、平和団体、学術団体などなどの旗も「ルーツは軍旗だ」みたいなつまらぬ議論になるし、平和を指向するなら時代劇を観るのはおかしいみたいな話になる。
 ともあれ、そういう話と兜飾りの矛盾は大目に見てほしい。

2024年4月6日土曜日

機能性表示食品

   小林製薬のことで、≪不謹慎だが≫私は笑った。怒ったのでなく笑った。
 新聞の週刊新潮の広告の「垂れ幕」の一つが『医療用医薬品から逃避しネーミング勝負』とあったからである。 

 確かに、耳鳴りにナリピタン、こむら返りにコムレケア、それ以外にも、のどぬ~る、熱さまシート、血圧ヘルプ、歩くたすけ、などなどなどなど、CMで駄洒落みたいな商品名が出てきたら「小林製薬かも」と思ってしまっていた。
 社風というか経営者の姿勢のことは週刊誌が報じているからここでは飛ばすが、週刊新潮のいう「質よりネーミング」という印象は大いに持っていた。

 サプリメントは朝昼晩×何粒という摂取量だから、普通の食料品とは桁が違う。それだけに品質の安全確保は重要だったが、国が審査していたトクホから切り離して、企業まかせの「機能性表示食品」なるものを決めて野放しにしたのは安倍内閣だった。
 今現在、安倍派の裏金問題が大問題になっているが、アベ政治というものは金に汚いだけでなく「国民の命よりも(自民党や安倍派の)スポンサー」というものだった。
 そのキャッチコピーが「規制改革」「規制緩和」であった。安倍晋三の数々の虚言の中にしっかり位置付けてこれ以上騙されないようにしなければ・・・。

 なお10年前に、トクホの規制緩和=企業任せの機能性表示食品創設の危険性を指摘してアベ政治に対決していたのは日本共産党と穀田恵二議員だった。

 毎朝薬を5種類服用している私が言うのはなんだが、サプリメントで劇的に改善する人をテレビの外で見たことがない。ほんとうに不調なら、とりあえずは病院に行くことではないか。

 テレビもラジオも新聞も小林製薬の大問題を報じているが、CMや広告は大量の他のサプリの宣伝に覆われている。
 そういえば、規制緩和のときもマスコミはそうだった。
 そういう意味で、赤旗の論陣は妖しい大宣伝に騙されないためにも貴重だと思う。
 まだ購読されておられない皆様には是非とも赤旗の購読をお勧めする。

 重ねて言うが、機能性表示食品の事件が小林製薬だけで済むことを祈るのみ。
 自動車産業の不正検査事件を見ていても、この問題の危険性は業界全体にありはしないか。
 未来に向かって一番の安全対策は自公政権を退陣させることではありませんか。

2024年4月5日金曜日

図工の時間

   先日は雨の半日、ほゞ図工の時間だった。
 
 半日を要した主たる要因はパソコンの不調だから、図工は正味1時間ぐらいだったが楽しい1時間だった。

 作品は退職者会のパーティー用の歌集の見本で、何も難しいものではないが、途中で現職時代の「証拠書の袋とじ」を思い出して、ホッチキスの痕を隠してみた。
 ちなみに袋とじとは、表紙の上にもう1枚(帯)(背表紙)を乗せてホッチキスなどで止め、帯をホッチキスの針の背を隠すように背から裏へ折り曲げて裏で糊付けするもので、契約書や証拠書など重要な書類の改竄防止の意味もある。

 さらに「袋とじ」は、2頁分を外になるように片面印刷して二つ折り(山折り)して綴じる方法のこともいうので、今回の私の作品は、「袋綴じ」した複数枚を製本して「袋とじ」したわけで、友人とメールで送って正常に印刷できたかどうかの確認をした際、何か話が通じなかったのはこのことの誤解だったかもしれない。

 写真は使用した文房具類だが、玄能(金槌)と鉄板はホッチキスの針の膨らみを潰すもの。
 誰もこんな道具でこだわった作業を経ているとは思わないだろうなあ。

2024年4月4日木曜日

仏の座

   自然は不思議だ。去年はハコベが大繁殖した庭が、今年は一面ホトケノザにとって代わられている。
 「雑草という名の草はない」から今はそのまま「お花畑」を楽しんでいる。
 名前の由来は花のすぐ下の葉っぱが仏像の台座(蓮華座)みたいだからという。

