2022年6月30日木曜日

軍拡論に反対する

 私は以前に自衛隊の非常に地位の高い方とお付き合いする機会があった。
 その方のお宅の何人かでの酒席で、いきおい「○○さんはやっぱり9条改正論ですか」となったとき、きっぱりと「憲法は改正はしてはならん」と言い切られたので少し驚いたことがある。

 趣旨は、9条の縛りがあるから暴走の危険がないというような話だった。
 ミグ戦闘機事件というのがあったが、国民が知らない間に三沢基地の自衛隊は家族を皆帰郷させていたという。つまり、戦闘の一歩手前だったがシビリアンコントロールが効いていたらしい。

 昨今の、軍事費倍増、敵中枢部先制攻撃、NATOの会議への参加、憲法改正論議を聴いていて、戦前・戦中派の自然退場と共に、どこかタガの外れた議論が気にかかる。

 「軍事対軍事」というのは早い話がロシアや中国以上の軍事力を持てと言う話だが、ウクライナの現実のとおり、最後は兵隊=人間が赴いて占領しなければならない。
 現実の戦争はドローンやミサイルだけでは終わらず、必ず人間=兵隊が占領地を実効支配する必要がある。

 つまり、ロシアや中国の軍事パレードに匹敵する国民の徴発が必要だし、ロシアの現実が教えているように、戦争に賛成しない罪、徴兵拒否の罪、問答無用でそれらを裁く軍事法廷などなどが表裏一体にならなければならない。
 昨今の「軍事力強化論」は、そういう夫や息子や孫が徴兵される。挙句は「演習だ」と言って戦地に送られる、そして死亡する、そういう内実だと理解することが必要だ。近頃は女性兵士も埒外ではなくなっている。

 軍拡論者の修飾語は、「国を守る」「ウクライナのようにならないように」というのだが、論旨を直線的に延長すると、「ロシアのような国にしよう」である。ほんとうにそんなことでよいだろうか。

2022年6月29日水曜日

鱧の皮

   鱧の皮(ハモノカワ)のことは6月10日の『歳時記食堂』に書いた(最終行に貼っておく)。

 上司小剣の小説『鱧の皮』は今ではネットで読むことができる。明治・大正時代の大阪ミナミの風情が伝わってくる。時代は相当離れるが、その感じは私などでも懐かしく感じさせる。

 さてミナミといえばコロナ前はインバウンドがすごかった。京都ではオーバーツーリズムが大いに問題になっているが、ミナミに関しては問題意識が希薄なような気がする。「さすが京都だ」と羨ましい。
 アフターコロナが語られているが、ミナミは反省なしに「夢をもう一度」と突っ走る気だろうか。

 ミナミはもともと大娯楽地であったし上方文化の拠点の大きな一つであったから、ツーリズムも人込みも結構と思うが、中国都市部からの観光客が「中国では既に失われた古臭い街」に感動して化粧品や電気製品を爆買いするというあんな「インバウンド」礼賛は街の自殺行為に思えてならない。
 ずーッと昔東京に住んでいたことがあるが、大阪に比べて劇場や美術館や公園の多さに圧倒されたものだ。大阪のブランド力の低下について無関心すぎないか。

 維新の府市政はもうヤケクソでカジノによる大阪改変で利権拡大を目論んでいる。
 ノスタルジアでいうわけではないが、大阪の街の品格は風前の灯火ではないか。
 歴史と文化を大事にしながらの大阪経済の発展を期待したい。そのポイントは庶民の懐を豊かにしての購買力の向上である。
 維新が「身を切る改革」という宣伝で実際にしてきたことは行政関連職員の定員削減、外注、非正規化で、実際は消費を冷え込ませることばっかりだった。そして、福祉やセーフティーネットをボロボロにして、コロナでいえば人口比の死者数ワーストということだった。(その酷い死亡者数だって計上漏れがあったという。保健所機能の低下が原因だ。オーバーフローだ)
 「大阪はええかげんにせなアカン」と、ハモノカワを食べながら、大阪の再生を妻と語っている。

 『歳時記食堂』https://yamashirokihachi.blogspot.com/2022/06/blog-post_10.html

2022年6月28日火曜日

悪茄子(ワルナスビ)

「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」は義父の口癖だったが、その言葉が解りかけた頃には義父はいなくなっていた。
 アフリカの諺の「老人が一人死ぬことは図書館がひとつ無くなることだ」と同じ箴言だと思う。
 例えに使われた茄子の花は無駄花がないという積極的評価による。

   一方、旺盛な繁殖力で駆除できず、道端や荒れ地に咲いている此方は、煮ても焼いても食えないし、棘がきついし、牧場で家畜が食べたりすると有毒である。悪茄子(ワルナスビ)とはよく言ったものだ。

 野菜のような顔をした有毒の外来雑草。もう一度言うが煮ても焼いても食えない。

   さて、参議院選挙真っ最中である。京都では維新と国民が手を組んでいる。
 それを野合などという気はない。正体を表したと私は見ている。

 梅雨の頃、黴の如く出現している、野菜の顔をして有毒のワルナスビ、こういうものを繁殖させてはならない。

 親の意見のつもりで聴いて欲しい。

2022年6月27日月曜日

詐欺師は嗤う

   テレビのニュースが「高齢者が騙されて8000万円騙し取られた」と報じていた。数日前には「4000万円騙し取られた」ニュースがあった。
 8000万円の方は現金をレターパックで送ったというから、「持ってる人は持っているものだ」と変なところに感心した。

 少し冷静に考えたらわかるような嘘でも「その気」にさせるのが詐欺師の詐欺師たる所以だろう。
 ナチスの宣伝相は「嘘は大きければ大きい程信じ込めやすい」と言ったらしいが、世の中には悪い奴がいるものだ。

 いま丁度、参議院議員選挙の真っ最中だが、維新の「身を切る改革」なるキャッチコピーも同類犯だと私は思う。
 政党本部の収入の8割強を税金に頼っていて何が身を切るだ、改革だと言える。政党交付金8359億円というのは国民から強制的に徴収した税金である。
 さらに加えて、制度的には政党交付金が余った場合は返還すべきとなっているが、それを「政党基金」「支部基金」という名目で懐に入れていることもある。2020年度政党交付金使途報告書では「身を切る」政党は13億円強もそうしている。

 こういう事実を覆い隠して、物価対策だ、生活支援だという「口約」に一喜一憂していてよいはずがない。
 もう嘘つきは御免だ。そういえば公明党も「身を切る改革」などと言い出した。同じ穴の狢というべきか、類は友を呼ぶというべきか。

 こうなれば、政党では唯一政党交付金の受領を拒否し、政党交付金廃止法案を提出している日本共産党を推さない理由がない。

2022年6月26日日曜日

新聞広告

   26日(日曜日)朝日新聞朝刊を見てちょっとした感動を覚えた。日本共産党の全面広告のことだ。
 ここに掲載した「図」は小さいから一見細かな文字が詰まっているように見えるが、実際は文字も小さくなく、一言でいって簡潔明瞭、美しい。

