2022年12月31日土曜日

行く年に乾杯

   昨日、「国破れて山河あり」と書いたが、「国」を、国会、大阪府議会、大阪市議会としてみると、まさに「城春にして草木深し」の感、無きにしも非ず。

 国会=政府でいえば、敵基地先制攻撃能力の配備、それらのために防衛費GDP比2%で世界第3位の軍事大国。益々持っての軍事ブロックの先導役を議論なしで決定した。かてて加えて、原発再稼働、稼働期間延長、新増設というのだから、私が『春望』を牽いた気持ちも解っていただけるだろう。

 とまれ、メディアが悪い、立民がどうも・・などと語っているだけではだめで、己が発信力の飛躍について、反省もし、ヴァージョンアップを語りあわなければならない。

 2023年への引継事項である。

 ブログを読んでいただいた皆様ありがとうございます。
 来年もよろしくお願いいたします。
 そして、お互いにSNSで大いに語り合いましょう。

2022年12月30日金曜日

野良の節句働き

   大阪のいろはかるたの「の」は「野良の節句働き」だが、懸案の来春の90分の講演の発言原稿案もどうにか作り上げた。
 
 30日昼過ぎには地域のニュース新年号の原稿依頼があり、必死になって作成してラインの添付ファイルで送ったが、受信者側がよう対応できないというので、ラインの本文やアウトルックで送り直した。これが夕方。

 30日夜には退職者会会報新年号のほゞ最終校正が終わった。

 このようにして、31日一日を残して年内の宿題はほぼめどをつけた。「野良の節句働き」に該当するかどうか微妙なところである。

 皆さん、お世話になりました。

 「冬至十日もすりゃアホでも判る」とは生前の義母の言葉だったが、ほんとうに夕方の景色が変わってきた。
 明後日からの挨拶は「新春」になる。
 写真の木の後ろに雲の塊。その後ろに夕日が・・。

祝箸完成

   今年(新年?)の祝箸(いわいばし)の箸紙(箸袋)を作り上げた。
 K・マルクスと並ぶ天下の悪筆のため、多くは機械(PC)に依存しながら、ついては中身で勝負と言ったところだが、・・というほど大層なものではない。
 ただ、少し今年考えたことを記録しておきたい。

 今年の漢字は、いろいろと目出度い言葉を考えたが一周廻ってシンプルに迎春とした。春は多くの再出発の季節であり、その決意を固める言葉である。そういう風に新年を迎えられたことに感謝している。

 迎春の横には『初春や陽はまたのぼる山河あり』という駄句を記した。
 ヘミングウェイの「陽はまたのぼる」は聖書を底に敷いていて、それは素直に言えば「いろんなことがあっても未来を信じて生きていこう」につながると、先日の『哲人訓』を読んだ小学生の孫の夏ちゃんに教わった。

 「山河あり」が杜甫の春望を意識していることは言うまでもない。杜甫は絶望はしていない。山河がある限り。(ここで一曲吟じたいがコロナ禍のため省略)

 さて、上方の箸紙は箸を下から差す。箸紙の上には歳神様がおわすからだろう。その箸紙の一番上に、今年全く新たに掲載したのは今年2月に撮影した「幻日」(げんじつ)である。これが吉兆であることをコメントして皆に吉兆をおすそ分け・・。
 まあまあの出来ではないかと、ひとり悦に入っている。

 こういう作業を積み重ねながら反省したり決意をしてみたり、・・それが年中行事の意味ではないだろうか。
 それを忘れて、商業主義が煽る料理や飾りつけをしても、何かがズレていくので微力ながら抗って今年も〆に入る。

2022年12月29日木曜日

パイロットキャップ

   孫の夏ちゃんが「しもやけ」というものを知らないというので、妻が「2階へ行って祖父ちゃんの耳を見ておいで」と言った。
 教室にエアコンまである現代っ子は「しもやけ」を知らないらしい。
 夏ちゃんの研究対象の私は「しもやけ症」で寒さに弱いから、妻に言わせるとその上に大きな耳が外に出ているから、今でも直ぐに「しもやけ」になる。

 先日クリスマスに、夏ちゃんファミリーから凜ちゃんに防寒帽がプレゼントされた。それがあまりに素晴らしいので、よく似た帽子を自分用にネットで購入した。
 形はよく似ているが、素材その他で私の帽子は凜ちゃんの帽子とは桁違いに安物だ。それでいい。

 この防寒帽、パイロットキャップとかフライトキャップと言われている。
 紅の豚のポルコ・ロッソの眼鏡のないのに似ている。
 ただロシア帽というコメントもあった。
 ロシアの文化や民族を全否定するつもりはないが、一句・・・冬帽子 ロシア帽とは言いたくない・・・という気分でいる。
 尋ねられたら「ウクライナ帽だ」と言ってやろう。同じような者だろう。知らんけど。

 何よりも、文句なしに耳が暖かい。少し大げさだが、実用性は満点だ。

 山中智子大阪市議のFBに「重ね着を1枚するよりも帽子を被る方が良いと聞いたので被るようになった」とのコメントがあったが、以前から「体温が逃げる逃げ道の20%は頭だ」と言われていた。異論もあるようだが、経験則でいえば防寒帽の威力は素晴らしい。
 ということで、買い物にも写真のような出で立ちで行っている。
 ウクライナ帽子ですよ。ウクライナ。

2022年12月28日水曜日

ドロバチの空家

   焚火のために薪置き場をガサゴソしていたら、ドロバチの巣(空家)を見つけた。
 いつもながら「いい仕事してますねえ」と感心する。

 造りは集合住宅ではない一戸建ての巣だから、トックリバチに近い種かもしれない。

 トックリバチ、そしてドロバチについてはファーブル先生(1823~1915)が感動的ともいえる「大論文」を書かれている。

 電車内の広告に「実学の〇〇大学」というキャッチコピーの大学があるが、あの時代に金儲けや名誉とかにかけ離れた観察と研究に没頭されたファーブル先生には頭が下がる。

 『すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する』(形而上学より)
 知りたいという気持ちがあるからこそ、新しい発見がある。新しい発見があるからこそ、人は進歩していくのだ(アリストテレス:前384~前322)古代ギリシャの哲学者)・昨日の夏ちゃんの本より。

 ネットでドロバチを検索すると、駆除の仕方ばかりが出てくる。
 その前にファーブル先生の爪の先の先程度でも観察して、その建築技術を賞賛しても良いだろう。

2022年12月27日火曜日

哲人訓

   孫の夏ちゃんへのクリスマスプレゼント¥740E。
 以前に書いたがAMAZONにポチッとしてギフトで送ってもらったから中身は全く見ずにプレゼントをした。だから、夏ちゃんがプレゼントを開けてから初めて見た。

 一言でいって面白い。私がプレゼントされたいくらいだ。
 
 普通、この種の格言は、今どきの若者言葉でいえば「うざい」ものだが、そういう匂いが全くしない。2005年初版で9刷というのも頷ける。
 装丁もある。短く的確なコメントもある。
 この本自体が「メッセージの伝え方」の箴言だと思う。

 ちなみに、私のこのブログのコンセプトは、『汝の道を歩め、人々をしてその言うにまかせよ』(ダンテ)である。
 この本のコメントは、『他人は好き勝手にいろいろなことを言ってくるものだ。でも、自分を信じて、自分の道を歩んでいこう』で、『ダンテ(1265~1321)イタリアの詩人』とある。いいね!

