2018年8月31日金曜日

畦地梅太郎

   猛暑が続いていて去年大量にTシャツを捨てたことが悔やまれる。
 先日アップした「ならまち糞虫館」でTシャツを買っておけばよかったと、これも後悔している。

 というので、代わり映えしない発想だが畦地梅太郎のTシャツをモンベルで買ってきた。
 畦地梅太郎は「山の版画家」として有名で、この作品は「山男」シリーズの中の「鳥のすむ森」。
 いうまでもなく鳥というのは雷鳥。

 北アルプスあたりを登っていた若い頃は山小屋にしか置いてなく、けっこう高価なTシャツだったと覚えている。
 今の若い人は「何?そのデザイン」というのだろう、そこそこ普通の値段になっている。2400円+税。

 年甲斐もなくと思われるかどうかは関係ない。
 アクティブなTシャツを着るとそれに合わせて元気が湧いてくる。

   古稀過ぎてTシャツだけは山男

   日の出入りだけは確かに葉月尽

2018年8月30日木曜日

気の早い流行語

 7月29日に『途上国並みの醜聞』という記事を書いたが、大手マスコミが揃ってスルーする中で、ネット社会では『#ケチって火炎瓶』が流行語大賞並みに拡散している。

   下関市長選で実際に撒かれた謀略ビラの写真も安倍事務所の秘書が押印した確認書の写真も公開されている。
 謀略ビラのヘイトぶりも度を越している。

 安倍事務所が安倍晋三にも諮ったうえで暴力団組長にこれらの謀略を依頼し、その後約束していた「見返り等」をケチったので組長が安倍事務所に火炎瓶を投げたもので、そのいきさつは裁判記録等に明らかだが、当然??のように山口県警はそれ以上には動かなかった。

   誰が考えついたのか『#(ハッシュタグ)ケチって火炎瓶』のネーミングも悪くない。

 芸能界やスポーツ界では裏の社会との付き合いが明らかになれば過去、現在を問わず永久追放が常識とされているが、それが首相だと不問にされるのか。
 途上国の独裁国家では?というのもそれほど的外れではないだろう。

   身の危険肌に染むよな炎暑かな

2018年8月29日水曜日

サマータイム

 その主張に賛成・反対という以前に、安倍晋三や森喜朗の言っているサマータイムの必要性という論理が”賛否以前”に全く理解できない。

ネットで見つけた
   オリンピックを酷暑の東京で開催することの愚は横に置いておいても、マラソンのためならスタート時間を1~2時間早めればいいだけではないのか。

 一部の競技は東京以外というのもある様だから、関東周辺の高原でする手もあるだろう。
 交通機関だって、除夜の鐘・初詣では終夜運転をするし、奈良県周辺の話をすると近鉄は天理教の大きな行事のときは臨時列車を増発する。

 サマータイムなどしなくても日本人はいろんな知恵でこれまでも対応しているし対応できる。
 何度も言うようだが、東京の一部で行われるオリンピックのために全国でサマータイムを導入する必要性が、賛否以前に全く理解できない。
 国民の健康に良くないことは実証済みである。

 私個人はどちらかというと朝型人間で、現役時分は朝6時前に家を出て出勤し、みんなが出勤してくるころには二仕事も三仕事も済ましていた。
 外形的にはサービス残業だが、労働組合活動への批難等揚げ足を取られないように気を遣ってきたからだ。
 しかし、私のスタイルを仲間や部下には一切求めてこなかった。当然である。
 サッカーWCを見たい者は夜でも早朝でもテレビを点けるじゃないか。

 結局、・・・誰かがオリンピックでは禁じられているはずの「国威発揚」「国民精神総動員」の仕掛けにしたいのだろう。
 サマータイムは、スポーツマンシップやフェアプレイの精神から最も遠い人物たちの暗い企み以外の何ものでもないと私は思う。

 あっそうか! この行事は「フクシマは完全にコントロールされている」などという大嘘から出発したのだったなあ。

2018年8月28日火曜日

牛に曳かれて

   記事のアップは前後するが、先週の日曜日にミホミュージアムに行ってきた。
   ほぼ1か月間「半病人状態」であるのを気遣って息子と孫が車に乗せて連れて行ってくれた。善光寺参りのような態であった。
 妻は症状が快復せずパスをした。

 わが街から信楽焼の郷・信楽に行く際、ミュージアムの道案内の看板をよく目にしていたが、実際に行って見ると予想以上に豪華な施設なのに驚いた。
 母体が宗教団体らしいから、信心というか宗教の持つパワーに感心した。
 外国人観光客も多かったからネット社会でも有名らしい。

 一番見たかった写真の土偶もゆっくり見た。
 縄文についてはいずれブログに書きたいと思っている。
 孫の夏ちゃんに観覧の感想を聞くと「スタンプラリー」15問全問正解が楽しかったという。そのため展示品はほとんど憶えていない。
 当然だろう、小一でこの土偶に感心したらおかしい。

2018年8月27日月曜日

ならまち糞虫館

   テレビを観ていて『ならまち糞虫(ふんちゅう)館』のオープンを知った。
 土日の午後のみオープンということで、前夜の夏祭りの疲れを引きずりながらも8月26日に訪ねてみた。
 『昆虫館』はあちこちにあるが『糞虫館』というのが嬉しい。

 実際の展示で知ったことだが、奈良公園も「宝石のようなルリセンチコガネ」だけでなく、いろんな「チビセンチ」が居る。そのコレクションもすごかった。
 成虫は夏よりも秋の方が多いということも教えてもらった。
 ここに標本も提供している高校生がいて、その博識にも驚いた。奈良の未来は明るい!