 花を咲かした先にスーッと茎をのばして次の花を咲かせて、・・さらにその先に・・と、花が三階建てみたいなのでサンガイソウ(三階草)という異名もあるらしいが私は知らない。

   次の写真の後ろの方のはホトケノザだが、真ん中あたりの少し葉っぱが密集しているのはヒメオドリコソウ。関心がないと同じに見えてしまう。

 「同じ」といえば、春の七草の「ホトケノザ」はこの「ホトケノザ」ではなく「コオニタラビコ」のことだから、よく頭の中でこの三つがごちゃ混ぜになって「どれが何やったかいな」と迷ってしまう。

   最後の写真はヒメオドリコソウの茎を切ったところ、ホトケノザも同じシソ科なので、どちらも茎が丸ではなく四角。
   だからどうしたというほどの蘊蓄でもないが、パイプを考えてみると解ることだが、一般的には四角よりも円形の方が丈夫であるのにどうして四角なのだろう。
 牧野センセ~イ!

2024年4月3日水曜日

多国籍企業のこと

   振り込め詐欺を笑えない。先日来のパソコンの不調のこと。実際に起こったことといえば今まで使用していたMicrosoftのOfficeが意に反してOffice365に変更され、Word,
 Excel, Outlook が以前のようには使えなくなった。
 このことについては後日書くつもりだが、要するに気がつかないうちに、Office365を選択するような誘導に乗ったことになる。少しのお金を払えばヴァージョンアップされて「解決?」するのだが、それが気に食わないのでどうにかならないかとモガイタという次第。相手はMicrosoft 多国籍企業である。

 4月2日、赤旗が『資本主義の現在と未来』というシリーズを出発させ、まず多国籍企業の人権侵害を分析していたが、摘んで言うと、ナイジェリアではイギリスの石油会社が石油を流出させ農業、漁業に依存する住民は危機に陥った。
 インドではアメリカの化学企業が有毒ガスを漏出させ数千人が即死、数十万人が被害を受けた。
 インドネシアなどではアメリカのスポーツ用品メーカーが児童労働、極端な低賃金、酷い人権侵害を行った。
 ‥というような事例は数多くあり、日本企業もいわゆる途上国で、低賃金、長時間、人権侵害の労働環境で働かせ、かつ労働組合をつくらせない方針を押しつけてきた。

 昭和の敗戦までは、日本軍による海外での、焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす、という三光作戦など「知らない」ので自己批判もせずに来た日本人も多かったが、今は、例えば赤旗を読むなどして「知る」ことができるのだから、世界中で起こっている人権侵害などについて、大いに目を凝らして、批判の声をあげなければならないように思う。

2024年4月2日火曜日

海外の通販

   3月23日に書いたように3月22日にアマゾンで楽器を注文した。 
 外国製(中国?)とは解っていたが、11日後の今になって「関税で止められた」「配達できない」というメールが入った。(私のメールが先日のトラブルで停止中なら大変なことになっていた)

 これによく似たことは以前にもあって経験していたから驚かないが、納品予定日の長い商品(船便?)は気をつけなければならないと改めて肝に銘じた。

 代わりに、少し値段が上がるが4月5日納品予定(つまり国内の会社)の注文をアマゾンに行った。
 ここまでは、早い目、早い目に手を打ってきていたので本番までには十分に間に合う。あとはカードの支払い(返金)手続きが残るがどうにかなるだろう。ふ~。

庭の片隅

   ジューンベリーの根元の花壇が写真のように満開になった。元々はヒナ草の花壇だったが、この花を少し移植したらこのようになってしまった。
 悪い連想だと、どこかの国のようだ。