2022年12月26日月曜日

メリークリスマス

 さあ あなたからメリークリスマスわたしからメリークリスマス。

 けっこうナショナリストである私だが、キリスト教会が母体の福祉施設のボランティアもしているので、クリスマスを祝うのも全く不自然ではない。と、変な注釈付きだが・・・

 クリスマスに夏ちゃんファミリーも凜ちゃんファミリーも来てくれて、盛大に?クリスマスパーティーを行った。
 コロナ禍で世間はどうなのだろう。こんなことができる我が家は幸せだろう。
 3家族がそれぞれ、ピザ担当、ケーキ担当、チキン担当になって準備をして、プレゼント交換も・・・

 先日書いたように、民俗学的にはクリスマスは、キリスト教が非キリスト教徒の地域に勢力拡大を図った過程で、各地の宗教の冬至の祭りを取り入れて発展した行事だと考えられている。

 日本ではお正月が大きな行事であるが、その大規模なプレイベントの感もある。
 商業主義の手垢も色濃いが、冬至の前後に日が短くなり寒さが強くなり、ここらあたりでエイッ!頑張ろう!というパーティーも大いに意味がある。

 屋内でのパーティーの前に庭で焚火もしたが、我が家の庭はオープンな庭なもので、道を通って行かれる方が、「焚火の匂いが懐かしいです」と話してこられたりして、和洋合体のいい歳末行事になった。
 人間は交流する中で豊かになるのだ。

2022年12月25日日曜日

コロナパンデミックを報じないマスコミ

   21日のYAHOOニュース( 日刊ゲンダイDIGITAL)は、「日本はコロナ新規感染者・死者数でG7ワースト独走中! 無策の岸田首相は山際隠し優先」と見出しを打って、「新型コロナウイルスの第8波が拡大している。20日の東京都内の新規感染者数は2513人。都内2万人超えは第7波のさなかだった今年825日以来、約4カ月ぶりだ」と報じた。

 さらに、岸田首相は政府のコロナ対策本部長だが、20日の自民党役員会ではコロナの「コ」の字にも触れなかった。

 自民党は党コロナ対策本部の会合も開催したが、第8波のさなかに7週間ぶりというやる気のなさ。原因は本部長に、あの山際前経済再生担当相が1024日の辞任から、わずか4日後の28日付で就任したこと。コロナ対策より「山際隠し」を優先とは、「国民の命を守る」と繰り返す岸田首相の言行不一致は甚だしい・・とも。 

 現状は、岸田政権での死者数は安倍・菅時代の2倍ということで、岸田政権が発足した昨年10月以降、コロナ死者数は約36000人に上る。安倍・菅政権時代のコロナ死者数の約2倍だ。 

 英オックスフォード大の研究者らが運営する「アワー・ワールド・イン・データ」によれば、100万人あたりの新規感染者数(1週間平均)と死者数(同)はG7ワーストを独走中。20日は岩手県(2699人)と島根県(1777人)で過去最多の新規感染者数を記録した。 

 感染拡大の影響は救急搬送にも波及している。総務省消防庁の発表によれば、「救急搬送困難事案」が今月1218日の1週間に、全国の主な52消防で計6088件発生。週6000件超は8月中旬以来だ。 

 「政府のコロナ対策は、いわば『自己責任』。しかし、高齢社会の日本は、感染が広がれば、それだけ高齢者の重症・死亡リスクが高まります。政府が見て見ぬフリをしたところで、足元の感染拡大は止まりません」(昭和大医学部客員教授・二木芳人氏=臨床感染症学)という意見の方がまともだと思う。 

 ‥こういう状況にもかかわらず、テレビ・新聞は、「旅行支援だ」「インフルエンザ並みに扱えば」とか、嘘のように現実からかけ離れた報道を続けている。不思議な国だ。

2022年12月24日土曜日

もうすぐ大祓

 

   日本の右翼運動の中心に座る『神社本庁』で人事を巡る内紛が裁判にまで及んでいる。

今年5月、鷹司尚武統理が旭川神社(北海道旭川市)の宮司を務める芦原氏を総長に指名した15人の理事による役員会は翌月、2010年から総長を務める石清水八幡宮(京都府八幡市)の宮司の田中恒清氏の続投を賛成多数で議決。鷹司統理はそれでも改めて芦原氏を総長に指名したためだ。

 神社本庁では近年、職員宿舎の売却の不正を内部告発した職員の懲戒処分が裁判で取り消されるという大事件があったが、鷹司統理はこうした問題が起きた田中総長体制の刷新のため、芦原氏を指名したとしている。他人事ながらこの話は筋が通っている。

 しかしその裁判は22日東京地裁は、「総長選任には役員会の議決が必要」として、芦原氏の請求を棄却した。

 神社本庁の「庁規」は、総長選任は「役員会の議を経て統理が指名する」と定めていて、今回の裁判で芦原氏側は「議決の内容に縛られず、統理が指名できる」と主張したが、判決は、庁規の他の規定などに照らし、総長選任の規定は「役員会の議決で決定するという意味だ」と認定。議決がない芦原氏は総長ではないとした。

 私は法律の専門家ではないが、通常、政府各省が運営している審議会や委員会では「議を経る」は「議決を要しない」としていることからすると、この判決には少し疑問が残る。ただこの係争が最高裁まで行き、「議を経るとはすべからく議決を経るとの意味である」と法的に断言されるなら、それはそれでよいことのように思う。

 いずれにしても旧態依然、善意のお賽銭が化けた大金に群がる利権集団に見えて仕方がない。
 善意の神職や氏子ももっと注目して主張してもよくないか。
 晦日の大祓が必要なのは神社本庁自身ではないかしらん。

2022年12月23日金曜日

一陽来復 

   クリスマスが12月25日になったのは、キリスト教以前の伝統的な宗教の冬至の祭を取り込んだからだと言われている。
 言いたいことは、冬至の祭というのはそれほどに世界共通の「行事」だということで、この時期に「一陽来復」を願ったり感じたりしない者は余程の鈍感だと私は思う。

 さて、孫の凜ちゃんが「焚火をしたい」とやってきた。
 天候は思わしくなかったが、祖父ちゃん祖母ちゃんは凜ちゃんのためならと最優先で準備をした。
 薪ストーブにダッチオーブンをしつらえ、空のダッチオーブンに、さつま芋と南瓜を、濡らした新聞紙とアルミホイルにくるんで入れて焚き火を楽しんだ。

 何回か前のチコちゃんで「焚火の焼き芋は何故美味しいか」というのを自然科学的に解説していたが、そのとおり、最上級の焼き芋と焼き南瓜が出来上がった。冬至に焼き南瓜を食べたので今冬のコロナとインフルエンザの心配はこれでなくなった。

   また、淑気という言葉があるしアロマセラピーという言葉もあるように、よい香りが体によいことは論を待たない。
 故に、柚子湯は先人の知恵であった。
 これを単なる「湯治」や「融通」という「語呂合わせ」との理解ではもったいない。

 柚子湯に入った祖父ちゃんと凜ちゃんが、向かう一年ちょっとでも健康でありますように!
 そして、年中行事をこうして一つクリアできたことに感謝。

2022年12月22日木曜日

花柚子

   いつ、何を思って植えたのか全く記憶がないが、庭の丑寅の隅に花柚子が植わっている。

 花柚子は柚子そのものではないが、小ぶりの柚子みたいなもので、料理に使う分には遜色はない。といって、料理に大量に使うわけでもなく、放っておいていた木だったが、孫の夏ちゃんが、この酸っぱい花柚子を「美味しい」と言ってまるで蜜柑のように食べるようになってから、この木はちょっとした地位を確立した。
 
 その上に冬至なので、「柚子湯にする」と言って息子のファミリーも娘のファミリーも収穫して帰った。
 柚子と南瓜がないと冬至の気分にならないが、まあ一通り味わった。一陽来復、一陽来復。

 歳をとると「来復」が困難な病気の話が増えてきた。
 それでも日々に感謝して、与えられた条件で人生を豊かにしようと努力するしかない。
 やっぱり、一陽来復、一陽来復。寒気の中でも明日から(一般論として)日の出日の入りが伸びるのは嬉しい。

2022年12月21日水曜日

すぐきの季節

   歳末近くなり「すぐき」の季節になってきた。「新米」に倣って言うならば「今年の新すぐき」だ。

 11月頃に京都の上賀茂地域で採れるカブの一種スグキ菜の漬物だが、ただ塩だけで漬け込まれ、それがその家の室(むろ)や樽の乳酸菌による独特の乳酸発酵によって漬物として完成するものだ。

 現在は、室によって発酵が進み冬にも食べられるが、江戸時代初期には「夏日の珍味」として楽しまれていたらしい。
 独特の味を生み出す菌はラブレ菌というらしいが、整腸作用や免疫力の向上を助ける働きをし、抗ウイルス作用や抗ガン作用があると言われているから、コロナ下で毎日少しずつ食べると体に良いようだ。

 と言っても、食材は美味しいことが何よりも大事で、この味になれると普通の漬物はどこか物足りなく感じるぐらいだ。
 酒屋談義で、やっぱり野沢菜だ、いや広島菜だ、なんだかんだと語った折、私は「すぐきだ」と主張した覚えがある。

