2022年7月31日日曜日

仁義なき右派同盟

   2021
年の810日に、韓国を代表するTV局「MBCテレビ」の看板番組『PD手帳』において、「韓国の国家情報院(元KCIA・韓国中央情報部)が日本の極右団体を影でこっそり支援している」と報じ、支援先に、表向きは在日韓国人差別煽動行動で知られる『在特会』や、日本の右翼をまとめ上げている櫻井よしこ氏が理事長の『国家基本問題研究所』があったという。

 櫻井よしこ氏は「名誉棄損だ」と抗議したらしいが、告訴したという報道はない。

 それはさておき、7月28日の記事に書いたとおり、故文鮮明教祖が「天皇が来て、ひざまずいて這いながら慟哭するのを見るまでは、私がしばらく行かないというのです。私がそのように生きています。わかりますか?(「はい」)」(「文鮮明先生御言選集」383巻より)と語っている統一教会・勝共連合と、右翼の皆さんが共同していることも普通の庶民には理解が困難だ。

 そこへ加えて、この7月24日に時事通信(JIJICOM)が報じた文春オンラインでは、文鮮明教祖は1991年に金日成と会談し、その後も北と密接に接触し、1996年には文鮮明と金正日(当時主席)が手を結び、「文鮮明の生まれ故郷を聖地にしたいという思惑を北朝鮮側が受け入れ、その交換条件として莫大な資金が提供されたという。(詳細はhttps://www.jiji.com/jc/bunshun?id=56024参照)
 
 ここまで来ると、人の道には仁義というものがあろうなどとぼんやりと信じている庶民には理解不能である。否、謀略組織というものはこういうものなのだろう。

2022年7月30日土曜日

最低の大阪府市政

   7月28日の『高齢者のコロナは自己責任?』の記事で、都道府県別人口100万人当たりコロナ死者数のグラフを掲載し、相変わらず大阪がダントツの最悪、最低の自治体であることを報告した。
 グラフの出典は、https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/japan_death.html であり、全く加工はしていない。

 感染者数については都道府県において算出方法に差異があるが、死者数は一番実態を反映している。
 重ねて言うが、以前から一貫して大阪(府市)のコロナ対策は客観的データで見る限り最悪、最低である。

 現在、旧統一教会の霊感商法や高額の寄付による家庭崩壊が問題になっていて洗脳の怖ろしさが種々指摘されているが、前述の大阪のコロナの死者数を見てもなお「大阪の知事らはよくやっている」などと言うのはズバリ洗脳の領域と言えよう。

 その最悪、最低の死者数を更新し続けている大阪が2025年に「カジノ万博」を実施する、そのメーンテーマが「いのち輝く未来社会のデザイン』で、サブテーマが『いのちを救う』『いのちに力を与える』『いのちをつなぐ』というのだから、大阪のお笑いに従えば、これはもう「ええかげんにしなさい」でチャンチャンとしか言いようがない。

 カジノ関連でいえば、日本に旧統一教会、勝共連合を呼び込み育てた中心人物の一人、笹川良一が事実上の胴元になって開設した競艇場が大阪市の住之江にある。
 正直に感想を言えば競艇帰りの人でラッシュになる時間帯の地下鉄四つ橋線の雰囲気は独特だ。あの地下鉄には乗りたくないという女性は大勢いる。
 「カジノで大阪が元気になる」と考える前に、是非あの地下鉄を体験してもらいたい。庶民の娯楽を否定するつもりは毛頭ないが、モノには限度というものがある。その限度を決めるのは市民の常識力だと私は思うのだが。 

2022年7月29日金曜日

ミョウガの子

   わが庭に、毎年毎年元手0円で勝手に生えてきているものにミョウガとアオジゾがあり、どちらも夏の料理には重宝している。

 写真はミョウガの子。そのまま刻んで薬味にしてもよいが、私は甘酢漬けが好きで、瓶に入れて冷蔵庫に保管している。保管といっても、けっこうむしゃむしゃと食べるから、あっという間になくなる。

 祖母が存命中であった小学生の頃は「物忘れするから子どもは食べたらあかん」と言われていて、大人たちが美味しそうに食べているのがうらやましかった。その分、現在は存分に頂いている。

 スーパーでミョウガを買っていると「それはどのようにして食べるものですか」と尋ねられたことがある。きっと「食べたらあかん」の躾が繰り返されるうちに「知らない」人が増えたのかもしれない。

 夫婦の会話が「そこのあれ・・」というように固有名詞が出てこなくなった。またブログの文章の切れ味が大いに鈍ってきた。きっとこれは認知症ではなくミョウガの食べすぎのせいである。

高齢者のコロナは自己責任?

   新型コロナの都道府県別人口100万人あたりの死者数が更新されている。7月26日現在の統計を見ると、大阪府が597.1人、東京都が329.7人で、相変わらず大阪府が最悪、最低の実体を表している。

 GoToトラベルなどの影響を受けた観光地や米軍基地の桁違いの影響を受けた県をよそに、相変わらず大阪府が最悪、最低である。

 その全国で最悪、最低の知事が27日、28日から8月27日までの向かう1か月間、高齢者は不要不急の外出を自粛せよと宣った。

 仮に外出=人流がリスクのひとつであったとしても、ほんとうに高齢者の感染の原因は当人の外出のせいだろうか。実際、忽那賢志(くつなさとし)阪大教授は「重症化して亡くなった高齢者の多くは、感染リスクの高い行動をして感染しているわけではなく、高齢者施設などへの(ウイルス)持ち込みによって感染している。高齢者に限定した行動制限に意義はあるのか疑問」とコメントしていると毎日新聞は報じている。

 やはり、この知事お得意の中身のないマスコミ向けパフォーマンスの匂いが濃厚だ。一番文句の出そうでない弱い立場の高齢者に、何の手当もない自粛を求めて、仮に外出した人が発症したら自己責任と言って非難の言葉を集中させるのだろう。

 そもそも不要不急とは何か。高齢者は家の中でテレビを観て座っておけば幸福だというのだろうか。高齢者がこの季節に映画にいったり美術館に行くのは不要不急の我儘、贅沢と言わんばかりだ。

 もし不要不急の外出=人流がリスクだというなら、主に感染源となりやすい若い者こそリスクでないか。それに比べて高齢者の人流などたかが知れている。つまり知事の「要請」には科学的根拠は乏しく、「感染したら重症化しやすい高齢者のことを思ってのこと」というような修飾語で自らの施策の無能をすり替えているとしか思えない。

 すでに長期間高齢者は「巣籠り」を続けてきた。その結果、精神的にも身体的にもダメージを受けてきている。その上にまたそんなことを言うのかと、私は怒っている。

  

2022年7月28日木曜日

そのロジックは判らない

   京都新聞によると、二之湯智国家公安委員長は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が開催した京都府のイベントで実行委員長を務めていたことを認めた。

またYAHOOニュースによると、岸信夫防衛大臣(安倍元首相の実弟)が旧統一教会について、「付き合いもあり、選挙の際もお手伝いをいただいている。電話作戦など、ボランティアでお手伝いをいただいたケースはあると思う」などと悪びれる様子もなく淡々と発言し、今後の教団との関わりについても「軽々に答えることはできない」などと答え、記事は、右派や保守系団体から抗議の声が上がらないのが不思議だと締めている。 

