2019年10月31日木曜日

続 片す 考

 10月24日の『知らないことばかり』の記事で「片すはほんとうに大阪弁か」と書いてみたが、「使っていたよ」という情報は得られず、嬉しいような悲しいような・・・。
 コメント欄に書いたが、結構な量の辞典や日本語に関する本を読んだが、コメントに書いた以上のことは解らなかった。

   ところが灯台下暗しの言葉があるように、書架にはもう一つ真田信治著『方言の日本地図』(講談社+α新書)が残っていて、そこには「カタスの消長」という章まであった。
 以下、骨子を引用する。
 「片づける」ことをカタスと言うのは関東とその周辺部です。
 カタスはこの地域での伝統的方言形と言えるものです。
 東京都の若年層を調べた結果、カタスはまだ勢力を維持しています。そしてその使用者の多くはカタスを東京のことばと意識しているようです。
 千葉県松戸市では老年層が松戸方言のカタスの使用率が低下していますが、若年層では東京語たるカタスが増加する傾向が見て取れます。
 東京での俗語はあくまでもプレステージ(威信・名声)を持っているわけです。(引用おわり)

 以上のとおり、著者は迷いもなく「カタスは関東弁」と書いている。
 結局、『大阪ことば事典』を編んだ牧村史陽氏は明治31年生まれで『大阪ことば事典』は初版が1979年(昭和54)。スカーレットの荒木荘の女主人も明治生まれで舞台は今昭和30年。
 大阪船場に育った父や親戚が存命だったら確かめられただろうが、今は「昭和40年ごろまで大阪で使われていた言葉」ということにしておこう。

2019年10月30日水曜日

戦闘機より怖いステマ

   殿村美樹著『ブームをつくる』(集英社新書)を読み直した。その理由はあとで述べる。
 自称PRプロデユーサーの著者は阪神・淡路大震災の体験から、世間一般のPRプランナー、PRコンサルタントではなく「PRを通じて文化をつくる」を目指してきた。
 うどん県、今年の漢字、ひこにゃん等はそうして生まれてきたらしい。
 「メッセージの伝え方」に腐心している私には参考になることも多かった。

 それはともかく、世の中には客観的・公平に見えて実は誘導されていたという「隠れたPR」がある。ステルス戦闘機のように。

 思いつくままにピックアップすると、スポーツ紙の「美味しい店」の記事が実は「何円払えば載せてやる」というものであったりする。
 テレビの情報番組の中の「お店の紹介」コーナーが、視聴者は情報だと思って観ているが実はCM枠というものだということがある。
 選挙時に雑誌の車内つり広告で政権賛美を氾濫させた雑誌が、発行部数×本代からしてあり得ない広告料だということもある(広告の形を偽装した選挙運動)。
 自民党がネット対策室をつくって意図的にSNSを発信したこともある。
 いわゆる嫌韓ヘイトスピーチのSNSも同じ固有名詞の間違いがいくつも発信されたように、同じマニュアルでアルバイトか何かで組織的に発信されたと思われる例もある。
 「ニッポンすごい」というテレビ番組の奥にはクールジャパン機構という政府肝いりの組織が隠れている。
 政権トップとメディアが会食し、記者クラブ外のメディアは排除され、勇敢な女性記者を権力者が見せしめのように攻撃する。
 かくして政治上の重要事項があっても、芸能人のスキャンダルやスポーツ記事で埋め尽くされる。

 茹で蛙は茹でられていることも知らず、2019年報道の自由度ランキング67位という驚くべき結果に驚くことさえ去勢されている。何という後進国だ。
 で、こんな記事を書いてみたいと思ったのは、京都市の広報が同様に胡散臭いからである。

 京都市は吉本興業と契約し、京都出身の漫才コンビ「ミキ」に京都市の意向に沿ったツイートを2回すれば100万円(4回発信したので200万円?)という内容を含む契約を結び履行したらしい。
 こういうのを、ステルス戦闘機ならぬステルスマーケティング(ステマ)と呼ぶらしい。
 胡散臭い健康食品の通販の方が「広告です」と名乗っているだけましではないか。

2019年10月29日火曜日

正常性バイアス

   豪雨災害の後の報道などでは正常性バイアス(normalcy bias)のことが度々語られている。
 ネットで得た情報をコピペすると、『正常性バイアスは、社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、正常化の偏見、正常への偏向、日常性バイアスともよばれている。
 バイアスは偏見、先入観といった意味で、つまり正常性バイアスとは、多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのこと。
この働きは、人間が日々の生活を送るなかで生じるさまざまな変化や新しい出来事に、心が過剰に反応し、疲弊しないために必要な働きだが、この働きの度が過ぎてしまうと、本当に危険な非常事態の際にも、それを異常と認識せず、避難などの対応が遅れてしまうといったことになりかねない。
 実際、避難が必要となった人びとや避難を誘導・先導すべき人たちに正常性バイアスが働いたため、被害が拡大した災害は多い』(引用おわり)

 確かに「どうして避難しなかったの」「どうしてそんな所へ出かけたの」と思うようなニュースも多いが、ダムの運用を誤ったと思われる国交省にもバイアスがかかっていたのではないだろうか。

 ただ、人のふり見て振り返ってみると、地下街を歩いていた時に火災報知器が鳴ったときがあったが「どうせ誤作動だろう」と無視した経験もある。
 よく似た心理では、できるだけ自分に都合の良いようにモノゴトを解釈しがちということもしょっちゅうある。
 わが家は京都府と奈良県の府県境近くであるから、両府県の天気予報を見て、片方が雨でも片方が曇りなら曇りだろうと信じようとし、反対に曇りと晴なら晴だろうと予想する。
 大災害に直面したときに真っ先に被災してニュースに報じられるクチであろう。

 なので、少し心配性気味がよい。
 特に国や自治体は「こんなことは今後そう起こらないだろう」ではなく「大災害は繰り返されるに違いない」「この街でも起こるに違いない」という前提で対策を早急に望みたい。
 イタリアなどではホテルを避難所にすると聞いたこともある。体育館に雑魚寝などどこの途上国かと思う。
 皆さん、正常性バイアスにとらわれていませんか。

2019年10月28日月曜日

最新霊園事情

   義母の納骨のために結構有名で大きな霊園に行ってきた。
 何年振りかで行ったのだが、事務所棟は拡充していたから、高齢化社会の波に乗って経営は上手くいっているのだろう。

 その経営の一端が垣間見られたひとつは、昔はなかったペット葬の会館のような棟があったことだ。
 そういえば事務所棟にペット用の石碑のような見本があったから、想像するに〇〇家先祖代々のような墓石の横あたりにおいて「いつまでも一緒」という感じなのだろうか。
 「それもあり」にした?才覚にはシャッポを脱ぐ。

 その二つは、樹木葬エリアの案内があったことだ。
 墓石代わりの大きな木が植えられて、季節ごとに花が咲いたりして「墓参りに来てくれなくても寂しくない」的な気分にマッチしているのだろうか。
 子のいないものだけでないニーズがあるのだろう。
 その気分は十分理解できる。

 その三は,墓じまいの案内ポスターだった。
 少子化や生活圏の拡大(転居等)で墓の維持が困難になっている現実がある。
 一人っ子と一人っ子が結婚したら2つの墓を維持し、その子たちが同じような境遇なら4つの墓を維持しなければならないというような状況は現実的な課題だから、〇〇家の墓的なものの未来は明るくない。
 ついこの間まで「墓の無い人生は儚い」みたいなCMを流していて、次は「墓じまいだ」という商才には尊敬の念すら感じる。

 私は、骨という物質に過大な思い入れを持つのは仏の教えでもないように思う。
 墓石の向こうに父母や祖先を思うのも良いことだが、お寺や仏像の向こうに父母や祖先や仏をイメージするのも良い。
 私はどちらかというと後者の方にひかれている。