   折角なので持参した『ふんコロ昆虫記』(トンボ出版)に、館長の中村圭一さんにサインをしていただいた。「初サインだ」と言って応じてくれた。

 思い起こせば、奈良公園でルリセンチコガネを初めて見つけたときには興奮した。
 結果的にはたまたま鹿の糞の横でひっくり返っていただけらしいが、「球を押している!」とそのときは興奮が冷めなかった。
 今日の勉強で「玉押し」するスカラベなどは後ろ脚が長く、それに対して後ろ脚の短い奈良公園のセンチコガネは基本的に「球を引っ張る」のだと高校生に教えてもらった。

 ご承知のとおり奈良の鹿は「神鹿」である「神の使い」である。
 その足下で、押して転がそうが引いて転がそうが、やはりふんコロは地球(玉)の運行を司る神の使いである。
 糞虫バンザイ!
 人間が鹿の糞を処理するとすれば、年間100億円・・・奈良公園の糞虫は年間100億円の仕事をしている。

 〔おまけ〕猛暑のならまちは人があふれていた。奈良公園の観光客のキャパシティーとしてはこれで十分ではないかと私などは考える。奈良公園の環境を壊してまでの高級ホテルはいらない。

2018年8月26日日曜日

夏祭り

   昨日は、家族会を作っている老人ホームの夏祭りで、家族会としては千本引きのあてものとヨーヨー釣りの店を運営した。
 入所者の皆さんのところへは駅弁スタイルでヨーヨー釣りの出前をした。
 99%介助を受けてでも「釣れた釣れた!」とお祝いすると例外なく微笑み返していただいた。

 孫の夏ちゃんファミリーは常連さんだったが今年からこちらが1月遅らせたせいで地域の夏祭りと重なってしまった。
 その代わり、孫の凜ちゃんがここに初参加してくれた。
 凜ちゃんを抱いて盆踊りに参加したが腰と背中が痛くなった。ああ。

写真追加
   正直にいえば準備から本番まででへとへとになった。でも、ええカッコをいうと気持ちの良い疲労だと痩せ我慢を言っておこう。
 人間、イベントの裏方に呼んでもらっているうちが華だとこれも痩せ我慢。

2018年8月25日土曜日

甲子園に学ぶ

   天空、大夢、輝星、和輝、朝暘、佑輔、彪吾、亮太、璃玖。
 小学校の先生なら10年以上前から馴染んでいたのかもしれないが、子どもたちの名前の読みが難しい。
 少しクイズのようにテレビのこちら側でフリガナを当てっこするのも面白い。
 漢字の本家中国には訓読みのフリガナはないし、欧米語にもあまり聞いたことがない。

 ただ考えれば日本人は漢字を手に入れた初期のころから、万葉仮名で文字遊びをしていたし、戯書、当て字(宛字)は今に始まったことではない。
 そう考えると、この傾向をキラキラネームだと言って笑うのも筋違いで、伝統的日本語の一潮流だと認めなければならない。

 秋桜(コスモス)、水黽(アメンボ)、土竜(もぐら)・・・花の名前や虫や動物の名前なんかはこの方が主流だと言っても良いぐらいで、パソコンでもすぐに出て来る。
 親は子どもの名前を考え抜いてつけたのだろうから、他人がとやかく言うことではない。
 しかし、もう少し素直に読めるフリガナにしてくれませんかね。

 蛇足ながら、タイトルのとおり頭書にあげた名前は金足農のレギュラー選手の名前。
 金足農といえば「全力校歌」も有名になった。
 赤旗の23日付け『潮流』によると、この校歌、近藤忠義作詞、岡野貞一作曲という。
 岡野は「故郷」や「春の小川」の作曲で有名。
 近藤は治安維持法で検挙され獄中で敗戦を迎え、後に共産党員となった国文学会の重鎮。

2018年8月23日木曜日

戦争がもたらすもの

   8月6日と9日が済んだら原爆の話をしないでいいわけではない。8月15日が済んだら戦争の話をしなくていいわけではない。
 当たり前のことだが、マスコミという奴は原爆も戦争も『夏の風物詩』扱いのような気がする。
 で、偉そうなことは言えないが、8月11日に書いたカトリックの総本山ローマ教皇の『カード』を幾分体調が回復してきたのでキリスト教会で頂いてきた。

 大きな戦争も小さな戦争も、核戦争も通常兵器の戦争も、死んだりした被害者にとってはその差は意味のないことかも知れない。
 しかし、例えば「毒ガスは非人道的だ」と否定されたように、核兵器も「国際法上違法だ」と認定することには大いに意味があると私は思う。
 その意味で国連の核兵器禁止条約は画期的なものである。

