2020年9月30日水曜日

荒地盗人萩

   いろんな秋の花が咲いて散歩道も楽しくなった。

 今年は草刈りのタイミングが良かったのか、荒地盗人萩(アレチノヌスビトハギ)があまり大きく歩道に枝を伸ばしておらず、道路脇に咲いている分にはこの”超強力ヒッツキムシ”も秋の風情だと許容できている。

 このアレチノヌスビトハギは外来種で、在来種のヌスビトハギを凌駕しているのは多くの外来種と同じで、悪しきグローバリズム(地球規模の弱肉強食)を彷彿させる。

 以前に書いたことがあるが、特養のボランティアの草刈りで、これを知らない都会の女性が体中、毛髪の中までひっつかれたことがあった。そうなると恐怖の植物になる。

 ヒッツキムシになる葉っぱが2連なのがヌスビトハギ、4連以上ならアレチノヌスビトハギである。

 あとの写真は、銀杏、紫式部、紫苑、曼珠沙華。

 この撮影をして原稿を書いて数日後さらに草刈りがされていた。この「強 引っ付き虫」なら正しい対処だと思う。でもちょっとだけ寂しい荒地盗人萩。




2020年9月29日火曜日

スマホが売れた

  テレビで「コロナの下で60代70代に最も売れた商品は何?」という話があり私はハズレたのだが、答は「スマホ」ということだった。なるほど、ステイホーム、特に高齢者にうつしてはいけないからということで、GWもお盆も帰省が自粛され、せめて孫とラインなどのビデオ電話ぐらいということで子供世帯あたりが背中を押して祖父母にスマホが売れたのだろう。

 マッ、わが夫婦の孫はおかげで他県とは言え距離にすると近所に居るので、前述のような切実さはないし、そもそもそれ以前からスマホにしていたが、テレビのそういう話はよく理解できる。ワカルワカル。

 ところが友人のガラケー族にこの話をしても意固地になってスマホを拒否をする。というか、使わないのが資本主義的風潮に流されない原則的生き方だという風な態度で聴く耳を持たない。”馬には乗ってみよ人には添うてみよ!”ということわざもある。少し違うかもしれないが・・まともな大人が勧めている話にはもう少し耳を傾けてもよさそうなものだが、意固地な老人は養い難い。

   大層な話ではないが、先日も小学校低学年の孫から「これは何?」と言って写真が送られてきた。(孫のスマホは画像は送れないようにしてあるから、こういう時はお母さんのスマホを使っている)

 で、「イトトンボの仲間でしょう。調べてみるね」と私は送り返した。

 正直に言うとこの写真だけでは自信がないので、「イトトンボで検索して」と言って、オオアオイトトンボかアオモンイトトンボかクロイトトンボかグンバイトンボあたりが似ていると送信した。

 そんな簡単に答を得ようとさせてはダメだ!という批判もあるかもしれないが、このスマホで孫と祖父ちゃんのホットラインが繋がっているのだ。これは貴重だ。

2020年9月28日月曜日

大勲位のお手柄

   菅内閣は925日、昨年死去した中曽根康弘元首相(大勲位)」の「内閣・自民党合同葬」の経費として、今年度予算の予備費から約9643万円を支出することを閣議決定した。私などは、歴史や伝統を口にするなら、古墳時代に幕を下ろした薄葬令の精神ぐらい学んだらどうかと言いたいが、ちょっと彼らには無理か。 

   さて、こういう”ひょんなこと”から中曽根康弘元首相が注目されたので、この際とりあえず従軍慰安婦に関する大勲位の「お手柄」ぐらいは再確認しておこう。

   松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978の『終わりなき海軍』という本に、戦中海軍に所属していて「戦後成功者」となった者の思い出話が得々と語られているが、その中にこうある。

   タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。

   当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心を掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話なのだが・・・ 

   「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

   おそらく、大勲位は後に従軍慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いている。

   さらに、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターには、「海軍航空基地第2設営班資料」(この班は大勲位が当時主計長を務めていた海軍設営班矢部班のこと)というものがあり、同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存しているが、その記録には次のようにある。

   「・・整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる。主計長(中曽根)の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」。

   その「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していて、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し「設営班慰安所」に変えてしまった証拠もある。

   しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて現地で女性を調達したとしか考えられないし、実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。つまり、中曽根首相がこうした"強制連行"に関与していた可能性も十分にある。

   おまけをいえば、右派メディアの代表格の産経新聞の中興の祖ともいうべき元社長鹿内信隆氏が著作の中で、「そのとき〔慰安所の開設時〕に、調弁(ものを現地調達する軍隊用語)する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの待ち時間が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。」と言っている。

菅内閣の閣議決定のおかげで、以上のような大勲位の赫々たる「お手柄」を思い出させていただいた。菅内閣は彼の葬儀費用として国の予算から約9643万円支出することを閣議決定した。

この記事はリテラのエンジョウトオルの記事を大いに参考にさせていただいた。

2020年9月27日日曜日

古代人に魅入られる

  ふらっと入った古本屋で『国家成立の謎』という古本を購入した。1979年に行われた朝日新聞社主催「古代史シンポジウム国家成立の謎」をまとめたもので、司会:松本清張、講師陣:直木孝次郎、井上光貞、杉山二郎、西島定生、森浩一、大塚初重というものだ。

 古代史の勉強をすると、半分ぐらいは「研究史」のようなもので、誰それはこういう理由を述べて文献をこのように解釈した、誰それはどこそこの遺跡出土品からこのように解釈した、というようなことが多いのだが(という意味では論争史か)、そういう意味でこの本の司会及び講師陣は論争に耐えうる一流のメンバーだ。超一流といってもよいだろう。なお多くの先生方が今は鬼籍に入られた。

 しかも、有名な稲荷山鉄剣の銘文が発見(解読)された翌年のシンポジウムであるから、4世紀、5世紀、6世紀の日本と東アジアについて講師陣が熱く討論されている。私の感想では、古代史研究はこのシンポジウムの時代の後あまり飛躍はなく、このシンポジウムはある種のピークに似た討論だった。ただ、任那の諸問題について確たる答えはなく、その後も、私の勉強不足もありそこのところはよくわかっていない。

 文字のフォントサイズも少し小さく、現代のフォントに比べて線が細く、老眼+乱視の身には読むのに非常に疲れたが、内容は充実していて楽しかった。

   後日、新刊の書店に「美しい数学入門」というのを買おうと思って赴いたが置いておらず、仕方なく店内をぶらぶらしてみると、遠藤慶太著『東アジアの日本書紀』(吉川弘文館)というのが見つかった。大見出しだけ拾ってみると、〇天皇の年代記、〇東アジアの動向と日本書紀、〇百済史書と書記官たち、〇百済史書と日本書紀、で、まるで先のシンポジウムの続き(私の抱いた疑問の続き)のようなものだった。