 ニュースの編集など何らかの団体の「機関紙活動」の勉強では、「長いは短い」「短いは長い」と言われる。
 長い記事は読んでくれる人が少ないから「読まれた総量は短い」「短い記事は多くの人が読んでくれるから読まれた総量は長い」という。

 それほど単純ではないが執筆者なり編集者は気配りをせよということ。

 そして、私の個人の印象だが、これまでの共産党の宣伝物は「あれもいいたい」「これもいいたい」と、辛抱強く読んでくれた人には値打があるが、少しとっつき辛いものもなくはなかった。それが今度の全面広告だ。私の感動が判っていただけるだろうか。

【2】 別の紙面には公明党の新聞広告があった。一言でいって旧態依然、つまり進歩がないという印象を受けた。
 それよりも驚いたことがある。なんと、キャッチコピーに「身を切る改革」とあった。
 「身を切る改革」などという抽象的な印象操作でイメージ選挙をしようとする精神もいただけないが、それよりもそれは有名な維新のキャッチコピーのパクリではないか。

 若い方は知らないかもしれないが、公明党や前身の公明政治連盟などが発足した際、当時の中央、地方の選挙管理委員会(公的機関)のキャッチコピー(宣伝文句)は「公明選挙」であった。小学生でさえ、選挙と言えば「公明選挙」という文句が出てきたものだ。
 お判りだろう。この政党にはそういう悪癖が染みついていることを。 新聞広告をみて、ほんとうに私は腰を抜かさんばかりに驚いた。そこまでやるか。

原発フクシマ訴訟

   6月17日、最高裁第2小法廷は東電福島第1原発事故避難者に対して、国の損害賠償責任を認めない判決を下した。

 ただ4人の裁判官の中の一人、検察官出身の三浦裁判官は、判決文全54パージ中30ページを費やして反対意見を述べていて、私は「それでも地球は廻っている」と述べたとされているガリレオ・ガリレイ裁判を思った。

 「多数意見」は、「想定外の津波だったから国が対策をとらせたとしても原発事故は防げなかった」というとんでもない論立てだが、そうであるならば、「想定外」の気象災害が幾らも想定内であるこの日本列島に安全な原発など想定できず、原発の建設それ自体に国の責任が存すると言えるだろう。

 判決の「結果」だけを見て落胆する必要はないだろう。そして、三権分立の原則を踏みにじって司法や検察にまで人事介入をしてきた政権の不当性を再認識し、当面している参議院選挙を通じて、自公政権や電力会社の意向を受けて原発再稼働を目論む、維新や国民にはっきりとNOの意思表示を示さなければと私は思う。

 判決を乗り越える「審判」を選挙で示そう。
 日本共産党の比例代表候補には福島出身の現職の『いわぶち友』議員がいる。
 お父さんは私と同じ釜の飯を食った同僚で、全国のOB会の同じ仲間だ。
 故郷を、生業(なりわい)を、一瞬にして奪われた人々の悲しみを想像できる方々には、どうかこんな話を思い起こしていただきたい。

2022年6月25日土曜日

夏にはひまわり畑

   昔、アファンの森を造っていた故CWニコルさんの講演を聞いたとき、完成したアファンの森をニコルさん自身絶対に見ることができないのに何故そんな活動をするのか?という問いに、人間には見えていない未来を想像することができる、人間は夢を見る(抱く)ことができると話されていた。

 これはそんなに珍しい話ではなく、昔から造林業の人はみんな、孫や曾孫が伐採する夢を見ながら植林していたわけだ。

 というほど大層な話ではないが、今年は庭の一坪菜園について少し考えた。
 毎年なら、トマト、キュウリ、万願寺、ナス、ササゲなどをチョコッと植えているのだが、 2022年の春に漫然と踏襲するだけで良いのだろうかと考えた。
 発想の転換などと自慢する気はないが、今年はひまわりの苗を5つ移植した。
 ニコルさんではないが、頭の中ではプチひまわり畑が広がっている。

 ひまわり畑が何を意味しているかはご想像のとおりである。



 

2022年6月24日金曜日

処方箋の前には診断

   選挙になると平和や民主主義は票にならず、やっぱり物価や経済だ・・という声がある。
 「幸いなこと?」にプーチンの戦争のお陰で「生活苦の原因は全てプーチン」のようにすり替えて、あとは「万全の物価対策」だとか果ては「○○円支給」だとかの空手形の乱発が一定の効果を発揮する。

 しかし医学ではないが、処方箋の乱発の前にすべきことは、病巣の正確な診断だ。
 プーチンのロシアもひとつの大きな原因であるのは間違いないが、異常な円安が大きな物価高騰の原因になっていることは見過ごせない。

 その原因は、「異次元の金融緩和」つまりアベノミクスなる新自由主義にある。
 世界中がプーチン物価によるインフレ対策として金利引き上げを実施しているさなか、「黒田異次元金融」なら、円を売ってドルを買うのは小学生でもわかる。それが物価高騰の大きな原因になっている。

 さらにいえば「リストラこそ善だ」と人員を削減し、正規雇用から非正規雇用に切り替え、OECD加盟国中でも異常な賃金抑制策をとって、実体経済、消費購買力を落としまくってきたのでので、「日本」は買いたたかれている。

 消費税を5%に減税し、大企業の内部留保に課税し、消費者の生活を豊かにして経済を回す。それで雇用も増やし、社会保障の財源にも回っていく。これが当たり前の政治だが、マネーゲームで大儲けし続けたい大企業には通じない。

 かくしてホンキで経済を立て直そうとすると財界の醜い欲求と衝突する。
 それでも正論を吐き続け実行できるのは企業・団体献金を一切受領しない日本共産党だけだ。

 そこのところを押さえると、各党の「口約」の本気度や嘘が見えてくる。

2022年6月23日木曜日

世界の理性がウィーンに

   ウィーンで核兵器禁止条約第1回締約国会議に関わる「国会議員会議」が開かれた。

 口先では「核兵器廃絶」を唱える日本の各党が参加していない中、日本からは日本共産党笠井衆議院議員が参加した。
 締約国会議には、ほかに被爆者(被団協)、広島・長崎両市長らが参加している。

 いま参議院選挙まっただ中だが、巧言令色鮮し仁、裏表なく心から核兵器廃絶を訴える日本の良心がそこにあってホッとした。

 核抑止力論に関わって笠井氏は、ロシアが核兵器使用の威嚇を繰り返している現実が核抑止力論が無力である証拠だ、核抑止力とは、いざとなったらヒロシマ・ナガサキの惨禍を躊躇しないというのが前提だ、と指摘し、各国国会が被爆者を招いて被爆の実相を聴いて欲しい、と訴えて私は感銘を受けた。
 
