2021年6月30日水曜日

今日は夏越の祓

   医学や科学がまだ不毛の頃、人々は疫病の脅威をどう感じ、その対処方法をどう考えたか。備後国風土記は、『北海にましましし武塔(むたふ)の神が宿処を借りたまふに、弟の巨旦将来は惜しみて借しまつらず、兄の蘇民将来は借しまつりき、・・即ち詔りたまはく、吾は速須佐の雄の神なり、後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫といひて、茅の輪を以て腰の上に着けよ』と書いているのは非常に古い記録である。

 要するに、古代には、茅の輪を腰に帯びるという習俗が存在し、それが疫病対策の呪術と信じられていた。腰につける茅の輪も潜る茅の輪も広義では同じ祓えであろう。

 夏越の祓(茅の輪行事)をみると、コロナ禍の今、古代人の疫病への恐怖感が実感できる。神社本庁の皆さんも、他国や他民族の悪口ばかりを言うのでなく、「開催するならオリンピックスタジアム入口に大茅の輪を」と主張すれば少しは愉快なのに。そういうユーモアのセンスはないのか知らん。

 写真は大和国一宮率川神社の茅の輪、月曜日に潜ってきた。雨も降ってきて私以外に参拝者は来なかった。それにしても巣ごもりの内に上半期終了。時の経つのだけは早い。

2021年6月29日火曜日

シルクロードの終着駅で

   シルクロードというと直ぐに東大寺ミュージアムの伎楽面を連想する。『シルクロード世界史』の森安孝夫氏に言わせると、稲作と発酵食品と漢字を除く文化、・・青銅器も鉄器も車輪も、あるいは馬も粉食も仏教も、中央ユーラシアを外して日本の文化を語ることはできない。

 そんなもので、写真のような本が目に留まるとどうしても買ってしまう。そして、アジア大陸の孤島、辺境からは想像がつかない規模で民族が攻防し、長駆し、入れ替わり積み重なった歴史の分厚さに頭がくらくらする。

 ただ辺境には文化が素通りせずに堆積するようで、伎楽面もその典型だろう。以前に引用した、ソグド語の辞典も中国では散逸してしまっているのが日本にあった り、マニ教の絵画が日本にあったりする。

 現代の多くの日本人がイメージするこの国の原風景は『室町だ』というのは司馬遼太郎氏の口癖だったというが、その前の奈良に係る枕詞が「青丹よし」であったように、その頃のこの国の先進文化はシルクロード直結のケバケバしいものであった。

 現在の奈良の古刹にそれは無縁のように見えながら、よく見るとその欠片があちこちに残っているのが面白い。有名な当麻曼荼羅では、阿弥陀の前で新体操のリボン競技のように「胡旋舞」を踊っているのはソグド人の若い女性である。この頃私はユーラシア大陸に憑かれている。

2021年6月28日月曜日

お茶請け 2

   5月6日に「お茶請けに柿最中(かきもなか)」を書いたが、第2段をご披露する。

   テレビコマーシャルで「モンドセレクション」などという商品をあまり評価しない私だが、その(月化粧の)青木松風庵の『ゆらりゆらり』というのは気に入っている。

   co-opで申し込むのであるからお手頃なものだが、十勝産小豆をカリカリというかシャリシャリの砂糖で固めたもので、餡子などよりもある意味あっさりしている。食べ物の好みであるから、高ければ旨いというわけでもない。気に入っている。

 先月の人間ドックでは血糖が高いと指摘されているからできるだけ控えているが、「まあ一つぐらいならいいだろう」とお菓子以上に自分に甘く暮らしている。嗚呼。



2021年6月27日日曜日

奈良県のコロナの問題

   私の生活圏は京都府の山城地方ではなく圧倒的に奈良県になるので、毎日発表されるコロナ感染者数では京都府よりも奈良県を先ず注目しているが、ここ数日などは実数で奈良県が京都府や兵庫県よりも多い日が続いて心配している。

 NHK6月25日現在の47都道府県別直近1週間の人口10万人当たりの感染者数を見ると、1位が沖縄県、ここは治外法権の米軍基地問題や第4波解除時の県外からの観光客問題がある。第2位は東京都で人口10万人あたり22.89人。以下首都圏の4県と福井県、高知県などがあり、・・近畿2府4県を見ると・・、
 9位大阪府8.25人、 10位奈良県7.89人、 17位滋賀県4.31人、 23位京都府3.33人、 28位兵庫県2.49人、 33位和歌山県1.62人となっている。さすが県外就業率(圧倒的には大阪府)全国1位の奈良県だけのことがあり、人口比では大阪府に伴奏している。早い話が大阪府の失政の影響をもろに受けている。

 そういう意味では、奈良県知事が「奈良県の飲食業を制限しても意味がない」と言ったことには一理あると思うが、大阪府から波及してきた感染者からクラスターを発生させない取り組みなどに有効に対処できていないという印象がある。

   故に大阪から「奈良なら3密にならないだろう」と息抜きに行かれる前には、ワクチン接種は済ましておいてほしい気がする。同時に、静かなお寺もよいが、もう少し拝観料が入らないと寺院の維持費も大変だろうと思っている。早くコロナが収束してほどほどの観光客が奈良に戻ってきてほしいが、変異株やオリンピックの悪影響も心配だ。悩ましい。

 大きな声では話せないが、閑散とした奈良のお陰で、日頃は観光客で埋まっていた志津香の釜めしを予約なしで戴けたというラッキーな話もあるが、大きな声では話せない。

2021年6月26日土曜日

リンゴ日報廃刊 JOC経理部長自殺

   香港のリンゴ日報が6月24日付朝刊をもって発行停止に追い込まれた。

 パリに本部を置く『国境なき記者団』が毎年発表している『世界報道自由度ランキング』では、香港のそれは2002年には世界で18位であったものが、今年4月には第80位になり、もう中国の第177位に並ぼうとしている。

 ただ、それを「中国は酷い」と評論しているだけでよいのだろうかとも思う。念のため日本のランキングは2010年鳩山由紀夫内閣の折には第11位であったものが、特に安倍内閣から急降下し、今年のそれでは世界第67位にランク付けされている。67位というのは、1良好な状態、2満足できる状態、3顕著な問題、4困難な問題、5深刻な問題の3顕著な問題というグループに当てられている。人の死を軽々に扱うべきでないことは重々理解しながらも、直近のニュースで不可解なことがある。

