2022年2月28日月曜日

春陰

    「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とはよく言ったものだと毎年思う。あと3週間ほどで冬(冬至)から夏(夏至)の半分の春分になる。今は、仕事の現職の頃は第4四半期・年度末だった。今日は二月尽。

 小さな田舎町なので私はようやく3回目のワクチン接種が終わったところだ。1回目2回目がファイザーだったし、信用ならない政府がやたらにモデルナを宣伝するのも胡散臭かったので3回目もファイザーで予約済みであったが、ここのところの感染拡大状況を考えると、モデルナをためらうよりも少しでも早い方がよいだろうと判断して予約変更し、その一番先頭グループで予約してこれだった。

 地方行政の担当職員レベルでは体を壊すほどのハードスケジュールだから我慢しているが、国も地方も為政者の政治姿勢は問われなければならない。

 3回目接種は2月24日時点で2197万人、17.35%らしいが、世界的には1月26日時点と少し古いが、イスラエル、イギリスが人口比で54%強、ドイツ、韓国が50%強、フランス46%強、アメリカ25%強に対して日本は2.3%というから、アンビリバボー(信じられない)。

 2月24日時点の都道府県別の2回目接種の人口比ではトップが秋田県の83.9%、そして大阪府はというと、あれだけ自衛隊による大規模接種体制などの援助を受けても76%でワースト2となっている。維新の松井市長はウクライナをみて軍事力がなければ国民を守れないという主旨の発言をしたが、その前に府民、市民の命を守ってもらいたい。
 在阪テレビ局も吉村知事の宣伝部でよいのか。太平洋戦争前のメディアもきっとこんなんだったのだろう。

 すでに書いたことだが病弱の孫の凜ちゃんは療育園でクラスターが発生して検査の結果陽性だった(クラスの子どもも軒並み陽性だったらしい)。そして凜ちゃんの濃厚接触者の母親は陰性だったが父親は陽性になった。もちろん2回のワクチン接種済みだった。凜ちゃんのことがあるから私などからすると用心しすぎのように見えていたがそれでも通勤その他原因は特定はできなかったが感染していたわけだ。

 ということで、私ども夫婦も3回目接種で一安心ではあるが油断はできない。読者の皆さんも過信されずにご自愛のほどを。まずはご報告まで・・・。

2022年2月27日日曜日

68年前の被ばく 3・1ビキニデー

   冷戦時代に戻ったかのような陰鬱な気分のまま「3・1ビキニ事件」の記事を書いている。

 1954年(昭和29年)3月1日、アメリカは太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁において水爆実験を行ない992隻(水産庁発表)の日本漁船が死の灰を被って被爆した。

 「アメリカの秘密を見てしまった」と考えた漁船の中には「SOSの救難信号を打つと米軍に撃沈される」と恐れてそのまま帰港を急いだのもあったらしい。

 静岡県の焼津漁港に帰港した第五福龍丸乗組員は東京の病院に移送され原爆症とされたが、無線長久保山愛吉氏は9月に亡くなった。

 また積んできたマグロをはじめとする魚からは強い放射能が検出され、雨も放射能で汚染され、牧草から牛乳などなどに波及し、「マグロは食べるな」「雨に濡れるな」というアナウンスが行き届いて人々は不安に落とされた。

 まだまだ「戦後」の日本のため、アメリカ政府からの200万ドルの見舞金で被害状況の調査をはじめ補償問題も打ち切られてしまった。なお、被害漁船は静岡県だけでなく、3分の1は高知県の船であった。また、マーシャル諸島住民も多数被爆したが、それらはほとんど秘密裏に隠蔽された。

 以上のような「原爆マグロ」「放射能雨」の大騒ぎを小学校低学年の私は知っているが、現代人の何人が知っているだろうか。

 「無関心は罪になる」と先日ブログに書いたが、知らないことには関心・無関心も何もない。そういう意味で、昭和29年を生きていた人間が「3・1ビキニデー」を思い出して書いておくことも意味のないことではないだろう。

 なお、核兵器所有国は何らかの形で実験を繰り返してきたわけで、その闇の奥には計り知れない被曝事故があるに違いない。さらには現在注目のチェルノブイリやフクシマをはじめとする原発での被曝事故もあるが隠蔽されている事項も多いだろう。

 この先人類はどう生きていくのか、こんな機会にみんなで考えたい。

 第五福龍丸の被ばく者で昨年亡くなった大石又七さんの義妹の河村惠子さんは「兄の思いを次世代に伝えていきたい」と語られている。そして「兄は核兵器禁止条約を喜んでいた」とも。

2022年2月26日土曜日

現代と2.26事件

   今日
1936年(昭和11年)に起ったクーデター未遂事件である226事件の日である。このことに関しては20181113日火曜日に『石原莞爾と226事件』というタイトルで少しだけこのブログに書いている。
 
 ところで226事件と日本近代史に関しては、現下のロシアのウクライナへの介入を見ていると、他国(清)の一部(満州)に傀儡国家をつくるとか、傀儡政権(当時の満州国や朝鮮)の要請の形をとり出兵するとか、まるで戦前の大日本帝国の悪しきコピーのように感じられる。
 
 また国内では、維新を名乗る政党がフェイクニュースを繰り返し、憲法改悪(壊憲)の牽引車の役割を果たしているが、維新、当時の元号をとって「昭和維新」は、議会の権限縮小、軍部独裁政治の旗印であった。例えばナチズムの時代のキャッチコピーを堂々と政党名にするなど、ドイツでは考えられないようなことが現実に起こっている。
 
 このため、好きではない日本近代史も勉強しなければと大いに反省しつつ、主に2018年のブログ記事を再録に近い形で以下に書く。
 
 澤地久枝著『昭和史の謎・226事件最後の秘録 雪はよごれていた』は、東京陸軍軍法会議主任検察官匂坂春平の遺品の中にあった片手では持てないほどの資料を読み解いたものである。そして、陸軍中央の犯罪(クーデター計画)に迫りながら、あと一歩のところで適わなかった「文官」の無念の記録である。
 
 いわゆる青年将校たちは、不況による国民の疲弊困窮、社会の矛盾などへの怒りを、武力による国家改造という夢に託して「反乱」を計画し、その動きを、陸軍の中の派閥の一つ「皇道派」の面々が陰に陽に煽り立てた。
 
 ところが昭和天皇が、自分を輔弼する重臣たちが襲われ、虐殺されたとき、周囲の慎重論を押し切って「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」と不快感と怒りを表明した途端、陸軍の皇道派軍人たちは豹変し、自分たちは青年将校の激発に唖然としたことで正しい判断をするのが遅れたというポーズをとり、責任は青年将校と相談役となった思想家たちのみにあるとされ、軍の高級将校たちは清廉潔白ということになった。
 
 このように226事件は陸軍中央が大いに関与したクーデター計画であったが、それ故に真相究明によっては陸軍が空中分解しかねないものであったため、匂坂春平は陸軍高官の嘘やすっとぼけを追及するのだが、結局は現場の将校が死刑(口封じ)にされて一件落着となっていった。ああ「森友事件」と同じだ!と感じるのは私だけではないだろう。
 
