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2026年8月13日木曜日

昭和天皇の一撃講和論

      『昭和天皇独白録』(寺崎英成御用掛の記録)は、『文芸春秋』199012月号「掲載にあたって」で次のとおり記されている。

《・・・「独白録」は、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛の五人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである。・・》と。なお寺崎英成御用掛は元々外交官であったが、ワシントンの大使館勤務中に米国人グエンドレン・ハロルドと結婚したので外務省中枢からは遠ざけられていた。

 さて昭和202月、天皇は各重臣と個別の会談を行ったが、そのときのこととして、次のようにある。
 🔳 私に[は]「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(189月)勝利の見込を失った。一度何処で敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先きには和を議し度くない。それで早く独乙が敗れてくれゝばいゝと思った程である。
 その当時木戸と相談して、重臣を一人一人秘密裏に呼んで、前途の見透に付て、意見を求めたが、確たる意見を持ってゐる者は一人もない。岡田と牧野とは比較的穏当な意見であったが、結論は云はぬ。近衛は極端な悲観論で、戦を直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦を止めるのは適当でないと答へた。・・・🔳

 本日言いたいことはここである。この時点で勝利の見込を失っていて、「戦を直ぐ止めたが良い」と言った近衛文麿の意見のとおり「ご聖断」を下しておれば、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、そして本土空襲の大悲劇は避けられたのである。
 それを躊躇させた陸海軍首脳の責任は大きいとはいえ、明らかに『昭和』天皇には戦争責任があった。明後日は8月15日。

2026年8月11日火曜日

下部構造のナショナリズム

    8月10日付朝日新聞に保坂正康氏が、大要次のように大切な提起をされていた。
 🔳 長らく8月15日の不戦の誓いも「二度とあんなことはごめんだ」という感情の延長にあった。 ただ、体験者が減るほどそういう感情は忘れ去られていく。 いま求められているのは、理性的にあの戦争を分析し、その教訓を社会の共通規範として「思想化」し次世代につないでいくことだ、
 あの戦争では、いわば「上部構造のナショナリズム」である皇国史観が特攻や玉砕といった狂乱を支えてきたが、「下部構造のナショナリズム」ともいうべき郷土愛や先祖崇拝、日常生活の規範、倫理観はそんなものではなかった。 昭和の軍事指導者はそういう意味では日本の文化や伝統を裏切ってきた。
 8月15日の思想とは、人々の暮らしの中に蓄積されてきた不戦の誓いの知恵こそが、国家の暴走に対抗しうるという思想だ。🔳 

 よく「被爆者の気持ちなどそうでない者には解らない」という声を聞いたことがある。部落差別反対の運動にも「踏まれた者の痛みは踏まれた者にしか解らない」と言われたことがある。水俣でも原発でも沖縄でも、そういう解ったような言い方で運動をちゃかしたり抑圧したりすることがあった。
 そういう意味で、保坂氏が体験を思想化して継承していくことの大切さを指摘されたのは的を射ていると思う。
 同時に、「被爆者の痛みや苦しみを直接肩代わりすることはできなくとも、一緒に歩いて訴えることはできる」という核兵器廃絶国民平和大行進の訴えは尊い。 「共感」は素晴らしい心の働きだ。

2026年8月8日土曜日

キリスト教ナショナリズム

    アメリカの民主党では4日、ミシガン州の上院予備選で、党主流派の下院現職が敗れ、バーニー・サンダース上院議員らの支援を受けた新聞用語でいうところの急進左派アブドゥル・エルサイード氏(41)が当選を果たした。
 この動きが、アメリカ民主主義の再建に向かうのか、トランプの激しい反共攻撃の的になって結局トランプ政治が深まるのか、興味はあるが見通しを語るほどの知識はない。

 先日、書店で見つけて、【朝日新書、森本あんり・渡辺靖の対談集『キリスト教ナショナリズム』】を手に入れた。
 正直なところまだ十分には理解が進んでいないが、合衆国憲法の「政教分離」、一見正反対に見える福音派とリバタリアンの共通?、キリスト教のシオニズム等々「知らないことが多い」ということだけは解った。

 日本の、それも自分の周囲で見聞きしたことと重ねて考えると、新自由主義という名の下に「利権第一主義」が社会や企業内のコミュニティーを破壊し、中間層は確実に没落していったそういう時代の中から、キリスト教に基く倫理観のある社会をとか、自分が没落したのは女が地位を奪ったからだ、いや移民だ、いや福祉が悪い等々と、左右?両方から今までにない政治が求められているのだろうか。
 理解は進んでいないが、友人の皆さんには、大いに勧めたい一冊ではある。
 キリスト教世界のこと、アメリカの政治のこと、ほんとうに知らないことだらけで参考になったことは多い。

2026年7月27日月曜日

NHK先輩のハッとする指摘

    25日の朝日新聞『テレビ時評』に元NHKアナウンサーの山根基世さん、「さすがタイパの時代の首相だ」 で始まって、「どんな議論がなされたのか、録画しておいたNHKの国会中継を見た」ところ、「ハッとするのは立憲民主党や共産党・・の鋭い質問に・・実にスリリングで見入った」と。
 山根さんは言う、「でもこれだけの時間をかけて議論を聞ける人はどれだけいるだろう」。結局、定時のニュースで与党側の説明や答弁がサッと触れられるだけでいいのか、もう少し議論の焦点をダイジェストした番組もあっていいのでは? NHKには誰からも干渉されない編集の自由があるのだから、との提起には後輩たちへの熱い期待が感じられる短文だった。
 世論形勢にSNSの情報が大きな力を持つ時代。新聞を含めオールドメディア内のジャーナリストよガンバレ!

