2019年11月30日土曜日

不自殺宣言

   普通にテレビのニュースを見ていると、香港のデモ隊が火炎瓶や石を投げているのが強調され、強引な警察の実弾発砲までもが「どっちもどっち」というように見えてしまう。

 しかし考えてみれば、ほんとうに「どっちもどっち」だったとすれば、先日の議員選挙での民主派の圧勝は生まれていないはずで、あのデモの圧倒的な部分は市民自身が参加した、圧倒的市民に支持された運動なんだと思う。

 1970年代に私は労働組合の本部(東京)で大規模なデモの先頭中の先頭でフランス式デモ(通りを大きく広がって整然と進む)をリードしたことがあるが、そんなときもテレビは圧倒的なデモの本体を紹介するのでなく、ほんとうに一部の学生らの投石と警察の催涙弾の攻防を紹介していたことを思い出す。ニュースというのは地味だが大切な本質問題を報じるのでなく、絵になる騒動を強調するという体質がある。

 では区議会議員選挙圧勝をつくった香港の民主化運動の本体がどうして報道されないのだろうか。マスコミがなくてもソーシャルネットワーキングシステム(SNS)があるではないかと私は考えていた。が・・

 そんな折、ANNニュース等が「香港の若者の“不自殺宣言”」を報じていた。紙や電子媒体で「私は自殺しない。もしも私の不審死が報じられても決してそれは自殺ではない」と宣言しておく「運動」で、つまり「そんな場合は権力(警察やスパイや雇われ暴力団)による弾圧の結果だと思ってほしい」というものだった。ニュースでは高校生がそう語っていた。これは権力による弾圧が日本では想像できないほどのひどさであることを物語っている。

 嫌中国などでは全くない内田樹先生の「内田樹の研究室」というブログには、「AIの軍事技術では中国はアメリカを上回っている」「顔認証システムやカメラによる国民監視システムでは中国はすでに世界一である(パッケージしてシンガポールやアフリカの独裁国家に輸出しているほどである)」との主旨が語られているが、香港の若者のSNSは妨害されているだけでなく、発信元が特定されて文字どおり命がけなのだろう。

 台湾経由で見ることのできる動画では、香港警察のすさまじい弾圧の事実がこれでもかと映されているが、これがなかなか大きく広がっていない理由もそういうところにあるようだ。
 香港政府、中国政府そして中国共産党は、香港市民の民主主義の要求に対する弾圧を止めよ。
 日本からも香港を注視し、弾圧止めよ!の声を広げていきたい。

2019年11月29日金曜日

Black Friday

 私はどちらかというと年中行事やイベントが嫌いな方ではないが、ショッピングモールやテレビが「さあ買え、これを買え」と誘導するブラックフライデーには鼻白んでいる。貧乏人の僻みかもしれないが。
 各店が値引きするのは歓迎だが、圧倒的には仏教徒の国で『感謝祭の翌日』に何の意味があるのだろう。そんなことをいうとクリスマスはどうだと言われるだろうが。

 さらに、そんなことをいうと私の今日のブログなどはKY、空気が読めない・・空気を読め!ということになるのだろうが、現代のこの国の同調圧力というか、メディアの誘導するカタチへの過剰反応は、一度立ち止まって考えてみても悪くはない。
 以上は前説(まえせつ)である。

   本文に移ると、先日来いわゆる「喪中欠礼」のはがきがどしどし来ている。
 喪中=先祖供養の淵源はきっと儒教の教えだと考えるが、そうだとすると、この国に儒教の信徒?はそんなにいたのだろうか。
 素朴に亡き人をしのんで身を慎む思想は肯定するが、近頃はどうも形だけ「喪中につき」という風潮が感じられないだろうか。

 いや、欠礼の根拠は「死=穢れ」の神道だとしたら、これも、この国にそんなに熱心な神道の信徒?はそれほどいたのだろうか。
 なお、私は神道界の穢れの思想は好きでない。人それぞれの主張はあるだろうが。

 それに、これほど明白に「喪に服している」と宣言されているなら当然にある種の禁欲生活(旅行や外食やレクリェーションを行わないなどの禁忌)を実践されているのだろうかとちょっと皮肉りたくもなる。

 とまれ、諸行無常を説く仏教には往生=穢れの思想はないはずだし、一般的に言えばこの国の主要な宗教状況は仏教であり、その中の最大宗派は「浄土真宗各派」であろう。
 少なくとも浄土真宗各派には喪中の思想はないはずだ。
 私の理解ではキリスト教もそうだと思う。

 結局、「皆が出しているから喪中欠礼を出しておこう」という気分が多数であるようなような気がする。形だけというと年賀状そのものから皮肉りたくなるが、それはさておき。
 「方便」という仏教用語があるように、それが悪いというつもりはない。
 私だって結構社会に適応してほどほどに行動するつもりだ。礼儀ということも否定する気はない。
 しかし、自分の頭で考えるということをせず、安易に世間に合わせておこうというのは昨今の政治の腐敗の温床を形づくっていないだろうか。ここが私の結語である。
 お正月に、前年に不幸があった人から賀状が来たら不愉快ですか? 私は嬉しいぐらいです。

2019年11月28日木曜日

冬めく

   新年号の原稿を何本か済ませて「あとは編集のバックアップ」とのんびりしていたら、突然別の会から予想外の原稿依頼があり執筆した。

 まもなく師走ということで、餅つきの材料や用具の購入やクリスマスのサンタの衣装等の購入を済ませて、次の仕事はいろいろ未定の餅つき大会の準備である。
 この餅つき大会は「口は出すが体は動かん」という面々が多いのでいったいどうなることやら.

 年末まであと1月のこの時期は当然こういうものだとわかっているが、なかなかに大変だ。
 だが、考えようによっては、1年の締めくくりまでこのように「仕事」があるのは幸せなことである。

 写真は先日書いた記事の老人ホームのイルミネーションの一角で「夜はこうなりました」とホームから送っていただいた。入居者に好評だと添え書きされていた。
 

2019年11月27日水曜日

シンハラ語に驚く

   スリランカ人のニルマラ・ラナシン先生の講義を聞いた。
 奈良県立大学の観光社会学の講師ということだった。
 スリランカの昔の名前はセイロンで、私の若い頃は世界で初めて女性首相が誕生した国、その後は女性大統領も誕生した国、選挙によって社会主義をめざした国のイメージが強かった。
 しかし近年は、民族紛争が内戦になって経済等も停滞していたし、それがほぼ解決して、つい最近は大統領選で親中国派が勝利した国というニュース程度が私の理解だった。