 関西では分からないかもしれないが、北陸や東北では普通にお茶請けに漬物が出てくる。それがまた美味しい。
 塩分摂りすぎを心配しながらも、日頃から胡瓜その他の糠漬けを楽しんでいる。発酵食品万歳。

2022年12月20日火曜日

同情はするが

   孫の夏ちゃんに「クリスマスプレゼントは何がいい」と事前に尋ねていたところ、書名指定で本を希望してきた。

 そのため17日にショッピングモール内のけっこう大きな書店に行ったところ在庫がなく、取り寄せてもらおうと話したところ、「2.3日から1週間で届きます」というのだが、クリスマスイブは1週間後である。

 「23日までには必ずほしいが」というと「保証しかねない」というので、『常識的にはできるだろうが万が一のために言えないのだろうなあ』と思いつつも、オーダーせずに帰ってきた。

 本好きの私としては街の本屋さんを応援しているが、この頃店員さんも減り、会計が全て自動になり、少し寂しい気持ちでいる。
 だが背に腹は代えられない。
 家に帰ってAMAZONをポチッとした。
 ギフト料金プラスだが安い本代にも拘わらず送料は無料。ポチッとしたときには2日後の月曜日に配達見込みであったが、結果は翌日曜日の昼には到着した。

 世界的にAMAZONは労働者の労働条件が良くないと言われている。さらに配送の業者への条件も厳しいと言われている。だから、できるだけ街の本屋さんに肩入れしているのだが、重ねて言うが背に腹は代えられない。

 「これじゃあ街の本屋は敗けるよなあ」と、複雑な気持ちで妻と語り合った。

2022年12月19日月曜日

冬晴

   17日土曜日の夜から18日日曜日の朝にかけては寒かった。
 わが家に一番近い奈良市の最低気温は0.3℃だった。
 朝起きて床暖房をつけても頭の上がスースーした。そういえば夜中も何かの作動音のようなものを感じた。・・・・?

 それから大分して、なんと通常は使用しないエアコンが「冷房」で運転されていた。床暖房なのに頭がスースーしていた原因が判明した。昨日の夕方からこうなっていたらしい。

 インフラが破壊されて凍えているウクライナの子ども達のことを考えると、申し訳ない。というか、老人性のポカが怖い。
 設定温度があるからこの冷房によって凍え死ぬこともないが、気温とは別に背中が寒くなった。

 


2022年12月18日日曜日

週末は日曜日

   週末とはいつ? という問いに土曜日は100%週末だが、金曜日も週末という意見もあり、日曜日は過半数の人々が週末と考えているという。私もそんなに異議はない。

 ISO8601 日付等の表記に関する国際規格でも「月曜日が1、日曜日が7」となっている。
 
 しかし、時計の表示で天辺が「0」でなく「12」になっていることと同じぐらい、多くの手帳やカレンダーでは日曜が週の頭になっている不思議がまかり通っている。

 ということで、合理的なこと論理的なことが好きな私は、2か月(翌月)表示、月曜週始めのカレンダーを購入して、新年に備えている。

 その限りでは何の問題もないし後悔もないが、わが家の他の部屋のカレンダーや手帳は全て日曜始まりだから、転記などの場合、下手をすると一日ズレそうな心配がある。悩ましい。

 予定表 受診日ばかりが先行す

2022年12月17日土曜日

日本語の劣化

   岸田内閣は軍事費を倍加する、そのために復興特別税も使い増税もすると言っている。
 それなら聞きたいが、2015年自公政権はいわゆる戦争法案を強行採決し、これで平和と安全は保障された、戦争は抑止されると言っていたのではなかったか。
 自公政権は、当時大嘘をついたのか、それとも全く世界情勢を読み間違えrていたのか。後者であれば政権担当能力もない馬鹿な政権だと言わなければならないが、私は前者だと思う。
 ジョージ・オーウェルの小説『1984年』では戦争を指揮する国家機関の名前が「平和省」だが、学術会議会員任命拒否事件の際の上代文学会の声明の「見せかけの形式に空疎な内容を盛り込んだ言説が今後も横行するなら、日本語そのものの力が低下してしまいます。日本語の無力化・形骸化を深く憂慮します。頼むから日本語をこれ以上痛めつけないでいただきたい」に大きく共鳴する。
 この国はいつからこれほど嘘がまかり通る国になったのか。

 先日新聞に、半ページ以上を使って「馬刺し」の通販の広告が載った。
 お正月の一品に良いかもと言って「申し込んだら」と妻が言った。
 ただ広告だけでは何となく解り辛いので、FAXは止めて直接電話をした。
 広告の文書は解り辛いので、「2セットで送料無料とあるが、霜降り馬刺し2セットでもそれでよいか」と聞くと、「霜降り馬刺しは上馬刺しセットにプラスしないと広告の料金にならない」「2セットで送料無料というのは上馬刺しセット2セットということだ」と返事があった。

 上馬刺しセット×2+霜降り馬刺し×2でも一向にかまわないのだが、なんとなくこの広告の根性が気に入らないので申し込むのを止めた。

 霜降り馬刺しは少し惜しいが、反対に何か清々している。
 (写真はその広告と何の関係もありません。ネット上にあった美味しそうな写真です)

2022年12月16日金曜日

君はハンサム

   「漢気(おとこぎ)」などと言うとジェンダー平等の思想に反するから、大河ドラマ『八重の桜』で使われた「ハンサム」がいい。
 「乞われれば一指し舞おう」という心意気のことである。
 15日は、会報の原稿締切日であったが、少なくない会員から原稿が寄せられた。ハンサムな人ばかりだ。感謝!感謝!

 その前の14日はイクジイの日だった。
 孫の凜ちゃんは種々の障害のため、マスク、帽子、手袋などを身に付けることができない。
 でも、近頃は「写真を撮るから」というと短時間はこんな帽子を被ってくれるまでになった。「祖父ちゃんの頼みだしょうがない」といったところだろうか。
 「うん、君はハンサムだ!」
  

2022年12月15日木曜日

邪道の菜園

   わが家の一坪菜園の特徴は、ウスイエンドウと菜の花など冬野菜の混植にある。
 写真では、後ろにウスイエンドウが伸びていて、手前には菜の花が葉っぱを広げている。

 訪問していただいた先輩のOさんに「冬野菜は何を植えておられます?」と聞くと、「玉ネギです」とのことだったが、私は根がイラチだから、ただただ春を待つだけというのができないので、春を待つしかないウスイエンドウにプラスして、菜の花やミズナなどを一緒に植えている。

 菜の花は早咲きのものだが、さすがに初冬からは咲くはずもなく、花は早春の楽しみとして、それまでは食事に鍋をするときなど、あるいは肉料理のお皿の付け合わせなどに、菜の花や、キクナ、ミズナなどをその都度収穫して「朝採り野菜」ならぬ「今採り野菜」としていただいている。

 苗屋のプロに言わせると、葉物野菜の葉っぱを順番に採るのはその野菜の成長によくない邪道らしいが、冬の家庭菜園にはこの方法が一番楽しいと邪道道を突き進んでいる。基本はイラチのなせる業と言えようか。

2022年12月14日水曜日

敵基地攻撃省

   13日火曜日の朝日新聞の『天声人語』がすばらしかった。

 ⇒ のどが痛くなったら「のどぬ~る」。熱が出てしまったら「おでこに「熱さまシート」。小林製薬の商品名には、そのものズバリの直球勝負でありながら心をくすぐるものが多い▶「名前を聞いて、どんな商品かすぐわかるよう突き詰めた結果です。」小林一雅会長がかつての記事で秘訣を述べている。覚えやすさやリズムに加えて、機能や特徴を誤りなく伝えるのも、名付けの眼目だろう。実態から外れた、客を惑わすようなものは失格だ▶そんな落第ネーミングが大手をふっている。政府が新たに保有しようとしている「反撃能力」である。長らく「敵基地攻撃能力」と言い習わして、我が国は持たないと説明してきた。看板をかけ替えたのは、字面の物々しさを薄め、専守防衛は変わっていません、と売り込みたいのだろう。▶だが「反撃」という言葉とは裏腹に、相手の弾が一発も届いていなくてもミサイルを相手国に撃ち込めるというのが、ことの本質である。「我々は戦争を望まないが、敵が先に仕掛けてきた」と当事者が双方が言い合う。戦争の始まりとは概してそういうものだ▶思い返せば、政府はたびたびネーミングで矛先をかわそうとしてきた。反対デモが国会を包囲した安保法制を平和安全法制と呼び、何度も廃案になった共謀罪はテロ等組織犯罪準備罪と名が改められた▶いっそのこと、あちらの名前を変えてみては、という川柳が本紙にあった。〈防衛省改め敵基地攻撃省〉。言葉のまやかしがどうにも多すぎる。⇐ (天声人語おわり)

