2026年4月30日木曜日

くす玉

     4月26日付朝日新聞16面の『サザエさんをさがして』は「くす玉」で、古来の薬玉ではなく、「ひもを引っ張ってパカッと割るくす玉(のルーツ)は、国立国会図書館などで調べたが判然としなかった」とあった。

 このことはずっと以前に私自身いろいろ考えて書いたことがあるが、自分のブログなのに検索しても出てこないので朧げな記憶でもう一度書いてみる。
 1 薬草による薬玉とは質的変化があるから、薬玉が自然にくす玉になったとは考えられないが、祝い事(予祝行事)の性格は同じである。
 2 「割るくす玉」は江戸時代の書物等に一切見当たらないようだから近代に考え作られたものである。
 3 もし当初から「垂れ幕」が考慮されていたとすれば、それは縦書きの発想であるから、日本、中国、朝鮮、モンゴルあたりで考えられたと思われるが、近代化が進んだ日本はその有力な候補地である。
 4 以上のことから、明治41年(1908)三菱重工長崎で行われた桜丸進水式前後の日本で考案されたものでないだろうか。 (西欧式進水式はワインボトル)
 ・・・要するに、少し陽気な明治の日本の造船現場技術者が考え出したのが「パカッと割るくす玉」だと推測したが如何だろう。

 5月にわが退職者会最大のイベントがあり、実行委員長から私に「くす玉を用意せよ」と命が下っている。
 簡単に割れるように作ると移送中や取り付け中に割れてしまう。そこを頑丈にするとなかなか割れないから取り付け箇所を壊しかねない。だいたい会場には「くす玉取り付け器具」など設備されていない。何よりもゲストをもてなす垂れ幕がいる・・などなどなど、GW中にいろいろ準備作業をすることになる。
 誰か、くす玉制作班に入門しようとする弟子はいないのか・・・

2026年4月29日水曜日

大阪モノレール

    テレビがつまらなくなったので、録画してあった『鉄オタ選手権・大阪モノレール』を見た。
 7年後の2033年には近鉄奈良線とも接続(乗換)できるようだが、私自身は(命が)間に合うだろうか。というか、大阪空港や万博公園などへの旅行という需要があるだろうかと考えるとチト寂しい。ともあれ、この接続がかなうとあれば便利である。
 ともあれ一旦大阪市内に出て環状線なり地下鉄を経て乗り換えていた阪急や京阪へは便利になるだろう。
 このように進んでいるモノレールの延伸事業、これは黒田革新府政の時代に準備されたものだということをご存知の方は多くない。ズバリ大阪の都市計画や経済戦略からいってもそれは「骨太」の企画であった。
 それに比べてその後の大阪府政を見ると、「カジノで経済活性化」とは、あまりにレベルが低すぎると思わざるを得ない。
 大阪維新には事実上よしもとがついているから、何事によらず「やってる感」のパフォーマンスだけは派手だが、冷静に統計数字などを見ると、大阪の地盤沈下は誰であっても否定できない。
 その上に先日書いた木津川計氏指摘の「都市格」の没落である。
 来年春は統一地方選挙。気は早いが「ヒトの身を削って自分の身は肥やす」維新政治は止めさせなければならない。

2026年4月28日火曜日

奈良監獄

    奈良監獄ミュージアムオープンのニュースがテレビ等で話題になっている。
 取り壊しの案もあった刑務所の建物を国の重要文化財に指定させ、ミュージアムやホテルにまで持ってきた力は、古代史などの勉強会のリーダーたちと近隣住民による 運動だった。奈良観光の為にも良い影響を産むだろうと思う。

 ここが刑務所として実際に運用されていた頃、毎年、年に一度のお祭りのような催しがあり、受刑者の授産事業の製品が販売されたりしたので、私もけっこう買い求めたりした。
 そのうちの一つは、大きな縁台だった。もちろん持ち帰れるような大きさではなかった。
 そして数日後、家に年老いた母が一人でいたときに、「もしもし、長谷やんさんですか。こちら奈良刑務所ですが」と電話がかかって来て、母が腰を抜かしたことがあった。遠く懐かしい思い出だ。縁台を持っていくという連絡だったのだが。
 擬木の切り株ベンチは今もわが庭にいくつもある。
 歳をとると、何もかもが懐かしくなる。

2026年4月27日月曜日

成熟した市民

    今週金曜日はメーデー(May Day)で、1986年シカゴの労働者が8時間労働制を求めて大集会を開いたことに由来する。いうならば、労働法、労働行政などの生みの親のようなものだ。
 それが現代、「労働基準監督署の残業規制の指導を緩めよ」と政府与党が合唱しているのだから、「それはおかしい」との声を大きくしたいので、大阪・扇町のメーデーに参加したいと思っている。
 ところが近頃は、若い労働者の中には労働組合に加入しない人が生まれているらしい。労働組合の存在や運動が労働条件の改善につながっているという実感が薄れると同時に、「そんな時間があれば資産運用に費やすわ」という感じだとか。
 その種の発想は地域の自治会でも生じているが、ちょうど内田樹氏が『市民的成熟を育てる学校と職場の条件』という文章の中で、要旨次のように書かれているのが的を射ているように感じたので紹介する。(要旨をまとめた責任は私にある)
 🔳 「市民的成熟」を一言でいえば、「公と私」の間で葛藤する作法を身につけることである。
 公共というのは、全員が私権の一部(自分の割り前)を差し出して、初めて協同体や自治体や政府や国家といった「公共」が成り立つものだ。
 でも、この「公」は、ルールや法律を守れとか税金を納めろとかゴミを捨てるなとかいろいろと市民に要求する。これが「私」にとっての「持ち出し」に相当する。
 問題はこの「持ち出し」における「自分の割り前」をどう算定するかである。
 未熟な市民はこのことの意味がわからない。わかるためには「この社会が自分みたいな人間ばかりだったら」と想定することである。
 例えば、「法律を守らない、税金を払わない・・・」のが「オレ一人」で、あとの全員は「法律を守り税金を払う・・・」善良な市民である時には、この「オレ」の利益は最大化する。
 言い換えればそれは、「オレみたいな人間はこの世にいない方がいい」と切望することである。
 そんな協同体を構成したいとは誰も思わないだろう。市民的成熟とはそういうことである。
 「自分みたいな人間がたくさんいる世界に住みたい」と思うことほどの自己肯定はない。🔳

