2020年8月31日月曜日

今は無き故郷の海

   このブログで以前に書いたことがあるが、私は小学生の頃、夏休みというと毎日のように海に遊び、夕方には遊びの間に足で砂を掘って採ったモチ貝を持ち帰り、コンロで焼いて醤油を垂らして友人たちと食べたていた。その味は今も想い出の味である。

 ところが茅渟の海(大阪湾南部)の暮らしや歴史に関する本を開いても「モチ貝を食べた」というような文章にはなかなか出会うことがなく、ネットで検索したときには「モチ貝は不味い」という文章にまで出会って驚いたことがある。
 そんなもので、故郷の海ははるか昔に巨大コンビナートに変わり、スーパーの魚売場にそれは勿論並ぶこともなく、私は「孤塁を守る」気分で、その後巡り合った友人たちに「モチ貝は美味しかった」と言い続けてきた。

 さて、8月30日のしんぶん赤旗6面投稿欄に『ふるさと自慢』というのがあり、『遠浅の堺の海に』という長田平さん(90歳)の投稿があった。
 長田さんはだいぶ先輩にあたるが、その「遠浅の海」はきっと私の遊んだ海「堺の大浜」のことだと思う。
 そしてその投稿には「浅瀬でモチガイが捕れ、持ち帰って七輪の炭火で網焼き。ぽっかり口を開いてしょうゆをたらして食べる味は忘れられない」とあり、私の記憶もいっぺんに小学生の頃の堺の大浜とモチ貝にタイムスリップしてしまった。

 歳をとると、特に先日来体調が芳しくない状態が続いていたので、こういう何ということもない投稿に嬉しくなった。
 そういう意味でも投稿欄は大切だと思う。気力を回復させて私も投稿に挑戦したいものだ。
 なお、この堺の大浜の海は、与謝野晶子が「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女(おとめ)となりし父母の家」と詠った海でもある。
 長田さん、投稿ありがとうございました。

2020年8月30日日曜日

言葉の歴史性

   8月29日の夕刊に住井すゑさんの未公開の日記が発見されたことが報じられた。
 『橋のない川』執筆前夜の日記である。
 その記事で私が少し驚いたのは、住井さんが当時普通に「特殊部落」という言葉を使用していたことだった。
 私の推測では、関西では普通に集落のことを部落と言っていたので未解放部落のことを普通に特殊部落と言っていたらしい。
 それは当時の行政やメディアのアナウンスの所為でもあり、故に住井さんのこの文字(文章)にも差別の意識はなかったと思う。
 さて後日、「何が特殊か」という問いかけなどで「特殊部落」という言葉は『差別語』とされたのであるが、私は改めて『差別表現』の背景について考え込むのだった。

 同じ日、テレビでは大坂なおみさんが『Blak Lives Matter』(黒人の命も大切だ:和訳はいろいろある)のTシャツを着て準決勝のコートに登場したことを報じていた。
 少なくとも米国内では、かつて『Blak』 は差別語のニュアンスが強かったが、このTシャツのとおり現代では普通に黒人のことを指すようになったらしい。
 この世に「純粋の言葉」などはなく、言葉は常に歴史や社会をまとっている。
 私は言葉やその言葉で名指しされる人々の感情に鈍感で良いとは言わないが、言葉の背景を無視してやたらに「差別用語だ」と言葉狩りをするのには大いに異議がある。

 過日朝日新聞が配偶者のことをどう呼ぶかという記事を載せていた。
 話し言葉でいうと私は妻のことをいうのに「家内が」と言い、相手に対しては「奥様は」と言うことが多い。
 この言葉はどちらも「家の内」や「家の奥」という漢字の歴史を背負っているのは間違いないが、なかなか良い言いかえが見つからない。
 「連れ合い」「お連れ合い」という主張も十分知っているが、私などは反抗期あたりの青年が友達などを「ツレ」と言うのとダブってもう一つ馴染めない。
 戦後民主化の時代だろうか、父親が「ワイフ」と言っていたことがあるが、この頃はあまり聞かなくなった。

 前の記事で殷の時代の青銅器を書いたが、漢字のルーツは殷の甲骨文字であるから、その文字の後進性を論ずれば圧倒的な漢字はほとんど使用不可能になる。
 字源の歴史性を理解しながらも新しい社会性をまとわせて使用していかなければ今後の漢字文化はありえない。
 単純な「言いかえ」に逃げるのでなく、正々堂々と議論を重ねていくしかないように思う。

2020年8月25日火曜日

殷の青銅器

   奈良国立博物館には青銅器館があり、中国古代青銅器(坂本コレクション)が常設展示されている。
 殷の初期というから紀元前2000年頃からのコレクションである。
 ちなみに紀元前2000年頃の日本列島はというと縄文時代後期で、長野県茅野市出土の『仮面土偶』が紀元前1500年頃といわれている。

 青銅器館は撮影可である。
 で撮影した『鳳凰文卣(ユウ)』(写真)などと対面すると、歴史というか文化の奥深さにただただ圧倒されて動けなくなる。

 世界は広い、そして歴史は深い。
 同時に、ある種爛熟した文化も直線的には進化せず、各地で没落した現実に考え込まされる。
 現代人は歴史のスパンで眺めれば、どんな段階でどちらを向いているのだろうか。

 先進科学、先進技術は飛躍したが、人心は豊かに成長しているだろうか。
 殷代の青銅器を前にすると、頭の中がくるくるする。
 体調を壊す以前に行ってきたが、今でも紀元前2000年頃の黄河文化、長江文化、縄文文化をいろいろ想像している。