 ヒナ草はというと、面白いことに、元この花があった場所に群生している。入れ返ったわけで、自然というやつは不思議で逞しい。

 ところでこの花の名前を忘れてしまった。妻も忘れたという。
 それでも、そんなの関係ねえ!と毎年咲いてくれる。


2024年4月1日月曜日

アドレスが飛んだ

   3月27日に書いたとおり、Outlookにあったメールのアドレス帳が全て消滅したので空メールをお願いしたが、まだメールをいただいていない方もいる。

 どうか、最低限氏名だけでもの空メールを hasegawa@kinet-tv.ne.jp に送信してほしい。

 なお、LINE は通常どおり送受信できている。

ちらほら咲き

   各府県の開花宣言があったが私の散歩道はまだ「ちらほら咲き」。
満開は写真のユキヤナギ。
 先日来のパソコンの不調が解決せず、私の頭の中も「ちらほら咲き」。このブログは Word とは関係ないので今までどおりかけるのだが、気分が滅入っていてなかなかパソコンに手が伸びない。

 さて先週、万博会場の建設工事現場でガス爆発事故があった。テレビのニュースでは「溶接作業の火花が引火した」というので、きっとホコリか廃材に燃え移った火事だろうと思っていた。
 しかし実は、夢洲は廃棄物の処分場であったから、あっちこっちからメタンガスなどの可燃性ガスが噴出しており、市民団体が確認しただけでも79本の「ガス抜き管」が設置されている。そのガスに引火して爆発事故となったという。
 私の不注意かもしれないが、そんな説明はテレビニュースにはなかったように思う。

 建設工事中は労働安全衛生法上も無視できないし、万博が始まったなら各パビリオンの労働者をはじめ来場者だって危険極まりない。
 まるで、「一旦始めた戦争は中止できない」と、挙句は特攻作戦にまで突っ込んでいった昭和の軍部を思わせる。

 半藤一利さんや保坂正康さんの著作を牽くまでもなく、先の戦争を指導した軍部たちは当然にアメリカと全面対決して勝てるとは思っていなかった。さらには戦争途中からはなおさらだった。
 しかし、今さら自分から終戦とは言えない、どこか局地で勝った後講和に持ち込みたいという無責任政治の継続があの結果だった。
 ほんとうに今日の維新の政治家の言動を、古い歴史の再現劇を見るように感じているのは私だけだろうか。
  
 子曰く、過ちては改むるに憚ること勿れ。

2024年3月31日日曜日

中学進学記念講演

   29日、孫の夏ちゃんの中学進学祝のランチをした。
 書庫の奥から見つけ出した「窓ぎわのトットちゃん」をプレゼントしたら予想以上に喜んでくれた。

 気候も良くなったので『石のカラト古墳』に行って、私が、夏ちゃんに中学進学祝い記念講演?を行った。

 この古墳は石槨の形や築造時に埋まった土器の形状から、高松塚古墳、キトラ古墳とほぼ同時期で同等クラスのハイレベルな終末期古墳である。
 そのため、被葬者は8世紀の初めに亡くなった高位の人物である、などなど。

 遠からず被葬者の特定とその理由に関する論文が著名な先生から出るだろうから、その節は、今日この実際に見た古墳と祖父ちゃんの解説を思い出してほしいと「講演」した。はてさて・・・

 夏ちゃんが生まれたのは藤原京の跡であり、その名前も藤原京に因んだ和歌に拠っている。そして今は平城京のすぐ北に住んでいる。
 そんなこともあり、祖父ちゃんの講演?もけっこう真面目に聴いていた。記憶に残ってくれればいいが。

2024年3月30日土曜日

一言観音

   24日に、日本霊異記を牽いて「神(一言主神)が仏(僧)(役小角)に呪縛された」話を書いたが、これはどちらかというと例外で、そもそもこの国では神仏習合こそがスタンダード(普通)であったと考える。

 神仏習合では奈良の「興福寺と春日大社」も有名で、興福寺は明治の廃仏毀釈の大嵐で大きなダメージを受けたものの、現代でも興福寺の僧が春日大社に詣でてお経を読む行事がある。
 その興福寺の有名な南円堂のすぐ隣に、「一言観世音菩薩」のお堂があるのを知ってはいたが、この際、ちょっと待てよ!と考えた。