 これを読んで、「組合費(あるいは自治会費)を払っても払わなくても利益に差はない。だから払うのは損だ」という声を想像したが、内田樹氏の話を聞かせたいものだ。
 年寄りの話はお説教臭くなるが、生き方の基本のようなことを語ることは高齢者の「任務」であろう。
 なので今こそ「歳だから」などと言わずにメーデーに行こうと思っている。
 (内田樹氏の論文は、SB新書の『沈む日本とカオス化する世界』に収録されている)

2026年4月26日日曜日

征平さん がんばれ

    妻がラジコで聴いていたラジオを何げなく背中で聴いていたところ、アナウンサーが「武器輸出全面解禁の閣議決定」を熱っぽく批判していたのでオオオッと少し驚いた。
 言っていることがおかしいので驚いたのではなく、あまりにまともな感想を忖度などなしに語っていたので驚いた。

 フリーアナウンサー桑原征平氏のABCラジオ『粋(すい)も甘いも』の中の、「まったく個人の感想です」というコーナーだったが、征平氏は父親の応召とヒトが変わって帰って来てからの戦争トラウマを赤裸々に語ってくれた。それは肩書の立派なコメンテーターや有識者のその種のご教授ではなく、ほんとうにリスナーの心を揺さぶるものだった。

 現代人が先の戦争を学ぶということでは、高市早苗氏が1995年3月16日 衆議院外務委員会で発言した「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」が有名であるが、それが如何に勉強不足で傲慢な態度であったかということも対比的に浮かび上がった。

 重複するが、征平氏の父君は優しい人であったが、戦場から帰って来てからは全く人が変わった暴力的な男であった。
 母君と征平氏ら子どもたちは限界ギリギリの家庭生活を送ってきた。
 そこで征平氏は、先の戦争では310万人以上が亡くなった。家族でいえば1000万人以上が夫や父を亡くした。さらにその外に、数えきれない戦争トラウマでヒトが変わった人とその家族が生まれた。戦争というものはそういうものなんや。だから戦争だけは絶対したらアカンし、そこへ向けての「集団的自衛権」とか「先制攻撃能力」などもアカン。そして武器輸出も・・
 大相撲でもサッカーの試合でも、外国との関係で君が代が流れたりすると感動して涙が出たりするが、それと自衛官が自民党大会で歌うのとはちょっと違うと思う。・・と征平氏。
 ・・・私が文をまとめたので感動が消えているので、どうか、スマホにラジコかなんかを入れて、貴方が直接聴いてほしい。
 ABC 4月22日(水)『桑原征平の粋も甘いも』の昼の00時33分あたりから聴いてみてほしい。
 そして、この種のことで桑原征平に変な圧力がかからないよう応援してほしい。

2026年4月25日土曜日

新しい革袋

    5月になると、およそ40年間ほど勤めた職場を「卒業」し反対にわが退職者会には「入学」してくれる人々を歓送&歓迎 するレセプションが待っている。
 そのゲストは私などからすると20歳ほど若い人々だから、イメージとして自分から20歳ほど先輩の顔を思い浮かべると色々感じるように、新しい酒は新しい革袋の箴言もあるから、わがホスト側も若返ることにした。したというか「私はもうしないぞ」と駄々をこねたように見られているかもしれない。
 と言いながら、「うん」と言ってくれた人たちのいささか困った顔を思い出すと、夜中にもあれこれ考えて眠れない日もある。
 これまでの長谷やん流はというと、連帯感が希薄になったといわれる時代の風潮には迎合せず、ゲストが”一回りして”驚くような古き良き時代を再興する・・がコンセプトであった。
 そしてそれは、20数年前、現職で送別会などの世話を焼く時からの信念でもあった。
 その具体化のひとつが、替え歌もしながらの『〽思い出のアルバム』の合唱だった。例の子や孫が保育園を卒園したときの歌である。1番と6番を書き出してみると・・・

1:いつのことだか
  思い出してごらん
  あんなこと こんなこと
  あったでしょう
  うれしかったこと
  おもしろかったこと
  いつになっても 忘れない    
     
6:一年中を
  思い出してごらん
  あんなこと こんなこと
  あったでしょう
  桃のお花も
  きれいに咲いて
  もうすぐみんなは 一年生

 さて新しいホストはどんな新機軸を打ち出してくれるだろう。

2026年4月24日金曜日

加藤義明さんの切り絵

    昨日のブログで「大阪ミナミで上方文化を探した遠足(古い大阪弁では運動会とも)」という話を書いたが、ホスト(実行委員長)がいろんな下準備をしてくれていたことが分かって頭が下がった。
 その一つが『浮世小路』への案内で、この私にしても初めての場所だった。
 そのほんとうに狭い小路の中に『一寸法師大明神』があり、実は一寸法師はお椀の舟に箸の櫂で道頓堀を上り、淀川から京の都に至って鬼を退治したからなのだと・・・。
 言うたもん勝!などと嘲笑して終わるのでなく、その話の出どころなどを追求したい気になった。(遠い後日に書けるかも)
 この日は浮世小路の運営者?がお留守であったが、きっと木津川計氏のお悔やみに出かけられたのだろうと勝手に推測。

 その昔、東の滝平、西の加藤と呼ばれた加藤義明さんの切り絵の絵葉書もホストが準備されていて参加者全員のお土産になった。ホストの説明が少し簡単だったので、貰ったみんなの表情も淡々としていたが、ほんとうは超貴重な絵葉書だった。(写真)
 題材は大阪の天神祭りの催太鼓(もよおしだいこ)で、大阪府無形民俗文化財。渡御行列の先陣を切って「お渡りが来るぞ」と触れる「お触れ太鼓」でもある。
 この絵ハガキ、みんな大事にして、百均ででも小さな額縁を購入して飾るぐらいはしてほしい。(印刷やないかなどと軽蔑しないで!)