2019年10月27日日曜日

菅公腰掛石

   1021日に「長屋王の変」を書いたが、同じ本の第13講は「菅原道真左降事件」である。

 道真の本姓は土師氏で、古墳や埴輪づくりや葬送儀礼を本務としていたが、薄葬令もこれあり、学問の道に転進し、菅原氏に改姓を行った。秋篠氏、大江氏も同じ。
 その姓の元となった奈良の菅原の地には現在菅原天満宮があり、孫の凜ちゃんのお宮参りをしたのは余談である。

 つまり道真は学者であり優秀な官僚ではあったが、天皇家や藤原家等の貴種とは言い難く、学者にありがちな筋を通した(忖度しない)言動は多くの敵をも作ったようだ。
 そのため901年(昌泰4・延喜元)醍醐天皇は突如右大臣菅原道真を大宰権帥に左降した。昌泰の変である。

 この本では事件の原因を、①左大臣藤原時平の陰謀、②道真は無実で後院別当を務めた源善らが醍醐天皇の廃立を画策、③道真は無実で宇多法皇が廃立を主唱、④道真も源善と法皇の廃立計画に参加、⑤醍醐天皇の過剰反応、の説を提示し、結局⑤の醍醐天皇の過剰反応であったが、道真も対貴族社会等々への政治手腕に不足するところがあった。というニュアンスで書いている。

 さて、人形浄瑠璃や歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』には「せ(す)まじきものは宮仕え」という有名な台詞があるが、私も現職時代はひょんなことで嫌な問題収拾のポストに就き、一番感謝されていい人々から恨まれた記憶がある。で、「せ(す)まじきものは宮仕え」を実感している。

 903年に道真が亡くなり、その後怨霊としての跳梁が云々され、923年には右大臣に復位、正二位を遺贈、左降の宣命が焼却され、ついには天満自在天神さまになったのはご存知のとおり。

菅公腰掛石
   時は遡って、道真が宇多上皇が奈良にお出かけになったときに、旅の安全を祈って幣(ぬさ)をたむける山で「今回の旅は幣の用意もできませんでした。手向山(たむけやま)の色とりどりの紅葉の葉を幣として差しあげますので、神のお心にしたがってお受け取りください」と詠んだ次の歌は百人一首でも有名。
〽 このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
 その折に道真が腰掛けたと言われる『菅公腰掛石』が手向山八幡宮にあり訪日観光客にエクスキューズミーと言ってシャッターを押してもらった。
 
 この神社は手向山八幡だがこの辺りを手向山というのは聞いたことがない。
 とはいえ詩歌の世界でそんなことを突き詰めるのも無粋かもしれず、八幡宮は言うたもん勝ちだし、腰掛石も座ったもん勝ちで良くないだろうか。
 この八幡宮、10月11日に書いた「土馬」の記事の「立絵馬」の神社であるが、立絵馬は2500円とちょっと値?が張る。

2019年10月26日土曜日

離島並みの特別区という支離滅裂

   25日付け朝日新聞朝刊14版によると、大阪府・市の法定協議会は「大阪都構想の新しい特別区の庁舎として現在の大阪市役所も使用することを決めた」と報じている。
 自治体の区域内に庁舎がないような事例についての質問に事務局は「通常他の自治体におかれるのはレアケース。離島の場合にはある」と答え、会場から笑いが起こったという。
 共産党山中智子議員は石垣島に行った折、石垣市役所のすぐ近くに竹富町役場があるのをみて「ヘェー、おもしろい!」って思ったらしいが、これが大都市中の大都市・大阪市で起こるかもという珍論だ。

 維新の「二重行政の解消で無駄が省ける」という嘘が、「特別区」の庁舎改装にかかる初期費用だけでも361億円もかかるという現実が明らかになってきて、こんな珍論が出てきたわけだが、維新の強引な運営と、公明の裏切りのような豹変でこんなことが進んでいる。

 「特別区は中核市並み」という嘘も「離島並」になってしまった。
 結局、権限・財源を集中させる新しい「府」(都にもならない)が総べてで、身近な行政サービスを担う特別区のことなんかどうでもよいという態度だ。

 維新お得意のコストでいうなら現大阪市のままが安くつく。
 トコーソーは無駄で高くつく。(だからこんな珍論が出てきたわけだ)

 だいたい全国の自治体は、村よりは町に、町よりは市に、普通の市よりは政令市になって権限と財源を持って仕事をしたいものだ。
 東京の特別区にも「市になりたい」という声は世田谷区等に強くある。
 少し地方自治や公務のことを知っている人から見れば、政令指定都市たる大阪市がその「資格」「権限」を放棄して普通の市以下に「成り下がって」行政サービス上良いことなんか何もないというのが常識だ。
 こんな常識が通じない維新や公明には地方自治を任せられないと私は思う。

2019年10月25日金曜日

一位の木

   テレビを見ているといろんな「ニッポンすごい」という番組があるが、こういう「ブーム」には裏に仕掛人がいるもので、そこに政権の影がちらほらする。クールジャパン機構などというものもある。
 安倍政権の「元号の令和は国書だ国書だ」というのも同じ種から咲いた花である。

 これは何も目新しいものではなく、戦前の政府は「紀元は2600年」と言って、紀元前660年に建国した「ニッポンはすごい」と言ってきた。
 悲しいかな当時の学問の水準はその程度で済んでいたのだが、今では殷は紀元前1600年代、夏は紀元前1900年代に成立していたことが判明している。はったりの紀元前660年は決してすごくない。

   「国書だ国書だ」というのはひっくり返せば「ニッポン文化が中国の風下で培われてきた文化」である事実が悔しいという劣等感の表れである。
 だから23日に書いたように、幢の三足烏を隠したりしたのである。
 しかし、高御座の屋形の八角形は道教に基づくものであるし、天皇が衣冠束帯で持っていた笏も中華文明のものである(孝明天皇までの歴代天皇が中国風の服装で即位式を行ったことは既に述べた)。
 なお、笏の起源は淮南子(前179-122)に記述があり、周(前1050頃)の武王が用いた説もあるし、中華を超えてはるか中央アジアのゾロアスター教にあるとの説もある。

 それが21世紀の極東の即位式や日常の神社に生きているのもすこぶる面白い。
 何も発祥が国内でなくても卑下することはない。インターナショナルを誇ればいい。
 「国書だ国書だ」と言い「日本すごい」を言う方々には秋の奈良公園「正倉院展」に足を運んでもらいたい。
 文化は国境を越え、かつ独自に変化し発展するのである。

 その笏であるが、私の父の遺品の中に笏(しゃく)があり、兄弟は皆んな「捨てよう」と言ったのだが、それならと私が貰ってきた。
 父は神職の資格を持っていたようだが詳細は不明である。

   笏は平治元年(1159)、朝廷にその材料として飛騨一之宮水無神社神領から樫の木が献上され、以降、その山は位山(くらいやま)との名を賜り、その樹は一位の官位を賜ったという話がある。一位樫である。 
 そんなもので、他意はないが即位礼を真似て笏を持って写真を撮ってみた。

 一位樫というと全国の中でも奈良公園が有名である。神鹿以前の森の王者であったが今では鹿に食べられて若い樹が育っていない。
 難しいことであるが神鹿の増加は自然の摂理を壊している。
 そんなもので、奈良公園の有史以前からの森の王者を写真に撮ってきた。
 奈良公園の一位の木、どうだ!