「ではどのようにして国を守るか」という議論はあろう。これについては、市田忠義氏の要旨次のような提起に説得力があると私は思う。

⇒「反撃」能力というが、リアルに見て可能性の高いことは、日本がどこからも攻撃されていないのに、アメリカが海外で戦争を始めて日本の自衛隊がアメリカとともに相手国の基地を叩く、つまり敵基地攻撃を行う、相手国の中枢部、指揮統制機能も攻撃することだ。

それは相手国から見れば、日本が先制攻撃を行ったことになり、当然報復攻撃を受け、戦火を日本に呼び込む。そんなことのために、5年で43兆円もの軍事費を注ぎ込み、大量の攻撃的兵器を持ち、建前としてきた専守防衛も投げ捨て、増税するというのだ。

さて「敵基地先制攻撃論」の馬鹿さ加減は解った。でもどうしてこの国を「守る」のか。

ここもリアルに見て見よう。東南アジアはかつて戦火が絶えなかったが、その教訓を生かし、「紛争は避けられないが、戦争に発展することは何としても阻止しよう、外交的、平和的に、話し合いによって問題を解決しよう」とASEAN10カ国が友好協力条約を結んだ。以降軍事衝突は起こっていない。

そのASEANが、これを東アジア(中国、朝鮮半島、日本など)全体に広げようとASEAN10カ国プラス8カ国(アメリカ、中国、ロシア、韓国、日本など)の東アジア首脳会合=東アジアサミットを毎年開き、将来は、東アジア全体で友好協力条約が締結できるよう努力している。

この枠組みを土台に、東アジアを平和の共同体にするための、9条を生かした外交努力、軍事強化一辺倒ではなく、外交力の発揮こそが、いま日本に一番求めれれているのではないだろうか。⇐

「自分の国は自分が守る」という宣伝文句が怪しい「洗脳」みたいなものだということは、はっきり指摘しておきたい。

2022年12月13日火曜日

まだまだ続く

   ここ数日、ケチがついた話が続いているが、12日には楽しみにしていた13日の講座が急遽中止との連絡が入った。コロナのせいである。ケチも極まった。

 どうも貧乏神に取りつかれたようだ。
 「予定外の時間が生まれた。よし頑張ろう」とはなかなか切り替えられず、とりあえずは日向ぼっこをした。

 ほんとうは「すべきこと」はいっぱいあるから、予定外の時間が増えたことはありがたいことでもあるが、う~む。
 日向ぼっこをしながら、ゆっくりと「やる気」の湧いてくるのを待っている。

 こういう時こそ、後ろを向いたらおしまいだと思って自らを鼓舞している。
 何人かに「そろそろ原稿を」とメールをしたら2件送られてきた。「八重の桜」風に言えば、「ハンサムだ」と感謝している。ハンサムは四の五の言わない。元気が回復してきた。

2022年12月12日月曜日

昨日から続く

    結果として昨日の「何をしても上手くいかない」話の続きになった。

 文化財保存全国協議会の用事で奈良市内にクルマで出かけた。
 12月とはいえ秋の行楽シーズンの名残のような交通渋滞があってはいけないので早い目に出かけた。
 全国の「古都」といわれるようなところはほゞ道が狭い。おまけにバイパス的なものが不十分である。もちろん奈良も御多分に漏れず、というかその典型で、観光ルートと生活ルートが分離できておらず、日常的に渋滞している。

 昨日11日は、というようなレベルではなく、「奈良マラソン」ということで中心部周辺は全面通行止めとされていた。「重要な用事だし、道もよく知っているから」と無理に通してもらったが、結局、目的地の数百メートル手前でどうにも行けなくなり、駐車場も満杯になった。何と言うことだ。

 結局どうしたかというと、目的地の数百メートル地点から家まで帰り、改めて電車で行った。
 気分が萎えたせいかもしれないが、駅から地上に出る階段を上り、地名の「登大路」のとおり若干上り坂になっている道を歩くだけで心臓が悲鳴を上げた。
 運の悪さと体力低下を自覚させられたことで疲れ切った。
 疲れ切ったもので、用事もボロボロに終わった。

 こんな日もあらあな!と思うことにしたいが、今週は各病院で検査が続く週。気分はあまり晴れない。

2022年12月11日日曜日

梅一輪

   何をしても上手くいかない日がある。10日がそうだった。
 古い直管型の大きな蛍光灯をLED管に換えようと思い立ち、ホームセンターや家電量販店を何回往復したことか。
 スタート方式が独特の器具らしく、どうしてもうまく点けられなかった。
 結局、長い時間をかけて古い蛍光灯を綺麗に掃除をして元に戻しただけに終わったが、気分が萎えた。

 萎えた気分の再生のため、花の苗を少しばかり買ってきて植えた。私の場合はこれが気分転換の薬になる。
 頭の上には「梅一輪」と言いたいところだが、梅と名はつくが臘梅である。
 わが家の臘梅は隣近所で一番早く咲き始める新暦派である。新暦の臘月の声を聴くと咲始めるのだ。

 その花が蝋細工のようだから「蝋梅だ」という説もある。というか、そちらの方が多数派のような感じである。

 何をしても上手くいかない日は、美味しいものを食べて寝るに限る。ということで、以上。

2022年12月10日土曜日

ハゲのチリ

   初めて行ったスーパーの鮮魚売り場に美味しそうなハゲ(カワハギ)があったので、鍋用に簡単な調理を頼んだら「頭(あたま)はどうします?」と尋ねられた。これが世間の「常識」なのだろうか。

 私の「常識」からすると、新鮮な魚は頭(かしら)がおいしいのに。そんな質問があるか??
 それに、ハゲの頭をとったらその身は半分になってしまうではないか。

 その頭(かしら)の中にある身を食べるのを私などは「せせる」と言うのだが、皆さんはどうだろう。
 国語辞典や古語辞典では「つつく」とあるのだが、単なる「つつく」とは微妙に異なる。
 あちこちの骨の裏あたりを突くといえば突くが、さらに、骨の端に付いた身を口の中で歯と舌でそぎ落とし、さらには吸ったりして徹底して食べ尽くすのが「せせる」感じに近い。

 まあ、肝を含めて非常に美味しく戴いた。
 昔々釣りに誘われて行ったとき、外道としてフグなどと一緒によく堤防上などに捨てられていたのはどうしてだろう。

 それはそうと、そのハゲはチリ鍋にして「かぼすこしょう」と「花柚子」と「ポン酢」で戴いたのだが、その鍋料理用の「取って」のついた小鉢を「とんすい」というのは長い間知らなかった。ただ小鉢とだけ言っていたが、熱々の鍋料理にはあの「取って」が力を発揮する。
 中国語の「湯匙(たんし)からきた説、長崎の方言説、水を飲む匙「呑水」説、諸説あるらしい。
 「とんすい」という名前も知らなかったくらいだから論評する資格もないが、関わった先人は偉い。

2022年12月9日金曜日

百均のオーナメント

   1973年(昭和48年)まで1ドルは360円だった。現在の円安はそれに比べるとマシに見えるが、マクドナルドのハンバーガーがいくら買えるかという実効(実力)でいうと、円はほゞその時代まで落ち込んでているという。・・という経済学の話はチト弱いのでスルーするが、私が子どもの頃はもちろん360円固定相場だった。

 そんな時代(主に昭和30年代)、大阪府南部の信太山周辺では模造真珠の産業が盛んで、遠くない堺の街の「主婦」はよくそのネックレスの内職をしていて私なども手伝っていた。問屋制家内工業である。

 同じような球を決められた大きさの順番に糸を通し、2重ぐらいにして留め具をつけて箱にきれいに収めるというようなものだった。
 当時の単価は忘れてしまったが嘘みたいに安かった。
 日本国中でそういう風にしてつくられたアクセサリーや玩具やクリスマスのオーナメントが、アメリカのクリスマスパーティーを飾っていたはずである。