2026年4月23日木曜日

上方文化の一端を歩く

    21日の夕刊・22日の朝刊各紙に木津川計氏の訃報が掲載されていた。
 上方芸能の振興に果たした氏の功績は有名だが、近年は講演や執筆を通じて「都市格」の話に力が入っていた。
 人に人格というものがあるように、都市にも都市格と呼んでよいものがある。経済などの統計とは別に非常に大事な概念である。そういう視点から大阪を見ると、橋下徹氏が市長に当選して以降の維新による大阪府市政は、大阪の都市格を乱暴に引き下げたと言える・・というのが木津川計氏の鋭い指摘であり嘆きであった。
 大阪の文化というと昨今の吉本のそれでは決してなく、単なるノスタルジーでいうつもりはないが、笑いの向こうに優しく豊かな上方文化があった。今もあるが、その疲弊は著しい。再興したいものだ。
 22日の退職者会の「大阪のミナミを歩く」は、いうならば木津川計氏追悼ドンピシャの行事であった。

    そんな大上段に振りかぶった話ではないが、その行事の途中で法善寺に寄った。
 昔はミナミでイッパイ飲んでから寄っていたから、それぞれ機嫌のよい人士が水掛不動に水を掛けてお祈りをしていたが、なにせ今回はいまだ昼間、それに来る人来る人ほとんどが外国人だったから、ガイドブックで「ハハン、ここが法善寺ネ!」という感じで通り過ぎていく。
 これではいかんと周りの外国人観光客を「チョッと待って!」と引き留めて、「こうやってお不動さんに水を掛けて祈るのが日本の文化だ!」と、すべてパフォーマンスだけで国際交流を買って出た。
 最初は訝しく思ったような人々も「サンキュー、ありがと」と喜んで帰ってくれた。「ニッポン旅行オオサカでおかしなオッサンに教えてもらって面白かったよ」 と帰国してから話題にしてくれたら嬉しいが。

2026年4月22日水曜日

事実は・・・

    テレビではよくヨーロッパの公園のスズメが人が差し出した手の上のエサを食べたりしているのを観ることがある。
 それを見て「あれは麦の文化と米の文化の違いだ!」という声を聞くことがある。「米の文化の日本ではスズメは長年農家に嫌われてきたから日本のスズメは決して懐かないのだ」と。
 実際、ヨーロッパと日本のスズメは種類も少し異なっている。(写真はスズメではなくヤマガラ)
 乾信一郎著『ちいさな庭のウォッチング』というエッセイ集には著者が幼時を過ごしたアメリカのシアトルの公園では、ピーナッツとパプコーンを抱えて芝生に座り込むとたちまちスズメがやって来て、中には肩に止まったり腕に止まったりしてそれらを食べに来たとあった。

 しかし、以前に書いたことがあるが、私は現職のころ東京出張が多く、日比谷公園の松本楼で昼食を摂ることが多かったが、ここのテラス席でランチを食べると、堂々と《日本の》スズメが食べているテーブルまでやって来て、米粒などを付けて指を出すと指先から米粒などを食べてきた。
 つまり、コメ文化の日本のスズメは人間に馴れることはない!というのは正確ではなく、スズメだって学習するのだということだった。

 相当以前に買った本に『野鳥を呼ぶ庭づくり』というのがあって、そこには、バードテーブルにやるエサが書かれていて、スズメやカワラヒワはヒエやキビ、シジュウカラはヒマワリの種子とあった。実際、以前は、このとおりであった。
 ところが、私がシジュウカラ、ヤマガラをえこひいきしてヒマワリの種だけをやるようになってから、当初はまったくこのテーブルにスズメは来なかったが、そのうちにだんだん、「吾も少し挑戦してみるか」というようにスズメがやって来て、場合によってはシジュウカラよりも一回り大きなスズメがバードテーブルを占拠して、シジュウカラの方が追い出されることも起こってきた。
 
 念のためにいうと、シジュウカラやヤマガラはヒマワリを咥えて近くの木の枝などに行き、そこでコツコツコツコツと、足で種を押さえて器用にクチバシで割るのだが、スズメにはそういった行為はまったくない。嚙み砕いているのかどうかもよくは解らないが、そうなのだろうと思う。重ねて言うが、スズメも学習してヒマワリの種を食べるのだ。

 先日、子ども科学電話相談のことを書いたが、事実は小説よりも奇なり、思い込みは眼を煙らせる。確証バイアスに注意!注意! 本に書いてあった、テレビで言っていた、ネットにたくさん出ていた・・・ ????
 そう思ってみると、国内でも世界でも、危険な確証バイアスのかかったニュースやそれに取り込まれたような出来事のなんと多いことか。怖い怖い!

2026年4月21日火曜日

えんそく

    どうでもいい話が気になるときがある。
 ほんとうにどうでもいい話だが、今でいうと90歳以上の先輩方は、昔「遠足」のことを「運動会」と言っていた。当時から不思議だったが、そんなどうでもいいことがフト気になった。
 で、妻に、「お父さんは遠足のことを運動会て言っていなかった?」と聞くと、「確かに遠足のことを運動会というので子供心にもおかしかった」と返ってきた。
 学校行事に限らず、職場の社員旅行、社員レクのようなものも「運動会」と言っていた時代がある。と記憶している。

 ネットでは「遠足のことを遠足運動会と言う地方もある」という文章がひとつだけヒットしたが、さすがのAIも含めて全く見つからなかった。もちろん広辞苑も牽いてみた。
 時間は冷酷に過ぎてゆくから、こんな話も世の中になかったことになってゆくだろう。
 そこで、最後に手に取ったのが私の好きな牧村史陽編『大阪ことば事典』で昭和59年第1刷。ここで「運動会」を開けると、ここにはっきりと【遠足・郊外教授のこともいった。ピクニック】とあるから、その頃の大阪周辺では遠足のことを普通に運動会とも言っていたのである。
 なんで?というのは解らないが、そうだったことは解かった。記憶は正しかった。

 妻は「言葉に詳しいABC浦川アナに手紙を出したら?」と私をたきつけたが、これは大阪弁そして大阪周辺の民俗のことだから少しジャンルが合わない気がする。
 それよりも、このブログをお読みの皆さんで、「そやそや、親や兄姉や先輩が言っていた」という方がおられたら教えてほしい。
 アフリカのことわざで、「老人が一人死ぬというのは図書館がひとつなくなるということだ」というのがあるようだが、文字にしておけば少しは残るかも。

2026年4月20日月曜日

確証バイアス

    日曜日にNHK『子ども科学電話相談』という有名な番組を聴いていると、「本に、カラスを飼っていた人が、奥さんのブローチを巣の中に見つけたというのが書いてあったが」「カラスはなぜ光るものが好きですか?」という内容の質問が子どもからあった。

 妻が私に「なんでやと思う?」と被せて尋ねるので、「キラキラ光るカラスの巣は他の鳥(猛禽類)を寄せつけないからだろう」と答えたが、ラジオの先生は「カラスが光るものを咥えていったのを見たことがない」と回答した。ええええ!ハンガーを盗んでいくのは光るからではない?