2020年8月24日月曜日

愛国者は誰だ

厚労省のホームページにコロナの『水際対策の抜本的強化に関するQA(令和2年8月6日時点版)』が掲載され、要旨次のように指示されている。
◆ 検疫について
全ての国・地域から入国される全ての方には、入国の前後で以下の対応をお願いします。
 □ 検疫所長が指定する場所(自宅など)で入国の次の日から起算して14 日間待機する滞在場所を確保すること
□ 到着する空港等から、その滞在場所まで公共通機関を使用せずに移動する手段を確保すること
□ 入国後に待機する滞在場所と、空港等から移動する手段を検疫所に登録すること

 ・・加えて、・・入国した日の過去14日以内に入管法に基づく『入国拒否対象地域』に滞在歴のある方については、
□ 新型コロナウイルスの検査を受けること
□ 検査結果が出るまで、原則、空港内のスペース又は検疫所が指定した施設等で、待機すること(当面の間、福岡空港は除外)
* 到着から検査結果が判明して入国するまでの所要時間は、状況によるが数時間~2日程度

・・なお、この対象地域には広範囲の各国が指定されており、世界最大の感染国アメリカは当然指定されている。

ところが・・・・! 日米地位協定で米軍軍人・軍属・家族は日本の出入国管理、検疫などの日本の法律を免除されている。
そのため、定期的に飛来している米軍チャーター機「パトリオット・エクスプレス」をはじめ、この夏は米軍の人事異動で沖縄県だけでも5000人から7000人が入国した(沖縄国際大学前泊教授)との報道もある。
入国した人びとはフェンスを越えて全く自由に基地外に出入りしている。
沖縄県のコロナの危険な現状はGo Toトラベル以前にこういう大問題に原因があろう。
身近な関西でも、京丹後米軍レーダー基地で17日現在で15人の感染が確認されている。

米軍基地を認めているドイツ、イタリア、韓国など普通の独立国ではこんな治外法権は認められていない。
韓国やアジアの国々に対して尊大な態度をとる安倍政権は、メダルの裏表の如くトランプのポチに甘んじ抗議すらしていない。
安倍応援団といわれる右翼の皆さんも同じである。
コロナの問題でもあり、外交の問題でもあるが、私はこの国の政府に蔓延しているこのような奴隷根性、精神の不潔さを心から憂いている。

2020年8月23日日曜日

似たもの同士

   昨日ベラルーシのことを書いたが、その国の独裁者ルカシェンコ大統領は「ウイルスなんか存在しない」「コロナは心の病」「ウォッカやサウナが効く」と豪語して自身が感染した。

 トランプ大統領も「コロナの99%は無害だ」「消毒液を注射してはどうか」「抗マラリア薬が画期的な薬だ」と豪語に次ぐ豪語で世界一の感染者数を更新している。。

 そして大阪府吉村知事は「うがい薬でコロナに打ち勝てる」「嘘のようなほんとうの話」と大見えを切って、人口比でみると東京と同レベル、または東京以上に感染者数等のワースト争いをしている。

 吉村知事ら維新の人びとの科学的データ無視のパフォーマンスは性癖のようなものであるが、メディアがもてはやした「大阪モデル」も黄信号、赤信号の基準を度々引き上げ、「結果を見てから基準を決めるのを科学でこれをしたら信頼性が揺らぐ。大阪モデルは科学ではなく政治だ」と山中伸弥教授に批判されている。

 科学的見解に背を向け、市民を煽る扇動政治家は見事に「似たもの同士」だと思う。
 
 松井大阪市長は「公務なし」を続け、吉村知事は在阪テレビ局に「通勤」している。
 小池東京都知事の「ICU入院は重症者に含めずに発表」して詐欺師まがいに「成果」を演出するのもえげつないが、イソジン知事の大阪モデルも五十歩百歩でないだろうか。

 そういう中、大阪維新はコロナそっちのけで「大阪市を廃止する」トコーソーの住民投票に突っ走り、「選挙に対立候補を立てるぞ」という脅しに屈した公明党がそれに乗っている。

 橋下元知事・市長自身が「保健所などの縮小で迷惑をかけた」と発言したように、彼らの「無駄を省く」というキャッチフレーズの本質が「福祉を省く」「セーフティネットを省く」であったことは明らかだ。
 「小さな政府」という新自由主義がこの国を如何に脆弱にして格差社会を拡大したかは明らかではないだろうか。
 「府立病院と市立病院があるのが二重行政だ」と言って進めてきた維新の政治が市民にとっていかに危険なモノであるかははっきりした。

2020年8月22日土曜日

白ロシア

 ベラルーシで現職の独裁的な大統領派による大規模な選挙結果の改竄が行なわれたと報じられている。
 大規模な民主化の声が暴力で抹殺されている。
 抗議する女性たちのポスターには「私の声は静かだけど、それは私が黙っているという意味ではありません」と書かれている。(それらの諸事実はフェイスブックで報じられている)