 なお私は大きな誤解をしていたが、内戦の主たる勢力の『タミル・イーラム解放の虎』というのが仏教徒だとばかり思いこんでいたが、それは実はヒンドゥ教徒だった。
 そして現在人口上の多数派のシンハラ人の方がどちらかというと仏教徒だった。なおキリスト教徒はどちらにもいて、また別にムスリムもいるという多民族国家だった。

 さて南インドと言ってよいのかどうか判らないが、この辺りのことになると私は大野晋先生の『日本語の起源』を思い出す。
私でさえ6冊以上の本を持っているその内容を単純化するのはよくないが、古い日本語とタミル語の間の、音素・音韻、基礎単語、膠着語である文法、助詞助動詞の用法、歌の韻律に共通することの緻密な証明は驚くべき水準である。そして相違もしっかり指摘されているのだが、私などはその学問の姿勢に圧倒されたままである。
世間一般には、先生の著作を読みもせず、「南インドと日本が、・・まさか」という風に正当に評価されていないように感じている。

そこで講師のラナシン先生だが、先生は多数派のシンハラ人だった。そして内戦以前はタミル人とも大いに交流があったし、余談ながらスリランカのムスリムも当時は厳密にハラル食でなく交流があったと語っていた。
元に戻って、私が驚いたのは先生がシンハラ語を少し話してくれたとき、その語順・文法が日本語とほとんど同じことだった。
講義の主要テーマではなかったので深くは知りえなかったが、「タミル語ではないシンハラ語が日本語と同じ語順だ」ということに浅学の私は心底驚いた。

スリランカの豊かな自然や豊かなカレー料理の話よりも、「もう一度大野晋先生の本を読み返したい」という気になって帰ってきた。

2019年11月26日火曜日

ジャパンライフを招待したのは安倍晋三?

 11月25日の国会の様子がよくわかる。
 長くもないので是非ともご視聴ください。




   田村智子議員の、つまりは日本共産党の調査力はすばらしい。
 ジャパンライフ社長の招待者区分は『60番』、これは首相枠の動かぬ証拠だと思われる。
 それにしても、すまじきものは宮仕え。

2019年11月25日月曜日

縁は異なもの

 本来は男女の関係を言う言葉らしいが、たまたまの縁というのも味なものである。
 だいぶ以前、実母を家族介護していた頃、いろんな介護施設に申し込んでいたのだが、それこそ縁あってそう遠くない老人ホームに入居させていただいた。
 その後は、義母も同ホームに入居させていただいた。

 その当初、施設の相談員から頼まれてその老人ホーム家族会の役員を引き受けたのだが、10年とは言わないまでもけっこう長い間務めてきて今日に至っている。
 すべて、たまたまのご縁の積み重ねで今がある。
 今年度は、厳密には正会員ではなくなったが、来春まではお神輿に担がれていく。

 おかげで、正会員でなくなった現在も役員会や行事に当たり前のように出入りし、昨日も庭の大きなイルミネーション類の飾りつけに汗を流してきた。
 家族介護で終始していたら、ホームに家族会というものがなかったら、こんな体験は不思議なものだったかもしれない。
 
 歳をとると、鷲田清一元大阪大学総長曰く「請われれば一差し舞える人物になれ」とのことである。
 樹木希林さんは也哉子さんに「世の中の役に立てることは何なのか探しなさい。人生の一番の喜びは人が喜んでくれた時。人のためと言いながら自分のためだよ」言って、実際にそう行動してきたらしい。

 偉そうなことは言えないが、そういう言葉に少しでも近づきたい気分でいる。
 来月はお餅つきやクリスマスのためにホームに出かける。
 ボランティアというよりも私自身が楽しんでいる。

2019年11月24日日曜日

シルクロードがやってきた

 先日来、正倉院展のことや中華思想や漆胡樽に関わって西域・シルクロードのことを少し書いたが、不思議なもので、そういう時には次々とシルクロードの方から私にやって来るのだった。
   というほど大袈裟なものではないが、ふと覗いた古書店で『東方見聞録』の新訳というのを見つけた。
 あれだけユーラシア大陸のあちこちを大旅行したマルコ・ポーロであったが、残念ながら日本列島には来なかった。故に「黄金の国チパング」は大都(現在の北京)あたりでの伝聞に寄っている。

 それでも、西欧人に初めて日本という国の存在を知らしめたのがこの本で、有名なバラ色の黄金と真珠の豊かな国、そして超大国元を追い返した国と紹介されている。「礼儀正しい優雅な偶像教徒」とも記されている。

 そこまではよく知られている(私も知っていた)。
 しかし、その後には仏教・仏像のことが触れられていて、「チパング島に住む偶像教徒は、・・牡牛、豚、犬、羊、その他の動物の頭をした偶像がある。ある偶像には顔が四つある。ある偶像には頭が三つあり、一つは当たり前の位置に、あとの二つは両肩についている。また腕が四本の偶像もあれば、十本、あるいは千本の手を持つ偶像もある」というキリスト教徒の率直な驚きが綴られている。
 伝聞にしては「当たらずと雖も遠からず」と言ったところだろうか。もしかして十二神将や千手観音???みんな故郷は中国なのに。

 しかししかし、「チパング諸島に住む偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にすると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を残らず招待して、「うちでいっしょに会食をしましょう」という。そうしてかの捕虜を殺して、料理をし、みんな寄り合って食べる――彼らはいろいろな肉のなかで人間の肉ほどうまいものはないと考えている」とはどういう伝聞だったのだろう。
 誰かのほら話だったのか、他地域の首狩り族の話が紛れ込んだのか。
 こんな記述があったのを私は知らなかった。

 一般に、「マルコ・ポーロの東方見聞録によって、西欧には黄金の国チパングという(肯定的)イメージが定着した」と言われているのはほんとうなのだろうか。
 「黄金とカニバリズムの国」との誤解は広まらなかったのだろうか。
 そんな「実は・・」的な誤解もあって(乗っかって)現代の捕鯨に関する反発もあるのだろうか?知らんけど。
 原典(といっても新訳だが)を読むと驚くことも多い。

2019年11月23日土曜日

ローマ教皇

   カトリック教会のフランシスコ教皇が訪日される。
 その宗教上の意義については門外漢だが、教皇が「焼き場に立つ少年」の絵葉書を世界中の信徒(教会)に配布されたこと、バチカン市国が核兵器禁止条約を最初に批准した国の一つであることについて私は最上級の敬意を払っている。
 写真の絵葉書の表(裏?)には次のとおり印刷されている。