2019年10月24日木曜日

知らないことばかり

わが家の信楽焼
   朝ドラ・スカーレットで、大阪の下宿屋のオーナー「さだ」(羽野晶紀)の台詞に「それ片しといて」というのが度々出てくるのが気になっている。
 「ボキャブラリーが貧弱だ」と嘲笑われてきた私が言うのもナンだが、大阪が舞台の台詞にそれはないんちゃう、という感じだ。
 妻に話すと「東京に転勤していたときに知った東京弁で、朝ドラのそれは私にも違和感がある」という。
 それにしても、タイトルのときに「近江弁指導」と「大阪弁指導」がわざわざついているのにおかしなことだ。

 ただ広辞苑には「東京地方の方言」とは断っていなかった。
 そこで念のために『ないことを確認するために』牧村史陽編『大阪ことば事典』を開けてみると、ナント、「片付ける。移動する。(例)ちょっとこれカタシといてんか」があるではないか。「大阪弁指導」は間違っていなかったのだ。
 とすると、やはり私がモノ知らずであったか、あるいは大阪において急速に衰退した言葉であるかである。

 関西地方のお方(かた)で、「今も使っているよ」「何年ごろまでは使っていた」ということをご存知のお方は教えてほしい。
 「ヨシモトの大阪弁は大阪弁と違う」というぐらい言っていた私だが、こんな足下の言葉を知らなんだことにショックを受けている。

 話は変わるが、奈良文化財研究所や橿原考古学研究所の講演を聞く機会があるが、近畿以外の出身の先生方が赴任されて発掘調査を始めたときに、「こんな状態ですけどこの先どうしましょ」と言われて「もう少し掘っといて」と指示しておいたところ作業が進まず、結局作業員は「放っといて」と理解していたという話がある。

 老人ホームで入居者に「ご不浄に連れて行って」と言われて若い関西外出身のヘルパーが「ご不浄」が解らなかったという話も直接聞いたこともある。

 さて今後どうするか。一番手っ取り早いことは上方落語の古典を応援することのようだが、「言葉は生き物」だから、大阪ことば事典に「昔の関西弁」とそのうちに書かれるのだろうか。

2019年10月23日水曜日

オリンピックは北方領土で

   孫の夏ちゃんの運動会があった。10月下旬だというのに日が照ってきたら暑かった。放送では「水分を取るよう」児童と保護者に何回も注意があった。これが近年の日本列島の現実である。

 運動会というと、小池東京都知事が「涼しいところというならマラソンは北方領土で!」と宣(のたも)うた。
 蚊帳の外に置かれたのが余程腹が立ったのだろう。
 ここまで準備してきてIOCが今頃言うか!という気持ちは分からないわけでもないが、怒るなら安倍晋三と小泉進次郎の新妻に言うがいい。

 「8月の東京が屋外競技にふさわしい快適な気候だ」とは「汚染水は完全にコントロールされている」と双璧をなす大ウソだった。当たり前だ。(札幌も8月は暑くはないかい=札幌方言)

 オリンピックに便乗して視聴率や販売部数をもくろむメディアは、そんな当たり前の大ウソを黙認した。
 都知事には可哀相だが、そんな大ウソがバレただけのことである。それだけのことである。
 都知事は、損害賠償なら安倍晋三とクリステル等の実行犯?相手に訴訟を起こすべきだろう。
 ただし、そんな大ウソを昨日まで知らなかったはずはないと、相殺されるのでないかい(札幌方言)。

 テレビはというと、そんな大ウソは知らなかったとばかりの厚顔ぶりで、今度は「自衛隊が中東に派遣されるのは有志連合参加ではない」というような「真っ赤な」報道を続けている。
 こんなモラルが地に落ちた状況を、世の良識ある人々は見過ごしていていいのだろうか。権力者側からの大ウソの氾濫を目にしているのに、大きな批判の声が十分でないのは私には信じがたい。
 保守も革新もない、宗教家も唯物論者もない、こんな大ウソが跋扈する社会を止めさせませんか。

2019年10月22日火曜日

今日はお休み

 先日、運転免許証にかかる高齢者講習を受けてきた。
 講師が、次には認知症の検査もあると言って、リハーサルのように「今日は何年何月何日何曜日ですか?」と尋ね、私は最初だったので「令和元年」と答えたが、「何日、何曜日」になると一瞬戸惑う自分がいた。
 サンデー毎日の生活では、何日何曜日の影は薄い。

 昨日夜、育孫の終わりに妻が娘に「明日の通園もいつも通りか?」と尋ねたら「明日は祝日やで」と言われて驚いたが、実は私も同じだった。そういえばそんなニュース(今年だけ5月1日と10月22日が祝日(扱い?)になる)を聞いたことがあるが・・・・。

平城宮趾大極殿の高御座
   で、本日22日は即位礼の日である。
 それにしても安倍内閣は真実に対して不誠実だと思う。
 簡単に「前例どおり」というのだが、新憲法下の即位礼の例は平成の天皇(現上皇)のときしかない。
 そしてその際は昭和天皇の死去と一体のものであったから、正直に言って現憲法下の即位の儀式のありようを冷静に議論できる環境ではなかった。
 なので、その多くは、民主主義とは相いれない明治の帝国憲法の例に倣ったことが多かった。

 ということで、安倍政権は前例の言葉をもてあそんで、現憲法の精神と合致しない戦前の非民主主義社会の復活に大いに手を貸している。
 前例イコール伝統ということを言いたいのならば、衣冠束帯は平安以降のことであって、奈良時代の衣装は中国式だった。(注)

 浄土真宗本願寺派の僧侶で龍谷大学財団理事長を務めた松島善海師の残した言葉によると、明治天皇が亡くなられるとき「朕が一生に於いて心残りのことは、即位式を仏教の大元師の法によって出来なかったことである」と述べたと伝えられている。つまり、政教分離の問題を横に置いて語れば即位式の伝統は仏教式であった。
 そも聖徳太子の昔から天皇家の主要な宗教は仏教であり、中世の上皇は法皇つまりお坊さんであった。

 朝日新聞によると「旗類から八咫烏などの神武神話に基づくものは外した」というのだが、「こういう神話があった」と歴史的に語るのが正しい姿勢ではないのか。10月7日の記事に書いたように、朝廷の最重要儀式には、烏形幢、日像幢、月像幢が立てられたというのが伝統である。その烏形幢、日像幢には三足烏が、月像幢には兎とガマガエルが描かれている。

 それなら聞くが、剣璽等承継の儀の「天叢雲剣(形代)」や「八尺瓊勾玉」は神武神話以外の何ものでもないではないか。
 日本書紀によれば、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったときにその尾から出てきたものであるが、これは神話ではないのか。
 首相らは、神話を歴史的事実だと言うがために三足烏が恥ずかしくなって外しただけだろう。
 どこから見ても、真実に対して不誠実な態度だというのはそういうことである。


   (注) 訂正補足する。22日のABC「おはよう朝日です」で教えてもらったが、天皇即位の服装は、ずーっと明治天皇前の孝明天皇まで基本は中国風だった。

 冠は冕冠(べんかん)、衣は袞衣(こんえ・こんい)、合わせて袞冕(こんべん)ともいう。前例、伝統というなら(そうしろと言うわけではないが)これが正しい。
 ちなみに、袞衣の模様は、
 日:照臨無私を象徴。左肩に配され、日の中に烏が描かれている。
   月:照臨無私を象徴。右方に配され、月の中に兎と蟾蜍(ヒキガエル)が描かれている。
 星辰:照臨無私を象徴。北斗七星を背上部に配する。
 山:鎮定、雲の湧出、雨露の恵みの象徴。身の前後に配する。
 龍:神変不可思議の霊物。袖部前後に大型の巻龍、身の前後に小龍を配する。
 華虫:五色の羽毛を持つキジの雛。身の前後に配する。
 宗彝:祭器に描かれた虎(勇)、猿(智)で、祭器の象徴。身の前後下部に配する。
 火:明かりの意。
 裳 大袖と同じ赤地に、袞冕十二章のうち、藻、粉米、黼(ほ、斧の形)、黻(ふつ、「亜」字形)の四種の模様が付く。
 ・・・やっぱり、三足烏は外せない。以上追記する。

