2023年12月31日日曜日

歳神さまの依代

   数え年でいうと明日の元日に1歳としをとる。(細かい話は別にして)

 先日テレビの『英雄たちの選択』で、平安時代から続いていた不正確な中国輸入の暦を800年ぶりに日本独自の正しい暦に改暦した渋川春海(1639ー1715)を紹介していたが、それを見ていて感じたのだが、旧暦(太陰太陽暦)では大の月と小の月が年ごとに変わったり、そもそも閏月があったりして、「1年」というものが固定されていなかった。
 つまり、現代の感覚では「数え年など変だ」「なぜ満年齢でなかったの」と感じるが、旧暦では満年齢という発想すらできなかったのではないだろうか。
 なので、そういう歴史の話と照らし合わせると、毎年正月元日に歳神さまが1歳という歳を加えてくると考えた思考方法は決して幼稚ゆえのものではなく、大いに合理的な一案だった。

   「汲古得新」という熟語のことは先日に書いたが、自分の国の文化を語れずに(汲古=歴史を学ぶ・・ことなくして)得新もない。
 重ねて言うが古人は元日に歳神さまが「来てくれる」と考えた。そのためには神の依代(よりしろ)が必要で、門松はその依代だった。・・という文化がこの国にはあった。

 そういう神々との交信を馬鹿にした現代人は、神の道どころか人の道を踏み外しつつないか。・・とわが家では例年どおり玄関先に門松を立てている。(といって松の枝を左右に1対だけ)
 写真の本「天地明察」、天文学や自然科学が好きな方、歴史が好きな方、文学が好きな方に冲方丁の名作。一読をお勧めする。

 本日は大節季、明日になればおめでとう。この1年、拙いブログ(本年は398件)にお付き合いありがとうございました。

 なお別件だが、スマホにはQRコード読み取りアプリを入れられていることだろうが、もし未だの方は入れておいてほしい。基本的には無料。そのお願いの理由は明日。

2023年12月30日土曜日

おだまき

   今年は暖かい年末になっているが、寒い冬のわが家の定番料理のひとつは『おだまき』だ。
 大阪は船場発祥の料理である。

 元は私の実母から妻に継承されたのだが、今では全く妻の得意料理のレパートリーに入っている。

 一言でいえば、うどんの入った具だくさんの大きな茶わん蒸し。
 ほんとうはもっともっと寒い夜によく合う。
 名前の由来は「苧環」。うどんが苧環に糸が巻き付いたようだから。
 「大阪の郷土料理」という解説もあるから、大阪ゆかりの方々で食した経験のない方は是非とも召し上がれ。大阪商家の香りがするでしょう。

2023年12月29日金曜日

美味しい馬さん

   「 めでたくもありめでたくもなし」というお正月だが、私は「おめでとう」という派である。
 だから「元日といっても同じ24時間、何が違う」などと冷たく言い放つのでなく、お雑煮やおせちをいただくし、さらに何か一品、お屠蘇(お酒)の肴(あて)に何かを用意する。その「何か」を何にするか。悩むのも楽しい。

 「一品」では、わがファミリーでは馬刺しが評判が好いが、この間からコープの馬刺しは人気がよく抽選で何回も外れている。・・そして今回も。
 それでネットで買おうとするとびっくりするような安いものが見つかり「これはシメタ」と手続きを進めると、最後の方で「中国内モンゴル産」と出た。
 で急に気分がしぼみ、「日本のお正月は日本産で」などという古臭い意識に乗って高い熊本産を探してゲットした。

 その後、大阪市内に出る用事のついでに鶴橋で途中下車した。
 先日娘が「インバウンドで大阪市内はエライことになっている」と言っていたが、ここもほんとうに様変わりしていた。賑やかで活気にあふれていた。
 韓国からの旅行客と思われる人々も非常に多く、「わざわざ日本に来てチヂミもキンパもないやろ」と私は思うのだが、かえって韓国の都会では消えた古い韓国の郷愁のようなものが残っているのだろうか。

 で、最初の馬刺しだが、ここで下車した理由は「さいぼし(馬肉の燻製)」を買うためで、昔購入したことのあるあたりを探したが「さいぼし」は見つからなかった。
 人情溢れる街鶴橋らしく、女将さんが私を連れて数件の店を案内してくれたが、卸していた店がなくなったということで、鶴橋ではもう「さいぼし」は手に入らないことがわかったが、親切な女将さんのせいで気持ちよく鶴橋を後にした。

 結果、帰って翌日、ネットでチョコチョコとクリックして注文した。
 便利だけれども何か味気ない。この感覚が時代おくれなのだろうか。
 気を取り直してお正月の準備だ。孫の凜ちゃんも「馬さん美味しい」と言ってくれるだろう。

2023年12月28日木曜日

檀(まゆみ)

   派手ではないが寒風に抗して冬空を彩っている檀=真弓(まゆみ)の実。
 古くは記紀万葉の中に出てくる。
 弓を張る、引く、射ることなどから、春だとかヒやイの付く地名などの枕詞にもなる。
 源氏物語にも出てくる。

 丈夫なので弓の材料として使われたという。なので真弓。
 弓というと梓弓に想像が飛ぶ。弓の弦のビュンビュンという音は神聖な感じがして、巫女が神降しなどのときに使用する。

 また「鳴弦」は、宮中でも?今に続く?邪鬼払い・悪魔祓いの重要な儀式・方法。
 この真弓の写真を見ながらビュンビュンという音に想像を飛ばし、歳の終わりに、来る歳の除災招福を祈念することにしよう。

2023年12月27日水曜日

食用菊

  「お刺身のつまのアレはタンポポらしい」と妻が言った。
 「そんなアホな。あれは食用菊や」と答えたが、過日ラジオ深夜便で奥本大三郎さんが、ということを話の導入部にして「・・・だからタンポポは食用になる」と話を展開されたらしい。(聴き間違いだったらごめんなさい)

 戦時中はタンポポの根っこで代用コーヒーが作られたということは知っているし、タンポポがキク科であることも知っているが、そして博識の奥本大三郎氏の話らしいから、私の知らない世界では刺身にタンポポを添える文化があるのだろうか。
 そこで安直にネット検索してみたら、正体は食用菊で間違いなく、それを通称「刺身タンポポ」という文化が一定あるらしいことがわかった。あれは菊で間違いない。

 さて若い頃仕事で全国を飛び回ったが、そんな折地元の市場で買い物をしたりするのが好きで、山形ではプラ容器にいっぱいの食用菊を数個土産にした。
 山形ではお浸しのように二杯酢でパクパク食べていた。味というよりも菊の香を楽しむ感じかもしれないが、・・・だがそれ以降、あまりパクパク食べた記憶はない。
 関西人にしては菊をたくさん食べた方かもしれないが・・

 話は戻って、いくつかの本によると、そもそもセイヨウタンポポは明治初期に野菜として輸入されたという。
 花は天ぷらに酢の物に、若葉はあえ物おひたし炒め物汁の実、根はきんぴら等々、「栄養面でも野草の王様」ともあった。
 ほんとうに刺身にタンポポを添えても100%勘違いにはならないかもと、考えを新たにした。

2023年12月26日火曜日

国家公務員の大先輩

   『 汲古得新』という熟語を見つけた。まあ文字からして温故知新とほゞ同義と思われた。
 「汲」は水をくむ以外に相手の気持ちを知るという意味もあり、「汲古」で昔のことを調べるという意味がある。
 「得」はえる、うる、とる。そして知るとの意味もある。
 「新」はあたらしい。・・で、やはり温故知新と変わらない。・・が、汲古得新の原典は見つからなかった。

