2020年2月29日土曜日

ズーッと騙されてきた

   国会では嘘が蔓延しているから「自公維と振込詐欺には騙されてはならない」と眼(まなこ)を見開いて生きているつもりだが、ズーッと以前から孫のマンションの廊下にあったそれは、「もしかしてコノハチョウ?」とは疑ったこともあったが、「まさか」と思って、枯葉がクモの糸でくっついているものだとばかり信じてきた。

 もっと正確に言えば、「この枯葉のくっつき具合はまるでコノハチョウみたいだ」と(枯葉の様子を)感心していた。私の頭がそう倒錯していた。

 で先日、「もしや」と思ってしゃがみ込んで眺めてみると、クモの糸などは見つからず、はっきりと壁をつかんでいる脚が見えたではないか。

 擬態の見事さは進化論では納得しがたいものがある。この写真を見て神秘を感じない人とは話し合いたくない。
 で、神の領域を信じれば、この蝶は己を木の葉と信じ切っているのではないか。

   凍蝶(いてちょう)は己を木葉(このは)と思ふらむ

   吾は木葉と夢の中なる木葉蝶

2020年2月28日金曜日

毒の隣の春の味

   春を代表する山菜、フキノトウを採取してきたと言いたいところだが、花粉症のため山道に分け入る気力を無くしている横着者はスーパーでそれを買って来た。

 一般に山菜には「アク」と言われる天然毒がある。せっかくの若芽などを動物や昆虫に喰われないためである。
 フキノトウには別名フキノトキシンと呼ばれる毒があり、よく湯掻きこぼしてアクを抜くよう諸本に書かれている。熱や油には弱くないらしい。農水省は肝臓がんの危険さえ注意している。

   でもね、・・いったいどれくらい食べたらそうなるのか。
 私にはEUが輸入を禁じているアメリカ産牛肉の方が怖いと思っているが。
 それに、農水省のホームページのような、昨今の何でも禁じておけば責任が逃れられる的な風潮も快くない。

 そこで、強烈なふき味噌をつくることにした。
 フキノトウは包丁を入れた途端にアクが酸化して黒ずんでいく。時間との勝負である。
   だから、フライパンには事前に油を入れて熱しておいて、刻んだ途端のフキノトウを入れ、これも事前に準備しておいた味噌・みりん・砂糖による甘味噌を放り込んでかきまぜた。
 これでおしまい。

   フキノトキシンは残ったままだが、香り抜群のふき味噌が出来上がった。

 先に「どれだけ食べるねん」的に書いたが、控えておこうと思ってもお箸が止まらない。
 美味は毒の隣に棲んでいるらしい。

   ふぐ毒によく似た名前のフキノトウ
         (ふぐ毒=テトロドトキシン)

2020年2月27日木曜日

怪しい者たちの現代

224日、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が『新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解』を発表したが、次のような文言に私は驚いた。

 特に、風邪や発熱などの軽い症状が出た場合には、外出をせず、自宅で療養してください。
 ただし、以下のような場合には、決して我慢することなく、直ちに都道府県に設置されている「帰国者・接触者相談センター」にご相談下さい。
 (中略)
症状がなくても感染している可能性がありますが、心配だからといって、すぐに医療機関を受診しないで下さい。医療従事者や患者に感染を拡大させないよう、また医療機関に過重な負担とならないよう、ご留意ください。(引用おわり)

私の拙い常識では「病気は素人判断をせず、早い目に医師の診断を受けてください」というものではなかったか。
それを「重症化するまで医療機関に来るな」と言うのは信じがたいことだ。

韓国では25日16時現在の検査者数が40,304人だというのに日本のそれは24日12時現在913人(チャーター機、クルーズ船除く)、重なるが、大臣国会答弁では18日から24日の間に571人だという。何が「医療機関に過重な負担」だ。

安倍内閣の一連の隠ぺい、改竄、データ不正などと重ね合わせて考えると、これは「検査をすれば陽性者が出てくる」「軽症者はそのうちに治るだろう」「どんな手を使ってでも感染者数を小さくしたい、隠したい」の一念であるように私は想像する。

医療のことではないが本郷恵子著『怪しいものたちの中世』を読んでいるが、その本の冒頭の『はじめに』はこう始まっている。
日本の中世は、圧倒的に管理されていない社会である。強い者にとっては自由度の高さが嬉しいだろうが、弱い者は支援や保護を受けることができず、捨て置かれたまま顧みられない。自由と悲惨は表裏の関係にあり、強者もいつなんどき弱者に転落するかわからない。(引用おわり)
私たちは今どういう時代を歩んでいるのだろうか。

2020年2月26日水曜日

春のメンテ

 釣り師は道具の手入れをしているときから釣りが始まっている。
 登山家は地図を広げたときからだ。
 スキーヤーならシーズン前にそのメンテナンスをきっと楽しくするだろう。
 
   そこで私はというと、春の気配と共にBBQテーブルのメンテをした。
 古いBBQ炭コンロを捨て、カセットガスコンロとジンギスカン鍋の机に改造した。
 これなら孫の凜ちゃんも安全に参加できることだろう。

 ジンギスカン鍋は南部鉄のそれを引っ張り出してきた。こいつは貫禄があって気に入っている。
 ちなみにチンギス・ハーンの兵士が冑で羊肉を焼いたからというのは真っ赤な嘘で、松尾ジンギスカンの創業者が考えて南部鉄の業者に開発してもらったというのが真相だという。

   カセットコンロは今までのは少し大きすぎたのでコンパクトなのを購入した。
 購入に際して色々調べるところから楽しい作業は始まった。

 昔のコンロは結構高さがあったので座敷机の上に置くと背が高すぎて不便であったが、安全でかつ背の低いコンロが見つかった。これはよい。

   二番目には、それでいてジンギスカン鍋や少し大きな土鍋にも対応できるコンパクトなのを見つけた。
 そのコンロのポイントは、他の99%のコンロが四角い面の中央に火口があるのに、そのコンロはそれをボンベの反対側にずらしてあるのだった。コンパクトだが大きな鍋等に対応できかつボンベの上を塞がないから安全だ。(写真参照:コレ、すごくないですか)

 あとから考えると「な~んだそれだけのことか」ということだろうが、火口が中央でないというのは大袈裟に言えばコペルニクスとまではいわないが、見事な発想の大転換だ。
 こういう知恵にマミエタ時、私は名もない技術者魂に賛辞を惜しまない。

   島国にジンギスカン鍋のある不思議

2020年2月25日火曜日

検査しなければ感染は増えない

 私は自分自身の職業生活時代の経験からも、クレーマー(程度を超えた苦情屋)は嫌いだし、日々の生活ではその裏返しのような過剰反応をしないように心がけている。
 しかしこの頃、それに似た「過剰反応はするな」的な物言いで、実は権力者にとって意に添わぬ「当然の批判や意見」を封じ込めるかのような圧力を感じている。これはこれでクレーマー以上の大問題ではないだろうか。

 3.11の時もそうであったが、事実が報道されず、「健康には影響ない」的なアナウンスが繰り返され、果ては「現地で頑張っている人に失礼だ」的に批判が封じ込められたと思っている。
 モリカケその他の隠蔽、改竄、統計不正等々は紙面の都合で割愛するが、先日の神戸大学岩田健太郎教授の動画が削除されたのもほんとうは怖いことだ。

娘がわが家に置いて行った
ウイルスをやっつける機器
   安倍晋三個人が無能なことは言うまでもないが、その権力におびえて、新型コロナウイルス問題を小さく見せようと与党と厚生官僚が腐心するのは、国民の命にかかわるだけに許せない。

 インバウンド中止による経済的損失が嫌だ、習近平訪日で世論(支持率)を稼ぎたい、下手をするとオリンピックに影響する、等々という下心と行動は犯罪に値しないか。

 TBSによると、ダイヤモンド・プリンセス号で作業に当たった100人を超える厚労省職員が検査を受けずに下船し通常の出勤をしている。その理由が「陽性者が出たら通常業務に影響する」からだという。頭がどうかしていないか。現地入りした橋本厚労副大臣も無検査だ。