 ところが被爆国の安倍首相は、その会議をボイコットし、「核保有国との橋渡しをする」などというインチキな美辞麗句を並べ、超核保有国アメリカ、もっと言えばその軍事産業を擁護しまくっている。
 日本国民として許せない気持ちだ。
 
 読者の皆さん、近くの(あるいは通りすがりの)カトリック教会で『カード』を貰って知人に広めませんか。
 カトリック以外の宗教人も教皇の純粋な気持ちに倣って行動しませんか。

2018年8月22日水曜日

甲子園

 近頃、スポーツ界の汚い話が続いていたからここは高校野球と言いたいが、体育会系の精神主義、縦社会への服従、さらにプロまがいの全国区高校など、高校野球にこそその責任の一端があると私は思っているので、少し冷ややかに眺めている。

   といっても、奈良の奈良大附属の1勝、近畿勢の進撃はやはり嬉しい。
 さらに、金足農高は、すべて地元中学校出身者の県立高校というから、どうしても判官贔屓で応援してしまう。
 結果は残念だったが、素晴らしい奮闘ぶりだった。

 愉快な話を見つけた。日本農業新聞が異例の1面で金足農の奮闘を報じたという話だ。
 「農高で戦後初の決勝進出」などの見出しだった。
 全国の農業高校も祝福したことだろう。
 農家も元気になったのではないだろうか。
 

2018年8月19日日曜日

槿花一朝の夢

   木槿(むくげ)の花は「一日花」なので無常観を指して「槿花(きんか)一朝の夢」と形容されるが、昔の人は炎天に次々と咲くこの花からどうして無常観を感じ取ったのだろう。

 小さい頃、庭の一角に木槿があり「いやに虫の付く木だ」という印象が先行し、雑草のように逞しい木というのが私の印象だ。つまり、人さまざまということだろうか。

 いうまでもなく韓国では国花である。
 こちらの方は「一つ散っても二つまた咲く」力強さなのだから、どちらかというと私の印象に近い。

2018年8月18日土曜日

日蓮信徒はどこへ行く

 私の浅い理解では、通常仏教徒と言われる人々は死後極楽浄土に迎えられると信じられている。
 日蓮の広めた法華経を信じる人々はその極楽浄土を霊山浄土と言っている。
 死後の証明は数学のようには証明できないから信心の問題で他人がとやかくいうものではなく、それはそれでよい。

 しかし戦前は、大東塾の影山正治の『忠霊神葬論』などで「死して忠霊なほ大君の辺にまつろひ、以て無限に皇運を扶翼し奉るのである。若しその霊を西方十万億土に送り、釈迦仏に附して彼岸極楽に送りやる如きことあらば、忠死の根本否定であり、忠霊の致命的冒涜である」と、早い話が「靖国神社に行かずに極楽浄土に行く者は国賊だッ」と断罪したのだった。

 大君の辺すなわち靖国神社とは、戦前は普通の宗教法人などではなく、神社の形をとりながら、内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した、いわば軍の組織であった。
 戦後1978年(昭和53年)には東條英機らA級戦争犯罪人まで合祀し、以降、天皇の参拝もなされていない。

   その靖国神社に敗戦記念日に国会議員が連れ立って参拝したニュース画面から、どこかの運動部のコーチが上司の意向を忖度してつるんだような印象を私は受ける。
 繰り返すが靖国神社は普通の宗教法人ではなかったのだ。

   元に戻って戦前の国家神道は靖国神社を絶対化して、仏教系宗派その他の宗教の自由を奪い死後の成仏さえ「冒涜」したのだった。

 そんな中、7月にあった靖国神社みたままつりで創価学会の提灯が献納されたのが話題になっている。
 安倍自公政権の現実社会での腐敗は言うまでもないが、公明党の支持団体創価学会はついに魂まで差し出したのだろうか。

 追伸 8月24日、聖教新聞は創価学会としては提灯を献納していないとの記事を掲載した。
 そうであれば、誰が虚偽の献納したのか早急に明らかにした方が良い。
 そうでなければ、二枚舌を疑われる。

2018年8月17日金曜日

これも音楽療法

   ズーっと半病人の状態が続いている。症状は微熱、片頭痛、鼻水、痰、咳、喉痛で、夫婦とも同様である。
 
 そんな状態だったが既にチケットを取ってあったので11日にコンサートに行ってきた。
 場所は東大寺の本坊、サックス&ギターユニット Myu-Sky で、主に jazz で心地よい宵だった。

 体力がそこそこ元気なら燈花会に廻るはずだったが、コンサートだけで帰ってきた。
 気持ちの問題かもしれないが幾分症状が和らいだ感じがした。これも音楽療法だろうか。

 昨日の記事のとおり、孫の夏風邪をわが夫婦が増幅させてうつし返したようで非常に落ち込んでいる。
 呑気にコンサートのブログどころではないのかもしれない。
 しかし、病は気から!というのもあながち的外れとも言えない気がする。
 