 6月7日JOC(日本オリンピック委員会)の経理部長が電車にはねられて死亡した。朝日新聞のベタ記事によると「警視庁は自殺の可能性が高いとみている」。今まさにクライマックスを迎えようとしているオリンピックの直前にJOC経理部長が自殺?。

 さらに話題になったのがKBC九州朝日放送「アサデス」のニュース差し替え報道”で、7日朝の同番組放送時、「東京オリンピック直前一体何があったのでしょうか。JOCの幹部が」とアナウンサーがコメント中、なんと急遽ニュースが差し替えに。「失礼しました。続いてのニュース、改めましてお伝えします…」と外国でゾウが車に突進するニュースに変更されたのだ。その後も、JOC経理部長自殺に関するニュースが報道されることはなかったという。それ以降、私の知る限り大手新聞・テレビでは全く続報が報じられていない。不可解なことである。

 以下、LITERAの記事を要約して真相に近づいてみたい。

 ■ 詳しい経緯はわかっていないが、経理部長ということは、東京五輪に絡んだ金の流れを把握していると考えられる。そして、ここで思い起こさずにはいられないのは、JOCの竹田恒和・前会長による「招致買収」疑惑だろう。 

 周知のように、東京五輪をめぐっては招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)の委員だったラミン・ディアク氏の息子であるパパマッサタ・ディアク氏が関係するシンガポールの会社「ブラック・タイディングズ社」(BT社)の口座に招致決定前後の20137月と10月の2回に分けて合計約23000万円を振り込んでいたことが判明している。そして20191月にはフランス当局が招致の最高責任者だった竹田JOC会長を招致に絡む汚職にかかわった疑いがあるとして捜査を開始したことが明らかに。さらに20209月にはBT社の口座からパパマッサタ氏名義の口座や同氏の会社の口座に20138月~141月までに約3700万円が送金されていたことが、国際調査報道ジャーナリスト連合などの取材によって判明した。

 パパマッサタ氏の父であるラミン・ディアク氏は五輪開催地の決定においてアフリカ票の取りまとめに影響力を持つ有力委員だった。そんなラミン氏の息子・パパマッサタ氏が深くかかわると見られるBT社の口座に対し、東京への招致が決定した201397日のIOC総会の前後におこなわれていた招致委からの約23000万円もの送金と、招致委からの送金の直後におこなわれていたBT社からパパマッサタ氏への送金──。しかも、国際調査報道ジャーナリスト連合やフランス当局の捜査資料からは、パパマッサタ氏が〈BT社を自身の財布同様に使っていた様子が明らか〉(毎日新聞2020921日付)だという。

 しかも、この招致買収疑惑については、さらに深い闇がある。というのも、このディアク親子への賄賂に、なんと菅義偉首相がかかわっていたという疑惑まであるからだ。この問題を伝えたのは、「週刊新潮」(新潮社)2020220日号。記事によると、五輪の東京開催が決まった2013年秋ごろ、セガサミーホールディングスの里見治会長が東京・新橋の高級料亭で開いた会合で、テレビ局や広告代理店の幹部を前に「東京オリンピックは俺のおかげで獲れたんだ」と豪語し、こんな話をはじめたというのだ。「菅義偉官房長官から話があって、『アフリカ人を買収しなくてはいけない。4億~5億円の工作資金が必要だ。何とか用意してくれないか。これだけのお金が用意できるのは会長しかいない』と頼まれた」。 

 このとき、里見会長は「そんな大きな額の裏金を作って渡せるようなご時世じゃないよ」と返したが、菅官房長官は「嘉納治五郎財団というのがある。そこに振り込んでくれれば会長にご迷惑はかからない。この財団はブラックボックスになっているから足はつきません。国税も絶対に大丈夫です」と発言。この「嘉納治五郎財団」とは、森喜朗・組織委前会長が代表理事・会長を務める組織だ。この菅官房長官からの言葉を受け、里見会長は「俺が3億~4億、知り合いの社長が1億円用意して財団に入れた」とし、「菅長官は、『これでアフリカ票を持ってこられます』と喜んでいたよ」と言うのだ。 

 なんとも衝撃的な証言だが、しかもこれは“酒席でのホラ話”ではなかった。というのも、「週刊新潮」の取材に対し、セガサミー広報部は「当社よりスポーツの発展、振興を目的に一般財団法人嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センターへの寄付実績がございます」と嘉納治五郎財団への寄付の事実を認め、さらに「週刊新潮」202035日号では嘉納治五郎財団の決算報告書を独自入手し、2012年から13年にかけて2億円も寄付金収入が増えていることを確認。関係者は「その2億円は里見会長が寄付したものでしょう」と語っている。もし、里見会長に買収のための資金提供を依頼していたのが事実ならば、菅首相は官房長官という国の中枢の要職に就きながら五輪の招致を金で買うというとんでもない悪事に手を染めていたという、まさしく世界を揺るがす一大スキャンダルである。 

 しかも、この嘉納治五郎財団をめぐっては、さらなる疑惑がある。20203月、ロイター通信は組織委の理事である高橋治之・電通顧問が招致委から約89000万円相当の資金を受け取り、IOC委員らにロビー活動をおこなっていたと報じたが、その際、嘉納治五郎財団(つまりは代表理事の森喜朗氏)にも招致委から約14500万円が支払われていたと報道。つまり、この嘉納治五郎財団を介して買収工作がおこなわれた可能性があるのだ。ちなみに、菅首相は昨年1215日、高橋理事と会食をおこなっている。 

 嘉納治五郎財団をめぐる疑惑については、昨年11月にトーマス・バッハIOC会長の来日時におこなわれた記者会見で、ロイターの記者が直接、当時の森会長に「これは何のために使ったのか」とぶつけたのだが、森会長は「私は実際の経理や金の出し入れというのは直接担当しておらず、おっしゃったようなことがどこまでが正しいのか承知していない」などと返答していた。だが、この直後の昨年12月末、嘉納治五郎財団は活動を終了。ロイターの報道では、東京都の担当者も「(同財団の)活動が終了することについては説明を受けていないし、知らなかった」と答えているように密かに活動終了していたわけだが、これはロイター記者に直接追及され、疑惑の深堀りを恐れ慌てて畳んだのではないかと見られていた。■ リテラ202167  ■

