2021年1月31日日曜日

疫病除けの勧請縄

   コロナ禍でアマビエなどがいっぺんにクローズアップされたが、そもそも古くから「疫病は外から侵入してくる」という経験知は全国的にあったから、村落内への侵入を防ぐ対抗策もいろいろとあった。例えば「賽の神(さいのかみ)」であったり「勧請縄(かんじょうなわ)」である。

 勧請縄とは、疫病などの災厄が村落内に入るのを防いだり、災厄を賦与して村落から追い出す意味合いで、藁や草で作った縄、人形、わらじなどを村落の境に祀るものである。

 奈良の飛鳥の勧請縄や京都笠置の勧請縄は有名で、昔このブログでも紹介したが、わが家からクルマでなら20分もかからない木津川市鹿背山の集落の入口にもそれはある。

   鹿背山は聖武天皇の甕原(みかのはら)離宮があったあたりで、恭仁京の真ん中に位置する古い集落である。ただ恭仁京は鹿背山のあたりを空けて東西に左京、右京を造った。

   また中世には非常に珍しく武士でない興福寺が築城したとされる鹿背山城もあった。興福寺の後は松永弾正が入り、一国の大名並みの城ともいわれている。しかし現在は、巨大ニュータウンに隣接しながらも、そこだけ歴史が止まったかのような静かな農村に感じられる。

 鹿背山の勧請縄は、呪物もいたってシンプルだが、普通にクルマが走行する道路に堂々とまたがっていて、疫病も侵入するにはちょっとは躊躇しそうな気配が漂っていた。

2021年1月30日土曜日

今ごろ研修医問題

   127日の朝日新聞によると、東京の中央労働基準監督署が、日本医科大学付属病院が大学院生の医師らに外来診療をさせていたのに給与を払っていなかったとして是正勧告をしたと報じている。「何を今ごろ?」というのが私の感想だ。

 私が現職時代の1998年に関西医大研修医過労死事件があった。当時の関西医大は「研修は労働でない」と主張したが、北大阪労働基準監督署は実体から見て研修医を労働者と認め、・労使協定の届け出なく時間外労働をさせた、・割増賃金や最低賃金を払っていない、などとして関西医大病院に研修医の労働環境の是正勧告を出した。さらにその事案を過労死として労災認定した。

 大学側はそれでも「研修医は労働者ではない」と種々反論したが、200563日最高裁第2小法廷での上告審判決は、「研修医は病院のために患者への医療行為に従事することが避けられず、労働者に当たる」として、最低賃金との差額を支払うよう命じた大阪高裁判決を支持、同病院側の上告を裁判官全員一致で棄却し遺族側勝訴が確定した。その後、厚労省も文科相もそういう見解に立って指導してきたはずである。

 そこで私の感想だが、判例は極めて重要だが判例だけでは世の中は変わらない。判例の精神を現場に定着させる労働運動が不可欠だ!という感想を持った。

 「研修させてやっているだけで雇用でない」という主張によく似た主張は安倍・菅内閣でよく聞く主張である。「検事は公務員である(だから定年延長できる)」とか「学術会議には税金が投入されている」の類である。ものの本質をはぐらかす政権の発言を許さず、理性的に議論を戦わすことができる国にしたいものである。

 重ねて言うが、判例や法律を、もっと言えば憲法を職場に活かすには民主的な労働組合、労働運動が不可欠である。

2021年1月29日金曜日

ニュウナイスズメと年齢

   だいぶ日にちが経ったが、南岸低気圧の日に近畿地方中部でも雪が降った。そのときに奈良公園で撮った野鳥の写真を名前を決めかねてアップするのを控えていたが、エイヤッとアップすることにした。私の結論はニュウナイスズメだとしておきたい。

 写真では写らないが、飛び方というかピョンピョン跳ね方も普通のスズメとは少し異なっていたように思う。

 小学生の頃、確かスズメは益鳥、ニュウナイスズメは害鳥と教えられたような気がするが、もしかすると反対だったかもしれない。もう遠い記憶のかなたのことである。

 遠い記憶、つまり歳をとったということだが、先日誕生日の前日に医院で採血をした。そこで看護師が軽く「年齢も変わりませんね」と聞くので「ハイ」とおうむ返しに返したが、ちょっと待てよ。確か年齢計算に関する法律では生まれた日が「1日」という年齢で、1年後の誕生日の前日(正確には24時?)に1年が満了するから前日に1歳加えるのが正しいのだろうか。0時01分であろうが24時0分であろうが日を単位として数える場合の日としては同じだろう。

 小学校中学校の同級生に4月1日生まれの友人がいたが、4月1日生まれまでが「早生まれ」と称される所以もソコにあるのと考えるが・・・。だいたい生まれた日を1日目と数えるのであるから初めての誕生日は「1歳と1日目」になる。ならばその前日は(誕生日の前日は)1歳と0日だから、やはり誕生日の前日に1歳歳をとるのではないだろうか。

 こんな他愛無いことでもいざとなったら自信がない。それでも偉そうに法律をいじくって仕事をしてきたのだからエエカゲンなものだったと反省している。

2021年1月28日木曜日

告発の業務量

   国会で新型コロナ特措法・感染症法等改定案が議論されている。閣議決定された改定案では、業者や患者や病院を罰金や刑事罰等で罰するとしている。魔女狩りや西部劇を想像させる。さすがに27日の新聞報道では『入院拒否に懲役 削除へ調整』になっているが・・・、

 私はこんな主張や提案をする知事や国会議員のレベルの低下に寒気を感じている。現場・現実を見ようとせず、マスコミ受けのよい勇ましい発言を繰り返す。それは、太平洋戦争に突入した扇動政治の再現ではないだろうか。

 例えば保健所は「署」ではなく「所」であるから、司法警察権も持たない地方自治体の行政機関である。元々地味ではあるが公衆衛生等の上で重要な機関である。にもかかわらず自公政権や維新の自治体は「官から民へ」「小さな行政」「身を切る削減」等を喧伝し、削減につぐ削減、縮小につぐ縮小を行ってきた。私の想像では、少ない人員で日々発生する受け身の仕事を遅滞させないことに精一杯だったと思う。その上にこのコロナ禍である。

 自宅療養者とのコンタクトが薄いとか入院の手配が遅いとか、テレビではコメンテーターなる方々が「解説」されているが、体制と過重労働をテコ入れしないままでは限界がある。無責任なコメントは凶器ですらある。そこへ今回の「罰則問題」である。

 私も現職時代はよく似た受け身の行政サービスの業務に従事した。業務は次から次へと受理される、受け身でそれをできる限り待たせることなく処理をする。そしてまれに、不正な事案が発生すると、証拠になる調査を重ね警察なり検察に告発する。そういう特別の業務に対応できる体制も人員もストックはされていないから純粋に上積みの業務になる。さらにさらに警察や検察の調書作成その他の業務が付いてくる。

 私が現職の保健所の職員なら、ええかげんにしろ!と叫ぶだろう。そしてその矛盾は廻りまわってコロナの患者や家族や病院に廻ってくる。

 報道されているところによると、日本公衆衛生看護学会や全国保健師教育機関協議会や全国保健所所長会なども刑事罰には反対しているようだ。

 どうか、政治の責任者を免除するような分断と憎悪の自粛警察社会には賛成しないでほしい。しかし、自民党や公明党の幹部が夜遅くまで銀座を渡り歩いていたのはどうもねえ。言うこととやってることが違うのは維新と変わらない。

2021年1月27日水曜日

新年始まる

   タイトルを見て「何を今ごろ?」と思われただろうが、私は初詣には行かない年があっても十日戎に参らない年はほとんどなかった。それが今年は深刻なコロナ騒動で、「密を避けよう」というテーマに納得して出かけるのをやめ、1月10日に書いたとおりリモートで参拝した。◆リモートで頼んまっせ戎っさん

   その福笹が24日にわが家に宅急便で到着した。「疫病退散・病気平癒」のお札はきっと今年のオリジナルだろう。小さい頃から戎っさん(その頃は堺戎)に参ってきたが、戎っさんから領収書(が入っていた)を貰ったのは初体験だ。◆吉兆は領収書付きの宅急便

 これでようやく新年に改まった気になった。(とタイトルに返る)

 写真の福笹には以前の分も付けたので少し賑やかに写っているが、家のならわしで、私は基本の吉兆プラス何かひとつしか付けない。その年の気分で前年よりもレベルダウンしたりするのはよくないと祖母にいわれた言葉を厳守している。

 この吉兆(きっちょう)は別名小宝とも呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物が付いているので、考えればこれで十分なのである。『摂津名所図会』にも参拝者は今とほゞ同じ福笹を持っている。