 森友事件では「知らない」「忘れた」「記録はない」「廃棄した」はては「部下が勝手に改竄した」という大嘘があったが、226事件は軍部のことである。例えば226事件で陸軍幹部たちは「陸軍大臣告示」なるものを知った時刻、官邸に到着した時刻等について「時刻は判然(はっきり)いたしませぬが」「参謀であったと思いますが、あるいは違うかも知れません」などとのらりくらりと述べている。
 
 そも軍隊の作戦命令等で陣地を挟み撃ちにする場面であれば、1分以下の単位もおろそかにできない。時刻の指定や記録は絶対である。A部隊には〇時〇分に突入せよと言って、B部隊にはA部隊の反対側から『〇日の昼から合流・突入せよ』などということはあり得ない。軍隊にとって時刻は絶対で、曖昧さやニュアンスによって忖度せよという表現はありえない。
 それを揃いも揃って、口裏を合わせてむにゃむにゃむにゃと検察官に述べているということは口裏を合わせて重要事項を隠したということである。
 
 戦後レジームからの脱却を言い「昭和維新」を吹聴した戦前回帰を露骨に表明している安倍内閣が、揃いも揃って大嘘をついたお手本は、なるほど昭和初期の軍隊に既にあったのかと妙に感心する。
 
 226事件の資料は、陸軍省が空襲で焼けたのは事実だが、その時点では帝国陸軍の機能はまだ「健在」だった。重要記録は疎開されていた。しかし敗戦の後、占領軍到達以前に軍人自ら『226裁判記録』を焼却した。・・著者はそう断言している。全く同感だ。
 
 戦前の負の歴史について「証拠を見せろ」と叫ぶ人間は、「天網恢恢疎にして漏らさず」のとおりある史料にシラを切り、戦前の悪行で吸った旨い汁を目論んでいる人だ。

2022年2月25日金曜日

#ロシアのウクライナ侵攻に抗議する

   戦争は早い話が人殺しだ。
 歴史は常に自衛とか人道支援の名前で侵略が始まったことを知っている。プーチンが何と言おうとロシアの行為は侵略である。

 ロシアのウクライナ侵攻は彼の地の庶民の命や生活を奪うとともに、仮に意図的でなくても、彼の地にあるチェルノブイリ「石棺」が壊れるという地球規模の危険性を内蔵している。

 私たちは無関心ではいられない。無関心は罪だろう。
 同時に、「敵基地殲滅だ」的な言葉遊びも同じ程度の危険性を含んでいる。

 特効薬のような対案は思い浮かばないが、すべてのパワーは世論から始まることを信じている。まずは一人一人が「これは不正義だ」と意思表示する。そういう声が国際的に大きくなり政府レベルの非軍事的制裁が実行あるようにしよう。

 「核兵器や軍隊が戦争の抑止力」という論が如何に嘘っぱちであったかが明らかになった。そして、もしロシア憲法に『9条』があったとすればプーチンといえどもこの侵攻はできなかったであろうという論理に想像を広げよう。

 知恵を出そう。その前に、とりあえず抗議の声を一人一人が何らかの方法で表示しよう。
 もう一度言うが無関心は罪になる。そして、この国の「壊憲」の動きを注視しよう。

 コメントをください。うまくアップできない場合はメールをお願いします。

2022年2月24日木曜日

ボルシチの故郷

   先日、ドン・コサックのステンカ・ラージンのことを書いたが、この歌、あまり知られていないのだろうか、予想外にリアクションがなかった。・・と思いながらテレビを観ていたらPayPayのCMで宮川大輔さんがコサックダンスを踊っていた。まあインチキなのだろうがそれでも相当しんどい演技だったことだろう。インチキでなかったらゴメンナサイ。

 さて、どうしてもウクライナ情勢が気になるので課題の周辺のどうでもよいことを調べてみると「ボルシチはウクライナ料理」というのがあった。有名な料理なので「うちこそ元祖」というロシアなどの別の説もあるようで、呉と舞鶴がそれぞれ「肉じゃがの本家」と言い合っているようで面白い。

 ウクライナという言葉は元々「国」を指すという説も、奈良という言葉が朝鮮語の「国」に由来するという説を思い起こさせる。また別に「辺境」「国境地帯」という意味もあるようで、こちらはロシア=モスクワから見るとそうなるのかもと変に納得して思ったりする。

 ついでにチェルノブイリは「黒い土」という意味らしく、「欧州のパン籠」と呼ばれる肥沃な土壌(穀倉地帯)に由来するらしい。関西の人は実感がないかもしれないが、若い頃関東に住んでいたとき、風が吹くと干してある洗濯物が確実に汚れたし家の中にも細かな土ぼこりが入り込んできて「これが関東ローム層というやつか」と思ったものだ。チェルノブイリの「黒い土」とは成分が違うようだが肥沃な土という意味で想い出につながる。

 ユーラシアの長い歴史を振り返ると民族、国家、領土というものを歴史のどの時点で考えるかが問題になる。その難しい話は横において、北のノルマン人(ルーシ人)が南下してきてキエフ・ルーシ公国になりウクライナになったらしい。そういう意味で、政治の話は別にしてロシア=ルーシが彼の地を「故郷」「実家」のように語るのはけっこうアジテーションに使えるようだ。

 ウクライナ東部の「独立」という親ロ派の主張は別にして、連想を飛ばして、沖縄県民が歴史的にも長く独立していた事実を根拠に日本から独立して自主的にアメリカ合衆国に加入したらどうなるだろうと考える。そのときアメリカ連邦議会はアメリカ人である沖縄の人々に今のようなこんなにひどい差別的処遇を続けるだろうか。・・と思うほど日本政府の属国根性と沖縄への差別的対応は酷い。

 一般に日本人にはなじみの薄い国のようだが、大横綱大鵬幸喜さんはウクライナ人の父と日本人の母との間に生まれたとネットに出てくる。その孫で貴闘力の子の王鵬は初場所新入幕で勝ち越した今後注目の力士である。今後大相撲を見るたびに多くの人がウクライナを想起するようになればいい。

 これからも、こんな他愛もない記事を書き続けられるよう思いながら・・・。

 プーチンはウクライナへの一切の侵攻を止めよ!