    戦争がもたらすもの
          Franciscus(自筆)
  亡くなった弟を背負い、
  焼き場で順番を待つ少年、
  この写真は、アメリカ占領軍のカメラマン
  ジョセフ・ロジャー・オダネル氏が
  原爆後の長崎で撮影したものです。
  この少年は、血がにじむほど唇を噛み締めて、
  やり場のない悲しみをあらわしています。

 以上のような教皇の真摯な態度に触れるたびに、私はその「現地」である日本の安倍政権の穢れた姿勢にがっかりする。
 
 BSで放送中の「おしん」の再放送では、おしんの息子が陸軍士官学校へ進学したいというのをおしんが悲しむ場面があったが、ほんとうに日本人は忖度抜きで正義や常識ということについて語らなければならないように私は思う。
 おしんの時代のことではなく・・・。
 焼き場に立つ少年が明日の子や孫の姿にならないように。

2019年11月22日金曜日

素粒子はモノの基

 近頃のマスメディアの凋落ぶりは言うまでもない。「NHK朝ドラだけは平和主義」という川柳もあった。新聞も似たり寄ったりのところがあるが、朝日新聞夕刊の題字のすぐ下のコラム『素粒子』は山椒のような働きをかろうじて守っている。
 素粒子とは、物質を構成する最小単位のものであるが、それをモノに育てる気概が朝日新聞には必要だ。『素粒子』をイチジクの葉っぱにしていてはならない。
 応援歌のつもりで最近の「桜を見る会」関連の『素粒子』を紹介する。

 12日 いかにもありそうな、さもしい話。「桜を見る会」に首相の後援会員が大挙出席!?「首相動静」には6年前から毎年、前夜にホテル宴会場で後援会と懇親との記載あり。

 13日 「さすが安倍政権」3題。その1 世耕参院幹事長はサイトから関連記事を削除。その2 内閣府は招待者名簿を「遅滞なく廃棄した」。その3 国対は野党の首相への質疑要求を拒む。「桜を見る会」も、逃げの一手。

 14日 記録も記憶も「なかった」ことにする政権だから。「桜を見る会」も隠蔽するって。
 「私の判断」と首相。「私のせい」の誤りでしょ。日本語は正確に。責任は明確に。

 16日 吉本興業社長は5時間、韓国法相候補は11時間。首相は20分間、立ったままで、これで幕引きと言わんばかりに。
 国会の行政監視機能の出番だ。傷ついた信頼を取り戻したいなら、首相も自ら進んで国会質疑に応じてはどうか。
 山高きが故に貴からず。19日、歴代最長の通算在任日数に並ぶ首相だが。お祝いは、説明責任を果たしてからね。

 18日 「桜を見る会」の問題が暴いたもの。それは、モリカケ疑惑で学んだはずの教訓を、すっかり忘れた首相の姿だ。

 19日 通算2886日、安倍首相の在任が歴代最長に並んだ。
 憲法を、民主主義を、歴史をこれほど侮る政権はない。
 違憲の疑いが濃い安保法制を強行▽憲法にもとづく国会召集要求を拒否▽「辺野古NO」の沖縄の民意を無視▽公文書の改ざん、廃棄・・・。
 公私混同の疑惑も長命政権のひとつの帰結だろう。短命続きも厄介だが、権力は長けりゃいいってもんじゃんない。

 20日 親の背を見て子は育つ。首相の地元市議も知人らを「ご招待」。私物化される「桜を見る会」、首相をお手本に。

 21日 やはりウソだった。「関与していない」はずが、首相自身のみならず妻昭恵氏までが招待者選びに関与していた。
 なぜウソをつくのか。一問一答形式の委員会審議を逃げ回るのか。隠したい暗部の存在を疑われても仕方がない。
 野党はナメられている。追求し切れまいと。国民もタカをくくられている。時間を稼いでいればいずれ忘れると。

 【写真は、わが家の庭をそのまま2階から撮影】

2019年11月21日木曜日

救民

   NHKテレビ「英雄たちの選択」で「大塩平八郎の乱」を見たが、磯田氏を含め出演者全員が平八郎に同情的であったのは少々意外ながら納得できるものであった。
 一言でいうと、天保年間、大飢饉などで民は大変な時期に、幕府中枢まで含めて為政者は公を私物化して顧みずに私腹を肥やし、多くの武士がそれらを「見て見ぬふり」をしてやり過ごす中、大阪天満の元与力というから、出先のノンキャリア公務員大塩平八郎が、内部告発と同時に『救民』の旗印を掲げて決起したものである。
 あまりに・・・・あまりに現代社会と似ていないかとテレビのこちらで心が震えた。
 磯田氏の言葉にも、天保のこの時代から現代はほんとうに進歩しているのだろうかという言葉が出たが考えさせられた。
 もし再放送などの機会をテレビ欄で見つけられたら是非とも視聴をお勧めする。
 大阪市内へ出たついでに、大塩平八郎が息子ともども爆死した「終焉の地」に寄ってきた。

2019年11月20日水曜日

鹿ビスケット

 色葉散る古都には鹿のビスケット

   もう珍しい光景でも何でもなくなったが、奈良駅を降りると日本語は少数派になる。
 政治のおかげで韓国語は激減したが、それでもインバウンドとやらを実感する。

 それにしてもこの看板。煎餅の中国語はこんなんだったかしらん。
 今はパソコンに無料の翻訳機能があるから調べてみると、はピンガンやビンガーンというような発音でビスケットのことだという。

 先日来「多様な文化」というようなことに触れた文を少し書いてきたが、東大寺大仏殿でもインドネシアあたりと想像するムスリムと思われる方々を結構たくさん見受ける。
 ムスリムというと偶像を忌避したアフガンのタリバンによるバーミヤン大仏の破壊が想起されたりするが、やはりあのような原理主義者はほんの一部のことなのだろう。
 そういうイスラム原理主義を醸成したのはアメリカやロシアや西欧の政治介入で、外形的に言えばキリスト教徒たちだという論もあり得ないことではない。
 ともあれ、晩秋の古都を歩いていると、国や民族を超えて人々は手をつなぐことができるように思うのだが、そんな考えは甘すぎると笑われるのだろうか。

2019年11月19日火曜日

漆胡樽製作のメンタリティー

   一昨昨日『漆胡樽(しつこそん)』のことを書いた。
 漆胡樽はそもそも謎の「正倉院宝(御)物」だが、ここは多数意見に従って「水入れ」だとして話を進める。砂漠の民が駱駝の背に振り分けにして提げていたのだと・・・。
 それにしても私が不思議に思ったのは、水入れだとしたらその地には元々羊等の革袋があったのに、どうしてこんな手間のかかる水入れをつくったのだろうかということと、結局それをやはり革袋に似せて作ったメンタリティーとはいったい何だ?だった。

