小学校の担任の先生は作文を書くときに「常套句」が嫌いだったというか、常套句に逃げるような発想が良くないと私たちに繰返し教えた。
という流れの中で高村光太郎の「冬が来た」という詩を讃えて教えてくれたので、そんなことが頭の片隅にあるものだから、毎年この季節になると、私は「きっぱりと秋が来た」という言葉が浮かんでくる。
私の感覚で言えば、秋から冬よりも、夏から秋の区切りこそ「きっぱりと」という言葉が似つかわしい。
この記事を書いているこの夜はまだ暑くてたまらない。だが、読者の皆さんが読まれる頃には、きっと「きっぱりと秋が来た」ように感じられているに違いない。天気予報はそのように言っている。
という天気予報をクヌギの木は聞いているとしか思えない。
さあ明日からは秋本番だ、と言わんばかりにドングリをまき散らしている。
ボトッ ボトッ ボトッ と、すさましい勢いでドングリをまき散らしている。
クヌギのどんぐりは大きく立派などんぐりだが、高齢社会の歩道上で演じられている風物詩を誰も注目もせず、もちろん拾うともしない。
ただ私だけが、「今度孫に見せてあげよう」といそいそと拾っている。
クヌギのどんぐりは食べたことがない。迷っている。
今日の朝は、「きっぱり秋」です。室内の温度計が20℃を少し割っています。この前孫の所へ行ったところ、どんぐりに楊枝を刺して、駒を作って遊んでいました。私も必死になって駒を回しました。とても面白かったです。それと、孫の読んでいる本が「ドラゴンボールZ」で30年前にタイムスリップしたように思いました。
返信削除どんぐりは太古の昔貴重な食糧であった。と物の書に書いてありましたから、食べられると思います。特に長谷やんなら大丈夫です。また、食後の感想をお聞かせ下さい。
今朝は爽やかです。1時間半ほどニュータウンの中を散歩をしてきました。下心あっての散歩です。
返信削除つまり、あく抜きの必要なドングリより、そのまま美味しいドングリ=椎の実を探しに、前なんかまったく見ずに、木の葉っぱと落ちているドングリと上と下だけを見続けて歩きました。・・・・・が、カシ類のドングリは嫌というほど落ちているのに椎の実は全く落ちていません。結局収穫ゼロのまま朝からトホホの体で帰ってきました。
それで、あまりに不思議なもので帰ってから調べてみると、椎の木の雄花は栗の雄花に似た臭いがするとありました。
なるほど、それで住宅地では嫌われて生えていないのでしょう。
今日は、あく抜きの必要なドングリをたくさん採ってくる気力もありません。
「山背だより」ですか、我が家の裏の道は「山背古道」になってます。それとバラやんさんは高知の人?。 ツルさん
返信削除ツルさん、コメントありがとうございます。読んでいただいて嬉しいです。
返信削除「ささいな日常を綴る」がこのブログのコンセプトです。というか、大層なことを書く力はありません。
てなことで、山背古道周辺の「おたより」(コメント)もこれからよろしくお願いします。