 先生の「〇〇さんは見たことはありますか?」の答えも「見たことはない」だった。
 先生の話では、ヨーロッパでは昔から「カラスの仲間のカササギが光るものが好きだ」という言い伝えが一部にあったのだが、それが広まったのはオペラ『泥棒カササギ』によるものだ。
 しかし実験してもそういう結果にはならなかった・・・ということだった。
 
 ところでこの番組の白眉はそれからで、「人間は最初に一度思い込むとますますそう思う」「だからたまたまカラスが光るものを咥えているのを見たらそう信じてしまう」「それを『確証バイアス』という」と先生方がリレーで答え、「SNSで調べ物をすると、『スマホの方でこういう答えが好きだろう』という答えや情報を次々に流してくる」「だから自分の思い込みに合ったことには納得し、そうでない情報は『例外だろう』と思ってしまう」
 「だから気をつけてね」と先生は補足したのだった。

 きっと、小学2年生の相談者には難しかっただろうが、「誰かが言っている」というだけの情報に”思い込まないで”というメッセージは伝わっただろうと思う。
 そして私は、「これは大人科学電話相談だ」と感動した。

2026年4月19日日曜日

権限剥奪

    「暴走トランプをアメリカ国民は信じているのか?」と不思議に思っていたが、ついにトランプの熱狂支持派・MAGA派内部からも「憲法修正第25条に基づく大統領権限剝奪案が出てきたと、東京新聞が報じている。
 中でも彼らの感情を揺さぶったものは、トランプが自身のSNSにあげた画像で、一枚目は自身をキリストに模したかのような画像。
 これは大きな批判を受けて間もなく削除したものの、今度はキリストらしい人がトランプに寄り添うというか「神が」トランプを守っているかのような画像を投稿した。
    イラン攻撃、それによる殺人を「神聖」な行為のようにイメージさせたいのだろうが、アメリカの宗教的背景からしても良識に反している。
 カトリック、聖公会はもちろん、プロテスタントも含めヨーロッパの常識から逸脱したトランプにはこれ以上ついていけないと各国首脳が「不支持」に回ったのも当然だろう。
 ところが、こういう世界の流れを理解できないで、本来ならアメリカとイランの仲介国となることのできる機会を自ら放棄したのが高市早苗首相である。
 言葉の勇ましさに内容がないのは防衛相同様だが、片やの習近平の積極外交と見比べても情けない。
 日本という国が世界中の笑いものにならないかと心配する。
 そういう政権与党が、憲法改正だ、日本版CIAだと手を打っている。
 そしてテレビはそういうことに警鐘を打つでもなく、野次馬的な視点で京都の事件を延々と報じている。

2026年4月18日土曜日

鷺苔

    知らなかった頃は、座り込んで見るでもなく「タチツボスミレの群生だ」とばかり思っていた。
 「あれはスミレではない」と教えてくれたのは妻だった。
 私の小学校の校区には田圃がなかったほどの都会育ちというか、その頃の空き地というのはみんな《焼け跡》だったから、こんな小さな花はあっても判らなかった。
 そういえば、家の建っていない空き地というと、洋館建てだったのだろうかタイルや瓦礫が散乱していて《戦後》そのものだったが、こんな話(実感)は子や孫には別世界だろうと思う。

    で、スミレでなければ何かというと、鷺苔(サギゴケ)で、スミレという名に比べると数ランク「格落ち」めくが、そんな言葉遊びを別にするとけっこう美しい。
 2枚目の写真は上の写真の一部を拡大しただけ。
 検索すると園芸店の広告が出てくるから堂々たる園芸品種でもあるらしい。
 「名前なんぞに惑わされてはイカン」ということかも。

 検索結果を紹介すると、白花のそれが元らしく、名前の由来は花の形が鷺の飛んでいる形に似ているからとあったが、同じ理由の『鷺草(サギソウ)』に比べると、軍配は圧倒的にサギソウに上がってしまう。
 雌しべの先にある柱頭に触れると閉じる柱頭運動があるというから、ハエトリソウのイメージで送粉者(昆虫)に付着した花粉を積極的に取り込み受粉を促す役割をしていると考えられているらしい。
 この動きを律動にたとえ「ジョロウバナ(女郎ばな)の別称がある」というのだが・・・。

2026年4月17日金曜日

苗代茱萸

    苗代茱萸(ナワシログミ)という名を聞くたびに、その名のバックボーンに日本の田舎を感じる。 
 実のなる時期を言うのに「苗代の頃」というのは、この雑木の実に相応しい。田圃の先の雑木林に実っている様子が伺える。
 木といっても、枝先がビューンと伸びて垂れ下り、まるでツタ類のようにも感じる。
 野鳥によって(糞で)あちこちに広がり、考えようによっては迷惑な「雑草」のようでもあるが、歩道脇に生えていると歩きながらポイっと口に入れたりでき、そう!「日本の田舎」をじわ~っと感じることができる。
 わが家から遠くない道路わきにも生えていて、歩くのには少々迷惑な枝先の伸び具合であったが、この春先街路樹の剪定に伴ってさっぱりと整えられ、せっかくの実は手の届かない高所のみとなった。
 それでもようやく手の届いた何粒かを口に入れ、確かにそういえば苗代の季節だと感じた。新聞のチラシには、夏野菜の苗の広告が入り始めている。

2026年4月16日木曜日

私利私欲

    そもそもトランプは「アメリカファースト」「他国の困難に金も人も出さないというモンロー主義」でMAGA(トランプの熱狂的支持層の政治運動)の熱狂的支持を集めたのに、なぜ今ネタニヤフの戦争にこうも深入りしたのだろう。
 莫大なユダヤ票と政治献金、そしてそれに親近感を持つ宗教右派(福音派)という票田に目がくらんだからだろうか。
 パレスチナの地はユダヤの地だ!と現代社会の土地所有権を主張するのは、島根県民が現政府に対して「軍事力によってなされた『国譲り』は無効だ」と独立宣言する以上に不当・無法だと思うが、ある種宗教の原理主義ではそうではないようだ。
 それにしてもそれだけがトランプの主義の根拠なのだろうかと首を傾げていたところ、フェイスブックに志葉 玲氏の次の記事を見つけ、私としては大いに理解が進んだので、以下にそのまま引用させていただく。