2026年7月18日土曜日

朝日記者定年退職

7
16日の朝日新聞に「阪神支局襲撃事件の目撃者である社員が定年退職」という記事が掲載され「未解決のまま去るのは残念」とあった。
今年の52日に「明日は53日」という記事で「198753日を思い起こそう」と書いたが、それは、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害された『赤報隊事件』のひとつである。当時、統一協会の霊感商法批判キャンペーンを展開していた朝日新聞が襲撃されたのだった。
その当時、統一協会はいろんな関連団体を通じて、殺傷能力のある空気散弾銃を大量に輸入し、全国で銃砲店や射撃場を経営し、「特殊部隊」=軍事組織を組織していたといわれていた。
その3日後の56日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済み薬莢2個と脅迫状が届き、そこには「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
薬莢は、凶器の具体的な報道がされていないにもかかわらず、銃撃に使用されたのと同じレミントン社製で、口径も大きさも同じサイズのものだった。
 赤報隊事件はその後も続き、警視庁は国会議員である有田芳生に「オウムの次は統一協会をやる」と明かしていたがそれは実現しなかった。その理由を2005年に引退した幹部は有田に「政治の力ですよ」と答えたが、そうであるならば、当時、朝日新聞と統一協会は有力者を通じてどこかで手を打ったのではないかと想像される。
 だからこの16日の記事でも、統一教会のとの字も、赤報隊のせの字も出ていないのではないか。
 事実とは遠いネット情報社会も困ったものだが、その遠因にはオールドメディアの姿勢も大いに問題があったような気がする。
 皇室典範改正問題でいえば、一番の原動力は統一協会の主張であった。
 韓国ファーストで北朝鮮ともつながる統一協会がなぜそこまで男系男子にこだわるのかは常識が及ばないが、反共右翼の強固な野合と考えれば理解も広がる。
 「政治の力というと自民党はもちろんだが、民社党・同盟から連合につながる富士政治大学校なども一翼を担っているから、国民民主党や中道の「賛成」もナルホドだ。
 そういう闇の勢力と密接につながっていると思われる高市早苗氏が総理大臣である怖さ。
  有田芳生著『誰も書かなかった統一教会』を一読されることをお勧めする。最寄りの書店になければ、アマゾンや楽天ですぐに購入できる。 

2026年7月7日火曜日

大和岩雄の著作

    先に「黒塚古墳の被葬者は誰か」という記事を書いたが、そもそもクニや大王の誕生、古墳時代の始まりは何時なのかということについて、どうしても頭の整理が追いつかなくもやもやしていた。
 言葉を変えていうと、「ヤマト王権の誕生」であり、卑弥呼の女王国との関係でもある。
 そのため、纏向遺跡の寺沢薫氏の分厚い本を読みなおしている中に、大和岩雄氏の見解などが相当論理的に参照されているのを知って、購入して読み進めたのが大和岩雄著『箸墓は卑弥呼の墓か』。
 古代史の本の中には全く論理的でない本も少なくないので、著者を選んで購入することにしているが、その中に加えたわけである。
 その内容をブログ記事に要約することなどできないが、自分自身の頭の整理のために、特に問題意識を持った個所を下記のとおりメモにした。今後その内容を深めていきたい。

 🔳 箸墓古墳築造時期は3世紀後半である。3世紀中葉すぎではない。
 卑弥呼の死は248年頃で、帯方郡の張政が248年から3年程いた間(3世紀中葉)に卑弥呼の死、墓の築造、男王即位、倭国の乱、台与の擁立、国中定まる、・・を見届けているから、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。
 卑弥呼の墓は北部九州の急造・粗製の円墳である。箸墓は前方後円墳。
 卑弥呼やその前の時代は都市国家(クニ)がそれぞれ北部九州、吉備、大和、尾張などのブロックを作っていて、それらを線で結んだ「交易組合」的な連携を図っていた。それが倭。
 57年の金印~107年倭国王帥升の頃までは北部九州+吉備がそれ。
 3世紀に北部九州の首長連合の代表が倭国王になる力が弱まり、だからといって吉備や大和の首長にそれほどの力がないため、卑弥呼が「共立」された。『女王国』の都は北部九州にあった。
 卑弥呼の死後男王が立ったが国中乱れ、台与が共立されたのが3世紀後半。その折に交易組合的連合の中で大和(纏向)に遷都された。それが台与の『邪馬台国』。
 台与の聖俗分離の政権で俗政を担当していた男子が、台与の死後台与の担っていた聖政を継続するために、箸墓古墳を築造した。築造したのは崇神天皇。被葬者は台与だが、叔母のヤマトトトヒモモソヒメと書紀に記録。ヤマト王権のスタート。🔳 さて、どうだろう。
 

 