 「お寺だけ見て回って金を落とさずに大阪に帰ってしまう」は奈良県知事の言葉(恨み言)だが、これは当たっている。(今はそのおかげで問題は発生していない)
 そこでだが、その大阪は「ここは何処の国だ」と言うようにこの間まで混んでいた。買い物をして、食べて、泊まっていた。
 ところが大阪府の検査結果の発表では陰性126件、陽性1件となっている。ありがたいことである。「広く流行が認められている状況ではありません」とも発表されている。しかし、なんと1月29日から2月19日の間の検査数はそもそも655件だという。

 世の中には「正常化バイアス」というものがあるが、「正常でない」私などは「大阪府で検査数655件。嘘やん」と思ってしまう。
 あの大阪某所の大混雑でこういう結果であるなら、日本国中のニュースはいったい何なのだろう。
 私の心配が正しいのか、大阪府広報が正しいのか。私が心配性であったという結末になることを祈ってはいるが。さて。


 大神ひろし氏のツイッターによると、
 【新型コロナウィルスの対策予算】
 香港自治政府 :3500億円
 シンガポール :5000億円
 日本              :   150億円
   【新型コロナウィルスの検査件数】
   韓国 :16000件以上
   日本 :        800件程度 (転載おわり)
 答「検査をしなければ感染者数は絶対に増えない」。嗚呼、この法則を何と呼ぶ。

 * (補足)厚労省発表2月21日現在チャーター便を除くPCR検査者数は693人(チャーター便は829人)だから、大阪府の655人はほんとうだろうか??? どうもツジツマが合わない気がするが。

2020年2月24日月曜日

紙手(こうで)

   芭蕉の有名な句に「水とりや氷の僧の沓の音」がある。「籠(こも)りの僧」と書かれているもの(芭蕉翁発句集など)もあるが「野ざらし紀行」は「氷」らしい。
 氷と籠りについては大論争があり定説は氷らしいが、私個人としては籠りであった方が句としてすっきりする。

 「水とり」つまり東大寺二月堂のお水取り(修二会)は天平勝宝4年(752)から途絶えることなく続けられ今は1269回目の諸行事が粛々と進められている。
 
 さて、それくらい伝統ある法会(ほうえ)であるから珍しいしきたりも多い。
 タイトルの紙手(こうで)もその一つで、紙衣(かみこ)と同じ仙花紙(せんかし)で作られた状差しのようなもので、二つ折りにして参籠宿所の壁に貼りつけて紙類などを差し入れて保存するのに使うのだという。
 これは普通、練行衆一人に10枚前後の「紙手」の奉納があるそうだが、参籠宿所の壁に貼れるのは2枚だけという決まりとのこと。籤で配分されるらしい。

 過去に使われたその一部が東大寺ミュージアムに展示されていたが、杉本健吉氏や須田剋太氏ら著名な画家が絵を書いて寄進している。
 その中に、21世紀の風狂の俳諧師と呼ばれているらしい中原道夫氏の作品?もあり、撮ってもいいというので撮らせていただいたのが掲載のものである。
 句は「鬼もまた こころのかたち 豆を打つ」で、なるほど、外部からやってくる鬼(邪気)にばかり気持ちが行っていたが、自分の中にも鬼がいるとはと妙に感心した。

 新型肺炎のことだけでなく、現代日本人はもっと自省が必要な気もする。
 自民、公明、維新の与(+ゆ)党の皆様に聞かせたい。

   内にいる鬼に豆を打ちつけよ

2020年2月23日日曜日

野良鹿

   ネット上に「中国人観光客激減で煎餅の貰えぬ鹿が空腹で狂暴化」との書き込みがあり、㈶奈良の鹿愛護会が「そんなことはない。煎餅は主食でなく鹿のおやつ程度」と反論していたが、22日の午後4時過ぎ、近鉄奈良駅前の『東向き北商店街』で野良鹿?に遭遇した。

 夜ならまだしも、雨の後とはいえこんな商店街に昼間から集団で闊歩しているのは珍しい。
 商店の前の植木鉢の木の葉を食べたり、どこで手に入れたのかは知らないがリンゴを食べたり、私の感覚では鹿は空腹だと想像できた。

 谷幸三先生の講義では「今の頭数は自然界のキャパを超えている」らしいから、「狂暴化」は言い過ぎにしても、少し餌不足ではないだろうか。

 それにしても、いわゆる奈良公園の外の街中の商店街を鹿が闊歩している絵はすばらしい。
 元気な皆さん! 現在の奈良観光はすばらしいチャンスです。
 観光業関係者の援護のためにも、よかったらお越しください。
 静かな古都を堪能できます。

   鹿が来て誰も驚かぬ商店街

2020年2月22日土曜日

禊(みそぎ)に思う

 以下は単なる私の感想だが、テレビから「手を洗うよう」「うがいをするよう」「マスクを着けるよう」というような言葉が溢れてくるのを聞くと、「ああ、それは禊だな!」と私は感じている。

 古い史料を読んだりすると、人々が恐れたものは気候変動や火山活動による飢饉もあるが、今でいう感染症の蔓延を非常に恐怖してきたことが判る。
 国という概念が正確ではないが、国民の半数が亡くなったという史料もある。
 御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)ということからも事実上の初代天皇とも考えられている3世紀後半の可能性もある崇神天皇の即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われたと記紀にある。
   感染症の筆頭は天然痘かもしれないが、今でいう新型インフルエンザや昨今の新型肺炎のようなものもあったに違いない。

 当時の人々がその原因を考えた結果が「鬼」や「荒ぶる神」の発見であった。
 と思うと、節分の豆まきも真剣な行事だったと思われる。(というような歴史を想像しながら豆まきをしてもらいたい)
 鬼をもう少し抽象化するとそれらは穢れ(けがれ)であって、単純に言ってしまうと汚れを抽象化したものではなかったか。

 だから、穢れを祓うためには禊が必要で、その一番簡易な方法が手水(ちょうず)で、手を洗い口を漱ぐこととなっている。
 また、大事な祭事では、穢れているかもしれない人間の息や唾が神仏に及ばないよういわゆるマスクをつける寺社は少なくない。
 なので、新型肺炎のニュースを聞きながらこれは「禊が必要だ」と私は想像したわけである。

 となると、わが家も玄関を入ってすぐにアルコール消毒液を置いてはいるが、ほんとうは玄関の外に手水舎を建てる必要があったかもしれないが、それは無理だから、それに代わる方法を少し考えこんでいる。
 この文章のまとめは「先人の知恵は馬鹿にできない」ということになる。

 誰か言い出すのではないかとテレビを見ていたら、やっぱり「想定外」と発言した人がいた。貴方はこの世の何を想定できているのですか。

   為政者の魔法の言葉は想定外

2020年2月21日金曜日

星空

   星空は得手な分野ではない私だが、近頃の「宵の明星」の明るさ、明け方の木星を抱えた「イスラムの新月」には感動を覚える。

 普通のカメラで金星や木星を撮っても面白くないので、前述の感動とは関係ないが「オリオンのベルト」を掲載する。

   ただオリオンは現在大注目の星座と言われている。
 狩人オリオンの右肩の位置にある赤色巨星ベテルギウスが、約100年ぶりの暗さになっているのだ。 
 通常、ベテルギウスの明るさは、夜空の恒星の中で上位10位に入っているが、ベテルギウスは201910月から暗くなってきて、12月中旬には上位20位にも入らなくなってしまったという。(20日の夜には見えなくなっていた)
 ベテルギウスは変光星で減光自体は特に奇妙なことではないが、天文学者たちは超新星爆発が起きないかと注目しているらしい。
 もし超新星爆発が起きたら、一時的に満月よりも明るくなり、やがて暗くなって、夜空から永遠に姿を消してしまうという。

