2026年7月7日火曜日

大和岩雄の著作

    先に「黒塚古墳の被葬者は誰か」という記事を書いたが、そもそもクニや大王の誕生、古墳時代の始まりは何時なのかということについて、どうしても頭の整理が追いつかなくもやもやしていた。
 言葉を変えていうと、「ヤマト王権の誕生」であり、卑弥呼の女王国との関係でもある。
 そのため、纏向遺跡の寺沢薫氏の分厚い本を読みなおしている中に、大和岩雄氏の見解などが相当論理的に参照されているのを知って、購入して読み進めたのが大和岩雄著『箸墓は卑弥呼の墓か』。
 古代史の本の中には全く論理的でない本も少なくないので、著者を選んで購入することにしているが、その中に加えたわけである。
 その内容をブログ記事に要約することなどできないが、自分自身の頭の整理のために、特に問題意識を持った個所を下記のとおりメモにした。今後その内容を深めていきたい。

 🔳 箸墓古墳築造時期は3世紀後半である。3世紀中葉すぎではない。
 卑弥呼の死は248年頃で、帯方郡の張政が248年から3年程いた間(3世紀中葉)に卑弥呼の死、墓の築造、男王即位、倭国の乱、台与の擁立、国中定まる、・・を見届けているから、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。
 卑弥呼の墓は北部九州の急造・粗製の円墳である。箸墓は前方後円墳。
 卑弥呼やその前の時代は都市国家(クニ)がそれぞれ北部九州、吉備、大和、尾張などのブロックを作っていて、それらを線で結んだ「交易組合」的な連携を図っていた。それが倭。
 57年の金印~107年倭国王帥升の頃までは北部九州+吉備がそれ。
 3世紀に北部九州の首長連合の代表が倭国王になる力が弱まり、だからといって吉備や大和の首長にそれほどの力がないため、卑弥呼が「共立」された。『女王国』の都は北部九州にあった。
 卑弥呼の死後男王が立ったが国中乱れ、台与が共立されたのが3世紀後半。その折に交易組合的連合の中で大和(纏向)に遷都された。それが台与の『邪馬台国』。
 台与の聖俗分離の政権で俗政を担当していた男子が、台与の死後台与の担っていた聖政を継続するために、箸墓古墳を築造した。築造したのは崇神天皇。被葬者は台与だが、叔母のヤマトトトヒモモソヒメと書紀に記録。ヤマト王権のスタート。🔳 さて、どうだろう。
 

 

2026年7月6日月曜日

西宮

    テレビで『新日本風土記・西国街道』の再放送を観た。
 起点は京都は東寺。そして今回は兵庫は西宮まで。
 その「西宮」だが、放送は西宮戎神社で終わっていたので、少し首を傾げた。
 というのも、この春わたしは、退職者会の会報に「西宮の地名の由来は廣田神社』と書いたからだった。さて・・・

 廣田神社は兵庫県下最古の神社で、戦前は官幣大社という格式で、そこのHPには要旨次のように記載されている。
 🔳 西宮の地名の起こりと廣田神社
 廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。
 平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。
 後に、「西宮」の語は廣田神社の荘園である廣田神郷(神戸市東部〜尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には末社の南宮や、戎社(現在の西宮戎神社)のある浜南宮を中心とした地域(旧西宮町)の地名となり、現在は西宮市の名称へと受け継がれています🔳

 その後、西宮文化協会会長のラジオをネットで聴くと、廣田神社の摂社である戎神社が海沿いであったことから門前市が広がり、いわば分家が本家よりも賑わうようになったとか。
 実際に西国街道も戎社まで伸びたようで、NHKの放送も全くのお門違いでもないようだった。

 私は子供の頃堺の真ん中で育ったが、その頃の堺の玄関口は南海本線堺駅(少し前までは龍神駅)だったが、現在では誰もが普通に、南海高野線堺東駅だと言ったりしている。
 街というものがまるで生き物のように成長あるいは老衰していくのを体感で理解している。
 NHKに注文を付ける気もないが、会報に書いた記事の補足をどうしようかと思案している。

2026年7月5日日曜日

鶺鴒に教えられる

    先日『古事記学会』の講演会で古事記研究の面白さを少しだけ知ったので、奈良大学博物館の『古事記を描く』という企画展を見に行ってきた。
 展示は、古事記の写本などから始まり主に幕末~明治の日本画が「いかにも!」という感じで描かれていた。

 古事記神話の構成上早々に展示されていたのが尾形月耕・明治24年の『イザナギ・イザナミ二神、天の浮橋に立つ図』の絵で、「二神が性交しようとしたが方法が解らなかった。そのときセキレイが飛んできて尾を振ったので二神はそれを真似て方法が解った」というものだが、何とも情けない二神の絵には力が抜けた。

 とまれ! 『古事記の企画展』であるのに以上の内容は古事記ではなく日本書紀ではないか。
 古事記では、「イザナギがイザナミに『あなたの体は、どんなふうにできているか』と尋ねたところ、『わたくしの体はでききらない所が一か所あります』と答えた。そこでイザナギが『わたしの体のでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして國を生み出そうと思うがどうだろう』とのべ、イザナミが『「それがいいでしよう』と答え」ている。
 高校の文化祭で、「わが身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」
「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり」
「吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺しふたぎて、くに生み成さむと思ほすはいかに」という劇をやったのも懐かしい。

 6月23日の記事で、三浦祐之先生が「古事記と日本書紀は別物なのに記紀神話などと言うな」「日本書紀は古事記から都合よくつまみ食いしている」と講演されたことを書いたが、そういう意味ではこの展示は及第点に届いていない。

2026年7月4日土曜日

続 皇室典範

    今まで議論さえされてこなかった内容の皇室典範改正案が国会でごり押し決定されようとしている。
 朝日新聞の報道だと、旧11宮家のうち、未婚の男系男子がいると思われるのは、嘉陽宮家、東久邇宮家、久爾宮家、竹田宮家で、その男子が、皇族(天皇家(内廷)、秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家)の養子となって男子が生まれたならば皇位継承権があるという内容だ。
 旧宮家の男子は存じ上げないが、旧宮家のその人が皇族の未婚女性と結婚(養子)し、男子が生まれれば天皇候補だという。
 ちなみに、皇族である三笠宮妃は政治家麻生太郎氏の実妹である。
 実在の人を挙げて申し訳ないが、愛子さんは絶対に天皇にはしないが、麻生氏の孫は天皇になり得るのである。
 中世、藤原北家による摂関政治を想像するのは心配性だからだろうか。
 朝日新聞掲載の図のとおり、旧宮家というのは約600年前、南北朝時代の北朝の第3代崇光天皇から分かれた家系だ。
 南朝と北朝どちらが正当かという学術的議論はしないが、約600年前に別れた家系だけが「宮家」というのも不思議なものだ。
 中世の宮廷社会では多様な男女関係が奔放であったから、「宮家の男子」に他と区別されるような要因はない。
 愚管抄の記録によれば、鳥羽院は、近衛天皇が亡くなった折、鳥羽天皇の娘八条院暲子を女帝として即位させようと真剣に考えたという。実際八条院の宮廷は盛隆であったらしいから、21世紀の右翼の人々の時代おくれは極まっている。
 そんな時代劇のような話をするまでもなく、頑なに女性天皇を拒否するのは圧倒的な社会常識に反している。
 

2026年7月3日金曜日

夏はミョウガ(茗荷)