2022年2月23日水曜日

潮の満つるがごとし

   死期はついでを待たず。‥前よりしも来たらず。かねて後ろに迫れり。‥おぼえずして来たる。(徒然草155段)

 知人の訃報が続くとどうしても気分が滅入る。

 しかしさすが兼好法師は厭世観に遊ぶのでなく、155段の前段で、必ず果たし遂げむと思はむことは、機嫌を言ふべからずと、やるべきことは時機を逃さず断固やり抜けとも言っている。

 さて、日本における新型コロナウイルスによるSARS(重症急性呼吸器症候群)は2020年の1月から問題になったが、そのせいで特に高齢者の民主主義的な運動は、集合して行動することが躊躇われ、軒並み中止を余儀なくされてきた。

 そのため少なくないケースではリモートによる交流や討論でそれを乗り越えようとしているが、一方「もう歳だから」と丸々2年の間「様子見」に終わり、中止だけを重ねているケースもないことはない。

 ここ数年病気による入院や手術が重なったのでどうしても人生その他を逆算する癖がついた。徒然草155段はそんな私を叱咤してくる。

 クロちゃんのギャグをもじれば「時間を返せ~」となる。何年経ったらリモート議論が可能になるのか。そんな議論をリモートででもやりたいが、受けてくれる人がいなくて悶々としている。「時間を返せ~」。


2022年2月22日火曜日

プーチンのウクライナ派兵を非難する

   報じられているところによると、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部のドネツクとルガンスクの各親ロシア派の実効支配を国家として承認し、その「要請」に基づいてロシア軍を派兵すると決定したらしい。

 民族、国家、領土などの問題については単純に割り切れるほど理解できているわけではないが、この地の戦闘状態の停止については2014年のミンスク合意があるわけだから、「ミンスク合意が守られていない事実がある」と主張するなら、当事者全員若しくは互いに合意できる第三者による検証で打開を図るべきである。

 それを、一方的な主張に基づいて戦争又はその脅しによって決着をつけようとするプーチンの態度は認めることができない。

 かと言って、アフガンやシリアなどのように”目には目を”で対抗したなら、大勢の庶民が地獄の経験をすることになる。そういう意味で、非軍事的制裁とあきらめない外交を強化するよう日本政府並びに国際社会に望みたい。

 ニュースを聴いて、いたたまれない気持ちでこれを書いておく。

苦労がねえ

   『苦労がねえ(ない)金持ち』(「がねえ」と「金(かね)」は掛詞で(クロガネモチ)と言うから、およそ我が家には似つかわしくない樹木だが、真冬並みの寒風にびくともせず、赤い実が早春の陽に輝いている。

 何年か前の冬にはムクドリの大群がやってきて、あっという間に実を裸にしてしまったが、今シーズンは写真のとおりだ。

   何回か書いたことがあるが我が家の庭を縄張りにしているヒヨドリがいる。通常は隣家のネズミモチの木に止まっていて、時々各種の実を食べに来る。そして他のヒヨドリや野鳥が来るとまるで猛禽類の如く襲いかかって追い払う。全くカワイゲがない。

 さて、今シーズンだが我が家だけでなくあちこちの街路樹のクロガネモチに赤い実が残っている。「今シーズンは冬鳥が少ないのかなあ」と私が呟くと、「赤い実は相対的に不味いらしいで」と妻が言った。だから春先頃、旨い実を食べ尽くした頃に赤い実を食べるというのだが、カマツカの赤い実などは既に食べ尽くされているし‥。真偽は不明。

 ここは論より証拠。食べてみたところ確かに旨くはないが拒絶反応が起こるほどではない(どちらかというと不味いけれど)。

 本を読むと「不味い実のため長期間実が残るので庭木に向いている」とあったが、ナルホドこれには納得。

 「金持ち」には成れもしないし成りたくもないが、健康などの「苦労」は「ねえ」に越したことはない。

2022年2月21日月曜日

サコッシュ 愛用している

   20日の赤旗日曜版にサコッシュを自作する方法の記事が出ていた。
 その記事でサコッシュとはフランス語でカバンのことだというのを初めて知った。
 そして、そのフランス語は知らなかったが、安物のそれは私は以前から愛用していたから、妻は「お父さんは赤旗編集部の先を行っていたな」と誉めて?くれた。
 買ったときには名前など気にしなかったから、この記事でサコッシュだと認識した次第。

 私がサコッシュを購入した動機は財布を変えたことにある。その原因はやたらにカードが増えて財布が分厚くなったことにある。実はここ数年診察券も増えている。

 車と家のキー、免許証、保険証、診察券、マネーカード、ポイントカード等々と財布が嵩み、冬の間はポケットに入っても、少し薄着になったらポケットには入りきらなくなったから、そして小型のショルダーバックやリュックサックでは大きすぎるから、いうなれば外付けのポケットの感覚で小さなこれを買って使ってきた。

  使ってみるとこれが非常に使い勝手が良い。控えのマスクも入っていて、とりあえずこれをひょいと肩に掛けて外出したなら過不足ない。買い物の際財布も出しやすい。スマホも入れられる。私の感覚では何番目かのポケットで、買い物に出かけるときはトートバックなりを提げて出かける。

 サコッシュという言葉を知ってから検索すると「サコッシュ メンズ ダサイ」と出てきたがそういう同調圧力に屈する気持ちは微塵もない。私は合理主義、機能主義者だ。

 サコッシュ、ポシェット、ポーチ、クラッチ、ボディバック、どこがどう違うのかわからないが、妻はズボンとスラックスとパンツの違いだと言った。

2022年2月20日日曜日

ドン・コサックの後裔

   このブログ記事が公開された段階(の日時)でウクライナはどうなっていることだろう。

 一般に、アメリカ発の情報には半分眉に唾を付けなければならないことが多いが、この件ではロシアが意見の異なる隣国に戦争を含む脅しをかけているのは明らかで、ロシアの態度は不当で許せないことである。

 「ウクライナから攻撃を受けた」とか「ドネツク《政府?》から要請を受けた」という口実で武力侵攻が起こらないことを祈る。ただし予断は許さない。もしそんなことが起きた場合は、読者の皆さんは満州事変を想起してほしい。

 1931年(昭和6年)9月に起こした日本軍の侵略戦争は、安倍晋三ではないが戦争ではなく事変と名付けられた。始まりは、奉天(現瀋陽)駅近くの柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破されたとして、一瞬に奉天市をはじめとする南満州鉄道沿線主要都市を日本軍が占領したことから始まった。

 直後、奉天駐在総領事は内地の外務大臣あてに電報を打っており、それは公的な外交文書として残っているが、総領事は、参謀本部部長が極秘に来ていたこと、満鉄理事が大至急修理のためと思って工夫(こうふ)を派遣したが軍によって近寄せられなかったことから、「今次の事件はまったく軍部の計画的行動に出たるものと想像せらるる」と、謀略、フェイクニュースの本質を歴史に残している。スパイ組織KGB出身のプーチン大統領がこんな1931年の日本軍の謀略を真似ないことを祈る。

 ただ、対するのに「敵基地殲滅論」では核兵器所有大国ロシアと一緒に地球が「殲滅」されてしまうし、それこそ外交以外に答はないだろう。

  ウクライナのことは一般に報じられている以上のことはあまり知らない。ただ1986年(昭和61年)にチェルノブイリで起こった”こと”はスベトラーナ・アレクシェービッチさんに教えてもらって記憶に焼き付いている(風向きの関係で被害はベラルーシの方が大きいが)。

 「石棺」の中の20トン程の核燃料は今もそのままでどうなっているかは誰も判らない。その「石棺」は劣化しつつあり、崩壊すれば1986年以上の惨事が地球を覆う。なのに、その上にロシアは更にウクライナをイジメ続けようというのか。 

 彼の地のことについて外のことといえば、私の記憶ははるか60年程昔に跳んでしまう。それは・・・

 〽 久遠にとどろく ヴォルガの流れ
    目にこそ映えゆく ステンカ・ラージンの舟
   〽 ペルシャの姫なり 燃えたる口と
      うつつに華やぐ 宴(うたげ)が流る

 当時は何も知らずに歌っていたからドンコサックのステンカラージンだと思っていた。正しくはドン・コサックのステンカ・ラージン。(ただし、今もそんなに知っているわけではない) 

