2022年1月31日月曜日

一月尽

   ツグミはけっこうウルサイ鳥である。その鳥が春になって北へ帰ったので声がしなくなったのを、古人は「声がしなくなったな」「声を噤(つぐ)んだに違いない」と考えてツグミと名付けたという説がある。

 人間界の為政者が、批判の発言や発信が弱まったのを見て「悪政は支持されている」と言い放つのとよく似ている。

 なので、ツグミを見るたびに「発信の手を抜いたらあかん」と自省している。

   ベランダからツグミを見ていたら、ワシタカ類の鳥が飛んできた。
 ワシタカ類はこの街ではなじみが薄いのでよく判らないが、ミサゴかノスリのような気がする。古墳の濠の魚を狙ったミサゴだろうか。

 上昇気流を探してはゆったりと輪を描いて昇っていってアッという間に小さくなった。
 私の誕生日のお祝いに来てくれたと思っておこう。

 ただしその日、私はほんとうに自分の誕生日であることを忘れていた。
 誕生日が嬉しいわけではないが、反対に年老いていく寂しさを感じるが、誕生日さえ忘れる歳になったことに我ながらあきれている。

2022年1月30日日曜日

鬼の寒念仏

   昨日に続いて鬼の話。

   鬼の寒念仏は大津絵の代表的なテーマの一つで、ことわざの「鬼の空念仏」とほぼ同じ。
 古くは小寒から節分までの間に修行する寒念仏が流行っていた?が、それに乗じて鬼がお布施などを戴きに歩いている図。

 殊勝な恰好をしていてそれはもうわべだけで、汚れた本心は鬼に変わりはない。
 故に「うわべの格好に騙されず本性を見抜くべし」との深い教訓だが、時代を超えた今日性が感じられる。
 
 「新しい資本主義」と言いながらアベノミクスは否定せず、
 「聞く力」と言いながら学術会議会員任命拒否は検討せず、
 モリトモについては1億円で裁判をもみ消した。

 「大阪モデル」などと吹聴しながらコロナに実効ある手を打たず、
 「身を切る」と言いながら19億2200万円の政党交付金を懐にし、
 「税金を使わない」と言っていたカジノ用地に底なしの公費負担。

 ああ、大津絵のむしろ幡でも掲げたい。
 現代人には、故事・ことわざの教養が必要だ。

2022年1月29日土曜日

節分には疫病退散

   エヘン、うんちくを述べる。節分祭は古代中国の経典である周礼(しゅらい)にある追儺(ついな)式の行事である。
 周礼の成立は、紀元前11世紀とも紀元前後の前漢時代ともいわれている。
 追儺式は疫病や災禍をもたらす悪鬼を払う行事であったが、道教と集合してから豆まきの比重が高まったようだ。

 我が国では、道教は古くは弥生時代の纏向遺跡(大量の桃の種など)、続く古墳時代(八角墳、銅鏡など)、飛鳥時代(水の祭祀跡など)に大量の痕跡があり、追儺行事は延喜式(平安中期)にも載せられている。

 なぜ豆まきか?については諸説あるが、大豆の生命力に呪力を見たのではないかと食物史の大家篠田統氏は指摘している。

 医学以前の古人はこのように疫病と闘ったわけであるが、何となく感染症のイメージを鬼に託したようだ。そんな歴史に思いを馳せながら孫に古い行事を伝承したいと思っている。

 さて私の毎年の節分の工作だが、孫が小さい頃は方相氏(ほうそうし)のお面を作ってやったが、やっぱり鬼に向かって豆まきをする方が楽しいだろうと、近年はA4コピー用紙5束入りの箱で、少し立体的な鬼のお面を作った。これには孫の夏ちゃんも凜ちゃんも喜んで豆まきをしてくれた。

 だから今年もそれでよいのだが、今年は写真のような壁掛型のデコレーションにした。今年のポイントはただ一つ、下のコードの先のスイッチを入れると鬼の目が光るようにした。凜ちゃんはスイッチを点けたり消したりするのが好きである。なのでゲームみたいに喜んでくれている。

2022年1月28日金曜日

シジュウカラとヤマガラ

   野鳥が自然界での生活力を失うような極端な餌付けは好ましくないが、冬の餌の乏しい季節は餌場(バードテーブル)を設置してもよいと言われている。

 この時期わが庭のバードテーブルには、ハムスター用のヒマワリの種を置いている。シジュウカラ、ヤマガラ用である。

 先日、東京日比谷公園と違って、この辺りのスズメは人に慣れないと書いたが、シジュウカラ、ヤマガラは非常に人懐っこい。ヒマワリの種を購入して来てまで用意している所以である。

 さて、千葉県には「シジュウカラを捕まえると、飯櫃(めしびつ)が始終空(シジュウカラ)になる」との言い伝えがあるそうだ。鹿児島県では「シジュウカラを捕るとその家は貧しくなる」、佐賀県では「シジュウカラを捕れば40まで、ゴジュウカラを捕れば50までして生命はない」との言い伝えが残っているそうだから、昔からそれほど人に愛されていたことになる。

   人に愛されていたといえば賢いヤマガラは更にその上を行き、私の若い頃は縁日などで「ヤマガラのおみくじの芸」などもあった。
 シジュウカラもヤマガラも主に害虫を食べてくれるから益鳥と言われている。

 可愛くて人懐っこいので益鳥と言われているのに文句はないが、現にヒマワリの種を食べるから、ヒマワリ農家やヒマワリを愛でている人々はどう思っているだろう。その季節は高い山あたりに行っているから問題ないというのが正解だろうか。

 バードテーブルでヒマワリの種を啄ばみ、近くの木の枝でコツコツコツコツと皮を割って中身を食べる。
 寒い日も、窓の外からそんな音が聞こえてくると少し心が温まる。

T2さんのたより3

 T2さんは1月20日(木)の帰宅時にけっこう重い症状が出て、22日(土)の午前中に発熱外来のあるN病院を受診し、その夜遅く病院から『陽性』の連絡があった・・ところまでは以前に書いてある。

 ☐ 24日(月)の夜、保健所から電話があり、病状を聞かれ、明日保健師さんから改めて連絡しますと伝えられました。

 その保健師さんからの連絡が27日(木)お昼にありました。病状や持病などについて聞かれ、出勤再開について確認したところ、体調に変化がなければ2月1日(火)からOKとのことでした。

 自宅療養になるので、レトルト食品とパルスオキシメーターを送ってくれるらしいです。

 濃厚接触者の妻が開き直って「来週いっぱいまで休む」と言っております。症状がないのはありがたいですが、だからと言って読書が進むわけではありませんね。 

 妻については、今の国の基準では、医療従事者の場合は、2月1日にPCR検査受けて陰性なら、その時点で待機は解除されることになっているようですが、妻の病院では、2月1日から6日経って検査、陰性なら翌日から出勤再開と言われているようで、なんか釈然としません。☐

 以上がT2さんのお便り。 読者の皆さんご参考に! 

