2022年4月30日土曜日

メーデー かいこ

   「メーデー回顧」というよりも「メーデー懐古」の気分になっているが、こういう一つの吉書(きっしょ)(=明日は5月1日)であるので、愚痴を重ねて書いておく。大阪メーデーの集会についてである。

 コロナ前の集会のことだが、どうも私には行事のマンネリズムが気になって仕方がなかった。

 その典型はプラッカードコンクールの表彰で、入賞作品(グループ)が、圧倒的な参加者からは見えない「会場前方」で紹介されることだ。

 どうして壇上の雛段の皆さんを一歩後退させてそのスペースで紹介しないのだろうか。そして、そういう進行計画に実行委員会の誰も(誰もかどうかは知らないが多数は)異議を挟み新提案をしないのだろうかと不思議に思って仕方がない。

 単にプラッカードコンクールのことではなく、そこに現れているように感じられるマンネリズム、言い換えれば「新しい運動を造るんだ」という気分が感じられない大阪メーデーでよいのかという私の疑問である。さらにいえば、主人公は役員や来賓ではないよ。

 「単なるお祭りにしてはならない」という決意は解る。それと硬直した前例踏襲主義とは違うはずだ。夕刊や翌日の新聞記事の「勇ましい集会」と、扇町公園のギャップを感じるのは「心配性」のせいだろうか。

 今年の大阪の集会は「組織代表者のみの集会とYou Tube 」となったが、コロナ禍が収束して皆が集まる集会になったときには、是非とも参加者が主人公になる元気の出る集会を企画してもらいたい。現役の皆さん、頼みます。

 明日5月1日は11時から、下記の You Tube で連帯しよう。

https://www.youtube.com/channel/UC2HVTjeJGnMkgF_M-cFI0PQ/featured

2022年4月29日金曜日

ちひさきもの 2

   総じて(ということは例外もあるが)、ちひさきものは平和的である。
 今日の話題は道端の小さな花。

 「芝生の芝に花が咲いた」という誤解の第一番はニワゼキショウ(庭石菖)だが、それにほゞ匹敵するのが写真のサギゴケ(鷺苔)で、芝の花でなければ「新種のミニすみれ」という誤解になる。(そもそもサギゴケは苔ではない)
   私も最初はスミレだと信じた。

 サギゴケは、いわゆる雑草だと思っていたが、ネットを開けると通販の商品に載っていた。盆栽扱いされているようだ。今風にいえば「かわいい」。

 孫の凜ちゃんは奈良公園近くの病院にも通っている。凜ちゃんの母親(私の娘)が別に特段の用もないのに「お父さんもついてくる?」と言って誘ってくれた。

   巣籠りを心配してのことだろう。その奈良公園はサギゴケの最盛期だった。

 えッ、サギゴケは鹿は食べないの?とネットを繰ってみると同じような疑問の文章があったが、結論は判らない。GW、奈良公園に行かれたらサギゴケも楽しんでください。

2022年4月28日木曜日

バードウィーク

   毎年5月10日から16日がバードウィーク(愛鳥週間)だが、丁度この辺りで子育てをする野鳥が少なくない。
 その頃に子育てということは、4月中下旬が恋の季節、求愛の季節である。
 囀り(さえずり)という鳴声は求愛の鳴き声である。

 人間も三角関係になると穏やかではなくなるが、野鳥、特に♂(オス)にとっても重大な時期で、求愛に失敗すると、人間と違って、原則として1年間を棒に振る。

 写真は隣家の屋根の上の出来事であるが、鮮やかな婚姻色からして2羽ともイソヒヨドリの♂である。ということは餌場の縄張り争いというよりも恋の縄張り争いらしい。

 十数年前、私が「新発見や~」と驚いたイソヒヨドリも、今では「海なし県」の奈良県で繁殖が普通になってきた。「磯ヒヨドリ」という名を「元磯ヒヨドリ」と改名しないと頭がついて行かない。


※ 4月28日は1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効の日。「ちむどんどん」の沖縄「屈辱の日」。 

 GWの過ごし方に悩む前に、ちょっとこんなことも心に留めてほしい。「沖縄の屈辱」は今も続いている。写真のフィギアは祖国復帰闘争の英雄カメジロー。

2022年4月27日水曜日

風土

   和辻哲郎の著作『風土』が思い浮かんだが、些かロマンチックな自然環境とは程遠い「企業風土」という言葉として思い浮かんだ。

 17年前のJR宝塚線脱線事故関連のニュースと重なって知床半島観光船遭難事故が報じられたためである。

 悲惨で厳粛な死亡事故を軽々に語ることには躊躇もあるが、両者に共通するのは経済、もっと卑近な言い方をすれば「金もうけ」優先のために人命が軽視されたということではないだろうか。

 そういう考え方を「新自由主義」などと言って大いに推進してきた小泉政権以降の自民、公明による歴代政権の罪は重い。

 「新自由主義」とは哲学的には「市場原理主義」である。100%市場に任せるというほど単純な論は吐かなくても、政治などが介入しないほど経済は真っ当に発展する。公共の部門にも市場の原理を導入、もしくは市場へアウトソーシング(外注)するほど上手くいくというものである。維新の主張はその先端と言える。故に維新の「党」の伸長は非常に危険である。

 故宇沢弘文先生は「社会的共通資本」の中で、公共部門への市場論理の導入の有害性を鋭く追及されていたし、内田樹先生も、何事の発想をも株式会社の手法で対処しようとする愚について警鐘を鳴らしてこられたが、今一度こういう話を大きな声で語るべき時ではないかと私は思う。

 「新自由主義」は社会を壊す。国を壊す。その先頭を切っているのが維新である。

2022年4月26日火曜日

黄金虫はすごい

   野口雨情の「こがね虫は金持ちだ」 の「こがね虫」はゴキブリのことだがそれはさておく。
 さて、コガネムシの仲間の中の主将格はカブトムシだろうが、我がブログに度々登場したルリコガネなどの糞虫もそうである。糞中を好きか嫌いかは評価が分かれる。

 身近なところでは樹液を好むカナブンなどもおり、そして写真のとおり花の蜜に寄ってくるハナムグリがいる。美しい。

 そして、私自身よくは知らないのだが、それらの幼虫の内の一派は落葉などを分解して害はないのだが、他の一派は花や野菜の根を齧って枯らしてしまう。
 無害な一派には申し訳ないが、これらの芋虫は見つけたら道路に捨てることに私はしている。野鳥の餌になる。※

 それよりも舗装や農薬によってこの種の昆虫は激減しているように思える。
 先日、テレビの『満天☆青空レストラン』でキャベツ畑が映っていたが、見事なキャベツ畑にモンシロチョウが1匹も飛んでおらず、ある意味背中が寒くなった。

 ※ 本によると、コガネムシの幼虫で、地面に転がしたとき、仰向けになり、背中でへこへこと歩き出すものがいる。ハナムグリかカナブンの仲間で、腐葉土を分解して植物の栄養吸収を助けている。そっと戻して仕事に励んでもらうのが吉。・・というのがあった。