 追伸 猛暑のせいか一族全員が相当へばっている。
    あえて言えば、完全空調のホームで暮らしている義母が一番元気である。

2018年8月16日木曜日

お盆休み

   テレビのニュースを見ていると、「Uターンで〇〇トンネル渋滞何十キロ」だとか、「新幹線乗車率いくら」だとか、関空で子供にインタビュ―をして「グアム。楽しかった」だとかという報道で埋め尽くされている。
 長閑で平和なニッポン!でいいのかもしれないが、何かこの国はおかしいぞ!と思うことも大切かも知れない。

 お盆休みといってもサンデー毎日の私のことでない。
 言いたいことは世間一般のことであるし、身近なところでいえば医院が軒並みお盆休みである。
 14日に孫の凜ちゃんを預かって、一日中わが家で元気だったのだが、その夜から高熱を出したらしい。
 あくる15日、医院は・・・である。

 わが孫のよかった?のは、大学病院に定期的に罹っていることで、「すぐに来なさい」との言葉に助けられて高速道路を駆けて診てもらいに行った。
 大学病院は駐車場も満車に近く、院内にも患者があふれていた。
 こんなニュースは見たことが無いな!と少し不思議な気がした。
 この国は、予定調和のようなニュースでマインドコントロールされていないだろうか。

 「一月以上のバカンスが普通になっているヨーロッパあたりの病院や医院はどうなっているのだろう」と、少し調べたくなった。
 全く感覚的な経験論だが、乳幼児は土日祝日に熱を出す。
 何か法則性でもあるのだろうか。
 以上、私のお盆休みの報告である。

2018年8月15日水曜日

三種の神器と8月15日

   八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま) 本体は宮中に鎮座
 八咫鏡(やたのかがみ) 本体は伊勢・皇大神宮(内宮)に鎮座
 草薙剣(くさなぎのつるぎ) 本体は名古屋・熱田神宮に鎮座 ・・・している。
 古来「皇位」の唯一無二の「保証」とされているが、人の命以上に重い神器などあろうはずがない。

 しかも、昭和15年(皇紀2600年)に日本から神道を満州国国教とさせられた折、皇帝溥儀はこう言った。
 「裕仁天皇は・・三種の神器を出して私に説明した。私は心の中で思った。北京の瑠璃廠(骨董屋街)にはこんなものはいくらでもあると聞いている。太監が紫禁城から盗み出した・・どれ一つをとっても、これよりは値打ちがある」(著書『わが人生』)
 客観的には溥儀の言うとおりだろう。

 さて、昭和20年4月、東京大空襲だけでなく全国の地方都市も順次焦土と化していった。
 「早期講和」が必要なことは誰の目にも明かなことだったが、指導者の会議は正に踊るがごときだった。
 この時点で「聖断」が下されていたならばと「死んだ子の歳を数え」れば、6月の沖縄の島民の4分の1を超える「玉砕」も、ヒロシマ、ナガサキの悲劇もなかった。
 満州に置き去りにされた悲劇もシベリア抑留だって回避できた可能性は大きい。

 ようやく8月9日の深夜(正確には10日午前2時過ぎ)、最高戦争指導会議において、昭和天皇は「私は外務大臣の案(ポツダム宣言受諾)に賛成する」と「聖断」を下した。
 『昭和天皇独白録』の有名な箇所であるが、・・・
 当時私の決心は第一に、このまゝでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護することができない。
 第二に、国体護持の事で木戸も仝意見であったが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。
 と、その理由を述べている。
 愛新覚羅溥儀が「骨董屋街にいくらもある」と感じた三種の神器・・・、

 8月15日玉音放送はこのように三種の神器を守るために決断されたものだった。
 庶民レベルでいえば戦争に勝ちも負けもない。
 15日前後のテレビは、敗戦から立ち上がった立派な日本民族を讃えるだろうが、その戦後復興も朝鮮戦争特需、朝鮮民族の不幸とバーターで得られたものであることを忘れてはならない。
 リアルに歴史を見る者だけが真の愛国者だと私は言いたい。

2018年8月14日火曜日

真摯に向き合う

 8月上旬のテレビには戦争を振り返る番組が少なくないが、どうも戦争の被害者としての側面に比べ、加害責任と真摯に向き合う量が少ないように思う。
 庶民にとっては被害者として「二度と嫌だ」と確認することも意味のないことではないが、いみじくも安倍首相が戦争法の際に使ったパネルのように、「海外の邦人救出のために出動できない自衛隊でいいのか」的なロジックに乗せられやすい危うさが被害強調論にはある。

 加害責任というと、自分の優しい父や祖父が鬼のような無差別殺戮や強姦をしたなんて信じたくもないし、事実、ほとんどの戦争経験者は口を噤んだまま彼岸に行った。
 そして帝国軍部は敗戦時に膨大な証拠隠滅を行った。
 (例の森友問題などを見ていると、日本の支配層には反省という言葉はなく、悪しき「伝統」が継承されていることよと嫌になる)

   さて、加害責任の一つの典型として南京大虐殺に向き合ってみる。
 現役時代の一時東区大手前に勤務していたことがある。
 そのビルや大手前病院の前にあるのが追手門学院の小学校だった。前身は偕行社の小学校だった。偕行社は陸軍将校の同窓会である。(現在は陸上自衛隊幹部も)