 結果ヨシ!ですが、結局、PCR検査時の問診だけで、陽性確認後の診察や投薬は一切なしの自宅療養だけで自然治癒?したのでしょう。 
 ほんとうに結果ヨシ!ですが、もし途中で発症、重症化していればきちんとフォローされていたのでしょうかね。T2さんの個別ケースの経験談だけで「オミクロンは怖くない」と考えるのは危険でしょうね。

2022年1月27日木曜日

政府のコロナ対策は失政でないか

 前回の記事を補強して、なぜ日本は世界中で異常に検査数が少ないのか、さらに検査キッド不足が生じているのか、さらにさらに実情を無視した隔離(自宅待機)期間が長いのか、ネットで発信されている医療ガバナンス研究所理事長の上 昌広医師の提言の骨子(一部)を紹介する。 

☐ オミクロン株検査不足問題が深刻だ。ナビタスクリニック新宿の濱木珠恵院長は「普段なら発注すると翌日に届く抗原検査キットが、118日に発注した分が未だ届いていません(125日現在)」という。検査キットが無くなれば、迅速診断はできなくなる。抗原検査ができなければ、PCR検査に頼るしかないからだ。多くのクリニックでは、PCR検査を外注しており、その結果が届くのは翌日だ。高齢者や持病を有するハイリスクの人は、早期に経口治療薬モルヌピラビルを服用することで、死亡率を3割程度減らすことができるが、PCR検査に頼れば、一日治療開始が遅れることになる。そのPCR検査すら、検査キットが不足しつつある。 

海外はどうなのか。121日の経済協力開発機構(OECD)加盟国の人口1,000人あたりの検査数(1週間平均)を示す。日本は1.18件で、メキシコに次いで少ない。マレーシア(3.25件)やインド(1.27件)にも及ばない。多くの国は、オミクロン株の流行下でも、日本とは桁違いの検査を実施している。 

なぜ、こうなるのだろうか。厚労省が、強い意志で検査数を抑制しているからだ。
 日本の検査数は、そもそも目標が低い。現在の日本の1日あたりの検査能力は約385,000件だ。もし、この数の検査を実施したとしても、人口1,000人あたり3.06件に過ぎず、いまだマレーシアに及ばない。デルタ株の大流行を経験した後も、検査体制を強化していなかったことが分かる。 

なぜ、厚労省は検査を絞るのか。それは、感染症法で、法定の感染症患者に対して、知事は「入院させるべきことを勧告することができる」と規定されているからだ。この条文があるため、入院させずに自宅で死亡すれば、知事が責任を追及される。この結果、リスクを回避するため、知事は全感染者を入院させようとする。軽症であることが分かっていたオミクロン株でも、当初、全感染者を入院させたのはこのためだ。 

感染症法は、コレラや結核を念頭において立法された。毎日数万人の感染者が出るコロナは想定外だ。感染症法の強制入院規定こそ、我が国の感染症対策の問題を象徴している。社会の防疫のために隔離を優先し、感染者の検査や治療体制の強化は軽視する。明治時代に内務省衛生警察が所管した、隔離ありきの伝染病予防法の影響を残している。 

ここまで国家が医療を統制するなら、検査キットのロジは、厚労省が責任を負うべきだ。ところが、厚労省は都合が悪くなると、勝手に解釈を変更する。124日、厚労省は、濃厚接触者が発熱した場合など、自治体の判断で、検査を実施しなくても、医師がコロナ感染と診断出来るように方針を変更した。これは滅茶苦茶だ。コロナと診断するのは医師の仕事だ。自治体の判断は関係ない。麻疹や水痘のような特徴的な臨床所見がないコロナ感染は、検査なしでは他の風邪と区別できない。厚労省の言い分は、医学的合理性がない。 

さらに、厚労省は、124日、若年者などリスクが低い人が、市販の検査で陽性と分かった場合、医療機関を受診せず、自宅療養を認めると方針を転換したが、これも問題だ。医療を受ける権利は、憲法で保障された基本的人権で、厚労省の許可など要らない。ところが、このことに誰も問題を感じない。朝日新聞は125日の朝刊一面で「受診せず自宅療養可」と、厚労省の言い分をそのまま報じている。 

我が国のコロナ対応が、国民の意向を無視した、官僚主導の国家防疫であることがわかる。実は、このことが、コロナ対応で、我が国が一人負けの本当の理由だ。コロナは未知の感染症だ。実情に即し、合理的な対応をとるべきだ。海外は、国民の視点に立ち、試行錯誤を繰り返した。

コロナパンデミックで、世界は非接触を希望した。この結果、在宅検査が急成長した。例えば、昨年3月、米食品医薬品局(FDA)は、米キュアヘルス社が開発した自宅で検査できる簡易核酸検査に緊急使用許可(EUA)を与えた。医師の処方箋が不要で、所用時間は約20分で、PCR検査との陽性一致率は97%だ。 

 我々は、もっと世界から学ぶべきだ。欧米は、検査をフル活用し、オミクロン株の流行下でも社会活動を継続している。112日、米バイデン大統領は、対面授業を継続させるために、学校向けに配付する検査キットを毎月1,000万回分追加すると発表しているし、英国政府は、117日、コロナ感染後の自主隔離を、検査陰性の場合に限り、従来の7日から5日間に短縮した。120日、イスラエルではコロナ感染者と接触した小児は、週に2回、抗原検査を受け、陰性を確認するという条件つきで、隔離を中止した。 

我が国のコロナ対策の基本的姿勢は間違っている。岸田総理は早急に感染症法を改正すべきだ。その際のポイントは、国家の権限を強化し、民間病院に無理矢理感染者を押し付けることではない。検査、治療、さらに隔離を受ける権利を感染症法で保障することだ。いまこそ、世界から学ぶべきである。☐

以上の主張のあれこれを批評できるほどの知識はないが、いろいろ参考になる提言だと思う。読者のみなさんの経験やご意見を乞う。

けったいな待機期間

   以前のブログに記載したとおり、孫の凜ちゃんの療育園(保育園のようなもの)がコロナ感染者発生のための2週間強の休園中だ。
 その後は平穏に推移しているようで2月から再開されることになった。

 休園当初に検査の結果陽性だった凜ちゃんは休園期間中に症状なく10日間経過したから、最終的に定められた検査で陰性となれば理論的には通園可になった。

 問題は母親である。凜ちゃんの陽性結果後直ぐに陰性と結果が出た母親は濃厚接触者となり、ここが問題なのだが、「濃厚接触者は感染者の療養解除後10日間の自宅待機」ということで、すでに2回陰性が確認されていてさらにもう一度陰性確認が取れたとしても、凜ちゃんの送迎が不可、つまり普通には凜ちゃんは通園できなくなった。

 おかしなことは、もし母親が陰性でなく当初から陽性の無症状だったとしたら、凜ちゃん同様10日間経過したから最終的な陰性確認で送迎も可になっていただろうが、幸か不幸か陰性であったためにさらに凜ちゃんの療養解除後10日間、合計で20日間以上のの自宅待機が求められるというけったいな不合理が生じている。

 一般論として、母親が非正規雇用の場合は、それは収入が途絶えることでもあり1日1日が重要な意味を持つ。何よりも陽性よりも陰性の方が長期間待機しなければならないというのは普通に考えて合理的・常識的でない。

 「濃厚接触者は感染者の療養解除後10日間の自宅待機」という考えが100%ピンボケとは思わないが、実態を考慮せぬ杓子定規であるのは間違いない。

 「死んだ子の歳を数える」ではないが、先の総選挙で共産党が前進しておればもっと鋭く解決を迫られるのに、維新や国民では何の役にも立っていない気がする。

 それはそうと、凜ちゃんはこの自宅待機で体力が落ちたようだ。療養を要する子の場合はこのように1日1日が馬鹿にできない。
 祖父ちゃんの顔を見るなり「たきび」というので焚き火を熾したら喜んであたってくれた。テレビだけでなくリアルな自然を喜んでくれるのは何よりもうれしい。

