2024年1月31日水曜日

メス・ワカナ

   先日来の大阪出の芸人の醜聞に接し、戦後の超有名な漫才作者(本人が「作家」と言わなかった)秋田實の時代はそんなものではなかったという思いがして、近頃、古い本などを引っ張り出して読んでいる。

 漫才の父とも称される秋田實は戦前戦中はプロレタリア文化運動の「機関誌」的な位置にあった「戦旗」の編集部員でもあり、そのため酷い拷問も何回も受けてきた。
 そういう「根性」で戦後最初の漫才ブームを作ったのだから、そこには常に庶民感覚の暖かさがあった。それは昨今の一部にある、弱者を嘲笑するかの芸の対極であった。

 関連して連想したのは、朝ドラの主人公笠置シズ子を喰ってしまいそうだった淡谷のり子の、官憲からの再三の指導にも拘らず、モンペの着用を拒否し、パーマ、つけまつげ、化粧で軍歌は歌わず、ドレスは私の戦闘服だと言いのけた生き様だった。

 そして同じ時期大阪では、ミス・ワカナ 玉松一郎の漫才が人気を博していたが、「ミスは敵性英語である」として改名を命令された折、「ほんなら、ワテ女やさかい、メス・ワカナにしまっさ」と逆らった話は有名だと言われている。(ただ初代のミス・ワカナ 玉松一郎の漫才は私は知らない)
 史料等では結局玉松ワカナとかいくつかの名を名乗ったらしい。

 米朝も松鶴も上岡龍太郎も「いとこい」さんたちも、昨今の醜聞にあの世で眉をひそめていることだろう。

2024年1月30日火曜日

万城目ワールド

   書店に行くと、需要と供給の関係かもしれないが『何十歳からの生き方』に類するタイトルの本が、やたらに目につくあたりに、これでもかと何種類も横積みにされている。
 如何に高齢社会を充実させようかとの需要があるのだろうが、私はあまり興味はなく、それよりも「傑作青春小説」とコメントの付いた直木賞受賞作を28日の日曜日に購入した。
 万城目学著『八月の御所グラウンド』

 新刊書のネタバレみたいなことは書けないが、ストーリーはいかにも万城目ワールドだ。
 著者の直木賞受賞に関しては1月22日に書いたとおり、小学6年生の孫の夏ちゃんが万城目作品に凝っているので、今回LINEで「読み終わったらプレゼントするからね」「やったぁ!ありがとう!」と契約済みである。
 
 そんなこともあり、そこそこ早々に読み終えないと・・と思って読み始めたが、小説だから面白くて数時間で読み終えた。
 もう一度言うが、万城目ワールド、面白い。

 いつも万城目ワールドには歴史が下敷きにされているが、今回の下敷き(近代史)は夏ちゃんに判るだろうか。調べるのもよいし、読み飛ばすのもよい。
 1冊に2本の小説が入っており、主人公は『十二月の都大路上下(カケ)ル』が高校1年生の女子。『八月の御所グラウンド』が京大生など。
 夏ちゃんよりはちょっと年上が主人公の物語だがそれがよい。年下なら児童文学になる。きっとワクワクして読むことだろう。
 そして年寄りが青春小説を読むのもなおさら善し。

2024年1月29日月曜日

ツグミには品がある

   「鶫(ツグミ)は冬に渡ってくる」と感じていたのは間違いだった。
 実は秋も早くに大陸の北方から渡ってきて高山で過ごした後、高山の餌が切れた冬に平地に降りてきて、それを私などが「来た来た」と思っていたという。
 どんなことでも調べてみることが必要な訳だ。

 3~40年前には伏見稲荷の参道でツグミの丸焼きがスズメと一緒に売られていた。
 もちろんスズメよりは値が高かったが美味しかった記憶がある。

 その当時でもきっとツグミの捕獲(霞網による)は違法だったと思うのだが、どうしてか堂々と売られていた。
 その何年か後、国道一号線枚方公園付近にあった日曜日だけ大売出しの肉の卸店のようなところでスズメを見つけたが、箱には spanish とあったから、よく言えばツグミも輸入品だったのだろうか。私にはわからない。

 伏見稲荷の参道ではその後ツグミはなくなり、代わりにウズラが出るようになった。
 「養殖だから違法でない」ということなのだろう。
 ただ私はその後歯も弱くなり、ウズラの丸焼きの骨は堅いと感じるようになって、今は伏見稲荷に行ってもスズメだけにしている。(スズメは狩猟可能期間がある)

 写真はわが家の庭である。落葉をひっくり返して虫を探したり、少し前までは残してあった熟柿を突いたりしていた。
 こんな支柱にとまっていても、ツグミは姿勢に品があって好きである。
 (それを食べていたなんて・・スミマセン)

2024年1月28日日曜日

平城京左京三条一坊二坪

   奈良文化財研究所による『平城京左京三条一坊二坪』の発掘調査現地説明会に「近頃運動不足だから私も行く」という妻と一緒に行ってきた。

 時間前に到着して、トップグループで廻ったのでゆっくり見学もでき質問もできた。

 南北に長い掘立柱の建物が南端をキチンと揃えて整然と6棟並んでいた。

 考古学的には「役所や邸宅のバックヤード的な荷捌き広場と倉庫?」のようなものが推測されるという説明だったが、新聞で報道された奈良大学渡辺晃宏教授は「場所的には唐の長安城の国士監や平安京の大学寮の場所なので平城京の大学寮の一部でないか」と述べられている。

 左京三条一坊というと、平城京の正門である朱雀門の東南約200mで、メーンストリート朱雀大路に面している(写真の奥の塀は朱雀大路の築地塀)。
 ちなみに「長屋皇宮」といわれた長屋王の邸宅は左京三条二坊の一、二、七、八の坪である。

 私如きの知識ではそれ以上の推測はできないが、今後の発掘で驚く結果が報告されるだろう。
 「そこに埋まっているのは瓦でないですか」と質問すると「奈良時代の瓦です」と返ってきた。そこら辺の倉庫、作業場ではないと思う。

 すぐ隣の『平城宮いざない館』で文化庁など主催の『ミニ発掘された日本列島2023』も開かれていて、これも結構面白かった。
 埼玉(さきたま)の古墳から「子持勾玉」が出土していた。
 ヤマトでいうと「子持勾玉」は大神神社周辺からの出土が有名で、天孫天皇族と一線を画していたような感じでいたので、これも今後いろいろ勉強してみたい。

2024年1月27日土曜日

再々 戌亥の隅にどっさりこ

   他愛ないことだが、何故私たちは箸を使っているのだろう、何故私たちは日本語をしゃべっているのだろう、何故、輪廻転生を説く仏教徒が墓を立てるのだろう、考えてみると不思議で面白いことは尽きない。

 いろんなアプローチがあるが、一般に民俗学は、そういう「どうでもよい?」テーマを考える高齢者には魅力的なものである。そしてそれは人生を豊かにする。
 だいたいが自分の国の歴史や特徴を語れない人間の未来社会論も面白いはずがない。
 と、話は大きく出たが、1週間後は節分。豆まきのことを考える。

 現代でさえ地震の予知ができないのに、古代や中世の人々が地震や噴火や、それに疫病、パンデミックを怖れ、その原因は何かと考え悩んだのは当然で、中国伝来の陰陽道など最新の知識も加え「それはきっと鬼の仕業だ」と考えついたのも頷ける。
 だから豆まきも、決して誰かが思いついた幼稚園の行事ではない。

 さてこのブログでは、わが家では「鬼は外、福は内」と豆まきをした最後に「戌亥の隅にどっさりこ」と言って豆をまいて扉をガシャンと閉めて豆まきを終了すると書いたが、その後私が尋ねた友人たちは「戌亥の隅にどっさりこ」と言うのは知らないと言った。

 そのため、国立国会図書館に行って柳田國男などの本を調べたりしたが調査は進まないでいたところ、古書店で入手した昭和47年発刊の『日本の民俗 大阪』に、「・・守口市の佐太一番では・・『福は内、鬼は外、乾の隅へドッサリコ』と豆をまき・・」とあるのを発見した。やっぱり大阪にこういう習わしがあったのだ! 