    わが街の大手スーパーではミョウガ3個入りパックが98円になってきた。何週間か前までは160円ぐらいであったから、この値段に季節を感じる。
 この茗荷、薬味としてもピクルスとしても万能で、料理の「夏度」がグンと増す。
 ピクルスというほどの工夫もしないで私は酢漬けを冷蔵庫に常備している。
 レシピというほどのことも全くないが、私の無手勝流のそれをご紹介・・・。
1 洗って縦に3~4分割
2 塩を入れた熱湯に潜らせる
3 あげて瓶に入れてすし酢を入れる
4 あっという間にピンクになる
5 冷蔵庫に入れておくと一層鮮やかに
6 そのまま食べたり食材にする
以上おわり。
 夏の食材、なんでも来なさい。 






2026年7月2日木曜日

小選挙区制に異議あり

    自民と維新は衆院選の比例区を問答無用で45減らす法案を通そうとしている。
 となると30%ちょっとの政党が議席のほとんどを占めることもある。その余の票はいわゆる死票になる。これは国民の声を議会に反映するべき民主主義の圧殺になる。
 単純に言えば「モノ言う野党排除法案」である。

 小選挙区肯定論というと「(そうでなければ)人口の多い大都会の声ばかりが反映されて田舎の声が届かない」というのを聴くが、あえて選挙区を分けるほどの意味、つまり多様な意見や感覚の相違というと、それは「都会対田舎」だけだろうか。
 例えば男性議員選挙と女性議員選挙を考えればどうだろう。
 年齢階層別選挙という想定もあり得る。
 海に近い地方だといっても全員が漁業関係者でもないし、もっと言えば、健康な人と病弱な人の政策への切実さは異なるだろう。
 と、あえて言ってみたが、学級代表による児童会でもないし、合衆国でもないのだから、それらの少数意見や切実な課題は真面目な政党が伸びれば今以上にフォローはできる。

 反対に、議員としての見識や、もっと言えば人間としての人格に首をひねりたくなるような議員が現に存在するのは、小選挙区の地域内の公共事業や公的な補助金や経営上の上下関係などの利権の「圧」を制したが故の「当選」も想像できる。
 あえて言えば、小選挙区制と政党助成金がこの国の民主主義を大いにゆがめている。
 自民と維新の衆院定数削減案は、この歪みを爆発的に広げるもので、こんな法案は許してはならない。

2026年7月1日水曜日

備後国風土記

    昨日は水無月晦日、夏越の大祓の日。
 備後国風土記逸文に「蘇民将来」の話がある。
 🔳 「吾(あ)は速須佐能雄(はやすさのを)の神なり。後の世に疫気(えやみ)あらば、汝(いまし)、蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫(うみのこ)と云ひて、茅の輪を以て腰に着けて在る人は免れなむ」と詔りたまひき。🔳 
 これが夏越の大祓の茅の輪くぐりの起源ともいわれているが、「腰に着ける」から「大きな輪をくぐる」への変化の理由はよくは知らない。
 6月27日には「茅(ちがや)に強力な霊力があるとするのは古く中国の江南道教(茅山道教)経典『抱朴子』にある」と書いたが、その思想が日本の神社の注連縄(しめなわ)に、そして大祓の大事な行事を荘厳する茅の輪に発展したのではないだろうか。

 なお、上記に引用した文の前に、「茅の輪を腰に着けた蘇民将来の女子一人を除いて皆ことごとく殺し滅ぼしき」とあるから、スサノオ、けっこう恐ろしい。
 吉備か出雲の支族がアマテラス軍に敗れた記憶が投影されているのだろうか。

2026年6月30日火曜日

皇室典範改悪

    「皇族」というものについて興味もなかったし、それゆえに知識も乏しいのだが、6月28日付朝日新聞の『天声人語』に要旨次のとおりの記述があった。
 1 改憲に絡んで13年前に麻生太郎元首相が「気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか」と言っていた。
 2 政府・自民党らの皇室典範改正案が出てきた。それは「皇族数の確保策」と言いながら、実は男系男子のための養子案解禁で、女性天皇排除の布石も潜りこまれている。
 3 麻生氏は自民党の会合で「ようやくここまでたどり着いた・・」「今国会で皇室典範の改正を成し遂げたい」と語った。
 4 麻生氏の実妹は三笠宮妃である。もし養子をとれば、麻生家が天皇の外戚になる可能性がある。
・・・現在は皇族を外れている遠い過去の天皇からの男系男子が、例えば三笠宮家の養子になれば・・ということだろうか?(よくは知らないが)
 ちなみに、「男系男子」を大きく主張されている竹田恒泰氏は明治天皇の玄孫だが、途中に女性親王がおられるので、竹田家の方で男系を遡らなければならないが、それは南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の15世皇孫の伏見宮まで辿らねばならない。
 ちなみに、明治のころの某宮家は妃1人、子どもを産んだ女房9人で、「17男15女」の子があったが、男系男子論ならこれが一番の正解だろう。
 一夫多妻は近代の天皇家まで続いていたが、今その復活を大ぴらに主張する声は聴かないが・・・
 「誰も気がつかないうちに変わっていた」・・そうならないように、主権者たる国民が考え、かつ主張しなければならない。
 降って湧いたような男系男子養子復活論よりも、オランダやイギリスのような男女平等長子論の方がよほど常識的ではないだろうか。

2026年6月29日月曜日

台風一過

    台風8号7号が来たが、テレビの進路予報円は以前に比べて格段に小さくなった。ということは進路予想の精度が格段に上がってきたということ。大いに感心、感心!
 台風という自然に対して科学というか人間が大いに前進(フォワード)したように見えたが、そんな中、大阪市南部の大雨対策排水施設(ポンプ6基)が水没して運転不能であったというニュースが飛び込んできた。大雨対策施設が大雨に敗けたというお話にならないお話でこれは気分が良くない。いかにも維新の市政らしく思ってしまう。

 今回の8号7号は台風としては大きくはないものだったが、全国的に大雨による被害が続出した。かくいうわが街にもレベル5の地区が出て、遠方からわが家に安否確認の電話などがあった。ただそのピークの25日~26日の夜間頃、私は心臓の発作があり救急の病院で全くの別世界にいた。

 台風一過、こういう時こそ本を読もうと思って、以前にJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)のことを書いた新潮選書・坪木和久著『天気のからくり』の台風関連の章を読み返した。
 熱帯の暖かい空気が上昇気流になって・・というほど台風は単純ではない。
 その理屈も面白くはあったが、今世紀後半には地球温暖化により、スーパー台風が日本本土付近まで到達するという研究結果には、温暖化に反して薄ら寒いものを背中に感じた。

    【補足】先日、奈良県平群町のメガソーラー建設許可問題で大阪高裁は住民運動勝訴、奈良県敗訴の逆転判決を出したが、写真のとおり現場ではやっぱり土砂の崩落が発生した。
 現場は「工事完成」と言われている場所で、流れた土砂は数百㎥~1000㎥、人家に約800m。この現場での土砂流出は4度目という。
 奈良県は躊躇なく判決に従って早急に地域の安全を確保すべきである。

2026年6月28日日曜日

古事記にハマる

    古事記学会の講演会の三浦祐之(すけゆき)講演が新鮮だったことは、6月23日に「国譲り」という言葉にスポットを当ててブログ記事に書いた。
 そこで講演の翌日に近所の書店の在庫状況をネットで調べたところなかったので、次善の策としてアマゾンをポチッとするとその日の夜遅くに配達されたのが、ちくま新書・三浦祐之著『古事記を読みなおす』であった。