2022年1月26日水曜日

偏西風の蛇行

   近畿地方の日本海側では今年12月の降雪量が平年比504%に上り、統計史上2番目に多かった。

 1月上旬も大雪だったが、日本列島の日本海側で大雪が続いた要因は、偏西風(寒帯前線ジェット気流)が蛇行して日本列島近辺で南下したこと、北極海上空の寒気を伴う低気圧(極渦・きょくうず)が分裂して南下したこと、日本列島の南側の偏西風(亜熱帯ジェット気流)が日本付近で南に蛇行したことなどが要因だと気象庁が発表した。

 南側偏西風蛇行の背景にはラニーニャ現象(南米沖の海面水温が平年よりも低くなる)があったという。

 さらに、日本海北部では海面水温が平年よりも高く、そのため水蒸気が多くなり降雪量が増えた可能性もあるらしい。

 トンガの火山の空振による津波もあったように、広義の気象を考えると世界は狭い。そういう目でいろいろ考えていると、口ばっかりの政府の怠慢等に怒るのも「小さなことだ」とあほらしくなるが、いかんいかん、それとこれとは別だと思いなおしている。

2022年1月25日火曜日

T2さんの続報

   ウクライナ情勢も大いに気になっているが、新型コロナ肺炎も気がかりだ。
   T2さんからの続報をここにお知らせして読者のみなさんの参考に供したい。

T2さんのたより
□ 私の方は平熱で推移し、特に体調に変化はありません。が、保健所からはまだ連絡がなく、次の段取りができず、気をもんでいます。
 私の自宅療養が続けば、濃厚接触者の妻の出勤再開が遅れる(+10日間)ので、府の24時間サポートセンターに宿泊療養について確認したところ、65歳以上の高齢者は受け付けないとのことでした。
 それでは、入院療養では、とも思いましたが、まずは保健所からの連絡待ち、どうどう巡りの状況です。
 Kさん(コロナ経験者)の話では、連絡が来るのに4日くらいかかるとか。保健所の厳しい状況に思いをいたしながら、連絡をまっています

 T2さんのお便りは、私の孫の凜ちゃんファミリーのケースと一緒だ。
 親に対して濃厚接触者と告げられてから相当経過してからPCR検査をようやく受けられ、その結果父親が陽性とされ、その結果通知があってから10日間自宅療養とされている。それならすぐに検査をしてくれよ!と思う。幸か不幸か症状がないので診療めいたものもなく、ただただ自宅の一室に閉じこもっている。

 今後は症状が出ても医療を受けられない事態も考えられる。皆さん、用心の上にも用心を!

2022年1月24日月曜日

ジェンダー平等と皇位継承問題

   12月に『皇位継承問題有識者会議』が報告書をまとめたが、皇位継承問題は悠仁親王以降の皇位継承問題は全く先送りをして、専ら皇族の減少・消滅の危機に対応する皇族増加案に終始しているように見える。

 その理由は、皇室典範が「皇統に属する男系の男子」である皇族が皇位を継承すること、非嫡出子は皇族としない、皇族は養子をすることができない、皇族以外の者およびその子孫は女子が皇后となる場合・皇族男子と婚姻する場合を除いて皇族となることがない、皇族女子は天皇および皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れると定めているからである。

 なお「男系」とは、父方のみをたどることによって天皇と血統がつながることをいい、一方、母方を通じてしか天皇とつながらないことを「女系」いう。

 つまり、日本国憲法第1条で天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされているにもかかわらず、日本国民のおおむね半分を占める女性や多様な性を排除している現状を必死に固執している報告になっている。日本国民の半分以下の象徴でしかないことにならないか。

 国会の代表質問では、共産党志位委員長のジェンダー平等の提案に対して岸田首相は男女賃金格差の是正などを答弁したが、ほんとうに原則を踏まえてジェンダー平等に取り組むとすれば、女性天皇、女系天皇の議論は避けるべきでない。もちろん憲法にもとづいて女性・女系天皇を認めるべきだろう。

 相撲部屋の親方は娘が誕生すれば有能な力士と結婚して部屋が繋げると喜ぶと言われているが、大阪の船場の商家でも、「養子筋」の商家はぼんくら息子よりも有能な番頭に継がせて安泰だと言われてきた。こういうのを智慧というのではないか。

 だいたい「万世一系」論は横においても、「男系男子」論の大前提は事実上の「一夫多妻」制であろう。男系男子を伝統だと主張するなら一夫多妻を主張しなければ論理は完結しない。その場合、現代の「仁徳天皇皇后磐之媛」が怒り狂う事態が生じても私は知らない。

2022年1月23日日曜日

今年もリモート詣り

   20日、今宮戎から宅急便が届いた。十日戎の福笹(吉兆)で、三密を避けてインターネットでお詣りをし、依頼していたものである。

 各地にはスマホでキャッシュレスのお賽銭という話もあるから、「リモート詣り」などすでに驚くに値しないだろう。

 十日戎は小さい頃から馴染んでいた。小さい頃は堺戎だった。
 慶応生まれの祖母からは「福笹に付ける縁起物は一つでいい。たくさん付けた翌年に数を減らしたりすると験が悪るなる」と習ったのを「それもそうだ」と私は今も守っている。

 そもそも基本の吉兆には、あわびのし、銭叺(ゼニカマス)、銭袋(ゼニブクロ)、末広、小判、丁銀、大福帳、烏帽子(エボシ)、臼、打ち出の小槌、米俵、鯛などが付いているからこれで十分なのだが、毎年それに一つだけ縁起物を付けている。
 それに昨年からは「疫病退散」と書かれたお札も付いている。もう十分だ。

 大阪では戎っさんは耳が遠いといわれている。なので裏木戸をドンドンドンと叩いて自分の名前を叫ぶお詣りの仕方をする。摂津名所図会にもその様が「かまびすし」と書かれている(京都夷、奈良南市夷でもそうするが、どうしてか西宮ではそういう風習がない)。
 なんというか、そのように神さんが遠くお高く止まっていないのがいい。
 だから庶民の声が届きそうな気にさせる。
 戎っさん、同じような障害を持つ孫が明るく生きていけるよう見守ってね!ドンドン!

雀の正月

   この原稿は20日に書いている。今日は「廿日正月(はつかしょうがつ)」で、今日で正月行事の打ち上げとなる。そして、鰤大根を食べたり団子を食べると昭和4年発行の本にあるが、私はそういう廿日正月という行事を意識したことがない。
 ということで、勝手に今日を「雀の正月」と名付けてみた。
 
 理由は写真のとおり、15日の小正月に外した注連縄の稲穂が立派だったので庭木に結わえておいたところ、予想どおり雀が順番にやってきて、チッチキ チッチキ賑やかに新春を祝ってくれたからだ。

 農村地帯近くの雀は警戒心が強いから、この写真も窓の内側からカーテンをそっと開けてガラス越しに撮った。
 現職の頃は日比谷公園の松本楼でよく昼食をとったが、そこのオープンデッキで食べているとそのテーブルにまで雀がやってきて米粒をねだるのが常だった。それで私は憲法9条を想起したものだ。