 というようなことを、キラキラボールを庭木に吊るしながら思い出した。
 これらのオーナメントは百均で購入したものである。
 原材料も機械も全く違うが、包装、梱包、(海外)運送までされて100円だから、製造現場の収入は幾らだろうかと考えた。
 やはり製造国の通貨、その為替相場の結果の100円なのだろう。
 もしかしたら、その国の「主婦」あたりが微々たる単価で紐をつけたりしているのだろうか。きっとそうだろう。

 カロリーベースの食糧自給率38%のわが国の家庭はモロに円安物価高の影響を受けているが、日銀総裁は夢よもう一度、内職で稼げとでも思っているのだろうか。ありえない金融政策ではないか。

2022年12月8日木曜日

人生は雑務だ

   7日(水)の夜は西谷文和さんの講演を聴きに行くのを楽しみに予定していたが、4~5日前から何となく体調がよくなく、それも悪く考えると、報じられている新型コロナ肺炎の諸症状とニアミスみたいな心配もあり、出かけるのを止めてこのブログ原稿を書いている。
 西谷さんの話は、参加者のフエイスブックかブログで教えていただけることだろう。「学びて思わざれば則ちくらし」というから、フェイスブックやブログで広めようとしない者はいないだろう。

 さて、体調不良だからといってカレンダーは止まってくれず、「言い出しっぺ」みたいだと「今回はパスで許して」などと言う相手もなく、いつ何どき「静養期間」が発生するかもしれないから、体調不良で済んでいる間に作業をこなしておこうとここ数日対処した。

 本来いまの時点で一番の宿題は、来春依頼されている1時間半のお話の原稿を仕上げることだが、さすがに気力が低下しているときにはそれは全く無理なので、封筒を作ったり、送付状を作ったり、どちらかというと気力低下をどうにかカバーできそうな仕事を進めている。
 願わくば、私にも突発的な静養期間が発生する可能性を読み込んで、諸氏からは早い目早い目に原稿類をいただきたいものだ。

 そんな作業をしていてつくづく思うことは、結局「活動」というものは実務、雑務の塊だということで、そういう雑務を目に見えないところで頑張ってくれている人のお陰で日常があるということだ。
 そんなことを思うと、私ならパスしてくれとはなかなか言い出せない。できないことでも「何か手伝うことはないか」と言いたいが、それはエエカッコすぎる。

 それにしても、この世は雑務の塊だ。ゲスト面をせずホストを頑張ろう。写真は本文とは関係のない雑木林。体力回復のためにフィトンチッドを浴びている。

2022年12月7日水曜日

マイナンバー漏洩

   3日と4日にラジオでも報道されていたし、その後いくつかの新聞でも報道されていたが、2017年度から2021年度の5年間に企業や行政機関から情報漏洩や紛失したマイナンバー情報は、約3万5千人分だと発表された。

 これはきちんと報告された大口の事件だけで1件1件が小規模なものは含まれていないという。

 この話、私には全く驚きでもなんでもなく、当たり前の出来事だった。USBなどの紛失、誤送信、さらにはサイバー攻撃。
 例のオレオレ詐欺みたいな単純なものでさえ根絶できないのに、今後「儲かる」となったら犯罪による漏洩も増えるだろう。大病院さえサイバー攻撃でダウンする時代だ。
 だから漏洩事故が一切起こらないと考える方が、世間知らずというか、「お花畑」だと断言する。

 そのマイナンバー、健康保険証とも統合して「国民総背番号」に向かっていることは間違いない。
 同様の仕組みはアメリカや韓国で先行しているが、ドイツやフランスでは「憲法違反」などとして導入されていない。
 特にドイツは、ナチス時代や東ドイツ時代の歴史的総括から、国家権力が国民のプライバシーまで把握することは民主主義に反すると考えられている。

 「自分には隠し財産もないし特別の病歴もないから問題はない」と考えるのは視野が狭すぎる。
 人には知られたくないプライバシーがあるし、それは何よりも保護されなければならない。いくら「情報公開」の時代だからと言って夫婦生活まで公表されるのは不当であろう。それと同様、あるいはそれ以上に侵されないものもある。

 一つの番号でその人の全てが判るということは、権力側からすればこれほど便利なものはないが、それは大きな危険と隣り合わせだ。ドイツの理性的な言葉を聞くべきだと私は思う。
 一つひとつの例えば年金、例えば健保、みんなそれぞれコンピューター処理されている。それでよい。横断的に統合されると権力側には便利だが、横断されていない不便さこそ民主主義なのだ。

2022年12月6日火曜日

ユリオプスデージー

   「草なのか木なのかはっきりせい」と言いたくなるユリオプスデージー。
 他の花々が息を潜めたこの時期、反対に元気に逞しく咲く姿は異彩を放っている。
 キク科であり樹木でもあるらしい。

 逞しすぎる点に可愛げが感じられず、どちらかというと放ったらかしにしている花だが、少しは見直している。

 花言葉は「夫婦円満」。

 12月に入り喪中はがきが舞い込んできているが、私より若い人、そしてその配偶者を亡くされたとの通知は悲しい。

 もうすぐ送付状をつけてニュースを郵送するが、「お変わりなく・・・」などと言う文章を書くことにためらいを感じている。

 ともあれ、ニュースの本文よりも送付状の方がよく読んでもらえている。だから、拙い内容でも心を込めてといつも思う。
 この話、何度も語っているのだが、「また言うてる」と受け流されていたりする。不徳の致すところだ。

 12月のニュースの次は別のニュースの新年号だ。もちろん、その間に年賀状がある。それらを忙しいとか大変だとかいう声があるが、生きている証拠だろう。休むのはそれからでよい。

2022年12月5日月曜日

荒野に希望の灯

   12月4日、今から3年前のこの日、中村哲さんがアフガンで銃撃され死亡した。
 だからというわけではないが、私は劇場版『荒野に希望の灯をともす』を観に行ってきた。
 知っている話ばかりでも、心が洗われる感じがした。ワクチン接種後の副反応を押して出かけてよかった。

 改めて感じたことを書くと、中村哲さんはクリスチャンだったが、アフガンの復興のためにと、学校とモスクを建設した。映画で観ても非常に立派な建物だった。
 モスクは、ムスリムの心のよりどころであるとともに、いわば大きなコミュニティーセンターなのだ。
 自分たちの村をどうしていくかは村人が相談し合ってこそホンモノになるのだと思う。そのための「場」なのだった。

 日本人を含む先進国の人々は、それ以外の国々を「遅れた国」といい、「こういうことが正しい答えだ」と「押し付ける」が、そんなことが上手くいかなかったことは中東でもアフリカでも証明済みだろう。答えはアフガンのその地域にあった。

 現在、私はプーチンによるウクライナ侵略の悲惨な状況をニュースで見ている。
 日本国内で平和裏にプーチン批判の声をあげていても時に虚しくなる。
 しかし、アフガンは大旱魃で飢饉の時代に、アメリカと有志連合による空爆を受けていた。
 その下でも中村哲さんは、灌漑工事を「虚しい」とは言っていなかった。
 クリスチャンである中村哲さんが天台宗でよく語られる「一隅を照らす」という言葉が好きだというのも心に響く。

 今、日蓮の教えを自称する人々の政党が「反撃能力」という言葉を使いながら「敵基地先制攻撃能力」のために軍拡・軍事費倍増政治の片棒を担っている。
 なんというこの落差、中村哲さんに共鳴するだけにふつふつと怒りが湧いてくる。

2022年12月4日日曜日

免疫のこと

   写真の本は職業生活の現役であった頃、疾病の業務上外について考える上で参考にしようとに買ったものだが、コロナ時代以前に読んでいて悪くはなかったと思っている。
 もっと言えば、この本は読み返してみるとコロナ時代を予測していて、もっとしっかり読んでおけばよかったと反省している。

 そんなもので、この土曜日、第5回目のコロナのワクチン接種を受けてきた。
 ファイザーやモデルナのワクチンを詳細に検討した訳では全くないが、総論として、ワクチン接種でウイルスに対抗しようという理屈は正しいと考えているからだ。

 さてさて、14世紀にヨーロッパの人口の3分の1を奪ったペスト大流行の際、患者の世話をしたり死体の始末をした修道僧の中に、ペストにかかっても症状が軽く済んで、その後二度とペストにかからなかった人たちがいた。「神の恩寵(おんちょう)を授かった人たち」とあがめられたという。