 この本を見つけたときは、この書架に、”ああ古代人に引き寄せられたな”というか、”今の私は古代人に魅入られているぞ”というように感じてゾクッとした。確かに魅入られただけのことはあり、満腹感を覚える内容だった。

 小さいときは全く興味がなかったが、永年暮らした堺でも奈良でも古墳は常に身近にあった。

 あの古墳を築造した大王権は「国家」の萌芽なのか国家以前なのか。その鍵は本当に雄略か。この続きを考えると当分の間人生を楽しめる。

2020年9月26日土曜日

雪隠詰めとマトリョーシカ

   昨日発送したミニコミ紙では私と編集長との間で幾度となくメールをやり取りした。主にトップ記事の見出しについてである。編集長の原案は『安倍首相辞任!またも政権投げ出し 菅新首相は安倍政治を継承』であった。「名は体を表す」を重視すればこの「大見出し」(おおみだし)は的確だと思う。それに本文執筆も編集長であるから執筆者の「思い」は尊重されるべきである。

 ただ、私としてはちょっと冒険をしたくなった。この大見出しの文意には何の異論もないが、大見出しとしては少し「当たり前すぎ」て「本文に何が書いてある?」「本文を読んでみたい!」という興味を沸かせるような魅力に乏しくないかと感じられた。頭の奥で「5年前の戦争法の時のSEALDSはメッセージの内容と同等以上に”メッセージの伝え方”について侃々諤々検討した」という話を思い出した。

 結論をいうと『安倍首相雪隠詰めで 菅は安倍のマトリョーシカ』にしたのだが、「雪隠詰めもマトリョーシカも”伝わるだろうか”」ということで編集長と幾度もやり取りした。私としては「何やそれは?」という疑問も含めて本文に興味を持って入ってくれたらという気持ちと、「ちょっとクスッと笑ってくれないか」という思いもある。・・と言いながら”独り善がり”でないかという迷いも残っているが、これまでもいろいろスベッたことも含めこういう挑戦でこれまでも生きてきたと自分で自分に居直っている。

 編集長は「編集後記」に次のように付け加えてくれた。『雪隠詰めとは 将棋用語。 将棋で、王将をまるで雪隠(便所)のような盤の隅に追い込んで詰める(詰められる)こと。転じて、逃げられない状況にまで追い込む(追い込まれる)こと。 マトリョーシカとは ロシアの民芸品の人形。上下に分割でき、その中には一回り小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる。基本的には同じような顔の人形である』

 齋藤孝著『語彙力こそが教養である』(角川新書)という本がある。そこで著者は、SNSやはては日常の会話でも「すごい」「やばい」「なるほど」「たしかに」「かわいい」「まじ」を多用する若者を紹介し、「言葉は身の文(あや)」と嘆いている。私は「雪隠詰め」も「マトリョーシカ」も我がミニコミ紙読者には「常識語」だと編集長に言ったのだが・・・

 蒟蒻問答(餅屋問答)みたいな大見出しだが、「なんのこっちゃ」「センスはもう一つ」など大方のご批判をいただければ幸いだ。(蒟蒻問答(餅屋問答)は落語の名作。その解説は割愛)

2020年9月25日金曜日

大阪市の格下げ

 大阪市廃止・特別区設置の住民投票が迫っている。その特別区のことだが現在大阪市には区(区役所)が24区あるのだが、これを4区に整理するという。24区の機能を残したまま4特別区を作るとそれこそ二重三重四重になるから基本的には4区に整理される。ほんとうに大阪の発展を願うなら、そんな区の整理縮小案で良いのだろうか。

 ちなみに、国の労働行政を見てみよう、コロナ禍失業6万人などと報じられているが、大阪市内には国の行政機関たるハローワーク(公共職業安定所)が大阪東、梅田、大阪西、阿倍野、淀川と5か所存在している。労働基準監督署は大阪中央、大阪南、天満、大阪西、西野田、淀川と6署ある(管轄には一部市外も含まれているが)。労働行政ではないが警察署は28署である。

 大大阪の行政サービスを考えれば、「大阪4区」は維新の宣伝とは反対に限りなく都市であることをやめて「鄙」に向かうことになる。

 今の大阪は間違いなく全国の政令指定都市のリーダーであるが、4特別区の「格」は「村」以下に格下げされる。そのことは私が勝手に言っているのでなく、公明党の佐藤茂樹議員が平成24年8月7日衆議院総務委員会の「大都市地域における特別区の設置に関する法律案」審議で次のとおり述べている。

 ○佐藤(茂)議員  ・・・住民投票につきましては、関係市町村が廃止されて特別区が設置されることによって、関係市町村の住民には住民サービスの提供のあり方というのが大きな影響を受けるわけですね。特に指定都市が今回廃止になるという、大阪市のような場合、そういう場合については権限や税財源の面でいわば格下げとも言える事態が生じて、通常の市町村合併以上に住民の生活等に大きな影響があると考えられます。ですから、本当にそういう指定都市を廃止して特別区という形にしていいのかということについて住民の意思を尊重する、そういうことも大事であろうということで、住民投票を必要とさせていただきました。

 実体のない「二重行政」だとか「改革」だとかのムードでこんな大変な決定をして良いものだろうか。私はテレビショッピングを連想する。「30分以内のお申し込みに限る」「今だけ半額」だ! そして小さなテロップが目立たないようにあるのだ。そこには「維新の個人的感想です」とあるような気がするが。

2020年9月23日水曜日

ヤンキーの国の民主主義

 安倍政権7年8か月の罪状を数え上げると紙数が足りないから、とりあえず特筆しておきたい感想だけを述べると、同政権が恫喝と飲み食いでマスコミを圧迫したことが特に許せない。その一例で、いわゆる記者会見で質問を制限したり、あからさまに東京新聞望月記者を排除してきたのが菅官房長官(当時)であった。

 そうしておいて行政文書を隠蔽し、不当に廃棄し、改竄をおこなった。実務を指示された近畿財務局の赤木さんはあげくに自死の道を選んだ。これを独裁国家と言わずして何としよう。

   そんな折、米国のトランプもよく似たものだが、それでも米国が積み重ねてきた民主主義に感心させられることがあった。赤旗編集部が、米情報自由法を活用して情報公開を請求し、いわゆる2015年戦争法成立前後の在日米大使館から本国への秘密公電をスクープしたのだ。