 先日テレビで親ウクライナ政府の民兵組織が報じられていたが、なんとなくドン・コサックの末裔のように感じた。 印象だが、ユーラシア大陸の騎馬民族はおおむね精悍な感じがする。

 【リフレーン】 現下のウクライナ問題では明らかにロシアが悪い。といって、さすがに日本会議系の自民や維新の政治家も「敵基地先制攻撃」だからといって「モスクワを空爆せよ」とは言っていないようだが、当然外交交渉で解決すべきだろう。NATOの問題とはいえ日本政府の外交能力の低さが歯がゆい。

2022年2月19日土曜日

捨てない生き方

   五木寛之著『捨てない生き方』マガジンハウス新書(001つまり創刊第1号)2022年1月27日第1刷を購入した。
 「断捨離」とか「不要不急」という言葉が「理性的な生き方」の代名詞のように扱われている現代、「それでいいの?」と問うような、ちょっと刺激的なタイトルだった。

 著者は、けっして「捨てる」ということに反対しているわけではないし、「捨てるな」というメッセージを発信するつもりもないとしつつ、「スッキリさせないといけないという強迫観念に捉われない」という生き方を考えてもいいのではないかと述べている。

 人生の後半期は登山でいえば下山の段階で、歩んできた道を振り返り見つめ返りつつ歩くようなものだろう。そのときに、時代や自分の生きてきた証の記憶を呼び出してくれるのがモノ、もっと言えばガラクタではないか・・とも述べてもいる。
 人は裸で生まれてきてゴミに囲まれて死んでいく・・そんなものでないかとも。

 近頃は徹子の部屋に大ベテランがよく登場し、断捨離をした話も度々登場する。多くの場合その話は庶民のいう断捨離というよりもハイレベルなものだが、ほんとうの意味でスッキリ、ガランとした空間に身を置いておいてはたして幸福なのだろうか。僻みでなくそう思うこともある。

 先日は「一過性全健忘」(天使のプレゼント)の中で「記憶が弱るのも悪くはない」と書いたが、それでもそんな際、誰かが思い出のモノを持ってきてくれたりして「そうそうあの時は・・」と古い記憶を引っ張り出してくれたならうれしいなあ。

2022年2月18日金曜日

豪雪とオリンピックと

   北京オリンピックを見ていて予想外だったのは「北京って意外に雪が少ない」ということだった。
 北緯はほゞ40度、日本でいうと秋田県八郎潟だし、何となく冬将軍の源郷近くのイメージがあったのに・・である。

 アメリカの「ウェザーニューズ社」にあたる「AccuWeather」社が昨年1月に発表した「人口10万人以上の世界の都市の年間降雪量比較」によると、次のとおり、なんとトップ3を日本の都市が独占していた。

1位・・・青森市(約7.92m

2位・・・札幌市(約4.85m

3位・・・富山市(約3.63m

4位・・・セイント・ジョーンズ(カナダ)(約3.32m

5位・・・シラキュース(アメリカ)、ケベック・シティ(カナダ)(約3.14m

※かっこ内は年間平均降雪量

 今年の様子ではこのデータは更に更新されることだろう。
 雪は気温だけでないことがよくわかる。 
 もちろん人口10万人以下の豪雪の村は世界中にいっぱいあるだろうが、「10万人以上の都市」となるとこうなる。

 かつてバブル経済と称されるときがあったが、「ニューヨークの土地を丸々買える」「アメリカ全土だって」というジョークがある種の真実味をもって語られたが、今の日本経済は見るも無残な体たらくだ。
 片や中国の勢いは「GDP下方修正」などと語られても桁違いに伸びている。

 コロナ前の大阪ミナミのインバウンドを考えると、北京オリンピックをテレビで観た彼の地の人々が日本のスキー場をめざすのは時間の問題のような気がする。
 「めざす」のが観光だけならニーハオ ニーハオかもしれないが、「スキー場みんな買います」が杞憂だと笑っていられるかどうか。

 スキー・エリア・マネジメント研究のプロの桜田照雄先生の文章などを読んでいると、そんな気もしてくる。五輪音頭、歌ってる場合ですか。

2022年2月17日木曜日

なまくらバード・ウォッチング 3 & ピエール マルコニーニ

   カワイゲがない。昔から人間の周辺にいながら、人の気配を感じると一番最初に飛び立って逃げてしまう。スズメである。

 わが庭でせっせと食事をしながら、時々は水浴びや砂浴びもしていながら、カーテン越しででも私の動く気配で隣家の屋根に逃げていく。

 その上で、私の動向を探り、私の気配が消えると庭に舞い戻ってくる。ほんとうにカワイゲがない。


   先日のバレンタインデーに娘から『ピエール マルコニーニ』のチョコレートをもらった。
 相当な高級品らしい。
 そのチョコレートの『しおり』?のデザイナーは、実はわが家にも何回も来たことのある娘の小中学校の仲良し友達だ。

   『鬼滅の刃』の作曲家といい、娘は愉快な友達に恵まれて幸せだ。善哉(よきかな)善哉(よきかな)。

 『ピエール マルコニーニ』美味しかった。

 ※ おまけ・・昨日早々に確定申告を済ませた。あれだけコロナ下の病院経営に貢献したのに還付額が少ないのでイラッとしたが、よく考えるとそもそもその程度しか納税(源泉徴収)していなかった。
 と考えると、消費税はどんなに貧しい人、大変だった人からも問答無用で徴収するのですね。

2022年2月16日水曜日

なまくらバード・ウォッチング 2 & エンドウ、ソラマメ、若ごぼう

   この鳥はやってくるのが事前にわかる。ギ―ッと鳴きながら飛んでくるからだ。

 ドドドドドというドラミングでなくても、コツコツコツと木を叩く音も大きいので「コゲラが来たな」と必ずわかる。キツツキの仲間の中で一番小さい。

 けっこう人間が近づいても飛び立たず、木を上下したり廻ったりしながら突つくのを止めない。それが忙しないので、その割にシャッターチャンスを逃してしまう。

 老木を突つく訳だから、この鳥が来るということはその街が成熟してきたことになる。成熟というと聞こえはいいが、街が老木のようになりつつあるということかもしれない。ブルブル


   去年の秋にはウスイエンドウの種まきを心もち早く行ったので、トップバッターがもう花を咲かせた。受粉を助けてくれる昆虫はまだ飛びもせず、少し早すぎたかなと反省している。
 天気予報は雪の注意を繰り返している。しかし、エンドウの花は見ているだけで「寒くても春だ」と楽しくなる。見ろ!春だ、春だ!