 日本の右翼と呼ばれる皆さんが韓国人や中国人に対するヘイトスピーチを行い、多くの「嫌韓」という内容の文章を執筆されていることには私は強く批判する立場であるが、少し斜めから以上のような諸事実を眺めた場合、次のような、

 『天皇が来て、ひざまずいて這いながら慟哭するのを見るまでは、私がしばらく行かないというのです。私がそのように生きています。わかりますか?(「はい」)』(「文鮮明先生御言選集」383巻より)

『昔は韓国が(日本の天皇に向かって)東方遥拝をした。しかし、今はあなた達は、父母様のいらっしゃる韓国に対して西方遥拝をしなければならない』(完成と解放 1992411日)

『日本人たちは東方遥拝ではなく、西方遥拝をするようになります。そうしないと日本がペチャンコになって、太平洋の底に沈むことになります。』(「文鮮明先生御言選集」355巻より)

 ‥というような主張の団体の広告塔になったり、選挙の手伝いをしてもらったりすることとどう論理が繋がっているのか私には理解できない。テレビで偉そうなことを言っているコメンテーターの方々も、結局権力の足下で何がしかのおこぼれに群がっているとしか思えないが如何だろうか。

2022年7月27日水曜日

夏休みの友

「何を今さら」と笑われるかもしれないが、小学校の授業も大きく変わってきているとは兼ねがね聞き及んではいたし、オードリー・タン氏の本などを読むと世界水準はもっと凄いらしいとは聞いていたが、実際に初めてお目にかかって驚いた。

 小学生の孫の『夏休みの友』のことである。
 学科別のプリントの冊子を毎日1ページずつというイメージは全くなく、イクジイのわが家に持参したのはパソコンひとつである。

 孫はそれをわが家のWiFiに接続し、国語も算数も適宜呼び出し、書き取りテストや算数をしていった。正誤は即時表示され、誤りは正しく乗り越えてと、淡々と進んでいった。

 相手は言わばロボットだが、乱雑な字は✖になるなど、思いのほかよくできている。
 人間教育という観点から、これが全てなら問題を感じるが、学ぶの基本は真似るだとも言われるからある意味効率的かもしれない。

 IT教育初参観の記。


2022年7月26日火曜日

鑑定留置に注目したい

   「人の噂も七十五日」という諺(ことわざ)がある。「庶民なんてそんなものさ」とも読める。昨年暮れに赤木ファイル事件で国(政府)は法廷で1億7千万円を『認諾』をして真相を闇に葬った。途上国の独裁政権みたいな非道だが、約7か月後の参議院選挙ではそんな与党やゆ党に多くの票が投じられた。七十五日を超えていたからだろう。

 司法の世界には正義もあるが不正義もある。例えば不正を告発しようとする庶民に莫大な「名誉棄損」名目の損害賠償などを請求する「スラップ訴訟」などもその典型で、維新の吉村大阪府知事や橋下元大阪市長などもサラ金企業の訴訟代理人としてそういう庶民への非道な恫喝(スラップ訴訟)をしてきた。

 それに、安倍元首相は人事権を宝刀として、検察人事や警察人事に介入した。行政府の人事は言うまでもない。「忖度」などという言葉が流行語にもなった。

 そういう下で、今般検察は、山上徹也容疑者を11月29日までの長期間をかけて(精神鑑定の)鑑定留置することにした。ただの取り越し苦労で終わればよいが、前述の流れを反芻すれば、政権は、「元首相が旧統一協会の広告塔であり庇護者と思い込んだのは容疑者の妄想」として、政権と旧統一協会の癒着の実態を門前払いしないかと心配する。
 同様の危惧を抱く方々は一緒にその心配を声に出しませんか。

 なお旧統一協会の呼称は、正式名称が「世界基督教統一神霊協会」(AssociationであってChurchでない)だから「統一協会」と略称するのが自然であり、初期にはメディアも統一協会自身もこの略称を使っていた。その後、「統一教会」とキリスト教会系の宗教を装うことに転じ、メディアもこれに追随するようになった。メディアもジャーナリズムの原点に帰って真実を追求しませんか。

2022年7月25日月曜日

夏休み写真絵日記

    本家爺ばか日誌。説明不要。




老考古学者の訃報

   考古学者大塚初重氏の訃報が新聞にあった。
 どちらかというと氏は東の方なので直接講演等を受講したことはなかったが、文献等ではよくお目にかかっていた。
 特に写真の『古代天皇陵の謎を追う』は幾度も参考にさせていただいた。

 氏は大正15年生まれで、19歳で戦火にまみれ、上海で敗戦、捕虜となって後帰国されている。
 本によると、建国神話に始まる皇国史観を全く疑いもせず、「必ず神風が吹く」と信じ切っていたという。

 それが1945年4月14日、神風も吹かぬまま輸送船が撃沈され、沈みゆく船からの脱出時に自分の人生と建国神話が吹き飛んだそうで、その死の淵からの生還が、ほんとうの歴史、考古学を専攻した動機という。

 古代天皇陵の謎は、相変わらず建国神話に乗っかった物語の厚い壁の向こうにある。
 古墳が墓である以上、科学と信仰の両面を持っている。しかし、戦前の皇国史観が果たした許しがたい思想統制とアジアの民の死傷を直視すれば、いわゆる「静謐」を保ちつつ正しい歴史を客観的に立証していかなければならない。

 それが現代人の良心というものであろう。

2022年7月24日日曜日

梅雨明け十日

 

   「梅雨明け十日」とは「梅雨明けの10日程は晴天が続く」という意であって、若い頃は丁度子どもの夏休みと合わさって「梅雨明け十日」に山登りを計画したものだ。

 ところが今年は、早々に梅雨明け宣言がなされたかと思うと、戻り梅雨のような雨天が続き、今週(7月24日~30日)もあまり晴天とは言えないような天気予報が報じられている。ただ、山登りの計画もないし旅行すら計画していないから、気温さえ押さえられたら文句はない。

 写真は23日土曜日の朝。今年の天気を象徴しているかのような妖しく美しい朝焼けだった。まあ珍しい風景に出くわしたと喜んでおこう。皆様にも好いことがありますように。

2022年7月23日土曜日

飼育員ピンチヒッター

   孫の夏ちゃんが夏休みに入って家族旅行に出かけたので、急遽飼育員のピンチヒッターを依頼された。

 2つの飼育ケースで、ホンヤドカリ2匹、ホンセンガニ1匹、オカヤドカリ4匹で、夏ちゃんからの指図書では、絶対に30℃以下に保つこと、プクプクを止めないこと、水が減ったら人工海水を足すこと、塩分が濃くならないこと、指図通りの餌をやり、残っていたらとること、水が汚れたら掃除すること、エトセトラと、なかなか難しい。

   こんな飼育を家で続けているとは感心した。
 生き物係は人間界でいえば医師のようなものである。立派、立派。

 祖父母も頼られている内が華だろう。
 絶対に30℃をキープするために、完全エアコン体制のおこぼれで快適に過ごさせてもらっている。

2022年7月22日金曜日

ラッシュガード今は昔

   孫の凜ちゃんがプール遊びをするとき、水着(海水パンツ)の上に上着を着る。ラッシュガードといい、紫外線対策で、今はメンズでも常識らしい。合理的だと思う。

 今から30ナン年前、子どもを連れて市営プールに行ったことを思い出す。
 その頃すでに歳もとっていた私は、上着としてTシャツを着てプールに入ったが、係員はそれを脱げと言った。
 「これはこれ様に持参した水着だ」といっても、彼は「男子水着は海パンだけだという」。