2022年4月25日月曜日

ちひさきもの

   清少納言の言葉に「ちひさきものはみなうつくし 」(枕草子151段)というのがある。
 松岡正剛氏はそれを日本神話の少彦名(スクナヒコナ)や最古の物語のかぐや姫、それに短詩(和歌や俳句)、茶室、盆栽、根付などなどなどなどを牽いて日本文化の特徴と論じている。なるほどというところも「そこまで言うか」というところもあるが、面白い。

 小さいは、空間でいえば狭いであり、私も小さい頃は「広場恐怖症」ではないが、押し入れの中に小さな部屋を構えてそこで過ごすのが好きだった。
 そして思うに、総じて「小さきもの」は平和志向のような気がするが如何だろう。

 対極に連想できるのは大国主義、帝国主義で、その醜悪さは日々のニュースの種になっている。その伝で言えば、70数年前の大日本帝国は日本文化を逸れたもの、歴史の邪道であった。
 だから、戦後民主主義を嫌い戦前回帰を願望する右翼の言葉に「日本の伝統」などと出てくるのは大いに可笑しい。

 五段飾りの五月人形を手放したことは過去に書いたが、そのあとに写真のようなプチ飾りを飾ることにした。左右はほぼ10センチ。

   兵戈無用(ひょうがむよう)兜は飾るだけがよい

2022年4月24日日曜日

季節の音(ハルゼミ)

   林の奥からハルゼミ(春蝉)の声がする。この声を生命力の象徴と思うか木の芽時の憂鬱と感じるかは人それぞれだし、その年その年の環境によるだろう。

 今年の私は半々といったところだ。 

 本によるとハルゼミは極端に松の木を頼っているという。そのため、松枯れによる松の木の減少とマツノザイセンチュウ対策の農薬のため激減しているらしい。

 だからこれからは前述の二つの感情以外に、過酷な環境悪化とその下で生き抜いている小さな命を思うことにしよう。

 https://photos.app.goo.gl/BAFMek8cjD1gnGqp6

2022年4月23日土曜日

またも ポカ

   テレビが病んでいるのか日本語の乱れなのか知らないが、テレビの画面でやたらにモノを食べて「あま~い!」というようになってから久しい。

 テレビでは美味しい、旨いのことをひっくるめて甘いというようになっている。それに違和感を持つ私の方が少数派かもしれない。

 畑から引っこ抜いた野菜を齧ってあま~いはないだろうと思うのだが、この世は「あま~い」というべきだ!という同調圧力が効いている。

 それをパンでいうとテレビではこれが「ふわふわ」だとか「もちもち」となる。多様な嗜好を許さないというほどの念力さえある。

 当然私はふわふわやもちもちでないパンらしいパンが好きである。そして私が日常に食べたい食パンは、そんなにこだわっている特殊なものではないのだが、近所の大きなショッピングモール大きなパンコーナーには置かれていない。すごい時代になったものだとため息をついている。

 だから、日常の買い物とは別に別の店に出かけなければならないのだが、出不精の私にはそれがウオーキングの理由付けになっているから、置かれていないことにも感謝している。(少しだけ怒っている)

 その散歩を兼ねたパンの購入に出かけたが、夕方には孫の凜ちゃんが寄るのでチョットした何かも買ってやろうと思いながら行った。

 結果、凜ちゃんのチョットしたものや自分のパンは買ったが妻からオーダーのあったパンを買い忘れて帰ってきた。ポカである。認知症だと笑われたり、「私への関心が薄い」と妻に叱られた。出かける際にはメモの作成が必要になってきた。いよいよである。

2022年4月22日金曜日

この国をロシアのようにしてはならない

   安倍元首相は21日、靖国神社春の例大祭に参拝後「ウクライナでは祖国を守るために多くの人達が命を懸けて戦っている。そういう勇気ある尊い犠牲の上に国が守られている。そのことも念頭に置きながら静かに参拝した」と語った。
 
 毎日毎日ウクライナ庶民の悲惨なニュースを見続けていると、「それも言える」と思ってしまいそうだが、安倍元首相は「桜を見る会」前夜祭に関して衆議院調査局が20201221日に「201911月~203月に事実と異なる国会答弁を118回していた」と明らかにした人物だけのことはある。
 
 いま日本国民が注意すべきは、ウクライナのようにならない心配ではなく、日本が、プーチン政権下のロシアのように、情報が統制され、自由な表現が禁止され、他国へ侵略する、その戦場へ送られて人を殺し殺される国にしないことだろう。
 
 「そんなことは当然だし日本はそうならないだろう」という漠然とした思い込みを一時停止して、冷静に自民や維新の議員の発言を読んでほしい。

 ショックドクトリンという言葉がある。大災害などで多くの国民がショック状態にある時、「まどろっこしい民主主義は邪魔だ」「権限の集中だ」「権利の制限もやむを得ない」という扇動はリアルに広がりかねない。 
 ウクライナを軍事以外の方法で支援しつつロシアの制裁を強化する外交と共に、内政で大切なことは「この国をロシアのようにしてはならない」ということだろう。

余談ながら、火事場泥棒的に核の共有や非核3原則見直しを煽る維新は、一方で鈴木宗男氏が「ウクライナにも責任がある」と発言を繰り返すなどロシアを事実上擁護している。こういう論調は一部週刊誌にも見えてきており注意すべきだと思う。

ちなみに、ウクライナの大統領や軍隊のことについて私はあまり知らない。だから知らないことについては論評していない。あえて言えばただ一点、どんなに意見の相違があっても他国に侵略し大量虐殺をしてはならないの一点でロシアを批判し、ロシア軍の撤兵を求めている。

2022年4月21日木曜日

平和主義者

   「話せばわかる」は夢物語なのだろうか。
 プーチンを見ていると今の世界は中世ではないかと思ってしまう。
 テレビの歴史講座の番組で「中世の武士というのは私設暴力団」と解説していた。

 かつて民主党政権の官房長官仙谷由人氏が「自衛隊という暴力装置」と発言して「炎上して」謝罪したことがあったが、「軍隊というのが公の社会的暴力装置」というのはアカデミックな社会学用語であるから謝罪する必要は全くなかった。(ちょっと脱線)

 さて、昆虫の世界にも専ら狩りで暮らす者もいるが、強面(こわもて)ながら実はそうでないのもいる。
 クマバチはお花を愛する平和主義者ながら誤解されている。
 ただ、誤解されている理由も判らなくはない。
 道路のような人間の生活圏に入って来てブーンと顔の近くを飛んだりする。
 ホバリングしている様はある種の戦闘態勢に見える。
 同種の昆虫が来たなら威嚇して追っ払っているようだ。

 もう一度言うがクマバチは平和主義者である。
 こちらを睨んでホバリングをしていてもコンニチハと挨拶をすればよい。

2022年4月20日水曜日

孫の卒園

   歳月は冷たきまでに平等で療育園を児(こ)は卒園す

   4月19日付け『読者の文芸』短歌・畑谷隆子選に採っていただいた。
 友人のひげ親父さんから「冷たきまでに平等で、は複雑な感情が・・」とメールがあった。
 療育園の園児と言ってもまことに様々なのだが、孫は体も小さいし言語その他の発達もようやく緒についたばかりだというのに、「もう6歳だから卒園で学校へ」と言う。