 人生のめぐりあわせというものは全く妙なもので、日本史など全く興味のなかった私だが、生駒山の東に転居してから、古都奈良の寺社や遺跡などに親しむと同時に、奈良大学の故水野正好先生の話を聞く機会を度々得た上に、後には平城京などの発掘の経験豊富な小笠原好彦先生の講義を学ぶ機会を得て、近頃は古代史の書籍の逍遥と、自分なりにああでもないこうでもないと愚にもつかない仮説を立てて見たりすることを趣味にしている。

 今般その小笠原先生から、事前に申し込んでいた写真の新刊書を送っていただいた。
 内容の要点は講座で学んだはずのものだが、情けない記憶力ゆえ、実際の感覚としては初めて学ぶ感じで読みつつある。
 中国の古典もそうだが、歴史は決して古臭いものではなく、千年以上昔の人間も現代人と変わらないと思うことが多い。それこそ汲古得新だ。

 一例をあげれば、孝謙上皇と道鏡の政治を改革しようとした藤原仲麻呂は近江守であったが、孝謙側のクーデターに対してとりあえず近江の国庁めざして逃走したが、孝謙側騎馬隊が先に勢多橋を焼いたため国庁に辿り着けなかった。
 仲麻呂は近江守ではあったが自ら近江の治世には熱心でなかったことが仇になったのではないか。なぜなら、近江の実情に通じていたなら、湖西に逃げるのでなく、勢多橋南の供御瀬の浅瀬を渡って国庁に辿り着け、大いに軍勢を再建できていただろう…というようなことは、高級官僚ではあるが、国家公務員の姿勢の問題として現代にも通じている。
 ただそんな話は歴史の少し側道のようなことで、講義の中で知ったがこの本には書かれていない。

 この年末年始にゆっくりこの本の読書を楽しみたい。
 興味の湧かれた方には一緒に読み進めませんか。

2023年12月25日月曜日

広島焼きでメリークリスマス

   メリークリスマス。
 今日だけは世界中にはクリスマスどころでない子どもたちの居ることの指摘はそれだけにして、夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリー全員集合でクリスマスパーティーができたことをありがたく記録しておく。

 今年、広島に行った夏ちゃんが、そこで学んできた「お好み焼き(広島焼き)」を皆に振舞うというのがメーンイベントだったが、悪戦苦闘の末ではあるが立派に所期の目的を達した。

 大阪のモダン焼きよりも格段に美味しく出来上がった。
 広島では「広島焼きではない」「これがお好み焼きだ」というが、名前は大阪のが「お好み焼きだ」と私は思うが、これはこれで立派な料理だった。それをこの歳になって初めて孫に教えてもらったことになる。

 宗教行事はいざ知らず、クリスマスは老人のお祭りだ。子や孫が集まってくれて、こんなに楽しいことはない。メリークリスマス。

2023年12月24日日曜日

潮湯

   冬至の柚子湯につかりながら思い出した。

 先日テレビで『大阪43市町村築年数の古い銭湯ランキング』というのがあった。
 冒頭、私は妻に「きっと堺の潮湯が出るぞ」と宣伝したが最後まで登場しなかった。
 バカヤロー、安物のテレビ番組め!

 安物テレビの代わりに書き留めておくと、南海本線湊駅近く、堺市堺区の『湊潮湯』は大正12年創業。・・・このタイトルのテレビ番組でこれを外すか。
 そしてもっともっとニュースバリューがある。・・・ここは関西で残っている唯一の天然海水の潮湯である。

 元々堺の大浜には潮湯が沢山あったというが、臨海工業地帯の造成=海の埋め立て(1960年前後)でそれぞれ廃業していった。
 その上に、天然海水だからパイプに小さな貝が詰まったり、そもそもパイプその他が真水と違って腐食が激しい。メンテナンスも馬鹿にならない。
 湊潮湯も「もう廃業しようか」という話は何回も起こった。

 で、そんなことなんであんたが知っているの?
 
 実はここを経営している三姉妹の一人は同級生である。
 だから、悪たれ同級生たちもよく行っていて、時々は番台の同級生と鉢合わせもあった。
 小学生の間はそれも好かったが、中学生になると・・・、で、「昨日は見られた!」というような悪たれ同士の会話もあった。

 もう一度言うが、こんな古くて特徴のある湊潮湯を外すか? TVO。
 興味が湧けば一度体験に行かれたい。

2023年12月23日土曜日

他人ごとでないダイハツ

   「人身事故さえ想定される自動車産業のモラルはないのか」というような「正論」と「怒り」はひとまず横において、 
新聞やテレビの情報しか知らないが、私はダイハツの「第三者委員会」に拍手を送りたくなった。
 多くのこの種の報告に漂う「上っ面」だけの報告ではないものを感じたからだ。

 報じられているところでは第三者委は次のような指摘をしている。(私の興味の湧いた部分のみを私流の解釈で記すが)
 1 無茶にタイトな期間で開発された過去の結果だけが、そこで生じていたであろう矛盾を検討されることなく成功体験として、以降の硬直的なスケジュールとなった。
 2 成功体験(の結果)に至らないことは許されず、失敗すれば厳しく叱責される風土になった。
 3 だから「問題」は現場で抱え込み、集団や上司で解決することにはならなかった。
 4 現場は人員不足で余裕がなく「自分や自分の工程さえよければよい」という社風になった。
 5 ということで、「日程」に何が何でも合わせるために認証試験の不正が常態化していった。

 どうだろう、「ダイハツはヒデーナ!」という評論で済ませられるだろうか。これは貴方の職場にはかすりもしない問題だろうか。
 人員不足で普通には「できない」体制、それを「見て見ないふり」をして現場任せにする管理者、そして問題が明るみに出れば現場にむけての叱責と「処分」で「再発防止だ」とする繰り返し。

 ヒヤリハットの法則ではないが、小さな問題は今回のそれ以前に数々起こっていたはずである。それが「法則」だ。
 それを「真面目に」提起した社員は推測だがある意味叱責されていたのだろう。ほんとうはそれを誉めるべきなのだが。

 仕事の現場は人の集まりだし、労働の後ろには人々の人生がある。つまり、経済だけでない、コストだけでない、「コストカットだけが善」ではない。
 働くものが、「わが社のダイハツ問題」を語り合うべきときでないか。 

 なお、「報告」が踏み込んでいない「聖域」は完全親会社のトヨタの責任である。ある意味、完全子会社ダイハツの管理者も犠牲者だったかもしれない。無茶を承知で「日程」や「経費」を押しつけられた結果という側面がなかっただろうか。
 そこにメスを入れないと、次の不正が潜在化するだけでないだろうか。

2023年12月22日金曜日

冬なか冬はじめ

   「冬至冬なか冬はじめ」という言葉は誰が言ったか知らないが的を射ている。
 暦でいえば「冬なか」だが季節でいえばまだ「冬初め」で本格的な冬はこれからだ。
 と言いながら、今年は冬至に厳しい寒波となったが、冬本番はまだ一月ほど先になる。

 実は私の誕生日はそういう冬真っ只中だが、誕生日とは関係なく冬には滅法弱い。

 母が最晩年に私と話をしていた折、「あんたが生まれたとき大雪の日やったなあ」と私に同意を求めるように語ってきた。
 生まれた赤ん坊が「今日は大雪だ」と感じたとでも言うのだろうか。
 冬になると、あのときの頓珍漢な会話を思い出す。