 しかし、この農村の縁の住宅地ではいつになったらそんな光景が実現するだろう。

2022年1月22日土曜日

T2さんからのたより

 読者の皆さんの参考のために、以下にT2さんからのお便りを掲載します。

 長谷川さんのブログを見て何かコメントを、と思っていた矢先、木曜の夜に家に帰った途端、パーキンソン病の人のように足元が怪しくなり、倒れても起き上がるのに難渋する状況になりました。
 当日は風呂にも入らず夕食も食べずに寝たのですが、翌日は37.7度の発熱があったため、妻の持っていた抗原検査キットで検査してみると「陽性」反応。
 早速職場へ連絡したら、改めて医療機関でPCR検査を受けてくれ、とのお達し。妻を交えて保健所に連絡するも、案の定話し中ばかりでつながらす。近所の内科はいずれも熱のある人は受付しないとのこと。
 ようやくHの方の診療所とN病院に発熱外来があることを確認しました。今朝、Hの診療所へ予約電話を入れても話し中で全くつながりません。9時から受付開始のN病院へ向かい、9:10ごろに着きましたが、受付や検査会場に3040人が順番を待っています。年寄りもいますが、若い人や学生が目につきました。検査自体は、鼻に綿棒を突っ込むだけですから、すぐに終了ですが、待ち時間などで、病院を出たのは11時頃になっていました。
 検査結果は後刻電話で伝えるということですので、今は首を洗って待っているところです。
 熱も平熱に戻り、隔離された2階の部屋でゴロゴロ過ごしております。
 長谷川さんの方はお身体におかわりはありませんでしょうか?自分が直面していろいろ考えさせられるコロナへの対応です。

「感染対策で社会が壊れる」論に違和感

   テレビの向こうから、「コロナ自体で社会が壊れるよりも、感染対策のレベルが高すぎるから社会が壊れる」というような声が大きくなってきているように感じる。

 PCR検査をやたらにするから無症状の感染者まで発見され、その人の濃厚接触者が爆発的に把握され、そのために保健所や医療体制が大変なことになっている。 オミクロン株は重症化リスクが低いからインフルエンザ同等と考え、PCR検査の受付などはやめて、発症して治療が必要な者に絞って医療資源を集中すべきだ。 社会の経済的損失を斟酌すれば入国管理も撤廃すべきだ‥というような声である。

 しかし私は次のような点で違和感を感じている。

① 私がPCR検査会場に並んだときの印象だが、暇な老人がやたらに並んで濫用している印象はなく、奈良市、木津川市、精華町から近くて、急行停車駅から直ぐの会場にも拘らず人数はそれほど多くなく、それでも1日3人程度という絶対数が少ない枠のため私は受けられなかったが、結局、この検査によって不必要な者まで感染者数等が増えているという事実認識は正しいだろうか。

② オミクロン株は重症化リスクが低くインフルエンザ並みの第5類に引き下げよということだが、現状は母数である若年層の急拡大という条件下での統計数字ではないだろうか。高齢者の重症化リスクも低下しているだろうか。さらに、すべてがオミクロン株に置き換わったわけでもないし、この次の変異株が起こりえないこともないだろう。それに、統計数字で「低い」「少ない」「小さい」ということで命に係わる対応を論じるのも賛成できない。事実、私の孫も私自身も心臓に障害を持っている。もう第5類だ。罹った者が運が悪いと言わんばかりの論調は怖い。

③ 以上のことから、PCR検査が医療を崩壊させているなどという議論は逆立ちしているように思う。反対に、頻繁にPCR検査を行い、ワクチン接種の上に陰性が確認された濃厚接触者には待機期間を大幅に圧縮して各種の経済活動に復帰していただく方が社会のためにも良いだろう。

④ 蛇足ながら、PCR検査に要する費用は、米軍思いやり予算、政党助成金、官房機密費などなどいくらでも財源はある。

 確かに、倒産や解雇はできる限り防ぎたいが、そこがネックならここにも思い切って補償や助成をすればよい。そこを不問に付して「コロナか経済か」と語るのはどこかに嘘がある。

啄木鳥

   石川啄木の詩に『啄木鳥』があり、「聞け、今、巷(ちまた)に喘(あへ)げる塵(ちり)の疾風(はやち)  よせ來て、若(わか)やぐ生命(いのち)の森の精(せい)の  聖(きよ)きを攻(せ)むやと、終日(ひねもす)、啄木鳥(きつゝきどり)、  巡(めぐ)りて警告(いましめ)夏樹(なつぎ)の髓(ずゐ)にきざむ。」という一節がある。
 詩は全体を通して難解だが、ここでは啄木鳥は警告(いましめ)を刻(きざ)んでいる。

 ペンネーム啄木の由来はもっと単純な郷愁とされているが、本当にそれだけだろうか。そこに「木鐸」をイメージするのは買い被りだろうか。

 写真は啄木(キツツキ)の中で一番小さいコゲラ。
 元々は森の野鳥だが、都市が成熟して老木が増えるに応じて都市でも見かけるようになっている。反対にコゲラが来ない街は自然が貧弱ということになる。

 2018年11月23日のブログで四天王寺の鷹の止まり木を書いたが、そこ(源平盛衰記)ではキツツキは物部守屋の怨霊で聖徳太子の敵になっているのが可哀相だ。

 わたしはドラミングの音を木鐸の音として聞いている。


2022年1月21日金曜日

ようやく辿り着いたシロハラ

 (昨日の記事には多くのアクセスがありありがとうございました。また本ブログやフェイスブックに貴重なコメントをいただき感謝申し上げます)

   さて、今冬は陸の冬鳥をあまり見ていない。
 私がコロナ下でほとんど外出していないせいもあるかもしれないが、毎年なら買い物ロードでシロハラがキョッキョッキョッと鳴いていてもよいのに・・・。

 シロハラは、春から秋は北朝鮮、中国東北部、ロシア沿海州あたりに渡っているというから、彼の地も自然破壊が進んだのだろうか、それとも食べられたか、ミサイルに驚かされたか・・・。

 19日、ようやくわが家に挨拶に来てくれたシロハラ。写真では判りにくいかもしれないが、わが家あたりの陸の野鳥としては非常に大きい。大型ツグミ類。フィールドガイドではL(全長)24㎝とある。う~ん、やっぱり、けっこう喰われたかな?(個人の感想です)

2022年1月20日木曜日

不作為犯

   テレビの向こうは他人事と思わない方がよい。テレビの向こうで起こっていることは今日か明日は我が身である。
 事実、孫の夏ちゃんは休校か学級閉鎖か知らないが登校を止められている。もちろんコロナのことである。

 それよりも、我われ祖父母としては孫の凜ちゃんの方が心配だった。凜ちゃんは療育の必要な子どものための保育園である療育園に通園している。ほとんどの子どもたちは病弱だし、例えば凜ちゃんはマスクができない。津波でなくても小波でもクラスターになる環境だ。事実、年がら年中何らかの感染症が発生している。

 そしてついに不安が当たり「コロナ感染者が発生したから検査を受けるように」「当面、休園する」との連絡が園からあり、検査の結果、凜ちゃんも陽性つまり感染者だと奈良県の保健所から通知を受けた。

 ということで我が夫婦だが、凜ちゃんが感染したと思われる前後の頃に凜ちゃんを2日ほど預かって、遊んで、お風呂に入れて、おやつや夕食も食べさせている。いわゆる濃厚接触者となることは間違いない。(同じ飛行機に乗っていたケースよりも相当濃密だった)
 ところが、保健所もてんやわんやらしく待てども連絡なく、ようやく凜ちゃんの陽性の連絡のあった翌日遅く、「悪いが実情を話して京都府の保健所の指示に従ってもらいたい」と、ただそれだけ、奈良県の保健所から電話があった。
 そこで京都府の該当保健所に電話をすると、ここも手がいっぱいの様子で、マニュアルにそうあるのだろう、「相当な濃厚接触であることは判るが、いま検査できるのは同居の濃厚接触者で、(我々)祖父母は検査もできない」「10日間家で待機していてもらいたい」と、結局PCR検査も受けられないまま放置されることとなった。

