北朝鮮が水爆実験を行ったと発表した。
爆発規模が小さいので誇張があるという報道もあるが、大筋のところはほんとうだろう。
狂気の沙汰だと思うし、許すべからざることだと考える。
同時にこれは、安倍首相らが唱えてきた強い軍事力が抑止力になるという呪文が全く意味のないものだったことを示している。
究極の軍事力による抑止力というなら、特殊部隊が彼の国の首脳陣を根こそぎ暗殺するか、一般国民もろとも大量殺人するしかなく、それをロシアンルーレットのように度胸試しするしかない。
その途中で誰かの頭がプチンと切れたら日本列島全体の被爆を覚悟しなければならない。日本海側に多数の原発を並べた国が何を寝ぼけているのだろう。
ただ、こういう場合に為政者やマスコミが恐怖感や危機意識を情緒的に声高に叫ぶなら国民が熱狂する恐れがある。9.11後のアメリカがそうだった。
強がりをいう者こそ怖がりだというのが真理だが、人はシバシバ強い言葉に逃げて自分を正当化しようとする。
安倍内閣の外交無策を指摘しながら、外交こそが平和を作るという王道について語り続けたい。
弱そうに見える言葉がほんとうは一番強い。
因みに、世の中の出来事は冷静に検討しなければならないという証拠を二つ。
ひとつは、2008年9月、防衛省が足摺岬沖で国籍不明の潜水艦が領海侵犯したと大きく発表。軍事アナリスト小川和久氏は中国海軍の潜水艦に違いないと。しかし1週間後それは鯨を誤認したものと小さく訂正された。
ふたつは、1994年にクリントン大統領が北朝鮮空爆を一旦決定。そのときの統合参謀本部のシュミレーションは、開戦90日間で52,000人の米軍が被害を受ける。韓国軍は490,000人が死亡。在日米軍と在韓米軍62,000人の約8割に被害。米国人80,000人~100,000人を含む民間人1,000,000人が死亡するというものだった。
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2016年1月5日火曜日
当事者民主主義
日頃、「新聞を読んでるだけではあかん。本を読まなあかん」と言ってきた私だが、正月のしんぶん赤旗は、このブログの3日の記事に書いたように読みごたえがあった。さらに4日の新春対談は作家の高橋源一郎さんと文芸評論家の斎藤美奈子さんでこれも印象に残った。
先ず中見出しの「観客民主主義から当事者民主主義へ」がいい。ただ正直にいうと、これまでの民主運動を束ねて「動員の運動」だとか観客民主主義と規定するような昨今の風潮には当事者として異議もある。大阪で黒田革新府政が生まれた時代の運動には随所に創意工夫があったと思っている。また、それだけではない。
ただ、総体として見た場合、戦争法案以前に、動員待ち指示待ちで工夫のない経験主義が少なからずあったことは明らかだ。
そこで記事の中に入って元日号の中野晃一・志位対談の続きのようになるが、「学生たちの運動と巨大ネットワーク」という中見出しの中で高橋さんが、「SEALDsは、まずデモのプロモーションビデオを作るという、その発想にびっくりした」「デモのビラは受け取られにくいけど、プロモーションビデオは面白いって見てもらえる」と述べていたのには私も正直感心した。
そして、「SEALDsはインターネットのラインを使ってますよね。それぞれが、また別の人とラインでつながっているから、巨大なネットワークが、潜在的にできているんですよね」というくだりにも・・・。
こうして対談は、2015年の戦争法案反対の運動を、当事者民主主義の出発点だったと評価している。
まとめのところで高橋さんは、「民主主義の理想の形は、真ん中に障害者や認知症の老人、子どもなど、いわゆる社会的弱者をおいて、それを囲むように、みんなが平等で同じ権利を持っている、そんな状態ではないかと思います。弱い彼らがいるおかげで周りの力が引き出されて活性化する。多様性が実現している社会が一番強いんです」、「格差が広がってくると、他者を排斥する圧力が強まってくる」と述べ、斎藤さんは、「効率は悪くても多様性を確保しておく方がずっと合理性が高いんですよ。長い目で考えると、そういう社会の方がはるかに豊かでうまく回る」と応え、「私は『ついでに作戦』と呼んでるんですけど、用事のついでに『ところで安倍政権は困ったもんだ』と書いたりするわけ、メールに。茶飲み話のついでにポロッと言うとか。相手も同じ思いかもしれない。そうやって広げていく」と語っていた。
いろんな形の当事者民主主義! それっていいんじゃないでしょうか。
元日の志位さんも、「戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います」と述べていた。
民主的な陣営の人々が、この二つの新春対談を自分のものにしたなら社会は変わるように私は感じた。
先ず中見出しの「観客民主主義から当事者民主主義へ」がいい。ただ正直にいうと、これまでの民主運動を束ねて「動員の運動」だとか観客民主主義と規定するような昨今の風潮には当事者として異議もある。大阪で黒田革新府政が生まれた時代の運動には随所に創意工夫があったと思っている。また、それだけではない。
ただ、総体として見た場合、戦争法案以前に、動員待ち指示待ちで工夫のない経験主義が少なからずあったことは明らかだ。
そこで記事の中に入って元日号の中野晃一・志位対談の続きのようになるが、「学生たちの運動と巨大ネットワーク」という中見出しの中で高橋さんが、「SEALDsは、まずデモのプロモーションビデオを作るという、その発想にびっくりした」「デモのビラは受け取られにくいけど、プロモーションビデオは面白いって見てもらえる」と述べていたのには私も正直感心した。そして、「SEALDsはインターネットのラインを使ってますよね。それぞれが、また別の人とラインでつながっているから、巨大なネットワークが、潜在的にできているんですよね」というくだりにも・・・。
こうして対談は、2015年の戦争法案反対の運動を、当事者民主主義の出発点だったと評価している。
まとめのところで高橋さんは、「民主主義の理想の形は、真ん中に障害者や認知症の老人、子どもなど、いわゆる社会的弱者をおいて、それを囲むように、みんなが平等で同じ権利を持っている、そんな状態ではないかと思います。弱い彼らがいるおかげで周りの力が引き出されて活性化する。多様性が実現している社会が一番強いんです」、「格差が広がってくると、他者を排斥する圧力が強まってくる」と述べ、斎藤さんは、「効率は悪くても多様性を確保しておく方がずっと合理性が高いんですよ。長い目で考えると、そういう社会の方がはるかに豊かでうまく回る」と応え、「私は『ついでに作戦』と呼んでるんですけど、用事のついでに『ところで安倍政権は困ったもんだ』と書いたりするわけ、メールに。茶飲み話のついでにポロッと言うとか。相手も同じ思いかもしれない。そうやって広げていく」と語っていた。
いろんな形の当事者民主主義! それっていいんじゃないでしょうか。
元日の志位さんも、「戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います」と述べていた。
民主的な陣営の人々が、この二つの新春対談を自分のものにしたなら社会は変わるように私は感じた。
2016年1月4日月曜日
金箔を食す
ちょっとバブル期のような他愛のない話で恐縮だが、孫の夏ちゃんファミリーから正月休みのお土産に食用金箔をもらった。
が、「戦後」を知っている我が夫婦などはこういうもったいないお土産を持て余してしまって、いつまでも使わないままなおしてしまってしまう。
でも、全く使わないのも好意に応えることにならないので、今回は決断をしてお酒や料理やデザートにみんなで振掛けて盛り上がった。(ああ、なんという貧乏性だ)
