2016年11月23日水曜日

詩人には驚かされる

   全く偶然に、たまたま点けたテレビで永六輔の歌を特集していて、さだまさしによる「生きるものの歌」というのが流れてきた。
 六八コンビの歌らしいが全く知らない歌だった。
 メロディーは記憶に残らなかったが、その詩には驚いた。
 その歌詞というのが・・・こうだった。


 あなたがこの世に生れ あなたがこの世を去る
 わたしがこの世に生れ わたしがこの世を去る
 その時愛はあるか その時夢はあるか
 そこに幸せな別れがあるだろうか あるだろうか

  セリフ
  たとえ世界が平和に満ちていても
  悲しみは襲ってくる
  殺されなくても人は死に
  誰もが いつかは別れてゆく
  世界が平和でも悲しい夜はやってくる
  誰もが耐えて生きてゆき
  思い出と友達とそして歌が
  あなたを支えてゆくでしょう

 その時未来はある その時涙がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある

 六輔さんはお坊さんらしいから、これは全くお経であり哲学書だと私は思った。
 そして、蓮如さんの(白骨の)御文(御文章)よりも私には素直に受け止められた。
 この世を去った人は、思い出してくれる人の記憶の中で生きていく。
 それ以外のことを私は知らない。
  
     悲しみの事実を見据えて生を説く詩人は逝けり
     真理とは悲しきものと六の歌詞(うた) 

 永六輔さんの「明日咲くつぼみに」は2012年10月30日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html

2016年11月22日火曜日

な~んな~ん南海電車

南海特急ラピート
   先月のことだが南海電鉄の車掌が「本日は多数の外国のお客様が乗車されており、大変混雑しておりますので、日本人のお客様にはご不便をおかけしております」と車内放送した。
 「外国人が多くて邪魔」と大声で叫ぶ日本人客の声を聞き、トラブルを避けるために放送したと説明した。
 このニュースに私は日本人として恥ずかしい気持ちになった。
 
 今月には毎日放送テレビの「憤懣本舗」が、「南海の通勤客に憤懣の声がある」として、「大きなスーツケースを股の間に置くため横に人が座ることができない」「シートの上に荷物が置かれ、紙くずに車内電話まで」「そこに杖をついた女性が、だが誰も席を譲らない」等と報じた。
 キャスターはいくらか冷静だったが、お笑い芸人のコメンテーター?が「ミナミあたりの外国人は声がうるさい」などと発言するものだから、これも後味の悪いニュースに終わった。

 そして先日、私は朝の南海電車の「関空急行」に難波から乗車した。
 これまでだと通勤客を吐き出した朝の難波発の電車はガラガラだったのだが、関空から帰国するための乗客で結構混んでいた。その荷物は土産物も加えて相当なものだった。
 なので、これが朝の難波行通勤電車だと、一触即発とまでは言わないが相当ストレスが溜まることだろうと想像できた。
 ニュースの火種は理解できた。

 ではあるが、やっぱり怒る先が違う、解決方法の先が違うと私は考える。
 南海はせめて通勤時間帯には、関空から新今宮あたりまでノンストップの急行を(つまり特急料金不要で)走らせて通勤客と分離すればよい。
 座席の周囲に広い荷物置き場を作ればよい。関空利用者の大きな荷物は外国人に限らない。
 ヨーロッパの先進的な観光地にもっと学ぶべきだろう。

 さらに言えば、「電車の中で大声を出してうるさい」とは、首都圏で大阪人が言われている言葉である。
 〇〇ツアーや〇〇パックという観光客のマナーが国際的に顰蹙を買ったのは少し前の日本人のことである。
 いや、日本人とひとくくりにしてよいものか、長野県人から登山者のザックが邪魔だとは聞いたことがない。
 国内にも観光地は外にも多い。

 在阪テレビ局のいわゆる情報番組のコメンテーターには大きな勘違いがないか。
 強きになびいてより弱い者を口撃するのを「本音で語っている」などと美化していないか。
 維新の府市政と合わさって、ますます大阪が三流の「大きな田舎者」にならないように願うばかりである。

 私は長い間南海沿線住人だった。〽 な~んな~ん南海電車 南の海を走ってく のCMソングは今でも耳に残っている。

    底冷えやニュースは都市格どおりなり

 おまけで、 おもてなしの国の電車は狭軌なり  (これは川柳のつもり。南海電車は広軌でなく狭軌である。心の狭さと掛けたつもり)

2016年11月21日月曜日

こんな紅葉も

   フェースブックなどを見ていると立派な紅葉のスナップが目白押しだ。
 なので、同じようにただ美しいだけの紅葉では味がない。
 そう思いながら所用の合間の小一時間、奈良公園を散歩した。

 すると、ご多分に漏れず奈良公園もそういう被写体を探す方々で溢れていた。
 一昨日は「奈良公園のナンキンハゼ」を書いたが、奈良公園の名誉のために追記しておけば、奈良公園は正当なモミジの紅葉も素晴らしい。

 そして、「彼の地」では近頃の流行りらしく、プロのカメラマン等を使って奈良公園で結婚記念の写真をとるカップルも少なくない。
 それにしても、モミジのトンネルの下の小川に入って、ウエディングドレスの裾を水に濡らしてまでの演出には脱帽するしかない。
 「レンタル料に加算されないだろうか」などというケチ臭い心配はいらぬお世話だろう。

 そこで元に戻って、写真のとおりちょっと変わった紅葉を見つけた。
 カシ?の木の股に着生したモミジの紅葉は如何だろう。
 スマホで撮ったのでイマイチかもしれないが、ちょっと健気な気がした。

     宿り木の紅葉は知らずカメラマン

 迷カメラマンは「シカのバトル」を撮影した。
   角切が終わった後の雄鹿だが、ガツン、ガツンと迫力満点。頭から出血したり、挙句は禿げることもある。
 雄鹿だけでなく女鹿も小さい子どもを突いたり押し倒したりすることがあるから注意が必要。
 といって、怖がってもらっては困る。
 小さい子どもには大人が付いていてほしい。
 基本的には奈良公園の鹿は可愛い。
 20日の赤旗の「すなっぷ」に掲載された。
 

2016年11月20日日曜日

木守柿

   「木守(きまもり)」を広辞苑で引くと、「来年もよく実るようにいうまじないで木に取り残しておく果実」とある。
 今回、そのことを知って大いに驚いた。そうとは知らなかった。

 大和の先輩には、「柿の実は三つぐらいは残さなあかん。ひとつ二つは旅人のために、ひとつはカラスのために」と教えられた。
 十何年も前のことだが「大和では真顔でそう言い伝えられているのだ」と驚いたことを今も鮮明に覚えていて、その後はそれを守っている。それが私の木守柿の理解だった。
 で、やっぱり、「来年の豊作のまじない」説よりも大和の言い伝えの方が私は好きだ。

 そこで、カラスのために残したわが家の木守柿(こもりがき)だが、わが家ではヒヨドリが横取りしている。
 写真のは、ヒヨドリに突かれて中を大きく食われたので少し艶が落ちている。
 まあそれも風情だと思って大事に残している。
 柿も零余子(むかご)もあらかた収穫した。
 プチトマトと万願寺唐辛子は「どこが夏野菜か」というほどまだまだ成っているが、季節は確実に冬に移っている。
 冬と言えば、餅つき大会の打ち合わせ自体が季節の行事だろう。

     餅つきの打ち合わせ空に木守柿(こもりがき)

ひげ親父さんの絵
   ブログ友達のひげ親父さんが贈った柿を絵にしてくれたので掲載する。ありがとう。

2016年11月19日土曜日

自然保護は難しい

刻印から清澄窯(きよすみがま)杉原はるみさんの作品と思う
   先日「自然保護」に関する鼎談で、東大寺の上司永照教学執事が「ナンキンハゼは外来種だからと言って伐採つまり殺していいのか。鹿が増えすぎていると言って減少させていいのか。仏の教えの上からは悩ましい」と発言されたのが頭の奥に残っている。
 
 東大寺は、以前に大仏殿の北東で貴重な遺跡発掘調査をしたときに、その工事の濁水で一定の場所の源氏蛍を滅ぼしたという苦い経験もあるとのことだった。

浮雲園地
   自然保護というのは各論になるとほんとうに難しい。
 自然保護の鏡のような春日山原始林も、適切な駆除をしないと遠くなくナンキンハゼ等の外来種に取って代わられるとも言われている。
 そのナンキンハゼだが、東大寺境内に隣接する県所轄の浮雲園地(大仏殿前交差点の東北)や春日野園地には県等によって植栽されたナンキンハゼが大木になって紅葉している。
 奈良公園のメーンストリートである登大路も同様で、県庁前も大木となっている。

 奈良公園の鹿も昭和20年には79頭だったものが自然保護のおかげで平成28年には1,455頭まで増えたのだが、そのため近親交配の弊害が増えているらしい。

 私の庭を見ても外来の樹木や花や野菜が少なくない。
 ナンキンハゼも自然に生えてきたのを西日除けのために大きくした。

 冗談ではなしに、人間だけは「多様性」の名の下に移住し、あるいは国際結婚・ハーフなどどちらかというともてはやされている。
 そういう時代に、動物や植物だけは「固有種を守れ」「外来種は駆除しろ」と言っている。
 そういう矛盾したような気分のまま、やっぱり私はこの土地に古くからいた在来種が生き残れるような自然保護活動に賛同する。
 そのためには、一定の駆除・殺処分も仕方がないと思っている。(読者には異論もあるに違いない)

 さて、自然環境の破壊で一番先に犠牲になるグループに蛙がいる。
 私がこの1年間追っかけたモリアオガエルも、昔は飛火野の池にもいたし春日大社参道白藤瀧茶屋の池にもいた。
 確実に減っているなという実感がある。

 なので、わが庭の外来種等の贖罪と自然保護支援の気分を込めて、我が家の玄関に写真の蛙の表札を掲げることにした。
 ポストマンが「ここは環境にやさしい家ということだな」と思うか、「ここの住人はこんな感じにだらけているようだ」と思うかは解らない。

    糞虫(ふんむし)を語る僧あり冬浅し

 余禄  自然破壊の最たるものに反対せずして何の環境保護か。テレビの「クールジャパン」で「日本のキノコ」を特集していたが、ウクライナのオルガさんが「ウクライナではキノコ狩りは禁止されています」にはびっくり。理由がチェルノブイリだというので悲しく納得。で「日本では除染されたので大丈夫」って大丈夫?