🔳 1日 志葉 玲 
  原稿執筆中の備忘録。トランプ大統領の異常なまでのイスラエル支持・支援の一つの大きな要因が、娘婿で側近のジャレッド・クシュナー氏の暗躍だ。
 ユダヤ系富豪の御曹司で、ネタニヤフ首相と非常に親しい。クシュナー氏は、彼が子どもの頃からネタニヤフ首相と家族ぐるみの付き合いを長年続けている。
 クシュナー氏はイスラエルによるパレスチナ占領に大きく加担してきた人物だ。一家の財団「クシュナー家財団」の共同理事を2006年から2015年まで務め、その間に財団から、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地に多額の寄付をしてきた。入植地は、パレスチナの人々の土地を奪って建設され国際法上も違法な上、入植者は武装し周囲のパレスチナ人の村を襲うことを繰り返している。さらに、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地で、その帰属が定まっていないエルサレムについて、第一次トランプ政権が2018年に「イスラエルの首都」と認定し、大使館を新たに置いた際にも、クシュナー氏の強い働きかけがあったとされる。このことは、ハマス等のパレスチナ側を大いに刺激し、ガザ攻撃の遠因ともなった。
 イラン攻撃についても、クシュナー氏は何年も前から暗躍。イラン核合意からの米国の離脱(2018年)を強く支持・推進。アブラハム合意(イスラエルとアラブ諸国の正常化)で中東政策を主導し、イラン孤立を戦略の軸にした。攻撃の直前には、イランの核開発に関してトランプ政権の交渉団の中核を担ったが、「歴史的な機会」(イランのアラグチ外相)としてまとまる直前にあった合意を破綻させたのもクシュナー氏。トランプ大統領に「イラン提案は本気ではない」「時間稼ぎ・欺瞞」と報告し、それがトランプ大統領のイラン攻撃開始につながったと複数の海外メディアで報じられている。
 こうしたクシュナー氏のイスラエル寄りの姿勢は利益相反でもある。クシュナー家の企業に対し、イスラエルの銀行が融資しているのだ。トランプ大統領のネポティズム(縁故主義)とクシュナー氏の親イスラエルのスタンスが、グロテスクに国際情勢を混迷させ続けている。🔳

 そういえばイスラエルによるガザ攻撃のときトランプが、「何某かの移転料を払うからパレスチナ人は全員他国へ行け、あとはアメリカがガザを所有してリゾート地にする」と言ったのも全くの冗談ではなく、そういうこともアリだなというトランプ一家のプランのひとつであったのだ。
 これはもうアメリカという国家の皮を被ったギャング一味ではないだろうか。
 その手先になってピョンピョン跳ねてる人もいたが・・・
 (写真 ネタニヤフの向かって右がクシュナー氏、左がエプスタイン氏らしい)

2026年4月15日水曜日

ネモフィラ満開

    ネモフィラは繁殖力が強いから庭に植えては駄目といわれているが、わが家の庭はざっくり言えば自然農法の庭だから、昨秋、庭の空き地にネモフィラの種を蒔いたところ、けっこう綺麗に咲いてくれた。
 あちこちの大きな公園でネモフィラが「ウリ」に宣伝されているが、それにはレベルが違って足下にもその陰にも及ばないが、そこそこ道行く人々を癒してはいる(はず)。
 道行く人々に喜んでもらうというのがわが庭のコンセプト。 

    ところが写真のとおり、一部に白い花や模様の入った花が咲いたので「この種(袋)は不良品だった」と少し不満だったが、妻がスマホを読んで「突然変異らしいで」と教えてくれた。
 よくあることであるらしい。知らなかった。

    「庭に植えてはいけない花」の中には、ピンクの大花のオキザリスがある。
    昔、田舎の叔母が来たときに「うちらが必死になって駆除している雑草を植えている」とあきれていたが、実際、その後駆除に手を焼いている。

 わが庭は「こんな庭づくりをしてはいけない」という典型だが、当の本人は結構気に入っている。
 人間世界の「つまみ」のような庭でなく、自然の中に生活させていただくのが好くないかとの考えによる。
 精神としては茶庭・露地のつもりだが・・・

2026年4月14日火曜日

かぎかっこ

    先日、私の書いた原稿をみんなで推敲してもらった折、「カギカッコ」と『ニジュウカギカッコ』について「これでいいのか」と指摘があった。
 直接話法の中にさらに直接話法を使う場合などで、私は数学の計算式のイメージで、ニジュウカギカッコの中に普通のカギカッコを使っていたのだが、「それは反対ではないか」と指摘された。
 その種の問題解決は近頃は簡単で、「AIはカギカッコの中にニジュウカギカッコと言うてます」で決着がついたのだが、私自身「いったい何によって反対のことと理解していたのだろう」という不思議さが残ったまま帰路についた。
 そして、ネットではない大小の辞典、国語に関する書籍、公用文のマニュアル等などをあたってみたが、見事にどこにも根拠にできる規定は見つからなかった。
 そんなマニュアルもないような中で皆さんはどうして「正解」を知ったのだろう。どうして私は長長期間日本語を使用しながら「正解」を知らなかったのだろうと少々落ち込んだ。
 確かにAIでなくてもネット上では「答」が書かれていたりするが、あえて言えば「その人の見解」以上の説明にはたどり着けなかった。
 こうしてほとんど探索をあきらめかけたとき、念のため、手持ちの三省堂『ことばの百科事典』を繰ってみたところ、「二重の”かぎかっこ”(『』)は、”かぎかっこ”の中でさらに”かぎかっこ”を使うばあいに使います。書名・新聞名・雑誌名を示すときにも使います」とあったのでひとまず落着という気分に落ち着いた。
 さらには、国立国語研究所編『日本語の大疑問2』の表の中に、ニジュウカギカッコがあり「カギカッコの中の会話」との説明があった、
 ただ、いろんな関連しそうな文書を読んでみたが、いわゆる記号(符号)は多くの例外があり、反対にいえば絶対的な正解は見つけられなかった。
 この歳になってなんと恥ずかしい発見だった。
 でもね、吉田兼好(図)さん、貴男が徒然草第22段で嘆いた「言葉」は、既に外国語ぐらいまで「変身」しているよ。
 実際「現代若者言葉」も日本語なのだから、これからもこんな恥をかき続けていくことだろう。

2026年4月13日月曜日

カンサイタンポポ

    先日ハイキングで甲山(かぶとやま)の山裾を歩いたとき、「わあ、珍しい白いタンポポだ」「ほんとだ、ほんとだ」と喜んでいるグループがいたが、その日私は家を出てすぐに白いタンポポを見ながら甲山に来たのだから、少し可笑しかった。一番目の写真はわが家近くの「白タンポポ」。