 核兵器抑止力はチキンレースの論理である。核兵器抑止力が働く前提は保有国の指導者が「使いかねない」狂人であることであると大きな声で言いたい。

 会議のコーディネーターは、笠井議員の「被爆者を呼ぶ提案はとても良い」と応え、他国の議員からも賛意が寄せられた。

 確かに現実のプーチンの所業を見ると、ウクライナ側の軍事力支援に関わって軍事力に眼が行くのは判らなくもないが、そこが、熱狂というか狂信と理性の分かれ目ではないだろうか。
 私は現実のウクライナの自衛の軍事力を十分認めるが、今こそ立ち止まって、軍事対軍事、果ては敵中枢部先制攻撃などの議論ではない、集団平和条約の外交こそ語るべき時ではないかと考える。こういう時代だからこそヒトは冷静になるべきだ。

2022年6月22日水曜日

2番子

   この間巣立って行って空き家になっていたと思っていた巣に写真のとおり、2番子が揃っていた。
ツバメの子育ては普通2回だというから、親ツバメは働き者である。

 巣の周りでものすごいスピードで2羽のツバメが飛び回っていた。まるで巣の取り合いを争っているような不穏な飛び方だったが、まったくの勘違いで求愛のレースだったかもしれない。

 日本野鳥の会のニュースではツバメの子育ても大きく減っているらしい。
 巣作りし辛い建物が増えている。
 巣の材料=泥=田圃が減っている。
 人間が巣作りを嫌うようになっている。
 殺虫剤などで餌の虫が減っている。

 どれが主要な原因かは知らないが、野鳥が住み辛い環境は必ず人類にも跳ね返ってくる。

 孫の凜ちゃんのお陰で「ツバメ」の歌をよく聴くようになった。YOASOBIの楽曲でNHKの子供向け番組SDGsシリーズ「ひろがれ!いろとりどり」のテーマソングでもある。

あおあらし

   「いよいよ参議院選挙」とLINEをすると、「ロシアのことがあり厳しいかも」と心配してくれた友人がいた。
 日本で言えば、プーチンのロシアもロシア以前のソ連もその一番の批判者は日本共産党なのに、やはり誤解があるのかも。

 今現在でいえば、政党党首でいえば唯一日本共産党志位和夫委員長がロシア入国拒否になっていて、反対に、自民党のキングメーカー気取りの安倍晋三、維新の鈴木宗男らこそプーチンの「親友」だろうに。

 さて、選挙が近づくとテレビの「街の声」で、必ずと言ってよい程「投票には行かない」「誰に入れても同じだ」というような画面が流される。
 昔、森喜朗元首相が「選挙に感心のない有権者は寝ていてくれたほうが良い」といった通り、そんな「街の声」は自民党の援護射撃となっている。

 そんな中、19日の日曜日に東京の杉並区長選挙が行われ、市民と日本共産党や立憲野党の共同候補岸本さんが自公の現職に打ち勝った。
 推測だが、昨年の総選挙時の野党統一候補に対する凄まじい反共宣伝のことを思うと、この区長選挙でも冒頭に書いたような心配に似た攻撃があっただろうことは想像がつく。

 そして、投票総数172,786票中、なんと187票差で競り勝ったのだから、ほんの数人(200名弱)が「選挙に行っても変わらない」と足を止めていたら、、、、、。

 答は明確。期日前投票のことを考えると既に参議院選挙は終盤ともいえる。
 少なくない友人から激励の返事をもらった。「よかった。息子が杉並区に住んでいる」というLINEにも少し驚いた。
 LINEのない何人かにはニュースに追いかけてお便りも投函した。

   青嵐(あおあらし)雲吹き飛ばす杉並区

2022年6月21日火曜日

夫婦別姓と女紋

   結局、私の頭の底は古臭かったのか、私自身夫婦別姓についてあまり深く考え込んでこなかった。
 50年ほど前、同窓会の折友人に「待望の男の子が生まれてよかったね」と言って、女性の友人に「なんで男の子でよかったん」と批判されたことがあった。
 自分自身も結婚の際、妻の姓を採用するのは自分の親に申し訳ないような因習に囚われていた。
 そして、恥ずかしながら、この記事を書いている今もほとんど変わりはない。

 ただこの国の歴史や文化については興味があったので、夫婦別姓反対論者いうように「同姓が日本の伝統だ」というのは事実に反するとは思っていた。北条政子、日野富子の例を出すまでもないだろう。

 そんな折、法務省のホームページに次のとおりの『我が国における氏の制度の変遷』を見つけた。
◆徳川時代
 一般に、農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
◆明治3年9月19日太政官布告
 平民に氏の使用が許される。
◆明治8年2月13日太政官布告
 氏の使用が義務化される。(兵籍取調べの必要上、軍から要求されたものといわれる)
◆明治9年3月17日太政官布告
 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)(明治政府は、妻の氏に関して、実家の氏を名乗らせることとし、「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお、上記指令にもかかわらず、妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる)
◆明治31年民法(旧法)成立
 夫婦は、家を同じくすることにより、同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)(旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した)
◆昭和22年改正民法成立
 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)(改正民法は、旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ、男女平等の理念に沿って、夫婦は、その合意により、夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした)
 ・・・注目は明治9年の太政官布告だ。
 夫婦同姓は伝統どころか、旧民法以前の法制度では「別姓こそが原則」とうたわれていたのだ。

 現行制度に浸かって思考停止していた身としては、親と子の氏が違ったり、場合によっては子供同士も氏が違ったりした場合の違和感が十分整理されているわけではないが、圧倒的な諸外国ではそれぞれ現実的な対処をしているから、「氏が異なれば家族の一体感が壊れる」みたいな安っぽい意見は問題にならないだろう。

 家族の一体感に関わっては、妻から教えてもらった「女紋」のことがある。
 典型的には留袖などに用いる「家紋」で、夫の家とは別に、祖母から母に、娘に孫娘に次がれる女性用の紋である。だから、留袖などを着る公式行事の場合、夫と妻は別の「家紋」で正しいという。関西などではこの風習の方が主流だという。

 結婚後も「妻の財産」である証でもあるし、モノの本の中には「結婚しても離婚してもそのまま使える」という「利点」があげられているものもある。
 商品経済が発達し女性の地位も高かった西日本で定着し、武士の江戸や都から遠い地方では広まっていない。

 「家紋」なんて古臭い話だが、ルイ・ヴィトンのデザインが世界に広がっている時代でもあるから、娘や、息子の嫁には「女紋」を大事にさせてもよいと思っている。
 そもそも「反対論者」は「家紋が異なると家族の一体感が壊れる」と言うだろうか。
 そんなあれこれを少し考えた。今日はこれまで。

2022年6月20日月曜日

父の日に恐縮する

   父の日ということで子供たちが集まってパーティーをしてくれた。というと大層に聞こえるが、昼食に焼きそばを焼いてワイワイしたというだけのこと。

 先日某紙の川柳欄に、父の日は母の日のおまけみたいなものという趣旨の句を投句をしたところだが、子供たちの好意に訂正だ。

 プレゼントにグラニフのTシャツ(写真)をもらった。非常に気に入っている。私の情報内には全くないブランドだ。
 わざわざ滋賀の竜王で買ってくれたそうだ。
 思い切り着倒そうと思う。

