2024年4月30日火曜日

己が勉強不足に凹む

   先日、同じ沿線で現職当時「帰りに一杯」組だった何人かで飲み会をおこなった。 
 もちろん酒席であるからとりとめない話が多かったが、その内に、「戦争のない社会は理想論でしかないのだろうか」「人類は核兵器を使用して破滅するのか」「やはり軍事力増強しか手はないのか」というような話になった。

 酒席とは言え話は大真面目で、先の見えない昨今の世界に誰もがいささか悲観的になっていた。そしてその気分は、多かれ少なかれ私の気分でもあった。

   そこで、実はASEANがいま注目されていること、 インドネシアやベトナムも中国と一触即発の危険と隣り合わせでも軍事対決は避けていること、 軍事対決ではなく話し合いで解決するという外交を年に1500回という話し合いで進めていること などを私は語り、みんなも一定程度頷いてはくれたのだが、「うん、胸にすっきり落ちた」という顔にはなっていなかった。

 酒席とはいえ、そういうムードに、なによりも私自身の勉強不足に私の気分は少しだけ凹んだ。
 私自身が「台湾有事はあるか」との問いに、「それは米中の世界戦争になるからそんなのありえない」と言い切れず(言葉ではそう言ったが)、「習近平なら有り得るかも」と腹の底で躊躇していたせいかもしれない。

 この辺りを乗り越えないと、自民党が自滅しても半自民党政権になるだけだろうから、大いに「対話力」を高めなければと反省した夕べであった。
 多くの事実を組み立てて理屈を進めなければ、見解の相違に終わってしまう。

2024年4月29日月曜日

プラカードコンクールについて

   昨日は「OB,OGもメーデーに参加しよう」という趣旨のことを書いたが・・・、
 今年はきっとそんなことはないと信じたいが、去年までの大阪労連(扇町公園)のメーデーについて一言述べさせていただきたい。プラカード(デコレーション)コンクールのことである。

 私の知る限り例年、プラカードコンクールの入賞チームは紹介されて、メーデー参加者の前方をお披露目(横断)されている。そこは参加者と同じフラットだから、見える人は前方のごく少数で圧倒的な参加者には見えない。

 どうして、壇上をいったん後退させて入賞チームを壇上でお披露目(横断)させないのかと私は不思議に思う。
 そういう議論がどうしてなされないのか、それは私の理解を超える。

 結論が賛成でも反対でもよいが、そういう意見が俎上に反映されないのなら、ちょっとローカルセンターと各単産、単組として如何なものだろうか。
 何の説明もなく今年も下を横断させるなら、私は哀しい。そんな労働運動を引継いできたつもりはない。

 酒席で「私もそう思う」と語るだけでは不十分、まともな平場で談論風発できるローカルセンターであってほしい。

2024年4月28日日曜日

今年もメーデー

   春の日の雑感だが、・・アメリカという国はごった煮のようでおもしろい。「もしトラ」という言葉が現実味をもって語られる一方、バイデン大統領がトヨタ、テスラ、アマゾン等々の労働組合結成や自動車労組のストライキを支持したり、上院予算委員長に社会主義者を自称するバーニー・サンダース議員が就いている(現在もそうであるかは未確認)など、独立宣言に源を発する一定の民主主義には目を見張るものがある。

 そして、私の若い頃はその国で公然たる人種差別が横行していたが、公民権運動以降、例えばオバマ大統領が出現するまで変化してきて、現在は国連大使をはじめ黒人の指導者も全く珍しくない。

 翻って、敗戦後昭和憲法の下でアメリカに先んじるかのように民主主義を追求して同じ時代を歩んできた日本は、昨今は『虎に翼』が現代劇かと錯覚しそうなほどの停滞を見せ、2023国際ジェンダーギャップ指数125位というのは世界の最低水準で、そのことを「支えている」かのように労働組合組織率は1948年には55.8%であったものが今では16.5%と低下している。しかも多くの御用組合を参入してもさえの数字である。

 とすると、かつて労働組合員であったOB、OG達も、「近頃の若いものは」などと傍観しているときではないのではないか。労働組合は民主主義にとってなくてはならない「学校」でもある。
 今年のメーデーの天気予報は雨らしいが、気圧通を押してやはり出かけることにしよう大阪労連の扇町公園。

2024年4月27日土曜日

リベンジ藤の花

   以前に書いたとおり、福島区役所の「4月中旬が見頃」との助言を信じて、4月16日に「野田ふじ巡り」の遠足に行ったが、結果は満開には少々早すぎた。
 となると誰もが消化不良のようで、その後「どこそこの藤はきれいでした」というような写真がLINEでいくつも送られてきた。
 そういう気分は私も同じで、そこで、キビタキの声を聞くのを兼ねて、例年どおり春日大社に行ってリベンジ(雪辱)を果たしてきた。

 春日大社は藤原氏の氏神で社紋は「下り藤」。
 境内の「砂ずりの藤」は鎌倉時代の『春日権現記』に記載があるから樹齢は800年程度と言われている。


 また、藤棚以外に、森のあちこちにも野生の藤が天をめざしているのも趣きがある。

2024年4月26日金曜日

京阪奈にミサイル基地

   念のためにネットで「戦争ゲーム」というように検索すると驚くほどの数のゲームが出てくる。
 エエカッコ言う訳ではないが私は興味がないので中身は知らないが、一種スポーツの勝ち負け感覚で遊べるのだろう。間違ってもゲームを通じて人権侵害を反省させられたり、詰まるところ他人を殺した罪悪感に悩むことはないだろうと想像する。