 さて、現在われわれが使っている暦・グレゴリオ暦は基本的には「冬至正月」の亜流だと思う。
 冬至か、春分か、それとも立春か、何を正月にしたいかは人や民族でそれぞれであるが、アジアの旧正月の人々は「立春正月」の亜流ではなかろうか。
 いずれにしても、農耕作業のスタートと重なるし、日脚(日照時間)に太陽や生き物すべての再生・快復を感じたのだろう。

 そんな先人たちの思いを想像しつつ、ゆず湯に入って、美味しいものでも食べることにしよう。

2023年12月21日木曜日

人の道のこと

   この秋に孫の夏ちゃんの運動会を見学したことは以前に書いたが、この小学校では全校生徒を二組に分けての団体戦方式だった。
 
 例えば徒競走では1位2位3位などとなるがそれが団体の得点に反映される。個人としての表彰はない。
 「1位も2位も付けない」でもないし、やたらに結果重視でもなく、倒れた選手を助けに戻る児もいたりして、私などは「時代の流れかなあ」「小学校の運動会はそれでいいのでないか」と肯定的に感動した。

 で、例の裏金問題を見ていて「彼ら彼女らはどんな教育の中で育ってきたのだろう」とふと考えた。

 世の中には「違法」とか「犯罪」とかいう概念がある。もちろんそんなことをしてはならない。
 しかし言いたいことは、明確に違法とされなくても「してはいけない」ことがある。それは法律の世界以上にある。倫理とか常識とか言われる。人の道でもある。
 ほんとうは公教育が諭すべきことだろうが、教員は点数(偏差値)の「成果主義」で統制され対応不十分だ。
 もう一つは本来は宗教の出番ではないかと思うのだが、この世界のことはよくは知らないが玉石混淆。ただ私は心ある宗教家がもっとものを言うべきだと感じている・・というか希望を持っている。

 政治家が裏金作りなどしてはならない。
 テレビなどを見ていると、まるで「記載しなかった手続きが問題」みたいな議論があるが私は間違っていると思う。
 この先のことは判らないが、あまりに酷い者は検察の対象になるだろうが、小者?はお目こぼしがあるかもしれない。
 しかし、彼らはみんな「人の道」を踏み外した者たちである。

 「それでも自民党に政権担当能力」なる議論をする者がいるが、はっきり言うと官僚機構がしっかりしておれば政権交代でこの国は素晴らしく改善される。
 旧民主党はマスコミや話題・人気に乗ろうとして官僚や公務労働者を働かせなかった。私はそう思っている。
 そこを真面目に反省して今こそ落ち着いた政権交代を高らかに訴えるべきときでないか。
 人の道を踏み外した、精神の卑しい者たちを選挙で二度と選んではならない。

2023年12月20日水曜日

16%から思うこと

   毎日新聞が16日、17日に実施した調査結果では、岸田内閣支持率は16%、自民党支持率は17%に落ち込んでいる。私は当然のことだろうと思う。

 反対に、この期に及んでもまだ16%、17%の人が政権や与党自民党を支持するか!という疑問が残るが、それぐらいの人物が多かれ少なかれ「裏金」に繋がって居るものだと考えると、この数字がこれ以上減ることもないのかもしれない。

 話は変わるがわが街では「ゴミステーション方式」でゴミが収集されている。各戸の前ではない。となると、収集日でない日に出す、収集日の対象でないゴミを出す、分別等の決まりを無視したゴミを出すと、ステーションに収集されずに残る。またカラスや野良猫に散らかされる。
 それが各戸ごと収集なら嫌でもわかるが、ステーション方式だと視界からは遠ざかる。もっと言えば、各戸の前でないことをよいことに、残ったルール外のゴミを「見て見ぬふり」をする。ステーションの当番さえ「翌週は次の当番だ」とばかり「見て見ぬふり」をする。

 何を言いたいかと言えば、世の中には社会人としては失格の人間が何%かは居るものだという感慨。とすれば、別の見方からすると、先の16%、17%は、あって当たり前で、まともな社会人ほぼ全員不支持だということにならないか。

 ただ、それがテレビのワイドショー的な、何人がいくら隠していたか、検察庁はどこまで特定するか、会計責任者以外にまで踏み込めるか、その量刑は的な野次馬議論に終わらないことを祈りたい。

 それでも立憲野党が取って代わるような支持率をあげてはいない。そこが今のマスコミの弱点というか限界かもしれない。(マスコミだけの責任ではないが)
 森友にしても、桜にしても、そして今回のパー券にしても全て共産党の機関紙しんぶん赤旗のスクープから始まった。
 もしこの国に赤旗がなかったとしたらと考えると・・・。
 
 勝負所は選挙で立憲野党が政権交代を目指すことだ。

2023年12月19日火曜日

これも霍乱?

  泣き笑い孫から受けし胃腸風邪

   「これ、いま流行ってるんです」「さっきも同じ症状で年寄りが来たとこです」と医師の言。
 風邪などの細菌やウイルスによる感染性の胃腸炎が流行っているらしい。特に乳幼児。
 体の弱い孫の凜ちゃんは一発で罹ってきた。上げたり下げたりでぐったりして、先週初めの受診の後わが家で療養していたが、途中で見事に嘔吐した。咄嗟のことで素手で吐しゃ物などを始末したが、その他鼻汁などの始末と共に感染したのは100%間違いない。母親もそうなった。

 凜ちゃんにうつされたものだから怒りも悲しみもない。病原菌によるものだから静養だけではどうにもならず、私は受診即点滴そして抗生物質の服用となった。

 以前に循環器の医師に「体調を快復させるのには時間が要るが、壊すのは一瞬だ」と言われていたが、ほんとうに一瞬に体は弱り、快復はままならない。これを「歳をとったと言うのか」と考え込む。

 超特急の上げ下げは泣きたくなるほど苦しいが、これもイクジイの勲章かと思うと笑えてくる。

2023年12月17日日曜日

休憩

   大したこともないが大袈裟に休憩。

2023年12月15日金曜日

年賀状を出す

   年賀状を作成した。15日の郵便局受付初日に投函する予定だ。
 「年賀状は形式主義だ、無駄だ、徒労だ」という声もあるが、一年に一度ぐらい63円で人々の顔を思い浮かべるのも悪くはない。
 何よりもお正月にいただいた賀状を読ませていただくのが楽しい。
 勉強になる言葉や、へえ~という近況報告もうれしい。ペット自慢も子や孫自慢も全く悪くない。

 私の場合は悪筆なので近年はパソコンで作成している。よく新聞の「声」欄などで「自筆でない年賀状は‥もうひとつだ」的な意見が載るが、読みながら肩身の狭い思いがする。
 自筆でない分、文章等に心を込めているつもりだ。事実、お世辞にしても「君の賀状は楽しみにしている」と言われると嬉しい。宛名を印刷した年賀状を部屋に広げると、皆の顔が浮かび思い出がよみがえる。

 ただ私の癖で、蛇足という言葉どおり、要らぬことをし過ぎてマイナスになっていることも多い。
 装飾のことだが、昨年はダイヤモンドとは言わないが、キラキラストーンシールを添付した。郵便局で「これでいけるか?」確認してから作成した。しかし誰からも「ダイヤの欠片をありがとう」という声はなかった。配達途中でとれた?? 投函時の束は相当いびつな厚さであった。そんなこともある。
 今年は私にしてはあっさりした文面になったが、妻と二人で工夫したところもある。はて、何人が反応してくれるやら。