 さて「ベラルーシ」という国名は、私などは「白ロシア」という言葉で馴染んでいたが、その国名の由来はWikipediaでは次のように書かれている。

 ▮ 「ベラルーシ」の国名の由来は明らかではないが、ルーシの人々は13世紀から16世紀にかけてモンゴルの支配を受け(タタールのくびき)、ベラルーシの国名の由来である白ルーシ(英語版)の名前の由来をモンゴルに関連付ける説がいくつか挙げられている]
 その際、モンゴル人が中国から学んだ文化である「方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」をルーシに持ち込んだため、「赤ルーシ」(南部ルーシすなわち現在のウクライナ西部)、「白ルーシ」(西部ルーシすなわち現在のベラルーシ)、「黒ルーシ」(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)という名称が生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残ったと言われている。
 モンゴル系の国家で用いられたテュルク系の言語の影響を受けて生まれた、「自由な、支配から解放された」白ルーシと「隷属した」黒ルーシの呼称を起源とする説も存在する。▮

 私は前段の論に説得力を感じている。
 そして、五行思想=陰陽道がこんな風に残っていることにある種感動を覚えている。
 四神と重ねるとこうなる。
 北が冬で黒で玄武、東が春で青で青龍、南が夏で朱で朱鳥、そして西が秋で白で白虎。
 ちなみに北原白秋の雅号もこれに拠っている。
 また薬師寺薬師如来台座にも表現されている。

 近頃はDNAの解析が飛躍的に進み、英レイセスター大学研究チームの論文では「世界の1600万人がチンギス・ハンの直系子孫だと発表されている。
 侵略された方からすると「タタールのくびき」だが、その結果、美男美女といわれる人々とベラルーシという国名が残っているという説もある。
 ベラルーシの民主化を闘う人々に共感しつつ、そんなことを考えた。
 歴史はある意味残酷なものだ。

2020年8月20日木曜日

遺憾です

 某大学のラグビー部でクラスターが発生し、副学長が記者会見で「遺憾です」と述べていたのに違和感を覚えた。
 「遺憾です」という言葉は政治用語だ!とまでは言わないが、どうも心からの謝罪の気持ちは感じられない。
 テレビで観た感じでは部員は寮制で、学校側の管理者責任が大きいと私は思うのにだ。(一般論を言えば学生が感染症に感染したからといって大学に謝罪すべき責任はないとは思っているが、本件では管理者責任があると考えている)

 言葉は生き物だから硬いことを言う気はないが、いわゆる謝罪会見で政治家みたいに「遺憾です」などと言うのは教育者として如何なものだろう。
 「そういう言葉で責任をあいまいにするのは遺憾だ」という使用方法の方が正しくないだろうか。
 それもこれも淵源は、言葉を弄ぶ政権由来であることは間違いない。
 ああ、遺憾だ遺憾だ遺憾だ。

2020年8月19日水曜日

負うた孫に教えられ

 スマホやSNSなどについては最も遠い場所にいた妻の姉だったが、スマホに替えてラインを入れて少し様変わりをしている。
 先日怪我をしたというので、その経過を妻とラインのビデオ通話で傷口を見せながら話している。
 私などはビデオ通話など実際にはしないから、妻の姉妹通話の方が余程進んでいる。

 その会話の途中で、我が家に来ていた小3の孫が横から手を出して、画面(動画)の妻の顏にいろんな面白い加工をして、途中から話はそのことで大いに盛り上がった。
 ラインは入れていても我が夫婦だけならこんなチャレンジはしなかっただろう。
 負うた孫に教えられ・・とはよく言ったものだ。

   孫はまだ半病人の私の写真を撮って、元気そうに加工してやったよと言っている。
 翻って我が友人仲間では、5,6年来「ミニコミ紙の編集をやり取りできるようにメール機能ぐらいは共有しよう」と言っているが一向に進まない。
 もう少し正直に話せば、かたくなに拒否している人もいる。
 
 戦争法の時、検察庁法の時、香港で、コロナ下の社会でSNSやAI機器を抜きにして世の中を語ることができないと思うのだが、徹底して拒否する立場からは自分の立ち位置も見えないようだ。

 そんなに構える話でもなく、我が孫は二人とも比較的近所にいるのでそうではないが、二つのファミリーとも、お嫁さんの方の両親(祖父&祖母)やお婿さんの方の両親(祖父&祖母)とはオンラインで孫を見せて通話をしている。コロナ以降は特にそうである。
 そういう条件でいえば必要性が低いので我が家の方が遅れているぐらいだ。

 さて又聞きだが、同年代の女性の方がビデオ通話も進んでいるようだ。よい意味で女性の方がおしゃべりが好きなのだろう。オンライン飲み会もされている。
 自分も含めジジイはもうひとつかもね。
 ラインのビデオ通話でいうと私は画面上の自分自身の老いた顔にがっくりした。ああ、特に首筋・・・・・
 そして私はがっくりして尻尾を巻いたが、女性たちは「弱点」を消し去るビデオライトを購入して対処しているらしい。さすが。さすが。

2020年8月18日火曜日

ラ・フォンテーヌの寓話

 フランス文学者・奥本大三郎著『奥本昆虫記』の「セミ」にイソップ物語の「アリとキリギリス」の話がある。
 この寓話は元々ギリシャ~小アジアあたりの民話であったものを、17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが「ラ・フォンテーヌ寓話集」に取り入れたことからヨーロッパに拡がったらしい。そして(イソップがまとめたとされている)元々の民話は「アリとセミ」であった。

   ところが南仏を除く大部分のフランス以北にはセミがいない。そこで自身もセミを知らないラ・フォンテーヌは、冬になったセミにアリのところへ「穀物を少し貸してくださいな」と物乞いに行かした。
 この話はさらにセミを知らない中部から北部のヨーロッパ人のために、アリとキリギリスと翻訳され、ついに日本でもアリとキリギリスになって今に至っているらしい。