 「春」といえば、写真には残さなかったがソラマメも若ごぼうも既に食べた。75日×2=150日の長生きが保証された。
 どちらも孫の凜ちゃん家にもお裾分けしたところ、凜ちゃんはどちらも喜んで食べたという。
 ソラマメを喜んだことには驚かないが、若ごぼうを喜んだというから、なかなかの通(つう)だと感心した。

2022年2月15日火曜日

天使のプレゼント

   日曜日の夕食前「おとうさんがおかしい」と妻が電話で呼んで娘がやってきた。
 私には心当たりはないのだが、その日にあったことを「知らない」とかトンチンカンだったらしい。

 そういうことが1時間ほどあったらしいのだが、その1時間の記憶は全くない。お酒は飲んでいない。
 1時間後にはトンチンカンであった以前の記憶はほゞ回復したが、1時間の出来事は全く記憶が戻らない。

 そうして月曜日の朝一番に息子が来てくれて病院に行きMRIを撮ってもらったが、脳血管には異常はなかった。
 傷病名は『一過性全健忘』で薬もなく帰ってきた。
 病院通いは旧年中にみんな置いてきたつもりだったが、置き忘れていたことを忘れていたようだ。

 MRIの結果に妻が電話した娘も含めみんな安心したが、私自身は「認知症の体験入学」みたいで「これが認知症なら認知症本人は気楽なもの」のように考えたりした。
 認知症や介護の本には「認知症は天使からのプレゼント」という言葉がある。
 座敷童(ざしきわらし)も認知症の幻視で、東北では「あのおじいちゃんもわらしっこが見えるようになった」と長寿を寿(ことほ)ぐというのも読んだことがある。

 昔、古い女性の同級生が息子と喧嘩したときには「認知症になってやる」と脅すのだと言ったのも「なるほど」という吹き出しつきで思い出した。

 『一過性全健忘』は認知症とは結びつかないらしいが、いわゆる「もの忘れ」は近頃酷くなっている。近頃はマスク生活で曇るのでモンベルの眼鏡ストラップを付けて首に下げることがある。それが先日はスーパーで買い物中、下げている眼鏡がないので驚いて「眼鏡、何処いった!」と眼鏡をかけたまま妻に尋ねた。こちらの方が『一過性全健忘』より怖いかもしれない。

2022年2月14日月曜日

なまくらバード・ウォッチング

   わが自治体の3度目のワクチン接種が遅れているのと、寒いのに滅法弱い末端冷え性のため、冬眠状態を続けている。

 そんなものでバード・ウォッチングもほとんど部屋の中からか、よくてベランダから眺めたり撮影したりしている。なまくらバード・ウォッチングだ。

 今日の写真はカワラヒワ(河原鶸)。ジューイ、ジューイ、キリリコロロロ、ジューイ、ジューイ、キリリコロロロとけっこうウルサイ。

 普通にしてても奇麗だが、飛んでる姿を下から見ると翅の黄色の部分が透かしたようでさらに美しい。


2022年2月13日日曜日

神話は神話

   記紀神話によると、ある日のこと、下界に下ったヒコホノニニギノ命はコノハナノサクヤ姫を見初め結婚した。大阪の此花区の名前の由来の姫である。

 そののちコノハナノサクヤ姫はニニギにみごもったことを述べると、ニニギは「たった一夜の交わりでみごもったとは信じられない。他人(神)の子だろう」と疑ったので、「産屋に火をつけて生んでお目にかけます。貴方の子でなければ死ぬでしょう」と実行し、3人の子を産んだ。そのうちの2人が海幸と山幸で、弟の山幸がホオリノ命である。

 ホオリノ命は「釣り針事件」で竜宮に行き、トヨタマ姫と結婚し、そののちトヨタマ姫は地上の産屋でお産に臨んだ。姫は「元の姿になるのでけっして覗くな」といったがホオリノ命が覗くとトヨタマ姫は大きな「わにざめ」だった。「わにざめ」になってお産したのを見られたトヨタマ姫は恥じて海の底の国へ帰ってしまった。生まれた子がヒコナギサタケウガヤフキアエズノ命である。

 トヨタマ姫は海の国に帰ったが、代わりに妹のタマヨリ姫を遣わした。

 ヒコナギサタケウガヤフキアエズノ命は母の代わりに来た叔母のタマヨリ姫と結婚し、4人の子どもが生まれた。その一番下の子が、カムヤマトイワレビコノ命で後の神武天皇である。

 つまり、神武天皇の母は「わにざめの妹=わにざめ」であった。これらは日向の地のことである。

 こののちカムヤマトイワレビコノ命(神武)は兄のイツセノ命と共に、豊の宇佐、筑紫、安芸、吉備を東征し、浪速から河内湾を上り、大和のナガスネビコと闘った。その際、船に積み込んでいた盾を岸辺に立てて向かったので、この地を『盾津』という。余談ながら2600有余年後の私の生誕地である。

 この戦で兄のイツセは矢が刺さり、迂回のため海に出て手を洗ったのでこの海を『血沼(ちぬ)の海』という。イワレビコは迂回して熊野の神々、クズ、ツチグモ、エウカシ、タケル等々を討ち平らげて大和は畝傍の橿原に宮殿を造った。

 そうして、それから2600有余年後に大日本帝国高官は、蝦夷、隼人は言うに及ばず、討ち取られた多くの列島の祖先をなかったかのように扱い、建国の日(紀元節)の行事の前に国民を触れ伏せさせたのである。なんと目出度くありがたいことだろうか。

2022年2月12日土曜日

幻日

   幻日(げんじつ)が現れた。12日土曜日、夕方の5時前。

 写真には思うように写っていなかったが、見た目は全く虹と同じように鮮やかだった。

 虹と異なるのは、虹は太陽を背にして太陽の反対側に出るが、これは太陽(夕陽)に向かって太陽の横に出ていた。

 太陽は写真の左外側に、夕焼け前の太陽が燦燦というか、まだ煌々と照っていた。

 カメラも持っていない外出先だったので急いで帰宅して撮ったのだが、心なしか先に見た時よりも薄くなっていた。

 幻日(げんじつ)という現象で、俗に吉兆だとも言われている。
 確かに、妖しい不吉さはなく、虹に似た爽快感がある。
 そんなもので、なんとなくコロナ禍で重い気分が続いているが、「これはきっと吉兆に違いない」と自己暗示をかけている。
 読者の皆様にもきっと好いことがあるに違いない。

紀元節の時代

   先日の記事で私は「建国記念の日」の”何を”歴史的に検証すべきかについて、西暦の紀元前660年に神武天皇が即位したことの検証ではなく(それが非科学的な神話であることは既に良識人の常識)、そういう神話を神話ではなく”歴史的事実として”一切の批判を許さなかった明治憲法下の政治と社会を検証すべきことを書いた。そこが「建国記念の日」批判の核心である。

 そういう良識的な意見に対して例えば曽野綾子氏は次のように否定した(2017年3月26日産経新聞)
 教育勅語を危険視する人たちは、口語文に訳せば「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、他人に博愛の手を差し伸べ…」というような部分は故意にか欠落させている。これらのことは、いつの時代でも皆が言いたかったことだろうが、日教組教育ではとうてい実現しなかったのである‥と。

 これはやはり論理のすり替えであり、世の良識人は氏の引用した「価値観の部分」を否定などしていないし、教育勅語を使用しなくても教育の場で教えられている。「故意に欠落させて」論を展開しているのは氏の方であり、教育勅語は口語訳なら「しかし」「ただし」を入れて、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と主題が展開され、治安維持法、不敬罪、拷問、虐殺、そして玉砕や特攻に導いたのである。