 そのような歳月の文句なしの「平等」を喜んでよいのか悩んでよいのか。もやもや。もやもや。
 その気持ちを詠ってみた。でも、とりあえずはめでたい。卒園パーティーもわが家で行った。

 重ねて言うが、年齢で一律に小学生にする制度が理不尽だと異議申し立てをしているわけではない。
 ただ、もやもやというか、心配というか、障害に応じた丁寧な教育をしてもらえるのだろうかと爺ちゃんは一人悶々としている。

 さて俳句の方は、コロナを念頭に、
 園児らは運動会もなく卒園す

 接触者出て卒園式は個別

 の2句を投句したが、これは採ってもらえなかった。

 孫の毎朝は、療育園の送迎バスから特別支援学校のスクールバスに代わったのだが、「まったく違和感もなくバスを楽しんでいますよ」と学校の先生方がニコニコと伝えてくださった。
 ほんとうは、そういう手こずる違和感や人見知りも「あるべき発達」なのではないのかと思うとこれもけっこう複雑なものなのだが、孫は陽気な児童ということでとりあえず学校も支援センター(学童保育のようなもの)の方々も誉めてくださっている。そのことも含めて、この児は周りに幸せを撒く天使のようだ。爺ばか極まれり。

 願わくば、アインシュタインさま、この児らの時間を別建てで、少しゆっくり刻んでいただけないでしょうか。

2022年4月19日火曜日

あらららふしぎ

   〽 あらららふしぎ あらふしぎ・・孫の凜ちゃんは言葉も明瞭に発声できないが、よく聞くとこんな歌の一節を歌っていた。NHK Eテレの乳幼児番組で流れていた『たんぽぽ団にはいろう』という歌で、この一節だけは私も一緒に歌えるようになった。

   もう何回も書いたが、春にはわが家のすぐ近くにタンポポ畑が出現する。
 街路樹の足下の緑地で、そのうちにヌスビトハギの畑になる。
 中公新書『雑草のはなし』によると「外来種のセイヨウタンポポは1年中何回も発芽するのに対して在来種のニホンタンポポは秋まで発芽しない」から、このように春と秋、タンポポとヌスビトハギが一つの土地を有効活用しているみたいだ。

   花の下の外総苞片(ガイソウホウヘン)が反り返っていないしニホンタンポポには間違いないが、カントウタンポポかカンサイタンポポかは見分けがつかない。社会学的に眺めればカンサイタンポポに違いないだろう。(反対に、関西のど真ん中でカントウタンポポだったら大発見やぁ)

   シロバナタンポポも少なからずある。
 新聞記事などではニホンタンポポがセイヨウタンポポに駆逐されたというような記事がままあるが、先の本では「駆逐したのは人間だ」と指摘は鋭い。

 自家受粉しない(つまり群生が必要)。タネの数がセイヨウタンポポに比べて大幅に少ない。タネが秋まで発芽しない。その間に土地の開発が進む・・というようなことで激減しているらしいが、開発が収まれば写真のようなタンポポ畑は残る。
 〽 ぼくらは春いろ たんぽぽ団

2022年4月18日月曜日

平城京の瓦

   7世紀の乙巳の変(いわゆる大化の改新)の舞台は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)だった。古代史を勉強し始めた頃は「ええッ宮殿が板葺きの屋根だって?」と最初は変な気がしたが、考えてみれば板葺きの建物は「貧相」なものというよりも、縄文以来の草葺きの屋根ばかりの中に聳え立つ超近代建築だったことだろう。

 それから程なく、日本で最初の寺院・飛鳥寺が建立され、瓦葺きが寺院や宮殿の屋根を飾った。
   さらにそれから藤原京が造営されたのだが、その瓦は現在の堺市、和泉市、大阪狭山市にまたがる陶邑(すえむら)で造られていた。
 渡来系の技術者集団というから当時のシリコンバレイといった感じだろう。
 感想でしかないが、旧西除川を北流して河内湾あたりからUターンをして旧大和川で大和に運んだのだろう。
 和泉以外にも、近江、淡路、讃岐等も産地であったらしい。

   ところが藤原京から平城京へ遷都する際には、需要の拡大、技術の進歩、運送の合理化と思われたのだろうか、平城京のすぐ北の平城山(ならやま)の丘陵地帯に窯を造り、瓦を焼き始めている。瓦窯(がよう)跡と呼ばれる遺跡がその辺りに解っているだけで7箇所発見されている。

   平城遷都1300年祭というイベントが2010年(平成22年)にあったが、1300年後のその辺りはニュータウンになり、畏れ多いことながら私などもその上に住まわせてもらっている。

 ニュータウンの中心部は近鉄京都線高の原駅で、駅前のシンボル的な大きな陸橋には、開発途中で発掘された鬼瓦、平瓦、軒瓦のレプリカが飾られている。時々、ハイクを兼ねたそれらしき集団が見入っていることがあるが、住人の99,9%は振り向きもしていない。もしも~し! 少し休憩がてらに案内板など読んでみませんか。

2022年4月17日日曜日

ウグイスの谷渡り

   毎日ベランダでウグイスの美声を聴いているが「よし、撮影に出かけよう」という気力がわいていない。声だけで満足している。我ながら情けない。

 散歩がてらの撮影では、枝葉に邪魔されて、しかも一瞬も止まらずに動き回るから、ヒトサマに公開できるような写真は撮れていない。そんなもので過去の写真でお茶を濁しておくのを勘弁してもらいたい。

 16日の朝ラジオを聴いているとアウトドア派で著名な方お二人が、投稿の『ウグイスの谷渡り』について、「いざ問われるとどういうことだったか??」と言葉を詰まらせて、少し後にスタッフが調べた結果を「ウグイスが尾根から尾根へ谷を越えて飛んでいくこと」と読まれていた。後で調べると多くの辞書のトップはそうなっていた。でもね・・・。

 ただ私の感覚では、ウグイスの飛ぶ姿はそれにわざわざ名前を付けるほど別に優雅でもなんでもなく、「ウグイスの谷渡り」とは、姿ではなくウグイスの有名な鳴声に付けられた名前である、地鳴き(笹鳴きともいうチャッチャッチャ)、さえずり(例のホーホケキョ)、そして谷渡り(キョキョキョキョキョキョケキョ ケキョ ケキョ・・・)、の「谷渡り」だと感じている。だから「それは違うで」とラジオに向かって呟いた。

 辞書の編纂については『舟を編む』などでそのご苦労は重々知っているつもりだが、ここはどうもインドア派学者の弱点のような気がする。広辞苑その他の辞書にも不満がある。

 You Tube に「谷渡り」の動画を見つけたので貼っておきたい。この動画でもウグイスは谷の上を飛ばずに一箇所に止まったまま「谷渡り」を鳴いている。谷を渡っているのではなく、谷を渡りながら鳴いているのでもなく、谷を渡って飛んでいるかのようなイメージの鳴声のことなのである。

2022年4月16日土曜日

勲章 呉れんたい

   古い漫才のネタに「NHK大阪放送局はどうしてJOBKか?」「ジャパン オオサカ バンバチョウ(馬場町) カド(角)」というのがあったが、その辺りはザクッと言えば法円坂で、15日の記事の難波宮(ナニワノミヤ)の大極殿のすぐ横である。