 だいぶ以前にテレビで見て考えさせられたのは、いま焦点のイスラエルのミサイルの司令部のようなところであった。
 私の経験でいえば、航空管制官の仕事場のようで、きっとパソコン喫茶などもそんなのではないかと思うが、そこでは、訓練だったかどうかは忘れたが、女性兵士たちが、ただただ大きなモニター画面を見つめていて、標的マークが標的を捉えた瞬間ボタンを押すとミサイルなどの弾頭が標的を爆殺するものだった。

 私は、この兵士たちには人を殺した罪悪感が生じないだろうなあと気が重くなった。そういう時代になった。ドローン攻撃しかり。しかし、その戦場では普通の住民も含めて人々が死んでいっている。

 そういう時代に「敵基地先制攻撃」だとか「台湾有事」などという物騒な話をして、基地や装備を拡充していっているのがこの国だ。

 俗に京阪奈と呼ばれる京都府の南部の精華町には祝園(ほうその)弾薬庫という基地がある。
 岸田内閣は先に述べたようなキャッチフレーズで超射程ミサイルを保管・運用する大型弾薬庫を拡充することを決定し、2024年度予算では全国の建設費222億円のうち102億円を祝園弾薬庫に投じて大型火薬庫8棟などの拡充を決定した。単なる倉庫だと考えるのは甘すぎる。緊急事態となればここから即発射するのは当然だ。

 そこで先に語った話だが、先制攻撃に対応するなら更にその先の先制攻撃だと他国が考えるだろうと想像するのが当然だ。そしてその他国の司令部もまた先のテレビで私が見たように、そこのモニターには弾薬庫兼ミサイル発射場が映っているだけで、周辺の住民の生活などが反映されることはない。

 基地の周辺には国立国会図書館を含むけいはんな学術研究都市の研究所群とニュータウンが広がっている。そこは大阪にも古都奈良にも隣接している。

 そういう下で岸田首相は「70年来の安全保障政策を根底からくつがえした」(駐日米大使)、「米軍の統合防空ミサイル防衛(IAMD)方針とシームレスに統合する」(米基本方針)といわれる約束をアメリカに誓ってきた。
 アメリカが戦争を始めたら自動的にそれに組み込まれるわけである。
 戦争は気がついた時にはすぐ先に立っているのだ。

2024年4月25日木曜日

日本語は異端児?

   奈良の中心街はインバウンドで賑わっているが、中国人と思われる観光客がラーメン店にたくさん並んでいることは珍しくない。
 過日はテレビの COOL JAPAN の「日本の焼肉」で、韓国の女性が「韓国の焼肉とは大変異なっている」と語ったのにも、鶴橋の焼肉を愛してきた身としては大いに驚いた。

 文化の基礎をなす文字は漢字で、それを百済から学んだ国が、換骨奪胎とまでは言わないけれど、(日本語の)語順は変えず、訓読を発展させ、漢字仮名交じり文を基本として日々暮らしている国の面目躍如といったところだろう。

 この複雑極まりない言語を操って暮らしてきた先人たちによって日本文化の骨格が形成されてきたと思うと、どこか誇らしく思えるが、テレビから流れてくるニュースは表層的だし、お笑いとスポーツが多数を占め、蘊蓄のある話よりも映える話、カワイイ女性が何かを食べて甘~いと言う。
 この国はどこへ向かっているのだろうかと心配になる。

 そんなことを考えながら、書架の奥から『訓読みのはなし』を引っ張り出してきて読み直した。
 実に読みごたえがあり、再発見があったが、日本語の評価は非常に難しい。
 先日妻が「いただきます。ごちそうさま。に該当するフレーズが諸外国にはないらしい」と教えてくれた。
 宗教感の違いもあるかもしれないが、やはり日本文化だ・・と感じている。

 ・・今日の原稿は書き始めた折りは、訓読みその他複雑極まりない母語を操る日本の深い文化や文芸・・と話を展開したいと思いながら書き進めたが、この国の現状に視点が移るにつれ、特に権力に媚びるようなジャーナリズムの筆力の弱さ、「台湾有事」に代表されるような嘘臭い風潮の蔓延、裏金問題があっても嵐のような批判が生まれない正義感の欠如等々を思うと、どこか気力が抜けていってしまったのだった。

2024年4月24日水曜日

カリカンサス

   近所のハウスメーカーの研究所には頻繁に造園業者がショーウィンドーでもある花壇の手入れにやってくるが、ちょうど1年前ぐらいに、見たことのない黒い花の低木を植えていた。

 あまりにその花の色が珍しくて新鮮なので、自転車を停めて「その木は何ですか?」と尋ねたが、それから大阪へ出て夜に帰って来たときには、例によってすっかり名前を忘れてしまっていた。嗚呼!
 それから、記憶の欠片をあっちこっち繋ぎ合わせて、本やネットを探して・・・何日も後に「確かカリカンサス」とたどり着いた。

 そしてこの冬、沈丁花が枯れたので、沈丁花が生えていた後をどうしようかと考えたとき、ご想像のとおりこの木を思いだし、ただ広告の文章を信じてネット通販で手に入れ植えつけた。
 それは落葉した裸木だから、半分賭けみたいな気分でただただ春を待ち、あまり土壌の良くない場所だったので心配もしていたが、4月の声を聞くと小さな芽が出て、さらには蕾らしい膨らみが出て、そうこうするうちに、妻が「花が咲いてるよ」と教えてくれたのが写真の花。これ、ちょっと妖艶ではないですか?