 「自宅療養」という言葉があるが早い話が「診療拒否」みたいなものだし、我われでいえば「検査はしないが外には出るな」という棄民に近い扱いとなった。
 電話に出ていただいた保健所職員に罪はない。しかし、国と府県の為政者には明らかに「しなければならない対策をしなかった」不作為の罪があるのではないだろうか。持っていき場のない憤りを感じる。

   私といえば、数日後に予定されていた心臓病の受診は私の申告で即延期となり、延期までの間の薬は病院から宅急便(着払い)で到着した。時々頻脈が発生したりするが少し安定しているのでこういう風になったが、少し症状が深刻だったらどうなっていただろう。ゾーっとする。

 簡潔に文字にすれば以上のようなところだが、実際は丸々2日ほどあれこれ手をとられた。
 結局、まあ寒いことだし冬眠することにする。
 ついては、「明日は我が身」と各位もご注意あれ。

 PCR検査だが、昨日のブログ記事のとおり、政府が金さえ出せば多くの薬局等で実施可能である。要するにGoToナントカのように票田になる業界団体のためにはじゃぶじゃぶ金を使うが、庶民には心配なら自費で行え!ということだ。

 もう一つ、私だって一応無症状だが年齢相応に咳も出るし鼻水も出る。軽度あるいは無症状の感染者かもしれない。
 同じようなケースはゴマンとあるに違いない。だから積極的にPCR検査をして陽性者を医学的に手当てするとすれば、他の欧米等先進国並みに「感染者数」は大幅にカウントされ増加するだろう。
 PCR検査をせず、無症状のまま10日が過ぎれば・・そんな陽性者は統計から抹殺され、「日本の感染者数は少ない」政治宣伝の根拠になっていると思う。
 政府統計の偽装が種々あったが、日本のコロナ感染者数も実際よりも少なくなるように歪められていることになる。

 自公や維新の政治は悪質で不作為犯だと考えて間違いない。
 家庭内待機中なのでSNSぐらいでしかこの思いを語れない。同意いただける方は、この種の問題点をどうか発信していただきたい。

2022年1月19日水曜日

誇大広告

   テレビで通販に限らずお金に関わるコマーシャルが流れるとき、一瞬、細かな説明書きが画面に出される時がある。

 そもそも小さな文字であるが、近くに寄って読んだとしても、そんな一瞬に読めるような文字数ではない。要は「説明は果たした」というアリバイ工作でしかないと私は思う。この国はいつからこんな詐欺まがいの手法が堂々とまかり通る国になったのだろう。

 詐欺まがいの手法と言えば、安倍元総理の「ご飯論法」が有名であったが、岸田首相も「聞く力」というキャッチコピーだけで、実際の討論の場では「かわす力」でしかない。

 ところで、東京が東京なら京都も京都で、私は京都府のホームページでPCR検査の会場を探し、10時開店の某薬局に9時過ぎから並んだが、なんと1日に3件しか対応できず、抗原検査も6件ぐらいで「終了」というものだった。これが「全国で希望者はPCR検査を受けられるようになった」という実態だ。

 京都府の広報も、テレビに一瞬表示される説明書きみたいだと私は思った。誇大広告だ。もちろん受けられずに帰ってきた。「明日は早朝から一番前に並ぶぞ」というほどの気分ではない。(写真は関係ない。Winの更新をしたらネット上の写真をつかえなくなった)

2022年1月18日火曜日

空振を捉えた

   15日昼のトンガ噴火に起因する津波様の事象について、「未知の現象だ。少なくとも最初の波は、噴火に伴う空気振動(空振)によるものではないか。過去に例がなくメカニズムは解らない。」と報じられている。

 1月6日のブログ記事『ZENは解らない』で触れた「反物質」ではないけれど、人間が「もう全て解っている」と考えるのは驕りでしかないようだ。

 ところで、そのように気象庁の専門家でさえ首を捻る「空振」をわが妻は捉えていたという。つまり、空振のころ頭から首、背中にかけて「重痛い」不快症状が続き、それは日頃の低気圧の接近時以上のことで、未知の現象だったと宣った。
 つまり、気象庁専門家の新説を、妻は確信をもって「おかしな気圧の変化だった」と肯定的に裏付けた。
 ただ、この話は他言は無用にしてもらいたい。ふふふふ。

2022年1月17日月曜日

1.17の教訓

   1.17の教訓のひとつは究極のところセフティーネットが大事だということだろうと私は思う。

 サッチャー以降、この世に「社会」などというものはない。そんなものをあてにせず自己責任で生きていけ。というイギリス保守党政治の党首であるジョンソン首相が新型コロナ肺炎から復帰してきた際に『この世に「社会」はあった』と象徴的に語ったことを忘れてはならない。

 阪神淡路大震災でも、政府や県知事は「資本主義の原則は私有財産制だ」などという迷言を吐いて個人の支援・補償を一顧だにしなかったが、「それは棄民政策だ!」という怒りの声を背景に、共産党をはじめとする粘り強い住民運動で生活支援法を実現して、不十分ながらも現在の「復興」を後押しした。

 今現在のコロナの第6波にしても、焦点は医療崩壊をどう食い止めるかにかかっているが、素直に考えて、こういう時のために公立病院が必要なのであろう。それを「無駄を省く」などという誇大広告のキャッチコピーみたいなもので公立病院を廃止し、補助金を打ち切ったり減額し、その金でカジノを誘致しようとするような地方自治を見過ごしておいてよいだろうか。

 27年目の1.17を迎えて、ただ「悲しかった」「辛かった」記憶だけを「忘れない」と言うのでは不十分のような気がする。

 大阪湾の埋め立て地に地下鉄を延伸して大会議場をと言っている。正気か! そういう声にすることが真に「1.17を忘れない」ということではないだろうか。

2022年1月16日日曜日

忘れない

   27年前の1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災があった。
 3年以内に東南海地震が発生する確率が99%を超えたとの見解もある中、いろんな意味で1.17を忘れないことが大切だと思う。

 モリカケ事件などを通して官僚制度の劣化が様々語られている昨今、出先の一公務員が仕事の中でどんな風に悩み行動したか、後輩の皆さんも心がけておいてほしいことは何かについて、思い出したことについて少しだけ書いておく。(それほど大層なものではない)

 あの日、倒れたり無茶苦茶に移動したロッカーや机の整理をしていると、出先から電話があり、ガスや電気関係の工事業者(大阪本社や大阪支店)が非常招集を受けて神戸に向かう。向こうで怪我をしたら労災になるかと聞かれている。・・と問い合わせがあった。

 純粋な意味でのボランティアなら労働関係の範疇を超えるが、労働者は事業主の命令に従って出向くようだ。ただし、詳しいことは何もわからない。行先、作業の発注者、作業内容、請負金額、そもそも請負金額が貰えるのかどうか、何もかも不明のまま労働者は神戸に向かう。
 そも天災地変は制度の外として業務起因性なしとのある種の原則もある。

 補償部門の専門家に問い合わせるも、「話は請求書が出てきてからだ」と取り合ってくれない。が、私の担当部門は保険関係の成立だからそんな回答では済まない。そもそも成立届や開始届に書くべき内容がすべて不明である。そして肝心の兵庫とは電話が全く通じない。霞が関とは偶に行政電話(そういう回線があった)が通じるだけだが、この切迫感は通じない。