 時代は遥かに飛び越えて、昭和の戦前のその辺り一帯は大日本帝国陸軍歩兵第8連隊の兵舎であった。

 私が小さい頃などは大人たちが普通に「〽またも敗けたか8連隊。これじゃ勲章9連隊」と歌っていた。9連隊は京都、そして商都大阪の8連隊は弱いので有名だったらしい。ただしこれには反論があるらしく、商都大阪の8連隊は計算の合わない玉砕戦法などをとらなかったからという指摘もある。

 司馬遼太郎の本にあったように思うのだが、中国戦線で「他の部隊は食料などを現地調達ということでかっぱらっていたが、8連隊は商売人のため金を払って購入したと自負していた」というのを読んだ記憶がある。そのようなことは従軍していた叔父から聞いたこともある。

 その8連隊の兵舎が昭和40年代までその辺り一面にあり、戦後は国の役所の庁舎になっていた。そして、そういう難波宮大極殿の真上辺りに私は勤務していた。

 その勤務(就職)の少し前、昭和30年代、山根徳太郎氏の献身的な発掘調査の結果、周りからは「あれは山根の宮だ」などという陰口を浴びながら発掘は進んでいた。私の高校の先生はその歴史的な意義などそっちのけで、山根博士の発掘の苦労の歴史を感動的に熱く語ってくれたものだった。

 その後、NHKも国の官庁も西側の大手前などに移り、そこでも私は勤務したりした。それでも難波宮の印象が濃くならないのは史跡としての整備が不十分だからだろう。大都市故の理由はわからなくもないが、平城宮趾の場合はその広さだけをもってしても古(いにしえ)の都が浮かんでくる。

 大阪府市政は、カジノなどにうつつをぬかすのでなく、文化の裾野に力を入れるべきだと私は思う。

2022年4月15日金曜日

難波宮(後期なにわのみや)謎の前殿

   古代史の小笠原好彦先生から新聞記事のコピーをいただいた。
 聖武天皇の造営した後期難波宮の謎の前殿で、以前に講義で教えていただいた話が産経新聞で大きく紹介されていた記事だった。

 発掘調査の結果、後期難波宮には他の宮にはない内裏(だいり)正殿の前に前殿があったということで、「これはいったい何だ」という話。
 小笠原先生は「内裏正殿では、天皇が高い位置からその前の屋外の前庭に高位の官人を集めて詔を発していたが、気候がよくない場合もあり、官人たちのための屋根付きの建物だったのだろう」「唐から帰朝した知造難波宮事の藤原宇合の新しい知恵だろう」と述べておられる。
また歌舞を献上した舞台の可能性もある」と。

    この内裏跡にほど近く建てられた大阪歴史博物館の復元模型では、この前殿を通常の建物として復元しているが、それだと内裏正殿の威厳が著しく阻害されるから、この復元模型には疑義があり、きっと高床も壁もない吹きっぱなしに近い建物だろうと指摘されている。
 有名な博物館にしてこうだから、学問というのは鵜呑みにせず、いろんな反対意見を自分の頭の中で戦わせなければならない。また、そこが面白い。

 ところで、そのように合理的な建築物が、後の長岡宮にも平安宮にも採用されなかったのは何故か? こうして勉強には終わりがない。あ~あ。

2022年4月14日木曜日

小林節氏の提案

 乙部 宗徳氏のFB、非常に意義ある記事と思うので引用させていただく。  ·


   🔳 ゲンダイ412日発売の「小林節が斬る! ここがおかしい」は、〝共産党・志位委員長の自衛隊活用論 党内で議論して整理すべきだ〟 
 共産党の志位和夫委員長が「日本が侵略を受けたら自衛隊を活用する」と語って論議になっていることについて、全国革新懇の228日の代表世話人会の議事録に沿って志位発言を紹介して、「私は、この志位発言にはそれなりの説得力があると思う。その立場は、要するに9条の下で日本は『侵略者』になることは禁じられているが、だからといって『無抵抗で征服される者』になるいわれはない――という極めてまっとうなものである」
 「しかし、各地の駅頭でロシアの侵略戦争に反対する街宣をしている護憲論者の主張は、『9条に基づいた平和外交』が中心で、今、現実にウクライナで武力を用いて抵抗している人々の努力と犠牲が、世界的な『自由民主主義対専制軍国主義』の構図をつくった現実を直視していないように見える」「だから、共産党は今、党内で上述の志位発言について討議して理解を深めるべきで、正しい方向への変化をためらうことはない」と書く。ゲンダイで小林氏からこうした提起があるとは。🔳・・というものだ。

 以上の記事を私は重く受け止めた。
 これを読んで「そんなことはとうの昔から知っている」という護憲論者は世情に疎いと思う。
 社会の動きの中で、変化する庶民感情に目配りするならば、街頭宣伝に限らず、例えば自分の持っているSNSでも、この話題を今こそ自分の言葉で発すべきだろう。
 内田樹先生の著書のタイトルでいえば「常識的で何か問題でも?」だ。
 いま、戦争、9条、自衛権などについてモノを言うのが常識だと私は思うのです。(写真は記事の内容とは無関係。婚姻色が美しい磯鵯)

2022年4月13日水曜日

初ルリコガネ

   長い間巣篭り状態で外出を控えてきたからデータとしての価値はないだろうが、自分の個人的な記録のために書いておく。

 2022年4月12日奈良公園二月堂にて今年の初ルリコガネ。飛んでいた。

 この日夕食時にNHKBSPでNHK特集安野光雅・ファーブル昆虫記の旅前編があった。スカラベだった。

 そんなこんなで4月12日はコガネ記念日。

 二月堂で、クマンバチとでも思ったのだろうか、飛んできたルリセンチコガネにカップルが驚いて逃げていた。

 怖くないことや美しい昆虫であることなどを教えてやろうかと思ったが、美しいと言ってもセンチコガネだからそっちの方から驚くだろうから放っておいた。

 それに、国宝も昆虫もどうでもよく、ただ単に隣の彼だけしか興味もなさそうだし。

2022年4月12日火曜日

春陰(しゅんいん)

   昨日の記事のコメントに「ようず」のことを書いた。古い関西方面の方言と書いたが、8~9年前まで私は知らなかった。
 8~9年前、完全空調で季節も天気も判らないような老人ホームで義母が「ようずやな」と私に尋ねて来たときには何のことか解らなかった。娘である私の妻に聞いても「知らない」ということだった。

 後に歳時記にそれを見つけて「なるほど、そうだったのか」と納得した。当時義母はメンタルの落ち込みもあったから、完全空調の部屋であっても「ようず」が判ったのだろう。遠い思い出になっていく。
 そんな記憶がよみがえってきた。
 昨日の生暖かさはまるで「ようず」のように私は感じた。(天気予報では雨ではない)

 さて、夏日のニュースまで流れ、慌てて衣替えを急いだ。
 街も大きく風景が変化し、茱萸(グミ)も実ったと思ったら、ヒヨドリの群れが大宴会をして食い散らかした。そのおこぼれを私がいただいた。
 グミにとっては戦略通りで、ヒヨドリがあちこちに糞という肥料付きで種まきをしてくれている。
 そういう風に新天地で伸びたグミがあちこちにある。
 誰が命名したかは知らないが、苗代茱萸(ナワシログミ)とはうまい。