 キラカンサス→誤り 正しくはカリカンサス

2024年4月23日火曜日

コルク抜き

   写真の中の一番右の「ワインのコルク抜き」=「バンザイおじさん」を愛用していたが、変にねじってスクリュ ーを折ってしまったので、今般その左側の単純な「ウィングコルク抜」に買い換えたのだが・・・
 よく考えると、このスペイン製らしい「バンザイおじさん」をどこで買ったのかは忘れたし、この種のものはお洒落な店ではエエ値段であったりするから、とりあえずネットで調べてみた。

 すると、やはり値段はピンからキリで、普通にアマゾンか楽天で安いのを買おうかと思ったが、たまたまヒットしたヨドバシカメラの通販に、「バンザイおじさん」ではないが機能的には同じもので、さらに値段の安いものを見つけたのがこれ。
 経験的には、あまり安いものは中国製か何かで結局注文しても届かないというようなトラブルもあるから回避するが、ヨドバシカメラならそこは問題なかろうと判断した。

 今日の話の本題はこれからで、これをネットで注文したのが21日(日曜日)の午前。そして届いたのが22日(月曜日)の朝の9時過ぎ。しかも書留の「ゆうパック」で、値段は送料無料で434円ポッキリであった。
 
 一消費者としては「安くて速い」ことに文句はないが、実際に手に入れてから、「こんな値段でよいのだろうか」と首を捻っている。
 各段階で働いている労働者もいるわけで、そこの労働条件はどうなっているのだろうかとこれも考え込む。
 一消費者としては今後、会員登録もして愛用しても好いかと思いながら、通販のあまりの便利さに少しビビっている私。

2024年4月22日月曜日

ネモフィラは笑う

   わが街の駅前の小さな花壇にネモフィラが咲き誇っている。
 「ブルータスお前もか」というほどネモフィラが各地で流行っているから驚かないが、「ここまで来たか」という感じもする。

 ネモフィラブームの出発点は2002年の国営ひたち海浜公園らしいが、SNSで写真映えがするということで7年かけてじわじわと広がり、今では約4.2㏊、約530万本という規模になっているとか。
 ちょうどGWと重なることや首都圏(東京)からほどほどの距離ということもあったのだろうか。
 そういえば、その前はシバザクラのPRがよくあったが、空や海との一体感を醸し出すネモフィラのブルーが当たったのか、あるいは、その種のPRや口コミが当たったのかもしれない。

 ダーウィンの進化論に「種族保存の法則」とあったが、その伝でいえばネモフィラは笑い転げていることだろう。ただし、本人たちには「映え(ばえ)」などというカテゴリーの理解ができないだろうなあ。

 ブームなどというと不正確だが、我々の若い頃はベトナム戦争を指す反戦は「世論」であった。朝ドラの「オードリー」がいま再放送されているが、その中の会話にも登場していた。
 そういう意味で、ウクライナやガザを見て、今再び「戦争反対」「意見の相違は対話で解決」というような世論をネモフィラのように広げたいものだ。

2024年4月21日日曜日

テレビ・ラジオ頁

   クイズ!  俗に「ラテ欄」と呼ばれるテレビ等の番組表を新聞の最終ページに初めて持ってきた新聞はどこ?
 答は、 Wikipediaにも出てくるが、1966年に『しんぶん赤旗』(日刊紙)が読者の利便を図って最終ページに掲載。その後各紙が追随した。‥というのが正解。

 ところが、その元祖『赤旗』がラテ欄を中の方のページに移した。
 私などは長い習慣から最終ページでなくなって寂しいが、妻などはテレビのリモコンで今夜の番組どころか1週間先までの番組を確認し、必要な録画予約などをしているから、1966年に時代の先端を行ったように、きっと現代のニーズに対応したのだろう。

 その代わりというべきか、最終ページは【文化】だとか【テレビ・ラジオ】のページになって、各種文化作品等の良質な紹介や解説などのページになった。
 例えば18日のそのページの一角には『やきそばかおるの ラジオの歩き方 第71歩』が載っていて、『高橋ひかるHighway Runway』(JFN)や『多田しげおの気分爽快‼~朝からP・O・N』(名古屋のCBC)の粋な番組終了について語っている。

 この『ラジオの歩き方』は妻の一押しのコラムである。
 ジャーナリズムやメディアを考えるとき、赤旗の先見性は注目に値する。

2024年4月20日土曜日

G7もおかしくないか

   4月16日の記事の続きでもあるが、報じられているとおりG7外相会議がイランへの制裁を決定した。
 私はイランのイスラエルへのドローン攻撃等を一切許容するものではないが、G7の議論もおかしくないかと思っている。

 イランの主張を肯定するしないに拘わらず(肯定しないが)、13日のイランのドローン攻撃等が、4月1日にあったイスラエルによるシリアにあるイラン大使館空爆による要人7人の殺害に対する「報復」であったことは誰もが認めている。そしてそれは明らかな国際法にも違反する戦争行為である。
 ならば、「法の支配」というような言葉が好きなG7のメンバーは、先に、もしくは同時にイスラエルにも制裁を科すべきではないだろうか。・・・というような話は私が思いついた特殊な議論ではなく、多くの識者も主張されている。

 ところがどういう訳か、イスラエルによる大使館空爆やガザ地区の大量虐殺は不問に付され、イランにだけ制裁という議論はどうも納得がいかない。イランの報復という主張が正当だと言っているのではないが。(写真はガザの子ども達)

 邪推であればよいのだが、結局キリスト教に近いユダヤ教とキリスト教「連合」が反イスラム教ということで感情を統一しているのでなければ良いが。
 それとも、例のイギリス・フランスの二枚舌、三枚舌外交の罪滅ぼし? ナチスの歴史を背負うドイツの罪滅ぼし?
 であれば、日本の外相の信仰は知る由もないが、どうしてそんな風潮に同調するのだろうか。その理由が、所詮は「米国のポチ」ならあまりに悲しい。