 そこで気を取り直して少し丁寧にネットを探してみると、梅田茶屋町の画廊『Gallery4匹の猫』のオーナーの日記の中に「生前、祖母は豆まきを率先して行い、半紙を折って作った「みの」に神さんへの豆を供え、最後はトイレに「乾の隅にどっさり」と言って豆をまくように言ってました。何をどっさりやったんか聞いておけばよかったです」というのを見つけた。

 そして今回、さらにいろいろ調べてみたところ、陰陽道の影響を受けつつも半ば自然に、宅地において戌亥の方角(北西)を神門として重視する思想があり、奈良盆地では「戌亥蔵どっさりこ」という俚諺(民衆の間から生まれたことわざ)があったり、蔵は戌亥に立てる(戌亥蔵)という風習も全国にあることがわかった。戌亥は神門で福神を祀るなど吉祥を願う方角である。

 さらに、大阪は河内の農家による HIROJI`S  Agri  Diary というブログに豆まきのことがあり、豆まきの最後に『蔵の前に「戌亥の隅にどっさりこ」 と言って豆を山盛りに置きます』と言うのを見つけた。

 最後に、「先人の知恵やならわしを伝承することが大切だ」という言葉については多くの同意があるのだが、いざ実際には「豆まきなんかしない」という答えの返ってくることも少なくない。ここは一念発起、来週の節分には窓とドアの外へ、「鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ」と大きな声を出して豆をまきませんか。
 それともデラシネでいいですか。

2024年1月26日金曜日

釣鐘まんじゅう

   四天王寺には少なくとも日本一(世界一?)の釣鐘があった。
 二丈六尺というから約7.8mで、有名な知恩院の大鐘(3.3m)の2倍以上の高さがあった。

 で、なぜ過去形かというと御多分に漏れず昭和17年の金属回収令によって供出されたから。
 といっても、各地の大寺院の大鐘は残ったのにどうして四天王寺は守り切れなかったのだろう。歴史的価値が低かったからだろうか。

   そんな話を書いたのも、先日、四天王寺前の総本家釣鐘屋の釣鐘まんじゅうを食べたから。
 釣鐘饅頭は釣鐘屋本舗も作っていて、こちらの方がデパートその他で多く売られているようだが、四天王寺前の総本家の方が素朴というか純粋なようで私は好きだ。

   それは好き好きとして、老舗の頑固さのようなものが感じられるのも印象がよい。
 もみじ饅頭みたいなものとは言ってほしくない。(新種のもみじ饅頭も嫌いではないが)

2024年1月25日木曜日

能登の時国家

   24日に発行した紙のニュースに、13日にこのブログに書いた能登の上時国家文書(かみときくにけぶんしょ)のことをちょっとだけ書いた。
 
 そこに「能登は今風の感覚では列島の先っちょだが北前船など日本海海運ルートからするとど真ん中の中継地」と書いた。
 写真の本は「北前船」などよりもはるかに古い古代史の本だが、タイトルは的を射ている。

 24日の朝日朝刊に神里達博氏の能登に関する小論が掲載されていたが、そこには次のような指摘があった。
 🔳 7世紀末には、日本の対岸に渤海が興る。現在の北朝鮮・中国・ロシアにまたがる国家である。その後約200年の間にこの国は、一説には34回も日本に使者を送ったという。日本海側の各所に来着したが、能登との関わりも深かったようだ。実際、8世紀に日本側から渤海に送った使節「遣渤海使」の船には「能登」と名付けられていた。
 ・・・・北前船は、運賃をもらって頼まれたものを運ぶ「運賃積」とは違い、船主が自ら商品を買って運搬し販売する「買積」を行ったことで知られる。これは当然、リスクは高いが利幅も大きく成功すれば大いにもうかった。
 奥能登の豪農・時国家もその一つで・・栄えたという。
 網野善彦は、この時国家の研究も含め、農業以外の仕事に従事していた人々に光を当てた歴史家として知られる。・・・・🔳

 ということで、時国家のことや網野善彦氏のことは別途書き続けたい。

2024年1月24日水曜日

時代が違う

   朝日新聞に月1回の特集で山田洋次監督の自伝のような記事が出る。
 先日の第25回は、野村芳太郎監督に付いた助監督時代というから1950年代のことだろうが、「あの当時、映画人は活動屋と呼ばれていて、堅気の勤め人と違って服装も生活態度もちょっと派手で崩れたところがあり、それがまた得意だったりし。要するに活動屋は堅気ではなかった」というくだりがあった。

 一方、野村芳太郎や山田洋次はそのような「活動屋」であることを拒否していたという。
 そういう時代ということでは、私はとっさに勝新太郎のことが頭に浮かんだし、美空ひばりと興行主のことが頭に浮かんだ。
 そういえば1946年に婦人参政権が認められるまでは女性は一人前の人間扱いされていなかったし、1958年に売春禁止法が施行されるまでは公娼制度が存在していた。1950年代はそういう前時代を濃厚に引きずっていた。

 さて、そのような古いムラ社会を否定するのはけっこう困難なことだろうが、時代は大きく変わっている。
 話は大きく飛ぶが、ハリウッドあたりでも絶大な権力の下に「当然」と見て見ぬふりをされてきた性被害も鋭く告発される時代である。
 日本でもジャニー喜多川の犯行が糾弾されている。

 そういう時代に、古いムラ社会の意識を引きずっていたのが話題の芸人グループだろう。
 そしてそういう因習を見て見ぬふりをしてきた会社や、その会社と株式を通じて利益を一にする一部メディアの姿勢がいま問われているのだと思う。

 私自身古い人間だから、何故事実を認めて迷惑をかけたであろう人達に謝らなかったのかと思う。
 事実無根などというから抜き差しならなくなるのではないのか。
 火野正平を見習わないかと思ったりする。これは失言か。
 こんなニュースで、アテンドという英語に新しい意味が増えたことを知った。

2024年1月23日火曜日

雛草(ひなそう)

   季節は大寒、天気予報は23、24、25とこの冬最強の寒波の到来を告げている。予報士がえらいのか、暦がえらいのか、あまりのドンピシャに脱帽。

 それでも庭を見上げると蝋梅が満開で、足元では雛草が満開。
 かつてジューンベリーの花壇は雛草のカーペットだったが、他の強い草を少し入れた途端に姿を消した。
 しかし、こぼれ種で庭のあちこちに拡がり、全く予想外の場所で冬を彩ってくれている。花は5ミリ程度。
 ということで、強いのか弱いのか評価が微妙な雛草。
 