2023年12月14日木曜日

どう使ったかが問題だ

    NHKBSに『クールジャパン』という番組があり、いささかニッポンスゴイ!的な”臭い”はあるが、民放のそれらに比べると冷静に笑ってみていられる。
 その中の、テーマが『自動販売機』の折に、多くの外国人が「路上に自動販売機が置かれていると自分の国では泥棒にあう」と語っていたが、確かに日本ではまあまあ自動販売機は荒らされずに立っている。・・・と褒めちぎられる日本人のモラルの水準も近頃は地に落ちたようだ。桁違いの裏金の話である。
 そのように日本と日本人の評価をズタズタにしているのが、ニッポンスゴイの親玉みたいな顔をしていた安倍晋三一派だというのも社会勉強になる。巧言令色鮮し仁。名言である。

   例のパーティー券裏金事件だが、パーティー券方式そのものが政治資金規正法の脱法行為であるという基本問題をとりあえず横に置いておいても、収入を全て会計報告して、ノルマ超過分を各議員の資金管理団体に寄付すればよいだけのことである。税金問題もないだろう。それを何故組織的に裏金にしたのか。

 ズバリ、使い道を明らかにできない(したくない)使い方をするためであろう。河井夫妻選挙買収事件もその一つ。
 官房機密費も同質だが、米軍基地反対運動や、原発建設反対運動の際、多くの札びらで切り崩しが図られることもあった。職業としてヘイトスピーチを発信し続けた会社もある。選挙になると車内広告だけでもいろいろ計算が合わない雑誌がある。四六時中酒食をともにしている「評論家」がテレビで「解説」している。
 そして地元の「有力者」を可愛がるということも・・・ないだろうか。

 だからこの裏金問題は、「報告」しなかったという事務処理が問題なのではなく、その裏金がどう使われ、それがこの国の民主主義をどう歪めたかではなかろうか。
 一安倍派だけのことではない。ほんとうにこの国を愛するなら、こんな嘘つき集団(政党)を選挙で選んではならない。

2023年12月13日水曜日

ベルギー式ホルモン

   先週、ケンミンショーで三重県亀山の「亀山みそ焼きうどん」を紹介していて、いつものとおりひな壇の人々が「初めてだ」「驚いた」「美味い」と合唱していたが、一言でいえば「ホルモン焼きうどん」に赤味噌を加えたものだった。

 「ホルモン焼きうどん」は兵庫県佐用町や岡山県津山市でも「郷土料理だ」と謳っているが、私が紅顔の青年であった1960年代にも大阪で食べることができた。
 ただ、「ホルモン焼きうどん」とは言わず、「ホルモン」の仕上げにうどんを投入する方式だった。天六の北西にあったその店は「ベルギー式ホルモン」と謳っていた。

 同じように網ではなく四角い鉄板でそれを食べさせる店は近鉄阿倍野橋駅の地下通路のようなところにもあったから、亀山のそれも、観ていておおよその味の想像はついた。不味いはずはないだろうと。

 数日後妻と買い物に行った折、スーパーの中で「明日の夜は何にしよう」と妻が言うので、「それならホルモン焼きうどんをつくるわ」と手をあげて翌日実行した。
 何も難しいものではなく、ホルモンと野菜を焼き肉のたれなどでフライパンで強く炒め、焼き豆腐とうどんを入れて絡めるように焼き上げただけである。

 妻は「美味しい」と言ったし、私も郷愁の味付けが効いて美味しかった。
 ただ、何をもってベルギー式と言ったのかは今も不明である。

2023年12月12日火曜日

花鳥風月

   大阪で暮らしていた頃は、11月23日の神農さんの祭が1年で一番最後の祭だろうと感じていたが、奈良では今週12月15日~18日に春日若宮(かすがわかみや)おん祭がある。

 しかもこの祭り、保延2年(1136)からというから歴史も古く、各地の祭の原型とも言われていて、田楽や猿楽をはじめ古都に伝わる芸能を次から次へと神に捧げ、神に喜んでもらうというものである。

 その猿楽から洗練されていったのが能で、世阿弥は風姿花伝で「花鳥風月を表現するのが芸能だ」と述べたという(浅学のためよくは知らないが)。
 一般的には花鳥風月とは自然界の美しい景物のこと、風流のこと、雅のこと、それらを愛でる精神‥などといわれたりする。

 若い頃は「花鳥風月を言い始めると人間も終わりだ」などとそういう御仁を冷やかしたものだが、この歳になると金儲けだ、支出だ、誰それはけしからん・・・なんだかんだと言う話は実に詰まらなくなる。
 「長谷やんももう終わりだ」と言われようが、ゆっくりと花鳥風月に心を遊ばせたいものだ。

2023年12月11日月曜日

箸紙の構想

   10日は退職者会の会報の原稿締切日だった。
 その原稿類を正月号に編集するのに、ああでもないこうでもないと作業するので、時間はあってない。そんなもので10日までは気忙しい日々を送ってきたが、とりあえず次の編集者にバトンタッチできた。

 そうすると、年賀状、クリスマスプレゼント、祝箸の箸紙などの準備を本格化しなければならないが、年賀状の通信面はほゞ出来上がった。プレゼントの購入や発注もおおむね終了した。

 そこで箸紙だが、今年は漢字などは抜きで俳句か短歌にしようかと思っている。そこで俳句を一句捻ろうかと思い出したが、『めでたいと言えぬ戦渦に児の居てる』みたいな句ばかりが出てきて、どうもお正月らしくない。
 世界を眺めながら心地よい句が出てこないのは、能力もそうだがそもそも人間ができていないからだろう。

 残りは3週間を切った。結果はどうせ駄作だろうが七転八倒の日が続くだろう。(写真は前年の箸紙)

2023年12月10日日曜日

いぶりがっこ

   友人のUさんが訪れて来てくれた。聞けば元山上(もとさんじょう)・千光寺(せんこうじ)の帰りだと。
 あちこちの山や名所を巡っているらしく、今回は生駒山脈縦走の一環で千光寺周辺を歩いてきたが、そこは元々修行の場である上に近年は(修行が廃れて?)荒れているらしく、これ以上行くと遭難すると思ったとか。
 Uさんの元気な肉体と精神に脱帽。

 さて修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)が大峰山・山上ケ嶽で修業をする以前に修行をしていた場所なのでここが元山上。
 また役小角には前鬼と後鬼が仕えていたが、妻の父方の祖先はその鬼の後裔かもという話は以前に書いた。また妻の母親の実家は千光寺に向かう中腹にあり、ちょっと縁の感じる処である。

 というようにUさんは元気がよい。バイクでも遠出するらしい。そんなあちこちのお土産もいただいた。
 その中には本場秋田の『いぶりがっこ』も・・。
 このお正月にファミリーが集う際、いただこうかと思う。
 いぶりがっこ=たくあんの燻製。妻は私と違って歯が丈夫だから見ただけで喜んでいる。

2023年12月9日土曜日

街のイルミネーション

   若い頃、大阪の大規模なニュータウンに住んでいた頃、団塊の世代の入居の時代ということもあって、街には産婦人科も賑わっていた。そしてそのうちに産婦人科はなくなった。
 今のニュータウンに住み始めた頃、ニュータウンの周辺には植木屋やホームセンターがひしめいていたが、それもそのうちに少なくなった。
 もっと言えば、それらの街の周辺には家族葬をうたった会館が目につくようになった。
 いわゆるニュータウンに住むと、街そのものが人間そのもののように歳をとっていくのが判って楽しい。