 モーセの十戒(汝、殺す勿れ)が有名無実になった今、仏教徒は不殺生戒を対峙すべきだろうなどと妄想する。

2024年4月19日金曜日

藤の花

   病棟を背に咲き誇るや藤の花

 先日の 遠足で『野田ふじ』巡りをして詠んだ一句。

 これは少し重いテーマで俳句には似つかわしくないかもしれないが、参加者のお連れ合いさんがその大病院でお亡くなりになったので、その方はその場所が辛いとおっしゃった。

 大病院というものには得てしてそういう一種残酷なところがあり、例えば産科などでは「おめでとう」の言葉に送られて出ていく多くの人々がいる一方、絶望に打ちひしがれた人も同じフロアにいる。
 それは此の世の習いかも知れないが、当事者にとってはそんな言葉で心が収まるはずもない。
 そういう心象は、シチュエーションこそ違え私の中にも残っている。
 それでもなお、ここまで参加してくれたHさんには御礼を言いたい。

2024年4月18日木曜日

花が咲いた場所は

   この春の気候は複雑に経過し、温かい(桜の開花が早い予想)→寒い雨天(開花が足踏み)→暑い(いっぺんに開花)と変化して桜の開花予想も変転し、
スカを食らった方々も多かったようだが、わが退職者会もその一員で、16日の遠足で目指したノダフジは予想外に蕾が堅かった。

 事前に私が福島区役所を訪れて「4月下旬から5月連休あたりでしょうか」と尋ねた際は「4月中旬です」とのことだったので、ドンピシャ中旬に日程を組んだのだが、結果は少し早すぎた。

 それでも、場所や株によっては満開に近い藤棚もあり、そんなところでは蜜の匂い(ハチミツの匂い)がプンプンし、熊ン蜂が大宴会を催していた。ただ都会の方々には熊ン蜂は怖そうらしく、藤棚の下での集合撮影も大変だった。

 先週には「16日は雨」という天気予報であったが、結果は曇り空で終始し、日頃の行いの悪そうな面々にも拘らず万々歳。
 そして、場所を梅田に移しての交流会となり、フジの蕾の堅かった分を取り返すかのように話に花を咲かせた。

 解説資料を持参してガイドをしてくれたUさん、自身は欠席ながら「記念絵葉書」を作成して提供してくれたTさん、交流会会場を押さえてくれたKさんなどなど多くの力で楽しく過ごせた一日だった。
 次は5月23日(木)のパーティーの準備となる。

2024年4月17日水曜日

馬肥し

   14日(日)の朝のEテレのNHK俳句の兼題はクローバーだったが、入選句6句目はそれを「苜蓿(うまごやし)」 として詠んでいた。
 俳句や文芸の世界ではクローバーのことを苜蓿、馬肥しとも呼ぶことはあまりに有名なことなので何の驚きもないが、映された苜蓿の写真には驚いた。それは、わが家のこの花であった。
 写真の左上の方に葉っぱが見えるが、確かに葉っぱはクローバーそっくりだ。

 そして、驚くとともに納得した。
 実はこの花は、緑化週間かなんかで自治体から希望者に配られた種で、その時は「クローバーの種」として配られた。
 しかし実際に開花してみるとこのようなことで、私は「クローバーではない」「カタバミ(オキザリス)やないか」と少しばかり自分の想像との違いに怒っていた。

 だが、広辞苑でも大歳時記でも「苜蓿はクローバーの俗称」とあるし、その苜蓿の定義もざっくりしたものであることがわかったので、自治体の説明も許される気になった。
 シロツメグサのイメージにとらわれ過ぎていたようだ。
 実際、冬の寒い頃にはグリーンカバーとなり、この季節は黄色の絨毯となり、夏以降はその他の草花に土地を譲る「愛(う)い奴」だ。

2024年4月16日火曜日

熱狂は嫌だ

   14日、イラン国民が夜空に花火を打ち上げて熱狂している映像がテレビから流れてきた。
 ニュースの解説では、イランは相当余裕を持って事前に、このこと(報復攻撃)を通告していて、しかも現代でいえばそれは鈍行みたいなドローンなどによるものだった。
 そして参謀総長は「作戦は完了した。続ける意図はない」と発言した。

 ということで、イラン指導者の「報復のメンツが立った」ことでことが終わればよいが、ニュースの中で乱舞していた「イラン国民」はそれを理解できているのだろうか。私の興味というか注目点はそこにある。
 また、イスラエルの指導者も、こんなタテマエとホンネみたいな事態を胸に飲み込むことができるのだろうか。
 
 私はイランの花火を見ながら日本史にあった日露戦争後の提灯行列を連想した。日比谷焼きうち事件を連想した。(「国民」は政府の宣伝した大勝利をホンキで信じ、それがために停戦した政府の「弱腰」を糾弾した)
 天に唾して、国民を煽って戦争をしてきた指導者は、結局国民の「世論」に押されて勝算のない進路を選択するものだ。そういう場合、「強気」以外の真実を語ることは指導者自身の没落を意味することになる。
 怖ろしいのは、イランにしてもイスラエルにしても、指導者が支持率を得んがために国民を煽り、その括弧付きの「世論(熱狂)」に自縄自縛になることで、日本でいえば維新のポピュリズムはその最たるものだろう。