 近頃わが家の家庭菜園は自然農法。早い話が放ったらかし。そのせいでハコベが大繁殖しているから、そのうちにハコベに淘汰されてしまうかもしれない。

 野菜と草花を一緒に楽しむという目標は、歳を重ねるほどに徐々に遠ざかりつつある。

 雑草というと、わが家の一面は遊歩道に面していて、街路樹も植わっている。
 先日、ビッグモーターが街路樹を勝手に伐ったり、ミナミのホテルの前の歩道に勝手に植木鉢を置いていたというのがニュースになっていたが、私は遊歩道の雑草を勝手に刈ったり伸びた植栽を勝手に剪定している。「勝手にするな」と文句を言ってきてほしいものだ。
 街全体が「高齢化」すると住民の善意だけでは美観も安全対策も対応しきれなくなりつつある。
 奈良県の南部のニュータウンでは落葉清掃ができなくなったので街路樹を伐採した話がある。
 日本国中の課題だろう。

2024年1月22日月曜日

直木賞受賞

   1月17日、第170回芥川賞、直木賞受賞者が決定され、直木賞には万城目学氏(47)の「八月の御所グラウンド」(文藝春秋)と河崎秋子さん(44)の「ともぐい」(新潮社)が選ばれた。
 万城目氏は2007年の「鹿男あをによし」から6度目のノミネートで受賞した。
 
 今作は読んでいないが、スポーツ報知電子版によると、『京都を舞台に謎の草野球に参加する羽目になった大学生の物語など、2篇が収められた青春小説。京都を舞台に、過去との不思議な巡り合わせを描いた。「万城目ワールド」と呼ばれる独特の世界観を駆使し、優しく切ない感動作』ということだ。

 実は、小学生である孫の夏ちゃんが「何か面白い本はある?」と言ったのであげたのが 「鹿男」で、それ以来夏ちゃんは万城目作品にはまって、先日などもわが家に来てズーと持参した万城目作品を読みっぱなしだった。

 芥川賞・直木賞作品はたまに読む程度だが、読み応えのある作品も少なくない。文芸春秋の特集号を買うか、単行本を買うべきか。
 万城目作品には通奏低音に歴史の教養が必要だが、夏ちゃんにはそれも語らなくてはならない。
 楽しみが一つ増えた。

2024年1月21日日曜日

大阪湾と鯨

   大阪湾や瀬戸内海の各地で時々「海苔が不作だ、牡蠣やイカナゴが不漁だ」というニュースが聞こえてくる時があるが、その原因が海水が綺麗すぎて、栄養不足で・・と解説される時があるので複雑な心境になる時がある。

 というのも私の小さい頃は大阪湾には「汚わい船」が毎日出掛けて行って、沖合に「糞尿」を捨てていたからだ。だから海水浴場の砂浜にも「いちじく浣腸」の容器が流れ着いていた。そしてその頃、漁場は豊かであった。(決して汚わい船を復活せよと言っている訳ではないが)

 さてこの17日、大阪湾に鯨が来たとのニュースがあった。今回は1年前の「淀ちゃん」みたいに死にかけて流れてきたのではなさそうだ。
 淀ちゃんは淀川沖で死んでしまったが、大阪市長は錘を付けて和歌山沖海底に沈めてしまった。
 大阪市立自然史博物館は「極めて貴重な骨格標本のために欲しかった」と悔しがっていたのが記憶に残っている。
 鯨が来たということは大阪湾が豊かになってきた証かもしれないが、「汚わい船」の記憶のある私などは「その理由は??」と知りたくなる。

 歴史的には大阪湾に鯨が来たことは珍しくなく、それを祝ったり捕り逃がして悔しくて、堺の出島の漁師が住吉大社まで鯨踊りを繰り出したという。
 その鯨踊りは、古くは明治13年頃、同42年、昭和6年、そして昭和29年に復活し、さらに度々「堺まつり」でも披露されている。
 私は昭和29年の「南蛮行列」でのそれを見たが、その時は「鯨神輿」も出ていた。
 
 写真はネットにあった「すみよし探歩」のもので住吉大社に到着した「鯨神輿」だが、平成23年のものらしい。私の見た昭和29年のはもっともっと素人作り臭いものだった。

2024年1月20日土曜日

異国語に包まれる

   鶴賀谷修氏が造幣局通り抜けで詠まれた入選作 異国語の中の日本語八重桜 というのがあるが、1月16日の奈良公園は99.9%が異国語だった。
  
 正月休みも終わり、修学旅行や遠足の時期でもないということがあるのかもしれないが、見事にインバウンドさまさまと言ったところの様に見えた。

 京都では「観光公害」が大いに議論されているが、私がスーッと通ったその日の奈良公園のメーンストリート限りでは、インバウンドさまさまの様だった。
 ただ、どれだけお金を落としてくれたのかは知らない。

 白首北面、この日は古代史の勉強会だったが、概論を乗り越えての問題提起はついてゆくので精一杯だった。
 それでも、『古代の国司と任国での着任儀礼』は、私自身の職業経験の思い出と重なるようなところも多々あり面白かった。

2024年1月19日金曜日

小寒

   小寒と言っても大寒ともう隣り合わせ。

 先日の朝日新聞の漢字クイズで、翌日やってきた息子が「それはそうと漢字クイズの正解は?」と尋ねたのでいろいろ説明したところ、『二十日正月」を知らないという。
 知らないのも当然でその行事はわが家の慣わしには全くなかったが、民俗学などでは直ぐに出てくる行事だと説明した。
 
 新年号には少し遅れたが有志あいより来週にはニュースを発送する準備中だ。
 18日には、担当の一人から「送付状」の原稿が送信されてきた。期日直前でなく非常にうれしい。
 なので各担当の封筒や私自身の送付状も印刷を完了した。
 出来栄えは別にして作業は順調。今年は一歩前進の年にしたい。

 18日には日本共産党の全国大会(3泊4日)が終了し、新委員長に田村智子氏が選出された。
 女性委員長という見栄えが良いというようなことでなく、ほんとうに素晴らしいことだと私は思う。

このニュースに「指導」

   新聞・テレビで報じられた「奈良教育大学付属小学校で不適切指導」というニュースに接し、門外漢ながら大きな違和感を覚えた。

 「不適切」の該当事項は、① 毛筆の授業時間が少なかった。② 毛筆に代えて筆ペンの授業をした。③ 図画工作で教科書を使用せず独自の教材を使っていた。④ 道徳はクラスごとでなく全校集会で行っていた。⑤ 「君が代」は各学年でなく6年生のみで指導していた。・・と報じられている。

 県教育委員会に外部から指摘があって大学が調査した結果だという。
 「外部からの指摘」という言葉では「教育は2万% 強制です」と言い放った橋下徹氏の顏がよぎったが、それはただの感想。
 直ぐに私はトットちゃんを育んだトモエ学園の校長先生も叱られるんだなと連想した。

 先日私は職場におけるマニュアル人間の弊害のことを書いたが、教育こそ教員自身がが授業の準備をして「授業づくり」をしていくべきものではないのだろうか。それに教員を養成する大学の小学校として独自の教材や指導法の研究や実践、もっと言えば試行錯誤しないことの方が「不適切」だろう。

