2013年9月7日土曜日

月見草

  確かにこの国は豊かになった。・・・といっても経済の話ではない。
 植物の「政権交代」(遷移)のことである。
 なぜこんなことを書こうと思ったかというと、私が小さい頃住んでいた堺市の(当時の)中心部から海側は、堺大空襲があった地であったから、小さい私のイメージで言えば、「地球というものは住宅(地)と焼跡で成り立っているのだな。」という印象だった。
 そしてその焼跡・・荒地というのは、夏には「月見草」で覆われるものだった。
 だから、「月見草」を見ると私は、野村克也氏以前に、小さい頃の堺の風景を思い出すのだった。

 ところが、現在住んでいる私の街には多くの宅地やその他の緑地、空地がいっぱいあるのに、また、少し近辺には田圃の畔や農村風景がいっぱいあるのに、この「月見草」が全くないのである。
 そのため私は、誰に教わったわけでもなく、『月見草というのは荒地の先駆(パイオニア)植物で、土地が豊かになれば消え去る可哀想な草なんだ。』と思っていた。おおむね間違っていない。
 で、このあいだから「どこかにひっそり咲いていないか。」と探し回っていて(ほんとうに探し回っていて)、ようやく見つけたのが写真の花である。
 土地によっては今でも群落がみられるのかもしれないし、「な~んや、そんなんいっぱい咲いてるで。」とおっしゃるのだろうが、我が家では、私がそんな話をしていたものだから、「あそこに咲いてたで。」と妻が見つけてくれてようやく撮影できた花である。
 ただそれだけの、つまらない話である。

  余談ながら、「月見草」という野草はほんとうは別の白い花の野草で、こちらの方は「待宵草」(雌待宵草メマツヨイグサ)が正しい。だから、このタイトルはほんとうはペケなのだ。また、記憶の花は大待宵草で写真のよりももっともっと華やかだった。
 そういう誤りの上にさらに、竹下夢二作詞の「宵待草」が有名すぎるので誤って「宵待草」と広く誤解もされている。
 「宵待草」ほど情緒はないが、別名の「荒地待宵草」はその可哀想な性格を的確に表しているようだ。
 昨今の阪神や楽天の成長ぶりを見ると、なるほど野村監督は現役を引退してからも「荒地待宵草」だと一人納得している。土壌が豊かになったら去っていくのだ。

 いつの頃からか息子夫婦の家の庭にオシロイバナ(白粉草)が咲くようになった。これも夜に咲く花で、それゆえだろうか「夕化粧」との別名がある。夜に咲く花の別名には美しいものが多いようだ。

2 件のコメント:

  1. 先ごろ亡くなった「藤圭子」も夜に咲く花、というイメージでしたね、売り出しのイメージと実像のはざまで苦しんでいたのかもしれません。

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  2.  そこへ行きますか。
     ただ、自死した人の精神の病(自殺念慮)を評論するのは慎重でなければならないかなと思っています。自死していなくても。
     一般に、独り歩きしたイメージと実像のはざまで辛いということはよく判る話です。
     そして、「あの時代」と自分の年齢などがマッチしていたのでしょうか、何んとも気怠い「圭子の夢は夜開く」は抵抗なく心に溶け込んでいて郷愁をさえ覚えます。

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