 そんな歴史を思い浮かべながら、21世紀の戦争がどうなるのか、よ~く見つめて各国指導者が賢明な選択をするよう声をあげていきたいものだ。
 報復の連鎖は地獄の釜の蓋を開けることになる。それだけは間違いない。
 現実味のある危険は熱狂とメンツだと思う。
 
 本来、そのことをイラン指導者に説得力を持って語ることができるのは、G7でいえば日本の指導者であったはずなのに、小泉純一郎、安倍晋三以後の日本は世界中からアメリカのポチとみなされるほどに零落している。
 「憲法9条が我々を守ってくれていた」と言ったアフガンの故中村哲医師の言葉を思い起こそう。
 世界のためにも、日本のためにも、自公政権を退場させ、亜流自公政権でない政権交替を実現させねば・・・。真剣に議論すべき時に至っている。

2024年4月15日月曜日

桜の戒壇堂

   今春の思い出写真を記憶のために一つあげておこう。 
 4月9日、東大寺戒壇堂。
 数十メートル先の大仏殿はインバウンドの人々でごった返しているのにここはこのような有様。
 この風景を独り占めしていてエヘン。

 そしてこの桜。お花見に見る一瞬の輝きの裏に「うつろひ」の寂しさがあるように私は思う。
 こんな一週間ほどの「瞬間」に大騒ぎする日本人というものを考えると、例えば大仏殿の大仏様を見ても、東南アジアなら常に金箔で荘厳するであろうところを、返ってそれにはありがたみを感じず、落剝した時の流れと「うつろひ」に感動する。つまりは一瞬に散るからこそに感動するのだろうか。
 それは諸行無常の教えだろう。

2024年4月14日日曜日

君の名は

   人の名前が出てこないなどということは日常茶飯事のことだから驚きもしないが、わが家のすぐ横の歩道縁の小さな花の名前が出てこない。
 それでいて、いつかどこかで、東大寺のお坊さんが「東大寺本坊の庭にこの花が咲いていて見事なものですよ」と語られていたということは思い出す。
 もしかしたら「斑(まだら)呆け」とはこんな感じなのだろうかと想像したりする。

 写真は拡大しているので、ほんとうは小さな花だ。
 近頃はスマホでパチッと撮ればすぐに名前が出てくるというアプリが幾つもあるようだが、容量を食いそうなのでインストールしていない。
 そこで、「春の雑草」「スミレに似た草」「紫色の雑草」などなどと検索項目を微妙に変えていろいろ試してみたが、キランソウ、トキワハゼ、カワセミソウ等々これもいろんな写真が出てくるが、どうも記憶の底とも合致しない。

 そんな話をしていると妻が書架から本を引っ張り出してきて、「ここに付箋までついてるよ」と。・・・答は(ムラサキ)サギゴケ。確かに私の字で「サギゴケ」という付箋までついている。もちろん、そんな付箋までつけた記憶はない。やはり健忘。
 その本は『四季の野草』山と渓谷社・全3巻で昭和55年発行。古い付き合いの本だ。
 それに、昭和55年当時定価1500円×3巻だから、なかなかの本を購入していたことになる。
 「ヨーッ太っ腹」と昔の自分を誉めてみた。

 もの忘れのことを書いてきたが忘れてはならないものがある。そのことについて2024年4月13日朝日夕刊の『素粒子』が素晴らしいので引用する。
 🔳素粒子🔳
 ミャクミャク様のお告げかもしれない。くしくも万博開催まで1年という節目に、ギャンブル依存症のおそろしさを知る。
    ◇
 「出禁」発言が「大阪ジョーク」なら、「いのち輝く未来社会」描く万博の隣地にカジノはブラックジョークじゃないの。
    ◇
 「もう1回チャンスをくれ」「これ以上借りないから」と沼にはまった元通訳。「夢よもう一度」は、ときに呪いにもなる。

 ・・・ジャーナリストの常識と良識を見たようで心に染みた。

2024年4月13日土曜日

いずれ菖蒲か

   いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)・・とは美しいもの秀でたものの例えであるが、アヤメ科アヤメ属といってもシャガがそれほど注目されないのは可哀そうである。

 シャガは三倍体植物で種子をつくらないから、森の奥にシャガの群生があるとすると、そこはかつて人家があった、つまり廃村の跡だという。
 にもかかわらず、わが庭の思いもよらない場所で咲いていたのが掲載の写真。

 あちこち土を入れ替えたりしているうちに移動したらしい。
 深くもない根っこだが丈夫な植物で、こんな風に逞しく生存圏を拡大している。
 これからシャガを見つけると、肺いっぱいに息を吸い込んで、その生命力を取り入れたいと思う。

2024年4月12日金曜日

工夫は楽し

   9日に書いた『今日も工作』の続きなり・・・ 
 ゴミステーションの基本のネット(網)を補強していたネットがボロボロになったので、補強していたネットを取り外したのが9日の記事。
 すると、カラスが基本のネットの網目からゴミをつついて引っ張り出すようになった。なんということだ。
 しょうがない。妻と一緒にホームセンターに行き、ネットの下にビニールシートを取り付けることにした。

 以前はいわゆる「タコ糸」で取り付けていたが、それはナイロン製の「結束バンド」にした。これによって相当の省力化になった。
 もう一つ、結束バンドのための穴からビニールシートが破れていかないようハトメで穴を補強しようとしたのだが、この少し大きめのハトメが上手くいかなかった。

 ここで思いついたのが「ハンダコテ」。敵はビニールだから熱には弱いだろうということ。
 実際に実行してみたら、穴は瞬時に開けられるは、穴の周りは熱できれいにコーチングされるはで、見事に大成功。
 それでも、基本ネットの寸法に合わせるのに一苦労、二苦労。
 夫婦でふうふう言いながらも完成させた。
 今回の工作の工夫の自慢はハンダコテ。

 それでも「雨水がたまる」とか「結束バンドの端が痛い」だとか文句が出るかもしれない。
 え~い、そんなマイナス点ばかり考えていると何も前に進まない。
 もう町内の口うるさい爺さんと思われてもいい。

2024年4月11日木曜日

鉄は美味しい?

