2011年8月3日水曜日

今こそ鎮守の森

 大地震と津波から思い出した本がある。
 5年ほど前に一志治夫著「魂の森を行け」という本を読んで、そのノンフィクションの主人公である宮脇昭氏に興味が湧き、続けて宮脇昭著「鎮守の森」(何れも新潮文庫)を読んだ時に、「この人の言っていることは本当だ」と感覚的に思った・・という記憶である。(違和感のある箇所が全くないわけではないが)
 この本は、あえて一言で言えば「その土地本来の森は火事にも地震にも台風にも耐えて人々を守ってくれる」と確信した“行動する学者”の記録である。

 丁度その本を読んだ後、私の通勤路にイオンが建設され、開設前に建物の周囲に植樹が行なわれたので、喜んで参加して正に宮脇方式の混植をこの手で行なった。(具体的内容は本を読んでもらいたい。)

1 素人が植えた森

 そして、時が過ぎた。
 乳幼児が適当に植えた木々を含めその植林帯は、森とまでは言えないまでも、ほとんど全く人手をかけぬまま見事に成長している。(写真1)

 そしてそして、あまりに見事な皮肉であるが、その前の緑地帯を管轄する市は、宮脇氏が否定的に著書で紹介したとおりの芝生とツツジを立派な造園業者に植えさせたのであるが、芝生の雑草は毎年数回にわたる相当な管理維持費の支出を想像させるに余りがあり、そして、ツツジの現状は写真2のとおり貧相なものとなっている。

2 本職が植えたツツジ

 私はほぼ毎日この光景を比較しながら見て歩いており、その度に宮脇理論の正しさを再確認している。
 前著の「中見出し」の「死んだ材料は時間とともにダメになる」や「都市の周りの森林を破壊したとき、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく」は、示唆に富んでいる。

 東北は自然豊かと言われてきたが、よく見れば津波の地域は人工的な田圃やハウスや住宅ではなかったか。復興対策の中から「防災林を造ろう」という声が聞こえてこなくていいのだろうか。
 なお、理性的に考えれば考えるほど、防災林でも防げない原発は早期に撤退すべきだと考える。孫の顔を見るたびにそれは確信になっていく。

2 件のコメント:

  1. 「植樹の神様」の宮脇昭氏の話は聴いています。今回の震災で現地からのルポと提言でも氏の主導で行われた「イオン多賀城」で市民が植樹した「シラカシ」や「ネズミモチ」等の自然の森だけがが地震にも津波にも無事であったこと。被災地の瓦礫をゴミとせず「肥やし」として地中に埋めてその上に自然の木を植樹して緑の300キロの「万里の長城」を作る提言等。これが実現されたら日本人の精神構造も変わると思います。でも岡山の隠居所の山の木の名前も知らないド素人が生意気なこと言うなとお叱りを受けるかも知れませんネ。

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  2.  「防災林の声が聞こえてこない」と書きましたが、スノウさんのコメントで「緑の長城」の構想を知り、少し気が晴れました。
     なお、私は「土地本来の森」=「ふるさとの木」=「潜在自然植生」の論にいたく共鳴しながら、大きな声では言えませんが、ユーカリこそ伐採しましたが、アメリカハンノキなどを植えて喜んでいる日和見主義者です。

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