 さらに『摂津名所図会』には「詣人、後ろの羽目板をたたきて諸願をかなえたまへと訴ふる事かまびすし」ともあるが、これだけはリモートでは叶わなかったが、祈祷料・初穂料の中にはきっとドンドンと叩いてくれた分も入っていたのだろうと信じることにする。

 でも念のため。「戎っさん! 疫病退散、たのんまっせ! ドンドン」。

2021年1月26日火曜日

脇田氏のインタビュー記事

   1月24日の赤旗日曜版に、国立感染症研究所所長・政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長代理・厚生労働省のアドバイザリーボード座長の脇田隆字氏のインタビュー記事が出ていたので少し面食らった。

   というのも、安倍~菅政権のコロナ対策の失政の重要ポジションにいた人ではないかと思ったからである。しかし、政府分科会の尾身会長のようにはメディアにもほとんど登場していなかったから、推測や印象で判断せずその発言をゆっくりと読んでみた。

 コロナについては既に各所で様々な情報が発せられているから、特に印象に残った個所を記録しておきたい。

 氏は、感染拡大の要因は4つあると指摘している。①人口密度、②基本的感染対策の守られ方、③気候、④人の移動、である。

 「人の移動」では、国内の都道府県を跨いだ移動歴のある例は、移動歴のない例に比べて2次感染の頻度が高い(2020,12,3)と述べ、GoToは人の移動を促すメッセージになったと認めているようだ。

 次に感染力について、「発症する2日前ぐらいからの5日間ほどが非常に感染力が高い」と指摘している。ということは「発症した人を隔離する」「クラスターを抑え込む」戦略では遅すぎることになる。少なくとも、濃厚接触者と認定された人は、その時点では陰性であっても2週間は健康観察をして、外に出ないようにしてもらうことが大切だということになる。

 結局政権は、GoToを始めるなど都合の悪いときは専門家の意見を無視し、GoToを中断するときは専門家の意見だというように利用してきただけのようである。

 1月25日のJIJI.COMによると、いくつかの各国「延べPCR検査実施率」(総人口の中の検査回数の割合。一部の国ではより簡易な抗原検査なども含まれる)は、香港約74% 米国(加州オレンジ郡の場合)約67% グアム約63% 豪州約45% イタリア約45% スイス約44% オーストリア約44% マレーシア約11% フィリピン約6.5% 日本約4.4%となっているから、検査数(率)だけでは解決はしないだろうが、やはり面で検査を実施し先手の対策を打つことが重要だろう。日本の現状は問題外である。その為にも、保健所等の機能の充実は避けられない。

 結局、政権の中の専門家も、じっくり読むと現在の政策を批判しているように見えるがどうだろう。

 日本共産党は、第1に、PCR等検査を抜本的に拡充し、無症状者を含めた感染者を把握・保護することを強く求めている。 第2に、医療機関と医療従事者、保健所への支援を抜本的に拡充することを求めている。 第3に、自粛要請と一体に十分な補償を行い、コロナから雇用と営業を守る大規模な支援策を求めている。 そして最後に、事業者や患者などに刑事罰を科す法改正には「感染症対策は国民の理解と協力、補償と社会的連帯で進めるべきだ」と、刑事罰導入案の撤回を求めている。

 私は公平に見て、専門家の知見は共産党の政策とシンクロしているように思う。

2021年1月25日月曜日

鬼の寒念仏

二十四節気は、太陽の1年を24分割したものだから四季の趣とほゞ同調していて侮りがたい。

   今年の場合1月5日が小寒で、この日(寒の入り)から立春の前日つまり節分までの30日間が寒の内である。寒稽古、寒中水泳、寒行、寒参りなどの期間であり、寒念仏というのはこの30日間、市中や寺社を鉦や太鼓を叩いて題目や念仏を唱えながらめぐった修行?のことというが私はこれまでに実見していない。延暦寺や永平寺の寒行托鉢がニュースになるが、ああいう感じの、もっと庶民レベルの民俗仏教行事であったようだ。

 寒念仏最後の修行を「切り回向(えこう)」といい、「寒念仏鬼で目を突く切り回向」は、節分の豆で目潰しを食らった鬼がうろたえるトバッチリで、寒念仏仕上げの夜だというのに修行僧が鬼の角で目を突かれたという川柳である。

 大津絵では、この鬼の寒念仏のデザインが有名(人気)で、愛嬌があって私も好きである。

 その意味は、一般的には鬼の「空(から)」念仏といわれ、心にもない慈悲(寒念仏姿)を装っていても鬼は鬼ということで、うわべだけ殊勝な恰好をしてもアカンということらしい。昨今では、自公や維新の公約や発言が正にぴったりだが、いささか大津絵の鬼には可哀相な話である。

 大津絵は画題ごとに意味付けされた護符でもあり、鬼の寒念仏は子供の夜泣き封じの護符であったらしい。

 節分が近づいてきたが今年は友人のお寺の節分会も中止になった。そんなもので、床の間に小さな大津絵を掛けて節分を待っている。

 コロナ禍で経済の落ち込みが激しいが、今年はステイホームで恵方巻が大当たりしないだろうか。しかしショッピングモールはバレンタインデー一色になっている。世の中に鬼のような人間が増えすぎたので鬼も立つ瀬がないのだろう。 

2021年1月24日日曜日

大門実紀史議員のハート

   日本共産党の大門実紀史参議院議員のフェイスブックに目が留まった。論理的な国会質問と人情溢れる暖かいハートで有名。改めてファンになった。

   ◆< 霞が関の夜も更けて >

 きのう、A省の中小企業担当課長のTさんが昨年12月で突然退職されたと聞いて、とても驚きました。

  Tさんは、コロナ禍から中小事業者を守るために、緊急融資や持続化給付金の創設など最前線でがんばって来られました。

 定年はまだ先なのに中途退職された理由は周囲もよくわからないとのこと。

 休日返上で朝早くから夜中まで激務をこなしていたので、心身ともに疲労が蓄積したのでしょうか。

 Tさんは人の話をていねいに聞く穏やかな方で、私とは何度も議論をし、持続化給付金の拡充や、企業組合の事業者の救済などに尽力してくれました。Tさんの働きで助かった人はたくさんいます。

 しかし持続化給付金は事業者全体をカバーするものではなく、給付までの時間もかかったことから、現場から不満の声が絶えることはありませんでした。

 Tさんは運動団体の交渉や野党合同ヒヤリングで、いつも批判の矢面に立たされ、時には一部の議員から口汚く罵倒されることもありました。

 持続化給付金の不備はTさんではなく、安倍政権の責任です。責められるべきは安倍首相(当時)と政権・与党の政治家たちです。

 ある時、疲れきった様子のTさんに「400万人も給付されたのだから、一息ついたと喜んでいる人も大勢いますよ」と言うと、「そう言っていただけるだけで」と、笑顔を見せました。

  霞が関の官僚のみなさんは、政権にすり寄って悪い役割を果たす人も一部にはいますが、ほとんどは世のため人のために働きたいと真剣に考えている人たちです。官僚全員を自民党の手先のように見下して敵視するのは間違いです。

 野党連合政権を実現し前に進めるには、官僚のみなさんを信頼し、良い方向で存分に力を発揮してもらう必要があります。霞が関を大きく受け入れる度量が今から私たち野党に求められていると思いました。

  それにしても今頃、Tさんはどうしているのでしょう。「コロナが収束したら飯でも食べましょう」とA省の若い職員さんに伝言を頼みましたが、返事は来るでしょうか。 (写真は夜が更けても明かりが消えない霞が関の中央省庁です)◆

 確かに、住民運動などの中でも、公務員イコール権力の手先、果ては特権層的な誤解をしている声も聴く。大阪の維新などは公務員イコール既得権益層というキャンペーンを張って、改革者の虚像を飾り立てた。

 それに比べて大門さんの度量の深さと見識の高さはすばらしい。多くの方々に読んでほしいフェイスブックの記事だった。

2021年1月23日土曜日

医療崩壊を冷静に考える

 テレビを見ていて気になることがある。どうも「医療逼迫の原因は非協力的な病院のエゴにある」的な論調が目立つような気がする。
 私は現職時代医療界とも関係があったから、100%そんなことはないとは思わないが、しかし今の論調には賛成しがたい。要するに政治の無策に対する国民の怒りを仮想敵【偉そうな医者】に誘導しているように思われる。もっと冷静に事実を積み重ねて議論すべきではないだろうか。

   丁度フェイスブックで貴重な実情をお聞きしたので、記録の意味も込めてブログに転載させていただく。若干の( )の但し書きは私が付け加えた。投稿者は大島民旗医師で、プロフィールによると、勤務先: 日本プライマリ・ケア連合学会で西淀病院 院長でもある。