   ラジオやテレビから流れてくるコマーシャルはというと、紅麹事件などどこ吹く風と言わんばかりのサプリメントの宣伝、宣伝。
 鰯の頭もナントカというプラシーボ効果もあるから全否定する気もないが、その伝でいけば「鉄鍋料理で鉄分補給」というお伽噺に近い話の方がよい。

 ただこのお伽噺、奈良公園を歩くと説得力を感じる。
 ネットやテレビの情報レベルの話だが、鹿が列車にはねられる事故が確かに多く、鉄道会社等が対策をいろいろ検討した結果、鹿の肉は鉄分含有量が多くそれが持久力を高めているのだが、その鉄分補給のためレールを舐めに来るのだろうというのが定説になっている。

 無機の鉄を舐めてどれほどの補給ができるのかは大いに疑問だが、事実として、奈良公園の鹿は鉄の鎖をよく舐める。

 鉄鍋の鉄分補給を語るなら、〇〇コートなどと宣伝されている、焦げ付かないフライパンや鍋の影響を心配しなければならないだろうが、そんなことを思いながらも、あまりに便利なものだから、焦げ付かないアルミ箔を使用しているこの矛盾。

2024年4月10日水曜日

原発は核兵器と同じ

   IAEA(国際原子力機関)が7日に発表したニュースによると、ウクライナ南部でロシア軍が占拠しているヨーロッパ最大規模のザポロジエ原発にドローン攻撃があり、何らかの被害があったという。 
 ロシア軍が占拠しているのだからロシア軍が攻撃したとは考えにくく、私の推測では、正規のウクライナ軍ではない反ロシアのゲリラ攻撃ではないかと想像するが、今のところは解らない。

 だとすると、いうならばチャチなドローンによって核兵器と同じ効果が生まれるということになり、「オッペンハイマー(原爆)が第二次世界大戦を終わらせた」的な発想が現に存在する下では、チャチなドローンによって地球が滅びかねない危険性を教えている。

 日本では、北朝鮮のミサイルの脅威がよく語られるが、日本海沿岸に原発を並べておけば、ドローンやそれに似た小型の兵器で一挙に核兵器と同じ効果が生まれると、なぜ議論にならないのかが不思議である。

 関西人にイメージを持ってもらうためのロジックでいえば、冬の北風の時期に敦賀原発銀座で原発事故が発生した場合、福井市の福井県知事が見ているテレビの画面に映っているのは京阪神の壊滅のニュースになるということだ。

 ザポロジエは、そういうケースが夢物語でも被害妄想でもなく、大いに現実味のある課題だということだろう。

2024年4月9日火曜日

今日も工作

   小学生の頃などあちこちの工事作業を眺めるのが好きだった。そこは
「なるほど」と思うことが実現していく魔法の世界でもあった 
 そんなこともあり、手先は不器用なのだが、今でも「工作」は嫌いではない。

 わが街はゴミ収集がステーション方式だが、カラスは各ステーションごとの「民度」を熟知しているように思われる。で、わがステーションはというと、恥ずかしながらカラスはけっこう狙い目だと考えているようで、ゴミ出しの日はすぐ近くで観察していて、横着な住民がネットのカバーをしっかりしないとゴミ袋を破いて朝食会を始めている。
   そんなこともあり、そんな小さなことで責任追及するのも面白くなく、しばしばブツブツ言いながらも写真のとおり夫婦で対策(工作)をとっている。

 先日はネットの隙間を埋めるための「オモシ」を作ったが、これはけっこう使用してくれている。ただ98%の人が対応してくれても2%の人が隙間を開けたまま帰ってしまうと、カラスは笑って朝食会をする。

 職場でいえば労働組合に入らない、学校ではPTAに入らない、街では自治会に入らない・・人が増えている。それぞれの組織に問題があり、入らない言い分もあるだろうが、約めて言えば「自分だけ」しか考えない常識力の低下でないだろうかと私は思う。

2024年4月8日月曜日

お花見

   7日(日)はグングンと気温が上がり夏日となった。
 
 落葉樹は半日で芽を伸ばしたのが目視でわかり、花畑にはクマバチがブンブン飛び交った。(写真のはキムネクマバチだと思うが、胸があまり黄色くなく違うかも?)
 経験的にはこのクマバチは4月下旬からGWあたりに藤棚で群舞する。

 クマバチはブーンという大きな音を立ててホバリングをし、正面からその顔を見ると如何にも戦闘態勢で威嚇しているように感じるが、人間めがけて刺しに来るようなことはないから「春の風物詩」として味わうに限る。

   桜の満開が週末とぴったり一致したから、有名な名所は花見客でいっぱいだっただろう。
 わが家に近い公園でもお花見の催しがあった。
 
 わが庭も水仙は終わったが、次々に小さな花たちが・・オキザリス、ハナニラ、シバザクラ、ムスカリ、チューリップ等々と咲いており、それらを愛でながら缶ビールをプシュッと開けた。