 悪筆の私が言うのも何だが、毛筆はもっと教えてもよいと思うが、現実の社会生活に結びついているという意味では筆ペンという選択は見事に合理的だ。
 新聞記事では保護者説明会で「一般企業であれば終わりだ」といった発言もあったというが、一般企業の論理を持ち込んでは一番いけないのが教育だと思う。

 結局ニュースを聞きながら妻と顔を合わせたのは、「君が代を叩き込めということやな」という感想だった。
 外部の指摘、教育委員会の指導、学校の活力の減退、何回も見てきた悪循環。それに触れないニュースもまたマニュアル人間のなせる業か。

 裏金事件で逮捕された池田佳隆元衆議院議員(元文部副大臣)(いわゆる安倍保守派文教族)も、櫻井よしこ氏絶賛の著書等で「嘘をついてはいけません。道徳心と愛国心を醸成しなければいけません」と指摘されている。(ブラックジョークも極まれり‼)
 
   現場の先生方は真剣に道徳の授業を「つくって」いる。関心のある方は写真の『アニマシオンで道徳』などを読んでもらいたい。
 本件の「外部」や「校長」や「教育委員会」には感じられない真面目な提言がある。
 気に入った「小見出し」だけをピックアップする。
 「善悪の判断、自律、自由と責任」「正直、誠実」「節度、節制」「個性の伸長」「希望と勇気、努力と強い意志」「真理の探究」「親切、思いやり」「感謝」「礼儀」「友情、信頼」「相互理解、寛容」「規則の尊重」「公正、公平、社会正義」「勤労、公共の精神」「家族愛、家庭生活の充実」「よりよい学校生活、集団生活の充実」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」「国際理解、国際親善」
 ニュース記者もそういう深みのある記事を書いて欲しいものだ。

2024年1月18日木曜日

悪魔のささやき

   「人間、目の前に二つの道の選択を迫られたならば、躊躇なく困難な道の方を選べ」という名言がある。 
 私も少なくない場合、その名言を思い出して自分自身を叱咤してその道を選択するようにしている。
 しかしながら、悪魔は「楽に行けるなら楽を選択して何が悪い」と常にささやくのである。

 正月早々に循環器科の診察に出かけ「悪玉コレステロールの数値が高い。着実に悪化している。食事をコントロールするように」と指示されたことについては先に書いた。
 そして先日、かかりつけ医に行ったとき、同じ検査結果を見せて見解を尋ねたところ、かかりつけ医は「この年齢でこの数値は遺伝的要素であるから食事コントロールは無駄である」と託宣した。
 どちらが正しいかの検討は別にして、私は即かかりつけ医診断を採用し、その夜はポークチャップを2枚いただいた。
 さらにいえば、脂たっぷりのソースにご飯を入れて余さず体内に取り込んだ。

 だいたいが大切なのは数学的な年齢ではなく「健康年齢」だろうし、ならば楽しく美味しく暮らそうとの悪魔のささやきは魅惑的ではないか。
 私は肉の旨味は脂にあると信じている。
 さて・・・・

2024年1月17日水曜日

ママチャリなら2台

   「朝は4本・・・」のスフィンクスの謎かけではないが、生来の怠け者でもあり、3本足ではないが足腰は滅法衰えている。
 それを補ってくれているのが電動アシスト自転車だが、私の愛車は妻からのお下がりで相当古く、若いお母さんが前後に子どもを乗せてビューと追い越していくのを羨やんでいる。

 そのバッテリーがいよいよ弱ってきた。
 寒い季節にはバッテリーは弱まるものだが、いささか限界の感じがした。
 そこで、これで2回目になるバッテリー交換を決意した。

 この自転車の機種に合うバッテリーは4種類あったが、一番容量の大きい8アンペアにすると、45,000円少しかかった。
 脚さえ丈夫なら・・ママチャリなら2台は買えるなどという詰まらぬ計算をしつつ購入した。
 それに、信用しないわけではないが、ネット通販でバッテリーを買う勇気もなかった。

 バッテリーは、基本的に使い切ってから充電するのがよく、頻繁に継ぎ足しのような充電はしない方がよいと言われていることは知っているが、走行途中でバッテリーが弱るのも気分が悪いし、長距離走行前にだけ充電するなどというのも邪魔くさいから、結局乗って帰ってくるたびに充電している。

2024年1月16日火曜日

鬼の空念仏

   新聞のクイズで『白首北面』という熟語をこの歳になって初めて知った。
 白首は白髪で、北面は「南面している先生」に向かって勉強しているということで、『年老いても衰えることのない向上心を持ち続けること』。肝に銘じたい。
 
 ことわざに『鬼の空念仏(寒念仏)』というのがある。
 昔の人はこういうことわざで世間の知恵を学んだ。
 その意は、いくら殊勝に僧衣を着て鉦を叩いて奉賀帳を下げて念仏を唱えていたとしても、鬼には騙されるな、本心を見抜け!というものだ。
 世間にはこういう鬼がいるものだ。

 さて現代人はこの先人の知恵を忘れていないだろうか。
 13日現在報じられているところでは、自民党の「政治刷新本部」38人中10人が安倍派で、しかも内9人が裏金を手に入れていたという。
 その外にも、裏金パーティーの派閥のトップ、かつてパソコンをドリルで証拠隠滅を図った御仁、エッフェル塔公私混同旅行者エトセトラ。

 おまけをいえば、ミサイルを含む武器輸出に手を貸す『鬼の空題目』も与党にいる。
 見かけや口先に騙されてはいけない。
 『巧言令色鮮し仁』とのことわざもある。

2024年1月15日月曜日

1.17の教訓

   阪神淡路大震災の1月17日が近づいてきた。
 今般の能登半島の大地震を見て、阪神地震の後でよく言われた「忘れない」という合言葉だけではだめだと感じている。「忘れない」だけでなく「伝え続ける」ことが大切だと改めて思った。

 教訓はいっぱいあるが、救援の幹線道路事情に絞っていえば、地形上神戸は国道2号線の海沿いに限られていて、そこが大きな被災地であったことで救援に大きな支障があった。
 東日本大震災でも道路と併せて鉄道の復旧が大きな課題であった。
 それらが大事な教訓として生かされていたならば、能登半島の道路網ももっと整備されていなかっただろうか。いま現在、救援の手の届いていない地域があると報道されている。

 さらに、事故のニュースが不自然に訂正されている志賀原発でいえば、万が一の時の避難ルートは絵に描いた餅だった。

 確かに、わが家から遠くない紀伊半島の山の中をクルマで走ったりすると「なぜこんな所にこんな立派な道路が」と不思議に思ったり「利権や予算の無駄遣いかも」などと勘繰りたくなる時があるが、昨年年末近くの奈良県南部の国道169号線崩落事故による通行止めの復旧目途が立っていないことなどを見ると、複数の道路の整備が生活の生命線だろうと感じている。

 高度成長期に建設された橋やトンネルも耐用年数に到達しつつある。
 国の予算に関する哲学を変える必要があろう。
 戦前に奈良の吉村長慶は「軍馬のイナナキは国を亡ぼす」と石に彫ったが、軍事費栄えて民滅ぶ時代に突入している。