 クリスマスのイルミネーションだが、十数年前までは近所にも何軒もあったが、わが家を含めてそれはなくなった。少しだけ離れた場所に売り出された土地にそれがあると、家族構成というか子供の年齢なども予想がつく。

   個人宅ではない街のイルミネーションは、テレビで騒いでいるのを見ると少しく鼻白むが、美しいことは美しいし、楽しくないことはない。コロナ前は老人ホームの庭に飾り付けるボランティアも行っていた。

 先日から何本か政治批判の記事をこのブログで書いてきたが、そういう執筆は書き上げても変な疲労感が残る。なので、バランスをとって街のイルミネーションの写真をアップした次第。

2023年12月8日金曜日

もう一人共犯者

   モリトモ事件の主犯が安倍晋三・昭恵夫妻であることは明らかだが、「小学校の新設」ということの性格上、大阪府知事と維新が大いに関与していたことは一昨日書いた。

 その私学審をムリヤリ突破した彼らが次に動いたのは土地の持ち主対策だった。それは広義では国有地だが、第一義的には「大阪国際空港関連用地」、国土交通省のもので、当時の大臣は公明党の大臣だった。
 そして昨日の記事のとおり、森友学園には現実に資金はなかったので、土地代を無茶苦茶に値下げさせることと、一定の資金の借り入れが必要だった。

 そういう中、安倍夫妻が2015年9月4日に来阪し、昭恵氏は大阪私学審梶田会長と会い、晋三氏は関係者と会食をしたのだが、その会食場所は故冬柴鉄三公明党元幹事長次男冬柴大氏の料亭だった。
 冬柴大氏は森友学園のメインバンクであるりそな銀行高槻支店次長を務め、後にはコンサルティング会社を設立している。業務内容に「助成金申請」「人脈紹介」などと謳っているから、なるほどと腑に落ちる。

 そういう中、大阪府議会から1名参加の私学審委員は2015年以降は公明の府議になり、公明党は大阪府議会の真相究明にことごとく反対し、百条委も否決されてしまった。

 私がもう一人の共犯者というタイトルを付けた理由もご理解いただけるだろう。
 写真は建物の写真だが、いわゆる看板の取り付けが異常なのは一目瞭然だ。「瑞穂の國」のすぐ下に「安倍晋三」と入れると、「瑞穂の國  安倍晋三記念小学院」とする予定だっただろう。

2023年12月7日木曜日

鳥獣保護法違反

   11月27日の「野鳥と家禽」で、日本野鳥の会などバードウォッチングの世界では、カワラバト→伝書鳩が「野良」化したドバトは野鳥にカウントしないことを書いた。
 そして11月30日の「奈良の鹿のニュース」では農作物を荒らす癖の付いた鹿の「隔離飼育」問題は複雑で単に「かわいそう」では済まないことを書いた。

 そんな中、道路上のドバトを轢き殺したタクシー運転手が鳥獣保護法違反で逮捕されたとのニュースが伝えられた。
 鳥獣保護法では、ニホンジカは条件付きで狩猟の対象だが、ドバトやニホンザルは狩猟してはいけないことになっている。

 さて、わが街では、カラス(ハシブトガラス、ハシボソガラス)がゴミステーションを荒らしに来る。ネットを被せているが器用に荒らす。そんなとき私は箒などをもって「コラァッ」と戦うのだが、なんかの拍子に打ち殺せば私も逮捕されるのだろうか。

 先のニュースの日、少し山側で農業をしている友人と酒を飲んだが、彼の話すサルの被害は凄まじいものだった。人間が自然界を荒らしたからだという大議論を横におけば、保護と駆除の問題は単純ではない。

 まあ、大議論を詰めるとすれば、「人間に食べられるために生まれてきた」という屁理屈でくくられている家畜を「生物福祉」の枠外としている理屈の整合性も議論されてよい。
 単純に「害獣だ」「駆除だ」という主張をするつもりは毛頭ないが、「わかりやすい」「かわいそうだ」的な理屈で逮捕されたりニュースになるのには大いに違和感がある。

2023年12月6日水曜日

森友事件の共犯者

   アベ政治を語るなら避けて通れないのが森友学園事件だろう。悲しいかな時の経過とともに記憶は離れてゆくものなので、少し「おさらい」を試みる。

 この事件の現場は大阪だ。
 大阪で「塚本幼稚園」を経営し、幼児に教育勅語を暗誦させるなどの特異な「教育」を行っていた「森友学園」が、小学校を開設するために豊中の国土交通省所管の国有地を購入しようとしたことからモノゴトは始まった。

 小学校運営の実績なし、資産もなしのこんな学校は、これまでに認可されたことはなかった。当然だ。
 事実、2014年12月の大阪府私立学校審議会(私学審)では当然に「継続審査」となったが、その議事録は当初は公開を拒んでいたが後に公開されたものを見ると、多数の委員から、財務状況について「計画性がない」、「思い付きで始めたが、だいたいおかしいですよこれ」「こんな絵空事でうまくいくとは私はとても思えない」と、この種審議会としては異例ともいえる批判があり、収支計画についても疑問が述べられ、塚本幼稚園の内容についても「思想教育のような部分がある」「幼稚園教育要領からは少し逸脱している」「小学校を運営されることについては個人的には疑問」‥というものだった。

 それが、なんと翌月、2015年1月27日に臨時に開かれた私学審で急転「認可適当」となり、土地売却へと進んだ。
 その時点では、土地の自己所有もなく、借地契約もないものだから、不法というか無法とでも言うべきものだった。
 そのときの知事は維新、府議会から1名という枠の委員は維新、そして国会で籠池氏は維新の府議らの協力も証言していた。

 私がタイトルに「共犯者」と書いたことも理解していただけるだろう。
 もっと言えば、モリトモのはじまりは維新にあったといっても過言ではない。
 (この記事は共産党府議団サイトを参考にした)
 (おさらいは後日に続く)

2023年12月5日火曜日

底なしの悪知恵

   3日に安倍派の裏金のことを書いたが、それは単なる「記載漏れ」などというものではなく、極めて計画的、悪質なものである。
 彼らの精神が如何に歪んでいるかを示すものに、次のような資金の移動がある。

 山口県選挙管理委員会の公表した「報告書」によると、前首相が代表だった自民党山口県第4選挙区支部は今年1月に解散したが、その際、元首相の資金管理団体だった晋和会に約2700万円を移動させていた。
 元首相の死後、昨年も資金を移動させており、それを合わせると計約1億6400万円となる。

 その両団体とも元首相の死亡した当日2022年7月8日付けで安倍昭恵氏が代表になっている。
 あの森友学園事件で国会招致が課題になった折、首相や自民党が徹底して「私人だ」と言い張った昭恵氏が、もちろん議員でもなく候補者でもない「私人」が資金管理団体の代表を称して、全くの非課税・・・もちろん相続税ももちろん、なのだから悪知恵には限りがないと言えるだろう。これが安倍派の流儀なのだろう。

 これが自民党の最大派閥で、つまり政権の柱になっているわけだ。
 岸田政権が末期であるのは明らかだが、遠からず訪れる解散総選挙の日に、実態はアベ政治の木偶の坊であったことを決して忘れてはならないと思う。
 

2023年12月4日月曜日

祖母ちゃんはヴィーナス

   相当昔から(ここへ移転してくる前から)わが家は玄関にヴィーナスの彫像を飾っている。
 アルグランのヴィーナス像を信楽焼で作ったものでけっこう大きい。

 さて、今までなかったことだが近頃、孫の凜ちゃんがこの像を「祖母ちゃん」と呼ぶようになり、帰る時も「祖母ちゃんバイバイ」と手を振るようになって、当の祖母ちゃんはまんざらでもなく喜んでいる。