 これまでも、政界をめぐるさまざまな疑獄が起きるたびに、秘書や金庫番と呼ばれる人物が自殺を遂げ、「とかげのしっぽ切り」と訝しむ声があがってきた。私は、赤木ファイルの報道に接して現場職員の無念に心を痛めながら、JOC経理部長の懊悩を想像する。

 アスリートファースト、スポーツマンシップ、オリンピック精神などという美辞麗句の裏のオリンピックの闇は深い。コロナ禍があってもなかっても、オリンピックのあり方はもっと冷静に議論されてよい。少なくともコロナ禍の東京2021は中止すべきである。日本の報道は健全だろうか。

2021年6月25日金曜日

甘い足に ホシミスジ

   この季節、シャクガの仲間のウメエダシャクがふわふわと飛んできます。シャクというのは尺取り虫のことで幼虫は尺取り虫です。体も細身で蝶でもよいのでしょうが蛾に分類されています。桃の木などに大発生すると、やっぱり蛾だ!という気になって捕まえては殺しています。

 そのウメエダシャクによく似た蝶がタテハチョウの仲間のホシミスジです。シモツケの花の周辺をよく飛んでいます。ユキヤナギやシモツケを好むと本にあります。

 上の写真はホシミスジが私の足に止まったところをスマホで撮ったものです。蝶は動物のおしっこなどによく来たりしますから、私の足がおしっこ臭かったのでしょうか。いやいや、きっとシモツケの花の蜜のような香しい甘い香りだったに違いありません。




2021年6月24日木曜日

人事の古代史

   外国人が否定的に日本文化を論じる際、「日本では個人名でなく、主任、とか課長とか役職名で呼ぶ不思議」というのがある。 

 「清少納言」も「せいしょう・なごん」と発音されることが圧倒的に多いが、「清」は父の姓、「少納言」は職名が由来であるため、本来は「せい・しょうなごん」と区切って発音するのが正しい。

ただ、近い親族で少納言職を務めたものはおらず、「少納言」の由来は不明であり、藤原信義と一時期婚姻関係にあったと推定する説、先祖を顕彰するために名乗ったとする説、皇后宮の少納言相当であったという説などが推察されていて、いずれにしても私は、この国の基礎は律令国家だったのだなあと感じている。

というように、赤木ファイルが報じられた日に、十川陽一著『人事の古代史』(ちくま新書)を読んだ。

その第三章に『政争のあとさき』というのもあり、意識的に反乱を企てたケースもあるが、反乱に巻き込まれたもの、政権が代わって旧政権の残党扱いされたものなどの刑罰や官位剥奪のケースも述べられている。

現職時代けっこう自由に発言してきた私などは、そういう職場を作ってくれていた諸先輩のお陰だと感謝しているが、大阪に橋下知事が誕生したころから、非常にセンセーショナルに公務や公務員が侮蔑されるような風潮が強まり、社会のセーフティネットを支える公僕としての誇りが傷つけられていないだろうかと心配している。

けっこうな専門書であるこの本の紹介は置いておいて、上記のような感慨から、私は度々赤木俊夫さんの無念に想像が飛んだ。

2021年6月23日水曜日

ちと早い

   妻が土をいじっているとこんなのが出てきた。見た感じではセミの幼虫だと思う。異常気象にフライングしてきたのか、無理やりほじくり返されたのかはわからないが、わが街で成虫になって鳴くにはちと早すぎる。

 カナブン等なら文句なく捨てるところだが、きっとセミだと判断して元の土の中に返してやった。

 アメリカでは「十七年蝉」が大発生しているらしい。一度その喧騒ぶりを実際に見て見たいものだ。

 日本のセミでいうと、「大阪のセミの方が東京のセミよりもうるさい」という意見がある。セミが大阪のおばちゃんの会話を学習したというなら面白いが、はて。

 この頃は声の大きいクマゼミが東京にも進出してきたが、元々は南方のセミで大阪のセミの声の主流を占めている。わが街でもクマゼミが主流で、アブラゼミやミンミンゼミは珍しいくらいだ。それらを地球温暖化のせいだという意見もある。もうすぐ蝉時雨の季節がやってくる。

2021年6月22日火曜日

変顔の信仰

   日仏共同テレビ局France10及川健二記者の過去のツイッターに「選挙期間中の公明新聞を調べている。公明新聞の特徴なのだが候補者の顔がすべて変顔。何かをシャウトしてるようだ」というのがあったが、現在の東京都議会議員選挙関係の公明新聞や公明党のホームページのニュース(例えば2021.6.21の「都議選 当落線上で熾烈な攻防」)も全く変わっていない。

 これは単に「これほど必死だ」というパフォーマンスというものではなく、創価学会の教えに度々登場する『獅子吼』(ししく)の表情であることを記者は理解できていなかったので、単なる「変顔」「シャウト(がなり声、叫び声)」かと理解したらしい。

 『獅子吼』を辞書で引くと、『 仏の説法。獅子がほえて百獣を恐れさせるように、悪魔・外道(げどう)を恐れ従わせるところからいう』とある。となると、主として公明党員、創価学会員向けの新聞は誰に向けて、誰を「恐れ従わせよう」と獅子吼しているのだろうかということになる。

 当面の選挙区の相手候補である、例えば共産党候補、立憲民主党候補がこの顔に「恐れおののく」とは思えないから、新聞やHPの性格上、結局、党員、学会員に向けて獅子吼していることになる。「この選挙で死に物狂いに活動しないなら地獄に落ちるぞ、仏罰が下るぞ」と「恐れ従わせよう」としていることになる。・・と私は推測する。

 それも、一つの信仰であったり文化であろうから良し悪しを差し挟む気はないが、そういう信仰や文化を私は好きではない。

 公明党のホームページのニュースの2021.6.21「都議選 当落線上で熾烈な攻防」を貴方の目で確かめてほしい。違和感を抱くか抱かないかで常識力が問われるように感じませんか。

2021年6月21日月曜日

雨に西施が

   象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉 があまりに有名だが、この合歓の花、実がなって枯れた鞘などが地面に落ちてくると「なるほどマメ科ねえ」と思わなくもないが、花が咲いているこの時期の大木はマメ科と言われるのが不思議な感じがする。

   それに、万葉集に、紀 郎女(きのいらつめ)の 『昼は咲き 夜は恋ひ寝()る 合歓(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ』とあるように古くからあったらしいが、私には、どうも日本の古典には似合わぬバタ臭いイメージがぬぐえない。というか、西施が持っていそうな羽根つきの扇のようにもなまめかしく連想してしまう。