2026年6月29日月曜日

台風一過

    台風8号7号が来たが、テレビの進路予報円は以前に比べて格段に小さくなった。ということは進路予想の精度が格段に上がってきたということ。大いに感心、感心!
 台風という自然に対して科学というか人間が大いに前進(フォワード)したように見えたが、そんな中、大阪市南部の大雨対策排水施設(ポンプ6基)が水没して運転不能であったというニュースが飛び込んできた。大雨対策施設が大雨に敗けたというお話にならないお話でこれは気分が良くない。いかにも維新の市政らしく思ってしまう。

 今回の8号7号は台風としては大きくはないものだったが、全国的に大雨による被害が続出した。かくいうわが街にもレベル5の地区が出て、遠方からわが家に安否確認の電話などがあった。ただそのピークの25日~26日の夜間頃、私は心臓の発作があり救急の病院で全くの別世界にいた。

 台風一過、こういう時こそ本を読もうと思って、以前にJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)のことを書いた新潮選書・坪木和久著『天気のからくり』の台風関連の章を読み返した。
 熱帯の暖かい空気が上昇気流になって・・というほど台風は単純ではない。
 その理屈も面白くはあったが、今世紀後半には地球温暖化により、スーパー台風が日本本土付近まで到達するという研究結果には、温暖化に反して薄ら寒いものを背中に感じた。

    【補足】先日、奈良県平群町のメガソーラー建設許可問題で大阪高裁は住民運動勝訴、奈良県敗訴の逆転判決を出したが、写真のとおり現場ではやっぱり土砂の崩落が発生した。
 現場は「工事完成」と言われている場所で、流れた土砂は数百㎥~1000㎥、人家に約800m。この現場での土砂流出は4度目という。
 奈良県は躊躇なく判決に従って早急に地域の安全を確保すべきである。

2026年6月28日日曜日

古事記にハマる

    古事記学会の講演会の三浦祐之(すけゆき)講演が新鮮だったことは、6月23日に「国譲り」という言葉にスポットを当ててブログ記事に書いた。
 そこで講演の翌日に近所の書店の在庫状況をネットで調べたところなかったので、次善の策としてアマゾンをポチッとするとその日の夜遅くに配達されたのが、ちくま新書・三浦祐之著『古事記を読みなおす』であった。

 三浦氏は講演でも「記紀神話などという捉え方をすると大間違いだ」「古事記と日本書紀は大いに異なるものだ」と強調されたが、出雲神話の分量やその視点は書紀とはある意味正反対のよう”でも”ある。
 となると、書紀と同じように天皇から求められて苦労して書き上げたという太安万侶の「序」は序としては偽書であろうと著者はいう。
 そして、古事記は書紀以前にほぼ完成していたが国家には正式採用されなかった。却下された??
 それを、まるで採用されたかのように安万侶は後に序を書いた。・・・面白い。
 それではほんとうに古事記を書いたのは誰か。滅ぼされた出雲に大いに心を寄せて書いたのは誰か。
 私はワクワクして本を読み進めたが、真犯人?にはたどり着けなかった。

 ただ、古代の大豪族は夫々「氏(うじ)の歴史」を持っていた。だから書紀にも「一書曰く」としていろんな説が述べられている。
 昨日の記事を振り返ると、大神神社は伊勢神宮よりも古い(長い)歴史を持っていた。
 古代に大神神社の祭祀を担っていた大豪族は大神氏であった。
 大神神社の大物主大神は出雲の大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)である」(書紀)と称している。いろいろ推理は広がる・・・・

 「三輪王朝説」でなかっても、古事記がこんなに楽しいものだったとは知らなかったし、楽しい宿題を受け取った気分でいる。

2026年6月19日金曜日

孫の小説

    宮島未奈著で本屋大賞などを受賞した『成瀬は天下を取りに行く』など成瀬あかりシリーズ三部作を呼んだ。
 児童文学でもないからやはり青春小説かも知れないが、なにも小説にその種のカテゴライズが必要なこともないだろう。
 孫の中学生夏ちゃんから借りた本で、老眼に鞭打って読み終えた。
 主人公はけっこう型破りでマイペース。夏ちゃんが共鳴したかどうかは知らないが、祖父ちゃんが「貸してくれる?」と言ったら快く貸してくれたから、面白かったのだろう。

 私は中学生の頃、石坂洋次郎の『若い人』や『青い山脈』をワクワクして読んだ記憶が湧きだした。
 妻などはスマホのトラブルがあると夏ちゃんに助けてもらっているが、そんな夏ちゃんがスマホ世界でない活字世界に少しでも残ってくれていることが嬉しい。
 同じ文字(文章)でも、スマホの中の文字数に比べて活字世界は、何千倍、何万倍も長く、読み終えるまでに時間が要る。それが好い。
 すぐにたどり着く答など面白くもなんともない。
 そう思ってくれたら、青春小説も素晴らしい。

2026年5月19日火曜日

時事詠

    5月17日の朝日歌壇から気に入ったもの(時事詠)を勝手に紹介する。
 みんな心に響いてきた。

 永田和宏選 
時事詠も情報局の取り締まり対象歌へとなるを恐るる (大津市)船岡房公 
「戦争があったらもっと儲かるぞ」そういう国に一歩近づく (秦野氏)丸橋弥生

 川野里子選
木曜日あふれるプラごみ君たちも」あのホルムズを通ってきたか (久留米市)春日登

 佐佐木幸綱選
ペンライト振って三万六千人ライブのノリでする護憲デモ (茂原市)麻生稚子

 高野公彦選
仕事する重油が足りぬと嘆きおり鰯の漁師もいちご農家も (観音寺市)篠原俊則
欲しいものトランプが映らないテレビ連日連夜募る憂鬱 (五所川原市)戸沢大二郎