 そして、こういう「高度な技術で元の素朴な形状」をいとおしむメンタリティーを、どこかで読んだような気がしたのだが、何処の何のことだったのかが思い出せず、結局、寝てからもレム睡眠時には頭の中でいろんな書物を探し回った。
 さらに、ざるそばの笊(ざる)が、機能的にはどんな笊でもいいのにやはりプラスチックであっても竹製品を真似るようなものかな、そうではないかな、などなどとも、うつらうつらの状態で考えた。

   そのうち、いや漆胡樽と同じ正倉院御物にあったような気が・・、ということで探してみると、『玳瑁竹形如意(たいまいちくせいにょい)』が見つかった。
 如意とは孫の手形の僧具であるが、木芯に玳瑁の甲羅(鼈甲)を巻き被せた高級品、芸術品である。
 それが、竹に似せてリアルに何節かの節を付けているので「竹形如意」である。
 デザインはあくまでも伝統を踏襲して、素材で驚かすとは何という洒落ものなんだ。

   さらに『逆転の大中国史』という本の中に、キタイ時代の陶磁器の水筒の写真を見つけた。
 大キタイ帝国は916年に建国されているが、キタイの語源は契丹で、現代でもキャセイ航空のキャセイとして名が残っている。
 その素材と技術はチャイナのものだが、デザインは握って離さないアイデンティティー(その民族的「らしさ」)とでもいうかのように革袋の水筒であるという事実に、驚きを通り越してある種の感動を覚えた。

 漆胡樽は桐様の木材を釘と接着剤で形づくり、漆を塗って仕上げているという。
 そこまでしても、形はやはり革袋というのは、砂漠と草原の民のアイデンティティーというか誇りなのかもしれない。
 そう思うと漆胡樽がさらに愛おしく見えてきた。
 そして、そういうモノゴトに不思議さを感じる自分が、多様性の尊重などという原理原則を解っていながらも、やはり農耕民族の文化にどっぷり浸かって、そこから望遠鏡のようなものでユーラシアの草原を不思議がっているという事実を再確認するのだった。
 国どおし、民族どおしのすれ違いも、案外そういう面があるのではないかと反省だ。

2019年11月18日月曜日

ホームパーティー

   老人ホームで入居者と家族が一緒に楽しむ音楽会をした。定義上は「ミュージックケア」という。
 私は「今日は楽しいパーティーにしよう。これがホンマのホームパーティーや」とあいさつしてスタッフと家族には受けたが、入居者には「なんのこっちゃ」という顔をされた。

 ミュージックケアのリーダーの方々のリードにはほとほと感心した。
 入居者の体力を考えて1時間程度のイベントだったが、日頃はほとんど反応のない方々もにっこりされ、さらには手を上げたり楽器を振ったりするようになるのはさすがだった。
 音楽の力は偉大だ!

 わが家族会も気分のいい仲間たちで、家族会OBも多数参加してくれた上に、「輪の中で踊ろう」というと積極的に参加してくれた。
 職場のOB会のパーティーでもこうはいかない。同じ介護の困難を共有した仲間の強さとでも言おうか。
 照れてまじめな顔では介護は続かない。痩せ我慢でもはちきれるパワーが辛さを薄める。(この感覚、分るかなあ)

 「請われれば一差し舞える人物になれ」とは鷲田清一元大阪大学総長の言葉らしいが、特に爺さんには箴言であろう。及ばずながらそうありたいと努力している。学びて思わざれば則ち罔(くら)しの言葉もある。

 リーダーの皆さんはあちこちの老人施設などを廻られているベテランだが、「こんな明るい老人ホームは見たことない」と誉めていただいた。

2019年11月17日日曜日

中華思想

 日本共産党は来年1月に第28回党大会を開催するが、その議案の一つが『綱領一部改正案』で、その中の一つが中国という国家と中国共産党に対する分析、評価、批判である。
 この国が「社会主義をめざす新しい探求が開始された国」と判断する根拠はもはやなくなった。数年来の事実からは、社会主義の事業への誠実さ、真剣さを見出すことはできない・・との見解に私は賛成したい。だが、この話はここまでにする。

 今日私が書きたいことは、この文脈の中で志位和夫委員長が中央委員会総会で、「より根底にある歴史的条件は、中国社会に大国主義の歴史があるということです。近代以前、中国は、東アジアの超大国として、周辺の諸民族と朝貢関係を結び、従属下においてきた歴史をもっています」と述べたことである。

 現代中国を語る文脈で近代以前の歴史を挽くか!という驚きと、確かにそこは避けて通れない!という気持ちが錯綜したというのが本音である。
 先に後者に関わることを言えば、どうして中国はあれほどまでにチベットやウイグル自治区に対して強権的に振舞うのかという不思議で不愉快な気分が私にはあったから「異議なし!」と言いたい気分になっている。

 そして前者の「歴史」となると私の頭は孔子の時代まで飛んでしまうのだが、孔子が国の覇者を単に皇帝とみるだけでなく、天子でもあると定義付けたところに出発点があるように私は感じた。
 そういう儒教にお墨付きを受けた覇者は、この地上全体の王だと主張し、その思想を他国にまで押し付けた。それが中華思想である。
 
 この中華思想、華夷秩序のコスモロジー(宇宙観)については、内田樹著『日本辺境論』の文章が解りやすいので引用させていただくと・・、
 ■ 世界の中心に中華皇帝が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが、東夷、西戎、南蛮、北狄。さらに外には・・だんだん文明的に暗くなり住民たちも禽獣に近づいてゆく。
 ■ 国力が充実した中華王朝は国威発揚のために必ず四囲の蕃族を討伐する。漢の武帝は匈奴を討たせ、大宛を征服させ、隋の煬帝はトルファン、チャンバ、台湾に出兵し高句麗遠征を試みた。明の永楽帝は鄭和の大艦隊を西アジアやアフリカまで派遣した。軍事力が充実したら、別に外交上喫緊の必要性がなくても、とりあえず蕃族に武威を示し朝貢を促すというのが華夷秩序の「常識」。(引用おわり)

 日本の古代史などを考える場合に大陸の政治は避けて通れないから、古代史が好きな私などは、引用した内田先生の文章は正鵠を射ているように思う。余談ながら、日本は日本で、太陽に対する惑星でありつつ月を従えたいというような小中華思想を常々発揮してきた。近いところでは八紘一宇。かくのごとく天子の思想は非常に危険である。
写真は東大寺の昭和落慶法要