2016年11月17日木曜日

中世と出会った水間寺

   OB会の遠足で泉州・貝塚の水間寺に行き、思いもよらなかった「生きている中世」に出会って感激した。

 さて、テレビの「新日本風土記」などでとりあげられるテーマの一つに「宮座」がある。
 田舎の古社の運営を専門の神職ではなく氏子つまりは村人が力を合わせ当番などによって運営する、その組織のことである。その由来は古代末期まで遡ると言われたりしているが、役職の名称などから中世の匂いが濃いように私は思っている。
 これの寺院版、つまり「寺座」(座中)が水間寺に残っていた。

 立教大学蔵持教授(中世史)によると、寺座は鎌倉期等はそれが普通だったものが徳川幕府の宗教政策で壊滅したのだが、それが水間寺だけに残ったという。強固な観音信仰、人的・財政的基盤がしっかりしていた全く特異なケースだという。
 現在は、137軒?の家の子ども(男子?)が16歳?で座入りし、56歳?以上になると分担してお寺に勤める。12人衆という年寄役?が執行部?になる。(立ち話のように聞いたので不正確かもしれない)

 水間寺では、そういう地元の人々が僧として祈祷などもし、お寺を実際に営んでいるのである。
 この話を我がOB会会員でもあるガイドのTさんから伺った後、該当の寺僧に私が話しかけていたところ、その僧がTさんに「Tさん?」とおっしゃて、実はTさんの同級生であることがわかった。
 さらには、誰も、彼も、Tさんの同級生がたくさん寺僧になっていた。
 私としてはこんな歴史学・民俗学・宗教学上の「生きた化石」のような貴重な制度を肌で知って感激この上なかった。

 ここからは余談になるが、戦後の時期、こういうものが水間寺にあったことは今東光や司馬遼太郎の本で私は知っていたが、現在なお残っていたとは思ってもいなかった。
 知っていたのは今東光和尚による。いわば独立独歩の水間寺に天台宗本山側が「座中征伐」に送り込んだのが今東光だった。
 座中の寺僧は、今東光に言わせると「水間谷に巣くう白蟻みたいな奴」「ケチ臭い悪党ども」で、最後には地元派と今東光派の暴力事件まで起こった。
 その折、今東光は「悪名」で有名な八尾の朝吉親分を呼んで実力行使を計画したが、そのとき朝吉親分は「向こうが7人として、倍の14人はいりまっしゃろな」「相手は和泉だっせ」と言ったと司馬遼太郎の本にあった気がする。

 その話のメーンテーマは河内と和泉の人間はどちらがガラが悪いかというもので、答は格段に和泉だという結論の参考文章となっている。
 毎年のだんじり祭り等での救急車の出動回数からもおおむね妥当な評価であろう。

 そんな事件もあったが、どっこい水間寺の座中は生き残り、かつ寺は繁栄している。
 寺の繁栄については、西鶴の「日本永代蔵」(利生の銭〈初午は乗って来るし合〉)を参照されたい。年利100%の高利貸しとしても才覚があったようだ。


 17日夕 追記

       寺座の残る水間寺にて
       冬ぬくし村のならいと寺僧かな

2016年11月15日火曜日

音楽療法はすばらしい

60名を超える行事だった
   老人ホーム家族会の秋の行事は「想い出のコンサート」だった。
 今年の行事は入居者の体力のことを考えて1時間にと短くしたが、1時間では惜しいぐらいに盛り上がったと役員や施設のスタッフ皆が言ってくれた。
 義母もボンゴを叩いたりして日常よりも格段のご満悦だった。

 コンサートというよりも「みんなで歌おう会」で、その内容はほとんど音楽療法士に丸投げだったが、「さすが」と思わせる進行だった。
 家族会のメンバーもてきぱきと楽器を配るなど、すべてが気分よく運営された。

 職場のOB会の行事よりもみんなが文句なしに協力しようという雰囲気に満ち満ちているのはなんでだろうと少し考えた。(これはOB会の方の反省として)

 司会の言葉にいちいち返事をする人、プロジェクターが歌詞を映すと途端に歌い出す人、もちろん眠る人・・・・、みんなみんな、それぞれが楽しい1時間のようだった。
 今日は行事の主催者だったが、10年後には会場の主人公になっているかもしれない。
 なので音楽療法士の方々に、その折の「想い出のコンサート」では、プレスリー、ニール・セダカ、ポール・アンカを選曲してねとお願いしておいた。

    小春日やボンゴ叩いて母歌う

2016年11月13日日曜日

これも錦秋



 
 絶好の行楽日和だというのに毎日所要があって何処にも出かけていない。
 なので、短い合間に家の近所で写真を撮った。
 初ツグミも見たがその撮影には失敗した。
 写真のとおり、少し妖しげな錦秋を見つけた。
 この雑木もみじの向こうには神隠しの国の入口があるかのように思えた。
 地上ではコオロギの声が弱々しかった。

     地虫鳴く先は異世界笠もみじ

2016年11月12日土曜日

焼き芋焼いた

   孫の夏ちゃん5歳が芋ほりをしてきたので「焼き芋を作ってほしい」とやってきた。
 お父さんとシルバーウィークにキャンプに行ったがなかなか薪に火が熾せなかったと夏ちゃんが報告した。
 よしよし、ならば隔世伝授しなければならない。

 BBQコンロを低く置いて、新聞紙半分と細く割った木切れをセットした。
 そして夏ちゃんにマッチで火を付けさせた。マッチは初めてだったようだ。
 一発で火がついて徐々に太い木を入れさせた。
 あまりに直ぐに完璧に焚火になったので夏ちゃんは火吹き竹を持って鼻高々になった。

 お芋は洗って新聞紙に包んで水で濡らしてアルミホイルで包ませた。
 これも大喜びでアルミホイル係をこなした。
 コンロ上の焚火に炭も入れ、その焚火の上にお芋入りのダッチオーブンを乗せ、途中からは蓋の上でも焚火をした。
 1時間ほどでいい香りが染み出してきて素晴らしい焼き芋が完成した。

 焚火の中の炭を取り出して、「かんてきテーブル」で焼きそばパーティーもした。
 粉末ソースを控えてケチャップをたっぷり使った「ナポリタン風焼きそば」には夏ちゃんも満足だった。
 孫の凜ちゃんがもう少し大きくなってこんな食事ができるまで此方が元気でいなければと、自分に気合を入れた。
 ホームの義母に「曾孫が焼き芋を上手に焼いたよ」と話すと、「埋めますねん」と言って芋を埋めるジェスチャーをした。
 義母の焼き芋というと、へっついさんの灰の中にそのまま埋めるものだった。
 熱々の皮をむいて美味しそうに食べる仕草をしてニコニコ笑った。

     焚火芋私が焼いたと五歳の児

 【人類が調理に火を使い始めたことで、社会的な結びつきが生まれやすくなったと英国の歴史学者が書いている。同じ時間にたき火を囲んで集団で食事をするので、そこが親交の場になったという(フェルナンデスアルメスト著「食べる人類誌」)11月11日付け朝日新聞「天声人語」】

2016年11月11日金曜日

火焚きは死語

   北風のニュースにはジョウビタキがよく似合う。
 普通には「尉鶲」ではあるが「尉・火焚き」が名前の由来で、♂の成鳥は頭が白いから、つまり白髪だから「尉」。・・なので写真は白髪ではないので♀だと思う。

 「ヒーヒーヒー」の後に「カチカチカチ」と鳴く声が火打石で火を点ける音に似ているから「火焚き」というのだが、銭形平次的なテレビの時代劇もなくなった今では、火打石などと誰が連想するだろう。
 平次親分がいざ出かける時には奥さんが必ず「切り火」を打っていたものだったが。

 この鳥、けっこう早起きで、毎朝、仄暗い曙から窓の外で鳴き始める。
 〽 もう起きちゃいかがと郭公が鳴く というよりも、その忙しなく甲高いヒーヒーヒー カチカチカチこそ「もう起きなさい」というサザエさん的な迫力がある。
 布団の中でその声を聞くと「もうすぐ日の出だ」と時刻がわかる。

 鳥の渡りに一々驚いていられないが、それにしてもこの小さな鳥が数か月前にはバイカル湖畔のダーチャ(郊外の菜園付きセカンドハウス)でバカンスを楽しんでいたかと思うと、ちょっと感慨深い。
 セカンドハウス(ダーチャ)を楽しむ一般的ロシア人をテレビで見て「貧しくてかわいそうだ」と言うウサギ小屋の「小金持ち」を、このジョウビタキはどのように空の上で感じていただろう。
 豊かな人生ってなんだろう。
 先輩のスノウさんは「テレビを観ないことだ」と喝破されている。
 今さら万博だ!って叫ぶのも大きな勘違いだと思うのだが。
 この国の政治を高みから俯瞰することが大事な気がする。

       尉鶲(じょうびたき)その説法は鳥瞰図

2016年11月10日木曜日

トランプショック

 テレビでは「予想外だった」「先が見えない」と記者やコメンテーターや「専門家」が顔面蒼白だ。
 予想できなかった日本のマスコミジャーナリズムの正体見たりと言ったところだ。

 後出しじゃんけんではないが私はそれほど驚いていない。
 7月25日には「トランプとクリントンひとつの視点」という記事を書いていたから・・・
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/07/blog-post_25.html
 トランプを支持はしていなかったが当選の可能性を感じていた。
 その底流には1%の支配に対する異議申し立てがあることを堤未果氏に教えていただいていた。

 日本政府の宗主国アメリカの現実は日本のマスコミを見ていては解らない。
 堤未果氏の一連のレポート(著作)は現代人必見の本だろう。

 この頃流行らない言葉の一つに日和見主義という言葉がある。
 フランスやオーストリアでの極右の台頭やトランプ旋風の危険を指摘すると、「そんな主張が大きくなるはずがない」「そんな心配は社会の進歩を信じられない日和見主義だ」と議論を封じてしまうことがなかったか。
 国内では富山市議補選で維新の候補も当選した。
 「維新は関西以外では通じない」ということでもなくなった。
 社会はジグザグに「進歩」する。
 「現代の反知性主義」を大いに議論する必要があるように思う。

