2011年9月8日木曜日

旅立ち近い燕たち

 ようやく猛暑も一段落したので、燕たちが南方遥かオーストラリアに帰って(行って?)しまわないうちにと平城宮跡まで出掛けてきた。

 初夏頃まで、子育てのために人家の軒先で過ごしてきたこの地の燕たちは、どういうわけか8月中旬頃からここの葦原を塒(ねぐら)にする。
 同様の葦原で有名なところには淀川がある。
 塒入り(ねぐらいり)という。
 求婚、子育ての次の大事業である大旅行(渡り)の打ち合わせと予行演習のためだろうか。

 平城宮跡を塒にしている燕は約3万羽といわれている。
 この3万羽の燕が、夕刻まではほとんどいなかったにも拘らず、日没直後から続々とやって来て(帰って来て?)、ヒッチコックの映画どころでない集団旋回を演じ、人間の頭の上、顔の横を飛び回り、ヒュヒュヒュという風を切る音までが耳に入ってくる。
 そして一瞬葦原にもぐり込み、あとはチュチュチュチュという声だけがエンディングソングのように届いてくる。
 この“一日に15分間だけのビッグショー”の感動には、テレビや映画やUSJでは絶対に味わえない心の満腹感が付いてくる。
 足下の秋の虫も超一級なのだが、この時ばかりは助演賞だ。

 今年は、ブログにも書いたが、燕の空家を雀が横取りしたので、「燕が帰って来ない年には不吉なことがある」なぞというつまらぬ「ことわざ」が脳裏をかすめたが、こうして素晴らしい「塒入り」と出会えたので十分にチャラだろう。

 この燕たちは、日本の冬をオーストラリアの教会辺りで過ごして、途中インドネシアのモスク辺りで休憩したりして、そして、春には南都のお寺辺りに帰って来て、イマジンではないが、人間たちが口角泡を飛ばして文明の衝突などを論じているのを空の上から見て笑うことだろう。

(写真の上でクリックをすると写真が大きくなり少しは燕が判ります。)

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