 そこには、法案の上程さえされていない段階で米国議会で「誓約」した安倍首相の進捗状況を追いかけ、反対運動の盛り上がりにも日本のマスコミ以上に心配しつつ、本国に報告していた。「上下両院での誓約から彼は逃げなかった」と誉め、「日本の軍隊は同盟国への攻撃に対処することが認められる」と「正確に」報告していた。

 付け加えれば、米大使館は反対運動の高まりを恐れつつ、「自民党は秋の大型連休前に本会議で可決させるつもりだ」「そうすれば日本人は連休に遊びに行き、この問題を忘れてくれるかもしれない」と小憎らしい電報まで打っていた。

 ジャーナリスト会議(JCJ)は先日『赤旗日曜版』の桜を見る会の一連のスクープに『JCJ大賞』を贈呈した。『大賞』というのはすごいことだ。その上に今回のスクープだ。

 桜を見る会問題を振り返ると、赤旗が足で稼いでスクープを報道し、それを見た多くの庶民がSNSで拡散し、国会審議と並行して週刊誌が取り上げ、テレビのワイドショーが取り上げ、そしてようやく「国会報道」的に大新聞が後を追ったのだ。

 私の友人には「情報が偏らないよう赤旗と産経をとっている」と言う人もいるが、今こそ産経はいいからまだ読者でない方には『赤旗』をお勧めする。

 『赤旗』を読んで思うところをSNSで発信するすれば世の中は変わっていく。

2020年9月22日火曜日

夢は夜開く

 〽 嘘を肴に酒をくみゃ   夢は夜開く

 次のポスターは中野雅司氏のFBにあったもので、「なるほど」と思ったものです。 



 以下は、先日のNHK『かんさい熱視線』の文字起こしで、山中共産党大阪市議団長と松井市長のくだり。

山中 松井市長は私たち抽象的とおっしゃるけれども、成長の話ってね、非常に抽象的だと思うんですよ。成長してる、してるとおっしゃるけれども、実際に大阪の現状を見れば、県民一人当たりの所得にしても、そんなに全国と比べて高いわけでもないし、失業率に至っては全国最下位でね、何を成長してるとおっしゃっているのかということや、それから、何で成長させようとしておられるのかということが、まあ、何なんでしょう。

松井 成長戦略、読まれてないんですか。びっくりします。

山中 何で成長させようとしているんですか。

松井 いやだからその中に具体的に書いてますよ。

山中 おっしゃってくださいよ。

松井 まずは観光立国を。

山中 いや、観光は分かってますよ。

松井 それからもう一つは、やっぱ大阪湾、ベイエリア。これをものの中継拠点としてつくっていこうと。

山中 結局、カジノということですよね。

松井 カジノは、これはIRです。

山中 IRですけど、カジノということですよね。

松井 それは、その物流の拠点としてもやります。

山中 でもそれで、大阪府全体が成長するんですか。IRで。

松井 してるじゃないですか。

山中 してないじゃないですか。してないじゃないですか、成長なんて。

 以上のとおり、マルチ商法まがいの「必ずもうかります」みたいな松井氏答弁。


 それに、観光だって物流だって、何も大阪市を廃止していわゆるトコーソーにする必要はありませんね。

  藤圭子さんは歌ってました。 〽 嘘を肴に酒をくみゃ  夢は夜開く

2020年9月21日月曜日

僻地・離島並の自治体が大都会に

   黒島、新城島、波照間島、竹富島、小浜島、由布島、鳩間島、西表島の自治体は竹富町だが庁舎は石垣島の石垣市にある。
 鹿児島郡三島村(黒島、竹島、硫黄島(鬼界ケ島))と十島村(口之島、中之島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島)もそれぞれ鹿児島市にある。離島とは辛いものできっと船の航路に理由があるのだろう。

 さて、この離島の一町二村にだけあるようなイレギュラーな庁舎と同じようなものが大都会で起こるという真夏の夜の悪夢みたいな話がある。

 維新の進める『大阪市廃止・特別区設置案』がそれで、新淀川区の職員の約8割は新北区の中之島庁舎で仕事をする(該当する業務に関わっては区民は新北区へ行く)。新天王寺区の職員の約5割も新北区の中之島へ行く。新中央区の職員の約5割は湾岸のATC庁舎で仕事をする。

 先の3僻地自治体とそっくりな形ではないが、基本的には同じようなものではないだろうか。「分庁舎」の概念を超えている。

 維新はトコーソーだと言ってまるで東京都みたいになるような幻想を振りまいているが、東京都どころか日本で3つしかない僻地の離島並の庁舎だというのだ。昨今の異常気象を思うと緊急大災害の即応体制が不安である。だいたい区民にとっても不便である。

 本来なら新特別区にふさわしい庁舎というのが普通だが、そうすれば初期費用が莫大なものになるので、それ(臭いもの)に蓋をして先送りしただけの案である。

 要するに到底一人前の自治体(特別区)とは言えない案である。大阪市民もなめられたものだと思うのは私だけだろうか。

 なお「僻地」というのは差別語ではなく法律に出てくる文言である。先の3自治体でいえば、それでも石垣市や鹿児島市に吸収合併されるのでなく、小なりと雖も独立した町なり村を維持している精神こそ自治体スピリットだと想像する。

 全国の地方自治体があこがれる「政令指定都市」という権限や財産を放棄して「府」に吸収され、町村以下の「特別区」を目指すのは、先ごろ発覚した(逮捕された)詐欺商法に騙されているのと同じだとしか私には思えない。多くの詐欺被害者は「私は騙されている」とは思っていないらしいが。そこが詐欺商法の催眠商法とも言われるゆえんである。

 現在の大阪市内24区を4特別区に縮小してどうして住民サービスが向上するのか。住民サービスよりも効率化だというなら、地方自治を踏みにじる最近の香港みたいになればよい。究極の「小さな政府」は独裁国家であろう。

 公明党は「維新がサービスは低下しないと言っているから維持される」と言うが、維持される程度なら今のままでいい。金もかからない。そもそも前回大声で「ラストチャンス」と絶叫した維新の面々が蒸し返している事実を何と見る。『「サービスは低下しない」と言ったから低下しない』と言うのは大人の会話として通じない。

2020年9月20日日曜日

特別区は時代遅れ

  11月1日に予定されている大阪市の住民投票は、『大阪市を廃止し特別区を設置することについての投票』だが、これがどれほど時代遅れで世間知らずのテーマであるかはあまり知られていない。

