2021年2月28日日曜日

山極提言について

   2月25日にこのブログで「パーテーション」をおいて交歓会・パーティーを再開したいものだという主旨の投稿を行った。

   その記事を読んで「なんて呑気なことを」と私の楽観主義に眉をひそめられた方もあろうかと思うが、どちらかというとコロナ肺炎の見通しについて私は悲観的なのである。

 政府から語られるたびに日にちが遅れていくワクチン接種、オリパラに向けて益々情報が操作されかねない危険性、GoToが再開されたなら無批判に広がる?リスク、・・・冬を越せば自然環境から幾分「感染者数」は減るだろうが、昔のように普通に宴会ができるような環境にはなかなか戻らないだろうと悲観的に見ている。バブルに似た再開はないだろう。

 だから、政府発表頼みでいくら「数字」を静観していても「春」は遠いし、政府による変な「4人以上の飲食解除」宣言や情報に踊らされては火傷をする。キモは、広範なPCR検査で無症状の感染者を早期発見して保護するとともに、医療体制を充実させ、ワクチン接種を早期に勧めることこそが肝心だ。ワクチンだって万能ではない。

 一方、一人ひとりの対処方針も見えてきた。パーティー会場側も存続をかけて工夫を始めている。それらを総合して「大人のパーティー」に踏み切ってもいい段階に来ているのでないか。もう一度言うが、待っていても昔の状況は戻ってこない。・・と私は感じている。皆さんはどういう状況になればパーティーができるとお考えだろうか。


2021年2月27日土曜日

朝日新聞編集局からのクイズ

   たまたまだったが「哲学入門チャンネル(大村リコール問題がついにリアル人狼ゲームに~高須、河村、田中、維新の鬩ぎ合い)」という動画をフェイスブックで見て結構楽しかった。発言者が「総務省事件よりも面白さでいえばこちらの方だ」と言い切ったのも感情としては共鳴できる。

 元総務相・現首相と総務省官僚の接待事件よりも、前代未聞・古今未曾有の謀略による民主主義への挑戦事件の方が社会正義は別にして面白いことは面白い。

 さて、リコール運動のそもそもの発端は、wikipediaを引用すると『あいちトリエンナーレ2019において行われた企画展「表現の不自由展・その後」における展示内容やこれに対する公金の支出に対し、あいちトリエンナーレ2019実行委員会会長代理を務めていた名古屋市長の河村たかしや大阪市長の松井一郎、大阪府知事の吉村洋文などの政治家、美容整形外科・高須クリニック医院長の高須克弥、作家の百田尚樹などの右派系論客が大村秀章知事に批判を加えたことを端緒とする。

 憲法尊重擁護義務を主たる論拠とする大村に対する右派勢力の反感と、大阪以東での勢力拡張を目論む日本維新の会の政治的思惑が高須と河村にリコール運動実施を決意させた』とwikipediaにある。著名な応援団は、武田邦彦、百田尚樹、竹田恒泰、有本香、小川榮太郎、ケント・ギルバートなど右派の論客と呼ばれる人々だった。

 中でも「僕は応援します。賛同しますということです」と新聞テレビで取り上げられたのは、吉村大阪府知事(維新の会の代表)で、1府県の知事が他県の知事のリコールを応援するなど、常軌を逸したものであった。

 先の動画では発言者が「高須氏が指示したか、河村氏が指示したか、事務局長の田中氏が指示したか、事務局員である「部下」が勝手に実行したか、リコール反対派が謀略を仕組んだか、5択しかない」と言っているが当然だろう。

 そして別掲の朝日新聞だが、上から順にいうと、この前代未聞の不正行為は事務局幹部の名前で広告関連会社に発注された。金額は約474万円だった。事務局幹部は「発注書を返して」と繰り返し求めた。団体の事務局長は日本維新の会衆院愛知5区支部長の辞退届を出した。維新の会はそれを受理した。大阪維新の会の大阪府と大阪市は住民投票で否決された大阪都構想の簡易版ともいえる「一元化条例案」を議会に提出した(市議会には3月4日に提出する)となっている。

 この編集局が出したクイズに答えられないなら社会常識テストで落第ということにならないか。犯人は明確である。あとは名簿の提供者、取得先である。そこに関わった者は「事務局がそのように使うとは知らなかった」では済まされない。

 先に名前の出た、著作がいっぱいある右派の論客と言われる先生方が、自分の関わった運動で起こった一大疑惑事件の真相すら解明できずに韓国が、中国がと種々宣っておられるのも不思議なものである。

2021年2月26日金曜日

不誠実な広報

   山田広報官殿、子どもの口喧嘩には「スマンで済んだら警察はイラン」というセリフがあるが、総務省現役組の処分に見合った給与の自主返納で済んだら、首相は許しても世間は許さない。

 だいたい7万円強の接待を受けても一切の手心を加えなかったとしたら、その薄情、冷酷さに人間性を疑うという批判は勿論ブラックジョーク。

 いや、虎の威でNHKに圧力を加えたり、記者会見で並みいるメディアを黙らせる剛腕はやはり冷酷で、ブラックジョークがブラックでなくなっている。

 この件は、電波を牛耳る総務省と内閣広報官が当事者だから、メディアも中途半端で矛を収めたなら、それは断り切れずに接待を受けたという面々と同レベルになる。そうなれば、公共の倫理を捨てた公務員とジャーナリズムを捨てたメディアは一体で、この国のモラルの崩壊に加担していると指摘されても仕方があるまい。

 民主主義に対する暴挙とはこういうことのための言葉でないかと思われるリコール不正事件も、ことの重大性の割には報道が少ないが、やはり大スポンサーの院長なればこそだろうか。国民注視の山田広報官出席の予算委員会もNHKの中継はなかった。歴史の物差しで現代を見ると、誠実という言葉がこれほど踏みにじられているときはない。

 ともあれ、このような人物に内閣広報官を続投させるなら、日本政府あるいは日本という国が発する広報は信用ならぬ、不誠実なものではないかと世界にとらえられるだろう。大分以前からそうはなってはいるが・・・

 山田広報官は即時辞職させるべきである。政治のモラルが問われている。

2021年2月25日木曜日

飛沫防止パネル

   2月15日の『コロナとの共存』という記事で、山極寿一先生の文章を紹介したが、その内容を乱暴に一言でいうと「オンラインだけでは人間の文化の力を奪う」「社会的距離を適切に取りながら人は”集まる”ことが大切なのだ」ということだった。

 確かにコロナウイルスとはこの先長期間共存していかなければならないと言われているから、テレビの感染者数を見ているだけで、あんなことも危険だ、こんなこともリスクがあると言っているだけでは私の関わっている退職者会も尻すぼみになるだけだろう。

   となると、手洗い、マスク、体温チェック、消毒液を押さえたうえで交歓会を考えるとすれば、これまで以上に距離を離したテーブルで、飛沫防止パネルを用意すればどうにかならないだろうか。ただ一昨年まで毎年会場を借りていたホテルにはパネルが大量にはないらしい。

 ホテルの意識の低さには腹が立つが、そうであれば我々がパネルを持参したらどうかと思いついた。ということで、とりあえず試作してみた。30㌢×30㌢×1ミリは少し小さいかもしれないが、きちきちいっぱい許容できるとすれば単価は500円以内で製作できる。30個作れば15,000円ということになる。この年度は行事が軒並み中止になったのだから、これぐらいの支出は可能ではないだろうか。

 いや、きちんとパーテーションを置いてくれる会場を探す手もある。

 私としてはもう少し大きくしたいが、値段との兼ね合いだ。オンラインすら通じない中で悶々としている。コミュニケーションはキャッチボールだと言っているつもりなのだが。誰かキャッチボールをしてくれないものか。(下の写真は正面にパーテーションを置いたものだ)