 時事詠がこんなに説得力を持つ時代は悲しいかも。
 最後にもう一つ、永田和宏選
地方紙はひっそり伝う寺山の学びし校舎来春閉校 (五所川原市)戸沢大二郎

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司

2026年5月9日土曜日

アウェイでも

    5月8日付朝日新聞のトップ記事は、『嫌中動画気軽に下請け』というタイトルで、仕事の仲介サイトの求人募集が「中国批判系など海外の反応YouTube動画のお仕事」で、手順書どおりに簡単に対応できた。それは、見る人の憎悪をあおり、時に思考をゆがめるネット動画であったという内容の記事だった。
 記者が取材した男性は過去には「差別につながる可能性が高い」として広告収入を止められたが、その後新たに「政治系チャンネル」を開設し、高市首相を取り上げつつ、野党や自民党でも一部の政治家を批判。2週間で50万円稼いだと豪語したと書いている。

 この話は目新しいものではなく、2024年に大手仕事仲介サイト「クラウドサービスの求人の一部に、「中国人の迷惑行為、その後、自業自得になるフィクション動画作成の仕事」というのが出て問題になっている。
 さらに以前には、参議院議員の小西洋之氏と杉尾秀哉氏が提訴した裁判で明らかになったのは、Dappiという名前でウェブコンサルティングを業務とするIT会社が、自民党や維新への賛同の内容や立憲や共産党への誹謗中傷の発信を繰り返していたことが有罪になっている。
 ちなみにこの会社の主要な取引先には、自民党、自民党の元閣僚の資金管理団体、自民党の支部があった。
 そして今年4月29日に文春オンラインが報じたのは、昨年の自民党総裁選挙中に高市陣営がTikTokで、総裁選のライバルであった小泉進次郎氏や林芳正氏に対して「カンペで炎上!」「無能で炎上」「完全にアウト」という投稿をしていたこと、衆議院選挙の公示日前日には、高市氏の動画がアップされ、再生回数は10日足らずに10億回を超えていた。
 なお、高市氏の資金管理団体「新時代政策研究会」から2024年の総裁選関連で約8000万円の広告宣伝費が支出されていたことが毎日新聞で報道されている。

 実際、私のFacebookにもその種のTikTokの動画はあふれている。
 これを「やっぱりネットの世界は歪んでいる」とオールドメディアで批判?しているだけではことは済まない。
 都知事選挙の時の「石丸フィーバー」、総再生回数300万回が革新系候補を上回る得票を得たように、総選挙時の高市10億回動画があって自民党の「歴史的勝利」が起こったように、情報をSNSに頼っている層には、「オールドメディア」でまともに批判してもその声は届きにくい。
 「SNSに依存するのは危険だ!」という情報もSNS上で広げなくては力にならない。
 なので、「これではいかん」という良識を「とりあえずSNSで発信する」「せめて、シェアなりリポストする」ことが自覚的な民主主義者には求められている。
 それでも「SNSは苦手だ」と言いながら拱手傍観を続けますか。
 

2026年5月1日金曜日

痛快‼ 日章丸事件

    日本の主要なメディアは4月29日、大型タンカー「出光丸」が28日、ホルムズ海峡を抜けて日本に向かっていると報じた。
出光丸は出光興産所属の船舶で、200万バレルの原油を積載していたが、2月の米国とイスラエルによるイラン攻撃によりホルムズ海峡に足止めされていた。
これまで商船三井所属の船舶3隻がホルムズ海峡を通過したことはあるが、どれも目的地は日本以外だったから、日本に向かう、日本の石油精製大手が完全所有する超大型原油タンカーがペルシャ湾から出たのは初めてだったし意義深いと思う。
 このことに関して28日の夜、駐日イラン大使館はX(旧ツイッター)に、出光興産が1950年代にイランから石油を秘密裏に日本へ運んだ「日章丸事件」について投稿し、「この歴史的な任務は両国間の長きにわたる友情の証で、今日においても極めて大きな意義を持ち続けている」と投稿した。