 「たった一つでよいというほどの大事な願いなら叶えよう」という趣旨だろうから、これは一言主神のパクリとは言わないが、仏教がそれを包摂したものではないだろうか。
 仏教ではあるが、大いに民間信仰の思想、神さんの思想をもって観音菩薩に肩書みたいに名付けられたのではないだろうか。
 あるいは、もしかしたら神仏習合が当たり前の頃、元々は「一言主の神」を祀っていたのかもしれないとは私の勝手な想像である。

 それはさておき、現代、イスラエルの現職の大臣何某は、ユダヤ教の旧約聖書を根拠にパレスチナ人を追放すべきだと主張し虐殺が行なわれている。
 先日はモスクワでIS(イスラム国)がキリスト教徒の多い場所で大規模なテロを実行した。
 バルカン半島では今でもキリスト教セルビア正教会信徒とカトリック信徒とイスラム教信徒による領土紛争を抱えている。
 インドではヒンディー至上主義の、アイルランドではカトリックとプロテスタントの・・、
 ・・・・などということなどを見渡すと、クリスマスを祝って、お寺で除夜の鐘をついて、神社に初詣に行く多くの日本人の宗教観はしばしばマイナスイメージで語られたりするが、いやいや、この「神仏習合?」の知恵は決して侮れないなどと私は思い直している。

 そういう観点では、現代、神仏習合ではないが、仏教、キリスト教、神道、天理教、他の新宗教の信徒らによる日本宗教者平和協議会(宗平協)が平和の問題で連帯し、日本共産党とも協力・共同の関係にあるのは素晴らしいことだと思う。

 友人がご住職である法華系のお寺は昔から「目(め)の神さん」と呼ばれていたらしいが、これについても何も違和感を覚える必要もないだろう。

2024年3月29日金曜日

2024春、奈良

   久しぶり(というほど昔のことではないが)に近鉄奈良駅周辺を歩いたが、街の風景は
インバウンドに上塗りされていた。 新しいラーメン店の前に行列ができており、そのほかにもパンフレットやSNSなどで取り上げられているような店に人だかりができていた。もちろん外国人観光客。 反対のことでは、南北で5~6件はあった古書店が殆ど姿を消していて、私としてはがっかり。 少し驚いたことには、近頃有名になっている餅つきの中谷堂のすぐ近所に、餅つきを見せたり、体験させたり、そして食べさせる店が開店していた。中谷堂も賑わっていたからまあいいか。それにしてもやるものだ。

 人ごみの状況からいえば、ほゞ100%外国旅行と変わらない。
 それでも、すぐ横の奈良公園では野鳥のイカルが囀っていた。嗚呼ここは日本だ、奈良だ。
 スマホで撮ったのでイカルの姿は見えない。声だけ。




 

 



2024年3月28日木曜日

アカタテハ

   4月28日。わが家にアカタテハ♂が飛んできた。
 
 昨日いっぺんに暖かくなったのでサスガ! と思ったら、本には「成虫で冬を越す」とあった。それでも、今シーズン(今年)初見。

 考えてみれば春分も過ぎ昆虫たちが大喜びしていても不思議でないが、先日までは天気が悪い上に寒かったので庭も寂しかった。

 その庭にウスイエンドウの花が咲き始め、文字どおり春だが、私はパソコンの不調が続いていて季節に取り残されている。ため息。

大和川の勉強

   27日、久々のお天気なので、鬱陶しいパソコンの修復は一切放っぽり出して、奈良へ、「大和川付替え」の歴史についての学習講座に出かけ、ついでに奈良公園を散策してきた。
 古代からの大和、河内、摂津、和泉の河川の問題から説き起こされ、大和川付替え要求活動の必然性とともに新大和川に該当する村々の反対要求も知った。
 その上で、付け替え要求が停滞・下火になったところから実現していったのだから、歴史はおもしろい。

 私は、あえて「堺では、大和川の付替えによって土砂が港を浅くしたので堺が疲弊していったという説があるが」と質問したところ、講師の万歳氏は「堺市立博物館でもそのような説明がなされていたことがあるが、今ではその説は正確でないとされている。事実、堺は土砂は埋め立てに使われ、新田も増え、さらにその先へ先へと港が整備されていった」という趣旨の回答だった。