 孫の凜ちゃんは初プールもした。
 楽しい父の日だった。嬉しい一日だった。




2022年6月19日日曜日

愛国の経済学

   昔、某テレビの番組で、自称愛国派の右翼の論客がひな壇に並ぶ中、日本共産党の小池書記局長が経済の話をして「大企業は応分の税負担をすべきだ」「労働者の賃金の引き上げに応じるべきだ」と語った折、ひな壇から雨あられのように「そんなことをしたら大企業は外国へ出ていく」との非難の言葉が降り注いだが、そのとき小池氏ひとつも慌てず、「大企業には愛国心がないのですか」と切り返し、ひな壇の面々が絶句して照れ笑いをするだけだったのは愉快だった。・・・ただ笑えないことは、大企業の売国的態度はその後現実のものとなったことだった。

 IMDというスイスのシンクタンクが発表している経済の競争力ランキングを見ると、日本は1991年には世界第1位であったが、2022年には34位にまで滑り落ちている。
 日本、アメリカ、EUの2001年から2020年の間の平均GDP成長率を見ると、名目では日本0.06%。アメリカ3.65%、EU2.59%で、実質GDPは日本0.46%、アメリカ1.73%、EU0.98%と、ここでも日本経済の停滞は明らかである。
 半導体産業やテレビ製造産業は1980年代には世界一のシェアを誇っていたが、いまや韓国や中国の企業に圧倒されている。
 自公政権が異常な肩入れを行ってきた自動車産業でも、いまや未来のスタンダードとなる電気自動車(EV)の生産・販売台数はアメリカや中国に大きく水をあけられている。

 そこにはいろんな原因があるが、看過できないひとつの事実をあげると、特に2000年代以降多くの大企業が目先の利益確保に走ってリストラを強行し、その結果、多くの日本の研究者・技術者が韓国、台湾、中国の企業に海を渡ったことがあげられる。
 日経新聞(2019年10月7日)は、2000年代半ばには数千人の日本人技術者が中国にいたと報じている。韓国のサムソングループ、中国のファーウェイグループのヘッドハンティングは有名だった。

 それは自公政権と経団連の経済戦略の失敗であるだけでなく、目先のマネーゲームで利益を確保し内部留保増やしに走った精神の荒廃、そして経済問題への無知ともいえる無策の結果であった。

 論争に悪口に似た物言いを使用するのはあまり好きではないが、事実このブログでも矜持として使用はしてこなかったが、同志社大学(院)の浜矩子教授がアベノミクスの出鱈目さを「アホノミクス」と名付けていたのは、ある意味的を射ていた。
 口汚く韓国、中国をけなしていたアベ政治が、大企業の目先の利益のお先棒を担いで、理論や学問、そして学者研究者の意見を毛嫌いして、結局全く無知、無策であったため、今日の経済崩壊を生んだわけである。

 さて、日本共産党の大門実紀史参議院議員は、「日本共産党は経済成長不要論は採らない」「社会保障の充実のためにも一定の経済成長は必要だ」「そのためには大失敗のアベノミクス。新自由主義の克服が一番肝心だが、岸田首相もそこへは踏み出さない」と指摘している。
 巷には、平和や民主主義の課題で日本共産党の主張に共鳴しても、雇用・収入に直結する経済政策では自民党政治から離陸することに逡巡している人々もいるように私は感じている。

 しかし以上のとおり、この間の日本の新自由主義・アベノミクスは、資本主義社会の中でも最低の劣等生だった。紙面の都合で割愛するが、異常な円安も同じことである。
 内部留保に必要な課税を行って賃金引き上げを誘導する。年金の引き下げをストップして消費税を減税する。そうして経済の循環を高めて経済も成長させる。
 正規雇用を増やし賃金を引き上げ経済を成長させる。資本主義経済でも「経済問題は日本共産党」の時代になっている。

2022年6月18日土曜日

写真が映った

   私の名前(長谷やん)こそ紹介はされなかったが、私の撮影した写真が全国放送のテレビに映った。

 『一撃解明・・ひと目でわかるナントカ』という番組のスタッフから、私のブログの写真を使いたいが・・というメールがコメント欄にあったのは最近のこと。

 奈良公園の鹿に関するストーリーの中でディアラインの解説に使いたいとの申し出だったので、私のブログもディアラインについて語ったものであるので快く承諾した。
 
 そして14日の夜、ほんとうに偶然に、ついていたテレビ(チャンネル)でこの番組が始まった。「あれ、例の番組と違うか」「そしたら写真が、もしかしたら映るかもしれないな」と妻と見ていたら、掲載した写真のとおり私の写真が紹介された。(直ぐに録画にして、翌日掲載の写真を画面から撮影した)

 ただそれだけのことであるが、番組制作者もネットを検索して材料を集めるんだということが解った。
 それだけに、ブログというものは文字どおり不特定多数と繋がっていることが実感された。実際、思いもよらない方からコメントをいただくこともある。
 世間は狭くなっている。「情報弱者」などというレッテルを貼られて取り残されないよう付いて行かなければ。

2022年6月17日金曜日

時代遅れ

   コロナと、また別の体調不良もあって巣籠が続いていたので、ほんとうに久しぶりに大阪市内に出た。そして、エキナカの様変わりやホームドアの増加に浦島太郎の気分を味わった。
 感染状況や、自分や家族の体調にびくびくしているうちに時代に追い抜かれた気がした。

 さて、いろいろあって長い間発行が遅れていた「ニュース」の発送作業をようやく終えた。宿題というか追試をようやくクリアしたような気分の爽快感はあるが、前述同様「何かに追い抜かれた」もやもやも残った。とりあえず発行した・・でよいのだろうか。

 いろいろ言い訳はあるが、スタートの遅れを克服できなかったこと、原稿依頼者が絞られたこと、編集議論を遠慮して結果として不足したこと、やはり頭の中で何かに追い抜かれたような「もやもや」が残った。

 そこで、「調査なくして発言なし」との言葉もあるので、モニター第1号の妻に感想を聞いてみたところ、妻は視力に大きな障害があるので文字を読むのが苦手なのだが、そのことは読み込み済みとして、今回の印刷機、インク、紙質のこともあるかもしれないが、「何か暗くて読みにくい」「文字ばかりが広がって堅そう」「読みたいという気が湧き辛い」という辛辣な感想がまず第一に返ってきた。

 「水を飲むときは井戸を掘った人のことを思うべし」という諺を知らないか」と腹も立ったが、「正直な感想」を聴いて腹を立てるのは下の下であろう。今回の編集は数々の意見を飲み込んで数々の妥協を重ねたものだから言いたいことは山ほどあるが、ここは真摯に反省する。

