2013年11月3日日曜日

謎のピラミッド 頭塔

  「東大寺南大門の真南約950mに方形七段の謎のピラミッドがある」と、よくテレビのクイズ番組などにとり上げられている。
  奈良時代最大の事件であった藤原広嗣の乱で殺された広嗣の怨霊が仇敵僧玄昉を空の上で八つ裂きにして都にばら撒いたが、その頭が落ちてきたところがここで、故に頭塔というと巷間信じられてきたが、神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が土塔(石塔)を築いたとの記録もあり、伝説よりも面白くはないが、行基さんの造った堺の土塔(地元の人々は「どうと」と呼んでいる)と同じ仏塔である。

  妻は「あれが仏塔やというのは当たり前のことやろう」と即肯定するのだが、私はなかなか納得できなかった。
 仏塔といえば我が国では三重塔や五重塔が一般的であるし、767年の平城京の外京といえば、東大寺、大安寺、元興寺、興福寺等々の堂塔の文字どおり甍の波であったはずである。
 その中に新たに塔を築いたにしては失礼ながら些かちゃちではないかと不満であった。
 だから「ほんとうに仏塔なの?」という疑問がなくはないのだが「そしたら何や」と問われると答えはなく、きっと、留学僧や渡来してきたバラモン僧の知識から、仏教の原点に返れという、・・・ストゥーパや甎(せん)塔に返れという思想なのだろうと想像する。

  さて、奈良時代の石仏で現存しているものは珍しいらしいが、七段の奇数段に石仏が計44基配置されていたらしい。今は、現存している石仏の部分に屋根がつけられて風雨から守っている。
 奇数段に長い屋根があったのか、なかったのか、石仏の部分にだけ屋根があったのかについては諸説あり未確定らしい。
 ただ、復元された『石仏の部分にだけ屋根があるデザイン』は私にはどことなく違和感がある。
 ある一説に基づいて石仏のところだけ屋根を付けるというような復元が許されるのだろうか???
堺の土塔
  普通にこれを見たら、奈良の都にこんな形の土塔があったと人は思ってしまうだろう。
 堺の土塔のシンポジューム関係の本に土塔と頭塔の復元図があるが、そこでは頭塔の奇数段の上に端から端まで屋根が葺かれている。すっきりしている。
 現状の復元案は奈良文化財研究所と奈良県教育委員会の判断らしいが、そして、発掘された瓦の数が少ない等の理由があるのだろうが、それにしても復元ということは怖ろしいものだとしばし考え込んでしまう。
 発掘調査直後の写真がパンフレットに残っていたが、この形で残しながら複数の復元案を別途展示する方法はなかったのだろうか。私にはその方がしっくりくる。

 少し余談だが、今この国の政府は秘密保護法だ国家安全保障会議だと突っ走っている。再び大本営発表の報道で国民を善導したいらしい。
 「そんな簡単には国民は騙されへんやろ」と多くの国民は思っているだろうが、こんな復元を見ていると(この復元が全くの誤りだと言っているのではないが)、性格の穏やかな庶民を善導するのはわりと容易いような気がしてくる。

 なお、この夏に堺の土塔を見に行ったが、復元された土塔は基壇も瓦敷きで全体が約67000枚の瓦で葺かれた十三重塔で、立派なものである。
 指導者行基さんと、河内・和泉の大古墳群を造り守った土師氏集団の高度な技術に圧倒された(土塔町の隣が土師町である)。一見の価値がある。
 堺の土塔に行かれる方は、バスのアナウンスまでもが「どとう」ではなく「どうと」であるからお間違いの無いよう気を付けていただきたい。

 追録  堺市発行「史跡土塔講演会録」に掲載の復元想像図

2013年11月1日金曜日

粉山椒

  青山椒を収穫したことは5月21日のブログに書いた。
 そしてそこに書いたとおり、その後第2弾第3弾の収穫も行った。
 だから、今年の山椒の実は全部採ったはずだったのだが、採り残していた実が秋空に赤く輝いてきた。
 ということで、今度は粉山椒に挑戦することにした。

  よく見ると赤い実のほかに、枯れたように茶色い実も残っている。調べてみると、どちらも使えるらしい。
 両方の実を収穫して、洗った後に1週間ほど乾かせた。
 そうすると、茶色い実の写真に写っているとおり、赤かった実の方からも、中から黒い種が顔を出してきた。
 素人の私のイメージなら、この黒い種こそ粉山椒の基に思われるが、この黒い種は捨てるのである。意外であった。
 太い不器用な指で選別して捨てるのは結構難しい。というか面倒である。
 要するに、粉山椒を挽く前の原料はこの「種の殻」だというのだから少し驚いた。
  これをペッパーミルで挽くと本にはあったが私はすり鉢で擂ってみた。あなどって小さいすり鉢でやってみたが手ごわかった。ほんとうに手ごわかった。やはりペッパーミルをお勧めする。
 そして、鴨ロースの山椒焼を作ったが、ご想像どおり文句なしの美味しい一品が仕上がった。
 残りは瓶詰にして残してある。
 日本原産の香辛料を自前で作ったのだから不味いはずがない。
 息子夫婦、娘夫婦も美味しいと絶賛したが、お父さん手作りの粉山椒だから一先ずは誉めておこうという心遣いかもしれない。
 子供たちに心遣いされるのは不本意ながらありがたい・・・と喜んでいていいのだろうか。

2013年10月30日水曜日

それは秘密です

  安倍自公内閣が25日に特定秘密保護法案を国会に提出した。
 防衛、外交、特定有害活動、テロなどの情報が対象だというのだが、悪い冗談でなく「どういうものが秘密事項なのか」と聞くと「それは秘密だ」というものである。ウソのようだがほんとうにそういうものである。
 何でも戦前になぞらえて「オオカミが来た」的に語る気はないが、「戦後レジームからの脱却」をいう安倍首相が戦前の国防保安法や治安維持法を肯定的にイメージしていることは間違いない。
 直接的には、イラク以後日本の直接的な軍事的貢献を強く求めてきたアメリカが、軍事戦略や情報が日本から漏れないよう対策を立てろと要求してきたものであることは周知の事実であるが、同時に、改憲に熱意を燃やす首相が、予想外の9条改悪反対、96条改悪反対の世論の反発を受けて、「それなら沖縄密約方式で事実上の改憲を進めて海外派兵をしよう」、「世論なんか“現地の日本人の命を助けるためだった”ぐらいのことを言っておけば何とでもなる」、「その情報が漏れないように法律を作ればいい」と考えた所産に違いない。
 特定秘密保護法案は偽装改憲である。
 ということをブログに書いたら懲役10年なのだろうか。
 
 政府・与党の修正協議では「正当な取材の自由には配慮することにした」らしいが、この文言はイチジクの葉っぱにもならないと思う。
 私は結構政府の報道管制やマスメディアの癒着ぶりも知っている方だと自負しているが、それでも、ネット(youtube)上で入手したフクシマ原発事故に関するドイツ公共放送テレビの報道を見ると、驚きの事実(直後の例の水素爆発と言われているものの嘘や日本で一切報道されなかった諸事実)の数々に目が回りそうだ。
 知る権利は今でもこの有様なのに、この法律後は懲役刑をもって情報を管制するのだ。
 報道が縛られる、公務員が縛られるというのは国民全体が縛られることである。

 まさに、『「ブレジネフは馬鹿だ」と言った男が国家機密漏洩罪で投獄させられた』という有名なロシアンジョークを笑うことができない。
 才能のない私などは『首相は嘘つきではない。IOC総会では原稿を読み飛ばしただけだ。原稿には「汚染水「の報道」は完全にブロックされている」と書かれていたのだ。』とか、
 『「フセインは核兵器を隠したらしい」と言ってもいいが「実は持っていなかったんだ」と書けば秘密漏洩で逮捕される。』というぐらいの駄作しかできないが、秘密保護法案は格好のロシアンジョークの題材ではなかろうか。
 素晴らしいロシアンジョークは、シュプレヒコール以上の効果を発揮しないかと密かに思っている。
 誰か作品をコメントしてくれないだろうか。

2013年10月28日月曜日

石焼芋

こんな感じ
  「安納芋が採れたぞ」と小・中学校の同級生が送ってきてくれた。(安納芋は流行りのブランド品らしい)
 ズシリと重い箱で、「なんぼ送ってくるのや」と妻がびっくりしたが、「実は一番おいしい石焼で食べて欲しいから」と土鍋と石ころまでが同封されていた。
 ここまでされると、落葉で作る焼芋の楽しみが減るが、真っ黒な灰にしてしまう心配はなくなった。
 『弱火で5分・中火で40分を目安に箸を刺してみるように』との手とり足とりのレシピまで付いていた。
 娘夫婦が来たので早速焼いてみたが完璧であった。(収穫から3週間から1か月間熟成させるようにとの指示には反したが)
 みんな異口同音に「美味しい」と称賛した。
 だから、「焼芋は焚火やろ」というような意地を張らずに美味しくいただこうと宗旨替えをすることにする。
 いや、ほんとうに焚火での焼芋は難しい。
 何回も焼き過ぎて後悔した。
 そういう失敗が今後なくなるのだが、確実に美味しく出来上がるというのもちょっと物足りないという寂しさを感じている。
 息子は「お父さんとこへ送ってブログに書いてもらおうと思ったんやろか」と茶化したが、同級生は絶滅危惧種のワープロ派である。
 このブログを印刷して送付しなければならない。
 
 私は、庭の猫の額のような菜園の草むしりさえふうふう言って、秋の深まりまで放っていた。
 もちろん、土を耕すのも必要最小限といった感じである。
 だから、「午前中は畑、そして昼食にビールをあおる」らしいが、春夏秋冬、相当な農作業をしているその気力と体力には敬服する。明日から、何十分の一かの真似事を!と思うのだが、日が替ると意思がなえている。

2013年10月26日土曜日

解らない 添御縣坐神社

三碓の・・・
  我が家では、お正月にはお屠蘇が醒めると、その地の産土神(うぶすながみ)に詣でることが多かった。どちらのご家庭でもよく似たものだろう。
 奈良市の西部に住んでいたときには、近く(三碓:みつがらす)の添御縣坐神社(そふのみあがたにいますじんじゃ)に行っていた。
 小山を背に、南北朝時代の社殿が綺麗に現存している式内大社で舞台もあり、小さいけれども立派な神社だった。
 トンドにあたりながらお屠蘇を戴いた。

