2019年1月31日木曜日

茹であがりのようなシャツ

   いよいよ二十四節気七十二候も終わりに入った。大寒 末候 鶏始乳。
 1月30日奈良市の最低気温は-1.1℃であったが、朝から日差しがあって急激に冬の終わり(2月4日が立春)を感じさせた。
 昨晩干して-1.1℃まで冷えていたはずの洗濯物がいっぺんに写真のように動き始めた。
 いやはや太陽は力強い。
 北風と太陽の寓話を思い出す。
 世の政治家の皆さんにも実感してほしい。

   昼になるとハナアブまで飛んできた。
 一見したところはミツバチみたいだが、ハエに分類されている。もちろん針もない。

 普通一般にはハチに擬態したという。
 誰がアブに確かめたのだろうか。
 突然変異の繰り返しの中で適者が生き残って「進化」したってほんとうですか。

 遺伝子には意思と会話があって、「もっとハチに化けようや」なんて会議をして決めたのではないですか。
 今こそ、そんなアブの姿も知らず「進化論はダーウィン」などと言っている日本国民に問う。
 フクシマの原発事故が身体に影響がないなどとどうして言えるのか。

   北風と太陽教えし洗濯物

2019年1月30日水曜日

日露戦争ですか

祖父の日露戦争従軍記章
   プーチンに虚仮(こけ)にされた安倍首相が、日露戦争の戦意高揚のために詠まれた明治天皇の和歌を施政方針演説の冒頭で引用した。
 プーチン相手に啖呵も切れず、金(の約束)だけむしり取られて尻尾を巻いて帰ってきたのを「反省」して、ついにロシア相手に第二次日露戦争でもする気だろうか。というのはジョーク。

 スポーツでは気合を入れるということで「大和魂」などという言葉を遣ったり、女子を「なでしこ」と言ったりしているのがあるが、スポーツ新聞の見出しでもあるまいに。
 やはりこの人(安倍晋三)の脳内回線はアナクロニズムで、メンタルは軍艦マーチを大音量で流している街宣車と変らない。

 「をゝしさ」「あらはれにける」という言葉を摘んで議論するのは歴史を学んでいない論である。
 引用する言葉(原典)には、時代背景と果たした役割という烙印がある。
 それを踏まえて引用するのが知性であろう。

 歴史家の半藤一利氏は戦前の教訓として「国民的熱狂をつくってはいけない」、「抽象的な観念論を排しリアリズムに徹せよ」と指摘されている。
 リーダーであるべき政治家がこういう演説をすることの危険性を予見して訴えておられると私は読んだ。

 このブログで私は度々、現天皇が象徴天皇として現憲法の平和主義を非常に大事にして発言し行動されていることを評価してきたが、いわゆる保守と称される方々には、明治天皇の日露戦争の歌よりも、現天皇の深慮をこそ大事に噛み締めてほしいと思っている。

   着ぶくれて散歩悲しき愛犬家

2019年1月29日火曜日

俳壇歌壇

 去る者は日々に疎しとはよく言ったもので、実母が亡くなってから7年が経った。
 その後誕生した孫のサポートで、よい意味で日々前を向いていられている。
 まだ発表はできないが、今年は俳句以外にも挑戦をしようと思っていることがある。

 さて、27日(日曜日)の朝日新聞『俳壇歌壇』で私の一番気に入ったのは、
   九条俳句掲載まぢか女正月(さいたま市)関根道豊(長谷川櫂選)

 反対に意味が解らなかったのは、
   トルソーや手足あるごと雪積もる(大和市)おおもりじゅん子(大串章選)
 調べてみてわかったのは、トルソーとは通常頭部や手足のないボディーのみのマネキン。
 手足のないトルソーに雪が積もって手足が出来た??
 だいたいそんなもの屋外に出すの??解らない。

 妻が「解らない」と言ったのは、
   雨といふ言葉は死語に三ケ日(西宮市)近藤六健(稲畑汀子選)
 私は「正月三が日は雨という言葉は使わず”御降(おさがり)”というからでは?」と言ったのだが、ほんとうにそういう解釈で良い?
 妻は「獏枕(ばくまくら)同様一般には馴染まん!」と先の私の句も含めて批判。

 う~んなるほどと思ったのは、
   「さあ死ぬか」布団に入るとき言ふらしき山折哲雄氏覚悟楽しき(鹿嶋市)加津牟根夫(馬場あき子選)

   声上げぬことを美徳とする国の教師でありし三十八年(観音寺市)篠原俊則(永田和宏選)

 朝日俳壇歌壇のちょっとした感想は以上のとおり。
 先日私が某新聞に投書して落選した句は、
   餅つきや年寄りたちが生き生きと
 何の飛躍もない散文だから、これではやっぱり落選ですかね。
 私としては「獏枕」よりこっちの方が好きだったんですが。

2019年1月28日月曜日

初物七十五日

   初物を食べると七十五日寿命が延びる。
 昔からそう決まっている。祖母も、父母も、そして私たち夫婦も初物のお膳の前では必ずそう言う。
 そのおかげで今日までナンじゅうナン年生きてきた。
 ただ野菜はハウス、果ては野菜工場で栽培され、魚は養殖、輸入、国内の遠方からでも送られてくると、どれを初物と言ってよいのかと首をひねることもある。

 それでも、いやに早い気もするが初物と言ってよいようなものを二品食べた。で150日は命が延びたに違いない。

 その一、妻が買って来た若ごぼう。八尾という表示がない。大という字?を丸めたような中に三 東というようなマークだが、一体どこの産物だろうか? 大阪以外でも栽培されているのだろうか? 九州、四国あたりのものだろうか。産地は分からないがこの香りは春のそれだ。

   その二、イカナゴのシンコよりは大きく、カマスゴと呼ぶにはちょっと小さいような、でもやはりどちらかというと少し小ぶりのカマスゴを食べた。
 脂はのっていなかったがその分癖もなく美味しかった。
 でも、瀬戸内では禁漁期間ではなかったか?

 これらは先週の週末のことで、テレビでは各地の積雪を報じていた。
 なので、文句なく冬真っ盛りではあるのだが、少し気が早いが春の味である。
 気温とは別に、気分が冬から春に切り替わる気がする。
 
 初物というには早すぎるがほんとうに店頭に出てきたのだから仕方がない。
 そういえば、フキノトウもすでに食べ終えた。
 ほんとうの旬、ほんとうの季節が判らなくなりそうだが、マーケットに誘導されながらも旬を感じて、暖房を効かせた部屋で、春だ!春だ!と叫んだ。

   初物やまた話す常套句

2019年1月27日日曜日

リメンバーヒロシマナガサキ

ジャケットは藤城清治
   以前に妻から「YouTubeでリメンバーというのを探して」と言われて、私が「あんたの言うようなのはないよ」と言って来た経緯があるが、先日なかにし礼が作曲し佐藤しのぶが歌っているというので検索したら、2013年11月12日の「リメンバーヒロシマナガサキCD発表記者会見」というのが出てきた。

 その動画の、なかにし礼の発言に思わず引き込まれ、結局1時間半の全てを視聴して感動した。
 なかにし礼の「これを書かずには死ねない」という風な気迫を感じた。

 私のこのブログの読者ならYouTube等で視聴できるだろうから是非ともアクセスしてほしい。
 歌詞は次のとおりである。

    「リメンバー」
                 作詞・なかにし礼   
            作曲・鈴木キサブロー

この地球を宇宙からながめたら
美しい青い星だ
国境は引かれていない
  
今もどこかで戦争はつづいている
悲しみと山のような屍(しかばね)が折り重なって
戦争と核兵器のない 

 平和の実現を願う人は集まれ!
リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
過ちは繰り返さない

 リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
人間に英知と愛があるなら
愛と平和 自由を私たちにください
愛と平和 自由を私たちにください
  
遠くとも核なき世界を目指して
手を繋(つな)ぎ みんな歩きはじめよう
リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
  
