2011年9月4日日曜日

石のカラト古墳で考える

 よく行く散歩コースの一つに「石のカラト古墳」がある。
 7世紀から8世紀初頭の超一級の終末期古墳で、国の史跡名勝天然記念物だが草刈等の手入れはあまりされていない見映えのしない広場である。
散歩道の石のカラト古墳

 奈良県奈良市と京都府木津川市の境界線の真上のため、北側が草刈されても南側がそうでなかったり、その反対であったりして悩ましい。

 盗掘されているので遺物は少ないが、金銀製の玉、銀装の太刀の金具、金箔片等が見つかっており、豪族の墓というよりも、貴族乃至皇族の墓かとも言われている。
 被葬者の推理をしている分には楽しい古墳である。

 この、全国でも10に満たない珍しい形式である『上円下方墳』を見て連想するのは、明治、大正、昭和各天皇陵である。何れも上円下方墳である。

 これは、明治天皇(桃山陵)の際に、「古式に範を採った」と言われているが、・・・上円下方墳と信じて参考にしたらしい山科の天智天皇陵は、今では実は八角墳だろうとされており、母親の斉明天皇陵(牽牛子塚古墳)が八角墳とほぼ確定した今日から見れば、例の天皇陵の比定問題と併せ、この分野の議論の乱暴さは現下の原発安全神話を思わせる。
 そう言えば、昭和天皇の葬儀の諸々も古式に則ったと喧伝されたが、鎌倉時代の四条天皇から明治天皇の前の孝明天皇まで15代の葬儀は仏式で行なわれ泉涌寺に墓所があるのであるから、常識的に言えば古式とは仏式ではなかろうか。
 それを跳び越えて古代を再演するのも否定はしないが、鎌倉から江戸時代までの宮中が全面的に神式であったかのように歴史的事実を捻じ曲げ、廃仏毀釈の狂気を追認してはいけない。
 私としては、アジアの近隣諸国民や私たちの父母、祖父母に悲惨な戦時体制を強いた大日本帝国下で突如先祖返り(それも正確でない先祖返り)をした上円下方墳は止めてもらいたいと思っている。
 古墳も宮中の諸儀礼も国民的な文化遺産でもある。
 天皇家等の祖先のお祀りと科学的見解の両立を当たり前のこととして議論する姿勢を宮内庁には求めたい。
 権力で科学を封じ込めようとすると、何れ原発問題のような悲劇的結果になるだろう。

 「石のカラト古墳の散歩からそこまで言うか」という声が聞こえてきて、墓穴を掘りそうなので筆を置く。

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