 結局、どんな議論を重ねたか忘れたが、① 事業主の命令で労働する場合は労災の範疇だ。② 成立届、開始届はとりあえず書ける内容と状況を書くこと。③ 兵庫に提出できない書類は大阪で受け付け印を押して預かる。というような内容を霞が関にも了解してもらって回答した。

 こんな非常事態の対応は条文その他の文章のどこにもないことだ。だから、厳密にいえば兵庫の書類を大阪で受け付けるという法的根拠もない。しかし、それを答えないとしたら、誠実に会社で指揮命令する人も、何よりも現地に出かける人も安心して作業に向かえない。

 労働行政はリアルな上にもリアルな行政でないか。根拠のない回答や指導をしたといって文句があるなら受けて立つ。そんな決意で対応した。それが17日1日の戦場のような私の行動だった。

 その後、次々と経験したことのない難題が降りかかってきたが、今になってみれば何十年分の勉強をさせてもらった。そんなこともあり、卒業したときには、けっこうやりがいのある職業生活だったと納得した。




2022年1月15日土曜日

ヒトゴトではない

   『1月13日 新たに確認された感染者数(NHKまとめ)』によると、東京都3,124人、大阪府2,452人だが、人口は、東京都13,159,388人、大阪府8,865,245人(2010年度)だから、人口1万人あたりでいうと、東京都2.37人、大阪府2.76人と、やはり大阪府の方が酷い状況に変わりがない。

 そういう数字は誰でも判ることなのだが、在阪テレビ局は相変わらず、そんな落第知事を頻繁に登場させ、何となく何かやってる感を煽っている。
 実際、米軍由来と誰もが見ている沖縄県と広島県を除けば、コロナ対策のあらゆる指標で大阪府は最低のレベルにある。

 さて、京都府精華町のホームページを開くと13日の新規感染者数が16人と発表されていた。精華町の最新の人口は36,937人だから、上述の話に合わせて人口1万人比にすると、4.33人となり、あの酷い大阪の1.5倍以上となる。
 今迄は「大阪に行くのは嫌だな」と思っていたが今度は「大阪に来てほしくないな」と思われる番になった。

 分母の小さな統計のブレは大きいし、瞬間風速みたいなものかもしれないが、これまでちょっと他人事のようだった郊外のカントリーでも「いよいよやってきたか」という感じがしてきた。

 ところで、「オミクロンは怖くない」みたいな変な宣伝が強まっているのが気になる。
 後付けで人の批判をするのは気が引けるが、第5波が落ち着いた時こそ次の6波対策を考え手を打っておくべきだっただろう。
 そのときに、GoToだ「いらっしゃい大阪だ」と浮かれていた人々に「6波に気をつけろ」「オミクロンは怖くない」などと言われても、鼻白むだけである。

2022年1月14日金曜日

北風小僧のお友達

   凜ちゃんのイクジイでテレビをつけると、懐かしい『北風小僧の寒太郎』が流れてくる。

 その歌がぴったり合うような天候だ。

 その寒太郎はお友達も連れてくるのが良い。

   ヒューヒューという風の中にヒーヒーという声が混じっているとジョウビタキだ。 

 ヒーヒーの前にはカチカチと鳴く。
 カチカチ ヒーヒーと言うのは火打石で火を焚いているからで、故に火焚き=鶲(ひたき)という。


 

2022年1月13日木曜日

勞劇手当

   古代史の勉強の中で正倉院文書の『造石山院所勞劇帳』というものに出会った。天平19年(747)に草庵程度に建立された石山寺を天平寶字3年(759)頃に本格的に造営したときの文書である。

 国家(造東大寺司)により進められたこの工事は、予算も比較的少なくかつ短期間で仕上げられている。

 故に、勞劇帳とは工人たちの激務(勞劇)手当のための勤怠帳なのだが、奈良時代の国家はなかなかやるなと私は思った。

 昨年を考えると、コロナ禍でリモートワークだとか時差出勤だとか言われながらも、医療従事者や公務員や運送その他のエッセンシャルワーカーは感染の危険を抱えて通常以上の出退勤や対人業務を継続した。

 賃金の影響力でいうとその存在が非常に大きい国家公務員に対する人事院勧告は、コロナ禍で一時金が減額された企業が多いとして、公務員の一時金削減の勧告を行い、政府は実施時期をずらしながらも基本的にそれを実行することを決めた。

 そもそもは公務員と雖も憲法でいう労働者にほかならない以上労働基本権の制約は不当であるが、それを償う制度的担保たる「官民比較」は「平時」でこそ通用する理屈であろう。奈良時代なら一時金の減額ではなく「勞劇手当」の上乗せがあったことだろう。

 エッセンシャルワーカーにはその過重労働と危険手当に相当する賃金を補償し、コロナ禍で支払い能力に困難が生じている企業、産業には然るべき手当を補償するのが筋ではないか。

 現職の労働者は経験として実感がないかもしれないが、少し似かよった問題としては田中角栄内閣の当時、労働者はインフレ手当の要求を掲げ、ほとんどの産業、企業で、これまで制度として想定されていなかったインフレ手当を勝ち取った歴史がある。

 エッセンシャルワーカーには勞劇(危険・激務)手当に相当する賃金を! コロナ禍による解雇及び減収を受けた労働者には国の責任で雇用と賃金の補償を!

 そのように前を向かないと、結局消費(購買力)が低迷してしまう。

2022年1月12日水曜日

賀状代りの遺稿集

   厳寒の朝、ポストに畑 逸郎さんの遺稿集が届いていた。
 本は大きく3部によって構成されていた。
 1 主に敗戦までの半生記
 2 敗戦から疾風怒濤の9年間の日記
 3 主に1990年代の作文
 
 氏は1926年(大正15年)生まれだから1の敗戦時は19歳となる。
 絶対主義的天皇制の下で志願し、陸軍士官学校の将校生徒として、玉音をめぐるクーデター計画の近辺で8月15日を迎えている。
 幹部候補生であるから戦局の実際も相当理解していたが、それでも、神風に望みを託し、かつ遺書をしたためていた典型的な軍国少年、軍国青年であった。

 2部ではそれまでの反省から驚異的に勉強を重ね、関学、京大を経て労働省に就職する。同時に、勉強は実践を伴わなければ真の勉強でないと、日本共産党に加わり、共産党の専従役員として後半生を過ごした。

 この時代を描いた小説は既に古典の域に達しているが、よく似た時代の小説以上にリアリティーがあり(当然だが)、青春小説のようでもあった。一気に読み終え、感動した。

 「親孝行、したいときには・・・」という箴言があるが、この種の話を生でお聞きしたかった。アフリカでは「老人が亡くなるのは図書館1館無くなるのと同じ」と言われるそうだが、社会というものは新しい知見をたくさん得つつ、同時に大切な経験や知恵を大河の流れのように失っていくものらしい。
 遺稿、ありがとうございました。合掌。 

2022年1月11日火曜日

デュオキャンプ

   1月10日の祝日は天候も良い上に気温も適度に上昇したから、昨年来の自粛ムードで鬱々としていた少なくない庶民は久しぶりの外出の衝動にかられたことだろう。

 しかし米軍由来のクラスターもこれあり、明らかに第6波の流行を知りながら外出するのは無知というか無責任かもしれないと考え直し、私はそこはグッと我慢をした。

 さて、自粛生活による経済の停滞が種々語られているが、一方、売り上げが伸びたり流行ったものも少なくなく、その一つがソロキャンプ関連商品だと報じられている。

 そのため「ソロキャンプ」はもう堂々たる現代用語になったが、二人で行うのはペアキャンプかツインキャンプかそれともデュオ? それとも二人以上は普通にキャンプだろうか。