 さてさて、われわれのニュースは多彩な声が反映してこその魅力でなかったか。寄稿者を限った編集方針は正しかっただろうか。違う角度から語ると、一番の読者は寄稿者であるという真理もある。前向きに大いに議論したい気分でいる。

 年齢や体力を考えると、この先いったい何本・何字の原稿を我々は書けることだろう。と思うと、友人たちが、遺書ではないが「もっと書かせてくれ」というような状況を用意して、その結果そういう「自業自得」で苦しむというのが編集者冥利だと思うのだが。

 あとは技術的なことが多いが、見出しの文句がややもするとシュプレヒコール的に感じる。
 長い記事には本文を読みたくなるようなリードをつけて、2段抜き等を考えてはどうか。
 囲み記事や息抜きの記事を意識的・効果的に配置したいものだ。

 これからも自分自身に言い含めよう。マルクスはジャーナリストであったと。
 編集を手伝ってくれる友人の申し出を期待する。

2022年6月16日木曜日

合歓の花 大木には似合わない

   梅雨空にアンマッチなり合歓の花

 どうでもよいような荒地のあんな大木の上の方に、まるで小人たちが踊っているような可憐な花。そのアンマッチが刺激的である。
 その花が、房ぐちふわふわと周囲に降り注ぐ。絵本の世界である。

 象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉 は、あまりに有名。
 上沼恵美子さんの夫君が奥の細道をたどる旅に出たとか。
 
 歌枕という言葉もある。梅雨の象潟を眺めたい気分になる曇りの日。

鳥眼と虫眼(とりめとむしめ)

 鳥眼である鳥瞰(ちょうかん)をズーと引き延ばすと宇宙になり、虫眼をズーッと絞り込むと原子や素粒子に行きつくという気分に捕らわれることがある。
 全く素人の感覚だがそのどちらも、ある種の核の周りを衛星のようなものが廻っていて、結局は重なるような錯覚がある。
 ボーっと昼寝の内にそんなことを考えると、我われ人類は巨大な生物の内臓あたりの一部に住み着いたバクテリアかなんかではないかと想像が膨らむ。
 宇宙の膨張は巨大生物の成長であり、地球での核実験などは癌の発症だと巨大生物は思っているとか。
 というようなホラ話に似た戯言はさておき‥。

   孫の凜ちゃんが久しぶりにプラレールを引っ張り出してきて祖父ちゃんに「組め」とジェスチャーで言ってきたので組んでみた。

 その時の凜ちゃんの様子があまりに虫眼だったので、ああ凜ちゃんの頭の中では広い鉄路と街並み、否、宇宙が見えているに違いないと想像した次第。

 鉄ちゃんの皆さんは虫眼の向こうに何を見ておられることだろう。

2022年6月15日水曜日

足腰健全

   だいぶ以前から妻が腰から足にかけての種々の不調を訴えている。症状の範囲は全身にまで拡大している。私の電動アシスト自転車で膝が痛んだようなレベルではない。
 ドクターショッピングではないがいろんな医者に掛かってみたが、これといった改善が見られず、果ては不眠にまで進んでいる。

 そんなこともあり奈良市内に出たついでに某寺社で見つけた『足腰健全ぞうり』なるお守りを買って来た。「このぞうりを常に身に付けていると足腰が丈夫になり、健康で楽しい毎日が過ごせる」というのがセールスポイントのお守りだった。

 ところが帰って来て妻に渡すと、ナント、写真のとおりバラバラに壊れていた。
 「こんなお守り縁起でもない」と替えてもらいに行く手もないではないが、当分は奈良市内に行く予定もない。

 妻は「その症状は心配するな」という「お告げと理解する」と言った。それは大正解だろう。
 わが家のポリシーでは、元々医学の分野の事項をホンキで神仏に頼る気もなかったし、少し「こんなお守りがあった」と笑い合うためのチョッとした小道具として買って来たものだし、宗教心とは詰まるところ理性であり常識だと思っている。

 「壊れたお守りなんて不吉でもない」と怒るのでなく、そこからチョットでも楽しい意味付けを引き出すのが宗教心ではなかろうか。そういう風に構えると少しでも心が明るくなる。

2022年6月13日月曜日

紫陽花とでんでん虫

   紫陽花が有毒であってその綺麗な葉っぱを料理に添えたら中毒を発症したというのは有名な話だが、その紫陽花を食べる?でんでん虫(カタツムリ)はどうして無事なのかという疑問もまた有名である。

 その理由はネットではそれこそ諸説紛々である。「そもそも紫陽花にでんでん虫というのは人間の想像上の季節の取り合わせであって実際には紫陽花にでんでん虫は来ない」と書いてあるのもある。写真のとおりこれは事実に反する。

 次に「葉の上を歩くだけで食べない」という説もあるが、そういう観点から時間をかけて観察したことはないので何とも言えない。気分的にはそんなことはないだろうと思っている。

 また「紫陽花の毒は酸性であるがでんでん虫の消化液は強アルカリ性(ちなみに人間の胃液は酸性)である」という説もある。けっこう説得力がある。

 結局、紫陽花とでんでん虫の問題は人間の生活にとってあまり重要とは見なされないのでそれ以上の探求(研究)はされていないようだ。エスカルゴを食する文化圏の書物などを探してみたいものだ。

 遠くないお寺に紫陽花を見に出かけた。
 綺麗な花には毒がある。
 自然界には知らないことがいっぱいだ。
 人間はもっと謙虚であるべきだ。




2022年6月12日日曜日

財源としての国債の限界

   昨日・土曜日に、政策実現のための財源問題を書いた。
 これに関連して、安倍元首相が「日銀は政府の子会社」と発言して国債発行を促したり、一部の学者などはMMT(現代貨幣理論)などといいつつ「無制限に国債は発行できる」と煽ったりしている。
 それらに対して国会の参議院財政金融委員会の名俳優大門実紀史議員が非常に判りやすく語っている動画(FB)(2本)があったので、以下にご紹介する。
 一定の条件付きでの国債発行はありうるとのリアル。しかしMMT理論で無制限に進むときの危険性など、私はほとほと感心した。
 そういう土台があっての土曜日の財源問題。さすがである。
 麻生前財務相が度々大門議員に「感心」するのもうなずける。

https://www.facebook.com/alto.alto.946517/videos/3379894432230248


https://www.facebook.com/alto.alto.946517/videos/3066653783573854

2022年6月11日土曜日

財源策を吟味する

   日本共産党が表1の『見出し』のとおり『参院選政策』つまり公約を発表した。

 表1はあくまでも『見出し』(目次)で、本文は詳細に記述されている。

 平和の問題でも、暮らしの問題でも、行き詰った自公政権を大転換して希望がもてる日本にしようという提案で、非常に素晴らしい。

 しかし、一般に「好いこと」は与党も他野党も言うから、余程真剣に検討しないと、気分は公約というよりも広告のように受け流されるきらいもないことはない。

   ただ、日本共産党の政策の図抜けているのは、そこに明確な財源策(表2表3)が裏打ちされていることだ。

 プーチンのロシアでは情報統制が行き届いていて、少なくない国民が「ネオナチに対する解放の軍事作戦だ」と意識が操作されているが、日本でもマスメディアは意識的に日本共産党のこういう真面目な方針を報道せず闇に葬るから、この種の議論や検討が進まず、ただスポーツや競馬の予想の如く「誰々は強い」とか「野党分断は功を奏するか」のような上滑りの話に終始しがちだ。