 もちろん近くには黄色いタンポポもいっぱい生えている。それ自体は珍しくもなんともない。
    現代のタンポポ事情で一番の問題は、日本固有種のカンサイタンポポやカントウタンポポ(ニホンタンポポ)が急速に外来種のセイヨウタンポポに駆逐されて行っていることである。
 多くの場合植物の外来種は桁違いに繁殖力が強いので、固有種を守れという主張はヘイトスピーチとは次元が違う。

 タンポポでいえば、ニホンタンポポは自家受粉では種ができないから仲間と群生を続けていなければならない。
 その上に種の数がずっと少ない。さらに春に受粉してできた種は秋まで発芽しない。なんというおしとやかさだ。
    その何もかも反対がセイヨウタンポポだからあっという間に日本中を席巻している。

  三枚目の写真は、今年(この間)わが家の庭に突然生えてきたタンポポ。
 矢印の部分が「外総苞片(がいそうほうへん)」と呼ばれる部分。はっきりと下向きに反曲している(そっくり返っている)。
    これがセイヨウタンポポの最大の特徴である。

 そして四枚目、五枚目がわが家周辺の古い遊歩道のタンポポ。
 外総苞片が反り返っていないのは一目瞭然。けなげなカンサイタンポポ(固有種ニホンタンポポ)だ。
    ちなみにこの(ニホンタンポポの)写真をスマホのAIに見せたら『セイヨウタンポポ』と答えたから、皆さん、AIを頭から信じてはいけません。

    なおカンサイタンポポはカントウタンポポに比べて花も花の基部も小ぶりといわれているからこれはカンサイタンポポで間違いないと考えられる。
 あなたの周りのそのタンポポ、固有種?外来種?

 理屈めいた箇所は、田中修著『雑草のはなし』(中公新書)を参考に記述した。


2026年4月12日日曜日

猿回し

    猿回しの思い出というと、1970年代中頃、部落問題夏期講座での村崎義正氏の講演を思い出す。
 山口県の被差別部落に生まれた氏は、壮絶ともいえる半生の後、部落解放同盟から後に全国部落解放運動連合会(全解連)の役員を務め、同時に光市の市議会議員(日本共産党)として保革を超えて人望があった。
 光市議に初当選と同じ年の1970年、俳優の小沢昭一氏がレコード『日本の放浪芸』シリーズのために光市を訪れたことをきっかけに、1963年に途絶えていた猿まわし芸を復活させることを決意。民俗学者の宮本常一や民俗文化映像研究所の姫田忠義、過去の猿まわし師の実態を調査・研究していた詩人で社会教育家の丸岡忠雄や末弟の村﨑修二の協力を得て、1977122日に周防猿まわしの会を結成して初代の会長に就任した。四男は村崎太郎。
    その芸は、国内外の舞台やイベント、テレビ番組など多方面に活躍。猿のチョロ松は、ソニーウォークマンのCMなど「反省する猿?」でも有名になった。
 で、最初の夏期講座での講演だが、非常に困難な猿の調教の経験から、「子どもの教育には親が絶対的な権威で臨まなければならない」などという話で、民主的な教育論からは相当脱線していたのを今も覚えている。(笑)
 

    つい先日、そんな猿回しの大道芸に久しぶりに出くわした。
 お猿の芸の向こうに、長い差別と大道芸の歴史、そして部落解放運動の変質と分裂の中でそれを復活させた先人のことを思い出しながら楽しく見物した。
私が大きな声で笑ったりしたものだから、外国人観光客もたくさん集まり、私の投げ銭を見て大いに投げ銭が集まった。ふふふ。
(Wikipediaを参考にして記述した
(写真は許可を得て撮影した)

2026年4月11日土曜日

お花見ちらほら

    高市首相肝いりの「労働時間規制の緩和」で自民党が「労働基準監督署の指導を見直すよう」提言をまとめると新聞が報じている(4月10日朝日等)。
 現状は労働基準監督署が、時間外労働を月に45時間以内に抑えるよう指導しているが、それを「厳しすぎる」というのである。
 人間は単発的な労働時間のみによって死亡したりするものではないが、時間は世界共通で絶対的に24時間であるから、長時間労働が脳心臓疾患やさらにはメンタルにかかわる疾患の重大なリスクファクターであることは医学的にも認められている。
 以前にも書いたが日本の勤労者は「企業戦士」どころか「社畜」と呼ばれ、現に西欧では信じられないとされている「カローシ」「カロージサツ」が発生している。
 「労働時間の規制緩和大反対!」「アフター5のパパは家族のもの」と、声を上げよう。

 ウィークデーということはあるにしても、満開の大阪城の桜の下でお花見をしているサラリーマンはゼロだった。歩いているのは外国人ばかりで、キッチンカーのお兄さんは私に「今日初めての日本人」と喜んだ。
 私なんぞは、日本の国も日本人も大きなところで貧しくなったと思ってしまうのはおかしいことだろうか。

2026年4月10日金曜日

見よ、甲山!

    桜の花を顕微鏡的に見てもお花見とは言わないから、甲山(かぶとやま)の桜と新緑を望遠鏡的に見て帰ってきた。・・というのはまっかな言い訳で、甲山軽登山はパスして裾野の森林公園から夙川を歩いてハイキングと称することにした。
 お花ということでは、夙川近くの廣田神社境内のミツバツツジの群生も素晴らしかった。この神社、知らなかった。コースを計画して教えてくれたリーダーの皆さんに感謝。
 どちらかというと大阪の南方で育ったので、有名な甲山も今回が初めてで、裾野からの威容だけでも感激。
 4月8日、積善の人には余慶あり!!見よ、この好天!!