2019年10月21日月曜日

令和の出典と長屋王の変

   ちくま新書の『古代史講義(戦乱篇)』を楽しく読んだ。
 第6講『長屋王の変』も楽しかった。
 長屋王は、父が天武天皇の第一皇子の高市(たけち)皇子(太政大臣)で、母が天智天皇の皇女御名部(みなべ)内親王である。
 御名部内親王は元明天皇の同母の姉である。

 配偶者は4人とされているが、正妻は吉備内親王で、父は天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子、母は元明天皇である。
 まあ、眩しいようなサラブレッド皇族で715年(霊亀元)には子が皇孫の扱いをされている。
 718年(養老二)には大納言、721年(養老五)には右大臣、724年(神亀元)には左大臣となり、政治的にも着々と成果を上げていた。
 端折るが、血筋、力量、年齢からいって本人及びその子は天皇になる可能性も小さくなかった。

 しかし、721年(養老5)に大きな後ろ盾であった元明太上天皇が亡くなり、724年(神亀元)に聖武天皇が即位し、藤原光明子が皇后になり、世は藤原四子(不比等の子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂)の時代に移っていった。
 かくして奈良朝戦乱史の第一幕が始まった。729年(神亀6)2月、謀反の冤罪を着せられて、吉備内親王、子息4王とともに自殺に追いやられた。

 この本を読むと、万世一系を謳う天皇親族間の歴史は裏切りと殺し合いの歴史ともいえる。
 で、4月の頭にも書いたことだが、安倍首相らは令和という元号を「国書だ国書だ」と言い、如何にも華やいだ目出度い好字だと言うのだが、その時代というのはこういう時代であった。もう少し歴史を追う。

 728年(神亀5)、官歴からいっても年齢からいっても下位の藤原武智麻呂が大納言になる一方、本命と目されていた非藤原の名門の大伴旅人が太宰帥に体よく左遷させられた。
 翌729年(神亀6)(天平元)、以上に書いたとおり、非藤原の強力な皇位継承候補者であった左大臣長屋王と、吉備内親王や息子たち諸王もことごとく冤罪によって謀殺された。
 
 その翌年730年(天平2)正月13日に大宰府の大伴旅人邸で宴が催され、客人たちが梅の花を題にして歌を32首うたったのである。万葉集のその序文が・初春令月・・である。
 主人はもちろん非藤原の旅人。客人は藤原派、非藤原派いろいろ。皆んなできるだけ平静を装って正月を祝うように明るく振る舞いつつ、心は京(みやこ)のこの先のことだったに違いない。

 この時点で京に赴いていた朝集使はまだ帰っていなかったという説と小野老が帰任していた説もあるが、いずれにしても、京の大変動(藤原の一派独裁が進んでいく情報)を旅人は大宰府であれこれ聞くだけであっただろう。
 かくのごとく、「初春令月・・・」の序文は虚飾の序文で、食品サンプルというか誇大広告のようなものというのが「正解」である。
 こうして、上田正昭監修、千田稔著『平城京の風景』の中の小見出しが「天平という名の非天平」とあるのはさすがである。
 何かの文書に元号を書かれる場合は、このブログを思い出し、この元号「ほんまはあかんねんで」と笑ってほしい。

2019年10月20日日曜日

歴史の歪曲

 『歪曲』とは、事実をわざとゆがめて伝えることを言う。
 そういうおぞましい出来事が国会の場で総理大臣によって行われた。
 そのことを批判したいので、私はその事実を先ず首相官邸のホームページよりそのまま転載する。
 令和元年104日、第200回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説の最後の章である。

五 おわりに
  「提案の進展を、全米千二百万の有色の人々が注目している。」
 百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。
 一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は「人種平等」を掲げました。
 世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされました。しかし、決して怯(ひる)むことはなかった。各国の代表団を前に、日本全権代表の牧野伸顕は、毅(き)然として、こう述べました。
 「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない。」
 日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。
 今を生きる私たちもまた、令和の新しい時代、その先の未来を見据えながら、この国の目指す形、その理想をしっかりと掲げるべき時です。
 現状に甘んずることなく、未来を見据えながら、教育、働き方、社会保障、我が国の社会システム全般を改革していく。令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
 その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。
 ——以上が、国会の場で行われた首相の発言である。

 これはほんとうのことか。以下、私が納得している日本共産党のホームページの若林明名の小論を紹介して首相演説への批判としたい。
 事実は武力で植民地支配
 安倍晋三首相が4日の所信表明演説で、日本が第1次世界大戦の戦後処理を話し合った1919年のパリ講和会議で「人種平等」提案を行ったことをあげて、「世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされた」などと述べました。日本が植民地主義に反対していたかのような主張です。しかし、これが「厚顔無恥な世界史のわい曲」(日本共産党の志位和夫委員長)であることは、歴史の事実を確認すれば明らかです。

 「武断統治」
 そもそも、「人種平等」提案を行った1919年、日本が不法・不当な「韓国併合」で植民地化(1910年)した朝鮮では、日本の植民地支配に反対する「三・一独立運動」が全土に広がると、日本は、これを武力で徹底的に弾圧しました。

 当時の日本の植民地支配は「武断統治」といわれる強権的なものでした。朝鮮を日本の領土の一部としながら、朝鮮人には大日本帝国憲法でかろうじて保障されたわずかな権利さえも認められず、いかなる政治運動も政党も認められませんでした。

 他方、日本が、パリ講和会議で最も重視した問題は、第1次世界大戦で敗北したドイツが持っていた中国・山東省での権益を奪い取ることでした。

 日本は第1次世界大戦に参戦し、1915年に「二十一カ条の要求」を中国に突き付けます。南満州と東部内蒙古(内モンゴル)や山東省の支配権の引き渡しをはじめ、中国政府の各部門に多数の日本人の政治・軍事顧問を配置するなど、中国政府を日本の支配下に入れようとする要求でした。日本が、朝鮮の次に植民地化を目指したのが中国であることは明らかでした。

 パリ講和会議で山東省の領有をめざす日本に、植民地支配に反対する考えなど毛頭ありませんでした。

 アメリカなど当時の大国が、日本の要求を認めることが発表されると、中国で大規模な抗議運動=「五・四運動」が起こります。

 侵略を推進
 日本は外交交渉で領土拡張が進まないと判断すると、1931年の「満州事変」を端緒に、武力での侵略をすすめることになります。それが、アジア・太平洋地域で2000万人以上、日本人300万人以上の命を奪って日本自身が破滅したアジア・太平洋戦争へとつながったのです。

 安倍首相が歴史の事実を全く無視し、日本が植民地主義に反対したかのような“虚言”を弄(ろう)する姿勢こそが、日韓関係を悪化させる大本にあります。(若林明)(引用終わり

 敗戦前の明治帝国憲法下の政府や軍部が、退却を転進、全滅を玉砕と言葉をすり替えて、事実を隠蔽し歪曲したように、安倍内閣のその種の言いかえと事実隠しは酷い。
 思いつくままにあげると、
 情報隠し=特定秘密保護
 武器輸出=防衛装備移転
 ヘリ墜落=不時着
 移民=外国人材
 米国貢献=国際貢献
 カジノ=統合型リゾート
 もんじゅの原発事故=・・・事象
 スーダンの戦闘行為=衝突
 空母=多用途運用護衛艦
 「嘘も百回言えば本当になる」とはナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの言葉である。
 前述の所信表明演説をあえて批判する真意を理解してほしい。

2019年10月19日土曜日

歴史始まる

   陳舜臣は博学の上に多作の作家であった。
 その中の一つに『小説 十八史略』という大作もあり、少し調べものをするため書架から取り出した。
 すると、そんなことは全く忘れていたが、陳舜臣はこの作品の冒頭に、正史『十八史略』にはない羿(げい)と嫦娥(じょうが)の神話を載せていた。

