日頃、「新聞を読んでるだけではあかん。本を読まなあかん」と言ってきた私だが、正月のしんぶん赤旗は、このブログの3日の記事に書いたように読みごたえがあった。さらに4日の新春対談は作家の高橋源一郎さんと文芸評論家の斎藤美奈子さんでこれも印象に残った。
先ず中見出しの「観客民主主義から当事者民主主義へ」がいい。ただ正直にいうと、これまでの民主運動を束ねて「動員の運動」だとか観客民主主義と規定するような昨今の風潮には当事者として異議もある。大阪で黒田革新府政が生まれた時代の運動には随所に創意工夫があったと思っている。また、それだけではない。
ただ、総体として見た場合、戦争法案以前に、動員待ち指示待ちで工夫のない経験主義が少なからずあったことは明らかだ。
そこで記事の中に入って元日号の中野晃一・志位対談の続きのようになるが、「学生たちの運動と巨大ネットワーク」という中見出しの中で高橋さんが、「SEALDsは、まずデモのプロモーションビデオを作るという、その発想にびっくりした」「デモのビラは受け取られにくいけど、プロモーションビデオは面白いって見てもらえる」と述べていたのには私も正直感心した。
そして、「SEALDsはインターネットのラインを使ってますよね。それぞれが、また別の人とラインでつながっているから、巨大なネットワークが、潜在的にできているんですよね」というくだりにも・・・。
こうして対談は、2015年の戦争法案反対の運動を、当事者民主主義の出発点だったと評価している。
まとめのところで高橋さんは、「民主主義の理想の形は、真ん中に障害者や認知症の老人、子どもなど、いわゆる社会的弱者をおいて、それを囲むように、みんなが平等で同じ権利を持っている、そんな状態ではないかと思います。弱い彼らがいるおかげで周りの力が引き出されて活性化する。多様性が実現している社会が一番強いんです」、「格差が広がってくると、他者を排斥する圧力が強まってくる」と述べ、斎藤さんは、「効率は悪くても多様性を確保しておく方がずっと合理性が高いんですよ。長い目で考えると、そういう社会の方がはるかに豊かでうまく回る」と応え、「私は『ついでに作戦』と呼んでるんですけど、用事のついでに『ところで安倍政権は困ったもんだ』と書いたりするわけ、メールに。茶飲み話のついでにポロッと言うとか。相手も同じ思いかもしれない。そうやって広げていく」と語っていた。
いろんな形の当事者民主主義! それっていいんじゃないでしょうか。
元日の志位さんも、「戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います」と述べていた。
民主的な陣営の人々が、この二つの新春対談を自分のものにしたなら社会は変わるように私は感じた。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
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