2016年11月9日水曜日

なるほど

   「目から鱗」という言葉があるが、高橋千鶴子議員のツイッターで「なるほど」と思ったことがある。
 そのまま引用すると、『厚労部会と全日本年金者組合が、年金カット法案について、要請と法案レクをやりました。年金総務課長が対応。高齢者の年金減らすと、現役世代が支えなきゃならない。現役世代のため、というのは違うぞ!という発言に、なるほど。その逆もある。おばあちゃんの年金に頼ってる孫もいるし』というものだった。

 「為政者は庶民どおしを分断して統治する」というのは中学教科書レベルの常識だが、実際に、「人数の多い老人の厚遇で現役世代が損をしている」という主張はマスコミで繰り返され、それ故そのように思いこまされている現役世代も多い。
 だから、軍事費や大企業優遇の膨大な予算の無駄遣いをスルーして、「老人など既得権益者を許すな」的な維新の主張が相当程度受け入れらている。
 しかし高橋議員のツイッターは「ちょっと違うぞ!」といい、私は個人的に全くそのとおりだと「目から鱗」の感を強くした。

 というのも、私の父は高度成長が始まる前・・いわゆる「戦後」に他界したが、戦時中は大いに国策に協力し、貴金属をはじめ金属は供出し、預金は戦時国債に換え、最後は空襲で焼け出された。
 その記憶から、預金だとか保険などというものを一切信用せず、他界したときには保険・年金その他一切がゼロだった。
 その反省から、残された母は滑り込みの国民年金に加入したが、それは当然、最低レベルでしかなかった。それでも母は感謝していた。

 だから、働き始めてからの私は、ずーっと母を金銭的に支えてきた。
 当時はそれがほとんどの家庭で当たり前のことだったと思う。
 そこで私の子どもたちだが・・・・、おかげさまで私たち夫婦は子どもたちからの金銭的支援を受けずに今は暮らしている。
 つまり私が担ってきた金銭的負担は今の子どもたちにはない。
 だから、そのツイッターに大いに共鳴したわけである。

 個人の実感を世間の全てというつもりはないが、同じような経験は広くあるだろう。
 話を膨らませすぎるといけないが、非正規雇用の現役世代を親や祖父母の年金が支えている場合もあるのはツイッターのとおり。
 「年金は高ければ高いほど良い」というほど単純には考えないが、税金を応能負担にする、大企業優遇の税制を止めさせる、軍事費や利権に絡む無駄遣いを止めさせる、そうすれば現役世代の賃金も上がり年金も福祉も充実させられる。
 そして、その購買力は景気を回復させるだろう。
 世代間のバトルだ的な宣伝に惑わされずに、勤労市民が連帯・団結する以外に未来は開けない。

         木枯らしや嘘つくひとの多かりき

2016年11月8日火曜日

Fawn


 ディズニー映画の『バンビ』は1951年(昭和26年)に日本で公開された。
 〽子鹿のバンビはかわいいな の歌が毎日のようにラジオから流れた。
 そのせいで私などは子鹿のことを英語ではBanbiというのだと長い間信じ切っていた。
 正しくはバンビは映画の主人公の固有名詞であって、子鹿はFawn(ファウン)であるが、今でも奈良公園ではご同輩が「バンビ、バンビ」と言っているのを聞く。
 「バンビシャス奈良」というプロバスケットボールチームがあるくらいだから、その誤解を笑うことはできない。

     曝涼(ばくりょう)や御物(ぎょぶつ)見る人見る子鹿

2016年11月7日月曜日

古都には似合わない

   私が時々バードウォッチングに行くのは平城宮跡の北側の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群である。
 初期ヤマト政権の王墓などと言われている。
 4~5世紀のそれを想像すると、古墳築造当時は未曽有の環境破壊だっただろうが、それが、地球規模で環境破壊が進む現代では、この古墳が環境保護に果たしている割合は桁違いに大きい。このあたりの役柄の転換、諸行無常も可笑しい。

   ところがその古墳群の一角に航空自衛隊奈良基地(航空自衛隊幹部候補生学校)がある。
 そこが開設60周年とやらで6日にブルーインパルスのアクロバット飛行を行った。
 宮城県松島基地から超音速でやってきた?
 平城宮跡上空が主会場だというが、ジェット戦闘機であるから回転のために我が家の上まで飛んできた。
 新聞記事で知っていたから驚かなかったが、知らなかったならロシアで大きな隕石が落ちたときに住民が「戦争だ!」「ミサイルだ!」と仰天したのがよくわかる。
 音だけでも恐怖感を与えるに十分だ。
 ムクドリなども見たことのない集団で右往左往している。
 知らなかった病人がショック死していないかと本気で心配する。
 義母のホームのスタッフの方が「沖縄では毎日がこうなんやろねえ」と溜息をついた。

 沖縄の面積は日本国の1%未満だが米軍専用面積の74%が沖縄に押し付けられている。それも、戦後県民が強制収容されている間にブルトーザーで基地は造られた。
 その上に、「交換」という名目で名護市辺野古に米軍新基地を造ろうとし、東村高江に米軍ヘリパッド(着陸帯)=正しくはオスプレイパッドを造ろうとしている。
 翁長知事や住民が反対運動をするのは当然で、それを本土から機動隊を送り込んで弾圧している。
 大阪府警の機動隊員は反対する住民に「土人」「シナ人」と暴言を吐き、松井大阪府知事は「ごくろうさん」といった。
 沖縄県議会が抗議決議を採択したのは当然だ。

 沖縄の喜劇の定番に臨終間際の話がある。親族の見守る中で病人が最後の力を振り絞って何かを言おうとする。みんなも一言も聞き漏らすまいと近づく。そこにジェット機の飛び立つ轟音がとどろき渡り、轟音が消えたときには病人は亡くなっていたという喜劇である。
 こんな恐ろしい喜劇があるものかと思うのは本土の感覚で、沖縄県民は「あるある」と笑ってしまうのだという。

 そこで、昨日の記事「戦争中の暮しの記録」である。
 ブルーインパルスを見上げた子どもたちは「かっこいいなあ」と思っただろう。
 ゲーム機の中の戦争もかっこいい。
 少し斜めからの話では、将来に夢が抱けない青年には「戦争でも起こって世の中がガラガラポンとされた方がいい」という意見も増えている。
 今年7月の参議院選挙比例区の朝日新聞の出口調査では、18,19歳の40%、20代の43%が自民党に投票した。
 親でなければ祖父母こそ、知っている限りの戦争や戦後の話を若者たちに語らなばならない。
 かっこいいブルーインパルスを見ながらつくづくそう思った。
  伝えることは一言でもいい。「ほんとうの戦争は全くもってかっこいいものではないんだ」と。

 「記録」にはこんな手記がある。母親が実家の老母のもとに疎開した。街に空襲のあったある翌日娘3人が逃げてきた。しかし老母の眉宇に浮かんだ苦衷の色。言葉にならない言葉に私はハッとした。娘たちも同じ思いであったらしく、翌朝、恐怖の街へ帰って行った。手記は「老母は決して鬼ではなかったが」と書かれていた。

    臨終も爆笑にするウチナンチュ

2016年11月6日日曜日

後世に残してください

   1年以上前になるが、ある古書店で「暮しの手帖」の「戦争中の暮しの記録」(古書)を見つけたがどういうわけか値札がなかった。アルバイトらしい店員に聞くと店長に電話をして2,500円という。
 最初からその値札だったら買っていたかもしれないが、店員のやりとりが頼りなさそうだったので買わずに帰った。(この次店長のいる時に尋ねたらもう少し安い値であるような気がした)

 その後、何回か覗いたがいつも店長がおらず、同じように店員に聞くと同じように店長に電話をして2,500円という。
 そのやりとりが何回かあって、なんとなく気分が乗らず買わないまま、いつの間にかこの本はその古書店からなくなっていた。

 その後、例の「とと姉ちゃん」が始まり、ドラマの終盤にはこの「戦争中の暮しの記録」がちょっとしたテーマになったから、どうしてあのとき買っておかなかったのだろうと2,500円をケチった自分に自己嫌悪に似た悔しさを感じていた。

 そして10月初め、もしかしたらAmazonに中古本が出ていないかと検索してみると、「保存版」(2,200円+税)という新刊があったので、すぐにクリックした。
 到着したのが10月の末だったので、なんと遅いことかと思っていたら、平成28年10月15日 第21刷の予約注文ということだったらしい。

 とと姉ちゃんでも紹介されていたが、ほぼ100%その内容は読者の投稿である。
 保存版ということで、附録1『「戦争中の暮しの記録」を若い世代はどう読んだか』という第2の投稿と、附録2『戦争を体験した大人から戦争を知らない若いひとへ』という第3の投稿も付いている。

 15年戦争の記録やその下での庶民の生活が書かれた本は何冊か持っていたが、どういうわけかこの本はそれらの本以上に私の心を打った。
 「暮し」というので投稿者は女性が多いし、投稿するのは少し教養のある人が多かったような気がする。
 だから、この雑誌を読むこともなく、投稿など及びもつかない庶民の暮らしの方がもっとひどかったかもしれない。きっとそうだろう。いわゆる弱者は発刊までの24年の間に亡くなったかもしれない。
 さらに、自分たちの暮しの辛さの向こうに侵略先であった(例えば中国人の)庶民の倍する悲惨な出来事があったことへの言及や想像も少ない。
 それでも私はこれまで読んできた本以上に感動した。

 奥付を見ると、昭和44年8月15日初版第1刷とあったが、当時の私はこの本のことをまったく知らなかった。戦争中の暮しの「感想」を読む意義もあまり感じていなかった。戦争は二度と起こるまいとも漠然と思っていた。しかし・・・
 初版は今から47年も前のことだが、その当時の多くの投稿者が感じていた「再びの戦前」の危惧は現在もっと強まっている。
 「NHK朝ドラだけが平和主義」という川柳があるが、ドラマがこの第21刷の遠因だったとしたらタイムリーヒットだった。
 我々夫婦の親から聞いた話などと重ねて思うところは多いが、そこへ踏み込むとこのブログでは紙数が足りないのでそれは割愛する。