なお、夏ちゃんに「みんなの料理に振掛けて」と言ったら鼻息でわあ~と吹き飛ばして、みんなが「もったいない」と大慌てで、それも楽しかった。
それに、吹き飛ばされた金箔は座卓に引っ付いて取れなくなった。ほんとうに取れない。だから、蒔絵のようでそのままにしている。
おまけに、私の知らなかった能登名物という荒巻鮭ならぬ「巻鰤」も貰った。
これは予想以上の絶品だった。
テレビのグルメレポーターなら「美味い!」「甘い!」と叫びまくるだろうが、基本は塩味で〆て寒風に干したもので甘くはない。
それに土産用なのだろうが藁と縄で巻いたその姿も立派だった。
お節料理というものは本来が代わり映えしないものだが、金箔と巻鰤が今年のお節を思い出深いものにしてくれた。
が、「戦後」を知っている我が夫婦などはこういうもったいないお土産を持て余してしまって、いつまでも使わないままなおしてしまってしまう。
でも、全く使わないのも好意に応えることにならないので、今回は決断をしてお酒や料理やデザートにみんなで振掛けて盛り上がった。(ああ、なんという貧乏性だ)
なお、夏ちゃんに「みんなの料理に振掛けて」と言ったら鼻息でわあ~と吹き飛ばして、みんなが「もったいない」と大慌てで、それも楽しかった。
それに、吹き飛ばされた金箔は座卓に引っ付いて取れなくなった。ほんとうに取れない。だから、蒔絵のようでそのままにしている。
おまけに、私の知らなかった能登名物という荒巻鮭ならぬ「巻鰤」も貰った。
これは予想以上の絶品だった。
テレビのグルメレポーターなら「美味い!」「甘い!」と叫びまくるだろうが、基本は塩味で〆て寒風に干したもので甘くはない。
それに土産用なのだろうが藁と縄で巻いたその姿も立派だった。
お節料理というものは本来が代わり映えしないものだが、金箔と巻鰤が今年のお節を思い出深いものにしてくれた。
2016年1月3日日曜日
メッセージの伝え方
しんぶん赤旗元日号のトップ記事は、上智大学中野晃一教授と共産党志位委員長の新春対談で、全体では3頁半もあるものだったが、「立憲デモクラシーの会」の中心メンバーで2015年の市民運動の立役者の一人であった中野氏だけに内容の濃いものだった。
「科学的社会主義と個人の尊厳、個人の尊重」など興味のある話も多かったが、「メッセージの伝え方」という小さくない「中見出し」の部分の対談も新鮮な話題が多かった。中野氏の発言のごく一部を摘んでみると、
・・例えば、シールズの皆さんと理念などを議論すると、ではどうやってそれをビジュアル化するのかということを徹夜作業並みの時間をかけて議論する。
・・「学者の会」などはおそらく自分たちは正しいメッセージをもっているから、それは伝わるだろうという、ある種のおごりもあるんだと思う。
・・もう一つは、伝えたい相手に対する敬意、若者の言葉でいうとリスペクトで、われわれに欠けていた。
・・われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが多分にある。
・・メッセージの伝え方について、もっと謙虚にあるべきではないか。・・・・など。
これは私などがミニコミ紙などを作る時にも大いに参考になる意見だとつくづく思った。
ともすれば、どこかで読んだ文章をつなぎ合わせたようなお説教口調になっていないか。
一本調子で政治や社会への不満や怒りの言葉だけになっていないか。
仲間にしばしば「読んでくださる方へのお手紙のような気になって書こう」と言っても「そんな難しいことを言われるならよう書かん」と反発されてきたが、やっぱり大事なことなのだ。
仕事で「名ばかり管理職」であったころ、私は「気配り・心配りを大切にしよう」と言ってきたが、同じことで、それはメッセージの手練手管ではなくリスペクトの問題だ。
そういえば、何時かの記事にも書いたが戦争法案の頃ターミナルで、「これは、あんたらのことなんやで」と若者に説教口調で演説をしていた人がいたが、その口調から「ああ、あの演説は若者の心には届いていないなあ」と私は感じた。そんなこともある。
正月から再認識させられる内容豊富な対談だった。
2016年、心して歩みたい。
「科学的社会主義と個人の尊厳、個人の尊重」など興味のある話も多かったが、「メッセージの伝え方」という小さくない「中見出し」の部分の対談も新鮮な話題が多かった。中野氏の発言のごく一部を摘んでみると、
・・「学者の会」などはおそらく自分たちは正しいメッセージをもっているから、それは伝わるだろうという、ある種のおごりもあるんだと思う。
・・もう一つは、伝えたい相手に対する敬意、若者の言葉でいうとリスペクトで、われわれに欠けていた。
・・われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが多分にある。
・・メッセージの伝え方について、もっと謙虚にあるべきではないか。・・・・など。
これは私などがミニコミ紙などを作る時にも大いに参考になる意見だとつくづく思った。
ともすれば、どこかで読んだ文章をつなぎ合わせたようなお説教口調になっていないか。
一本調子で政治や社会への不満や怒りの言葉だけになっていないか。
仲間にしばしば「読んでくださる方へのお手紙のような気になって書こう」と言っても「そんな難しいことを言われるならよう書かん」と反発されてきたが、やっぱり大事なことなのだ。
仕事で「名ばかり管理職」であったころ、私は「気配り・心配りを大切にしよう」と言ってきたが、同じことで、それはメッセージの手練手管ではなくリスペクトの問題だ。
そういえば、何時かの記事にも書いたが戦争法案の頃ターミナルで、「これは、あんたらのことなんやで」と若者に説教口調で演説をしていた人がいたが、その口調から「ああ、あの演説は若者の心には届いていないなあ」と私は感じた。そんなこともある。
正月から再認識させられる内容豊富な対談だった。
2016年、心して歩みたい。
2016年1月2日土曜日
めでたくもなし
妻が解説するには、誕生日で‟歳をとった”という事実を突き付けられたことによる老いの恐怖からくるものだと言う。
そういえば、私が元日に歳時記をめくってみたら、去年今年あつといふまに吾れ老いし 草間時彦 というのが最初に目についたのも同じ心の波長かも。
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし は一休宗純の狂歌と言われて広く知られているが、まさに真理だろう。
で、その俳句と狂歌だが、その大前提は数え年である。生まれた時(年)が1歳でお正月ごとに歳をとる。
友人たちと飲んでいた折に「数え年の正しい数え方は?」という話になったほど近頃では影が薄いが、閏月があったりした昔では満年齢の方が出る幕もなかったに違いない。
と考えてみて・・・・・そこで、腰を抜かさんばかりに私は驚いた。下世話な表現を使えば びっくりぽんや!
つまり、まだまだ先のことだと考えてきたが、正しい数え年で数えると、私は元日に古稀を向かえていたのである。
あの杜甫が「曲江」と題する七言律詩で歌った「人生七十古来稀なり」・・・・である。
酒債尋常 行処に有り
人生七十 古来稀なり
酒代の借金は当たり前のこと 行く先々についてまわる
どうせ人間 昔から七十まではめったに生きられるものでない・・・・といささかやけっぱちであるが、後に続く句は詩的に結んでいる。鑑賞は別途各自でお願いする。
だとすると、私はいわゆる「早生まれ」「得生まれ」だから前年の4月から12月生まれの同窓生たちは昨年古稀だったことになるが、誰もそんなことを話題にしたことがなかった。
それどころか、大晦日にわざわざ「来年は古稀です」とアップしていた友人もいた。同窓のちょっと先輩!貴方、数えでは71ですよ!