 ・・というようなつまらぬことを考えながら、妻と二人で庭でデュオキャンプをした。ペアキャンプと称するのは少し恥ずかしい。ソロに対してデュオでどうだ。ただ、キャンプというがBBQそれもジンギスカンをしただけである。

 北見地方など北海道の東部では極寒の冬季にジンギスカン祭があるらしいし、私の持論だがBBQをはじめとする焚き火料理は寒い季節がよい。

 道路から丸見えのわが庭だし、煙と匂いに境界はないから通行の人々は少し驚き少し羨ましく覗いて行かれた。老夫婦が冬にBBQ? 既成概念の色眼鏡をはずせば何の不思議もないのだが。三密をさけた遊びは今年の私の課題である。

2022年1月10日月曜日

頭を隠す

   「身体から逃げていく体温の20%は頭から逃げていく」という説がある。20%という信憑性は?だが、山岳医療救助機構の山岳医療救助情報の低体温対策には「顔、首、頭から逃げやすい」とあるし、そんな論文に寄らずとも大筋のところは常識的に納得できる。

   歳をとるまで自覚がなかったが、私は「末端冷え性」である。早い話が気温が下がるとシモヤケになる。特に耳は、小学校の低学年から丁度映画が流行ったため「ダンボ」とアダナされたこともあり、寒風に弱い。

   そこで、妻が髪のセット対策のために被っていたボヘミアンズワッチキャップを被ってみると、これが驚異的な防寒能力であることがわかった。すばらしい。そんなもので今では屋内でも基本的に被っているし、近所への買い物でもこれで出かけている。

   ボヘミアンズワッチキャップという名前だが、これで解(あ)っているのかどうかも知らないが、NHK BSPの「こころ旅」の「火野正平の帽子」と検索したら出てきた。抗がん剤の副作用対応の医療用でもあるらしい。私は「末端冷え性」の医療用だと考えたが、もちろん保険の適用はない。

2022年1月9日日曜日

こんな年賀状

   年賀状の総数が減っているらしい。高齢者は終活の一環として省略し、若者は「あけおめ」メールにシフトしているようだ。
 どちらの気持も判らなくもないが、少し寂しい気もする。

 そんな中、QRコード付きの年賀状が届いた。現役世代の年賀状だ。
 妻が直ぐにスマホで撮ると動画が現れた。字数にすれば私の手紙風の年賀状の何十倍もの量となる。
 「若い世代は上の世代とは別の登山口、別の登山道で同じ頂をめざすものだ」というような言葉を思い出す。

 若い世代が新しいファッションで登場してくるのは楽しいし頼りになる。願わくは我が世代が「我々の頃は・・」などと言って芽を摘まないことが大切だろう。

2022年1月8日土曜日

凜ちゃんの予習

   8日(土)に孫が通園している施設でお餅つき大会があるので7日に予習めいた遊びをした。

 孫の持っている杵はペットボトルで作ったモスキート級の杵で、これは老人ホームの入居者用に私が作ったものである。(重度の障害があっても遊ぶことができる)(実際にお餅を叩くといい音がして味がある)

 御多分に漏れず老人ホームのお餅つき大会はここ2年間中止であったが、ということは、3年以上前に孫に見せたこの杵だが、見るなり「お餅つき!」と発したので私は驚いた。

 お年玉の由来は鏡餅にあるといわれるように、お餅はこの極東の農耕民族には単なる食糧、加工食品ではなく神聖なものとされてきた。確かに、お餅つきは単なる調理ではなく人々に元気を振舞う行事である。
 「予習」ではあったが、孫のお餅つきの姿に大笑いが続いた。『瑞氣集門』を実感した。

2022年1月7日金曜日

大きな小見出し

   「小見出し」とは文中に付ける小さな「見出し(タイトル)」のことだから、「大きな小見出し」という言い方は変かもしれないが、4段抜きの「小見出し」だから「大きな小見出し」というしかない。

 しかも、その文字が、『「強い」経済は共産党にとって資本主義批判という点から見れば妥協か?』という刺激的な文字が赤旗の元日号に踊っていたのだから私はひとり興奮した。

 本田由紀東大教授と志位委員長の新春対談の途中のことである。本田氏は、「強い経済」という方向が、問題含みの資本主義を延命することを暫定的に主張してしまうことになるのかもしれないと思いながら、いまの資本主義が滅ぶとか、資本主義を変えていかなきゃいけないと思っていない人たちに、共感・賛同してもらうためには、こうした打ち出しが必要だとも感じます。と提起。

 それに対して志位氏が、マルクスの資本論のなかに、とても印象的な叙述があるんです。として、工場法をすごく肯定的にとらえている。と語り、「強い経済」をつくっていくということは、それだけ先の社会に進む豊かな条件もつくられる。と応え。本田氏が、弁証法ですね。と受けているくだりの話である。

 待ったなしの気候危機の下で、「やさしく強い経済」の主張が強欲資本主義の免罪符やアリバイ作りに取り込まれないか(斎藤幸平)という心配が全くないわけではないが、この対談のこの節のキモは、あくまでも世の中をリアルに認識して、教条主義的な「原理主義」に陥らないことだと私などは理解した。

 近いところでいえば、大阪で維新が議席を伸ばしていることなどに対して、その理由をリアルに分析しようとせず、「大阪の地の無責任な風土の問題」「故に他の地域では起こりえない」「大阪の民主勢力は何をしているのだ」的なリアルでない「批判」をしているうちに他の地域でも支持率が上がっているという問題。反対に、大阪市長選挙では元議員の自民党員を独自に推すなどの運動が、曲がりなりにもトコーソーの住民投票を二度も打ち破った取り組みを評価できないことによる行動力の低下など、頭の整理をするべき問題は少なくない。

 リアルでなければならないことでいえば、体力的に行動力が低下し、かつコロナ下で3密が困難になるというリアルな状況を直視すれば、好き嫌いは別にして、SNSに参加し発信力を強めようと一年の計を立てるのが良くないか。


2022年1月6日木曜日

ZENは解らない

   2020年9月8日yamashirodayoriに『新発見に感動』という記事を書いた。ダークマターについての赤旗日曜版の記事に関わって、赤旗のその守備範囲の広さについて「感動」したということを書いた。 
 今日の記事は「その続き」というか「再確認した」というだけの記事である。

 赤旗日曜版2022年正月号に『宇宙の謎に地下から迫る』という記事が掲載された。いよいよ「反物質」に来た。銀河の謎の前に「なぜ宇宙は物質でできているのか」が来た。

 しかしここまで来るとお手上げだ。ニュートリノを地下深くで捕まえると種々の仮説のようだった理論が証明されていくらしいという理解以上にはなかなか進まない。タブロイド判見開きではカバー困難かも。

 私には、神岡鉱山の地下に据えられた「反ニュートリノ検出器」が「カムランド禅」と名付けられているとか、探索の対象が「二重ベータ崩壊」ということぐらいしか頭に入らない。それでも、こんな壮大なテーマの解説記事を正月号に載せるなんて、やっぱり赤旗日曜版はすごい。