2021年2月24日水曜日

ふりだしに戻る

   ここ数日、アフガンと中村医師を通じて、リアルすぎるほどリアルなアフガンの現実と、崇高という言葉が一番似合う人間の生きざまを読んだり考えたりしてきた。

 引用したのは中村医師の昔の著作だが、周辺の書物も相当ひっくり返してみた。そのうちの一つに私自身が201626日土曜日に書いた『アフガンの真実』というブログの記事もあった。ここ数日のシリーズの終わりに、もう一度再掲したい。

 ◆  2016年1月30日付け朝日新聞に、NGO「ペシャワール会」現地代表中村哲医師のインタビューが掲載された。

 米軍が「対テロ戦」を掲げてアフガンの空爆を始めてから15年。氏は「私たちのいる東部は、旧ソ連が侵攻したアフガン戦争や、国民の1割にあたる200万人が死んだとされる内戦の頃より悪い。この30年で最悪です」と述べている。意外だった。 遅々とした歩みであるが復興しつつあったのではなかったのか。また、タリバーン時代よりはましではないのか。

 それらについて氏は「タリバーンは海外からは悪の権化のように言われますが、地元の受け止めはかなり違う。各地に割拠していた軍閥は暴力で支配し賄賂を取り放題。それを宗教的に厳格なタリバーンが押さえ、住民は当時大歓迎しました。この国の伝統である地域の長老による自治を大幅に認めた土着性の高い政権でした。そうでなければ、たった15,000人の兵士で全土を治められない。治安も良く医療支援が最も円滑に進んだのもタリバーン時代です」と。やはり意外な現地報告だった。(私はタリバーンの仏教遺跡破壊に良い印象を持っていないが)

 氏らは1980年代90年代は医療支援だったが、今は灌漑事業を中心に行っている。 その理由を氏は「2000年からの記録的な干ばつで何百万という農民が村を捨てました。栄養失調になった子が泥水をすすり、下痢でいとも簡単に死ぬ。診療待ちの間に母親の腕の中で次々に冷たくなるのです。彼らの唯一にして最大の望みは『故郷で家族と3度のメシを食べる』です」と語り、7年かけ27キロの用水路を掘り、3千ヘクタールが農地になり15万人が地元に戻ったらしい。 20年までに16,500ヘクタールを潤し65万人が生活できるメドが立っている。

 その工事は、日本の募金活動により、毎日数百人の地元民が約450~630円の賃金で作業しているのだと。 驚いたのは、「元傭兵もゴロゴロいます。『湾岸戦争も戦った』と言うから『米軍相手か』と聞くと『米軍に雇われていた』」というくだりで、父親が家族のために命をかけて出稼ぎに行くリアルを教えられた。(あんまり宗教戦争・宗派争いと見るのは正しくないのかもしれない)

 それにしても、あの戦争と混乱の中でよく30年間も活動ができたもので、それについて氏は「日本人がしているという信頼が大きいのは間違いありません。アフガンで日露戦争とヒロシマ・ナガサキを知らない人はいません。3度も大英帝国の侵攻をはねのけ、ソ連にも屈しなかったアフガンだから、アジアの小国だった日本が大国ロシアに勝った歴史に共鳴し尊敬してくれる。 戦後は廃墟から復興し、一度も他国に軍事介入したことがない姿を称賛する。言ってみれば、憲法9条を具現化してきた国のあり方が信頼の源になっているのです」と・・・(どこかでトルコの人々も親日的で、その理由の一つが日露戦争であったような話を思い出して複雑な感情が湧かないわけではないが、大国の横暴を見つめてきた諸民族の素朴な感情なのだろう)

 ただ注目すべき氏の言葉は、「90年代までの圧倒的な親日の雰囲気はなくなりかけている。嫌われるところまではいっていないかな。欧米人が街中を歩けば狙撃される可能性があるけれど、日本人はまだ安心。漫画でハートが破れた絵が出てきますが、あれに近いかもしれない。愛するニッポンよ、お前も我々を苦しめる側に回るのか、と」とあった。

 そういう現地のナマの声の続きとして、「日本人が嫌われるところまで行っていない理由のひとつは「自衛隊が軍服姿を見せていないところだ」というこれも私には意外な答えで、「米軍とともに兵士が駐留した韓国への嫌悪感は強いですよ」とも。(これも初めて知った指摘事項だ) 最後に、「自衛隊にNGOの警護はできません。アフガンでは現地の作業員に『武器を持って集まれ』と号令すれば、すぐに1個中隊ができる。兵農未分離で全員が潜在的な準武装勢力です。アフガン人ですら敵と味方が分からないのに、外国の部隊がどうやって敵を見分けるのですか?机上の空論です」 「軍隊に守られながら道路工事をしていたトルコやインドの会社は、狙撃されて殉職者を出しました。私たちも残念ながら1人倒れました。それでも、政治的野心を持たず、見返りを求めず、軍事力に頼らない民生支援に徹する。これが最良の結果を生むと30年の経験から断言します」と結ばれていた。◆

 知らないことばかりで結論もなくここ数日のシリーズを終了する。学習に終わりはない。

2021年2月23日火曜日

丸腰の安全保障

   昨日のタイトルのダラエ・ヌール渓谷は、不正確かもしれないが、巨大なヒンズークシ山脈内の渓谷で、日本の郡ほどの広さがあり、北部山岳地帯はヌーリスタン族の居住地で渓谷上流にその一部の部族が住み、全体的には約3万から4万人のパシャイー族が自給自足している。ペルシャ語やパシュトゥ語もしばしば通じないところだった。

 ただ、その険峻な山岳地帯のため下流では廃村になったほどの戦争があったのに、上流のヌーリスタン部族はおおむね戦火をまぬがれた。ここに中村医師らは診療所を建設したのだった。

 そこは、指揮者のシャワリ医師も「ドクター、ここはアフガニスタンのほんの一部にすぎません。もっと良い場所はたくさんあります。スタッフたちが住民のパシャイー部族を恐れています」というほどの場所だったが、しかし中村医師は「誰もが行かないから我々が行くのだ」と押し進んだ。

 下流域ではイスラム急進党とアラブ系勢力が軍事力でしのぎを削っていた。さらに急進党自体が分裂して抗争し、その上に家族・氏族対立が重なる。この氏族ごとの対立と団結も非常に大きく、こういうのはアラブなどのイスラム世界では共通しているようだ。以上が今日の前説になる。

 さて今日の本論は、こういう状況下で「丸腰の安全保障」はありうるかというテーマである。

 中村医師たちは診療所内での武器携行を一切禁止した。自分自身が丸腰であることを示したうえで、敵を恐れて武器を携える者を説得、門衛に預けさせた。これは時に発砲する以上の勇気を必要としたが、無用な過剰防衛はさらに敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意・対立がエスカレートしていくさまは、この渓谷でもあらわに観察されたものだった。故に、アフガン人チームが「決死の覚悟」と述べても決して誇張ではなかった。当時のチームには悲壮感が漂っていたという。

 ところが、私心のない医療活動は地元民の警戒心を解き、彼らが我々を防衛してくれるようになった。もっともてこずると思われた政治党派の干渉も根気強い等距離外交でかわし、相対立するイスラム急進党が自ら不干渉と協力を表明してきた。

 ……アフガニスタンは噂の世界である。「本格的な診療所開設」の報はたちまち広がり、なんと、ペシャワールやカブールからも患者が訪れるという「逆流現象」さえ見られるにいたった。主な引用部分は終わる。

 私は以上の話を、短絡的に憲法9条や例の「戦争法案」に結び付けて結語にするつもりはない。ただ、日本でいえば戦国時代か中世以前のような感じを受けるメンタリティの渦の中にあっても、この世に平和や信頼が生まれる日が来るとは信じられないという、ある種アナーキーな虚無主義が常識の世界にあっても、こういう事実が実際に実現した「事実」は重い。

 中村医師の足跡はこの上なく尊い。私なら途中で逃げ出していたかもしれない。

2021年2月22日月曜日

ダラエ・ヌール渓谷の夜

   前回のイスラム社会の女性の地位についても、私は決して現状が良いとは全く思っていない。しかし、そのことを語るにあたっては相手の文化に対するリスペクトが必要だと深く感じたところである。