先の酒席でも、ほとんどの人が「数え年の数え方」に自信がなかったのだからこれもあたりまえか。
お偉い方々には、年金開始年齢の引き上げなんかを議論するのでなく、長寿の祝いの引き上げを検討してもらいたい。少なくとも古稀の祝いは不要なように思う。
実際、長寿の祝いって「めでたくもあり めでたくもなし」で、本人には誠に微妙である。
2016年1月1日金曜日
迎春
月並みですが、明けましておめでとうございます
写真のお猿さんは12年前の年賀状にも掲載したもので我が家の鬼門の守り神。
夜中に市中に出かけてワルサをしないように金網に入れてある。
そういう古い陰陽道の迷信など全く信じていないが、この国にそういう迷信があったという歴史をあれこれ考えるのが大好きなので鬼門の隅に鎮座してもらっている。
申年なので今年の年賀状にはきっと三猿が多く登場していることだろう。
「見ざる、聞かざる、言わざる」が、長いものには巻かれろ的に俗な処世術として理解されるのは論外だが、社会の巨悪に対して「今年はよく見て、よく聞いて、はっきり言っていく決意です」的な安易なコピーも少なくないように想像する。失礼。
この三猿、古代エジプトやアンコールワットにも見られるものでなかなか奥が深い。
日本では日光東照宮の左甚五郎作のものが有名だが、講談、落語、浪曲、松竹新喜劇などでは飛騨(高山)の匠といわれている左甚五郎のルーツが大阪の泉州にあると言うと驚く人が多い。
和泉国三ツ松(大阪府貝塚市三ツ松)生まれ番匠・岸上甚五郎左義信・・・・十歳之節より日々山林に入、職分修業いたし夜々彫物等迄修業いたし十六歳之節大和国多武峰十三重塔建之、泉州堺妙国寺門建之、蟇股猿彫物刻之、伏見石清水八幡宮拝殿建之、彫物共彫刻之・・・・と、江戸和泉(岸上)家の由緒書にある。
建築技術者集団の番匠であった永正元年(1504・室町時代)生まれの岸上甚五郎左義信の子孫が徳川幕府に招かれて江戸へ行き、和泉国の和泉と姓を変え、江戸城や東照宮の造営・造替工事に参画したのである。
このため、泉州の「だんじり」や「ふとん太鼓」の彫物には素晴らしいものが多く、中には左甚五郎作というものもあり、その真偽は別にして、確かにその流れをくむ大工や彫物師の手によるものと思われるものがある。〔雑誌「堺・泉州」第3号見學稔氏の論文から〕
まあ、こんなどうでもよいような記事(事実、甚五郎の出身地については各地に諸説ある)を今年も書き続けてみたい。
だいたいがこのブログのコンセプトは「京阪奈の役にも立たない些細な日常」だから許してもらおう。
記事の粗製濫造とのご忠告を聞き流し、「継続は力なり」と言い張ろう。そも「量質転化の法則」は弁証法の基本法則のひとつといわれている。これ牽強付会ですか。
どうか、よければ今年もお付き合いをお願いします。
夜中に市中に出かけてワルサをしないように金網に入れてある。
そういう古い陰陽道の迷信など全く信じていないが、この国にそういう迷信があったという歴史をあれこれ考えるのが大好きなので鬼門の隅に鎮座してもらっている。
申年なので今年の年賀状にはきっと三猿が多く登場していることだろう。
「見ざる、聞かざる、言わざる」が、長いものには巻かれろ的に俗な処世術として理解されるのは論外だが、社会の巨悪に対して「今年はよく見て、よく聞いて、はっきり言っていく決意です」的な安易なコピーも少なくないように想像する。失礼。
この三猿、古代エジプトやアンコールワットにも見られるものでなかなか奥が深い。
日本では日光東照宮の左甚五郎作のものが有名だが、講談、落語、浪曲、松竹新喜劇などでは飛騨(高山)の匠といわれている左甚五郎のルーツが大阪の泉州にあると言うと驚く人が多い。
和泉国三ツ松(大阪府貝塚市三ツ松)生まれ番匠・岸上甚五郎左義信・・・・十歳之節より日々山林に入、職分修業いたし夜々彫物等迄修業いたし十六歳之節大和国多武峰十三重塔建之、泉州堺妙国寺門建之、蟇股猿彫物刻之、伏見石清水八幡宮拝殿建之、彫物共彫刻之・・・・と、江戸和泉(岸上)家の由緒書にある。
建築技術者集団の番匠であった永正元年(1504・室町時代)生まれの岸上甚五郎左義信の子孫が徳川幕府に招かれて江戸へ行き、和泉国の和泉と姓を変え、江戸城や東照宮の造営・造替工事に参画したのである。
このため、泉州の「だんじり」や「ふとん太鼓」の彫物には素晴らしいものが多く、中には左甚五郎作というものもあり、その真偽は別にして、確かにその流れをくむ大工や彫物師の手によるものと思われるものがある。〔雑誌「堺・泉州」第3号見學稔氏の論文から〕
まあ、こんなどうでもよいような記事(事実、甚五郎の出身地については各地に諸説ある)を今年も書き続けてみたい。
だいたいがこのブログのコンセプトは「京阪奈の役にも立たない些細な日常」だから許してもらおう。
記事の粗製濫造とのご忠告を聞き流し、「継続は力なり」と言い張ろう。そも「量質転化の法則」は弁証法の基本法則のひとつといわれている。これ牽強付会ですか。
どうか、よければ今年もお付き合いをお願いします。
2015年12月31日木曜日
現代の反知性主義
平成27年という年を去るにあたって、やはりこのことをもう一度振り返っておかないと気持ちが落ち着かない。
タイトルに掲げた、私が語りたい反知性主義とは、単に知性が不足しているというようなものではなく、反対に、勝ち組の権力者がまるで正反対の立場であるかのように主張して庶民を扇動し誘導するイデオロギーである。
語源的にはリチャード・ホーフスタッターの著した「アメリカの反知性主義」にあるようで、そこでは貴族的特権層を代弁する「知性主義」に対するある種の進歩的主張でもあったようであるが、私は知らない。
なので、平成27年に大阪で顕著に表れた現代日本の反知性主義について思うところを書く。
それは、複雑で多面的な社会の出来事を知性的に語ろうとする者を問答無用で「既得権益者」だと祭り上げ、そういう知性的な言葉は庶民生活を知らないエリートの言葉だと非難し、反対に単純で感情的な言葉こそが改革の武器になるという主張というよりもそういう行動形態である。
主張というよりも行動形態だというのは、そんな雑駁な主張は落ち着いて考えればおかしなことはすぐに解るものであるが、そういうワンフレーズを気後れすることもなく自信ありげに繰り返して断言する。そうすると、粗雑な論理を開陳するには気後れをしてしまう普通の市民には、あれほど堂々と主張するからには私には判らないことだがきっと正しいことなのだろうと思わせる。
もっと解りやすく言えば、東京=知性主義=勝ち組であり、大阪はその被害者でわりを食ってきた。物を作ったり売ったりするのは大阪が先行してきたのにいい思いをしているのは東大法学部出身の官僚に代表される東京だ。現場・現実を知っているのは知性あるエリートではなく、市井で額に汗してきた者であり、その意味で大阪人は不当に不利益を被ってきたのであり本来はもっと尊敬されてしかるべきなのだという主張で、大阪という地でこういうルサンチマン(怨念)を煽ることは絶大な効果を発揮した。
なお、反知性主義の扇動者は常に反東京を前面に立てたわけではない。前面に立てたのは東京似の市役所職員、自治体の公務員であり、あるいは福祉政策を受けてきた弱者である。
それ(反公務員の主張)が庶民の感情を掴んだのには大阪の歴史もある。真実は、そう主張する彼らの前身は歪んだ同和行政と府・市政を推進してきた者が少なくないのだが、そこには一切頬かむりをして、見かけは府や市の役人の所業に見せている。
早い話が反知性主義は詐欺師の常套手段であり、デマゴーグの必須アイテムだったのだが、歴史的にはナチスを始めとして国の内外で独裁政治を現実にすすめた強力な武器である。
付言すれば、現代日本の反知性主義はマスコミの利用にも巧みであり、スポンサーと視聴率に縛り上げられているマスコミ自身がある種の反知性主義の露払いをしていることは日々のテレビが教えている。
平成27年の晩秋に大阪ではこの反知性主義が「勝利」したのである。
そういうかつてない局面を迎えたという分析がなければ、これを克服するのにも困難が続くだろう。
私はこういう対決はさらに続くとみる。だとすれば共産党が真面目な地場の自民党や保守層と連携する局面、連携すべき局面は必ず広がるし広げなければならないと考える。地場の自民党がどのように総括するかに関わらず。
それを、「今回は主張をし辛かった」とか、「知人に説明しにくかった」というようなことで平成27年の経験を結果だけから見て否定的に捉えるのは良くないと思う。
そういう複雑な制約の中でも、論争の対決点をはっきりさせ、堂々と主張することに長ける必要もあろう。
生まれも育ちも違うグループとの礼儀正しい付き合いにも長ける必要がある。内弁慶ではいけない。
かてて加えて、もう繰り返さないが反知性主義の彼らの主張は巧みで広範であるから、それに対するなら、民主主義を標榜する人士がSNSも活用しないでどうすると私は思う。
「正しいことを主張し論破すれば世の中が変わる」というほど世間は単純ではない。
正しい主張を、的確な時期にふさわしい速度で、共感を得られる言葉と態度で広めることが重要なことに異論はないだろう。
と考えれば、平成27年の大阪でいえば、大マスコミがついていたとしても相手は実質一人だった。
それに対して民主主義の運動の側には、長い職業生活や諸運動の経験と知識を持ち、酸いも甘いも嚙み分けたリーダーがいっぱいいるのだ。それがSNSの世界ではほとんど見えてこなかった。ネットの好き嫌いや得手不得手を論じるときではなかろう。SEALDsの運動はSNSなくしては語り得ない。自分の職場や自分の地域しか目がいかないのは職場でいえば指示待ち人間、マニュアル人間と同じだと思う。
新しい年に、民主主義の運動の側が一大SNS講習会をすればいい。
そして、各分野のリーダーたちが人間味あふれる言葉で発信をしはじめたら、平成27年1年間の政治状況が大きく変化したように、平成28年はさらに劇的に時代を手繰り寄せられるものと信じている。そんな夢を私は見ている。
ブログを読んでいただいた皆さん、どうかよいお年を!