 その種の扇は「ジュリ扇」とか「マハラジャ扇」ともいうらしい。つい先日、テレビの比較的堅い番組でそういうディスコの時代を取り上げていたので連想が膨らんだ。バブルの時代があったそうだが私の個人史には全くかすりもしなかった。 

2021年6月20日日曜日

ストップ維新!住んでよかったまち大阪をつくる市民連帯集会

ストップ維新!住んでよかったまち大阪をつくる市民連帯集会

 https://www.youtube.com/watch?v=G2X6umARUew

少し長いですが、それだけの内容があると思う。

是非とも視聴をお勧めします。

ワクチン接種の自治体間格差

   私のかかりつけ医は名医か迷医か判らない(ほんとうに判らない)が、コロナのワクチンについて「若い人には不要などの意見がありますが」と聞くと、「機会があれば絶対に接種しておくべきだ」と断言し、私自身2回の接種を終えたことを言うと、「それはよかった。1週間経てばもうどこへでも遊びに行ってください」と宣うた。
 別に遊び回る予定など微塵もないが、そこまで言われると悪い気はしない。
 そこまで言われなくても、漠然としたコロナの不安(罹ることもうつすことも)がワンランク解消したことは間違いない。

 少し遡るが、今回のワクチン接種の初期の予約の問題というのは非常に気分の良いものではなかった。少ない数量を高齢者どおし早いもの順で競わせるかのようなシステム、自治体や場合によってはラインかインターネットに限るというようなとんでもない現実無視、昨年初春頃のマスク騒ぎでドラッグストアに買い占めに並んだ人々の映像が頭をよぎり、私個人はラインで対応可能だが、早々に予約するのは蜘蛛の糸のカンダタめいて逡巡した。

 しかし、6月14日の『予防接種を終えた』に書いたとおり、パンデミックの収束のためにはワクチン接種は科学的に考えて有効だと私は考え、外形的には政府の宣伝めいた施策に乗ったように見えても、ここは接種すべきだと考えて行動してきた。

 さて、そんなものでワクチンの接種状況を友人たちにメールで尋ねたところ、「今2回目終了し待機中」というドンピシャの1名の外、ほとんどの友人は「1回目接種完了2回目予約済」だった。ただ大都市で未だ1回目の接種を受けていない方、さらには1回目の予約も取れていない方もいた。
 政権によるオリンピックの強行で感染力が桁違いの変異株の恐怖があるから、みんなできるだけ早く接種を完了されることを祈るばかりだ。

 比較的スムーズに進んでいるわが町は人口が4万人にも満たない自治体で、娘が通っていた大学の学生数よりも小さな町である。彼の平成の大合併にも孤塁を守った(自衛隊弾薬庫の助成金があるという事情もあるが)。
 結局、今回のワクチンの接種状況を見て感じるのは、「小さな自治体はコストパフォーマンスが悪い」「広域的な行政が効果的だ」みたいな市町村大合併や、大阪の府市一元化いわゆるトコーソーが如何に行政力を弱体化させたかが表れているように感じている。

 株式会社の理論、費用対効果の理論で人員を削減して民営化・外注化するように地方自治や公務を語ったことが如何に危険なことであったかが、今般のワクチン騒動で明らかになったのではないか。

 (写真はギボシの花。記事とは関係ありません)

2021年6月19日土曜日

水無月

   過日の、私が看護師さんに撮ってもらった写真を見た先輩からお便りをいただいた。

 「労働災害発生のメカニズムはわかっていただろうに残念」「再発防止のためには危険を予想して指差確認して行動しなさい」「二度やるとアホと言われますよ」と。

   ハイ、あれはストレッチャーの上で、家康の『しかみ像』(三方ヶ原戦役画像)に倣って自戒のために撮影してもらった写真。肝に銘じています。それにしても、そんなお便りを書いてもらって、感謝の言葉も見当たらない。ありがたい。

   お便りには、「怪我や病気をすると人間の弱さが分かり人の優しさが身に沁みます」とも。

   そういうわけで、写真は長久寺(生駒市)で撮ったもの。

   紫陽花もシオカラトンボもいたって平凡だが、平凡がよい。平凡であることに不満を言うのはおごりだろう。


 



2021年6月18日金曜日

FAX廃止命令

 「デジタル化」のことは6月4日の『契約書面の電子化は怖い』で少し書いたが、菅政権繰り出す、何事も議論不足のままでの「やってる感政治」は危うい感じがする。

 その「やってる感政治」の一環として、河野行政改革担当相が、テレワークの推進や業務効率化の観点という謳い文句で、霞が関でのFAXの利用を原則として6月末までに廃止するよう、7日付で各府省に指示を出した。各府省には地方出先機関も含まれている。 

 災害対応の業務や事業者などからFAXを受付中の業務など、当面存続が必要な場合を除いて、メールなどに切り替えるよう促し、廃止が困難なものについては、具体的な理由を報告するよう求めている。

 今般のワクチン接種の予約騒動に見られるように、日本国民全員がネットに対応できているわけではないし、だいたい常勤職員と同様の業務を担当させている非常勤職員には一人一台の端末機器も配付されていない。国民のセーフティーネットを支える行政部門では基本的にテレワークなどは馴染まないが、FAX廃止を言う前に労働行政などでどうすればテレワークが実現できるのかを真剣に検討して指し示すべきだろう。自公政権は悪い意味で維新政治に似かよっていっている。 

▮ デジタル化というと、先日、孫の夏ちゃんがやってきたが、宿題そっちのけでゲーム機にかじりついていた。よい意味でも悪い意味でもIT時代の子どもだ。この子が大きくなった頃にはどんな社会になっているのだろうか。

 「FAXなんて機械があったの?」というのだろうか。今のうちにFAXの動いているところをよ~く見せておかなければ・・・。

2021年6月17日木曜日

季はめぐり

   いろんな鳥が囀りを止め、もう恋の季節も終わったようだが、わが家周辺のウグイスだけは相変わらず法華経を唱えている。ただしこれは例外で、ウグイスの木の下からはキリギリスの声が聞こえてきた。6月15日、初鳴きを聞いたと記録しておこう。