 ◆ この間民間医療機関のコロナ受け入れ協力病院が少ない、協力しない場合は病院名を公表すると政府が進めようとしています。大阪府の吉村知事はさらに進んで、14病院で30人を受け入れていただく想定をしていると報道されました。一民間病院の責任を持つ立場にありますので、見解をお示しします。

当院は大阪市内にある200床規模の内科二次救急告示病院です。一般病棟2病棟と回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟との「ケアミックス型」という類型になります。大阪市内で200床と言えば小規模と言って良く、当院の半径5kmには300床超の大規模DPC病院(診療報酬が定額算定される主に急性期病院)が15もあります。一見して心筋梗塞、脳梗塞といった症状の方は救急隊が受け入れ先に困ることはありません。当院の役割は診断のついていない発熱や、原因のはっきりしない意識障害の方などを、まずは救急で診て、当院で治療が可能であれば当院へ、不可能と判断すればより高次の治療が可能な病院へ転送することです。地域包括ケア病棟や回復期リハビリテーション病棟は、高度急性期医療を担う病院で急性期治療の区切りがついた患者さんを速やかに受け入れ、地域へ帰していくことも大きな役割です。大規模DPC病院と私たちのような地域の病院、そして介護施設や在宅サービスなどが上手く連携を取って、なるべく患者さん、地域の住民が安心して暮らせるようにするのが「地域包括ケア」の考え方です。

昨年の新型コロナウイルス流行以降も、これまで通り地域住民の医療ニーズに最大限応える姿勢を変えず、発熱・呼吸困難患者も原則お断りせず診療を行ってきました。しかし新型コロナウイルスの流行により、大規模病院のいくつかがコロナ患者の入院治療に軸足を置かざるを得なくなったためか、外来での救急受け入れ機能が低下したようで、ここ数年は月平均220件くらいだった救急搬送依頼が今年度は月270件に、月190件だった救急受け入れが約230件に増加しました。また救急搬送依頼も、平時はせいぜい近隣の行政区からなのですが、摂津市、鶴見区など相当離れたところからの搬送が増えました(距離にして12kmで、関東だと東京タワーとスカイツリーの距離くらいです)。この状況からも、すでに地域での救急医療が破綻していたことがわかります。また、新型コロナウイルス感染症の診断がついた人は受け入れ病院へ転送できますが、未確定の「可能性がある」状態(疑似症)では転送は困難ですので、一旦当院の個室隔離入院とし、診断がつき次第転送して治療していただくようにしていました。「第三波」では多いときには同じ病棟に同時に7名も個室隔離の方がいる状況になりました。

新型コロナウイルスの診療は、感染防御のためのPPE(個人用防護具)着脱など他の疾患よりも費やす労働力が多く、同じ看護体制で診ようとすれば病床数を減らさざるを得ません。当院はそもそも普段から満床に近い運用となっている(2019年度平均占床率98.4%)のに加え、特に冬場は体調を崩して入院が必要な方が多くなるため、空きベッドがほぼ無い状況で運用していました。現在はさらに労働負荷が増加しており、同じ法人の診療所や外来の看護師から支援をもらって、ケアの質を落とさないよう対応してきました。コロナ以外にも、入院加療をしなければ命を落としかねない患者さんがたくさんいらっしゃいます。為政者の方は、コロナで亡くなる人を減らすために、コロナ以外で亡くなる人が増えるのは仕方ないとでもおっしゃるのでしょうか。

さらに外来にも発熱者もそうでない方も来られますので、ゾーニングのため病院の敷地内にプレハブを建て、そこで現在午前2診、午後1診の発熱外来、病院内では総合外来として救急患者さんの対応とウオークインで来られる発熱以外の症状の方を診療してきました。

そんな状況ではありましたが、大阪府が新型コロナ専用の重症センターをつくるとのことで、看護師の募集をされました。産休育休も10人以上おり、かなり厳しい看護体制の中ですが、新型コロナウイルスで命を落とす人が一人でも減るように、1名の看護師支援を行いました。

それで、民間病院はコロナに立ち向かっていない、努力をしていないというのでしょうか。民間病院でも規模の大きい病院は相当新型コロナウイルス患者を受け入れています。受け入れていない病院は、何らかの困難な事情があるのだろう、という想像ができないものでしょうか。

私が周囲の医療機関の状況を見ていて想定される、受け入れられない事情は以下のようなものです。

1. 感染症の診療に慣れている医師がおらず、看護体制も整っていない(人の問題)。これは単に急性期医療に不慣れという場合だけでなく、普段専門分化された医療を提供することに専念してきた医療機関(〇〇循環器センターとか、〇〇脳外科病院とか)も同様です。

2. 物理的に感染者とそうで無い患者さんを分離する「ゾーニング」が不可能か不十分(箱の問題)。当院でも同じフロアで認知症があり徘徊される患者さんが常にいらっしゃいますので、間違って隔離の部屋に入ってしまうことがないか、相当気を付けています。

3. 経営状況が厳しく、コロナ患者の受け入れに伴う診療縮小や万一クラスターが発生した際のダメージが大きい(お金の問題)。特に昨今の状況ではもし自院でコロナのクラスターが発生したら、多数の患者さんたちをまま自院で治療しないといけなくなる状況です。ちなみに報道されている1床当たり1000万円を、現金給付されると思われている方も多い(実は私もそうでした)と思いますが、何かコロナ対応の感染防御・医療機器などを購入した際の補填であって、実際にいただけるのはほんの一部です。レスピレーター(人工呼吸器)を相談したら、コロナの患者だけに使用するという条件があるとのこと。

こうした要因が一つでなく複数合わさっている病院が多いのではと思います。私たち医療者の多くは、どれだけ保障を増やしても、コロナ対応病床の増加には限界があり、現状から大幅な増床はできないであろうことを感じています(一部東関東方面の大学教授でそう感じておられない方がいらっしゃったようです)。

コロナを受け入れない病院の公表は、烙印を押し分断を生むことになります。どうか、そこで必死に自施設の役割を果たそうとしている医療従事者の心をくじかないでほしいのです。コロナに関する被害をこれ以上拡大しないためには、何を置いても感染のコントロールしかありません。政府と自治体はそのために全力を挙げていただき、私たちが目の前の患者さんに最善の医療を行うことに専念させてほしいと切に願います。◆


また、耳原鳳クリニック所長の田端志郎医師の投稿では、診療報酬などの問題点もよくわかるので、その部分を転載させていただく。

 「急性期」に定義される看護師配置は、101(患者10人に対して1名の看護師配置)と71ですが、一般的に「あそこは急性期病院」と評価されているところは71が基本です。ちなみに「高度急性期」は41(ハイケアユニット)と21(集中治療室)の看護師配置です。

 コロナ患者さんは個室管理でかつ感染予防のため人手が2倍必要になります。簡単に言うと71看護師配置の急性期病棟のうち半分を閉鎖して、その人員を全て個室に入院させたコロナ患者さんにつぎこむことになります。コロナの空床補償は1床あたり5万円程度。しかし71急性期病棟では1床あたり最低65千円程度を確保しなければ、病院は赤字になります。コロナの診療報酬はアップされましたが、それでも全然足りません。これらの補助金の申請は極めて煩雑な作業を病院に強いており、しかもまだ病院には届いていません。

 今報道されている「民間急性期病院」は101看護師配置を含んでいます。ここがコロナ患者さんを受け入れようとすると、さらに大変な人手の確保が必要です。高度な感染予防を日常的に行なっていないスタッフがコロナ患者さんの入院診療を行うと、当然医療者の感染機会が増えます。しかし院内クラスターを生じて外来や入院をストップして大赤字を出しても行政からの補償はありません。濃厚接触者になった医療者も14日間の自宅待機が必要ですが、その給与補償もありません。◆


 以上、2人の医師の投稿を転載させていただいた。「命令に従わない患者や病院は罰する」「煽って曝してイジメ抜く」政治は、政治の責任を頬かむりして、国民に憎しみと分断を植え付けるだけだろう。

 官から民へのキャッチフレーズで公立病院を縮減、廃止してきた自公政権と維新の政治こそが問われなければならない。

 GoToなどやめて、病院が体制確保できるような十分な財政措置をこそ行うべきであろう。

2021年1月22日金曜日

核兵器禁止条約発効

 2021年1月22日、核兵器禁止条約が発効した日。覚えておこう。
 
   その前日、トランプ米国前大統領が退任した。私は、彼がヤケクソで核兵器発射の暗号ボタンを発出しなかったことに安堵した。
 ただ、最後っ屁のように未臨界核実験を行った。核抑止力論に基づくものだ。しかしトランプの4年にどれだけ平和が近づいたというのだ。歴史は雄弁である。