   よって、フェイスブックで見つけた小川裕夫氏のレポートを基に以下にご紹介したい。

 東京23区で構成される特別区協議会は「特別区の廃止」を表明している。

 23区の一部には特別区廃止にそれほど積極的ではない区もあるが、特別区協議会は東京23区すべてが加盟している。つまり、「特別区の廃止」は東京23区の総意と見なすことができる。

 その理由は、例えば千代田区は、15年以上前から千代田市になりたいと宣言している。

 東京23区は、本来なら自分たちの税収になる固定資産税・市町村民税法人分・特別土地取得税の3税を東京都に収めている。千代田区の場合、3税で約3300億円の税収を1年間で得ているが、これが一旦はすべて都に収奪されている。ある千代田区職員は言う。「千代田区が『市になりたい!』と宣言した約15年前、3税の合計は約2500億円前後でした。千代田区に企業が集中したこともあり、都に取られる3税の税収はさらに増えました。千代田区も『3300億円全額を千代田区の財源にしろ』と主張したいわけではありません。千代田区にはオフィスがたくさんあり、昼間人口は100万人近くまで増えます。そのオフィスで働く人や学生、買い物に来る人などのためにも案内板の設置、緑化や街の清掃、フリーwi-fiの整備、歩道や公園の整備、図書館をはじめとした公共施設の充実などをしなければならないのです」。

 千代田区の人口は約5万5000人。平たく言えば、約6万人で100万人を支えることになる。ゆえに千代田区はそれらの人たちのために、インフラ整備に取り組まなければならない。

 金持ち自治体の千代田区だから、こうしたワガママを言っているわけではない。世田谷区も同様に、特別区から脱却を模索している。世田谷区職員は言う。「世田谷区の人口は90万人を突破していますが、まだ増える傾向にあります。90万人といえば、政令指定都市に匹敵する人口です。人口規模だけを見れば、世田谷区が半人前の区のままなのはおかしい。住民サービスを充実させるためにも市になるという選択は、当然ながら検討されるべきです」

 特別区が奪われるのは財源ばかりではない。本来なら市が有する権限も奪われる。その一例が、都市計画における用途地域だ。東京23区には、用途地域と呼ばれる都市計画の権限がない。そのため、「地域の実情に合わせた都市開発が進められない」とこぼすのは杉並区の職員。従来、街には人が住む住宅地域、商店が営業しオフィスが立地する商業地域、工場などが操業する工業地域、食糧生産や酪農のできる農業地域といったように、人が住みやすいように地域の役割を明確化して、それに応じた計画が立てられている。

 極端な例を出せば、閑静な住宅街にガスコンビナートが立地していたら、住民は常に事故の危険性に怯えなければならない。小中学校の隣にラブホテルや風俗店が進出するのは教育上よろしくない。オフィス街に牧場を開設すれば、家畜の糞や肥料から発せられる臭気でビジネスに影響が出る。そうした混在を避けるのが、用途地域の目的にある。実態に合わせた用途地域が定められなければ、住民の生活は著しい混乱を生じる。

 近年、建築基準法の規制緩和で閑静な住宅街にもコンビニ出店が可能になった。これにより、来店客による騒音・振動問題をはじめ、店舗から排出される臭気、排気口や電気設備の騒音が不安視されている。また、コンビニが出店することで往来する自動車が増加し、その自動車のライトや店舗看板の照明等による光害も地域住民は悩まされるだろう。

 「特別区には、それらを変更する権限がありません。東京都は東京都全体を管轄する立場にあるので、仮に区が都に陳情してもすぐには動いてくれないでしょう。都市開発においても、区が機動的に動けなくなるわけです。だから、都になったからといってメリットがあるとはいえないのです」(前出・杉並区職員)

 維新はトコーソーで大阪が成長するというが、維新のいう二重行政下の神奈川県は人口で大阪府を抜いている。府県内総生産は愛知県が大阪府を抜いた。昨今、地方自治体関係者の間で「もっとも伸びている都市」と衆目一致しているのが福岡と言われている。

 橋下知事当選から約13年が経過した。この間に大阪ははっきり言って停滞している。そろそろトコーソーの詐欺商法から目を覚ますべき時ではないだろうか。

2020年9月19日土曜日

コロナから見える大阪

 9月16日時点の感染者数はNHKまとめによると77,122人で、●上位5都府県の感染者数、●4月1日の人口、●人口100,000人当たりの感染者数 は次のようになっている。 

    感染者実数  人 口  10万人あたり感染者数

 東京   23,437     13,942,856      168

 大阪     9,803       8,823,453      111

 神奈川     6,111      9,200,166        66

 愛知        4,975      7,552,873        65

 福岡        4,970      5,110,113        97

 トコーソー推進の方々には東京並みの数が出ていないのが不満かもしれないが(これはブラックジョーク)、人口比を神奈川、愛知、福岡と比較すると大阪府の「結果」は知事がテレビに出ずっぱなしで演出された「やってる感」に比べると非常に良くない。

 維新がヨシモトや在阪テレビ局を総動員して宣伝した結果がこうである。

 さらに問題は維新の代表が市長になっている大阪市である。大阪府における大阪市の人口の割合は31%だが 9月16日現在の検査陽性者数、死者数は次のとおりになっている。(元のデータは大阪市発表による)

      検査陽性者数   死者数

 大阪府      9,803     188

 大阪市      5,205     108

 府に占める市の%    53%    57%  (人口比は31%なのに)

 松井維新代表市長の「結果」がこれである。

 これを見て、これは二重行政の弊害だ、維新の進めるトコーソーになれば改善されると考えるなら常識が欠如していないか。

 反対に、維新の言う「無駄を削る」「府立病院と市立病院は二重行政だから廃止する」という政策の結果だと言うしかない。

 だから、維新のいうトコーソーは単に住居表示の問題ではなく、市民の命と健康にとって極めて危険というしかない。

   課題は明白。維新の進める「大阪市廃止住民投票」に『反対』を記入して、まともな大阪市を再建しよう。

 文章の最後に「お口直し」のために、17日に撮った日の出の写真でホッとしていただければ幸いだ。

2020年9月18日金曜日

西瓜の皮

  今年の夏は熱中症予防ということでテレビ・ラジオから「水分を摂れ、水分を摂れ」というアナウンスが繰り返された。それもあり、私は熱中症と同時に脳梗塞も怖いから、ひと夏中生真面目に水分補給に努めた。