 骨子だけ述べると、羿と嫦娥は元は天界の神であったが、天帝の命で下界に派遣された。
 羿は些か人情(神情?)に通じない男であった。
 下界では人民が10個の太陽に照らされて困っていた。
 弓の名人(名神?)でもあった羿は人民の要請にこたえて9個の太陽を射落とした。
 我が子でもある太陽を9個(9人)も殺された天帝は怒って夫婦の神籍を剥奪した。
 そのため人並みに死ぬし地獄にも行くことになり、嫦娥は世間知らずの羿を責め夫婦喧嘩が絶えなかった。
 羿はむしゃくしゃして河伯の妻と浮気をした。
 さて、羿は到底行けない崑崙山の西王母が不死の薬を持っていることを知った。
神籍剥奪とはいえ羿には崑崙山に行くぐらいは簡単なことであった。
西王母は「あと2粒しか残っていない」「吉日に夫婦で1粒ずつ飲みなさい」「1粒飲めば不老不死となり、2粒飲めば神になれる」と説明してそれをくれた。
しかし嫦娥は、羿を裏切って2粒とも飲んだ。
で、嫦娥は天に昇っていくのだが、ほとぼりが冷めるまでと、天と地の間の月で一休みすることにした。
すると体がたちまち醜いガマガエルになってしまった。
なお、置いてけぼりにされた羿は弟子に殴り殺された。

陳舜臣はこう書いている。
それにしても、この人間臭さはどうだろう。
与えられた任務の遂行方法、人情の機微、男女の葛藤、欲望の渦、信義と裏切り、死に対する恐怖、師弟に代表される人間関係の厳しさ。——この神話の中に、それにつづく中国の歴史が、ぜんぶすっぽりとはめこまれている、といってよいだろう。
だから、これを劈頭に置くことにした。
 
 この間から何回か嫦娥のことを書いてきたので、ついこのことを紹介したくなった。
 夕暮れにポスティングしていると、足元にはチンチロリン・チンチロリンと(土着の)マツムシが鳴き、どこからともなく金木犀が漂ってき、そして東の空には嫦娥が輝いていた。日本の秋はいいね!

2019年10月18日金曜日

冷静な目でダムを考える

   物事が終わってから人を批判するのは慎みたい気もするが、教訓をはっきり導くために台風19号による河川の氾濫とダム運用の問題点を現時点で思いつくままに考えてみたい。
 実は友人たちと台風被害を語っていたとき、私は感覚のままに「防災のためにはダムも有用かも?」と語ったのだが、じっくり考えると「どうもおかしい」と思い直している。

 気象庁は周知のとおり「今まで経験したことのない」「100年に1度あるかないかの」災害が起こる可能性を繰り返し発表していた。
 「特別」警報や避難の指示を出すということは、近頃とみにその傾向を増している「空振りで終わった場合の批判」のリスクを伴うものだから、いわゆる「事なかれ主義」の人間だと発表するのに躊躇するものだが、さすが、気象庁は自然科学者の集団であった。
 鉄道各社も、昨年までは計画運休をしなかったり、その発表が遅れて反って混乱させた教訓から、今回の台風19号では早々に計画運休を発表して、結果として被害を一定程度未然に防いだ。

 そこでダムのことになる。
 気象庁の警告を真剣に受け止めれば、今般氾濫を招いた河川のダムは台風本体が近づいて来る前に事前に放流しておくべきだった。
 空っぽとまでは言わないが、相当減らしておけば台風本番でも相当流量を減らすことができた。
 もっと言えば、雨量が増えてきた段階でもダムの上流から流入してきた自然増の分ぐらいは放流を続けておいて、いよいよという段階で放流を止めて上流分の水量を遮断して台風の通過を待つこともできたはずだ。そうすべきであった。
 そういう運用をしてこそ防災用ダムである。防災という観点からはダムの運用が真逆でなかったか。

 そこで問題は、そういう普通に考えられる対応がなぜ執られなかったかである。
 私は行政機関を含む日本の企業全体を覆ている成果主義に原因があるように思う。
 成果主義とは「成果を上げれば相応に報いる」というものではなく、成果が上がらなければ減点する」というシステムであり、それに縛りつけられた人々は、信念に基づいて決断・実行するよりは、後の批判などの可能性(リスク)を含む判断は後回しにして上位からの指示を待つようになっている。(空振りだった場合、下流の農業用水、工業用水が不足するなどの大きなクレームが想像できた)。
 とすれば、今般の事態でいえば管理・指導責任は国交大臣にあるというべきだろう。

 最後に、そもそもダムやスーパー堤防は実際に災害を防いだのだろうかということがあるが、これについては字数のこともあり別に回したい。
 ただ、政治家の発言や素人コメンテーターの発言は別にして、専門家が語っているデータではダムもスーパー堤防もほとんど効果は発揮していない。
 反対に、ピーク時に放流するという馬鹿げた人為的原因が氾濫を発生させたという方が事実に近い。
 莫大な予算で利権を生むその種の政策を優先して、日常的に川床を適正な深さや横幅に掘削(浚渫)して維持する治水工事の原点のような事業を後回しにしてきたツケだというのが正しいかもしれない。
 東京新聞の記事の見出しを借りるならば、「八ッ場ダム、スーパー堤防。本当に役立った?」であり、「八ッ場、水位17㌢下げただけ」であり、「緊急放流で被害の可能性も」である。東京新聞の見出しは正しいだろう。

 終わりに触れておきたいことが少しある。
 ひとつはテレビのコメンテーターの中で、「今後少子化社会で予算は増えないのだから国に防災を求めるのには限界がある。国民自身が危険な地域から出ていく必要がある」的な発言があったのが気になる。
 いろんな切り口で批判できる意見だが、特にこの論には決定的な思考停止があるように思う。
 それは、2019年度防衛予算は5兆2600億円に対して、防災予算は国土強靭化対策を含んでも2兆4000億円という事実だ。
 これをひっくり返すだけでも国土は相当守られると思うのだがどうだろう。

 二つは、神奈川県山北町が約20キロ先の自衛隊に相談したら給水車が到着したが、神奈川県が県の給水車を出すから自衛隊の給水車は使用ならぬと使わせなかったと新聞が報道している。
 目前のテーマは「被災者にきれいな水を供給することだ」という認識に立てば、神奈川県のメンツも何もない。神奈川県政は明らかにおかしい。

 三つは、フクシマでフレコンバック(汚染ゴミの大きな袋)が流され、いくつかは行方不明だとこれも新聞が報じている。
 オリンピック招致の際「アンダーコントロール」と言った嘘が今さらながら明らかになった。余談ながらその際、「8月の東京は快適な気候だ」とも大ウソをついたが、これにはIOCが今さらながらではあるが「おかしい」「ひどい」と言い出している。これは余談。

 私も頭の中で試行錯誤を重ねている途中だ。できれば読者の皆様からの忌憚のないご意見をご教示いただければ幸いだ。

2019年10月16日水曜日

そもそもと問われると

   台風19号の大災害があったが、その社会的・政治的問題はひとまず置く。テーマは気象というか物理の話である。
 さて、この1週間は誰もが台風情報を注視した。そして台風が左(反時計)回りの渦であることは誰も疑っていない。
 しかし、なぜ北半球の台風は左回りなのかと尋ねられるといったいどれくらい説明できるだろうか。実際、妻からそう尋ねられて私は一瞬言い淀んだ。

 ネットで検索すると山ほど質問があって山ほど解答が掲載されている。が、どれも専門的過ぎてなかなか解り辛い。難しい言葉で語りたがるのは先生方の悪い癖だろう。それを読んで「コリオリの力」なども教えてもらったことは間違いないが・・。
 そこで、私ならどう語ろうかと考えた。複雑な自然現象を単純化するのは危険性もあるが、子供電話相談風に私なりにまとめてみた。(間違っているかもしれないので、ご指摘を乞う)

 
 さて、地球は丸く、かつ西から東に向いて回転(自転)しているので、その上にいるモノは東向きの列車に乗っているようなものだ。
 北半球でいえば、緯度(北緯)の低い・赤道に近い・南の列車は高速で走っており、それよりも北の列車は中速で走っており、さらに北の列車は低速で走っているようなものだ。球体だから。
 その列車に乗っているモノ(人間なら人間)は、気がついていなくても同じスピードの力で(を持って)走っているのと同じだ。

