2011年8月12日金曜日

煙三題

1 先日、妻の友人(先輩)が妻に「蝙蝠なんか見たことがない。」と言ったそうである。
 このお方は、そもそもが千早赤阪出身で、我が家のご近所に相当昔からお住まいだから、断固として100%そんなことはないのだが・・。
 “興味がないと・・見えてても見えない。”・・・これは昨年11月6日のブログに書いたとおりである。あらためて納得。
 そんな話を、煙もうもうのバーベキューをしながら妻から聞いていたら、頭の上を何十匹(何百匹?)となく蝙蝠が「出勤」していった。この空は先輩のお宅だって同じはずである。

 道行く人々は「お盆で子供さんやお孫さんが帰って来られたのでバーベキュウーやな」という思いで通り過ぎていかれる。誰もシニア夫婦だけでバーベキューをしているとは思いもしていないだろう。
 でも、シニア夫婦だけのバーベキューだっておかしくないですよね?

2 親鸞の教えからは“迎え火、送り火”の必要性は導き出されないはずだが、どういうわけか私の実父母は昔からこれを行なっていた。
 だから私も何となく「これをしないとお盆の感じがしない。」のでしてきたが、今年はチムニーを使って(オガラと茅の輪の茅萱を用いて)迎え火の行事を行なった。
 チムニー使用というこんなアレンジはおかしいですか?

 それにしても、陸前高田の「高田の松原」の薪が京都に送られた。五山の送り火側は不使用を決定。マスコミで批判が続出。五山側が使用に変更。しかしセシュームが検出。やはり不使用・・らしい。
 思うに、出来る限り被災地を応援したい気は皆おんなじだと思う。しかし、チョッとでも危険性のあることはしてはならない・・というのが「本質安全化」の思想でもある。
 「この程度は問題ありません。」という嘘を垂れ流してきたマスコミに裁判官面をして五山側が叱られることもないだろう。こんなことで、被害者たる国民どおしが分断されるのは悲しい。

3 私が実は蚊遣りが好きなことは昨年8月7日のブログに記述した。
 そして、今年新たに手に入れた蚊遣りは陶芸作家手作りの蛙の蚊遣り。
 この種の買い物。通常、妻は「また要らん買い物をして・・。」と臍を曲げるのだが、今回は、偶々いた息子も含めて「ええ作品や」と納得してくれた。
 夏は蚊遣りに使用して、冬はさり気なく何処かに飾ってみたい。 
 蛙キャラ好きの娘に持っていかれるかもしれないのが心配だ。

3 件のコメント:

  1.  「送り火」について、今朝の朝日に3人の話が掲載されていた。
     上から順に見出しを書くと、「燃やせば濃縮、妥当な判断」首都大学東京・加藤洋准教授、「健康影響なく、風評を助長」京大・内海博司名誉教授、「頭ごなしに正否を語れぬ」神戸女学院大・内田樹名誉教授。
     私は、内田樹氏の「メディアも世論も頭ごなしに正否を語るべきではない。節度をもって論じて欲しい。」との主張に共感を覚える。

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  2. 岡山の隠居所の山で刈り取った笹や草、雑木を谷端の空き地で燃やすのが好きです。モウモウと煙が立って、それが谷筋から山の斜面を煙が上っていくと、ちょっとは嫌な虫を追っ払っているのではないかと甘い満足感を感じています。但し刈った笹や草、雑木を集めて運ぶのが非常にきつい作業です。先日は以前に刈った雑木を燃やしましたが煙でなく炎が立って(当たり前!)「暑い」「熱い」でヘコタレマシタ。地元の人から雑木は切り取った時に、生枝をナタを使って折り畳むようにして運ぶと後々処理がし易いですよと教えられました。私は1本1本そのままずるずると引きずって持って降りてそのまま放置しっぱなしで居ましたら絡んだ小枝が乾いて堅くなり燃やすまでの処理が大変でした。成程、ナルホド。でも出来るかな???簡単そうな単純な事程難しいのは身に染みています。

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  3.  隠居所話に感動。昔、軽トラで竹を運ぶ時、近所の方が造作もなく藤の蔦を採って結わえられたのを見て感心しました。
     生活に根ざした技ほどすごいものはありません。
     ペンと紙だけで暮らしてきた〇十年がもったいなかった気もしています。

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