 また、主に河内の旧河川跡の新田は稲作にあまり向かなくて、結果として「河内木綿」につながったというのは聴き初めだった。

 京、大阪に対する滋賀県民のジョークに「琵琶湖の水、止めてまうぞ」というのがあるが、大和川の龍田山の下の「亀の瀬」をちょっと止めたら奈良盆地は全て水没する(吉野から南は別)というのは滋賀と同じ恐ろしいジョークである。

 写真は27日の奈良公園、氷室神社の枝垂れ桜。

2024年3月27日水曜日

気力が萎える

   パソコンをシャットダウンしたら、問答無用・否応なく「更新」され、Word  や Excel が壊れてしまった。
 もっとひどいのは Outlook(メール)でこれは全く使えなくなった。その後プロバイダと半日やりとりしてメール機能は一部復旧したが、残しておいた記録や何よりもアドレス(住所録)が消滅したので、読者の皆さんには「お見舞い?のメール」を 旧Outlook 新Thunderbird(サンダーバード)にいただけるとありがたい。当方のメールアドレスは変更なし。
 マイクロソフトがえげつないのか、古いパソコンを使い続けている私が悪いのか。

 歳も取り、これからの各種修復に時間もかかるだろう。気力が萎えている。

2024年3月26日火曜日

人を幸せにする漢字

   七十七才がなぜ喜寿かというと、喜という漢字の草書体「㐂」が七と十と七であるから(左下が十)だが、この異字体を知らないと由来が理解できない。

 25日付け赤旗に早大笹原教授の「漢字学」の、それこそ「学問はおもしろい」話があったが、見出しのとおり「伝統は刷新しながら続いてきた」というのがおもしろい。

 小学校で「ガリ切り」をして謄写版で学級新聞を作ってきたわれわれ世代には、こういう異字体、略字、俗字というのは珍しくもなく、就職してからも、そして労働組合活動に参加してからも、冒頭の七十七才の「才」をはじめ、仂、耺、卆、巾、そのほかに、画数を減らして一部カタカナなども採用した、現在のJIS規格の文字では出てこない文字が普通に使用されていた。
 後世の人がこれらを読むときの感覚はある種の「古文」となるだろうか。

 近ごろ私などは文章を筆記するよりも打つ方が圧倒的になっているから、ある意味画数の多さは苦にならなくなり、結果として正字に戻りつつあるのも我ながら感慨深い。

 原理に近い台湾、独自の簡体字に進んだ大陸、そして独自の新字体の日本、キラキラネームも含めて漢字は将来どちらに向かって変身していくのだろう。
 笹原教授の「笹」は国字、長谷やんの「長谷」は枕詞に由来する。
 昔から先人たちはけっこう漢字で遊んでいたのでは。

2024年3月25日月曜日

依存症というやつ

   酒強き友はみな死に春の星
  
    長崎県小値賀町 中上庄一郎 
 24日の朝日歌壇、長谷川櫂選の俳句で、「おごれる者は久しからず。万事、春の夜の夢」が選者の評。
 私は酒が強い方ではないが晩酌は欠かさないクチだから、「友」とは私のことかもと少ししんみりと読んだ。
 そして、この「わかっちゃいるけど止められない」のが依存症というやつで、報じられているところでは、大谷翔平の元通訳水原一平がギャンブルで空けた借金が6億8000万円といわれている。

 水原一平の収入のことはよく知らないが、生活苦でつい手を出したとは考え難いから、ギャンブルの刺激と、「次勝てば取り返せる」という魔法の言葉に取りつかれたのではないかと想像する。・・それがギャンブル依存症で、そういう環境に近づくと誰でも「感染」してしまう病である。
 ギャンブル依存症は、浪費、怠惰で身を亡ぼすだけでなく家庭を崩壊させる。さらには借金の穴埋めに犯罪に手を貸すのは周知の事実である。

 近頃話題の、ホストクラブに入れあげた少女が売春を強要されるケースも、前段は一種の依存症である。
 私は現職の頃、精神疾患の労災認定にたくさん対応したが、人間とは人間の精神とは実に脆いものだという感想を持っている。