 三浦氏は講演でも「記紀神話などという捉え方をすると大間違いだ」「古事記と日本書紀は大いに異なるものだ」と強調されたが、出雲神話の分量やその視点は書紀とはある意味正反対のよう”でも”ある。
 となると、書紀と同じように天皇から求められて苦労して書き上げたという太安万侶の「序」は序としては偽書であろうと著者はいう。
 そして、古事記は書紀以前にほぼ完成していたが国家には正式採用されなかった。却下された??
 それを、まるで採用されたかのように安万侶は後に序を書いた。・・・面白い。
 それではほんとうに古事記を書いたのは誰か。滅ぼされた出雲に大いに心を寄せて書いたのは誰か。
 私はワクワクして本を読み進めたが、真犯人?にはたどり着けなかった。

 ただ、古代の大豪族は夫々「氏(うじ)の歴史」を持っていた。だから書紀にも「一書曰く」としていろんな説が述べられている。
 昨日の記事を振り返ると、大神神社は伊勢神宮よりも古い(長い)歴史を持っていた。
 古代に大神神社の祭祀を担っていた大豪族は大神氏であった。
 大神神社の大物主大神は出雲の大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)である」(書紀)と称している。いろいろ推理は広がる・・・・

 「三輪王朝説」でなかっても、古事記がこんなに楽しいものだったとは知らなかったし、楽しい宿題を受け取った気分でいる。

2026年6月27日土曜日

夏越の祓

    6月も末に近くなったので、大神(おおみわ)神社 に行ってきた。
 大神神社には本殿はなく、『三ツ鳥居』を通して三輪山自体を拝するというのは伊勢神宮よりももっと古式を残している。
 つまり、アマテラス軍に敗れたオオクニヌシ軍の祟りを鎮めた神社だと思う。
 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)大国主神(おおくにぬしのかみ)というのもその名からすると造物主というか創造神であるから先住民であると宣言している。

 「大物主大神は大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)である」(書紀)という教義は凡人には難解だが、大神神社のフォーマル(公式?)な祈りの言葉である『幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきはえたまえ)』と三度唱えてお詣りした。
 大神神社といえば独特の『三ツ鳥居』で、別名三輪鳥居というように古書にも「一社の神秘なり」とある。
 茅の輪も、それに対応した独特の三連の茅の輪で、真ん中の茅の輪の上には杉、右の茅の輪の上には松、左の茅の輪の上には榊という三霊木が掲げられている。
 〽水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり~という古歌を声を出して歌いながらその三つの輪を8の字形にくぐって帰ってきた。

 茅の輪くぐりの起源で有名なのは『備後国風土記』逸文にある蘇民将来伝説であるが、そこには「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」とあって「大きな茅の輪をくぐれ」ではないので疑問は残る。
 ただ茅(ちがや)に強力な霊力があるとするのは古く中国の江南道教(茅山道教)経典『抱朴子』であるから、「遠からず」であろう。

2026年6月26日金曜日

母は昔はパパだった

    室町時代の日本初のなぞなぞ集「後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)」に「母には二たびあひたれども父には一度もあはず」という問いがあり、答えが「唇」というのは有名な話。

 昔、テレビで大野晋先生が、万葉集を「ふぁふぁぱぱ・・なんとか」と、まるで昨日にも家持(やかもち)に会ってきたかのように当時の発音で詠んでいたことが不思議だったが、万葉仮名を隋唐時代の中国語の音韻や、時代が下って室町時代のポルトガル人宣教師による日本語辞書で再現できている(らしい)。
 その結果、ハ行を例にとると、奈良時代は「パピプペポ」。平安時代には「ファフィフフェフォ」になり、18世紀前半ごろに「ハヒフヘホ」に変化したことが解かっていて、こうして「母は昔はパパだった」となる。

 先日の『古事記学会公開講演会』の森博達先生の講演は、日本書紀の文体がα群とβ群とで種々異なることから、その筆者までも推定した内容のある講演だったが、面白く興味深かったのは、先生が、古事記の中の有名なヤマトタケルの歌を『上代音』で朗々と詠いあげてくれたことだった。
 以下に書くが、歌の雰囲気が伝わるかどうか・・・・

夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母礼流 夜麻登志宇流波斯
ヤマとパ クニのマぽろパ タタナヅク アヲカキ ヤマごもレル ヤマとチウルパチ
LLHH HHHHHHL LLHHH LLHH LLLLFL LLHFLLLF
(平仮名:乙類相当、 H:高平調、 L:低平調、 F:下降調、 ハ行:P音、 シ:チ、 ヅ:du)

*画像はネットにあった和楽webのもの

2026年6月25日木曜日

ニセ伝統に注意

    6月14日に『伝統という言葉』を書いたが、昨今の皇室典範をめぐるニュースを見ていると、いわゆる男系男子などという時代錯誤が大手を振っているようなので、6月14日の続きを書くことにする。

6月13日早朝の『ラジオ深夜便』で大阪天満宮文化研究所所長のインタビューが再放送されていて、天神祭りの話などを楽しく聴いたが、その中に、「無実の罪で追われ恨みを抱える天神様(菅原道真)に同行する神輿には、天神様が荒ぶった際におさえるために天台座主「法性坊(ほうしょうぼう)尊意」を乗せていた」というのがあった。
法性坊尊意は道真の仏教学の師であり、大旱魃に雨を降らせたり、平将門の乱の折には将門を調伏した実力者であった。大天狗とも言われていた。

「伝統」という言葉を使うならこれが元々の「伝統」なのだが、しかし明治の神仏分離によって変更(法性坊尊意は退場)せざるを得なくなり、結局、日本書紀に登場する相撲の神「野見宿禰(のみのすくね)」に交代。さらには神輿を増やして、日本神話の力持ちの神「手力雄命(たぢからおのみこと)」も加わって現在に至っている。
普通には庶民はそれを949年頃からの伝統のように思っているが、真実は明治の神仏分離令以降のスタイルなのである。

私の言いたいことは、伝統行事は古代や中世に帰るべきだというようなものではなく、変化するのは悪くはないが、それを中世以来の「伝統」だなどと嘘を言うな!ということである。
『虎に翼』の台詞つまり戦前の民法は「既婚の女子は無能力者」であった。
そんな思想を伝統だなどと言って、現皇后にも「男子を産め」と攻め立ててきたのではないかと想像するが、たかが明治以降のしきたりを「伝統」という言葉で思考停止させるような皇室典範改正には良識ある現代人はNOを言うべきだろう。

2026年6月24日水曜日

春紫苑と姫女苑

    ハルジオン(春紫苑)とヒメジョオン(姫女苑) はよく似ていて間違いやすいが、名前そのものも間違いやすい。
 私が持っている広辞苑第三版にはハルジョオン(春女苑)とあるが、田中修著『雑草のはなし』では1998年発行の広辞苑第五版では春女苑は消え春紫苑(ハルジオン)と代わっていて、それが正しいらしい。春女苑は間違い。

 わが散歩道の写真のそれはヒメジョオン(姫女苑)。
 非常に可愛い花だがその旺盛な生命力ゆえか、ハルジオン、ヒメジョオンともに要注意外来生物に指定されていて、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。
 地方によっては庭の手入れができなくなると生えてくるから貧乏草とも呼ばれるらしい。

 先入観抜きで眺めると可愛いものだが、人間という奴は勝手に差別する。

 