 そこで中速の列車の上で高気圧が発生したとする。これには中速の力が働いていて、その中心から重い空気が四方に流れ出ている。
 中速の列車から北へ向かった空気(風)は、中速の列車から低速の列車に飛び移ったようなものだから、列車が急ブレーキをかけたときの乗客のように、前へ・東へ・吹き出しの方向(北)に対して右へ、倒れる(右へ進む)。慣性の法則ということでいいのだろう。

 中速の列車から南へ向かった空気(風)は、中速の列車から高速の列車に飛び移ったようなものだから、列車が急加速したときの乗客のように、後ろへ・西へ・吹き出し方向(南)に対してこれも右へ、倒れる(右へ進む)。
 細かい摩擦や抵抗などなどを無視して考えると、このように、北半球上の流体(気体や液体)は、少し大きな範囲で南北に流れる場合には、右に進む力を受ける。
 よって、高気圧からの風は右回り(時計回り)で噴き出す。

 次いで、高気圧からの風は低気圧に向かい、低気圧の中心に生じている上昇気流で上に逃げていく。
 北半球の流体が南北に移動する場合右向きに進む理屈は同じだが、高気圧の話は中心から噴き出す方向であったものが、低気圧の場合は中心へ吸い込まれる方向としてとらえる必要がある。ここが一つのポイントだ。

 北から南に吸い込まれる場合、北の低速列車(の中央)から中速列車(の中央:ここを低気圧の中心と考える)に飛び移る場合を想定すると、後ろから追いついてくる中速列車の少し前方・東側で低速列車から飛び出す必要がある。そうでないと中心に到達できない。
 この北の空気は中速列車の持っている空気に対してブレーキのかかった状態なのでその力は云わば西向きということになる。

 南から北に吸い込まれる場合、南の高速列車(の中央)から中速列車(の中央)に飛び移る場合は、前を走っていた中速列車の少し後方・西側で高速列車から飛び出す必要がある。
 南からの空気は相対的に強い(つまり東向き・前向きの)力を持っているからである。
 低気圧はそのように、低気圧の北側では東風が、南側では西風が吹いて左回り(反時計方向)に風が吹く。

 もっと単純に言えば、高気圧と低気圧は正反対に働いてバランスが取れているから、高気圧から流れ出る風の向きと正反対に、矢印の頭をひっくり返すように、低気圧は左回りに回っている。
 こんなんではどうだろう。単純すぎるだろうか。

2019年10月15日火曜日

Kew植物園

   海外旅行が趣味の方々なら常識のような目的地の一つなのだろうが、浅学の私は今日までその存在を知らなかった。英国王立キュー植物園。
 始まりが1759年、132ヘクタール、地球に残存している花植物の約10分の1が植わっていて、約20万種の植物画が所蔵されていて、種子銀行であり、大規模な研究機関でもある。次のアドレスで概要が理解できる。

https://worldheritagesite.xyz/royal-botanic-gardens-kew/

 ここに5人の専属の植物画家がいて、その一人が奈良出身の日本人だという。
 そのボタニカルアーティスト・山中麻須美氏の講演を聞く機会があったが、パワーポイントによる講演はそのときは非常に良いのだが、帰ってから数字や頭の整理をしようとすると、高齢者にはこれがつらい。私はレジュメ賛美派である。

 なので、まったくの感想だけを述べると、昨日の樹木希林さんの言葉につながるのだが、大英帝国のかつての植民地主義・帝国主義のことは横に置いておいて、大金の使い方だが、宇宙へ行きたいという成金に比べてイギリス貴族は、なんと有意義なことに延々とお金を使ってきたのだろうと羨ましく感じた。

 短い時間であったので、違う土地の植物を移動させることの可否やいろんな問題があるのだろうがそこまでは深められなかった。
 ただ積極面としては、戦争その他で現地では絶滅してしまった植物が、ここだけに生き残っているものもあるという。
 そして印象に残った面白い話としては、温室の観客の出入りなどによってアブラムシが発生した、そのため天敵の昆虫を放つとそれが異常に増えて問題になり、結局、カメレオンのようなトカゲを放ってバランスをとっているという。地球上で最高級の植物園の一室を守っているのがトカゲだというのが気に入った。

 サブテーマは「生物多様性」だったが、生物多様性は口でいうほど簡単なものではなさそうだ。
 同時に、地球環境の防衛も重要課題だろう。

   台風禍聞き金木犀吸い込む

2019年10月14日月曜日

希林さんの遺言

   テレビの「僕らの時代」を聞くともなく聞いていた。是枝監督とYOUさんと樹木希林さんの娘の内田也哉子さんのフリートークのようなものだった。
 樹木希林さんの話になり、人は分相応の収入でいいという話になり、希林さんが「志の低い者が大金を手にすると宇宙に行こうなんて言う。発想が貧しいのよ」と言っていたというので笑ってしまった。
 内田也哉子さんにも「一定以上のお金は世の中のために使いなさい」と言っていたらしく、也哉子さんに関わる何かの皆さんからのお祝い金?も全額寄付したらしい。
 さすが樹木希林さんだ、言動一致だと私は感心した。

 近頃はこういうまともな話がダサいと言われ、目的?のためならどんな汚い金でも容認されている。
 JOCの前竹田会長らが支出した高額の金員も世間の常識の言葉でいえばIOC委員等の買収だった。
 関電の高浜事件も、今問題になっている還流した金額の何倍もの金が地元の「買収」に上乗せ発注されていたのだろう。
 政府自身が、辺野古の地元の「町内会」に、自治体を飛ばして金員を支払った。
 大阪の夢洲への道路や鉄道もカジノの会社に出させるんだと自慢している大阪府市政も狂っていないか。カジノの会社が公然と大阪を買収しにかかっており、そのパシリを自慢しているのである。
 近江だけでなく大阪の船場商人にも「三方よし」の哲学があったのを忘れてはならない。

 不純な金を支払った悪党も悪党だが、直接間接に懐に入れた人間も悲しい。
 素朴な感覚で発言するのだが、そういう社会のモラル(の崩壊)について、キリスト教社会は私の知っているこの社会よりも感度が良いような気がする。社会の不正・腐敗に対して日本の宗教家の言動に期待をしている。
 そんな中、福井の現地で反原発に奮闘されている真言宗御室派明通寺の中嶌哲演住職には大いに連帯したいものだ。
 

   宗教がらみでいうのだが、ここ数年の台風や異常気象で多くの人々が犠牲になった。その都度国交大臣も官邸も「全国を点検させた」「再発を防止する」と言ってきた。しかし、予算は辺野古などばかりに手厚く本当のインフラ整備は放っておかれた。
 その結果が今回の台風被害である。
 現在の技術で台風そのものは避けられないが、その台風で堤防が切れない対策は十分に可能ではなかったか。
 某宗教団体を基盤とする公明党の国交大臣を通じて、権力にすり寄った宗教団体の堕落を私は見るのだがどうだろう。

 人の目は騙せても、お月様は見ているぞ。

2019年10月13日日曜日

縄文を思う弥生土器

   10月10日の朝日新聞に『胸に乳房, 弥生の絵画土器』との見出しで、奈良県の清水風(しみず かぜ)遺跡で紀元前1世紀頃の土器片が発掘されたとの記事が掲載された。
 それを見た私の第一印象は「これは縄文土偶と同じモチーフやないか」だった。
 唐古・鍵遺跡近くの北側で、弥生中期の川跡からの出土である。

 「弥生は縄文とは別の人種による別の文化」といった旧来の通説は覆りつつあり、弥生人と縄文人が共存し混血し、弥生の文化の中に縄文文化を愛した痕跡があるということは2019年5月8日『土偶大好き1』で書いたところだが、このニュースを見て、さらに一歩理解と確信が深まった感じがする。
 https://yamashirokihachi.blogspot.com/2019/05/blog-post_8.html