(参考:内田樹編「日本の反知性主義」晶文社)
タイトルに掲げた、私が語りたい反知性主義とは、単に知性が不足しているというようなものではなく、反対に、勝ち組の権力者がまるで正反対の立場であるかのように主張して庶民を扇動し誘導するイデオロギーである。
語源的にはリチャード・ホーフスタッターの著した「アメリカの反知性主義」にあるようで、そこでは貴族的特権層を代弁する「知性主義」に対するある種の進歩的主張でもあったようであるが、私は知らない。
なので、平成27年に大阪で顕著に表れた現代日本の反知性主義について思うところを書く。
それは、複雑で多面的な社会の出来事を知性的に語ろうとする者を問答無用で「既得権益者」だと祭り上げ、そういう知性的な言葉は庶民生活を知らないエリートの言葉だと非難し、反対に単純で感情的な言葉こそが改革の武器になるという主張というよりもそういう行動形態である。
主張というよりも行動形態だというのは、そんな雑駁な主張は落ち着いて考えればおかしなことはすぐに解るものであるが、そういうワンフレーズを気後れすることもなく自信ありげに繰り返して断言する。そうすると、粗雑な論理を開陳するには気後れをしてしまう普通の市民には、あれほど堂々と主張するからには私には判らないことだがきっと正しいことなのだろうと思わせる。
もっと解りやすく言えば、東京=知性主義=勝ち組であり、大阪はその被害者でわりを食ってきた。物を作ったり売ったりするのは大阪が先行してきたのにいい思いをしているのは東大法学部出身の官僚に代表される東京だ。現場・現実を知っているのは知性あるエリートではなく、市井で額に汗してきた者であり、その意味で大阪人は不当に不利益を被ってきたのであり本来はもっと尊敬されてしかるべきなのだという主張で、大阪という地でこういうルサンチマン(怨念)を煽ることは絶大な効果を発揮した。
なお、反知性主義の扇動者は常に反東京を前面に立てたわけではない。前面に立てたのは東京似の市役所職員、自治体の公務員であり、あるいは福祉政策を受けてきた弱者である。
それ(反公務員の主張)が庶民の感情を掴んだのには大阪の歴史もある。真実は、そう主張する彼らの前身は歪んだ同和行政と府・市政を推進してきた者が少なくないのだが、そこには一切頬かむりをして、見かけは府や市の役人の所業に見せている。
早い話が反知性主義は詐欺師の常套手段であり、デマゴーグの必須アイテムだったのだが、歴史的にはナチスを始めとして国の内外で独裁政治を現実にすすめた強力な武器である。
付言すれば、現代日本の反知性主義はマスコミの利用にも巧みであり、スポンサーと視聴率に縛り上げられているマスコミ自身がある種の反知性主義の露払いをしていることは日々のテレビが教えている。
平成27年の晩秋に大阪ではこの反知性主義が「勝利」したのである。
そういうかつてない局面を迎えたという分析がなければ、これを克服するのにも困難が続くだろう。
私はこういう対決はさらに続くとみる。だとすれば共産党が真面目な地場の自民党や保守層と連携する局面、連携すべき局面は必ず広がるし広げなければならないと考える。地場の自民党がどのように総括するかに関わらず。
それを、「今回は主張をし辛かった」とか、「知人に説明しにくかった」というようなことで平成27年の経験を結果だけから見て否定的に捉えるのは良くないと思う。
そういう複雑な制約の中でも、論争の対決点をはっきりさせ、堂々と主張することに長ける必要もあろう。
生まれも育ちも違うグループとの礼儀正しい付き合いにも長ける必要がある。内弁慶ではいけない。
かてて加えて、もう繰り返さないが反知性主義の彼らの主張は巧みで広範であるから、それに対するなら、民主主義を標榜する人士がSNSも活用しないでどうすると私は思う。
「正しいことを主張し論破すれば世の中が変わる」というほど世間は単純ではない。
正しい主張を、的確な時期にふさわしい速度で、共感を得られる言葉と態度で広めることが重要なことに異論はないだろう。
と考えれば、平成27年の大阪でいえば、大マスコミがついていたとしても相手は実質一人だった。
それに対して民主主義の運動の側には、長い職業生活や諸運動の経験と知識を持ち、酸いも甘いも嚙み分けたリーダーがいっぱいいるのだ。それがSNSの世界ではほとんど見えてこなかった。ネットの好き嫌いや得手不得手を論じるときではなかろう。SEALDsの運動はSNSなくしては語り得ない。自分の職場や自分の地域しか目がいかないのは職場でいえば指示待ち人間、マニュアル人間と同じだと思う。
新しい年に、民主主義の運動の側が一大SNS講習会をすればいい。
そして、各分野のリーダーたちが人間味あふれる言葉で発信をしはじめたら、平成27年1年間の政治状況が大きく変化したように、平成28年はさらに劇的に時代を手繰り寄せられるものと信じている。そんな夢を私は見ている。
ブログを読んでいただいた皆さん、どうかよいお年を!
(参考:内田樹編「日本の反知性主義」晶文社)
2015年12月30日水曜日
ダンドリ八分
「怠け者の節句働き」は、仕事納めの日に大掃除もせずに仕事をしているとこう叱られた。
「ダンドリ八分」もそうで、仕事の八割はダンドリで決まる、ダンドリがしっかりできておれば仕事の八割はできたも同然というものだった。
これらの諺はイラチの私には納得できるもので、集まりに遅刻すること、期限直前にアクシデントがあったと言い訳して約束を果たさないことなどは好きではない。
「ダンドリ八分」は私の座右の銘に近い。ただし、整理整頓後片付け、掃除だけはダンドリ出来ずに妻にののしられている。
で、お正月の準備・ダンドリだが、そもそも一夜飾りは禁忌事項とされているので、注連縄、お鏡等の最小限の準備はほゞ終えた。
すべて安価で地味なものしか購入していないが、年中行事は最低限レベルでしっかり踏襲したいと思っている。
上の写真は質素な門松であるが、お正月は歳神さまをお迎えするものであるから依代(よりしろ)は必須アイテムだと考えている。奉書で巻いて水引きの飾りをつけた。
下の写真は祝箸で、毎年言っているが我が家では下から差し入れる関西風の形である。それが昨今では東京風の上から差し入れる形のものしか売っていないのを嘆いている。
なので、墨をすって手書きするのが本来だろうが悪筆故そこは勘弁してもらってパソコンで手作りした。
「寿」では少々面白みに欠けるので去年同様「笑門来福」にした。
写真は我がファミリーの嬉しい新入生のものである。
お雑煮は、元日は大阪風、二日は大和風、昼や夜なら「澄まし」と決めている。
なお元日は、息子ファミリーはお嫁さんの実家へ、娘ファミリーは夫の実家へ行くので、我々夫婦は義母の老人ホームで元旦となる。それで何の不満もない。
2015年12月28日月曜日
喪中はがきのこと
11月下旬から風物詩のように喪中はがきが届いてきた。
ほとんどのものは続柄と年齢が記されていたが、中には喪中であるというだけのものもあり、反って何かの哀しさを想像させた。
この種のセレモニーに似たハガキなどには個性は無用で、できる限り定型的常套的な対応が正解なのかもしれないが、私が義父や実母を亡くした年の年末には、義父や実母の思い出をできる限り綴っておいた。
翌年の年賀状などでそのことに触れたものがあったりして自分では良かったなあと思っている。
全く調べもせずに想像だけで語るのだが、諸外国ではこの種の喪中はがきはあるのだろうか。それはやはり定型的なのだろうか。
もしかしたら諸外国から見た日本の定型的喪中はがきは、あまりに心がこもっていないように見えないだろうか。
そんなことをいうと、喪中はがきとメダルの裏表である年賀状が定型的で形式的だという批判は既にあちこちから聞こえている。
喪中はがきも年賀状もある種の同調圧力?に弱い現代の象徴かも知れない。
そんな折、S先輩から次のようなメールが届いた。いろんな要件の最後に・・・、
‟今年義父母が相次いで亡くなり、本来なら「喪中」となるのでしょうが「ひろ さちや」氏流で言えば、「喪」は本来当人が勝手にするもののようです。
「忌」については延喜式で30日間細かく人と交わることを禁止することが書かれているそうですが、「喪」の期間は勝手に決めて良いようです。
喪中はがきに何時までという期間が書かれていなければその人は一生「喪中」になるそうで、イギリスでは一生喪服を着ている未亡人がいるそうです。
「忌」と「喪」が分からなくなった日本人・・と「ひろ さちや」氏が言われています。”とあった。
主体性のある見識を示されている。