2026年4月9日木曜日

The answer is blowin’ in the wind

    およそ10年前(2016年10月)の退職者会の「会報」を読み直してみたところ、退職者会であるからイコール高齢者ばかりなのだが、大阪の某居酒屋の2階で、数十人でボブ・ディランの『風に吹かれて』を大合唱 した記事が出てきた。ボブ・ディランのノーベル文学賞が発表された年だが、どちらが先だったかは忘れた。
 「大阪広しといえども退職者会で『風に吹かれて』を大合唱したのはここだけでないか」という(豪語した?)ような思い出がよみがえった。
 この歌については翌年20174月の京大入学式で山極壽一総長が式辞で要旨次のように訓示をされた。

 🔳 さて、では常識にとらわれない自由な発想とはどういうことを言うのでしょうか。私が高校生だった1960年代に流行った歌があります。昨年ノーベル文学賞を受賞したボブディランの、 
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
 人間として認められるのに、人はいったいどれだけ歩めばいいの?”
という問いで始まる歌です。そして、
 How many ears must one man have
Before he can hear people cry?
 人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳をもたねばならないの?
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
 あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?”
と続きます。それは、
The answer, my friend, is blowin’ in the wind
The answer is blowin’ in the wind
友よ、答えは風に吹かれている
という言葉で終わるのです。
これはボブディランが21歳のときに作った歌で、「答えは風に吹かれている」というのは、「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。彼はこうも歌います。
How many times can a man turn his head
And pretend that he just doesn’t see? ”
そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。これは、1960年代に起こったアメリカの公民権運動の賛歌で、日本でも多くの若者が口ずさんだものです🔳

 何か胸に痛みの走る文言といえる。「もう歳だから」と言い訳にしていないかという何かを思い起こさせる。
 ネタニヤフとトランプのやっていることは、ベトナムの時と変わらない。しかし、日本の若者は、否、若者だけではない、元若者はこの歌をいま腕を組んで歌おうとしているだろうか。
 心配するな、各地でペンライトが輝いているぞと、お互いに語り合いたいものだ。



2026年4月8日水曜日

俳句入選

    4月7日付赤旗の俳句欄「望月周選」にへぼ句を採ってもらった。
 その句は、『沈丁花人事異動の香を放つ』で、人事異動の激しい職場であった現職の頃、満開の沈丁花の香りが漂う3月にいわゆる「内示」があり、新しい業務、新しい人間関係、新しい勤務地への漠とした不安感・・・というその記憶が今も脳裏に残っており、人事異動などという世事とは全く解き放たれて何十年も経つというのに、いまだに、この香を嗅ぐとフラッシュバックというほどのことではないが、「あっ、人事異動の季節だな」などと思ってしまうのであった。(写真は3月12日、わが家で咲き始めの頃の沈丁花)

 ちなみに、3月に投稿してボツとなった他の句の一つはいわゆる社会詠で、『 イランへと強襲揚陸艦春愁う』で、本人はこちらの方が気に入っていたのだが、あまりに非文学的であったのだろう採られなかった。

 二つ目は、『神鹿(しんろく)も野良鹿となる春埃』で、自分の稚拙さを横に置いて、非常に地域限定の時事ネタだったためにしておこう。これは奈良公園の鹿と思しき鹿が大阪市内に現れて大騒ぎになり、大阪府知事は「奈良で引き取ってくれ」といい、奈良県知事は「奈良公園を出た鹿は天然記念物でないから引き取れない」といったけっこう大きなローカルニュースであったのだが・・・テーマが下世話すぎたか・・・。

 近頃はなかなか俳句に気が回らないが「忙しい」は禁句である。心部(しんぶ)、立心偏(りっしんべん)に亡ぶ(ほろぶ)と書いて忙しいとした先人にはグウの音も出ない。「私は忙しい」というのは「私は心が亡んでいる」と言っていることのようだ。そこで、さらなるへぼ句を。
 戦争を止めてくるわ!の新年度 

2026年4月7日火曜日

クマバチ目覚める

    「桜の咲くころクマバチ(熊蜂)は越冬から目覚める」と本には解説されている。
 4月6日、気温上昇、「おまえはマニュアル人間か?」と言いたくなるようにクマバチがやってきた。
 「違うわい。花々の方が一斉に開いたから来たのじゃ」と反論するだろうか。
 上の写真はモーション抜きで少し拡大したもの。
 下の写真はごく短いモーションで見られるでしょうか?(上手くいかなかったらごめんなさい)

    本には「縄張りを張る」とあるが、実際、クマバチどおし壮絶な喧嘩をする。
 先日書いた紅の豚ではないが、羽音も大きく空中で絡み合って落ちてきたりして、すごいものだ。
 その合間、スマホを構えている私の顔に向かってきたりしてヒヤッともするが、♂には針がないし、スズメバチとは比べ物にならないくらいにおとなしいので見た目ほど恐ろしくはない。
    近年はわが庭でも外来種のタイワンタケクマバチが目立ってきているから、在来種のクマバチには心の中で応援している。

2026年4月6日月曜日

事実は雄弁

    Koichi Shimamura氏のFBに感心したので以下にシェアをする。

 33日「我々は戦争に勝った。」
 37日「我々はイランを打ち負かした。」
 39日「我々はイランを攻撃しなければならない。」 「戦争はほぼ完全に、そして非常に美しく終わりに近づいている。」
 312日「確かに勝ったが、まだ完全には勝っていない。」
 313日「我々は戦争に勝った。」
 314日「助けてほしい。」
 315日「助けてくれないなら、必ず覚えておく。」
 316日「実は、全く助けは必要ない。」 「誰が私の話を聞いているか、試していただけだ。」 「NATOが助けなければ、非常に悪いことが起きるだろう。」
 317日「NATOの助けは必要でも、望んでもいない。」 「NATOからの離脱に議会の承認は必要ない。」
 318日「同盟国はホルムズ海峡の再開通に協力しなければならない。」
 319日「米国の同盟国はしっかりして、ホルムズ海峡開通に協力すべきだ。」
 320日「NATOは臆病者だ。」
 321日「我々は使わない。開通させる必要もない。」
 322日「これが最後だ。イランに48時間の猶予を与える。」 「イランは終わった。」
 323日「彼らにもう少し時間を与える。」
 324日「戦争は終わりに近づいている。」
 325日「まだ交渉中だ。」
 326日「イランは和平を懇願している。彼らは我々に贈り物をくれた。もう少し時間を与えよう。」
 327日「イランとの交渉は非常に順調に進んでいる。」
 328日「戦争はもうすぐ終わる。」
 329日「ハルク島を取るかもしれないし、取らないかもしれない。」
 330日「海峡を開通させなければ、全てのエネルギーインフラと油田を壊滅させる。」
 331日「海峡は必要ない。石油は十分にある。イギリスよ、自分で何とかしろ。」
 41日「あと2週間で終わる。」←New!!!!