   昨日の『漆胡樽』の記事で私は「西域という言葉には謎や夢がある」と書いて、同時に「この感覚にはバイアスがかかっている」と述べたが、胡(えびす)の字のとおり西域は西戎の国々のことであり、朝貢を強いられた蕃国の国々であった。
 バイアスとは、古代の大陸文化から見て目と鼻の先の出雲や越の地を「裏日本」と見て正当に評価できない人々の感覚と似ている。

 そして歴史的事実は、それら西域や北方の国々が決して技術力や文化、文明に疎い野蛮国ではなく、例えば青銅器文明は中原以前にユーラシアの草原に生まれている。
 歴史的に見た場合戦争や戦力というものが技術力や政治力など総合的な国力の問題だととらえると、隋も唐も元も清もそれらの非漢民族が樹立したものだった。
 中原を度々恐れさせた匈奴にしても、野蛮であるから戦争に強かったわけでは決してない。農耕の文化だけが文化、文明ではないのである。

 素直に正倉院の宝物を眺めれば、ユーラシア各地の高い技術力、文化、文明、芸術性は一目瞭然だろう。長江の文明を含めて考えればなおさらである。

 中華思想というのは、そういう現実に対するコンプレックスの所産だという説にも一理ある。
 戦争では野蛮人に敗れはしたが、中原の文明の後継者は我々だと。
 とまれ、中華思想は、内実が侵略であっても「鎮西」であったり「平東」と唱えたのであった。
 特に漢民族(正確には民族と呼ぶのもおかしいが)の王朝にその思想は濃厚で、他民族、他文化、他宗教への不寛容と大国主義にそれは現れている。

 現代社会問題をいわゆる「文明論」で切り捨ててはいけないが、そういう負の思想的土壌を知っておくことは重要だ。

 そういう意味で、日本共産党委員長が近世以前の歴史に触れて現代を語ったのは、後々大きく評価されるような気がしている。
 中国政府と香港行政府は香港市民の民主主義的要求をを暴力で弾圧してはならない。
   中国政府は、チベットやウイグルの文化や宗教を含む要求を弾圧してはならない。南シナ海を侵略してはならない。核兵器禁止条約に反対してはならない。

2019年11月16日土曜日

漆胡樽(しつこそん)と対面

けっこう大きなものである
   少しファミリーにアクシデントが続きブログまで手が回らなかった。
 そしてブログ記事を書くことも一旦途絶えるとどことなく調子が狂って手に付かず、そんなもので、少しリハビリの調子で再開したい。(ブログ記事を書くというのはテーマの選択や文章の構成力などということよりも、私の場合は、第一義的には相当な気力が必要)

 前説(まえせつ)はそれぐらいにして・・、気儘な風神もさすが古都の仏たちの前では律儀と見えて、正倉院展の終了をもって南都の秋が終わり、空気は冬のそれに入れ替わった。

 今年の秋も正倉院展の横は度々歩いたが、毎回「〇〇分待ち」「最後尾」のプラカードを持ったスタッフまで長い行列ができていた。素直に言えば社会の成熟だろうか、それとも「特別協力:読売新聞社」の威力だろうか。

 その読売新聞は、私の知る限り毎回「正倉院展特別版」という号外風の新聞をつくり入場者は無料で手に入れられるようになっていて、そこにはいわゆる「今年の目玉」が紹介されている。
 今年のそれを紹介すると、紺玉帯残欠、鳥毛立屏風、納御礼履、赤漆文懽木御厨子、礼服御冠残欠、紫檀金鈿柄香炉、金銀花盤、平螺鈿背八角鏡、螺鈿紫檀五弦琵琶、白瑠璃碗であった。

 そのせいか、全体に混雑している中でも「目玉」のコーナーは特に混んでいるのだが、反対に、漆胡樽は「目玉」として紹介されていなかったせいか、大きなコーナーのけっこう大きな宝物にもかかわらずあまり混雑はしていなかった。人々は、ふむふむと説明を眺めてさあーっと通り過ぎて行っていた。
 溢れんばかりの情報社会に操作され実は情報が見えなくなっているという、これが現代社会の特徴なのかもしれないが私には幸いなことであった。おかげでゆっくりと鑑賞し想像の翼を羽ばたかせることが叶った。漆胡樽は私を待っていてくれた。
 そも漆胡樽が今年展示されているとは知らなかったのでそれを見つけたときには跳び上がらんばかりに興奮した。

 偉そうなことを言ったが、私も浅田隆奈良大学名誉教授の公開授業を聞くまでは「漆胡樽・・それ何?」というものだった。
 今年の出陳宝物一覧では「漆胡樽 革袋形の水入れ 1双」と記述があったが、正直なところ、名前も、入れ物であったかどうかも、入れ物であったならば何を入れていたのかも何も解明はされていない謎の宝物?である。

   さて、シルクロード・西域という言葉に夢や冒険という言葉が似合うのも、その頭に未知や謎という言葉がついているからだろう。
 私個人は若いころから陳舜臣の小説が好きだったことも影響しているかもしれない。
 あるいは東の夷(えびす)から西の胡(えびす)に対する地勢的(中原からの距離感的)なエビスとされた者同士の親近感だろうか。
 タクマラカン砂漠、楼蘭、ウルムチ、カシュガル、クチャ、トルファン、ホータン、ヤルカンド、地名を追うだけで歴史が踊りだす。(ただ私のような西域感というのも実は重大なバイアスがかかっていて問題なのだが、そのことは明日触れてみたい)

 昭和25年に井上靖が小説『漆胡樽』を書いた当時にはそれ(未知、謎、夢、冒険)がもっともっと意識されていたに違いない。

 井上靖は昭和48年に次のように書いている。
 『小説の構想をあれこれ練ったという点から言えば[漆胡樽]が第一作であった。・・私が昭和21年の秋(第1回正倉院展)に漆胡樽という得体の知れない往古の器物に出遭ったということは、私にとっては意味のあることであった』
 そうして井上靖は、それが東トルキスタンのある民族の駱駝の背から匈奴の手に渡り、それが中国にもたらされ、さらに日本の遣唐使の一行の手に移り、日本に渡って正倉院の宝庫に収まるまでの小説を創作したのだった。
 別の場所で井上靖は『歴史の欠片』という言葉も使っている。

 西域にはさまよえる湖や消えた湖があった。
 旱魃は文句なく大砂漠のオアシス都市と住民の消滅を意味していた。
 これが水入れだとすると、そういう殺生与奪・問答無用に似た死活の水を何よりも大事にした証が漆胡樽なのだろうか。
 水入れだとすると、ただの水入れにこれほどまでにこだわった”おぬし”・・
 漆胡樽を駱駝の背に振り分けて旅をした君はイッタイ誰なんだ。
 そして、その歴史の欠片は何処に行ってしまったんだ。 

 井上靖がこれを見つめて首を捻ってから73年の月日が経ち、同じ歴史の欠片を私が眺めて首を捻った正倉院展が終了した。
 漆胡樽、おまえはイッタイ何者なんだ! 