 なぜ祖母ちゃんと言うようになったかは判らない。お世辞を覚えたわけでもない。
 とにかくそれで笑い合える材料が一つ増えていることに価値がある。
 ルネッサンスの人間賛歌が伝わってきたのだろう。

2023年12月3日日曜日

安倍派の裏金

   政治資金規正法では企業献金が受けられるのは政党と政治資金団体に限定している。
 なぜ限定しているかといえば、派閥や政治家個人まで認めてしまうとカネの流れが闇に消え、政治が歪められるからである。広島の河井夫妻選挙違反事件を想起してほしい。
 だから、政党と政治資金団体には収支報告書の提出が義務付けられている。法律の趣旨はそうなっている。

 ところが悪知恵を働かせる者は後を絶たず、「パーティーをするからパーティー券を買ってくれ」といい、形だけの安上がり(利益率9割など)のパーティーで「大儲け」をし、「これはパーティー券の売り上げで献金ではない」という派閥などが後を絶たない。一言でいってこれ自身脱法行為である。
 また、政治資金規正法では寄付は年間5万円を超えると明細を明記しなければならないが、パーティー券は1回のパーティーで20万円を超えない場合明記が必要ない。
 そういうこともあり、2001年の閣議決定で「大臣等の大規模なものは自粛する」と煙幕を張っていたが今ではそれも有名無実となっている。
 実際の例では企業に「10人分20万円買え」「参加者は3名出せ」というように運用されている。

 そういう事実上の政治献金であるパーティー券収入だが、少なくとも安倍派の場合、議員にパーティー券販売ノルマを課し、そのノルマを超えて売った収入は収支報告書に記載せず議員に還流(キックバック)させていた疑いが濃厚になっている。東京地検が立件視野と報じられている。二重三重に不正な裏金だ。
 その額、時効にかかっていない5年間で1億円超かといわれている。

 茹で蛙のようにこういう不正になれるのが怖い気がする。
 これからこのブログでは、自民党最大派閥、そして岸田首相を担ぎ上げた安倍派を中心とする不正について、備忘録的に追っかけていきたいと少し決意している。

2023年12月2日土曜日

因習に負ける

   週末(ウィークエンド)とはいつのことか・・という答えは今もあいまいなままだが、NHK放送文化研究所の意識調査の主流は日曜日だし、気象庁の天気予報も日曜日、多くの放送局の「週間番組表」もそうなっている。(番組表はそうでない放送局もある)

 会社や店など労働の場は一概には言えないが、土日の週休2日が多いことは多い。サザエさん症候群などという言葉もそれを前提にしている。

 ということで言いたいことは、多くの人々にとって「週の始まりは月曜」で「週末は金曜あるいは土曜から最後は日曜日」という認識でほゞ一致しているが、どうして手帳やカレンダーのそれは『日曜から始まって土曜終わり』なのかという疑問。

 そういう指摘は非常に理性的なものなので、ちょうど1年前、私は『月曜はじまりのカレンダー』を購入してこの1年を暮らしてきた。

 さて、根拠の乏しいというか弊害さえ感じられる「しきたり」や「ならわし」のことを因習というが、私の部屋のカレンダー以外のそれらの表示はほゞ100%『日曜はじまり』の因習から脱し切れていない。
 なので、それほど判り難いものではないが、たまに日程の転記などをする際に、1日ズレる勘違いをすることがある。
 ということで、気が弱い私は一種の同調圧力ともいえる因習に負けて、今回は日曜はじまりカレンダーを購入した。写真は、常に当月と翌月が表示される『2か月カレンダー』で、12月だけは旧のカレンダーをセロテープでくっつけてある。日曜日の違いが判ると思う。

2023年12月1日金曜日

聞いてないよぉ

   心房細動のアブレーション手術が失敗したので、その後定期的に病院に行っている。
 「もう一度挑戦しますか」との主治医の提案をお断りして薬と根性で対応しているところだ。

 昨日はその、血液検査、心電図、エコー、そして診察だった。
 そのエコーを見た主治医が、「1年前に中等度の心臓弁膜症、血液の逆流があったのが軽度水準に良くなっている。不思議だ」と呟いた。

 今年は友人の「心臓弁置換術」があり、たいしたことはないが相談にも乗ってきたが、実は自分の弁が弱ってきて逆流しているとは知らなかった。
 とりあえずの心房細動対策が優先だったのだろうが、中等度の説明は全くないままに来ていた。
 1年前? 聞いてないよぉ!といったところだが、結果論的に良い方に向かった話なので複雑な気持ちだ。
 そうか息切れは心房細動というよりも弁膜症だったのか。
 あっちこっちにガタが来るというのを実感する。

 主治医は心房細動の薬が作用したのだろうというが、医師の手前味噌かもしれない。
 メカニズムは解らないが、知らぬが仏とはよく言ったものだ。  

2023年11月30日木曜日

奈良の鹿のニュース

   この秋、奈良公園の鹿がニュースになった。
 農作物を荒らす癖の付いた鹿やケガや病気の鹿を一般財団法人奈良の鹿愛護会が鹿苑(ろくえん)という特別柵の中で飼育しているのだが、そこの餌が十分でなく死亡する鹿も多く動物福祉に反すると同愛護会の獣医師が内部告発し、奈良市長や奈良県知事も「不適切だった」と認めたという一連のニュースである。

 私は奈良公園が好きな一市民以外の何ものでもないのだが、一連のニュース、特に市長や知事が「不適切だった」と発言していることに大きな違和感があった。

 餌が仮に不十分だったとすると、餌代である予算を流用などしていたというなら別だが、十分な手当てをしてこなかったのは市であり県ではないのか。
 スペースが過密であったというなら、施設拡充の措置をとってこなかったのは市であり県ではないのか。

 この問題は単純なものではなく、農作物を荒らす鹿は普通に村里に出てくれば駆除つまり場合によっては殺す対象である。
 駆除が良いというのではないが冷静な検討が必要な問題であろう。
 もっと格段に広い特別柵の施設をつくればよい。場合によっては奈良公園から少し離れてもよい。
 私は何の利害もない立場だが、印象としては同愛護会は少ない予算でよく働いているとの印象を持っている。
 鹿がカワイイ、死ぬ鹿がいるのはカワイソウ、そういう情緒で終わるニュースには違和感を覚えている。

2023年11月29日水曜日

利害の対立

   世の中ではしばしば立場によって利害が対立することがある。
 そんな諺(ことわざ)の一つが「鶫(ツグミ)喜べばケラが腹を立てる」で、かつて、魚釣りではないが鉤(ハリ)にミミズやケラを刺しておいてツグミを釣る「釣りツグミ猟」があったことに由来する。糸の先は釣り竿ではなく土に刺した棒などに結わえておくという。

 さて、いっぺんに寒くなってきてインフルエンザの流行が心配されているが、テレビからは養鶏場で「鳥インフルエンザによる何万羽という殺処分」が報じられている。
 ウイルスの侵入経路を深く知りたいものだが、その先に冬鳥の渡りがあることは常識とされていて、ツグミはそのうちの一種類である。