 そこで、昭和28年(1953)の『日章丸事件』をWikipediaから以下に紹介する。
 🔳 イギリスの影響下にあったイランは、第二次世界大戦の進駐を経て連合国の占領下から脱していたものの、当時世界最大と推定されていたその石油資源は、イギリス資本たる石油メジャーアングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(BPの前身、AIOC)の管理下に置かれ、イラン国民はもとより、政府にもその利益がほとんど分配されない状況にあった。その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、イラン国営石油会社(NIOC)がAIOCの資産を接収する。これに反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させた。これらはアーバーダーン危機と呼ばれ、戦争が近づきつつある情勢となっていた。
  一方、日本は戦後イギリスやアメリカ合衆国などの連合国による占領を受け、占領終了後も両国と同盟関係にあるために独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の足かせとなっていた。イラン国民の貧窮と日本の経済発展の阻害を憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イギリスの経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏にタンカー日章丸(同名の船としては二代目)を派遣することを決意。イギリスとの衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、第三国経由でイランに交渉役として専務の出光計助(佐三の弟)を1952年に極秘派遣。モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行った。
  イラン側は、各国の企業と条件面で合意しても、実際の貿易には全く結びついていない前例と、当時国際的にはほぼ無名の中小企業に過ぎなかった出光を見て、初めは不信感を持っていたとされるが、粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年(昭和28年)323日午前9時、神戸港を極秘裏に出港する。 
 航路を偽装するなどしてイギリス海軍に気付かれないよう航行し、日章丸は410日にアーバーダーン港に到着。この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。日本においても、非武装の一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていたイギリス海軍に「喧嘩を売った」事件として報道され、連日新聞の一面記事で報道された。
  415日、急ぎガソリンと軽油を積んだ日章丸は、国際世論が注目する中アーバーダーンを出港。浅瀬や機雷などを突破、イギリス海軍の裏をかき、海上封鎖を突破してペルシア湾を抜け、599時に川崎港に無事到着した。AIOCは積荷の所有権を主張して出光を東京地裁に提訴し、同時に外交ルートでも出光に対する処分圧力が日本政府にもたらされた。
  しかし、イギリスによる強引な石油独占を快く思っていなかったアメリカ合衆国の黙認や、快哉を叫ぶ世論の後押しもあり、行政処分などには至らなかった。裁判でも出光側の正当性が認められ、仮差押え処分の申し立ては527日に却下された。AIOCは即日控訴するものの、1029日になって控訴を取り下げたため、結果的に出光側の勝訴に終わった。
  もっとも、本件におけるイラン側の立役者とも言えるモサッデク首相が、同年819日に発生したクーデター(アジャックス作戦)により失脚したこと、さらに本件を契機として結果的に石油メジャー各社の結束が強化されたことなどから、出光によるイラン産石油の輸入は継続困難になり、わずか3年後の1956年(昭和31年)に終了した(上記のAIOCの控訴取り下げも、クーデターにより自社の権益が事実上復活し、裁判を継続せずともその目的が事実上達成できたことによるものであった)。しかし、これら一連の動きは、世界的に石油の自由な貿易が始まる嚆矢となった。
  時系列
19513月 日章丸起工式。当時世界最大のタンカーであった。
98日 サンフランシスコ平和条約を締結し、主権回復。
1952
615日 イタリア・スイス共同出資のタンカー「ローズマリー」、イギリス海軍にアラビア海で拿捕される。
916日 日章丸、進水式。
1016日 イラン首相、イギリスとの外交関係破綻を宣言。
1022日 イラン、イギリスとの国交断絶を通告。
115日 出光の出光計助専務と手島治雄[2]、日本を出国。
116日 出光一行がパキスタンに到着、入国拒否を受けるも強引に入国。
118日 出光一行がパキスタンからイランに向けて出国。
119日 出光一行がモサッデク首相と会談し、交渉を開始する。
1119日 出光一行が帰国。
1222日 日章丸完成。
1953
110日 外務省、出光のイランとの接触の情報入手。
1月 出光、飯野海運よりチャーターしていたタンカーのキャンセルを受け、同社唯一のタンカー・日章丸の使用を決断。
26日 出光計助ら再度イランに向けて出発。
215日 イランと出光、石油貿易の正式調印。
316日 日章丸がアメリカ合衆国から川崎港に帰着。
318日 日章丸、川崎港から神戸港に荷卸しの為、移動(着翌日)。
323日 日章丸、目的地をサウジアラビアと偽装し神戸港を出港。
325日 フィリピン北のバリンタン海峡を通過。
331日 マラッカ海峡を通過 。
45日 コロンボ沖で暗号電文を受信し、無線封鎖。
47日 オマーン湾に到達。
48日 夜陰に隠れてホルムズ海峡を通過。
49日 シャルル・アル・アラブ河口に到達。
410日 アーバーダーン港(当時の記事ではアバダン港)に到着。AFP、ロイターが報道。
410日 夜・イギリス外務省が駐日大使エスラー・デニングに調査を命じる。出光、外務省に報告。
411日 出光、記者会見を行う。
415日 日章丸、アーバーダーン港を出港。船底部を僅かに擦りながら浅瀬をぎりぎりで突破。
416日 夜陰に紛れてホルムズ海峡を通過。
426日 大きく迂回しスンダ海峡を通過し、イギリス海軍駆逐艦3隻との接触を回避。
426日 夜陰に乗じてジャワ海の危険な暗礁海域を通過し、イギリス海軍を回避。
429日 ガスパル海峡(英語版)を通過。
430日 南シナ海に到達し、無線封鎖を解除、出光本社と連絡を取る。
430日 イギリス、松本俊一駐英大使を呼び出し厳重抗議。
430日 日本政府および外務省は、何も知らず民間の取引に介入できない旨をイギリスに弁明。
4月〜5月 自動車6団体がイラン石油輸入を歓迎する旨発表。同時期、報道が激化し様々な意見が発表される。
54日 日章丸、フィリピン北のバシー海峡を通過。
57日 イギリス、日章丸の日本領海到達を確認。即座にAIOCより仮処分申請を東京地裁に提出。
58日 出光、広島駐留のイギリス海軍が軍用機を飛ばしている情報を受け、記者会見を開き徳山港(山口県)へ入港予定との陽動情報を流す。
58日 日章丸、土佐湾沖にて新聞社に撮影され、陽動情報である事が露見。
59日 川崎港に到着。同日、東京地裁にて第一回の口頭弁論開かれる。
59日 通産事務次官玉置敬三、通産省はこの紛争に巻き込まれたくないとの見解を記者に述べる。
513日 日章丸が陸揚げを完了し、船の差し押さえを逃れる。
514日 日章丸がイランに向けて再度出港し、貿易を既成事実化する。
516日 東京地裁にて第二回口頭弁論開かれる。
527日 東京地裁、仮処分申請を却下。
527日 外務省が政府は何ら関与しない旨を発表。
6月 イラン政府、出光との当初の契約を見直し、石油価格を大幅減額で提供する旨を発表。
67日 日章丸、アーバーダーン港に再度到着。イラン政府高官、および数千人の民衆の出迎えを受ける。🔳