沈黙にさようならしよう
リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
行動と勇気で生まれ変わろう 

愛と平和 自由を私たちにください




   歌わずに死ねぬプリマと詩人いて

2019年1月26日土曜日

正直な議論

 毎勤統計問題のマスコミの報道を見ていて、私にはどうしても違和感が否めない。
 例えば23日付け朝日朝刊の主見出しは『統計不正「知りつつ踏襲」』で、リード部分では「課長級職員らが間違ったやり方だと知りながら漫然と前例を踏襲し、部長級や局長級の職員は実態の適切な把握を怠っていたとして、ガバナンス(組織統治)の欠如があった」という特別監察委員会報告を記述して、「次官ら22人処分」という小見出しにつなげている。
 
 ▢ 不正のきっかけ ▢
 報告は「きっかけ」について「都道府県からの負担軽減の要望だった」と述べているが、東京都は「そんな文書はない」と述べている。
 だとしたら、東京都の担当者が「どうにかなりませんか」と言って厚労省担当者が「分かりました」と言ったことになる。私にはそんなことは信じられない。
 「法律・制度に立って融通が利かない」と批判されるような中央省庁が、そんな「そら恐ろしい」独断をするわけがない。
 全数調査を抽出調査にして厚労省にはメリットはない。メリットの生じたのは東京都庁の統計実施部門と東京所在の大企業である。
 東京都の要望、大企業の要望を受けたハイレベルの政治の介入無しに「聖域」でもある基幹統計の基本を変更したというようなことは考えられない。

 毎日新聞デジタルによると、2003年以前から中規模事業所の抽出率が法定よりも少なかったという。それを2004年に是正しようとして業務量増になる東京都から反発を受けて東京都の大規模事業所件数減ということが起こったようだと。
 この話は予想外だし正確かどうか私にはわからない。
 そうだとすれば、統計調査の構造的問題ではないかと思う。冷静に根本的議論をすべきではないだろうか。

 ▢ 2004年のデータ処理 ▢
 統計の技術的問題でいえば、抽出にしたならばどうして全数に「復元」しなかったのかという問題がある。これはもしかしたら完全にミスだったのかもしれない。
 ただ、古賀茂明氏の見解では、「2003年以前から東京都の回収率は無茶苦茶に落ちていたのかもしれない」という。その理由は、2003年と(変更後の)2004年の統計に大きな変化が見られないからだという。
 「統計は極めて大事だ」というマスコミは当時の各都道府県の回収率の実態を追求すべきである。
 古賀氏の推測どおり、「全数調査しました」というタテマエと異なり「未回収」が追求できていなかったとしたら、国、地方を問わず「行革」の名のもとに統計部門職員を減らし続け組織を破壊してきた政治の責任を問うべきであろう。
 共同通信24日によると基幹統計のうち21統計に法令違反の可能性と報じられている。

 ▢ 安易な前例踏襲 ▢
 ここは指摘どおりであるが、官民を問わず全国のサラリーマンは「よく言うよ」という気分も持つと思う。
 私は現職時代、危機管理や事故問題の再発防止策を考え職員研修をしたこともある。
 そのとき強調したのは、「問題が発見された。さあ責任者の処分だ」では解決しない。問題が隠れる文化ができる。問題発見者を誉める。そして全員体制で解決する文化を作ることだということだった。
 また、できもしない対策を作らないことだった。例えば管理者は担当職員の後ろに立って一から十まで観察するとか、全ての郵送物を点検するとか等々、人員と労働時間から見て不可能な文言を並べて「対策はできている」と言わないことだ。
 言いたいことは、安易な前例踏襲と言うは易いが、問題が発覚すれば直ぐに対応できる人員体制は不可欠だということが。
 そこを抜きにしていくならば、官民を問わずこの種の問題は必ず再発する。必ず。

 ▢ 20018年の補正 ▢
 20018年にデータを復元(補正)した理由が、アベノミクスの失敗を覆い隠すための大きな要請があったためであったかどうかは私にはわからない。
 統計の初歩的誤りを放置出来ないと考えた担当部局の決断が、たまたまアベノミクスや消費税問題と重なったのかもしれないし、「もっと伸びたようにできないか」という指示があったかどうかはわからない。
 いずれにしても、政治家を抜いての調査では幕引きありきだし、再発は防止できない。
 官民を問わず正直に洗い直す議論が一番大事である。
 そういう正直な議論に一番ブレーキをかけているのはマスコミの論調である。

 国公労働者はマスコミが流す官僚像のようなものでなく、その多くは立法趣旨に沿ってよい仕事がしたい、国民のための仕事がしたいと思って働いている。
 そのために、現場を無視した定員削減には労働組合を通じてなどでほんとうに悲鳴を上げてきた。
 メディアはこういう理性というか善意に対してほんとうにどう対応してきたのか。

 劣悪な民間の労働条件を改善しようとするのでなく、反対に民間に比べて公務は恵まれているかのような前提で、公務員は減らせば減らすほど正義であるかのような世論の誘導をしてこなかったか。
 ほんとうにみんな冷静に議論をしよう。
 公務のOB労働者も発言しよう。
 現職の労働組合も発言しよう。

   防寒は猫の首輪のキャップなり

2019年1月25日金曜日

猫の首輪

   20日が大寒だった。気象予報士は「統計的にはこれからが一番寒い時期だ」と解説している。
 元々霜焼け症の私は耳たぶが弱点だ。
 そこでいろいろ試してみたが、写真の帽子が一番寒さ対策上適当だと思っている。
 ただ、この帽子、あごのところが毛糸の紐で、先にボンボリが付いていて、実際にはほんの少し使い辛かった。

 そういうことで百均でそれに代わるものがないかどうかさがしてみて、写真のあごのところに写っている留金?付きのものを縫い付け、毛糸の紐は切り落とした。
 自分で言うのもなんだが「ああそういう帽子か」と全く違和感はないと思う。

 ただ妻が「それはどういうものやったん」と訊くので「猫の首輪やった」というと、「見る人(愛猫家)が見ると「あっ猫の首輪を付けさせられている」と判るやろな」と思いっきり笑われた。

   防寒に恥など忘れ厚着する

2019年1月24日木曜日

暦を考える。

満月まえの日の入り
 日曜月曜あたりは見事な満月だった。テレビの天気予報のときにも「きれいですね」とか言って映していた。
となると、あと半月ほどで奈良公園は大賑わいとなる。中国の春節(旧正月)、韓国や東南アジアの旧正月である。インバウンドである。

私などは旧正月という言葉を聞くと、ベトナム戦争時の「テト(旧正月)攻勢」という言葉が直ぐに浮かぶのだが、もうワードでも直ぐには出てこない。時は過ぎた。

旧正月、つまり太陰太陽暦の正月について、それは「春分の日」だとか「春分を含む月の朔日」と書いてある本があるが間違いで、「七十二候の雨水を含む月の朔日」というのが正しいようだ。
だから「年内立春」という言葉もあった。
芭蕉の句に「春や来し年や行きけん小晦日」というのは「立春(新年?)だ、しかし晦日(旧年)だ」と言っている。

アジアでもその暦法には微妙な違いがあり、朔日の0時というときにその標準時を中国の標準時(つまり0時)でいくか自国の0時でいくかによって1日のズレ、ひどくは1月のズレが生じるというのは面白い。未だに元号を標準としている国が何を言うかと反対に笑われそうだが。

さて、今日の記事の本題に入る。
日本に関する史料の最も古いものは魏志倭人伝である。その裴松之(はい しょうし)の注に現代語訳でこうある。「『魏略』に曰く、倭の俗では正月を歳初とすることと春夏秋冬の四節を知らず、ただ春の耕作と秋の収穫を目安に年を数えている」と、つまり「倭人は暦を知らない」と言っている。
対抗する史料がないので何とも言えないが、言いたいことは、官製の暦は知らなくても、各地には豊かな自然暦があり、人々は決して無知蒙昧ではなかっただろうという私の感想である。