2024年1月14日日曜日

テレビに笑った

   毎度バカバカしいお笑いながら、ほんとうは元日放送予定であったのが
7日に放送されたテレビの『芸能人格付けチェック!』で大いに笑った。 

 ミシュランシェフによる海鮮チャーハンを当てる問題で、
 Aは北海道の高級食材を使ったミシュランシェフ・赤坂メゾン・ド・ユーロンの料理長、
 Cは普通のスーパーの食材での町中華店主によるもの、
 Bは番組MC・浜田雅功によるほぼ海鮮シリーズを使った海鮮風チャーハンだった。
 「ほぼ海鮮」とはご存知カネテツの、ほぼカニ、ほぼホタテ、ほぼエビ。

 このチェックには全員が挑み、その結果「ほぼ海鮮チャーハン」を選ぶ芸能人が続出。田中圭、林遣都、波瑠、高嶋政伸、中条あやみ、間宮祥太朗、前川清、紘毅、前川侑那、乃木坂46の梅澤美波、与田祐希、賀喜遥香、井上和が浜田チャーハンを絶賛したうえで、選択。ほぼ全員が騙された。
 これには笑った笑った。すばらしいお正月番組だった。

 後に浜田チャーハンの隠し味はラードと紹興酒であったと発表されているが、根拠はないが私は中華万能調味料『創味シャンタン』ではないかと睨んでいる(知らんけど)。
 商品名なので伏せられているのだろう(知らんけど)。
 ミシュランシェフには可哀相だったけど、つまらない番組ばかりで消していることの多いテレビを観てよかった。
 なおGACKTの正解がガチかヤラセかは私は知らん。

 少なくともカネテツ関係者は「正月が2回来た」と喜んでころこんでいることだろう。

2024年1月13日土曜日

上時国家文書

   能登半島地震のニュースを聞いて、多くの皆さんの被害状況が心配になったことと同時に、歴史的に貴重な時国家(ときくにけ)のことも気になったが、どこかのテレビ局の現場中継で女性アナウンサーが時国某と名乗っていたので、なんとなく無事でありそうな印象を受けていたが、実は国の重要文化財上時国家(かみときくにけ)が倒壊したと報じられている。

 この家に代々伝わってきた(残されてきた)上時国家文書は網野善彦氏の著書などにはよく引用されている史料で、ほんとうに貴重なものである。石川県のホームページから転載すると、

 🔳上時国家文書 (8572点)  戦国時代~現代🔳 
 時国家は、壇ノ浦の合戦後に能登(珠洲)に配流された平家の武将平時忠の子平時国を家祖とするとされている。
 江戸時代に入り、前田氏、土方氏による統治のため、前田領時国家(下時国家)と土方領時国家(上時国家)に分立した。上時国家は、はじめ土方領に属し、肝煎・十村を務め、土方氏改易後は、幕府直轄領の庄屋等を務めている。
 本文書は上時国家に伝来した8572点の文書からなっており、天文から近現代までの文書が存在している。天正~慶長期の初期検地の関係文書、寛永~寛文期の皆済状の他、租税関係、製塩・漁業・菜種等産業関係に加えて、海運関係、百姓救恤関係の史料も含まれている。
 本文書には、村の運営に関する村方文書とともに時国家の性格や経営の内容を示す文書が大量に残されている。大規模農業経営主としての側面が注目されていた時国家であったが、北前船を所有し、廻船業を行い、他にも農業、製塩、漁業、林業、酒造を営み、さらには鉱山経営にも手を伸ばしており、多角的な活動を展開していたことが明らかになるなど、時国家の活動を知る上でも重要な史料である。
 また、時国家分立に際しては、「あぜち(庵室)」の慣習を示す文書も残されており、両家の成立背景を知る上でも重要な史料である。上時国家文書は、その量が膨大であり、時代的にも中世から近現代に及ぶ長期のものが含まれており、内容についても、上時国家が地域の有力層であったことを裏付ける貴重な史料である。(引用:以上)
 この貴重な史料が喪失していないことを祈る。

2024年1月12日金曜日

宵戎

   10日も11日も都合がつかないので、9日の朝に今宮戎に行ってきた。
 こんなに早い宵戎は初めてだったが、今宮の十日戎にしては大混雑ではない「そこそこの混雑」で快適だった。
 写真のとおり、福娘のコーナーも押し合いへし合いがなく、「姪っ子も福娘をしたんだ
よ」「貴方にもきっと好いことがあるよ」などと、爺さんは若い福娘に語って会話をして年甲斐もなくうきうきした。お恥ずかしい。

   吉兆は基本の吉兆に宝船をひとつだけつけてもらった。
 これはわが家の「言い伝え」で、エエカッコをして沢山つける年はいいけれどそれを減らす年は縁起が悪いということで、私は「基本の吉兆+1」を守っている。

 えべっさんは耳が遠いので、正面で詣ってから裏へ廻り、どんどんどんと壁を叩いて大声で名乗ってもう一度お詣りしないといけないというのは浪花あたりの古くからのしきたりだが、泣く子とコロナには勝てないということで、裏の壁(羽目板)代わりの「銅鑼」はまだ復活していないので、拳で壁を軽めに叩いて帰ってきた。銅鑼はないけれども、きちんと裏でもう一度お詣りする人はいっぱいいた。やはり大阪だ。
 大声の名乗りも同趣旨の自粛らしいので、心の中で「夏ちゃん凜ちゃんをお守りください」と叫んできた。

   朝から出かけたので、昼に焼き肉を食べて帰ってきた。
 岡本圭岳の句ではないけれど、 十日戎所詮われらは食ひ倒れ はお見事! 悪玉コレステロールめ、こっちにはえべっさんが付いとるぞ。

 以前、亡くなった実母が老人ホームに入居していたとき私が福笹をもって行ったことがあったが、母が食堂で「商売繁盛で笹持ってこい」と唄って笹を振って賑やかに入居者が笑いあったことがあった。それだけでもえべっさんは福の神だった。
 今回も10日に孫の凜ちゃんがわが家に来て、「商売繁盛で笹持ってこい」を祖父ちゃんと一緒に踊って大笑いをした。

2024年1月11日木曜日

卵の側を思う

   パレスチナの現状は、ニュースでいっぱい流れているから深くは触れない。
そして私は村上春樹作品の愛読者でもない。
ただ2009年2月15日、村上春樹が「エルサレム賞」の授賞式にエルサレムに出かけ、受賞スピーチで「常に私は卵の側に立つ」とスピーチしたことには敬意を表している。
こんな時だからこそ、そのスピーチを転記しておきたい。時間が許せばご一読を!