 トランプ政治の狂気は連邦議会突入事件で誰の目にも明らかになったが、この前大統領が民主主義の象徴ともいえる選挙で選ばれた事実について深く考えたい。
 文系の学問を軽視するわけではないが、時代は冷静な(理系の)論理的思考よりも感情的なリーダー像や夢や予言に魅かれたのだ。
 それは米国以前に日本国の大阪で我々が見てきたものだ。なお、大阪のメディアのお追従体質は米国の何十倍もひどいものだった。
 教訓は、民主主義はフェイクや扇情に結構弱いというものだった。

 幸い、現代の我われはマスメディアに頼らずとも見解を表明できる手段・SNSを手に入れている。これを活用しない手はない。否、これの活用が新しい時代の民主主義を健全に育てるひとつのキモになっている。民主主義の反対者も我々以上にSNSを重視している。
 先日私は、民主陣営の人々が「自分の言葉で」発信することの大切さを投稿した。多くの人々から前向きの感想もいただいた。残念ながら身近な人々からのそういう反応が薄かったことにほんの少し落胆もしている。
 
 私たちが核兵器禁止平和大行進を歩いていたとき、「歩くだけで何が実現するのか」と冷笑していた人も多い。しかし、この条約は誰か一人の演説で実現したものではない。大河の源流は一滴のしずくなのだろう。それを信じられないとコロナの時代には後ろ向きになる。
 仕事の現職の時代、若い人々に、「言われないとしない」「言われたことしかしない」ような仕事の仕方ではダメだと研修をしたが、そんな記憶が頭の奥によみがえってきた。

   【追伸】朝から医院に行っていたりして、I CAN が写真のような呼びかけをしているのを知ったのは、11時半頃だった。なので急遽準備をして参加した。私の少し大きな鉄製の鈴は大山の鴉天狗。日本政府に向かって「条約を批准せよ」と怒っている。


2021年1月21日木曜日

大寒の日

   孫の療育園がコロナで暫し休園になったので、二日続けてのイクジイの日となった。悲しいやら嬉しいやら微妙である。

 大寒だったが昼過ぎから陽も照ってきたので、孫の日向ぼっこ用のベンチを引っ張り出してきた。それに関連してそのスペースを作るため順番にいろんな道具を移動させたのだが、そのとっかかりは南天の植え替えだった。

 植え替えのために土を掘っていたら黄金虫(ぶんぶん)の蛹のようなものも出てきた。そんなことには気にもせず作業を続行したのだが、すると、頭上にというか目の前のフェンスにジョウビタキがやってきた。もっと掘り出してくれ!というような感じで、まだかまだかと何回もやってきた。もちろん私は、あんたになんか気づいていないよ!という雰囲気で放っておいた。でも可愛いものである。

 田起こしの際、トラクターの後をサギやキジがチョコチョコと付いて行くのがままあるが、そんな感じである。写真は先日に撮っていたものである。大寒の日の爺バカ日誌なり。

2021年1月20日水曜日

会報の編集雑感

 退職者会の会報新年号のことは一昨日分に書いたが、昨日は大先輩からわざわざハガキでお礼状のような感想が寄せられた。

   編集の過程で「16ページ建ては今後無理だよ」という悲鳴もあったが、そしてお礼の言葉が欲しいわけではないが、予想以上の反響というか感想の言葉に癒されていないといえばウソになる。(右の写真はコロナ騒動の為カラー印刷できなかった一面トップの写真で、木曽駒ヶ岳からのぞんだ富士山の投稿写真。カラーにしたかった)

 何よりも、大人数で集うことが全て中止された状況下で実現した紙上大交流会は、誰もが待っていたものだったのだろう。そういう意味で、困難に直面したら後ろを向くのでなく、困難の隙間にある可能性を見つけ出して打開のために奮闘すれば道は開けるような気がする。

 そして、人生意気に感じるという言葉があるが、つまりは損得や打算ではなく心意気に感じて行動することの大切さを、感想をもらった立場からつくづくと心の中で反芻している。歳とともに変に物分かりがよくなってその分感受性が鈍くなってはいけない。他人への感謝は素直に届けようともう一度噛み締めた。

 先日、個性と人情のニュースづくりを新聞に投稿したが、この人情は義理人情というようなイメージではなく、人の情けというか、人情の機微と言うか、心配りというかそういうイメージで書いた。自分自身日々反省だが民主運動のOBたちともそんな話題を語りあいたいものである。

2021年1月19日火曜日

じわじわとコロナ

   ついにと言うべきか、縁戚にコロナによる死者が出た。テレビで発表される「死者数」が抽象的な数字で済まなくなった(ただし間接的にもわが家は接触の機会はない)。
 孫の療育園も誰かの父母が濃厚接触者になったということで数日間閉鎖されることになった。そんなもので今日は全日わが家でイクジイになる。

 療育園はそれ以前に、咳以外にも鼻水が出ても「登園は控えてくれ」と言われているが、病弱の孫は年がら年中鼻を出している。そんなもので今は耳鼻科に強力な薬を頂いてどうにかやり過ごしているが薄氷を踏む日々である。

 以上のようなこともあり、私に対しても「当分、大阪市内には行かないでくれ」と周囲から強く要請されて困っている。

 また、障害のある孫は異常な感覚過敏でマスクをすることができない。その辛さを14日に赤旗に投稿したところ多くの方々から励ましの言葉をいただいた。

 そういう現状を考えると、政府がいう「クラスターを追跡してつぶしていく」戦術ははるか以前に崩壊している。面として検査をして無症状の感染者を見つけて隔離するのが正しい。

 病院についても「公立病院に比べて民間病院の対応が悪い、入院を拒否した病院を曝すべきだ」的な感情論に流されてはいけない。病院には病院のそれぞれの役割と体制がある。冷静な議論が必要だ。政権は財政の支出先を誤っている。

 さて、京都府知事は「大阪の人は京都に来ないで」と言っているが、奈良が「京都の人は奈良に来ないで」と言ったらわが家の生活スタイルは大いに困惑する。しかし、よく考えると近くのイオンの建物の中頃、食品売り場側は京都だから、イオンの南半分に行かなければいいということになる。笑い話のようだがそういう街に住んでいる。

 それはさておき、単純明快に善人と悪人を区別して、区別された身近な悪人に目を向けてほんとうの責任者を免罪するのはよくない。しかも、政府の言うことを聞かない者は名前を公表して、密告と嫌がらせを集中してカッコを付けようとする政策は民主社会に反する。こういう「問答無用」の同調圧力が支配する社会は怖い。マスコミの犠牲になって女子プロレスラーが自殺したが、一つ間違えば明日は貴方がターゲットにされるかもしれない。

2021年1月18日月曜日

なにわ基準 新年号

 『なにわ基準』新年号が家に届いた。B4サイズ16ページ建てで、まるで一般商業紙の元日号みたいだというと誉めすぎだが、なかなかの内容だ。 

   順不同で一部を紹介すると、トップは木曽駒ヶ岳からのぞむ富士山の写真。退職後の「小学校肢体不自由児介助員」のレポート。神農さんにまつわる遠い思い出。地下鉄でカバンを無くした不思議な体験。鋭い社会批評。水彩画、俳句、玄人はだしの趣味の話。旅日記や近況報告。92歳の思い出話の中には貴重な戦前の満州の思い出(現地の中国人に、進出していた日本人(当人)が命を救われた貴重な体験とその感想)。ウルトラ多趣味の方の採集記録もある昆虫採集その他の話。そして、親などを見送って人生や時代を振り返って思うしみじみとしたエッセイが多数などなど。改めて先輩や同輩の豊かな”人となり”が伝わってきた。

 2020年は巣ごもりの1年であったから、私自身投稿する段に「何を書こう」と迷ったぐらいだから、投稿してくれた方々の努力は大変なものだっただろう。「請われたならば一差し舞ってほしい」とお願いしたのに舞ってくれたわけで、感謝の言葉もない。人生意気に感じるとはこういうことなのだろう。

 この会報、リモートで編集に参画してきたが、大晦日の夜までメールをやりとりし、年明けは2日から再開した。編集長のK氏の努力には言葉が見つからない。さらに最終場面では大阪のコロナは緊急事態になり、持病を持つ高齢者が集まるのは如何かと、特攻隊のような数人で印刷・発送作業をしようとなっていたが、それも結局編集長ほぼ一人で対応をしてくれて、‥新年号が我が家に届いた。

 私が読んでから1時間もしないうちに、「会報拝受拝読させていただきました。立派な会報に感謝感激です。お疲れ様でした。ありがとうございました。みなさんの文章も絵画も上手で恐れ入りました。次回に向けていい寄稿ができるように精進したいと思わずにはいられませんでした。編集に携われました皆様ありがとうございました。」とのメールもいただいた。その後も「自粛自粛の世の中、(会報を読んで)久しぶりに楽しい一時を過ごさせていただきありがとうございました。」というメッセージも少なからずいただいた。こういう言葉のキャッチボールは嬉しい。