例えば「白馬岳に白馬の雪代が顕れたら代掻きをする」というように、各地に「種まき爺さん」「代掻き〇〇」のような雪代がある。
ただし私は思うのだが、豪雪の冬があったからといって代掻きや種まきを遅らせると耕作は失敗することもあるのでないかと。
とすると、雪代と併用して日の出・日の入りの角度(場所)による太陽暦的自然暦を共有していたのではないか。
弥生時代、古墳時代の人々の知識は劣っていたに違いないというような考えは捨てた方がよいだろう。

日本ではどうしても稲作を中心にして考えてしまう所があるが、魏志倭人伝ではないが日本は漁業の国でもある。
今でも釣り人は大潮や潮の干満を重視して釣行の計画を楽しく練っている。
それは月の運行、太陰暦的思考となる。
古代人が、そんなことを考えもせず気の向くままに漁に出ていたと考える方がおかしいだろう。

哀しいかな文字を持たなかった日本列島の古代には記録が残っていないが、太陽暦的発想、太陰暦的発想はあったに違いないと想像するのだがどうだろう。
そして一般に、太陽暦が新しい考え、太陰暦は古臭い考えのようなイメージがあるが、漁民にとっては太陰暦的暦が重要であったし、稲作農民にとっては明治の改暦を待たずとも、根に太陽暦的1年という周期を使いこなしていたに違いないと思う。
農村や漁村にそんな欠片が残っていたら教えてほしい。

この間から本屋の新書コーナーに「暦の話」というのがあって興味をそそられているが、読みさしの本がいくつかあるので購入していない。そんなうちに旧正月が近づいてきたので、感想のようなものばかりでこの記事を書いた。

  大寒は春の気配の窓の外

2019年1月23日水曜日

早すぎる~

   恥ずかしいので胸の内だけに秘めていた「1年の計」は、「今年中に俳句あたりをどこかで一つぐらいは選んでもらおう」というもので、振り返ってみてあまりにガサツにくそリアリズムの大道を歩んできたトウの経った人生を、ここらあたりで少しは豊かにふくらませたいというものだった。
 それで正月に5句ばかり捻ってみて投句した。まずは不言実行だ。
 ただし、ほんとうに願いは”今年中に”だった。

 それが1月中に叶ってしまったので”あわあわあわ 早すぎる!”というのが実感だ。
 だから、入選など考えられもしなかったから、今朝読むには読んだが、他人の句はうんうんと頷いて読んでいながら自分の投句を見逃していて、夜になって友人からのメールで知ったというような体たらくだった。

 きっと、明らかに初心者だから、誉めて伸ばしてやろうという選者の親心だろう。
 「初めて投稿します」と添え書きしたのはルール違反だっただろうか。ただし、ほんとうに初投稿だった。
 入選句は、獏枕無用選挙の年明けぬ である。

 獏枕(ばくまくら)は新年の季語である。
 悪い夢を食べてくれるという獏の絵を枕に敷いて寝れば好い初夢を見ることができるというから、ほんとうに好い初夢が正夢になった。
 正月の初夢のことでもあるが、節分の夜という習慣もあったようだ。もうすぐ節分だ。

   吉兆を飾り浪花の新年会

2019年1月22日火曜日

伝統という言葉

 昨年12月6日の『再び大嘗祭について』で私は「日本国憲法は(神話)の側面を持つ天皇制を残しながらも近代国家の諸原則を導入した。なので、そういう矛盾を常識的・理性的に解決する能力がわれわれ現代人に課せられている」と書き、「大嘗祭は国家的行事でなく皇室内の宗教行事として”身の丈に合った規模の行事にしたい”と言った秋篠宮(天皇・皇太子も同意見と推測)の意見を首肯する」と書いた。
 そのように書いた以上、『剣璽等承継の儀』についても一言言わなければならないだろう。”神話に基づく行事は皇室内で行うべきだ”と。

   儀式そのものは変に禍禍(まがまが)しいものではないだろうが、国家的行事でありながら女性皇族は陪席を認めないというのは如何なものだろう。
 皇室典範第1条が男系男子の皇位継承を定めているからというだけで思考停止してよいのだろうか。
 男女平等という憲法理念と皇室典範の矛盾を解決しようという常識や理性はないのか。
 女性皇族が陪席してどんな問題が起こるという?

 それを嫌がるのは明治憲法の復活を企図する人々で、安倍晋三首相はその旗頭といえよう。
 つまり”まあ自分には関係ないこと”とこういう問題をスルーするのは、現憲法の民主的条項の改廃を狙う面々をスルーすることと一致するように思う。

 代替わりの行事の議論ではよく「伝統を踏まえて」という修飾がつくが、これも”あっそうですか”では済まない気がしている。
 その場合の”伝統”というのは主として現憲法以前の明治憲法下の数回の経験である。何が伝統ですか?
 そんなことを言えば、女性には参政権すら認められていなかった。明治天皇の時代にも大正天皇の時代にも堂々たる側室制度が皇室には存在していた。
 そういう前近代的な諸矛盾も”伝統”という言葉で容認するのですか? それは思考停止だろう。

 西本願寺の龍谷ミュージアムの前館長は「歴史といえば代々の天皇家は仏教徒であった」とまことに当然の指摘をされている。
 四天王寺や法隆寺は聖徳太子が建立し、東大寺は聖武天皇が建立した。
 平安以降は事実上仏教こそが”国教”となり、宮中には「お黒戸」と呼ばれる”仏壇”があり、仏像とともに歴代天皇皇后の位牌が祀られていた。
 京の文化は仏教文化そのものである。違いますか?
 天皇皇后の墓所も多くは寺に作られた。
 明治4年に廃仏毀釈で位牌等それらは泉涌寺に移された。
 
 澄んだ眼で歴史を見れば、明治4年以降、大正、そして昭和前半の時期こそが歴史の中のあだ花であることがわかる。
 ほんとうに”伝統”を大切にするというなら、おかしいではないだろうか。
 江戸時代の形式に戻せというようなことを言うのではないが、歴史上あだ花の一時期をとって”伝統”なることばで思考停止することは止めよう。
 民主憲法と天皇制という矛盾は否が応でも全国民の肩に乗っかっているのである。
 おかしいことはおかしいと言いたい。

   ソーシャルは短文では解けぬSNS

2019年1月21日月曜日

今日のダンドリ

   正確に言えば2日前にダンドリしたのは約2週間後の節分のダンドリだ。
 といっても、お供えをする福豆を用意しただけ。
 ただ、市販のものそのままではあまりに寂しいので、ラベルを作って貼付した。

 「福は内 鬼は外 乾の隅にどっさりこ」と書いた。
 豆撒きの際に古く大阪で唱えられていた台詞である。
 少し詳しくは12月7日『鬼の笑う話』を参照してもらいたい。

 青森・秋田あたりでは「鬼は・・・、天に花咲け、地に実なれ」というとある。
 岩手「天打ち 地打ち 四方打ち ・・・ 鬼の目玉をぶっつぶせ」とか、「鬼の目玉・・」系は福島、山形にもある。
 茨城「・・・福でもってぶっ止めろ」
 長野「・・・ごもっとも ごもっとも」
 長崎「・・・もっともだ もっともだ」等々、細部の違いや「鬼も内」系を入れると結構バリエーションがあるようだ。
 ならば、大阪の古い風習も大事にしたいと思っている。

 ラベルの第2章は「善い年にするために 力を合わせましょう」とした。
 思いはいろいろだが、神仏に個人個人が個人個人の幸せだけを祈っていてもいけないのではないかという思いもある。
 みんなが幸せになるためには声を力を合わせることが大切だと思う。ただし、この言葉をどう解しようと自由である。
 「体調不良で欠席」という連絡もあった。
 彼のためにも疫神を大きな声で追っ払うことにしよう。