2026年6月23日火曜日

古事記学会の講演で

    6月14日の『伝統という言葉』で、例えば歴代天皇の即位時の装束は「テレビドラマで見るような平安以来の貴族のそれ」 ではなく、明治天皇の前の光明天皇までは「中国皇帝同様の装束」であったことに、たかが明治以降のしきたりを、まるで古代や中世以来の『伝統』であるかのように思わされている『情報操作』に驚いたことを書いた。(以上、前説)

    先日、古事記学会の公開講演会で三浦祐之先生の講演を聴いた折、前述のことと同様の指摘があり大いに考えさせられた。
 講演の中の一部ではあるが、レジュメには『国譲りという目眩まし』とあって、先生は「古事記にはそもそも「国譲り」なる語は出てこない」として下記のように現代語訳を述べられた。
 🔳 ここをもちて、この二柱の神(タケミカヅチ、イツノヲハバリ?)は、出雲の国の伊耶佐の小浜に降り到ると、十掬の剣を抜き、波の穂に逆さに刺し立て、その剣の先にあぐらをかいて座り、そのオオクニヌシ神に問うて、言うことには、
 「アマテラス大御神とタカギ神との仰せにより、問いに遣わせなさったのである。なんじが領(うしは)いている葦原の中つ国は、わが御子が支配なさる国であると、おことばを寄せなさっている。そこで、なんじの心はいかがか」と。・・・🔳
 このあとオオクニヌシの子のタケミナカタを科野(しなの)の州羽(すわ)の海まで追い、突き殺そうとした・・・

 つまり、古事記にあるのは『国譲り』というような平穏なものではなく、まるでプーチンやトランプのような「砲艦外交」「軍事制圧」である。
 それを『国譲り』なる語で修飾した文章はほんの一部江戸末期にみられるが、本格的には、近代の、戦前の天皇制を支えた国定教科書によって広められた政治的な呼称である。
 以上を踏まえて帰宅してから、千田稔監修の別冊太陽「編纂1300年記念 古事記」を調べてみると、そこには堂々と「大国主神の国譲り」のほか、「国譲り」という文字があふれていた。

 昨今、女性天皇はあり得ないとか夫婦別姓はあり得ないという主張が政権主流から喧伝されているが、そしてその根拠のような「証文」として『伝統である』と主張されれているが、よく吟味すればそれらは明治の絶対主義的天皇制のもとで構築された偽りの『伝統』でしかないことが多い。
 元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。
 男であれ、女であれ、偽りの『伝統』という言葉にひれ伏してはならない。

2026年6月22日月曜日

遠慮なしで

    6
3日の『今日の大阪ことば』で「妻が『母親が【おけんたい】という言葉を使っていた』と教えてくれたが私は知らなかった」と書いたが、先日、上方文化に造詣が深い友人二人にその話をすると、二人とも即座に「自分からはあまり使わないが知ってはいる」と返事があった。

 Kさんは、「母親なんかが日常的には『おけんたいにもの言うて』等と言っていた。相手の発した言葉に対して軽く受け流す、多分に上から目線な言い方だったように感じている」。
 Yさんは、「あそこ(家、場所)やったら『おけんたい』や」、「○○さんやったら『おけんたい』や」、「そんなん(行為)『おけんたい』や」というように使っていた・・と。

 そして翌日Yさんから、「何処かで聞いた記憶があり一日中探すと『米朝落語』にあった。『百年目』で番頭の隠れ船遊びの中で『障子開け放したら覗かれたらあかんさかい、ピシャッと閉めとき、閉めて閉めて、閉めて。『おけんたい』で行けるのやない世間はばかって行てる花見やないか・・というのがあった」とメールが届いた。 
 で、なるほどその手があったかと本などを繰ってみると、米朝の『百年目』に「大きな声出したらいかん。迎えに来いでもえぇっちゅうねん。あんだけ『けんたい』に行ける花見やない言ぅたぁるやないか」というのがあり、ネットには「やいやい言いな。『おけんたい(公然と、堂々と)』で行く花見やないとあれほどゆうたぁるやないか」もあったし・・
 さらには、『昆陽の御池』に「シ~ッ! 大きな声出しな、『顕態(けんたい)』でやれることやってんのんと違うで」というのと、『注意書』で『ケンタイ=平気・当然・大っぴら。遠慮しないで』まであった。
 おまけに桂米紫の『十七蔵』に「『おケンタイ』で浮気がでけるといぅ、これやなんか、今日のお土産でございます。その代わり・・」というセリフと、先と同じ『注意書』があった。・・平気・当然・大っぴら。遠慮しないで・・と。 

 上方落語は『日本国語大辞典』以上の活きた辞典だが、これを実際の会話の中で使用するには私の「上方文化度」は低すぎる。

2026年6月21日日曜日

クラベスは宴会のアイテム

 私が「貸して」と頼んでいた『成瀬あかりシリーズ3冊』を持ってきてもらった際、5月8日に書いたクラベス(ラテンなどの拍子木)を息子に渡して、「何らかの閉会のあいさつで手締めをするときに利用したらいいよ」と言うと、「特にコロナ以降そんな機会もほとんどなくなった」と返事があった。
 「それはあっさりとしていいね」と半分思いつつ、「無駄もまた有用な側面があるのにな」と首を傾げた。
 息子が「だから近頃の若い者は呑み会の運営ができない」と付け加えたのにはもうふき出したが・・・
 新聞やネットの論調では「会社の飲み会ほど無駄なものはない」「不本意で参加している」というのが圧倒的主流であり、そういう側面も十二分に理解しているが、「それにしてもそれほどバッサリ否定するか」ともやもやする昔人間である。

 昔話になるが、少し大きな仕事を乗り越えたときには「ご苦労さん会」があったりした。そのためには、会費をいくらにして、それを徴収して、酒肴を考えて購入して、本番を少し楽しく運営して、最後は片づけて・・・、
 各人の諸条件を大事にしつつも、・・・「まったく古いつまらぬ作業」ではなかったと思う。
 そんなことは外国ではありえない非民主的な「会社主義だ」との意見には一理も二理も認めるが、・・・どうなのでしょうかね。
 子どもたちが外国で勤務したりしているご同輩も少なくないが、感想を教えてほしい。
 なにしろ我が息子が「近頃の若い者は・・」というのには、いささか可哀相にと複雑な感慨を覚えている。
 私はしっかり「前世紀の遺物」に仕分けされている。

2026年6月20日土曜日

ニセ・ニセアカシア道

    13日の日曜夕方のテレビ『青空レストラン』で「アカシア蜂蜜」を「蜂蜜の女王」だと紹介していたが、そこに映っていた花は私の知っているアカシアではなかった。
 昔、庭にミモザ(銀葉アカシア) を植えていたことがあり、私の理解ではアカシアは基本的にはそういうものだったが、映っていたのは白いはっきりした蝶のような花だった。

 さて、スマホの検索機能はすごいもので、その「アカシア蜂蜜」の花はニセアカシア(ハリエンジュ)であることはすぐに解った。
 妻が「大きな木ではないがそんな葉の木がどこそこにある」といってくれたが、「それはチョコレート色の花ではないか」と私が答え、以前にブログに書いたイタチハギ(鼬萩)(クロバナエンジュ)であるということでその話は終わった。

