遠い昔、大和三山を男女に見立てた歌があった――
香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき
神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も然(しか)にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき 『万葉集』より
は、その宣伝パンフの一部である。
ところで、この中大兄(後の天智)の歌から三山の三角関係を解説するのは、実はそれほど簡単ではないらしい。
以下は、私の好きな上野誠先生の「大和三山の古代」(講談社現代新書)のつまみ食いであるが・・・
「雲根火 雄男志等」は「畝傍を惜しと」ではなく「畝傍 雄雄しと」(漢字(万葉仮名)の選択(文字表記)には意味があると考える)との説があり、「畝傍を愛しと」(ほとんど否定されているが)の説もある。
「嬬乎」の「ツマ」は「男女ともの配偶者」である。
「かくにあるらし」「然にあれこそ」では、万葉集のツマ争いは二人の男性が一人の女性を争っているのが多い。(ただし、それだけのことである。)
なお、連想される額田王の天智、天武を巻き込んだ有名な「野守は見ずや君が袖振る」の歌は、現代では“恋歌ではない”というのがほぼ定説である。云々 云々
このほか、反歌を含めて膨大な検証をされた上で氏は、・・・
香具山(男性)は畝傍山(女性)を横取りされるのが惜しいと
耳成山(男性)と争った・・・・
――神代からこうなので
――いにしえもそうだった
――今の世も妻を争うらしい
――(まして、自分も)
だと、解されている。
しかし、その時代の共通の情報、常識的知識がどうであったのかは結局は解からない。そして、歌は、そういう当り前の常識を省略して歌われているのである。(このことも著書の中で解説されている。)
また、「アブノーマルな三角関係を歌っているからこそおもしろくないか」と考えると、そもそもの各種前提が瓦解する。結局は氏の著書を読んでも100%は解からない。
この山が男性に見えますか、上野先生 (藤原宮側から天香具山をのぞむ) |
・・・で、妻と一緒に藤原京の故地にいる孫の顔を見に行ったついでに大和三山を眺めなおしてみた。
その結果、我が夫婦が到達した意見はというと、・・・
香具山は見た目がずばり女
性である。
結果的に畝傍は男性である
し、見た目もそうである。
耳成もなかなかスマートな女
性である。
という、上野誠説とは正反対の全く非論理的なものだったが、この結論に妙に二人とも納得した。
見た目の方が学者の屁理屈(失礼)より重いのではなかろうか。
そして、三角関係にノーマルもアブノーマルもありはしない。
そして、三角関係にノーマルもアブノーマルもありはしない。
神代も、古も、現在も、・・・
・・妙に二人とも納得した。・・おおこわ・・・
大和三山の話は別にして、「はねずの月」のはねず、に興味をひかれて「色々の色」という本を引っ張り出して、ついでに東大阪市民美術センターで開催中の「染匠よしおか日本の色・千年の彩展」に行ってきました。
返信削除本では「唐○色」(木偏に隷の右側)とあり、ニワウメの古名、とあります。その花の色からつけられた紅花染めのうすい赤を指し、朱華色とも書く、とあります。「はねずいろ」は「うつろい易き」にかかる枕詞だそうです。
で、会場で見た現物の色は、私のブログに書きます。
「はねず色」が「移ろいやすい心」に掛かる枕詞との指摘ありがとうございます。映画の題名に納得です。
返信削除さて、聖徳太子制定といわれる冠位十二階以降最高位の色が紫であったのは、隋書、より古くは道教の経典に根拠があり、この感覚は現代の宮中の衣装やお坊さんの法衣に引き継がれているようですが、天武が改定した冠位四十八階で、紫の上位に諸王用に定めたのが朱=はねず色らしいですね。この色がかように高貴な色とされた理由は、さて・・・?