 ケッケッといって冬を告げるツグミは文字どおり風物詩だが、ツグミにとっても嫌な時代だろう。

 世界中で戦争が絶えず、」鶫喜べばケラが腹を立てる」状況だが、人間がツグミやケラと同じレベルで良いはずはない。

2023年11月28日火曜日

クロアチアのマグロ

   農林水産省の統計によると、日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年には73%であったものが、2022年には38%になっていて、「食料安全保障」という観点からも大問題だと指摘されて久しい。
 その主な原因は米作の減反政策と片や小麦や肉類の輸入にあるとばかり思っていたが、食料自給率(カロリーベース)の統計を見ると、米(コメ)が約60%であるのに水産物が約50%とあるので驚いた。
 島国であり海洋民族といわれたりする日本の水産業がそういう酷い実態だとは知らなかった。

   そんなことを調べてみたきっかけは、近くのスーパーの安くて結構美味しいメバチマグロの産地が「クロアチア」になっていたからだ。

 エビがベトナムやインドネシアであっても驚かないし、ノルウェー産のサバが美味しいのもだいぶ前から知られていた。
 その後、チリやノルウェー産のサーモンは魚売り場の定番になったし、タコは圧倒的にモロッコ産になった。

 しかしクロアチアのマグロは浅学にして知らなかった。
 アドリア海に面したクロアチアが実際にはどこの海で獲ったのかは知らないが、アドリア海か地中海だろうか・・・と調べてみると、なんと、養殖だというし日本企業も参入しているようだ。
 それならヨーロッパの海域で乱獲しているわけではないので、遠慮なく戴いてもよさそうだ。ただ、この記事をしっかり学んで書いているわけではない。

 旧ユーゴスラビア、バルカン半島というと民族紛争、ヨーロッパの火薬庫として有名だが、マグロを通じて楽しい交流が深まればよいと思いながら夕飯をいただいた。

2023年11月27日月曜日

野鳥と家禽

   家禽というのは鶏舎など鳥小屋に飼われているものだけでなく、逃げ出したりして野生化していても家禽で、バードウォッチングの対象である野鳥とは言わない。
 なので、たまにホームの天井からお土産をくれる鳩はドバトといって野鳥にはカウントされていない。
 元々はカワラバトなどを飼育して伝書鳩に改良したものといわれている。見た目は千差万別で外見上の統一した特徴はない。

   一方、駅や公園で群れているドバトとは一線を画して単独または数羽で行動している鳩がいる。キジバトという。野鳥である。
 フィールドガイドによると、ドバトは人を怖れず近づいても逃げないがキジバトは人に馴れないと書いてある。

 わが庭には時々2羽の鳩がやってくる。番(ペア)のようだが・・・。
 フィールドガイドには「人には近づかない」と書いてあるが、私が近くにいても逃げたりはしない。それをスマホで撮影した。逃げないがキジバトである。

 ドバトと鑑別できる特徴その1は、キジバトのクチバシには「白い鼻こぶ」がない。
 その2、首に美しい縞模様がある(この美しい縞模様がキジのオスみたいと書いてある本もある)。
 その3,羽根にはっきりした鱗模様がある(フィールドガイドにはこの特徴がキジのメスのようだからと書いてある)。
 反対にいえば、ドバトには白い鼻こぶがあり、首の縞模様がなく、羽根の鱗模様もない。そしてドバトの色や模様には統一性がない。

   駅で電車を待っているときにドバトを見ていると、クックー クックーと鳴いているが、家の前の電線にとまっているキジバトは デデポポー と鳴いている。そういう意味では鳴いておればドバトとキジバトの違いは簡単に判る。

 【おまけ】近鉄奈良線の快速は鶴橋を出ると生駒まで止まらない。鶴橋で乗車したドバトがその間車両の中を飛び回り乗客が大騒ぎしていたことがある。私は何も大騒ぎしなければ鳩と一緒に珍しい「旅行」ができたのにと静観していた。

2023年11月26日日曜日

ブラックボックス

   ブラックボックスという言葉自体が死語ではないかと思われるほど遠い昔からそれは起こっていた。
 例えば真空管ラジオなら中を覗いてみて黒くなっている真空管を取り替えるとほとんど直ったが、今の電気製品は直ぐに「ハイ基盤ごと取り替えなければなりません」という。

 これがAI機器になると、仕組みどころか操作方法すら解らないことが多い。
 そんなため、若い人たちとの交流がなくなった高齢者は右往左往している。

 実は先日から、アンドロイドのスマホで撮影した動画にURLを付けようと努力しているのだがスッキリしない。
 パソコンで検索したら「方法」が出てくるのだが、わがスマホは書いてあるようには動かない。
 解らないまま触っているうちに最後は「出来た」のだが、何故できたのかも解らない。
 それをラインで共有してパソコンに送ったのだが、一定の時間が経過すると消えるかもしれない???と恐れている。
 とりあえずは「出来た」?のだが何もかも理解できていなくて気分が悪い。
 ブラックボックス・・・精神によくない時代になった。

2023年11月25日土曜日

共感革命を買う

   タイトルが「共感革命を読む」でないのは、この本の内容があまりに深すぎて、「読んだ」などとは恥ずかしくて言えないからである。

 私は本を買うのに十分検討したりせず、けっこう感覚的に買うものだから、時々は詰まらない本を買ってしまったりする。
 その延長線上で、この本は、第一に山極壽一という著者に魅かれて買った。
 コロナの真っ最中に「人は集い交流しなければならない」などと、あのタイミングで言うか!というような主張が新聞に載っていて、単なるゴリラの先生、元京大総長というような人ではなさそうだと思っていた。

 それでも、ゴリラ社会の分析から導き出した新しい進化論、あるいは新しい文化人類学みたいなものでないかと読み始めたのだが、結論からいえば、自然科学の実証主義的な言葉で語る、歴史観や哲学の本だと言えそうだ。
 後になって、本の表紙の帯に「共感が世界を破壊する」と書いてある意味も解ってきた。
 この本は一旦読み飛ばした後で机の端あたりに置いておいて、そしてゆっくり読み直すべき本だろう。

 大目次を掲載しておく。
序 章 「共感革命」とはなにか——「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類——踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住——死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない——狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した——生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか―—人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性——今西錦司と西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す―—自然とつながる身体の回復
終 章 人類の未来、新しい物語の始まり——「第二の遊動」時代

 ロシアのウクライナ侵略やイスラエルの「報復」(私はハマスのロケット弾も批判しているが)を見ていると、地球上で戦争は避けられないのかと考え込むし、究極の暴力(軍事力)でしか平和は達成できないのかと頭を抱え込むが、この本は決してそうでないという未来を提示している。
 心ある人は必ず購入しておいて、こういう話を語り合うべきだろうと思った。河出新書。

2023年11月24日金曜日

グローバル経済

   昔はアメリカ経済がクシャミをすると日本経済が風邪をひくと聞いたことがあるが、今や経済は文字どおりグローバル。‥というような大層な話を書くつもりもないし書けないが・・。

   ① 近くの大型スーパーで夕食の一品用にホタテ貝柱のお刺身を買ってきた。
 中国が日本の水産物の全面輸入禁止措置をとったからと思われるが、ここのスーパーで今まで出ていたものより格段に大きなものがお手軽価格で出ていた。

 一つひとつが大きいという結果だろうが、味が数ランク上のような気がした。
 中国のせいで産地は泣いているのだろうか。この味なら日本国内で十分需要はあると思うのだが。・・経済的な分析をした上での感想ではないが!