ちなみに、私の持っている昭和62年発行の冠婚葬祭の事典によると、・・一定の期間を自宅に引きこもって謹慎して悲しみの心情をあらわすことを「忌」といい、喪服を着て慎むことを「服」という。 「忌」の期間は比較的短く、「服」はかなり長い期間でとなっている。 そしてこの「忌」と「服」とを合わせたものが「喪」である。服喪の期間は、この忌と服を合せた期間である。 ・・・例えば父母の死亡に対して、少なくとも七七忌の法要をすますまでは、喪に服する気持ちを忘れないようにしたいものである。とあった。(ということは喪中期間は自由。最高でも49日とこの筆者は述べている)
私がS先輩あてに年賀状を投函したことはいうまでもない。
ほとんどのものは続柄と年齢が記されていたが、中には喪中であるというだけのものもあり、反って何かの哀しさを想像させた。
この種のセレモニーに似たハガキなどには個性は無用で、できる限り定型的常套的な対応が正解なのかもしれないが、私が義父や実母を亡くした年の年末には、義父や実母の思い出をできる限り綴っておいた。
翌年の年賀状などでそのことに触れたものがあったりして自分では良かったなあと思っている。
全く調べもせずに想像だけで語るのだが、諸外国ではこの種の喪中はがきはあるのだろうか。それはやはり定型的なのだろうか。
もしかしたら諸外国から見た日本の定型的喪中はがきは、あまりに心がこもっていないように見えないだろうか。
そんなことをいうと、喪中はがきとメダルの裏表である年賀状が定型的で形式的だという批判は既にあちこちから聞こえている。
喪中はがきも年賀状もある種の同調圧力?に弱い現代の象徴かも知れない。
そんな折、S先輩から次のようなメールが届いた。いろんな要件の最後に・・・、
‟今年義父母が相次いで亡くなり、本来なら「喪中」となるのでしょうが「ひろ さちや」氏流で言えば、「喪」は本来当人が勝手にするもののようです。
「忌」については延喜式で30日間細かく人と交わることを禁止することが書かれているそうですが、「喪」の期間は勝手に決めて良いようです。
喪中はがきに何時までという期間が書かれていなければその人は一生「喪中」になるそうで、イギリスでは一生喪服を着ている未亡人がいるそうです。
「忌」と「喪」が分からなくなった日本人・・と「ひろ さちや」氏が言われています。”とあった。
主体性のある見識を示されている。
ちなみに、私の持っている昭和62年発行の冠婚葬祭の事典によると、・・一定の期間を自宅に引きこもって謹慎して悲しみの心情をあらわすことを「忌」といい、喪服を着て慎むことを「服」という。 「忌」の期間は比較的短く、「服」はかなり長い期間でとなっている。 そしてこの「忌」と「服」とを合わせたものが「喪」である。服喪の期間は、この忌と服を合せた期間である。 ・・・例えば父母の死亡に対して、少なくとも七七忌の法要をすますまでは、喪に服する気持ちを忘れないようにしたいものである。とあった。(ということは喪中期間は自由。最高でも49日とこの筆者は述べている)
私がS先輩あてに年賀状を投函したことはいうまでもない。
2015年12月26日土曜日
英語の表記
カレンダーの更新の時期になってきた。
2015年と同じ近鉄の歴史街道のカレンダーを来年も同じ場所に更新しようと思っている。
このカレンダー、近鉄沿線のきれいな写真があって不満はないのだが、2015年の写真の解説欄の英語表記には少し馴染めなかった。
Kashihara Shrine というものである。(私なりに)もっとひどいのは Yoshiki Garden で、これが大仏殿南西にある吉城園のことだと想像するのには時間がかかった。
この伝でいけば東寺は To Temple になる。東大寺は Todai Temple 、山上ヶ岳は Mt. Sanjyo か。
この種の教養が私にはないので正解は知らないが、ちょっと馴染めない気分が残る。
というようなことをぼやきながら1年が経ったのだが、2016年のカレンダーには Kashihara-jingu Shrine と変更されていた。
あははは、私と同じような人生幸朗みたいな人がいたのだと思うと可笑しくなった。
ちなみに奈良県(庁)の方針は、Mt. Fuji のように定着しているものを除き、固有名詞に近いように思われるものは、 Mt. ooyama oogawa River ooen Park oobashi Br. となっているから概ね納得できるものである。
しかし、各地のホームページなどを見ると、春日大社は Kasugataisya Shrine だが、大神神社は Omiwa shrine となっていた。う~む。
「奈良と英語」とくると子鹿のバンビだが、私はすぐ最近まで子鹿のことを英語で Bambi というのだと思っていたが、これがディズニー映画の主人公の名前でしかなかったことを知って自分の無知に赤面した。
| Kashihara-jinguの八咫烏 |
このカレンダー、近鉄沿線のきれいな写真があって不満はないのだが、2015年の写真の解説欄の英語表記には少し馴染めなかった。
Kashihara Shrine というものである。(私なりに)もっとひどいのは Yoshiki Garden で、これが大仏殿南西にある吉城園のことだと想像するのには時間がかかった。
この伝でいけば東寺は To Temple になる。東大寺は Todai Temple 、山上ヶ岳は Mt. Sanjyo か。
この種の教養が私にはないので正解は知らないが、ちょっと馴染めない気分が残る。
というようなことをぼやきながら1年が経ったのだが、2016年のカレンダーには Kashihara-jingu Shrine と変更されていた。
あははは、私と同じような人生幸朗みたいな人がいたのだと思うと可笑しくなった。
ちなみに奈良県(庁)の方針は、Mt. Fuji のように定着しているものを除き、固有名詞に近いように思われるものは、 Mt. ooyama oogawa River ooen Park oobashi Br. となっているから概ね納得できるものである。
しかし、各地のホームページなどを見ると、春日大社は Kasugataisya Shrine だが、大神神社は Omiwa shrine となっていた。う~む。
「奈良と英語」とくると子鹿のバンビだが、私はすぐ最近まで子鹿のことを英語で Bambi というのだと思っていたが、これがディズニー映画の主人公の名前でしかなかったことを知って自分の無知に赤面した。
2015年12月25日金曜日
メリークリスマス
![]() |
| 去年の写真 |
症状の軽い入居者は大いに喜んでくれた。
施設に入居するとこういう行事が頻繁にあって楽しい刺激になっている。
介護する方も、家族介護ではなかなかそこまで気力は出ないが、施設に入居して家族が協力し合ったら新しい世界が広がっていく。
老いることは自然の摂理だから、親の将来を考えるとスムースに施設入居できるように事前に事前に種々準備をする方がよいと信じている。
孫にクリスマスプレゼントするのもよいが、親にこそ行事を通じて感謝したいものである。
昨日は一日クリスチャンだった。
デュラン・れい子さんの気軽な新書を読んでいたとき、後に夫となるスウェーデン人が日本にやってきて、「日本は365日どこかでお祭りのある世界でも稀有な国だと驚いた」と書かれていたことに私が驚いた。
ヨーロッパでは、クリスマス、復活祭(イースター)、謝肉祭(カーニバル)それにその土地の聖人のお祭りぐらいだし、そのすべてがキリスト教に根ざすものなのでバラエティーにも乏しいという。
といっても、日本でも同じ人間が365日お祭りをしているわけではないが、行こうと思えば容易に行ける近県のお祭りだけでも豊富だし、町内会の夏祭りや餅つき大会なども含めるとスウェーデン人が驚いたという話も理解できなくもない。
日本人は古くはお正月とお盆と秋祭りぐらいしか休まなかったという定説も、よく吟味するとそうではなく、けっこうお祭り好きの民族だったのかもしれない。
その上に、近年は商業主義主導の年中行事が広まって、私はそれはある種の植民地文化ではないかと思うのだが、世界でも稀有な国は今も成長していっている。
私はというと、そういう風潮に眉をひそめているわけではなく、結構楽しんでいる。
2015年12月24日木曜日
食べ始め
ただの爺ばか日誌である。
12月5日の記事で「プレ食べ始め式」を行なったことを書いたが、今回は父親も参加して、孫の凜ちゃんの正規の食べ始め式を行なった。
座っているように見える椅子?は私が段ボール箱で制作した。
妻も娘(凜ちゃんの母親)も、私がスーパーで段ボール箱を貰っているのを、こういう構想であったとは露知らず、「また何かあほな工作をするのだろう」と思っていたらしいが、結果ヨシで感謝された。
食べ始め式は地方地方でいろんなしきたりがあるようだが、その種のこだわりは無視をして、孫が成長しつつある記録として行なった。