 そして「季節のピークは過ぎたようだがニセアカシアの花とミツバチを見たいものだ」と呟くと、「奈良の萬葉植物園にはある」とか幾つかの検察結果を妻が教えてくれたが、そのうちに「近所(このニュータウン内)にもありそうだ」と「新発見!」というような声を出した。
 ただ文字情報はざっくりしていて、なかなかその場所は解らなかったが、そのうちに駅の西の団地に沿ってけっこう長い「ニセアカシアの道」があることが解かったので、確認のために出かけたが、URの団地の案内看板には確かに「ニセアカシアの道」という文字を見つけたが、周辺も含めて何度も歩いてみたがニセアカシアは見つからなかった。
 お近くの住人らしい御方に尋ねるも、その小道の名前(通称・愛称)が「ニセアカシアの道」であることも、その種の木が生えていることも全く知らないということで、ただ私にそのようなことを話しかけられたことが楽しかったようで、「この先にあるユリノキが好きです」「ユリノキの葉の形は・・・」と親切に解説をしてくれた。
 
 という、ちょっとした挫折を乗り越えようといろんな検索をすると、この「ニセアカシアの道」という遊歩道はさらに伸びていて、実は日頃私が歩いている道の一部も「ニセアカシアの道」であるという驚きの発見もあり、それではと、妻と二人でゆっくりと探索したが、それらしい木やその痕は全く見つけられなかった。
 こうなったら・・と、この街を造成したUR(古い古い名前でいうと住宅公団)や市役所の出張所に行って、「この名前の由来であるニセアカシアがある(あった)場所はどこか」と尋ねたが、どちらも、この遊歩道の名前が「ニセアカシアの道」であることさえ知らなかった。Google Mapsには出てくるが、私自身四半世紀以上知らなかったのだから無理もない。

 きっとNTを造成した当初は目印に相応しいニセアカシアの木があったか植えられたかしていたのだろうが、自然にか、あるいは何らかのクレーマーの声で伐採されて久しいのだろうと勝手に想像する。
 かくして私(わたくし)的には、この道の名前は『ニセ・ニセアカシアの道』に決まった。

2026年6月19日金曜日

孫の小説

    宮島未奈著で本屋大賞などを受賞した『成瀬は天下を取りに行く』など成瀬あかりシリーズ三部作を呼んだ。
 児童文学でもないからやはり青春小説かも知れないが、なにも小説にその種のカテゴライズが必要なこともないだろう。
 孫の中学生夏ちゃんから借りた本で、老眼に鞭打って読み終えた。
 主人公はけっこう型破りでマイペース。夏ちゃんが共鳴したかどうかは知らないが、祖父ちゃんが「貸してくれる?」と言ったら快く貸してくれたから、面白かったのだろう。

 私は中学生の頃、石坂洋次郎の『若い人』や『青い山脈』をワクワクして読んだ記憶が湧きだした。
 妻などはスマホのトラブルがあると夏ちゃんに助けてもらっているが、そんな夏ちゃんがスマホ世界でない活字世界に少しでも残ってくれていることが嬉しい。
 同じ文字(文章)でも、スマホの中の文字数に比べて活字世界は、何千倍、何万倍も長く、読み終えるまでに時間が要る。それが好い。
 すぐにたどり着く答など面白くもなんともない。
 そう思ってくれたら、青春小説も素晴らしい。

2026年6月18日木曜日

スマホ決済

    スーパーで、この間までお客様のサービス係であったレジの人がいなくなり、基本的にお客自身が何でもするようになった。セルフレジの時代である。
 で、少し後方にいる店員の仕事はというと、・・監視だ。だんだんつまらぬ世の中になってしまった。

 先日『Frog  jump・蛙跳び』で書いたが、この間まで発展途上国などと言われていた国々でキャッシュレスが広がり、日本旅行に来た観光客がコインや紙幣を見て「懐かしい」というらしい。
 ニュースでは近々電車の切符がQRコードになって 読み取り方式になるというから、阪急北千里駅で「ここが日本で一番最初に自動改札機を入れた駅だ」みたいな蘊蓄も間もなく消え去るだろう。まあ、目の前で前の人の切符が詰まってバシャンというのは昔話にはなる。
 スーパーなどでお年寄りがスマホ決済で対応されているのには驚くが、言うてるうちに駅も含めてすべてスマホ決済になるのだろうか。

 先日、ご近所のご高齢の女性が「スマホでコードを送るのが上手くいかないが」と尋ねてこられた。
 そのことには対応して「怪しい事案には軽々に対応しないよう」申し上げたが、私自身が老いていくのと社会のIT化とこの先どこでクロスするのだろう。

 ネット通販もけっこうする方だが、品物到着後現金振り込み方式は全く心配がなくていい。
 つい先日は、これまでカード決済だったネット通販が何らかの理由で「コンビニ決済」ということになったが、初めての経験で、だいたいどの機械をどう触るのかもわからなかった。すると店員さんがつきっきりで教えてくれたので対応する料金を支払った。
 帰宅すると、PCに「入金を確認しました」と入っていて、これがコンビニ決済かとひとつ賢くなった気分になった。
 ご同輩の皆さんはこの荒波の中をどのように対応されているのだろうか。

2026年6月17日水曜日

日傘

    モネが『日傘をさす女』を描いていた時代はまだよかったが、異常気象はそれ(日傘)をまるで「防護服」のような地位にまで高めた。
 わが家の前を通る小学生たちも当たり前のように日傘をさして通学している。
 かくいう私も子どもたちから「強い陽射しに気をつけろ」といわれていて、最近は本格的な?晴雨兼用の傘をさしている。
 生地も少々厚く内側は黒だから、日傘は女性が使うとか日傘は白いという既成概念は早くに崩れている。日傘の男性同士すれ違うのも茶飯事だ。

 奈良公園を歩くと雨でも傘をささない西欧人が目につくが、帰国してから「傘の国ニッポン」を土産話にするだろう。
 

2026年6月16日火曜日

鱧の皮

    家庭菜園のキュウリが大きくなってきたらスーパーの魚売り場に『鱧の皮』が出てきた。
 キュウリは今回は写真の左の『半白胡瓜』(約30㌢強)にした。ミョウガも加えた。
 鱧の皮は一手間加えるとグレードアップするが、ここは手抜きをして、そのまま「簡単酢」でキュウリとあえて一丁上がり。
 夏にはこの簡単さも嬉しい。
 この料理の名前はそのものずばり『鱧の皮』。または『はもきゅう』もしくは『鱧皮のザクザク』。

    農林水産省のホームページの「食文化・郷土料理・大阪」から少しコピペをすると・・
 🔳 古くから海運業や商業で栄えた大阪では、鱧(はも)が大量に水揚げされ流通した。夏が旬とされ、「鱧は梅雨の水を飲んでおいしくなる」といわれるほど。そのため夏に行われる天神祭りには鱧を使ったさまざまな惣菜が食卓に並ぶ。
 大阪ではかまぼこの原料として鱧が用いられる。かまぼこを作るために鱧の身をこそぎ取ると、後には皮だけが残る。この皮の小骨を取り除き、醤油などを塗って炙ったものを、きゅうりと甘酢で和えて酢の物にしたのが「鱧皮のザクザク」である。残った皮までおいしく使う“始末の精神”にあふれる大阪ならではの家庭料理で、あっさりと食べられるため夏によく合う。
 料理名の「ザクザク」とはきゅうりを切るときの音とも、食べるときの音ともいわれる🔳