   さて、1991年第一次湾岸戦争と思われる12月4日の記述が中村医師の本にある。これは全く個別の事案ではあるが、非常に現地の感覚を教えてくれている。以下に要旨を記述する。

 ◆ 12月4日、アフガニスタンのダラエ・ヌール渓谷で一応の調査を終えた一行は、ふたたび山越えを覚悟していた。ところが意外にもナワ峠開通の報に接して小躍りした。明日の午後にはペシャワールに帰れる。

 電気もない夜の楽しみは歓談することである。JAMS(ペシャワール会)スタッフのムーサーが言った。「戦争とはいえ、俺もずいぶん人を殺しました。……今思い返すと妙な気がするのです。私はアフガン人です。そして私が殺したのもアフガン人でした」

 「私はイスラム教徒だ。それは死んでも変えようとは思わない。そりゃ、他人の信心や生活をとやかく干渉して壊す奴らは何時でも殺(や)りますぜ。しかしこの頃いつも思うのは、殺された奴らも、家に変えりゃ、ガキも女房もいるただのお父つぁんだってことですよ」 あんまりしんみりしていたので私もほかのスタッフも黙って聞いていた。

 「俺たちはもう疲れました。仲間同士で殺しあうのはまっぴらだ。ドクター、誰がこうさせたんですか。俺たちは悪い夢を見ていたんだ。ルース(ロシア)もアングレーズ(英米)も俺は嫌いだ。他人の仲を平気で引き裂いて、おかげでアフガニスタンはめちゃくちゃだ。俺たちは皆、平和にあこがれてるんですよ、日本のように……」

 ちょうどその時、誰かがBBCのパシュトゥ語ニュースのスイッチをひねった。いきなりJAPANという言葉が飛び出してきた。みんな耳をそばだてた。

 「日本の国会は国連軍に軍隊を参加させることを決定し、兵士に発砲できる許可を与えました。……」

 そこに集まったJAMSのスタッフも皆、私を気にして黙っていた。誰もコメントしなかった。私は気まずい場を取り繕うために大声で言った。

 「ばかな! これはアングレーズの陰謀だ。日本の国是は平和だ。国民が納得するものか。納得したとすれば、やつらはここアフガニスタンで、ペシャワールで、何が起きているかをご存知ないんだ。平和はメシのタネではないぞ。平和で食えなきゃ、アングレーズの仲間に落ちぶれて食ってゆくのか。それほど日本人は馬鹿でもないし、くさっとらんぞ」

 (いろんな会話の後、誰かが)「戦争で壊すのは簡単だが、建設は時間も忍耐もいるってことだ。第一、なんで俺たちが今ここでこんな苦労をしているんだ? 戦争があったからだ。でも今は、戦争より診療所のことを考えたがよかろう。もう寝よう」

 戦で傷ついたスタッフたちの「美しい平和な国」へのあこがれを壊したくない私の配慮が、知りつつも誇張された独断に変わったことが悲しかった。私はまるでピエロのような演技で、なぜ日本をかばおうとしているのか。チャチな虚勢が空しかった。◆

 「神は細部に宿る」という言葉があるが、この中村医師の一夜の話は、個別の一場面でありながら大事な本質を語っているように私には思えた。

2021年2月21日日曜日

多様な世界

  つくづく感じるのだが「現地の声は重い」。各論については私自身「正解」や解決策があるわけではないが、そういう事実を知った上で語ったり書いたりすることが極めて重要だと反省するだけだ。
 先日の中村医師の本に要旨こういうくだりがあった……

 ◆1989年、マホメットを冒涜するとされた出版物「悪魔の詩」に抗議するデモがイスラム世界全体で荒れた。2月にペシャワールの英国領事館が爆破された。「言論の自由」をかざす西欧近代と、それにはかえがたいものを守ろうとするイスラム社会との対立であった。
 イスラム側の過剰反応であっても、そこに欧米側の思慮と内省が働いていたとは思えない。
 当時のイスラム教徒の心情は、一昔前の日本で、神社の御神体や寺の仏像に、突然外国人が押し入って小便をかけられた感じに近いであろう。コーランの句は御神体以上のものである。暴動は政治的にあおられたものではなく、ごく自然発生的なものだった。そしてペシャワールではほとんど見聞きしなかった外国人への襲撃・誘拐が頻発するようになった。
 明けて1990年4月ペシャワール市内のキャンプで暴動が発生し、アフガン難民約1万人が英国系NGOを襲撃、掠奪のかぎりをつくした。これによって同団体のプロジェクトは壊滅した。
 ねらいうちにされたのはたいていが「女性の解放」に関するプロジェクトであった。自国受けする「男女平等主義」のテーマはアフガニスタンから見れば異様な「文化侵略」と受け取られ、女性が自然に社会進出する傾向は、これによって逆に摘み取られてしまった。
 同様の事件は周辺のキャンプに次々に飛び火し、さらにいくつかの主要な欧米NGOが襲われた。フランスの国境なき医師団が追放され、一部は殺害された。欧米側の反応は「犬以下の恩知らず」という高飛車な決めつけ方で、イスラム民衆のさらに大きな反感を買った。
 (自身はクリスチャンである中村医師はこう続ける)難民を犬以下よばわりし、現地事情や人々の習慣・心情を理解できぬプロジェクトのグロテスクな肥大、騒々しい自己宣伝、自分の価値判断の絶対化が見られた。と
 いかに不合理に見えても、そこにはそこの文化的アイデンティティがある。性急に自分たちの価値尺度を押し付ける点では、西側もイスラム原理主義者と同じ対応をしたわけである。
 さらに1991年1月、湾岸戦争が勃発し、すでに撤退傾向にあった欧米諸団体の活動は、これによってとどめをさされた。欧米人の姿はペシャワールから忽然と消えた。最大の現地NGOであったスウェーデン難民委員会の主要メンバーが爆殺され、国連難民高等弁務官事務所にも爆弾が投げ込まれた。
 国連機関のプロジェクトも次々に閉鎖され、ユニセフのペシャワール事務所、国連難民高等弁務官事務所、国連輸送部、国連アフガニスタン救援委員会も軒並みひきあげた。
 そして、アジア系の人を残留部隊にして、自分たちが我先に逃げるのも普通であった。
 「イスラム教徒のメンタリティを疑う」人々が、あっさりと現地を見捨てて去っていく。格調高いヒューマニズムも、援助哲学も、美しい業績報告とともに……
 あれほど巨費と労力を投入した「難民帰還・アフガニスタン復興」の騒ぎはここに分解した。……我々はそれどころではなかった。何事もなかったかのように診療活動を続けていたから、ほとんどの難民診療機関が閉鎖したので、病人が押しかけ、多忙を極めていた。◆

 中村医師は本の全編を通じて決して国連や欧米の活動をけなしたりはしていない。しかし、テレビでは見えなかった事実がここにはあった。
 私だって、当時あまりの偏った欧米側の情報の中で「フセインは相当な兵器を持っているのは否定しがたい」と信じたし、テレビはゲームのように映した戦場を提供した。小泉内閣は、つまり日本は、90億ドルをもってこれに参戦したのだ。その当時私は、その現地で中村医師たちの献身的な活動がどれだけ危険にさらされたかには思いは及ばなかった。

2021年2月20日土曜日

スレイマン山脈

 タイトルのスレイマン山脈の尾根筋は、アフガニスタンとパキスタンを隔てる国境(軍事境界線)線である。

   一昨日に中村哲医師のことを書いたが、私は今でもアフガニスタンや中村医師のことはよく解っているわけではない。若い頃、陳舜臣氏の本が好きで、その縁もありシルクロードの中央アジアと周辺諸国に何となく親しみを感じてはいたが、どうしても陳舜臣氏を通じて、その眼は中華帝国を通しての眼であったようである。そんなもので、ユーラシアから見たユーラシア、ユーラシアから見た中華及び日本を見ようといろいろを本を読んでいるが、そもそもの基礎的理解が乏しいので四苦八苦している。