 散歩道には写真のとおりヤマモモが熟してきているが、時節柄摘む人も少なくなりそうだ。

 ちなみに我が家庭菜園では、夏野菜である黒イボ白胡瓜(半白系)、イボと皺が特徴の四川系胡瓜、ミニトマト、万願寺唐辛子、水茄子などは一通り初収穫が済んだ。

 天気予報士は、梅雨前線は南の方、北からの空気で空が不安定と解説していたが、火曜日などは体感的には夏の蒸し暑さがやってきた。先週の最高気温よりも低いのに暑くてしんどい。

 先日の孫の凜ちゃんの熱中症は、自家中毒との診断だった。食べることが大好きな児なのに火曜日も水曜日にも食欲は異常になかった。こちらまで元気がなくなる。

 季(とき)はめぐり夏が来た。散歩のついでにトコロテンを買って帰ったら、妻も先行して買ってあった。元気を出そう。

2021年6月16日水曜日

日々反省

   退職者会の会報は会員に待ち遠しく期待されている。そのことを世話人の一人として痛感させられる出来事というか失敗があった。 

   何もしなければ失敗しないが、義を見て買って出ると失敗もする。今般の失敗は退職者会の会報に近況報告の原稿をいただいていたのに掲載漏れになったミスである。原稿を提供していただいた会員には大きな落胆を抱かせた。ほんとうに申し訳ない。

 それを大変な雑務全般を引き受けてくれている事務局担当のミスだというのは理不尽だ。そんな体制を見て見ないふりをしてきた世話人全体の責任で、それは甘んじて受ける以外にないと思う。

 ただ今回俯瞰して私が注目するのは、「掲載されていない」と電話をしてきてくれた大先輩のことである。自分の近況報告もわざわざ送付し、仲間の近況報告も期待していた大先輩の気持ちを世話人一同よく噛み締める必要がある。

 ズバリ!集合する行事がないから会報でも出しておくかではないのだ。退職者会にとって近況報告的な紙面交流は基幹的な行事だと世話人一同が捉えることが必要だ。となれば、あとは事務局でよろしくではなく、「お~いどうなっている」「手伝うことはないか」と声が欲しいが、それはないものねだりだろうか。

 コロナ禍で意思疎通が希薄になる下、事務局は世話人一同に些細なことでも相談する、世話人は「事務局大丈夫か」と日々尋ねる、そんな世話人体制を夢見ている。

 別件だが、原稿締め切り期日後に、私のところには次のようなショートメールもあった。『大変お世話になり有難うございます。〇〇〇〇の長女〇〇〇〇と申します。この度、会報次号原稿間に合いませんでしたが、またの機会があればお声をかけて頂ければ幸いです。今年94歳になりますが、往診医師の方々等に安心をいただきながら何とか自立で夫婦で過ごせております。皆様もご自愛くださいますようお願い申し上げます』と。

 失敗もあって落ち込むこともあるが、このように励まされることも多い。実際の世話人会はどこかの諮問委員会の先生みたいなものではなく雑務こそが本質だ。大先輩からの電話で日々反省の毎日だが、前向きに克服していきたい。

2021年6月15日火曜日

嵐の夜

   些事ながら、日曜日の夜、孫の凜ちゃんが熱中症のため救急車で運ばれたとメールがあった。この孫は、体の体温調節にも難があるし、その自覚自身にも難があるから、・・詳細は分からないまま時は過ぎていった。その後、例の雷雨に急いで洗濯物を取り入れたりとバタバタし、相当過ぎてから「点滴によって一応回復して家に戻った」とメールを受けたが、結局ほとんど眠れない嵐の夜になった。

   並行して、妻がコロナワクチン接種の副反応で「しんどい」と言っていたので、わが家と私には嵐のような急展開だった。そして翌月曜日は整形外科の受診予約日だったが、どういうわけか予想以上に混雑し、午前中いっぱい待合室で「考える人」みたいにただただ呼ばれるのを待ち、全く何もしていないのに疲労困憊となった。 

 さて、写真は故清水公照師の青嵐という絵にある「観音さん」だが、嵐をものともせず座っておられる。「神仏に自分の利益を願わず」というのが私のポリシーだが、孫の夏ちゃんと凜ちゃんだけは許してもらえるよう宗旨替えをしている。結果、感謝、感謝だと思っている。諸行無常、諸法無我。

2021年6月14日月曜日

予防接種を終えた

   2020125日に『隠岐さや香氏のパリ・レポート』を書いた。氏は20203月、研究調査のためパリにいた。新型コロナ肺炎は、当初は日本よりも欧州の方が抑え込んでいるようなイメージだったが、まずイタリアでロックダウンが導入され、程なくそれはフランスにもやってきた。

 パリでロックダウンが施行されたとき氏が驚いたのは、それまで黄色ベスト運動を含め激しい抗議活動が日常化していたそのフランス人が、まるで予め訓練されていたかのように日常から非常時への切り替わりを察知し、それまでの自由奔放さからは想像出来ない従順さで命令に従ったことである。

 欧州全体を大まかに観察する限り、緑の党やフェミニスト的な左派はロックダウンを受け入れるムードであり、経済自由主義的な右派はそれを「自由の侵害」と捉える傾向が目立った。左派は基本的に‥未知のウイルスを通じて自分が他人を、あるいは他人が自分に害をなさざるをえない状況を避けるために、己の自由への制限を受け入れたのである。

 対して経済自由主義的右派は、どちらかといえば弱肉強食の市場競争のための「自由」に肯定的で、経済活動全般に対する規制には否定的な傾向であった。氏の感想は、「マスクなんかしない」と演説していたトランプ及びその狂信者のニュースとも全く符合する。

 このパリ・レポートを東洋風にいうならば、このブログでも先日来「忘己利他」という言葉に何回か触れてきたことと同調する。あるいは、2020128日には『悟りの境地に幸あれ』として佐々木閑教授の話を書いたが、そこでは「お釈迦様の悟りの代表的なものは三法印(さんぽういん)で●諸行無常(しょぎょうむじょう)この世の全てのモノは変化し壊れていく ●諸法無我(しょほうむが)自分中心にモノを考えてはならない ●涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)欲望や憎しみなど自分勝手な思い込みを無くすと苦しみが消えて楽になる・・と書いた。つまり「忘己利他」の淵源は「諸法無我」だと思われる。

 以上のとおり考えた結果、政府や自治体の諸施策には大いに不満も疑問もあるものの、私は可能な限り努力をしてワクチン接種を受けることにし、13日には2回目の接種を終えた。2~3週間後には高い確率で抗体が生まれているだろう。