 関連する事項などを検索して読むと痛快である。大人としてこの事件に接したかった。
 もし両親が健在であったならば、当時のこのニュースをどのように感じたのかと聞きたかった。
 イランが核武装をするのを是とはしないが、現在の戦争状態を作ったのがネタニヤフとトランプであることは全く間違いない。
 蓄積されたペルシャ文明と人々の人情には敬意を払いたい。

2026年4月27日月曜日

成熟した市民

    今週金曜日はメーデー(May Day)で、1986年シカゴの労働者が8時間労働制を求めて大集会を開いたことに由来する。いうならば、労働法、労働行政などの生みの親のようなものだ。
 それが現代、「労働基準監督署の残業規制の指導を緩めよ」と政府与党が合唱しているのだから、「それはおかしい」との声を大きくしたいので、大阪・扇町のメーデーに参加したいと思っている。
 ところが近頃は、若い労働者の中には労働組合に加入しない人が生まれているらしい。労働組合の存在や運動が労働条件の改善につながっているという実感が薄れると同時に、「そんな時間があれば資産運用に費やすわ」という感じだとか。
 その種の発想は地域の自治会でも生じているが、ちょうど内田樹氏が『市民的成熟を育てる学校と職場の条件』という文章の中で、要旨次のように書かれているのが的を射ているように感じたので紹介する。(要旨をまとめた責任は私にある)
 🔳 「市民的成熟」を一言でいえば、「公と私」の間で葛藤する作法を身につけることである。
 公共というのは、全員が私権の一部(自分の割り前)を差し出して、初めて協同体や自治体や政府や国家といった「公共」が成り立つものだ。
 でも、この「公」は、ルールや法律を守れとか税金を納めろとかゴミを捨てるなとかいろいろと市民に要求する。これが「私」にとっての「持ち出し」に相当する。
 問題はこの「持ち出し」における「自分の割り前」をどう算定するかである。
 未熟な市民はこのことの意味がわからない。わかるためには「この社会が自分みたいな人間ばかりだったら」と想定することである。
 例えば、「法律を守らない、税金を払わない・・・」のが「オレ一人」で、あとの全員は「法律を守り税金を払う・・・」善良な市民である時には、この「オレ」の利益は最大化する。
 言い換えればそれは、「オレみたいな人間はこの世にいない方がいい」と切望することである。
 そんな協同体を構成したいとは誰も思わないだろう。市民的成熟とはそういうことである。
 「自分みたいな人間がたくさんいる世界に住みたい」と思うことほどの自己肯定はない。🔳

 これを読んで、「組合費(あるいは自治会費)を払っても払わなくても利益に差はない。だから払うのは損だ」という声を想像したが、内田樹氏の話を聞かせたいものだ。
 年寄りの話はお説教臭くなるが、生き方の基本のようなことを語ることは高齢者の「任務」であろう。
 なので今こそ「歳だから」などと言わずにメーデーに行こうと思っている。
 (内田樹氏の論文は、SB新書の『沈む日本とカオス化する世界』に収録されている)

2026年3月26日木曜日

古代寺院と造営氏族

    小笠原好彦著『日本の古代寺院と造営氏族』吉川弘文館は、索引を除いて355頁の大著である。
 大きな目次だけを紹介すると・・・、
 第一部      大和の古代寺院と造営氏族
  第一章      願興寺出土の飛鳥朝軒丸瓦と造営寺院
  第二章      巨勢寺跡と造営氏族の動向
  第三章      吉備池廃寺と木之本廃寺の性格
  第四章      川原寺の瓦当笵の移動と寺院の造営
  第五章      檜隈寺跡の伽藍と大改修
  第六章      本薬師寺の伽藍と新羅の感恩寺
  第七章      小山廃寺の性格とその寺院名
  第八章      加守廃寺の長六角円堂とその性格
  第九章      毛原廃寺の性格と造営氏族
  第十章      菅原遺跡の八角円堂と長岡院
 第二部      大和周辺の古代寺院と造営氏族
  第一章      摂津の猪名寺廃寺・伊丹廃寺と造営氏族
  第二章      古代の同笵軒瓦からみた僧寺と尼寺
  おわりに
   ・・・となっている。章の下の節を書くとするとこの記事が終わってしまう。「おわりに」だけでも17頁に及んでいる。