 例えば、著名な歴史学者阿部謹也氏が中村医師を評している文章の中に「アフガニスタンの古都ペシャワールで」と書かれているが、普通にはペシャワールはパキスタンの都市である。もっと言えば、つまらない疑問だが、中村医師が診療所を建設したり用水路を建設されているのはアフガニスタンなのに何故ベースがペシャワールなのか、もちろん名前もペシャワール会なのか。

 このブログ記事ではそんな細かな解説を試みるつもりはなく、ただ中村哲著『アフガニスタンの診療所から』※を読んで感じたことをメモしておくこととする。

 さて『日本辺境論』は、2010新書大賞第1位となった内田樹氏の有名な著作の題名だが、ユーラシアの民族の攻防、民族大移動の歴史を見ると、ほんとうに日本列島は世界の辺境、世界史の例外だと屡々思わされる。つまり、そんな眼(日本の眼)でユーラシアを見ると大きな勘違いをしてしまうということをこの本でいろいろ学ばされた。

 ※この本の発刊されたのは1993年なのでその時点という注釈付きではあるが、アフガニスタンを概括しておくと、民族的にはスレイマン山脈のパシュトゥン部族が支配的民族で母語はパシュトゥ語である。国際語として通用力のあるのはペルシャ語で、スレイマン山脈ではパキスタンの国語であるウルドゥ語と拮抗している。

 北方にはトルコ系のウズベク族、トルコマン族、タジク族が主力で、ほとんどはペルシャ語化している。山岳地帯の少数部族は、ハザラ、モゴール、チトラール、ヌーリスタン、フンザ、ギルギットなど、それぞれ独自の言語を持つ小部族~部族集団を形成している。群小の民族を入れると30以上にのぼる。

 ローマに討たれて散ったユダヤ人、古代ペルシャのゾロアスター教徒、アレキサンダー帝国を継承したギリシャ系住民、侵入したサラセン帝国やモンゴリアの末裔、モンゴル人に追われたイスマイリ教団、東方から追われて南下したトルコ部族、ジプシー……

 対立と群雄割拠とでも呼べそうな見事なモザイクと、その上に乗っかるインターナショナリズムとしての「イスラム教徒」。

 1893年、イギリスとロシアによって引かれたアフガニスタンとパキスタンの国境(軍事境界線)はパシュトゥン部族の地を人工的に東西に分け隔てた。ここにも中東と同様の近代の大国の勝手気ままが問題を残している。

 実際、パキスタン側のこの地は「北西辺境州」で、非常に高度の自治が許されている。ペシャワールは、パキスタンではあるが、パシュトゥンの地、北西辺境州にある。

 高度な自治と書いてはみたが、自治というよりも掟(おきて)、慣習法であり、近代的な国家や法の概念をよせつけない。復習、もてなし、聖戦、名誉、旅行者の保護、会議などである。そしてその一つ一つに本音と建前があったりするらしい。日本でいえば中世の感じがする。

 以上がアフガン問題の予習であり前書きである。ただ、この感覚が解らないとアフガン戦争、テロリスト、そして中村医師の苦労も功績も理解し辛いようにつくづく思った。今日はここまで。

2021年2月19日金曜日

頭の体操

   たいした話ではないのだが、リタイアした身の確定申告は、1年前の作業の記憶を呼び出すまでに時間が要る。

 特に医療費控除ぐらいしかない私の確定申告は、世間標準でいえば最低レベルの超シンプルな部類だが、いざ始めると「いったい、どうやったかいな」と悩む個所もある。

 で今年は、私の中では一番分量が多い医療費・薬剤費を、自分で作成したエクセルの表に打ち込むと「添付フォーム」まで一挙に作成できるようにしたのだが、『確かシートやブックを超えてコピーを飛ばすのは「リンク貼り付け」やったかいな』などと、それこそ10年以上前の現職時代の記憶を手繰った。

 終了すればチョチョイのチョイだったが、久しぶりの仕事めいた作業をやり終えた爽快感もあった。

 マイナンバーカードなどが嫌なので、e Taxのパソコンで作成して最後は印刷をして確定申告会場に提出した。待ち時間は0分で密とも無縁だった。 

 まあ1年に1回くらいはこういう「頭の体操」があってもよい。

2021年2月18日木曜日

心はアフガンへ

   2月17日の夜、NHKBS1で『良心を束ねて河となす~医師・中村哲73年の軌跡~』を見た。再々再放送のようで私は3度目の視聴だった。

 そして私はこの間に『アフガニスタンの診療所から』という中村哲さんの本も読んでいた。そんなもので、胸がいっぱいでこのブログ記事も思うように書けないでいる。

 胸がいっぱいになった理由はいろいろあるが、中村医師は私と同世代である。それに比べて私は、そして私の周りの同年代はどうだろうか。そんな気持ちもある。

 中村医師は現地で仕事をした。国内の私達も書くなり語るなり仕事をしなければならない。何かというと、歳がだとか時間が、果ては能力が、などと自分が仕事をしない理由ばかりを探していないかと反省させられるドキュメンタリーだった。

 アフガンなどのユーラシアのことや中村哲さんのことは別途書いてみたい。本の中でも日本列島のモンスーン地帯とは別世界が広がっている。歴史のエゲツナさも桁違いである。例の戦争法案の際、日本の国会で「百害あって一利なし」と証言されたには分厚い実践があった。

 灌漑の話以前の医療活動も注目・再評価してほしい。視聴された方の感想もお聞きしたいものだ。

2021年2月17日水曜日

リコール署名偽造

   共同通信は216日、愛知県知事リコール運動で、『名古屋市の広告関連会社が運動事務局の指示でアルバイトを大量動員し、署名簿に偽の署名を書き込ませていた疑いがあることが分かった。なお、運動事務局の責任者は取材に「指示なんてしていない」と関与を否定』と報じた。
報道各社も次々に報じている。

   中日新聞は、名簿書き写しのアルバイトに参加した福岡県久留米市内の契約社員の男性(50)を取材し、登録している人材紹介会社から「簡単な軽作業」「名簿を書き写すだけ」との趣旨の電子メールを受け、十月中旬から下旬にかけて佐賀市内の貸会議室で、時給九百五十円で作業をした。五百円の交通費も支給されたと報じた。

   また、実際のリコール署名集めで使われた用紙を記者が見せ「この用紙に書き写したのですか」と聞くと、「まさしく、これです」と認め、男性によると、貸会議室は若者から高齢まで男女数十人で満員状態だった。男性が到着すると、作業中は携帯電話をポリ袋にしまって取り出さないようスタッフに指示された。「何かの試験会場のようにみな黙々と机に向かっていた」と続けて報じた。

   ちなみに、リコール運動の事務局長は、日本維新の会愛知5区支部長で元県議の田中孝博氏であるが、「部下が勝手にやったこと」とでも言うつもりだろうか。

 前代未聞の不正で民主主義を踏みにじる悪行だが、関係者に自浄能力のないのもひどいものだ。何が「私も被害者だ」「誰かの謀略だ」だ。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

2021年2月16日火曜日

早春

   2月9日に、「古代中国の人は樹木を見ると生命力を貰える」と感じて「相」という漢字を造ったと書いたが、生命力の最も衰えた(と感じられる)冬至から3/24節気過ぎた立春の今は、この日本列島(近畿だが)でも全く同感というしかない。

 13日の土曜日の気温は春そのもので、キチョウ(黄蝶)もアリも初見であった。天気予報ではこの後今季最高の寒波がやってくるそうだが、慌てて飛び出してきた昆虫たちは大丈夫だろうか。

 葉ものの冬野菜やえんどう豆、樹木でいえば寒風に弱いニオイバンマツリも心配だし、小型のオキザリスもどこまで耐えられるだろうか。人間もコロナに耐えに耐えているのだから頑張ってほしいものだ。