 なので、重ねて言うが私は感動した。
 Amazonなり近所の書店に申し込めば入手可能だろう。
 『あとがき』の最後はこう結ばれている。 『編集者として、お願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい、ということである。ご同意を得ることができたら、冥利これにすぎるはありません。(花森安治)』

     「戦争中の暮しの記録」を読んで
     虫の音やふすま噛(は)むよな記録集
 
 投稿の中にも食料がなくなり小麦の糠である不味い「ふすま」を食べた話は多い。そして私の読後感想も、実際には食べたことはないのだが「ふすま」を食したようにざわざわと落ち着かない。その原因が現在の政治にあることは確かだ。

2016年11月5日土曜日

ボルシチに挑む

   私の尊敬する友人であり後輩であるAさんはロシア文学評論家として有名である。
 そんな彼にこの記事を読まれると恥ずかしいが・・・、

 少し前から近くのスーパーにビーツ(テーブルビート)のパック詰めが出ていた。
 そのビーツが私に「買ってちょうだい」と訴えかけるので一二の三で買い物かごに入れた。
 もちろん、目的はボルシチだが、レシピはほとんど頭に入っていない。
 まあ、京都祇園のキエフで食べたイメージから逆算したらなんとなくレシピらしきものは浮かんできた。
 妻はあきれて「私はレシピを知らんから作ってや!」と横を向いた。

 小さいときに父親が亡くなり母親が働きに出ていた我が家では、中学生のときから基本的には晩御飯は私の担当だった。
 そんなときボルシチに挑戦したことがある。
 ただし、当時はビーツを知らなかったから、ケチャップでそれらしい色にした。
 そういうスープ(シチュー?)はその後も何回か作ったことがあったが、今回は本格的に再挑戦である。
 結局、ここに記事を書くほど難しいものではなく、言っちゃあ悪いがロシアの田舎料理だと思って取り組んだ。
 サワークリームなどというオシャレなものもなかったが、妻と娘からは「美味しい」と合格点をもらった。

 隣の食パンはオリジナルの「揚げないピロシキ」だ。
 こちらの方は父親が高島屋地下の食品街で働いていたことがあったので、初期のテレビCMで超有名なパルナスのピロシキで味は覚えている。
 クミンで香りを付けたら、気分は一気にステンカラージンの世界に飛んでいった。
 手前味噌ながら、妻にも、やってきていた娘にも美味しいとの評価をもらった。

 ボルシチは味も味だが、ボルシチといえばあの赤い色である。
 その元がビーツであり、感心するほど綺麗な色がドドッと出てきた。
 見た目で食べる料理だとも思う。
 ただ、ほんの少しづつだが隠し味を足しているうちに少し濁ったのは残念だった。

 テレビから、「千島列島の領有権を放棄して2島返還の感触だけで経済援助をする」という政府のニュースが流れる中だが、それとは関係なしに私のボルシチは美味しかった。

 ボルシチの本家はロシアだウクライナだと言い争いがあるようだが、この類の話は世界中に多い。
 多数意見はウクライナが本家だという。ウクライナというと私はチェルノブイリを思ってしまう。
 スベトラーナ・アレクシェービッチの名著『チェルノブイリの祈り』に登場した人々もボルシチを日常的に食べていたことだろうと思考する。
 それがあの事故で、即死よりも残酷な死の渕に突き落とされたのだ。
 という記憶がついてくるので、ウクライナ料理というルーツを知ってしまってからは、一層ボルシチの味は深まった。

    ボルシチはウクライナ未来の物語    
     (※「未来の物語」は「チェルノブイリの祈り」の副題)

2016年11月3日木曜日

続 インダス文明論

   10月29日のインダス文明論で、「定説・通説が当てにならん」と書いたが、長友奈良教育大学前学長によると、そもそも「世界の四大文明」などという概念を教科書で教えているのは日本ぐらいだという。
 「世界の四大文明論」というのは、清の政治家梁啓超(1873-1929)が唱えた「東洋(黄河文明)にも西洋に負けない文明があったのだぞ」という一種の政治論であって、歴史学の概念でも何でもない。
 それを日本では今でも歴史の教科書に載せているのだという。
 歴史的には長江文明が結構古いし、内容的にはインカ文明やマヤ文明の中身は濃い。
 なので、この国の歴史教育は、皇国史観の時代とあまり変わりなく閉鎖的で独善的なようだ。

 『気候と文明』でE・ハンチントンは、「1年中暑い熱帯、あるいは1年中寒い寒帯といったところは気候があまり変わらない。そこでは、人間は環境の変化からは影響を受けず、愚鈍で放縦な生活をするようになり、文明は発展しなかったのだ」と述べ、・・
 名著『風土』で和辻哲郎は、「暑熱と結合せる湿潤は、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃というごとき荒々しい力となって人間に襲いかかる。それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる」と指摘した。

 何れも、20世紀の一瞬の光景で歴史を解釈し、異なる文明・文化を蔑視している。よくないことだ。

 教科書ではないが日本のマスコミは毎日毎日「日本はこんなに素晴らしい」と発信し、「外国(人)はこんなにおかしい」と笑っている。
 こうして、四大文明論を完璧に信じてきた庶民は、知らぬ間に「愉快な」ナショナリズムに酔うていくのだろう。
 もう一度言おう。通説・定説を疑え! 心地よい言葉には気を付けよう! 
 先人は言った、巧言令色鮮仁。
 義母曰く、毒キノコは綺麗ねん。(「毒キノコの見分け方」について答えて)

 『環境と文明の世界史』(歴史新書)で石弘之氏は、「インカはやさしい文明で奴隷を持たなかった」「身体障碍者も〈神のお使い〉として大切にされた」と述べているが、この国の現代社会の殺伐とした経済至上主義を思うと、古代が未開で人間はその後進歩してきたなどと軽々しく言えないと私は頭を抱えている。

 最後に、インダス文明の主人公はドラヴィダ人でその言語はタミル語だったといわれている。
 かの有名な大野晋博士の「日本語タミル語起源説」(と言ってしまうほど先生の説は単純ではないが)のドラヴィダ人・タミル語である。
 それを思うだけで私は興奮して眠れないのだが、そこへ踏み込むと紙数が圧倒的に足りないので、今日はここまで。

    刺激ある論に眠れぬ夜長かな

2016年11月1日火曜日

続 むしりまんねん

   10月27日に書いた「むしりまんねん」の続き・・・・・。
 元の記事で、何事に付け記憶が薄らいでいる義母が、楽しそうに誇らしげに、小さい頃に蜂の子を食べたことを私に話してくれたと書いた。
 その表情にはいわゆるゲテモノ食いの暗いイメージは一切なかった。
 山国の動物性たんぱく資源が乏しい村の貧しい人々が「仕方なく食べた」というものでも全くなかった。
 ズバリ、美味しいから食べたという、子どもたちの楽しいおやつの思い出だった・・・と私は感じた。

 だいたいが、魚や海老の「活け造り」や「踊り」を嬉々として食べている人々が「昆虫なんて」と言うのは偏見以外の何ものでもないような気がする。
 経験した文化のちょっとした違いでしかないのではないのか。
 戦前などは「米英では女までもが血の滴るような肉を食べるが故に貪婪・淫乱の鬼畜だ」と『主婦の友』は扇動したが、この話と五十歩百歩だろう。

 私は国連食糧農業機関FAOなどが唱える「食料資源」論としての昆虫食にはあまり興味はない。
 それよりも、この国の先人が「美味しい」と言って食べてきたという文化の方に心が惹かれる。
 外国には、美味しい昆虫は家畜の肉よりも高価だという国もいっぱいあるという。
 この国でも、蜂の子を食べるのは文化だったのだ。

 一昔前は「日本人は魚臭い(キッシンジャー回顧録)」と言われたり、「魚を生で食べるなんて」と言われていたが、今やSUSIやSASIMIは西欧でもトレンドになっている。
 だから、「蜂の子食」がそうなる日が遠くなく来るかもしれない。

    秋の蜂おいしかったと母はいい

2016年10月30日日曜日

秋高し


 奈良の街はいま正倉院展でにぎやかだ。
 ただ、もともと道路事情はよくない街だから、時刻予約制の病院に行くまでの渋滞には少し弱る。
 それでも、晴れた日に修学旅行生らの嬌声が響いているのは好ましい。
 その声に共鳴するように、27日、大仏殿の鴟尾(しび)が輝いていた。

 大仏殿は「静かに!」などと大声で叱らないところがいい。
 遊園地で騒いでいるより、鼻の穴くぐりで騒いでいる方が余程「正しい子ども生活」だと思う。
 巨漢の西洋女子が詰まったのには、申し訳ないが同情以前に笑ってしまった。誰が見ても明らかに無謀だったがそのチャレンジ精神やよし。日本女子ならその半分程度の体重の人でも決して挑戦しないだろうと、西洋女子の逞しさに感動した。
 東大寺で静かに拝みたければ法華堂(三月堂)に廻るべし。

    秋高し奈良の古京(みやこ)の鴟尾の彩(いろ)

 「鴟尾とは何か?」と尋ねられたことがある。
 さて? 鴟尾は鬼瓦の一種とも思えないし…??
 鯱(しゃち)から連想して、鯱・海・水・火除けというのは、鴟尾の方が古く鯱の方が新しいから歴史的には話が逆だろう。
 結局、古い大陸の建築様式で、「大棟の左右にはアクセントがなければ物足りない」、事実、中国の古い寺院などでは大棟が水平の一直線でなく弓上にそっくり返っているから、そういうことなのだろう。
 と、一応考察は終わっているが、少し消化不良の気味でもある。
 有力な説があればご教示いただきたい。

2016年10月29日土曜日

インダス文明論は正しいか

 この春まで奈良教育大学学長だった長友恒人先生の、非常に刺激的な講義を聴く機会があった。
 先生は元々は原子物理工学から出発して幅広い研究を手掛けられ、今回の話は放射線測定による年代測定等の文化財科学の成果に則ったものだった。

