その折り返し点はやはり冬至だろうが、厳密には冬至の日が一番日の出が遅く日の入りが早いわけではない。それぞれ前後に約10日から半月ほどのずれがある。
冬至から十日ほど過ぎると元日だが、来年の元日の大阪の日の入りの時刻は16時58分で、明後日の冬至の16時52分と比べると6分しか日が伸びていないが、最も日の入りが早かった12月5日6日頃の16時47分からすると11分伸びている。
このあたりが、寒風の向こうに春を感じる所以だろう。
「冬至十日はあほでもわかる」は大阪や奈良周辺の高齢者なら誰でも知っている諺だ。
先日、老人ホームで妻が入居者と日の暮れるのが早くなったと話していたら、近畿出身の入居者は口々に「冬至十日はあほでもわかる」と言い出した。(まだ冬至前だったが・・・・)
ところが、農家の出で、それ故に日暮れに直結するこの種の諺が身近にあり、事実、毎年の様にこの時期には「冬至十日はあほでもわかる」と言っていた義母が、「そうやったかいな」と呟いた。
最近の記憶は忘れるが、こういう小さい頃からの記憶は覚えているものだと言われたりするのだが、それさえも遠い過去に飛んでいきつつあるのだろうか・・・・・・・。
さて、10日ほど前から近所の大型スーパーに国産の南瓜が全く出ておらず中南米産ばかりだった。
妻が「なんで国産のがないの」と店員に聞いたら「日本では旬が過ぎたから」という的外れな答えが返ってきたので「輸入品のない時代から冬至には南瓜を食べてたんやで」と言い返したそうだ。
ということを「あほかいな」とあきれて笑いながら教えてくれた。
まさかハロウィンで枯渇したわけでもなかろうし、冬至前に出そうとストックしていたのだろう。
あるいは、利益率の高い輸入品を売らんがために国産品をわざと抑えたか???
事実、この週末から国産が出始めた。我々は何から何まで管理されているようだ。
ほんとうに、いらぬお世話である。
「気候上はまだまだ冬だ」という気分は「冬至冬中冬始め」という諺がぴったりだが、「それでも春が近い」という気分が「冬至十日は・・」にはある。
返信削除そういう気分を反映して「一陽来復」ともいうが、その名を持つ先輩が今年の夏に亡くなられた。「貴方は私の青春そのもの」という感慨に浸っている。
いたらぬ後輩をいつもかばってくれました。上京する新幹線の中で運動の話と共に、昔の艶ばなしもいろいろ聞かせてくれました。もう一度会って話したかったな~。
返信削除ひげ親父さん、コメントありがとうございます。
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