2022年1月5日水曜日

古代史と出会う

河内名所図会
   このブログで私が度々病気のことを書いたので、昨年の歳末に古い友人が誉田八幡宮のお守りを送ってきてくれた。いや「爺ばか日誌」を読んで二人の孫用に送ってくれたらしい。ありがたい。

 誉田八幡宮の主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)で応神天皇(誉田天皇ーほむだのすめらみこと)である。皇后の仲津姫は誉田真若王(ほんだまわかおう)の娘であるから入り婿であろう。

 そういえば現職時代、この地出身の先輩に誉田さんとおっしゃる方がおられて、読み方は「ほんださん」だった。

 誉田八幡宮は伝応神天皇陵である誉田御廟山古墳に接しており、明治維新以前は古墳の後円部頂上の六角堂(三昧堂)まで参道が通じていた(河内名所図会)。さらに、他の史料からも少なくとも11世紀には誉田別尊(ほんだわけのみこと)・応神天皇陵、そして八幡神という認識は広まっていたと白石太一郎氏は書かれている。

 さて、日本書紀が第14代という仲哀天皇は熊襲征伐のため筑紫の橿日宮にいるとき「神の託宣を信じなかった」ので仲哀9年2月に急死したが、神功皇后は前年の9月に神の託宣で妊娠を告げられ、仲哀9年12月に誉田別を出産した。妊娠期間は1年2か月余り、仲哀死後10か月以上経っている。

   そんな誉田別を押し立てて神功と武内宿禰が東征?してきたので、仲哀の子、麛坂王(かごさかおう)と忍熊王(おしくまおう)は当然に抵抗したが、神功側の計略に引っかかり最後は殺された。

 昨日のブログで私は初詣に奈良市押熊町に行ったことを書いたが、押熊町は忍熊王の地であった。万世一系的にいえば正統な麛坂王と忍熊王はこのように謀反人、反乱者となって殺されたが、押熊のムラの静かな林の中に二人はひっそりと祀られていた。立派な門松さえ立てられていたから、故郷というか地元の人たちはありがたいものであろう。

2022年1月4日火曜日

これでいいのだ

   コロナ前は、初詣は少し賑やかでないと初詣らしくないからと、伏見稲荷に行って雀の丸焼きなどを食べたりしていたが、いくらコロナがピーク時程ではないと言って、ここで三密を破るほど私は無謀者ではなく、正月3日、遠くない奈良市押熊町内に嘘のように旧村の佇まいが静かに残っている一角に、これも忘れられていたかのような小さなお寺、常光寺に初詣に出かけてきた。

 3日ということもあったのかもしれないが、わが夫婦以外に参拝者はなく、二人のために住職が重文級ともいえる十数体の仏像などを丁寧に説明してくださり、賑やかではないが寂しくもない、非常に充実した初詣であった。

 御多分に漏れず、廃仏毀釈によって往時の姿は見る影もないようだが、この姿自体が諸行無常を教えてくれているようでもある。同時に、秘仏歓喜天に二股大根が備えられていて、実生活の豊穣の願いが具現化されているようで、ある意味で宗教が「生きている」感じがした。

 村を一歩出ると、嘘のような住宅開発と大規模店の並ぶ幹線道路に取り囲まれており、いわゆる観光寺院でもないこのお寺がどのように存続されるだろうかと、いらぬ心配さえしたが、人新世の資本論の斎藤幸平氏ではないが、初詣というのもほんとうはこれでいいのだ。

2022年1月3日月曜日

展望と宿題

 昨年の総選挙の途中から、主に立民党に向けて野党共闘「口撃」が激しくなったが、リアルパワーを考えると、小選挙区での市民と野党の共闘の重要性は論を待たない。

 私の住んでいる京都6区では野党統一候補は実現しなかったが、全国的レベルでの合意の精神で共産党は候補者を立てず、結果的に立民山井候補は自民、維新を抑えて当選した。妄想でもしない限り野党共闘の結果である。

 自公の合計は減ったし、維新は希望とのすみ分け前に戻っただけだし、予想というか希望どおりには立民は伸びなかったが、絶望的な気分は不要だろう。

 選挙後の「野党共闘失敗論」は、よく見れば体制維持の側から執拗に繰り返されているわけで、素直に判断すれば、それほど政権与党や「ゆ党」にとって脅威だったことになる。

 そして、振り返れば、誰が「口撃」に動揺し、誰が約束(市民との協定)に誠実であったかということを示したが、そのことは腹にしまっておきたい。

   ただ、情勢にふさわしい結果を残せなかったことも事実で、それらのことに関して東大本田由紀教授は、「平和、暮らし、ジェンダー、気候などの訴えが響かない人々、違うところに関心があったり、そういった訴えがきれいごとに思えるような層というのが、どっかり存在しているのは確かです」「野党は苦しい人たちには非常に優しいような政策を提言とかするけれども、そこまで苦しくはない自分たちに対して一体何をやってくれるんだみたいな声がありました」「野党側の政策は、理想としてはとても本当に素晴らしいのですが、表現の仕方、言葉遣いも含めて『守る』って言葉が多いのが気になりました」等々の見解を述べられている。

 2022年のお正月に宿題をいただいた気分でいる。

2022年1月2日日曜日

天平勝宝2年正月2日

 あしひきの 山の木末(こぬれ)の ほよ取りて
  かざしつらくは 千年
(ちとせ)寿(ほ)くとそ (家持)
      万葉集巻18の4136

 「木末」は枝先
 「ほよ」はツタ状の寄生する木
 「かざしつらくは」は髪に挿して飾りにしているのは
 「「千年寿くとそ」はこの先千年の命をあらかじめ祝福しておきましょう
      天平勝宝2年正月2日の宴会にて

 ちょっとはお正月らしいブログにしようと思って、上野誠著『万葉びとの宴』をめくってみた。
 しかしながら、天平という名の下で繰り返された「謀反」や「でっち上げ」が繰り返される時代の中で、最終勝者藤原一族にとって常に危険視されていた大伴一族の氏の上家持はほんとうに中央政界の千年(ちとせ)を祈っていたのだろうか。そんな、古代史の話は横に置いておいて、今日のところは表向きの「参会者ご一同のご健勝をご祈念申し上げ」との解釈で令和のお正月を寿いでおきましょう。

2022年1月1日土曜日

謹賀新年

 □ 音のない初空のある窓の外
 □ 元日や去年は酒を酌んでいた
 □ お正月孫は二軒の婆宅へ
 □ 只の年されど参院選の年であり

   新しい年の始めの目標は「遊びをせんとや生まれけむ」だ。・・が、というほど大層なものではなく、今年も孫を相手に庭で遊ぶだけのことになるだろう。

 心機一転、怪我や病気に負けていられないので、旧冬、新しい薪ストーブ兼カマドを購入した。

   火入れ式(のセレモニー)は孫の夏ちゃんがファイヤースターター(火打石)で見事に着火してくれた。

 12月25日に書いたとおり、以前のカマドは煙突がなく効率が悪かった。今般のはステンレス製で軽く、煙突もあり、実績も豊富な「時計型薪ストーブ」だから、暖房にも調理にも使用できる。もちろんお餅つきにも。

 夏ちゃんには「どうしてガラス窓付きにしなかったのか」と叱られたのが反省点だが、もう買い替える機会は訪れないだろう。

   年末にはファミリーだけでもお餅つきをしたいと夢見ている。年末とは、2022年の年末の夢である。年寄りは気が長いというか、いや、気が短いので元日に年末の夢を見ている。