 そういうスケールのことを考えると、国会のバカバカしい政府答弁にも怒りが沸かないが、いやいや「それとこれとは別」と気を引き締めている。

2020年2月20日木曜日

古池や

   NHKの「英雄たちの選択」で芭蕉が取り上げられていた。
 その冒頭、著名な俳人長谷川櫂氏をはじめとするゲストの皆さんや磯田道史氏が芭蕉のイマジネーションの豊かさを褒め称える文脈の中で、「蛙は池に音を立てて跳び込まない」「蛙はスーッと音を立てずに池の中に逃げるものだ」「芭蕉のイメージの中で跳び込んだのだ」「そうだ、そうだ」と言い合っっていた。

 そこで私は、寅さん流に「皆さん、さしずめインテリだな」とテレビに毒づいた。
 蛙は人の気配等を感じたらポチャン、ポチャンと普通に音を立てて池に跳び込む。何を言ってるのですかこの人たちは・・と私はあきれた。

 同じような経験は以前にもあった。
 子規19歳で初めて活字になった句に『虫の音を踏みわけ行や野の小道』というのがあり、近代文学の某先生は、この句について「踏みわけ行ったら虫は鳴き止むからこの句は写生とはほど遠い観念的な句である」と講義された。


 その折も私は些か同意しかねる気持ちになったことを覚えている。
 私が不同意と感じた主旨は、虫の音の盛りの頃は「踏みわけ行ったぐらいでは鳴き止まないぞ」「踏みわけ行ったら鳴き止むという定説なるものの方が観念的ではないか」という感覚だった。

 文学もイマジネーションも否定する気はさらさらないが、事実を直視せずに観念をもてあそんで解説する文学者は嫌だ。嫌だ、嫌だ。

   暖冬や田起こし前に鳬(けり)の啼く

2020年2月19日水曜日

椿餅

   17日の夜Eテレの「グレーテルのかまど」で椿餅(つばきもち)が放送された。
 特に紹介はなかったが「奈良まち」の「樫舎(かしや)」が一つの舞台だった。

 以前にこのブログに書いた「しんこ」もそうだが、奈良には主には寺社に納められている伝統ある和菓子があるのが楽しい。

 椿餅は「源氏物語34帖若菜上」に描かれていて「日本最古の餅菓子」とも解説されていた。
 そして、樫舎の主人は、納品する寺社ごとに、粒餡、白餡とか、道明寺、外郎生地等々の違いがあると話していた。
 道明寺大好きの私は楽しく番組を見た。

 18日、奈良に出かける用があった私に、妻が「できれば樫舎に寄ってきて」と命じたので、その夜は写真の椿餅を美味しく戴いた。
 
 奈良ではお水取りの準備が進んでいるが、お水取りと言えば堂内に椿の造花が飾られ、奈良の和菓子店でそれにちなんだ和菓子が出るが、こちらのそれは椿の花とは無縁な孤高の椿餅で、素朴であるが気品がある。

 観光業関係の皆様には申し訳ないが、例の感染症でインバウンドやらが止まって奈良公園は本来の寺社の街になっている。
 昔はお水取りのお松明もゆっくり見られたが、そんな時代の雰囲気だ。
 健康な皆様には、このチャンスに奈良公園(東大寺大仏殿・二月堂・法華堂、手向山八幡、春日大社、興福寺、奈良博物館等)を気持ちよく周ってもらいたい。
 18日の私は所要のため寄れたのは東大寺ミュージアムだけだったが、寺社や歴史好きの皆さんは今がチャンス!

   神仏に葉先を切って椿餅
 椿の葉は先が尖っているので、神仏にお供えするにはと葉先が切られている。

2020年2月18日火曜日

「こじゅうた」のこと

 2013年1月19日に、奈良の生駒では餅つきの時に使う餅箱のことを「こじゅうた」と言っていたことについてこのブログに書いた。
 もともとは「麹蓋」で、それを「かきもち」づくりの時に使用していたらしいが、それが進化?して餅箱のことも「こじゅうた」と言い慣わしてきたらしい。

 この記事に対して、2014年5月には交野の方からコメントがあり、記事から7年経った今回2020年、京都府南部の方からコメントをいただいた。

 じわじわ―としたものではあるが、ググって(検索して)いただいて話題が広がるのは楽しいことだ。
 昔からのならわしや言葉など玉石混交ではあるが、私たちの世代で途絶えさせてしまうのは惜しいものがたくさんある。
 
 先日は節分には「鬼は外、福は内、乾の隅のどっさりこ」と豆をまいたものだということを書いたが、誰かが書き留めておかないと歴史に存在しなかったものになってしまうかもしれない。
 自分では当たり前だと思っていた事柄が実は貴重な記録であったりする。

2020年2月17日月曜日

地に落ちたセーフティーネット

 新型肺炎のニュース、特にクルーズ船のニュースを見ていて、「どうして直ぐに全員の検査をしないのか」「集中空調だと思われる船内では感染を拡大させるだけでないか」と疑問に思われた方も多いだろう。
 そのうちに、「検疫官が感染した」「検疫官がマスクを再使用していた」というニュースになって、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた国もここまで劣化したかと嫌になった。
 ならば、その劣化は自然条件か何かのせいか。否、竹中平蔵の唱える新自由主義、すべてを短期の儲かる儲からないで判断し、儲からないセーフティーネットを徹底的に削減した自公政権の「行政改革」「定員削減」に大いなる原因があると私は思う。

 日本共産党神奈川県議会議員の君嶋 千佳子さんのFBには次のように書かれている。
 ● 日本の国立感染研究所は職員約300人。予算はこの10年間で3分の1に減らされ、年間約20億円。
 ● アメリカとの比較をすれば、過酷なことがよくわかる。米国C D C (疾病予防センター)は職員約15千人。年間予算約1兆円。
 ● 因みに2019年の人口は、日本約12602万人、アメリカ約32900万人。人口を考慮しても桁違い。
 ● 全国の地方衛生研究所は83箇所。神奈川含め直近の実態を早急に明らかにしなければ
そして、受け入れ医療機関も不足。病床数減らす事を、全国に押し付けている場合ではない。
 問題が起こるたびに炙り出される、この国の悲惨な実態。
 今回明らかになったのは、日本の「命軽視」の実態。(引用おわり)

 君嶋さんは神奈川県下の労働行政で働いていて、全労働省労働組合神奈川支部執行委員長もされていた。労働問題や社会保障に関するベテラン議員だ。的を射ている。

 さて、半藤一利・保坂正康著『そして、メディアは日本を戦争に導いた』という名著(文春文庫にもなっている)があるが、そこでは「メディアは売り上げで動く」「それは現代も同じだ」と喝破されている。
 対外的には中国や韓国の悪口を煽り、対内的には公務・公共を十把ひとからげに悪人に仕立て上げれば国民は熱狂すると。
 事実、こうして社会保障は削りに削られ、予算と行政は自公政権下で利権の宝箱になってしまったのはご存知のとおり。

 余分かもしれないが、国内で初めて新型コロナウイルスによる患者が確認されたのは116日のこと。129日の参院予算委員会で「政府対策本部は設置されているのか」と問い質され翌30日に対策本部を設置。131日にはWHOが緊急事態宣言を出したが、そこから2月14日に「専門家会議」を立ち上げると発表したまでに、実に半月もかかっている。


 2009年の新型インフルエンザの際は、WHOが同年424日に緊急事態を宣言すると、政府は同28日に対策本部を設置。3日後の51日には、尾身茂・自治医科大学教授を委員長とする「専門家諮問委員会」を対策本部の元に置き、初会合を開いている。これは、国内で初の感染者が確認された同年59日の8日前にあたる。なお、国内で初めて感染者が死亡したのは、同年815日のことだ。