   厄神は永田町とか鬼は外

2019年1月20日日曜日

常識の通じない人

 榎本博明著『過剰反応社会の悪夢』角川新書はおかしな本である。
 現代社会のいろんな場面で当然とされている諸現象を「おかしくないか」と問題提起している側面では新しいが、言っていることは「常識を再構築する」というような当たり前のことである。じっくり考えればおかしくない。

 その中では、過剰反応する非常識な人の例をいくつか挙げているが、『独りよがりの正義感を振りかざす人』の章では、「もう幼児もいなくなった夕暮れ時に児童公園にやってきてサッカーボールで遊び始めた小学生に怒鳴り声をあげて注意した近所のおじさん」をあげている。
 『他人に対して不寛容』の章では、「何かにつけて自分の視点を絶対化し自分と違う考え方や行動パターンを取る人を糾弾する。相手の視点に対する想像力が欠けている」人が増えているという。
 『防衛的構えから攻撃的反応に出る』の章では、「過剰すぎる反応を示す場合それは相手の言葉や態度の問題ではなく、本人自身の心の内面の問題であることが多い」と指摘している。
 さすが心理学者である。

 今日のテーマは、橋下徹元大阪市長が当時の市営地下鉄職員にヒゲを剃れと命じ剃らなかった職員を不当評価処分したことが司法によって否定され、現吉村市長がツイッターで判決に悪態をついて控訴すると息巻いていることである。

 タバコを吸った職員を処分しながら知事自身はタバコを吸うために公用車を運転させたように屁理屈を言うのが維新の人々の特徴だが、冷やかに吉村氏を見ていると、「俺は市長だ。職員は白いものでも黒だと絶対服従せい」「市長に逆らうのはけしからん」と言っているとしか考えられない。
   とまれ、榎本先生の指摘する「困った人」である。自己誇大感、知識や経験が足りない、認知的複雑性の欠如、そして、人を言い負かすことが快感という人物ではなかろうか。

 こういう権力を振りかざす人物は強いものには弱いというのが特性であるから、5月1日以降皇嗣となる秋篠宮に「その髭はふさわしくない」と批判するだろうか。できるはずがない。
 

2019年1月19日土曜日

善き思い、善き言葉、善き行い

 18日に映画ボヘミアンラプソディーを観たことを書いたが、私がこの映画の中で刺激を受けたのは、ロックのことでもクイーンのことでもLGBTのことでもなく、ゾロアスター教のことだった。
 フレディの父はその教えに基づき「善き思い、善き言葉、善き行い」を子に諭すのだが、・・・そしてクイーンがチャリティ大イベントに出場する最終場面で父子は和解する。

敦煌莫高窟の祆教の女神像
   「へ~、ゾロアスター教は歴史的遺産ではなく現代イギリス(といっても彼らはある種移民だが)に生きている宗教だったのだ」と少し驚いた。
 ゾロアスター教というと高校時代の先生がその神アラアラマツダ(アフラ・マズダ)について熱く語っていたのを鮮明に覚えている。「火の神、光の神アラアラマツダに由来してマツダ電球というのだ」などなどなど。

 そしてそのず~っと後、飛鳥の古代史に興味を持ったとき、松本清張が謎の諸石造物は拝火教(ゾロアスター教)の遺物であるという論を小説等の形を借りながら主張したことを知った。
 実際、驚くほど多くの渡来人によって古代文化が形成されたことはいうまでもないし、その文化の中に(中国の)中原まで来ていた西方の文化(祆教もその一つ)が含まれていなかったと考える方が不自然であるから、結論は別にして、松本清張の問題提起は今も輝きを失っていないと私は思っている。 

   横道にそれるが、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前1110世紀)の英語読みがゾロアスターでドイツ語読みはツァラトゥストラである。
 有名なニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』はキリスト教以前の素直な宗教心というか哲学で17世紀以後の歴史を見つめ直し19世紀の諸問題を分析し未来の心の在り方を問うたものだと思うが、「素直な哲学」をどうしてツァラトゥストラという名の人物に語らせたのだろうか。

 迷い道に入り込みそうな怖さがあるが、維新政治を強力に批判している適菜収氏の『ニーチェの警鐘』を書架から引っ張り出して読み直している。
 はた迷惑な映画だったが、こんな風に連想ゲームのように本を読んだり考えをめぐらすのは非常に楽しい。
 適菜収訳ニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳も併行して読み直している。

2019年1月18日金曜日

冬の奈良

 冬の奈良は観光客が減るのでなんやかんやとイベントをひねり出しているが、私としては観光に丁度良い混雑具合でそのままでよいように思っている。

   例えば、大仏殿の「鼻の穴くぐり」も待ち時間なしで挑戦できる。
 それはそうとして、大仏殿の西の奥には大きな広目天が立っている。
 仏像は原則として経典に基づいて表現されるが、それでも場所や時代によっては異なって表現されている。
 ということで見上げてみると、大仏殿の広目天は右手に筆を、左手にノート(巻物)を持っている。
 で、その姿から、私は広目天をSNSの守り神だと名付けた。
 お寺からは「勝手に解釈するな」とお叱りを受けるかもしれないが、如何にも「フェイクニュースは許さないぞ!」というような迫力を感じる。

 21世紀に「ものを書くのは苦手や」とか「SNSは苦手や」という声を聴くことがあるが、天平の仏さまも努力されておるぞ。ははあ~。

   閑話休題  昔、ひげ親父さんのブログに「幸運のつり革」の写真があったが、大仏殿からの帰りに近鉄電車で「合格祈願」というか「合格保証」のようなつり革があった。
 私鉄では近頃流行りらしいが、楽しい企画だと思う。
 受験生をお持ちの皆さんには、私のブログの写真を通じて「合格保証」を手渡ししたい。

 つり革も鰯の頭も信じたい

2019年1月17日木曜日

1.17から学ぶことのひとつ

   ソフトの面から1.17を振り返ると、いろんな場面でやはり”人”だと思うことがある。
 消防署員の数とノウハウ、医療従事者の数とノウハウなどである。
 さらには食料、飲料、救助物資の配布、罹災証明やボランティアの配置等々、その基幹には地元の公務員があたることになる。
 ところが1.17以後、政府は地方自治体を効率という物差しで大合併させ、自治体を住民から遠ざけ、人と福祉予算を削ってきた。
 
 その後の全国の災害で神戸市の救援隊の活躍が目覚ましいのは、最新機器であるかどうかということとは別に、経験、ノウハウの蓄積、反省や教訓があるからだと言われている。
 反語的にいうと全国の自治体のその面での体力は低下している。

 同じようなことは企業の労働災害防止施策でも言われることだが、リストラなどでイの一番にこういう部門が減らされると、マニュアルにはない経験やある意味では”感”のような”文化”が途絶えるということがある。
 有名な大企業での初歩的なミスによる大事故(死亡災害)などを見ているとそういう指摘が大いに肯ける。

 いろんな事件や事故が起こるとテレビでは「自治体は何をしていた」と正義面して説教をする。
 しかし、「身を切る改革」などというインチキ極まりない標語を肯定し、自治体職員の数を減らせ、予算を減らせ、官から民へなどという動きを先頭に立って囃し立ててきたのはマスコミではなかったのか。

 来年は1.17以後四半世紀となる。
 マスコミも頭を冷やして行政や地方自治を語るべきではないか。

2019年1月16日水曜日

まもなく1.17

 今年の新成人は阪神淡路大震災を全く知らない。
 1995年(平成7年)は24年も昔のこととなったから当然である。
 この24年間に、例えば国は、大阪府は、大阪市は、どれだけそれを学び対策を講じただろうか。と考えると社会の未来に自信を失いかねない。

 18世紀フランス王ルイ15世の愛人ポンパドゥール公爵夫人が「アプレ・モア・ル・デリュージュ(我が亡きあとに洪水よ来たれ)」と述べ、かのK・マルクスは資本論の中でこの言葉を引用し「これがすべての資本のスローガンである。それゆえ資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」と述べたことを私は頭に思い浮かべている。