 だが別件で夜間頻尿を医師に相談すると「水分を摂るな」というご指導で、判らないわけではないが、世の中の矛盾をしみじみと味わわされた。

 正確には水分と塩分の摂りすぎらしいが、そういえば今年の夏は自家菜園の胡瓜の漬物を大量に食したような気がする。心当たりは十分ある。

 さて、今年の夏は学校の休校やステイホームなどの影響で、二人の孫がしょっちゅうやってきた(どちらも県境を跨いだ移動だったが)。その為おやつの西瓜をたくさん用意して食べたのだが、その結果、近所のイオンの西瓜は甘くて皮が堅いが近商の西瓜は水分が多いということを経験的に学んだ。

   で、結局わが家では、相対的にやや水っぽい近商の西瓜をよく購入したのだが、その理由はその方が「西瓜の皮の漬物が美味しい」という斜め向こうの理由による。

 水茄子もバカデカ胡瓜の浅漬けも文句はないが、西瓜の皮は郷愁も味付けされて言うことがない。貧乏くさいと思うのは眼が汚れたせいだと思う。神は細部に宿るという箴言もある。

2020年9月17日木曜日

お彼岸

   少し気が早いがお彼岸の行事を済ませてきた。

 あまり形式的なことにこだわる必要はないかもしれないが、大いなる凡人は「お彼岸だぞ」と言われることで亡き人を想い感謝するわけで、日頃したこともない『経木流し(実はお焚き上げ)』も今年は行った。

 ことのついでというと失礼になるが、四天王寺さんにも寄ったが、コロナ対策であちこちに接触禁止や立入禁止が表示されていた。

 失礼ついでに言うと、その昔「疫病退散」で人々が建立した寺社が疫病に抑え込まれているように感じた。私は現代医学に沿ってコロナ対策を優先するのが正しいと信じているものだが、こういう時代に庶民の胸にストンと落ちる訴えが宗教家の側からも必要な気がしている。

 「あの世の幸せ」を信じて「この世の矛盾に目をつぶる」宗教であってはならない。四天王寺の引導鐘を聞きながらぼんやりとそんなことを考えた。

2020年9月16日水曜日

マルクスは

 『カール・マルクスは偉大な〇〇〇であった』の〇〇〇に適当な言葉を入れよ!と言われると皆さんはどういう言葉を思いつくだろう。もちろん、どこかの国の絶叫アナウンサーから聴いた「偉大な領袖」などというのは論外だが、哲学者、経済学者、革命家等々幾つかを思い浮かべることができるが、私は近頃「マルクスは偉大なジャーナリストであった」というのを一番に指摘したいと思っている。

   もちろん、現代社会の民主運動を頭において、ジャーナリズムや情報戦の大切さをひしひしと感じていることによる。 

 過日、私が現職の頃加わっていた労働組合で第56回機関紙コンクールがあった。原則1年に1回のコンクールであるから56年の歴史がある。

 そのコンクールで、支部の後輩たちが作って発行している機関紙が全国の最優秀賞を受賞した。私の記憶では私たちの時代には受賞できなかった快挙だと思うから、後輩たちに頭が下がる思いでいる。(支部としては実績があったかも?)

 時代状況は変わっているから「我々の若い頃は」などというサゼッションは不要だし有害な場合もある。それよりも、後輩たちに負けず、OBはOBの分野で頑張るべきだろう。

 体力にきついと感じる高齢者こそ、長い人生経験に裏打ちされた言論戦で努力すべきでないだろうか。

2020年9月15日火曜日

番(バン)

  ヤマト王権の王墓と想定される巨大前方後円墳は3世紀中葉、奈良盆地東南部に出現したが、4世紀中葉には奈良盆地北部の「佐紀古墳群」に移動した。わが家からこの佐紀古墳群はそう遠くないので、おかげで古墳の濠の水鳥をバードウォッチングすることができている。

   その水鳥の中に額が赤い一種変わった顔立ちのバンもいる。水鳥と言ったが水掻きはなくクイナのように水辺をうろちょろしている。

 ガイドブックには「警戒心が強く身を隠すので観察するのが難しい」ともあるが、団地横の池にいたこともあるし、私の印象では普通の水鳥程度の警戒心に思う。もちろん、古墳に住み着いたハクチョウみたいには餌を求めて寄ってきたりはしない。

 ものの本によると水田に多くいてキョンキョンと鳴くので『田の番』をしてくれているようだというので番(バン)という名がついたらしい。ただし、私は水田でこの鳥を見つけたことはない。昨今の水田がいやに人工的で生物の多様性から遠ざかっているからだろうか。

 なお、額が赤くなく白い額のオオバンという水鳥もいる。

 バンの絵を描いた安物の掛け軸を見つけた。田ではないがわが家の番をしてもらおう。

2020年9月14日月曜日

小さきもの

   松岡正剛氏の『日本文化の核心』という本に『小さきもの』という章があり、ポケモンから柳田国男から記紀から清少納言からいろいろ牽いて、「小さいものは美しい。(そこに止まらず)とても大事なものに感じる。そこが(日本文化の)ポイント」と述べ、短歌、俳句、茶室、小庭(さにわ)、盆栽から小型で高性能の家電製品などに話が及び、ここにも日本文化の一端があることを指摘している。

 なるほど「小さきもの」は「わび・さび」の美意識とも重なるようだと、根付けに似たスマホのストラップを見ながら私は頷いた。

 ところで私は8月16日のブログ「津軽の拳(けん)」で青森県人会の重鎮Tさんが、「青森県人は高いもの、広いもの、大きいもの、重いものが大好き」と語ってくれたことを書いたが、前述の「小さきものが日本文化の核心」という松岡正剛氏の見解とこれはどう整合するのだろう。

 この頃はあまり流行っていないが日本民族の二重構造論というのがかつてあった。

 乱暴に言えば、原日本人たる縄文人は日本列島全域に結構均一の文化を築いて居住していたが、朝鮮半島から北九州経由で弥生人が大量に渡来してきて日本列島中央部の文化を作ったため、北に追いやられた縄文人が蝦夷で、南に追いやられたのが琉球人だ‥というようなものだった。

 「小さきもの」が中央の弥生人の後裔による文化だとしたら、青森の文化は縄文のスピリッツだろうか。あのバカでかい「ねぶたとねぷた」を思い浮かべながら、あまり根拠もなくそんな妄想を私は楽しんだ。

2020年9月13日日曜日

再び三度「大阪市の廃止」について

   いわゆるトコーソーは、大阪市内の多くの無党派層、そして反対派といわれる自民党の支持層の中にもある、ムードとして「何か新しいことが起ってほしい」というような消極的賛成に支えられている。そしてそういう方々が住民投票の行方を左右する。

先日来の世論調査はそういうことを表している。しかし、そういう消極的賛成の人びとの理解や決意は決して堅くないと私は思っている。にもかかわらず、いわゆる反対派の人たちはメディアの世論調査に少し敗けていないだろうか。