 これらの事実からしても、現安倍内閣が弛緩しているというか大幅に劣化しているのは誰の目から見ても間違いない。
 それらのツケは、明日貴方の身に降りかかってきてもおかしくない。
 
 ついては、この国のこういう現状を憂うる方々には常識の前提となる正しい情報入手のため、是非ともしんぶん赤旗をご購読願いたい。
 そして、君嶋 千佳子さんを応援してほしい。
 私、勝手に君島応援団です。 

   (ひよ)鳴いて雨上がり知る部屋の中

2020年2月16日日曜日

インフルエンザにも注意

   2月13日夜のNHKニュースでは、中国の新型肺炎の患者数は59,804人となり、死者数も1,367人になったと伝えている。
 ただし、遺伝子検査でなく画像診断というから、少し大きめに出ている可能性はある。
 結論的には冷静に評価し正しく恐れる必要があるということだろうと思う。

 ただ、日本のマスコミには偏光(偏向)レンズ?がかかっているようで、アメリカでインフルエンザが大流行していることはあまり報じられない。おかしなことだ。

 アメリカの疾病管理予防センター(CDC)が28日付けのインフルエンザ感染の推計値を発表したが、2019101日から202028日までの累積の推計感染者数は少なくとも26万人、入院患者数は25万人、死者数は14,000人となっている。ええーっ、桁が違わないか。

 右翼の作家?などの中には「中国人を一人もいれるな」的な発言もあるが、その伝でいけば「アメリカとの行き来を封鎖せよ」であってもおかしくない。これは皮肉。

 私の言いたいことは、こんな健康の基本にかかわるようなことでも、日本のマスコミは嫌中国でアメリカには忖度?のお追従みたいだということ。
 どこの国発の感染症にしても、冷静に事実を知って正しく恐れる必要があると思うのだが。

 写真は鳥インフルエンザで一躍悪者にされた野鳥(ヤマガラ)だが、インフルエンザも肺炎もなんのそのと寒中水泳(水浴び)をしている。

2020年2月15日土曜日

ノムラカツヤさんのこと

   生前は結構悪口が多かったマスコミも、弔問儀礼で大いに誉めている。昔からノムラカツヤさんを評価していた私としては異存はない。
 大朝日新聞の天声人語が「現役時代の記憶はない」と正直なのも”時のなせる業”と言えようか。それよりも天声人語が語っているように、テレビの野球放送がセリーグとジャイアンツに極端に偏っていたせいでもある。

 1070年代東京に住んでいた時、息子にホークスのユニホームを着せていた頃、「あれ、どこのユニホーム?」「あんな球団あったっけ?」とすれ違いざまにささやいている声が聞こえたものだ。ノムラカツヤなんて知らないはずだ。

 おまけを言えば、酒屋さんにアサヒビールを注文していたが、「キリンでなくてよろしいの」と念押しをされた。
 今でも、あまり東京的なものが好きでないのもそんな原体験があったかもしれない。
 ただし、大阪を強調するためにわざと粗野な言動をして「これが本音や」というようなニセ大阪人も好きでない。

 ホームグラウンドであった大阪球場の跡はナンバパークスになっていてその一角に南海ホークスメモリアルギャラリーがあるが、ノムラカツヤさんの肖像権を管理する沙知代夫人との話がまとまらずノムラカツヤさんの写真等の展示が全くないのはいただけない。夫妻とも故人となられた今、前向きに解決してほしい。

   再生工場訃報明るき月見草

2020年2月14日金曜日

歯医者の問診票

 時限爆弾のように抱えていた奥歯がいよいよダメになって歯科に行った。
 そこの問診票に、抜歯の項目があって、「(抜歯は)・とても怖い ・怖い ・普通」という三択にチェックを入れるようになっていた。はて・・・

 「とても怖い」にマルをすればどんな選択肢が示されるのだろうか。
 看護師さんがギューッと手でも握ってくれるのだろうか。
 全身麻酔で夢見心地のうちに抜かれるのだろうか。
 結局「丁寧な説明」で説得されるぐらいだろう。
 それにしても、ええ歳の爺さんが「怖い」とも言えないから、虚勢でもここは「普通」かと思ったが、折角のお尋ねのようだから「怖い」にマルをした。

   しかし、医師はその意思表示には全く触れず、「もうだめですね。抜きましょう」と言って抜かれてしまった。
 あの問診票はいったい何だったのだろう。

 ネットで歯科医の問診票という画像がいっぱい出てきたが、抜歯が怖いかどうかを尋ねる項目は一瞥しただけでは見当たらなかった。
 写真のとおり、歯科治療全般につて怖さを尋ねるフォームがあったが0から10までの段階のどのランクの怖さかと聞かれても、非常に自省を求められる困難な意思表示になる。

 そんなもので、あのヒナガタの出どころは何処で何を想定しているのだろうと、不思議なまま抜かれて帰ってきた。
 そういう疑問について質問もできなかった軟弱者である。なにせ「怖い」にマルをしたのだから。

   問診票「抜歯怖い」にマルをする

2020年2月13日木曜日

目を見開いて

   私たちはトランプを買い被りすぎているのかもしれない。
 イランの核合意から脱退したと思ったら金正恩委員長と握手をしたり、一番のポチのようなアベシンゾーをコケにしたり・・・、
 すべては大統領選再選に向けたパフォーマンスという学芸会並みの単純なシナリオというのが本質のようだ。

 トランプは、過日は、主権国家の指導者であるイランのソレイマーニー司令官を殺害した。
 周知のとおり、テロリスト集団IS(イスラム国)はイスラム教スンニ派の原理主義者たちである。
 対立しているイランはシーア派で、ソレイマーニー司令官はIS掃討作戦の中心人物だった。(シーア派がよくてスンニ派が悪いと言っているわけではない)
 事実、司令官が殺されるという事態はISに取って願ってもないことで、ISは再び元気になってゲリラ戦を仕掛けてくるようになった・・とは、現在中東に行っている西谷文和氏のレポートである。

 西谷氏のFBのレポートは貴重である。
 日本のマスコミ下では世界の現状が全く見えてこない。
 と言っても、西谷氏のレポートでも中東のあまりに複雑な群雄割拠はなかなか理解できないというのがほんとうの感想だ。
 銃撃戦で相手が倒れたなら「アラー、アクバル(神は偉大なり!)」と叫び、こちらが撃たれれば向こう側で「アラー、アクバル」との声が上がるらしい。嗚呼。
 写真は長閑な冬景色だが、写真のメジロではないけれど、目をしっかりと見開いて情報を取捨選択しなければ、知らぬ間に誘導されてしまう。

2020年2月12日水曜日

口をつぐむな

   ツグミは春になると北へ渡ってしまうので、昔の人は「あの鳥の声が聞こえなくなったなあ」「きっと口を噤(つぐ)んでしまったのだろう」と思ったらしい。

 先日トランプの言いなりになって安倍内閣は、一切の国会審議を経ることなく中東へ自衛隊を派遣した。
 中東には先に掃海母艦を派遣しているが、去年の10月の航海日誌を共産党穀田衆議院議員が提出させたところ、写真のとおり10月24日分約1日分が黒塗りで提出された。

 黒塗り部分の最後には「解散、通常航海直(ちょく)とする」と記載されているから、黒塗り部分は通常航海ではない、微妙で緊張した状況があったに違いない。
 ずばり、イラン軍(革命防衛隊)との一触即発が疑われる。

   しかし、自衛隊という「軍事組織」がシビリアンのコントロール外で、紛争地帯に派遣され、一触即発の行動に直面し、それらが一切国会にも明らかにされないこの国とはいったい何だろう。

 戦前の大人たちに「どうして反対しなかったのか」という疑問があるが、このように何も知らされないまま既成事実が積み上げられ、ついには犠牲者が生まれ、一人一人は友人であった戦友のため、あるいは親族のためと憎しみ(あるいは自分なりの意味付け)を抱いて戦場に散ったのではなかったか。
 ツグミよ口をつぐむな! 我々もまた。