 安倍前首相らが主張する「これは歴史戦だ」と言うのは「言いえて妙」であり、その主眼は友愛の価値観ではなく、為政者のためには人権など制限されるのが当然だという社会の構築である。「建国記念の日」やその行事を批判しなければならない所以はここにある。

   「募ったが募集はしていない」という暴論や「ご飯論法」のすり替えを常としてきた安倍前首相とこれを支持する日本会議の論法はこういうところにも表れているし、過去の戦争については、敗戦時に膨大な関係書類を焼却したことを良いことに、枝葉末節の数字に異論があるなどといって、例えば南京大虐殺や従軍慰安婦や強制労働の全てが「なかったこと」にする主張も行っている。

 例えば従軍慰安婦については、「当時は公娼制度があり慰安婦は志願した娼婦であり性奴隷ではなかった」という主張があり、想像するにけっこう「説得力」をもって宣伝されている。また朝日新聞が事実と誤って書いた記事の元の吉田清治証言が後にあやまりだったことが判明するや「朝日の記事は”全てが”嘘だ」というキャンペーンが展開された。

 実際、いわゆる娼婦もいたと想像することはできる。だが、元近衛師団小隊長総山孝雄氏の『南海のあけぼの』(叢文社)の中の逸話には、シンガポールでのこととして、四五人すますと「もうだめです。体が続かない」としゃがみ込んでしまったので係の兵が「今日はこれまで」と打ち切ろうとしたら、外で待っていた兵士たちが騒然となり、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け「さあどうぞ」と戸を開けた。順番になり入った兵(証言者)は縮み上がってほうほうのていで逃げ出た‥というのもある。戦前であってもこんな娼館はなく文字どおり性奴隷という外ない。

 産経新聞鹿内社長(当時)が『いま明かす戦後秘史』で、フィリピンを攻略した将校の報告として、「マニラ大学の女の学生は全部方々の島の豪族の娘だったが日本軍上陸で島に帰れなくなった」「寄宿舎にいるやつが孤立して、それを将校がいただくわけだ。それがいかにすばらしいかという報告で戦況報告が終わっちゃった」とも書いている。

 だから、戦後親日家として有名なシンガポールのリー・クアンユー氏も回顧録で「同じアジア人として我々は日本人に幻滅した」と書いているのだ。

 戦場には敵味方を問わず非人道的な行為があっただろう。だからといって大日本帝国とその軍隊の罪が許されることではない。こういう事実を認め反省することは自虐でも何でもない。そういう反省が前提になって、敵味方を問わず戦時暴力等を前向きに議論できると考えるのが良識である。

2022年2月11日金曜日

建国記念の日に反対する集会

 10日の夜に『第55回「建国記念の日」に反対する奈良県民集会』に参加した。といっても初めてのZoomによるリモート集会だった。
   講師は渡辺一枝さん。私は著書もいくつか持っているし、チベットに関する講演をお聞きしたこともある。

 今回のお話は、ハルピンで父上が戦死されそれ以降の半生と、折々で考えられてきたこと、女性が働くこと、保育士として考えたこと、チベットのこと、中国残留孤児のこと、3.11フクシマの被災者、そのボランティア活動、憲法を守り戦争に反対する運動等々・・・。そのすべてが悪い意味での理屈でなく豊富な体験に根差した話で、あっという間の2時間だった。

 シーナに勝るとも劣らない・・とまで言うと言いすぎか・・エネルギッシュな半生と”今”だと感心した。病気などと言っておられないと思わされた。

 ただ「奈良県民集会」というには参加者が少なかった。Zoomのせいだろう。
 2月7日のブログで谷口真由美さんの著書を紹介した際、こう書いた。
 
 著者が「失われた30年(令和)」に蔓延した「後ろ向きな空気」を具現化した「令和のおっさん」を定義しているところを要約して紹介すると・・・、
 ●口癖は「みんなそう言っている」「昔からそうだ」
 ●とにかく保守的。ITをはじめとする新しい技術や価値観には無関心。部下や若手からの提案に対しては「リスクが大きい」「誰が責任をとるのか」と否定から入る。・・・というのが面白い・・と。

 ああ、老若男女を問わず「令和のおっさん」にはZoomのハードルは高かったかも。実はZoomには私もあたふたした。
 しかし「習うより慣れろ」という箴言もある。リモート集会にもっともっと挑戦するぞ。

2022年2月10日木曜日

建国記念の日を見る目

   明日2月11日は建国記念の日なので、古代史を趣味としている私としては、日本書紀のいう皇紀元年・西暦の紀元前660年を考古学の成果に照らし合わせて検証したい気もあるが、そして最近の学説では縄文時代といいながらも、弥生時代の開始をそのあたりまで遡る説も少なからず提出されているが、いずれにせよ、国家の成立がその時代にまで遡れないことは常識人としては議論の余地がまったくない。ただし、神話が神話として語られることに目くじらを立てる気は私はない。

   故に歴史を見る観点から建国記念の日を考えるなら、紀元前660年問題ではなく、昭和20年敗戦までの明治憲法下の紀元節(建国記念日)が、教育勅語、軍人勅諭などを通じて如何に国民を悲惨な戦争に導いたか、そのためアジアの民衆を虐げたかを歴史的に再確認すべきであろう。それが建国記念の日を歴史の目で見る正しい視点だろう。

 さて、建国記念の日の直前に岸田首相は、「佐渡金山世界遺産登録推薦」問題について、一旦は推薦を見送るとの表明を行ったところ、安倍前首相らが「今こそ新たな『歴史戦チーム』を立ち上げ、日本の名誉と誇りを守り抜いて欲しい」と抗議し、一転、岸田内閣が推薦することを閣議決定するという騒動があった。

 この問題は、かつて中国の推薦した「南京大虐殺の文書」の登録に反対した日本政府が、「関係国の異議申し立てを可能にし結論が出るまでは登録しない制度の導入を主張し制度化された経過があり、今回は韓国が「登録するなら強制労働等があったという負の側面も明らかにすべきだ」と主張していることから、そのことに一切触れないままの推薦は、読売新聞によれば、「外務省内では」「今回は日本が逆の立場になり、韓国の反対のある中で推薦すれば国際社会の信用を失いかねない」と指摘している。そういう問題である。

 さらに加えて日本政府は、2015年の軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」の際のステートメント(声明)で「意思に反して連れて来られ、厳しい環境下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいたこと」について「理解できるような措置を講じる」と発表したにもかかわらずその後まったく対策を講じないため、昨年、世界遺産委員会は強い遺憾を示し、約束の実行を求める決議を採択しているという前提もある。

 そもそも佐渡金山における戦時中の朝鮮人の強制労働と差別については、新潟県史や旧相川町の「相川の歴史」という公文書でも克明に記録されている。

 ユネスコやイコモス(国際記念物遺産会議)の原則に立てば、世界遺産の推薦登録にあたっては、以上のとおり、過去の歴史の一部分だけでなく、負の歴史を含めて、歴史全体の文脈の中で位置付けられるべきが当然だし、それが正しい歴史との向き合い方だろう。

