2016年11月3日木曜日

続 インダス文明論

   10月29日のインダス文明論で、「定説・通説が当てにならん」と書いたが、長友奈良教育大学前学長によると、そもそも「世界の四大文明」などという概念を教科書で教えているのは日本ぐらいだという。
 「世界の四大文明論」というのは、清の政治家梁啓超(1873-1929)が唱えた「東洋(黄河文明)にも西洋に負けない文明があったのだぞ」という一種の政治論であって、歴史学の概念でも何でもない。
 それを日本では今でも歴史の教科書に載せているのだという。
 歴史的には長江文明が結構古いし、内容的にはインカ文明やマヤ文明の中身は濃い。
 なので、この国の歴史教育は、皇国史観の時代とあまり変わりなく閉鎖的で独善的なようだ。

 『気候と文明』でE・ハンチントンは、「1年中暑い熱帯、あるいは1年中寒い寒帯といったところは気候があまり変わらない。そこでは、人間は環境の変化からは影響を受けず、愚鈍で放縦な生活をするようになり、文明は発展しなかったのだ」と述べ、・・
 名著『風土』で和辻哲郎は、「暑熱と結合せる湿潤は、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃というごとき荒々しい力となって人間に襲いかかる。それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる」と指摘した。

 何れも、20世紀の一瞬の光景で歴史を解釈し、異なる文明・文化を蔑視している。よくないことだ。

 教科書ではないが日本のマスコミは毎日毎日「日本はこんなに素晴らしい」と発信し、「外国(人)はこんなにおかしい」と笑っている。
 こうして、四大文明論を完璧に信じてきた庶民は、知らぬ間に「愉快な」ナショナリズムに酔うていくのだろう。
 もう一度言おう。通説・定説を疑え! 心地よい言葉には気を付けよう! 
 先人は言った巧言令色鮮仁。
 義母曰く、毒キノコは綺麗ねん。(「毒キノコの見分け方」について答えて)

 『環境と文明の世界史』(歴史新書)で石弘之氏は、「インカはやさしい文明で奴隷を持たなかった」「身体障碍者も〈神のお使い〉として大切にされた」と述べているが、この国の現代社会の殺伐とした経済至上主義を思うと、古代が未開で人間はその後進歩してきたなどと軽々しく言えないと私は頭を抱えている。

 最後に、インダス文明の主人公はドラヴィダ人でその言語はタミル語だったといわれている。
 かの有名な大野晋博士の「日本語タミル語起源説」(と言ってしまうほど先生の説は単純ではないが)のドラヴィダ人・タミル語である。
 それを思うだけで私は興奮して眠れないのだが、そこへ踏み込むと紙数が圧倒的に足りないので、今日はここまで。

    刺激ある論に眠れぬ夜長かな

1 件のコメント:

  1.  今日プレバトがあった。やっぱり私の五七五は散文だ。
     先日は、いつき先生の半生のような番組を見た。やっぱり偉い人だ。

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