   春雷やホルムズ海峡の自衛艦

2020年2月11日火曜日

役小角(えんのおづぬ)

   ご存知のとおり、歌舞伎十八番の一つ『勧進帳』は焼失した東大寺大仏殿再建のための勧進に、東(あずま)へ下る山伏一行(義経と弁慶ら)の話である。
 芝居の話ではあるが、山伏が東大寺の勧進に廻るという筋立てに観客・庶民は全く違和感がなかったのだろう。

 奈良では現代でも、南都のお坊さんと金峯山寺の山伏が一緒になる行事等が少なからずある。(元興寺の節分会では山伏によって護摩が焚かれ火渡りの行事が行われる)
 東大寺を含め多くのお寺が山中で修行することは珍しくなく、明治の廃仏毀釈以前は神仏は集合しており、山岳修行のエキスパートでもあった山伏がごく普通に、寺社周辺で宗教行事を行っていた。
 そして、明治の国家神道成立時に一番弾圧された宗教の一つが修験道であった。

 先日、わが街の『ぶらりまち歩き』というパンフレットを見つけたら、自宅のすぐ近くのコースがあったので驚いた。
 メーンは家康が伊賀越えの際一泊した山田の里などだが、わが家すぐ近くの小高い丘の上の役行者石像に寄るというコース設定だった。
 この石像は寛政3(1791)年の銘文が彫られていて、大峰にまでは行けない人々がここへ詣でたと言われている。

 私は知っていたが妻が「そんなの知らんわ」というので一緒に散歩した。
 横に墓地があるので普通には人々の散歩コースでもないが、それだけに、すぐ下がニュータウンと呼ばれる住宅街だとは想像できないような、そして明治の弾圧など忘れたような平和な林の風情だ。
 ただ昨今、政権周辺には靖国・国家神道強制派が蠢動している。
 「一民族だ」「万世一系だ」などと副首相が発言してもジャーナリズムの反応は鈍い。
 天皇に弾圧された役小角像を見ながらそんなことを考えた。(文武天皇3年(699)流罪)
 自然に想定外などない。自然は好いことももたらすが恐ろしいことももたらす。そういう謙虚な自覚が日本の宗教の根幹ではないかと私は思っている。「アンダーコントロール」などと言う傲慢が社会をゆがめている。

   明治の狂見ていたであろう行者像

2020年2月10日月曜日

春の冬空と秋の主人公

   にわか俳人たちに問うが、立春が過ぎて本格的な冬空到来というのも皮肉っぽくて愉快でないか。
 私は俳句における季語を認めているが季語絶対主義者には疑問を抱いている。
 現実の自然という事実を軽視して季語の観念を優先するのはどうも馴染めない。

 ここ数日は西高東低の冬空だが風がないので天気予報士の言うほどの辛さはない。
 ただ、曇り空と低温が重なると、体よりも心が萎えてくるのが自分でもわかる。
 いっぽう、空が明るいとこれしきの低温など気にならず散歩にも出たくなる。

 散歩と言ってもほんとうに近所をぶらぶらするだけだが、遊歩道は豆まきの翌日のように見事な散らかりようだ。そして頭の上には冬の日を受けて真珠のような楝(おうち)の実が輝いている。豆まきの主犯は鵯(ひよどり)だ。豆は豆ならぬ楝の実だ。楝も鵯も季語は秋らしいが、立春過ぎの冬空に輝くこの現実に感動して悪いだろうか。

 8日は十五夜、9日は十六夜だった。月は秋というけれど、冴えきった冬空の満月も神々しいほど美しい。それでも月は秋ですか。

   「鬼は外したかのような鵯(ひよ)の面(つら)

2020年2月9日日曜日

神風のこと

 「日本は神の国であるから最後には神風が吹いて日本が勝つ」と敗戦までの日本では洗脳されていた。
 もちろん神風は吹かず、原爆2発と沖縄を占領されて日本は敗れた。
 そんな神風などというあり得ない宣伝を多くの人々がなぜ信用したかというと、元寇の歴史をそう教えられてきたからであった。げに恐ろしきは歴史教育と言えよう。

 モンゴルは言わずと知れた大陸の民族である。それゆえ元は属国とした高麗に命じて造船と動員を命じたのだが、高麗では約3年にわたって反モンゴル闘争(三別抄の乱)があり、元は足並みも士気も欠いたまま日本にやってきた(1274年・文永11年)。その上に大陸内部では予想できなかった台風に遭ったと考えられる。

 1281年(弘安4年)は、高麗主体の東路軍と本体である江南軍の出発の不一致もあり、台風もあるが、モンゴルに強制された朝鮮人・中国人の抵抗やサボータージュが大きな原因だったと考えられる。

 そしてここからが本日の本題だが、なぜ世界帝国元は三度目の正直で侵略してこなかったかである。

 実は元はこの時期、日本だけでなくベトナムにも主として海から3度にわたって侵略攻撃をかけていたのである。

 先日、東大寺の狭川別当による「アジアの仏教事情」を聴く機会があったが、その折別当がこのことに触れ「3度目の原稿がなかったのはベトナムのおかげです」と述べられたので、私も旧い記憶がよみがえってきた。
 と言っても記憶は正確でないので、横着ではあるが以下にWikipediaをコピペする。

 1258年の第1次元越戦争および1283年の第2次元越戦争の二度の遠征に失敗したフビライ・ハーンは怒りを募らせ、1287年に三度目の出兵、第3次元越戦争を行った。今回の遠征では元はクビライの息子の一人鎮南王トガン(脱驩)を総司令官として9万の兵力を投入した。加えて何百にもなる戦船と、張文虎将軍率いる数十万石の糧食を運ぶ船団も備えていた。
 今回の出兵にあたりフビライは「小国だからと甘く見てはいけない」とトガンに入念に説いたといわれる。
 128712月末、トガン率いる元軍が国境を越えて諒山、北江に攻め入った。陳興道(ベトナム語: Trn Hưng Đo チャン・フン・ダオ)の別名で知られる陳国峻は隘路や要害の地で戦いながら、萬劫(ハイズオン省チーリン)とドゥオン川流域の数ヶ所に軍を後退させた。

 明けて1288年になるとトガンが直接指揮を取った部隊が萬劫を占領して、長期戦を戦うための陣地を構築し始めた。同じくしてウマル(烏馬兒)将軍が指揮する戦船船団が海より白藤江を遡り、トガン軍と合流した。ウマルは張文虎の糧船船団を護衛する任務を与えられていたが、陳朝軍は阻止することができないと考え、萬劫へと向かったのである。

 陳慶余は、ウマルの戦船団が通過してしまえば糧船船団を攻撃できると考え、配属された部隊の一部を割いて待ち伏せした。数日後糧食を満載しているために鈍重となっていた張文虎の糧船船団を雲屯にて奇襲を仕掛け、糧船の多くを沈没または強奪した。

(白藤江の戦い)
 12881月末、軍隊を3つに分けて進軍したトガンは昇龍を占領したが、すでに都城の住民が朝廷の「清野」策(焦土作戦)を実行していて、もぬけの殻となっていた。元軍は陳朝の抗戦勢力を全滅させることができず、次第に守勢に立たされることになる。危機的な形勢に立たされたと判断したトガンは、萬劫に兵を引き、そこから水路と陸路の二手に分かれて本国へ退却することを決めた。
 元軍を全滅させ、国を解放する機会ととらえた仁宗と陳国峻は反撃を決断した。陳国峻は白藤江の潮位の上下を日々調べさせ、川底に杭を打ち伏兵を配した。