 なので「欧米では日本映画の蝉しぐれを雑音だという」テーマについて、通説の「日本人とヨーロッパ人では虫の声を聴き分ける脳の分野が違う」という以前に、そもそも木にとまっているセミ、樹液を吸っているセミを知らなかったのだという指摘は浅学の私には新鮮だった。

 さて今年は、お花見を中止してからこっち基本的にはステイホームの毎日で、知らぬ間に秋も立ちお盆も過ぎた。
 そんなもので、ハルゼミを聞いた覚えがない。その代わり夏には部屋の中からセミの声を注視(声)したので、ニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミはしかと確認した。
 ああ、来春はハルゼミの声を聴けるハイキングぐらいには行きたいものだ。

2020年8月17日月曜日

究極のお守り

   隅鬼すみおに(6月17日)、アマビエ(7月8日)、ネコビエ(7月22日)のお守りに次いで、コロナをはじめとする邪気を払う究極のお守り『泡盛カメジロー』が沖縄の不屈館から届いた。

 中国では三国志の英雄などが神になってお守りになっているが、カメジローは神やお守りではなく、人間如何に生きるべきかの案内人だと思う。

 さて、コロナ肺炎に真面目に向き合わない安倍政権は火事場泥棒のように己(おのれ)らの利権拡大に汲々として、結果としてGoToトラベルなどの結果、いま沖縄は大変なことになっている。
 派生して、純民間の施設である『不屈館』も来館者が激減して苦境に陥っている。
 そんなこともあって『泡盛カメジロー』を求めたのだが、『不屈館』へのカンパというよりも郵便局にカンパしたみたいで、・・・まいいか。
 
 下の写真のとおり『泡盛カメジロー』は非常に小さくて可愛い。
 しかし、絶対的権力として君臨した米軍が最も恐れた男であった。
  なお、18日(火)21:00 NHKニュースウォッチ9で、リモート取材された『不屈館』が放映される。乞うご視聴!

2020年8月16日日曜日

送り火

   孫の凜ちゃんと日盛りに送り火を焚いた。
 生者はいろいろ忙しいので早々にお引き取りを願って送り出したわけ。
 写真は加工して夜の雰囲気にした。

津軽の拳

84日のふじたけんじさんの『青森のこどもたち』で私は、
 「津軽(鶴田町)のじゃんけんは初耳だった。
  人差し指一本を出して「槍」、
 指を全部開いて「風呂敷」、
 指を握って「おにぎり」、
  ・・勝ち負けとその理由は(私は)わからない」と書いた。

 とは言っても近頃のことだから少し検索すれば判るだろうと思って検索した。その結果、
  グー   =にぎり      =農民
チョキ =槍        =武士
  パー =笏(しゃく、へら)=公家  で、
  農民<武士<公家<農民 の三すくみになる。
  公家<農民の理由は、自ら生産に従事しない公家は農民の生産(おにぎり)に依拠せざるを得ないからとあった。

   しかしこれではふじたけんじさんのいうパーの風呂敷の意味が分からない。
 風呂敷が何かしら公家をシンボライズするのか、風呂敷で想像される商人ということで、農民<武士<商人<農民というロジックが成立するのか判らない。

 そこで、いろんな国語、古語、方言などなどの本を読み探したが判らず、体調不良のため図書館にも行けず、大阪の青森県人会幹部のTさんにメールで尋ねてみたところ、Tさんからは、青森県人会の席上と想像できる場所から電話がかかってきて、「青森の拳は千差万別で答は誰も判らない」とのことだった。

 その後体調不良もあり廻らない頭で考え続けたが、なかなか問題は解けずにいたところ、もう一度いろいろ検索してみるかと再開したところ、次のサイトに到着した。

青森県音楽資料保存協会 事務局日記 バックナンバー <2004年9月(2)>の(334)わらべ唄 青森風土記 その32       
2004 916() 【第4集(昭和39年1月刊行)より】
  ★拳(けん)遊び★
 春夏秋冬、男女とも先攻後攻を決めたり、鬼を決めたり、二つの組を決めたり、いろいろなときに使う。
 二人で握手した格好から、津軽では口で「しゅっ しゅっ しゅっ」と拳の前に唱える。こうして「津軽拳」の勝負が始まるのである。ここにわらべ唄が伴う。
①ろうそく、あめだま、ふるしぎ(ふろしき)
 ろうそく(やり)・・・人差指を伸ばす
 あめだま(にぎり)・・こぶし
 ふるしぎ(へら)・・・全部の指をのばした手の平

 こうして、ふるしぎがどうしてへら(笏)つまり公家なのかは不明ながら、明らかに 農民<武士<公家<農民 のロジックで成り立っているのが確認できた。
 青森県人会重鎮のTさんが「答ではないけれど、青森県人は高いもの、広いもの、大きいもの、重いものが大好きなのでそんな角度からも研究してみて」と言った言葉を、楽しくあのねぶた(ねぷた)を思い浮かべながらこの記事を閉じることにする。

2020年8月15日土曜日

ハバネロ

   体調を壊し食欲不振も継続し、食べないからしんどい、しんどいから食べないという悪循環に陥っていた。
 こういう時は、無理やり自分自身を鼓舞する必要がある。(というようなことは正しくないことかもしれないが)