   中央省庁の国家公務員の残業の少なくない部分は、国会質問に関わる諸業務だが、日本共産党を除く諸政党は与野党を問わず、国会質問そのものを「作ってくれ」と頼むこともあるのは中央省庁では常識だ。

 日本共産党は他党から「労働者の党ではなくインテリの党だ」と悪口を言われることがあるが、良い意味でインテリが多いから自前で政策も財源も立案できている。その大前提にはいかなる団体献金も受け取らないから裏表が生じないことがある。

 私は澄んだ眼で検討して、日本共産党のビジョンにはロマンもあるしリアルもあると考える。政党助成金を懐に入れておいて身を切るなんとかと言い放つ厚顔の政党とは全く違う。

 選挙戦に入ると各党がいろんな「好いこと」を言うだろうが、以上のような観点で落ち着いて検討をしてほしい。

2022年6月10日金曜日

歳時記食堂

   NHK俳句が増刊号と称して時々『歳時記食堂』というのを放送する。先日のそれは、女将が宇多喜代子、本日のお客が奥田暎二、常連客が古坂大魔王、看板娘が南沢奈央ということで、宇多喜代子さんが『鱧の皮』を作り、客の二人が一杯やりながら俳句の話をしていた。 

 日頃から、宇多喜代子さんの料理に関わる蘊蓄や俳句は楽しく拝聴していたが、この回のお客は『鱧の皮』と聞いて、鱧の皮の部分を焼き魚のイメージで食するようなジェスチャーをして「美味しそうですね」と語るなど、少し可笑しかった。

 そもそも客の二人は「鱧」・「の」・「皮」と発音していたが、ここは「ハモノカワ」とワンセンテンスで語らないといけない。「はもきゅう」とか「鱧のざくざく」とか態々(ワザワザ)いう所もあるが、一般には「鱧の皮」というだけでその胡瓜もみを指す。

 鰻の「うざく」、「穴子のざくざく」もよいが「鱧の皮」には如何にも「関西の夏」という匂いがある。料理と語るほどの手順は不要だから、魚屋(わが家周辺には蒲鉾屋はない)で見つけたら買って帰り、夕食の一品に付け加えたりする。それを超一流のお店で飲み食いしている人たちが知らなかったと言い、美味しい美味しいと言っているのも可笑しかった。

 『鱧の皮』。もちろん『夏』の季語であることは言うまでもない。

2022年6月9日木曜日

早苗(さなえ)

   オニヤンマを小さくしたような、ある意味では典型的なトンボの中のトンボのような、サナエトンボが飛び始めている。
 早苗(サナエ)は苗代から田に植え替える田植えの頃の稲の苗のことで6月の季語でもあるから、この時期から飛び回るトンボで早苗蜻蛉(サナエトンボ)とはピッタリのネーミングだ。

 私といえば、「戦後」と言われていた時代でも小学校区に田圃がなかったような街と海の都会育ちであったから、稲作農家のあれこれを全くと言ってよいほど知らずに育ったのだが、それでも、この瑞穂の国のDNAがどこかに残っていて、写真のような田植えの諸作業には季節の活力を感じる。

 その農作業を、少し離れた地点からすっくと立って眺めているゴイサギもまたいい。

 この風景全体を季節の花と見ると、年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず と思う。

 この風景は、来年も、再来年も、きっとこの季節には繰り返されることだろう。しかし、主人公も、観察者である私も今年と同じ自分ではないだろうし、最悪の場合は退場しているかもしれない。

 これは、だから厭世的になるというのではなく、今の一日一日を大事にしようということになる。

2022年6月8日水曜日

やっぱりスカシバ

   「蝶と蛾の違いは何ですか?」は子供電話相談の定番の質問だが、大人の世界でも定番に近い疑問のひとつ。
 触角の形、胴体の太さ、飛び方(ひらひらとか)、幼虫の形態(毛虫かどうか)、止まった時に翅を立てるか、昼間か夜行性か等々諸説あるが、そのすべてに例外があるからややこしい。

 実際、蝶と蛾に分類上の違いはなく、どちらも鱗翅目(チョウ目)で、あえて言えば多くの人がカワイイと思うのが蝶で、キモイと思うのが蛾らしい。
   そして、究極のそのボーダーラインにも例外があり、写真のオオスカシバは蛾とされているが美しくてカワイイ(あくまでも個人の感想です)。

   翅には鱗粉もなく(羽化後落とす)透きとおっていて(だから透かし羽・スカシバ)、色もけっこう美しい。

   ただし、蜂をイメージして怖いという人もいる。中にはそのホバリングする姿を見て、「小さなハチドリを見た」という人もいる。昔、探偵ナイトスクープで取り上げられていた。

 近頃私のスマホのカメラ機能が大いに不調なため、この程度の写真でご勘弁を。


2022年6月7日火曜日

人間の器

   報道されているところによると、岸田首相は6月29日-30日にマドリードで開催されるNATO首脳会議に日本としては初めて出席する意向らしい。

 言うまでもなくNATO・大西洋条約機構はヨーロッパおよび北米の30カ国による軍事同盟である。
 現に、単なる戦争抑止力としての同盟ではなく、ボスニア・ヘルツコビナ、コソボ、マケドニア、リビアなどで実際に戦争の当事者になっている。
 さらに忘れてはならないことは、アフガニスタン紛争の一方の当事者でもあった。
 今は叩く気もないが、叩けば埃の出る身なのである。

 さて日本国憲法は第98条で「最高法規」であることを詠い、第99条で「憲法尊重擁護の義務」を定めた下で、第9条で、1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。・・と定めている。

 ウクライナの国土を踏み外して侵略をしていないウクライナ国の自衛権は認めるが、だとしても、NATOの性格そして現実の歴史と日本国憲法との間には明らかに超えることのできない壁がある。とすれば、日本国の首相なら日本国憲法に立脚して立ち居振舞わなければならないことは明確である。

 よく似た問題としてはヨーロッパにあって永世中立を掲げるスイスがあるが、【61日・チューリヒ・ロイター・時事】が報道したところによると、スイス政府はデンマークに売却した装甲兵員輸送車について、ウクライナへの再輸出を求めたデンマークの申請を退けた。
 デンマークが申請していたのは、装甲兵員輸送車「ピラーニャ3」約20台の再輸出。スイス政府は「紛争地域に兵器を供給しない」という原則に基づき認めなかった。
 永世中立国スイスは、同国から輸入した兵器を第三国へ再輸出する場合、許可を得るよう購入国に義務付けている。4月にはスイス製の弾薬のウクライナ輸出を求めたドイツの申請を却下。ポーランドが申請したウクライナへの兵器再輸出も認めなかった。

 これこそ、国及び国を代表する首相の人間の器を示していると私は思う。
 この間まではプーチンにへいこらし、今度はアメリカにへいこらする。
 どうして「わが国は非軍事的な支援はするが、わが憲法に違背する軍事同盟とは一線を画す」と堂々と発言し態度を示さないのか。NATO首脳会議には参加すべきでない。日本国首相の行き先はマドリードではなくウィーン(6/21~23核兵器禁止条約締約国会議)ではないのか。
 数々の対米従属の仕組みは勿論あるが、あえて言えば、自公政権を代表する面々の人間の器の程度(小ささ)が恥ずかしい。

2022年6月6日月曜日

あっちの酒は苦いぞ!