 12884月初め、ウマルが指揮する船団は、騎兵の護衛を伴いつつ白藤江を遡上した。戦船が杭を打ち込んだ地点に差し掛かると、陳軍の軽舟が出撃し、すぐに負けを装って後退した。懸命に追撃した元軍が伏兵された地点にたどり着くと、両岸から何千もの陳軍の小舟がなだれ込んできた。ちょうど潮が引きはじめた時刻だったとされている。元軍の船団は慌てて退却したが、干潮で水位が下がり顕わになった川底の杭に退路を阻まれ、多くの船が壊れて沈没するに至った。さらに陳軍は火をつけた筏を潮に乗せて流し、船団を炎上させたといわれる。生き残った兵士は川岸へと逃げたが、伏兵していた歩兵による奇襲攻撃を受けた。元軍の水兵は全滅し、ウマルは生け捕りにされた。
 トガンが指揮した部隊は萬劫より諒山の方向へ逃走し、陳朝軍の追撃を受けつつ広西に逃げ帰った。(引用おわり)

 東大寺別当は「これはベトナムでは教科書に載っていて誰も知っている」と話された。
 私はわが青春時代のベトナム戦争と重ね合わせて感慨深く聞いた。
 神風などという者はただただ歴史の教養を欠いているだけだろう。

   お花見の下見は寒し流れ橋

2020年2月8日土曜日

圧力一辺倒の結末

   北朝鮮による拉致被害者有本恵子さんのお母さんが亡くなった。ご存命中に問題が解決せずどれほど辛かったかと思うと胸が痛む。
 そもそも北朝鮮による拉致問題を昭和63年に国会で取り上げ、梶山静六国家公安委員長に「関与濃厚」との答弁を初めて引き出したのは共産党の橋本敦参議院議員だったし、当時の被害者家族の運動に一番寄り添い努力してきたのも橋本議員をはじめとする共産党だった。
 それを「反北朝鮮キャンペーンに使える」「結果として右翼的政権の支持キャンペーンに使える」と邪な思惑で利用したのが安倍政権である。
 そのあたりの経緯は元家族会副代表の蓮池透氏(蓮池薫氏の兄)の著作にも「家族の気持ちとは別に、右翼や自民党の選挙集会などに利用されていった」と詳しい。

 近年は、安倍政権による「対話のための対話はしない」という圧力一辺倒政策で、口先だけの「解決に努力する」というフレーズばかりが繰り返されるだけで、まったく外交努力がなされず家族の願いは放置されてきた。
 安倍首相の頭越しにトランプが金正恩と対話するようになってから、「あらゆる努力」と言い始めても後の祭りになっている。
 そういう意味で、安倍政権と安倍首相の外交は、無策というだけでなく、口先だけで被害者の心をもてあそんだ罪は大きい。
 安倍政権を支持する右翼の人々には何が愛国心なのかと問いたい。

 私は、西谷文和氏の『西谷流地球の歩き方』(かもがわ出版)を読んでいる。すべて命がけの現場主義であるだけにその一言一言が重く響く。
 長年の経済制裁で貧困状態のイランから、石油収入で裕福なイラクのスレイマニアに逃げてきた18歳の娘さんの話も、しかし実際は・・・。
 一口に「経済制裁」と言うけれど、制裁下にあっても独裁者は裕福な暮らしを続けていて、「経済制裁」は結局庶民生活を破綻させている。「経済制裁」で泣いているのは国の指導者ではなくイランや北朝鮮の「普通の人々」だと氏は述べている。
 これが現実なのだろう。

 「圧力一辺倒では解決しない」。この言葉をもっともっと大きな常識、世論に育てる必要があろう。
 ちなみに、戦争はそれに輪をかけたような愚策だろう。中東をぐちゃぐちゃにして、IS(イスラム国)のような鬼子を産んだのは米欧の軍事介入であった。
 地球環境の破壊という点でも一番の原因は戦争ではないか。
 「青い議論」と言われようが、理性的に見て外交以外に解決の策はない。
 幸か不幸か、一般に中東での日本の評判は悪くない(小泉以降悪くなりつつあるが)。(中国はシリアのアサドを助けていて評判は良くないらしい)。
 安倍政権を退場させて憲法9条に基づく外交を展開するならば、日本は世界の調停役になれるのに。

   太陽と北風君は今もいる

2020年2月7日金曜日

貧しい冬鳥通信

 2月4日は立春だった。立春を「旧暦の正月だ」というのは誤解だということはこれまでに書いてきたが、暖冬の今年などは「立春=春のスタート」という古人の知恵(季語の世界)に全面的に賛同したい。

   「冬至十日もすりゃアホでもわかる」とは義母の口癖だったが、大阪でいえば、12月1日から10日の頃の日の入りが16時47分、冬至の12月22日が16時51分、元日が16時58分、そして立春の2月4日は17時29分だから、私でも春が来たと感じている。

 暖冬のせいでもないだろうが、ルリビタキは現れてくれない。とりあえずはジョウビタキ、シロハラ、ツグミで冬を感じている。
 ただイソヒヨドリはもう春のさえずりに似た美しい声を上げている。
 立春には、前日の節分の豆を食べにキジバトが朝からうるさかった。

   写真はヤマガラとシジュウカラで、通年いるにはいるがやはり冬によく目立つ。
 メジロも同じように冬によく目立つ。窓の外のセイヨウカマツカの赤い実を食べにメジロが集団でやってくるのをカーテン越しに眺めるのも楽しい。

 あとはエナガやコゲラが集団でやってきてせわしなく庭を飛び回り、そんなに急いで何処へ行くと言いたくなるように飛び去って行く。
 1月中旬から風邪が長引いたので、今年の冬鳥は窓越しに見ただけになりそうだ。

   恋歌の練習始めたイソヒヨドリ

2020年2月6日木曜日

マスクは再利用できる

 (1)奈良市では早々に新型コロナウイルス罹患者が奈良観光をしていたり運転手らが罹患したからしょうがないが、大阪市はそれほどでもないだろうと思っていた。
 そこで、大阪市内へ出たついでに片っ端からドラッグストアやホームセンターを覗いてみたが、やっぱり、マスクと除菌スプレー類の戸棚は空っぽだった。

 (2)かかりつけ医に行ったとき、診療開始前に奥で医師が看護師たちに指示している声が待合室まで聞こえてきた。
 曰く、いろんなルートを当たってもマスクが手に入らない。ついては使い捨てにせず、乾燥させたのち再利用して欲しい。
 新型コロナウイルスは12時間も持たないから、一晩乾燥させたら安全だという理屈らしい。私はその意見に基本的に納得する。

 (3)マスクは自分から他人への飛沫感染をセーブするが、外界のウイルス吸入をシャットアウトできないことは明瞭だ。
 こうなれば、何回も言うようだが、「マスク、手洗い」などという幼稚園のお勉強みたいなことを考えるよりも、外出を控えて美味しいものでも食べながら、ゆっくりして抵抗力を強めることだろう。
 政府も企業も「無理な出勤は絶対するな」と徹底することこそ一番の対策だと私は考える。しかしこの国ではそういう声は聞こえてこない。守銭奴か。

 (4)私は自分のであることの印をしたうえで、夜にマスクを屋外に干すことにした。ただし、花粉症までの期間である。

 (5)こんな肺炎やインフルエンザは昔からあったに違いない。もちろん、人間の行き来が今ほどではなかったにせよ、その原因を邪鬼の仕業と思い込み豆まきをした先人の気持ちも痛いように理解できる。
 はははは、新型肺炎は現代人が「あほらし」と言って豆まきをしなくなったせいではあるまいか。はははは。

2020年2月5日水曜日

ソマリアの非常事態

   2月4日付け朝日新聞によるとソマリア政府が国家非常事態を宣言したそうだが、敵はサバクトビバッタ数億匹。このままでは6月までに500倍になり、春に収穫時期を迎える農作物が喰われて深刻な食糧難になるようだ。

   愛読している『ざんねんな いきもの事典』によると、農作物が無くなると彼らの主食は『共食い』になり、ひたすら仲間同士で食べあう運命だというのだが、共食いによりバッタが減る前に人間が餓死してしまいそうだというのが非常事態宣言の意味。