 友人たちが接種を終えたなら、密集、密接、密閉を避け、2~3m以内の人との接触の場ではマスクをし、その他手洗いや消毒用アルコールで対策をとるなら、集合した行事が可能になるだろう。そんな夢を見ている。ただ、退職者会会報最新号には「医師から既往症のため接種できない」と言われてショックを受けている旨の近況報告もあったから、それぞれの条件の下で最善を尽くすしかないようだ。具体的な支援ができないのが残念でもある。

2021年6月13日日曜日

芒種

   『腐草蛍と為る』 コロナさえなければ悪くない季節になった。 

 さて、友人の加藤師の記事を掲載したミニコミ紙を発刊したことは6月6日のブログ等に書いたが、この記事に関連して多くの友人からメール等をいただいた。

 その上に昨日は、大先輩のSさんからハガキが届いた。・・忘己利他・俺が俺がの我を捨てて。お陰お陰の下で暮らす。残生、お陰さまでと何事も感謝の気持ちを忘れずにやっていきます・・とあった。なんと謙虚な言葉だろうかと頭が下がった。

 大先輩ということは、ある時は上司であり管理職であった方だ。私はというと結構扱いにくい部下だった。今ごろ反省しても遅いが、今でもこういうようにお便りをやりとり出来ているのが嬉しい。

 歳がいくと物事に横着になっても許されるようになる。ともすればそういう風潮に妥協することも多い。しかし考えてみれば歳をとると裁量の時間は多くなる。あとは自分自身の姿勢だろう。大先輩のお便りを見習って誠実に生きていきたいと思う。

2021年6月12日土曜日

鳥獣戯画の謎

   6月8日の記事ではトノサマガエルをモリアオガエルのオタマジャクシを食った犯人と推理したが、彼の鳥獣戯画では主役級の奮闘ぶりだ。(絵を勝手にトノサマガエルだと断定して)
 鳥獣戯画は香雪美術館の明恵上人展で観たような観なかったような記憶があるが、鳥獣戯画のピンバッチを持っているから、きっと一部については展示されていたのだろう。それよりも、五味文彦著『絵巻で読む中世』の記憶の方が濃かった。
 そして今般、上野憲示監修『鳥獣戯画の世界』宝島社新書というのを手に取ったところ、図表が多くかつ奇麗なので、いささか手指の負傷で気分が落ち込んでいたこともこれあり、あまり深刻な内容でもないから楽しく読んだ。中世は陰陽道=道教の世界だから、月にいる兎と蛙がよく登場するのだろうかなどと全く勝手な空想を膨らませながら。

 この本の終章では5つの謎について答えを提起している。
 ① いつ描かれたのか。『鳥獣戯画』甲乙丙丁の4巻はそれぞれ、いつ描かれたのか。
 ② 誰が描いたのか。『鳥獣戯画』最大の謎というべき、作者は誰かという問題である。
 ③ 何のために描かれたのか。『鳥獣戯画』は、そもそもどんな意図で製作されたのか。
 ④ 何が描かれているのか。『鳥獣戯画』に描かれている動物たちは、一体何を意味しているのか。そこに物語はあるのか。
 ⑤ 断簡・模本は何を意味しているのか。『鳥獣戯画』の失われた絵である「断簡」、在りし頃の姿を描いた「模本」からどんな真実がわかるだろうか。
 答えは本を読まれたい。面白い。私はけっこう納得した。
  
 

2021年6月11日金曜日

「利他」とは何か

   この間から、このブログでも「忘己利他」というキーワードが度々登場した。人間の生き方として大切な箴言だと納得して使用してきた。しかしそこへ『「利他」とは何か』と根源的な問題意識を突き付けられると、煩悩具足の凡夫はあたふたするだけだった。集英社新書『「利他」とは何か』はそういう本だった。伊藤亜紗執筆の「はじめに」から引用すると、

 第1章では、伊藤亜紗さんが、利他をめぐる近年の主要な動向を整理しつつ、共感や数値化など、そこにひそむ問題を指摘し、ケアの具体的な場面に焦点を合わせながら、制御できないものに開かれた「余白」を持つことに利他の可能性を見出し、よき利他においては、他者の可能性が引き出され、私(伊藤)もまた変化してしている。

 第2章では、中島岳志さんが、「贈与」や「他力」といった利他の根幹に関わる問題について、志賀直哉の作品や親鸞の言葉などを手がかりに論じ、贈与には、相手に負債の感覚を植えつけ、支配することにつながる残酷な面があり、むしろ、思わずやってしまうオートマティカルな行為にこそ、利他が宿るのかもしれない。

 第3章では、若松英輔さんが、柳宗悦や濱田庄司のテキストを通して「民藝」の美に迫り、用いられるなかで生まれる手仕事の美からみえてくるのは、自他のあわいに起る「出来事」や「場」としての利他のあり方で、利他は「利他」と名指すことによって記号化し、死んでしまうと指摘。

 第4章では、國分功一郎さんが、中動態の枠組みから、近代的な「責任」概念をアップデートし、「おまえが自分の意志でやったんだろう」と他者から押しつけられるような責任ではなく、困っている人を前に思わず「応答」してしまうような責任のあり方。そのような心のかたちに利他の可能性を求め、

 第5章では、磯崎憲一郎さんが、小説の実作者の立場から、「つくる」行為の歴史性について語り、つくるという能動的な行為のように思えるが、書くことは予期せぬ流れに乗って「逸れて」いくことでもあり、そうやって生まれた作品は、結果として、連綿と続く小説の歴史に奉仕するための仕事になっている・・・

 紙面の制約もあるが、私の能力がこの本の要約を許さない。

 非常に納得した個所もあり、理解が困難な個所もあった。この種の本はひととおり読んだあと書架に留め置き、何かの思考の過程で「そういえば・・・」と引っ張り出して読むのがよい本のような気がする。

2021年6月10日木曜日

尿のウィルスで祖先が判る

    先日のしんぶん赤旗の『科学』に相当する欄に、「尿のウィルスで探るヒト集団の成り立ち」という記事があった。「人種」としての「日本人論」はあまり興味はないが、興味いっぱいの「日本文化」を考えると「人種」はやはり避けて通れない。

 この種の論は、古くは頭蓋骨のサイズや血液型、最近は遺伝子の解析で大きく進んでいるが、これは、その一角にさらに重要な提起をするものだろう。

 尿から検出される「JCウィルス」は、一緒に生活する親から子へと伝搬するウィルスで、ヒト集団の移動に伴って様々なタイプに分岐する。

 現日本人は主要には2タイプに分類され、東北日本は縄文人、西南日本は大陸由来の弥生人と合致して、従来のシナリオともおおむね一致している。

 医学は世界中で長足の進歩を果たしているから、世界中の泌尿器科の医師が協力して検尿を分析すれば、従来説を補強したり、あるいはまったく新しい発見があるかもしれない。

 私としては、長江文明の後裔、雲貴高原の少数民族との比較が出れば楽しいと期待している。

2021年6月9日水曜日

校閲の目

   しんぶん赤旗に『校閲の目』という欄があって、いつも面白く読んでいる。

 6月7日のその欄には「発出」や「手交」をあげて「政府や役所では漢語を使う傾向がある」と解説していたが、私もこのブログで度々使用している。・・・そうかあ!