歌姫の・・・
  その後奈良市の北部に転居した折には、近く(歌姫:うたひめ)の添御縣坐神社に行って、ここでもトンドやお屠蘇を戴いた。 しかし、添御縣坐神社だと?・・?#$%&??
 ・・・・、「何か前の神社とよく似た名前の神社やなあ?」「あちこちに八幡神社や春日神社があるように同じような名前の神社なのかなあ?」と気にはなりつつ、それほど気に留めずに・・・過ごしてきた。
 ほんとうはここで「おかしい」と気づくべきで、その辺が鈍感だった。

 そしてその後、・・・・少しばかり歴史を齧りだすと、当時のその疑問がやはり気になってきたのでここに書いてみる。

 県(あがた)とは大王(天皇)家の御料地のようなものらしい。
 なかでも、大和の高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布の六つの県は王権の中心地にあって歴史も古く、それ故にその御縣に坐す神々は大切にされていたように延喜式の祝詞には書いてある。
 そのため、各御縣には「坐す神社」があるのだが、・・・ハテ、なぜ、曽布(添)県(そふ(う)のあがた)だけには二つあるのか?
 少なくとも延喜式の時代には二つあるとは書かれていないから、とすれば延喜式の添御縣坐神社はいったいどちらなのか?
 この辺りのことについて最も詳しいのではと私が思う歴史学者千田稔先生も、「どちらが延喜式に書かれている添御縣坐神社なのかは解らない。」と書いておられるが、「平城京は添御縣に造られた・・という仮定にたてば大極殿の真北近くに鎮座している歌姫の神社かも。」と、やや歌姫寄りのように見受けられる。
 私の結論は、・・もう一度自分の目で確かめに二つの神社を廻ってみたのだが、・・結局よく解らない。三碓説も捨てがたい。
 で、ただ、ごくごく私的には、二つの添御縣坐神社で何回もお神酒を戴いてきた我が家としては「どちらでも構わない。」という、ええかげん無責任な立場に立っている。
 こういうことについて、昔なら徹底して自分なりの見解を主張するところだが、古代史あたりを散歩してみると、「判らないことは判らない。」と思えるようになってきた。
 それが、成長した結果なのか、ズルくなったからなのかはワカラナイ。きっと後者だろう。

 さて、歌姫の方は、氏子の長老が一年交替で神主となり、任を終えると十人衆と呼ぶ宮座に入るらしい。
 どう考えても中世のしきたりがそのまま連綿と受け継がれて今もある。
 全く「新日本紀行」の世界である。
 そして、どちらの神社もすぐ近くに住宅地が迫っている。そのコントラストがなんともあはれである。
 そして、私はといえばいつも迫っていく住宅地側の新住民で、こんな記事を書いていると、そんな自分の根無し草ぶりが少々寂しくなる。
  といって、伝統の重い田舎暮らしは窮屈そうで出来そうもないのだが。

2013年10月24日木曜日

浅葱斑がやって来た


  人間がひねくれているせいか、権威ある書物でさえ自分で確認できていないものは直ぐには信じ難くなっている。
 「アサギマダラはフジバカマ等に含まれる毒性のアルカロイドを摂取して敵から身を守っている。」などというのもそうであった。
 「私を食べたらえらいことになるわよ!と、あえて目立つような色模様なんだ」と。
 浅葱斑に聞いてきたような記述がある。ほんまかいな。

 ところが、ふわりふわりと、ほんとうにふわりふわりと藤袴に浅葱斑がやって来たので、夫婦で「ほんとうに藤袴には浅葱斑がやってくるんだ!!」と感嘆の声を上げた。
 浅葱斑は揚羽蝶のように大きいが、飛び方は文字どおりふわりふわりである。
 鱗粉のない羽根が浅葱色(ごく薄い藍色)で、その美しさからオオムラサキと最後まで国蝶の地位を争ったと本にあった。
 そして夏には八ヶ岳等のような標高1000メートル以上の高山で暮らし、これから台湾辺りまで越冬のため渡る途中らしい。
 ただし、精確には中部から北方の平地にも居たり、本州内で越冬するものもあるという。
 しかし、まあ、日本では唯一の長距離の渡りをする蝶として有名である。
 それに、北上してきた蝶と南下する蝶は世代が異なる(親と子)ようだが、それならどうして方角や、中継地である島々や、目的地を知っているのだろう。わずか10数gの蝶が偏西風に抗って2000kmも南下するエネルギーはどのように得ているのだろう。“偉そうな人間”の知らない自然はいっぱいある。(我々はほんとうは何も解ってはしない。)

 それにしても、その長旅の途中でどうして我が家の藤袴を見つけたのだろう。その能力の不思議さには言葉もないし、我が家を選んでくれた光栄を熱い胸で感じている。
 正直に言えば藤袴という野草そのものはパッとしない見栄えである。その割に場所をとるので妻の評価は低い。「抜いたらどう?」と。
 しかしこうなれば、浅葱斑の宿駅として絶対に途絶えさせることはできない。
 「浅葱斑御用達」の看板でも上げようか。
 このような珍しい自然界の訪問者を見つけると理屈抜きでワクワクして嬉しくなる。
 という気持ち、解ってもらえるだろうか。

2013年10月22日火曜日

山法師の実

  春(初夏)には涼しげな花を見せていてくれた山法師が秋には可愛い実を見せてくれている。
 我が家の大きな山法師の木の実は全て落ちてしまったが、小さな別の種類の方は写真のとおり未だ残っている。
 ヒヨドリが時々啄ばんでいるが、秋は草木の実(供給)が豊富なせいかそれほど売れ行き(需要)が良い訳ではない。・・ので、ただただ地面を汚しているだけだ。
 私や妻や時々外泊で帰ってくる義母が下を通るたびに摘んで食べているだけでは減っていかない。
 というのも、果物らしい酸味にかけるため、大量に食べる気がしないし、ジャムや果実酒にするにも酸味を加えなければならないようだから、そうなると純粋のヤマボウシジャムやヤマボウシ酒と言うのが憚られるから収穫せずに放っている。
 味を解説すると、① ほんわかと甘い、② ジューシーとは言えない、③ 皮が堅過ぎはしないが無視はしえない存在感がある、④ 気にはならないが種がある、⑤ 本にはマンゴーのような味と書かれているが、要するに不快なことは全くないがほんわかというかぼんやりとした微妙な味である。
 孫の夏ちゃんも2つ食べたが、「イヤ」と言うのではないが、「もうええ」という感じでそれ以上は手を出さなかった。その程度の味である。
 だから我が家では、食べるよりも実の成っている風情を楽しんでいる。
 
 風情といえば、私がだんだん横着になってきたので、この頃は手入れのいらない宿根草が増えている。

 今は、紫苑や藤袴がほんとうに無造作に伸びて咲いている。
 私は「野原の逞しさを演出しているのだ」と言うのだが、誰も賛同してくれない。
  
 
 

2013年10月20日日曜日

お練り

  春風や 巡礼どもが 練供養 (一茶) という句は、大阪、平野、大念佛寺の春の行事『万部おねり』を詠んだものである。
 大念佛寺を総本山とする融通念仏宗は、開宗900年という歴史ある主要宗派ながらあまり有名とは言えない。その理由は、信徒の多くが河内や大和、南山城等に偏っているためだろう。
 『家の宗旨』などという概念は古臭いかもしれないが、妻の実家がそうであった。基本的には旧村中がそうであった。
 だから、妻の実家の親戚中が集まった時に「まんぶ」がなんとかという話題が頻繁に飛び交っていたのだが、最初は何のことか判らないでいた。そしてそのうちに、それが大阪市指定無形民俗文化財でもある結構盛大な行事であることを知ったが、今日まで実際に足を運ばずにいた。

  19日に、そのお練り(ダイジェスト版?)が大仏殿で厳修されるというのでお参りに行ってきた。
 東大寺は基本的には檀家を持たないお寺なもので、数々の行事も結構少人数で行われているという経験からそのつもりで行ったのだが、さすが末寺や檀家を持つ融通念仏宗というべきか、朝の9時過ぎには大仏前は一杯であった。
 そして、お坊さんたちによる雅楽に先導されて今回は十菩薩がお練りになった。
 一言で言えば、来迎の世界をビジュアル化した宗教劇だろう。
 若い頃私は、正直に言うとこういう宗教行事が好きではなかった。親鸞聖人の説く精神性の対極のような感じがしていた。
 しかし、私も歳をとったのか、今ではこういう風に「教育宣伝」に腐心した先人の苦労と創造力に頭が下がるようになった。仏像を刻むのも伽藍を飾るのも声明も絵解きも節談説教やそしてお練りも、その折々の創意工夫だったんだと思えるようになってきた。

  創意工夫といえば、お練りの菩薩様は皆アジアンビューティーのロングヘアーというのが意外だった。やはり来迎は女性的なほうが好まれたのだろうか。
 観音様に千本の手を付けたのも、蝶に八本の足を付けた(写真)のも、その当時の精一杯の創意工夫だったのではないだろうか。

2013年10月18日金曜日

種を蒔く

  先日、水菜、ほうれん草、菊菜、豌豆等冬野菜の種を蒔いた。といっても私は少し土をほじくっただけで蒔いたのは妻であるから、「蒔いた」などと偉そうには言えない。
 どの種も立派に発芽したが、写真はその「サラダ水菜」である。
 半坪農園であるから、5株ほどで十分で、外側から“摘んでは食べ 摘んでは食べ”していくと春までもつ。
 つまり、あとの99.9%は間引くのである。それを惜しんで間引かないと生育不良になる。
 解ってはいる、解ってはいるのだが、いつも「もったいないなあ」と眺めている。
 そもそも、家庭菜園用にはもっと少量を安く売ってくれればいいのである。金銭の問題ではなく「もったいない」の問題で、金銭でいえばスーパーでいくらでも安く大きな完成品(野菜)が手に入るから、家庭菜園など手間暇や肥料のことなどを考えると無駄である。

 さて、豆類の種などは不自然な色(薬品で)にコーティングされていて「食べないでください」と書かれている。
 そんなことは農家ではずっと以前から常識なのかもしれないが、最初にこれを見たときには驚いた。こんな不自然な種を蒔いてもいいのだろうかと。
 大型スーパーには、寸法の整った大きくて綺麗な野菜が並んでいるが、ということ自体が不自然なことではないのだろうか。コーティングされた豆を見ながら、これが社会の進歩なのだろうかと首を捻っている。
 