   ソマリアというと、日本はアメリカの命に従い「海賊対策」と称して自衛隊を派遣していて、過去には派遣前の訓練で死者も出している。
 近頃はソマリア海賊のニュースなど聞いたこともないが「海外派遣している実績こそが大事」と言わんばかりに2009年以降10年を超えて今も続いている。
 サバクトビバッタも怖いが、憲法9条のなし崩し的蹂躙も怖いものだ。

 ジブチの自衛隊基地は今般の中東派遣の基地にもなる。
 国権の最高機関である国会の審議を全く経ずに中東派遣がなされた。
 どんな独裁国家だ、ここは。
   こんな大事な話題はすっ飛ばして、今日もテレビは俳優の不倫と謹慎芸人の評判を垂れ流すばかりだ。

   海賊以上に?怖いバッタの話は、前野 ウルド 浩太郎博士の著書をお読みいただきたいが、日本政府は、自衛隊を派遣する費用をほんとうにバッタ対策支援に振り向けるべきだろう。

 ソマリアの鬼は空からやってくる
 おまけ 孫の夏ちゃんがインフルエンザで休んでいたが、いざ登校というと学級閉鎖になったのでシェルター替わりにやってきた。
 そんなわけで、節分の豆まきどころではなかったというので、前日の凜ちゃんに続けて豆まきの連チャンとなった。
 祖父ちゃんに付き合ってくれているうちが華であろう。
 「祖父ちゃんもつらいよ」などと我儘を言ってはいけない。

2020年2月4日火曜日

やいかがし

   偉そうなことは言えないが、郷土の文化や伝統について語れない者が文化溢れる未来社会を語っても味わいがないように思う。
 そして、宗教は観念論の最たるものだと言って問答無用で排除したのでは、ほとんどの歴史・伝統を語ることもできないと思う。
 もちろん、時代の勝者・権力者によって作られたり歪められたモノゴトは数多いが、それを理性的な目で理解するのも大切なことである。

 そんな視点を頭の中に建てて、今年も2日の日曜日に友人のお寺で節分会を行った。
 「請われれば一差し舞え」という言葉もあるから誰もが嫌がったならば私が鬼役になろうかと考えていたが、友人のお連れ合いが二つ返事で受けてくれたので立派な宗教劇となった。
 ちなみに、有名寺社の豆まきでも気合の抜けた鬼役が散見されるから、小なりと雖も本格的で心のこもった宗教劇だった。
 もちろん、最後は「乾の隅にどっさりこ」と豆をまいて終了した。

   3日はイクジイの日であったので、夕方に庭で孫の凜ちゃんに豆まきをしてもらった。
 大きな声でしていたから、犬の散歩途中の町内の方々が「やあ、豆まきですか」と立ち止まって観賞?されていた。
 OAペーパーA4 500枚×5束の箱がちょうど頭にかぶるのにぴったりだったので、速成にしては良いお面ができた。と自画自賛。
 こんなことで厄が落ちるなどとは本気で思ってもいないが、今年もこんな行事ができたという現状に感謝・感謝。

 夕飯は言うまでもなく恵方巻がメーンであった。
 妻曰く「商業主義と言われようが、この行事は主婦(夫)の味方だ」と。
 この日は堂々と夕食の手抜きができる。(この話は先日書いた)

   節分行事の締めといえば焼嗅(やいかがし)。
 『サンマ等を焼くのは禁止』というマンション管理組合の話があったが、そこでは当然焼嗅(やいかがし)は『等』に抵触するのだろう。きっと。
 「焼き魚の匂いぐらい許容・受任すれば」と言うべきか、「その匂いが辛い」という意見を認め合おうと言うべきか。

   やいかがし鬼より嫌われる都会

2020年2月3日月曜日

原発運転差し止め判決が出た理由

 新 恭氏のブログ記事に少し感動をさえ覚えたので以下にご紹介する。短くはないが一読に値すると考える。

 20200125()ブログ 『樋口元裁判長が原発を止めた恐るべき理由』

 福島第一原発の事故が起きてからこのかた、全国各地で提起された原発訴訟で、原発の運転を止める判決を出した裁判長はたった二人である。

 そのうちの一人、元福井地裁裁判長、樋口英明氏は、121日に兵庫県内で行った講演で、なぜ裁判所が原発に「ノー」を突きつけたか、その理由を理路整然と語った。

 静かな語り口に、迫力を感じ、筆者は思った。ひょっとしたら、福島第一原発事故のほんとうの怖さを、政府も、原子力規制委員会も、電力業界も、そして大半の裁判官も、わかっていないのではないか、あるいは、わかろうとしていないのではないかと。

 「二つの奇跡」を樋口氏はあげた。それがなかったら、東日本は壊滅状態となり、4000万人が避難を余儀なくされたかもしれないのだ。

 樋口氏は2014521日、関西電力大飯原発34号機の運転差し止めを命じ、2015414日には、関西電力高浜原発34号機について再稼働差し止めの仮処分を認める決定を出した。電力会社にとっては“天敵”のような存在だった。

 樋口氏は原発について、しっかりと情報を集め、冷静に分析したうえで、確信を持って運転停止の判断をしていた。

 まず、福島第一原発が、どれくらいの地震の強さを受けたのかを把握しておこう。800ガルだ。震度でいえば6強。

 この揺れで、火力発電所と電線でつながっている鉄塔が折れ、外部電源が遮断された。地下の非常用電源は津波で破壊された。800ガルの地震が原発に及ぼす影響の大きさを記憶しておいていただきたい。

 福島第一原発は電源のすべてを失った。稼働中だった123号機はモーターをまわせなくなって、断水状態となり、蒸気だけが発生し続けた。水の上に顔を出したウラン燃料は溶けて、メルトダウンした。

 4号機でも空恐ろしいことが起きていた。定期点検中で、原子炉内にあった548体の燃料すべてが貯蔵プールに移されていたため、合計1331体もの使用済核燃料が、水素爆発でむき出しになったプールの水に沈んでいた。

 使用中の核燃料なら停電すると5時間でメルトダウンするが、使用済み核燃料はエネルギー量が少ないため45日かかる。しかし、使用済み核燃料のほうが放射性降下物、いわゆる「死の灰」はずっと多い。もし、4号機の使用済み核燃料が溶融したらどうなるか。

 菅首相の要請を受けて、近藤駿介原子力委員長が、コンピューター解析をさせたところ、放射能汚染で強制移住が必要な地域は福島第一原発から170km、任意移住地域は250kmにもおよび、東京都の1300万人を含め4000万人を超える人々が避難民になるという、恐怖のシナリオが想定された。

 不幸中の幸いというべきか、4号機の燃料貯蔵プールは偶然、大量の水によって守られた。ふだんは無い水がそこに流れ込んできたからだ。

 原子炉圧力容器の真上に「原子炉ウェル」という縦穴がある。ちょうど燃料貯蔵プールの隣だ。ふだん、このスペースに水は入っていない。

 だが、定期点検中だった事故当時、「シュラウド」と呼ばれる隔壁の交換を水中で行う作業が遅れていたため、原子炉ウェルと隣のピットは大量の水で満たされたままだった。そして、そこから、水が隣の燃料貯蔵プールに流れ込んだのだ。

 樋口氏は語る。「原子炉ウェルと貯蔵プールは別のプールです。水が行き来することはない。だけど、仕切りがズレた。地震のせいでズレたのか、仕切りが、たまたま弱くて、ズレたのかわからない。入ってきてはいけない水が入ってきた」。

 ふだんは無い水がそこにあり、入るべきではないのに侵入した。おかげで、4号機プールの燃料は冷やされ、最悪の事態は免れたというわけだ。このめったにない偶然。「4号機の奇跡」と樋口氏は言う。