   さて、弥生と言えば卑弥呼が連想されるが、この記事のサブタイトルは『豊作祈る霊能者?』で、「両手を広げる(挙げた)姿は魂に活力を与えて再生させる「魂(たま)ふり」のポーズの巫女だろう」と記事は述べている。
 それは唐古・鍵遺跡出土の絵画土器(写真)で文句なく肯定されている考えでもあり、私もそう思う。
 
 天理、田原本、桜井のこの地方は、このような弥生の文化、とりわけ女性が祭祀で活躍する文化が確認され、弥生晩期の帆立貝型墳墓も見つかっており、纏向の大型建物、そして古墳時代最初期の箸墓古墳へとつながっている地である。

   そういう意味で、この日本列島で最初に王権が誕生した土地であることは疑いようがない。
 近くのメスリ山古墳からは玉杖が出土している。
   メスリ山古墳出土の円筒埴輪の大きさは最後の写真のとおりである。

 唐古・鍵考古学ミュージアムと桜井市立埋蔵文化財センターを廻って見学してきたが、弥生時代と言えどもしっかりした鉄製品が使用されている。石製品の精巧さは現代の工業製品だと言われてもわからない。
 木製品などは「昭和30年ごろまで使っていました」と言われても信じてしまうだろう。
 文字の記録の無いのが残念だが、古代といってもほんとうに馬鹿にできない。私は展示物の前でただただ頭を垂れるだけであった。
 (写真の上でクリックすると拡大されて絵画もよくわかると思う)

2019年10月12日土曜日

秋は悲しき

 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき
既にハーレム
   奈良公園に秋が来た。
 神鹿にも恋の季節である。
 あちらこちらから牡鹿(雄鹿)の声が聞こえるが、その声は「古今集の世界だ」などという雅なものではなく、ただただ頭に血が上った半狂乱に近い声である。

 手の早い牡鹿は既にハーレムを作って悠々としているが、そうでない多くの牡鹿は鼻血ブー状態で、可哀相というか見苦しいというか・・・ある種殺気立っている。なので特に子供たちは奈良公園の秋の鹿には注意してもらいたい。突き倒されたりすることがままある。

 さて、秋の奈良公園はひときわ遠足や修学旅行生で賑わっている。
 この頃は中学生などもチームに分かれて行動する学校が多い。
 ガイドの後ろに並んで行進するよりも良いかもしれないが、ひとつ気になることがある。
 子供たちは先生の作ったであろうテキストの世界しか見ようとせず、まるでウォークラリーのように「テキストのこれは見た、あれも見た、次はここへ向かおう」という感じに見える。反対に、テキストに書かれてない場所は、いろんな案内板や珍しい景色などがあっても一向に興味を示さない。解説を読もうともしない。
 で、おせっかいおじさんは、「みんなちょっと待って」と呼び止めて『影向の松』を解説するのだが、お能を知らない中学生には変なおじさん状態で、「その先の左に驚くような木があるからね」と木から竹の出ている「変な木」のことを言うのが精いっぱいだった。
 
   先生のテキストには『水谷神社』も載ってはいないようで、中高生たちは『子授け石』を見もせずに通り抜けている。
 ただし、こんなところで解説をしたら本当に変なおじさんに間違われるだろう。

 で、だれも寄り道をしない草原で、鹿の糞をせっせと運ぶ糞虫を掌(手のひら)に乗せて「みんな奈良公園の好さの半分も知らずに帰っていくのだな」とひとり呟いている。

 鶯の糞は化粧品と認知されているようだが、鹿の糞の化粧品でルリコガネのように美しくという商売は無理だろうか。
 ルリコガネを這わせた掌は心持ち美しくなったような気がするのだが。

2019年10月11日金曜日

土馬について

   先日、『平城京の河川・溝でおこなわれた律令祭祀』の講義を受けたが、講義の途中で、平城京の道路の脇を流れる溝や運河から出土する土馬について私は興味が膨らんだ。
 講師の小笠原好彦先生は平城宮の発掘調査に携わっていた1969年頃に「これは雨乞い(祈雨)の祭祀に使われた」と講演の場で発表されたというのだが、講義では「龍神は駿馬を好むの常識のとおり」と、あっさりと話を進行された。
 えええ、私には咄嗟に付いて行けるだけの「常識」がない。で、質問をして理解が深まった内容は次のとおりだった。

   さて、古くは道教の「長江の水神である河伯(かはく→カッパ)には牛を貢ぐ(生贄)」が、黄河流域では牛が馬に代わり、その中原の「河伯は駿馬を好む」思想が日本に伝来したと考えられる。
 日本書紀に、雨乞いのために牛馬を殺し、諸社で祭りをするという記事があるのがそれである。
 しかし続日本紀には、国の禁止にもかかわらず、牛馬の屠殺が止まらないため、新たな罰則を科すという記事が出ているから、この間に、生馬の生贄は禁止され代用品として土馬が用いられるようになったのだろう。

 下ると、「水を司る神」を祀る貴船神社や丹生川上神社には、日照りや長雨が続くと、朝廷より勅使が派遣されて、降雨を祈願するときには「黒馬」が、止雨を祈願するときには「白馬」が、その都度奉納される習わしになっていった。

 小笠原先生の話には続きがあって、その発表の講演の会場に考古学と古代の祭祀の研究で著名な故水野正好先生がおられ、水野先生は後に、小笠原先生の「祈雨の祭祀」であるとともに、恐ろしい災厄をもたらす疫病神を土馬に乗せて、穢(けが)れとともに水に流したと発表されたという。
   つまり、祈雨か除災かではなく、最初は祈雨だったがそれに除災も加わっていったというのが実態であったようだ。
 小笠原先生も現在ではそのように述べておられる。

   そして、奈良時代に入ると、朝廷の大きな雨乞いには実物の馬を奉納したことが文献にも記されているが、庶民等が担った土馬の祭祀の方は、土馬に代わって板製の馬形になり、さらには板に馬の絵を描くことが始まった。つまり絵馬である。(手向山八幡宮の古式の絵馬は吊るすのでなく立っている)
 かくして、国家を揺るがしかねない旱魃・飢饉等に対抗する重大儀式から個人の病気等の厄災の除去を経て、今や〇〇校に入学できますようにだとか、いい人に巡り合えますようにというように変わって来たので、それはそれである意味平和の象徴といえるかもしれない。

 繰り返すと、土馬は祈雨や除災の形代であり水に流すものであったが、それは後に絵馬に変化していった。
 以上、律令祭祀の講義の枝葉末節の一部分を納得したという些末な話で申し訳ない。

2019年10月10日木曜日

大嘗宮跡を実見してきた

神社本庁リーフ「御代替り」の一部
   まもなく新天皇の即位の儀式が行われ、来月には大嘗祭(だいじょうさい)が行われる。
 とくに大嘗祭は、神社本庁のリーフレットの言葉を借りれば「御一代一度の重儀」で「数ある祭祀の中で最高の重儀」である。

 そんなもので過日私は平城宮を訪れ、元正、聖武、淳仁、光仁、桓武各天皇が執り行った大嘗宮跡、そして、その5人の天皇に関わる大嘗宮跡よりは少し東側の称徳天皇の大嘗宮跡を実地に確認してきた。

 ああ、あのあたりに悠紀殿があり主基殿が建てられたのか、そして廻立殿が・・・、そして、御湯殿が、寝所に真床追衾が・・と、バーチャルリアリティーの眼鏡を見ているようにイメージがはっきりと理解できた。