2018年台風24号の大阪
   2011年に3.11東北大震災があった。フクシマ原発事故は今も続いている。2016年には熊本地震があった。去年は北海道で大停電があり、大阪でも関空が水没し、湾岸施設が倒壊し、台風と大阪北部地震では甚大な被害があった。

 そのことに一番反省すべき人びとが賄賂と大嘘でオリンピックを招致し、大阪埋立地人工島でのカジノ万博に血道をあげている。

 彼らの呪文は同じである。我が亡きあとに洪水よ来たれ! 和語に訳せば、あとは野となれ山となれだろうか

 上町断層というのがある。豊中市から大阪市中心部を通って岸和田市まで大阪府の心臓部を貫くような約42㎞の活断層で、浅い震源で大きな被害が予想されている。
 また、東南海大地震は明日であっても不思議でないと発表されている。
 津波の被害は北部では淀川をさかのぼって北摂、北河内に及び、大阪市内は御堂筋以西、泉州は阪和線以西に及ぶとされている。

 防災とは命を守ることである。
 その第一歩はマルクスではないが庶民の力で「社会的強制」・・つまりは政治を革新することだと私は思っている。
 「想定外だった」という言い訳を何回聞けばいいというのか。

   疑わず地下街楽しむ吾のおり

2019年1月15日火曜日

あかぎれ

 童謡『かあさんの歌』に 〽かあさんの あかぎれ痛い 生味噌をすりこむ というのがあるが、カーラジオの向こうで男女のアナウンサーが「昔はあかぎれもあったようですね」「今はあかぎれなんか聞きませんね」というのを聞いて、思わず「おぼっちゃん、お嬢ちゃんが何を言うねん」とツッコミを入れた。

   旧冬、3回目の餅つきの頃から寒波が来て、その後あかぎれに悩まされてきたからである。
 今は、キズパッドやハンドクリームのおかげで完治したが、洗剤を使った水仕事の後はケアが大切である。
 アナウンサーは屋外作業もないし、水仕事もほとんどしていないのだろう。
 あかぎれを知らない日本人はこの先どうなっていくのだろう。

 モンベルの辰野氏の話に「アウトドアは災害対策に通じる」というのがあったが、薪コンロに火を熾せない人も多い。
 確かにスーパーには電子レンジだけで美味しい料理がいただける袋がズラーと並んでいるし、私だってピザなどを購入したりする。
 しかし、建物倒壊で圧死してしまえば終わりだが、電気、ガス、水道が止まっても数日間は持ちこたえられる技はあるに越したことはない。

 もうすぐ『1.17』が来る。24年経った。
 アウトドアの真似事ぐらいしておいても良いかもしれない。

   防災の練習だと言って焚火する

2019年1月14日月曜日

川島実氏を見てきた

幟を持っているスタッフを見つめる鹿
これぞ奈良!というヒトコマ
   奈良県知事選挙の先頭に立とうとしている川島実氏のことはモンベル辰野勇氏のFBで知ったが、正直に言って人柄も政治姿勢も私は知らなかった。(テレビの情熱大陸などで大きく取り上げられている有名人らしいが・・・・?)
 なので、タイトルのようにとりあえず「見に行ってきた」。
 
 京大医学部在学中にプロボクサーになり西日本新人王というだけで十分面白いが、東日本大震災後の気仙沼市立本吉病院の院長になり在宅診療等に従事、地元奈良に帰ってからは自治会やPTA役員として奔走、さらに東大寺にて僧籍を得たというから、高学歴にありがちな専門馬鹿ではなさそうだ。

   1月12日の夜に橿原市で講演会を行い、夜は医師として夜勤に従事し、13日(日)の朝9時半開会の講演会に出てきたというから、体力的にも頼もしい。
 この記事の冒頭で「(私の)知らない人」と書いたが、孫のお世話になっている東大寺福祉療育病院の医師でもあったというから、まんざら無関係でもない。

 政治姿勢も現奈良県政の住民不在の強権的な態度の是正を最も強調されており、強く同意する。
   ただ一つ、「介護を地域で支える」というのはややもすると政府の福祉切り捨て施策に乗せられる危険性があるし、「施設介護は不幸せ」的な風潮を助長すればぎりぎりいっぱい困っている家族介護の実態を救えないと危惧をする。この点は「感想文」に書いて提出してきた。

   一言でいって朴訥で”実直な人”である。人柄は気に入った。奈良県下の良識を集められる人柄とお見受けした。
 「対話でつなぐ奈良の会」というネームもいい。
 シンボルカラーが「ルリセンチコガネの青色」というのは個人的には一番いい。
 最終的には「家で看取れる奈良」とかマイルドな表現になるみたいだが、当初の提起が「家で死ねる奈良」というのも、あまりに正直すぎて笑ってしまう。ただ先に述べたように施設介護を不幸であるかのような論立てはやめてほしい。

   口下手の男いっぴき立っていて周りの人の熱き眼よ

2019年1月13日日曜日

五輪汚職問題と報道の歪み

   竹田恒和JOC会長がオリンピック招致のための汚職に関わった(贈賄)疑いで、フランスの検察当局に捜査されていることが報じられている。
カネ(買収)とウソ(フクシマの汚染水は完全にコントロールされている)で招致されたオリンピックはオリンピック憲章の精神に立てば返上するのが正しいと私は思う。
カネでいえば、万博も買収と同じ性格の手形乱発で招致した疑いが濃厚である。何せ密約の得意な維新の知事と市長である。
すべてツケは庶民に廻って来る。必ず廻って来る。
   オリンピックも7千億円規模と表明されていたのが今や当たり前に3兆円と言われているぞ。

フランス検察当局のこの先の見通しなどはひとまず置いておくとして、内田樹氏のいうように、このことは海外では以前から(もちろんゴーン氏逮捕以前から)度々報じられていたにも拘らず、日本の大手マスコミが一切伏せていた異常さの方が私には怖ろしい。

大手マスコミは、竹田恒和氏が明治天皇のひ孫(ということは同じひ孫の現天皇とは「はとこ」どおし)ということや、マスコミにとっては将軍並みの影響力を持っている電通がらみの事件であることからタブーにしてきたのだろう。

さらには、読売、朝日、毎日、日経の4社が「一業種一社」の原則の”例外”として一括で東京五輪の「オフィシャルパートナー」になっている。まるで大政翼賛会である。
こういう異様なメディアの環境を多くの国民は十分知っているだろうか。
国際ジャーナリスト団体(国境なき記者団)の発表している報道の自由度ランキングでは鳩山内閣時は第11位であったものが2018年の日本は第67位とされているがむべなるかな。

報道の自由は民主主義のバックボーンである。
「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡邊白泉)という昭和初期の俳句が非常にリアリティーを深めているように思う。

余談ながら、よく似た話で、韓国の司法が徴用工の賠償請求を認めたことで「韓国はけしからん」という意見が大手マスコミでも大いにあるが、近代民主主義国家では三権分立が常識ではないのか。そうではないのか、それとも・・・
「司法の独立を認めず行政(大統領府・内閣)が司法を封じるべきだ」という主張は独裁国家の主張である。
実際、「個人の請求権は消滅していない」というのは日本の司法も明確に述べており、内閣も国会にそう答弁してきた。(故に韓国の司法がそう判断したのにも道理がある)
国家(行政府)レベルでは手打ちをした事項についてどうしていくかは、それこそ冷静に知恵を絞って交渉すべきことである。
そういう理性ある意見が冷静に交わされず、他国への憎悪を煽るマスコミはほんとうによくない。

 そうか、オリンピックの  は表無し(おもてなし)で裏で決めていたんだ。(ラサール石井氏のツイートを参照した)