 私は現職中はできるだけ「ですます調」の口語に近い文書に心がけてきた。漢語調は昨今の政府答弁のように、言っているようで言っていない、衣の下に鎧のような嘘を含みやすいと思っていたから、私の言っている意味はこうだ!と言葉に責任をとる態度を大切にしてきた。だからよく、長谷やん節だとからかわれたりもした。

 それがなぜ、このブログでは「だ調」「である調」が多いのかというと、近頃は文章のリズム、スピードを大事にしたいと思って、長谷やん節を修正したわけである。で、「発出」や「手交」も知らない間に使用するようになっている。

 さて、7日の『校閲の目』のメーンテーマは「人流」であった。これは私も大いに違和感を感じているが、要するに「物流」のイメージで「人流」となっている。しかし、国語辞典にはそんな言葉はない。

 多くのカタカナ語同様”現代語”、”造語”と割り切ればいいのかもしれないが、う~む。

 そこで指摘のあったのは、「中国語の辞書には人流=人の流れ」とあるらしい。いわゆる熟語のほとんどは漢語由来であるから、何の不思議もないが、ことあるごとに中国の悪口を言う政府自民党関係の人々が、客観的には現代中国語直輸入の新語を得々と使用しているのがちょっと滑稽な気がする。感じすぎか?

2021年6月8日火曜日

今年のモリアオガエル

   ステイホームなどと、まるで犬に命令するかのような女性知事がテレビに大写しになったからというわけではないが、いや、幾分はそういう影響もあって、ほんとうに巣ごもり生活を送ってきたから、久しぶりに、マイカープラスお散歩でモリアオガエルを奈良公園・吉城園に確認に行った。

   卵はいくつもあったが、多くは既にカラだった。その割にはオタマジャクシが少ないので蛇に食われたようだが、池の中にトノサマガエルが数匹いたから、彼奴にも相当食われたようだ。自然界の掟には正義も不正義もない。

   親ガエルを3匹見つけたが、大きさからすると小型なので♂だと思う。♀は二回り大きい。雨が降って♀が来るのをただただ待っているのだろう。半分居眠りしているような金色の眼が寂しげだ。

2021年6月7日月曜日

紫陽花のない6月

   私は素人目ではあるが八割おじさんこと理論疫学者西浦博教授の折々の指摘や提言を評価している。「人の接触を八割減らす」という言葉が独り歩きしたきらいはあるが、政府の「宣言」の有無にかかわらず、今は、ソーシャルディスタンスの確保 マスクの着用 体調が優れないときは外出自粛 三密の場(特に友人との飲酒)は避ける 同居家族以外とマスクなしで会話しない‥は的を射ていると思っている。

 逆に言えば、手洗いなどをこまめにして上記を守っていれば、ある程度の社会的活動は出来る。一律に自粛するのではなく、メリハリのある対策をしていこうという主張も納得できる。

 その場合難しいのは、深く考えることなく、屋外ならいいだろうと野外宴会をしたり、宣言されていない県ならいいだろうと派手な旅行をする人々の出てくることだろう。私自身、マイカーなどを利用してハイキングに行ったり、屋外で食事をしても許される範囲があると思っているし、吉永小百合さんが「スクリーンからウイルスは飛んできません」と異議申し立てをしたように、映画館、美術館、博物館の休館などはナンセンスだと思う。

 為政者は、そこへ行く移動途中が問題なのだというかもしれないが、電車のダイヤを間引きしたり車両編成を削減しているのは誰だと言いたい。デパートにしても、デパ地下以上に混雑しているフロアはないのだが、「庶民の楽しみを遮断すれば人は動かなくだろう」という嫌がらせが政策の中心に座っている。

 翻ってコロナでいえば、為政者は庶民に外出自粛ばかりを要求し、たまたま外出中の「不埒な馬鹿者」を主犯に仕立て上げて、大規模検査と隔離、ワクチンの大至急接種、医療体制の大幅テコ入れなど、最も中心になるべき施策をサボっている。

 政府の成長戦略会議メンバーのデービット・アトキンソンが「日本の中小企業は多すぎる」と声高に主張しているが、コロナ自粛要請下の中小企業支援・補償が一向に進んでいないのも、この機会に「中小企業を適正規模まで減らす‥つまりはこの機に潰す」政策ではないかと疑いたくなる。

 奈良では、この時期満開の紫陽花で有名な矢田寺が、人々が来たらいかんので蕾を全部摘んでしまった。 きれいごとでは済まない、花が咲いたら三密になる、その気持ちもわからないではないが、私の心は十分整理できないでいる。

 そもそも何故密を避けずに出歩く人がいるのか。私は該当の人々が為政者の言葉を信じていないからだと思う。オリンピックにしても、スポーツマンシップやアスリートの願いは上手く修飾語に利用されているだけで、本心は桁違いの利権に群がる者たちの発言だろう。新型変異株対策もないまま、学校の運動会は中止を要請するもオリンピックはするというロジックの正当性を誰も信じてはいない。

 冒頭に述べたとおり、私は人の流れを抑えることには反対ではない。しかし、政権は自らの責任と仕事をせずに、一部の「不埒な馬鹿者」に責任を転嫁している。#オリンピックは中止せよ! 