   「桜を見る会」で東京地検が開示した刑事確定記録に基づくパネルを日本共産党の山添拓参議院議員が使用して国会質問しようとしたところ、自民党がいわゆる「拒否権」を発動してそのパネル(別掲)を使用できなくなった。

 内容は開示済みの公的記録を整理しただけのものであるから、自民党は一切拒否の理由を示さないし示されない。‥ということは、このパネルは、単なる演説の飾りではない、実に”痛い”核心を突いていることを自民党自身が証明したことと同じだろう。

 それは、サントリーが無償提供した酒が公選法違反であるだけでなく(それ自身、安倍元首相の虚偽答弁と併せ大問題でもあるのだが)、当時、第三のビール増税問題で他社よりも第三のビールの比率の高かったサントリーが、業界の約束さえ破って献金工作等の抜け駆けをして政治工作を行い、功を奏して酒税法見直しが頓挫したことへの”お礼”だったことを示していると思われる。成功報酬の一部と言えないか。

   そもそも今般のサントリーの無償提供問題は、赤旗日曜版のスクープであった。

 ほんとうに、悪い奴らに騙されず世の中の真実を知るには、赤旗を読むことは避けられないと再認識した次第。

 目前の参議院議員選挙で各党は耳当たりのいいことを言うだろうが、是非ともこういう事実を口から口ででも広げてほしい。

   おまけの話で・・・・モリカケ(森友・加計)問題の際の、左から安倍晋三、加計孝太郎、萩生田光一、後ろ向きは岩田明子か(これは推測・確定でない)の写真。ナント、よく見ればサントリーの缶ビール!!!  おお、天網恢恢疎にして漏らさず。
 


 

2022年6月5日日曜日

突撃取材は・・

   わがニュースづくりが終盤に差し掛かっている。
 送付する読者の顏を思い浮かべながら原稿を書いた。もしかしたらヒトリヨガリではないだろうかなどと自省しながらも、どうしても「あれも言いたいこれも聴いて欲しい」となってしまった。記事づくりは難しい。

 ラジオで芸能記者の中西正男さんがリスナーの「どうしたら上手に文章(記事)が書けるようになりますか」との質問にズバリ「数を書くことです」と回答されていたが、正解中の正解だろう。「流した汗は嘘をつかない」と言ったところだろうか。噛み締めなければ。

 今号は編集長が忙しいということで原稿依頼を絞ったが、ここにきてエンジンがかかってきてホッとしている。やはりこれでなければ・・・。

 その編集長からメールがあった。
 小池、大門、たつみ3名揃い踏みの街頭演説会に突撃取材?に行ったという。スクープか空振りかは後日・・。
 8割方完成したニュースに、大門さんが「お~堺の・・」と歓迎されたとか。
 編集長の前向きの行動に頭が下がる。そして、元気が湧いてくる。
 わがニュースづくりも「負のスパイラル」から脱却したようだ。みんなの心もそうであってほしい。

 この後、ニュースは古い友人たちに送付する。そして毎回何枚かの「送付御礼」の返事をもらう。その特徴は、喜んでよいのか悲しむべきか、多くはニュースの中身よりもニュースの送付状、つまりご挨拶に係る御礼や感想であることが多い。
 という現実を直視すれば、原稿以上に?送付状が大切だと思う。
 原稿だって心を込めて執筆しているが、ある意味それ以上に送付状には心を籠めたい。文章も、結局「上手い下手」とは関係なく、書き手の姿勢が現れるものだ。
 ・・と姿勢を正している。

モノには程がある

   新型コロナウイルス感染者及び死者数は、6月3日夜8時現在、
     感染者数   死者数
 東京 1,547,169人  4,516人
 大阪      978,924人  5,052人 となっている。

 近頃流行り?の統計操作の及びにくいであろう死者数を見ると、ナント大阪の方が東京よりも多くの人が亡くなっている。47都道府県中のワースト1である。

 その度合いを人口比で見ると、2021年10月1日現在の人口は、東京14,011,487人 大阪8,807,279人で、東京の人口は大阪の約1.6倍だから、東京の人口換算では大阪の死者数は8,099人となり、比率でいえば大阪は東京の約1.8倍死亡している。

 それでもプーチンのロシアでの情報操作ではないが、大阪の知事はよくやっている、大阪の実績を全国へ、というようなキャッチコピーが少なからず肯定的に流布されている。怖ろしい。

60億円かけてガラガラの無駄遣い
   維新のための情報操作、誇大広告でいえば、5月末で閉鎖された大阪コロナ大規模医療・療養センターは約60億円かけて1000床用意と華々しく宣伝されたが、利用者は1日最大で70人、累計でも約300人であった。

 ことの性格上、予備的な用意も必要だろうが、モノには程がある。

 公金を投入する以上予想外の事態には柔軟に軌道修正して無駄を省くのが当たり前だ。それでもキャッチコピーは無駄を省く。結局、借り上げたインテックス大阪や宿泊施設用のアパホテルだけが大儲けという無茶苦茶。
 そして多くの大阪府民が亡くなっていった。
 真実を伝えない在版メディアの罪は深い。

2022年6月4日土曜日

兜蝦湧く

   昔は職場に兼業農家の方がいて、5月の連休に田植えをすると言っていたし、事実、各地でもその頃に田植えをしていたが、その後の品種改良のせいか、わが街周辺の田植えはようやく始まったばかりで、とりあえず水を入れただけの田圃も少なくない。

 そんな、まだ水たまりのような田圃にも兜蝦(カブトエビ)が文字どおり湧いてくる。小さな小さな稚蝦だが、姿形は立派な兜蝦だ。

 よく似た蝦に豊年蝦もいる。その名のとおり、こういう蝦のいる田圃は豊年になる。あるいは豊年満作を予祝している蝦である。

 ところがナント、こんな大事な蝦が瑞穂の国の季語にない。何ということだ。

 今年の蝦は稚蝦なので、おまけとして過去の写真を付けておく。

2022年6月3日金曜日

傀儡(かいらい)

 傀儡とは、1,あやつり人形、くぐつ、でく、2,人の手先となって思いのままに使われる者・・のことであるが、先に結論をいえば、宏池会岸田政権は結局安倍派の傀儡だということを言いたい。