2019年1月12日土曜日

毎月勤労統計調査問題に思う


毎月勤労統計調査は統計法に基づく国の「基幹統計調査」で、厚労省が実施しているが、実際の調査事務は都道府県が行う。
従業員5人以上の全国約33,000事業所の賃金や労働時間等を毎月追いかけている文字どおり「基幹統計」で、経済や政策全般、はたまた各社の経営方針を議論する際の大前提となっている。
従業員5人~499人の事業所はサンプル(抽出)調査だが、従業員500人以上の事業所は全事業所調査となっているところ、2004年から東京都については本来約15,000全事業所調査すべきところを約3分の1程度のサンプル調査にしてきたというのが今問題になっていることである。

私の過去の記憶では、例えば農林統計では実際に畑に植わっているタバコの葉の枚数まで数えていたといい、日頃脚光を浴びることの少ない統計だが、その重要さと統計職員の熱意に感心したことがあるが、翻って今回の問題には些か落胆した。
ただ、先に述べたとおり、厚労省にはサンプル調査にするメリットはあまり考えられず、一番メリットを考えられるのは調査件数が10,000事業所減った東京都、そして実際の毎月統計調査の報告を免れた東京の約10,000大企業となる。
朝日新聞の記事には、東京都から抽出調査にしてほしいと要望があったとも書いてある。

さらに、今現在手元に資料はないが、この時期は竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣として「聖域なき構造改革」を進めていた時期であるから、それこそ「基幹統計」という聖域にまで踏み込んで強行されたのではないかという疑念を私は持っている。
財務省の問題ではないが、統計官僚には実態や数字に対する非常に高い熱意があるから、政治や超ハイレベルの指示なしにそんなことが起こるとは想像し難い。
当時の労働政策や行政改革議論のあった審議会等を洗い出せばことの本質が見えてくるのではないだろうか。

ちなみに、労災保険の過少給付問題に触れると、労災保険給付の基礎となっているのは平均賃金をベースにした給付基礎日額であり、それには最低限度額と最高限度額が定められていて、それは毎月勤労統計調査によっている。
つまり、東京都の500人以上の比較的賃金が高い事業所のデータが少なく反映されていることで、この限度額も各々低く定められてきたのである。

最後に、いま厚労省の統計職員は大変な過重労働になっていることだろう。
財務省問題ではないが、いろんな意味で犠牲者が出ないように全労働省労働組合には頑張ってもらいたい。
そして、地方労働局が実施する各種統計調査もあるし、前述した労災給付の是正問題もあるから、地方労働局、労働基準監督署の職員も団結を強めて頑張ってもらいたい。

2019年1月11日金曜日

ノスタルジー

 1月4日に宮川徏著「よみがえる百舌鳥古墳群」のことを書いたが、今回は古墳とは少し離れた昔の堺のことである。
 この本の「百舌鳥古墳群の立地と方位性」という章の中に、「私(著者)の少年時代・・堺市内の小学校では、夏休みに入る前の一週間ほどは毎日、子どもたちは学校で整列し、海の歌を歌いながら最寄りの海の家に歩いていき、水泳訓練を受けた」とあった。
 著者は1932年(昭和7年)生まれだから、戦前のことである。

 さらに私の持っている上林貞治郎著「臨海工業地帯の分析」という本の「堺泉北臨海工業地帯の昔と今」という章にも、「昔、『海は天与の大宝庫・・』という水泳の歌をうたいながら、堺の小学生たちは、各学校から列を組んで海へ歩いて行ったのであった。私の通っていた熊野(ゆや)小学校からは・・遠浅の大浜海水浴場に出る」とあった。
 著者は1908年(明治41年)生まれだから歴史は古い。

 そしてずっと下って、2004年(平成16年)発行の「堺泉州(15号)」の「堺の歌あれこれ」に題名と歌い出し部分のみが那賀ひろし氏によって紹介されていた。

   答えを先に言うとこの歌は「堺小学水泳歌」といい、大正2年に制定されたものである。
 そして、臨海工業地帯の造成工事のために1958年(昭和33年)に大浜海水浴場は閉鎖されたから、この頃に行事もそして当然この歌も「絶滅」したと思われる。
 そして、この最後の立会人の一人が私である。もしかしたら検死官?

 そのことは2004年(平成16年)発行の「堺人」という雑誌に私が投稿し、掲載されている。
 今般、宮川先生の著作を読んで懐かしい思い出がよみがえってきたので再びここに記した次第である。

 小学校から海パン姿で大太鼓に合わせて大声をあげて町の中を歩いている姿を想像してほしい。
 遠い記憶では1~3番ぐらいしか歌っていないように思うが、それにしても「狂瀾怒涛」などという難解な歌詞を小学生が歌っていたものである。
 4,5番当たりは富国強兵の匂いがする。
 今でもこの歌が歌える私などは、戦前の環境の下でこういう教育を受けていたら、軍国少年の先頭に立っていたかもしれない。

   海恋しと歌われし浜の蛮声恋し

 別掲写真の歌詞は私が記憶と図書館等との電話のやりとりで書き上げたものであるから、細部に誤りがあるかもしれない。気付かれた点等はコメントやメールで指摘願いたい。

2019年1月10日木曜日

宵えびす

 毎年同じ時期に同じこと書くことができるのは幸せの証拠だと思うことにしよう。
   1月19日は十日戎の宵戎であった。
 今年は大阪の今宮戎に行ってきた。
 スタートは地下鉄堺筋線恵美須町駅。
 地下から出たところに「いさみ」の蒲鉾店があり、写真のとおり大いに賑わっていた。
 明治生まれの亡くなった実母が娘時代にこの店で購入していたというから、少なくとも昭和初期には創業していたことになる。
 あまりの人だかりに私はパスをして参道に向かった。

 今宮戎では参拝した後すぐに笹を貰いに行った。
 あちこちの十日戎に行ったが、このように文句なしで笹を配るのは気分がいい。
 「小さいのを頂戴」といって枝ぶりのいい笹を貰った。(もちろん無料)
 で、この後は「商売繁盛で笹持ってこい」である。
   この素の笹を持って福娘のところへ行く。
 外のえべっさんでは「ビニール製の笹」であったり「最初から有料」であったりして面白くない。

   商売人は大きな笹にあれやこれや付けてもらうが、わが家では基本の吉兆プラスひとつと決まっている。なので「小さな笹」でよい。
 今年は福娘に打出の小槌をプラスしてつけて貰った。何も見栄を張る必要はない。これだけでよい。
 小槌はそのうち孫の凜ちゃんの玩具になるだろう。

   その後大切なのは「裏に回る」ことである。えべっさんは耳が遠いから神坐に近い裏口から大きな声で願いごとをする。これもそういう習慣のない外のえべっさんでは興醒めだ。
 私は「商売はええから孫の夏ちゃんと凜ちゃんがピンチの時は助けてや」と声を出して、写真のように裏口の大きな銅鑼を叩いてお願いした。

 アベノミクスによって日本経済全体が沈没しそうなときに何が商売繁盛や!というお叱りの声もありましょうが、「安倍退陣によって日本経済の復興」を祈ったので許していただこう。

 大阪人にとって十日戎は新春スタートの外せない「きっしょ」である。

   幾人も満員電車で笹掲げ

2019年1月9日水曜日

油まみれの水鳥

   1月7日朝日新聞朝刊に宝島社が2面通しの大きな広告を打った。1枚目の写真である。
 油まみれの水鳥の写真は1991年湾岸戦争が始まる前、ブッシュ政権から発表され、米国中はおろか全世界に周知されたから皆さんも記憶にあることだろう。
 「イラクのフセインがわざと油をペルシャ湾に流してエライことになっている」という証拠写真だった。 
 
   広告の右上の文章を拡大したのが2枚目の写真である。
 写真上でクリックしていただけると拡大して読めないかと思う。
 「嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ」と文章を閉じている。