 昨年は結局春秋のハイキングも、初夏のパーティーも全て中止になったが、会報だけは継続してきて、最後に新年号まで到達することができた。ホッとしている。皆さん、ありがとうございました。

2021年1月17日日曜日

リアルに見た古代史、万葉集

   戦時中には「万葉集は天皇から庶民までの『国民国家』の歌集である」と吹聴され、令和の元号の際には「典拠は万葉集で、漢文ではない(つまり日本文化)初めての元号」と喧伝されたが、そんな一面的な解釈でわかったかのような顔をするのを、学者の精緻な分析は蹴散らかすかのような読後感が残った。

 例えば東歌や防人歌に代表される庶民の歌も、貴族(官人)の地方赴任に伴う「土地柄」の関心や望郷の念、難波津で見聞きした地方文化、都周辺で教養を高めた地方の人々の歌などなどであり、いたずらに歌による平等社会を強調するのは間違いだと著者は言う。

 令和という元号の典拠とされた万葉集・梅花宴序についても、その淵源は王義之の「蘭亭の序」と「帰田賦」にあり、大伴旅人ら当時の歌人の教養の大前提には共通する漢文、漢詩集があった。「『文選』なくして『万葉集』なし」と言ってもよいと著者は指摘している。そもそも本歌取りの場合も送り手と受け手の両方に本歌が暗唱できるレベルが前提であるように、当時の歌人たちは『文選』を暗唱できていたと。

 私が無粋なため、あまり文学的な内容を摘みだすことができなかったが、著者の言葉を借りれば、「万葉集はきわめて中国的で、かつ、きわめて日本的なもの」で、現代でいえば欧米の文化を輸入しながら翻訳と改良で「日本文化」にしてしまうような、中国文化を「日本文化化」した時代の「青春の文学」だと述べている。

 文学論としても、古代史としても、文化論としても刺激的な本であった。上野誠著『万葉集講義』(中公新書)。

2021年1月16日土曜日

明日は1.17

諸国地震及洪浪

南無阿彌陀佛

水陸横死大菩提

去年霜月四日五日の地震を 遁(のがれ)ん為に小船に乗居し 輩(やから)俄(にわか)の洪浪湧か如く木津川口邊の大小 数(あまた)船一時に川上に押寄橋を落し船を摧(くだ)き漂没死人 夥(おびただ)し尤(もっとも)前日より海鳴潮の干満乱しを志(し)ら寿(ず)して死に至る者 寔(まこと)憐むへし 后(こう)世(せい)海鳴潮の干満(かんまん)みだれし時は早く津波の兆(きざし) しと知りて難をのかれ玉ふへしと云(いう)爾

安政二 乙(きのと)卯秋建之

 これは四天王寺境内元三大師堂近くにある安政南海地震の供養石塔の碑文である。ただし写真のとおり通常は一部しか読めない。NHKと大阪市教育委員会が調査したときの判読文である。

 同じような碑文は大正橋東詰北側にもあり、ここの碑文の最後には「願くは、心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」とあり、毎年、地蔵盆には墨入れが行なわれている。

 まもなく1.17阪神大震災から26年のときを迎える。四半世紀を過ぎたわけである。大阪のことではあるが、先人たちが石に刻み、墨入れを繰り返してきた「語り継ぐ」大切さを私たちはどれほど学んで行動してきただろうか。

 「語り継ぐことが大切だと思います」的なコメントは要らないから、私のブログのコメント欄でも、その他のSNSの投稿欄でもよいから『私の1.17』を語ってほしい。

 どなたか、フクシマにお金を出し合って石碑を建立しませんか。そして毎年、原発が全廃されるまで墨を入れ続けませんか。

 大阪は東南海地震の折には松屋町以西は水没するといわれている。東南海地震は明日来てもおかしくないといわれている。

 「仮定のことには答えられない」という政府や、旧態依然のカジノ中心の地方自治を突進する維新には、歴史に学ぶとか想定されるリスクに手を打つという発想がない。新自由主義とは、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という思想だといわれている。

 1.17を語りながら、日本の改造を考えあいたいものである。

2021年1月15日金曜日

1.17が近づいた

   阪神淡路大震災から26年目を迎えようとしているが、この国は大丈夫か?と思うような近頃のニュースが気になる。

 日本海側が世界でも有数の豪雪地帯であることは大昔から周知のこと。しかし、死傷者が続出し、道路では立ち往生が長引き、寒波によって電力不足で停電の危機だとか。結局、これがアベノミクスなる政策の実像であったわけだ。

 コロナにしても、一人ひとりへの手当のない緊急事態宣言で、シングルマザーに特に多い非正規雇用労働者は生活の危機に陥っている。命の危機といってもよいような状況に放っておかれている。

 コロナ問題の本体でいえば、西欧では既に投与が始まっているというのに、ワクチンの開発も製造も遅れている(ワクチン投与はインドネシアでも進んでいるぞ!)。GoToナントカで利権業界を優遇しようとして感染を拡大したことは明らかだ。官から民へという大声で公立病院を廃止し、医療・福祉関係の補助金を廃止乃至減額し、大阪では二重行政だと叫んで、結果人口比全国一の死者を生んでいる。こんなのは「先進国」ではない。ジャパンもオオサカも自公や維新のせいで没落している。 

 要するに国の政策は本末転倒している。1.17も3.11も教訓にせぬまま利権優先の政治が酷くなっている。森友も桜もその断片に過ぎない。そんな悪政が放置されているのはマスコミの姿勢にもある。芸能人の不倫だ交際だ新しいスイーツだというような話題ばかりを優先して、1.17も3.11もお決まりの年中行事の紹介でお茶を濁している。

 防災や生活のセーフティーネットに予算を使えば国内の経済の循環が円滑に働くはずである。

 私たち自身も1.17を単なる追悼で終わらせるのでなく、同じ悲しみが繰り返されないよう政治を変えようという声を大きくしていきたい。皆さんのご意見を乞う。

2021年1月14日木曜日

南岸低気圧の日

   近畿地方の中南部に雪が降るのは南岸低気圧発生の日である。1月12日の朝はそんな日であった。天気予報では朝の5時には雪だということであったが、わが家周辺では7時近くまで雪も雨もなかった。コンピューターが進歩したといってもこんなものかと笑っていると雪が降り始め、やっぱり日本の気象予報はすごい!と反省して感心した。


   奈良市内に所用があったので短時間奈良公園を偵察したら、頭に雪をかぶった典型的な新聞種の鹿には会わず、雨宿りならぬ雪宿りの鹿にちょっと感心した。 

 中にぼたん雪でびしょぬれの鹿も居たには居たが、誰だってびしょぬれが快適なはずはなく、多くの鹿は写真のように雪宿りであった。
 
   車で出かけ、誰とも接触しない行動だったが、形式主義でいうと府県をまたがる行動だろうか。
 観光業の皆さんには申し訳ないが、人影の超少ない奈良公園は気分がよかった。昔は国立博物館の正倉院展も普通に並んで入ることができた。二月堂のお水取りのお松明ものんびりと観賞して焼け焦げた杉の葉もいっぱい持って帰れた。
 観光業の皆さんには申し訳ないが、奈良といってもほんとうに局限されたエリアだけで、そこはオーバーツーリズムだったと思う。

 今はこの状態を楽しんで、コロナが収束したら賑やかな観光地らしい観光地として楽しみたいと思っている。雪化粧の奈良公園は美しかった。
 その後、目的の場所に行くと体温測定で37.1度だった。あと0.4度で入場を拒否されるところだった。昼食前には別の場所で31度であったから、昼食のキーマカレーで急上昇したらしい。ということは、このキーマカレーはなかなかの健康食だったということにならないか。

2021年1月13日水曜日

管理者失格

   菅首相は18日の「報道ステーション」で、今後の緊急事態宣言の延長について問われた際、「仮定のことは考えないですね」と話した。

「仮定の質問には答えられない」という返答は、菅首相が官房長官時代から多用していたフレーズだが、自分に都合のよい?時には、「仮にコロナ禍が続いた場合に東京五輪は開催するのか」という質問に「開催する場合でも、感染対策をしっかり行う。国もそれぞれ職員を出して今、大会に向けて準備取り組んでいます」と仮定の課題に〝開催ありき〟の返答をしている。 

そもそも政治家、経営者、各種管理者には広い意味でリスクマネージメントの能力が求められている。当たり前である。

リスクマネージメントとは、損失などの回避を目指すプロセスで、リスクを組織的に管理すること。将来的に起こり得るリスクを想定し、リスクが起こった場合の損害を最小限に抑えるための対応で、事前にリスクを回避するための措置と、起こった際の補償を考えておくことである。 