 そもそも私はもう泳ぎもせず、遊んでいる子どもたちをプールの中で立って「監視」しているだけである。そのための日焼け対策だと言っても押し問答で、結局脱いだのだった。

 それがどうだ。今では上着(ラッシュガード)を着けているのが当たり前だという。良い意味で時代は変わった。
 私はというと、何事につけ少なからず時代よりも先に行って抵抗にあうことがある。「時代」というか多くは杓子定規で融通の利かない「風」のことであることが多い。

2022年7月21日木曜日

玉虫似て光る

   叶はざる恋に玉虫似て光る 加藤三七子 の句は歳時記で見つけた。

 そのことは7月2日に『この街に吉兆を』で書いた。毎年街路樹にタマムシが来るのをお節介にも皆様方にお知らせするためケヤキの木に短冊めいたものを吊るした。

 吊るしては見たもののタマムシが来なかったらどうしよう・・と少しばかり心配をしながら梅雨の晴れ間を待ち焦がれた。

 凜ちゃんのお父さんからも「まだ来ませんか」と尋ねられてもいた。心配だけが膨らんだ。

 そして18日(晴)、それまでも来ていたかもしれないが、ようやく今年の「初玉虫」に遭遇した(写真)。ただ、小さなタマムシが飛んでいるところは望遠レンズではなかなか捉えられなかった。

 冒頭の俳句は木に吊るしたが、近頃の政治を見ていると、玉虫のしきりに飛んで村貧し 藤崎久を の句にもドキッとする。

   タマムシはエノキやケヤキやサクラの木の高いところをよく飛んでいる。
 ただ、それほど大きな昆虫ではないから地上から見つけて特定するのが困難。
 そのため「珍しい虫」と言われるが、じっくり探すと見つかると思う。
 近頃はケヤキ並木などケヤキの木も多いから、皆さんの近くにもいると思われる。
 真夏の真昼間に一番飛ぶから、捕獲や撮影は熱中症対策が必須である。

2022年7月20日水曜日

大暑気払い

   夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリー、全員集合で『暑気払い』に出かけた。

 暑気払いと言っても、現役時代の職場の飲み会のような食事会。

 夏ちゃんのお習字の文科大臣賞受賞祝い、凜ちゃんのお誕生日会も兼ねて、わが家がホストになって開催したのだが、妻がズーッと体調不良であったのが少し改善したこともあって久しぶりに行ったパーティーだった。

 祖父ちゃんの用意した「希望」という菰樽の鏡開きもみんな喜んでくれた。もちろん、くす玉風の垂れ幕も好評だった。

 世間ではコロナ禍第7波が報じられている。
 少し前には凜ちゃんと凜ちゃんのお母さんが熱を出して心配したが、陰性だったし快復もした。
 願わくば、疫病退散、ファミリー息災。笑いに勝る予防薬はない。

 祖父ちゃん祖母ちゃんが一番元気をもらった。
 コロナ対策は認めつつ、人間は集うことで元気になるのだ。

2022年7月19日火曜日

軍事力と原発再稼働

   映画監督・脚本家・演出家・ジャーナリストの想田和弘氏の次のフェイスブック記事には肯(うなず)かされた。

🔳 稼働中の原発を「仮想敵国」とやらに攻撃・占拠されたら、一瞬で日本は終わります。

 逆に言うと、岸田首相が再稼働を進めるってことは、「仮想敵国」は実は存在せず、軍事費を倍増するための口実でありギミック(見かけ上の仕掛け)にすぎないということです。

 真剣に国防を考えていたら、原発再稼働はあり得ない。

 もし本気で「仮想敵国」を想定し、本気で脅威を感じているのに原発再稼働を進めるのなら、それは非常に愚かな自殺行為だと言えるでしょう。怖い、怖い、と言いながら急所を差し出しているようなものです。🔳

 フクシマの教訓のひとつは、原発は外から原子炉そのものが攻撃されなくても、制御している機器類、そして実働させている電源(配線)のどこか1箇所にダメージを受けるだけで甚大な被害を生じるということだった。

 核兵器と言わず、通常のミサイルで原発が損傷したら、わが国は一瞬に廃墟となる。
 迎撃ミサイルシステムというのは飛んでくるピストルの弾をピストルの弾で撃ち落とすようなものだし・・、結局ちょっとでも恐怖を想定した場合、先制的に「敵国」の軍事施設プラス作戦指示つまり政治の中枢を壊滅させるほかはない。もちろん、それは瞬時に報復を招くから、建前上の勝敗は別にして、圧倒的な普通の国民が死亡したり負傷したりする。

 NATOには核兵器がある。それでもプーチンを止められなかった。つまり軍事力が抑止力になるというのは虚しい夢だった。
 軍需品はただただ儲かる。昔はそういう勢力を「死の商人」と言った。相田氏の文中の「ギミック」に私は(見かけ上の仕掛け)と追記した。
 霊感商法が話題になっているが、腹の底とは正反対の言葉を巧みに語る者も多い。
 大切なことは、本質を見抜く常識力のような気がする。

2022年7月18日月曜日

大和西大寺は

   いわゆる「戦後」という時代、大阪・堺には東洋一を誇る水族館があった。そしてNHKテレビ放送も始まった。そんなおよそ65年ほど前の10月10日「ととの日」、私たち近くの小学生は社会勉強?というのか本来の授業時間に水族館に出かけた。そこにNHKも来ていて、その夜のニュースをテレビのある家にそれぞれ集まって観るようにということになった。その日のニュースは、「ととの日」で亡くなった魚の供養が水族館でおこなわれ、多くの子どもたちも殊勝に参加したことになっていた。
 「ニュースというものはこういう面もある」ということを教えられた貴重な社会勉強だった。事実、今でもそのことを良く覚えている。神主の祝詞は100%クチパクのヤラセだった。

 10数年前、建国記念の日に橿原神宮に行った。いわゆる保守派の人々が来ているのかと考えていたが、見事に団体参加だった。駐車場は街宣車の自慢会のようであったし、境内は団体ごとに旧軍隊風の行進などを競っていた。
 近代史、現代史を直視しようとする私たちの集まりには学校の先生やそのOB、OGが多かったので、OBの先生などは手足の揃わない右翼の行進を見て、「もっとしっかり揃えんかい」と呟いたので笑ってしまった。
 ただ、その夜のニュースは、「歴史と伝統を重んじる参拝者で賑わった」と報じていた。

 先日、通勤で大和西大寺を利用し仕事でもあの近辺を行きかう人と話す機会があった。「西大寺駅エキナカの花屋さんはどう」と聞くと、実際に弔花で賑わっているということだったが、現場の実際は「普通は人なんか並んでない」ということだった。
 時々は弔花を手向ける人もいないわけではないが、多くの時間は缶ビール片手の酔っ払いがわめいているような場面が多いということだった。
 この記事を書いている私はその話を信じるだけだが、だとするとあのニュースの映像は、きっと団体が集団で行くぞというのをマスコミに知らせておいて「絵」になる場面を流したのかもしれない。
 近々実況見分するつもりだ。
 統一教会のマインドコントロールではないが、普通のテレビニュースも怖い作為がありはしないか。