 岸田首相は「新自由主義を脱却して新しい資本主義で成長と分配の好循環」を唱えているが、国会答弁ではアベノミクスを脱却どころか反省も総括も出来ず、ただただアベ政治に辟易していた人心に「何か変化」という目くらましを振りまいただけであることが明らかになっている。

   日本共産党小池書記局長の論戦の極々一部だけを見ても、首相は、凄まじい値上げラッシュにも拘わらず年金を減額するのを「賃金が下落しているから当然」との態度でいる。

 そもそも先進国中でも例外的に最低の賃金上昇(下落)は、アベノミクスの結果であり、そのアベノミクスで空前の蓄積を果たした大企業の内部留保に手をつけずに循環(賃上げ)も年金へのスライドもあり得ないではないか。

 小池書記局長の指摘で印象深かったのは、年金が家計最終消費支出、いうなれば地域経済を大きく支えているという指摘だった。

 年金が地域経済の20%を超えている県が13県、10%以上だと東京都以外の46道府県。結局、年金減額→地域経済の冷え込み→賃金減額→年金減額・・・・という負のスパイラルとなっている。

 大企業の内部留保を賃上げに還元させる誘引剤となる内部留保への課税など実効ある賃上げ政策が必要なことは明らかだろう。

 岸田派は宏池会で元は池田勇人氏が旗揚げしたものだが、その池田勇人氏の経済ブレーンとして高度経済政策をリードした下村治氏の『日本は悪くない悪いのはアメリカだ』(文春文庫)という著書にこうある。「ほんとうの意味での国民経済とは何であろうか。それは日本で言うとこの日本列島で生活している1億2千万人が、どうやって食べどうやって生きていくかという問題である」「その1億2千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」と。そして「それぞれの国には生きていくために維持すべき最低の条件がある。これを無視した自由貿易は百害あって一利なしと言ってよい」と。

 岸田首相は宏池会の大先輩に学ぶべきである。

 日本共産党は経済成長を否定していないどころか、アベノミクスの対極ともいえる『やさしく強い経済」への5大改革を提言している。破綻したアベノミクス=新自由主義に固執している自公・維新には考えも及ばないものだろう。

 5大改革の提案は以下のとおり。
 ①政治の責任で「賃金が上がる国」に
 アベノミクスでためこまれた大企業の内部留保に課税。賃上げや気候危機打開のためのグリーン投資をすれば課税から控除。大企業での賃上げを促進。10兆円の財源で中小企業を支援し最賃1500円に。
 ②医療・介護・年金と教育予算の充実
 ③消費税を5%に減税
 物価急騰の今こそ5%への減税、インボイス(適格請求書)の中止は急務。
 ④気候危機打開に本気でとりくむ
 ⑤ジェンダー平等の視点を貫く

2022年6月2日木曜日

カレーのお肉

 孫の凜ちゃんのイクジイの日はあれこれ忙しいもので、凜ちゃんも喜ぶカレーを前日に作っておくことが多い。その場合、そのカレーのチーフのシェフは私となる。

   私の場合は、自分でいうのも何だが、煮込む前に大量の玉ねぎをはじめ具材を大いに炒めること、隠し味に少なくないトマトを使うこと、そして…肉が特徴である。その他、細かいこだわりはいろいろあるが省略。

 その肉の話だが、私の場合は定番の牛肉になる。そして、気分的な豪華さのためにいわゆる「カレー・シチュー用の角切り肉」もけっこう使うことは使うが、メーンはすじ肉である。食の好みは千差万別だから断定する気は毛頭ないが、私に言わせればカレーはすじ肉に限る。ただし少し良い精肉店の良いすじ肉。

 凜ちゃんの分は取り分けてバーモントカレー甘口のルーを使う。喜んで食べてくれる。シェフとしては大満足。

 大人の分は凜ちゃんの父ちゃん母ちゃんの分をたっぷり帰りに渡す。もちろん好評だ。

 付け加えれば、翌日に朝はナンのつもりのパンでカレーを食べ、昼はカレーライスの要領の、うどん出汁を使わないカレーうどんを食べるのも私は大好きだ。
 食の好みに絶対はない。皆さんはカレーをどういう風にこだわっておられるだろう。

2022年6月1日水曜日

人の振り見て

  「白ロシア」のことは以前に書いたが、復習のために振り返えって、少しWikipediaをつまむと・・、「ベラルーシ」の国名の由来は正確には明らかではないらしいが、有力な一説は、ルーシと呼ばれていた地域と人々が、13世紀から16世紀にかけてモンゴルの支配を受けた(「タタールのくびき」と呼ばれる)その際、モンゴル人が中国から学んだ文化である「方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」をルーシに持ち込んだため、「赤ルーシ」(南部ルーシすなわち現在のウクライナ西部)、「白ルーシ」(西部ルーシすなわち現在のベラルーシ)、「黒ルーシ」(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)という名称が生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残ったと言われている。
 日本では以前は「白ロシア(白露西亜)」と言っていた。
 「白系ロシア人」とは関係ない。

 ちなみに陰陽五行説では、北が玄(黒)で玄武で冬。東が青で龍(青龍)で春(ex青春)。南が朱(赤)で朱鳥(朱雀)で夏(朱夏)。西が白で虎(白虎)で秋(ex北原白秋)。
 私はこの説に説得力を感じている。そして、とてつもなく遠くまで文化の伝搬したユーラシア大陸の歴史のダンナミズムに感動さえ覚える。多くの場合、それは戦争、侵略によってなされたものではあるのだが。

 さて、イマジンを意訳すると、「宇宙ステーションから地球を見る(鳥瞰する)と、どこにも国境なんてないさ」ということになるが、そういう鳥の目を持たずとも、ベラルーシのルカシェンコ大統領は全くプーチンの「子分」に見えるがどうだろう(見た目だけはプーチンの何倍もよい恰幅だが)。
 「人の振り見て我が振り直せ」という箴言があるが、大切なことは、「ルカシェンコはプーチンのポチだ」と軽蔑するだけでなく、わが身の回りの同種の事態を見過ごしていないかと自省することではないだろうか。

 イマジンつまり「想像してご覧」に沿って鳥瞰するならば、わが日本の首相は全くの「アメリカの子分」でしかないと世界中から見えていることだろう。
 事実、これほどの激動の時代にあって、国際社会での日本の為政者のいろんな意味での「軽さ」は目を覆うばかりでないだろうか。

 重ねて言うが、ルカシェンコの言動に軽蔑を込めた不快感を感じたならば、その鳥の目で我が国の為政者たちがどう見えるかを想像しなければならない。
 軍事費の増額ということはほんとうに防衛のためではなく、ただただアメリカにお金を貢ぐということと同義語となっている。内田樹氏などは「現代日本人に必要なのは常識力だ」と述べられている。

 もう一度言う。「人の振り見て我が振り直せ」。