2021年6月6日日曜日

   6月6日付け(週刊の)大阪民主新報を読んだ方々から多くのメールをいただいた。私が5月21日のブログ記事で紹介した堺の調御寺(ぢょうごじ)住職加藤弁英師のインタビュー記事が第8頁の一面の9割を割いて掲載されたからである。

 ただ、大阪民主新報読者はそれほど多くないと思われ、それにしても素晴らしい記事なので、5日の土曜日に多くの友人たちにその新聞の郵送プレゼント作業をした。大阪府は緊急事態宣言下であるが、これは不用でもないし不急でもない。

 加藤師のお寺は禅宗ではないが、よい意味でみんなに”喝”をいただいた。

 さて、少なくない世間では、神社やお寺関係の宗教人が政権与党を応援しても誰も何も言わないが、共産党を応援するとなると驚くことがあるのは不思議なことだが、先日は赤旗に奈良市の天理教の分教会長さんが、「世界一れつ陽気ぐらし」「谷底せり上げ」という天理教の考えは日本共産党と一致するとエールを送っておられた。これこそ普通の良心の発露だと思われる。

 「あの世」のイメージなどはそれぞれが考えればよく、そのイメージが異なっても、この世に「忘己利他」の精神で幸せの輪を広げようという点で一致すれば手をつなぎ力を合わせるのが素直な結論だと私は思う。そんな「当たり前」を当たり前ということが躊躇われるなら、そう思わせている「圧力」こそが問題だろう。

 今は、確かに頻繁に集合したりはできないが、電話もメールもSNSも遮断はされていない。加藤師の喝に応えて頑張ろう。加藤さん、ありがとうございました。「カトーちゃんスゴイね」という声はいっぱい届いていますよ。

2021年6月5日土曜日

赤とんぼ お里のたより

   童謡『赤とんぼ』の3番は、

 〽 十五で姐やは 嫁に行き  お里のたよりも 絶えはてた である。

 この歌、この歳まで細かなことは気にせず歌ってきたが、つい最近、伊藤千尋著『心の歌よ!』を読んで、「へえ~、そういうことだったんだ」と初めて知ったことがある。

 三木露風少年5歳のとき、母は父と離婚し、顔を合わせれば取りすがるだろうからと、最後のひとことも交わすことなく家を出ていき、釘付けされた玄関で途方に暮れているところを祖母が迎えに来た。

 そして少年は姐やと呼ばれる子守の娘に育てられ、家制度の厳しい時代、露風にあてて手紙を出すこともできなかった母は姐やにあてて手紙を書き、姐やはそれを露風少年に伝えていたという。お里のたよりとはそういうものであった。知らなかった。

 姐やも半ば労働力の売り買いのようにお嫁に行ったかもしれない。そんなことを想像すると、幼児向けの童謡というよりも、『赤とんぼ』は叙情歌の代表曲と誉めても言い過ぎではないような気がする。

2021年6月4日金曜日

契約書面の電子化は怖い

   民放テレビからは当然ながら各種のCMや通販情報?が流れてくる。巣ごもりのため昼間にテレビを見ていると、明らかにターゲットは高齢者に向いている。健康、美容そして保険などなど。もちろんその効能は魔法のような、まるでノーベル賞もののようだが、画面の下に小さく「個人の感想です」と書かれている。中には一通りの宣伝の後画面いっぱいに文字が映し出されるが、きっと、トラブった際の言い訳のような画面なのだろう。だいたい直ぐに消えるから全文は読めない。こういうのをアリバイあるいは脱法行為という。

   テレビに限らずネット社会も同様だ。新しいアプリをインストールする場合など「同意する」をポチッとするのだが、私などは普通のアプリではその文章をしっかり読んだりはしない。(よくないことは分っているが)
 少し前の話だが、クレジット会社から覚えのない引き落しの通知があった。苦労して辿っていくと「アマゾンプレミアムの会費」だった。それは、以前の購入の際「無料で即日発送」というのをポチッとしたことによる。後でわかったが、その際、ダラダラと長い説明書きの最後の方に小さな字で、「意思表示がなければプレミアム会員になる」と書いてあった。この件は”加入しない”手続きをして費用を全額取り戻したが、いい勉強になった。

   さて国会では、特定商取引法等改定案が審議されているが、全体としては消費者保護のためのものであったが、首相が「行政のデジタル化」を打ち出したのに悪乗りして、井上信治消費者担当相が、急遽改定案に契約書面の電子化を入れ込んで、せっかくのいい改正案に泥を塗ってしまっている。
 多数の高齢者が被害にあったジャパンライフ事件では家族が紙の契約書で被害に気付くなど被害を食い止めたが、これが電子化でOKとなると、当の高齢者も家族もみんな気づかない闇の中に消えてしまう。

 菅義偉首相や麻生太郎副総理は、共産党大門議員の指摘を受け、政省令で歯止めをかけるよう指示しているが、大門議員は、政省令では被害の拡大を確実に防げる保証はないとして、「そんな小細工を弄(ろう)するより、書面電子化の部分をキッパリ法案から削除すべきだ」と迫っている。

   ほんとうにこの政権は、無能な上に質が悪い。「騙される奴が悪い」などと言うなかれ。「普通の庶民は騙されるものだ」という現実の上に被害者を生まない施策が政治であろう。

2021年6月2日水曜日

ワッチキャップを買う

   妻が普段使いのワッチキャップが欲しいと言った。正確にいえば、こころ旅の火野正平さんが被っている帽子が欲しいと言った。ということで、ネットで『火野正平 帽子』と検索したら、ワッチキャップというらしいことが分り(正確かどうかは自信はないが)、何百円から一万円近いものまでがズラーッと出てきた。ネット社会の便利さには帽子だけに脱帽だ。

   セットが不十分な髪を隠すだけの目的だからと1000円の物をポチッとしたら翌々日にはポストに入っていた。
 そういえば、コロナ不況下で通販は大幅に伸びているらしいが、分る分る。

 妻はこれ以外にもレインシューズにもなりそうな靴が欲しいと言った。近くのいくつかの靴屋にはいいのがなかった。そして、京都府下の少し大きなショッピングモール内の靴屋はほとんどが休業中だった。薬局などは生活必需品ということで開いているから、反対にいうと靴は生活必需品ではないらしい。
 結局、「人流」などという聞いたこともない言葉のために、弱いところを泣かせて外出を抑えようと思わせる作戦だ。

   政治の責任があいまいにされ、「無責任な国民が悪い」と転嫁する作戦だ。嫌な世の中になったものだ。
 子や孫の未来のために、こんな政治は大掃除しなければならないと思うが、先日の受傷以後、少し気力が萎えている。イカンイカン。