 以上がFBにあったもの。
 この王様には常識力が欠けていないか。
 そしてこの人に向かって「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド(あなた)だけ」と歯の浮くようなセリフを言い放った女王も・・・

2026年4月5日日曜日

鳩サブレ―

    八幡宮(神社)の八幡神については諸説あるが、有力な一説では「八幡神は応神天皇」とされている。そのためもあって八幡神も応神天皇も「新羅の神」という説もある。
 八幡神は中世には武家の守護神として全国各地に勧請され、源義家なんぞは八幡太郎義家と名乗ったほどだ。
 各地の八幡宮の全ては知らないが、普通は八幡宮の紋は向かい合った二羽の鳩である。宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたと伝えられ、以来、八幡宮の 「鳩」 は 「神様の使い」 として大切にされてきたというが、武力の象徴である武家と近現代では「平和の象徴白い鳩」というイメージとのアンバランスが面白い。
 以上は「前説」だが、東の方の方から「法要のおさがり」らしい「鳩サブレ―」の大きな缶を戴き、その大きさに驚いた。鶴岡八幡宮門前の豊島屋の「鳩サブレ―」で、中には明治30年ごろ初代の豊島三郎の草創の苦労話がしおりになっていて楽しく読んだ。
 鳩サブレ―は鳩三郎とも重なっていたことも面白い。
 ありきたりの土産用菓子みたいには食べられなくなった。

2026年4月4日土曜日

マクロン 紅の豚


 ネット上の
J-CASTニュースの要旨によると、31日に来日したフランスのマクロン大統領が41日にXを更新し、スタジオジブリの宮崎駿監督の作品「紅の豚」について日本語で言及した。
 マクロン氏は「紅の豚」の主人公が描かれた絵をXで公開。「26323日」という日付とともに宮崎監督のサインが記されており、「マクロンさま!!」というコメントも寄せられている。
 マクロン氏は、「紅の豚」について、「世界の暴力や荒々しさに抗いながら、決して揺るがない自由の理念を掲げています」と日本語で紹介。「いま私たちが平和と民主主義、そして自由を守らなければならないこの時代に『紅の豚』」と綴り。最後に、「この作品を受け取ることができたことに、心から深く感謝申し上げます。宮崎駿監督、ありがとうございました」と感謝を示した。・・という。
 「紅の豚」というと私は2月23日の「光の春」でアドリア海とアルバニアについて書き、そのコメント欄に「ミラノそしてアドリア海というと「紅の豚」の聖地?です。時代はファシスト党が暗躍してきた時代。〽サクランボの実る頃はそれを歌っています。今の時代にもう一度語り合ってもよい映画です」と書き込んだ。
 マクロン氏はフランスでは左派連合でもないが、ファシストに対するレジスタンスの精神は生きていたということだろうか。それに比べて・・・・とは、もう言うまい。


2026年4月3日金曜日

ミサイル基地

    防衛省は31日、敵基地攻撃能力を備えた長射程ミサイルを国内で初めて熊本に配備した。中国の沿岸部主要都市や北朝鮮が射程に入り、10年ほどかけて国内各地に配備を進める計画で、日本のミサイル網の構築を急ぐとしている。
 26年度中には静岡県富士にも配置し、それは北京を射程距離に含むとしている。
 国内各地配備ということでは、近畿では京都府南部の祝園弾薬庫がそういう基地になる可能性が非常に高い。その住所が京都府のため遠くの出来事のような感想の方もおられるかもしれないが、荒っぽく地図上で測ると、交野市役所はほゞ6㎞、奈良市役所が約10㎞、枚方市役所までが約11㎞という距離にある。また、国立国会図書館などのある京阪奈学術研究都市に隣接している。
 昨今のトランプの発言で明らかなとおり、ミサイル基地は「敵国」の先制攻撃の目標になることは明らかだし、もし中国を念頭に置いて言えば、日中のミサイルの数は大人と子ども以上の差がある。
 その上にイランをめぐる外交を見ていても、恥ずかしいことだが、日本の外交は中国の外交の足下にも及んでいない。
 高市首相とその内閣の発想こそ「お花畑」で非現実的だと思われる。
 こんな大事な時に、こんなレベルの政府与党を産んでしまったことは悔やまれるが、とまれ、政治は国会議事堂内だけで決まるものではない。
 アメリカ国内でも800万人という反戦デモが起こっている。
 

2026年4月2日木曜日

活字は嘆く

    アメリカの二十歳の女性が、自身のメンタルヘルス(心の病)の原因を作ったとして、インスタグラム、フェイスブックなどを運営するメタ社とユーチューブを運営するグーグル社を相手に損害賠償を求めていた裁判で、ロサンゼルスの州裁判所の陪審団は325日、心の健康を害する依存性の高いソーシャルメディアのプラットフォームを意図的に構築したとして、原告勝訴とし、被告は原告に600万ドル(約95千万円)支払うよう命じた。
その他の国でも、若年層に対するSNSを禁止する国が増えつつある。
 さて先日、孫の夏ちゃんがやってきたが、長時間スマホ(ゲーム機?)ばかりに齧りついていて、前述の世界の動きも「むべなるかな」の感を強くした。
 そこで「こんな本、暇つぶしにでも持って帰るか?」「クラスにイタリアやフランスのことは知っている子は多いやろうがウズベキスタンやキルギスを知っている子は少なくないか?」と『中央アジア紀行』の美しい本を渡そうとしたが、「ええわ」と言って持って帰らなかった。
 中学生は忙しそうだ。
 だいたい私だって、キルギス、タジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメンスタンの国境線を白紙地図帳に描けと言われてもお手上げだ。
 それでもそこには私たちと同じアジア人がいて、同じような喜怒哀楽がある。
 自国ファーストなどというキャッチフレーズのなんと貧弱なことよ。

2026年4月1日水曜日

シメ

    「おや、ヒヨではないゾ、シロハラかな? イカルかな?」と室内から窓ガラス越しにスマホで撮った。
 本来ならここでハンドブックを繰るのだが、世間に毒された身は即スマホでAIに聴くという体たらく。そしてスマホの回答は「シメである!」と御名答!
 悔しいがAIには首を垂れている。
 バードテーブルにはヤマガラ、シジュウカラ用に小粒ヒマワリを置いているが、わが庭にまでシメがやってきたのは初めてだった。
    地球規模では環境破壊がおびただしいが、部分的にはこんなこともある。それとも、本来の自然が弱ってきたのでわが家まで飛んできたのだろうか?
 
 夏に北海道で繁殖し、近畿あたりでは冬鳥とされている。
 写真のとおり、冬毛のため少しコントラストが弱い(夏毛の写真は格段に鮮やかだ)が、スズメよりは大きくてズングリムックリしていて、なによりも太いクチバシが立派である。