 写真はニコニコニュースORIGINALにあった『ブンキド博士』さんのもので、大和西大寺駅は日本有数の平面交差が存在し、分岐器が構内だけで28個もあり、「撮り鉄」にはたまらない駅らしい。
 今はそんなことはないだろうが、以前は、右側のホームから大阪に向いて直進する電車と、左のホームから平面で交差して一番右へ京都に向いて出発する電車の発車時刻が全く一緒で、ダイヤどおり出発すれば絶対に衝突するような時刻表があった。今は昔。

2022年7月17日日曜日

人の死を政治利用する国葬に反対

   わきまえない人がいる。やっていいことと悪いことがある。人の死に臨んで多くの人々がわきまえて礼儀を尽くして哀悼の気持ちでいるところを利用して、自分自身につながる政治の評価を国家の定説にしようとするのは、良識ある市民としてやってはならないことである。
人の死の政治利用である。

 それは自民党内の非岸田派の多数である元安倍派であるいわゆる右派(当人たちは「保守派」と称している)に「いい顔」をして支持を得ようとする姑息な計算かも知れないが、それはさておき、

 岸田首相は安倍元首相を「国葬」とする理由について
 「卓越したリーダーシップと実行力で内閣総理大臣の重責を担い、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残し、その御功績は誠にすばらしいものがある」と述べている。

 岸田首相は、その安倍元首相の内政・外交政策について、基本点を継承することを言明しているのであるから、いわば、三段論法的に、岸田政権の政治を全面的に礼賛することとなっている。このロジックは極めて卑怯でもある。

 今の時点で安倍政治の全面的な批判は控えても、安倍政権の残した負の遺産は数え上げてもきりがない。百歩譲って、このように国民のなかで評価が大きく分かれている安倍氏の政治的立場や政治姿勢を、国家として全面的に公認し、国家として安倍氏の政治を礼賛し、ひいては自政権を賛美することは全く容認できない。

 言いたいことは山ほどあるが、今般の銃撃事件は政治テロでもなんでもなく、霊感商法や集団結婚式等で批判のあったカルト教団である旧統一教会によって家族や人生を狂わされたとする信者の家族が、旧統一教会やフロント団体の広告塔であり政治的庇護者と理解された安倍晋三氏を恨んで犯行に及んだものであり、その事件性そのものには国葬に値する性格は何もないどころか、安倍氏の政治姿勢そのものに倫理的疑問符を残すものである。あえて言おう。安倍氏によって自死を選ばされた赤木さんのことを想起するだけでも「国葬」の不当性は明らかである。

2022年7月16日土曜日

はらぺこあおむし

   妻が、パセリの葉に青虫を見つけて捕ってきた。孫の凜ちゃんにホンモノを見せてやると言う。「はらぺこあおむし」のホンモノということである。

 しかし祖母ちゃんの願いは虚しく、凜ちゃんはやはり虫があまり好きでない。隔世遺伝しなかった?

 さて蝶は極端に好き嫌いが激しく、種類によって幼虫が食べる植物が厳然と分かれている。

 だから畑の野菜が好きだったモンシロチョウなどは農薬のお陰で近頃めっきり数が減ってきていて、パンジーやビオラなどスミレ系の園芸植物が好きなツマグロヒョウモンなどは大いに増えている。

 また垣根などの柑橘類系の植物が好きなアゲハチョウなども相対的によく見かけるようになった。

 だからアゲハの幼虫などは虫そのものが柑橘系の強烈なニオイを出すが、だいたい食べるものがその種の香辛料にでもなりそうな植物ばかりだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。。

 デンデンムシではないが、写真は凜ちゃんが割り箸で突いて角(つの)を出させているところ。
 虫めづる姫君や~い。凜ちゃんに虫の楽しさを教えてよ。

2022年7月15日金曜日

100歳の誕生日

   1922年(大正11年)7月15日に創立された日本共産党が100周年を迎えた。
 100年というと、ソ連共産党や中国共産党が数々の間違いを犯して科学的社会主義から逸脱していった中で、それがどれだけ日本国内の反共宣伝に利用され、実際に効果を発揮してきたことかと思うと、まさしく風雪1世紀という感じがする。

 だから、そういう中で、私も「党名を変えたらどうか」と考えたことがなかったかと言えば嘘になるし、世界的にも流行のように党名が変更されたり解党した共産党(国)も少なくない。

 よって、内田樹氏が述べておられるとおり、そういう下で、発達した資本主義国で100年間も同じ名前で活動してきた日本共産党は、まさしく学問の研究対象と言えよう。
 私の実際に見てきたのは60年安保後のことになるが、ソ連共産党とも中国共産党とも大論争を行ってきた日本共産党の路線のことを、反共の人士や無責任な評論家?は「自主孤立」などと揶揄したものだが、その自主独立路線は文句なく正しかった。それは世界史的な素晴らしさだ。
 とは言え、今般の選挙でも課題は大きく多いし未消化であることも間違いない。

 さて13日、東京地裁は福島原発事故に関わって東京電力旧経営陣に対して13兆円超の賠償命令を下した、
 『原子力事業者には最新の知見に基づき万が一の事故を防止する義務がある。
 長期評価は相応の科学的信頼性があり、津波対策が必要であった。
 水密化対策を講じていれば事故を防げた可能性は十分にあり、不作為との因果関係が認められる』という論旨で緻密に構成された判決で、日本国民全体が卑怯で腐ったわけではないことを改めて示したものだ。そこのところは大いに確信にしたい。

 セミは10年近く地中で過ごしてからいよいよ羽化をする。再出発を思わせる。つまらぬ例えかもしれないが一喜一憂しないという格言を思い起こさせる。

 早朝散歩をしたらクマゼミの羽化に巡り合った。翅の美しさが印象的だった。
 セミの再出発が次の1世紀への第一歩という今日(こんにち)と重なり合って見えた一瞬だった。継続は力である。

2022年7月14日木曜日

間直し(まんなおし)

   選挙戦最終盤の街頭演説中に元首相が銃撃されたため、私もこれはテロではないかと一瞬考えたが、霊感商法や反共活動で超有名な旧統一教会によって家庭が崩壊した人物による復讐心と報じられている。

 日本の統一教会・勝共連合は元首相の祖父岸信介らが大いに援助して誕生し、保守派の選挙運動を大きく担ってきた政治部隊で、その組織の宣伝に元首相は大いに寄与してきたから、一部報道にある「逆恨み」というのも的外れで、右派政党・政治家の集票部隊内の矛盾というのが正しいのかもしれない。 

 そこには政教分離という民主主義の原則もなく、信仰の脅しで権力に奉仕し批判者を抑え込むという役割を果たしている。 

 ということもあり、ちょっとした機会でもあるので、改めて科学的社会主義と宗教の関係について再確認しておきたい。 

 古い話で恐縮だが、カール・マルクスは1844年、25歳(なんと25歳!)の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、悩める者のため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いた。 