2026年6月15日月曜日

黒塚古墳の被葬者を考える

    数か月前に小笠原好彦先生から「黒塚古墳の被葬者を考えよ」という宿題が出されたので、改めて黒塚古墳、同展示館、山城の祝園神社 等を訪れ、このブログで2月17日『黒塚古墳の被葬者を考える』、2月21日『黒塚古墳の時代』を書き、骨子をいうと「古墳時代最初期である日本書紀崇神紀の大きな戦であった武埴安彦(たけはにやすひこ)の乱に勝利した武人彦国葺(ひこくにぶく)こそが被葬者ではないか」と考え、その旨を記したペーパーを先生に提出しておいたが、先日の講座で先生から次のとおりの講義がなされた。

 非常に粗っぽく聴いた骨子を書くと・・
 1 黒塚古墳の石室には天井石がなく板石を合掌型に組んだものであって、それらのことから考古学会の定説は古墳時代最初期、3世紀後半の築造とされているが、最初期の前方後円墳の石室に天井石が用いられているものがあるから、合掌型の石室であることをもって最初期、3世紀後半と考えるべきでなく、多くの古墳の石室に天井石が採用されている時代(4世紀前半)ではあっても、例外的に、板石合掌型を好んだ工人集団によって築造されたものであろう。

 2 柳本・箸中古墳群には40基ほどの前方後円墳があるが、このうち、大和平野の方向である西向きの古墳は、箸墓古墳、行燈山(あんどんやま)古墳(崇神陵か)、渋谷向山古墳(景行陵か)、という大型古墳と黒塚古墳の4基のみである。つまり黒塚古墳の被葬者は天皇に準ずる高位の人物と言える。

 3 上記に相応しい人物を崇神、垂仁、景行紀に求めると、垂仁紀にある五十瓊敷命(いにしきのみこと)がいる。
 五十瓊敷命は垂仁と日葉酢媛(ひばすひめ)の長男で、次男である景行(大足彦命・おおたらしひこのみこと)に天皇位を譲った者である。
 後の例だが唐の李憲と玄宗皇帝の例では、李憲が没すると玄宗は譲皇帝(じょうこうてい)の諱(いみな)を贈り、皇帝の衣装を着せ、皇帝に準じて葬儀をさせた。
 五十瓊敷命は景行にとっての李憲・譲天皇であったのであろう。

 4 「西向き」の意味は、水野正好先生の意見にあるように、前天皇の葬儀が終わると新天皇の即位が周知され、新天皇は「国見(くにみ)」をしたであろう。故に柳本・箸中古墳群の天皇陵と推定される古墳は国=平野である西向きとなったのであろう。

 ・・・以上が骨子と思われるが、考古学的な証拠はもう一つ十分ではないように思う。
 確かに、副将軍クラスの彦国葺にしては、立地条件がよすぎるという問題はあるが、四道将軍の例もあるから、そういうこともあったと考えられないか。
 「合掌型石室をもって最初期・3世紀と断ずるのは早計」との指摘は傾聴に値するが、テーマは十分に解明されたようには感じない。
 まあ、だから古代史は面白い。

2026年6月14日日曜日

伝統という言葉

    6月13日の朝4時5分から、NHK『関西発ラジオ深夜便』で大阪天満宮文化研究所高島幸次所長のインタビューが再放送され、天神祭りの話などを楽しく聴いた。
 その中で、天神祭りに関わって「伝統は常に変革を繰り返す」という話があり、例え話で「天皇即位の装束というと平安時代のイメージがあるが、明治天皇の前の孝明天皇までは中国皇帝の装束だった」という話が新鮮だったので、その装束である【袞冕(こんえ・こんい)十二章】というのを調べてみた。・・摘んでいうと・・・
 
    🔳 袞衣(こんえ、こんい)とは、天皇が即位の礼や朝賀などの儀礼で冕冠(べんかん)とともに着用した礼服である。
 冕冠と袞衣を合わせた装束は冕服(べんぷく)、袞冕(こんべん)とも呼ばれ、袞冕十二章とも称された。
 弘仁11年(820年)の嵯峨天皇の詔では、神事には帛衣、朝賀には袞冕十二章、諸行事には黄櫨染御袍を用いることが定められた(『日本紀略』弘仁1122日条)。
    袞衣は当初は朝賀に用いられたが、のちには即位の礼でも着用するようになった。袞衣は孝明天皇の即位の礼まで使用されたが、明治天皇以降は即位の礼では一般に黄櫨染御袍が用いられるようになった。 
 頭上には、五色の玉を以って飾る冕冠(べんかん)をかぶり、身には袞衣(こんえ)を召され。袞衣は表衣と裳からなり、表衣(赤色の礼服)には、袞龍(こんりょう)と呼ばれ両袖に龍の縫い取りがある。日・月・七星・龍・雉(華虫)・山・火・虎と猿(宗彝そうい)の八章、裳には藻・粉米・斧(黼ふ)・己(黻ふつあや)の合わせて十二章を附ける。🔳

    本稿の主眼は「皇室の装束」ではないのでこれ以上深入りはしないが、昨今、皇室典範の改正問題をめぐって、いわゆる保守と自称されている方々が明治から昭和の敗戦までの事々をまるで古代や中世以来の「伝統」というように言うことが多いが、この明治から昭和前期までの時期というのは日本歴史でいうと「あだ花」のような例外でもあったわけで、その時代のことをもって軽々に「伝統」などと言う者は、歴史について決定的な勉強不足の者か、あるいは別に「下心」がある主張ではないかと思ったところである。

 私は皇室のあり方を古代に戻せ中世に戻せと言っているわけではない。それよりも、冒頭の高島氏の主張のように、伝統は変革されてよいとの主張に大いに同意する。
 ただ一言、伝統でもないことを「伝統だ」の一言で問答無用にすることには大いに反対する。

 図は上から、
 ● 袞冕十二章を身にまとう霊元天皇。『霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風』より
 ● 袞冕十二章を身にまとう後三条天皇(石本秋園『大礼服着御図』)
 ● 孝明天皇の袞衣(大袖と裳)
 ● 令和元年の『黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』(明治以降の装束)


2026年6月13日土曜日

錦糸卵

    孫の凜ちゃんが夕食に来るというので、素麺パーティーにした。
 先日の『ケンミンショー』で、高知県の皿鉢料理風 ド派手な素麺が面白おかしく紹介されていたが、わが家は以前からそれに近い「具だくさん」の素麺である。
 そして毎回、錦糸卵は私の担当ということになっているが、今回は少し準備の時間があるので、本格的?な錦糸卵を作ったので、少し紹介する。

 その1、見た目だけでなく味も抜群なものにするため、基本ベースを厚焼き玉子のレシピにした。といっても、鱧やなんかの身は手に入れにくいので、シーチキンを擂鉢で徹底的に擂りつぶした。塩味はあるのでほんの少しの砂糖を加えてペーストにした。その小型のシーチキン1缶に卵を7個溶き、白だし少々で材料を準備した。

 その2、私は小型の四角い玉子焼き器を使うのだが、徹底した弱火と蓋を使って焦げ目は付けないようにした。レシピの動画などを見ると焦げ目の付いたものがあるが、私には「そんなもの考えられない」代物である。

 そしてもう一つのこだわりは、それを玉子焼き器のままアラジンのグリル&トースターに差し込んで表面処理をして、そのあと重ねてもくっつかないようにして、少し冷めてから重ねた卵を錦糸に切り分けた。
 自分で言うのもなんだが、この錦糸卵だけでもご飯が食べられる程度に仕上がった。
 もちろん、凜ちゃんは食事中に「そうめんパーティー ボ~ノ!」と言ってくれた。

2026年6月12日金曜日

大半夏(おおはんげ)