 最後に安倍前首相らがいう「歴史戦」という言葉だが、これは2014年頃から産経新聞が本格的に使いだし、その後右翼・保守派政治家などが頻繁に使用している言葉だが、これは歴史的事実の「ひとつの見方」というようなものではなく、「戦前の日本政府が犯した行為への批判」を、現在の日本と日本人への「不当な攻撃」とネジまげて捉え、「中国人や韓国人を相手に戦いを受けて立つべきだ」「主敵は中国、戦場はアメリカである」と主張するもので、官房機密費なども疑われる大量の出版等を使った「戦略」のことといわれている。

 そういうことを、「建国記念の日」にあたって振り返ることは大切な気がする。

2022年2月9日水曜日

寒中見舞いの返球

   年賀状の文面で少し気にかかった方々に寒中見舞いを出した。何人かからはキャッチボールのように返事が返ってきた。
 「人生の残余を考えると君とも何回会えるのかとも考えてしまう」という返球にはどう応えるべきか言葉につまる。

 隣家の屋根のイソヒヨドリのように軽々と飛べたらなどと思ったり。

 「時間だけは公平だ」と言われたりするが、人生を逆算するようになった一年一年を失うコロナ禍は恨めしい。

 昨年は自分自身が複数の病院通いに忙殺されたからものを言えた立場ではないが、友人たちから「パンデミックを前提とした新しい運動の提案」などもない。
 言葉のキャッチボールも途絶えているから、やや悶々と日々を重ねている。
 友人たちはどう過ごしているのだろうか。

 春は名のみの風の寒さや
  今日もきのうも雪の空
   今日もきのうも雪の空

2022年2月8日火曜日

通販生活

   岸田首相は「新しい資本主義」という言葉を発するがその内実は古臭い。

 それもそのはず、公明党出身大臣の国交省を通じて国のGDPにも大きく関わる基幹統計の大偽造まで使って虚偽の「成長」を画策してきたアベノミクスの推進者で、自民党最大派閥の領袖安倍晋三に担がれて今があるのだから仕方がない。

 結局、経済は停滞するは・格差は拡大するは・で、自公政権は資本主義社会の国の指導者としても失格者と言える。

 SDGsについては批判もあるが、資本主義国で言っても世界中の指導者が「今の資本主義は正義でない」「このままでは地球環境の悪化などで元も子もなくなってしまう」と化石燃料の削減や公平な貿易などを目指しているのに、この列島の為政者も多くの企業人たちも蚊帳の外にいる。

 戦後高度経済成長の「悪い成功体験」ということもあるが、私などは反語的に思うのだが、キリスト教国の常識とされているモラルのようなものがこの国には欠如していることにため息が出る。

 ただ、企業人の全てが宇宙へ飛びあがって喜んでいるわけではなく、公平や平和を指向する企業風土を目指しているように見える企業もある。そういう企業を応援してこその賢い消費者ではないだろうか。

 総選挙投票日の新聞広告のパタゴニアもそうだったが、通販生活のカタログハウスもそのように見受けられる。2022年春号には、現代日本の貧困、介護サービスの問題、自衛艦の空母化、第五福竜丸、ウィシュマさん事件などなどが掲載されていて非常に読みごたえがある。書籍(雑誌)としてもお買い得である。

 通販自身は決して安くはないが質が良いように思う。妻はちょっと高級なサングラスを注文した。

2022年2月7日月曜日

おっさん読むべし

   2022年2月6日初版第一刷発行の『おっさんの掟』を読んだ。
   谷口真由美著小学館新書の正真正銘の新刊のため、小学館新書の棚になく、店員さんに尋ねたら新刊コナーだという。それが書店の掟なのか知らん。

 森喜朗元東京五輪組織委員会会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と女性蔑視発言をしたときにメディアは森氏の頭の中を詮索し「わきまえない女はラグビー協会の谷口理事だろう」と面白おかしく取り上げたが、そんなレベルで語るなら、関西の大学の先生は講義の内容と共に話術も必要で、そういう風土の在阪テレビ局でしっかりとコメントを発してこられた谷口氏は当てはまらないというのが衆目の一致するところだった。

 さて、新刊のネタばらしをするのは早すぎるのでラグビー協会のハチャメチャは面白いがスルーして、著者が「失われた30年(令和)」に蔓延した「後ろ向きな空気」を具現化した「令和のおっさん」を定義しているところを要約して紹介すると・・・、

 ●ムラの長には絶対服従、部下や下請けには高圧的
 ●口癖は「みんなそう言っている」「昔からそうだ」
 そして、●とにかく保守的。ITをはじめとする新しい技術や価値観には無関心。部下や若手からの提案に対しては「リスクが大きい」「誰が責任をとるのか」と否定から入る。・・・というのが面白い。
 
 マジョリティであるおっさんの端くれとしては耳の痛いこともあるが、氏は「ジジ殺し」にも触れて「おっさん化は老若男女共通の病理」と指摘しているから、おっさんもおっさん以外の人たちも胸に手を当てて熟読すべし。

2022年2月6日日曜日

政党助成法を廃止させよう

 鬼のいなくなった2月4日、立春にふさわしい法案が国会に提出された。『政党助成法廃止法案』が日本共産党から参議院に提出された。

   政党助成法をWikipediaからコピペすると、平成6年(1994年)に「リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業などから政治家への資金提供が問題視されたため、企業、団体、労働組合などから政党、政治団体への政治献金を制限する代わりに、政党に対し国が助成を行うことを目的に制定された」法律とある。

 平たく言えば、「企業や労働組合などからの政治献金が政治を歪めているからこれはもうやめよう」「しかし悪習といえども直ぐには止められないから当分の間はそれに代わる金を税金から支出しよう」というものだった。

 しかし、人間の欲(札束を懐にした政党の欲)というのはこういうものか、その後、日本共産党以外の政党は、企業、団体、労働組合などからの企業・団体献金をもらい続け、かつその上に政党助成金を二重取りし続けてきた。なお日本共産党は、献金は個人の寄付に限り、政党助成金は制度制定以来一貫して拒否してきている。

 2022年の政党助成金の額は総額315億円余りで、身を切る改革などという日本維新の会はその内の30億2700万円を懐に入れている。こういう制度が28年間も続けられてきたのである。昨年まで27年間の総額は8460億円に上っている。

 そして、政党助成金によって政治はクリーンになったかといえば程遠く、政治とカネの問題は全く改革されないまま、例えば河合夫妻の選挙買収事件では1億2000万円が政党助成金だった。皆さんそれでも「政党助成金、まだ続けますか?」

 チコちゃん流にいえば日本国民に問われている。こんな不正義に対して見て見ぬふりをしていて良いのだろうか。ことは政党の駆け引きなどではない。社会と市民の良識が試されているのではないだろうか。

 支持する政党を超えて、「今のような政治の腐敗はよくない」「政治をもっとクリーンにしよう」と考える良識ある国民は、重ねて言うが保守であろうが革新であろうが、そんな立場を超えて、こぞって「政党助成法の廃止」の声を上げてほしい。

 私の狭い経験だが、「日本共産党も制度上貰える助成金は貰えばよい」「その金を使って弱者のための政治を進めればよい」という意見も聞く。個人的には一考に値するとも考える。しかし、およそ不正義な金は腐敗の元にもなる。引かれ者の小唄と笑われようと、痩せ我慢を貫くからこそ私は信頼する。