私は現職時代東大阪市で勤務していたことがあるが、下町ロケットで有名な株式会社アオキに対してNASAが東日本大震災を経験して「工場を東西に分散してくれ」と言った話は有名だ。広義の意味でNASAのリスクマネージメントといえるだろう。つまり、将来のいろんな仮定を設定して、いろんなケースに対して危険を回避する想定、方針を考えておくことはリーダーたるものの必須の条件の一つである。

ということは、「仮定のことを考えない」人間はリーダー失格だということである。

このことについて松尾貴史氏が「政治家に必要な要素は色々ありますが、とりわけ想像力が重要なのです。『仮定の質問』に答えられないような無能は、トップに立つべきではないです」「もし現実が想定外になっていた場合に『此処が違う』と説明ができるかどうか。説明する事自体に後ろ向きの彼には、そのことが全くわかっていないのです」「仮定の質問に答えられない無能は、重職に就くな」と投稿したのは的を射ている。 

 安倍政権の折は「歴史上最低の首相」だと感じたが、上には上がいたものだ。

2021年1月12日火曜日

大寒波

  わが街は平城京のすぐ北、故に山背(やましろ)といわれるところにあるので文化圏としては奈良の文化圏となる。

   よく「どうして日本の古代国家が何故ヤマト(今の奈良県の平野部)に誕生したのか」という問いがあるが、その一側面は気候が安定しているところにあったような気がする。事実、近年の豪雨、台風、地震でも非常に被害が少なく、今般の大雪も「どこのこと」というような状況で済んでいる。

   それでも、近畿全般に倣って気温は低く、体力低下、風邪、コロナへというような連鎖に引き込まれないように注意している。重症化しやすい高齢者である夫婦は勿論だが、持病もあり抵抗力も弱い孫にコロナをうつさないようにと注意している。

   写真1は、いつもはヤマガラなどが水浴びをしているバードバス。見事に凍っている。
 写真2は、おかげさまで寒波にも負けていない孫の凜ちゃん。
 写真3は、寒波もなんのその、キツツキ(コゲラ)。

 ちなみに、石川啄木の啄木とはキツツキの別名。私は青年時代「社会の木鐸」という言葉があるように、石川啄木が「木を叩いて時代の矛盾を訴えたく名乗った」のかと想像していたが、啄木が少年期に故郷で療養していた際、戸外から聞こえてくるキツツキの木を叩く音(ドラミング)に慰められていたからというのが真相らしい。

2021年1月11日月曜日

医療崩壊の諸問題

    1年前のことだが、日本では、北京の日本大使館のホームページに、2020124日から安倍首相が春節に向けて「多くの中国の皆さまが訪日されることを楽しみにしています」と呼び掛けていたが、片や台湾では、それ以前の20191231日の夜から、武漢からの飛行機の乗客を対象に検査を始め、発熱の症状がある乗客は即座に入院させていた。この両国の政権の能力差は明らかではないだろうか。 

その台湾との比較をしてみたいが、参考までにいくつかの国も併せて考える場合、日本の感染者数は検査をしないことによって極めて不正確であるので、比較的実態に近いと思われる人口当たりの死者数で検討する。すると、山中伸弥教授がファクターXと名付けられた不思議のため東アジアの死者数は西欧に比べて少ないが、分けても台湾は実数も人口比も実効が顕著である。反対に、副総理が「民度の問題」とのたまった日本は、実態に近い人口比でみると、明らかに台湾、中国、韓国よりも劣っている。 

その台湾の政権では、米国の外交政策研究季刊誌が「世界の頭脳百人」に中に選んだ台湾・デジタル担当政務委員(大臣)の唐鳳(オードリー・タン)は、中学中退後アップルのデジタル顧問などを務め、その後、2016年から蔡英文政権に招かれて35歳の史上最年少大臣となり、今般もデジタルを駆使してマスク不足騒動などが発生しないように速やかに対処したことが世界中で注目され、昨秋も押し迫ってから日本でもそれに倣おうとし始めている。 

それよりも私が特筆しておきたいのは、政府対策本部長を務める歯科医出身の陳時中氏で、蔡英文政権発足時から衛生福利部長(衛生相)に就任した。

何が特筆されるべきかというと、ほぼ毎日1~2時間の記者会見で質問が尽きるまで誠実に答え続ける姿勢と、思いやりに満ちたコメントが市民を安心させているという。どこかの政権と雲泥の差を感じるのは私だけではないだろう。 

日本でも、きっちりと情報を明らかにして説明し、政策の趣旨を丁寧に説明すれば国民は理解し、社会は進むのである。

つまり今日の問題は、科学的に分析する能力、判断を下し政策を立案する能力もない上に、「スピード感をもって」などの言葉を弄んで「やってる感」にうつつを抜かしている政権や、どこかの知事・市長による「人災」でしかないのである。それが緊急事態宣言の現状の本質である。

もっと言えば、「票田」というか資金提供をしてくれる仲間内の業界向けに無茶なGoToナントカをするインチキ臭さを感じた国民は、大本営発表を信じることなく、その結果、無症状者が広範囲に感染を拡大させているのだ。これはもう客観的な事実である。 

   さて、今般の緊急事態宣言では医療体制の逼迫、医療崩壊の危機が大きく叫ばれているが、そこでICU等病床の国際比較も検討してみたい。表の数字は去年の5月の厚労省の数字である。なお別掲のとおり、厚労省は、ICU以外にも同等の対応可能な病床があるので、実数は17,034床で人口13.5というように大々的に付記している。・・が、

   もう一つの表は10日の朝日新聞だが、ここでは重症者数は827人となっている。ちょっと待て!最大17,034床のICU並みの病床があるのに重傷者827人で医療崩壊だと言っているのだこの国は。つまりどこかに嘘がある。常識的には17,034床に嘘があるのだろう。こんな嘘を続けるから少なくない国民も政府の要請に従わないのだろう。

さらにいうと、厚労省の大々的な宣言にもかかわらず、例えば1218日のNHK発表のデータでは「重症者対応のベッド数」は「3,575」とされており、17,034はやはり誇大広告(早い話が嘘)と思われる。なお、いろんな論文でこの辺りの数字が微妙に異なるので確定しがたいが、やはり人口比でいえば先進国中の相当な低位であるのは間違いない。 

この間まで世界第2の経済大国といわれていた国のこのような明らかな凋落、没落の原因は、一言で言って竹中平蔵等が推し進める新自由主義である。小さな政府、官から民へ、近頃の言葉で言えば「自助」、維新のキャッチコピーでいえば「身を切る改革」である。そもそもセーフティーネット、福祉などというものは金儲けに馴染まない。明らかなことは、公立病院を廃止して民間病院があるからいいじゃないかといった維新や自公の政策が緊急時に対応できないこういう脆弱な社会を作ってきたのである。

とまれ、株式会社の中での常識が社会問題では非常識になることも多々ある。効率だとか金儲けと馴染まない課題こそ政治の責任なのである。

今年は衆議院議員選挙の年、この現実をしっかりと覚えておこう。

2021年1月10日日曜日

今日は十日えびす

   今日はいわゆる十日えびすで、大阪では、本来ならお正月にテレビに映る有名寺社の初詣を上回る賑わいのお祭りのはずだった。
 現在わが家は全く商売とは無縁だが、ルーツがせんばの商売人だったから、毎年十日戎はほぼ欠かしたことがない。
 ずーっと以前だが姪が今宮戎の福娘に当選したこともある。
 そんな私には少し身近な感じの十日戎だが、コロナ禍の今年は出かけないこととした。

 さて、コロナ禍で社会全体が大きく変化しつつある。
 娘婿は在宅のテレワークが増えている。
 息子のファミリーも娘のファミリーも毎年お正月はご伴侶の実家に顔を出していたのが(わが家はどちらも近所なので始終行き来しているため)、今年は取り止めている。

 孫の凜ちゃんの各種の通院や療育も転院が余儀なくされたりした。
 私自身が関わっていた老人ホーム家族会の活動もクローズになったし、退職者会の活動も大幅に縮小されている。
 今年は衆議院議員選挙の年だが、集うこともためらわれる。う~む。 
 年賀状の多くには「孫に会えない」というコメントも多かった。

 こうなると、書面、メール、電話などで新しい生活スタイルと運動のスタイルを確立するしかないが、そんな話をしても「そうだそうだ」「こんなんはどうだ」とはなかなか盛り上がらない。少なからず身体以前に心に疲労を覚えているようだ。