 もう一つの「奇跡」は2号機で起きた。2号機はメルトダウンし、格納容器の中が水蒸気でいっぱいになり、圧力が大爆発寸前まで高まった。圧力を抜くためにベントという装置があるが、電源喪失で動かせない。放射能が高すぎて、人も近寄れない。

 当時の福島第一原発所長、吉田昌郎氏は、格納容器内の圧力が設計基準の2をこえた315日の時点で、大爆発を覚悟した。のちに「東日本壊滅が脳裏に浮かんだ」と証言している。

 ところが不思議なことに、そういう事態にはならなかった。水蒸気がどこからか抜けていたのだ。

 「多分、格納容器の下のほうに弱いところがあったんでしょう。格納容器は本当に丈夫でなければいけない。だけど弱いところがあった。要するに欠陥機だったために、奇跡が起きたんです」

 福島第一原発事故の放射能汚染による帰還困難地域は、名古屋市域とほぼ同じ広さの337平方キロメートルにおよぶ。それだけでも、未曾有の人災である。
 しかし、二つの奇跡がなかったら、被害は国の存亡にかかわるほど甚大だったはずだ。

 たまさかの工事の遅れと設備のズレで4号機プールに水が流れ込んだ。2号機の原子炉の欠陥部分から蒸気がもれ、圧力が逃げた。本来ならマイナスである二つの偶然が、奇跡的にプラスに働いた。あのとき、日本の命運は、かくも頼りないものに寄りかかっていたのである。

 樋口氏が言いたいのは、原発がいかに危険であるか、もっと知ってほしいということだ。めったに起こらないことが起こっただけと高をくくってはいけない。
 原発がある限り、日本が崩壊する危険性と隣り合わせであることを自覚してほしいということだ。

 「二つの奇跡」の話、知っている国民がどれだけいるだろうか。そして、原発の耐震設計基準は、大手住宅メーカーの耐震基準よりはるかに低いことを知っているだろうか。

 福島第一原発事故では800ガルの揺れが外部電力の喪失を引き起こした。800ルといえば先述したように震度6強クラスだ。その程度の地震は日本列島のどこで、いつなんどき起こるかしれない。

 2000年以降、震度6強以上を記録した地震をあげてみよう。鳥取県西部6城県北部6能登半島沖6新潟県上中越沖6岩手県内陸南部6東北地方太平洋沖7▽長野県・新潟県県境付近6静岡県東部6宮城県沖6熊本7▽北海道胆振東部7▽山形県沖6強。これだけある。

 ガルで表せば、もっとわかりやすい。大阪府北部地震は806ガル、熊本地震は1740ガル、北海道胆振東部地震は1796ガルを観測している。

 三井ホームの耐震設計基準は5000ガル。すなわち5000ガルの揺れに耐えるよう設計されることになっている。住友林業の耐震設計基準は3406ガルだという。

 それに対して、原発の耐震設計基準はどうか。大飯原発は当初、405ガルだった。なぜか原発訴訟の判決直前になって、何も変わっていないにもかかわらず、700ガルに上がった。コンピューターシミュレーションで、そういう数値が出たと関電は主張した。

 たとえ700ガルまで耐えられるとしても、安心できる設計ではないのは、これまで述べてきたことで明らかであろう。

 樋口氏はため息まじりに言った。

 「原発は被害がでかいうえ、発生確率がものすごく高い。ふつうの地震でも原発の近くで起これば設計基準をこえてしまう。電力会社は400とか700ガルの耐震設計基準で良しとして、大飯原発の敷地に限っては700ガル以上の地震は来ませんと、強振動予測の地震学者を連れてきて言わせる。信用できないでしょ。“死に至る病”を日本はかかえているんです」

 首相官邸の影響下にある最高裁事務総局の意向を気にする“ヒラメ裁判官”がはびこるなか、政府の原発再稼働政策に逆らう判決を繰り返した気骨の裁判官は、原発の危険性について、ここまで掘り下げ、分析したうえで、結論を出していたのだ。

 20145月、樋口氏が福井地裁の裁判長として大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じたさいの判決文にはこう書かれていた。

 「原子力発電は経済活動の自由に属するが、憲法上、生命を守り生活を維持する人格権の中核部分より劣位に置かれるべきもの」

 人の生命や生活のほうが、経済活動の自由より大切であると、日本国憲法を根拠に断定した根底には、「原発は被害がでかいうえ、発生確率がものすごく高い」という樋口氏の認識があった。

 「3.11の後、原発を止めたのは私と大津地裁の山本善彦裁判長だけ。二人だけが原発の本当の危険性をわかっていた。ほかの人はわからなかった。それだけのことです」

 原発はどこも400ガルとか700ガルとかいった低い耐震基準でつくられているが、いまや日本列島全体が、それを上まわる強さの揺れの頻発する地震活動期に入っている。にもかかわらず、経産省・資源エネルギー庁シンドロームにおかされた政府は、電源構成に占める原子力の割合を2030年に2022%まで復活させるプランを捨てていない。

 繰り返しになるが、安倍首相ら政権中枢は、原発のほんとうの怖さをいまだにわかっていない、と断定するほかないだろう。国を滅ぼさないために、憲法改正より先にすることがある。原発ゼロ方針を内外に宣言し、実現のために一歩を踏み出すことである。

   薄めても同じ量には変わらない

2020年2月2日日曜日

恵方巻のこと

   いわゆる恵方巻(巻きずしの丸かぶり)は戦前から大阪の一部地域では知られていたようだが、大阪ずしの老舗である大阪船場の吉野寿司でも1950年代(昭和30年頃)には特段の売り出しはしていなかったと記憶している。(篠田統著「すしの本」には大正初めには大阪の一部にはあったとあるが)

 私の知る限り昭和30年過ぎの頃、大阪海苔問屋組合が力を入れて大阪鮨商組合がそれに乗って大々的にチラシを作って(何回目かの)宣伝をし始めた。
 遠い記憶ではあるが、中国か日本の古典を引いて、そのようなものを丸かぶりにすると厄が払えてよいことがあるというような結構格調のあるものだった。
 大々的に販売を増やそうというのに、巷間伝えられている「花柳界のしきたり」みたいなアホな宣伝ではなかった。

 そういうチラシを見せて「これからこういう宣伝をしていくのだ」という父の話を聞いていた私は小学生であったが、流行の先端に接している気分になっていた。
 が、両組合の宣伝戦略は功を奏しないまま時は流れた。
 で、1970年代にチェーン店を持つスーパーが販売戦略にこれを掘り起こしてから、テレビが報じるに及んで今日のブームとなった。

 そんなもので、「商業主義の産物だ」「売れ残りが勿体ない」とかいろいろ批判めいた反論も含みながらも、バレンタインデーや土用の丑の日やハロウィンに伍してデパートやスーパーの「年中行事」の座の一角を占めるまでになってきた。
 私が現職で某事務所の所長であった際も、福利厚生としてその日には全職員に老舗の恵方巻を配って喜ばれていた。

 それにしても、結果論だが、このデパートやスーパーの宣伝が広まったには深い理由がある。
 それは、これを理由に、主婦(夫)が夕食を手抜きできるという大きなメリットのことである。
 わが家でも「今晩何にする」と聞かれて、「何でもええ」と答えると妻の機嫌は悪くなる。毎日毎日の献立に費やす主婦(夫)のエネルギーはすごい。
 それが、この日は堂々と「節分やからね」と恵方巻とイワシで夕飯は済むわけで、それに文句を言う相方には「伝統は大事にせな」と言えばよいのである。
 そういう意味では、主婦(夫)層に絶大な支持が生まれたのだと私は分析している。
 いったん恵方巻のメリットを覚えた主婦(夫)が生まれた限り、このブームは持続するに違いない。
 日頃夕食も作らずに「商業主義だ」とかなんとか演説する配偶者は世間の情を知らないと言うしかない。

   夕飯の煩い落とすや恵方巻