 ② この頃ラジオをよく聞いているのだが、この頃のラジオはCMというようなレベルを超えて、圧倒的に「〇千980円」的な通販の媒体になっている感じがしている。そのことに怒っているわけではないが。

 その中の一つに、「とってもお買い得です」「ロシア産ズワイガニ〇〇キロ、今なら〇千980円」と大きな声の宣伝があった。
 エエッ、「ウクライナ侵略に抗議してロシアに経済制裁だ」と言っていなかったか。
  
 「経済なんてそんなものだ」と訳知り顔をしたくない。
 しかし、現代日本の経済は何か美しくない。

 このタイトル、「グローバル経済」としたが、斎藤幸平著『人新世の資本論』ではないが、その発想は地球自身を破滅に向かわしているのではないかとの指摘もある。
 『共感革命』で山極壽一が広井良典の要旨次の言葉を紹介している。
 🔳 グローバル化の先にある社会は、「持続可能な福祉社会」であるべきで、地域の中でできる限り食料やエネルギー(特に自然エネルギー)を調達し、かつヒト・モノ・カネが地域内で循環するような経済をつくっていくことが必要だ。🔳

2023年11月23日木曜日

人間はミスをする

   労働災害防止活動の鉄則の一つに「人間はミスをするものだ」を前提にせよ! というものがある。
 人間は誰でも予期せぬミスをするものだから、それでもなお事故が起こらないように、例えば安全装置などを完全に装備すべきであるというもので、「想定外だった」は許されないのだ。

 そういう意味ではフクシマ第1原発に対策をとってこなかった政権には重大な責任がある(と、ちょっと横道)。

 それはさておき、私もイラチでミスが多いが、先輩からは「同じミスを繰り返すのはアホと言われるゾ」と忠告を受けたことがある。

 で話のレベルはだんだん低下するが、この初秋、ネットで小型のショルダーバッグを購入した。非常に値段が安かった。それもそのはず、荷物は中国から届いた。
 これは東京人ならプライドが許さないかもしれないが、もちろん根が大阪人、安くて上手い買い物だったと納得していた。

 ところが先日、ベルト(ストラップ)の取り付け部分が取れてしまいそうになった。今まで何十となくバッグを使ってきたが、こんなのは初めてだった。
 「欠陥品だ」と怒るのもよいが、まあ怒るエネルギーが馬鹿らしいほどの値段だったから、妻は「捨ててしまい」と言ったが、結果的には自分で針と糸で補修した。計画性もなく進めた作業だったので相当不細工な出来栄えだが用は足した。

 一言でいって「安物買いの銭失い」であり、その経験は多い。今回も妻にそう言われた。
 妻は「可哀相だから新しいカバンを買ってやる」と何度も言うが、私は全く可哀相とは思っていない。

 それにしても、「同じミスを繰り返すのはアホ」という言葉が頭の中を回転した。
 折々にこの不細工な修繕痕を見て安物買い防止の歯止めとしようと思う。

2023年11月22日水曜日

今年も しろばんば

   井上靖の小説の題名で有名な「しろばんば」は、この辺り(近畿中部)でいう「綿虫」のことだが、日本列島の少し北の方の地方では「雪虫」の方が通っている。

 いわゆる「言い伝え」にもけっこう納得することが少なくないが「雪虫が飛ぶと初雪が来る」というのも、今年については、北国でないこの辺りでも「上手く言ったものだ」と感心する。
 先週後半、わが庭にも「しろばんば」が漂っていたが、ニュースでは「金剛山にも初雪」と伝えていた。

 「yamashirodayori しろばんば」と検索してみると、これまでも数回11月下旬に書いている。初冬の標準木ならぬ標準虫みたいだ。

 しろばんば来て喪中のはがき来て


   上の写真は2020年に撮ったもの。
 下の写真は今回撮ったもの。普通に見た目はこんなもの。
 綿虫というか埃虫とでもいうようなもの。



【追記】
 22日の写真を追記。

2023年11月21日火曜日

蛇足ながら

   20日に高所恐怖症の所以について少し感想めいたものを書いてみたが、その前文で蛇について触れたところ、スノウ先輩から白龍弁財天についてコメントをいただいた。
 そこで、少し理解を深めようと南方熊楠の十二支考の「蛇に関する民俗と伝説」を読み返したが、熊楠の話はいつもどおり世界各国の膨大な事例に及んで、頭がクラクラしてまとまらなかった。
 なので、この国の、さらに古事記・日本書紀に限って1点だけピックアップしてみる。

 舞台は三輪山の麓、纏向の箸墓古墳周辺である。
 考古学的にはわが国最初の巨大前方後円墳である箸墓古墳は「古墳時代」の第1号とされていて、宮内庁は第7代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と治定しているが、少なくない歴史学者は卑弥呼の墓ではないかと指摘している。
 で、ここは記紀に沿って倭迹迹日百襲姫命として話を進めると、十十日で百で百回襲われた姫という名になるが、三輪山の大物主が毎夜(百日?)通ってきたが、姫が「お姿を見たい」と言うと「明日の朝、櫛笥の中を見なさい。ただし決して驚かないこと」と答えたため、翌朝櫛笥を開けてみると小さな蛇が入っていた。
 姫が約束に違えて、驚いて声をあげたところ、蛇(神)は麗しい男になり「恥をかかせた」と三輪山に帰ってしまった。
 そして、三輪の神に恥をかかせたと恥じた姫は、箸でホトを突いて死んでしまった。故に箸墓という。

 旧約聖書が蛇をサタンとしているのに対して、瑞穂の国の記紀神話は、国を造った神の正体が蛇だというのだから、その落差に驚きを禁じ得ない。
 瑞穂の国、つまり水稲稲作民族の国では水地帯を好む蛇は身近な存在であり、倉を荒らすネズミを喰ってくれる蛇は「益虫」(蛇は虫偏)と理解されていたのではないか。
 と言いながら、私は蛇は苦手である。私のDNAには樹上類人猿の記憶が残っている。

2023年11月20日月曜日

はるかな記憶説?

   よくある質問というかテーマに「人間はナゼ蛇が嫌いか」という問題がある。
 ヨーロッパでは毒蛇がほとんどいないのに、各種知識や情報蓄積がない乳幼児が蛇の絵に忌避反応を示したという論文があるらしい。
 その大学や京大の見解では、はるか以前ホモサピエンスの祖先が樹上生活をしていた時代の最大の脅威の一つが蛇だったので、その記憶が遺伝子に反映しているという。この話はけっこう広く知られている。

   さて私はよくBSの『こころ旅』を観ているが、火野正平が橋、特に高い橋を渡るのにめちゃくちゃ怖がるのを愉快に思っている。高所恐怖症だ。
 写真は、つり橋の途中で火野正平がへたりこんでいる。

 そこで私は考え込んだ。遺伝子レベルにまで擦り込まれた樹上生活なら、ホモサピエンスは高所を懐かしく快適に思うはずではないかと。
 事実、通天閣は言わず、日本でも世界各国でも、やたらに高い建築物を人は建てたがっている。
 ならば、「多様性」ではないが、樹上生活時代に落っこちた記憶を引きずっているグループがあるのだろうか。

 進化論もそうだが生物学など自然科学も解らないことばかりだ。
 社会科学もしかり。
 なのでこんなブログを書いて楽しんでいる。

 (おまけ)キリスト教文化では蛇は人間に原罪をもたらした悪の権化(聖書)であるから、知識の蓄積のない乳幼児でさえも蛇を忌避する先の理由はすんなり納得されているのではないか。
 しかし、蛇の脱皮に「不死や再生」を見、米穀の敵ネズミを食べてくれるため益虫のジャンルに加えている極東の先人は、「巳(みい)さん」だとか「宇賀神さん」として神にまで祭り上げたのだから、このギャップもまた楽しい。