 で、元に戻って十日戎だが、今宮戎はお詣りの電子化を開始した。もちろん私はパソコンを通じて即お詣りをして「商売繁盛で笹もってこい」の福笹と吉兆を注文?した。
 ことほど左様に、つまり社会は大きく変化しつつある。その変化をののしるだけで自慢話しかできない老人は取り残されるだけになるだろう。
 発想を変えれば、リモート参拝は高齢者には向いている。

2021年1月9日土曜日

こんな首相や知事の存在が緊急事態である

   菅首相は1都3県に緊急事態宣言を再発令し、京阪神にも発令の準備をしているようだが、その中心的ターゲットは「飲食店の営業時間短縮」である。

その理由は、4日の記者会見の言葉で言えば「経路不明の感染原因の多くは飲食によるものと専門家が指摘いたしております。飲食でのリスクを抑えることが重要です。そのため、夜の会合を控え、飲食店の時間短縮にご協力いただくことが最も有効ということであります」とのことである。

 わずか半月前の「ステーキ会食」「はしご会食」の張本人が、「GoToイート」政策で国民に会食するよう煽って来た張本人が、そのようにご託宣している。

 ところで政権は昨年春、最大の危険源はパチンコ店だと大々的に名指しし、マスコミは奈良県のパチンコ店に大阪のナンバーの車が来たと犯罪者扱いしたことがあるが、今になってみると冤罪だったようである。

 同じような失敗を繰り返さないためにも、「調査なくして方針なし」の原則に立ち返ることが一番重要ではないだろうか。つまり、広範囲のPCR検査である。それは同時に無症状の感染者を見つけ出して隔離静養させることによって「感染源不明」の感染拡大を防止する力になるし、いわゆる風俗店など飲食店以外の場所に大きな危険源があるかもしれない新事実を見つけ出すかもしれないし、一言で「飲食店」と十把一絡げにされている分野を科学的に分類整理して、それらを総合して経済活動を持続させることも可能にする道である。

 検査の抜本的拡充ということでいえば、医療機関、高齢者施設、障害者施設等々には社会的検査を徹底し、いわゆるクラスターの発生を未然に防止することも喫緊の課題である。何よりもこれ以上の医療崩壊を食い止めるための予算措置を行え。官房機密費は一日に300万円超である。令和2年分政党交付金は拒否している共産党を除く政党に317億7千万円強が支払われている。コロナ予算をGoToよりも命を守る現場に配付せよ。

 同時に、医療機関や飲食業とその外注等の関連業界にも生業補償を行い、医療機関には国の予算と責任で設備と人員の拡充と繁忙手当などをどうして考えないのだろう。

 そういう政策の失敗と至らなさを反省せず、23日前には「緊急事態宣言は必要ない」とマスコミに登場して大見えを切りながら、数字の上昇に腰を抜かして「緊急事態宣言が必要だ」と騒ぎ始める政府や大阪府知事の底の浅さは、米国トランプ同様この国を崩壊させかねない。

 結局は、自粛しない飲食店を公表してさらし者にする、罰金を科す、さらには昨春も現実にあったが夜間に飲食店街を歩いている国民を警察が「補導」する、そういう政策?しか思い浮かべられない政治家は早期に一掃するしかない。

 総体として、人と人の接触機会を大幅に減らすという意味での緊急事態宣言の側面を否定するものではないが、今の与党を見ていると、後日に、結局は緊急事態を無視した、理解の浅い国民が悪かったという責任転嫁のための事前の「仕掛け」のようにも思えて仕方がない。

 国民に責任を擦り付ける暇があったら医療崩壊を防ぐ手立てを緊急に行うべきでしょう。

2021年1月8日金曜日

新年の鳥

   新年もまだ松の内だが今年ほど春が待ち遠しい年もない。パンデミック(世界的大流行)のコロナ肺炎には少々の気温の差も関係ないだろうが、冬季よりは春には少しはリスクが軽減しそうな希望的思いもある。

 そういう新年にふさわしい鳥といえば、春告鳥(はるつげどり)ウグイスに勝るものはない。自然界では未だチャッチャッと笹鳴きをするだけだし、だいたい藪から出て姿を見せることもないが、それだけに春の姿はどこにも見えないが、少し先の藪の奥辺りまで来ている気配を感じさせる。

 例年今ごろは友人の法華宗系のお寺の節分会の準備で忙しくかつ楽しいものだが、もちろん今年は中止でこれもまた寂しい。その分は、撮り始めをした上の写真を見ながら法~法華経と心で聴くことにする。

 〽春は名のみの風の寒さや  谷の鶯 歌は思えど・・

 一般に「早春賦」とは「早春の詩」あるいは「早春に詩を作る」の意だと言われたりしているが、そもそもは賦とは古代中国からの文芸で「国誉め」の性格も色濃いと言われる。白川静「字解」では「わが国でいえば土地誉めの文学で、古くは土地の霊を讃えてその霊の力をよび起すためのものであった」というから、早春を誉めることによって春の早き到来を希求しているのではあるまいか。深い根拠はないが私はこの歌にそんな感覚を抱いている。

2021年1月7日木曜日

日本政府の対中国外交

   1月5日に「習近平中国の大国主義・覇権主義」という記事を書き、そういう中国の誤った態度がどれほど日本の民主運動、とりわけ日本共産党の運動の発展を阻害してきたかと述べたが、日本のことでいうと、どうしても、大国主義に盲従した一部野党と政権及び与党のことにも少し触れておかなければならない。

 私は今でも覚えているが、毛沢東による文化大革命という暴力的な権力闘争があったとき、これを批判する日本共産党の役員が北京空港などで激しい暴行にも屈せず主張を曲げなかったことに比べ、当時の公明新聞は第一面でデカデカと文化大革命を礼賛し、当時私は奈良市に住んでいたが、後に自民党国会議員になった有名なワンマン市長も礼賛に継ぐ礼賛だった。あまり言いたくはないが当時の社会党は言わずもがなだった。

 次に天安門事件である。民主主義を求める市民の集会に戦車まで繰り出し大量の死傷者を出した、もう虐殺ともいえる事件であった。なんと、そのとき日本政府は弾圧者の側に立っていたことが昨年12月23日に公開された外交文書で明らかにされたのだった。

 1989年6月26日、日本の外務省中国課長と在日中国大使館との懇談で、日本政府(外務省)は中国側に、「(イ)先般の措置(天安門事件での弾圧行為)は中国としてもできれば取りたくなかった、(ロ)今後も合法的民主化要求は受け入れる、(ハ)改革・開放政策堅持、各国との関係発展を期待、といった内容の見解が中国政府より明確にでれば、国際世論の中国に対する悪い印象も幾分かは改善の方向に変わっていく可能性がある」などと“助言”していた。

 その上で、日本政府側が作成したと判断できる「中国政府声明(案)」には、第1項に「今次事態は、純粋に中国の国内問題。一部の扇動分子が、人民共和国の転覆を図ったものであり、(中国共産)党・政府は、これに断固反撃」などと記されていた。

 当時、西欧をはじめ国際世論は「中国政府の人権侵害に制裁を」ということであったが、日本政府は、「人権問題よりも経済」という立場で、国際世論である制裁に単に反対していたというだけではなく、あの野蛮な人権弾圧に、中国政府と同じ弾圧者の側に立って、この文書を書いていたわけである。 

 日本共産党の志位委員長は、「私たちは、日本政府が中国への制裁に反対するなど、中国の人権蹂躙(じゅうりん)には及び腰の態度だと当時から強く批判してきたが、やはりという気持ちで(公開)文書を読んだ」と発言し強く批判している。私もこのニュースには「まさかそこまで」というほど驚いて憤った。 

 翻って現代だが、日本政府の姿勢で一貫しているのは、「中国の内政問題」だと繰り返していることで、いま香港やチベットや新疆ウイグルに対する人権侵害が起こっているのに、日本政府は正面から抗議したり批判したりせず、せいぜい懸念、注視としか言っていない。

 中国政府が世界人権宣言、国際人権規約、ウィーン宣言など人権擁護の諸条約、諸宣言に賛成してきたならば、「人権問題は国際問題」である。決して内政問題などではない。

 このように、中国における人権侵害に対して及び腰の態度が続いているのは非常に重大な日本外交の弱点を示すもので、一方で自主独立の日本共産党の毅然とした姿勢はもっと注目され賛同されてよいと思う。

 かって、日本国内の重大選挙のたびに北朝鮮がミサイルを発射したり、中国が尖閣諸島に侵出したりして、それが大きく反共宣伝に利用されたことが多々あったが、政権与党の「弱腰」は単なる弱腰ではなく、相当したたかな戦略ではないかと私は少し勘ぐっている。

2021年1月6日水曜日

冬は焚き火

   1月5日、孫の夏ちゃんが冬休みでお母さんがお仕事のため私はイクジイの日となった。
 正月2日にやって来たときのことは3日の記事のとおりで、夏ちゃんのゲームに振り回されたから、今回はそれではイカンと、冬遊びの定番である焚き火と焼き芋づくりに引っ張り出した。