 古代史を紐解けば、685年(天武天皇14年)、天皇と貴族たちが宮中の正殿で双六ばくちに興じていたという記録があり、天武亡き後即位した天武の妻であった持統天皇が689年に即位後最初に発布したのが「双六ばくち禁止令」であったから、ギャンブルの恐ろしさ、その社会に与える悪影響は1300年以上前から明らかなことだった。
 で、大阪カジノ(IR)などという政策は亡国の政策と言わなければならないだろうと春の夜に思った次第。

2024年3月24日日曜日

役小角

   役小角(役行者)に関する講演を聴きに行ったが実に詰まらなかった。
 
 私としては、後の修験道に発展する思想の根源、例えば道教の影響や、大宝律令下の僧尼令に服さなかった私度僧や、今も残っている大峰山周辺の多くの習俗など、いろんな興味を持って講演の席に臨んだが、講演は続日本紀や日本霊異記に書かれている文言の平板な紹介に終始した。実に詰まらなかった。

 ただ、唯一笑ったことといえば、日本霊異記の「孔雀王の咒法を修持して異しき験力を得、以て現に仙と作りて天を飛びし縁 第28」にある、「役小角が葛城の一言主神や鬼神たちに、大峰山と葛城の山との間に岩橋を架けよと無茶な命令をしたため、一言主神たちは反発して文武天皇に「役小角は天皇を傾けんことを謀る」と讒訴(でっち上げ)した」とあった講演に対して、参加者から「春日大社の末社の一言主社は受験を前に必死の祈願者で溢れているが、一言主神は役小角を讒言した信用ならぬ神ですか」という質問だった。

 これは、歴史や思想史ではなく「神学論争」だから、講師もムニャムニャで終わったが、この話が唯一愉快だった。
 私は、現実の社会に害を及ぼさない神学論争は笑って過ごすことにしている。
 各教祖たちの為した奇跡の矛盾を解明しても何も解決することはない。ただしカルト教は除く。

 ほんとうはこの日は、別に非常にまじめなWEB講演もあったので、そちらを選択しておけばよかった。反省だけが残った。・・こんな日もある。

2024年3月23日土曜日

楽器の調達

   毎年恒例の退職者会のパーティーの日程が5月23日(木)に決定した。
 ゲストは「現職の退職者」で、世間では高齢者だがわが会からすると「若者」となる。
 ホスト役の世話人の方は、芸はないが「請われれば一差し舞う」覚悟はできている。・・筈だ。

 今年はホスト全員で『管楽器の合奏』をすることにしたので、担当として帰宅してからホスト全員分の楽器を購入する手配をした。
 その演奏の結果は、5月24日以降に報告する。
 K氏いわく「照れたら失敗する」と。・・名言。

 会員の皆さん、4月16日(火)の遠足(のだ藤)、そして5月23日(木)のパーティー、乞う
ご期待!

2024年3月22日金曜日

ガザに平和を

    購入して読み始めたが途中で投げ出した本はいくつもある。
 予想していた自分の興味と大きくズレていた本、レベルが合わずにバカバカしくなった本、難解で読み進める体力が続かなくなった本、性質はいろいろだが、この本も、いくら読んでも頭に残らないもので、ガザのことがあってまた引っ張り出したが一向にページが進まない。内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』。
 第1刷が2006年(H18)、第16冊が2010年(H22)。定価が750年だから相当長い間積んでおいたり読み返したりしたはずだが 、乱読、積んどくの見本のようなものだ。

 それでもまた引っ張り出したのは、既報のとおり、NHKのインタビューにイスラエルの現職の閣僚が、「パレスチナ人は全員追い出すべきだ」「何となればここは我々の土地だから」「それは2000年、3000年前から明らかなことだ」と語っていたからで、きっとそれは旧約聖書の記述のことだと思うが、そういう主張が現職閣僚を支えているとしたら、話し合いと寛容で秩序を成り立たせる展望が霞むように私には感じられた。