   そこで、何が刺激的だと私が感じたかというと、教科書では「世界四大文明」というがほんとうに4つだけなのかということや、「四大文明は何れも大河文明」といわれているがインダス文明はほんとうに大河文明だったのか、さらにはBC1800年ごろに急速に衰退した原因はインダス河の大洪水のためと言われているがほんとうにそうなのか、あるいはアーリア人の侵入によって破壊されたという通説は正しいか、大王が出現して国家を作ったというのも事実なのか、文字で文章を作ったことが文明の証しというのも証拠があるのか・・・と、教科書の常識にことごとく真正面から「?」「?」「?」を突き付けたからだった。

 結論的に教えていただいたところでは、
 1 インダス文明の遺跡あとは日本列島を超えるほどの広範囲に広がっており、決してインダス河流域だけでない。
 2 遺跡の各種測定から、大河文明というよりも砂漠の上に栄えた都市だった。
 3 アーリア人侵入以前に衰退している。
 4 王墓など王権を象徴する遺跡・遺物が発見されていない。
 5 武器類の遺物の出土が極めて少ない。
 6 文字はあるが文章は発見されていない。(交易のための印章だったのだろう)
 ・・・で、結局インダス文明というのは「都市往来文明」「交易都市」だった。そういうことが判明している諸事実らしい。

 そもそも古代の話になると記紀神話のように非学問的な世界に迷い込むことが多々あるが、現に現代の教科書をもって教えられている「世界四大文明」論自身が神話であることがよく解った。
 通説、定説疑うべし!である。

 蛇足ながら、先生は講義の脱線の中で、日本人のノーベル賞受賞者がこぞって『基礎研究に予算を!』と言っていることなどに触れて、現在の政府・文科省が目先の成果だけを追い求めて予算編成していることを痛烈に批判されていることも印象的だった。

 質疑の中で、「その説はどのような歴史学者が支持されているのですか?」という質問があったが、何という愚問かと私は愉快ではなかった。
 有名な先生の説は信じるが、そうでない場合は内容自体を自分の頭で考えるのでなく端から遠ざける姿勢のように私には思えた。
 こんな面白い問題提起に何故ワクワクしないのかが不思議だった。
 時間も短かったので私自身疑問部分がないわけではないが、あとは各自が考えることである。 
 フィールドワークもせず人の話を聞いたり読んだりしただけで「勉強した気」になっていてはいけないが、まあ「勉強は面白い」と思っている。 

 真理はいつも最初は少数派だった 湯川秀樹

2016年10月27日木曜日

むしりまんねん

 何の調査も検証もしていない話だが、今年はオオスズメバチの活動が活発だと感じる。
 我が家の庭や私の生活圏では非常に目立っている。
 たまたま、このあたりだけのことかも知れないが、そんな気がしている。

庭に来たキオビホオナガスズメバチ
   義母の入所しているホームにも庇に巣をつくっているので「窓を開けないで」と注意書きが貼られている。
 「庭の散歩にも注意」と言われている。

 それらを知らないときからも、窓ガラスのすぐ外をブンブン飛び回っているのが散見されていた。
 なので、「ほら、大きな蜂が飛んでいるよ」と話していたとき、義母が小さな声で「むしりまんねん」と教えてくれた。????

 ジェスチャーを交えて義母が言うには、蜂の巣をむしって中の蜂の子を摘みだしてそのまま食べたということだ。
 ということは、どうもスズメバチではなく足長蜂らしいが、細かいことは解らない。
 ご飯のおかずというよりは、子どものおやつの一種だったようだ。

24日付け赤旗にこんな楽しい記事があった
   蜂の子を食べるといえば長野県周辺が有名で、大の大人のスポーツに似たゲームとして、あるいは商品として有名だが、義母の子どもだった昭和前半頃は全国的に食べられていたのだろう。
 しかも、スズメバチに限らず・・・。
 とはいえ、ホームの同年輩の方々に「私も食べた」と言う方はおられず、当時にあっても少し山間部に残っていた習慣だったのだろうか。

 16日に「フウの木」の話を書いてみたが、昆虫食というと中国雲南省が有名だから、こんなところにも文化の共通性があるように思う。
 念のためにいうことだが、私は日本文化の源流が長江だけにあるというほど単純には考えていない。しかし、中原の中華文明と韓半島だけではないことを大きな声で言いたいと思っている。

 元に戻って義母のジェスチャーだが、「むしりまんねん」と言って蜂の巣をむしる仕草をして、そのあと蜂の子を摘んで口に入れるジェスチャーを何回も何回もしてくれた。
 それは、決して「恥ずかしいおやつだった」というような様子では一切なく、極めて楽しそうな美味しそうな、もっと言えば少し誇らしげな想い出に包まれた笑顔だった。
 戦前の奈良県生駒山中腹の農村の「ふるさとの伝承」としてここに書いて置くのも、いずれはちょっとした民俗史料にならないだろうか。
 土産物などではなく、純粋な昆虫食の実際や親等の伝承があれば教えてほしい。

    蜂は飛び夢は長江へ雲南へ

2016年10月25日火曜日

国益よりも私益のTPP

 衆院TPP特別委員会で強行採決含みの緊迫した状況が続いている。
   交渉当事者が誰も国会に出ず、写真のとおり資料は真っ黒だ。
 これが近代国家のすることだろうか。
 そのことを問題にしないマスコミのジャーナリズムとしての姿勢も姿勢だ。

 大事なことを報道しないだけでなく、マスコミ論調は「グローバル社会に踏み出そうというのに時代遅れの農民・農協が既得権益を守ろうと駄々をこねている」という歪んだメッセージを撒いている。

 TPPには多くの問題があるが中でも私が危惧するのは9月24日に書いたISDS条項だ。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/09/blog-post_24.html
 締約国の企業や投資家が相手国を訴える仕組みだ。

 エクアドルでは、裁判所が大規模環境汚染を起こした米国企業に損害賠償を命じたが、ISDS条項が発動され判決の執行停止が命じられた。
 米国、カナダ、メキシコが締結したAFTAでは、提訴の75%が米国企業によるもので、全事案の中で米国企業が敗れた事案は皆無である。
 これを、「国益の上に多国籍企業の私益を置くものだ」「国の主権を売り渡すものだ」と指摘してどこがおかしいだろうか。

 食の安全のために対策を強化したり、医薬品の基準を慎重にしたり、皆保険を守るために施策を充実したりすると、「自由経済に反する保護主義だ」といって多額の損害賠償を払わなければならなくなる。
 ドイツ政府は脱原発政策で約6000億円の賠償を訴えられている。敗れるだろうといわれている。
 日本の外務省は賠償を前提としてそれらのための「国際経済紛争処理室」を既に設置した。

 TPPは農業だけの問題ではない。
 国民の健康・安全その他生活すべてを多国籍企業に売り渡す協定書だ。
 保守だの革新だのという立場を超えて、こんな売国的な協定を批准させてはならない。

    嘘つかぬとのポスターありて秋寂し

2016年10月23日日曜日

金木犀の復権

   金木犀はまるで忍者のようだ。
 日頃は全く目立たない雑木のように隠れていたのに、いざというと全身が橙色に輝き、街中を芳香に包んでいる。
 ここにも、あそこにも金木犀があったんや!と大袈裟でなく驚いている。
 ほんとうに嘘のようにあちこちから湧いて出てきた感じだ。

   さて私などは、秋になって金木犀が咲くと「どこからかトイレの臭いがする」と感じたものだ。
 嗅覚というのは一番本能に近いようで、理屈では解っていても、それよりも早く脳内の回線が「トイレの芳香剤」と結びつけていた。

 ところが、この回線が、一定の年齢以下の人々にはそのようには繋がらないのだと妻から指摘された。
 その理由は、もう、昨日今日のことではないのだが、トイレ等の芳香剤が多様になり、あるいはもう少し薄い芳香剤が普及し、「トイレの芳香剤=金木犀の香り」という方程式が崩れて久しいのだという。

 反対に言うと、金木犀の臭いを嗅いでトイレの臭いだと感じる人は、結構な年齢以上の人、つまり早い話が『あんたは年寄りだ』というのだ。
 とすると、あまりカッコイイものではないから、嗅覚に関する本能的記憶からトイレの芳香剤を意識的に抹消して、純粋に金木犀の香りというプラスの情報をインプットする必要がある。

 我が家周辺では、去年より大分遅れて今が満開のような気がする。
 今日は出かける時に、少しばかり手折って紙袋の中に落としこんた。
 ちょっとした匂い袋のようなものだと自分では気に入ったが、すれ違う高齢者には「トイレの臭いの人」と思われているかもしれない。

 金木犀にとっては人間が作ったトイレの芳香剤は大きな迷惑だったに違いない。
 が、ようやく純粋に芳香として復権がなりつつある。
 そもそもは芳香だから、中国には3年間金木犀を漬け込んだ「桂花陳酒」というお酒がある。
 楊貴妃が好んだとも言われている。
 桂花陳酒を飲んで、「金木犀はトイレの臭い」という感覚を消去しようと思っている。

     木犀や桂花陳酒を思うべし

2016年10月21日金曜日

こんな秋宵があった

  楽しい秋宵(しゅうしょう)だった。
 OB会の20周年事業の中の一つの交歓会。
 早い話が居酒屋の2階を借り切っての宴会だが、ただ、「ただの飲み会」には終わらせたくない、ゆっくり歓談もしてもらいながらも少し楽しい企画はできないものかと、無い頭を絞って臨んでみた。

 一つめは写真のとおりの「鏡開き」。
 拍子木に合わせて「よいしょっ よいしょっ よいしょっ」と菰樽?を開いてもらって、ひっくり返すと「薬玉」風にお祝いのメッセージが出るように準備をしたが、先ずは「おおっ!!」っと驚いていただいた。
 これでいっぺんに「祝賀会モード」に突入した。(つもり?)

