2011年9月19日月曜日

美しくも悩ましい盗人萩

 木偏に春が椿なら、草冠に秋は萩である。
 柳宗民氏の本によると「最近は海外でも日本庭園が大流行だが、萩を植えられているのは見たことがない。」「これは西洋人と日本人の美意識の相違によるものだと思う。」と書かれている。
 海外にだって風情を感じる人士は居るに相違ないが、マスで語れば四季のはっきりしたこの列島(と言っても南北に長過ぎるが・・)に特徴的な美意識なのかも知れない。私にも異存はない。とりわけ古刹に萩はよく似合う。

 しかしながら、花の美しさではそれほど見劣りはしないものの、我が散歩道の盗人萩(ぬすびとはぎ)だけにはホトホト閉口している。
 市役所の草刈り後一番最初に成長してきて、「我が世の秋」を謳歌しているのも憎らしい。
 ところで、増村征夫著の図鑑に「和名は果実の形を盗人の足跡に見立てたもの。」とあるのには驚いた。
 私も妻も、しらばっくれる盗人に「観念しろやい。おめえの裾の萩の実が忍び込んだ証拠でい。」と何故か江戸弁の芝居を想像させるほどしつこい「ひっつき虫」故の語源であると信じていた。
 これって全くの誤解だったの????
 読者の皆さんの感想をお伺いしたい。

2 件のコメント:

  1.  所謂「ひっつき虫、くっつき虫」の類は、植物の知恵の見事さを現していますね。蘭などの巧妙な仕掛け(昆虫を誘い込む)程ではありませんが、きれいな花やなーと近づく人の裾にひっつくだけの仕掛けですが、その単純さが良いです。

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  2.  ひっつき虫といえば、オナモミのその単純さから学んだ人がマジックテープを発明した。(厳密にはオナモミではなく別のひっつき虫だったようだが)
     だが私は盗人萩を憎んだだけで何の発明もしなかった。

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