 この文脈からも明らかなように、マルクスはアヘンを単純に麻薬・毒薬という意味で使っているのではなく、当時の常識である鎮静剤、鎮痛剤として使っている。
 この文章に先立って、ドイツの詩人ハイネも「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」と書いている。故にこの論文のアヘンは、鎮痛剤、精神安定剤と読むのが正しい。
 
 ただしマルクスは、全くの鎮痛剤というだけでなく、当時のヨーロッパにおける宗教(当時のキリスト教)に対する批判も込めていて、宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という批判的意味も込めている。
 当時のヨーロッパのキリスト教は、国王権力と支えあい、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていたことも事実である。 

ところが現代日本の反共主義者は「宗教はアヘン」という1844年当時のマルクスの言葉尻をわい曲して、科学的社会主義を攻撃したりしているが、上述のとおりマルクスが宗教を侮蔑(ぶべつ)していないことは、「宗教によって不幸に抗議している」と述べていることからも明らかだ。 

 つまり科学的社会主義は、反宗教の立場ではなく、宗教が実際に果たした役割を分析し、宗教が担った民衆への奉仕の意義を重視して、世界観の違いをこえた宗教者との共同をはかってきた。ナチスに対するフランスのレジスタンスの標語は「神を信じる者も信じない者も」であった。 

 旧ソ連や中国が宗教に不寛容な政策をとったことがあり、また現在も種々の疑問があるが、日本共産党は、宗教界の多くの人びとが社会進歩に積極的役割を果たしていると考え、日本共産党の綱領は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、この方針をつらぬいて、宗教者との対話と共同を発展させている。
 事実、この選挙でも友人の僧侶が大いに支援の演説などをしてくれて、私は感謝している。

 今般の選挙結果は、正直に言って落胆を否定できないが、大阪などではこんな時、民衆は「まんなおし(間直し)」をしてきた。まんなおしは、運なおし、ゲンなおしと同じ意味である。民衆の鎮痛剤である。写真は二月堂北東角にある「まんなおし地蔵尊」への道案内である。

 この記事を読み直してみて、如何にも竜頭蛇尾ではあるが、このブログを通じて、読者の皆様にも『まんなおし』が届きますように。合掌。

2022年7月13日水曜日

ジョガベンと向日葵

   好きなものを先に食べるか最後に食べるかの議論は楽しい。
 こんなものに正解はないが、私はジョガベン(女学生の弁当)、好きなものを後に残しながら最後に食べる派に属している。

 これのひとつ良いところは、仕事にしても締切りの期日(食事の終了)から逆算して事に当たる癖がついたことだ。

 仕事にしても、社会運動にしても、時期や期日と関係なく「適当な時にできればする」ようなものは存在しないし、一坪農園などを考えると、秋の収穫を考えると夏には何をして、春のいつ頃には植えつけるとなる。種まきなら更に遡るし、冬野菜はいつまでに終了させるとなる。もっと言えば、来年、再来年の連作障害のために今年の種類や場所を考える。
 以上述べたほど几帳面ではないが、まあまあそんなことを考える。

 今年の春、ウクライナの惨状を見て、今年は菜園の一部に向日葵(ひまわり)を植えようと考えた。それが、猛暑のお陰?で咲き始めた。
 咲いている苗を買ってくる手もないではないが、育てた苗が咲くのは嬉しいものだ。


2022年7月12日火曜日

団扇で吹き飛ばしたい

   参議院議員選挙が終わった。大阪選挙区では たつみコータローさんを通すことができなかった。5議席をめざした比例区でも3議席にとどまり、大門実紀史さんを通すことができず、正直に言えば少し落胆している。

単に「地力が足りなかった」というような言葉でなく、この時代を切り開くための今後への運動の教訓は何かという大きな議論をしたい気分でいる。

歳をとると病気にもなる、コロナや熱中症で動きは鈍くなる。さてどうするか。特効薬はありそうもないが、世にはいろんな発信やつながりのツールはできている。ホンキで勉強し議論したらどうだろう。

ただ、大局的に見れば、手を変え品を変えの反共攻撃や野党分断の企みと、それを乗り越える運動の一進一退は常であるから、「諦めない」の一言あるのみ。そして「億劫がらない」かな。

国会の議席だけでいえば憲法改悪が俎上に乗ってくるだろうが、民主主義の運動は国会内だけではない。大阪では議席では多数派のトコーソーを住民投票で阻止してきた経験もある。

さて、今週のイクジイのため凜ちゃん用の団扇を作った。食べることが大好きな凜ちゃんのために表も裏も食べ物のイラストで覆った。この団扇で改憲勢力を吹き飛ばしたい。

この孫の未来のことを考えると、落胆してはいられない。

  闇を裂く梅雨雷とほととぎす

2022年7月10日日曜日

夏の声

   セミが鳴き始め「夏だー!」という感じがいっぺんにするようになった。庭のあちこちに空蝉もある。

 先日、早朝に散歩をすると、ヒ~ ヒ~ というトラツグミ(虎鶫・ヌエ)の声を聴いた。悪いことが起こりませんように。

 その翌日、久しぶりにホトトギスが鳴いていた。こちらはトラツグミと違ってやたらに元気が良い。いかにも夏だ。

 道を隔てた隣家の庭で2匹のキリギリス♂が競い合って鳴き始めた。あのキリギリス、どのようにして隣家の庭にやってきたのだろう。

 こんな長閑な夏の声を楽しみたいのに、昨日はヘリコプター等がうるさかった。大和西大寺駅前はそれほど遠くない。

 アベ政治で一躍有名になった言葉が「忖度」だった。
 日本のマスコミが事件の動機である宗教団体について、異様に口を噤んでいるのも気分が良くない。
 内田樹先生がその報道を「確認した」とツイートしたが、フランスのフィガロ紙が統一教会と報じているのにである。だいたい、母親が何年に破産宣告とまで報じているのに統一教会の名前が判らないことはないだろう。

 多くのテレビ出演者がいわゆる喪服なのも異様だ。赤木さんの死亡報道の際に喪服だったか、コロナ死者数や著名人のコロナ死を報じる際に喪服だったか。明らかにテレビ局は人の死に区別・差別をしている。それは権力(政権党)への忖度でないのか。
 こういう怖ろしい「情報統制」を作り上げたのもアベ政治だった。

 そういう素朴な疑問をラインで送ったら多くの方々から同感である旨の返信があった。テレビの雰囲気ではないまともな感覚が多いことに勇気をもらった。

2022年7月9日土曜日

こんな筈では とならないよう

   7月10日は参議院議員選挙の投票日。
 元首相へのお香典のつもりで投票したら「こんな筈ではなかったのに」ということになる。

 マスコミが自民党の躍進を伝えるため、与党から「憲法改悪」がやたらに発せられている。
 そういう意味では、そういう1票1票が軍事優先国家への信任票になるかもしれない。(こういうのを大阪弁で「おおこわ」と言う)

 「9条に自衛隊を明記するだけ」「緊急事態条項で国会を効率化」と耳当たりはたいしたことがないようだが、少し立ち止まって考える必要がある。

 それは兵隊だけのことと考えるのは大きな誤りだ。軍事大国になるには徴用も必要だし、言論統制も必要だし、軍法会議も必要になる。「そんなことに賛成したつもりはない」と言っても後の祭り、こんな筈ではなかったのに、ということになる。