 「20年の歩み」やスピーチの後、二つめは、詩吟「名槍日本号」。
 結婚式には謡曲「高砂」があるように、これも目出度い席での祝吟の定番なのだが、近頃では、そんなことも庶民の共通認識からは消えてしまっている。
 だから、知らない者にとっては外国の歌曲を聞いているようなものとなるので、漢詩とその意味や、日本号という槍のいわれを配付した。

 その上で、こんな吟じ方があるのかないのか知らないが、場を華やかに彩るために3人で歌いつないだ。
 その雰囲気にみんなもノッテくれて、真ん中の黒田節のところは自然と大きな合唱になった。
 私自身は詩吟を全く習ってもいないものだったのだが、事前に「こんな企画はどうやろう」と妻に相談すると、「Tさん以外は詩吟の上手い下手など判らない人たちばかりだろうから、平気な顔をしてやってみたら」と的確なアドバイスで尻を押された。

 三つめは、世話人各位等からは「絶対にスベッテ失敗するで」と冷ややかに無視されていた「風に吹かれて」。
 もちろん、ボブ・ディランのノーベル賞という話題での緊急企画。
 忌野清志郎などいろんな訳詞を考えたが、ここはボブ・ディランの原詩を採用した。
 メロディーは比較的簡単なのだが、「聞いたこともない」という人も多いだろうし、さらに英語で歌うとなると・・・・
 そこで、詩の直訳とともに、英語にカタカナで耳に聞こえたとおりのルビを振った。

 「終わり良ければ総て良し」とも言われるので、全くついていけない人には、最後の「ジアンサ マイフレン /  イズブローインザウィン      ジアンサ イズ /  ブロインザウィン」だけでも歌って!とお願いした。
 1番を2回歌ったのだが、その結果は・・・

 大阪の繁華街広しといえども、居酒屋の2階で最低でも60歳以上のシニアが「風に吹かれて」を大合唱して盛り上がっているのは絶対にここだけだろうと確信した。ほんとうに見事な大合唱になって準備したこちらがその”出来過ぎ”に驚いた。
 カラオケ以降、いろんな宴会でも合唱することが少なくなったが、これがハマったときの楽しさはカラオケの比ではない。若い人々に「元祖宴会」の素晴らしさを伝承したいものだが如何だろう。

 最後は、青春の香り漂う恒例の我が「会の歌」(原名「学園広場」)・・・これはほんとうに自然に肩組み合って、フィナーレに相応しい合唱となった。
 そして、拍子木の音も甲高く、「大阪締め」で祝賀会は無事終了した。
 楽しい秋宵(しゅうしょう)だった。
 「ダンドリ八分」とまではいかなかったが、ダンドリに費やした精神的な「人日」はそれなりに感じてもらえるに違いないと信じてよかった。

   酒席から風に吹かれて秋の宵 

2016年10月20日木曜日

マコモダケ

   今シーズン2度目のマコモダケを奈良市の東部山間の田原の里で買い求めた。
 田原の里には太安万侶の墓がある。
 我が家では近頃は、もっぱらフライパンで炒めて美味しくいただいている。
 このマコモダケのことは2014年10月15日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2014/10/blog-post_15.html
 このときが私の「お初」だったが、近頃では見つけたときには「ちょくちょく」食べている。
   癖もなく、大いに気に入っている。

外の皮をむいたところ
   菰(薦)は、芦(葦)などとも近いイネ科の水辺の植物である。
 奈良労働局の入っている合同庁舎のすぐ近くに「菰川」という地名があり、「菰川」が流れている。
 古の平城京の基幹水路の一つであった。
 さぞや菰が生い茂っていたのだろう。
 佐保川に合流し大和川になる。

   2年前にも書いたが菰は神事や仏事にも重宝されている。 
 一番興味のあるのは宇佐神宮の御神体もしくは御験の菰枕だが、勉強不足の私なぞには不思議な植物である。(※)

 文献には、神田明神の御神体も菰枕だとある。
 出雲大社の注連縄も真菰製で、そのことは伊勢神宮の注連縄の麻製よりも歴史が古いことを示しているとの論にも興味が尽きない。
 もっと身近なところでは菰樽・薦被りだから、神聖で目出度い植物らしい。

   写真のお皿の左のが真菰竹の炒めもの。
 甘味噌を少しつけると文句なしのアテになった。
 
 余談ながら、売っていた産直の販売所で「昔、此処へ”千本餅つき”に来たことがある」と話すと、「毎年しているからどうか参加してほしい」と言われた。
 それで「日にち等はどこで広報されているのか」と尋ねると、「フェースブックだ」と・・・。

 ええっ!  ・・・「偏見だ!」と怒られるかもしれないが、鄙びた山里の販売所のおばさんから「フェースブックを見ろ」と言われるとは思わなかった。
 ただ、素直に考えれば、SNSは庶民の道具であり、弱者の道具である。
 変なところに感動と刺激を受けたものだった。

(※)福永光司先生の「道教について」という論文に、「『説文』第十篇(上)に神人が水沢に住んで薦を黄帝に遺(おく)った話を載せる」、「また『週礼』籩人職では神への供物を「薦」といっている」とある。

   神々も食しただろか真菰竹

2016年10月18日火曜日

遅れてきたアサギマダラ

   今年2016年は10月17日にアサギマダラが我が家にやってきた。私の初見だ。
 去年からすると1週間以上も遅かった。
 夫婦で「フジバカマの花がもひとつやからやろか」「今年はコースを間違えたのやろか」と心配していたところだったので、ほっと安心した。

 律儀な蝶のおかげで、時は巡り、ああ1年が経ったのだな、夏が完全に終わったのだなと実感する。
 渡りの途中に当たる我が家では、限られた時期しかやってこないから、こういう感覚と重なっている。

 ご近所の方からも「毎年楽しみにしてます」「来たらお知らせをお願いします」と言われていたので、早速「今年もフジバカマに『渡りをする蝶=アサギマダラ』がやってきました」と「お知らせ」を証拠写真付きで貼りだした。
 
 鱗粉がなく、ふわりふわりと舞うように飛ぶ大型の蝶なので美しい。
 それがこの先、沖縄から台湾あたりまで渡りをするのだから、特に判官贔屓でなくても文句なく応援したくなる。

 ほんとうは、バーチャル世界の登場人物をいっぱい知っていても、こんな素晴らしい現実世界に見向きもしない子どもたちにこそ「お知らせ」を見て覗いてほしいものだが、感動してくれるのはシニアばかりである。

 写真は今年新たに植えた「赤花の藤袴」のところ。
 あまり人間(私)を気にもせず半日近く遊んでいてくれた。
 第二陣、第三陣と次々にやって来てくれるだろうか。
 少しわくわくし、心配もしている。

     秋麗(あきうらら)ようおこしやす渡り蝶

2016年10月17日月曜日

ナッチャンの運動会

   過日、秋晴れの上に風が涼しいという絶好のコンデションの下でこども園の運動会が開かれた。
 こども園とは幼稚園と保育園が統合されたもの。
 孫のナッチャンは4歳児だが、3歳児は半分乳児みたいなところがあり、5歳児はというと小学生の一歩手前の貫禄だから、こども園の運動会はバラエティーに富んでいる。
 ナッチャン自身も去年と比べると目に見えて成長した。
 ただ、少々常識的な「よい子」になってきたのが気にかかる。

 その父である私の息子は、この夏の夏祭りで焼き鳥を焼いていて小学生時代の恩師に名前を呼ばれたといっていた。
 そして「君らの学年には〇〇君や△△君がいたよな」と秀才たちの名をあげたらしい。
 もちろん、我が息子が秀才であったわけではない。
 その反対で、教師生活の中の多くの教え子の中で記憶に残る問題児だったようだ。

 だからナッチャンにももっとハジケテもらいたいと思う。
 そのためにも率先垂範、PTAの綱引きに出てやろうかと思ったが、妻からも息子夫婦からも〇〇の冷や水だと引き留められた。
 考えてみれば、PTAといっても私の子どもたちの代である。
 けっこう本気で引き合っていたから、あの綱の後ろの方で転んで腰痛を悪化させないで良かったと思っている。
 私も普通の年寄りになったものだ。

   見ただけで疲れて嬉し運動会

2016年10月16日日曜日

フウの木の末裔

   義母のホームの庭のフウ(楓)の木が色づき始めた。
 フウといえばミャオ族の伝承にこうある
・・・我々の祖先はかつて長江流域に住んでいた。そして、北から来た人々と戦った。
 しかし戦争に負けて祖先は首を切られた。
 そのときに流れた真っ赤な血が葉について赤くなった。
 だからフウの木は秋になると真っ赤になるのだ。
 フウの木の赤い色は、祖先の悲しみの血の色なのだ・・・

 私の好きな「ミルクを飲まない文明」(安田喜憲著歴史新書)の頁をめくると、
・・・4200年前に気候の悪化があり、黄河文明を担っていた畑作牧畜民が大挙して南下し、長江流域の非漢民族を蹴散らした。
 そのため、多くの人々は種籾を持って雲貴高原に逃げ棚田を造成した。
 海岸付近の人々はボート・ピープルとなり台湾や日本列島に逃れ、水稲稲作を伝えた・・・と、教えている。

 ミャオ族の伝承や稲のDNAはそれを傍証している。
 日本文化の基層のルーツがここ(長江下流域の非漢民族)にあるという意見に私は頷いている。
 長江下流域の非漢民族イコールミャオ族と捉えるのは早計だが、倭人と近しい間柄であることは間違いなかろう。

 なおミャオ族には、昔々一本のフウの木に蚕が12個の卵を産んで、その卵を鳥が15年間温めて、人、龍、虎、水牛、雷神等となったとの始祖伝説がある。
 ミャオ族の自称Hmongは「フウの木の心」と言われている。
 中国最古の都市遺跡といわれる城頭山遺跡からは大量のフウの木の木片が出ている。
 村には今もフウの木の柱を立て、死者の魂もフウの木に帰ると信じられている。(「大長江」竹田武史著光村推古書院)
 
 その昔、長江流域で共に暮らしていた隣の村?のミャオ族の、そんなフウの木の物語を思うと、義母のホームのフウの木も何となくありがたく感じられるから不思議だ。

 「稲を伝えた民族」(萩原秀三郎著雄山閣)などには、江南の文化の中に我々と共通する多くの要素があることを教えている。下記の絵などはその一つである。

鳥取県角田弥生遺跡出土土器線刻画
雲南省普寧出土青銅器の図








  楓の木や真っ赤に染めよ寒き秋

2016年10月15日土曜日

ボブ・ディラン 祝ノーベル文学賞

Blowin' In The Wind     Bob Dylan 

How many roads must a man walk down   人はどれ位の道を歩めば
Before you call him a man? 人として認められるのか
How many seas must a white dove sail 白い鳩はどれ位海を乗り越えれば
Before she sleeps in the sand? 砂浜で休むことができるのか
How many times must the cannon bolls fly どれ位の砲弾が飛び交えば
Betore they’re forever banned? 永久に禁止されるのか
The answer, my friend, is blowin’ in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin’ in the wind  風に吹かれている