 私の理解の範囲では、反ユダヤ主義が中東の不安定を生んでいるとは思えず、共存こそが知恵だと考えるが、その知恵は他の書物を探すしかないのだろうか。

2024年3月21日木曜日

カリカンサスを植える

   ネット通販の便利さに溺れるのは危険! ということは解ってはいるが、つい検索してしまい、今回も庭木を1本購入してしまった。
 実際の植木屋の店に展示されている庭木は種類も数も限られているから、ネットで探すのは非常に効率が良い。
 一方で、庭木を簡単な説明文だけで購入するのは危なくないかという心配もあるが、普通には植替えは冬季(落葉期)がよいから、それで冬季に購入して見たら、実際の花の色や紅葉の具合が予想と違うということも少なからずあるから、リスクといえばまあまあ同じだと思う。

 今回購入したのはカリカンサスのハートレッジワインで、樹高約1m。ほんとうは、上手く根付いて花が咲くまでにいろいろ想像しているときが一番楽しい。
 それに私も歳をとってきたから、この木が大きく成長した姿は実際には見ることができないかもしれないが、昔、アファンの森をコツコツと造っていた故CWニコル氏の話を聞いたとき、「森の完成した姿を貴方は見ることができないのではないか」というシビアな質問に、「私には成長した森を想像することができる」と語られたことに感動したことを思い出す。

 近頃は「終活」という言葉が肯定的に語られたりするが、私はあまり惹かれない。
 私がいてもいなくても、そんな5年後10年後の樹木を想像しながら植えたり伐ったりしているのは楽しいものだ。

2024年3月20日水曜日

デジタル化に敗けないぞ

   退職者会の会員は当然に高齢者であるので、先の会報には「居酒屋の注文までデジタル化」を愚痴る投稿があり、それに「同意」の感想もたくさん届いている。
 

 私も以前に昼食をとりに食堂に入ろうとして、入口の券売機がデジタル化されていて戸惑ったことがある。
 要するに、食事か喫茶か、和洋中何か、ランチか軽食かなどなどなどを順にクリア(選択)していかないと前に進めないし、「訂正」で後戻りすると見慣れない画面になり、その内に私の後ろに順番待ちの列ができたから、恥ずかしくも途中で買うのを止めて逃げ出した。
 大きな声では言えないが、現代人半分失格の身である。
 なお、その店には比較的空いている時間に再挑戦し、とりあえずは普通に食べ物にありついた。

 そんな程度だから、ファミリーで食事会の時などは、孫の夏ちゃんがハイハイとみんなの希望を入力、送信してくれる。それをただ口を開けて感心している。

 そんなこともあったから、近くの大型スーパーのレジの機械化には、「できるだけ早期に慣れよう」と妻と話し、既報のとおり「レジゴー」なるセルフレジ方式を選択して使用している。
 気を抜いてスキャン忘れなどして万引きまがいに疑われるのも絶対に避けたいから、変な意味で注意力がいるが、そのためにも体にルーティンとして覚えさせる必要があると思う。
 今回は「以前に出ていたクーポン券」を使用する方法も一応クリアした。

 大型スーパーでは、日々機械化が進み機械自体も更新されていっている。それを横目で睨みながら「敗けないぞ!」と呟いている。
 世のIT化についていけてないことを自慢げに語る老人グループには入りたくないと思っている。

2024年3月19日火曜日

カレーは日本に限る

   先月、大阪市内に出かけたとき、新しい本格的インド料理店が開店していた
 店内の装飾は徹底して?本格的だし、壁ではダンスいっぱいのインド映画が流れていた。
 食べたのはべーシックなチキンカレーだったが、個人の感想をいえば私には物足りなかった。

 わが家では不文律でカレー料理は私の担当となっている。
 そして、多くの場合、少なくとも8割方は孫の凜ちゃん用とも共通して作っている。 だから私はカレールーを入れなくても料理として完成しているように作るのだが、その際の決め手はトマトソースとしている。
 それに比べてその店のカレーは、どうも味に深みが欠けていた。個人の感想ながら。
 「これこそ本場のカレーじゃわい」と言われればなんとも言えないが・・・。

 キーマカレーにしたり、ジャガイモゴロゴロのジャパニーズカレーにしたり、夏なら夏野菜カレー、冬はトロトロ牛筋カレーと一家言ある私には、正直物足りなかった。厨房にはインド人らしきコックさんが揃っていたのに。
 やっぱり「この淡泊さが本場のカレーじゃ」と言われるのだろうか。ほかのインド料理店ではこんな感じではなかったけど。