 この季節、寒かった冬に比べるとホッとすることもあるが、人間界ではいろいろ環境の変わる憂鬱な季節でもある。おまけに花粉症だから、素直にその気候を喜べない。

   春陰や手も足も出せぬ子の悩み
 働き盛りの子は子でいろんな悩みは深い。だが、老親にはもう手助けできない。

2022年4月11日月曜日

リアルとバーチャル

   もう新学期が始まっているが、先週の春休みに孫の夏ちゃんがやってきたとき、すぐにソファーに座ってゲームをやり始めたのを、少し「あ~あ」という気持ちで見ていた。
 そしたら丁度、通販で申し込んでおいた将棋盤が到着したので「将棋をしないか」と誘うと「やろう」と応えてきた。(将棋盤は夏ちゃん宅にあげたところ、残っていた碁盤の裏がてっきり将棋盤だと思っていたのが、実は上等すぎた碁盤オンリーだったので購入した次第)

 夏ちゃんは学校のクラブのような時間に将棋を習ったことがあり、本気で指して私が負けてしまったり、将棋崩しもひょこまわりも夏ちゃんが勝って機嫌がよかった。
 そして、祖父ちゃん祖母ちゃんも夏ちゃんをバーチャルの世界からリアル世界に引き出せてホッとした。

 しかしバーチャル代表のそのゲーム機は馬鹿にできなくて、途中で「歩の成金と歩は二歩になるか?」とか、ひょこまわりのサイコロの駒の数え方?」など、直ぐに夏ちゃんが検索してくれたからIT(情報技術)は無視できない。坊主めくりの「蝉丸は坊主か?」というのも直ぐに判った。

 ゲーム機以外に子供用のスマホも持っているが、そこのアプリだと思うのだが、小学校から母親に「夏ちゃんが校門を出ていない」と緊急連絡があったときもある。その時は丁度わが家に来た時で、一体何が起こったのかということになったが、結論的には校門で塊になって遊びながら出たらしく、校門のセンサーにキャッチされなかったらしい。そんなシステムになっていることは初めて知った。

 ITの機器も無視はできないし、その上にリアル世界にもそこそこ興味を持ってくれているから、祖父ちゃん祖母ちゃんの方が馬鹿にされないように気をつけなければならない。もう半分以上追い越されているが。夏ちゃん、頼りにしてまっせ。

2022年4月10日日曜日

9条の値打 ますます

   ロシアのウクライナ侵略を見て、「核兵器の共有使用」や「敵国中枢部先制攻撃」を言い出した人々がいる。
 ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)という。
 大惨事を見た(遭遇した)住民のショックや不安につけ込んで「まどろっこしい議論や民主主義では命が守れないぞ」と脅して、情報の統制、フェイクニュース流布を通じて国民の権利制限、権力の集中・独裁を謀ろうとする戦略のことだ。

 ただし、それとは別に、その種の主張がニュースに流れることと相まって「憲法9条で日本が本当に守れるのか」という素朴な疑問が出ていることも事実だろうと私は思う。
 そこのところについて冷静に考えてみる。
 だいたいこの国は海岸線沿いにズラーッと原発を並べ、ちょっとしたミサイルで周辺の電気系統を破壊すれば国中が滅亡しかけない構造であることを直視すれば、「9条による外交で戦争が始まらない国」にすることが最大の課題ではないかという護憲論が一番の現実論であることは否定しようがない。

 そういう現実論でいえば、その種の環境が構築できるまでの間は自衛隊は存置すべきだと日本共産党は述べている。
 つまり、外交による国際環境が整わない間に「どこかのならず者」が侵略してきて、わが国に「急迫不正の主権侵害」が起こった場合は、当然に自衛隊を活用するというのが日本共産党の方針である・・と、私は2021年11月9日のブログ記事『憲法を変える必要なし』に書いている。

 若い頃の経験だが、「国家には必要最小限の自衛権はある」といった日本共産党の見解に対して、当時の野党第一党の社会党からは「それは文句なしの非武装論でない」と執拗に批判があったものだから、私なりに勉強もしたものだ。

 いま大惨事便乗型の政治家から「日本共産党はウクライナを見て自衛隊の活用を言い出した」的な攻撃が出ているが、少なくとも一介の市民である私がそれ以前にブログに書いていた事実からも、そういう非難が全くの的外れであることは明らかである。

 憲法学者の木村草太氏の著書『憲法の創造力』から言葉を摘むのを許してもらいたい。氏はこう述べている。
 🔳 憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求しているのであると、奥平康弘先生は述べている。
 9条の意義は核兵器と空母はダメ、軍という名前もダメという量的・形式的な規制をするところではなく、実力組織の構築や武力の行使について、常に「それが自衛のために必要最小限度と言えるか」の説明を求めるところにある。
 単なる説明責任の設定ではあまり意味がないように思われる方もいるだろうが、それは違う。
 9条は、平和を維持するためのルール設定への創造力を働かせることを求め続けている。
 9条は、第二次世界大戦を直接経験した人々によって、大変な緊張感を伴い解釈され、論じられてきた。そうした解釈論や議論を、次の世代に受け継いでゆくことは、我々の世代の義務だろう。🔳

2022年4月9日土曜日

こころ旅とニアミス

   NHK BSPの『にっぽん縦断 こころ旅』は私の好きな番組のひとつだ。知らない人はそのタイトルを見て、よくある観光地めぐりの旅番組か、地元特産の料理が出てきて「わぁきれい」とか「うま~い(あま~い」)というものだと思うだろうが、・・ほとんど関係ない。投稿された人のごくごく個人的な思い出の場所に向かってひたすら自転車で走るだけの番組である。それが1000回以上続いている。

 ただ、その個人的な「思い出」には、今はおられない親や配偶者との物語などが詰まっていたりして、非常にシンプルながら短編小説かラジオ番組に似た内容豊かな番組だと私は思っている。
 番組(画面)の主人公は火野正平さんで、投稿者の「思い出」に寄り添いながらもNHK地上波では放送されないだろうなと思われるような自由奔放な言動が豊富なのも又おかしい。
 その番組が先週は奈良県内のコースだった。

 7日(木)放映の予告は奈良県平群(へぐり)町の千光寺へ向かう途中の石仏だったので、孫の凜ちゃんの定期診断の付き添いの際に娘(凜ちゃんの母親)に「お祖母ちゃん(わが妻の母)の実家近くだから今夜の7時から見たら」と教えた。(朝は15分版、夜は30分版で放映)
 実際に妻はそのあたりもよく知っていた。が、目的地の石仏は投稿者の個人的な思い入れだけの石仏で、妻は全く記憶にないということだった。

 そして、7日の昼は平城宮趾の朱雀門の広場でお弁当にして、ソフトクリームを食べて、しばらく日光浴を兼ねて凜ちゃんと遊んだ。
 少し風のある野外で、しかも人は、密とは程遠いまばらだった。
 どういうわけか凜ちゃんはそこの柳の木にどこかのスイッチがハマって、私の「おばけだぞ~」というのに乗っかって、柳の木の下でお化けごっこをして喜んで遊んだ。