 18世紀に天然痘が大流行したときも、なぜかその惨禍から免れていた人たちがいた。
 牛痘という牛の伝染病にかかったことのある乳搾りの女性たちだった。

 「織田がつき、羽柴がこねし天下餅」を真似すれば、「ジェンナーがつき、パスツールがこねしワクチン餅」の誕生物語のことである。
 …ということで、私はワクチン陰謀論には組せず、第5回目を受けてきた次第。

 この本は、「21世紀のペストは必ず来る」「その病気が何であるかは誰も知らない」と書いている。それをわれわれは現実に見ているのだ。だから、この現実を記憶し記録しておこう。

2022年12月3日土曜日

牽牛花

   万葉集の山上憶良の詠める歌二首
 
 「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり)かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」81537
 「萩の花 尾花葛花(くずはな) なでしこの花 おみなえし また 藤袴(ふじばかま) 朝顔の花」81538

 「ここの朝顔は桔梗である」とする牧野富太郎氏らの有力な意見があるが、今日のところは深入りはせず、普通に「秋の七草」にしておく。もちろん、朝顔は秋の季語。

 ただ、朝顔に限らず季語は全て旧暦によるものだから、七夕の頃に咲くから牽牛花であることと矛盾はしない。

 しかし、この写真の「西洋朝顔」はそれらの常識を乗り越えて、まず、一年草ではなく多年草。そして、吹雪や冠雪のたよりを聴きながら咲いている。
 写真は地上から緑のカーテンを作った上で2階のベランダで咲いている。ほゞ半年間咲いている。

 寒風に咲いているこの風景はなかなか常識的な目には納得しがたいようで、「その花は何ですか?」と問われることもしばしばある。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったものである。

 元の普通の朝顔について、昔、東京は入谷の朝顔市に行ったことがあるが、大層な規模のものだった。
 三大道楽と聞いて、呑む、打つ、買うは凡人で、江戸の下級武士たちは釣り、骨董、園芸に打ち込んだらしい。その園芸(品種改良)の雄が朝顔だったらしい。
 武士といえば今でいう兵隊。日本の伝統を重んずれば自衛隊員は朝顔の品種改良に打ち込むべし。そんな自衛隊を見れば侵略してくる国もなかろうに。と夢を見る。

2022年12月2日金曜日

八咫烏(やたがらす)

   ワールドカップ日本チームのエンブレム(日本サッカー協会のシンボルマーク)が南紀の熊野三大社の八咫烏であるのは有名だが、古事記そのものには「三本足の烏」とは書いてなくて、「八咫」つまり「大きな烏」でしかない。
 それが三本足の烏となったのは、「太陽には三本足の烏が棲んでいる」という古代中国の神話を引継いだ道教に由来しているのだろう。
 もっとさかのぼれば、古代の世界では洋の東西を問わず「三本足の鳥(とり)」の神話があるというから、それを日本チームのシンボルにしているのも少しだけ恥ずかしい気持ちがするが・・・。
 まあ「日本人はアレンジをして仕上げるのが上手い」という評価?どおりだと笑ってスマそうか。

 ちなみに記紀では、八咫烏の道案内で熊野から攻め上ってきた神武は奈良の畝傍山で2月11日(紀元元年元日)に即位して建国したわけなので、途中に八咫烏神社があったり、吉野には八咫烏という有名な清酒があったり、橿原神宮には八咫烏のお守りもある。

 後半の話は古代史ではなく近世乃至近代史である。

 神武天皇陵の治定と橿原神宮の建立に関わっては未開放部落の強制移転があり、小説ではあるが、住井すゑ著『橋のない川』に出てくる。重ねて言うが、記紀神話の解釈も遺跡?も古代史ではなく多分に近代史、それも富国強兵、絶対天皇制を補強するための「改竄」を大いに含んでいることを忘れずに、あのエンブレムを見て応援してほしい。

2022年12月1日木曜日

クリスマスの季節

   孫の凜ちゃんはいろんな障害があって歌を上手く歌えないのだが、いくつかのクリスマスソングを楽しく口ずさんでいる。

 だから、イクジイの祖父ちゃんの家も、ちょっとは飾ってあげなければと、百均でいくつかのデコレーションを買ってきた。
 ツリーにつけるキラキラのボールも昔々はガラス玉だったが、今はプラスチックだ。割れないし安心だが、ガラス玉よりは地球環境によくないことはないだろうか。

 ちょうど玄関のヤマボウシが落葉したのでウエルカムサインのようになった。

 大括りでいえばニュータウンであった街は、街そのものがそのまま歳をとり、オールドタウンに差し掛かっている。
昔は、テレビで紹介されている街のようにイルミネーションが各戸に飾られたものだが、子ども達の声とともに、一つ減り二つ減りしていって、今はイルミネーションを探すのも難しくなった。

 イルミネーションに比べたら格段に地味だし規模も小さくなったが、イクジイがあるおかげで「年寄りだけなのに賑やかな家」になっている。

 実にちっぽけな行事だが、こんなこと一つひとつに向き合うと日常にメリハリが付く感じがする。

 使い古しのサンタを引っ張り出した。凜ちゃんはこれが大好きだ。

2022年11月30日水曜日

あれから3年

   2019年秋に近江の坂本に集ってから3年以上が経過した。わが退職者会の集合した行事である。
 
 私事で言えばその間に何回も病院のお世話になった。それは何となく私だけのことのようにも感じていたが、今般交流してみると、間違いなく誰もが重い3年を背負って潜り抜けてきた。

 振り返ってみて、コロナというのは酷い奴だった。その3年という時間の流れも残酷なものだ。
 いろんな反撃をせずに「嵐の過ぎるのを待つ」わけにはいかない。
 重症に近い体調でも参加してくれた友がいる。参加はできないがと記念品のポストカードを作ってくれた鉄ちゃんの友がいる。家でできたフェイジョアや旅行土産を持参してくれた友もいる。足の悪い参加者の介護を担ってくれた友がいる。

 複雑な気持ちもあるが雨天決行でよかった。
 一番元気を貰ったのは私だろうと思う。

 PS 読者の文芸・俳句欄に古い友人の名を見つけた。
   私は、この頃はどうも感受性が鈍っている。
   さあ、元気を出そう。

2022年11月29日火曜日

スポーツマンシップ

   五輪組織委員会と有力企業が寄ってたかって違法談合を繰り返していたと摘発されている。
 そのこと自体は後日、少しまとめて書く必要があると思っている。

 今言いたいことは、有力なアスリートたちが揃って口を噤んでいることの情けなさである。
 スポーツマンシップって何でしょう。
 フェアプレイのスピリットって何でしょう。

 ワールドカップ対ドイツ戦の前にドイツ選手が「口を覆って主催国の人権問題に不同意」の姿勢を表したことに、多くの先進国は賛辞を惜しんでいないが、日本だけは「スポーツに政治を持ち込むな」的なスローガンに隠れて、「スポーツ馬鹿」ぶりを発揮した。

 ならば、オリンピック、パラリンピックを嘘と金もうけで汚した今般の事態に、どうして「けしからん」の一言が言えないのか。

 ファンなるものもそうだ。ドイツ戦に勝った時は日本という国が世界一になったかのように発言し、コスタリカに負けたら「俺は知らん」みたいに振舞うのもいただけない。
で、私は敗けた日本チームにも勝ったコスタリカチームにもエールを送る。

2022年11月28日月曜日

なれたらあかん

   初代デジタル大臣を務めた平井卓也衆議院議員が代表を務める政党支部が、政治資金パーティー券1020万円分の購入を企業に求めながら、出席者は3人に絞るよう依頼していた。

 写真の「依頼文書」のとおり、「10人分購入してくれ」「来るのは3人にしてくれ」と露骨に書いていて、情報提供者の保護のため数字部分は黒塗りにされているが、その下には「お手元所有参加券番号(ご出席依頼人数3名分)NO.●●NO.●●」と記載さているという。

 10人ー3人で残り7人分の飲食代が浮いて儲かるという計算。
 
 実際、「励ます会」の収入は2447万円と収支報告書には記載されていて、参加費は一人2万円なので少なくても1238人分のパーティー券が販売されたことになる。
 ところが、「会場のホテルに取材すると、当日は感染防止対策のため立食パーティーではなく、メイン会場と映像中継でつないだ三会場に間隔を空けて椅子を置き、用意した座席数は計630席だった」と毎日新聞が報道している。
 