 その偕行社が機関紙『偕行』83年11月号で「南京事件に関する情報提供のお願い」をした。
 目的はいわゆる南京大虐殺への反論のためだった。ところが・・・

 「多くの敗残兵を捕らえたが”ヤッテシマエ”と襲いかかるケースが多かった。城内掃討中でも、獅子山付近で百四・五十名の敗残兵を見つけたが、襲いかかって殺した」(島田勝巳第二機関銃中隊長)
 「大勢のなかには刺殺、斬首などの真似をした馬鹿者も居りました。入城後数日、下関(シャーカン)で毎日、捕虜が処分されているという噂を聞き、又実際にその光景を見ました。・・・一人ずつ歩かせて桟橋の端に来た時、突き落として小銃で射殺していました」(石松正敏第二野戦高射砲兵司令部副官)
 ・・・等々の証言が寄せられ、連載の最終回(85年3月号)に編集部執筆責任者加登川幸太郎氏は「弁解の言葉はない。・・被害者である中国の人びとが、日本軍の非行を何と告発、非難されようが、非はわれわれの側にある。これは何とも致し方がない」と述べている。
 (出典:『日本の侵略と植民地支配』新日本出版社)
 
 南京大虐殺の影に隠れているが、「シンガポール華僑粛清事件」も同様だった。
 彼のリー・クアンユー氏は回顧録の中で「日本は、・・英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。・・同じアジア人として我々は日本人に幻滅した」と語り、「・・・これらの過去を隣人に対して認めないならば、人々はこうした恐怖が繰り返されることもありえると怖れるしかない」と歴代自民党政府を批判した。

   明日は8.15、少し冷静に日本軍の加害責任に思いを巡らせたい。
 そうだとすると、個人的な先祖崇拝だけでよいのかという疑問も湧いてくる。
 ええカッコではないが、全てのアジアの戦争被害者、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキの犠牲者等々に思いを寄せてお盆の迎え火を焚いてみた。
 

2018年8月13日月曜日

死んだ女の子

 ナツメロというよりも近頃全くといってよいほど聴かなくなった歌に『死んだ女の子』がある。(私だけ?)
   ヒロシマ、ナガサキの8月に因んで思い出しておこう。
 ナジム・ヒクメットはトルコの有名な詩人である。
 木下航二は「原爆を許すまじ」も作曲している。

【作曲】木下航二
【作詞】ナジム・ヒクメット
【訳詞】飯塚 広

扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの

十年前の夏の朝 私は広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへ飛び散った

あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない

扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい

 以上が私の知っていた歌だが、最後のフレーズは歌っていたかどうか記憶がない。
 ところで、歌詞を検索している途中で、別の歌詞で元ちとせさんが歌っているのを知った。
 元さんのいうのには、プロデューサーから歌ってみるよう言われ「歌の意味も分からず、自分の中で曲に対する何かがつかめてなかった」まま、結局、録音はしたが発表はしなかった。

 2002年のデビュー後、イベントで広島に来た時、平和記念公園と原爆資料館に立ち寄り衝撃を受け、「最初は訳が分からなかった。だんだん頭が整理されてきて、悔しさや悲しさがこみ上げてきた」。その時「死んだ女の子」が頭の中に浮かび「ぜひ歌いたい」。その場でプロデューサーに言ったという。

 やるからには世界中に訴えたい、と国際的に活動する坂本龍一さんに編曲を依頼。被爆60年の05年に発表。「自分たちが受け継がないと風化し、忘れられてしまう。私は『音楽』という人生を選んだので、歌で少しでも力になれればと思う。
 「原爆や戦争が遠い世界のことと思っている人に、意識の持ち方を少しでも変えてもらえればうれしい」と、元ちとせさんは訴えている。

 元さんの歌う『死んだ女の子』

【作曲】外山雄三
【作詞】ナジム・ヒクメット
【訳詞】中本信幸
【編曲・プロデュース】坂本龍一

あけてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは

戸をたたくのはあたしあたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように

 you tubeで聴く限り私は坂本龍一の編曲はもひとつの感じがするが、若い人々にはどうなんだろう。
 老いては子に従えかな。

2018年8月12日日曜日

献杯

   妻が「翁長さんて自民党やってんな」と驚いていた。
 何を今さらだが、翁長さんも沖縄4区の仲里さんも自民党沖縄県連の幹事長だった。
 こういう沖縄の真面目な保守から共産党までが力強く団結しているのがオール沖縄の実態で、それに対抗しているのは本土の「役職」や「札束」に魂を売った人々だと私は思っている。

 そして、諸条件は多種多様に異なるけれど、オール沖縄的というか、古臭い言い方をすれば救国戦線というか、そういう保革を問わない良識人の大同団結の条件は全国で広がっているように思う。
 原発推進の電力労連のように、そういう連合に靡く勢力のように、社会はそれほど単純ではないけれど、螺旋階段はそれでも上へと昇っていく。
 願わくば、自覚的民主陣営の皆さんがそういう時代認識を持って、広い度量を発揮されんことを望む。

