2013年9月3日火曜日

堺の文化

  大層な話をするつもりはないが、その街の文化度というのは曰く言い難いものがある。単純な経済的指標では言い表せない。
  以前のことだが吉野本葛粉の黒川本家の主人の話を聞いたとき、その高級な本葛粉は圧倒的に京都と金沢に卸していると聞いた。余談ながら、昭和天皇が最晩年に口にされたのが黒川本家の葛湯だったらしい。
 京都で有名な卸先は「ちまきの川端道喜」さんという。

  そこで考えると、金沢という街にも、現代的な経済的指標では語りつくせない文化の蓄積があるということなんだと思う。
 私はご縁があって金沢のお菓子をいただくことが多いが、見事に上品で洗練されたものが多いのには驚かされ感心させられる。先日味わった菓匠髙木屋の『紙ふうせん』もそのひとつだった。

 同じように考えると、堺のお茶と和菓子の文化の厚さも決して大阪にひけをとらないと思っている。それは(つまり堺の街の文化は)お茶や和菓子に限らない。
 
 『軽薄な人間がいるように薄っぺらな都市もある。着飾って豪華そうだが尊敬されない人間もいる。都市だって同様だ。』とは、都市の文化性、都市の品格を大事に考えたいと言う木津川 計氏のことばである。
 氏の著作中には『〈文化〉にルビをつけるとしたら、はにかみである。・・太宰治の言葉である。』ともあった。

 こういう、この堺という文化の積み重ねを分割して大阪都(正確には大阪府)に吸収しようとするのは文化人の想像し得る許容範囲を超えている。
 恥ずかしげもなくそんなことが言えるのはエコノミックアニマルというか、下卑た言葉で他人をののしることが政治家だと勘違いしている野蛮人の所業だと思う。
 私は今、橋下氏は「読み間違えた。」と思っている。データ化し難い堺の文化度を彼は読めなかった、理解できなかったと思っている。彼の企みは失敗するだろうし、させなければならない。
 かつて西欧の世界地図の日本列島には、OSAKAがなかったときにもSAKAIはあった。
 その街を己がほら話のついでになくそうという話を堺の良識と伝統が許すはずがないだろう。

 ・・・と、ここまで書いて幾らか筆が走り過ぎているかも知れないと反省する。
 政治や戦争などの歴史では文化が暴力に敗れた例はいくらでもある。
 物心がついてから以降この国で「何もいいことがなかった」と呟く青年たちに、つまり、いささか没論理的に維新に投じた人々に、「一緒に明日の堺を造ろう」という具体策の提示も大切だろう。
 一つ覚えで「反独裁」を繰り返した失敗も学ぶ必要があるが、(といいながら)ここは許していただこう。
 「堺のことは堺で決める。」も、よい標語だと思う。

2 件のコメント:

  1. 子どもの頃、近世の輝かしい自治都市堺の歴史を習いましたが、正直なところ、その遺産を現代にまで十分に受け継いできたとは言えないと思います。

    とは言え、堺も80万都市。世界的に見れば規模としては十分です。大阪都心のわきにこそ、個性を持った自然も豊かな町があればよいと思います。浜辺をコンビナートにしたのはつくづく失敗だったと思いますが…

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  2.  コンビナート開発型都市政策で多くの問題を抱えていますが、包丁、自転車、線香、注染、その他、堺には全ての業種があったと言われるような産業の基盤があります。
     ほんとうに住民本位の姿勢を充実させていくならば、面白いことがナンボでもできるという底力があります。そこが今般の市長選挙の楽しいところでもあると思っています。 

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