 TPPが危険な段階を迎えているが、アメリカがしたがっていることは、アメリカ、アルゼンチン、インド、イラク、メキシコ、ハイチ等々を見ればよく判る。堤未果著「㈱貧困大国アメリカ」に詳しく報告されている。
 モンサント社のような一握りの種子や肥料・農薬の多国籍(アグリビジネス)企業が、遺伝子組換(GM)種子とその種子に特化した除草剤や農薬を絨毯爆撃のような価格競争で持ち込み、その後は一様に農民が没落している。そして数年後には土が荒れ、収穫量が落ちている。
 なお、モンサント社のGM種子を使用した農家は次のようなライセンス契約を結ばされている。
 ・ 自分の農地で採れた種子を翌年使用することを禁止する。
 ・ 毎年種子はモンサント社から購入する。
 ・ 農薬は必ずモンサント社から購入する。
 ・ 毎年ライセンス料をモンサント社に支払う。
 ・ トラブルが起きたときは内容を他者に公表しない。
 ・ 契約後3年はモンサント社の私設警察の農場立ち入りを認める。
 こんな怪しげな契約を詐欺的にさせておいて、その後そこの政府が遺伝子組換食品を規制しようとしたりすれば「知的財産権」や「高額賠償」で対抗するというのがTPPである。
 これらの国々で4~50年後にどんな身体の異常が出現するかも解らない。

 私は現在、日本の民主主義を願う人々が、地方自治や国政の民主化と同時に、多国籍企業を規制する国際的な取り決めについてもっと関心を払ってもいいのではないかと野菜の種を見ながら思っている。  
 
 

2013年10月16日水曜日

祝勝会にはクスダマでしょう

  「9月29日に投開票される堺市長選挙はちょっとした歴史のターニングポイントになるだろう」と語ってきたが、10月5~6日実施の朝日新聞の世論調査では維新の政党支持率が1%に凋落するなど、あまりに見事に社会が推移していくことを驚きながら喜んでいる。
  もちろん、大阪府知事、市長、そして府議会過半数等々の維新の影響力を軽視してはならないが・・・。
 “投票締め切り即当確”が打たれ、私の携帯にも「祝勝会をしましょう」とメールが入ったが、なんやかんやと手間取り、ようやく今夜の祝勝会と相成った。

  「祝勝会ならクスダマやろ」という発想自体には何の新鮮味もないが、お互い歳をとると何事によらずただ集まって酒を酌み交わすというマンネリに安住しがちなので、一念発起というほど大袈裟な話ではないが、クスダマの仕組みを調べ、使えそうな材料を調査するためにホームセンターを散歩し、結果的には、ボール2個、モール2本を・・百均で400円で仕入れてきた。
 あとは実験や試作を繰り返しながら嬉々として製作したが、妻が「何をごそごそ作っているかと思えば、またまたあ~」と冷やかした。
 ということで、10月の頭には完成し、約半月間この日まで熟成してきた?クスダマなので、大型台風26号の大雨ぐらいで止めるわけにもいかないから、大事に抱えて持参した。

 さて、作ってから「クスダマって何やろう?」と疑問が湧いてきたので思いつくまま綴ってみると・・、
 古代中国の道教の風習に端を発し、少なくとも平安初期には始まっていた「薬草や香料を入れて不浄を払い邪気を避けた薬玉」に起源がありそうで、それが“見た目”だけ発展して仙台七夕のクスダマになり、さらに近代、パフォーマンスの要素を加えて進化したものではないだろうか。
 “見た目だけ”とか“進化”と一言で言ったものの、七夕飾りのクスダマとパッと割れて飛び出してくるクスダマとの間にも質的な飛躍があり、牽強付会ではないかと自問しなくもないが、舞い散る紙吹雪はお祓いの要素を、パッと割れて瞬間に現れる垂れ幕は桃太郎の誕生に似た生産や繁栄を願う祈祷の精神を「覚えている」からなのではないだろうか。
 穿ち過ぎかもしれないが、最初に作った日本人?にはイグノーベル賞を進呈したい。
 なぜ発明者が日本人らしいと思ったかといえば、垂れ幕は日本、中国、朝鮮、モンゴル等の『縦書き』の文化であり横書き文字文化圏の発想ではないとしたら、近代の日本人である蓋然性は高いと私は考える。
 (割れて垂れ幕の落ちるクスダマの発明者をご存知のお方はご教示ください。)

 以上のとおり、「クスダマ割り」は、隧道や橋の開通式が一番似合った使い方であり、「優勝おめでとう」だとか「祝入場何万人目」というものもあるが、それとて、「さらなる高みに向けて幸多かれ」との祈念が基本にあるように思う。今日の「クスダマ割り」も同様に理解したい。

 で、祝勝会でどうなったかについては言わぬが華。基本的には皆さんに喜んでいただけた。私は安全神話の信奉者ではないから改善点が明らかになったらなったで次回には改良型をお披露目しようとやる気が出てきている。

2013年10月14日月曜日

祖母ちゃんの玩具

  大阪の「まっちゃまち」は今でも一部の店では「小売りはしません。」と貼り紙のあるような、玩具と人形の問屋街である。そこで電子オルガン?を買ってきた。
 行く前には「おもちゃのシロホンでもないかな」と思って行ったのだが、こちらの方が安かった。
 単純な構造=木の台に鉄板を打ち付けてあるような玩具の鉄琴よりもこの電子機器の方が安いのだが、それが頭で理解できても心で理解できないのは何故だろう。

 さて、2歳の孫はもちろんドレミも判らない。
 しかし、このごろはこの種の玩具が多いせいか、教えもしないのに一瞬のうちにスイッチの入れ方、各種ボタンの意味するところ(音色だとかリズム)を習得し、ボタンを押してドラムを遊んだり、リズムを自動演奏させて自由にダンスをしている。
 そういう現代っ子ぶりに爺バカは感心して目を細めている。
 これまでも書いたことだが孫はスマホで撮影するぐらいは朝飯前である。

 玩具が増えて部屋が狭くなるので、これは孫が来た時に遊べるようにと我が家に置いておくことになった。
 その結果、孫が帰ってからは妻(祖母ちゃん)がその後は遊んでいる。
 昔はエレクトーンや電子ピアノがあったが、モノにならずに棄て去った身には丁度ぴったりの玩具かも知れない。
 そして鍵盤を弾きながら「なんで楽譜の頭の♯やとか♭があるんやろう。」と忌ま忌ましそうに私に聞いたが、私も世間一般の答以上の回答しかできず、「そのうちに演奏前のボタン一つでイロハ・・が変えられるようになるんと違うか。」というようなことしか言えなかった。
 結局、ハ長調の歌だけを探し出してきて遊んでいる。
 孫に追い抜かされるのは時間の問題だろう。
 私といえば右手の人差指一本で「ちょうちょ ちょうちょ」としか弾けない。
 このブログも、右手一本で打っている。
 『もしもピアノが弾けたなら』ではないけれど、楽器のできる人々が羨ましい。

2013年10月12日土曜日

  小学校の担任の先生は作文を書くときに「常套句」が嫌いだったというか、常套句に逃げるような発想が良くないと私たちに繰返し教えた。
 という流れの中で高村光太郎の「冬が来た」という詩を讃えて教えてくれたので、そんなことが頭の片隅にあるものだから、毎年この季節になると、私は「きっぱりと秋が来た」という言葉が浮かんでくる。
 私の感覚で言えば、秋から冬よりも、夏から秋の区切りこそ「きっぱりと」という言葉が似つかわしい。
 この記事を書いているこの夜はまだ暑くてたまらない。だが、読者の皆さんが読まれる頃には、きっと「きっぱりと秋が来た」ように感じられているに違いない。天気予報はそのように言っている。
 
 という天気予報をクヌギの木は聞いているとしか思えない。
 さあ明日からは秋本番だ、と言わんばかりにドングリをまき散らしている。
 ボトッ ボトッ ボトッ と、すさましい勢いでドングリをまき散らしている。
 クヌギのどんぐりは大きく立派などんぐりだが、高齢社会の歩道上で演じられている風物詩を誰も注目もせず、もちろん拾うともしない。
 ただ私だけが、「今度孫に見せてあげよう」といそいそと拾っている。
 クヌギのどんぐりは食べたことがない。迷っている。

2013年10月10日木曜日

大黒さま

  以前に書いたことがあるが、私が小さい頃、我が家では甲子(きのえね)の日に大黒さまの掛け軸を掛けて「てんこ盛りの赤御飯」を供えていた。
 上に載せたお茶碗の蓋が湯気によってガチャンと落ちたら「食べてくれはった。」と安堵した。
  父母がいなくなった現在、これが直接的にどういう信仰(しきたり?)であったのかはいろんな考察をしてみたのだが判らない。
 またそれとは別に、母は出雲大社の信仰を持っていたので、今でも我が家には小さな木彫りの大黒さまがおられる。
  そんなことで、門前の小僧ではないけれど、孫のお宮参りにオオモノヌシ=オオクニヌシを祀る大神(オオミワ)神社に行ったときには、二礼四拍手一礼で「幸魂 奇魂 守給 幸給 (さきみたま くしみたま まもりたまい さきはえたまえ)の神語ぐらいは唱えることができていた。
 そもそもオオクニヌシの信仰は、アマテラスの信仰を戴き国譲りを受けた天皇族以前の先の大王の信仰であるが、現在庶民にイメージされているのはシンプルに心強い福の神だと思う。私としてもそれで何も不満はない。

左右にもっともっと並んでいる
  さて、私の好きな古書店のひとつに上六の天地書房がある。
 歴史の古書は奈良の東向き北・南、餅飯殿の古書店にも多いが、天地書房の方が値段が安いように感じていて贔屓にしている。
 先日、いつものように立ち読みをつづけた後に1~2冊を求めたが、その時、レジの後ろの棚の上の方に大量の大黒さまの並んでいるのを見つけた。ほんとうにすごい数である。
 尋ねてみたが「先代から引き継いだんです。」と言うだけで、集められたイワレ・イキサツ等は解らなかった。
 ほとんど全てが黒光りというか黒いので、荒神さんのように竈近辺の神さまだったのか、あるいは囲炉裏のため??、それとも、この古書店に来てからでさえ長い年月が経ってくすんだのかも判らない。
 なかなかの数であるから、一見の価値がある? 時間があれば覗いて見られることをお勧めする。
 