 戦争が終わった後、実は米軍がタンカーを誤爆したための流出だと判ったが、それは何人もの人間が殺された後だった。
 
   実は当時、油まみれの水鳥よりも全米世論を決定づけたテレビ映像があった。
 在米クウェート大使の娘で15歳の高校生だったナイラちゃんである。
 米国議会の証言台で「フセインが指揮するイラク軍がクウェートに攻めて来て、病院の保育器に眠る赤ちゃんを冷たい床に放置して皆殺しにした」と、少女は涙ながらに訴え、その姿はテレビを通じて全米に何回となく拡散された。
 「フセインは酷すぎる」「この戦争だけはやらなければならない」「仕方がない」と世論は固まった。

 戦争が終わって1年以上が経過して、ナイラちゃんはアメリカ生まれでアメリカ育ち、クウェートに行ったこともないことが判明した。
 証言の台本を書いたのも、泣く演技を指導したのもヒルアンドノールトンという広告会社だった。
 さすがに父親は責任を追及されて失職したが、殺されたイラク人の命は戻ってこなかった。
 (以上の諸事実は西谷文和氏の「戦争のリアルと安保法制のウソ」から引用させていただいた)

 よって、この宝島社の広告には(宝島社の出した本全てに共感はしていないが)賛辞を惜しまない。
 松本サリン事件の折り、あまりのメディアの報道に、私自身河野さんが犯人かと信じた時がある。
 1月6日には安倍晋三首相がNHKテレビの「日曜討論」で、辺野古について「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べた。
 しかし、琉球新報によると、現在土砂が投入されている「埋め立て区域2―1」からサンゴは移植していない。 
 埋め立て海域全体では約7万4千群体の移植が必要だが、7日までに移植が終わっているのは別海域のオキナワハマサンゴ9群体のみにとどまっている。
 油まみれの水鳥は過去の話ではない。

   ほんとうを見抜いてほしいと水鳥は油まみれの眼で語る

2019年1月8日火曜日

観たよ Bohemian Rhapsody

   ロックバンド、クィーンのフレディー・マーキュリーの伝記映画だった。
 私は1070年代~90年代などは脇目もふらずに走ってきたので、クィーンもフレディーも知らないまま、この映画の宣伝あたりからウィ・ウィル・ロック・ユーが彼らの歌だと知った程度で観に行った。

 映画としてみると、フレディーの悩みも挫折も描き方が淡白な感じがした。
 移民、宗教、容姿、ドラッグ、LGBT、そしてエイズ、・・問題提起を誰がどれほど受け止められただろうか。
 ヨーロッパキリスト教文化からすると相当重い問題提起のようなセリフが頻繁かつあっさりと登場していた。
 が、考える間もなくロックが始まった。

 ただ、私自身突っ走っていたがあの時代の雰囲気はよくわかる。
 そして、音楽映画だと思えば素晴らしい出来だった。
 字幕入りのロックはありがたい。
 実写と上手くオーバーラップさせた技術もいい。
 あの時代のクィーンのファンだったなら涙が止まらないだろうなと想像できる。

 正月のテレビはほとんど観ていない。
 それを補って余りあるひとときだった。
 ただ、どうして彼は「ママ、生まれてこなきゃよかった」と歌ったのだろう。
 世間ではゲイであることの悩みというのだが、ゾロアスター教、キリスト教の下での悩みの深さは私には解らない。
 Bohemian にしても Rhapsody についても、その語の秘めている意味は単に自由奔放というノーテンキなものではなさそうだが。
 若干消化不良気味のまま帰ってきた。

   ボヘミアン辛い大地のラプソディ 

   追記 クイーンのギタリスト、ブライアン・メイもホワイトハウス宛て辺野古埋め立て中止の署名を呼びかけている。
 ロックンローラーもそうでない者も、意気に感じて賛同してほしい。

2019年1月7日月曜日

山海珍味

   お正月ぐらい贅沢をしても罰は当たらないだろう。といって、世間の標準からいうと質素なものである。それも、自分で買ったものでなくイタダキモノなのだから、何をかいわんやである。

 夫君の実家で元日を迎えた凜ちゃんファミリー(娘ファミリー)が3日に来てくれたが、その手土産が『鮒ずし』だった。
 私の見たところ安物ではなくちょっとしたものだった。

 事実、非常に美味しかった。(写真は一部)
 テレビのリポーターならさしずめ「あま~い!」だろうが、甘くなんかない。
 生臭くもないが、発酵臭と腐敗臭の違いが判らない子どもは吐き気を覚える。
 日頃「異論を認め合う」を信条としているが、この違いの判らない人とはあまり食談義をしたくない。
 お節の行事食としての満腹感とは別の質的満腹感を味わった。

 あまり親との会話が多い方ではなかった娘であるが、その娘夫婦が「土産はこれにしよう」と鮒ずしを選んだか!と、ある種の感慨が満ちてくる。
 子ども達(息子と娘)は確実に大人である。
 親としてこれ以上の幸せはない。

 鬼は節分のやいかがし(焼嗅)に退散するというから、お正月の鮒ずしには尻尾を巻くに違いない。新年は好い年になりそうだ。

   鬼よ来るな祝い膳には鮒の真子

2019年1月6日日曜日

昭和は遠く

   降る雪や昭和は遠くなりにけり…5日付け朝日新聞の「サザエさんをさがして」である。
 そもそもこの企画はサザエさんに描かれた時代や世相を振り返る企画だから、著者大村美香氏が冒頭「お恥ずかしながらこの作品を最初に見た時、4コマ目の意味が分からなかった。ちんもち?」と書きだしたことに何の問題もない。なにしろ1957年暮れの作品である。

 ただ、話を続けてよりにもよって明治30年ごろの「東京風俗志」を引いて「中には4,5人でせいろ、きね、臼など一切の道具を担いで町を回り、、家の前で餅をつく商売もあったのだという」となると、それを知っている私などはオイオイ明治男か!と浦島太郎的気分になる。

 何回かこのブログで書いてきたが、私が餅つきを実際にし始めたのは結婚してからである。妻の実家にその風習があり道具もあったからである。その道具一式は今はわが家が引き継いだ。
 それまでは、どちらかというと町中(まちなか)の人であったわが家(長谷やん)にはもう道具も風習もなかった。餅は餅屋で買うものだった。
 それでも『賃つき』は知っていた。近所で賃つきをする家は羨ましかった。(最小限の餅を買って済ますよりは物入りだった)
 中学生のときはガタイのいいやんちゃ坊主は賃つきのアルバイトをしていた。それも自分に比べて大人やなあと小さなショックを受けていた。
 大村美香さん、明治の話でなく、1960年代の堺の街の中心部でも賃つきはあったのです。

 記事にある昨年4月の既婚女性千人の調査結果によると、鏡餅を飾った人は、20,30代では20%未満らしい。
 そして、床の間どころか畳のない家も増えている。テレビも薄型になり…と文章が続いて、…そういえば、テレビの上がこういう行事の床の間代わりの時代があったなと一人肯いた。すべて昭和の匂いのする話題である。

 かくいう私も、鏡餅はプラスチック製である。その中から個装された小餅が出てくるこいつは優れモノだと思っている。
 ホンマモノの昭和人からは叱られそうだが、都会ではそんなことを言う人ももういないだろう。
 それでも鏡餅は飾っている。

   底あけて鏡開きは始まりぬ

2019年1月5日土曜日

縄文人の幸福感

   夢枕獏・岡村道雄著、かくまつ つとむ構成『縄文探検隊の記録』(インターナショナル新書)は面白かった。
 奈良でモンベルの辰野会長らが反対されている高級ホテル建設問題の集会があった折り、獏さんが「いま縄文に凝っています」と言っていたので、新刊発売日に購入した。
 それ以前から私も縄文関係の本を読み漁り、大いに注目していたので面白かった。
 