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵 – Of Walls and Eggs

 私は一人の小説家として、ここエルサレム市にやって参りました。言い換えるなら、上手な嘘をつくことを職業とするものとして、ということであります。 
もちろん嘘をつくのは小説家ばかりではありません。ご存知のように政治家もしばしば嘘をつきます。外交官も軍人も嘘をつきます。中古自動車のセールスマンも肉屋も建築業者も嘘をつきます。しかし小説家のつく嘘が、彼らのつく嘘と違う点は、嘘をつくことが道義的に非難されないところにあります。むしろ巧妙な大きな嘘をつけばつくほど、小説家は人々から賛辞を送られ、高い評価を受けることになります。なぜか?
 小説家はうまい嘘をつくことによって、本当のように見える虚構を創り出すことによって、真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光をあてることができるからです。真実をそのままのかたちで捉え、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能です。だからこそ我々は、真実をおびき出して虚構の場所に移動させ、虚構のかたちに置き換えることによって、真実の尻尾をつかまえようとするのです。しかしそのためにはまず真実のありかを、自らの中に明確にしておかなくてはなりません。それがうまい嘘をつくための大事な資格になります。
 しかし本日、私は嘘をつく予定はありません。できるだけ正直になろうと努めます。私にも年に数日は嘘をつかない日がありますし、今日はたまたまその一日にあたります。
 正直に申し上げましょう。私はイスラエルに来て、このエルサレム賞を受けることについて、「受賞を断った方が良い」という忠告を少なからざる人々から受け取りました。もし来るなら本の不買運動を始めるという警告もありました。その理由はもちろん、このたびのガザ地区における激しい戦闘にあります。これまでに千人を超える人々が封鎖された都市の中で命を落としました。国連の発表によれば、その多くが子供や老人といった非武装の市民です。
  私自身、受賞の知らせを受けて以来、何度も自らに問いかけました。この時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受け取ることが果たして妥当なのかと。それは紛争の一方の当事者である、圧倒的に優位な軍事力を保持し、それを積極的に行使する国家を支持し、その方針を是認するという印象を人々に与えるのではないかと。それはもちろん私の好むところではありません。私はどのような戦争をも認めないし、どのような国家をも支持しません。またもちろん、私の本が書店でボイコットされるのも、あえて求めるところではありません。
  しかし熟考したのちに、ここに来ることを私はあらためて決意いたしました。そのひとつの理由は、あまりに多くの人が「行くのはよした方がいい」と忠告してくれたからです。小説家の多くがそうであるように、私は一種の「へそ曲がり」であるのかもしれません。「そこに行くな」「それをやるな」と言われると、とくにそのように警告されると、行ってみたり、やってみたくなるのが小説家というもののネイチャーなのです。なぜなら小説家というものは、どれほどの逆風が吹いたとしても、自分の目で実際に見た物事や、自分の手で実際に触った物事しか心からは信用できない種族だからです。
 だからこそ私はここにいます。来ないことよりは、来ることを選んだのです。何も見ないよりは、何かを見ることを選んだのです。何も言わずにいるよりは、皆さんに話しかけることを選んだのです。
  ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。
 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
 そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?
 さて、このメタファーはいったい何を意味するのか?ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
 私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じています。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けるのです。
 私の父は昨年の夏に九十歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました。大学院在学中に徴兵され、中国大陸の戦闘に参加しました。私が子供の頃、彼は毎朝、朝食をとるまえに、仏壇に向かって長く深い祈りを捧げておりました。一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。「戦地で死んでいった人々のためだ」と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと。父が祈っている姿を後ろから見ていると、そこには常に死の影が漂っているように、私には感じられました。
 父は亡くなり、その記憶も - それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに - 消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです。
 私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。 もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らのそしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれはありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。
私が皆さんに申し上げたいのはそれだけです。
 エルサレム賞をいただき、感謝しています。私の本を読んで下さる人々が、世界の多くの場所にいることに感謝します。イスラエルの読者のみなさんにお礼を言いたいと思います。なによりもあなたがたの力によって、私はここにいるのです。私たちが何かを - とても意味のある何かを共有することができたらと思います。ここに来て、皆さんにお話できたことを嬉しく思います。

2024年1月10日水曜日

お好み焼き

   12月25日に書いたが、12月24日にクリスマスパーティーを行い、そのメーンディッシュは孫の夏ちゃんによる広島焼(お好み焼き)だった。

 それを、見ていないようで見ていた孫の凜ちゃんがその後コテでひっくり返すような仕草をしたことがあったので、祖父ちゃんはボール紙でコテとお好み焼きを作ったところ、凜ちゃんは見事にひっくり返すママゴトを上手くしてくれた。

 ただそれだけの典型的な「爺バカ日誌」である。

ニュースバリュー

   ニュースバリューとは一般に事件の重大性のようにとらえられているが、冷静に眺めていると「大衆受け」という要素が大きいように思う。
 その上にメディアは、安倍派にしてもジャニーズ事務所にしても強い者には忖度してきたから、弱い者、少ない者の声は忘れられることが多い。

   その一つが発達障害の少年などの放課後デイサービスでの虐待や事故で、この秋に代表者らが逮捕された吹田市の施設では、少年を殴ったり床に叩きつけたり、さらには自閉症の中一生の送迎に正しく対応せず川で溺死させたりしていた。

 代表者らが特異であった例外的な事件と信じたいが、全国的には似た事故の件数は少なくない。
 それを「なぜか」と考えると、ひとつには、今の社会にあって「公共」という概念が大きく後退しているのではないかということに辿り着く。
 私設、私営が絶対だめだとは言わないが、根底に金儲けの思想をおいたのでは運営に魂が抜けてしまう。職員の労働条件も悪ければ質もなかなか良くならない。

 老人施設や保育園あるいは障害者施設も同じようなことが言えないか。
 なので、新年の抱負を考える時期になったが、日本に「公共」の精神を復活させる年にしたいと思う。
 100人死んだら大事件だが1人だけが「理不尽に殺され」てもニュースバリューがない。ほんとうにそうなのか。
 当人や家族にとって、事件の規模は関係なく悲しいだろうに。
 というメディアの「非常識」も問うていきたいものだ。

2024年1月9日火曜日

備える

   私たちは地震の巣の上に住んでいる。
 だからといって私などは海外に移住することもできない。

 検索をしてみると今回の地震によって他の活断層への圧力が生じているともいう。
 だとすると、どこに住んでいようと、そのうちに地震は来るとの前提で生きていくしかないようだ。

 さてニュースによると、情報の遮断が怖ろしいともいう。なので私も少し点検を試みた。
 写真の左はラジオだが、ソーラー及び手回しで発電、充電できる。直接スマホの電源にもなる。
 右はモバイルバッテリー。これもスマホの電源になる。
 フェイクニュースに気をつければ、これで情報は確保できると踏んでいる。
 技術で乗り越えられる課題は技術や機器を活用することがよい。
 私はそのように感じている。

 別件だが、年賀状にQRコードを印刷し動画でご挨拶を行ったが、「音声が聞こえない」という連絡があった。これは録画ビデオなどと同じように右上などに右向きの▷マークがあるのを押してもらうと解消するはずだ。作成した私自身よく解っていないので、おかしな点は是非とも教えてほしい。

   さらに別件、先日から熟した柿をスプーンで食べて、外の皮と少しばかりの実をバードテーブルに置いておいたところ、メジロが一番喜んでいるようだ。
 こんな風景がいつまでも続きますように。地球をこれ以上壊さないように、この1年も・・・

  長周期見てきたような目白の目

2024年1月8日月曜日

ハレの終わり

   1月7日は七草粥からスタートした。
 自然農法のわが庭には春のいろんな草がある。わけてもハコベなどは卸売りができるぐらいあるが卸はしていない。
 体調を「ハレ」から「ケ」に戻す上で七草粥は理にもかなっている。

 次いで孫の凜ちゃんも交え、庭の薪ストーブで注連縄や門松の「とんど」を行った。
   都会では無理だろうが、正月飾りをゴミに出すのはちょっと気が引けるので自家製の「とんど」にした。厳密に言えばこんな田舎でも「野焼き禁止」にはなっている。
 とまれごみの焼却ではない。とんどは神事なり。