ただそれだけといえばそれだけのことであるが、この孫はよくぞここまで成長してくれたものである。
両親も、よくぞここまで頑張ったものである。
今でも毎日七種類の薬を飲んでいるように、この孫のハンディキャップに心は痛むが、ある意味では他の子に比べてどうだとか、平均的な成長の度合いから見てどうだとかという心配?は超越したから、純粋に1か月前から成長したとか、半月前から変わったとか言って喜べている。
まもなくこの年も暮れようとしているが、鯛の目玉を食べて目出度いと洒落を言い、「鯛の鯛」を出して来年も善い方向に転ぶだろうと言いあった。
12月5日の記事で「プレ食べ始め式」を行なったことを書いたが、今回は父親も参加して、孫の凜ちゃんの正規の食べ始め式を行なった。
座っているように見える椅子?は私が段ボール箱で制作した。
妻も娘(凜ちゃんの母親)も、私がスーパーで段ボール箱を貰っているのを、こういう構想であったとは露知らず、「また何かあほな工作をするのだろう」と思っていたらしいが、結果ヨシで感謝された。
食べ始め式は地方地方でいろんなしきたりがあるようだが、その種のこだわりは無視をして、孫が成長しつつある記録として行なった。
ただそれだけといえばそれだけのことであるが、この孫はよくぞここまで成長してくれたものである。
両親も、よくぞここまで頑張ったものである。
今でも毎日七種類の薬を飲んでいるように、この孫のハンディキャップに心は痛むが、ある意味では他の子に比べてどうだとか、平均的な成長の度合いから見てどうだとかという心配?は超越したから、純粋に1か月前から成長したとか、半月前から変わったとか言って喜べている。
まもなくこの年も暮れようとしているが、鯛の目玉を食べて目出度いと洒落を言い、「鯛の鯛」を出して来年も善い方向に転ぶだろうと言いあった。
2015年12月23日水曜日
ダブルスタンダード
矛盾する基準を不公平に使い分けることをダブルスタンダードという。
低所得者つまりは庶民に重税を強いる所得税を維持・増税しながら低所得者対策を標榜して軽減税率を言うことや、社会保障のための消費税(というのは虚偽ではあるが)と言いながら、見栄えの良い?軽減税率のために子育て給付金を廃止するなど、近頃の自公政権のダブルスタンダードぶりは目に余る。
まあ大阪市では「身を切る改革」と言って福祉をバッサリ削りながら、橋下氏の後援会の身内を大阪市長特別秘書に採用して、勤務実績もないのに税金から給与や退職金を払っていたのだから、岡八郎に倣えばえげつな~かった。
といいながら私はというと、窓ガラスのすぐ外の餌台にヒマワリの種を置いて孫の凜ちゃんのためにヤマガラを呼んで楽しみながら、ロウバイの花を食べにくるヒヨドリを「こら~」と言ってせっせと追い払っている。野鳥からするとダブルスタンダードだと抗議を受けるかもしれない。
ヒヨドリは大きくて声が悪くてなんとなく可愛げがないからあまり好きではないが、それがツグミだと好もしい。
ツグミは姿も良いし姿勢も良い。
さらに近所で撮った写真の大型ツグミ類のシロハラとなると、長い渡りを終えて「よく来たよく来た」という気分になる。
声もキョロロンと可愛いし姿もいい。
写真のシロハラ♂は腹がほんとに白くてシロハラの中でもシロハラらしい。
低所得者つまりは庶民に重税を強いる所得税を維持・増税しながら低所得者対策を標榜して軽減税率を言うことや、社会保障のための消費税(というのは虚偽ではあるが)と言いながら、見栄えの良い?軽減税率のために子育て給付金を廃止するなど、近頃の自公政権のダブルスタンダードぶりは目に余る。
といいながら私はというと、窓ガラスのすぐ外の餌台にヒマワリの種を置いて孫の凜ちゃんのためにヤマガラを呼んで楽しみながら、ロウバイの花を食べにくるヒヨドリを「こら~」と言ってせっせと追い払っている。野鳥からするとダブルスタンダードだと抗議を受けるかもしれない。
ヒヨドリは大きくて声が悪くてなんとなく可愛げがないからあまり好きではないが、それがツグミだと好もしい。
ツグミは姿も良いし姿勢も良い。
さらに近所で撮った写真の大型ツグミ類のシロハラとなると、長い渡りを終えて「よく来たよく来た」という気分になる。
声もキョロロンと可愛いし姿もいい。
写真のシロハラ♂は腹がほんとに白くてシロハラの中でもシロハラらしい。
2015年12月22日火曜日
生まれる40年前
18日の金曜日にNHKで、黒木華さんの語りつきで、二宮和也✕山田洋次✕美輪明宏3氏のトーク番組があった。
印象的だったのは長崎の被爆者である美輪明宏さんのリアルな被爆体験と、校庭で何十という遺体を焼いたこと、そのとき母親?は子どもをしっかりと抱きしめて庇い二人の遺体を引き離せなかったこと、出征兵士に「死ぬな」と叫んだ母親が軍人に飛ばされて鉄の柱で顔から血を流しその兵士にとってはそれが今生の母の姿であったことなどなど、素晴らしい時代の証言の数々であった。
賢そうな二宮和也さんは非常にまじめにトークをつないでいたが、それでもその顔は、「そんな時代もあったのですね」と、皮膚感覚では掴み辛い表情だった。
荒っぽい話をすれば、わずか70年前のことであるのに・・・・・、
しかし、ハタと考えると、30歳の人間がその時点で70年前のことを想像してみよと言われたとすると、つまりは生まれる40年前のこととなる。
そのことを自分自身のこととして捉えなおしてみると、戦後一期生である私なら1904~1905年の日露戦争の時代を皮膚感覚でリアルに理解しろということとなる。
だいたいが日本史といっても明治維新で終了した世代だし、日露戦争は司馬遼太郎の小説の世界である。大げさに言えば私の理解も時代劇と変わらない。
つまり、今の若者に太平洋戦争はおろかベトナム戦争さえ「知っておけ」というのは酷だと私は思う。大人たちは自分のその頃(30歳ぐらいの頃)を胸に手を当てて振り返るといい。
だとしたら、高齢者が体験したこと、高齢者が学んだことを若い世代にどう言い伝えればよいのか。「語り継げ」と言うは易いがほんとうは非常に重要だが困難な課題だなあと私は考え込む。
中公新書「日本史の森をゆく」の中で小宮木代良氏は「過去の出来事についての共通認識は事件後70年目あたりを境目に大きく変化する」と指摘しているのもこのあたりに理由があるのだろう。
これといった対案を持ち合わせているわけではないが、私たち自身が生まれる40年前を学び直しつつ、私たちの世代の経験を語ったり書いたりしなければならないと反省する。
ああ、月並みな「まとめ」になってしまった。
よい経験などを教えてほしい。学校の先生の役割も大きいように思う。どうしたらよいのだろう。
印象的だったのは長崎の被爆者である美輪明宏さんのリアルな被爆体験と、校庭で何十という遺体を焼いたこと、そのとき母親?は子どもをしっかりと抱きしめて庇い二人の遺体を引き離せなかったこと、出征兵士に「死ぬな」と叫んだ母親が軍人に飛ばされて鉄の柱で顔から血を流しその兵士にとってはそれが今生の母の姿であったことなどなど、素晴らしい時代の証言の数々であった。
賢そうな二宮和也さんは非常にまじめにトークをつないでいたが、それでもその顔は、「そんな時代もあったのですね」と、皮膚感覚では掴み辛い表情だった。
荒っぽい話をすれば、わずか70年前のことであるのに・・・・・、
しかし、ハタと考えると、30歳の人間がその時点で70年前のことを想像してみよと言われたとすると、つまりは生まれる40年前のこととなる。
そのことを自分自身のこととして捉えなおしてみると、戦後一期生である私なら1904~1905年の日露戦争の時代を皮膚感覚でリアルに理解しろということとなる。
だいたいが日本史といっても明治維新で終了した世代だし、日露戦争は司馬遼太郎の小説の世界である。大げさに言えば私の理解も時代劇と変わらない。
つまり、今の若者に太平洋戦争はおろかベトナム戦争さえ「知っておけ」というのは酷だと私は思う。大人たちは自分のその頃(30歳ぐらいの頃)を胸に手を当てて振り返るといい。
だとしたら、高齢者が体験したこと、高齢者が学んだことを若い世代にどう言い伝えればよいのか。「語り継げ」と言うは易いがほんとうは非常に重要だが困難な課題だなあと私は考え込む。
中公新書「日本史の森をゆく」の中で小宮木代良氏は「過去の出来事についての共通認識は事件後70年目あたりを境目に大きく変化する」と指摘しているのもこのあたりに理由があるのだろう。
これといった対案を持ち合わせているわけではないが、私たち自身が生まれる40年前を学び直しつつ、私たちの世代の経験を語ったり書いたりしなければならないと反省する。
ああ、月並みな「まとめ」になってしまった。
よい経験などを教えてほしい。学校の先生の役割も大きいように思う。どうしたらよいのだろう。