 さて今回、大阪市選挙管理委員会は正しい決定をしたと私は思っている。

よく見てほしい。11月の住民投票の正式名は「大阪市を廃止し特別区を設置することについての投票」で、略称は「大阪市廃止・特別区設置住民投票」だ。

 維新がいわゆるトコーソーを誇大広告・不当表示しているからと言って、まるで「大阪都」を追認するかのようなフレーズを反対派もしばしばタイトルとして使用するのは如何なものかと感じている。

 もちろん、論戦の中身について使用するのは当然だが、折角の投票用紙(投票)なのだから、キャッチコピーは「大阪市廃止投票に反対を」ぐらいでもいいのではないか。

 維新の誇大広告・不当表示に生真面目に付き合うのが反対派のよいところかもしれないが、少し情報時代からズレていないか。

 焦点は日本を代表する政令指定都市である大阪市を廃止していいのですかと、もっとシンプルにそこを打ち出すべきでないですか。

 「あっ、そうなの?」という世論を巻き返しませんか。

 フェイスブックに「いいね!」を押していただいた皆さん。「いいね!」で止めずに、シェアをしたり、目についたトコーソーの記事に「大阪市廃止に反対します」のコメントをお願いします。

2020年9月12日土曜日

歌は世につれ

 いつでも半分居眠りをしながらテレビを見流しているような身であるから、決して「メディア評論家」の足下どころか足の爪先にも及ばないが、先日ちょっと良かったNHK BSの番組が二つあったので書いてみる。

 ひとつは、中島みゆき名曲集で、出演は中島みゆき、大竹しのぶ、華原朋美、クミコ、研ナオコ、坂本冬美、中島美嘉、中村中、満島ひかり、という豪華なものだった。

 知っている人には何ということもない話題かも知れないが、クミコが歌った『世情』(作詞作曲中島みゆき)の詞などには驚いた。(知らない方は検索してみて)〽シュプレヒコールの波 通り過ぎていく 変わらない夢を流れに求めて ・・ 何これ?
 
 近頃はカーラジオから菅田将暉の『糸』がよく流れてくるが、これも結構心に響いた。で、妻に歌ってもらって聞き直した。・・笑うなかれ!


   もうひとつは、『時代に翻弄された歌 イムジン河』で、フォークル、販売中止、キムヨンジャ、韓国、北朝鮮・・・、今では北朝鮮、韓国、日本で歌われるようになった歴史の重い重い重み。

 さて、蓮池薫氏の著書『半島へふたたび』に要旨次のようにある。
 「僕はイムジン河をピョンヤンで聴いたことがある。思いも寄らないことだった。
 キムヨンジャさんが北朝鮮のイベントに招待され、ピョンヤンで公演を行ったときこの歌を(日本語の詞を交えて)歌ったのだ。その様子がテレビで北朝鮮全土に放送され、おかげで僕もその懐かしい歌を聴くことができた。実に前代未聞の出来事だった。
 だけど、僕の涙腺を刺激したのは、北朝鮮の人たちがこの歌に抱くような「祖国統一への切ない思い」ではなかった。
 北朝鮮に拉致されて20年近く、「祖国」という2文字を心から消し去り、ひたすら子どものために生きてきたつもりだった。だけど、心のどこかでは、望郷の念、日本に帰りたいという気持ちを消しきれずにいたようだ。
 いまだ帰国を果たせずにいる拉致被害者の人たちも「イムジン河」の歌を聞いたなら、強い望郷の念にかられるに違いない。
 どうか早く彼らの背中に帰国への自由な翼をつけてあげてほしい。
 僕は日本政府に対し、こう願わずにはいられなかった。」

 ああ、思えばこんな波乱万丈の歌が外にあっただろうか。
 テレビでは、最後の方で当時朝鮮総連の幹部だった方が松山猛氏にビデオメールを送ったのもよかった。でも、こんな氷解にこれほど時間が必要だったのだろうか。加藤和彦、はしだのりひこにこの番組を見せたかった。

2020年9月11日金曜日

都について

   わが家から遠くないところに平城宮趾がある。ところで、平城宮と平城京の違いについて述べよ!は古代史のイロハのイである。一言でいえば宮(みや)は政庁のことで、京・都(みやこ)はその都市全体のことである。京・都は皇居・政府の所在する都市のことである。藤原京、平城京、平安京などは碁盤の目のように条坊制が敷かれた。

 こんなことを書いたのも、大阪維新がいわゆる大阪都構想を言い始めた頃、多くの、ほんとうに多くの歴史学者や国語学者が、その言葉の非常識に驚いたからである。

 まあ同情すれば彼らは「大都市」のイメージ、「東京都」のパクリで大阪都などと標榜(ただし誤使用)して、一部大阪人の東京コンプレックスに乗ったのだろうが、前述のとおり多くの歴史学者や国語学者は維新の知性の低さに腰を抜かしたのである。皇居や国会議事堂を移転させるつもりだろうかと。

 少し悲しいのは、在版メディアが率先してそれに乗ったことであるが、それはマスメディアの性癖かもしれない。

 さて11月には大阪市で住民投票が実施される方向で進んでいる。維新にとってみれば「大阪を都に」と言いたいのだろうが、さすがにそこまでの無茶は通らず、結局「大阪市廃止・特別区設置住民投票」となり、維新代表の松井大阪市長は苦虫をかみつぶした顔をした。

 現実には大阪市内の多くの無党派層、そして反対派といわれる自民党の支持層の中に、ムードとして「何か新しいことが起る」ような消極的賛成が少なくない。

 「日本を代表する政令指定都市を廃止して何か儲かりまっか」は、これから短時間の訴えの中でも多数派になる可能性は多いと私は思っている。

体内暦

   体内時計という言葉があるが、多くの昆虫には体内暦があるに違いない。
 今夏でいうと、つい先日まで真夏日や熱帯夜が続いていたが、お盆頃にはクマゼミやアブラゼミがスーッと鳴き止み、野をコオロギなど秋の虫たちにステージを譲った。
 コオロギとは言ったが、昨今の秋の虫の主役は外来種といわれているアオマツムシ。ああ。

 どう考えても”夏真っ盛り”というような先日までの気候とは関係なく、彼らは確実に暦を知っていた。まるで日の出・日の入りを観測していたように。不思議だ。
 その種の不思議を本能などというのは容易いが、「不思議だ」と思うところから科学が始まらないか。

 それに比べて、情報の提供がなければ暦すら実感できなくなった現代人の未来はいったい明るいのかそれとも暗いのか、私にはわからない。
 私などは暑いからと9月になっても写真の『筏』を眺めている。