 早春賦の3番の歌詞を思い出す。

 春と聞かねば 知らでありしを  

 聞けば急(せ)かるる 胸の思いを

 いかにせよとの この頃か  いかにせよとの この頃か

 (春と聞かなかったら 知らないでいたものを

  聞いてしまったから、気が急かされるこの思いを

  いったいどのようにしたらいいのだろう)

2021年2月15日月曜日

コロナとの共存

   昨春のお花見の中止以降、退職者会は書面総会と会報の紙上交流を行ってきたが、コロナの収束が不透明なまま1年後の春を迎えている。     このままテレビの流すデータを待っているだけでよいのか。屋外で距離をとってお弁当を食べるような行事はほんとうに無理だろうか。書面総会にしても、文章に気持ちを載せて、集合の総会以上の意見や気持ちの交流を図るためにはどんな工夫をすべきか。私はこのまま自粛自粛ではない積極策を考えたいのだが、皆はどんな気持ちでいるだろう。私の頭の中は空転し、胃袋の辺りはもやもやしている。

 14日のブログの記事の冒頭に山極寿一先生の文の一部を引用したが、元の文章は11日か12日の朝日新聞の『科学季評』で、メーンタイトルは『文化の力奪うオンライン』サブタイトルが『コロナ・縮む社交の場』というものだった。

 コロナ下に何人かが集うことを想定した場合、集まった人は基本的には元気な人であろうが、その家族、あるいは別のステージで接触した人、それらの人の先に国境や県境を越えてきた人がいるという想定は非現実的な話ではない。故に、無症状の感染初期に感染力が強いともいわれているから、3密を避けるというのは正しい判断だと私は思う。

 こうしてオンラインが社会の標準になりつつあるが、私の周りではオンラインすらあまりなく、結果、ただただ疎遠、人間関係が希薄になりつつある。そんなもやもやとした悩みを抱いていた中で山極先生の文に出遭ったのだが、メーンタイトルのとおり、疎遠は論外として、オンライン社会すらよくないと指摘されているので私は目から鱗の感慨にひたった。

 先生の文を独断で摘むと次のとおりである。

 ◆ 私たちは3密を避けて暮らすことを余儀なくされている。 そしてオンラインで時間やコストを軽減できるという意見もある。 だが、一方で人間が社会生活を送る上でとても大切な能力が衰え始めていると私は感じる。それは文化的な暮らしをデザインし、実施する能力だ。 ゴリラなどの類人猿に比べ人間は圧倒的に自己を抑制して場の雰囲気に合わせる能力が高い。 故山崎正和さんは、私たちが文化的な生活を送る上で社交が欠かせないと強調した。 社交の場とは、音楽ホール、舞踏場、レストラン、酒場などが該当する。 社交は文化そのものだと山崎さんは言った。社交の積み重ねが文化として人が共感する社会の通底音になる。であれば、やはり人々は集まりリズムを共有する試みを怠ってはいけない。 社会的距離を適切に取りながらも、私たちは「集まる自由」を駆使して社交という行為を続けるべきだと思う。◆

 そうだ、ともすれば、これも危険だあれも危険だという慎重な意見こそが正解ないしは思慮深い意見だという容易い結論に急ぎすぎていないだろうか。私に答えがあるわけではないが、もっと愚直に議論をして、3人寄れば文殊の知恵ではないが、この1年の経験で少しは賢くなった何かを見つけ出したいものだ。

2021年2月14日日曜日

2月14日

   バレンタインデーということで孫の夏ちゃんが手作りチョコレートを持ってきてくれた。

 孫の凜ちゃんも貰いものの大根のお裾分けを持って来てくれたので、予期していなかった賑やかなお祭日になった。

 光は全く春の光になったうえに気温も上がったので、近くの公園には子どもたちが繰り出していた。

 一日も早く日常の風景に戻りたいものだが、冷静に考えると、過去の日常風景はありえず、コロナと共存する新しい日常を作り出すしかないようだ。

 

言霊(ことだま)を乗せて

   コロナ下で外出も集合も、いわんや飲食も自粛の生活が続いている。それらは単なる嗜好のものではなく、人間が人間となった基本的要素だと、ゴリラの山極寿一先生は言っておられる。曰く「社交は文化そのもの・・社会的距離を適切に取りながらも、私たちは『集まる自由』を駆使して社交という行為を続けるべきだと思う」

 いわゆる自粛生活で、コミュニケーションの基本のツールは私の場合はメールになっている。電話は少々苦手である。というのも、電話は突然つながって、実は彼我が取り込んでいたりする。実はそういういろいろな事情を超えてしまうからである。「いま電話で語り合ってもよろしいか」とは言うものの、通常は無理をしてでも「いいですよ」となるのが申し訳ない。

 それに比べるとメールは、用事を済ませてから適当に対応できるので私は好んでいる。ただし、「その件は後日にでも」というぐらいの返信はして、全く返信せず無視するような失礼なことはないように対応している。

 しかし「それでいいのか!!!」という大きな反省をいま考えている。言霊である。文字にメールに言霊は乗り移るだろうか。そういう気持ちで文章は作るように強く心がけてはいるが、基本的に言霊は声の方に乗るものだろう。と反省である。

 読経も、祝詞も、会社での辞令も、声を発するから届くので、例えば仏の前に「このお経に貴方の賛辞と我々の決意が書かれているから読んでおいてくれ」と置いておいたのでは伝わらないのである。

 友人にメールが大嫌いな人がいるが、存外彼の方が正しいのかもしれない。大いに反省している。言霊の載っていない文章では人の心は揺り動かない。といいながら、文章にも言霊は乗るはずだと私は信じている。

   ウイルスは肺も心もすり減らし

2021年2月13日土曜日

不耕起農法

   明日はバレンタインデーでチョコレートといえばガーナが連想されるが、先日、観るともなく目がいったテレビ NHKスペシャル「2030未来への分岐点2、飽食の悪夢 水・食料」で、ガーナのカカオのプランテーションが紹介されていた。

 先進国?と同じような大量の除草剤と農薬、大量の肥料で進められてきたその土地はやせ衰えて荒廃していた。土地(土壌)や気候の違いもあるだろうが、それは酷いものだった。それに対して現地の博士の指導で始まったのが不耕起栽培で、除草しない耕さない農法で、農家の労力も減少し、かつ30%増産がなったということだった。

 そんなテレビを観た翌日ぐらいに朝日新聞の「ひと」欄に川口由一さん(81)が紹介されていた。奈良と三重の県境近くの赤目で自然農法・不耕起農業を43年間実践し、「赤目自然農塾」を無償で30年間されてきた。「問題を解決するのでなく、問題を招かない生き方にこそ答えがある」との言葉は深い。

 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ 緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず 若草も藉くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡邊 日に溶けて淡雪流る ・・・

 高校生のとき試験にこの詩が虫食いで出題され、「何故こんな問題が国語の試験なのか」と疑問を抱いたが、長じて、師は漢字や文法よりも詩心や文学に親しむ大事さを教えてくれたのだと思う。勉強の為でなくこの詩を好もしく思っていた私は珍しく高得点であった。

 それはさておき、北信では冬にはハコベも萌えないようだが、わが家などでは真冬日もへっちゃらで、ほんとうは寒さのため土いじりをサボっただけなのだが、家庭菜園は土が見えないほどハコベが萌えている。結果としての不耕起農法だが、ハコベのカーペットが冬の乾燥から土を守ってくれているのだろうか、それとも、土中の栄養を横取りされているのだろうか。写真はハコベ畑に紛れ込んだようなイタリアンパセリだがお判りいただけるだろうか。

2021年2月12日金曜日

焼き芋

   「焼き芋の作り方」と検索すると、レンジ、オーブン、グリル、トースター、フライパン、炊飯器、極め付きは焼き芋器と出てきた。ただ、焚き火は出てこなかった。当然の結果だろう。

 ただ、ここで終わってしまうと寂しいので、孫に元祖焚き火の焼き芋を作ってやった。といってもレンジで火を通しておいたのをアルミ箔で巻いて熾火で焦げ目をつけるという手抜きというか、半分インチキである。