 大嘗祭は国事行為ではない皇室の行事とされている。そして、天皇もわれわれ国民も新憲法の下で暮らしている。
 故に、皇室内の秘儀、宗教行事であっても、現憲法にふさわしい簡素化や改革が図られてもいいのではないだろうか。
 儀式を否定するつもりはさらさらないが、やたら荘厳な儀式で権威づけようとする国家は後進国だと私は思う。
 リベラルと自称される人々も、もっと天皇の制度や儀式について自由に語る方がよい。
 決まり文句でもって「論外だ」という風に語らないならば、結局歴史修正主義者の思う壺にならないか。
 下記の記事も再度参考にしてほしい。
 アドレス部分を左クリックで反転させて右クリックすれば簡単に「移動」できる。結構おもしろい記事を書いたつもりだ。

 2018年12月1日に「大嘗祭の報道」
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2018/12/blog-post_1.html

 2018年12月6日に「再び大嘗祭について」
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2018/12/blog-post_6.html

2019年10月9日水曜日

中尊寺のお守り

   だいぶ以前のことだが旧友のミリオンさんから孫へと中尊寺のお守りをいただいた。
 お守りというと、大事なカバンか何かにつけておくのが良いのだろうが、それは今、凜ちゃんのおもちゃ箱の中にある。
 凜ちゃんはいわゆる標準の子の5倍か6倍の時間をかけて成長しているし、私が素人目で見ても自閉スペクトラム症で、こだわりというか同じ動作を何回も何回も繰り返す。

 その一つがこのお守りで、このお守りを、放っておけば1時間近くもくるくると回転させている。
 それは「標準」から見れば奇異なことかもしれないが、私は手をたたいて誉めている。
 誰に迷惑をかけているでもなし、そのとき、きっと心が落ち着いているのだろう。
 そして、その心の落ち着きはきっと中尊寺のご利益なのだと喜んでいる。

 それにしても、発達障害だとか自閉症だとか、もっと心暖かい言葉にしてくれないものでしょうかね。

2019年10月8日火曜日

窮鳥入懐

   民俗学などというと大袈裟だが「所変われば品変わる」ということを考えるのは楽しいことで、テレビでアグネス・チャンさんが日本に来た当初のことを話していたとき、上野公園の鳩を見て「わあ、おいしそう」と思ったという話もそうだった。

 土曜日に私がベランダに飛び出した折、それに驚いたドバトが反対に部屋に飛び込んできた。
 以前に、駅にいるドバトが車内に飛び込んできて大騒ぎになった時を思い出したが・・・、
 ちなみにドバトはいわゆる伝書鳩が野生化したもので、カテゴリーとしては野鳥には含まれていない。野良鳩?
 それにしても、途方に暮れて窓の外を眺めるそれは可愛いものだった。

   で、私はというとジビエ料理も伏見稲荷のスズメの丸焼きも大好きで、この鳥を料理する方針も一瞬よぎったが、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」との格言を知っているという程度の教養もあり、記念撮影の後窓から逃がしてやった。

 まあ、野鳥の中では大きく見える鳩にしても、このように捕まえると軽く小さい。
 料理にしてもささやかなものだろう。

 小学生のころ夜店で買ってきたヒヨコを育てたことがあり、コケコッコーと鳴く少し前のクワークワーと鳴き始めた頃にカシワ屋さんに(親が)売った。悲しかった。

 人は動物にせよ植物にせよ、「他人の」命をいただいて生きている。食べはしなかったがそれを実感した。
 一般に食料たるその命の交換の瞬間に立ち会う人々の方が素直に自然に感謝し、「それはかわいそう」などと語る先進国の人々の方が自然破壊に鈍感だ。

 ドバトよ、そんなことを忘れないように、時々は遊びに帰っておいで。

2019年10月7日月曜日

月の蟇蛙

月像幢
   昨日の記事などで(それ以前にも度々)「中国の神話では月に蟇蛙(ヒキガエル・ガマガエル)にされた嫦娥(じょうが)がいる」ことを書いたが、アジアの隣国を蔑視し「ニッポンすごい!」と信じて疑わない人々には「兎が餅(米)搗く日本に比べて蟇蛙とは!」と留飲を下げていたかもしれないが、残念ながら、東アジアの大きな文化圏の中で「ニッポンは別格」などではないことを今日は少し指摘しておきたい。

 恐れ多くも(このフレーズはジョークであるが)、今月、まもなく新天皇の即位式(即位礼等々の儀式)が行われるが、即位式や元日朝賀という皇室の最重要儀式のみに用いられる調度品の一つに『宝幢・四神幡』がある。
 いうまでもなく四神幡とは、青龍旗、朱雀旗、白虎旗、玄武旗であり、宝幢とは、烏形幢、日像幢、月像幢である。

 新天皇の即位式に合わせて、その3分の1の復元品が、いま平城宮趾大極殿に特別展示されている。なかなか立派なものである。
 正倉院宝物やキトラ古墳・高松塚古墳の壁画を参考に復元されたそれは見事なものだが、ナントその月像幢には、月桂樹の下の瓶の左右に兎と蟇蛙がいるではないか。
 皇室の最重要調度品の一つである。「日本人は月に兎を見るが蟇蛙などは見ていない」というのは全く事実でない。
 「知らなかった」というのは日本史を知らないということである。

 余談ながら、日像幢と、中央に立てられたこれも太陽の象徴とされている烏形幢にいるのは三足烏である。
 サッカーの応援で三足烏を日本固有の文化・歴史だと信じておられる方にも申し訳ないが、これらの淵源が中華文明の神話と道教にあることは間違いない。
 だからといって何も卑下することはないが、西欧の人々がはるかギリシャ文明を尊敬しているように、日本人もそういうアジア文化の歴史も素直に評価しておく必要があろう。

 林鄭月娥という人が香港に居て、日本では新天皇の即位を記念して烏形幢、日像幢、月像幢が展示されている。奥深いアジアの文化ということでいえば、どちらもなかなかに面白い。

 アジア史的な教養のあった上皇(平成の天皇)のことは9月2日の次の記事に書いている。
 https://yamashirokihachi.blogspot.com/2019/09/blog-post_2.html

2019年10月6日日曜日

女神か蟇蛙か

 香港政府行政長官のイングリッシュネームはキャリー・ラムだが本名は林鄭月娥(りんていげつが)ということで、9月14日のお月見の記事で私は、「古い中国の神話では月の女神は嫦娥(じょうが)であるから、月娥氏の親はきっと月の女神のようになってほしいと名付けたのだろうが、嫦娥は、夫が西王母からもらい受けた不死身の薬を盗んで飲んで月に逃げたため、挙句ヒキガエルにされてしまったのだから、親はそこのところをどう考えて付けたのだろう」と書いた。

    で、その月の女神かヒキガエルかの林鄭月娥長官は10月4日、議会の審議を経ることなく緊急状況規則条例(緊急法)を発動した。マスク等禁止法である。
 また現場では警官が実弾やゴム弾を発射し、高校生や記者等が重傷を負っている。
 デモの暴徒化が理由とされているが、ネットには権力派・本土派マフィアや公安スパイ等が権力の介入を容易にするために紛れ込んで挑発している動画もある。
 
 さて今日私が言いたいことは、緊急状況規則条例(緊急法)のことである。香港の現状を見るまでもなく、それは独裁国家、警察国家の大黒柱である。そしてそれは、遠い大陸の話(全く遠くもないが)ではなく、日本列島の話である。

 日本国憲法第99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあるにもかかわらず、安倍首相は4日の第200回国会所信表明を、憲法審議会で憲法を議論すべきとの趣旨で演説を締めた。
 その自民党改憲案には「第九章 緊急事態」が新設され、あらゆる民主主義的手続きを停止し、内閣総理大臣が思うがままに国民を縛ることのできる緊急事態宣言、いわゆる緊急事態法が盛り込まれている。
 世界史的には、ナチスが政権を率いたときの根拠法である。

 香港の事態を世間話で終わらせてはならない。
 安倍首相の理想は林鄭月娥氏が発動した緊急法だということを私は言いたい。