How many years can a mountain exist    山は海に流されるまで
Before it’s washed to the sea? 何年存在できるのか
How many years some people exist    人々は何年経てば
Before they’re allowed to be free? 自由の身になれるのか
How many times a man turn his head 見ないふりをしながら
Pretending he just doesn’t see? 人はどれくらい顔を背けるのか
The answer, my friend, is blowin’ in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin’ in the wind  風に吹かれている

How many times must  a man look up    人はどれくらい見上げれば
before he can see the sky? 空が見えるのか
How many ears must one man have 人にはどれくらいの耳があれば
Before he can hear people cry? 人々の悲しみが聞こえるのか
How many deaths will it take till he knows   どれ位の人が死んだら
That too many people have died? あまりにも多くの人が亡くなったと気づくのか
The answer, my friend, is blowin’ in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin’ in the wind   風に吹かれている

 以上、ボブ・ディランの代表曲『風に吹かれて』をネット上の元英語教師「釣キチ先生の英語教室」からコピーさせていただいた。
 http://www.english-turi.com/song/1000/
 ボブ・ディランのノーベル賞が新聞で報じられた同じ日、菅官房長官がユネスコ分担金39億円を保留しているとの報道も。
 重ね合わせると、ボブ・ディランの立派さが際立っている。
 私としてはノーベル文学賞に違和感はない。

2016年10月14日金曜日

毛虫草

   エノコログサのエノコロというのは「犬の子(イヌコロ)」のことで、漢字では狗尾草で犬のシッポ。
 海を渡ると少しだけ見立てが違って、英語ではfoxtail gtass で狐の尾。
 それよりもよく知られている名前はネコジャラシ。
 さらにはケムシグサ。これ漢字だと今一つだが、
 この「ケムシグサ・毛虫草」がなかなかいい。私は嫌いでない。

 この草も近頃我が街では見かけることが少なくなった。
 そういえば「引っ付き虫」の代表格ともいえるオナモミは全くと言っていいほど見かけなくなった。
 我が世の春(秋?)は盗人萩(ヌスビトハギ)だけが謳歌している。

   先日、その貴重な?エノコログサを数本手折って義母のところに持って行った。
 穂のところを千切ってグーの手でニギニギすると、ほんとうに毛虫が這い出してきたように見える。
 義母も「ケムシグサや」と言って喜んでくれた。
 妻が「髭や」「眉毛や」と言って鼻の下や眉毛に当てたのにも喜んでくれた。
 
 ほかの入所者の方々のところにも回って見せるとおおむね喜んでくれたのだが、中にはホンモノの毛虫だと思って驚かれた方もいた。
 このあたりの兼ね合いが難しい。

 私は老朗介護の中で日々予習をしているつもりだが、こんなときには「エノコログサの毛虫遊びなどつまらん。子ども扱いしよって」と怒ったりせず、「外の季節を教えてくれてありがとう」「そんなことをした頃もあったなあ」と素直に喜べる年寄りになりたいと思っている。
 偉そうで怒りっぽい年寄りは嫌われる。

 写真は義母がニギニギで「毛虫」を出しているところ。
 穏やかな秋の日だった。

 のそのそと手から顔出すケムシ草

2016年10月12日水曜日

政府は自衛隊員の殉職を願っている

   11日付け朝日新聞夕刊に「PKO派遣の南スーダン 首都近郊で攻撃 市民21人が死亡」という見出しの記事があった。
 ロイター通信によるとこれは8日に起きたことで、前副大統領派による攻撃らしい。
 休戦などとっくの昔に壊れている。

 記事にもあるのだが、8日というと稲田防衛相が現地を訪れていて「(治安が)落ち着いていることを見ることができ、関係者からもそういう風に聞くことができた」と取材団に語っている。

 おまけに菅官房長官の会見内容を上記記事にくっつけて、「首都ジュバの現地情勢が落ち着いているのは間違いない」と強調したと朝日は伝えている。

 このように隔靴掻痒の紙面にしているところが商業新聞の商業新聞たる特徴で、普通に教養のある人なら「これはおかしい」となるはずだ。

 稲田、菅両氏のいうことがほんとうならロイター通信は大誤報を全世界に発信したことになるし、ロイター通信通りであれば稲田、菅両氏が嘘をついていることになる。
 私は稲田、菅両氏が大嘘をついているのだと思う。

 ではなぜ派遣されている自衛隊員の危険を無視してまでそんな大嘘をつくのか。
 答えは、事実を認めるとPKO派遣の条件が崩壊していることを認めることとなり、憲法9条体制からの脱却という大方針が頓挫するからだろう。
 あえて言うが、このような大嘘つきの心情をおもんばかれば、彼らは南スーダンで自衛隊員の殉職を望んでいるとしか思えないが、残念ながらそういう嫌な予想は遠くなく明らかになるだろう。

 そして、こんなに不誠実で不純な閣僚の発言を、ジャーナリズムを標榜する商業新聞が追及しない現代社会を私は恐れる。
 戦争中軍部は退却を転戦と言い換えた。それが退却であることをジャーナリストは知りながら、唯々諾々と大本営発表を垂れ流し続けた。
 半藤一利・保坂正康の著作のタイトルではないが、「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(文春文庫)ことを我々は想起するときだと思う。

 首相の国会答弁まで触れるとキリがないので止めておくが、与党のでたらめが過ぎることに反って不感症になってはならないのではないか。

2016年10月10日月曜日

平重衡と会う

   先日、東大寺東塔院跡発掘調査現地説明会に行ってきた。

 実はこの現地は以前からよく知っていて、調査中断中はその上を歩いたり、説明会の前日も今回の発掘現場をフェンス越しに眺めていたものだったが、勉強不足の身では、ただただ「ここに70mを超える超ド級の七重の塔が建っていたのか」と感心するだけに終わっていた。

 なので、解りやすい説明があり、あるいは解らないところは自由に質問できる現地説明会は非常に値打ちがあった。

 中でも今回私が感動したのは、鎌倉期の基壇の奥から奈良期の基壇がいろいろ確認できたことだった。
 奈良時代に建立された塔といえば、治承四年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで焼失したものだ。
 つまり、今回現れた焼土の層、あるいは素人の私でも判る明らかに焼け焦げた礎石の数々は文字どおり「平家物語の証拠」「証人」なので、その証人尋問をしている感覚を得た。

 場所柄、奈良公園の東大寺境内という環境の良さがあったので、しばし、聖武天皇の発願で建立された雄姿、重衡による焼失、ほぼ同規模(若干大きい)の再建、康安二年(1362)の雷火による焼失がスライドショーのように眼の奥に思い浮かべられた。

 なお、東塔院の院とは、塔を囲んで回廊があり東西南北に門があり、そういう建物群であることをいう(戒壇堂と戒壇院のようなもの)が、これが再建されたならば、ハルカスなんかよりも余程観光に寄与することだろう。
 だが、現地説明会の参加者の様子を俯瞰すると、私を含め、その再建のための寄付はできても完成を見ることが困難な人々が多いように見受けられた。
 現地説明会のNHKニュースを見ながら妻がそう笑った。

 ただそれもよい。CWニコル氏の「アファンの森」も彼の生存中には完成しない(森の完成には数百年が必要)が、人間はその努力の先の完成図を夢みることができる動物なのだから。
 昔日の建立に奔走した多くの僧も、完成を見ることなく他界されている。

 蛇足ながら、東塔院があるのだから当然に西塔院もある(あった)。
 この西塔院の基壇跡はほゞ毎週通院している福祉療育病院の真正面にある。
 春には絶好の蕨畑になり妻が蕨採りに精を出している。生蕨は有毒なので鹿が食べない。
 ことほど左様に、奈良には古代や中世が目の前にごろごろしている。
 大仏さんと阿修羅像を見て「もうわかった」などと言わず、日本人観光客!来てくださいよ。

 説明会現地には大銀杏(いちょう)があり、終始臭い臭いが漂っていた。
 臭いが楽しい秋の半日だった。  

 東大寺東塔院跡発掘現場にて
     天平の銀杏(ぎんなん)臭し塔の址   

2016年10月8日土曜日

負飛蝗

   写真はオンブバッタ。
 ご存知のとおり、親が子供をオンブしているのではない。
 といって、恋の絶頂期だけでもなく、ほゞ日常的に♀が♂をオンブしている。
 より正確にいえば、日常的に♂が♀の背中にくらいついている。
 オンブバッタという名の所以である。

 だがしかし、普通の見た目でいえば親が子供をオンブしているほほえましい昆虫に見える。
 なので孫の夏ちゃんもオンブバッタが大好きだ。
 我が家に来たときには喜んで追っかけている。

 そのオンブバッタだが、毎年我が家では青紫蘇が大きな被害を受ける。
 オンブバッタ対策として、「守るべき野菜の離れた周囲に紫蘇を植えて本体を守れ」というテキストもあるくらいだ。
 しかし、紫蘇の生命力は強く、次から次へと新芽を出すから我が家ではオンブバッタの駆除はしていない。
 そのおかげで、こんな写真のようなオンブバッタを孫と一緒に捕れるのだから文句はない。

 それはさておきオンブバッタを見ていると、堂々とした♀に対して、ある意味貧相な♂が可笑しい。
 そして、「人間世界の本質も同じだ」とクスッと笑っている。

 話は外れるが、先日は小型の可愛らしいカマキリを孫の夏ちゃんに捕ってやった。
 それを夏ちゃんに渡した途端その鎌で逆襲されて「痛い!」と投げ出した。
 それから、いくら「上手い持ち方」を伝授しようとしても、カマキリは夏ちゃんのトラウマになってしまったようだ。お祖父ちゃんとしては大失敗だった。