 そのストーブで、さらに、焼き芋、焼きリンゴ、五平餅、ウインナー、朴葉味噌を焼きながら焚き火をした。
 これまでの試行錯誤を踏まえ、妻の焚き火料理も上手くなった。

 9日からは学校も始まるから、これでお正月行事(ハレ)はおしまい。
 被災地の方々には申し訳ない気もあるが、わが家限りではよいお正月だった。

 「好いこと」といえば、今シーズン初めて庭にシロハラが現れた。ヒヨドリやツグミをふたまわり大きくしたようなサイズなので見ごたえがある。
 焚き火の用意をしているときには1mも離れていない木の中にウグイスがやってきて、ジャジャジャジャと笹鳴きをしていった。
 地震やガザやウクライナのニュースで開けた新年だが、早春はそこまで来ている。

  せっかちに口ずさんでみる早春賦

2024年1月7日日曜日

マニュアルと決断

   新聞テレビで知ったことの記憶だけで書いているが、JALのCA(客室乗務員)のことである。
 火災のため使えそうな脱出口は限られていた。最後部の左側は使えそうだ。マニュアルでは機長の指示もしくは了承をとって非常口は開けなければならない。しかしコックピットとの通信は出来なくなっていた。
 が、CAは緊急事態と判断して最後部左側の脱出口を開けて乗客を避難させた。
 前の二つと併せて三つの脱出口から乗客全員367人を無事脱出させたうえで最後にCAと機長が脱出したという。その間18分だったらしい。

 私が一番感動したのは、マニュアルでは機長の指示を求めてから開けるところを、コックピットとの連絡がとれないという想定外の緊急事態の下で、CAが脱出口を開けて避難させることを決断したというところである。
 マニュアルどおりに対処して良い結果になったというのでなく、想定外の事態だったが正しく決断して良い結果になったというところに私は感動した。

 私が働き始めた頃は、仕事の手順などは徒弟制度に毛の生えたようなもので、それぞれが法律や解説を読んで考え出すようなことがいっぱいあった。
 それがそのうちに、仕事のミスをなくすとか効率よく仕事を進めるということで、いろんな分野でマニュアルが制定・整備されていった。
 ところが、私は学校教育にも問題があったと思うのだが、その内に森羅万象といってもよいような業務に対して、マニュアルどおりにしか対応できない。臨機応変に立振舞いできない、いわゆる「マニュアル人間」が増えて来て、私などが「ええ歳」になった頃は、仕事を教える以前に社会人教育・大人教育が必要であった。
 そんなことが頭にあったので、今般のCAの決断力、瞬発力に私は大いに首を垂れる。

 これほど大事件ではなくても、我われの日常にだって、気配り、決断、そして瞬発力が必要なことはたくさんある。
 事故は悲惨なものではあったが、正月に我々はこの一年の大切な向かい方を教えてもらった。

  新しき人や吾等を超えていく

2024年1月6日土曜日

今年の箸袋

   もう旧冬のことになってしまったが、例年どおり私は、お正月の祝箸の箸紙(箸袋)を手作りした。
 偉そうに手作りといってもパソコンで作るだけなのだが、それでも同調圧力の時代、既製品で済ますのは少し許せない。

 作ったといっても作業はいたって簡単なもので、A4の紙を縦にほゞ四つ折りにすれば完成する。
 それでも、毎年どんなデザインにするか悩むのも楽しいもので、それに私の場合は伝統的な関西風で下側から祝箸を刺し入れる形にする。(近頃の既製品は圧倒的に東京式なのも気に食わない)

 今年はシンプルに迎春の文字の下に、宮本百合子の『うららかな春はきびしい冬のあとから来る かわいいふきのとうは霜の下で用意された』を書いて、ファミリー全員の名前を印字した。 

 かつて日本には「花見景気」と呼ばれた時代があったが、人生も毎日が花見三昧で過ごせるわけではない。
 先日は「微力であっても無力ではない」ことを書いたが、その「微力」は必ず霜の下で育てられるものなのだ。

  祖父ちゃんの手作りになる祝い箸

2024年1月5日金曜日

スーダラ節

   1月4日は世間一般には仕事始め。
 サンデー毎日の身には関係ないものの、ちょっと昔を思い出して早朝から予約していた循環器内科の受診に出かけた。これが私の仕事始め。

 仕事始めとはいえ松の内、嘘でもめでたい言葉で寿ぐものだが、ドクターからは「悪玉コレステロールが高すぎる」と賀状ならぬイエローカードをいただいた。
 肉の脂身、卵(含:魚卵)、チーズ、ヨーグルトを摂るな、そしてお酒を控えろとのこと。
 というイエローカードだったと妻に報告しながら、豚の角煮でビールを飲んだ。
 スーダラ節が体に沁みる。

(2) 1月2日にショッピングモールに買い物に出かけたが、初売りセールのチラシがのれんのごとく垂れ下げられているモールの中に、「完全閉店売り尽くしセール」という「のれん」もあった。
 1月2日からこんなセールアリ??。
 安倍派や自民党にとって「能登も羽田も天の助け」と言わせないよう、粘り強く監視していかねばエライ1年になってしまう。
 後で振り返って「あの年は正月からパッとしなかったからなあ」などと泣き言を言わないようにしたいものだ。

(3) 嬉しいことといえば、思いもよらない人から「QRコードの動画を見たよ」と連絡があった。
 勝手に「彼女はQRコードを読めないだろうし読もうともしないだろうな」と思っていたのが申し訳ない。社会も人も変化し進歩するのだ。私もそうなければ。

(4) コレステロール対策も兼ね、地元の議員宅に能登の地震の義捐金カンパを持って行った。

  人は皆矛盾だらけで生きていく

2024年1月4日木曜日

テレビの向こう

   息子ファミリーが能登大地震の際に石川県にいたことは先日書いたが、その夜(元日)は風呂にも入らず、いつもは1階だが2階で、スキー用のヘルメットと衣服を着たまま布団に入って一夜を過ごしたという。
 あけて1月2日、息子は「さすがに箱根駅伝は中止されていることだろう」と思ってテレビを付けたら、そこには「地震などあったの?」とまでは言わないが、ごく普通のお正月、箱根駅伝の風景が映っていて驚いたと報告してくれた。

 息子の驚きがおかしいわけでもないし、箱根駅伝実行の判断がおかしいわけでもないが、結局われわれの共感や想像力にはそれぐらいの距離感があるということを教えてもらった気分でいる。
 
 いまだに家に帰れないフクシマの悲しみについても、もっと言えばウクライナやガザの悲しみについても、当事者から見れば同じような距離感を感じておられることだろう。
 テレビニュースを見て、「悲惨な状況が解った」というような言葉は軽々には吐けないと思った。ましてやテレビで「・・・方々にはお悔やみ申し上げます」的な言葉の軽さをも・・・。

 それでも我々は暮らしていかなければならないから、世界中のあらゆる不幸に同質程度のある種「服喪」のような態度と感情を取り続けることはできないが、又そうでなければその感情は嘘だというのもリアルでないし正しくもないと思うが、ニュース画面の向こうに、できる限りの共感と想像力を忘れないようにはしたいものだ。
 事実、遠戚は今日も石川県で暮らしている。そして私たちは心配している。

