2015年12月31日木曜日

現代の反知性主義

  平成27年という年を去るにあたって、やはりこのことをもう一度振り返っておかないと気持ちが落ち着かない。
 タイトルに掲げた、私が語りたい反知性主義とは、単に知性が不足しているというようなものではなく、反対に、勝ち組の権力者がまるで正反対の立場であるかのように主張して庶民を扇動し誘導するイデオロギーである。
 語源的にはリチャード・ホーフスタッターの著した「アメリカの反知性主義」にあるようで、そこでは貴族的特権層を代弁する「知性主義」に対するある種の進歩的主張でもあったようであるが、私は知らない。
 なので、平成27年に大阪で顕著に表れた現代日本の反知性主義について思うところを書く。

 それは、複雑で多面的な社会の出来事を知性的に語ろうとする者を問答無用で「既得権益者」だと祭り上げ、そういう知性的な言葉は庶民生活を知らないエリートの言葉だと非難し、反対に単純で感情的な言葉こそが改革の武器になるという主張というよりもそういう行動形態である。
 主張というよりも行動形態だというのは、そんな雑駁な主張は落ち着いて考えればおかしなことはすぐに解るものであるが、そういうワンフレーズを気後れすることもなく自信ありげに繰り返して断言する。そうすると、粗雑な論理を開陳するには気後れをしてしまう普通の市民には、あれほど堂々と主張するからには私には判らないことだがきっと正しいことなのだろうと思わせる。
 
 もっと解りやすく言えば、東京=知性主義=勝ち組であり、大阪はその被害者でわりを食ってきた。物を作ったり売ったりするのは大阪が先行してきたのにいい思いをしているのは東大法学部出身の官僚に代表される東京だ。現場・現実を知っているのは知性あるエリートではなく、市井で額に汗してきた者であり、その意味で大阪人は不当に不利益を被ってきたのであり本来はもっと尊敬されてしかるべきなのだという主張で、大阪という地でこういうルサンチマン(怨念)を煽ることは絶大な効果を発揮した。
 なお、反知性主義の扇動者は常に反東京を前面に立てたわけではない。前面に立てたのは東京似の市役所職員、自治体の公務員であり、あるいは福祉政策を受けてきた弱者である。
 それ(反公務員の主張)が庶民の感情を掴んだのには大阪の歴史もある。真実は、そう主張する彼らの前身は歪んだ同和行政と府・市政を推進してきた者が少なくないのだが、そこには一切頬かむりをして、見かけは府や市の役人の所業に見せている。
 
 早い話が反知性主義は詐欺師の常套手段であり、デマゴーグの必須アイテムだったのだが、歴史的にはナチスを始めとして国の内外で独裁政治を現実にすすめた強力な武器である。
 付言すれば、現代日本の反知性主義はマスコミの利用にも巧みであり、スポンサーと視聴率に縛り上げられているマスコミ自身がある種の反知性主義の露払いをしていることは日々のテレビが教えている。
 
 平成27年の晩秋に大阪ではこの反知性主義が「勝利」したのである。
 そういうかつてない局面を迎えたという分析がなければ、これを克服するのにも困難が続くだろう。
 私はこういう対決はさらに続くとみる。だとすれば共産党が真面目な地場の自民党や保守層と連携する局面、連携すべき局面は必ず広がるし広げなければならないと考える。地場の自民党がどのように総括するかに関わらず。

 それを、「今回は主張をし辛かった」とか、「知人に説明しにくかった」というようなことで平成27年の経験を結果だけから見て否定的に捉えるのは良くないと思う。
 そういう複雑な制約の中でも、論争の対決点をはっきりさせ、堂々と主張することに長ける必要もあろう。
 生まれも育ちも違うグループとの礼儀正しい付き合いにも長ける必要がある。内弁慶ではいけない。

 かてて加えて、もう繰り返さないが反知性主義の彼らの主張は巧みで広範であるから、それに対するなら、民主主義を標榜する人士がSNSも活用しないでどうすると私は思う。
 「正しいことを主張し論破すれば世の中が変わる」というほど世間は単純ではない。
 正しい主張を、的確な時期にふさわしい速度で、共感を得られる言葉と態度で広めることが重要なことに異論はないだろう。
 と考えれば、平成27年の大阪でいえば、大マスコミがついていたとしても相手は実質一人だった。
 それに対して民主主義の運動の側には、長い職業生活や諸運動の経験と知識を持ち、酸いも甘いも嚙み分けたリーダーがいっぱいいるのだ。それがSNSの世界ではほとんど見えてこなかった。ネットの好き嫌いや得手不得手を論じるときではなかろう。SEALDsの運動はSNSなくしては語り得ない。自分の職場や自分の地域しか目がいかないのは職場でいえば指示待ち人間、マニュアル人間と同じだと思う。
 新しい年に、民主主義の運動の側が一大SNS講習会をすればいい。
 そして、各分野のリーダーたちが人間味あふれる言葉で発信をしはじめたら、平成27年1年間の政治状況が大きく変化したように、平成28年はさらに劇的に時代を手繰り寄せられるものと信じている。そんな夢を私は見ている。
 ブログを読んでいただいた皆さん、どうかよいお年を!

 (参考:内田樹編「日本の反知性主義」晶文社)

3 件のコメント:

  1.  記事で私はナチスの必須アイテムだったと書いたが、近いところではイタリアのベルルスコーニ、フランスのル・ペン、アメリカのトランプをあげることができる。日本国内でも、東京の石原、名古屋の河村、そして首相の小泉、そして安倍、そしてそして極め付きが橋下だったと思っている。だからW選挙の結果を大阪に咲いたあだ花、大阪の特殊事情と馬鹿にしてはならないと考えている。

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  2. この1年、本当に多くのことを学ばさせていただきました。内外、公私ともにお互い大変な年だったと思いますが来年もよろしくお願いします。

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  3.  ひげ親父さん、来年はもっと自説を述べあって議論を深めたいものですね。
     メールやネットも活用して議論を広めましょう。
     本年は色々とご苦労様でした。御礼申し上げます。

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