 プーチンのロシアのような国にしてはいけない!という気持ちは、絶対に軍事費拡大、核共有などという、よ党、ゆ党に投じてはいけない。
 「平和憲法でよい」という気持ちは、文句なしの反戦平和の党、日本共産党の選挙区の候補者に、比例区は日本共産党という政党に投じてほしい。

 惨事○○主義という言葉がある。大惨事に直面すると誰もが気が滅入る。そんな折に「つけ込んで」人権や民主主義を制限しようとする人間が出てくる。○○詐欺ではないが、だから一呼吸おいて考えをめぐらす必要もある。
 テロの問題とは関係なく、この選挙を悪しきアベ政治との決別の選挙にしたい。

 ついては、・・・ココが アツいよ 切り抜き日本共産党 を是非お読みください。
 https://www.jcp.or.jp/kokoatsu/

 公選法の規定により、この記事や直接投票依頼を呼び掛けている過去の記事は、7月10日にはコピー等をしてシェアしないでください。

やさしく強い経済成長を共産党とともに

   日本共産党の選挙政策の中で私が気に入っている一つが「賃上げと社会保障で日本を救おう」という経済政策だ。
 それはどこかの党のように選挙用のバラマキ「口約」ではなく、欲ボケ資本主義を是正するチョー現実的な政策だ。

 竹中平蔵からアベノミクスに至る新自由主義は「市場こそが最も正しい解を出す」というものだったが、ウクライナの惨状を見て「兵器産業こそ買いだ」と動いた株式市場がその非倫理性を如実に物語っている。そんなものが人間社会の正解であるわけがない。

 大企業の内部留保拡大問題も、真面目に設備投資をして製造に励むより、ため込んだ資金でマネーゲームをした方が儲かるという判断の結果だった。
 以前に書いたが、共産党の小池書記局長が「そこまで言って委員会」で右翼の皆さんに言い放ったとおり、「大企業には愛国心がないのですか」だ。

 そこで本日のテーマだが、答は「賃上げこそ一番の不況打開策」だということ。賃金が上がれば購買力が向上し、内需が活性化して景気好循環が生み出される。この理屈は誰も否定できない。
 アメリカでは、2007年から2009年の3年間で最低賃金を41%引き上げ、540万人分の賃上げを行い、その担保として5年間で8800億円の中小企業支援策を行った。
 フランスでは2003年から2005年の3年間で最低賃金を11.4%引き上げ、中小企業の社会保険料事業主負担分を2兆2800億円軽減した。
 その結果、明らかに景気の好循環が生まれ、当初反対していた経営者団体からも、「最賃引き上げはビジネスにも地域経済にも利益になる」と賛同の声明があがったのだ。

 以上はホンの一例だが、日本共産党が日本資本主義を救うというのはジョークではない。少なくない経営者が共産党の政策を支持しているのも不思議でない。
 「経済も共産党」「経済は共産党」。そう聞いて頭の中で不思議な気がすれば、どうか発想の転換をしてほしい。

2022年7月8日金曜日

自粛でなくテロを糾弾すべきでないか

   大和西大寺駅前は私にはなじみの場所だから、妙にリアルに感じられる。わが家でもヘリコプターの音が不穏な雰囲気を伝えてきている。銃撃によるテロは「ついに日本までもがそんな国になったか」という不安を抱かせる。 

 元海上自衛隊員、どんな不満があったかは知らないが、君のしたことは民主主義への許すことのできない蛮行だ。そのことを明確に意思表示しつつ、亡くなられた安倍晋三氏に心から哀悼の意を表する。

 この機会であるから、大々的な批判は留保するが、NHKが、長期政権、アベノミクス、拉致被害者問題、はては戦争法まで持ち出して賛美するのには大いに違和感を感じている。もちろん、森友も加計も桜も全く触れない。この異常さは安倍氏への哀悼とは別に社会問題として指摘しておかねばならない。

 特に、テロがあったからと言って選挙運動を「自粛」するというのはテロの効果を高めていると思う。そのことについて、中島岳志教授の指摘は大切だと思うので、以下に転載する。

 🔳「与野党、選挙運動止めてはいけない」 中島岳志・東工大教授

  今回の事件のような非合法な暴力の目的は、私たちの社会を恐怖によって萎縮させることであり、許されることではありません。今、私たちが取るべき態度は、動揺せず、昨日と同じ今日を生きることです。毅然(きぜん)とした態度で事件が世の中に与える影響を最小限に抑えることが、テロに勝つことにつながるからです。 

 現在、与野党ともに選挙運動をストップさせていますが、それはやってはいけないと思います。今回の事件が週末の参院選の結果に大きな影響を与えてしまうことは、テロが社会を動かすのに有効だと認識されることにつながり、テロの連鎖を引き起こすことにもつながりかねません。私たちは動揺せず、選挙と今回の事件を切り分けて参院選の投票にも挑むべきです。 

 戦前も、テロやクーデターが続いたことで暴力が政治的に有効だという雰囲気が社会に生まれ、「226事件」や「515事件」などが起きました。その結果、治安維持を強化しようと警察や軍部が異様な力を持つようになり、言論や表現の自由が制限されました。今回の事件でも、テロ対策の名の下に、公権力によるさまざまな治安維持が可能になったり、発言を自主規制する空気が社会に生まれてしまわないか心配です。

暴力での圧殺は許せない。

   毎日新聞のネットニュースでは、共産党の志位和夫委員長は8日、兵庫県内での街頭演説で、安倍晋三元首相が銃撃されたことについて「言論を暴力で圧殺するということは絶対に許してはならない。私は断固、強く、この蛮行に抗議をしたいと思う。安倍さんの回復を心から願いたい」と述べた。

 私も、安倍晋三氏の数々の不正には批判的だが、その土俵は司法やジャーナリズムやSNSなどでの言論戦であるべきだと固く思っている。

 ここで彼の言論の場を失えば、モリトモをはじめとする諸々の課題が解明不足になってしまう。
 そういう意味で、立憲野党にとって得する話など一粒もない。

 いわゆるネット右翼(ネトウヨ)の皆さんは「野党が在日を使ってやらせたのだろう」的なデマ宣伝を喜んで行っているが、その風潮から、ナチスが自身で国会に放火しておいて、それをドイツ共産党のせいにして大弾圧をした歴史を思い起こさせる。

麻生自民党のホンネ

   自民党の麻生太郎副総裁は4日、街頭演説で、ロシアのウクライナ侵攻に触れた上で「子どもの時にいじめられたのはどんな子だったか。弱いのがいじめられる。強いやつはいじめられない。国も同じだ」と述べ、「強そうな国には仕掛けてこない。何発かやり返されると思ったらいじめられない。子どもの時の記憶を思い出してください」と強調した。

 「何発かやり返されると思ったらいじめられない」。これは核抑止力論者である自民、公明、維新、国民の一部の「正解」だと思う。ならば、どのようにして「やられたらそれ以上にやり返される」と相手に思わせるか。それは時々「暴発」して見せて「あいつはヤバい奴だ」と思わせることである。時々暴発しない国はヤバくない。

 プーチンのロシアにしても、金正恩の北朝鮮にしても、国内に民主主義がなく独裁であるからこそヤバいわけである。つまり、麻生太郎の主張は、日本国内の民主主義を否定し、戦争反対の声などを強権的に弾圧することによって初めて成立する「理論」である。麻生太郎の主張は、核抑止力論者共通の「正解」であり、非常に危険な主張である。