 それでも皮が少し焦げて匂いが漂い、少なくとも元祖焚き火の焼き芋の基本は孫に伝わっただろう。指先でアチチという体験もさせたので、記憶の底の底に残ってくれたならうれしい。

 コロナで嗅覚が欠けて食欲がなくなったというニュースが伝わっているが、嗅覚つまり香りは重要な要素である。焚き火の煙に混ざって香る焦げた臭いはそれだけでも価値がある。

 当然といえば当然に焼き芋の季語は冬であるが、浅春の焼き芋はほっこりとした時間を感じさせる。

   煙から好き匂いする焚き火かな

2021年2月11日木曜日

建国記念の日

   今日は建国記念の日という祝日である。なぜ今日がそうなのかというと、明治5(1872)年に、日本書紀に書かれている神武天皇の即位日『辛酉(しんゆう・かのととり)年春正月庚辰(かのとたつ)朔』を西暦の紀元前660年の旧暦1月1日『皇紀元年1月1日』と定めたからである。

 翌1873年は太陽暦に換算して1月29日に祭典を行ったが、計算が合わないとして1874年から2月11日を「紀元節」と定めたところに遠因がある。

 つまり、日本書紀によっても紀元前660年には何の根拠もなく、考古学的には縄文晩期にあたり、「国」と呼べるシステムの成立時期とは全く言えない虚構である。

 しかも、日本書紀登載の後の歴代天皇と紀元前660年を連結させるために、神武天皇は127歳、5代孝昭114歳、6代孝安137歳、以後128歳、116歳、111歳、119歳、139歳、143歳、107歳、と続き、仲哀、神功を経て応神111歳、仁徳143歳としたのである。(近頃話題のこの国のホンネとタテマエ、ダブルスタンダード、事実の改竄はあまりに根が深い)

 さらに、「そういう神話を持っている」というだけのことであれば物語としては許容できても、明治から昭和前半の政権はそれを「歴史的事実だ」として臣民に押し付け、故に現天皇を人ではない神の子孫、現人神(あらひとがみ)、そしてこの国を神国だと洗脳し、戦時体制に1銭5厘で投入していったのである。(ちょっと寄り道をすれば、女性蔑視発言で注目の森喜朗元首相がかつて「日本は神の国」と言ったのも、単に鎮守の森や神社のことではなく、このような文脈での「神国」発言であった故に許されないのである)

 歴史の改竄といえば、神話の世界とはいえ、神武天皇陵を、日本書紀は「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)といい、古事記は「畝火山之北方檮尾根上」と書いているのを、文久3(1863)年、孝明天皇は、記紀の記載とは異なる麓の小さな丘(円墳?)ミサンザイを神武天皇陵と決定したが、その謎は、もし記紀の記載に近い畝傍山の丸山とすれば、隣接している被差別部落である洞(ほうら)部落を移転させる時間的余裕がなかったためと考えられている。(その後の大正6年~10年ごろの洞部落強制移転問題は「橋のない川」にも出てくる)(神武天皇陵を見下ろす地の被差別部落の存在は恐れ多いこととされた)

 以上のような虚構につぐ虚構、改竄につぐ改竄を土台にして、15年戦争晩期の紀元(皇紀)2600年(昭和15年)に大拡張と大整備が行われた結果あるのが現在の神武天皇陵と橿原神宮である。そして2月11日なのである。

 つまり畝傍の地に見る現在の「建国の風景」は日本の原風景などではなく、近代昭和15年、軍国大日本帝国の風景であることに留意しなければならない。

 結論として、現実の諸条件を抜きにして神話を根拠に建国記念の日を定めることは一般論としてはありうる一案かもしれないが、2月11日のそれは明治から昭和前半の、外には侵略と内には人権無視のファシズムの手垢にまみれてしまっているので、現昭和憲法の精神に反することは明らかだ。それよりも平和憲法施行の日5月3日を、あえて制定するなら「建国記念の日」と考える方が好ましいと私は考える。

2021年2月10日水曜日

糊こぼし

 そも華厳(けごん)とは、広辞苑を摘むと「菩薩の修行の華が仏の悟りの万徳を荘厳(しょうごん)する意」とあり、華厳宗東大寺二月堂のいわゆるお水取りの修二会が、椿の造花で飾られた中で営まれることがなるほどと理解できる。

   椿は修二会に欠かせない花であり、私もザックにそのお守りを付けている。

 いつの頃からか、練行衆がつくるその造花に糊をこぼした斑点が付くことが、東大寺二月堂近くの開山堂の椿の花に似ていることから、その椿を糊こぼしというようになったらしい。(開山堂の塀越しに見ることができる)

 「水取や瀬々のぬるみも此日より」と言われ、反語的に言えば、お水取りが終わるまでは奈良に春は来ないとも言われている。

   コロナは別にして、その待ちに待ったお水取りが近づき、奈良の和菓子店ではこの修二会の椿に因んだ生菓子が登場している。
 各店で名前も形も異なるが、写真は満々堂通則のその名も『糊こぼし(良弁椿)』で、当然、この季節だけのものである。(写真写りの悪い同系色に載せてしまった)

 所要の為奈良市内に出かけてついでに買い求めたのであるが、主要コースでは鹿よりも人間が少なかった。マスクはしていたがコロナの心配は全く無用の1日だった。

2021年2月9日火曜日

   先日亡くなった半藤一利さんの本の中に「あっ、そうか」という発見があった。

 本にはこうあった。『突如、女房どのが質問してきた。「首相とか外相とか環境相とかいうけど、あの“相”はどんな意味なの?」 答えた。そもそも宰相などといい室町時代以前からあって、「相」は「助ける」という意味である。 ならば、誰を助けるのか。もちろん戦前は”天皇を”である。これが戦後は主権在民で助ける相手は天皇から国民に変わった。はずなのに、そうはいかない。いま各相が助けているのは、属している省や党のためだけ。いや、正しくは大臣としての自分の身分や去就だけか。そんな風に見えてならない、と女房どのに説明し、何となく憮然たる心持になった。』

 「相」に「助ける」の意味とは知らなかった。勉強になったし半藤氏の文の主旨にも同意する。 

 そこで早速白川文字学で確かめてみたところこうあった。『木と目とを組み合わせた形。相は木を目で「見る」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また、「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振り(たまふり)の力があると考えられたのである。・・・』 

 この解説も気に入った。特に冬の落葉樹、注視しない者には眠っている、死んでいるようにしか見えないだろうが、枝の色が日々変わっていき、「蕾の蕾」もスローモーションで変化していく。

 私の素朴な実感からも、古人が、樹木を見て己が生命力の充実感を感じたというのは大いに理解できることである。

2021年2月8日月曜日

大阪一元化条例のこと

   大阪の広域行政一元化条例案なるものに関して元大阪府知事小西禎一氏がFBで主張されている意見が非常に的を射ているように考えるので、記録の意味もあって転載させていただく。

 そもそも小西禎一氏はWikipediaによると、1980年(昭和55年)3月、東大法学部(政治コース)卒業4月大阪府に入庁。2008年(平成20年)2月、橋下徹知事(当時)の設置した改革プロジェクトチームのリーダーとして抜擢され、2009年(平成21年)4月、総務部長となる。松井一郎知事1期目の2012年(平成24年)10月から副知事を務めたが、総務部長を務めていた際に維新の会の方針に反発したこともあり、松井知事1期目の任期満了となる2015年(平成27年)1126日付で辞職した。なお、辞職にあたり、松井知事から「財政再建のリーダーとして黒字転換させた立役者」と評価し、ねぎらわれている

 副知事として、維新の会の主張する大阪都構想の事務局となる(大阪府市)大都市局なども担当。「意見の違いははっきり言うが、行政公務員として府の方針に従うのは当然」として奔走したという。