2015年12月21日月曜日
昔とった杵づか
先日行なった町内会の餅つき大会では「子どもたちに丸めさせよう」という意見は少数否決され、「食中毒が起こったらあかん」ということで登録された役員だけが丸めたが、ここではもちろんよく手を洗って消毒してではあるが、ほとんどの入居者が丸める作業に参加した。
そして義母であるが、先日来神経も含めて体調が良くなく動作も緩慢になっていたが、一旦お餅を手にすると、先ず皺を底の方に丸めようとし、後は嘘のように俊敏に丸め始めた。ほんとうに嘘のように手が動いた。
人間歩くときに「右足を出したから次は左足」などと考えずに歩くように、体に染みついているのだろう。昔とった杵づかとはよく言ったものである。
日頃の食事はきざみ食や流動食の方々も、おぜんざいやきな粉餅を最低でも3つは食べられたのにも驚いたし、食べさせるスタッフにも少し驚いた。
喉に詰められた方もおられたが、ちょっとした息の調子で遠くからでもすぐに察知し、そして背中を叩いたりしてすぐに対応されるのにも感心した。これがプロであろう。
症状の軽い入居の男性も本格的に杵をふるったし、以前に私が作った発泡スチロールの杵で入居者の曾孫さんが参加したのには大きな掛け声と拍手が起こった。
お餅つきは素晴らしい伝統行事だと思う。
2015年12月20日日曜日
冬至十日は
その折り返し点はやはり冬至だろうが、厳密には冬至の日が一番日の出が遅く日の入りが早いわけではない。それぞれ前後に約10日から半月ほどのずれがある。
冬至から十日ほど過ぎると元日だが、来年の元日の大阪の日の入りの時刻は16時58分で、明後日の冬至の16時52分と比べると6分しか日が伸びていないが、最も日の入りが早かった12月5日6日頃の16時47分からすると11分伸びている。
このあたりが、寒風の向こうに春を感じる所以だろう。
「冬至十日はあほでもわかる」は大阪や奈良周辺の高齢者なら誰でも知っている諺だ。
先日、老人ホームで妻が入居者と日の暮れるのが早くなったと話していたら、近畿出身の入居者は口々に「冬至十日はあほでもわかる」と言い出した。(まだ冬至前だったが・・・・)
ところが、農家の出で、それ故に日暮れに直結するこの種の諺が身近にあり、事実、毎年の様にこの時期には「冬至十日はあほでもわかる」と言っていた義母が、「そうやったかいな」と呟いた。
最近の記憶は忘れるが、こういう小さい頃からの記憶は覚えているものだと言われたりするのだが、それさえも遠い過去に飛んでいきつつあるのだろうか・・・・・・・。
さて、10日ほど前から近所の大型スーパーに国産の南瓜が全く出ておらず中南米産ばかりだった。
妻が「なんで国産のがないの」と店員に聞いたら「日本では旬が過ぎたから」という的外れな答えが返ってきたので「輸入品のない時代から冬至には南瓜を食べてたんやで」と言い返したそうだ。
ということを「あほかいな」とあきれて笑いながら教えてくれた。
まさかハロウィンで枯渇したわけでもなかろうし、冬至前に出そうとストックしていたのだろう。
あるいは、利益率の高い輸入品を売らんがために国産品をわざと抑えたか???
事実、この週末から国産が出始めた。我々は何から何まで管理されているようだ。
ほんとうに、いらぬお世話である。
2015年12月19日土曜日
ごわす
司馬遼太郎の本の中に明治11年生れの菅楯彦画伯の懐旧談があって、明治の大阪の講釈場のことが載っていた。
米朝の落語の枕などでも話されていたが、当時の講談は読み切るまでに延々半年から1年かけていた。
そうなると途中でだれて客足が遠のく。すると、それが太平記なら「今日より正成出づ」と貼り紙が出る・・という話。
菅画伯の懐旧談は、『三国志などでも同じでごわりましてな、・・・・「今日より孔明出づ」という貼り紙が出ます。すると、遠のいていた客がまた押しかけるというぐあいでごわりましてな』という直接話法で書かれていて、この「ごわりましてな」という大阪弁に私は嬉しくなった。
この「ゴワス」という大阪弁は私の明治生れの実父や同世代の親戚の伯父さんたちは使っていたが今では死語だろうか聞くことがなくなったように思う。
だから、映画、テレビ、芝居などではなく普通の会話としてそれを聞いた世代としては私などが最後の世代かもしれない。
ひらパーの園長は「オマ」と叫べと言うが、「オマ、オマス」よりも古くは「ゴワ、ゴワス」であったことを記録しておくことも何かの意味があるだろう。
せっかくだから牧村史陽編「大阪ことば事典」から「ゴワス」の一部を引用すると、「このゴワスを文字に書くと、鹿児島のゴワスと同じなので、大阪にこんな言葉があるのかと疑う人があるが、それとはアクセントも違い、語調も全く違うもので、さいでごわす・よろしごわすなどと、軽く発音する。大阪弁ではオマスがその代表的な言葉のようにいわれているが、もとは船場あたりではオマスは使わず、すべて、ゴワス、ていねいに言って、ゴザリマスであった」(なお、否定はゴワヘン例そんなことごわへん)。
文字の上ではあるが懐かしい大阪弁に出会って、久しぶりの法事の席のようになんとなく嬉しかった。
もちろん菅画伯も、実父や伯父たちもそして司馬遼太郎も米朝も、古い大阪弁とともに彼方に行ってしまっている。
米朝の落語の枕などでも話されていたが、当時の講談は読み切るまでに延々半年から1年かけていた。
そうなると途中でだれて客足が遠のく。すると、それが太平記なら「今日より正成出づ」と貼り紙が出る・・という話。
菅画伯の懐旧談は、『三国志などでも同じでごわりましてな、・・・・「今日より孔明出づ」という貼り紙が出ます。すると、遠のいていた客がまた押しかけるというぐあいでごわりましてな』という直接話法で書かれていて、この「ごわりましてな」という大阪弁に私は嬉しくなった。
この「ゴワス」という大阪弁は私の明治生れの実父や同世代の親戚の伯父さんたちは使っていたが今では死語だろうか聞くことがなくなったように思う。
だから、映画、テレビ、芝居などではなく普通の会話としてそれを聞いた世代としては私などが最後の世代かもしれない。
ひらパーの園長は「オマ」と叫べと言うが、「オマ、オマス」よりも古くは「ゴワ、ゴワス」であったことを記録しておくことも何かの意味があるだろう。
せっかくだから牧村史陽編「大阪ことば事典」から「ゴワス」の一部を引用すると、「このゴワスを文字に書くと、鹿児島のゴワスと同じなので、大阪にこんな言葉があるのかと疑う人があるが、それとはアクセントも違い、語調も全く違うもので、さいでごわす・よろしごわすなどと、軽く発音する。大阪弁ではオマスがその代表的な言葉のようにいわれているが、もとは船場あたりではオマスは使わず、すべて、ゴワス、ていねいに言って、ゴザリマスであった」(なお、否定はゴワヘン例そんなことごわへん)。
文字の上ではあるが懐かしい大阪弁に出会って、久しぶりの法事の席のようになんとなく嬉しかった。
もちろん菅画伯も、実父や伯父たちもそして司馬遼太郎も米朝も、古い大阪弁とともに彼方に行ってしまっている。
2015年12月17日木曜日
室井佑月さんのファンになる
「今年の夏、男も女も、老いも若きも、様々な人たちが国会前に集まって、安保法制に反対するデモを大いに盛り上げた。だがみんなで集まるその前に、または集まりながら、ひとりでも考えてみよう。それが大切なことだから」との文を線で囲んで、フェリス女学院大学教授矢野久美子さんと並んで、作家室井佑月さんの発言が掲載された。
そもそも前記の囲みの文章は、少し嫌味な匂いがするが、それに対する室井さんの言葉は歯切れがいい。冒頭から、「朝日新聞を始め大手マスコミの人たちは、なにをしているのでしょう。この国の将来を左右する事柄がつぎつぎに起きています。国民の側に立ってきちんと報道しているでしょうか。個人に意見をいわせ、クレームがついたら、トカゲのしっぽを切るみたいなことが起きています。ずっとそんなことをしていくつもりでしょうか。」と爽快だ。
著作権の問題もあろうから全文を引用できないが、論旨もすっきりしている。
私はテレビ事情等には疎いので、今まで室井さんのことは、高級ホステスをしていたことがあることと高橋源一郎さんと離婚したことぐらいは知っていたが、それ以上にはよく知らなかったが・・・、室井佑月さん、ファンになりそう。
結びの部分の「苦情だけでなく、いい記事や番組をみかけたらよかったと声をあげる、それだって嫌な空気を壊す有効な手段だと思います」も納得。
同じようなことは確か高遠菜穂子さんも言っていた。
判った者同士が集まって「マスコミなんて」と言っているだけだとマスコミの劣化はますます進むだろうと。
それらの指摘に感動したので、この記事を書いてみた。
2015年12月16日水曜日
想像力
