司馬遼太郎の本の中に明治11年生れの菅楯彦画伯の懐旧談があって、明治の大阪の講釈場のことが載っていた。
米朝の落語の枕などでも話されていたが、当時の講談は読み切るまでに延々半年から1年かけていた。
そうなると途中でだれて客足が遠のく。すると、それが太平記なら「今日より正成出づ」と貼り紙が出る・・という話。
菅画伯の懐旧談は、『三国志などでも同じでごわりましてな、・・・・「今日より孔明出づ」という貼り紙が出ます。すると、遠のいていた客がまた押しかけるというぐあいでごわりましてな』という直接話法で書かれていて、この「ごわりましてな」という大阪弁に私は嬉しくなった。
この「ゴワス」という大阪弁は私の明治生れの実父や同世代の親戚の伯父さんたちは使っていたが今では死語だろうか聞くことがなくなったように思う。
だから、映画、テレビ、芝居などではなく普通の会話としてそれを聞いた世代としては私などが最後の世代かもしれない。
ひらパーの園長は「オマ」と叫べと言うが、「オマ、オマス」よりも古くは「ゴワ、ゴワス」であったことを記録しておくことも何かの意味があるだろう。
せっかくだから牧村史陽編「大阪ことば事典」から「ゴワス」の一部を引用すると、「このゴワスを文字に書くと、鹿児島のゴワスと同じなので、大阪にこんな言葉があるのかと疑う人があるが、それとはアクセントも違い、語調も全く違うもので、さいでごわす・よろしごわすなどと、軽く発音する。大阪弁ではオマスがその代表的な言葉のようにいわれているが、もとは船場あたりではオマスは使わず、すべて、ゴワス、ていねいに言って、ゴザリマスであった」(なお、否定はゴワヘン例そんなことごわへん)。
文字の上ではあるが懐かしい大阪弁に出会って、久しぶりの法事の席のようになんとなく嬉しかった。
もちろん菅画伯も、実父や伯父たちもそして司馬遼太郎も米朝も、古い大阪弁とともに彼方に行ってしまっている。
仁鶴さんの落語の中にはよく出てきますな。「ごわす」は男言葉だと思っていました、祖母なんかは「さいでおましたかいな」で「さいでごわす」は使ってなかったと思いますが、でも仰るように軽く発音すると女言葉にもあるように思えますな。
返信削除ついでに思い出しましたが父親は、自分の父親のことを「てて親」と云っていました。昔仕事の関係でお付き合いのあった労災指定病院の院長が「てて親が厳しい人で」と話しておられるのを聞いて俄かに親しみを感じた事がありました。話し言葉というのはイイものですね。最近、本屋で「大和ことば」の本を買おうか迷っています。
「てて親」は義母は今も普通に使います。パラパラパラと大野晋先生の本を3冊ほどめくってみましたがドンピシャのところを探すことはできませんでした。一般論ですが古代男子の尊称「ち」が「ちち」になり母音交替で「てて」や「とと(例とと様)」になったようですね。
返信削除父親、母親が御健在の人は、できるだけ生きた言葉としての古い言葉を教えてもらっておくべきでしょう。亡くなってからはどれだけ努力しても「知識」以上の感覚を覚えることができません。