 2019年(平成31年)47日投開票の大阪府知事選挙に無所属で立候補。自由民主党と公明党府本部、連合大阪から推薦を受け、立憲民主党や日本共産党からの自主支援を受けた。大阪府と大阪市の課題については、調整会議で議論し解決できるとの考え。副知事時代に自ら制度設計した視点から、大阪都構想や住民投票は無駄な支出をもたらすだけとの立場をとる。そして「分断と対立の府政に決別をしてオール大阪で大阪の成長を勝ち取っていこうではありませんか」と話し、「都構想の終結」を訴えた。 しかし、大阪維新の会公認で元大阪市長の吉村洋文に敗れ落選した。小西禎一氏の紹介は以上のとおり。以下は全文小西氏のFB記事の転載。

 ◆ 広域一元化条例、維新と公明合意をめざすとの報道がありました。

 昨年の住民投票で示された民意は「指定都市大阪市の存続」です。成長戦略や重要な都市計画策定権限を府に委ねる一元化条例が民意に反することは明らかです。公明党はダブル選挙の結果から民意に従うと「都構想」賛成に舵を切ったのでしょう。それなら今度は住民投票による民意を踏まえて一元化条例に反対すべきではないのですか。

 事務委託とは金は負担するが権限は失うという委託する団体(大阪市)にとって極めて不利な制度です。ですから自ら執行するより委託したほうが得するという極めて限定された場合に利用される制度です。成長戦略にしろ都市計画にしろ大阪市はこれまで立派に自ら執行してきたのです。都市計画についていえば、大正8年の旧都市計画法制定以来その事務を行い、地下鉄や御堂筋などたくさんの成果を挙げてきています。大阪市にはこれらの事務を委託する理由は微塵もないというべきです。

 再度言いますが事務委託は「うちではうまくできませんから費用は持ちますのでどうか一緒にお願いします。」という制度です。大阪市からすれば極めて屈辱的な話です。また、大阪市は成長戦略や都市計画など府の決めたことを執行する下請け自治体に成り下がってしまいます。広域一元化と耳障りはいいかもしれませんがその実態は大阪府への権限の献上であり、大阪府と上下の関係になることを容認するということです。こんなことに事務委託制度を使うのは同制度の濫用であり、地方自治の歴史に泥を塗るような一元化条例に公明党は毅然と反対していただきたいと思います。

 これまで大阪府は堺市の指定都市移行を支援し、中核都市を全国で一番多く誕生させ、市町村への権限移譲を進め全国一になっています。一貫して市町村の権限強化を図ってきました。権限の強くなった市町村の発言権が強まるのは当然です。府と市町村で調整すべきことも増えますが、大阪府はそんなことは百も承知で、「大いに議論し一致点を見出そう。それが広域自治体のだいご味だ。」と胸を張ってきました。いつから『常に意見が一致しないといけない。そのため市の権限を弱めるんだ。』という情けない自治体になってしまったんでしょう。公明党もこれまでずっと地方分権改革を進めてきたと思います。地方分権改革に逆行する一元化条例にはきっぱりと反対すべきです。

 小手先の修正でこの条例の本質が変わることはありません。

 地方分権改革を進めてきた大阪府がその本道に立ち返ることを切に願っています。◆

2021年2月7日日曜日

キャッチボール

   過日、「孫が自閉症スペクトラム障害でマスクが着けられない」「そんな児もいるというように理解してほしい」という短文をしんぶん赤旗に投稿したところ予想外に掲載してもらえた。

   すると2月6日付けの『くらし・家庭』欄の『知る聞くRoom』に、『マスク着用に強い不快感—発達障害の感覚過敏って?』という見出しで、国立障害者リハビリテーションセンター脳機能系障害研究部発達障害研究室長和田真氏、発達障害情報・支援センター発達障害情報分析専門官与那城郁子氏によるQ&Aの形で、非常に参考になる記事が掲載された。

   参考になった記事の内容は別において、私は、赤旗編集部の名キャッチャーぶりに感動した。キャッチボールは一人ではできない。投げる場合は相手が捕りやすいように投げる。受けたらそれで終わりでなくまた相手の捕りやすいように投げ返す。赤旗編集部は私の投稿の「紙背」を読み取って投げ返してくれたわけである。

   私自身が日頃、友人たちのSNSなどを見て、このようにほんとうに投げ返せているだろうかと反省しつつ、言葉のキャッチボールの大切さを改めて確認した。

2021年2月6日土曜日

   一昨日の記事で、『「キョウ」は両言。言は「サイ」(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形)を置き、もし誓約を守らないときは、この針で入れ墨の刑罰を受けますと誓う神への誓いのことばである』と書いた。

 そのことはその記事の図で添付した金文( ・周時代の青銅器に鋳刻された銘文)で一目瞭然だと思われるが、再確認のため、言という文字の甲骨文字、金文を右に掲載したので理解していただけることと思う。

   一昨日に続けてこの記事を書いたのは、この文字の下の部分が口(くち)ではなく、添付の「サイ」であるというところこそが、白川文字学の要諦であるからである。そのことを告という文字で確認しておく。


   告という文字について、「中国2千年の文字学の「聖典」説文解字では、字の上半分は牛の角であるとみて、牛が何かを人に告げるとき、横木をつけた角で人に触れるのである」としているが、白川静先生は「牛はそんなことをしない」とこれを否定し、そもそも口ではなく「サイ」であることを発見した。そうして・・、

 もとの字は牛に口に作り、木の小枝に「サイ」をつける形。口は「サイ」で、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。木の小枝に「サイ」をつけて神前に掲げ、神に告げ祈ることをいう。告はもと神に「いのる」の意味であったが、のち上の人に訴える、「つげる」の意味となる。王の命令を「言遍に告」で「こう」(つげる)という。

 東京では現首相、元首相の言質の無責任さが横溢している。それらの個別の事案は項を改めて書くとして、例の学術会議会員任命拒否問題にあたって、上代文学会の声明は、「前政権以来、この国の指導者たちの日本語破壊が目に余ります。・・・日本語の無力化・形骸化を深く憂慮します。頼むから日本語をこれ以上痛めつけないでいただきたい」とい言葉を再録しておきたい。

 漢字ができた頃、「言」に誠がなかった場合は入れ墨の刑に処せられていたのに。

2021年2月5日金曜日

胡沙(こさ)

   私が30年~40年前に放送された『シルクロード』の再放送を楽しく観ていることはこれまでに書いた。再放送は既に中国を遠く離れて現シリアのパルミア遺跡に到達したが、30年~40年前のこととて放送はあっさりしたものだった。その後の発掘調査で新発見がいろいろあったことには当然触れられていない。仕方がない。

 言うまでもなく西域の多くは砂漠地帯である。放送班は屡々ラクダに乗ってかつてのキャラバンを踏襲していた。放送の端々に日本人のある種の傲慢さが見え隠れしていたが、当時の世界中の経済格差と「YEN」のバブル的優位性がそうさせていたのだろう。これは余談。

 砂漠では砂嵐が起る。それは我々の想像し得る「大規模な砂埃」とは桁違いの自然現象、気象現象で風景は一変する。歴史的には都市が一夜にして(一夜ではないが)死滅した。

 数千年前の都市が、ミイラが、昨日のように残っている地からすれば、数年で何もかもが朽ち果ててしまうモンスーン地帯の人々の暮らしなどは想像できないだろうが、我われからすれば彼の地は想像を絶する土地である。

 さて、大歳時記をめくると春の季語に霾(つちふる)がある。今でいえば黄沙のことである。そしてその子季語(傍題)に「胡沙来る」や「胡沙荒る」があるのを見つけて私は驚いた。「霾の実態は胡沙」だと見抜いて子季語(傍題)に採った人は誰だろう。

 先日来私が屡々取り上げてきた新疆ウイグル自治区の多くも乾燥地帯である。そして屡々砂嵐が巻き起こる。

   ウイグルの便りを背負いて胡沙来る

 写真は河島英五の絵で、ご伴侶が開いておられた法善寺横丁のお店の壁に描かれていたもの。法善寺横丁の火災後、奈良大学の文化財学科の先生らが考古学の技術で「採掘」?したもの。