2016年10月5日水曜日

新しい読者を増やしてください

   終了した朝ドラの「とと姉ちゃん」では、花山編集長が「私が死んだらこれを〈あとがき〉に載せてほしい」と常子に頼んだ。

 「読者の皆さま、・・・・創刊当初から本当によい『暮らし』を創るために、この雑誌に掲げてきたものは庶民の旗です。
 私たちの暮らしを大事にする一つひとつは、力が弱いかも知れないぼろ布、ハギレを繋ぎ合わせた暮らしの旗です。
 世界で初めての庶民の旗、それは、どんな大きな力にだって負けません。
 戦争にだって負けやしません。
 そんな旗をあげ続けられたのも、一冊一冊買ってくださった読者の皆様のおかげです。
 広告がないので買ってくださらなかったらとても今日迄続けることは出来ませんでした。そして、私たちの理想の雑誌は創れなかったと思います。
 力いっぱい雑誌を創らせて下さり、ありがとうございました。
 それに甘えてお願いがあります。いままで『あなたの暮らし』を読んだ事のない一人に、あなたが「あなたの暮らし」をご紹介ください。一人だけ、新しい読者を増やしていただきたい。それが私の最後のお願いです」

 私はこのセリフにとてつもない現代性を感じた。
 なぜなら、政権や「強者」に弱いマスコミの大洪水の中にあって、大企業からの広告をことわって庶民の旗を守っている新聞が現に孤軍奮闘しているからである。
 なので、まだ購読していただいていない方には購読していただき、一人だけ(でいいので)新しい読者を増やしていただきたいとの言葉にとてつもない現代性があると私は感じた。

 なんでもかんでも「しんぶん赤旗」の宣伝に使うつもりは全くないが、赤旗の読者が増えることが現代の「庶民の旗」を守る力だと連想したとしても決して勘違いではないだろう。

2016年10月4日火曜日

今を生きる

凜ちゃんは、曾祖母ちゃんの
ほっぺたを思いっきりつねった
   先日、孫の凜ちゃんが産まれて初めて曾祖母(ひいばあ)ちゃんと対面した。

 重いハンディを持つ孫なので、先生には「人混みには連れて出ぬよう」言われていたし、いや、それよりも、ハンディを知った曾祖母ちゃんが心に重荷を背負ってもいけないし、
 反対に、判断力が低下したことで、あまりに正直に感想を述べたりすると、母親である私の娘にショックであろうと、結局、1歳数か月経っての初のご対面となった。

 幸いにというか、幸か不幸か曾祖母ちゃんはハンディのことは全く判らず、素朴に曾孫を喜んでくれた。

 我が夫婦としては、1年数か月間凜ちゃんのことを母(曾祖母)に伝えていなかったので、つまりは、ある種の嘘をついていたようなことだったので、「これで、ようやく贖罪ができただろうか」と、ほんの少しだけ心が軽くなった。

 当初の予定では既に済んでいたはずの本格的な手術も、良い意味でなく時期が先送りされていたり心配の種は尽きないけれど、この1年数か月は親も私たち祖父母も鍛えて成長させてくれたと思っている。

 次に述べる感想は非常にレベルの低い歪んだ感情だとは解っているのだが、この際だからとあまりに素直に語らせていただければ、病院の待合室の光景は千差万別で、もっともっと重症だと思われる子供を抱えて、それでもめげずに診察に連れてこられる多くの母親を見ていると、「これっきしで弱っていてどうする」と、言葉はおかしいが元気をもらうことが多い。

 「明けない夜はない」「山より大きな猪は出ん」などと訳の解ったような解らんような呪文を唱えながら、目の前の幸せに感謝して生きたいと思う。
 僧職にある先輩のブログの「今を生きる」というタイトルをこの記事に無断でいただいた。

2016年10月3日月曜日

モリアオガエル その後

    9月27日に、まったく期待せずに奈良公園の吉城園を訪れた。
 くだんの池にはオタマジャクシが1匹もいなかった。
 9月下旬だから当然だろう。
 ところが、私が近づくとポチャンと「カワズの飛びこむ水の音」がした。
 なので「もしかしたら」と慎重に周辺を観察した。

   そしてついに、成長したモリアオガエルを1匹見つけた。
 例によって外国人観光客が何組もやって来たので、ひと通り説明して、もうすぐフォレストへ帰って行くのだと話すと、例外なくみんな喜んでくれた。

 ニュージーランド人が来た。
 ユニオンジャック型の国旗に代えて、オールブラックスで有名なシルバーファーンという羊歯(シダ)のデザインを国旗にする方向で議論が進んでいる国だ。
 なので、その親戚になるシダの根元にレアなフロッグがいると教えてくれたジャパニーズ(つまり私のこと)に、リュックに付けたシルバーファーンのバッジを見せながら、アメージング!と感激してくれた。

   シルバーファーンは大きさが桁違いらしいが、早い話が「裏白」だ。
   目出度い話だと思う。 
   この半年、モリアオガエルは何度も私を楽しませてくれた。
 そして、外国人観光客も。
 しかし、日本人観光客は少ない。ああ。

 奈良公園の私の歩いた道は金木犀の匂いに包まれていた。
 もうすぐ多数のナンキンハゼの紅葉が綺麗だ。
 ナンキンハゼは有毒のために鹿に食べ残された外来種なのだから、奈良公園のその美しさを喜んでいいのか悪いのか。

2016年10月2日日曜日

安倍内閣の傲岸不遜

   9月26日付けで宮内庁長官が退任した。
 通例では宮内庁幹部の人事異動は春にされていたので今回は異例である。
 その後(あと)の長官には次長が昇任し、その後の次長には西村内閣危機管理監(第90代警視総監)が就任した。
 つまり次長は次代の長官になるわけであるが、それが22年ぶりの警察官僚となった。
 これも通例でいえば、事務次官経験者がどこかの省の顧問を経て就任するものなのだが、官邸バリバリの危機管理監から直通での就任は異例中の異例である。

 私は以前の「天皇のお気持ち」の記事で、「安倍首相は怒り心頭だろう」と書いたが、今回の人事異動は明らかな安倍内閣の報復人事である。
 あまり世間で知られていないことだが、官僚の人事は以前は基本的には各省庁のルールにのっとって行われてきたが、現在は官邸が人事を一元化している。
 このことで、「野人」といわれるような骨のある官僚が全てパージされ、それぞれの省庁設置法の基本精神ではなく政権の思惑通りに働く僕になっている。

 いま報復人事だといったがそれだけでは正確ではないだろう。
 はっきり言えば、これは安倍晋三による「天皇封じ込め」策である。
 西村次長はその刺客である。

 ピント外れかもしれないが、共産党の支持者の皆さんの中には、天皇のお気持ちなどにコメントするのを嫌う気分があるように私は思う。
 しかし、何も天皇におもねて安倍批判をするつもりはないが、安倍首相の天皇に対する傲岸不遜の態度は憲法や民主主義の観点から批判されるべきではなかろうか。
 現憲法を純粋に守る立場に立つなら、天皇問題への安倍内閣の態度をもっと批判していかなければと私は思う。
 首相は、子飼いの内閣法制局長官に「特別立法がよい」との誘導答弁をさせている。
 「お気持ち」に沿うなら皇室典範の改正が筋だろう。
 
 黙っておれば官邸による天皇の政治利用が大手を振る。
 それは明らかに大日本帝国憲法体制への回帰の道だろう。
 現下の天皇問題は、戦後民主主義の危機の一側面だと私は考える。

2016年10月1日土曜日

政局の話

20日、二階派総会で
幹事長は「いつ選挙が
あったもいいというように
準備を怠りなく」と指示した
   政局の話など好きでもないし得意でもない。
 ただ、用意周到な権力者の思惑に対し、全く無防備では後で臍を噛む。
 なので、冨田宏冶関学大教授や宮本岳志議員の諸論なども参考に「解散総選挙が遠くない」という推測記事を書いてみる。

 先の参議院選挙で、いわゆる改憲勢力が3分の2を超えたので、政権に首根っこを押さえられているマスコミは、「自民党の大勝利」「野党共闘の不発」を国民に印象付けようと記事を構成している。だが、ほんとうにそうなのか。

 自民党が得票を増やした事実はあるが、それは第3極と言われていた みんなの党、維新の党、次世代の党などに浮気していた票が戻った側面が大きい。
 そうすると、明らかに得票を伸ばしたのは 民進党と共産党である。

 次に3分の2のことだが、前回選挙からいわゆる改憲勢力は12議席減らしている。
 それでも3分の2を占めたのは、野党共闘ができていなかった前回選挙結果の「おかげ」である。
 3年後の次回参議院選挙で民進党も共産党も全く前進せず現状維持だったとしても、3年後には「3分の2」は崩壊する。
 アベノミクスのメッキの皮はますます剥げつつあるし、TPPの裏切りに対する東北の反撃、フクシマ、沖縄の歴史的結果を見れば、安倍首相にとっては、化けの皮が剥げないうちに解散総選挙はしたいが、その結果はマスコミがおだてるように楽観できないというのが、リアルな国会の状況だろう。
 
 
 今年5月に衆院定数小選挙区△6、比例代表△4の公選法改正案が成立したが、区割り変更などの作業があるので適用されるのは来年5月以降といわれている。
 その上に周知期間が1年程度必要といわれているから、来年の5月を過ぎれば再来年の夏まで事実上総選挙ができない。その9月は安倍総裁の任期である。
 そういう条件の下で、自民党は例年1月の党大会を3月と発表した。

 これらのことを常識的につなぎ合わせると、12月にプーチンを呼んで仰々しい政治ショーをマスコミに取り上げさせて、政策のボロが目立たないうちに1月通常国会冒頭解散・総選挙、それを乗り切れば3月党大会で総裁の任期延長、その後は東京オリンピック等々の報道の陰に隠れて憲法改悪へ・・・と想像するのが常識ではないだろうか。

 そして、官邸にとってはそれは上手い作戦に見えるが、・・・私たちにとっては野党共闘側のチャンスに思えないか。
 ただし、権力側の周到さに比べると野党側には時間がない。
 政局情報に一喜一憂する必要ないというところは押えつつも、現実社会に無防備なのはいけない。