 沖縄の翁長知事、わが師匠内山昻さん、わが友谷山義博さんに献杯した。

2018年8月11日土曜日

ローマ教皇のカード

 カトリック中央協議会によると、今年1月にローマ教皇フランシスコが作成したカード(年賀状?)の日本語版が7月に完成した。

   写真はアメリカ人従軍カメラマンが長崎で被爆から遠くない時期に撮ったといわれている。
 一般に『焼き場に立つ少年』として有名で、少年は妹の順番を直立不動で待っている。
 カード裏面には「戦争がもたらすもの」との教皇フランシスコのことばと署名があり、さらに写真について「・・・この少年は、血がにじむほど唇を噛み締めて、やり場のない悲しみをあらわしています」といった説明が添えられている。

 教皇が新年のカードにこの写真を採用された見識にはこころから敬意を表したい。
 そして、翻って日本のマスコミの鈍感さを感じている。
 いや待て、鈍感なのはマスコミだけだろうか。

 さて、8月7日の『広島のYさん』で、「私がいくら勉強してもYさんの夜の恐怖感は共有できないと思うが、しかし私は、そんなYさんがいた。きっと文字にできないほどの恐怖だったのだということを伝言ゲームのように継承することができる。 
 なので、毎年8月に長谷やんがこんなことをくり返し書きよんねんということでも広めていただければ幸いだ」と書いたが、9日の田上長崎市長の『長崎平和宣言』の中に次のようなくだりがあった。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。と。

 安倍政権の傲岸不遜な態度を見ていると草の根的な運動が無力に見えたりするが、明らかな事実は、世界の大勢は国連において核兵器禁止条約を採択したのであり、各国においてその批准を求める運動が目に見えるほどに進んでいるということだろう。

 同時に私たちは、唯一の戦争被爆とともに15年戦争の侵略の歴史にも視野を広げ、現実に生起している戦争準備の諸政策ともつなげて理解し行動することが大切だと思う。
 

2018年8月10日金曜日

鬼の霍乱

 ただ今鬼の霍乱中。

2018年8月7日火曜日

広島のYさん

 昨日8月6日はヒロシマ原爆の日だったので、「またか!」と言われようが私の原爆関係の経験話を書く(何回でも)。
 もちろん、私は昭和21年度生という戦後生まれだから直接的な被爆の体験はない。
 青年になっていろいろ勉強する中で原水爆禁止の大切さを学んだという相当リアリティーを欠いた「頭でっかち」だった。
 だから労働組合の役員になってからも、「広島支部はどうしてもっと原水禁運動をリードしないのだろう」などと生意気な感想も持っていた。しかし・・・

 1970年代中盤の頃だった。
 私たちの労働組合も相応に原水禁運動に取り組み、原水協や被団協とともにニューヨークの国連本部やアメリカのテレビ局などに働きかける代表団を送りだした。それが広島支部のYさんだった。
 職場では広島局の幹部だったし、労働組合では中国地協の名物議長、恰幅も押し出しも大幹部だった。

 そのYさんの帰朝報告が恵比寿の会館であり、その夜Yさんと私が同じ部屋に宿泊した。
 その夜中、Yさんの「うおおおお~~」という叫び声で私は跳び起きた。心臓発作ではなさそうなのでそのままにしたが、その後も「うおおおお~~」が何回も続き、結局眠ることができなかった。(文字なので「うおおおお~~」としたが、それは到底文字では伝えきれない悲鳴というか絶叫だった)

   翌朝Yさんは「長谷やん、夕べワシ迷惑かけなかったか?」と言ってきた。
 「実は、昼間に原爆関係の話をすると夜には必ずうなされるんじゃ。だからこれまでも原爆の話をするのは避けてきたんじゃ」ということだった。

 これから相当のち私は仕事で「職務による精神障害や自殺」の労災認定業務に深くかかわることになったが、その際、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に出くわすたびにあの夜のことが思い出される。

 過去に部落解放運動の中で「踏まれた痛さは踏まれた者しか判らない」と言われたことがあったが、寅さんではないが「それを言っちゃおしまい」だと私は思う。
 私がいくら勉強してもYさんの夜の恐怖感は共有できないと思うが、しかし私は「そんなYさんがいた。きっと文字にできないほどの恐怖だったのだ」ということを「伝言ゲームのように継承」することができる。
 実際にはYさんの恐怖の体験も怖ろしくて聞くことができなかったのだが。

 昨年広島の原爆資料館の、被爆者の記憶をもとにつくられた被爆再現人形が「怖いからという理由?」で撤去されて議論を呼んだが、原爆投下から70年以上が経ち多くの被爆者も亡くなってゆくなか被爆の恐ろしさをいかに伝えていくかどんどん難しくなっている。

 維新の大阪市政は「ピース大阪」の加害責任の展示を止めさせてきた。
 昨日安倍首相は国連の核兵器禁止条約に一言も触れなかった。
 
 「私も直接的な被爆体験はないし、間接的な体験も乏しいし」と思われる読者の皆さんは、せめて「毎年8月に長谷やんがこんなことをくり返し書きよんねん」ということでも広めていただければ幸いだ。