 さて、予約してあった歯科に行った。
 診察券を出したら曰く、「予約は来月の今日ですよ」。私「#$%&?」。
 情報があってもこんな体たらくだ。体内暦以前の問題である。
 私の未来は明るくはない。

2020年9月10日木曜日

大阪市の廃止に反対する

 東京都と大阪府を比べてみると・・・
  ●2019年度税収見込み 5.5兆円:1.3兆円
  ●GDP 104.3兆円:39.1兆円
  ●東証1部上場企業 1.161:271  
・・・というのがトコーソーに賛成であろうが反対であろうが否定できない厳然たる事実である。
   つまり「経済」でいえば「桁が違う」のだ。

   だから、いわゆるトコーソーは維新による誇大広告というか不当表示で、住民投票で賛成が多数になろうが大阪府が東京都並になることはないし、「都」にすらならない。

 ならば住民投票で賛成が多数になるとどうなるのか。●日本を代表する政令指定都市である大阪市が廃止される。●大阪市が持っていた5.5兆円もの財産と権限と予算の多くが大阪府に移る。焦点はそこにある。
 そういう痩せ細った大阪市で、旧北区に吸収される他区が旧北区のおこぼれに預かる夢も実現などするはずがない。

 なので、今般の住民投票の投票用紙に『大阪市を廃止』と明記されたのは正当なことである。
 とすれば、維新やメディアのトコーソーなる誇大広告・不当表示にお付き合いする必要はさらさらない。
 と考えて私はあえてトコーソーでなく『大阪市の廃止に反対』という言葉を広めたいと思う。
 「名は体を表す」という言葉もあるが、この方が事実に即しているし、”何となく東京都並になるという誤解”を解く一石にならないだろうか。
 同意される方々は住民投票に向けて「大阪市の廃止に反対」という声を広めていただきたいと願っている。

2020年9月8日火曜日

新発見に感動

   この地球が含まれている天の川銀河は円盤のように回っている。「それぐらいのことは知っている」
 その回転速度を計算で説明しようとすると天の川銀河の星の総重量では足りない。「そういうものか」
 星の総重量の5倍以上の重さの何かがないと合わない。それがダークマターだ。「ここまで来るとお手上げだ」
 ダークマターは宇宙の物質の約85%を占めているのに正体は解っていない。本命は未発見の素粒子と見られているらしい。以前はブラックホールが有力視されていた。
 科学者は種々の新発見に驚いているが、私は赤旗日曜版9月6日号がこれを解説していることに新発見のようにとても驚き感動している。

 私などはラジオの『こども科学相談』でブラックホールの質問をしているのをただただ感心しているだけだ。
 「宇宙には果てがない」ということも”感覚では”理解できない。
 カミオカンデがニュートリノを発見した話も昔話だろうか。
 ゼノンはアクシオンを検出したのか。
 言えることは、赤旗の守備範囲はとてつもなく広くかつ科学に対して謙虚であることだ。

 巷間、コロナをめぐってもいろんな諸説が飛び回っている。「年内にワクチンができる見通しがついた(吉村大阪府知事)」というような類である。
 複雑なモノゴトを単純に語るのは危険である。
 「郵便局を民営化したら全てがバラ色」とのワンフレーズに誘導された結末を思い起こそう。
 「二重行政」「トコーソー」も同類だと見抜く力が科学的態度だと思う。

2020年9月6日日曜日

台風10号、キューバの教訓


 特別警報級の台風10号が九州に接近している。
 3.11の大津波ではないが、いわゆる「正常化バイアス」が働くと命の危険がある。
 変な経験値を払って、カリブやアメリカ東部のハリケーンを想像する必要がある。
 私は512日に私のブログyamashirodayoriで、枝廣淳子氏による『レジリエンス(resilience)』のことを書き、次のとおりキューバの市民防衛法を少しだけ紹介した。

 ◆ キューバのハリケーンのすさまじさは日本の台風の比ではない。「市民防衛制度では、リスクが高い地区のことをまず調べ、次にそれを減らすために対応を行う。政府や公社等はもちろん、企業、病院、工場等あらゆる組織が、何が脆弱で何を守るべきか、災害時には何をすべきか計画を立てている」
 「優れた気象観測技術を駆使して予測し、いち早く危険を知らせ、水、食料、電気と万全の準備をしたうえで安全な地帯に避難する」
 「ハリケーンが接近する前に、飲料水が運ばれ、病院、パン屋、食品加工センター、ホテル、学校、電話センターには72時間稼働する発電機が準備される」
 「直撃の予想で避難命令が出れば、避難にかかる費用はすべて負担されて避難する。1998年のハリケーン・ヘルでは対象地域から818,000人と750,000頭の家畜が72時間内に避難した。ペットも避難できるしペット用の獣医も配置される」
 「出た町には泥棒が入らないよう警官が配備される」
 「避難所には診療所、ベッド、医療機器、資材が用意される」などなどなど・・・、

 米国の関係者も「たとえ我が国の政府がキューバ政権をどれほどけなそうとも、大成功していることは事実だ」と述べている。◆

 今は安倍政治や新自由主義を批判するだけでは済まない。
 キューバのハリケーンを想像して臆病すぎるほどの対応が必要だ。

2020年9月5日土曜日

ホンネのトコーソー

   地方自治というか少しでも公務のことを知っている者なら、村よりは町、町よりは市、普通の市よりは中核市、中核市よりは政令市(政令指定都市)になってその分自由度の高くなる権限と予算を住民自治のために発揮したいと願うものだ。これは常識に属することである。

 だから桁違いに予算の潤沢な東京でも、特別区は「区をやめて市にしたい」と要望している。
 なので、テレビのワイドショーなどの東京のコメンテーターは、「なぜ大阪市でトコーソーを議論しているのかが判らない」と口を揃えている。

 その上に、「二重行政」も「無駄を省く」も全く実体のない、それどころか市民の福祉、セーフティネットにとって有害極まりないことがこのコロナ禍でも証明されている。

 そんな「大阪的」に言えば「儲からない」構想がなぜそこそこの支持を得、維新が支持されているのか。
 私はただ一言、その宣伝文句が「一部大阪人の東京コンプレックス」をくすぐっているからだと思う。

 その精神的土台を作っているのは在阪テレビ局である。
 曰く、「東京の嘘っぽい建前論に対してホンネの大阪」「東京がなんぼのものじゃい」で、多くの在阪テレビ番組やコメンテーターなる少なくないヨシモト芸人によってそれは繰り返されている。