 漆胡樽については以上で終わり。
 西域に触れては明日の記事に続く。

2019年11月15日金曜日

中国に卑屈な安倍政権


 日本共産党参議院議員井上 哲士さんのフェースブックが面白かったので紹介する。

 ◇14日の参院外交防衛委員会で自民党の佐藤正久議員が「日本政府はなぜ香港情勢について発信しないんだ。習近平国家主席の国賓があるから口をつぐんでいるのか」という巷の声をがあると指摘。
 
 志位委員長のツイッターを資料配布し、読み上げたうえで「日本共産党も中国政府に抗議のメッセージを出している」と述べると自民党席から「立派なもんだ」との声が。

 茂木外相の答弁は「抗議デモ、香港政府、中国政府のいずれかに偏った発信はプラスにならない」として、中国政府に「憂慮を伝えた」というもの。

 これでは、人権侵害に抗議しないことになります。きちんとものをいうべき。政府にこそ、昨日発表した志位委員長の談話「香港での弾圧の即時中止を求める」を読んでほしい。(引用おわり)

 いわゆるネトウヨの皆さんは、よく日本共産党は中国の手先のようなことを言うが、中国政府や中国共産党にきっぱり批判をするのが日本共産党。
 それに比べ、韓国には強がりを言うが、中国やアメリカ、ロシアという大国にはしゅんとするのが安倍政権。
 どのように言い訳しようが、この国会でやりとりされた事実は動かない。 



2019年11月11日月曜日

ハナノキ

   「いつ植えられたのですか?」と隣近所の方々から驚かれている。
 「前からあったんですけど」と答えているが、これまでは背がそれほど高くなく、紅葉も大したことがなかった。
 それが今年、突然降ってわいたように紅葉したものだから、みんなに驚かれている。
 ハナノキ・・、ハナカエデともいう。
 この頃は毎朝雨戸シャッターを開けるのが楽しみになっている。
 こうなれば、この木を庭の主木にしようかとも思っている。

2019年11月10日日曜日

極まれり

 安倍首相の国政私物化、極まれり。
 国会の動画は29分。
 「良識を大事にしたい」とお思いの方は見ていただきたい。

 国の行事として5,500万円以上の税金を費消している「桜を見る会」を安倍首相は自分の後援会活動にしている。
 ちなみに、私的にこのように飲食させ土産を渡せば公選法違反になる。
 動画画面を拡大して見てください。


 詰んだ駒答え拒否する末世かな

2019年11月9日土曜日

続続 片す 考

 10月24日に『知らないことばかり』を、10月31日に『続 片す 考』を書いたが、図書館で「片す」を引いた結果は次のとおりだった。

 大辞泉(小学館)には特別なコメントがなく記載されていた。
 国語辞典(旺文社)にも特別なコメントがなく記載されていた。
 大辞林(三省堂)にも記載されていたが、円朝の塩原多助一代記の例があった。円朝は東京落語。
 国語辞典(三省堂)には関東方言とのコメントがあった。
 広辞苑(岩波書店)第7版には東北・関東地方とのコメントがあった。
 新明解国語辞典(三省堂)には東北・関東方言のみとのコメントがあった。
 日本国語大辞典(小学館)には青森県上北郡、茨城県、栃木県芳賀郡、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県志太郡とのコメントがあった。
 日本方言辞典(小学館)には青森県上北郡、茨城県、栃木県芳賀郡、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県志太郡とのコメントがあった。ここでは「大阪では なおす」という注まであった。
 関西ことば辞典(ミネルヴァ書房)には「片す」の記載そのものがなかった。

 そして、すでに述べたとおり、大阪ことば事典(講談社)に掲載があり、辞典ではないが真田信治著「方言の日本地図」には「関東とその周辺」と記述があった。

 大阪人や~い! 片づけることを「片す」といっていたり聞いた人はいませんか。
 「聞いたことない」も含めて匿名で結構ですから年齢だけ付して教えてくれませんか。

2019年11月8日金曜日

コリオリの力

 10月16日に『台風が左回りの渦である理由を小学生の孫にどう説明するか』について試論のようなものを書いてみたが、もう一つ自信がなかったので書店で気象の本を何冊も立ち読みした。
 意外なことに、私の問いにスパッと答えてくれる本はなかなか見当たらず、「それはコリオリの力だ」的な不親切なものが多く歯がゆかった。私の勉強不足のせいは棚に上げておいて・・。

 そんなとき、BSの放送大学の『気象』で「地球の自転の影響」というのがあったので録画をしておいて聴講した。
 その骨子は、私の知りたいテーマとは少しすれ違ってはいたが相当参考になった。
 それは、ネットで見つけた『受験のミカタ』の『コリオリの力』とよく似ていたので、後者の図や文章などを大いに参考にしながら自分なりにまとめてみたい。『コリオリの力』などという用語を使わないで書きたかったが仕方がない。

図1
   そもそも『コリオリの力』とは地球の自転によって起こる”見かけの力”で慣性力の一種だと言われている。
 放送では、筑波にある大きなメリーゴーランドのような円盤上でそれを視覚化してくれて大いに理解が進んだ。
 メリーゴーランドは地球の自転と同じ反時計回り(左巻き)で回転していて、仮にAさんが高気圧、Bさんが低気圧としてイメージしながら、AさんがBさんにボールを投げる(風が吹き出す)(図1)。(幼児に向けて投げるように下手からふわりと投げていた)
 すると、投げたボールはメリーゴーランドの外でBさんの後ろにいたCさんのところには届くが、そもそも届けようとしたBさんは既に回転(移動)しているから左手を伸ばさないと捕れない。

図2
   放送ではAさんの後ろにテレビカメラをおいて一緒に回転しながら常にBさんを正面に撮影したが、確かにボールは右へ曲がっていった(ように見えた)(図2)。ここが放送の一番の見せ所だった。
 つまり(北半球のように)反時計回りの盤上で運動するものは、運動の方向に対して各地点地点で右向き右向きの力が加わる(ように見える)・・これをコリオリの力と呼ぶ。

 地球上では我われ皆がメリーゴーランド上に乗っているのと同じであるから、図2と同じようなことが起こっているが、狭い範囲ではほとんど問題にならないから普通にキャッチボールはできている。
 しかし南北に1㎞以上離れた小さな標的に向けて大砲を打つ場合には確実にズレるから左に補正しなければならないといわれている。