 世は活字離れと言われて古書店の経営も厳しいらしいが、去りゆく活字派のためにこの古書店が繁盛するよう大黒さまには天井近くから見守っていてほしい。

  余談ながら、古書店が集まって開催される『古本市』があるが、あまりに冊数の多いのもくたびれる。
 そして、「そうそう、やっぱりさっき見つけたあの本を求めよう」と思ってさっきの辺りに帰ってみても、同じような書架がいっぱいあって、さっきの本が見つからない。
 体力が消耗したときの古本市は、楽しさ半分、悔しさ半分のときが多い。

2013年10月7日月曜日

小さな収穫祭

  冬野菜の種蒔きどきを逸してしまうので、極小菜園の夏野菜類の整理にかかっている。
 ただ、満願寺唐辛子、加賀野菜の金時草、ササゲ等々猛暑をやり過ごしてから秋になって元気になるものも多くて、毎年のことであるが夏野菜を抜く時期が悩ましい。
 これを惜しがっていると、冬野菜が上手く育たない。

  青紫蘇も然りと抜いているが、その実が惜しいので少しばかり捨てずに収穫し醤油で佃煮にした。 
  料理に使うというよりも、普通のつくだ煮、あるいはフリカケの要領でご飯にのせて食べようと思っている。
  今年もシーズンが終わったが、大切な葉っぱは(100%無農薬栽培なので)年中オンブバッタにボロボロにかじられた。ただ、それでもそれでもと新しい葉っぱが出てくるので、その都度摘んで使用した。
 オンブバッタは孫が来た時に捕らせてあげようと思って放っておいたが、孫はあまりバッタを喜ばなかった。ああ。

  そういう日常の経験から、店頭で売られている大きくてきれいな大葉(青紫蘇)をみると、どうも不自然な感じがしてしまう。
  虫の入らないハウスで育てただけで決して薬づけではないとは思うのだが、どうしても見慣れた葉っぱと比べて「不自然にきれいだ。」と感じてしまう。思ってしまうので仕方がない。
 ただ、夏季全体を振り返ってみると、今年は毛虫やその他の害虫の発生が少なかった。
 嬉しいことではあるが、何か自然界のバランスが崩れているのでは・・・と要らぬ心配が頭をよぎる。
 ・・・・・紫蘇の実の美味しいレシピ、ご存知であればお教えください。

2013年10月5日土曜日

撮り鉄ちゃんを撮る

  通称:赤川鉄橋は大阪市都島区と東淀川区を結び淀川をまたいでいるJR貨物線の鉄橋である。
 鉄橋自体は複線用だがレールは単線しか敷設されていないので、空いた部分を大阪市が旧国鉄から借り受けて歩行者の生活道路になってきた。(自転車は押して・・と書いてあるがほとんどの人はそのまま走っている。)
 つまり、列車と人間が隣り合う鉄橋として知る人ぞ知る珍しい鉄橋なのだが、今般、JRが複線化するために、この10月31日をもって歩行者は通行禁止になる。
 淀川のような大河に懸る橋が一つなくなることは利用者にとっては大きな不便であるが、例によって橋下市長は、かつて架設が予定されていた代替人道橋の計画を中止した。
 
 という、あと1か月も命のない鉄橋を、秋空の下、OB達でハイキングに行ってきた。
 すると、平日にもかかわらず鉄橋には「鉄ちゃん」たちがいっぱい居て、それぞれが楽しそうに勝手にガイドをしてくれた。「先日は台湾の鉄ちゃんに説明した。」と嬉しそうに語ってくれたり・・・。
 そして、「あと30分ほどで列車が来る。」というので待っては見たがナカナカ姿を表さない。すると、「九州で人身事故を起こしたために4時間遅れている。」との情報も入ってきた。
 世はネット社会の上に鉄ちゃんのネットワークで、こういう情報まで私たちが知るというのも面白い。
 結局、1時間ほど待って鉄橋上で貨物列車とすれ違った。
 ・・・・・・ただそれだけだが、楽しい経験だった。
 鉄橋上のあちこちには「撮り鉄ちゃん」がカメラを構えていたが、私の写真の人々は「にわか撮り鉄ちゃん」である。
 でも、その一瞬、鉄橋上はお祭りのようなワクワク感が共鳴しているようだった。そのほとんどは男である。

  PS  上の写真だけでは「なんちゅうハイキングや。」と誤解を受けると困るので補足をすれば、赤川鉄橋に行く前に『毛馬の閘門(けまのこうもん)』と『蕪村公園』でしっかり勉強した。
 写真は(新)淀川から大川(旧淀川)へ『毛馬の閘門』を出てきた船。理屈はスエズやパナマ運河と同じ。
 こちらでは、先日の台風18号の爪痕があちこちにあって心が痛むと同時に、非常にメカニックな、・・・イメージとしてはロケットの司令室のような淀川水系全体の管理司令室も見て少し安心した。
  与謝蕪村のことはいつかまた。

2013年10月4日金曜日

星蜂雀(ホシホウジャク)

  同じ漢字の組み合わせでも、雀蜂(スズメバチ)は友達にしたくないけれど、蜂雀(ホウジャク)は「朋有遠方より来る」と歓迎したくなる。
 昔、探偵ナイトスクープで「ハチドリがいた!」と話題になったが、そういう誤解も納得できるハチドリ・チルドレンといった趣がある。

 ハチドリが蜂でないように蜂雀も蜂ではない。ホバリングをしながら花の蜜を吸う雀蛾(スズメガ)の一種である。
 私の好みで言えば大透羽(オオスカシバ)の方が好きであるが、写真の星蜂雀(ホシホウジャク)らしいのも好きである。
 飛び方にスピード感があり、満開の「花虎の尾」(はなとらのお)に来たかと思うと直ぐに他所へ飛び立って行くのでこんな程度でも撮影できただけで喜んでいる。

 一般には、蜂に擬態をして他の昆虫を追っ払っている・・あるいは鳥に食べられないよう防衛していると書かれているがほんとうだろうか。
 人間様にはスズメバチの親類あたりと思われて駆除されていないかと勝手に心配する。
 かく言う私も、孫が来ていたときなら「捕まえてじっくり見せてやろう。」と文句なしに補虫網を持ち出しているだろう。
 だから、その擬態が成功しているかどうかはわからない。
  そもそも、ハナアブなどで「お見事!!」としか言いようのない擬態は認めるが、ほんとうにこれが蜂の擬態なのだろうか。あんた!鳥にでも聞いてきたのだろうか・・と、ちょっと首をかしげている。虫や鳥の本などではこんな思いを抱くことが珍しくない。

 その幼虫は、我が家で言えばクチナシや自然薯で大きくなる。
 10センチ近くにもなる青虫である。その大きさと栄養価から、来るべき食糧危機の救世主と言っている学者もいるが私は試していない。(地球の未来に心配性の方は今のうちに試しておかれるのもよいかもしれない。)
 親が綺麗なのでそのままにしておくが、見事に葉っぱを丸裸にして、代わりに大きな糞をまき散らす。それでも放っておいている。
 それは、いつか帰って来てこんな写真を撮らせてくれるに違いないと思うからであるが・・、
 街行く人は「此処はなんとズボラな家だろう。」と顔に書いて通り過ぎていく。
 秋を告げる金木犀の香りを楽しもうともしないまま。

2013年10月1日火曜日

ギリシャの混迷とダンダリン

  昔、当時の大人の人から、「生活改良の運動なんかしているから社会が変わらないんだ。」「圧政によって庶民が貧しくなると人々は立ち上がるんだ。」と聞いたことがあるが、もちろんそんなことはない。
  ギリシャでは、厳しい緊縮政策と失業の激増という閉塞感の中から「黄金の夜明け」という政党が急伸した。公約は、「すべての移民を国外追放し、国境地帯に地雷を施設する」だ。シンボルデザインも鍵十字によく似ている。
 昨年6月の総選挙で7%、18議席を獲得、9月には13~15%の支持率だった。
 そして、同党党員が反ファシズムの歌手を刺殺する事件まで発生し、それまで黙認していた政府も、ついに党首と国会議員4人をその殺人事件関与の疑いで逮捕した。
 私は、ネオナチ、ファシズムの台頭はこういうものなのだろうと思うとともに、どうして日本のマスコミはこの「時代の警鐘」を十分に報じないのだろうと気を重くしている。
 あまり歴史を図式的に語るのは避けなければいけないが、戦前の軍国主義台頭の土壌も大恐慌、失業、豊作飢饉等々にあった。
 先日来、「大阪では何で松井氏や橋下氏のような人物が知事や市長であり得るのか?」という質問を受けるが、そこはやはり「明日のことなんかどうでもええ」というぐらいに心身が疲れた庶民の生活の状況があるのだと思う。
 言い換えれば、「十把一絡げに・・・既存の政党にはうんざりだ。」「何でもええから、何かやってくれそうな話に懸けてみたい。」といったところではないだろうか。
 その限りでは、全国共通の課題であり、他県では、多少タテマエが尊ばれ行儀の悪い様を恥ずかしく思う風土が僅かにそこへの転落を堰き止めているだけではないだろうか。
 以前に「恒産なくして恒心なし」という孟子の言葉を引いて、失業や不安定雇用は良識や道徳を崩壊させることを書いたが、つくづくそう思う。
 故に、労働政策の充実は民主主義擁護の背骨である。
 橋下維新の労働規制緩和特区の危険性もここにある。

 話はエーゲ海の向こうのことではない。今や非正規雇用労働者は労働者全体の3分の1を超え、1990年代半ば以降、特に15歳から25歳の若年層で急増している。

 そんな中、読売テレビ(日テレ系)で10月2日スタート、毎週水曜夜10時、ドラマ。
 『働くひとを守るために、働くひとがいる : ダンダリン : 労働基準監督官』が始まる。
 期待はしたいが、だらしない上司や同僚の方が目立たないかと、年寄りは何かとつまらぬ心配をしている。