 私は若い頃東京にいた。特にこだわることも力むこともなく大阪弁を貫いてきた。しかし、大阪から東京に来て、やたらに下品な大阪弁をこれよがしに大声で語る集団(決して一人ではそうではない)がいて恥ずかしい思いをした。言外に「私はコンプレックスを感じてます」と宣言しているように見えた。

 「東京が都なら大阪も都と言いたい」。そんな恥ずかしい立ち居振る舞いはいい加減にしてほしい。
 わが家のルーツは船場であるだけに、維新のトコーソーに見え隠れする下品さとコンプレックスに私は悲しんでいる。

2020年9月4日金曜日

シルクロード

   1980年にテレビで放映された『シルクロード』のデジタルリマスター版がいまNHK BSで再放映されている。
 撮影・製作が40年前という歴史の隔たりは自分の頭の中で修復しつつ、楽しく観賞している。

 主人公は、後の中華文明が北狄、西戎と呼ばわった民族と文化である。思いつくままに挙げてみると、モンゴル、チベット、ウイグル、ソグド、チュルク、トリキスタン、カザフ、キッタン、タングート、マンジュ、ペルシャなどなどの民族名が出てくる。
 そして実は中国の中原や北半分等に大帝国を築いたのも少なからずこういう遊牧民であった。
 しかしながら日本では、いわゆる農耕漢民族を文明人と見て、この種の遊牧民を「野蛮人」と見なす歴史観が大勢ではないだろうか。『シルクロード』の基調もなんとなくそんな気がしないこともない。

 そんなもので、近いところでは楊 海英(モンゴル名オーノス・チョクト)著『逆転の大中国史―ユーラシアの視点から―』を読み返し、古いところでは1966年の江上波夫著『騎馬民族による征服説』と2015年のシンポジウム『騎馬文化と古代のイノベーション』を読み返した。

 それぞれの大論文を要約する能力は今のところない。
 ただ改めて、”定説のような枠”を超えて思考する”感動”を覚えたことは付しておこう。

 かつて奈良公園の一角に江上波夫コレクションが展示されていて、私はよく見に行っていた。今は県立橿原考古学研究所付属博物館に移されていて(私は遠くなって)残念だ。
 ところで、江上波夫氏の『騎馬民族征服王朝説』については、シンポジウムのコーディネーターの上野誠氏が次のように述べている。

 ◆ 江上波夫の騎馬民族征服王朝説という学説は、三つの点で不思議な学説である。
 第一は、古代史でこれほど著名な学説はない。・・・江上の専門は東アジア考古学で、・・・この巨大な仮説が立てられたのは、その視野の広さによるところが大きい。日本、朝鮮半島、中国はもとより、北方アジア、西アジアに及ぶ見渡しがなければ、こういった学説は生まれてこなかったであろう。
 もう一つは、提唱後70年経った今も・・・再検討される学説だということだ。このような学説は他に見当たらない。稀有な学説なのである。
 三つ目の点は、学説の一部について支持する学者はいるものの、学界において積極的な支持者が皆無だということである。であるにもかかわらず、無限の示唆を与えて、学界を刺激している点がおもしろい。◆

 時代は古市・百舌鳥古墳群の時代である。いわゆる河内王朝論とも重なる。
 応神は仲哀が死亡してから十月十日経って生まれたとされている。日本書紀に誘導されずに高所からその時代を俯瞰する必要があろう。
 西安を経ずに、日本文化の相当な要所にシルクロードの騎馬文化が押し寄せたことは間違いない。と私は思う。

2020年9月1日火曜日

疫病退散のお札

   東大寺から『青面金剛法之寶牘(しょうめんこんごうほうのほうどく)』というお札を送っていただいた。
 曰く、「青面金剛は元は疫病を蔓延させる鬼神だが、正しく修法を行うと病魔や悪鬼を退散させることができる尊像」ということで、今般特に東大寺において疫病退散の祈願、勤修がされているという。

 説明文によると、青面金剛尊は中国の道教思想に由来し、中世以降は庚申信仰と結びついたらしい。なら町の庚申堂や軒先の「身代わり申(さる)」のあれである。人の体内には三尸(さんし)が潜んでいて、庚申の夜、人が眠っている間にその人の悪事を天帝に告げにいくから、その夜は青面金剛に向って徹夜で庚申講を催すのである。
 
 さてご案内のとおり、安倍首相が退陣を表明した。
 これについて識者がいろんな論評をされているが、私はしんぶん赤旗に掲載された内田樹教授の寄稿文に大いに共鳴した。一部文字を付加して以下に紹介する。

 ◆ 安倍首相の7年8カ月で、日本の国際社会におけるプレゼンス(存在感)も、経済力も、文化的発信力も、あらゆる領域で国力が落ちました。いまや多くのランキングで「先進国最下位」が日本の定位置になっています。
 これは政治家・官僚・財界人・メディアの上層部の倫理的なインテグリティ(廉直、誠実、高潔)が壊れてしまったことが原因です。
 どんな国民も自分たちの国が道徳的に範例的であるという「幻想」を必要としています。どれほど軍事力があっても、経済力があっても、国民が「われわれは私利私欲のためだけに行動する」と自認している国はいつの間にか壊れてゆく。
 安倍政権では、「権力を持つものは道徳的な模範である必要はない」ということが新しい常識になりました。一般人には許されないふるまいも、権力者とその周辺の人間には許される。それこそが「権力を持つことのメリットだ」というみすぼらしい事大主義(風見鶏的ご都合主義)を、多くの国民は「リアリズム」だと信じるようになりました。この道徳的シニシズム(冷笑主義)が日本社会を根元から腐らせました。
 権力を持つ人間には一般人以上に高い倫理性が求められるということが再び常識に登録されるまで、日本の没落は止まらないでしょう。◆

 ・・・余談をくわえれば、私はこの安倍政権に維新の皆さんを補足しても何ら不思議でないように思う。
 そこで三尸の蟲だが、内田教授が的確に指摘した明々白々な事実を、忖度とは思いたくないがどういうわけか天帝には報告していないように見える。

 ならば私たちは、青面金剛尊に疫病退散を祈ると同時に、データやその先の医薬開発という利権のためにPCR検査を抑制し、「無駄を省く」という名目で保健所や病院や福祉の予算と体制を削りに削った安倍自公政権の反倫理性を、祈りとは別に大きな声で世に訴えなければならないと思う。
 ニュースではその酷い政治の中心で行動してきた人物が次期首相の有力候補という話もある。

 庶民であれ宗教家であれ、この国では「幻想」であれ「痩せ我慢」であれ、もっと倫理性をテーマとして大事にしなければならないのでは。
 東大寺さん、ありがとうございます。