 多くの章の骨子については夫々私が受講したものだが、不良受講生の記憶は矢よりも早く消えているから、この本を読むたびに新鮮で、「そういえばそんな講義だったな」とやっと記憶を呼び戻す日々である。
 とりあえず斜め読みをしたが、これから一章が一冊の本だと思って、興味の湧く章からゆっくりと再読していきたい。
 柱穴や礎石や瓦の紋様などなどの考古学的な見解と、日本書紀その他の記録を照合しながら歴史を明らかにしていくこの本は、一面では推理小説、サスペンス劇場のような面白みもある。
 高額であるから購入まではお勧めしないが、図書館で読んでみてほしい。なければ図書館に購入方依頼してほしい。
 暗記ではなく探求する歴史は面白い。

2026年3月7日土曜日

必読書

    世界平和統一家庭連合(旧統一教会・統一協会)に対して東京高裁は3月4日、宗教法人たる「教団」の解散を命じる決定を行った。
 これを受けて東京地裁は清算人を選任し、清算手続きが始まることとなった。
 メディアは、高額献金の被害者に対する弁済が上手くいくのか、「教団」が財産を隠さないかなどについて注目しているが、何か重大な焦点の二つが欠けているように思えてならない。

 その一つは『赤報隊事件疑惑』である。
 統一協会はいろんな関連団体を通じて、殺傷能力のある空気散弾銃を大量に輸入し、全国で銃砲店や射撃場を経営し、「特殊部隊」=軍事組織を組織していたといわれている。
 「教団」が霊感商法批判キャンペーンに怒り狂っていた1987年5月3日、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害されたが、3日後の5月6日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済み薬莢2個と脅迫状が届き、そこには「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。薬莢は、凶器の具体的な報道がされていないにもかかわらず、銃撃に使用されたのと同じレミントン社製で、口径も大きさも同じサイズのものだった。
 赤報隊事件はその後も続き、警視庁は国会議員である著者に「オウムの次は統一協会をやる」と明かしていたがそれは実現しなかった。その理由を2005年に引退した幹部は著者に「政治の力ですよ」と答えた。

 その二は、想像を絶する統一協会の北朝鮮との野合である。
 1992年平壌の巨大競技場は「偉大なる首領様の生誕80年を祝う」民衆で埋め尽くされていたが、スタンドには独立運動の闘士8人の名前が人文字で浮かび、その最後の一人は文鮮明の三文字だった。 
 そのほかにも、霊感商法で日本人信者から巻き上げた莫大な献金を元手にした「金剛山国際グループ」の設立や莫大な資金援助。
 そして訪朝。金日成と「義兄弟」との会談。
 こうして金日成の葬儀に北朝鮮は文鮮明教祖に招待状を送り、文の最側近の韓国「世界日報」朴社長は金日成の死去後初の韓国人訪朝の人となった。
 日本などでは激越な反共演説を繰り返しながらのこの態度は、良識人には到底理解の限度を超えているが、同じように、日本の法律では入国が禁止されている人物(直前までアメリカで収監されていた)の超法規的入国を手伝ったのは自民党の大物たちであった。

 超高額の霊感商法による家族崩壊などなどの山上被告問題なども非常に重要だが、統一協会問題の深刻さはそれに止まらない。
 字数の関係で筆を置くが、こんな機会でもあるので、多くの方々に、この本ぐらいは購入して読まれることをお勧めする。最寄りの書店になければ、アマゾンや楽天ですぐに購入できる。

2026年3月6日金曜日

中島岳志の本

    久しぶりに十分に満腹感を覚える本を読んだ。NHK100分で名著・中島岳志著『大衆の反逆——オルテガ』。
 とりあえずPR調に紹介されている幾つかのコメントを拾うと、 
 ●なぜ「多数派」は暴走するのか
 ●真のリベラルを取り戻せ
 ●少数派の意見を聞き、先達の知恵を重んじる真のリベラルとは何か
 ●「大衆」「リベラル」「死者」「保守」20世紀最高の大衆社会論を4つのキーワードでよみとく
 ●大衆とは、みずからを、特別な理由によって―よいとも悪いとも―評価しようとせず、自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である
 ●自分の利害や欲望をめぐって行動する「大衆」が増殖した20世紀。スペインの哲学者オルテガは、「大衆」の暴走に警鐘を鳴らした。彼はなぜ、利己的な大衆を批判し、他者と共存するための「寛容さ」を説いたのか。「大衆の反逆」は、有権者の半分近くが投票権を放棄する現代日本に、どんな教訓を提示しているのか。オルテガの思想を受容し、現代的にアレンジすることで、自分たちの手で民主主義をはぐくんでいく術を探る
 
 オルテガの時代、西部邁の時代など背景となる政治状況の古さはあるが、著者の主張はいささかも古くはない。 
 非常にリアルな話として、「保守」の立場を公称されている著者が、現実の政治局面で日本共産党と友好的に語り合っていることの理屈が、けっこう理解もできる。
 書評など書けるほど軽いものではない。書き始めればきっと一冊の本になるだろう。それほど内容が濃くて納得する箇所も多かった。
 書店で手に取ってとりあえず立ち読みをお勧めする。

