2016年10月4日火曜日

今を生きる

凜ちゃんは、曾祖母ちゃんの
ほっぺたを思いっきりつねった
   先日、孫の凜ちゃんが産まれて初めて曾祖母(ひいばあ)ちゃんと対面した。

 重いハンディを持つ孫なので、先生には「人混みには連れて出ぬよう」言われていたし、いや、それよりも、ハンディを知った曾祖母ちゃんが心に重荷を背負ってもいけないし、
 反対に、判断力が低下したことで、あまりに正直に感想を述べたりすると、母親である私の娘にショックであろうと、結局、1歳数か月経っての初のご対面となった。

 幸いにというか、幸か不幸か曾祖母ちゃんはハンディのことは全く判らず、素朴に曾孫を喜んでくれた。

 我が夫婦としては、1年数か月間凜ちゃんのことを母(曾祖母)に伝えていなかったので、つまりは、ある種の嘘をついていたようなことだったので、「これで、ようやく贖罪ができただろうか」と、ほんの少しだけ心が軽くなった。

 当初の予定では既に済んでいたはずの本格的な手術も、良い意味でなく時期が先送りされていたり心配の種は尽きないけれど、この1年数か月は親も私たち祖父母も鍛えて成長させてくれたと思っている。

 次に述べる感想は非常にレベルの低い歪んだ感情だとは解っているのだが、この際だからとあまりに素直に語らせていただければ、病院の待合室の光景は千差万別で、もっともっと重症だと思われる子供を抱えて、それでもめげずに診察に連れてこられる多くの母親を見ていると、「これっきしで弱っていてどうする」と、言葉はおかしいが元気をもらうことが多い。

 「明けない夜はない」「山より大きな猪は出ん」などと訳の解ったような解らんような呪文を唱えながら、目の前の幸せに感謝して生きたいと思う。
 僧職にある先輩のブログの「今を生きる」というタイトルをこの記事に無断でいただいた。

3 件のコメント:

  1. 随分と前になりますが、いとこの子供(いとこおい)が結婚し、生まれた子供に軽度の病気が見つかり、出勤前に車に乗せて診療に通っている、ということを聞き、盆正月の集りで無邪気に遊んでいたあの「いとこおい」が立派な父親になったんだと胸が熱くなったことがありました。24時間テレビとかパラリンピックをきっかけに「感動ポルノ」論争があるようです。この場合のポルノとは、「人の心に刺激を与え、何らかの感情を引き起こさせること」と解釈させるようですが、人の素直な感情がややもすると人を傷つけることもある、という事でしょうがこの写真を見る限り、無垢な心と、無垢に戻りつつある(私流の解釈ですが)心が繋がった笑顔だと思います。心配ご無用!

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  2.  長谷やん、急な法務があり、うかつにもこの記事に気づきませんでした。
     一読して、ようやくこの記事を投稿する気持ちになった長谷やんご夫婦の葛藤、理性、感情などを想像し、言葉になりませんでした。
     71歳を超えた最近しばしば思う事があります。年に数回里帰りする孫たちと出会う度に、孫たちはどんどん成長し、私はどんどん衰え、両者の人としての能力がどんどん縮まっていくことを実感します。夫婦二人だけでは自覚することのない私の老いを孫たちの存在が知らせてくれるのです。そうして緩やかに無理なく私たちを最終ゴールに導いてくれるのだと思えるようになりました。私にとって、そんな日常を過ごすことが「今を生きる」ことだと、釈尊から学びました。
     

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  3.  ひげ親父さん、和道おっさん、コメントありがとうございます。

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