2016年1月2日土曜日

めでたくもなし

  旧冬某日、義母が誕生日に施設からプレゼントをもらったのに機嫌が悪かった。
 妻が解説するには、誕生日で‟歳をとった”という事実を突き付けられたことによる老いの恐怖からくるものだと言う。

 そういえば、私が元日に歳時記をめくってみたら、去年今年あつといふまに吾れ老いし 草間時彦 というのが最初に目についたのも同じ心の波長かも。
 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし は一休宗純の狂歌と言われて広く知られているが、まさに真理だろう。

 で、その俳句と狂歌だが、その大前提は数え年である。生まれた時(年)が1歳でお正月ごとに歳をとる
 友人たちと飲んでいた折に「数え年の正しい数え方は?」という話になったほど近頃では影が薄いが、閏月があったりした昔では満年齢の方が出る幕もなかったに違いない。
 と考えてみて・・・・・そこで、腰を抜かさんばかりに私は驚いた。下世話な表現を使えば びっくりぽんや!
 つまり、まだまだ先のことだと考えてきたが、正しい数え年で数えると、私は元日に古稀を向かえていたのである。
 あの杜甫が「曲江」と題する七言律詩で歌った「人生七十古来稀なり」・・・・である。
    酒債尋常 行処に有り
    人生七十 古来稀なり
    酒代の借金は当たり前のこと 行く先々についてまわる
    どうせ人間 昔から七十まではめったに生きられるものでない・・・・といささかやけっぱちであるが、後に続く句は詩的に結んでいる。鑑賞は別途各自でお願いする。

 だとすると、私はいわゆる「早生まれ」「得生まれ」だから前年の4月から12月生まれの同窓生たちは昨年古稀だったことになるが、誰もそんなことを話題にしたことがなかった。
 それどころか、大晦日にわざわざ「来年は古稀です」とアップしていた友人もいた。同窓のちょっと先輩!貴方、数えでは71ですよ!
 先の酒席でも、ほとんどの人が「数え年の数え方」に自信がなかったのだからこれもあたりまえか。

 お偉い方々には、年金開始年齢の引き上げなんかを議論するのでなく、長寿の祝いの引き上げを検討してもらいたい。少なくとも古稀の祝いは不要なように思う。
 実際、長寿の祝いって「めでたくもあり めでたくもなし」で、本人には誠に微妙である。 

3 件のコメント:

  1.  なお、還暦は干支(十干・十二支)が60年で生まれた年の干支に戻るため「数え年の61歳」をいうが、これが一般に「満60歳」という言い方で定着したため、古稀以降の長寿の祝いも満年齢という誤解が広がったものと思われる。このブログを読んだ妻からの質問に答えて追記する。

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  2.  明けましておめでとう御座います。今年も長谷やんのブログ楽しく愛読させていただきます。長谷やんの想像力と発想力、馬力と行動力と継続力には本当に感心させられてます。一杯やりながら初コメントさせていただきました。今年も健康で頑張って下さい!!

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  3.  バラやん、おめでとうございます。今年も気力と医学で健康に暮らしてください。ブログの継続力はコメントから戴いています。今年もどうかよろしくお願いします。折々の土佐の話は私のブログを豊かにしてくれています。

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