2013年9月29日日曜日

山の動く日来る

  今夜は、堺が生んだ歌人与謝野晶子の詩の中から抜粋させていただきたい。
  『青鞜』創刊号の巻頭詩の冒頭部分である。

  山の動く日来(きた)る
  かく云へども人われを信ぜじ
  山は姑(しばら)く眠りしのみ
  その昔に於いて
  山は皆火に燃えて動きしものを

 眠れるかのように見えていた堺の山の動くを私は見た。嬉しい。
 いっしょに心を合わせた人々、陰に陽に励ましていただいた人々とこの気持ちを分かち合いたい。

 どうして、こんな古く仰々しい詩を選んだかと言えば、近頃私は不快な低周波公害のように民主主義の危機を感じるからである。
 維新の橋下大阪市長はよく「民主主義とは多数決である。」故に「選挙で多数を得たということは白紙委任を受けたこと。」と主張し、現に問答無用で悪政を実行している。
 しかし「多数決」というのは民主主義の一側面を説明するにすぎず、民主主義の根幹は議論を通じてより良い結論を探ること、そのためには異なった意見の尊重がなければならない。
 ヴォルテールの「私は貴方の意見には反対だ、だが貴方がそれを主張する権利は命をかけて守る」である。
 堺市長選挙は、そういう精神で保革を超えて、あるいは神を信じる者も仏を信じる者も信じない者も市民が力を合わせた勝利だと思う。
 1970年代の社共共闘を軸にした革新自治体の太平洋ベルト地帯の誕生(これは当時、主に部落解放同盟の蛮行を擁護する社会党の脱落等で徐々に消滅)を経験した私たちは、各党が今回の経験から前向きに教訓を導きだしてほしいと願っている。もちろん、多くの不十分さもあっただろうし、まだまだ今後の典型となるような一点共闘の形ができたわけではないだろうが。
 そんな考えから、今日の、山の動いた日を、私は記憶に残したいと思っている。

2013年9月27日金曜日

ものの始まり、みな堺

  私が堺市長選挙に注目している理由は、この選挙を通じて、ほんとうに「維新」が瓦解に向かうだろうと(期待を込めて)思うところにある。
 全国的には、先の都議会議員選挙と参議院議員選挙で「維新」の凋落は明らかになったが、それでも大阪選挙区では第一党である。侮ることはできない。
 他府県の皆さんにはそれ(大阪での第一党)がどうしても理解できないことのようだが、この状況を作り出した影の主人公が関西マスコミにあるのは間違いない。

  「維新」に投票した多くの人々は「維新」の政策など何も知らない。ただ知っているのはテレビで毎日お目にかかる能弁な橋下氏の画像から受けた印象だけである。
 たまには関西のテレビは橋下氏を適当に「イジル」のであるが、結局それも視聴者に彼を疑似「友人」のように思わせる親しみを植え付けていることにもなっている。
 メディアの中の意図的に橋下氏を推すグループ以外でも、「数字が取れる」故に頻繁に登場させるテレビ局の弱点は、闇の勢力と繋がった芸能人や霊感商法の占い師を多用してきた過去と同じである。 
 不況、就職難、非正規不安定雇用等で先の見えない視聴者の閉塞感には、このテレビ発の、彼の勇ましく口汚い「口撃」が心地よい側面を持っている。その「口撃」が決して本当の強者ではない弱者間の足の引っ張り合いであることが薄々解っていてもである。

 マスコミは橋下氏の広告塔を買って出ているだけでなく、大阪人をも誘導している。
 マスコミは大阪人を評して「本音で語ってバイタリティーがある。」と繰返し言う。
 それは「知性に欠けて礼儀知らずだ。」ということと同義語で、全国の視聴者はそれが解っていて嘲笑しているが、当の(少なくない)大阪人だけはそれを知らずに「褒められている」と誤解している。
 その誤解は、大阪の街頭インタビューでよく見る「政治なんて誰がやっても同じなんちゃうん。」という冷笑をはびこらせ、「何かやってくれそう」な強者にそれを期待する。
 下卑た声でそう繰り返すビデオだけが「大阪らしい」と選択されている。
 これを繰り返している限り大阪の品格はますます低下し、「品(ひん)より金や」と言いたい人々の期待も裏切って経済は沈滞するだろう。
 そして、政治への冷笑と英雄待望は、歴史の教えるところファシズムの土壌である。
 橋下氏と「維新」が大阪府や市で行ってきた、思想調査アンケート、教員と教育委員会攻撃、「ピース大阪」の展示内容への攻撃、職員労働組合への不当労働行為等々の数々は、それが遠い昔の歴史的教訓で済まないことを物語っている。

 繰り返しになるが、橋下維新を支えているのは政策ではなく橋下氏のマスコミ登場と、100万人を超えるフォロワーを持つ彼のツイッターの力である。それは「風」とか「世論」と呼ばれたりもしている。
 これを打ち破るのは、対抗する良識ある世論だろうし、堺ではそれがいま市民運動型の選挙運動になって盛り上がりつつあるように思っている。
  平日毎日堺市内27駅頭で配布されている「日刊堺はひとつ」(写真)には驚嘆して言葉もない。
 「ものの始まり、みな堺」は追憶のことわざではなく、現代民主主義の形容としてよみがえることだろう。
 ツイッターに関して言えば、「維新」の先行きに不安と危険を感じている市民側のネット上の発言はまだまだ多くないようだが、「パソコンは苦手だ」と誇らしげに語るのを止め、一人一人が「市民メディア」になれば、その力を併せれば、例えば10万人がそれぞれ20人のフォロワーを持てば200万人になるように世論が変わる時代を迎えている。キング牧師ではないけれど、夢は広がってゆく。

2013年9月26日木曜日

十七夜盆踊り

  盆踊りというのはお寺で行うのが似合っている。
  ほんとうかウソかは知らないが、関西で最後の「踊り納めの盆踊り」だと奈良県や奈良市の観光協会の文書にある。
  ということで、東大寺二月堂の「十七夜盆踊り」に息子ファミリーと行ってきた。報告が遅れたがあったのは9月17日。

  ところが孫の夏ちゃんは、ラッシュアワー並みのあまりのスケールの大きさにたじたじ。日頃の自己流盆踊りをなかなか見せてくれなかったが、自分では十分に踊った気でいるらしい。
  去年はまだ赤ちゃんだった。今年はデビューした。来年は浴衣だと爺婆は決めている。

  私は、人ごみの中でも荷物係として判るよう、そして少しの気合を込めてショッキングピンクのポロシャツを着ていったが、踊り子連中はそれぞれ赤やピンクの揃えの衣装が多く、だから「全く目立たない」と妻からクレームを受けた。いやはや。
  さて、踊りのことだが、河内音頭系と江州音頭系の音頭取りが次々に登場し、見物席よりも踊りの輪の方が多いぐらい。そして、男性の数も少なくない。さらに、グループごとに微妙なアレンジと競争意識があったりして、テレビで見る各地の観光パレード型の踊りではない、盆踊りらしい土の匂いのする盆踊りだった。(あのセミプロ的というか、創作ダンス教室的というか、否定はしないがあれはちょっと盆踊りではないと私は感じている。)
 そして、その浴衣や法被の背中には南河内の「道明寺」や「柏原」の文字も。「これはもう病人だ!」と感心した。

 途中で東大寺が出店している屋台?の椎茸たっぷりの「小そうめん」1杯100円も2杯ずつ食べて堪能した。夏ちゃんはポプコーンとかき氷。これも100円。
 十三夜の月が煌々と会場を照らし、鹿の鳴く声が遠くでする。考えてみれば贅沢な環境であった。・・・・と満足して、二月堂にお参りもせずに帰ってきた。「この罰当たりめが」となどと言わずに今夜は観音様も許してくれるだろう。

2013年9月24日火曜日

堺の街で古事記を読む

  ご存知のとおり、古事記の最冒頭に、「神はまず最初に淤能碁呂島(おのごろじま=淡路島)を作った」と記されている。
  そして、そのことについて、つまりなぜ古事記を生んだ王権の中心地の畿内ではなく淡路島が第一に生まれたのかについて、それは海洋民であった記憶であるとか、重要な御食つ国(みけつくに)=天皇の食材を献じる国であったためとか等々、多種多様で大きな議論が専門家によってなされている。

 しかし、堺の市街地で育った私には、何となく稗田阿礼等、伝承してきた人々の気持ちが素直に判るような気がするのである。
 それは、1960年代の高度成長が始まる以前、堺市街の東には大山古墳(伝仁徳天皇陵)がそびえており、西の海の向こうには毎日淡路島がそびえていたからである。ほんとうに近くに見えていた。
 そこは、つまり、はるか北九州から韓半島及び大陸を臨んで西に伸びる瀬戸内海は、大和の首都、そして大阪湾の副都(正式あるいは事実上の。そして一時的には首都でもあった。)にとって、新しい文物の入口であったからである。

  我が国の国道第1号線は、難波宮(なにわのみや)から大道(だいどう)を真直ぐ堺に向かい、堺から東に飛鳥に向かった竹内街道(たけのうちかいどう)であった。
 だから、この国道や大物流経路の大和川を行き来した畿内の王権にとって淡路島は、毎日すぐそこに見えている正門の城壁に見えていたに違いない。
 となると、もう一方の大山古墳(伝仁徳天皇陵)を筆頭とする百舌鳥古墳群は、上海やドバイが競ってタワーや高層ビルを建てたがっているように、「どうだ。」と見せつけることを非常に意識した人工的構造物の性格が強いことが、これも素直に理解できる。
 上海やドバイ(に限らないが)の都市設計思想は、古墳時代の堺のそれとよく似ていると、私は一人笑っている。

 今般の堺市長選挙の中で、大阪府知事でもある維新の会松井幹事長は、伝仁徳天皇陵にイルミネーションをつけて世界遺産に認めてもらおうと主張している。
 恥ずかしくて批評する気も起らない、ついていけない意見である。実現性も100%ない。

 ともあれ、政令指定都市になった堺という大都会で、古墳や歴史的建造物等を保護し整備するのは困難ではあるが、竹山市長の政策の重要な柱に、「自然と歴史の再生」という項目が建っているのは嬉しい。
 竹山市長を応援する人々が、「堺はひとつ 市民のマーチ」と銘打って伝仁徳天皇陵をぐるっと一周する大行進を23日に行った。息詰まるような選挙戦のさなかになんと愉快なことだろう。

2013年9月23日月曜日

曼珠沙華

  今年の夏は異常な猛暑が続いたので、開花が彼岸よりも遅れるのではないかと心配していたが(何も彼岸花が彼岸に咲かなかっても世の中はいっこうに困らないが)、見事にきっかり彼岸に開花した。

  球根に毒があることや、それ故にモグラやネズミ除けに畦や墓の周りに植えたせいで、葬式花、墓花、幽霊花、死人花、火事花、捨子花、狐花等々マイナスイメージの別名が多い中で、かろうじて天蓋花とか曼珠沙華という孤高の別名を持っているのが救いである。