2026年3月1日日曜日

ほんとうの中国

    著者近藤大介氏は、1965年生まれ、東大卒後講談社入社、北京大学留学、講談社北京副社長を経て週刊現代編集次長。明治大学国際日本学部講師など。
 この本を読んで共感するところ大であった。
 確かに奈良公園を歩いていると中国人(中国語)の声は大きい。
 もう一つ、アジア大陸の歴史を学んでいると、民族間の侵略、逃亡、虐殺の規模が違い過ぎる。
 それに比べて「安倍晋三政権時代に流行った「嫌中」派の理屈のナントちっぽけなことよ」と感じていたから、私の感じていた感覚と共鳴した。
 それに小さい頃、戦争に行っていた叔父たちが「中国では”標準語”を話せる中国人が少ないから中国人よりも中国語が話せた日本人はいくらでもスパイができた」みたいな武勇伝?を聞いていたこともある。
 先の「声の大きいこと」について私は、口を開いて破裂音を駆使する中国語のせいかと思っていたが、著者はそれ以外に、①暮らしのスケールが大きい、②声の大きい方が勝つ社会、③「鐘の音のように大声で・・」という学校教育、④周囲に無関心・・・と書いている。
 なにしろ面白い。そして日本人は中国を知らいのではなく、日本人は例外的に世界を知らない民族ではないかと思ったりする。
 米艦の上で、宗主国国王におもねてキャピキャピ飛び跳ねている首相とそれをカワイイと推す若者。
 中国古典の前にこの本を寝そべりながらでも読まれよ! 面白い。

2026年2月20日金曜日

御一新のリアルから

    物事はリアルに理解する必要がある。
 先日来岩波新書の木村哲也著『宮本常一』を読んでいるが、そこに「ナルホド」と思った記述があった。
 宮本常一が、祖父や外祖父から聞いた御一新(明治維新)の聞き書きなのだが、何故反幕府軍が強かったのかという一側面のことだった。
 普通の歴史書なら世界が産業革命にまい進する中取り残された幕府軍の思考や兵器、もっと言えば貨幣経済の時代に乗り遅れた幕府政治や封建制度などなどいろんな切口があっても・・宮本常一の聞き書きでは、少し違って次のようなものだった。
 場所は宮本の故郷長州の周防大島で、幕長戦争の一つの戦場でもあった。
 その頃長州ではそうだったらしく、百姓であった祖父も、さらには祖母も刀や薙刀の稽古をしていたという。
 そういう百姓たちは、昨日まで威張っていた武士に並んで、否、武士以上の働きができる機会だと、嬉々として戦場に出たと記述している。ナルホド、封建制度の崩壊というのはそういう生き生きとしたものでもあったのか。
 唯物史観の理論もそういうリアルな目と合わさって時代を豊かに捉えることができるのだろうと思った次第。
 翻って現代史そのものだが、悪政は必ず矛盾を拡大する。正しい批判は必ず広範な市民の要求と合致するから反撃できる。そのためにも自覚的な人々が自力をつけることが早急の課題だと聞くが、間違ってはいないがリアルな分析ではない気がしてならない。
 野村克也氏の言葉ではないが「負けに不思議の負けなし」だ。
 どの指摘が正しいかどうかでなく、そういう議論をしようともしないリベラルには不満がある。

2026年2月15日日曜日

締切

    14日の朝日新聞の読書欄に「へ~」と目についた題名の本の書評があった。 曰く、難波優輝著『なぜ人は締め切りを守れないのか』(書評:望月京(みさと))
 書評を読む限り、これは「どうしたら締め切りを守れるのか」を教えてくれる本ではないようだ。
 人には様々な固有の事情があり、時間の流れ方も一様ではないにもかかわらず、万人に一律的に期限を強いる・・・と、「締め切り」への批判は多くの共感を呼ぶだろう。
 だがしかし、書評は一転して、「死があるから人生に意味が生まれるように」と大上段から太刀を振り下ろす。ああ。

 投稿依頼に「締め切りにならないと書けない」と答えてくれる人がいる。
 また、締め切りまで余裕があればあるほど原稿が集まらないという傾向も現実にある。
 なるほど「締め切り」なるものも奥が深い。
 ちなみに私は「じょがべん」(女学生の弁当)で、苦手なものは先に食べて、・・・あとは好きなようにゆっくりしたい派だから、作品の出来は良くない。
 現職の頃、学術論文のような立派な復命書を書く人がいたが、全体としての仕事ははかどらなかった。天は二物を与えてくれはしない。

2026年2月9日月曜日

徒然草を読め

    以前に、適菜収著『100冊の自己啓発書より徒然草を読め』のことに少し触れたことがあるが、 徒然草第59段は・・・
 🔳近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて逃れ去るぞかし、命は人を待つものかは🔳
 適菜氏は、我が身を助けようとすれば「しばらく待ってから」と言うだろうか。人生もそうである。(兼好は出家のことを指しているが)やるべきことはすぐにやれ!とコメントしている。
 
 会報などへの投稿を依頼すると、常に期日キチキチいっぱいまでこないことがあるが、そういうときに限って予想外の大論文だったりして、編集方針がガタガタと崩れることがあった。
 やるべきことはすぐにやれ!相手の身になって考えよ!との適菜氏の言葉が響く。

 選挙戦の終わりが見えたので、「次は会報の原稿を頼む」との依頼を発出したところ、すぐに川柳が一句返ってきた。のんのんばあば さん、ありがとう。

 さて第93段は・・・
 🔳人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるゆゑなり。・・・🔳
 「いろんな心配事が片づいたなら川柳の一句にも取り掛かろう」と思っていると、そんな時は決して来ない。
 確かに徒然草は的を射て厳しい。
 と言いながら川柳の一句もひねり出せない時間が続く。