2018年8月6日月曜日

ヘルパンギーナだった

   乳幼児の夏風邪というとプール熱だとか手足口病が有名だが、実はウイルス性のヘルパンギーナというのが大流行していて警戒警報下にあるということだ。
 うちの小さい孫の高熱もその後の食欲不振もバッチリそれだった。

 ウイルス性だから、一度罹患したら耐性になるわけでもなく、周囲を完全に除菌しなければならないが、それが普通の除菌アルコールぐらいでは効き目がないらしい。

 そんなことで、玩具その他を熱湯消毒はできないが、もう熱湯消毒に近い炎天下の日光消毒を行い、その後ウイルス除去用の除菌スプレイで玩具類から部屋中まで消毒しまくった。
 日替わりでイクジイをする夏ちゃんへの感染防止も課題だ。

 ただ、冷房を利かせすぎた睡眠のせいもあり、祖父ちゃん祖母ちゃんも咳やクシャミや鼻水の症状が出てきているので感染したようで、こちらの対処も待ったなしである。
 「一般に乳幼児が罹るが体力の落ちた老人も感染する」とあるから、世間で生じていることは例外なくやってくる。

 それはさておき、月末には介護施設の夏祭りを行う。いろんな議論があったがカレーライスは今年も販売することになった。
 以前に書いたが、ウェルシュ菌による食中毒が起こりやすく、その性格から「行事性食中毒」という怖ろしい言葉さえあるという。
 この菌の種が入ると、100℃の再加熱でも死なずに増殖するというから手が付けられない。

 これまで暢気すぎたのかもしれないが、病弱の乳幼児や超高齢者のことを考えると日々病気等の勉強が必要だ。

2018年8月5日日曜日

人気の玩具

 夏休みになって二人の孫と遊んでばかりいる。
 ところで二人の孫の各家にはけっこう高価な玩具があるのに、わが家には高価な玩具は全くない。
 つまりそれぞれの孫のお家の高価な玩具は”向うの祖父ちゃん祖母ちゃん”からのプレゼントがほとんどで、わが家からのプレゼントもほとんどない。

   そんな孫がわが家でいま一番遊ぶ玩具というと8本の円筒である。
 正体を明かせば全てサランラップの芯で、小さい孫には太鼓のバチになったり、メガホンになったり、積木になったりする。時々齧ったりもする。

 大きな夏ちゃんはこれでボーリングもどきのゲームをいろいろ考え出す。
 団扇で扇いで円筒を転がして敵陣に攻め込むとか、途中の円柱を倒したら負けとか、もちろん相手は祖父ちゃんで、自分が負けそうになるとルールを変更したりして祖父ちゃんに挑戦する。そして最後には勝者になって気分よく引き上げる。

 そのお付き合いがしんどいのなんのって。

 小さな孫は以前に祖父ちゃんがダンボールで作った家も気に入っている。
 今でもダンボールの家に入って、訳もなく窓から円筒を投げ出したりしている。
 こんなだから、妻も「蒲鉾の板を捨ててもいいか」と必ず私に尋ねてきて、もちろん「ダメ! 積木になる」と私が答える。
 この孫たちが大きくなったら、「あの頃は上等な玩具が無かった」と振り返るか「変わった玩具があった」と思ってくれるか。それはわからない。

   室外機火星は赤し熱帯夜

2018年8月4日土曜日

女性の輝く国?

 自民党の杉田議員の主張はナチスが障害者を大量虐殺した優生思想と同質のものであると8月1日の記事に書いたが、LGBTに関わって杉田議員の主張は、結婚をして子供を産むというのが生産的な国民なのであって、子供を産まない者は生産性がないから制度の保護もすべきでないし税金を使うべきでないというものだった。

 それを聞いて太平洋戦争時の国策スローガン『産めよ増やせよ』を思い出していたところ、一方で東京医大は、女医は子供を産むので使いにくいから大学入試で一律減点していたといった。あれれれれ。

 何か正反対のことを言っているようにも見えるが、結局「女性は産む機械」(柳澤元厚労相)と女性を馬鹿にしているのだから、ある意味自民党的人々の論理は一貫している。

   ニュージーランドの女性首相が産休から復帰したというニュースと並んでそんなことが報じられる国って恥ずかしくないだろうか。

 昨日に続いて『関口知宏ヨーロッパ鉄道の旅』ではスエーデンの育児休業パパが常識になっている話題もあった。

 安倍晋三右翼政権のうちに日本は世界の進歩から周回遅れになっている。

   失言は証拠残すなと注意され

2018年8月3日金曜日

女王の鏡


 NHKBSプレミアムで関口知宏ヨーロッパ鉄道の旅の再放送をしていて昨日の朝のそれはクロアチアだった。

   バルカン半島というと私などは『ヨーロッパの火薬庫』という形容がすぐに出てくるが、それを想像させる行事が紹介されていた。

 いろんな言い方がある様だが、確か『リェリェ』とか『女王の行進』と言っていた。少しネットを検索すると次のようなことらしい。

 オスマントルコ時代、トルコ軍により村の全ての男性が囚われてしまった。
 そこで彼らの奥さんや恋人達は、派手な衣服を身に付け、頭には造花で飾った男物の帽子、両手に鎌と髪の毛という格好でトルコ軍の野営地に向かうと、トルコの兵士達は、お化けが来たのかと思い、恐ろしくなって逃げていった。
 そうしてゴリャニの女性達は自分の夫や父や兄弟・恋人達を解放した。
 以来、聖霊降臨祭の祭日に、彼女達が着たのと同じものを身に付けてその出来事を記念するようになった。
 現在は、若い女性達が手に持つものが、鎌と髪の毛ではなくサーベルになっている。
 なお、ユネスコの世界無形文化遺産にもなっている。