   翌8日(金)放映は大和郡山と予告されていたので7日ほど期待せずに点けたのだが、なんと出発点が平城宮趾の朱雀門で、しかも凜ちゃんが遊んだ柳を正平さんも同じように遊んだのがおかしかった。撮影は3週間ほど前に終わっているから、柳は凜ちゃんの方が葉っぱが増えて柳らしかった。(テレビ番組と場所的にニアミスをしたというだけの他愛ないお話、おわり)

 🔳 追伸 大和郡山の「とおちゃ(到着)地」は慈光院だった。昔、冬の日に行ったときは、瓦製のタイルが敷き詰められた縁先にお坊さんが「はだし(靴下)で降りたらポカポカと暖かくて気持ちいいよ」と勧めてくれた。なんのお説教じみた話もなく、お坊さん自身が「晴れた冬の日はこれに限る」とのんびりされていた。気分の良いお寺だった。正平さんの感想以上によいお寺です。

腐っても国連

   国連総会は7日、国連人権理事会におけるロシアのメンバー資格を停止する決議を採択した。これ自体はすごいことだ。
 ただ、気分的には賛成93か国、反対24カ国、棄権58か国という、反対や棄権の数に気分が萎えるというのも嘘ではない。

 いきおい、国連は所詮五大戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア)(安保理常任理事国)のものだったと嫌味の一つも言いたくなったりする。

 しかし少し冷静に見れば、棄権58か国の中には経済的に辛い国も多いに違いない。
 それよりも、3月2日の国連総会での「ロシアの侵略を国連憲章違反」とした決議は、141か国の賛成で採択されたが、これは、ソ連のアフガン、アメリカのグレナダ、リビア、パナマ、ロシアのクリミアという過去5回の賛成票を上回る史上最高の賛成票だった。

 そういう歴史の大きな流れを確信にして、「国連なんてそんなもんや」的な冷笑で何か核心を突いた評論をしたような気になるのでなく、あるいは「所詮は核だ。敵の中枢を先制攻撃だ」的な単細胞に乗るのでなく、国際世論高揚と経済制裁とウクライナ支援を理性的に追求すべきだろう。

 なお、ウクライナの対抗も所詮は人殺しにならないかという議論もあるかもしれないが、独立国家の自衛権は当然に認められており、現憲法下の日本も例外ではないというのが冷静な憲法学の定説だろうと私は考えている。
 腐っても鯛、腐っても国連と今の世を生き抜くのがリアリストだと思う。

2022年4月8日金曜日

まん延防止解除は海外旅行のため

   YAHOOニュース(日刊ゲンダイDIGITAL)の【ラサール石井 東憤西笑】が秀逸なので要旨をお伝えしよう。

🔳 最近はコロナ関連のニュースが少なく、皆さんもう収束に向かっていると勘違いしているかもしれないが、日曜日の感染者数は全国で47000人もいた。死者も多い。中でもワーストワンは大阪だ。
 なのになんと吉村知事と松井市長2人連れ立ってドバイに万博見物だ。喜々として会場の様子を動画で上げる吉村知事、松井市長にさすがにみんな呆れている。 
 一応名目は次の開催国に引き継ぐ式典への参加だが、これは国レベルで行われるため、実際引き継ぎの書面を受け取ったのは日本大使で、吉村知事はそのあとそれを触らせてもらっただけだ。 
 150カ国の招致が目標だが、まだ90カ国にも達していない。その根回しも兼ねているらしいが、SNS上では「2人一緒に行くなんて、それこそ二重行政だ」と言われていた。なかなかうまい。 
 万博の後にはカジノが控えている。この法案はすでに議会を通ってしまった。しかしその試算には疑問が多い。年間に2000万人以上動員するというが、USJの動員でも1400万なのに、本当に達成出来るのか。しかも黒字に転換する見通しを見て驚いた。なんと2076年、54年後だ。6歳の子が還暦?? 我々も彼らもみんな生きていないではないか。 
 それでもバクチ場に血道を上げる松井市長。SNSでは松井一郎ではなく賭場一郎と呼ばれている。ドバイから帰って来たらすぐに夜桜の写真をUPする吉村知事。この2人に大阪の未来を任せていいのか。
 
 SNS上では「しかしホンマに感心するわ! 夜中から、ツイートして知事は、いつねてるんや!」とあり、さすがの大阪府民も怒っていると思ったら、その後に「頑張ってや!応援しとるで」ときた。
 
 ダメだこりゃ。🔳

2022年4月7日木曜日

盗泉の水

   百田尚樹氏が「中国文化は日本人に合わないから漢文の授業を廃止せよ」と宣っておられるが、なるほど政権応援団の皆様は「坊主憎けりゃ袈裟まで」らしい。そして、応援団も応援団なら神輿も神輿で、岸田首相は「サハリンの天然ガス開発事業は継続する」と公言された。

 ウクライナでロシア軍による大量虐殺が明白になって世界中が対ロ追加制裁を議論している最中である。リトアニアなどはロシアの天然ガス輸入完全停止に踏み切ったというのに。プーチンがいわゆる西側の足下を見下すはずである。

   こういう二股の裏切りは中東やクリミヤの際に安倍元首相が道を踏み外しているから岸田首相も後ろめたい気もないのだろう。それとも、漢文嫌いの故だろうか。

 中国山東省泗水県に「盗泉」という名の泉があったが、孔子はその名を嫌って「渇しても盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木(悪い名の木)の陰に息(いと)わず」としたとの故事(文選・陸機・猛虎行)による。

 国境を越えた経済活動の現代、経済制裁が一定の返り血を浴びるのは自明である。社会生活や精神生活のメートル原器に経済の基準を置くのは間違っている。新自由主義というのはそういう面でも社会を腐敗させるものであろう。

 お口直しに、端午の節句一月前の写真をちょっと・・・。

2022年4月6日水曜日

いかれころ

   私は疎開先の中河内(なかがわち)で生まれ泉州は堺で育ったが、家の中の言葉は「せんば言葉」に近い大阪弁であったから、(堺の小学校のとき先生に「どこの子や」と言われるぐらい泉州弁ではなかったから)、「いかれこれ」というような言葉はおよそ理解はできていたが自分では使用していなかった。つまり、この言葉は私にはそれほど強烈に懐かしさを感じるような言葉ではないが、そこそこに懐かしいというレベルの言葉である。
 ただ、私の実感としては、河内から生駒山を一つ越えた大和の言葉は河内弁と非常に近いと思っている。

 さて、愛読している牧村史陽編『大阪ことば事典』ではこの言葉は、『してやられた形。「ほんまにイカレコロや」などと用いる。「コロッといかれてしもうた」という語を上下転倒したものであろう』と書かれている。「踏んだり蹴ったりや」という感じが近いように私は思う。

 そんなもので、「故郷の訛り懐かし そを聴きにゆく」という感じでこの本を購入して読んだ。

 舞台は大阪府では珍しくない南河内の第2種兼業農家(農業が従)で、ムラの感覚と都市の感覚がまじりあった地域の、本家や分家、親戚一同の日常を多感な娘の思い出として綴った小説だ。