    あと十日もすると夏至になる。七十二候では夏至の末候は『半夏(はんげ)生ず』であるが、長い間これは「半夏生(はんげしょう)の季節だから」 と思っていたが、半夏(はんげ)が「生ず」だから「生え始めるころ」らしい。

 それよりも半夏(はんげ)は普通にはハンゲショウというから、葉の半分だけが綺麗に白くなるので「半化粧」だという説を信じていた。
 この半夏(はんげ・はんげしょう)の本名?はカラスビシャク(烏柄杓)という草(雑草?)だが、立柄杓を連想した先人の感性には感心する。

 先日、東大寺の法華堂近くを歩いていて写真の草を見つけた。
 普通には、ナンキンハゼの若木、ワラビ、まれにアザミしか生えていない場所なのでハテ?と覗き込んだ。
 ここに挙げた草木は毒性などのため鹿が食べないものだから、きっとこれにも同様の毒性があるのだろう。
    ・・・従来だとそこで写真を持ち帰ってから本を調べ始め、果ては図書館まで行かなければならなかったが、今はスマホをかざして「しらべる」を押したら終わりである。
 音を立てて脳みそが劣化していく音が聞こえそうだ。
 そのスマホが瞬時に教えたのは、『オオハンゲ(大半夏)』。・・大きな半夏みたいな草。なるほど。

 サトイモ科なので有毒なのだろうが、鹿はどうして有毒であることを知っているのだろう。
 普通に田畑の周辺に生えていたのでは見向きもしなかっただろうが、奈良公園のまん真ん中で生えていたので、ハテ?と思っただけ。
 結論、奈良公園で鹿の食べないものは食べない方がよい。と皆なに言ってワラビを採って帰るとよい。

2026年6月11日木曜日

女性天皇で何が悪い

    衆参両院の正副議長は8日、皇位継承のあり方に関する全体会議を開き、「とりまとめ(案)」を与野党・会派に示した。
 日本共産党は田村智子委員長と小池晃書記局長が出席。小池書記局長は、男系男子による継承を「不動の原則」とする同案は男女平等を掲げる憲法の精神に反すると批判し、「立法府の総意」として政府に立法作業を要請することに「断固として反対する」と述べ、象徴天皇は国民の総意に基づくもので、国民の大多数は女性天皇に賛成していると指摘。女性天皇について正面から議論すべきだと要求した。

 このニュースを聴いて私は極めて良識的な意見だと感じ、「女性天皇についての正面からの議論」を一切無視する人々の方が不誠実だと感じたが如何だろう。

 男系男子論者は問答無用で「伝統が大事だ」というが、男系男子論の大前提は一夫多妻制であるから、それが判っていて、大ぴらにはそう言えないからムニャムニャムニャと議論を避けているのは明らかだ。
 日本共産党は象徴天皇制を含めて憲法改悪反対、護憲を言っていて傾聴に値する。
 イギリスを挙げるまでもなく、世界中で女王の国はあるし問題視されてはいない。
 オリンピック招致をめぐって犯罪行為の追及を受けたり、司法の場で差別発言が認定されたようないわくつきの皇族の養子論などおかしくないか。
 「虎に翼」で明らかなとおり、戦前の法制度を「伝統」というなら、《結婚した女は無能力者》なのである。
 「とりまとめ(案)」を了とした政党なんぞは、男子を産めなかった嫁をいびり出した、遅れた家父長親父の集まりでしかない。

2026年6月10日水曜日

夏越の大祓の案内

    夏越の大祓(茅の輪くぐり)の案内が某神社から届いた。(なごしのおおはらえ)
 人の形をした人形(ひとがた)・形代(かたしろ)という紙が入っていて、名前と数え年を書き、身体を祓うように擦り、息を二回吹きかけ(息吹・いぶき という)、初穂料とともに届けるようにとある。
 まさか息の代わりに排気ガスを吹きかけるわけもないだろうが、クルマの形の形代も同封されていた。これも時代か。
 さらにさらに、時代だなあと思うのは、ペットのための「動物形代」も始めたとあった。
 こういう信仰というよりも素朴な民俗行事・年間行事は嫌いな方ではないから参加してもよいのだが、以前に神社本庁の改憲の署名みたいなのが送られてきてからは参加(初穂料)を止めている。
 個々の神社は、国家神道つまりは戦前の政治体制の復古を企てる神社本庁と手を切る方がよい。
 そうすれば孫たちのために初穂料を納めるくらい容易いことなのだが。

 ちなみに、茅の輪くぐりの際は次のような和歌を詠いながらくぐる。
 「〽水無月の なごしの祓 する人は ちとせの命 のぶといふなり」
 以前に「その歌教えてください」という方に教えてあげたことがある。
 「〽蘇民将来 蘇民将来」と唱える例もあるとか。

2026年6月9日火曜日

季節の花々


今年の水無月は台風6号から始まった。
 最初の写真はヤマボウシ。見てのとおりハナミズキと同種である。
 北米原産のハナミズキに対してヤマボウシは日本原産。どことなく野趣を残しているところがよい。
 2枚目の写真は台風一過、その根元、道路の乾くのを待って清掃を実施した。
    3枚目4枚目はいうまでもないがアジサイ。
 ただ「美しい花には毒がある」。普通には誰も食べないだろうが、オシャレな懐石料理などと考えその葉っぱをお皿代わりにしたりすると、エライことになるらしい。



    5枚目はお判りだろうか。先に答えを言うと「菊菜(春菊)」で、ついこの間まで摘んでは食べていた。
 冬のなべ料理はもちろん、今年はそのままサラダにもした。
 なお、デージーの仲間に「唐草春菊」というのがあるが、これは有毒。

 6枚目は、これこそお判りだろうか。
 昨年まで散歩道に点々と咲いていたが、今年は10倍ぐらいに増えていた。その繁殖力だけが問題ではなく、プチトマトみたいな実も有毒。その名もワルナスビ(悪茄子)という『害草』。そういえば、歌舞伎で言っても悪役の雰囲気がある。
 





2026年6月8日月曜日

入梅

    6月4日、近畿地方に梅雨入りが宣言されたが、梅雨入り前に台風が上陸したのだから「事実はなんとかやら」で、ややこしい。
 ただ季節の変化を権威(大阪管区気象台)に頼るのは情けないから、それは自分自身の感性に頼るべし。植物でもいいし農事でもいい。
 妻は早速「南高梅」を購入した。
 かく言う私は4日、「ミョウガが100円を切った」と妻に言うと、「ミョウガの値段があんたの『標本木か』と」笑われた。
 そう、一時はミョウガ3本のパックが150円を超えていたのが100円を切って90円台になったのだ。こんなはっきりした入梅のメルクマール(指標)はない。

 さて、私はミョウガが好きなもので、見事に物忘れがひどい。(すべてミョウガのせいにしておこう)

 そこで、先日妻に聴いた「おけんたい」についてもう少し知っておきたいと思い奈良市の図書館を訪れた。
 結論を言うと、ほとんど資料はなく、小学館の『日本国語大辞典』(全13巻2万頁50万語)と『関西ことば辞典』にだけそれを見つけた。
 後者には「役所の複写機をケンタイで私用に使うとる」という例文があった。これには何となく、「公然と(堂々と)」、「ずうずうしく」というプラスでないニュアンスを感じた。
 そういう指摘は前者にもあったが、普通に「あたりまえ」「おおっぴら」との記述もあり、文章ではその微妙なニュアンスが解らない。
 教えてくれた妻も、「さあて?」といったところである。
 「おけんたい」、ご存知のお方はそのニュアンスを教えてほしい。
 「晴耕雨読」の語が似合う季節である。