 とすると、少なくても608人は出席しなかったと推測でき、1216万円は寄附として会計処理しなければ虚偽記載となる。

 よって、神戸学院大学の上脇博之教授などが、平井議員ら2人を政治資金規正法違反の疑いで刑事告発した。
 以上、フリージャーナリスト・鈴木祐太のFBを参考に記述した。

 統一協会との関係といい、このような「政治とカネ」のことといい、安倍内閣以降の自公や維新の不真面目さは底なしの状況だ。
 新しいところでは秋葉賢也復興相の「選挙運動員買収」も出てきた。
 民主主義の敵はファシストでも何でもない、「民主主義の敵は無関心だ」という箴言があるが 〽なれたらあかん~なれたらあかん。


2022年11月27日日曜日

冬の楽しみ

   しんぶん赤旗が「冬の楽しみ」の投稿を募集したので雑文と写真を送った。

 たいした内容のものではないが、●冬の楽しみは孫たちとのバーベキュー。●斧や火打石で孫にも「達成感」が。●冬こそバーベキューの季節・・というもので、友人たちからも感想メールが届いた。

   話は変わるが、26日に近所でちょっとしたフェスタがあった(27日もある)。
 思いの外たくさんの人々が集っていて驚いた。
 わが家のバーベキューとは話にもならない大きな規模のものであったが、思うに、人びとは「お祭り」を待っていたように思う。
 写真は夜の花火。

 私も大いに関わっていた老人ホームの「夏祭り」もコロナ後中止が続いている。
 ああ、「雌伏」を続けているうちに「雄飛」の方法を忘れてしまいそうだ。

 冬のバーベキューを計画して、「集合して語り合う楽しみを思い出そう」と呼びかけようかと思いつつある。
 ご同輩の皆さん。「雄飛」を覚えておられますか。

2022年11月26日土曜日

秋の遠足バージョン変更

   先日のブログで「某放送局のラジオまつりが雨天になったのは日頃の徳が積めていない雨男がいたからだろう」と書いたが、わが退職者会の秋の遠足予定日も『雨』の予報である。
 「あんなこと書くからや」と妻が笑っている。

 どこかのテレビ局の気象予報士ぐらい「降らない」と言っていないかとチャンネルを切り替えても無駄だった。元ネタの大阪管区気象台は優秀だ。

 さて、元々「小雨決行」と触れていた我が会の遠足だが、メディアの予報はどこも「小雨」というよりも「中雨」以上と言っている。そこで「中雨決行」で企画を修正しようと思っている。参加予定の皆さんには何卒ご了解をお願いしたい。※紛らわしいので早い話『雨天決行』です。
 また、「当初案では体にキツそうだったがこれなら参加できそうだ」ということで新たに参加というのも歓迎だ。ということで・・・・

 近鉄「生駒」駅までのアクセス等は変更なし。
 10時10分に「生駒」駅の一番大阪よりの西出口改札口集合も変更なし。
 集合後ケーブルカーの「鳥居前」駅に徒歩移動。10時20分発車だから少しだけ急ぐ。ここまでは変更なし。

 さて、元の計画では「生駒山上」までの切符を購入となっていたが、「宝山寺」駅まで¥290の切符購入に変更。PiTaPa は対応なし、現金のみ。
 10時25分に「宝山寺」駅到着。切符は渡す(当初は「生駒山上」までの切符を渡さないとなっていた)
 徒歩にて、雲海などを見下ろしながら(?)宝山寺(お寺)に向かう。
 ここから「宝山寺」駅からの往復とお寺の境内散策に55分あり。
 もし、物足りない強健の方は『奥の院』まで参拝する(健脚なら可能)。
 健脚ではない標準組は境内のみ参拝・散策。
 もちろん、御朱印、御祈祷、お守り等自由行動可。
 自分の財布でもって拝殿前の『巾着』をなでると金運ザクザク。信じる者は救われる。こんなことも可。
 11時までに、土産物店の和光殿に集合。名物「宝山寺味噌」など土産物種々あり。11時05分にケーブル駅に向けて出発。
 「宝山寺」駅にて切符¥290を購入して、11時20分に、帰路「鳥居前」行に乗車。
 近鉄生駒駅で「石切」までの切符購入(近鉄はPiTaPa可)。大阪方向行の電車(先頭あたり)に乗車。ただし特急と快速急行は絶対に不可。ということで11時32分の急行・難波行に乗車。
 最初の駅「石切」で下車、ホーム前方の階段を下る。
 石切駅から参道を散策。石切剱箭(いしきりつるぎや)神社参拝・散策。
 門前あたりの食堂で昼食・交流。
 最後は地下鉄中央線(近鉄けいはんな線)「新石切」まで歩いて解散。
 なお、新石切駅近くにスイーツの「シェ・アオタ」あり。私は「石切もちどら」(どらやき、5個入り¥1430を買って帰るよう妻から厳命を受けている)。
 雨なんかに負けないぞ!

2022年11月25日金曜日

輪っかでないリース

   以前、庭にユーカリを植えたことがあるが、思いのほか大きくなりそうなので恐れをなして引っこ抜いたことがある。
 ユーカリは青酸化合物を含みかつ消化が困難な成分を多く含んでいるので、哺乳類ではコアラとフクロモモンガ以外は食べないそうだ。
 そして(だから)、コアラは1日に20時間ぐらい寝て、その間に長い盲腸の中のバクテリアの助けを借りて消化して栄養源にしているらしい(池田清彦著『生物学ものしり帖』)。

 それほど効率の悪い生き方でも、他の動物との取り合いを避けるメリットの方が大きいということだろうか。
 このことだけで結論めいたことは言えないが、「進化論」は解らないことだらけだ。

 さてそのユーカリだが、相当強い香りがあり、それには主に呼吸器系の抗菌、抗炎、抗ウイルスなどなどの作用があるというから、その話の限りではコロナ時代の救世主に見える。ただし、だからといってオーストラリアの感染者数が低いと言う話も聞かないが・・・

 知人から、そんな話を添えてユーカリのリースをいただいた。クリスマスの飾りもついている。
 これでわが家には対コロナウイルスのバリアが張られたことになる。
 私がしばしばイベントに持参する「パカッと割れる」くす玉も、そのルーツは「薬玉」の名のとおり薬草のリースだったから、なにも驚くような情報ではない。

 ただこのユーカリの香りは、好き嫌いがあるだろうが少しキツ過ぎる。
 世はアロマ大流行りだが、わが家は参画していない。
 もしかしたら私は、様々な菌やウイルスに毒され過ぎているのでこの香りに馴染めないのかもしれない。

 


2022年11月24日木曜日

しろばんば

   井上靖の小説『しろばんば』の「しろばんば」は、綿虫のことらしい。
 幾らかの虫(種類)の総称らしいが、雪の降らないわが地方では雪虫というよりもやはり綿虫だ。

 写真は、スマホで撮ってパソコンで拡大したので、白いゴミくずみたいだが、普通に飛んでいる姿も全くゴミくずみたいだ。
 翅や脚や触角など普通には判らない。

 風の穏やかなときに何処からともなく漂ってくる。晩秋の風物詩だと愛でている。

 長閑にそんな感想を書いているが、ガスや電気やインフラを破壊されたウクライナにはどんな冬がやってくるのだろう。
 彼の地の子ども達が、「しろばんばだ」と呑気に語れるように祈るしかないのが口惜しい。

2022年11月23日水曜日

切火 カチカチ

   焚火(たきび)の季節がやってきた。
 焚火の際、近頃わが家では、孫の夏ちゃんがファイヤースターターで着火する決まりになっている。
 ファイヤースターターの原理は火打石だが、どことなく少しバタ臭いという感じがしないこともない。

 そういう火打石と切火(きりび)のことは、野鳥の尉火焚(ジョウビタキ)のことや銭形平次親分の映画を牽いて何回かブログに書いてきた。
 
   そもそもホモサピエンスは、火を手に入れたことによって他の動物と一線を画したという説には説得力がある。
 ギリシャ神話ではプロメテウスが天界の火を人間に与えたが、古事記では叔母ヤマトヒメがヤマトタケルに「火打石と火打金」を与えている。ということは、それ以前に火を使いこなしていたことになる。