 また、さらに別の名が「葉見ず花見ず」で、晩秋から晩春まで冬枯れの庭を緑の葉で覆うが、その旺盛な葉が「度が過ぎる」と言って妻が昨冬相当数抜いて捨ててしまったが、写真のとおり残った球根から今秋も律儀に咲いてくれた。

 歳を重ねると庭仕事も大儀になり、針葉樹や常緑樹の日本庭園が楽ではないかと思ったりするが、四季の変化を楽しまないで何の日本人かと思い直し、電子カレンダーよりも正確な曼珠沙華に目を細めている。
 何年か前までは、季節ごとに我が家の花々を論評してくれたお婆さんが近所に3人おられたが、近頃は3人とも全く姿を見なくなった。季節の移ろいよりもそんな変化が少し寂しい曼珠沙華の季節である。

2013年9月21日土曜日

お月見団子

  今年の仲秋の名月はすばらしかった。こういうのを良夜というのだろうなあと心に噛締めた。
  夕方、野原でススキを採って来て、孫のところに持って行った。
  孫はススキもお月さんもそっちのけで、お月見団子をパクリと食べた。
  これは何回もブログに書いたことだが、京、大阪のお月見団子の基本形は下の写真のものである。(写真のものは一つ一つに薄い紙が敷かれているが)
  水滴の形を少し長くしたようなお団子に、こし餡を腹巻のように巻いた形である。
  「里芋のキヌカズキを模したもの」という説があるが、里芋は同時にお供えしたりするから私は???と思っている。

  そして、根拠はないのだが、団子が月で餡が叢雲(むらくも)、行事にかこつけて「月に叢雲、花に嵐」の例えを子供に諌めた説・・・を採用している。根拠はない。ただの心配性である。

  和菓子店に行くと、ヨモギ団子のものやヨモギ団子に粒餡のお月見団子もあった。「どれにしましょう?」と言うから「お月さんは白でしょう。」と答えたが、私が古いのだろうか。私はヨモギ団子のお月見団子はお月見団子らしく思わない。

 孫のところに行ったとき、お母さん手作りの団子を反対にもらってきた。小粒で白くて円盤状に丸い団子だった。
 子供のためを思って甘さ控えめであったので、私は醤油をつけてお酒のアテにした。いい月見酒になった。

2013年9月19日木曜日

異常気象の夏は過ぎたが

  16日の朝は携帯が警報を鳴らしたので「地震だ!」と跳び起きた。地震ではなく「大雨特別警報」だった。
  台風18号が予想以上に北西の進路をとったので、桂川、鴨川、木津川、大和川など身近な川の氾濫情報にヒヤヒヤした。
 気分でしかないのだが、近頃は何となく自然も荒れているような感じがする。

  さて、先月末、我が家の前の歩道に突然7センチ程の段差が出現した。

 ゲリラ豪雨のせいか、地震のせいの陥没か判らないが、普段まっすぐと信じている歩行者道路に段差ができると7センチでも馬鹿にならず、けつまづく人も現れた。世は高齢化社会であるので軽視できない。
 すぐに自治体に電話をして応急措置をしてもらったが、土木課の専門家の言うのには、原因は連日の高温によるタイルの膨張ではないかということだった。
 だとすると、やはりこの夏は異常気象だったのだと再認識した。この道路ができてから数十年は経っているはずである。

 この夏の異常気象といえば、大雨洪水のニュースの後の今頃語るのは間が抜けているかも知れないが、四国の水がめ早明浦ダムをはじめ、日本国中あちこちで深刻な水不足が発生した。生活用水、農業用水、工業用水どれも深刻であった。
  断水が最低限の生活を奪ってしまう恐ろしさは阪神淡路大震災で身に染みた。馬鹿に出来ない。
  ところで、ニュースはその(夏の)頃、一方で大雨の災害を連日報じていた。

  で、素人は、そのテレビを見ながら「その水、どうにかならんのかい。」と釈然としなかった。
  水争いの歴史は知っている。上水と下水を同一水系で行う原則も知っている。
  しかし、各地の水道事業は緊急時のために隣接する水道事業と接続できるようになっているのではないのか? もしかしたら・・なっていない?
  そういうネットワークが成っているなら、厚生労働大臣がコンピューターで弾き出したネットワークで一定量の水を隣の水道事業、隣の水道事業へと送ればよくないのか。そんなことすらできないなら、それこそ「悪しき地方分権」ではないだろうか。

  地球は砂漠化に向かっているとも言われている。
  水は戦略物資にもなるとも言われている。
  しかしこの国は、「官から民へ」とか、「小さな政府」だとか言っているうちに、ほんとうの国民生活を守る国力が落ちていっているように思えてならない。
  新幹線網や高速道路の路肩に超広域緊急用水道管をつけたらどうか、事実上の空母・護衛艦「いずも」を造るより、海水を真水化する「真水製造艦」を造ったら世界中の災害被災地で喜ばれないか。そしてそれは、何よりの「防衛力」にならないか。

  素人の夢は膨らむが、ニュースは給水制限と給水車ぐらいしか報じない。
  だから、がっかりしながら、安倍清明や空海の雨乞いの本を読むしかない。
 そこには、大がかりに護摩を焚いて雨乞いをするのは科学的で合理的だとの説もある。(空中の水蒸気を水滴に変える核を提供しているのだと・・・)

  なお、私は写真のとおり、ささやかながら雨水の有効利用をほんのちょっぴり試みている。
  草木の水やりに利用している。震災時のトイレの水にも使うつもりである。

 ※ ここに書いた渇水対応方針案は全く素人の思いつきである。 どなたか、専門の方がコメントをいただけるとありがたい。専門でない方も。

 追伸  
 特別警報について、新聞、テレビは京田辺市ほか3町が全住民への周知をしなかったと、大きく批判的に報じている。
 しかし、私も地元自治体からの周知は受けていない。(京都府下の他の自治体だが)
 そこで、批判的に報じているメディアはいったいどのような周知を想定して記事を作ったのだろうと不思議に思った。
 「公務員を減らせ」「役所を小さくしろ」と繰り返してきたメディアの皆さんのご意見を賜りたい。
 大風、豪雨の中を広報車が廻っても聞き取れるはずもない。全戸訪問せよと言っているのだろうか。その外の周知方法ができているのだろうか。
 全戸に有線放送が施設されている小さな自治体以外の都会でそれは可能なのだろうか。
 なぜこんなことを言うかと言えば、多くの自治体でそんなことは無理で、できていないのではないかと思うからで、そういう現実を直視した上で今後の対策を検討しなければならないのではないかと考えるからである。
 嘘というか、タテマエというか、多くの自治体の現実はそうではないのではないのか。
 そして、京都府も国も、そんなことは知った上で正直すぎた京田辺市を「困ったことだ」と言って胸をなでおろしているのではないだろうか。
 近頃、こういうメディアや行政の嘘っぽさがこの国を蝕んでいるように思えてならない。

2013年9月17日火曜日

スパイスは人それぞれ

  同じ釜の飯を食った何人かで、大阪ミナミの外れにある『故郷羊肉串店』なる店に行ってきた。
 何を食べたかは店の名前を見ればお判りいただけよう。
 そこのテーブルスパイスは、唐辛子の粉とクミンの種だけだった。
 先ずその唐辛子だが、これは見た目ほどというか、ほとんど辛くなかった。
 昔何かの本で、「大陸には辛い唐辛子はなかった。」「辛い唐辛子は日本から大陸(特に半島)に伝えられた。」と読んで、キムチを思い浮かべながら「へ~~」と思ったことがあったが、そうだとすると、これが元々の大陸の唐辛子スパイスなのかもしれない。要するに、辛みよりも香りなのだと理解した。
 ただ、・・というほど香りもしなかったが…???。

写真はネットからだが、こんな感じで
思いっきり炭焼きされていた。
  次にクミンであるが、これは粉にせず種のままお皿に入れておいてあった。
 クミンは、息子が「肉料理にクミンを使うと何でも中東料理になる。」と勧めたので我が家でも常備するようになっている。つまり我が家では慣れたスパイスである。ただし、粉。

 しかし、スパイスの好みに個人差はつきものだから、私がラムチョップ(というよりもマトンの骨付きバラ肉という方がピッタリのヒネかただった)にクミンの種をたっぷり振りかけたら「ちょっとちょっと」と待ったがかかった。
 そう、好みは人それぞれである。
 
 キッシンジャー回顧録を読むと、「ああ、これから魚臭い日本に行かなければならない。」とか「日本の首脳と会談するのは魚臭くて嫌だった。」とあったような気がする。お互い様である。
 翌日、いつまでも顔のテカリが取れなかったし、汗からはモンゴル高原の香りがした。
 「次もここにしよう」と言う声もなかったので、次回は磯の香たっぷりの店を探そうかと思っている。
 

2013年9月15日日曜日

天平の甍

正倉院の天平の甍
  少し前に息子夫婦が家のリフォームを行ったが、築30年の家の屋根瓦は業者に言わせれば寿命らしく、結局葺き替えではなく元の屋根瓦の上に新しい屋根瓦を重ねて葺いた。その方法が一番廉価だった。
 近代から現代の、とくに現代のこういう思想は現実的と言えばよいのかどうか、「屋根瓦などは30年ももてばよいだろう。」というもので、そういう思想は頭の半分で納得しつつ、あとの半分で釈然としないところがある。
 というのも、奈良の街に漂う時間はそんなせっかちではないからで、先日ちょうど正倉院の整備工事の現場公開があったが、正倉屋根南面左右端に再利用される瓦は文字どおり『天平の甍』である。
 正倉院の宝物は、天平勝宝8年(756年)に光明皇后が聖武天皇の四十九日に献納した品々が始まりであるから、正倉院はそれ以前に建てられている。その時の瓦が今回も更新されるのである。
 ちなみに元興寺などは、588年に着工し596年に創立された我が国最古の本格寺院飛鳥寺(法興寺)が平城遷都に伴って移築されたものであるから、現存している屋根瓦の一部は天平の甍以前の「飛鳥瓦」である。
 正倉院に話を戻せば、今回の工事で平瓦の24%、軒平瓦の50%が再利用であり、天平瓦から修繕工事ごとに、鎌倉瓦、室町・慶長瓦、江戸瓦、明治瓦、大正瓦とあるのだが、最も新しい大正瓦は焼があまいためほとんど再利用されない。
 同じような話は法隆寺の工事現場公開でも聞いたことがあり、現代に近くなるほど瓦の質が落ちているらしい。
 1300年、1400年以上を経過した瓦を見ながら「30年瓦」を考えると、現代人は古代人よりも精神性が豊かに進歩してきたのだろうかと首をひねりたい。
 ついでに、写真の平瓦と平瓦の上にいわゆる丸瓦が乗るのだが、瓦の下に壁土がないのが意外だった。ほんとうに1300年前と同じように修繕するのだ。
 