 麻生太郎の主張にはもう一つ重大な問題がある。それは、核抑止力論の例えに「いじめられた子は弱い子だったからだ」というものだ。
 ここには、現実にいじめによって自死したり、あるいは心に大きな障害を残した子や家族への想像力がない。これではいじめの主要な原因が被害者の弱さになってしまう。

 実際戦争では「弱い子」「障害者」等は「役立たず」「邪魔者」にされてきた。酷い例では「肉弾」にさえされてきた。「弱い子」の祖父である私としても絶対に許すことのできない発言だ。

 先日は、気候の変化でいっぺんに体調を崩した孫のイクジイだった。
 イクジイで「ほら、祖父ちゃんはワンワンと友達だよ」とスマホ画面を見せて勇気づけた。
 孫は「そんなあほな」というような不思議な顔をした。

 参議院選挙では、こんな孫のような子を切って捨てる軍拡論者(政党)に、みんな、間違っても投票しないでほしい。反対に「戦争させない国際的な平和の枠組み」にホンキで努力する日本共産党とその候補者(大阪では たつみコータロー)を支援してほしい。

2022年7月7日木曜日

人間の勝手

   3月29日に『カラスの勝手』という記事を書いた。近所の電柱にカラスが巣をつくった話だった。

 カラスと雖も野生動物である。しかも特定外来種でも何でもない。ということで、自治体は「この上にカラスの巣がある」旨の表示をして巣立ちを待った。

 そして巣立ちを確認してから巣を撤去し、写真のように二度と巣を作りづらいような「イケズ」な装置を設置した。
 駅の送電線の鳩除けの針山と同じ発想?

 私はゴミステーションの隣家のためカラスには好印象はない。ネット(インターネットのことではなく網のこと)越しでもゴミ袋を突いて周囲に撒き散らすから、声を聴いたら飛び出してカラスを追っ払っている。

 しかし、よく考えたら。袋をキチンとしてネットをキチンとすれば相当程度そういう被害は避けられる。だから、主たる原因は人間が作っている。

 「自分の行動がどういう結果を招くかの想像力もないんかえ」と怒ってはいるが、近所のガミガミ親父と嫌われる気もないから、カラスに八つ当たりをしている。カラスもかわいそうなものである。

2022年7月6日水曜日

アリとキリギリス

   いっぺんに猛暑がやってきて、草原ではキリギリスが鳴き始めた。
 小さい頃は草原の縁(網で捕りやすい場所)に玉ネギの欠片を置いておいて、しばらくして出てきたキリギリスを捕獲したりした。

 また、おもちゃ屋や駄菓子屋でキリギリスが売られていて、虫籠に入れて鳴き声を楽しんだ。懐かしい思い出だ。

 さて、イソップの寓話『アリとキリギリス』は元はアリとセミらしい。ヨーロッパの北の方にはセミがいないので途中でキリギリスに翻意されたらしい。

 いずれにしても寓意は享楽的生活をせず、将来のためにコツコツと生きろということだろう。上から目線の「節約生活に安住せよ」には全面的に賛同しがたいが、人間の生き方に関して大きな柱としては首肯できる。

 ここの生活上の順序のコントロールが効かなくなるのが依存症である。ギャンブル、薬物、アルコールなどがある。
 現職で中間管理職の頃、アルコール依存症の治療に付きあって専門医院に通ったことがあったが、付添人として先生の話を聞いたが、「止めなかったら3年以内に死ぬぞ」と言われるぐらい回復が困難な文字どおり「病気」だった。ギャンブル依存症も同じ。

 故に、博奕の禁止は持統3年(西暦690年)持統天皇による双六禁止令からこっちの原則であった。こういうことを一般に「伝統」という。
 1330年以上前からの天皇の指示を破ってカジノなる博奕を始めようとする大阪維新らは世が世であれば不敬罪ものだ(このセンテンスは勿論ジョーク)
 先日、山口県阿武町の振込間違いで不当受領したバカ者が一瞬にして4630万円を博奕でスッタが、このとおり一瞬にして人倫を踏み外すのがギャンブル依存症などの依存症である。

 今度の選挙ではハッキリとカジノNOを意思表示しなければ、安心した社会を子どもたちに引継げない。縦横斜めかっきり真四角に生きろとは言わないが、やっていいことと悪いことがある。維新のカジノ推進は間違っている。腐っている。

2022年7月5日火曜日

核兵器つかうな・なくせ!

   2022原水爆禁止国民平和大行進があった。古巣の労働組合は美しいリレー旗を新調していた。その心意気やよし。

 私が作っていったポテッカーはトップに『プーチンは核をつかうな・威嚇するな!』として、例の『ひまわり』の写真を使った。まずまずの出来と自画自賛。

 その『ひまわり』のウクライナを見て、故意か短絡的か、軍拡を叫びまくっている政党や人がいる。

 よく考えてほしい。幾つかのヨーロッパのNATO軍基地には核兵器があるにもかかわらずロシアは戦争を始めた。この一事をもってしても「核が戦争の抑止力になる」論の破綻が明白であるにもかかわらず、中学校の番長同士の「なめられたらあかん」という喧嘩の論理で語る風潮は怖い。

 何回か書いたことだが、核抑止力というのは「怒らしたら本気で使いよるか知れん」という国(の指導者)であってこそ成り立つ論理で、あの国(とその指導者)は立派だという国であれば成り立たない。だからプーチンは実際に恐れなかった。

 日本が核抑止力でロシアをビビらせるとすれば、北の国のように、モスクワの頭上(成層圏あたり)を越して北極圏に核兵器搭載可能ミサイルを時々飛ばさなければならない。
 そしたらロシアは日本の原発の上を超えて太平洋にミサイルを飛ばす。
 こういう「張り合い」をチキンレースと呼ぶ。
 核抑止力論は中学生の番長同士の喧嘩と同じ論理だと理解していただけるだろう。

 ウクライナの現実を見ても、戦争というものはハイテク兵器の空中戦だけでは済まない。占領地に兵士イコール人間が進軍しなければならない。つまり絶対的に戦争は殺しあいなのだ。捕虜になったロシア兵が「演習だと言って連れてこられた」と語ったように、軍隊と民主主義は相性が悪い。
 軍拡は必然的に徴兵以外にも一般国民の徴用を必要とする。そして従わない国民まで裁く軍法会議も必要とする。

 そういう本質的な議論を避けて軍拡を煽る政党は今度の選挙で絶対に許してはならないと思う。

2022年7月4日月曜日

野菜の顏して有毒のワルナスビ

   維新の大阪府知事が、公務を放ったらかして京都につきっきりという。京都では維新の候補を国民(前原)が推して、共産や立憲を負かそうと企んでいる。 

 その知事さんの大阪府だが、72日時点の都道府県別コロナ死者数、人口100万人あたり、ワースト2位東京325,9人のところ、大阪府は589,6人とダントツのワースト1である。
 たまたまそうなったのではなく、ズーッとワースト1を「死守」している。
 早い話が47知事中、行政能力最低の知事である。