2024年4月7日日曜日

しつらい

   気温が暦を飛び越えていくかのような此の頃なので「ちょっと待ってくれぇ」と端午(五月五日)を迎えるしつらい(室礼)を四月五日に整えた。 
 とはいっても、五段飾りの五月人形は公共施設に寄贈したし、飾ったのは写真の下の方のミニチュア兜。
 清少納言も、小さきものは皆美しいと言っているわけで、この方が日本文化の王道だと屁理屈を言っている私。

 ただ鯉のぼりだけはあまり小さくないものを庭に立てている。
 時々やって来る孫のためのものだが、孫の来る来ないに関わらず立てている。

 ルーツを遡れば幟であり旗指物だろうが、鯉のぼりはアウフヘーベンを感じさせる。そこには権威や戦の匂いは既になく、平和憲法下の日本を象徴していないだろうかなどと思っている。
 反対に、それを頑なに言うならば、革新民主陣営の政党、労働組合、平和団体、学術団体などなどの旗も「ルーツは軍旗だ」みたいなつまらぬ議論になるし、平和を指向するなら時代劇を観るのはおかしいみたいな話になる。
 ともあれ、そういう話と兜飾りの矛盾は大目に見てほしい。

2024年4月6日土曜日

機能性表示食品

   小林製薬のことで、≪不謹慎だが≫私は笑った。怒ったのでなく笑った。
 新聞の週刊新潮の広告の「垂れ幕」の一つが『医療用医薬品から逃避しネーミング勝負』とあったからである。 

 確かに、耳鳴りにナリピタン、こむら返りにコムレケア、それ以外にも、のどぬ~る、熱さまシート、血圧ヘルプ、歩くたすけ、などなどなどなど、CMで駄洒落みたいな商品名が出てきたら「小林製薬かも」と思ってしまっていた。
 社風というか経営者の姿勢のことは週刊誌が報じているからここでは飛ばすが、週刊新潮のいう「質よりネーミング」という印象は大いに持っていた。

 サプリメントは朝昼晩×何粒という摂取量だから、普通の食料品とは桁が違う。それだけに品質の安全確保は重要だったが、国が審査していたトクホから切り離して、企業まかせの「機能性表示食品」なるものを決めて野放しにしたのは安倍内閣だった。
 今現在、安倍派の裏金問題が大問題になっているが、アベ政治というものは金に汚いだけでなく「国民の命よりも(自民党や安倍派の)スポンサー」というものだった。
 そのキャッチコピーが「規制改革」「規制緩和」であった。安倍晋三の数々の虚言の中にしっかり位置付けてこれ以上騙されないようにしなければ・・・。

 なお10年前に、トクホの規制緩和=企業任せの機能性表示食品創設の危険性を指摘してアベ政治に対決していたのは日本共産党と穀田恵二議員だった。

 毎朝薬を5種類服用している私が言うのはなんだが、サプリメントで劇的に改善する人をテレビの外で見たことがない。ほんとうに不調なら、とりあえずは病院に行くことではないか。

 テレビもラジオも新聞も小林製薬の大問題を報じているが、CMや広告は大量の他のサプリの宣伝に覆われている。
 そういえば、規制緩和のときもマスコミはそうだった。
 そういう意味で、赤旗の論陣は妖しい大宣伝に騙されないためにも貴重だと思う。
 まだ購読されておられない皆様には是非とも赤旗の購読をお勧めする。

 重ねて言うが、機能性表示食品の事件が小林製薬だけで済むことを祈るのみ。
 自動車産業の不正検査事件を見ていても、この問題の危険性は業界全体にありはしないか。
 未来に向かって一番の安全対策は自公政権を退陣させることではありませんか。

2024年4月5日金曜日

図工の時間

   先日は雨の半日、ほゞ図工の時間だった。
 
 半日を要した主たる要因はパソコンの不調だから、図工は正味1時間ぐらいだったが楽しい1時間だった。

 作品は退職者会のパーティー用の歌集の見本で、何も難しいものではないが、途中で現職時代の「証拠書の袋とじ」を思い出して、ホッチキスの痕を隠してみた。
 ちなみに袋とじとは、表紙の上にもう1枚(帯)(背表紙)を乗せてホッチキスなどで止め、帯をホッチキスの針の背を隠すように背から裏へ折り曲げて裏で糊付けするもので、契約書や証拠書など重要な書類の改竄防止の意味もある。

 さらに「袋とじ」は、2頁分を外になるように片面印刷して二つ折り(山折り)して綴じる方法のこともいうので、今回の私の作品は、「袋綴じ」した複数枚を製本して「袋とじ」したわけで、友人とメールで送って正常に印刷できたかどうかの確認をした際、何か話が通じなかったのはこのことの誤解だったかもしれない。

 写真は使用した文房具類だが、玄能(金槌)と鉄板はホッチキスの針の膨らみを潰すもの。
 誰もこんな道具でこだわった作業を経ているとは思わないだろうなあ。

2024年4月4日木曜日

仏の座

   自然は不思議だ。去年はハコベが大繁殖した庭が、今年は一面ホトケノザにとって代わられている。
 「雑草という名の草はない」から今はそのまま「お花畑」を楽しんでいる。
 名前の由来は花のすぐ下の葉っぱが仏像の台座(蓮華座)みたいだからという。

 花を咲かした先にスーッと茎をのばして次の花を咲かせて、・・さらにその先に・・と、花が三階建てみたいなのでサンガイソウ(三階草)という異名もあるらしいが私は知らない。

   次の写真の後ろの方のはホトケノザだが、真ん中あたりの少し葉っぱが密集しているのはヒメオドリコソウ。関心がないと同じに見えてしまう。

 「同じ」といえば、春の七草の「ホトケノザ」はこの「ホトケノザ」ではなく「コオニタラビコ」のことだから、よく頭の中でこの三つがごちゃ混ぜになって「どれが何やったかいな」と迷ってしまう。

   最後の写真はヒメオドリコソウの茎を切ったところ、ホトケノザも同じシソ科なので、どちらも茎が丸ではなく四角。
   だからどうしたというほどの蘊蓄でもないが、パイプを考えてみると解ることだが、一般的には四角よりも円形の方が丈夫であるのにどうして四角なのだろう。
 牧野センセ~イ!