 私の舌の方が正しければ、豪華ともいえるその店は遠からず閉店になるだろう。
 18日夕食、凜ちゃんは、わが家の祖父ちゃんカレーを何回もボーノ!と言ってくれた。

2024年3月18日月曜日

殺すなかれ

   17
日(日曜日)の朝は5時前に起きたので、見るともなくNHK Eテレの『心の時代』を見ていると、明治学院大学阿満利麿名誉教授が親鸞の歎異抄の教えを語っていて、その(歎異抄の)実際の表れとして高木顕明(けんみょう)師のことを紹介していた。

 和歌山県新宮市のお寺の僧侶であった高木顕明師は、日露戦争当時の大逆事件のでっち上げに連座して獄中で死亡しているが、「仏の教えに人殺しはありえない」と徹底して非戦論を唱えた僧侶だったが故に弾圧された。阿満教授は「それこそ歎異抄の教え」と語られていた。
 その後の明治から昭和前期の時代は、大教団のほとんどが「戦勝」を祈る時代に入り、高木師も僧籍除籍などとなっていたが、真宗大谷派は実に90年後の1996年(平成8年)、僧籍復帰・名誉回復の措置をとった。(大逆事件では他に曹洞宗、臨済宗妙心寺派の僧侶も弾圧されている)

 私はウクライナやガザを思い浮かべて、「徹底した非戦論」の実践についてあれこれ考えたが、・・・一般論だが、昔、職場の先輩TMさんと話し合ったとき、先輩は人を殺すよりも殺される方がましだと言い切ったことを思いだしたり、片や、ウクライナの青年が祖国のためにと家族と別れて前線に向かうのを「君は間違っている」とはとても言い切れないなどと迷ったり、結局、結論の出ぬまま卑怯かもしれないが、ただ真の宗教・宗教家とはそうなのだろうと、ただただ尊敬し、首を垂れるのみだった。

 さて15日には、公明党と自民党が武器輸出の大幅緩和について合意した。
 早い話が憲法9条は仏壇?の奥に引っ込めて、公然と、日本人の作った武器で人殺しが世界各地で展開されることになる。言っておくが、歯止めなど嘘八百だろう。
 宗派を問わず仏教界には不殺生という重要な戒律があると考えていたが、現世の「ご利益」のためなら不殺生戒もなんのそのと説く教団?もあるようだ。
 歴史の勉強が今ほど大切な時はないのではないだろうか。
 過去に目をつぶっていては明日は語れない。諸兄のご意見を賜りたい。

2024年3月17日日曜日

虚像と実像

   虚像というかイメージというものは、時に独り歩きをして、まるで実像であるかのように語られる場合がある。
 テレビから「清流の女王といわれるカワセミが・・」などと流れると、あのコバルト色の美しさからいって、多くの人々は清流を疑わない。
 しかし実際は、わが家周辺の溝みたいな小川やため池みたいな場所にもいて、贔屓目で見てもそこは清流とは言えない。
 カワセミは決して清流の女王なんかではない。

 清流かどうかの話はそんなものだが、灘中高から東大に行った秀才も、有名私大の理事長も「知らなかった」と言うに及んでは、その実像に首をかしげる。
 「李下に冠を正さず」とか「ノブレス・オブリージュ」という言葉も、「知らなかった」「記憶にない」と言い張る気だろうか。

 さて、カワセミに比して可哀相なのは写真のカワラヒワで、けっこう可愛らしい小鳥であるのにカワセミほど人気はない。

 今週には、一陽来復の冬至を起点に考えると1年の4分の1(四半期)が過ぎたことになるし、夏至に向けてなら、もうその半分となる春分の日が目前。
 朝晩は寒いけれど、沈丁花の前で、「花を見ていると春ですなあ」と近所の方との挨拶も春めく。
 目の前の電線からは、ジューイ ジューイ、ヒリヒリヒリとその声も気分のせいか春の声に感じる。

 それはさておき、虚像といっても害のないイメージもあるにはある。ブギウギで内藤剛志が刑事になって出てきたのに腰を抜かして笑ってしまったのは私だけ?