図3
   「なんでメリーゴーランドやねん」という疑問があるが、北極点の上空から北半球を見ていると考えればわかりやすい。
 地球は球体であるから、細かな違いはいろいろあるが、原理的には同じである。
 メリーゴーランドの図や実験はまるで赤道近くから北極点を超えて裏側の赤道近くまでキャッチボールをするみたいだが、原理的には緯度の違う南北間のことと考えてよい。
 南半球でこの向きが反対になるのは、緯度による自転速度のスピードが北半球とは反対に刻まれるからだが、ここの詳細は省く。


図4
   そこで台風だが、台風は外縁部から中心へ空気が運動して風が吹き込むが、この風に対して『コリオリの力』が働くので、北半球では右向きにズレて反時計回り(左巻き)に渦を巻く。

 これを感覚的に実感したいと思えば、マラソンでも自転車でも自動車でも急に右左折しようと思えば膨らんでしまうという、慣性や遠心力に逆らって右左折するときのあの膨らむ感覚に似たものと言えばどうだろうか。風はギギギッと右に引っ張られながらももっともっと大きな台風の目の吸い込まれる力で膨らみながら吸い込まれるのだろう。
 
 もう少しきっちり書きたかったが、放送大学の録画をすぐに消してしまったのでまずはここまで。
 前の記事の方が解りやすくはなかったかとひとり呟いているが、はてな。

2019年11月7日木曜日

へい、いっちょう

   ハンバーグをつくったが、半分ほどはレンコン、ピーマン、万願寺のくわ焼きにした。
 その昔道頓堀にあった「たこ坊」のあれである。
 20代前半の頃母親を連れて行ったことがある。懐かしい店、懐かしい味、懐かしい雰囲気を思い出しながら。
 くわ焼きには独特のテコ(のようなもの)が欠かせない。わが家のそれもけっこう重宝している。
 孫の凜ちゃんにもテコの使い方を伝授しておいた。

 くわ焼きもハンバーグも凜ちゃんはパクパク食べてくれた。
 それでも、ちょっと油断をすると熱を出したりする。一昨日もそれで一日中看護の日だった。
 心配ない。お祖父ちゃんのくわ焼きを食べると元気が戻るだろう。

 退職後居酒屋をしていた友人がいたが、もうやめたという噂を聞いた。
 飲みに行くのと飲ますのは天と地の違いがあったろう。
 家でくわ焼きを焼いて飲んでいるのが一番罪がない。
 わが家では、油ものというかフライパンというか、そういうものは私の担当となっている。

2019年11月6日水曜日

軍事費を削って福祉に

   療育園の運動会があった。
 幼稚園等の運動会などで〇〇m競争の最後に先生の手助けを受けて走る子を見たことがあると思うが、”全員がそういう子供たちの運動会”を想像できるだろうか。

 職種がどういうものか不案内だが、先生たちの重労働はすさまじい感じがする。
 子ども一人に先生一人でも足らないのではないかと想像するぐらいだ。
 そして不思議なことはこういう施設のほとんどすべてが公立でないということだ。
 公設でも福祉法人等民間に委託されている。
 
 もう少し歳がいくと特別支援学校になるが、通常の小学校等には定められている設置基準が特別支援学校にはない。
 ということは劣悪な水準が放置されているということだ。「基準」というのはセーフティーネットなのに。
 ジャパンアズナンバーワンなどという動物並みの価値基準?を謳歌?してきた国のエピローグがこれなのだろうか。
 さすが文科大臣が「身の丈に合った教育で我慢しろ」と言った国だけのことがある。

 幼稚園等の運動会などで〇〇m競争の最後に先生の手助けを受けて走る子には大きな拍手があるものだが、ここにはそんな甘い拍手はない。みんなが皆五十歩百歩なのである。
 それでも重い子には文句なく暖かい拍手と応援の声が出る。

2019年11月5日火曜日

弓張月

   4日は上弦(半月)であった。真夜中に弓の弦を上にして沈ん でいく。
 上弦の月は、秋から冬にかけては立って見え、春から夏はもっと寝てまるで盃となる。

 明日(6日)は十日夜(とおかんや)で陰暦の10月10日である。
 田の神が山に帰る日と言われている。
 特に東日本の農村では餅をついたりいろんな行事があったらしいが、関西の商人の家であったわが家では何の行事もなかった。

 中国の神話の月の話では月にはガマガエルにされた嫦娥がいることを度々書いてきたが、日本神話では月の神は月讀命(つくよみのみこと)で天照大御神の妹?らしいが非常に影が薄い。
 天照大御神、月讀命、建速須佐之命の3兄弟(3貴子)はそれぞれ八咫鏡、八尺瓊勾曲玉、草薙剣という三種の神器に比定されており、その中で唯一実物が宮中にあるのが八尺瓊勾曲玉だというのに不思議である。
 月讀命の不思議については多くの著作物があるが、十分に納得できる本にはまだ出合っていない。
 不思議解明の旅は緒に就いたばかりである。

2019年11月4日月曜日

ワインカップ

   スカーレットとは色の名前の一つで「炎の色」とも称されているから朝ドラのタイトルもそういうことなのだろう。
 朝ドラでは主人公がまだ信楽焼の世界に入っていないが、今後、それまでは「男の世界」とされていた陶芸家に育っていくらしい。朝ドラの世界では珍しくもない女性のサクセスストーリーだが、時間が合えば適当に観ている。

 信楽は、車で行くとわが家からすぐ近くというほどでもないがそう遠くもない。
 結構好きなものでよく遊びに行っていたこともある。
 今までで一番高い信楽焼の買い物はアルグランの『湯浴みするヴィーナス』の信楽焼で、今も玄関の外に建ててある。
 「ここはちょっと変わった家で気を付けよう」という魔除けというか泥棒除けにもなっている。
 そんなもので、信楽に行くとなにがしかの陶器を買って帰るので、妻には信楽にはそうそう行かないようにと釘を刺されている。

 陶器と磁器でいえば磁器の方が軽くて丈夫である。だがしかし、理屈抜きで陶器には魅かれる何かがある。相性の問題でもあるから何とも言えないが私は陶器が好きである。

 東大寺福祉事業団のチャリティー作品展に行ってきた。
 毎年、何人かの陶芸家が提供されていてなにがしかの協力をしているが、今年気に入ったものは安いものだが陶器のワインカップで、夕飯時に早速使用して満足を覚えている。
 陶器はガラスや磁器に比べて熱伝導率が悪いから何時までも冷たくって、これっていいかもしれない。