 で、壁に吊ってあるハバネロでも食べて自身の心身をびっくりさせてやろうかなどと考え、手始めに鷹の爪を漬けこんだオリーブオイルを使ったものから食べ始めている。

 以前大阪の居酒屋で注文した万願寺の中に辛いのがあってとんだ目に遭ったことがあるから、ハバネロは正直なところ逡巡している。

 今般の体調不良でも実感するのだが、病気というのはほんとうに疫鬼がどこかから侵入し、快復するというのは疫鬼が抜けていくように・・先人たちが感じたのはおかしくも何もない。
 医学を軽んじて呪術に頼るのは間違いだが、そんな先人たちの感覚や願いに思いをはせるのは大切ではないだろうか。
 祇園会も薬師如来もアマビエもみんな頑張れ。
 壁のハバネロを眺めて私は力をもらっている。

2020年8月14日金曜日

お盆の迎え火

   間もなく75年目の敗戦記念日なので7月下旬からブログ記事の構想を考えていた。その骨子は、明治憲法下の政治と国民が、何故あれほど明確な常識的・科学的数字で「ありえない」戦争に突き進んだのか、その教訓は現代社会とどこが重なりどこが異なるのか・・とまで考えていたのだが、世の中一寸先は闇のとおり予想外に体調を壊し、そうなると回復傾向にあるとは言うものの思考が全く停止状態なので、その記事はとりあえず棚上げにすることにした。

 閑話休題、私が夜間救急病院に担ぎ込まれたことなどから妻もてんやわんやで、そんなもので義母の初盆も半ば飛んでしまった。
 ただ半可通だが、親鸞の教えには「追善回向の盂蘭盆会」はないからそれでもいいのかもしれないが、とは言え私などは「ああ初盆だ」と思うことで初めていろいろ振り返ってみるということもあるので、親鸞さんには申し訳ないが、私は写真のとおり迎え火を焚いた。送り火もするつもりだ。

 今年はコロナ禍で五山の送り火も抜本的に縮小されるようだから、ささやかながら私流に送りたい。 

2020年8月9日日曜日

核兵器禁止条約

 75年前の8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。その悲惨な様子の一端は6日のブログに書いた。
 今日は主に核兵器禁止条約(TPNW)を考えたい。

   核兵器は20206月1日現在1万3410発地球上に存在している。
 広島、長崎の原子爆弾は、今から見れば極めて旧式の小型のものだったが、4か月余りのうちに21万人の命をうばい、生き延びた人々も放射線障害などによって長年苦しんだ。
 被爆者が語る言語に絶する体験は、この兵器が他に例をみない非人道的な大量破壊兵器であることをはっきりと示している。いかなる理由であれ、いかなる地においても、再び使われてはならない「悪魔の兵器」である。

 また核戦争防止国際医師会議「核の飢饉2013年」によると、現存する核兵器のごく一部(100発程度)が都市で爆発しただけでも、舞い上がった粉塵によって、地球全体の気候に変動がおき、20億人が飢餓に瀕すると忠告されている。

 にもかかわらず、トランプ政権は、より使い易い「小型」核兵器の開発に踏み出し、1980年代の米ソ対立時代につくられたINF条約(中距離核戦略全廃条約)から一方的に離脱を表明し、2021年に期限をむかえる米ロの戦略核兵器制限条約(新START)が延長されない可能性も高まっている。

 現在、米ロ両国では約1800発の核弾頭を搭載したミサイルが「高度警戒態勢」にあるといわれていて、これは何か異変があればすぐにでも発射できる状態になっているということで、意図的な核攻撃だけでなく、人為的なミスなどで核ミサイルを打ち合いかねない危険な状態にある。つまり、核兵器が偶発的に使われてしまう危険が常にある。

 こういう状況下で2017年7月、核兵器禁止条約(以下TPNW)が国連加盟国の約3分の2にあたる122カ国の賛成で採択された。
 TPNWは、国際協定として歴史上はじめて、核兵器を明示的に違法化し禁止するもので歴史的な意義ある条約だ。
 条約は8月6日現在43か国が批准していて、50番目の国が批准してから90日後に発効することになっているのであと7か国だ。

 6日の広島市長の平和宣言でも条約批准を政府に迫り、式典後の被爆者代表による首相との会談でも同様の要求が出されたが、安倍首相はそれに応えなかった。
 戦前の国際連盟脱退ではないが、日本の安倍政権は世界の厄介者になりつつある。

 私自身の記憶を遡ってみると、ふた昔ほど前には「核抑止力論」が真顔で語られていた。
 「それはチキンレースだ」というまともな指摘は「お花畑だ」と嘲笑されたこともあった。
 しかし、被爆者による世界へのアピール行動や、毎年の原水禁世界大会や、その日に向けて全国から歩いて向かう平和行進などの積み上げで、核兵器禁止条約(TPNW)発効目前まで私たちは今たどり着いている。
 先駆者の苦労する姿を笑う者はいつの時代にもいるものだ。しかし、言い出すもの、それをコツコツと引き継ぐものが真の歴史の主人公になるのだ。
 SNSをお持ちの方々は、皆さん自身の声でヒロシマ、ナガサキを語ってほしい。