 岡村道雄氏は奈良文化財研究所や文化庁勤務などを経て今は奥松島縄文村歴史資料館名誉館長をされている。

 さて、この本の中では少し脇道のような「縄文人の幸福感と死生観」という小さな章で私は少し肯いた。
 …縄文時代は飢えなかったともいえる。カロリーを保証したかに見える稲作ですが、中央集権が確立して以降は飢饉の記録が多い。…飢饉を招いたのは冷害だけではありません。時代にもよりますが、権力による厳しい収奪も原因です。
 …環境が悪化している現代の狩猟採集民でも、4時間働くだけで楽に暮らせるようです。4時間働けばよかった暮しが1万年も続いたのが縄文時代です。
 …ワークシェアで4時間働いた残りの時間を何に振り向けるか、人間の幸せはそこにあると思いますよ。
 …不幸が幸福と違うのは比べるからそう感じるのです。…神さまという概念はお互いを比べて優劣をつけないための抑制装置のようなものだと思うのです。
 …本質は感謝ですね、…よこしまな感情を封じ、感謝と尊敬を選択したことが1万年に及ぶユートピア社会を作ったのだと思います。

 いささかユートピアに過ぎるかもしれないが、昔は東京への出張というと2泊3日の旅行命令が出た。無理をして1泊2日で用をすませば1日は「特別休暇」のようなものだった。
 それが丸々肯定されるとは思わないが、そのうちに普通の東京出張は泊なしの1日になった。それはいい。
 言いたいことは、そのようにして日本社会の生産性は上がっただろうが、労働者の幸福度は3倍(3日から1日)になっただろうかということである。

 そんな自分史を思い出しながら、階級社会というものを胸に刻んだ。
 繰り返すが、それはこの本の脇道である。
 翡翠のこと、土偶のこと、漆のこと、アスファルトのこと、等々考古学的研究成果も豊富である。
 それらをブログにまとめるほど頭の中は整理されていない。

   縄文は草木国土悉皆成仏

2019年1月4日金曜日

百舌鳥古墳群を語る

   宮川徏著『よみがえる百舌鳥古墳群』(神泉社2500+税)を読んで楽しかった。
 著者はわが母校の大先輩で、歯科医と考古学の二足の草鞋を履いている。
 著者の講演はこれまでも聞いたことがあるが、今回の分厚い著作で丁寧にその内容を知ることができた。
 普通の考古学や史学ではあまり聴いたことのない大胆な指摘、仮説等々がふんだんに盛り込まれていて読みごたえがある。
 さらに、考古学の大先生方との豊富なエピソード、歯に衣着せぬ宮内庁書陵部とのやりとり・・・、年末に一気に読み終えた。

 どの章も楽しいのだが、「前方後円墳の設計思想」は著者の独壇場の感がある。
 2012年12月28日「古墳を造る」の記事に書いたとおり、この本の168ページ掲載の「奈良市立一条高校での地割り実験」には私も参加していたから、写真の中のゴマ粒のような中にいた。

 相似形の古墳があるが、各辺を縮尺したのでなく、ヒトマス(区)を基本単位にしたのである。
 帆立貝型を含め前方後円墳は8つ(区)のパターンに分けられる。
 区の大きさはヒロである。大陸の北方畑作地帯は「歩」、南方水田地帯のモノサシは「ヒロ」である。
 墳長で大小を論じるのでなく、区のヒロ数で権威等が表されていることを注目すべきである。
 前方後円墳のパターンによって王統と主従関係が解明できる…などなどが非常に面白い。
 ただ、「そのパターンは王統ではなく築造した土師師集団によるものである可能性はないのか」と以前に質問したことがあるが、そのときは強引な司会者の不要なコメントで答をいただけなかった。

 この本でも百舌鳥の古墳の各被葬者の治定まではたどり着いていない。
 宮内庁のおかげで楽しみは将来に持ち越されている。

   文字知らぬ倭(やまと)の国の大王(おおきみ)よ汝(な)は何故に冢(ちょう)を築かん

2019年1月3日木曜日

待つ楽しさ

 もう去年のことになってしまったが、12月31日の朝日新聞「天声人語」は作家津村記久子氏のエッセーについてであった。

   要約すれば、津村氏曰く「大晦日は(楽しい)。(正月は)たかが新しい年になるだけだが、それでも、待つことそのものを味わうのだ」という。
 ピッタシではないが、わかるわかる!と何となく気持ちが共鳴する。

 もっと言えば、ダンドリ君の気分とも微かに触れ合う気がする。
 この頃私は、大イベントの当日よりも、ダンドリしているときの方が楽しんでいる気味がある。
 みんな楽しんでくれるだろうか! スベッテしまって白い目で見られないだろうか! 等々と悩みながらダンドリする。
 人はそれぞれ嗜好も異なるから、万人が喜んでくれることは少ない。いや、まったくない。
 だからといって、誰もが挑戦をせず先例どおりのイベント進行では魂が籠もらないと思う。

   1月2日の朝「よし、今日は花園に行くか」と一念発起して検索したら高校ラグビーは休養日のようだった。でテレビで大学ラグビー(天理対帝京)を見るかと思っていたら、息子が写真の本を持ってきた。
 単なるハウツーものではない。天理には敗れたが、監督の問題提起には大いに共感する。

 民主運動も体育会的とは言わないけれど、正しいことを正しいのだと語るだけでは勝てる組織(強い組織)にはならない。
 そのためには、まずリーダーが変わらなければ・・と言う思いで読んでいった。
 リーダーは演出家で「おもしろおかしく」というのもいい。
 年寄の立居振舞は難しい。

 さて、2019年、どのようにダンドリし立居振舞うか。
 挑戦には終わりはない。…と思うのだが・・・・・・

   楽しみは晦日にありと津村女史

2019年1月2日水曜日

一瞬の床の間

   お正月の間だけ、一瞬、床の間が本来のあるべき姿に戻った。
   ああ、これもいいものだ。しみじみ。
 普段はというと、凜ちゃんの玩具や衣類等の置き場になっている。凜ちゃんはわが大ファミリーの宝だからそれでいい。

   床の間がお正月バージョンになったので、ついでにわが家のお正月を紹介しておこう。歳もいったので相当手を抜いているが、無理のない範囲でしきたりの伝承に努めた次第。

 玄関には普通に注連縄を吊るした。これは邪悪な者の侵入を阻止する結界である。
 門柱には松を立てた。これは歳神さまの依代。

 今年の初仕事は義母のもとに行き、「お正月やで」と起こして朝食介護。
 それにしても、めでたいとか寝正月だとか言っている世間から忘れられたように365日施設で働き続ける介護職員には頭が下がる。今年もお世話になります。

 帰ってきたら夏ちゃんファミリーがやってきた。
 そして第一番の行事は大福茶。梅干しの入った煎茶で気分をシャキンとする。
 祝い膳を出すのは省略し、半月に裏白を敷いて、お椀とお皿は家紋入りの塗りの椀を出した。
 祝箸、箸紙は手作りのものを名前入りで使用した。
 お屠蘇はお酒で、趣味で集めたお猪口の中から七福神などめでたいものを使用した。
 年頭のあいさつは息子が行い、私が「正月来たら」を歌った。
 お雑煮は大阪船場のお雑煮を大和風にアレンジした。
 お節は基本を購入し、若干プラスした。
 ただそれだけだが、みんな満足してくれた。よい元日だった。

 〽 正月来たら 何うれし
   碁石みたいな 餅(あも)食べて
   割木みたいな 魚(とと)すえて
   お炬燵(こた)に入って ねんねこしょ

   告朔の餼羊教えし先輩の顔思いつつ正月過ごす

2019年1月1日火曜日

臘梅の香に包まれし淑気かな

 明けましておめでとうございます


 臘梅の香を嗅ぎながら淑気とはこんなものなのかもしれないと想像したりしています。
 年頭に当たり、一年一年を大事にしていきたいと改めて決意しております。
 今年は戦前回帰、排外的ポピュリズム、弱肉強食の新自由主義にストップをかける年にしたいと念じています。
 皆さまご家族にとっても幸多き1年でありますように!

   さりながら淑気満ちたる日の明けぬ