 と言いながら、わが家のお正月の祝宴も中止などせず楽しく集った。息子ファミリー、娘ファミリー、全員集合で楽しい宴を開くことができた。これ自身間違っているとも思わない。地球上に不幸な人の一人でもいる間は楽しんではいけないということも正しくないだろう。ただ心の中では忘れずにいたい。

 宴でいうと、先日のブログで書いた馬刺し、そのユッケ、さらには「さいぼし」そして「にごり酒」も好評だった。
 子どもたちからはネット社会に危険な冒険は注意するように言われたが、年賀状のQRコードに埋めた動画についても「祖父ちゃん祖母ちゃんスゴイ」と誉められた。

 さあ今年もがんばるぞ! そして、ニュースの向こうにできる限りの共感と理解をもって支援していこうと「一年の計」に書き加えることとした。

  一年の計「別に~」と孫の言う

2024年1月3日水曜日

草枕しばし慰む

   暮れ行けば淺間も見えず 
 歌哀し佐久の草笛 
 千曲川いざよふ波の 
 岸近き宿にのぼりつ 
 濁り酒濁れる飲みて 
 草枕しばし慰む

 お屠蘇に「発泡日本酒」もいいかなと思って出かけたが、どぶろく祭で有名な白川郷を名乗る「にごり酒」に手が伸びた。
 どぶろくとにごり酒は酒税法上は別モノらしいが、そんな細かなことは置いておこう。

 月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり (奥の細道)・・とも言われるから、新年という旅人ににごり酒もあながちミスマッチでもなかろう。

 私が小学生というと敗戦(戦前)からわずか十年ちょっとであったから、先生から「常套句や定型詩(文)などというものはアカン」と強く教えられた。
 教育勅語から軍人勅諭の文体がモノゴトの本質を隠し歪め、情緒的に軍事態勢に組み込んでいったからだったからだろう。
 先生の教えに強く影響を受けた私は、以後そのように心掛けてきたが、その後この「千曲川旅情の歌」に出会い、定型詩のリズムも好いものだと考えるようになった。それがこの詩だった。
 そんな昔を思い起こしながら、にごり酒で新年をお祝いした。

  年もまた旅人ならばにごり酒

2024年1月2日火曜日

令和六年正月の空

   大地また諸行無常を説きたまふ令和六年正月の空 (大地をば愛するものの悲しみを嘲(あざ)める九月朔日(ついたち)の空 :与謝野晶子:関東大震災時)

 よりにもよって元日に! と思えども、釈迦もマルクスも琵琶法師も述べたとおり、諸行無常こそこの世の真理であろう。

 東日本大震災の年に生まれた孫の夏ちゃんは、祖父母(われわれ)から「えらい年やった」とは聞かされて育ってきたが勿論そんな実感がこの児に湧くはずもなかった。
 それが今年、お母さんの実家で迎えたお正月にそれを知った。場所は石川県。
 この記事のアップ時には我々はラインでしか報告は受けていないが、相当なものであったらしい。

 さて無常のことを無情かのように誤解されているむきもあるが、無常は決して無情ではない。
 賀状の中に終活の文字が増えてきたが、この地震はハッと私の目を覚まさせてくれた。
 「明日できることは今日しなくていい」というのはメンタルヘルスの鬱対策で言われる言葉だが、明日、今日と同じ平穏が繰り返されるとは限らない。ならば、「期日」までに時間があるなどと考えず、今日をしっかり生きようと思った令和6年正月。

 追伸 私は日本海側の原発が心配で心配でなりませんでした。
    原発は「トイレのないマンション」ですが、わけても地震大国に原発はもってのほかではないでしょうか。

今年も古墳時代が面白い

   12月下旬に、忘年会ではないが「世話人会」の流れでいつもの居酒屋で談論風発。
 その中で「日本人の起源説もゲノム解析で大きく変わってきた」との話題が盛り上がった。

 人種としての起源論は文化としての日本民族論ほど興味はないが、この話題は密接に結びついている。

   一言でいうと、従来は「日本人とは、元々いた縄文人と大陸から稲作文化をもって渡来してきた弥生人との混血」という二重構造説であったが、新しいゲノム解析では、縄文人と弥生人のゲノムは足しても半分以下で、現代日本人の大きなルーツは古墳時代人だということになった。
 そして面白いことに、縄文人も古墳時代人も現代日本人も周辺諸国の人々とは相当離れているというのも可笑しい。

 これは、1949年に江上波夫氏が提唱を始めた「騎馬民族による征服説」と符号が合ってくる。
 この説は、その後の歴史学者や考古学者からはほとんど支持を得ていないが、非常に魅力的で説得力もあると私は思っている。
 奈良公園には、シルクロード交流館がありそこには江上波夫コレクションが寄贈され展示されていたが、今は廃止されている。私は度々足を運んで楽しんでいたので廃止には怒っているものだ。

 さて日本の支配層は、明治18年の脱亜入欧論以降アジア諸国・諸民族を蔑視してきたから、その思想を引きずる日本会議や安倍派に代表される右翼には「万世一系の天皇に繋がる古代の大王がアジア大陸から来た」との論は生理的に受け付けないのだろうが、世界史を俯瞰すれば「日本列島だけが純粋培養の単一民族」と考える方がおかしくないか。

 とりあえずは江上波夫氏の「騎馬民族による征服説」は読み直した。これはKADOKAWAの 『発見・検証 日本の古代Ⅱ 騎馬文化と古代のイノベーション』 に収録されている。

  新司逝きはるけき荒野に寒昴

2024年1月1日月曜日

ネクタイ締めて

   あけましておめでとうございます。ネクタイをキリリと締めて新年のご挨拶を申し上げます。(四十雀シジュウカラの特徴はネクタイです)

 さて、歳は明けたが2023年中にウクライナに平和は来なかった。民間人の死亡者数は10,000人を超えた。 両軍の兵士は約500,000人が死傷した。
 片やガザでは2か月半で人口の1%にあたる21,000人超が死亡し、人口の約85%を上回る1,900,000人が避難生活を余儀なくされている。
 龍(辰)は瑞祥というが現在のところそれは見えないから、ともすれば人類の未来に絶望感さえ湧いてくる。

 だがしかし、歳をとるとよいこともあり、経験した「過去」というか「経験」が豊富になる。
 そういう目で見ると、私の若い頃は東西冷戦だった。核兵器の開発は天井知らずで空気は汚染されていった。隣国韓国は軍事独裁政権だったし、アメリカはベトナム侵略を深めていた。そのアメリカ本国では「黒人はバスで座ってはならぬ」というような差別が当たり前だった。
 言いたいことは、その一つ一つの課題に直接的には関与は出来なかったが、署名をし、デモをし、語り、歌った。文字どおり、微力ではあったが無力ではなかった。

 見渡せば不幸な現実はウクライナやパレスチナだけではない。世界中には飢えて亡くなる人々がごまんといる。日本国内にも差別に苦しむ人、福祉の届かない人々はごまんといる。
 という現実の前に「私は無力だ」と嘆いていてもなんの「微力」にもならない。
 「微力」を信じる。「希望」を信じる。今年も。
 小さなせせらぎも集まって大河となる。「微力」どおし力をお貸しください。

  丸餅と言うまでもない味噌雑煮
  お年玉用意万端孫を待つ
  迷惑メールピタッと止んでお正月