テレビをつければ朝から晩まで「軽減税率がああなったこうなった」である。
「軽減」という言葉は広辞苑では「負担や苦痛をへらして軽くすること」であるから、言葉を大事にするジャーナリストなら今般の消費税引き上げには使うべきではなかろう。
身ぐるみ剥いで帰ろうとする強盗に懇願したら明日の食費分だけ引いてくれたので良い強盗さんだったみたいな報道が延々と続いている。
その上に、突如浮上した一般新聞の軽減税率ときた。あまりに露骨な選挙対策ではないか。恥も外聞もないとはこういうことを言うのだろう。
こんな報道にどっぷり浸からされた私たちだから、いま一番大切なことは報道されていない真実に迫る『想像力』ではないかと思う。
例えば9月に成立した戦争法案だが、「自衛隊員のリスクが高まる」という程度の理解で済ますのでなく、その向こうに「安倍首相は自衛隊員の戦死を望んでいる」と想像することの方が大切ではないか。
在日米軍駐留経費いわゆる「思いやり予算」は毎年約1900億円である。ほんとうの土地代などを換算すると、米軍は日本の基地で世界中の基地のある国に比べて二桁三桁違いそうな「利益」を受けている。
その上にオスプレイ17機を約3600億円で購入してくれたりするのである。価格は相場の倍だと言われている。
だとすると、そこまでしてもらってなおアメリカは日本に何が足りないと言っているのか。ズバリ戦死者しかないだろう。「血を流せ」だ。
米軍のイラク侵攻の状況はベトナム戦争末期と同じで、国内で厭戦気分が盛り上がっている。帰還兵の精神障害も高率で発生している。そういうアメリカ自身の閉塞感、行き詰まり感の中でアメリカの右派は「日本はずるい」「ええとこ取りをしている」と言い、それが戦前回帰の安倍・日本会議内閣と、微妙には同床異夢ながら、ある種の波長があっているのだと思う。
だから私は、安倍首相にとっては、その本心は自衛隊員の戦死者が発生してほしいのだと想像する。
来年6月19日施行で選挙権が18歳に引き下げられるが、ベトナム戦争の渦中の1971年にアメリカで当時の徴兵制による戦死のリスクとバーターで21歳から18歳に選挙権が引き下げられたことも歴史の事実である。
歴史に学び為政者らの真意を想像する。それこそが一番大事なことではなかろうか。
孫たちが戦死させられないように。
「軽減」という言葉は広辞苑では「負担や苦痛をへらして軽くすること」であるから、言葉を大事にするジャーナリストなら今般の消費税引き上げには使うべきではなかろう。
身ぐるみ剥いで帰ろうとする強盗に懇願したら明日の食費分だけ引いてくれたので良い強盗さんだったみたいな報道が延々と続いている。
その上に、突如浮上した一般新聞の軽減税率ときた。あまりに露骨な選挙対策ではないか。恥も外聞もないとはこういうことを言うのだろう。
こんな報道にどっぷり浸からされた私たちだから、いま一番大切なことは報道されていない真実に迫る『想像力』ではないかと思う。
例えば9月に成立した戦争法案だが、「自衛隊員のリスクが高まる」という程度の理解で済ますのでなく、その向こうに「安倍首相は自衛隊員の戦死を望んでいる」と想像することの方が大切ではないか。
在日米軍駐留経費いわゆる「思いやり予算」は毎年約1900億円である。ほんとうの土地代などを換算すると、米軍は日本の基地で世界中の基地のある国に比べて二桁三桁違いそうな「利益」を受けている。
その上にオスプレイ17機を約3600億円で購入してくれたりするのである。価格は相場の倍だと言われている。
だとすると、そこまでしてもらってなおアメリカは日本に何が足りないと言っているのか。ズバリ戦死者しかないだろう。「血を流せ」だ。
米軍のイラク侵攻の状況はベトナム戦争末期と同じで、国内で厭戦気分が盛り上がっている。帰還兵の精神障害も高率で発生している。そういうアメリカ自身の閉塞感、行き詰まり感の中でアメリカの右派は「日本はずるい」「ええとこ取りをしている」と言い、それが戦前回帰の安倍・日本会議内閣と、微妙には同床異夢ながら、ある種の波長があっているのだと思う。
だから私は、安倍首相にとっては、その本心は自衛隊員の戦死者が発生してほしいのだと想像する。
来年6月19日施行で選挙権が18歳に引き下げられるが、ベトナム戦争の渦中の1971年にアメリカで当時の徴兵制による戦死のリスクとバーターで21歳から18歳に選挙権が引き下げられたことも歴史の事実である。
歴史に学び為政者らの真意を想像する。それこそが一番大事なことではなかろうか。
孫たちが戦死させられないように。
2015年12月14日月曜日
天声人語が気にかかる
朝日新聞12日付け「天声人語」に私の知らないアメリカのことが書かれていた。
・・・・・アメリカでは日本ほど無邪気に「メリークリスマス」を口にできない。他の宗教を信仰する人への配慮から、あいさつも宣伝も無難な「ハッピーホリデーズ」が広まった。公立学校では『きよしこの夜』もだめ。クリスマスツリーはコミュニティーツリーだ・・・・・と。
この文章に相当な誇張があるのかそれとも的確な分析なのかは知らないが、そういう流れがあるのは確かだろう。そして、
・・・・・それを「きれいごと」と苦々しく見ている人もいる・・・・・で、トランプ氏の暴言や放言が受けて、氏は共和党の大統領選候補者争いでトップを走っている・・・・・多民族社会の建前にあからさまな言葉で穴をあけて、民衆の溜飲を下げるのがうまいと聞く・・・・・不寛容と排斥の言葉に社会がからめとられていかないか。海の向こうが気にかかる・・・・・と。
私はというと、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く、ある種典型的な日本人だから、思わぬ指摘に「なるほど、そういう感覚もあったか」と少し慌てながらも「メリークリスマス自粛論」には違和感を感じている。
メリークリスマスも、お経も、かしわ手も、自粛などせず認め合えないものだろうか。
余談ながら、何でも商売にしてしまう株式会社ニッポンでは、お彼岸だ、ボージョレだ、七五三だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、お節料理だと、これ以上行事は思いつかないほどかきたてる。その伝でいけば、次は「ラマダン明け祝い」かと想像したりする。あくまで余談。
それよりも、あの大阪W選挙で市民は、橋下維新の「あからさまな暴言・放言」に溜飲を下げたのではないかと思い、そこを指摘せず「海の向こうの気」にとどめている天声人語が気にかかった。
否、天声人語は「奴隷の言葉」であり、読み人に国内の同種傾向への想像力を訴えたのだと理解したいがどうだろう。
・・・・・アメリカでは日本ほど無邪気に「メリークリスマス」を口にできない。他の宗教を信仰する人への配慮から、あいさつも宣伝も無難な「ハッピーホリデーズ」が広まった。公立学校では『きよしこの夜』もだめ。クリスマスツリーはコミュニティーツリーだ・・・・・と。
この文章に相当な誇張があるのかそれとも的確な分析なのかは知らないが、そういう流れがあるのは確かだろう。そして、
・・・・・それを「きれいごと」と苦々しく見ている人もいる・・・・・で、トランプ氏の暴言や放言が受けて、氏は共和党の大統領選候補者争いでトップを走っている・・・・・多民族社会の建前にあからさまな言葉で穴をあけて、民衆の溜飲を下げるのがうまいと聞く・・・・・不寛容と排斥の言葉に社会がからめとられていかないか。海の向こうが気にかかる・・・・・と。
私はというと、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く、ある種典型的な日本人だから、思わぬ指摘に「なるほど、そういう感覚もあったか」と少し慌てながらも「メリークリスマス自粛論」には違和感を感じている。
メリークリスマスも、お経も、かしわ手も、自粛などせず認め合えないものだろうか。
余談ながら、何でも商売にしてしまう株式会社ニッポンでは、お彼岸だ、ボージョレだ、七五三だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、お節料理だと、これ以上行事は思いつかないほどかきたてる。その伝でいけば、次は「ラマダン明け祝い」かと想像したりする。あくまで余談。
それよりも、あの大阪W選挙で市民は、橋下維新の「あからさまな暴言・放言」に溜飲を下げたのではないかと思い、そこを指摘せず「海の向こうの気」にとどめている天声人語が気にかかった。
否、天声人語は「奴隷の言葉」であり、読み人に国内の同種傾向への想像力を訴えたのだと理解したいがどうだろう。
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