 都会の商売人中心の私の世界ではないのだが、「わかるわかる」というような少し嫌味も混じった人間関係を面白く読んだ。

 共産党員の市長も、父の過去の学生運動なども出てくるが、さらには差別、解放運動の歪み、精神障害も出てくるのだが、それらもみんなさらりと軽いBGMだ。社会正義についての悩みも人生の希望も絶望も語られない。それでも、こんな小説もなかなかよい。ロシア文学とは程遠いこんな小説を読む時間もいいもんだ。

2022年4月5日火曜日

桜を見ながら

   昨年心房細動が酷くて2回目の入院をする前、病院で胸部X線検査のために立ち上がることができなかった。
 X線技師に「寝たまま撮ってもらえないか」と言ったがダメだというので、「一二の三で立ち上がるからその一瞬に撮ってくれ」と言ってどうにか終了した。

 今から考えると、心臓のダメージというのは相当なもので、高熱でフラフラするというようなレベルではなかった。つまり相当ヤバかったことになる。

 そこで、振り返ってみて反省点は、辞世の句の原案も何も用意できていないことだった。世の中平均年齢が飛躍的に伸びているから何となく現実味がなかったが、昔のこの歳の大人ならそれぐらい考えておくのがたしなみではなかったか。

 ということで、今年はそろそろ辞世の句の原案ぐらいは考え始めたいと思っている。終活や断捨離をテキパキと進められている方々は当然に用意されていることだろう。見習わなければ・・。

 かぐや姫から不死の薬をもらった帝は「姫のいない世に不死の命をもらっても」と、その薬を富士山の頂上で燃やしてしまった。そんなことを、桜を見ながら考えた。私、決してノイローゼでも何でもありません。

2022年4月4日月曜日

お坊さんと共産党

   社会主義でも共産主義でも何でもなかったスターリンのソ連の影響で、日本共産党が宗教に不寛容であるかのような誤解(気分)があるが、日本共産党は信仰の闊達な自由を謳っている。事実、職業?が宗教者であって共産党の議員という方も少なからずいる。

 友人のお坊さんは、瀬戸内寂聴さんが「共産党の忘己利他(もうこりた)の態度はお釈迦様の教えと同じだ」と語った赤旗記事をお寺の法話などの掲示板に掲示したところ、共産党の議員がそれを見つけ、友情が深まったらしい。

 そんなことがあり、先日、堺市の共産党の集いに友人のお坊さんが応援メッセージに立った。彼から報告を受けたところでは、要旨次のとおり語ったらしい。

 🔳 分断と不寛容が広がっている今こそ、宗教者もそうでない人も(もちろん共産党とも)、社会の不正をただすために力を合わせたい。

 ウクライナの事態は、核抑止力は現実に働かなかったことを教えているが、核抑止力が本当に実感される場合というのは地球全体が地獄の入口に立つときだ。今こそ、善意の理性ある声を広げ連帯するときだ。

 昨年の総選挙では思うような前進がなかったが、諦めるのは為政者の思う壺に入ることだ。大きな仕事には相応の困難があって当たり前だ。

 よって、法華経信奉者であった宮沢賢治の「雨にも負けず」を読み上げてエールとする。🔳

 この報告を聞いて、友人のお坊さんの確固とした態度に敬服した。物理的にはコロナ禍で密は避けなければならないが、それぞれが”できる方法で”声をあげるときだ。勇気をもらった。

 ウクライナを見ていると、自衛のためではあるがウクライナ軍兵士がロシア兵を殺している。それを、「殺すなかれ」と批判するのもよいが私にはそれはできない。骸となったロシア兵に涙しながらウクライナ兵を私は支持したい。それを正当化できる倫理や哲学を私は知らない。こういう時こそ宗教者と運動家が議論し連帯すべき時ではないか。

2022年4月3日日曜日

戦前のGo To Travel

   一昨日、昨日と「為政者による情報統制」や「歴史の偽造」に関わるような記事を書いてきたが、ことのついでに『戦前のGo To Travel』というタイトルで話を引継ぎたい。

 先日、奈良大学WEB講座「昭和戦前・戦時期における奈良の観光振興の姿」という講義を受講(視聴)した。写真はその画面だが、申込制の限定動画らしいので一部私が加工した。

 時代は昭和初期、盧溝橋事件、支那事変の頃、戦争へ向かうそんな時代に奈良の観光行政はスタートした。
 そんな余裕のない時代にどうして?と誰もが思うだろうが、実はそれは「美化せよ国土、体位向上、銃後の備へ」という精動運動(國民精神總動員運動)の一貫だった。

 特に奈良県のそれは、「物見遊山」ではない。「建国(肇国)の地」「吉野朝廷の忠臣たちの地」の史蹟を宣揚して国民精神作興に資するという大目的があった。

 少し可笑しいのは、という奈良県に対して奈良市長は「珍しいもの、新しいもの見たさ」が観光の大事な動機と述べていることで、これは杓子定規な国や県に対する皮肉というよりも、橿原や吉野中心のキャンペーンに対する競争心だったかもしれない。

 止まれ、戦争に深入りする国では、オリンピック(結果は中止)、万博(結果は中止)、など紀元2600年行事の一環として言わば Go To Travel が展開されたという事実を知っておく必要がある。
 現代のコロナ禍を「経済戦争」という視点で見ると、数々の為政者の失政を Go To Travel で目くらまししているようにも見えないだろうか。

 2020年、コロナ禍で日本書紀編纂1300年事業のようなものが頓挫したことは悪くないことだったが、コロナがなかったなら、神話を歴史的事実とあえて宣伝する國民精神總動員運動まがいの運動が広がっていた可能性がある。

 戦時中の先に触れたキャッチコピー「体位向上」は、戦時には身体障碍者は無駄、邪魔という思想でもあるから、孫の未来のためにもそんな時代に絶対に後戻りさせてはならない。

2022年4月2日土曜日

古代史が近現代史を正す

   河上麻由子著『古代日中関係史』(中公新書2021年10月再版)を読んで知的満腹感を得た。この本を購入した動機は、著者が2021年(令和3年)第33回濱田青陵賞の受賞者で、この本が主な著作の一つであったからである。

   濱田青陵賞(岸和田市文化賞)とは、岸和田市のHPから採ると、【岸和田市にゆかりが深く、我が国考古学の先駆者として偉大な功績を残され多くの後進を育成された濱田耕作(号 青陵)博士没後50年にあたる1988年に、「岸和田市文化賞条例」に基づき岸和田市と朝日新聞社が創設したもの】で、考古学や古代史に興味を持つ身としては頭の隅に引っかかっていた賞である。

 受賞理由としては、【河上氏はこの春、奈良女子大から大阪大に籍を移し、古代の東アジア外交、特に日中交渉史において「仏教」という視点から切り込む研究を意欲的に続けている。主に文献からのアプローチだが、その広い視野は古代日本が国際社会の一員として国造りに邁進していた時期の考古学にも大きな刺激を期待できる。