 ヤマトタケルが焼津の野で焼き殺されようとしたとき、この火打石と火打金で草に着火して向火を放った。そのとき草を刈ったのが草薙剣(くさなぎのつるぎ)という例の話。

 そういう風に各種神話に「火」が登場するのも感慨深い。
 私は、最も古い世界宗教はゾロアスター教(拝火教)だと考えている。そして、その「火」を貴ぶ精神はその後の世界宗教などの精神に引き継がれていると考えている。
 だから現代でも、大きく大事な宗教行事に使われる「火」が、燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)や火打石・火打金もような、素朴な方法で着火されるのは単なる伝統や踏襲だけではないように思う。

 平次親分が出かける際。女房のお静が右肩の後ろからカチカチとやる切火も味がある。
 邪悪な者は神聖な火を嫌うのである。
 そんなもので今般、ファイヤースターターは持っているには持っているのだが、石英の火打石と火打金(火打鎌)を新たに手に入れた。「これは切火用で着火はできない」かのような説明だったが、十分に着火も出来た。

 上の写真のとおり、孫の凜ちゃんに切火をしてあげて、凜ちゃんの前途に邪悪な者どもの侵入がないようにお祓いをした。
 下の写真は、その火打石に興味を持った凜ちゃんが玩具代わりにカチカチと切火に挑戦したところ、まさか着火から火事にはならないだろうが、早々に取り上げた。

 「火遊びをしたら寝小便をする」と言われているが、元々夜中にトイレに起きるから火遊びも大目に見てもらおう。なにしろ神聖な火で遊んでいるのだから。
 天つ神 國つ神 八百萬の神たち 我が孫たちを守り給え 急急如律令(急急に律令の如くせよ) カチカチカチ。

2022年11月22日火曜日

まるで脂なべ

   「縁は異なもの」というような艶っぽい話ではないが、私は高校生の時分から友達とホルモン屋(今でいう焼き肉屋)に行っていたほどではあったが、どういうわけか今日まで「もつ鍋」とは縁がなかった。

 大層なポリシーがあって避けてきたわけではないが、「もつ鍋」がブームであった頃はミナミにたくさん「もつ鍋屋」が誕生したが、どこも若い女性たちが行列をなしていて、そこまでして並ぶ気もしなかった。そして、そのうちにブームも去って、私も疎遠になっていた。ただそれだけだった。

 先日、それが食卓に上った。
 「いっぺん食べてみようかと思って」と妻が生協で取り寄せたもので、写真にあげたものではなく醤油ベースのものだった。

 そして「もつ」は何だろうと覗いたら、それは「腸」だった。つまりテッチャンだった。スープは脂たっぷりで、テッチャンは、イメージとしてはすき焼き鍋に挽いた後の牛脂(ヘッド)みたいに脂の塊だった。

 私はというとすき焼きの牛脂を好んで食べる方だが、この「もつ鍋」の脂っこさには妻が降参の手をあげた。
 若い女性がこれを食べると「お肌がつやつや」かもしれないが、成人病を指摘されている身には時限爆弾に火薬を増量しているような気もした。
 「いやいや、こういう「もつ鍋」は美味しいよ」という話があれば教えていただきたいが、わが家の食卓には二度と「もつ鍋」は上がらないように思う。

2022年11月21日月曜日

カエルの手

   季節が進んで、庭の落葉樹がいっぺんに散り始めた。
 写真の葉っぱはハナノキ(花の木)で、ハナカエデともいう。
 楓(カエデ)は広辞苑を引くと『蛙手(カエルテ)の約』とある。
 テレビのベニシアさんの番組のタイトルは「猫のしっぽカエルの手」だったような気がする。

 毎年、秋冬の到来の仕方で紅葉(黄葉)が随分と異なる。ピンクがかった真っ赤に染まる年もあれば茶色くなって散る年もある。
 スパッと寒気が来た方が綺麗に紅葉する。

 今年のわが家の紅葉は「もひとつ」というか「まあまあ」だった。
 日曜日の雨で絨毯のように敷き詰められたが、これは葉が大きいので掃除は難しくない。

 ケヤキやセンダンのような小さな葉っぱの落葉は少々ため息が出るがしょうがない。
 この「季節の移ろい」を感じたいので落葉樹を植えたのだから。
 …しかし、この清掃作業にいつまで体力が持つことやら。

2022年11月20日日曜日

くわばたりえ いいね!

   しんぶん赤旗(日曜版)11月20日号・裏の一面をかざして「見て見て」と妻が言ってきた。
 「漫才師やなくてタレントになってる」とも。

 というのも、先日、朝ドラ「舞いあがれ!」のくわばたりえについて「巧い!」と二人で語り合っていたところだったから。

 私の感想は、第一に、くわばたりえをキャスティングしてきたスタッフが図抜けてエライ。
 第二に、地のまま演じさせている演出が次いでエライ。
 第三に、芝居をしようと力の入ってない本人がエライ。というものだった。

 BK(大阪放送局)制作の朝ドラは、これまでも落語家など大阪の芸人の出演が少なくなかったが、ヘンに大阪的というかヨシモト的な個性を「これでもか」と強調する・・それが鼻につくケースが目立っていた。

 それが、今度の、くわばたりえ、その夫役の山口智充は、大阪の下町の役柄以上に出過ぎたことがなく、そのままで大阪の下町の夫婦だ。

 あまりに配役と合っているので、この先、くわばたりえが「役者」としてどこまで通じるかは知れないが、この朝ドラの限りではお見事!

 そして、日曜版・裏一面に持ってきた赤旗編集者もお見事!

2022年11月19日土曜日

馬印(うまじるし)

   「旗幟鮮明(きしせんめい)にする」との熟語もあるように、旗(はた)や幟(のぼり)はけっこう大切で、熟語からは外れるが、奈良公園・東大寺などを散歩していると、遠足や修学旅行を引率するガイドさんは必ず掲げている。

 だから我が退職者会も同様の小旗を持っているが、残念ながらひとつしかないので、ハイキングなどでグループが離れたりすると少々不便な時がある。

 今回も、本来の集合場所と、間違いやすい階段(出口)があるから、少し取り越し苦労を思っている。

 さて、戦国時代を考えると、旗や幟と同じように馬印(うまじるし)が使われている。秀吉の千成瓢箪は有名だ。
 これを思いついたのは百均で「伸縮性のバーベキューの串」を見つけたからだ。
 持ち運び時には短くなる。軽い。これをポール(旗竿)にしない手はないし、馬印のように作れば、風が凪いで見えないということもない。

 ということで作ってみたのが、写真の馬印。小さくても見えるのではないかと期待している。
 小旗用の伸縮性ポールはたしか3000円ほどした。それに対してこの製作費は200円未満というのが良い。

 さあ、馬印の下に集合じゃあ!

2022年11月18日金曜日

蔵相は女性?

   我が街にある某銀行の支店が廃止になる。
 賃金や年金などの入金とそのあとの市民が財布代わりの出入りでは採算が取れないというのだろう。

 街というものが生き物同様に成長し、成熟し、そして下り坂を迎えるということが実感される出来事だ。
 そこで、支店がある別の銀行に口座を開設して某銀行の方は定期預金の解約手続きに行った。
 向こうも慣れたもので「支店廃止のためですか」と言いながら、淡々と進めてくれた。
 素人考えでは、街全体では結構な痛手でないかと勘繰ったが、銀行側からすれば取るに足りない額なのだろう。

 その銀行の光景だが、いくつかの相談コーナーがあってそれぞれにメーンの椅子と、サブの椅子が置かれていた。サブの椅子には背もたれもない。
 そこで、私たち夫婦はメーンの椅子には妻が座って私はサブの椅子に座った。それは家計に係る仕事はほとんど妻にしてもらっているからである。

 そして、手続き途中の待ち時間に眺めるともなく眺めていると、他のコーナーでも圧倒的に女性がメーンの椅子に座り、男性はサブに座っていた。
 こういう日本の社会の現象は世界標準からは外れているだろうか。悪い意味でのジェンダー間の差別問題を含んでいるだろうか。
 定年離婚で亭主が追い出される話があるが、そことどこかで関わっているだろうか。
 銀行の中で、そんなことをツラツラ考えた。