2020年8月8日土曜日

昭和の香り

〇 おかんが言うにはな、瓜みたいやけど漬物にならんらしい
▲ まっか(真桑瓜)やろ、スイカの皮漬けるもんはおるけどまっかを漬ける奴はおらんからな
〇 縄文人も食べてたらしいねん
▲ そしたらまっかとは違うかあ。縄文人がデザート言うのん聞いたことないしな
〇 昭和の香りがするらしいねん
▲ そしたらまっかやろまっかは頭の中でメロンを想像しながら食べるもんや
〇 胡瓜みたいに棚に這わして育てた言うんや
▲ そなまっか違うかあ。瓜は畝に這わして植えるもんやからな
〇 お盆の頃が旬や言うねん
▲ まっかに決まってるやろ、小さい孫にメロンや言うて騙して祖母ちゃんの株を挙げようという煩悩の塊なんやまっか

   今年の菜園ではトマトやキュウリの間にメロンとまっか(真桑瓜)を植え、ネットで棚に引き上げて育ててみた。失敗ではなかった。
 棚からぶら下がった風景はGood!だった。

 はて、テレビの中でどんな食べ物でも「甘~い」と言うようになったのはいつ頃からのことだろう。
 複雑な旨味を「甘~い」としか表現できない人は味盲ではないかと勘繰っているが、大げさではなく情報に流され、同調圧力に屈しているのだ。

 そんな彼ら彼女らにこんなまっかのそこはかとない旨味はわかるまい。
 メロンなんか何処の喫茶店でも食べられるが、まっかを食べさせるフルーツパーラーはほとんど(まったく)ないぞ。

 ミルクボーイもどき▲が「縄文人がデザート言うのん聞いたことない」というのは現代人には当然かもしれないが、縄文初期の遺跡からまっかの種が出土している。
 〇が「昭和の香り」と例えたのは名言で、これ以上の誉め言葉は見当たらない。

2020年8月7日金曜日

敵基地攻撃力

 昨日は75年前の原爆の悲惨さを書いた。
   私の感想を言えば、核戦争の時代には勝者は残らないだろうということだ。
 そんな折、コロナ対策では何も有効な施策を打ち出せない安倍内閣が、敵基地攻撃を提言した自民党提案に「速やかに実行したい」と記者団に述べた。自民党のメンバーは「首相の意気込みを感じる」と語ったと報じられている。

 うがった見方では、イージスアショアのキャンセル料の代わりの装備購入という意見もあるようだが、戦争法、秘密保護法など「着々と」戦争のできる国造りを進めてきた安倍政権の本音は「速やかに実行したい」であろう。

 イージスアショアの説明は「飛んできたミサイルを撃ち落とす」であったが、実際には監視衛星その他膨大なシステムを構築しないと機能しないため、いわゆる国防族は「より簡単な敵基地攻撃力」に舵を切ったのだと思う。

 「撃たれたら撃ち返すぞ」という抑止力だという説明は嘘だろう。その程度の「軍事力」は自衛隊に既に十分装備されている。
 だとすると、「動きがあれば撃たれる前に撃つ」が今回の基本方針と言えるが、結局それは、戦前の大日本帝国が採用した、そして戦後のアメリカが中東派兵等で採用してきた論法であり戦術でしかない。
 一言でいって、憲法違反の、さらには国際条約違反の戦争開始の理論である。
 すべての戦争は「防衛のため」と唱えられて始まっている。

 安倍自公政権の支離滅裂は、日本海側にズラーッと原発を並べておいた上でそのような政策を遂行しようということだ。
 津波の電源喪失でメルトダウンしたフクシマ第1原発を思い起こす必要がある。
 外交無策の安倍政権にこれ以上の火遊びの道具を与えるのは日本国民の命に係わることである。

2020年8月6日木曜日

知ってください

 今日は8月6日、広島に原子爆弾が投下された日。3日後の9日には長崎にも投下された。
 それは私自身が生まれるほんの1年前(1945年)のことだが、若い頃の私にとっては時代劇を聞かされているようだった。幼児が「誰の世話にもならず自分自身で生きている」と思うようなものだ。
 世の中も高度経済成長時代に突入し、みんな揃って「嫌な過去は忘れよう」という背景もあったと思う。
 小学生になると(1954年)ビキニ環礁水爆実験で第五福龍丸被曝があった。「マグロを食べたらあかん」「雨にあたったらあかん」と報じられたが、一方で「放射能ぐらいで驚いていたら元気に生きていけない」というような大人たちの声も聞こえた。
 結局、学習と共感力で人は大人になっていくのだと思う。
 1978年第1刷発行の『広島・長崎―原子爆弾の記録』という本がある。当時の市民運動に支えられて発行されたもので、微力ながら私も参加した。
 数枚の写真をスマホで撮って紹介する。顔をそむけないで欲しい。これは事実であったのだから。
 1,2ページ目には小さな子どもの顏と次のような言葉が載せられている。
  あの日
  この子の前で
  起きたことを
  知っていただきたいのです
  あなたに
   そして
   日本の子どもたちに
   全世界の人びとに
 
 全身ぼろぼろに皮ふがたれさがった少女=8月10日―11日。大村海軍病院で。












 家の防空壕から逃げ出したものの、家の倒壊で脱出できず焼死したものと思われる。家族を探しにきたのだろうが若い女性がぼう然と、ただ、そこに立っていた。—長崎爆心地付近。8月10日。撮影:山端庸介








 くる日もくる日も新たな死者の数がふえつづけていた。火葬が毎日どこかの空き地で行なわれていた。遺族の手で葬られるもの、最後の一人を見送る仲間、あるいは引き取り手のいない遺体…。まだ暑さの残っている秋の夕暮れ、肉親を荼毘に付す家族の姿は淋しかった=浦上町〈緑町〉(1.3km)。9月中旬。撮影:松本栄一