2026年6月7日日曜日

ホジェン族の老人

    『中国55の少数民族を訪ねて』という(角川文庫)を読んでいるが文字が小さくてなかなか読み進まない。
 この本は、1992年から5年間にわたり、日本ビクターと中国民族音像出版社とが日中合作プロジェクトとして、中国少数民族の日常生活や行事、儀式などに織り込まれている歌や踊りなどを映像に記録していった際の記録や感想の記述であるが、2026年現在では相当の変化や消滅があるだろう貴重な記録に違いない。
 非常に面白い内容なので今後幾度も書くだろうことも多いが、今日は現代史と衝突する事案のことを書く。

 中国領内に約4200人、ロシア領内に約12000人という黒龍江省のホジェン族(ロシア領内ではナーナイ族)の歌や芸能を調査していたとき、有力な老人の中に「日本人がいるなら撮影には協力しない」という人が現れ大きな困難が生じたが、それでも監督が老人と話し合う中で「語り物の歌」を歌ってもらえたという。その歌は・・・
 〽わがホジェンの人々は、日本人が侵略してきた時、「三部落」まで追い払われた。婦人たちは子供を背負い、老人たちは杖をついて故郷をあとにした。沼地を渡る時に深みに足を取られて這い上がれない婦人がたくさんいた。いくら老人が泣こうとも、婦人が叫ぼうとも、天も地も誰も助けてはくれなかった。食べるものといえば、木の実や皮しかなく、体がむくんでしまった。日本人はわれわれに阿片を吸わせた。「三部落」では、人が死んでも外へ運ぶこともできず、一家族一家族と次々にと死人が出たので、遺体を積み上げて燃やしてしまうしかなかった。
 ・・・老人はここまで歌うと涙があふれ、悲しみのあまり声が出なくなってしまった。

 わが国では「日の丸」の損壊罰則法が進められ、大阪の維新の府市政は「君が代」で教員を処分したりしたが、そこにはこういう老人の声は届いていない。
 私は「日の丸」も「君が代」も国旗、国歌で構わないと考えるが(その理由は長くなるので後日、別途書くつもり)、その大前提には、わが国が侵略し、戦争という名の人殺しや凌辱、略奪などを実行したという歴史的事実を直視するということがなければならないと考える。
 予想外の本に予想外の記述があったので、改めて自省した。

2026年6月6日土曜日

原発と心中するの

    朝日新聞によると、政府は原発を2050年代までに最大14基建て替える目標を立てたという。
 フクシマ第1原発事故の廃炉作業の目標すら具体化できない中、安全対策の巨額のコストなどを別にしても、原発はほんとうに安価でクリーンなのかをもう一度確認しておきたい。

 その1、原発は稼働率が低いのでコストは高い。
 発電事業は燃料費よりも固定資産に多額の費用がかかるので、机上の計算で稼働率を上げれば安く見えるが、大島堅一教授の現実の試算(1970~2007)では、1キロワット時あたり、一般水力が3.98円、原子力が10.68円、実際にある原子力+揚水が12.23円となっている。
 ネットを開けると「原子力は安い」という宣伝が、政府や電力会社、そういうところから予算を貰った研究所や御用学者によっていっぱい出てくるが、「原発は絶対に安全だ」と宣伝してきた反省はないのか。

 その2、原発の周辺には化石燃料が大量に使用されている。
 「原発は二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー」という宣伝も大きいが、原発の建設、ウランの採掘、その運搬、製錬、濃縮、加工には莫大な化石燃料が使われている。
 そういう真っ当な批判を受けて国や電力会社も、近頃は「発電時に二酸化炭素を出さない」と言い換えているが、正しい日本語なら「ウランの核分裂反応は二酸化炭素を出さない」と言うべきだ。

 その3、地球温暖化の原因はCO2だけではない。原発は海水の大きな湯沸かし器である。
 恥ずかしい話をすると若い頃、某電力会社の保養施設を利用したことがある。日本中の企業がそういう保養施設を持ち、お互いに融通しあってた頃の話。そこでは鯛のお刺身などが割安であった。なぜか。原発の温排水で鯛の養殖がされていたからだ。
 それは反対にいうと今まで獲れていた海水温での魚種が不漁になったり、環境を混乱させていることでもある。
 日本列島には年間約6500億トンの雨が降り、4000億トンが川を通じて海に流れている。
 さて、原発は300万キロワットの熱を産んで、その3分の1を電気に変え、3分の2は海に捨てている。1秒間に70トンの海水を引き込んで7度Cあげて排水している。風呂の温度を7℃上げるとどうなるかを想像してほしい。年間約1000億トンの海水を7度C温めているのだから、近年の気候危機に影響がないと考える方がおかしくないだろうか。

 日本政府が「原発だ、原発だ」と言っている間に世界の砂漠地帯が巨大な発電所に変わりつつある。
 「原発建て替え」。こんなニュースを見過ごしていて良いだろうか。

2026年6月5日金曜日

国旗損壊罪?

    高市自民・維新政権は、国旗損壊罪(2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金)の法案を提出すると報じられている。
 「明日の自由を守る若手弁護士の会」のフェイスブックを見ると「G7(主要7カ国)で外国国旗の法律がありながら、自国国旗の損壊を規制していないのは日本だけとの指摘があるが、ややミスリードだ。G7で外国国旗の損壊を規制しているのはドイツとイタリアのみだが、例えばドイツはナチス時代の反省から、民主体制を守る一環として自国国旗の法律を置いていると解されている。イギリスやカナダはどちらの法律もない」とある。

 その内容も、例えばイタリアでは、チュニジア人移民が国旗に赤い×印を書き移民政策反対とSNSに投稿した事件では無罪。ローマの教会前で極右の葬儀が行われ国旗にナチス卍を重ねて使用した行為が、ヘイト扇動で差別を助長すると認定され罰金2000ユーロを課されている。法律はあるが裁判所が、文脈を丁寧に読み解き表現の自由を守っているらしい。
 さらにアメリカでは、自国の国旗を侮辱する表現を禁止・処罰することについては、連邦最高裁が違憲判決を出している。
 ただトランプ大統領が20258月、この判例を真っ向から否定する内容の大統領令に署名した。大統領は「国旗を燃やせば1年の収監、仮釈放も認めない」という姿勢を表明し、国旗を焼却・侮辱した者を訴追するよう司法長官に指示した。行為者が外国人の場合には、ビザや永住権、帰化手続きの制限・取り消しも盛り込まれた。この国の現在はやや微妙。

 結局、自民や維新は北朝鮮や中国、あるいは途上国の独裁政権と同じことを考えており、例えば「表現の自由は侵してはならない」という日本共産党はアメリカ連邦最高裁やG7の主張に近いということができる。
 文芸評論家斎藤美奈子氏の言葉を借りれば、「下着の色は白だけといういうようなブラック校則と同レベル」の無用・有害な法案だといえる。

 517日にアップした「リンカーンとマルクス」では、アメリカ共和党の議員が、マルクスとリンカーンが手紙のやりとりをしていたことを知って、「それでは(アメリカ共和党と日本共産党の)祖先は一緒だ」と志位和夫氏に語った話を書いたが、マルクスの残された資本論関係の草稿には、未来社会では人生における自由がもっとも尊重される、・・されなければならないという展望が経済と絡んで論述されていた。
 写真は、先月他界した親友がイギリスのマルクスの墓を詣でた折の写真。手作りの告別式で披露されていた。