2021年2月4日木曜日

羊のこと

   テレビで、約40年前に放映された『シルクロード』の再放送を楽しく観ながら、アジア大陸で最もポピュラーで紀元前からの長い歴史のある家畜羊が、日本では単発的には大陸から到来したものの、本格的に飼われたのは近代に入ってからという、あまりの落差に少し可笑しかった。

   羊は、羊毛は衣服に、夏は乳を冬は肉を食料に、フェルトは住居に、糞は燃料に、皮は袋になったから、大きな羊、多くの羊は財産であった。ということで「羊に大と書いて美しいだ」と軽く考えていたが、関連して善という字を白川文字学に当たってみるとなかなか単純でないことが解って驚いた。

 善は、もとの字は譱(ぜん)に作り、羊と「キョウ」を組み合わせた形。羊は神判(神が裁く裁判)に用いる解廌(かいたい)とよばれる羊に似た神聖な獣。「キョウ」は両言。言は「サイ」(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形)を置き、もし誓約を守らないときは、この針で入れ墨の刑罰を受けますと誓う神への誓いのことばである。「キョウ」は神判にあたって神に誓いをたてた原告と被告で、譱(ぜん)は原告と被告が解廌の前で審判を受け善否を決することを示す。譱(善)は解廌を中心に、原告・被告の誓いのことばをしるした字で、裁判用語であったが、のち神の意思ににかなうことを善といい、「よい、ただしい」の意味になる。また「すぐれる、たくみな、したしむ」などの意味に用いる。

 以上のようなことを、ラムチョップにクミンシードなどのスパイスをたっぷり振りかけて食べた夜に読んで感心した。
 昔、水野正好先生の講義を聞いて、つい先日卑弥呼に会ってきたかのように話すのが愉快だったが、白川静先生は、殷王や周公と語らってきたように思われる。

2021年2月3日水曜日

今日は立春

   今日は立春で、一般的には今日からを春という。その四季の区分について、元気象キャスター、気象エッセイスト倉嶋厚氏の文章の中に、「東洋(中国文化圏)では、春分を春の、夏至を夏の、秋分を秋の、冬至を冬の中央点と考えた(つまり立春、立夏、立秋、立冬が四季の始点)。一方、西洋の天文学的四季区分は、春は春分、夏は夏至、秋は秋分、冬は冬至からを始点とした」とあった。

季語にうるさい俳句界でも基本的にはこの東洋の四立で、別に「新年」を立てている。

ただし、日本でも倉嶋氏のおられた気象庁は通常は、35月を春、68月を夏、911月を秋、122月を冬と言ったり、放送局の1クールだとか、年度で区切った場合は、46月を春、79月を夏、1012月を秋、13月を冬という世界もあるが、ここは一応「日本は四立」としておく。

次に西洋だが、西洋といっても広うござんすで、秋のない国、夏冬しかない国、1日に四季がある国等々等々十把一絡げに語るのは憚られるし、日本列島の南北にも大きな差があるが、とりあえず倉嶋説に沿ってざっくりと話を進めると、花鳥や体感は西洋の区分が合うし、太陽の光の感じ方を重視すると四立が上手く合っている。

倉嶋氏はこれを、「東洋の区分は季節変化の原因に、西洋は結果に注目しているともいえる」と述べている。ここは「そこまで言うか」と思うが・・・。

確かに、真夏の盛りに立秋というのは気分が乗らないが、寒さの中でも日差しの中にいち早く春を感じる(感じたい)立春は納得する。

暦の上では期待の春になったが自然界はまだ冬だという、誰もが抱くもやもやとした違和感に『早春賦』は見事にシンクロするから愛されているのではあるまいか。

『焼嗅がし』の写真を右に追加。

鬼は嫌がるらしいがカラスは喜ぶ。

2021年2月2日火曜日

鬼の子は小さい

   今日は節分。でもって怖い鬼の話。
 「鬼の子は小さい」。そんなことわざはない。今しがた私の作った造語である。   さて『ことわざ辞典』には載っていないが広くいきわたっている「準ことわざ」に「小さく生んで大きく育てる」がある。

   実際の赤ちゃんの場合に使われるのを除くと、企業を立ち上げた場合などに「――――と申しますから」というような祝辞に使われる。しかし近頃では、どちらかというとこの言葉がマイナスイメージを帯び始めている。例えば国歌(君が代)に関する法律がある。

 国旗及び国歌に関する法律は1999年に制定されたが、その条文は、『1条 国旗は、日章旗とする。2条 国歌は、君が代とする。』という、ただただこれだけの極めて「小さな」ものだった。しかも、制定時の国会では「取り扱いは従前と変わらずただ成文化するだけだ」「強制するものではない」と政府は散々答えておきながら、ご承知のとおりその後、東京や大阪や各地の卒業式では教員に強制し、さらには処分までしてきている。

 そこで本題だが、1月20日に政府は「検察庁法と国家公務員法の改正を束ねた法案」を提出するとした。昨年大問題になった「検察幹部の特例的な定年延長」は含まないと報じられているが、果たしてそこに「小さな鬼の子ども」は含まれないだろうか。

 また、現時点での焦点でもある「コロナ特措法改正」でも、閣議決定時にあった「刑事罰」は撤回したものの「行政罰・過料」にすると与党は言っている。これも、この「行政罰という小さな子ども」が、保健所の業務を困難にさせ、感染者を水面下に潜らせる働きをするのは間違いないし、大きな鬼に育たない保証はどこにもない。

 とまれ、近頃「小さく生んで大きく育てる」は、為政者が悪法(条文)をこっそり潜ませて後に言葉を弄して強権を発動する「修飾のことわざ」となっている。実際に政府・与党からそのものずばりの言葉も聞こえてくる。

 「そんな小さなことを言うのは大人げない」とか「野党は何でも反対」というようなコメンテーターなる人々の発言もあるが、あえて言うと「大きく育ってからでは遅い」ことが多々ある。

 少し心配性気味に小さな火種を見つけて消しておくことが大切だ。「鬼の子は小さい」。

2021年2月1日月曜日

明日は節分

   明日は節分。今年は節分の日が2月3日ではなく2月2日だということで、新聞やテレビが少し騒いでいたが、太陽の公転が365日きっかりでないことは閏年などでよく知っていることだし、春分や秋分の日がズレることも知っていることだから全く驚くことではない。

   私などは現在の正月元日が太陽暦でも太陰暦でも何とも収まらない方が可笑しい。「太陽暦でいく!」というなら立春が元日!節分が大晦日!の方が判りやすいが、グレゴリオさんも罪な人である。

 そういう意味では考えようによっては「雨水の直前の朔日」という、いわゆる旧正月の方が判りやすくもある(かもしれない)。

 ほとんどのアジアの国では旧正月でお祝いをするし、欧米のキリスト教国ではグレゴリオ暦の正月はクリスマス休暇のツケタシみたいになっている。なかなか日本という国は面白い。

  節分や家のならひの唱へ言戌亥の隅にどっさりこと撒く

   わが家のルーツは大阪市内だが、「鬼は外」「福は内」をひとしきり唱えた後、北西の隅に「戌亥の隅にどっさりこ」と撒いて扉をガシャンと閉めるというのが「倣い」である。新日本紀行にでも残しておきたいような、風前の灯火のような習慣なのでかえって大事にしている。

 恵方巻はじわじわと定着しつつある。売る方の宣伝の効果ということもあるが、いわゆる主婦(夫)が堂々と夕食の料理をパスできるというところがミソだと思う。わが家も食品ロス対策に呼応して注文済みである。

   ちなみに恵方巻は、大阪の海苔の組合や鮓商組合が古典の中に記述を見つけて古くから宣伝してきたが、私は親の商売柄昭和30年頃から知っていたが、一向に拡がらなかったところ、30年ほど前からコンビニが一役かってから拡がったものである。

 ついに!というべきか、遠縁の方がコロナで亡くなった。こんな時こそ大声で「鬼(疫病)は外」と叫びたい。明日はイクジイの日であるから孫と一緒に大声で祓うことにする。(写真は予行演習のもの)