  余談ながら、正倉院の校倉造りは、「雨の日は木が膨らんで湿気を避け、晴れた日には隙間が開いて風を入れたので宝物が傷まなかった。」と昔、習ったと思うが、これは全く不正解らしい。
 校倉造りの壁はツーバイフォーの壁のように壁自体が天井を支えており、隙間が開く余地など全くない。
 そして、部分的に空いた隙間は銅や漆喰でその都度埋められており、今回も埋め木で閉じられる。(開いた隙間は次の工事までは基本的にはそのままだった。)
 だから、こういうのを「見てきたような嘘」というのだろうが、しかし、ほんとうに学校で習ったように覚えている。もしかしたらテレビで信じ込まされた風説だったのだろうか。

2013年9月13日金曜日

晶子からの伝言

  どんな立派な物を造っても売れなければ何の値打もないということなのだろう、確かにCMの役割は小さくない。だから、CMすべてが悪者だとは決して思っていない。
  ということで、いわゆる秀才が集まってバカバカしいCMに、大袈裟に言えば命をかけているように想像するキンチョーに代表されるそんなCMを私は好きである。

 「バカバカしい派」の作品ではないがテレビCMで美女が「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」と詠っていた。
 本歌取り狂歌の精神なのだろうか、きっと「このクルマに触れもしない君は・・・」と言うのだろうが、映像が美しすぎて晶子の歌がBGMに終わっている。
 それでは、与謝野晶子の生家のすぐ近くで育った私としてはちょっと寂しい。
 私は中学校時代、ちょっと肩に力を入れて3年間を過ごしてきた。
 だから柔道部顧問でもあったいかつい国語の先生が、「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女(をとめ)となりし父母の家」を私に当てたとき、私が先生の予想に反して感情を込めて詠ったので驚かれ、ちょっとツッパッテいた分、反対に自分が恥ずかしかったことを覚えている。
 「潮の遠鳴り」と言えばそのとおりで、朝早く布団の中に聞こえてくるのは焼玉エンジンのポンポンポンポンという出航の音だった。それが旧堺市街の高度成長以前の普通の音風景だった。かろうじて私は、晶子と同じ音風景を共有したのが自慢である。
 
 晶子と言えば、「君死にたまふことなかれ」の詩がある。
 その歌碑は晶子の母校、現府立泉陽高校の庭にも建っている。
 この詩を「反戦歌」というように単純に言うのは好きではない。
 ただ、明治37年という時代に、いわゆる公序良俗、安寧秩序、男尊女卑に一切怯むところなくこの歌を発表した勇気はいくら称賛してもしすぎることがない。とまれ、すめらみことさえ難詰しているのである。
 竹山堺市長が中世の自治都市が堺のDNAだと言われたりするが、晶子の歌の精神はもう一つのDNAだと思う。
 そういうDNAが今般の市長選挙で「維新はダメ」という形で発揮されるに違いない。それが晶子からの伝言である。

 この詩は大好きな詩なので、講談社版で以下に掲げてみたい。
 明治37年という背景を頭に描いて読み直すと、長いものに巻かれろと繰り返す現代の風潮に抗う勇気が湧いてくる。私たちは晶子の何分の一かの勇気さえ忘れてはいないか。

    君死にたまふことなかれ
 (旅順の攻圍軍にある弟惣七を嘆きて)

 ああ、弟よ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ。
 末に生まれし君なれば
 親のなさけは勝りしも、
 親は刃(やいば)をにぎらせて
 人を殺せと教へしや、
 人を殺して死ねよとて
 廿四(にじふし)までを育てしや。

 堺の街のあきびとの
 老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
 親の名を繼ぐ君なれば、
 君死にたまふことなかれ。
 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事ぞ、
 君は知らじな、あきびとの
 家の習いに無きことを。

 君死にたまふことなかれ。
 すめらみことは、戰ひに
 おほみづからは出でまさね、
 互(かたみ)に人の血を流し、
 獸の道に死ねよとは、
 死ぬるを人の譽れとは、
 おほみこころの深ければ
 もとより如何で思(おぼ)されん。

 ああ、弟よ、戰ひに
 君死にたまふことなかれ。
 過ぎにし秋を父君に
 おくれたまへる母君は、
 歎きのなかに、いたましく、
 我子を召され、家を守(も)り、
 安しと聞ける大御代(おほみよ)も
 母の白髪(しらが)は増さりゆく。

 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
 あえかに若き新妻を
 君忘るるや、思へるや。
 十月(とつき)も添はで別れたる
 少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
 この世ひとりの君ならで
 ああまた誰を頼むべき。
 君死にたまふことなかれ。

 晶子ほどの根性はないが、昨日、上のような手づくりの紙袋を下げて堺の街を歩いてきた。

2013年9月11日水曜日

四世代カラオケ大会

  和道おっさんのブログhttp://wadou.seesaa.net/category/5457653-1.htmlに「自身のパーキンソン病のリハビリとしてカラオケが有効だ。」とあった。
 そのために、週に1度ぐらいご夫婦でカラオケをされているらしい。

  そこでなるほどと思い、義母のリハビリを主目的に、義母の外泊時に義母、義姉、我々夫婦、嫁、孫の6名で「四世代貫通カラオケ大会」を開いた。
 だが何ごとも机上の方針どおりにはコトは進まず、義母が知っている古い歌をかけても、疲れているのか半分目をつぶったままである。
 ちょっと当てが外れた感じもしたが、しかし、よく見ると小さな声で、というか、心の中では十分に歌っているようだから立派なリハビリのようだと思うことにした。

 ところが、炭坑節をかけた途端、打って返して歌うどころか踊りだし、それにつれて孫も大喜びで、というよりも、我々の手を引いて「みんな踊れ」と催促するので、カラオケルームは盛大な盆踊り会場となった。
 何回も繰り返したので我々でさえ疲れたが、それよりも、後の反動が心配になるほど義母は興奮状態で、その後クールダウンさせるのが大変だった。
 
 孫の方は・・・、童謡をいくつか入れたのだが、どうしたわけかこの日はあまり乗ってこず、選曲の端末機器の操作の方に興味津々だった。想像するに、目下の彼女の目標はスマホやパソコン等の機器を思いどおりに操作したいということらしい。置いてあるスマホの電源を入れ、動画を思いどおりに再生するぐらいは朝飯前になっている。
 で、そういう中でも、「何を歌うのん」と尋ねた結果、何回も孫がリクエストしたのが「潮騒のメモリー」で、・・・
 こんな歌がキチンと新曲で入っているのもすごいことだが、孫はこの歌をだいたい七割方は歌うのである。もちろん2歳チョッとの孫は文字は読めないし、ほとんどは意味も判っていないと思う。
 そういえば私も小さい頃全く訳も分からず「バッテンボー」(ボタンとリボン)って歌っていたなあと思い出した。そういうものだろう。
 祖父ちゃん祖母ちゃんは、“持ち歌で孫に追い抜かされた”ので口をあんぐり、曾祖母(ひいばあ)ちゃんは別世界に眠っている。
 だから、みんなが曾祖母ちゃんのリハビリはそっちのけで孫を囃し立てて盛り上がった。
 そう、曾孫の歌以上のリハビリはないのである・・・といいながら。
 えっ、この記事のラベルは「老朗介護」でなく「爺ばか日誌」ですか。

2013年9月9日月曜日

ディオバンを服用した日々

  今年の2月頃、京都府立医大の教授が高血圧治療薬ディオバンのデータを改竄していたというニュースが新聞に掲載されていて驚いた。その薬は私が毎日服用している薬だった。
 次の通院日に主治医に「信用ならん薬は替えて欲しい。」と言ったが、医師は「教授が怪しからんだけで薬の効能は間違いないんだ。」と答えるので、その日はそれで終わった。
 その後も、通院ごとに「ディオバンは信用できるのか。」と尋ねたが、「日本で一番使われている高血圧治療薬で効能は間違いない。」というので続けてきた。
 5月からは、「そんなに嫌なら替えてもいいよ。」と主治医が言ったが、「好き嫌いでなく客観的な評価を主治医としてどう思うのか。」と聞き直しながら続け、結局、8月初めに「やっぱり替えてくれ。」と言って替えてもらった。
 薬を替えたのが真夏であったり、いろんな誤差があるので一概には言えないが、私の場合は薬を替えた後の方がコントロールができている。前回の診察日は主治医が私の毎日のデータ・グラフを見て、「替えた薬の方がよく効いているなあ。」と感心した。ということは・・・・・・

 さて、高血圧治療薬データねつ造事件の根はほんとうは深いと思う。
 その一側面を言えば、国が「小さな政府」「行政改革」の名の下に大学教育の予算や各種研究費用の予算を全く削り倒し、産学連携という大義名分?で、研究費用は企業頼みということを大前提にしている癒着構造を作っていることである。かの原子力村もそのとおり。

魯迅
  話は飛ぶが、中国では秦の滅亡(前207)の後は少なくとも清の時代まで、基本的には小さな政府の国だった。
 3年に1回の科挙で広い意味の進士でさえ300名弱であったから、実際の行政は科挙及第のエリート官僚が私的に雇用する胥吏(しょり)や幕客に任されていた。つまり、行政を彼らに外注、下請けに丸投げしていたので、胥吏、・幕客の収入の大半は税などとは別口で人民から巻き上げたものであった。・・・・ということを関西外大山口久和先生の講義で聞いた。
 先生は、「魯迅は、科挙は中国民族の健康な精神の発達を損なった元凶であると批判している。」と引いて、そういうシステムが中国近代化阻害の一要因だとも言われている。
 私は単純に大きな政府を叫ぶものではないが、「小さな政府」は福祉を家族責任(歴史的中国では宗族)に捨て去り、安全すらも企業まかせにする道ではないかと・・・・ディオバンを服用続けた日々を振り返りながら再認識するのだった。