 チャリティー展は東大寺の回廊であった。チャリティー品のメーンは東大寺の長老その他のお坊さんたちの書画や色紙等だが、気に入ったようなものは10万円を超えるから、年金生活者には手が出ない。ほんとうは購入したかった。
 どういうわけか海外のツアーが興味深そうに入って来た。
 最初はただの展覧会だと思っていたようだが、購入できると知ったら数万円の額入りの色紙をポンと買っていた。
 すばらしい土産になるのは間違いないが、その気っぷの好さに少し驚いた。
 日本が「海外と比べた場合に、異常に物価の安い国」になっているらしいことを実感した。実収入が減り続けている日本人には関係ないが。
 

2019年11月3日日曜日

秋深し

   毎朝ジョウビタキの声で起こされるようになった。秋も深まった。
   いつもの歩道に金木犀に代わって強烈な香りが漂っている。
 芳香と紙一重だが微妙な香りで、苗代茱萸(ぐみ)の花の匂いだ。
 イメージとしては雑草の感じだからか、誰も無視して通り過ぎてゆく。
 私は少し良くない連想をして生物は動物も植物も似ているものだと感心している。

   今年は庭のハナノキ(要するにカエデ)が紅葉したのでホッとしている。
 去年は上手く紅葉しなかった。調べてみると肥料が届き過ぎていたことが原因のようだった。
   それで今年は肥料も水分もほとんどやらず、「雑木は雑木らしくがんばれ!」と”可愛い子に旅をさせた”ところ上手くいった。
 土いじりも奥が深いものである。

 一坪農園も、胡瓜には水をたっぷりやらなければならないが、トマトには水をできるだけかけないようにしている。
 狭い畑でこうしているのをけっこう技能派と呼んでもらいたい。
 
 胡瓜でいうと、夏に植えた「秋胡瓜」1本が順に実をつけている。これは先日から「キュウちゃん漬け」にして重宝している(秋胡瓜は初挑戦だった)。
 孫の夏ちゃんがやってきてまだ青い「花柚子」を採って帰った。
 そんな酸っぱい「花柚子」が好きだという。
 この孫に感化されて、私もこの頃は「普通の」温州蜜柑を物足りなく感じるようになった。
 普通の温州蜜柑は飼いならされ過ぎた現代人みたいで個性がない。

   おまけの写真は近江・坂本の竹林院の座卓に映った庭園のシルエット。
 こういう撮影を一般にリフレクション撮影(鏡面撮影)といい、近頃はインスタブームでは人気が高い。
 そういうブームに流されて撮影した。
 私もまた、どうしようもないミーハー現代人以外の何ものでもないことを自白する。

2019年11月2日土曜日

日吉大社逍遥

  近江・坂本の日吉大社を散策した折、西本宮の拝殿前に「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ)」という「唱える言葉」があるので私は少し驚いた。
これは出雲大社や大神(おおみわ)神社の「言葉」でないかと。

『古事記』には「大山咋神(おおやまくいのかみ)・・近淡海国の日枝の山に坐し」とあるとおり、日吉大社の元々の祭神は大山咋神であるから、山そのもの及び山中の磐座(いわくら)を神とした信仰で、伊勢神宮の思想よりも古いものだったのだろう。
   咋を杭又は柱と考えると、一層イメージが鮮明になる。元は山頂に祀られていた。・・それにしても。

 実はこの日吉大社の本家筋に当たる大山咋神は東本殿に移されて、西本殿には大津京遷都の翌年である668年(天智7)に、大和の大神神社の大己貴(おおなむち)神が勧請され、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになったという。大己貴神は大国主神の別名とも言われている。

 天智天皇の大津京遷都の理由については多くの説があるが、663年(天智2)の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の大敗後、唐の侵攻を恐怖して大宰府を移転させ、山城、水城を突貫工事で築き、国の防衛体制を造ったものの一環という説に説得力がある。

 そんな国家存亡の危機(と天皇が考えたとき)に、天津神の天照大神ではなく大神(おおみわ)、出雲系の国津神を勧請したというのはどういうことだったのだろうか。少なくともその当時は大己貴神の方が霊験があると天智天皇も考えていたのだろう。

 明治以降の国家神道では天照大神を頂点に置き、その子孫である神武天皇以降の万世一系という神話が作られたが、日吉大社のこういう側面を見ると解るように、歴史を冷静に眺めてみると皇国史観の不当性が見えてくる。
 伊勢神宮が悪いわけではないが、国家神道や皇国史観に惑わされてはいけないだろう。

2019年11月1日金曜日

穴太積の思想

   OB会の遠足で、近江・坂本の穴太積(あのうづみ)の街並みを見てきた。
 加工していない自然石で寺院やお城の石垣を造る独特の工法と、その技を伝えてきた職人集団に大いに感心した。

 奈良の古刹の修理や復元に従事した故西岡常一棟梁の「木に学べ」に通じる「石の望むところに置いていく」思想は、一見経験主義、非科学的態度に見えたりするが、実は高度なテクノロジーだと思う。
 
 これまでの日本の工業水準を支えてきた一つもそういう職人技であったのだから。こういう技を馬鹿にしてはいけない。
 私の趣味で語るならば、現代人が弥生時代人や古墳時代人を非常に劣った知識と技術の人々だと考えるのは大いなる誤解である。
 端折っていえば、この技術は古墳築造から引き継がれた大陸伝来の思想であったに違いない。

   ガイドの説明によると、新名神の建設に当たってコンクリート工法と穴太積をテストしたところ穴太積の方が優れていて、実際、新名神の一部に採用されているらしい。

 私はその強さの理由は柔構造だと思う。
 阪神大震災の折、大阪の法円坂では第2合同庁舎が飛びぬけて被害が大きかった。その理由は、古い工法で柔構造ではなかったからだということだった。今では高層ビルを柔構造にすることは常識になっている。
 穴太積の柔構造ということでいえば、それは石や土地という自然に対する謙虚さではないだろうか。

 さて、この秋は豪雨被害がたくさん発生した。
 莫大な費用を投入したダムで制御する思想の脆弱さが明らかになった。
 水害対策を先人の知恵に「柔構造で」学ぶならば、大規模被害の前にあらかじめ溢れる場所を造っておく遊水地の思想の方が極めて現実的、効果的なのではないか。
 千曲川横の新幹線の基地などは元々長沼とか赤沼と呼ばれていた場所で、いわば遊水地だったということだから、現代人の驕りに対するしっぺ返しのような気がする。

 というようなことを、穴太積に感心しながら考えた。
 ただ、目の前で工事が進められていたが、いくら先人の知恵、経験の蓄積といっても、ヘルメットも被らず安全靴も履いていないのはいただけない。