2020年8月5日水曜日

土用干し

   「三日三晩の土用干し」は、いわゆる本や衣服の虫干し(土用干し)の類ではなく、また正倉院の曝涼のことでもなく梅干しのことで、土用の頃にこれをしないと梅干し(梅漬け)の梅にカビが入る。

 だから言い伝えや季節の行事レベルの話ではなく、非常に現実的な生活上必須の仕事である。

 テレビは北野天満宮が大福茶用の福梅(梅干し)の土用干しをしているのを報じていた。

 孫の夏ちゃんは食べ物の中で一番好きなものが梅干しと言う児なので、毎年夏ちゃんが夏休みに来たときに妻が手伝わせているのだが、今年はクーラーのかかった部屋でゲームをし続けて手伝わなかった。
 別に面白い作業でもないから仕方がないが、少し寂しい夏になった。児はこのように大きくなるのだとは分かっているのだが。

 正確ではないのかもしれないが、梅干しは季語にあるのに梅干しの土用干しは歳時記の言葉としては影が薄い。
 こんな大事な作業なのにどうしてだろう。

   望月や明日は死線の暑さとや

2020年8月4日火曜日

青森のこどもたち

   ふじた けんじさんの版画と文でできた豆本『青森のこどもたち』(青森文芸出版)を購入した。
 ふじた けんじさんは80歳にお成りだそうだが、およそ70数年昔(1945年~1950年ごろ)の子どもたちの遊びは、南部も津軽もそして私の過ごした河内や泉州堺でも基本的には同じだと言っても良いかもしれない。
 メンコのことを津軽ではビタ、南部ではバッタと言ったそうだが私はベッタと言っていた。先日方言のことを書いたが、この言葉の近さはたまたまだろうか。

   1ページ目には印刷ではないホンモノの版画付きだった。これも素晴らしい。

 『じゃことり』は津軽平野のまん中の田園風景で海に近い街中とは少し違うが、堺も少し自転車で外れれば、田圃もため池もあった。
 私はため池の「菱」を集めて湯掻いて食べた思い出がある。

 缶詰の空缶の底に紐を通して、下駄の鼻緒のように足の親指と人差し指(第二趾)ではさみながら歩くのを「かぱかぱ」と言ったそうだが、私は何と言っていたか思い出せない。
 ただ私の周りでは、缶の左右に二つ穴を空け、2本の紐で足を挟むようにしていたぞ。

 津軽のじゃんけんは初耳だった。
 人差し指一本を出して「槍」、
 指を全部開いて「風呂敷」、
 指を握って「おにぎり」、
 ・・・勝ち負けとその理由は(私は)わからない。

 ゆっくりと考えることにしよう。楽しい。

2020年8月3日月曜日

朝の蜩は涼しくない

玉蝉(唅蝉)
   養老孟司さんの本の中に虫の声について「欧米人は音として捉えるのに対して日本人は言語脳で受け止める」というのがあって日本人の虫好きを語っていたが、加納康嗣さんは本で世界中の「鳴く虫を楽しむ」文化を豊富に紹介されているから、欧米その他諸外国の国民があながち虫音痴でもなさそうだ。
 ただヨーロッパの北の方では鳴く蝉がいないらしいから、日本映画の蝉しぐれを雑音と聞いてしまうという話は有名だ。
 「鳴く虫を楽しむ」という中の「虫」に普通は蝉は入っていないが、唯一例外は蜩(ヒグラシ)ではないだろうか。

 私は小さい頃海に近い街中に住んでいたから蜩の記憶はほとんどない。大人になってから高原の鄙びた宿で夕刻にカナカナカナと聞いた折に、少し寂しいような気持になって涼しく感じたものである。
 この少し寂しいような涼しさというのは多くの人々に共感していただけるものだろう。

 ・・・8月2日の日の出前、窓の外で蜩が鳴いていた。
 さて、蜩が文字どおり日暮れにだけ鳴くものだと信じていた私が朝の蜩に驚いたのは、だいぶ以前に田舎の旅館でであった。
 旅館の主人は「朝の蜩の声を聴くと今日も又暑い一日が始まるのかとうんざりする」というのにも驚いた。「蜩の声は涼しい」という私の思いとは真逆の説があったのだ。
 そして8月2日は、体が不慣れだったせいか本当に暑い一日だった。

 不要な外出自粛で孫の凜ちゃんたちが我が家にやってきてビニールプールで遊んだ。
 その後、大人たちにはサザエの壺焼きとノンアルコールを出した。(私たちはビール)
 普通のおやつでは面白くないので海水浴に行ったつもりで、頭の中で潮の香を嗅いだ。

 ようやく梅雨が明けたところだが、もう7日には立秋だ。蜩が悲しく鳴くはずだ。
 ステイホームでも楽しみを見つけていかないと面白くない。

2020年8月2日日曜日

#臨時国会の開催を求めます

 「民度が違う」と宣(のたも)うた大臣(おとど)の国で起こっているこの事実。PCR検査数人口比でいえば世界の最貧国並み。
 これが「おかしい」と思わないなら、どこかで「民度」が壊れているかも・・・。

   先日しんぶん赤旗が報じた『検査数「159位」の衝撃』『人口比 日本、アフリカ諸国より低く』は、日本共産党志位委員長(近頃のネット上の若者言葉では「Cさん」らしい)が安倍首相あての「緊急申し入れ」で示したこともあり、その後テレビのワイドショーでも衝撃的に取り上げられた。