2022年2月4日金曜日

福は内

   鬼は外 福は内 今年は孫の凜ちゃんが1日早く2月2日に福を呼び込んでくれた。これでファミリーに疫鬼の立ち入る隙間はない。

 「鬼とは何ぞや」ということは歴史とその時代の社会的背景を考えなければならないことは言うまでもない。
 古く奈良時代の鬼の代表は今でいう細菌やウイルスだったから、今は見事に先祖返りしている気がする。

 その後、政敵の怨霊やまつろわぬ民が鬼にされたが、この列島で一番近くで大々的に鬼にされたのは『鬼畜米英』であった。

 『主婦の友』昭和19年12月号巻頭の記事は、「血のしたたる生の肉を喜んで食ふアメリカ人は、野球、拳闘、自動車競走などを殊に好み、死人や大怪我人が出ると、女はキイキイ声を張り上げて喜び、満場大喜びで騒然となる」とその「鬼」を解説し、二番目の記事の「敵のほざく戦後日本処分案」では「働ける男は奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使ふのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまふ。かくして日本人の血を絶やしてしまへ…」と鬼の姿を教えている。

 笑うなかれ。沖縄やサイパンや満州での敗戦前の集団自決の引き金の一つはこういう「女はレイプ」「子供は去勢」という思想宣伝であったし、それがリアリティをもって信じられたのは帝国軍隊・軍人が中国大陸で実行してきたことのアレンジであったからだ。

 笑うなかれ。国会では「敵基地先制攻撃」や「敵基地殲滅」が真顔で語られている。他国の政治がみんな正しいなどとは考えないが、それは外交で解決すべき課題である。他国を『鬼』とし退治するような政治宣伝には大いに警戒したい。

 そういう崇高な精神で、祖父ちゃんは『鬼のパンツ』を大声で歌った節分だった。

〽 鬼のパンツは いいパンツ
  つよいぞ つよいぞ
 
  トラの毛皮で できている
  つよいぞ つよいぞ
 
  5年はいても やぶれない
  つよいぞ つよいぞ
 
  10年はいても やぶれない
  つよいぞ つよいぞ
 
  はこう はこう 鬼のパンツ
  はこう はこう 鬼のパンツ
 
  あなたも あなたも あなたも あなたも
  みんなではこう 鬼のパンツ

鬼は外 福は内 戌亥の隅にどっさりこ!!

2022年2月3日木曜日

T2さんのたより4

   T2さんから1月28日の続報が届いた。
 巷では「大変だ!国に要望だ!」というような声と、「オミクロンはたいしたことない」「経済を回さなければ」というような声が乱れ飛んでいるが、仄聞や又聞きでない体験者の経験談は貴重だ。ご参考にしていただきたい。

 🔳 (既報の)27日に保健師さんから電話のあったレトルト食品とパルスオキシメーターが29日に届きました。
 1月31日に保健所からメールが入り、「今日で待機期間が終了です」というお知らせと厚労省のHESYS(感染者管理システム)への登録を求められました。
 体温、酸素濃度、気になる健康状態などを記入して送信するのですが、本当に体調が悪い時には、入力自体が煩わしい、もっと簡単にSOSできれば、と思いました。
 私の場合は翌日から出勤というタイミングで何となく病状管理のところにつながった訳ですが、やっぱり、保健所や医療機関とのコンタクトが遅い(できない)ところが大きな問題だと感じました。
 職場では、1月31日に新たに感染者が出ましたが、PCR検査を受けるため、病院へ100回以上電話したとか、保健所からは今日もまだ連絡がないと言っています。
 感染拡大が、止まるところを知らないような状況が続いております。どうか皆様、くれぐれもご注意ください。🔳


 療育園がクラスターになって陽性となった孫の凜ちゃんも、無症状のまま10日が過ぎて休園明けと歩調を合わせて通園を再開した。
 以前のブログに書いたとおり、陽性者の待機期間は10日(短縮されつつあるが)で、仮に家族も陽性ならほゞ並行して10日の待機だが、家族が陰性の場合は『濃厚接触者』ということになり、その場合、陽性者の療養明けからさらに10日の待機期間となるという不合理を訴えたが、ラジオなどでもようやく「おかしい」という声が出ている。
 
 孫の場合も、わが夫婦は『別居の濃厚接触者』だから孫の判定前から接触がないから問題ないが、凜ちゃんの母親は先の『濃厚接触者』になる。つまり、凜ちゃんの待機期間は解けたが母親は待期期間に該当するから、通園の送迎ができないとなっている。そんなもので、ほんとうに無意味なことだが、療育園としてもどうしようもないようなので、誠におかしなことだが送迎をわが夫婦が担っている。
 実際、核家族の下で、そんな不合理のために通園を再開できていない児も多い。可哀相なものだ。無能な政府の下で現場の庶民は唇を噛み締めている。
 (写真は園からの帰りにわが家で焚き火)

2022年2月2日水曜日

行政サービス

   私が言うのも何だが・・・、公務労働者は行政サービス改善に向けて大いに提案しその内容を発信する方がよい。

 そのようなことを再認識した出来事が3つあった。

 1 ワクチンの3回目接種のスマホアプリが判りにくく、申し込みが完了したのかどうかが判り辛かった。

 2 高額医療費の還付通知が来たが、どの医療費の分で何故その額になっているのかが非常に判り辛かった。(これは病院にも責任があることだが)

 3 確定申告を書いていったが、毎年のことだが文章が判り辛かった。

 小さな自治体では政府のワクチン接種の方針がくるくる変わるのに対応できず、職員は疲労困憊の様子だが、ことは命にかかわることだから、庶民の不満は勢い公務員に行く。

 人員を増やさずに命令するだけの政府や自治体の管理者が一番悪いのだが、マスコミはそのことには全く触れない。

 近頃はエッセンシャルワーカーとかカタカナの文字でさも理解していますというような風潮があるが、昔のドラマの科白ではないが「同情するなら人をくれ」だと思う。

 こんな時代こそOBやOGがいろいろ発信したらいい。

2022年2月1日火曜日

アップルパイや

   日曜日に夏ちゃんファミリーが来てくれた。
 密を避けるために、庭での焚き火パーティーにした。

 夏ちゃんが斧で指を切って〝監督不行き届き”を妻に叱られたが、夏ちゃんは学校では教えてくれない勉強(経験)をしたと思っている。

 さて、野鳥には体に着いたダニをとるための煙浴(けむりあ)びの習性があるので、けっこう煙が好きである。
 ただ、これだけ人がいるのでストーブのところまでは来なかったが、我われのすぐ近くまでコゲラ、ヤマガラ、イソヒヨドリ、シジュウカラがやってきて夏ちゃんは喜んだ。

 焚き火では、定番の焼き芋以外に焼きマシュマロ&チョコレート、焼きバナナ、焼きリンゴの諸材料を用意した。

 みんな良かったが、わけても焼きリンゴは予想以上で、「あっ、アップルパイや!」という美味しさだった。

 コロナあるいは別の感染病に終わりはないとも言われている。となると蛸壺に籠って昔の夢を祈っているだけでは不十分かもしれない。外に出て、自然と仲良く野遊びすることに工夫するのがよくないだろうか。