2013年10月28日月曜日

石焼芋

こんな感じ
  「安納芋が採れたぞ」と小・中学校の同級生が送ってきてくれた。(安納芋は流行りのブランド品らしい)
 ズシリと重い箱で、「なんぼ送ってくるのや」と妻がびっくりしたが、「実は一番おいしい石焼で食べて欲しいから」と土鍋と石ころまでが同封されていた。
 ここまでされると、落葉で作る焼芋の楽しみが減るが、真っ黒な灰にしてしまう心配はなくなった。
 『弱火で5分・中火で40分を目安に箸を刺してみるように』との手とり足とりのレシピまで付いていた。
 娘夫婦が来たので早速焼いてみたが完璧であった。(収穫から3週間から1か月間熟成させるようにとの指示には反したが)
 みんな異口同音に「美味しい」と称賛した。
 だから、「焼芋は焚火やろ」というような意地を張らずに美味しくいただこうと宗旨替えをすることにする。
 いや、ほんとうに焚火での焼芋は難しい。
 何回も焼き過ぎて後悔した。
 そういう失敗が今後なくなるのだが、確実に美味しく出来上がるというのもちょっと物足りないという寂しさを感じている。
 息子は「お父さんとこへ送ってブログに書いてもらおうと思ったんやろか」と茶化したが、同級生は絶滅危惧種のワープロ派である。
 このブログを印刷して送付しなければならない。
 
 私は、庭の猫の額のような菜園の草むしりさえふうふう言って、秋の深まりまで放っていた。
 もちろん、土を耕すのも必要最小限といった感じである。
 だから、「午前中は畑、そして昼食にビールをあおる」らしいが、春夏秋冬、相当な農作業をしているその気力と体力には敬服する。明日から、何十分の一かの真似事を!と思うのだが、日が替ると意思がなえている。

6 件のコメント:

  1. 江戸時代、やせた土地でも栽培ができ、飢饉に備える作物としてサツマイモで植えられた。これを広めたのが青木昆陽である、と教えてくれた中学校の先生の名前が同じ青木だった。大村崑ちゃんに似た鼻眼鏡であだ名が「昆ちゃん」、それ以来、青木昆陽のイメージが「大村崑」さんになってしまった。

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  2.  青木昆陽は小学校で習ったような記憶があります。
     そのような救荒作物が鳴門金時や安納芋にまで出世し、味も値段も「イモっころ」とは馬鹿に出来なくなっています。
     それはそうと、伊丹の昆陽池は青木昆陽とは関係がないのですね。

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  3. 確かに焚火の焼き芋はもう焼けたかな?もうチョットなどいいながら炭にした残念な思いがありますがワクワク感は捨てがたいですね。かなり以前ひげ親父さんは焚火で美味しく芋を焼いてくださいました。それを見習ってうまく焼けたこともあったのですが炭にしたこともありました。焼き芋だけでなく最近は電子レンジを利用して里芋を皮ごと下茹ですると手で剥くと痒くなるのが避けられるので楽な方にまっわっていますね。

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  4.  「レンジでチンするカラアゲ粉」のCMが耳に残っていますが、我が家では「レンジでチンするミルフィーユ豚カツ粉」のようなものが旧来の料理を駆逐しつつあります。
     我が家の料理の堕落も相当重症です。

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  5.  垣根の垣根の落ち葉焚き、の童謡の世界がここにありました。近所のおじさんが焚いてくれた焼き芋を食べながら、1キロ程の小学校に皆で登校しました。いじめも何もありませんでした。勿論パソコンもワープロもありませんでした。自分が見つけたアケビやイタドリに名前を書いて占有権を示していた時代が、昭和30年代頃にはありました。懐かしいです。

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  6.  「子供というのは焚火や焼芋が好きなものだ」というのは昔話で、町内会の餅つき大会では子供たちは薪かまどや斧に近づいてきません。ああ。

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