 この記事を何故私が書いたかというと、掲載した写真では少し解り辛いかもしれないが、その帽子の全面に鏡が着けられていたからで、きっとその輝きにトルコ兵は怖気たのだと思う。
 そして同じことは古墳時代の銅鏡にもあったのではないだろうかと想像したからだった。

 記紀神話ではアマテラスが「これを私だと思って祀れ」と言ったから銅鏡は広まったといわれているが、それ以前に天孫族の銅鏡の輝きはまつろわぬ民を驚かしたことだろう。
 古代道教が呪具としたことが主たる理由かもしれないが、直接的にはクロアチアの『女王』のように使われたのではなかったか。
 美しい女性たちがサーベルを掲げて行進する、クロアチアの行事を観ながらそんなことを考えてみた。

 写真を追加!!
 矢印のところに鏡!!

2018年8月2日木曜日

内ミンミン

 夏休みに入って週に2日孫の夏ちゃんと遊ぶことになった。
 一人っ子のせいか此の頃トミに恥ずかしがり屋になった。
 裏返しで祖父ちゃん祖母ちゃんには生意気に口答えをする。

 そこで祖父ちゃんが、「夏ちゃんみたいな子のことを何というでしょう」「1 内大仏、2 内弁慶、3 内ミンミン」とクイズを出し、内弁慶の説明をした。
 すると「祖父ちゃんはソファーに座ったままの内大仏で、宿題しろとか蝉みたいにうるさい内ミンミンだ」と言い返してきた。
 〽内弁慶、内弁慶! と囃し立てると、〽内ミンミン、内ミンミン!と返してきた。

   先日はわが家に来た途端セミ捕りに行き、クマゼミとアブラゼミを捕ってきて、部屋の中に解放した。
 夏ちゃんは最初はその大きな声と羽ばたきに逃げ回っていたが、そのうちにポケットに入れたり祖父ちゃんの頭に止まらせたりして遊びまくった。

 結果、ゲーム機は一度も出さずに夏休みらしい一日とすることができたが、今後どのような企画で過ごさせようかと頭が痛い。

 「今度はセミを料理して食べてみようか」と誘ったが、即拒否されてしまった。

2018年8月1日水曜日

朝ドラが半分辛い

 『半分青い』の主人公は片耳が聞こえない。その子どもがおたふく風邪に罹って縁者が親と同じになるのでないかと心配する。
 その場面を辛くて見ていられなかった。

 孫の凜ちゃんは心臓その他に障害を持って生まれたので、長い間音に反応しなかった。
 相当経ってからの検査の結果はドラマの主人公と同じだったが、正直にいうと「片方は聞こえてよかった」と感謝した。

 さて、「普通」とは何だろう。
 3歳の誕生日を迎えた凜ちゃんは「普通」の子の1歳に近づきつつある(1歳未満の)段階だ。
 世間の祖父母は孫の将来を夢見て楽しい話題で盛り上がるのだろうが、私たちにとってそれはない。口を開けば心配事が出てしまうから語りたくない。
 ただ過去を見て、誕生直後に救急車がたまたま大学病院に向かってくれたのがよかった、2度の心臓手術も悪くなかった、ゆっくりではあるが「1歳に向かって」成長している、と感謝するだけだ。

   自民党の杉田水脈議員流にいえばこの孫には「生産性」がないのかもしれない。
 医療や福祉として受け取る税金は「無駄」の塊と杉田議員は言うのだろう。

 以前の住居の近くに福祉センターがあり、ご近所に重い障害児を抱える家庭もあり、実母がボランティアに参加していたから、「この世には”今障害のある人”と”今後障害を持つであろう人”でなっている」ということも知っていた。
 それでも正直にいうと、孫が医療や福祉で受け取るサービスには申し訳ない気持ちがないことはない。

 だから、「そんなことはない、基本的人権ではないか」ということも、当事者としては大きな声では躊躇する。
 世のため人のためには躊躇してはいけないとは思いつつ。

 でも、はっきり言わなければならない。「生産性は生きる全てですか」。
 東京版には30日に載ったのだろうが朝日新聞大阪版「声」31日に、栃木県酒井純子さんの投稿が載った。
 酒井さんはよく言っていただいた。勇気がいったことだろう。

 付け加えれば、杉田議員の主張はナチスが障害者を大量虐殺した優生思想である。それを咎めない自民党も肯定していると断じなければならない。
 「杉田議員は辞職しなさい」と多くの人々(健常者)が声をあげてほしい。