 もとのデータは、世界各国の統計資料を分析しているウェブサイト「ワールドメーター」で日々更新されているものらしい。
 「ワールドメーター」は米国に拠点を置き、世界の研究者やボランティアのチームが運営しているということで、ウェブサイトによると、英国、タイ、スリランカなどの政府のほか、米紙ニューヨーク・タイムズや英紙フィナンシャル・タイムズなどのメディアでも活用されているという。

 そのデータでは、日本のPCR検査の人口比での実施数(100万人あたりのPCR検査実施数)は世界215の国・地域中で「159位」であり、29日にはひとつ上がって「158位」となっている。

 日本の検査総数は75万人近くに達しているが、100万人あたりでは5902人となり、主要7カ国(G7)のなかでは最低で、英国(14位)、米国(21位)、ドイツ(45位)などと比べ突出して低くなっている。

 158位というと、セネガル(155位)、ナミビア(143位)などのアフリカ諸国(マスコミ用語では最貧国)よりも低いレベルである。

 テレビや大手新聞ではこの間まで、「医療崩壊を防ぐためにPCR検査を抑制している」「それでも感染者数は増えていない」などと政府発表を繰り返し垂れ流してきたが、この頃ようやく「東京アラートも大阪モデルもおかしい」と言い始めた。
 これは対極に位置するしんぶん赤旗などの良心的ジャーナリズムのお陰だと思う。

 いまだに「検査数が増えたから感染者数が増えたように見えるだけ」という主張をテレビでするコメンテーターがいるが、その論でいけば検査陽性率は大きく変動しないはず(原理的には下がるはず)。
 実際には東京では1週間に陽性率は倍増し、大阪ではすでに13%に達している(7月24日~30日7日間平均の陽性率は東京6.6%に対して大阪10.5%と朝日新聞8月2日は報じている)。ちなみに、ヨーロッパやオーストラリア、韓国などでは陽性率が1%未満。
 感染者の増加にすら検査が追いついていないことを示している。何故そんなことがGDP世界3位の国で起こっているのか(WHOは陽性率5%未満が2週間続いていないと感染拡大はコントロールできていないと述べている)。

 そもそも、東大児玉名誉教授の指摘のとおり、その真実は、コロナウイルスに関するデータを感染研など一握りの勢力が独占したいがため、その先にはワクチン等の利権が想定されることで、PCR検査可能な大学その他の研究機関・医療機関の検査を国が妨害、強圧してきたことにあるが、マスコミではまだまだその「聖域」への切込みは弱い。
 「行政検査」はいまだに電話もつながらない保健所を通さなければ実施されない。

 「PCR検査を増加させます」との言葉だけはもう何回聞いたことだろう。この世界158位、最貧国並みの政治と政権を追及しないなら、日本のメディアも最貧国並みと言わなければならない。

 問題は国民の安全と命に係わる課題であるにもかかわらず、首相が国会から逃げまくり、首相周辺はコロナ禍に便乗して利権を貪っている。何がGo Toだ。
 人生幸朗師匠ならこう言うぞ、責任者出てこい!

 #臨時国会の開催を求めます (SNSにこの#をつけよう)

2020年8月1日土曜日

梅雨は明けたが

    狙い撃ちされたかのような豪雨かな

   7月31日に近畿地方の梅雨明けが宣言されたが、16時前にわが家周辺には集中豪雨があった。
 「これは梅雨の雨でなく夏の雨だ」というなら(梅雨明け前の)前日もこんな豪雨だった。あれは梅雨の雨だったのか?そんな定義はまあいいが。

 梅雨前線が絵に描いたように北上したわけでないケースでの梅雨明けの宣言は難しいと、昔、全気象岡林元委員長に聞いたことがある。
 だいたいが「梅雨明け十日」といって1年で一番天候が安定してカンカン照りになるはずなのに、やはり地球環境がおかしく異常気象が日常になってきた。

 31日のその時間は孫の療育園の送迎バスのお迎えの時間なので急遽娘の助っ人に駆け付けた。
 集中豪雨の中でびしょぬれになったが、帰宅をしたら陽が射してきた。何が梅雨明け十日だ。

 さて昨今のコロナ禍だが、硬い言葉だが「資本主義による物質代謝の攪乱」と言われていて、環境破壊によって野生動物に止まっていたウイルスが人間に移ってきたということらしい。
 「ウイルスの貯水池」といわれるコウモリも、コウモリからすれば人間から離れて暮らしていたのに、開発ですみかを追われ、あげくは捕獲されて市場で取引されて迷惑な話である。
 31日のNHK『ぐるっと関西』で笠置のコウモリ博物館や奈良県図書情報館のコウモリ探鳥?会が報道されていたが、やさしくコウモリを見守りたい。

 「資本主義による物質代謝の攪乱」では、山極寿一京大総長も「誰もが資本主義は限界だと感じているのではないか」と述べておられる。
 私たちは医学も注視しつつ哲学を今一度思考する時代にいる。

 ステイホームで鬱々としていたところにGo Toトラベルが始まったので何か出かけてみたくなる気持ちは分からないわけではない。しかし、社会の現状を自分の頭で考えるのでなく、政府がGo Toと言ったからといって安心したり行動したりするのは褒められたものではない。
 コロナが収束するまで何もしないというのも問題だが、政府に言われるまでもなく新しい生活スタイル、人生観を確立する努力が求められていると思う。