 やっぱり子どもはこうでなくては・・と心配するまでもなく、焚き火は理屈抜きで楽しいものだから、夏ちゃんも進んで木をくべた。斧の使い方も少しずつ上達してきた。

   この頃「ヒロシです」のヒロシ氏のSNSなどから一人焚き火・ソロキャンプが流行っているが、大人も子どもも焚き火は文句なく楽しい。遠赤外線?の輻射熱で手や顔がポカポカしてくると、何となく懐かしい気分になるのはどうしてだろう。

 おまけに出来上がった焼き芋は正味美味しかったので、自分が焼いた焼き芋ということもあるのだろう、喜んで食べてくれた。

   さて、まだ火の危険性が判断できない凜ちゃんとは、いつの日か一緒に焚火をするのが祖父ちゃんの今の夢である。いつになったらできるかなあ。
 なお、野鳥の習性のひとつに砂浴び同様の煙浴びがあるが、そんなに煙を上げたわけでもないのに、焚き火の頭上の電線にカワラヒワやヤマガラが飛んできて一緒に囀ってくれたのも素晴らしかった。

 ただし、夏ちゃんは焚き火の後はゲーム機に飛びついていた。

 〽かきねの かきねの
  まがりかど
  たき火だ たき火だ
  おちばたき
  「あたろうか」
  「あたろうよ」
  きたかぜぴいぷう
  ふいている    ※昭和16年作曲

2021年1月5日火曜日

習近平中国の大国主義・覇権主義

   振り返ると去年は、中華文明というカテゴリーを鳥の目で見直す本をいくつか読んできた。少し遠い辺りからいうと、山川出版社「ヒンドゥー教とインド社会」、青木健著「ゾロアスター教」、渡辺一枝著の「蓮華の国のチベットから」、楊海英著「ユーラシアの視点から」、森安孝夫著「シルクロード世界史」などである。そのココロは?習近平中国のチベット、ウイグル、香港などの地域にみられる横暴について悲しく、かつ憤っているからである。

 このことについて、少し以前のことだが、赤旗日曜版12月27日・1月3日合併号に毎日新聞客員編集委員・倉重篤郎氏と共産党・志位委員長の対談が載っていて、その中に「中国の無法」について次のように言及されていた。

 志位 4年前の第27回党大会(2017)・・で決議案に中国に「新しい大国主義・覇権主義の誤り」があらわれていることを、かなり突っ込んで書きました。そうしたら、当時の中国大使だった程永華氏が党本部にやってきて、私に「会いたい」というので、1時間半ほど会談をしました。程氏は決議案の中国批判を「削ってくれ」というんです。
 倉重 ずいぶんストレートですね。(苦笑)
 志位 私は「とんでもない」といって、批判の理由を一つひとつ話し、削除をきっぱり断りました。
 会談のなかで、程氏は「日本共産党が中国を批判すれば敵が喜び、右翼が喜ぶ」といいました。これには私も厳しく反論しました。「わが党はいま安保法制、日本の軍事化に反対してたたかっている。『敵が、右翼が喜ぶ』とはあまりに礼を失した発言ではないか。率直にいうが、中国の大国主義・覇権主義的ふるまいが、どれだけ安倍政権が安保法制=戦争法を進める口実とされているか、日本の運動の利益をどれだけ損なっているかを、真剣に考えてほしい」と。
 倉重 そこまでいったんですか。
 志位 いいました。・・・

 以上の記事の精神は全く宣伝文句などではなく、事実、志位委員長は2020年1126日の記者会見で、日中外相会談後の共同記者会見(24日)で中国の王毅外相が、日本が実効支配する沖縄県尖閣諸島周辺での中国公船による主権侵害の行為の責任を日本側に転嫁する発言を行ったことを示し、「驚くべき傲岸(ごうがん)不遜な発言だ。絶対に許してはならない」と厳しく批判し、その会談で反論しなかった茂木外相も批判した。
 それに対して政府は反応せず、自民党や産経新聞や右翼の諸氏も、「共産党に批判されたままでは面子が立たない」というように、後追いでいくらかの見解を発表した。(信じられないなら事実を確認してもらいたい)
 もちろんというべきか、マスコミはそういう共産党の主導的な主張や行動をスルーした。
 だから、世の中を正確に見るためには赤旗を購読してもらいたいのだが。

 さてさて、私は心の底から思っているが、日本の政治勢力の中で、真の愛国者は日本共産党だと思う。ナショナリズムということでいえば、ほとんどの右翼という人々が、日本国中の米軍基地や米軍の特権に口を塞いでいるのを見ると何がナショナリズムだと軽蔑したい。メディアもそうである。

 2021年、思いっきりまともな議論をしよう。そういう社会に変えよう。今年は衆議院議員選挙の年である。通販のテレビコマーシャルのような「公約」に惑わされず、過去の実績と誠実さを検証しよう。・・・習近平中国批判から話が発展しすぎたか。

2021年1月4日月曜日

仕事始め

   12月29日に『野良の節句働き』を書いたが、結局退職者会会報の編集作業で友人に年内最後のメールを送ったのが31日の17時33分で、まさしく野良の節句働きであった。そして今年2日に返信があって、それに対する返信を送ったのが2日の17時52分だから、共同作業の友人も私も結構な働き者だろう。それはさておき。   

   朔日、二日と屋内で過ごしたので、3日はリサイクルのアルミ缶と発泡スチロールをもって、小さな買い物のためにスーパーに行った。書店にも寄ったが、去年から読み終えていない本もあるのでここは目をつぶって早々に退出した。

 そして、二日から作り始めていた鳥の巣箱を完成させて取り付けた。もしかしたらシジュウカラかヤマガラが入ってくれるかもしれないが、空き家のままでもオブジェだと割り切って楽しむことにする。

 お正月で孫?を連れて散歩している方が、わが家の満開の臘梅を見て孫?に「きれいなあ」と言っているので、「香りもいいですよ」としばし話しかけた。その臘梅だが、ヒヨドリはこのキレイでカグワシイ臘梅の花を食べに来る。また密を吸うために花びらを食いちぎって放ったりする。で、私も結構ダブルスタンダードだと思うが、臘梅にとまったヒヨドリは「コレッ、シッシッ」と追い払っている。

 なので3日は私の仕事始めというか工作始めの日となった。

2021年1月3日日曜日

新時代

   密を避けて2日は孫の夏ちゃんファミリーとお正月を祝った。

 お正月といえば、去年まではカルタやカードや百人一首といったものだったが、今年は夏ちゃんが本格的なテレビゲーム機を持参した。その存在はCMなどでおぼろげには知っていたが、私は初めて手にする機器であった。例えばボーリングなら、小さなコントローラー(joy-conジョイコン)を手に持って投球と同じ動作をするとボールが飛んでいくのである。

 そんなゲームソフトはというと、内容を熟知しないまま我が夫婦がクリスマスにプレゼントしたものだったが、ゲーム機のあまりの「進歩」にただただ圧倒された。この子どもたちが大人になった時代はどんな社会になるのだろう。

 夏ちゃんの指導でいくつかのゲームに参加したが、お屠蘇の後の身には辛いものだった。元々ゲームなどは好きでない私だが、それでも新時代の様子を幕の隙間からちょっと覗いた記念すべきお正月になった。

2021年1月2日土曜日

愛燦燦

   孫の凜ちゃんファミリーと穏やかな元日を過ごした。昨年1年は入院するような大病もなく、小さなファミリー単位に限って言えば悪くない1年だった。

 凜ちゃんは今年は療育園の年長さんになる。よくここまでたどり着いたものだ。この孫がいる限りファミリーに笑い声が途切れることはない。この児は神様から頂いた天使である。

 年賀状の中に闘病の様子が書き添えられている方もいた。みんな、耐えて歩み続けている。ともすれば、わずかばかりの運の悪さを恨んだりしなかったかといえばウソになるが、人はかわいいものだと歌うことにする。

2021年1月1日金曜日

春信

うららかな春は  きびしい冬のあとに来る
 可愛い蕗のとうは  霜の下で用意された

                        宮本百合子 

2021年1月1日 皆様に春のおたよりをお届けします。

         本年もよろしくお願いいたします。


 ◆牛の埴輪 大阪府高槻市 今城塚古墳出土
     6世紀 古墳時代後期 真の継体天皇陵と考えられている。◆

 コロナ禍は収束の兆しがありません。国会ではコロナ無策を放置したまま憲法改正の国民投票法の改正問題が浮上しています。大阪では大阪市の財源と権限を引きあげる広域行政一元化条例案が提案されます。
 おめでとうのご挨拶とともに気を引き締めようと思います。