2013年10月20日日曜日

お練り

  春風や 巡礼どもが 練供養 (一茶) という句は、大阪、平野、大念佛寺の春の行事『万部おねり』を詠んだものである。
 大念佛寺を総本山とする融通念仏宗は、開宗900年という歴史ある主要宗派ながらあまり有名とは言えない。その理由は、信徒の多くが河内や大和、南山城等に偏っているためだろう。
 『家の宗旨』などという概念は古臭いかもしれないが、妻の実家がそうであった。基本的には旧村中がそうであった。
 だから、妻の実家の親戚中が集まった時に「まんぶ」がなんとかという話題が頻繁に飛び交っていたのだが、最初は何のことか判らないでいた。そしてそのうちに、それが大阪市指定無形民俗文化財でもある結構盛大な行事であることを知ったが、今日まで実際に足を運ばずにいた。

  19日に、そのお練り(ダイジェスト版?)が大仏殿で厳修されるというのでお参りに行ってきた。
 東大寺は基本的には檀家を持たないお寺なもので、数々の行事も結構少人数で行われているという経験からそのつもりで行ったのだが、さすが末寺や檀家を持つ融通念仏宗というべきか、朝の9時過ぎには大仏前は一杯であった。
 そして、お坊さんたちによる雅楽に先導されて今回は十菩薩がお練りになった。
 一言で言えば、来迎の世界をビジュアル化した宗教劇だろう。
 若い頃私は、正直に言うとこういう宗教行事が好きではなかった。親鸞聖人の説く精神性の対極のような感じがしていた。
 しかし、私も歳をとったのか、今ではこういう風に「教育宣伝」に腐心した先人の苦労と創造力に頭が下がるようになった。仏像を刻むのも伽藍を飾るのも声明も絵解きも節談説教やそしてお練りも、その折々の創意工夫だったんだと思えるようになってきた。

  創意工夫といえば、お練りの菩薩様は皆アジアンビューティーのロングヘアーというのが意外だった。やはり来迎は女性的なほうが好まれたのだろうか。
 観音様に千本の手を付けたのも、蝶に八本の足を付けた(写真)のも、その当時の精一杯の創意工夫だったのではないだろうか。

2 件のコメント:

  1. 長谷やん、大念仏寺のお練りの記事、興味深く読ませていただきました。記事にもある通り、このような仏教儀礼は、仏教では「方便」と呼ばれ、一般には「衆生を導くための教化方法や手段」とされています。
     私も若いころは、得度研修などで教え込まれた「儀礼」には、内心反発していましたが、今はこのような方便も信仰の世界へのひとつの道だと思えるようになりました。













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  2.  直球勝負の和道おっさんには叱られるかもしれんなと思いながら心境を綴りました。
     浅学で偉そうなことは言えませんが、親鸞もマルクスも土俗的な諸行事も大好きです。

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