 ところが不思議なことに人気があるという。テレビが原因らしい。
 こういう厳然たる事実と在阪テレビ局の報道姿勢の間には天と地ほどの格差がある。まるでプーチンのロシアの情報統制。世論操作に似ている。
 ヨシモトや読売テレビが大阪府と業務提携契約を結び情報を誘導している故である。
 普通の商売なら、誇大広告、不当表示と処分されるようなことが近畿では起こっている。

 上記の統計数字だが、「大阪はそんなところだ」では済まされない。兵庫は411,9人、奈良が296,0人、京都が290,1人と、全国的に不名誉なワースト組に首をそろえている。兵庫、奈良、京都は大阪の無策のあおりを食って死者を増やしている。

 よって、近畿が力を合わせて維新を駆除する必要がある。
 野菜の顏して有毒なワルナスビの駆除のように。
 京都は たけやまさいこ 大阪は たつみコータロー 兵庫は こむら潤 奈良は北野伊津子 そして比例区は日本共産党、みんな頼んます。(コロナ死者数で県を限定して書いたが、全国の都道府県でも頼んます)

2022年7月3日日曜日

書道の教師になる

 小学生の頃、「この漢字を30回書きなさい」という場合、私はいつも一番早く書き上げた。
 常に「どうしたら効率よく対応できるか」を考え、例えば縦線をズーッと30マスに書き、次いで横線ばかりを30マスに入れていった。そんなもので、本来の目的である漢字の書き方の練習には全くなっていなかった。
 同様の発想で、読めばわかるからときれいに清書することは全くせず、常に字は汚いが仕上げるのは早かった。当然、字はへたくそになった。

 その後、その悪筆の上に筆圧が強く、故に、文章を書きなおす=推敲するのが大嫌いになり、結局、字を書くこと、文章を書くことが大の苦手になった。

 ズーッとズーッと後に、この世にワープロなるものが出現したとき、「この機械は私のために作られたのだ」と喜んだが、原点である文字や文章を毛嫌いしておろそかにして来たものだから、文章作成はワープロだけではどうにもならないことを思い知らされた。

   そんなもので、孫の夏ちゃんがわが家で夏休みの宿題のようなものをするとき、漢字の練習などを嫌々、気を抜いてしているので、「実はなあ、祖父ちゃんは・・」と先の経験を語り、音楽やスポーツのトレーニングと同じで、体に覚え込ませる大切さをこんこんと説いてきた。

 夏ちゃんは、「また祖父ちゃんが同じことを・・」と鼻で笑っていたが、どこかで覚えていてくれたと思っている。先日、『親の意見と茄子の花は‥』と書いたとおりである。

 その夏ちゃんが何時しか書道教室に行くようになっていた。そして、その全国的な大きなグループの書道展がグランキューブ大阪で開かれた。大層な書道展だった。

 そしてそしてナント夏ちゃんは、金賞銀賞などなどを飛び越えて、小中学生の部でピカ一の文部科学大臣賞を受賞した。

 この記事のタイトルのとおり、私はこの快挙の立派な反面教師になったのだ。夏ちゃん、よくやった。何よりも大阪府知事賞でなかったことがエライ。

2022年7月2日土曜日

最新のコロナ死者数では

   コロナの感染者数がまた上昇している。
 選挙前に「コロナを克服した」ように見せて GoTo などといって票田を掘り起こそうとした結果ではないだろうか。

 こういう自公政権に着いて行くと大変なことにならないか。 

 さて、コロナの死者数だが、7月1日現在の数字では、
   東京 4577人、
   大阪 5210人となっている。

 これを令和2年10月国勢調査の人口比で見てみると、
 人口100万人あたりの死者数は。
   東京 325、8人、
   大阪 589、5人、

 とまれ! 大阪府は断トツのワースト1。最悪の都道府県となっている。

 維新の知事と市長は全国を飛び回り、「大阪の実績を全国で」と言っているらしいが、背筋が寒くならないか。
 こういう厳然たる大事な事実をメディアは報道しない。ならば、SNSで拡散する必要がある。

この街に吉兆を

   気象庁が梅雨明けを宣言した。この異例の早さを人間は納得しても、昆虫には通じているだろうか。
 もし通じているとしたら、例年よりも早くわが家の裏のケヤキの街路樹に吉兆虫(タマムシ)が来ることだろう。これは楽しみ・・。

 ただ、卵は枯れ枝あたりに産み付けられ3年程かけて成虫になるといわれるのに昨秋には丸坊主に剪定されたから少し心配だ。

 この街路樹の遊歩道は駅へ向かうある種ひとつのメインストリート(通勤路)だが、皆さんご想像のとおり、樹上のタマムシは99%住民に知られていない。

   考えてみれば大阪市内へは1時間半はかかるから、朝晩通勤に歩いているサラリーマンと昼間のタマムシはすれ違っていて当然だ。

 ならば休日はどうだ、犬の散歩時はどうだ、といっても樹上を眺めながら歩く人もいない。折角のタマムシ、惜しいことだ・・と私は思う。

 経済も政治状況も長期停滞の昨今、少しでも”プチ愉快”な情報を皆さんにお知らせしたい。
 ・・で、作ったのが小さなカード。これを5本の欅(ケヤキ)の木にぶら下げた。中のひとつには、加藤三七子の『叶はざる恋に玉虫似て光る』を紹介した。
 通勤時にでも読んで、「ならば休日の昼にでも探してみるか」となれば嬉しい。
 早速、散歩(ウォーキング)の方が「何々」という体で読んでくれていた。

 見つけた人にはきっと好いことがあるに違いない。

 蛇足ながら、「タマムシは何故光る」という問いに「鳥よけにCDをぶら下げるように、鳥があの光沢を嫌がるから」というのを読んだことがあるが、私は飛んでるタマムシをカラスが見事に咥えて食べたのを目撃している。自然界は不思議がいっぱいだ。

 吉兆はタマムシ頼みでなく、共産党への一票(2票)で! との正論は暫し横に置いておいて、ここは単純に笑っていただければ幸いです。笑顔と楽しい話題は広がります。

2022年7月1日金曜日

夏越の祓

   水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶと言ふなり

 夏越の祓(なごしのはらえ)で茅の輪を潜るとき、この古歌を詠いながら8の字を書いて回る。
 悪疫退散で長寿を願うのは誰もの願いである。

 そんな折、自民党の茂木幹事長は「消費税を下げろというなら年金を3割削減しなければならないよ」と公然と発言した。
 岸田首相は首相で「消費税は社会保障の財源だから減税できない」とも。
 しかし、消費税が導入されて33年。消費税は476兆円。日本は立派な福祉国家に$%&#?? といいたいが、その間に法人税、所得税などは613兆円の減税で、消費税は福祉に使われたのではなく大金持ちの減税に使われた。

 悪疫退散の相手は明白だ。

 さて、小学生の頃は時間の遅さが嫌でしょうがなかった。早く歳を取りたかった。それは「あんなこともしたい、こんなこともしたい」という希望がそうさせていたのだろう。

 そして今、時間の早さに目を回している。目を回している間にさえ刻は全速力で逃げ去っていく。
 夏越の祓(なごしのはらえ)ということは、もう1年の前期半分が過ぎ去ったということ。
 医者通い以外に何をしただろうかとゾッとする。

 後半戦の初っ端には平和行進がある。体力が持つだろうかと逡巡しているが、集会だけでも駆けつけようか。