2013年9月7日土曜日

月見草

  確かにこの国は豊かになった。・・・といっても経済の話ではない。
 植物の「政権交代」(遷移)のことである。
 なぜこんなことを書こうと思ったかというと、私が小さい頃住んでいた堺市の(当時の)中心部から海側は、堺大空襲があった地であったから、小さい私のイメージで言えば、「地球というものは住宅(地)と焼跡で成り立っているのだな。」という印象だった。
 そしてその焼跡・・荒地というのは、夏には「月見草」で覆われるものだった。
 だから、「月見草」を見ると私は、野村克也氏以前に、小さい頃の堺の風景を思い出すのだった。

 ところが、現在住んでいる私の街には多くの宅地やその他の緑地、空地がいっぱいあるのに、また、少し近辺には田圃の畔や農村風景がいっぱいあるのに、この「月見草」が全くないのである。
 そのため私は、誰に教わったわけでもなく、『月見草というのは荒地の先駆(パイオニア)植物で、土地が豊かになれば消え去る可哀想な草なんだ。』と思っていた。おおむね間違っていない。
 で、このあいだから「どこかにひっそり咲いていないか。」と探し回っていて(ほんとうに探し回っていて)、ようやく見つけたのが写真の花である。
 土地によっては今でも群落がみられるのかもしれないし、「な~んや、そんなんいっぱい咲いてるで。」とおっしゃるのだろうが、我が家では、私がそんな話をしていたものだから、「あそこに咲いてたで。」と妻が見つけてくれてようやく撮影できた花である。
 ただそれだけの、つまらない話である。

  余談ながら、「月見草」という野草はほんとうは別の白い花の野草で、こちらの方は「待宵草」(雌待宵草メマツヨイグサ)が正しい。だから、このタイトルはほんとうはペケなのだ。また、記憶の花は大待宵草で写真のよりももっともっと華やかだった。
 そういう誤りの上にさらに、竹下夢二作詞の「宵待草」が有名すぎるので誤って「宵待草」と広く誤解もされている。
 「宵待草」ほど情緒はないが、別名の「荒地待宵草」はその可哀想な性格を的確に表しているようだ。
 昨今の阪神や楽天の成長ぶりを見ると、なるほど野村監督は現役を引退してからも「荒地待宵草」だと一人納得している。土壌が豊かになったら去っていくのだ。

 いつの頃からか息子夫婦の家の庭にオシロイバナ(白粉草)が咲くようになった。これも夜に咲く花で、それゆえだろうか「夕化粧」との別名がある。夜に咲く花の別名には美しいものが多いようだ。

2013年9月5日木曜日

大化改新から学ぶこと

  先日「大化改新の前と後」という吉川敏子先生の講義を聞いた。
  「大化改新と聞いてどんなことを思い出すか?」と尋ねられ、「強大な実力を持ちすぎた蘇我一族に対して、中大兄皇子と中臣鎌足らが謀って蝦夷、入鹿を滅ぼした。(645乙巳の変)」だけでは不十分だということから話は始まった。

 大切なことは、翌646年の改新の詔の発布にあり、それは・・・、
 ① 部民制廃止と官人給与制(公地公民制と官僚制)
 ② 行政区画制定など
 ③ 戸籍・計帳・班田収授など
 ④ 新たな税制
・・・・などの、いわば施政方針演説であった。そしてそれは、四半世紀かけて実行されていった。そういう大改革だったのだと強調された。
 では、なぜそのような大改革を断行しようとした動機は何かで、ズバリ、それは東アジアの動乱であった。
 618年に隋が亡び唐が成立して朝鮮半島に外圧。
 高句麗で泉蓋蘇文のクーデター。
 百済が新羅の40城を奪取。
 新羅が唐を頼る。
 644年唐の高句麗征討開始・・・である。
 ・・・隋の滅亡を見たり、唐の軍事力を見た留学生たちをはじめとする改新派は、いつまでも氏族ごとに職務を分掌し、実際の人民支配を各豪族に委ねている場合か、と立ち上がったわけで、それは・・・・、

 アヘン戦争で清の敗れたのを知り、黒船・ペリーに脅される中・・・・、
 大政奉還・王政復古、
 戊辰戦争、
 版籍奉還、
 廃藩置県、
 壬申戸籍、
 徴兵令・地租改正・・・・に突き進んだ明治維新と(が)瓜二つで、こういうのを「歴史は繰り返す」というのだという話であった。
 (講義は非常に詳細なものであったが、私が特に心に残った部分がここだった。)
 
 つまり、山積する外交課題に何一つ有効に対応できないまま政治の閉塞感が強まり、国民生活が明確に低下を続ける今日は、蘇我の時代や幕末とあまりに似ていないかということで、だとすれば、行き過ぎた地方分権の主張や、感情的な「官から民へ」というような「小さな政府」の主張は、全く歴史に学んでいないのではないかとの感想を強く抱いた半日だった。

 言いたいことは、国の行政の在り方、地方自治との関係、公務員の数や労働条件、そして、財政を冷静に議論しようということである。
 行政機構や公務員は減らせば減らすほど善なのか。絶対にそんなことはない。
 例えば、ブラック企業を監督する労働基準監督官は全国600万事業場に対して2000名弱でしかないが、結局そのツケは労働者が払わされていることになる。
 ハローワーク職員の6割が非正規雇用で雇い止めもあるというのはブラックジョークで済まされない。
 もういい加減冷静な議論がされなければならない。
 かつての自民党政治は、国民の財産である税金を公共事業にばらまき、その見返りを政治献金や利権にして私腹を肥やしてきた。
 今の自民や維新やみんなの主張は、国民の財産である公共の土地や公共施設や公共事業そのものを売り払い、その見返りを政治献金や利権にして私腹を肥やそうというものである。これを「新自由主義」と言っている。
 私は、そういう主張が、それぞれの時代の豪族や大名たちのそれと重なっているように思いながらこの講義を聞いていたのである。

2013年9月3日火曜日

堺の文化

  大層な話をするつもりはないが、その街の文化度というのは曰く言い難いものがある。単純な経済的指標では言い表せない。
  以前のことだが吉野本葛粉の黒川本家の主人の話を聞いたとき、その高級な本葛粉は圧倒的に京都と金沢に卸していると聞いた。余談ながら、昭和天皇が最晩年に口にされたのが黒川本家の葛湯だったらしい。
 京都で有名な卸先は「ちまきの川端道喜」さんという。

  そこで考えると、金沢という街にも、現代的な経済的指標では語りつくせない文化の蓄積があるということなんだと思う。
 私はご縁があって金沢のお菓子をいただくことが多いが、見事に上品で洗練されたものが多いのには驚かされ感心させられる。先日味わった菓匠髙木屋の『紙ふうせん』もそのひとつだった。

 同じように考えると、堺のお茶と和菓子の文化の厚さも決して大阪にひけをとらないと思っている。それは(つまり堺の街の文化は)お茶や和菓子に限らない。
 
 『軽薄な人間がいるように薄っぺらな都市もある。着飾って豪華そうだが尊敬されない人間もいる。都市だって同様だ。』とは、都市の文化性、都市の品格を大事に考えたいと言う木津川 計氏のことばである。
 氏の著作中には『〈文化〉にルビをつけるとしたら、はにかみである。・・太宰治の言葉である。』ともあった。

 こういう、この堺という文化の積み重ねを分割して大阪都(正確には大阪府)に吸収しようとするのは文化人の想像し得る許容範囲を超えている。
 恥ずかしげもなくそんなことが言えるのはエコノミックアニマルというか、下卑た言葉で他人をののしることが政治家だと勘違いしている野蛮人の所業だと思う。
 私は今、橋下氏は「読み間違えた。」と思っている。データ化し難い堺の文化度を彼は読めなかった、理解できなかったと思っている。彼の企みは失敗するだろうし、させなければならない。
 かつて西欧の世界地図の日本列島には、OSAKAがなかったときにもSAKAIはあった。
 その街を己がほら話のついでになくそうという話を堺の良識と伝統が許すはずがないだろう。

 ・・・と、ここまで書いて幾らか筆が走り過ぎているかも知れないと反省する。
 政治や戦争などの歴史では文化が暴力に敗れた例はいくらでもある。
 物心がついてから以降この国で「何もいいことがなかった」と呟く青年たちに、つまり、いささか没論理的に維新に投じた人々に、「一緒に明日の堺を造ろう」という具体策の提示も大切だろう。
 一つ覚えで「反独裁」を繰り返した失敗も学ぶ必要があるが、(といいながら)ここは許していただこう。
 「堺のことは堺で決める。」も、よい標語だと思う。

2013年9月1日日曜日

バットボックス

  8月24日に約束したとおり(えっ、誰も約束された覚えがない?)、・・・少し涼しくなったので蝙蝠の巣箱を作った。
 調べてみると外国ではちょっとした作業小屋ぐらいの大きさのバカデカイ巣箱?もあり、そういう大きなものも含めて一般にバットハウスと呼び、そのうちの小型のものをバットボックスと呼んでいるようだ。
 私の作ったのは、縦約60センチ弱、横約30㌢、奥行き約8センチ弱といったところ。小鳥の巣箱よりは相当大きいが、まあ、バットボックスで間違いない。
 6センチ幅の出入口は真下にあり、部屋の中には棚のような棒や線を張ってある。蝙蝠のために念のため「出入口」と表示した。$%&???

最終的には相当
高い位置に設置した
  ご近所に、瓦の隙間に蝙蝠が巣をつくって度々業者や自治体の職員を呼んでいる家があったから、「住宅街に蝙蝠を飼っている者がいる。」と問題にされはしないかとヒヤヒヤしているが、正直に言えば蝙蝠が使ってくれる可能性はわずかだろう。
 問われれば、「人家に棲まないようにと誘導する目的で作った。」と答えることにしよう。
 だから、「あっ、蝙蝠の巣箱がある!」と道行く人々が笑いながら歩いてくれればそれでいい。
 もし、その場に私がいたら、コメントで教えていただいたことを100%パクリ、「えへん、蝙蝠と鹿と霊芝で福禄寿を表す。」「ことほど左様に蝙蝠の飛来は吉兆である。」と賜わってお賽銭でもいただこうか。

 孫には、A4の写真を数枚とスマホのムービーを見せて「可愛いねえ。」と教え込んだら、「蝙蝠さん大好きな人!」と言ったら手を上げてくれるようになった。
 読者の皆様も好きになっていただけただろうか?