 その著書『古代アジア世界の対外交渉と仏教』は、中国南北朝・隋唐時代の仏教における政治外交的な機能を史書や仏典、出土文字資料を通して解明した。南朝から盛んになった為政者の仏教崇拝に対し、諸外国の対中国政策を分析、イスラム勢力への対抗などその政治的意図を読み解く一方、隋唐における皇帝たちの仏教勢力へのアプローチを受菩薩戒の視点から探った。日本もまた、遣唐使による仏教的朝貢を介して中国との交渉に向き合いつつ、国内的にも、孝謙天皇の受戒に唐の則天武后にならった仏教による権威強化の影響をみるなど、古代アジア世界におけて広く仏教外交が展開していたことを明らかにした。

 『宋書』が描く倭の五王の5世紀から、遣唐使終焉の9世紀までを通史的にとらえた一般向けの中公新書『古代日中関係史』は「古代歴史文化賞」(5県共催)の優秀作品にも選ばれた。特に6世紀の百済からの仏教伝来については日本が積極的に「導入」したとし、仏教の理解が当時の東アジア外交に欠かせない教養であるとしてその重要性を力説した。また、隋の煬帝への倭国書状における対等さを主張した『隋書』の有名な記述について、その背景に、仏教復興を推進する中国皇帝を日本側が「菩薩天子」として称え、潤滑な外交手段とした視点を提供するなど、多角的で複眼的な研究を進めている。その旺盛な研究姿勢と斬新な視点が高く評価された。】(【】は岸和田市のHPから)

 さて、いろんな箇所で目から鱗の教えを受けたが、特に面白い2箇所について特記する。

 その一は、607年の遣隋使の書状の書き出しの「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」に関わって、倭と隋両国の君主に同じ「天子」の称号を用いて、両国(者)の対等を主張したという説について、それは主に戦前の教科書で展開された説であり、実はこの文書は公文書である「表」の型式でなく私信であることから、残されていない公文書がこのようなものであったかどうかはわからない。(注1)

 その上で、これは中華思想の「天子」ではなく、他の箇所で隋の天子を「菩薩天子」と述べていることから、仏教、具体的には金光明経のいう「天子」=仏教国の国王として使用(自負)したものだろう。ただし、当時それはインド、スリランカ、カンボジア等の仏教先進国に許されていた使用方法で、仏教後進国であった倭王の自称は不遜として煬帝は不快感を示したのだろう。(注2)

 その二は、国号「日本」だが、678年に死去した百済祢軍(くだらでいぐん)(唐側についた百済人)の墓誌に百済のことを指して「日本」と用いられていて、7世紀の東アジアでは中国から見た極東を指す一般的な表現だった。先の「対等外交説」とは反対に、「中心である唐隋からして極東の一国です」と自称する国号であった。

 古代史を冷静に眺めると、近代史、現代史の歪みが見えてくる。

 この本の主題は私の面白がった箇所にあるのではなく、非常に緻密なその時代時代の史料の検討にあったのだが、こういう新しい発見にワクワクしながら読み進んだ。

 (注1)東野治之著『聖徳太子』によると、仏典の『大智度論』では、東方、西方、南方、北方のことを「日出ずる処」「日没する処」「日行く処」「日行かざる処」と表現していて、倭を日の出の勢いの国、隋を衰えていく国と解するのは俗説とされている。

 (注2)東野氏は、「やはり中華思想では全世界に一人しかいないはずの「天子」を名乗ったことが煬帝の不評を買ったのだろう」とされている。河上氏の説は前述のとおり、仏教先進国の国王が「天子」を名乗っていた事実を指摘し、そこは「仏教後進国の倭」の国王が名乗ったことが不遜とされたのだろうとしているが、同時に、この遣隋使の公文書である「表」が残っていないので、まったく別の理由だったかもしれない。

 最後に、天皇中心の史観でいうと、乙巳の変で中大兄皇子(後の天智天皇)に討たれた蘇我のホープであった聖徳太子は長く評価されずにいたが、国体観念の下、日中戦争が本格化する中で、「強国と対等に渡り合ってきた、わが国の一貫せる外交方針」が強調され、聖徳太子が賛美されるようになったというように、歴史が修正されてきたことがこの本でよく解る。おもしろい。

2022年4月1日金曜日

怪しい探検隊

   野田知佑さんの訃報に接した。
 椎名誠さんらの『怪しい探検隊』のシリーズで勝手に親しく感じていた野田さんだ。
 長良川河口堰反対のカヌーデモとキャンプには息子と参加して楽しく交流した。
 確かカヌー犬ガクもいた。
 それだけの付き合いだったし、青春というには薹が立っていた時代だが、やはり青春の1ページがポロリと抜け落ちていく気分がする。

 不確かな記憶だが、ユーコン河の話では男の子にはナイフとライフルを覚えさせねば・・という話しがあって(ライフルの相手は人ではない)、まあまあ息子もその孫の夏ちゃんもライフルこそ教えていないがそこそこ逞しく育ってくれた。

 こういう型破りな愉快な人間がだんだん少なくなって日本も面白くなくなってきた感じがする。

 以上、駄文をもって悼辞とする。

いっしょやいっしょや

   古いお話で申し訳ないが、ダイラケの漫才を思い出した。「いっしょやいっしょや」というギャグである。

 さて、戦争の最初の犠牲者は「真実」だといわれているが、ロシアのプーチン大統領は3月4日、軍についての「偽情報」を広めた場合に最長で懲役15年を科す法案に署名し同法は発効した。

 ウクライナ侵攻を「軍事作戦」と呼び、「戦争」は勿論「侵略」や民間施設への攻撃などは全て「フェイクニュース」だから懲役15年だ。
 ゼレンスキー政権は「ネオナチ」で、東部の親ロ派支配地域で「ジェノサイド(民族大量虐殺)」を行っているのを止めさせるための軍事作戦だと・・・。
 そんな状況下でも戦争反対の集会やデモが起こっているのは大変なことだろう。心あるロシア市民も命がけだ。正当に評価し政権と市民を混同しないようにしたい。

 アジア太平洋戦争中、言論統制によって、日本の新聞、ラジオは大本営が発表する「偽情報」を垂れ流した。メディアが権力を監視する役割を放棄した結果、沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。言論の自由が奪われた先には、破滅が待っていることを歴史が教えているが・・・。 

 ところで、文科省は3月29日、主に高校2年生用の教科書の検定結果を公表したが、「強制連行」や「日本軍慰安婦」の文字を削除させたり、漱石の「こころ」などの小説の扱いにも修正を求めた。
 特に戦時中の非人道的行為については、日本維新の会の馬場幹事長(現共同代表)の質問主意書に沿って菅内閣が行なった「答弁書」に基づく措置で、自公政権と維新の会がプーチンと変わらぬ歴史の捏造者であることを示している。

 また、3年前の参院選で演説中の安倍首相(当時)にヤジを飛ばした男女2人が、北海道警警察官に排除された問題で札幌地裁は3月25日、「政治に関する表現の自由は、民主主義社会において『特に重要』とした上で、ヤジは一種の政権批判で、『公共的な表現行為』だ」と明言し、「原告らの表現の自由は、警察官らによって侵害された」と、道に賠償金の支払いを命じた。ここまでは正しい。ただし、森友事件同様この事件の「主犯」的な人物、警察庁の大石吉彦警備局長は、一昨年9月に警視総監に栄転しているのだ。日本の皆さん、プーチンを怖がっている場合ですか!

 (歴史の修正問題については明日に続く)