2024年4月3日水曜日

多国籍企業のこと

   振り込め詐欺を笑えない。先日来のパソコンの不調のこと。実際に起こったことといえば今まで使用していたMicrosoftのOfficeが意に反してOffice365に変更され、Word,
 Excel, Outlook が以前のようには使えなくなった。
 このことについては後日書くつもりだが、要するに気がつかないうちに、Office365を選択するような誘導に乗ったことになる。少しのお金を払えばヴァージョンアップされて「解決?」するのだが、それが気に食わないのでどうにかならないかとモガイタという次第。相手はMicrosoft 多国籍企業である。

 4月2日、赤旗が『資本主義の現在と未来』というシリーズを出発させ、まず多国籍企業の人権侵害を分析していたが、摘んで言うと、ナイジェリアではイギリスの石油会社が石油を流出させ農業、漁業に依存する住民は危機に陥った。
 インドではアメリカの化学企業が有毒ガスを漏出させ数千人が即死、数十万人が被害を受けた。
 インドネシアなどではアメリカのスポーツ用品メーカーが児童労働、極端な低賃金、酷い人権侵害を行った。
 ‥というような事例は数多くあり、日本企業もいわゆる途上国で、低賃金、長時間、人権侵害の労働環境で働かせ、かつ労働組合をつくらせない方針を押しつけてきた。

 昭和の敗戦までは、日本軍による海外での、焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす、という三光作戦など「知らない」ので自己批判もせずに来た日本人も多かったが、今は、例えば赤旗を読むなどして「知る」ことができるのだから、世界中で起こっている人権侵害などについて、大いに目を凝らして、批判の声をあげなければならないように思う。

2024年4月2日火曜日

海外の通販

   3月23日に書いたように3月22日にアマゾンで楽器を注文した。 
 外国製(中国?)とは解っていたが、11日後の今になって「関税で止められた」「配達できない」というメールが入った。(私のメールが先日のトラブルで停止中なら大変なことになっていた)

 これによく似たことは以前にもあって経験していたから驚かないが、納品予定日の長い商品(船便?)は気をつけなければならないと改めて肝に銘じた。

 代わりに、少し値段が上がるが4月5日納品予定(つまり国内の会社)の注文をアマゾンに行った。
 ここまでは、早い目、早い目に手を打ってきていたので本番までには十分に間に合う。あとはカードの支払い(返金)手続きが残るがどうにかなるだろう。ふ~。

庭の片隅

   ジューンベリーの根元の花壇が写真のように満開になった。元々はヒナ草の花壇だったが、この花を少し移植したらこのようになってしまった。
 悪い連想だと、どこかの国のようだ。

 ヒナ草はというと、面白いことに、元この花があった場所に群生している。入れ返ったわけで、自然というやつは不思議で逞しい。

 ところでこの花の名前を忘れてしまった。妻も忘れたという。
 それでも、そんなの関係ねえ!と毎年咲いてくれる。


2024年4月1日月曜日

アドレスが飛んだ

   3月27日に書いたとおり、Outlookにあったメールのアドレス帳が全て消滅したので空メールをお願いしたが、まだメールをいただいていない方もいる。

 どうか、最低限氏名だけでもの空メールを hasegawa@kinet-tv.ne.jp に送信してほしい。

 なお、LINE は通常どおり送受信できている。

ちらほら咲き

   各府県の開花宣言があったが私の散歩道はまだ「ちらほら咲き」。
満開は写真のユキヤナギ。
 先日来のパソコンの不調が解決せず、私の頭の中も「ちらほら咲き」。このブログは Word とは関係ないので今までどおりかけるのだが、気分が滅入っていてなかなかパソコンに手が伸びない。

 さて先週、万博会場の建設工事現場でガス爆発事故があった。テレビのニュースでは「溶接作業の火花が引火した」というので、きっとホコリか廃材に燃え移った火事だろうと思っていた。
 しかし実は、夢洲は廃棄物の処分場であったから、あっちこっちからメタンガスなどの可燃性ガスが噴出しており、市民団体が確認しただけでも79本の「ガス抜き管」が設置されている。そのガスに引火して爆発事故となったという。
 私の不注意かもしれないが、そんな説明はテレビニュースにはなかったように思う。

 建設工事中は労働安全衛生法上も無視できないし、万博が始まったなら各パビリオンの労働者をはじめ来場者だって危険極まりない。
 まるで、「一旦始めた戦争は中止できない」と、挙句は特攻作戦にまで突っ込んでいった昭和の軍部を思わせる。

 半藤一利さんや保坂正康さんの著作を牽くまでもなく、先の戦争を指導した軍部たちは当然にアメリカと全面対決して勝てるとは思っていなかった。さらには戦争途中からはなおさらだった。
 しかし、今さら自分から終戦とは言えない、どこか局地で勝った後講和に持ち込みたいという無責任政治の継続があの結果だった。
 ほんとうに今日の維新の政治家の言動を、古い歴史の再現劇を見るように感じているのは私だけだろうか。
  
 子曰く、過ちては改むるに憚ること勿れ。